『ロジーナのあした〜孤児列車に乗って』
カレン・クシュマン/著 野沢佳織/訳
徳間書店
2009.04

版元語録:1881年アメリカ中部のシカゴ。あたしたち22人の孤児は、養い親になる人を探しに、西部行きの列車に乗った。本当の家族は見つかるのか…。

バリケン:おもしろい物語でした。孤児列車という存在そのものも知らなかったし、孤児を養子にしたいという人々のなかに、単に重労働をさせる働き手がほしいとか、重体の奥さんに代わる、次の女性を求めているとかいう人々もいて(もちろん、子どもとして、かわいがって育てたいという人たちもいるのですが)、当時のアメリカの様子が垣間見えるような気がしました。特に、物語のなかで汽車が通った地図も出ているので、アメリカの子どもは、ここでこんなことがあったのかと、より深く読めるでしょうね。訳はとてもていねいで、訳注がこれでもか、これでもかとばかり出ていて……これくらい訳注を載せるべきなのかと、ちょっと反省しました。
 ただ、主人公が職業訓練学校に行くのがどうしてもいやで、ドクターキャットといっしょに住むことにするという結末、職業訓練学校に行って、技術を身につけて独り立ちしたほうがいいのではないかと思ったのですが、どうなんでしょう? 家族を無くしてしまった子が、人との触れあいのぬくもりを求めて……という気持ちは分かるのですが、ひとりの人間の生き方として、誰かによりかかって暮らすよりいいのでは、とも思うんだけど。

アカシア:職業訓練校っていっても、私たちが持つイメージとは違って、孤児が行く場所だって書いてありましたよね? 孤児列車ではみんな新しい家庭に引き取られていったのに、自分だけだれからもほしがられなかったのは辛いと思うな。この子はまだ12歳だから、自分を愛して世話をしてくれる人が必要なんじゃないかしら? それに、女性が職業をもつことについては、女先生を通して著者は励ましのメッセージを送っていますよ。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。こういう列車があることはまったく知らなかったです。孤児というので『あしながおじさん』のようなストーリーを想像しながら読みはじめたのですが、列車で旅する、ロードムービーのような物語でした。みんなより少し年が上で、お話をつくるのが上手な主人公、かわいいけれどちょっと間がぬけている女の子、さわがしい男の子など……列車の中が、一種の疑似家族で、旅が進むにつれて、お互いのきずなが深まっていくのがとてもいいなと思いました。自分が誰からもほしがられていないという現実は、主人公を深く傷つけます。そういう意味で、丘をくりぬいて家にしている家族との出会いは印象的でした。あの家の母親が、父親をいさめたとき、ロジーナは母の力強さとともに、自分を大切にするということを感じたのではないかと思いました。

プルメリア:私もおもしろく読みました。1880年代のことが、この作品からよくわかりました。新しい家族との出会いでは、期待より不安のほうが伝わってきます。少女ロジーナの家族構成が少しずつ明らかになっていく中で、いろいろな場面に出てくるお父さんの言葉が作品全体を明るくしているような気がしました。孤児たちは一人一人個性があって、性格がよくわかりました。大草原の穴倉で暮らす貧しい子だくさんの家族は、住まいも生活も大変なんでしょうが、実の母親に対する子どもたちの対応が希薄すぎ悲しく思いました。作品を読んでアメリカの土地感、気候、温度の違いがよくわかり、この物語といっしょに旅をし、いろいろな人に出会う体験をしました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。普通この時代だったら、子どもがいろんな暮らし方の人に出会うことはあまりないでしょうけど、列車に乗っていろいろな場所に立ち寄っていくので、様々な暮らしぶりを垣間見ることができる。まず、その設定がおもしろいなと思いました。『のっぽのサラ』(パトリシア・マクラクラン著 金原瑞人訳 徳間書店)に出てくるような花嫁募集の広告が張り出してあるなど、その頃の情景も描かれているし。それから、どの子もとても子どもらしく描かれていますね。大人については、ロジーナを妻がわりにしようとする男や、孤児列車に自分の子を乗せておいてやっぱりやめようと思う親など、ずいぶんと身勝手な大人も出てくるけど、孤児に付き添うシュプロットさんとか女先生は、多面的・立体的に造型してあります。シュプロットさんが、子どもを奴隷代わりにしようとする男を殴るところがあったり、女先生も最初はむっつりして子ども嫌いに思えるけど、実際はやさしい心も持っている。そういうところが、物語に陰影をつけています。この時代の女性については、いろいろなタイプを出してきてますね。医者の資格を取ったけど仕事にあぶれる女先生、結婚して夢を失った穴倉暮らしの奥さん、花嫁募集広告に応じて見知らぬ土地へ向かうマーリーンさんなど、人生観もそれぞれ違う。最初はとっても嫌な子に思えるロジーナが、だんだん変っていく姿もきちんと描かれていて、ほんとにおもしろい作品だなと思いました。

