『一億百万光年先に住むウサギ』
那須田淳/著
理論社
2006.09

版元語録:宇宙服を着たウサギが走っていた。星の上をはね、両手を広げて踊り、そして宙返りをしてみせる。それからまた走り出し、たったったと加速して…湘南を舞台に描く青春ストーリー。

サンシャイン:よく知っている場所が舞台なんで土地勘があって楽しく読めました。かわいらしい感じですね。話題があちこちに飛んでいって、一つ一つのことについて蘊蓄を語るという進み方をしています。前半は、あっち行ったりこっち行ったりして、後半、話のテンポをあげて終わりにもっていっているという書き方をしています。

メリーさん:楽しく読みました。全体を通してさわやかな印象なのですが、それぞれのエピソードについて、もう少し読みたいなというところで終わってしまうのが残念でした。エピソードをしぼって書き込むか、人物のドラマに焦点をあてるかのどちらかにした方がいいなと思いました。

ウグイス:ウサギのイメージだとか、恋樹(こいのき)のエピソードだとか、アムゼル亭とか、心ひかれるイメージは出てくるのですが、中学生の少年少女はどちらかというと脇役になっていて、おじさんおばさんの青春時代の謎を解説されるのを聞くというスタンスのように思いました。語り手は中学生だけど、中学生が読んでおもしろいと思うのでしょうか? かゆいところに手が届かないというか、大人の側から自分たちが過ごしてきたものを伝えようとする気が強すぎると思う。ドリス・デイの歌とか、コーヒーへのこだわりとか、今の子どもたちにも魅力あるものとして提示されてはいないような気がします。いろんな人物が出てくるのですが、その人たちは物事を「解説」するために出てくるんですよね。だから、出てくると滔々としゃべる。喫茶店の先代のマスターなんかも、突然出てきてしゃべるしゃべる。だから、リアリティのある生きた人物としての魅力が今ひとつ感じられませんでした。最初の方に出てきた恋樹の、文通相手もわりあいあっさりと明かされてしまう。いろんな秘密がにおわされて、ちょっとひきつけるんだけども結局たいしたことなく終わってしまい、はぐらかされた気分。自分の中にあとになってまで残る作品ではないと思いました。

みっけ:私の心の表面をつるつるつるんとすべっていって、どこかに消えちゃった、という感じでした。食い込んでくるものがない。前にこの会で同じ著者の『ペーターという名のオオカミ』(小峰書店)を取り上げたときもそう感じたんだけれど、これが書きたいんだ!という勢いみたいなものがなく、おぼろな幕の向こう側であれこれやっているなあ、という感じで終わってしまった。途中から、我慢できなくなってぴょんぴょん拾い読みになってしまいました。同じ湘南を舞台にしたものでも、たとえば佐藤多佳子さんの『黄色い目の魚』(新潮社)の方が、ずっと生き生きとした青春ものになっている。ウサギが出てきたり、あれこれ工夫しているんだろうなあ……という気はしたけれど、ぴんと来ませんでした。

紙魚:じつは、今月の本を選書していたとき、日本の作品だけがなかなか決まりませんでした。確かに、ほかの2作品との共通性がないかもしれません。ただ、あまり古い作品にもしたくなかったので。この本に感じたことは、青春のイメージがパッチワークのように紡がれてはいるのだけれど、そこにひそむ汗とか体温とか、友情とか裏切りとか、また自分のなかでの悩みや葛藤というような、生の感覚があまり伝わってこないということでした。この本は、中学校の課題図書に選ばれているんですよね。もし私が中学生で、この本の感想を書けと言われたら、何を書けばいいんだろうって困ったと思います。

