ネズ:「また例のヒリヒリ系かな、いやだな」と思いつつ読みはじめたのですが、とってもおもしろかった! 特にダブルダッチのおもしろさに引き込まれました。最初は、ヒリヒリ系によくあるように、母親のことを自分の敵のように書いているし、家出したお兄さんの消息がわかったのに両親に知らせなかったりしているけれど、お兄さんの友だちが出てきて、そんな風に頑なに考えるのは良くないと言われるあたりから、ちょっと違うなと思って、ほっとしました。ただ、喫茶店をやってるおじさんっていうのが、ちょっとはっきりしない。まあ、中学生の目から見たら魅力があるんでしょうけどね。

カプチーノ:読みやすく、わかりやすい内容だと思いました。ダブルダッチは小学校でも3学期になると高学年の女の子たちが校庭でよくやっていますが、いろんな飛び方があることをこの作品から知りました。美咲という女の子に似た2面性をもつ子は最近よくいます。中心人物4人の性格や家庭環境は違いますが、バラバラだけどまとまれるのがこの作品の魅力なのかな。類というおじさんは、この子たちにとって憧れ的な存在じゃないかな? お兄さんが携帯メールを送ってくるのは、現実的だし、お兄さんの友だちが登場してお母さんとの関係も変わっていくんですね。中学生に手にとってほしい1冊です。

ウグイス:女の子が5人出てくるんですよね。どれも漢字2文字のきれいな名前で、ごちゃごちゃになりそうなところだけど、ひとりひとりが書き分けられているので、おもしろかったです。主人公の一人称で、主人公が他の子たちをどう見てるかという視点で一定しているから、わかりやすいんでしょうね。語り手とそれぞれの子との関係がよくわかるし、どういう子かもわかってくる。だからおもしろく読めるんだろうな。いろんな友だちとのいろんな力関係とか、相手が自分をどう思っているのか、探り探り近づいていくっていう付き合い方が今の子どもらしい。この子が親に対して何が不満なのかっていうのがちょっとわからなかったですね。自分でも何に不満かわからないけどすべてが嫌、という年頃なのかもしれないけれど。またお兄さんが、どうしていなくなったかよくわからないから、ちょっとひっかかる。お兄さんのことはこの話にとって必要なのかな。お兄さんからメールが来ているのを親にも言わないっていうのもどうかなあと思っていたので、最後にお兄さんの友人が、言わなきゃと言ってくれてほっとした。物語の雰囲気は印象に残るけれど、ストーリーの山場があるわけではないので、内容はすぐに忘れそう。この年代の女の子の気持ちっていうのは、よく書けてるかな。

メリーさん:野球、陸上、飛び込みとスポーツを題材にしたYAはいろいろあるけれど、今回は大縄跳びか!と思って読みはじめました。主人公をとりまく女の子たちの会話はとてもリアルだなと感じました。特徴的だなと思ったのが、69ページのところ。お互いのプライベートな面には興味がなく、ただ、ダブルダッチをすることだけに集中するという彼女たちの関係性。少し前の話だったら、表面では世の中のことを何一つ考えていなさそうで、実は考えている子、というのが多かったような気がします。でも今は、社会にうまく順応しているように見せて、実は心の中では他人に本当に無関心。実際の中学生はどうなんでしょう? 自分以外の人やものごとに無関心なのか、聞いてみたいと思いました。好きな場面はラストの学園祭ジャックのシーン。主人公と美咲はきっとお互いが似ているということをわかっていたのだと思います。鏡のような存在だから嫌で、でもそれがまた相手を理解するきっかけになる、というところがよかったです。

ハリネズミ:今メリーさんは、この子たちは他人に無関心だって言ったけど、この作者の書き方はそうじゃないですよ。逆だと思うんです。だって、朋花が出場できそうにないと見てとると美咲は家にまで乗り込んできて一芝居打つわけだし、玖美も玲奈をかばって大騒ぎしたりする。一見クールだけど中は熱いというふうに作者は書いてます。私は、いろんな意味でとてもリアルだと思いました。お兄さんが、客観的に見ればちょっとしたことで家出してしまうのもわかります。私のまわりにも、そういう高校生、いましたよ。類さんは漫画のキャラみたいですが、不思議な雰囲気で時々いいことを言ったりしてて、しかもゲイだなんて、中学生の女の子には魅力的ですよ。
この4人はタイプが違うから、普通だったら付き合いがないだろうのに、ダブルダッチを通じてわかり合う。ベタな友情を結ぶっていうんじゃなくて、それぞれを異なる存在として理解し合うっていうのが、いいなあと思いました。言葉遣いも自然な感じでいい。ひっかかったのは、表紙の絵ですね。私は古い感じがしちゃったんですけど、今の中学生には魅力的なんでしょうか? ダブルダッチはYouTubeでパフォーマンスを見てみましたが、奥が深そうですね。

