『カモ少年と謎のペンフレンド』
ダニエル・ペナック/著 中井珠子/訳
白水社
2002.05
原題:KAMO L'AGENCE BABEL by Daniel Pennac, 1992

版元語録:ぼくの親友で英語嫌いのカモは、謎のイギリス人少女と文通を始め、やがて誰とも口をきかなくなる。ぼくは真相解明のため、ペンフレンド紹介所に侵入し、驚くべき事実を発見する。フランスの少年少女に大人気の愉快な物語。

げた:カモと聞いて最初鳥の鴨かと思ったんですが、ああ名前なんだと気づきました。今日の3冊の中では2番目にイメージがわきやすいものだと思います。途中まで自分もカモと同じように、ひょっとしたら18世紀から来た手紙かなと思って、『これってファンタジー?』と思ったけど、実はとても現実的な話で、10カ国語を使える母と、英語修得をしなくてはいけない息子の話なんですね。ペナックのカモシリーズは日本ではこれしか出ていないようだけど、フランスでは人気作家だそうですね。このお母さん、妙に英語修得に熱心なんだけど、他の科目が悪くなっても英語の力をつけたいというのには理由があるのかな?

アカシア:フランス人はフランス語に対するプライドが高いから、外国語習得にしゃかりきになる人は少ない気がするけど。

エーデルワイス:このお母さんは、ユダヤ人ですよね、きっと。ロシアからドイツに来て、語学は得意みたいなことが書いてありました。語学が生存そのものに直結するんでしょう、歴史的に。だから息子にきちんと外国語を学ばせたくて、いろいろと考えたんでしょう。

げた:世界で一番話されている英語の力をつけたいという思いがあったのかしらね。

アカシア:おもしろいアイデアの本だと思います。過去から手紙が来るという設定で、『嵐が丘』の登場人物から手紙が来るんですもんね。ただ、イギリス人ならこのアイディアだけで1冊の本をつくったりはしないと思うんです。大体3か月で言語習得は無理でしょ。そういう意味でリアリティはなくて「これは作り話ですよ」というくくりの中で楽しめる本ですよね。この手のお話は、読んでてうまく仕掛けに乗れると読者の側にも快感があるんだけど、これ、それほどうまくは乗せてくれないんで、ちょっと残念。あと、フランス語のvous とtuを、「あなた」と「あんた」って訳してるんですけど、かなりニュアンス違いますよね。訳しづらいところだけど、もう少し工夫があるといいなと思いました。

ミッケ:このカモ君のシリーズは、英訳もされていて、児童書の本屋に置いてあったところをみると、それなりの人気があるんだろうと思います。でも、なんというかアイデアの本だなという感じがする。たとえば、たまたま私が持ってる同じシリーズの英訳本“Kamo`s escape”なんかは、カモ少年に一時的におじいちゃんが乗り移っちゃうという話で、おじいちゃんを通して第二次世界大戦のことを語っていたりするんですが、それだけがぽこんと浮いている感じで、結局書き切れていないというか、拍子抜けな本なんです。今日のこの本もやっぱり同じような印象で、過去の人との文通というアイデアはなかなかいい。でも、物語がふくらむ前に、さっさと友達が相手の正体を突き止めてきて、しかもそれがカモのお母さんだったという種明かしに進むというのは、なんとも肩すかしを食らった感じでした。そんなふうに簡単にだまされるかしらと思ってしまって、今ひとつリアリティがない。もう少しふくらませて、なるほどと思わせてほしいな。なんか淡々としているんですよね。英語版の経歴によると、作者はモロッコのカサブランカ生まれで、木こりをしたりタクシーの運転手をしたり、教師もしていて、その後作家になったそうです。あと、この人の読書に対する思い入れの強さは、この本からもわかりますね。

アカシア:手紙が来た時にカモ少年が取り付かれるというところで、私の場合はカモと自分の間にすでにギャップを感じて、入り込めなくなりました。

エーデルワイス:やはりアイデアがおもしろい作品だと思う。私は楽しく読めました。背後にいろいろな教養がちりばめられてあって、なかなかいい。『嵐が丘』を読みたくなりましたが、間に合わなかった。

アカシア:フランスの子どもの本には、なかなかいいのがないですね。

ミッケ:これも、大人の作品という感じがしますね。

エーデルワイス:話は変わるけど、フランスには高校生が選ぶ「高校生ゴンクール賞」というのがあります。高校生がきちんと議論してかなり高度な本を選ぶ。高校生を子ども扱いせず、立派な大人として扱っている。もう19回だとか。去年の受賞作は『マグヌス』という本ですが、読み応えがあります。

ミッケ:子どものなかで、議論したり知的な話をするという能力がちゃんと育っていくと、思春期になったときに、大人に議論をふっかけてみたり、知的な話で背伸びしたりというふうに、自分の力をあれこれ試してみたいという気持ちが出てくるはずで、大人の側がそれにきちんと対応してはじめて、物をしっかり考える力がつくのだと思います。でも、日本では、大人の側が受け止め切れていなくて、議論を避けたり圧殺したりする場合がかなり多いような気がします。おそらく社会の根底にある価値観にも関わるんだと思いますが。

アカシア:日本には、まだまだ議論で考えを深めていくという文化が育ってないんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年3月の記録)