メリーさん:新刊として出たときに読みました。どの短編もけっこうおもしろかったです。ただどちらかというと、玄人好みというか、大人向けかなと。これは、今の大人としての自分の感覚なのですが、「後ろから声が」と「十三階」「お願い」「ハリー」なんかがとくに印象に残っています。ホラーでロアルド・ダール(「お願い」)が入っているなんてびっくりしましたけれど、路上の白線を踏んで家まで帰るっていう絵本がありましたよね。(「ぼくのかえりみち」ひがしちから/作・絵 BL出版)それよりずっと前に同じことをダールが書いてたんだなと思いました。「ハリー」などもそうですが、日常の延長線上に怖さがあって、どれも語り口がうまい。どこにでもあるような設定ですが、読者をひきこむ力がありますよね。

レン:私はあまりぴんときませんでした。ホラーというテーマになれていないからかもしれませんけど、子どもの本というよりは大人の話だなと思いました。怪奇小説や、複雑な語りといった、大人の本への入口にはなるかな。私自身は、久しぶりにこういう世界に入ったので、迷子になった感じでした。ときどき引っかかる表現がありました。160ページ「顔は細かい部分まで彫りが深く」はどういう意味?

ひいらぎ:金原さん名前の訳は金原印のブランドになっている観がありますが、これはご自分で訳してるのかしら?

優李:私はこの本が一番好きでした。高校生の頃サキが好きだったのを思い出しました。だけど「こまっちゃった」はこんなにしていいのかな? もとのものをずっと昔読んだと思うけど、全く違う雰囲気で、翻案といってもここまでやるか、という感じ。最初にこれを持ってきたことで、子どもたちに、とっつきやすい、と思ってもらおうとしたのかもしれないけど……。この本は「岩波少年文庫」じゃなくて、大人向けの本にすればよかったのでは? と思いました。そうすれば、「こまっちゃった」の、あの無理な若者語モドキみたいな言い回しを使わなくてもよかったのに。それにしても「八月の暑さの中で」は、かなりドキドキしてこわかった。ダールは好きなんですが、「お願い」は、子どもたちが好きな「ピータイルねこ」(『ふしぎの時間割』岡田淳/作・絵 偕成社所収)に設定が似ているところがあって、これは本好きの高学年にすすめてみようかな、と思いました。でもやっぱり小学校では少し無理があるかなあ。

ゆーご:児童書としての善し悪しはさておき、今の私が読んでおもしろかったです。各短編の最初に作家情報が載っているので、「こういう作家だからこういう作品なのか」みたいな読み方ができました。また作家情報を見比べるとかなりバラエティーがあり、編集者の意図が感じられます。得体の知れない怖さが残る作品が多い所も私好み。短編はずっと怖いのでなく、最後が大事で、「ポドロ島」の不気味さとか、「こまっちゃった」とか、「八月の暑さの中で」のように、語られていないこの先はどうなっちゃうんだろう……って想像するのがおもしろい。映画のように突然わっと驚かされるのではなく、よりじんわりとしみこんでくるのが小説の怖さ。それが存分に出ている作品ばかりでした。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。金原さんの訳で短編集だというので期待して読んだんです。たしかに大人が読むとおもしろいんだろうけど、子どもが読んだらどうなんでしょう? いかんせんすべてにおいて古いんですよね。これを読んだ子は、八月は暑いまま終わってしまうんじゃないかと。全然ホラーという感じがしない。「ホラー短編集」っていう副題よりは、「恐怖幻想短編集」になったかもしれないってあとがきにありましたけど、そうしたらよかったのに。作家の解説があるので、子どもにとっての文学の導入としてはとてもいいと思いますが。それに、金原さんの訳にしては、気持ちが悪いんですよ。一編ごとに訳の雰囲気が全然違っていて、ぎこちなさを感じました。とくに、「こまっちゃった」の、「ア・ブ・ナ・イ」なんて表現、やめてほしい。子どもたちも嫌だと思うんじゃないかな。

ひいらぎ:今の子はこう言うだろうと思ったおじさんが書いてるって感じですか?

シア:それにしても感覚が違いすぎていますよ。訳も(短編の)選択も、なんかちょっとなあって。子どもがこの本を読んでも、「ふーん」ってなるでしょうね。ロアルド・ダールなら、もっと怖いのがあると思います。あとがきにもあったブラッドベリを入れたらよかったのに。これを喜んで読むような子は、優等生的な子だと思いますね。「八月の暑さの中で」と、「だれかが呼んだ」はおもしろかったけど。でも、オチがついているっていう意味では3冊の中で一番よかったです。今は時代が不安定だからホラーは人気があるけれど、読者が受け入れられる怖さというのを、出版する側が模索している部分があるんじゃないかと感じます。教室で安心して薦められるホラーっていうのが、あまりないですね。むしろ、クリスティーなんかの方が薦めやすいかも。ホラーっていうものの定義について考えさせられる作品でした。

