『アグリーガール』
ジョイス・キャロル・オーツ/著 神戸万知/訳 菅野旋/絵
理論社
2004

オビ語録:O・ヘンリー賞作家のジョイス・C・オーツが贈るなつかしくて胸が痛くなる、不思議なラブストーリー。自分らしくあることは、こんなにも痛くせつない。
*全米図書賞

ウグイス:出たときに読んで、おもしろかった本。主人公がユニークなので印象に残りました。同年代で共感を持つ子がいると思う。タイトル、表紙絵は、どうなのかな、と思いました。おもしろそう、と手を伸ばす感じではないと思う。

ジーナ:前に読んだけれど、忘れてしまい、今回読み直しました。最初状況がわかりにくいけれど、アグリーとマットという主人公が、それぞれ1人称、3人称の語りで書かれていることがわかってくると、どんどん読めました。このくらいの年齢の子の行動や心理がとてもよく書かれているなと思いました。親も先生もうざいと思ったり、マットが思わず余計なことを言ってしまったり。でも、この文体は私は違和感がありました。一見のりがよさそうだけれど、今の子の言葉とは違う感じがして。わかりにくい表現もあって、350ページ7行目の「ママのあごが落っこちた」というのなど、ひっかかりました。それに、ゴシック体の部分が、なぜゴシックになっているのか、よくわかりませんでした。会話が突然ゴシックになっていたり、じゃまな感じがしました。原題は、Big Mouth & Ugly Girlとマットのことも言っていて、実際男の子も読んでおもしろい本だと思うのに、「アグリーガール」だと男の子は手にとりにくく、読者をせばめているかも。男の子も読むと、心に残る子にはいるのでは?

ケロ:おもしろかったです。入りづらい部分とか、アメリカの高校生にピントを合わせるのに時間がかかりましたが。作品の世界に入ってしまうと、2人の対比がわかりやすいし、2人が近づいていく感じがとてもうまく表現されていると思います。主人公2人の距離感がとても心地よく読めました。マットが事件を通して変わっていくところも見どころなので、たしかに「ふたり」という内容が入った書名の方が良かった?かな。それにしても、アグリーガールは魅力的。とんがっているけど、正しいことをスッといえるかっこよさ。作者が70歳近いと知り、びっくりしました。メールを打つ場面で、おもしろいと思ったのは、いろいろ書いたあと、消去するところ。よくやりますよね。思いの丈をつづるのだけれど、結局この内容は相手に届いていないという。新しい表現方法ですね。

うさこ:現代の危うさやもろさをうまく描いている作品だなと思いました。テロに対する過剰反応、人を信用できない、妄想の中のおそれ、個と集団のバランス、メディアにのることによる誇大化など、すごく上手だなあと。不幸の連鎖からマットが孤独に陥るけど、アーシュラがかかわって人間性を取り戻していくというのが、リアルにビリビリ伝わってくる。犬のパンプキンまでも誘拐されたところはもうほんとにドキドキして。無事に戻ってきてほんとによかった! 自分のすぐとなりにある恐怖感みたいなのを感じた。確かにこの絵とこの書名だと強烈なインパクトがあるけど、入りにくい子もいるかも。タイトルづけも、もう一工夫が望まれます。作者が69歳というのを今知って、びっくりしました。この年代の人でも、ここまで登場人物くらいの年齢の人に寄り添って書けるんだなと感心。ひきこまれていくけど、読んでいて楽しい作品ではないですね。

きょん:アーシュラが、自分のことをアグリーガールと自分で言い、友だちにも、「自分はアグリーガールだからいいのよ」と、人とのつきあいの言い訳、または、自分の心のよりどころにしているんですが、アーシュラ・リグスが、なんで“アグリーガール”なのか? アグリーガールだからどうなのかというのが、読んでいてはっきりとしない。そこが、しっくりこなかった。マットとのやりとりで、変わっていくんだけど、最初の設定がはっきりしないから、何となく曖昧に進んでいって、アーシュラの心の変化がはっきりしてこないように思います。しかし、メールのやりとりは、リアルでおもしろかった。送らないで消去するシーンの戸惑い、微妙なところが、実感として読者に伝わってくる。アーシュラが最後成長して、ハッピーエンドなんだろうけど、スカーンと晴れ渡るようなさわやかさがない。アーシュラがアグリーガールだったというのを、もっと曖昧にしないでいたら、明るく終われたのかな?

