星新一/作
新潮文庫
1978/2005
版元語録:ある日学校の帰り道に、「もうひとりのぼく」に出会った。鏡のむこうから抜け出てきたようなぼくにそっくりの顔。信じてみらえるかな。ぼくは目に見えない糸で引っぱられるように男の子のあとをつけていった。その子は長いこと歩いたあげく知らない家に入っていったんだ。そこでぼくも続いて中に入ろうとしたら……。少年の愉快で、不思議で、すばらしい冒険を描く長編ファンタジー。
アカシア:私はおもしろくなかった。作品を構築していくというよりは、思いついたことを思いつくままに書いていくという感じですよね。この作品が書かれた頃は、夢の世界の描き方もこれで新鮮だったのかもしれませんが、今は多様なイメージのファンタジーが氾濫しているから、新鮮みもないし、作者のつくりごとに無理矢理つきあわされる感じになってしまいます。すなおに作品世界に入って楽しめなかったです。次の夢に入るというのも、どこかで読んだことがあるという感じでしたし……
カーコ:ここ数年の出版傾向として、ファンタジーとならんで復刊ものが多いと聞いているので、そうやって再び子どもに投げかけられた作品が実際のところどうなのだろう、というのを考えてみたくて、このテーマを選んだんです。この作品は、この表紙になってから、中高校生にもよく売れているという記事を読んだことがあったので選びました。調べてみると、もともと新潮少年文庫というシリーズの一冊としてで出ているもの。ほかのラインナップからすると大人の作家が若い読者向けに書いたものを集めたシリーズのようなんです。お話は、特に目新しくもないけど、短い言葉で場面をくっきり描いているところがうまいと思いました。場面が変わるごとに、どういうところに来たのか、よくイメージできる。ショートショートで、簡潔に場面を作りあげているからかなあ。取り立てて、心に残るというのではないけれど、ショートショートと一緒にこの本を手にとった読者が、長い作品にも近づいていければいいのでは?
アカシア:新潮の星さんの本は、シリーズ全体が新しい装丁になったので、中高生も手に取りやすくなったかもしれませんね。
ミッケ:星新一の本は、中学の頃かな、さくさくと読んでいた記憶があります。でも、今読むと、なんというか、時代を感じますね。星新一が出てきた頃は、とても新鮮だったんだろうけれど。この本に関していえば、次々に場面が変わっていくやり方は、次はどうやって変わるんだろう、どこに行くんだろう、という感じがあっておもしろかった。それに、砂だけの世界に入ってしまうところなんか、アイデアだなあと思いました。でも、全体としては中途半端。子どもの目線で書いているとは思えないな。夢の中でお父さんに会いそうになるのなんかはいいんだけれど、先のほうで、実際の世界で満たされないものが夢の世界で満たされるんだ、みたいな感じになるのは、理に落ちるというか、説教くさい。わがまま放題の王子とか、子どもを追いかけるお母さんの話とか、夢の中でひどい皇帝になっている人の中にかろうじて残っている良心が若者の姿で現れる話とか、子どもがほんとうに喜ぶんでしょうか? しらけるんじゃないかな。やっぱりこの作者はアイデアの人だと思った。
エーデルワイス:内容が薄いなっていうのが正直なところでした。夢に入っていくんですよね。ピアスの『トムは真夜中の庭で』を思い出しましたが、それとも違いますね。
アカシア:ショートショートなら、ぴりっとしたアイデアだけでおもしろいんですが、これはもっと長いので、ちょっとつらいですね。これだけでは物足りない。
ウグイス:ショートショートは、今の中学生にも読まれているんですか?
エーデルワイス:そうですね。好きな子は、次から次へと読破していますが、そればっかりになって、そこから出ることが出来ていない子も見受けられます。
(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)