『いぬうえくんがやってきた』 いぬうえくんとくまざわくん1

きたやまようこ/作・絵
あかね書房
1996.12

版元語録:小さないぬうえくんと大きなくまざわくん。きちょうめんないぬうえくんとのんびりやのくまざわくん。いっしょに暮らすのは大変?

むう:今日は、低学年ものの本について勉強しようと思ってここに来ました。YAのように読者対象の年齢が上の場合は、大人の想像力である程度何とかなるけど、幼年ものはまったく大人と違う気がします。その意味で、いぬうえくんはちょっと不思議だった。すらすらさくさくと読んでいったら、いぬうえくんはなんとなくくまざわ君の家に住み着いて、それからちょっとぶつかったら勝手に出て行って、それでまた、何となく戻ってきてっていう感じで、「変なの」という気がしました。それでも、まあそういうこともあるかと思ったんですけど、最後のp78で、くまざわくんが、またいぬうえくんと一緒に住むんだよなあ、というふうな感じで捉えているのが腑に落ちなくて。いい年した私にとっては、いぬうえくんというのはとんでもなくわがままで自分勝手にしか映らないんだけど、そういう相手を、こういうふうにまたすんなりと受け入れるのかなあ、それが子どもなのかなあ、とよくわからなかったんです。

ウグイス:p78は大人の感覚。いぬうえくんのキャラはおもしろいんだけど、一人になってさみしいだけじゃ、説得力が弱い。何かしようとしたら、いなくて困ったというならわかるのですが。この作家は、言葉遣いはおもしろいけど、大人が喜ぶ感じがあって、ほんとに子どもが喜ぶのだろうかと、疑問に思う部分があります。

愁童:ぼくはつまらなかった。子どもの目線というより、しつけ副読本的で、何もお話がない。こんなに気を使わなければならない友達なんて、もういいよーという感じにもなるのでは? 読んで楽しくないですね。

ウグイス:なぜ二人が一つのところで暮らすのか、なぜ、一緒にいるのかというところに、説得力がないんですね。

ミラボー:カルチャーの違う男女が夫婦になって初めてわかるカルチャーショック、でもそれを乗り越えて…という寓意かと思って読みました。子どもはどう受け取るのか、わかりません。

うさこ:絵はいいですね。なんともとぼけた表情やかわいい場面が見ていてホッとします。低学年ものはやはり絵が大事。でも話は、気のいいクマと一方的な犬という図式ですね。いぬうえくんというキャラクター性が読者にしっかりアピールできてないうちに、「〜がいい」「〜がいい」といって、くまざわくんの家におしかけてくるいぬうえくんに、最初の章はとても唐突な印象を受けました。家に来たあとも「〜がいい」「〜がいい」とくまざわくんの住まいなのに、いぬうえくんの価値観を押しつけすぎ。くまざわくんの気持ちを思いやって、「〜がいい」といっているわけではない。いぬうえくんって、ちょっと図々しくて自分本位なんじゃないかと思いました。二人が暮らす必然性がどこにあるのか、見えてきませんでした。p78の最後の一文は、作者の大人感覚の遊びで、きっと子どもの読者はぽかんとしているのではないかな。

たんぽぽ:小学校1、2年生では、このおもしろさはわからないかな。5、6年くらいだと、よくわかるのではないかと思います。

アカシア:いぬうえくんは、図々しいキャラなんですが、それはそれで嫌みにならずに笑っちゃえるんじゃないかな。しつけを押しつけている本だとは、私はまったく思いませんでした。図々しいと思える友だちでも、やっぱりいなくなったら寂しい。いてくれたほうがいいな、っていうことをクマの方は感じる。それが素直に表現されていると思います。

愁童:クマと犬という設定自体が、この作品のテーマを支えるキャラとしてはかなりしんどいんじゃないかな。大自然の中では本能的に敵対関係になる両者がどうして一緒に住むようになったのか、そこをきちんと書いてくれないと、動物好きの子どもたちは、お話の中の絵空事としてしか受け取ってくれないのでは。

アカシア:くまざわくんといぬうえくんは、自然の中のクマと犬じゃなくて、「まったく違うタイプの人」を動物の姿を借りてあらわしているんでしょう。絵もそうだし。だから、読んでる子どもは、実際のクマやイヌをイメージしないと思うけど。

ウグイス:でも、なぜくまざわくんが、一人じゃいけないのか? これでは読みとれない。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)