プルメリア:私がこの作品の中でおもしろかったのは「八月の暑さの中で」「開け放たれた窓」「十三階」。先ほどもお話に出ていたように、扉に佐竹さんの絵があり、題名があり、作家の紹介がある本のつくりが目を引き、気に入りました。学級の子どもたちに「どの話が心に残ったか」と聞くと、「最初の『こまっちゃった』がおもしろかった」という声が多く「どこがおもしろかったの」と聞き返すと「目玉がとびだしたり、首をもってかえるところがおもしろかった」。子どもたちが日常生活で読んでいるマンガやゲームの世界の影響か、怖いというよりおもしろいととらえる子どもたちの心情を考えさせられました。

ひいらぎ:私はどの短篇も怖くなかった。ホラーというより幻想短編集。そういう味わいはあると思いましたが、読むのは大人なんじゃないかな。編集者の目で見ると、訳で気になるところがいくつかありました。24ページで「その表情から伝わってくるのは恐怖で、いまにも気を失って倒れそう」なのに、「呆然としている」のはよくわからない。26ページの「イングリッシュ・イタリアン・マーブルズで働く」もわからない。原文を見てないから何とも言えないですが、ひょっとするとイギリス産とイタリア産の大理石を使ってますってことなのかな、といろいろ考えてしまいました。「開け放たれた窓」の窓は「床まである大きな窓」とあってフランス窓でしょうが、日本語ではこういうのは窓じゃなくてガラス戸というのでは? 41ページには「赤の他人や、たまたま出会った人は、相手の病気や体の不調や、その原因や治療法の話をすれば喜んで耳をかたむけると思っていた」とありますが、ここでは相手ではなく自分の体の不調のことしか話していないので、変です。「ブライトンへいく途中で」では、49ページの「それも、はずれ」もしっくりこないし、52ページの「大釘でなぐった」も、普通は釘でなぐったりしないので、別の訳語がなかったのかな、と。

三酉:この「大釘」というのは、かつて鉄道を枕木に打ち付けていた「犬釘」のことじゃないかな。あれなら頭が大きいから凶器になりうる。

ひいらぎ:120ページの「そうしたら、ふり返ることができる」も、その後でトレーラーカーのドアの所まで行くのだから、「ふり返る」のは位置的におかしい気がします。そんなふうに、どうも私にはしっくりこないところがあちこちにあって、読み心地が悪かったですね。

三酉:翻訳のこととか、ご指摘を受けると「そういえばそうか!」と思いますが、読んでいる最中は、ちょっと気になりながらもおもしろく読みました。みなさんからあがった以外では「もどってきたソフィ・メイソン」。そうそう、最初の「こまっちゃった」のは、落語で同じ話があるんですよ。居合抜きで首を切られた男が、自分の首をとって提灯がわりにして「はい、ごめんなさい」って。

ひいらぎ:落語だけじゃなくて、イギリスにも落ちた頭を抱えて出てくる幽霊や妖怪がいますよ。

三酉:全体として、このセレクトは大人向けでしょう。少年文庫に入ってしまってはもったいない。大人が読むチャンスが減ってしまう。

ハマグリ:少年文庫は小学校中学年向きから中学生以上向きまであり、昔からの少年文庫らしい作品だけでなく、新しい企画を入れて進化発展しているので、こういうものが入ってきてもいいと思います。

三酉:今の子どもは、古い作品だとだめですか?

シア:タイトルと、ホラーっていうのと、佐竹さんの表紙絵で手に取るでしょうけど。「こまっちゃった」はまあ読んでも、「八月の暑さの中で」で挫折しますね。

ハマグリ:私は企画としておもしろいと思うんですね。YA読者に人気のある金原さんが、自分の好きな話の中から一体どれを選んだのか、って読者にとってとても興味があるし、金原さんも読者の期待をよくわかった上で、「こんなのどうよ」っていうのもとりまぜて、読者に投げかけてるように思うんですね。この中でどれが好きかを挙げると、人それぞれ好みが違うと思います。そういうこともわかっていて、いろんなタイプの話を選んだのかなと思うので、そういう意味でおもしろいなと。私自身は、「八月の暑さの中で」みたいに、どうなったかわからない、最後にすとんと落としてくれないで、読者の想像に任せるようなのは、好みではありません。「開けはなたれた窓」は、中学の授業で英語で読んで、すごくおもしろかったのをよく覚えています。その後愛読したサキの短編集でも「開いた窓」はとても好きな一編でした。でも今回読んだらそんなにおもしろくなかった。少女の語り口調が、今の子に合うようにくだいて書かれているんですが、それが逆に作用して軽く感じられたのかもしれません。

シア:私も教科書的なものを感じていて、「八月の暑さの中で」は、そのまま教科書に載りそうですよね。「さあ、この後はどうなったでしょう? 続きを書いてみましょう」みたいな。

サン シャイン:サキの「開いた窓」は高校の時に読みました。最後の一文は今でも覚えています。「即座に話を作り出すのは、彼女の得意とするところであった」というんです。どうしても古い訳のほうがよかったと思ってしまいます。金原さんのお名前で広く読んでもらいたいと思ったのでしょうか?「こまっちゃった」の文体も、気軽に読んでもらおうと思ってこういう調子のものを最初に持ってきたのでしょうか? こんな作家がいるんだよという紹介の意図もあるんでしょうね。それはいいことだと思います。ただもう少しこなれた訳になっていると、読者層が広がるかなと正直思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)