げた:『アグリーガール』っていうタイトルを見て読み始めたら、いきなりマットが出てくるから戸惑ったんですけど、読み進むうちに、筋の流れと構成がだんだんわかってきて、引き込まれていきました。この作者は読み手をひっぱっていくうまい人だなと思いました。中高生に読んでもらう本としては、ハッピーエンドで終わったところは良かったな。むやみに、傷ついたり、死んだりする人がいなくって。マットのために唯一目撃証言した「アグリーガール」は、アグリーじゃなくて、一番美しいんだよっていう、反語的な意味を込めて「アグリー」が使われているんだろうなと思いました。書名についてですが、半分は「マット」について書かれているんだから、原題のように、書名にとりあげておいた方が、はいりやすかったかもしれないなと私も思いました。日本語表現がむすかしいですけどね。でも、読後感はよかったです。

サンシャイン:この舞台になったあたりに数年住んでいたので土地勘もあり、楽しく読めました。多分学校のあるロックリバーは架空の地名ですが、ほかの地名は実在しています。ところでアグリーガールは白人でしょうか、黒人でしょうか? たぶん白人なんですよね。原文では、どこかでそれがわかるような書き方をしているんではないでしょうか。15ページ、彼女はアグリーと言っているけれど、人からはアグリーとは呼ばれていない。要するに、家族から愛されていないと思いこんで、バスケット部でもみんなから嫌われていると思って、つっぱっている少女。通っている学校の関係者に対して地域の中で訴訟を起こすことは、公立高校は各地域に一つしかなく地域の代表であるということを考えると、まわりから非難されたりいじめられたりということは十分ありうることです。英語の題名と日本語の題名にずれがある点ですが、アグリーガールは一人称でも出てきますが、マットは三人称だけなので、やはりアグリーガールの方に比重があるのでは。狂信的なブルーアー師が最後に逮捕される行動に出るというのは話の展開としては安易でしょう。とにかく9・11後のアメリカの状況をうまく捉えて書いています。ママが精神的に不安定なのは、描写が極端なような気もしますが、これがアメリカの実態なのか、小説上で多少大げさに書かれているのか、ちょっとわかりません。日本ではこれほどではないのでは?

ミッケ:作品そのものは、おもしろかったです。ただ、ちょっと日本語が読みづらいところがあって……。ジョイス・キャロル・オーツという人は、かなり年配の人で実力もあるし、おそらく、細部まで神経を行き届かせて、かなりきっちり構成された文章を書いているんじゃないかな。ぶつっと切れているように見えて実はそうでない、といった感じの英語だったりするんじゃないかと、これはあくまでも推測ですが。爆弾騒ぎであるとか、学校相手の訴訟の話などは、前にもアヴィをはじめ何人かの人が取り上げて書いているけれど、オーツはそういう話題を取り上げつつ、濡れ衣を着せられた男の子と疎外感を持っている女の子の関係を中心に据えて、既視感を持たせない作品に仕上げている。力のある人なんだなあと、おもしろく読みました。人物造作も、狂信的な差別主義者のブルーアー師まで含めて納得できるし。でも、つくづく、翻訳物は難しいなあ、と思わされたのも事実です。たとえば、33ページのアグリーガールのお父さんのせりふ。「せめて、ヤンキースにしたらどうだ? よりによって、なんでメッツを?」というんですが、ヤンキースとメッツの違いをよく知っているアメリカの読者なら、それだけでアグリーガールがどういう少女でお父さんがどういう人かがぴんとくるはず。でも、日本の若者にはこれだけではなんのことやらわからない。アメリカやイギリスの書き手は、当然自国の若者に向かって書いているわけですが、現代の若者を取り囲む状況を取り上げた作品の場合、上手な人ほど、固有名詞や何かを巧みに使って、なるべく少ない描写で今時の若者に伝えたいことを的確に伝えていく。ところが日本語に訳すとなると、その固有名詞自体を説明しなくてはならない。これは、翻訳本のほんとうに悩ましい点だなあと改めて思いました。

きょん:ストーリーとして重要な部分は日本の読者にもわかるようになっていないと、おもしろさが伝わらないのでは? そういう細かいところがわからないから、私が最初に感じた「アーシュラがアグリーガールといっている意味」がはっきりしてこないんだと思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年8月の記録)