セシ:うまい作家だなと思いました。『アリスの見習い物語』(あすなろ書房)など、前の作品もひきこまれましたがこれもぐいぐい。ロジーナは本能的に、自分自身の人権を守る方向に動いていくんですね。子どもたちがいっぱい出てきて、ときどきどの子がどの子かわからなくなってしまうんですけど、子どもらしさがあってよかったです。翻訳はとってもていねいな感じですが、ときどきひっかかりました。たとえば冒頭の11ページの5行目。「なぜ知ってるかというと…」というところは、目的語が何か、とっさにわからず読み返しました。

バリケン:穴ぐらの家の「ダグアウト」は、ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズにも出てくるし、花嫁募集の広告は『のっぽのサラ』にも出てきますね。でも、「大草原」のダグアウトは、なんだかとっても楽しそうだったし、のっぽのサラも、幸せな結婚をした。けれども、この本のダグアウトは悲惨だし、花嫁募集の広告で知らない土地におりたった女の人も、これからどうなるかと不安な感じがしますよね。いままで他の本で知っていたつもりのそういう事柄が、新しい側面でとらえられていて、おもしろかった。

アカシア:ダグアウトって、大草原シリーズのを復元したところに実際に見に行ってみると、すごくじめじめして暗い所なんですって。ローラ・インガルス・ワイルダーは、60歳過ぎて何の心配もなくなってから書いてるわけですから、すべてが楽しい思い出になっているんじゃないかな?

ダンテス:地図が載っているので、新しい土地名が出てくるとこの辺かなと確かめて楽しみながら読みました。時代のこともよく調べて書いていると思います。先住民が列車の連結部に乗らされて車両に入れないことなんかも、知りませんでした。アメリカの子どもたちはきっと喜んで読むかなと思います。作者の意図はどこにあったのかと気になりました。きっと孤児列車というものがあったことを伝えたかったんだろうな。そでに「感動の物語」と書いてあるので、最後はどうなるのかなと思いながら読みました。結局女先生と一対一になって、結末の予想がついてしまいました。ただ意外だったのは、少女の方から先生に言い出したことです。逆だろうと予想していましたから。「感動の物語」なんて書かない方がよかったのかなと思いますが、本を出す方はつい書きたくなるんでしょうね。行方不明になってしまって、牛のあいだで見つかったレイシーとか、もらわれてもすぐ出てきてしまう男の子とか、一人一人の書き分けも出来ていると思いました。

げた:この本は、12歳の少女ロジーナの目線、ロジーナの言葉で語っている本なんですよね。ロジーナの女先生への見方が、旅を続けるうちに変わっていくのがおもしろかったですね。最初は、ドクターが冷たくって自分たちのことはほうりだして自分の考え事ばかりしてるって思ってたんですよね。むずかる小さな子をどこかにほうりだしたんだとロジーナは思ってたんだけど、実はちゃんと病院に連れていっていたということを後で知って、女先生の見方も変わっていくんですね。ひどい大人ばかりじゃなくて、ちゃんと子どものことを守ってくれる大人もいるんだということがわかってよかったなと思いました。東から西にずっと鉄道の旅をしていくんだけど、本を読みながら読者も景色が変わっていくのを楽しめると思います。19世紀末のアメリカの歴史や事情にふれることができるのもいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)