ジーナ:なかなか好きになれなくて、最後まで読むには読んだのですが、中に入れませんでした。というのは、主人公の中学3年生の男の子が語るんですけど、口調が中学生じゃないみたいなんですね。私も翻訳したものを、「あなたは中学生のつもりで書いているんだろうけど、それはつもりなだけ」と編集者から注意されることがあるんですが、そんな感じ。中学生がサンドイッチについて「ニンニクとオリーブで香り付けられた鶏肉は、かむと肉汁がはじけ、バジルの葉とレタスが先に吸収していた油とマヨネーズと溶け合う」なんて蘊蓄たれる? 中学生と言えば、受験のことや学校の友だち関係とかいろいろあるだろうに、同年代で関わるのはケイちゃんぐらいで、その辺はあっさりしている。人物の魅力に欠けるのかな。日本のヤングアダルト作品にはなかなか大人が出てこないけど、これは大人ばかりが出過ぎている感じ。マンガ本の蘊蓄はすっと読めるけれど、この本に出てくる芸術や音楽の知識は、教えられているようで、いまいち惹かれない。趣味の問題でしょうか。多くの子が共感できる本ではないと思いました。

げた:舞台が鎌倉で、登場人物もそれなりに魅力的でかっこいい感じなのだけど、私自身は、いまひとつ中に入りこめませんでしたね。今日読んだ3冊の中では、この1冊が異質だと思うんですが、「いいかげんな大人たちに翻弄される子どもたち」というあたりでつながってるって感じかな。タイトルが謎めいていて装画もいいから、とっかかりはいいので、手にとられやすい本だと思います。

ききょう:課題図書になっていたので前に読んでいたはずなのですが、私もけっこう読むのが大変でした。那須田さんがもっている趣味をいかして書きたかったのでしょうか。物語の勢いのようなものが感じられないし、ストーリーでも人物でも読めないので、目の前のコーヒーのいい匂いだけ嗅がされている感じ。私も教員なので、どうやって子どもたちにアピールしようかなと思うのですが、中に出てくるのが意外と渋いディテールなので、子ども達はここから新しい世界を見ていくのかもしれないとは思うけど、私も中学の課題図書にはきついかなと思います。ストーリーの一貫性みたいなものも感じられませんでした。

もぷしー:大人がノスタルジーを集めて、それに社会的な問題も加えてまとめたような印象を受けました。これを子どものための本とするのかどうか、読み物としておもしろいのかどうか、という二つの視点があると思います。子どもの本と考えたとき引っかかるのは、会話の口調。「〜なのだ」は、中学生とも思えないし、大人でも使わないような、ある意味正しすぎる日本語。言葉の表現にリアルさが感じられず、入り込みにくかった。歌の「ケセラセラ」も、繰り返し使うモチーフとしては、子どもには遠い存在だと思う。児童書としてではなく、物語としてどうかというのは趣味の問題だけど、まとまりがなかったのが私には読みづらかった。ウサギだとか恋樹とか、アイテムはたくさんあるのだけれど、かなり早い段階で種明かしされて置き去りにされている。もっと引っぱりたければ、ここまでの長編にせずにまとめた方が楽しく読めたかもしれない。

ハリネズミ:途中までしか読んでいないけど、会話にはすごくひっかかりましたね。著者はドイツにずっと住んでいたようなので、自然な日本語から離れてしまったのかな。これだと、抽象的な会話に感じてしまいますね。

紙魚:たとえば、村上春樹の小説などに書かれている会話は、現実に話されているような会話ではないのだけれど、ある独自の世界として成立しているからリアリティを感じるときがあります。もしかしたら、この本では、そういったところがちぐはぐなのでしょうか。

サンシャイン:私はこの感じ、芥川賞作家の保坂和志の作品に似ているなと思いましたね。鎌倉という舞台も一緒ですし。

ききょう:ケイちゃんは、学校では特異な存在のはずなのですが、あまりそういう感じがしないですよね。

うさこ:私は好きな物語でした。物語にいる居心地のよさのようなものを感じました。バランスがいいというか、大人の存在がとてもきいているというか、中学生の存在を守りながら自立性に向き合う姿に好感がもてました。大人たちもバラエティに富んでいるし、おおげさではなく、ある日常のこととしてドラマが展開されていく。長いけれど破綻がない。ウサギや歌などのアイテムがうまくからみながら、それぞれのエピソードや景色が描かれていたと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年2月の記録)