バリケン:私は、おもしろくなかったです。文章がぶつぶつ切れていて読みにくいし、「きっと善意の人が大勢出てくる、いいお話なんだろうな」感が強くて。わたしが、ひねくれているんでしょうか? 他の作品を読んでも、私はシャロン・クリーチとは相性がよくないのです。トレッリおばあちゃんの話の中でイタリアの少年の犬がひかれちゃうのが妙に印象が強くて、何も殺さなくてもいいんじゃないかな、と思ったりして。

プルメリア:この作家はとても好きなんですが、最初は何なのこの作品は、と思いながら読みました。最後に赤ちゃんが出てくるところまで呼んで、すごくいい作品だなと思いとほっとしました。今、子どもたちの間では告白ブームがあるんです。思春期の子どもたちは、好きとか嫌いとか相手に自分の気持ちを伝える傾向があります。思春期の心情を描いた作品なので、ぜひ子どもたちに手にとってほしいな。

ハリネズミ:今回の3冊の中では、私がおもしろいと思ったのは、これだけです。親友との関係が恋に変わりそうな年代の子どもの心情をすごくうまく書いている。クリーチの作品のなかでも、これは『あの犬がすき』と同じ系列で、わざとこういう書き方をしているんでしょうね。説明をするのではなく、場面場面を切り取っていって、そこからいろいろなことがわかってくるような描き方。ベイリーとロージーの気持ちのすれちがいもうまく書かれているし、おばあちゃんが要所要所で豊かな人生経験から来るいいアドバイスをしてくれる。トイレに行ってから、間をおいてまたひとこと言ってくれたり、食べ物を作りながら言ってくれたり、子どもが次の段階に進んで行けるように言っているのが、ほんとうにうまく書かれています

カワセミ:この独特のモノローグの文体のせいで、ロージーが心に思うことが直接的に伝わってきました。いちばんいいなと思ったのは、ベイリーの目が見えないことが最初は読者にわからなくて、途中でわかるんだけど、目が見えないからどうということではなく、どんな子で、自分がどんなに好きかということが中心になっているところ。それから、おばあちゃんが、料理をしながら自分の小さい頃の話をしてくれて、ロージーがそれに自分を重ね合わせていろいろと考えていくところ。子どもって、お母さんはどうだったのとか、おばあちゃんはどうだったの、とか興味をもつから、気持がよくわかった。おばあちゃんは、イタリア語まじりの英語を話し、それがまたいい味を出しているんだけど、翻訳ではそこはあまり伝わりませんね。仕方ないけれど残念。

ハリネズミ:ベイリーが目が見えないというのは、ロージーの顔をさわってみるとか、ミートボールを作るときの描写とか、細かい場面場面で読者が察することができるよう、とてもうまく書いてあると思います。

げた:文章が短くて、ポツポツ感はあるけど、私は読みやすかったですね。それに文章のまとまりごとに行間を空けているんだけど、空いてる部分で読者がイメージを作ることができるように思いました。考えさせる間合いというかね。十代の女の子が氷の女王になったり、オオカミになったりして、ゆれる少女の気持ちの変化がよく伝わってきました。おばあちゃんとパルドの関係とロージーとベイリーの関係はできすぎといえばできすぎだけれど、おばあちゃんから語られるお話にはひきつけられるものがありましたね。子どもたちは共感を持って読むんじゃないかと思いますよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年11月の記録)