ネズ:今の児童文学には、いろいろな世代の人が子どもとかかわって、お互いに影響されていくっていうのが、なくなってきたわね。断絶されちゃって、子どもは子ども、大人は大人っていうふうに……。

ハリネズミ:いい大人っていうのが、出てこなくなりましたよね。

みっけ:子どもたちを取り囲む大人が、非常に限定されてきているせいなんでしょうね。だって最近の子どもにとっては、大人といえば親か教師になってしまうでしょう? 盆正月など、節目節目に大家族が全員集合して、そのときに、親戚のおじさんやおばさんに会うとか、そういったこともなくなってきているし、隣近所との関わりというのも、少なくなってきているし。だから、こういう作品にも、大人が登場しにくくなっているんじゃないかな。日本のこの年代の子を対象とするリアル系の本は、わりと暗くて心が痛くなるようなものばかりが目についていたんですが、この本は暗い感じで終わらずに、ちゃんと成長があって、明るく終わっているのがいいなあ、と思いました。古典的というか、安心して読めるというか。それというのも、主人公をはじめとする子どもたちが、たがいに異質な存在である同級生を認め合えるようになって、何かを成し遂げているからなんでしょうね。自分とは異質な存在を認めるというのは、実はそう簡単なことではない。では、何がきっかけになるのかというと、ひとつの目標を共有したり、あるいはなにかの作業に一緒に取り組むといったことが、きっかけになるんだと思うんです。そういう中で、次第に相手を理解することができるようになる。正面衝突したのでは、一杯一杯で相手を理解するだけのゆとりがなくなるけれど、なにかを一緒にするという形であれば、ある程度のゆとりが持てて、相手のことも理解できるんじゃないかな。だから装置としての学校でも、そういう作業をわざといろいろ設定して、子どもたちが互いをわかり合えるように持っていくんでしょうけれど。理解という点でいえば、少し前にこの会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ/著 講談社)は、一見この作品とはまるで違うように見えますが、やはりあの中でも、集団自殺をする、という目標を共有する中で、いわゆる優等生タイプの女の子といわゆる崩壊家庭で保護遺棄されたような状態にある女の子が、互いを少しだけ理解できるようになる。それと同じように、この作品では、ダブルダッチを通して主人公たちが互いを理解するようになる。きっかけとして、ダブルダッチは理想的だと思うんです。たかが縄跳び、されど縄跳びで、難しくて、かっこいい。ストリート系の魅力があって説教くさくない。しかも、回す人たちと飛ぶ人たちとが呼吸を合わせないといけないから、共同作業としてもかなり高度だし。
主人公の親は、物わかりがよさそうで、理知的な姿勢を見せながら、最後のところで、子どもに向かって「まあやってごらん」と言い切れない、そういう親の弱さに対して敏感になる年頃だから、あちこちにこういう家庭があるだろうな、というリアリティを感じました。今時の、たとえばいじめを題材にした読後感が暗めになるYA作品と比べて、この作品に出てくる子どもたちは、それぞれがいくつもの世界を持っていて、その場面場面で見せる顔を変えてはいても、一つの人間としてきちんとまとまっていて、分裂していないような気がします。タフというか、確固たる一人の人間がいるという感じがする。だからこそ、異質な存在を認めることもできれば、つながることもできるんだろうし、前向きにもなれるのかな。今時のいじめを題材にした作品だと、そのあたりがもっとひ弱な感じがするんですよね。とにかく、ようやくヒリヒリするだけではない作品があった、と思いました。作者の年齢とも関係しているんでしょうかね。

ジーナ:この年代の子たちに、私は普段比較的よく接しているんですけど、あの子たちは友だち関係が希薄になってると言われるけど、やっぱりだれかとつながりたいという気持ちがすごくあるんですね。うちの子も中学生の頃、制服のポケットの中にいつも紙をおりたたんだ手紙がどっさり入っていて、友だち関係のことで毎日感情がアップダウンしていました。クラスはもちろん、部活動には異質な子も集まっているから、毎日がぶつかり合い。だから、玖美が友だちをかばって謹慎になるところなどは、とてもリアルだと思いました。母親の描き方が前半はすごく嫌でしたが。友だちとの関係がいろんな人とのかかわりの中でだんだんに変わってきて、最後は今までよりこの子たちの世界が少し広がるようなところがいいと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)