日付 2001年11月29日
参加者 杏、ウェンディ、ウォンバット、オイラ、オカリナ、愁童、
紙魚、すあま、チョイ、トチ、ねむりねずみ
テーマ 物語るお父さん

読んだ本:

『サンタ・クロースからの手紙 』
J.R.R.トールキン/作 ベイリー・トールキン/編 瀬田貞二/訳   評論社   1979
THE FATHER CHRISTMAS LETTERS by J.R.R.Tolkien, 1976(イギリス)
<版元語録>サンタ・クロースになりすましたトールキンが、20年以上にわたり子どもたちに贈り続けたクリスマス・レター。サンタ・クロースの北極での暮らしぶり、愛すべきまぬけな白熊のことなどをユーモラスに報告。トールキン自筆のファンタジックな水彩画を収めた、美しいクリスマス絵本。


『お父さんのラッパばなし 』
瀬田貞二/作 堀内誠一/画   福音館書店   1977.06

<版元語録>ほらのうまいお父さんが吹きまくる、ゆかいでステキなラッパばなし。ニューヨークでは窓ふき世界チャンピオン、イギリスではサーカス団で大活躍! バグダッドで大泥棒を捕まえて、エアーズロックではブロントサウルスとご対面! 今日はどんな冒険話が聞けるかな?瀬田貞二による、奇想天外な14話の冒険物語短編集。


『ぼくらは世界一の名コンビ!〜ダニィと父さんの物語 』
ロアルド・ダール/作 小野章/訳   評論社    1978.06
DANNY〜THE CHAMPION OF THE WORLD by Roald Dahl, 1975(イギリス)
<版元語録>ダニィの父さんは、楽しいことをつぎつぎと考えだす、世界一すてきな父さんだ。ところがある夜、ダニィが目をさますと父さんがいない…?なんと父さんは、遠くの森で夜中にこっそりキジを密猟していたのだ…。


『サンタ・クロースからの手紙』

J.R.R.トールキン/作 ベイリー・トールキン/編 瀬田貞二/訳
評論社
1979

紙魚:前回、『川の上で』(ヘルマン・シュルツ作 渡辺広佐訳 徳間書店)を読んで、参加者みんなが「物語の力」ついて考えたんですよね。今回は「物語の力」、しかも『川の上で』の設定にならって、お父さんが語る物語をテーマにしようということになりました。父が語る姿というと、私は真っ先にこのトールキンの『サンタ・クロースへ手紙』がうかびます。トールキンのこの絵本は、わくわく楽しい読物ではないけれど、物語のまっさらな力が感じられて大好きです。壮大な物語というわけでもないし、絵本かと思って手にとっても本のつくりがあまり親切じゃないので内容がつかみにくい、トールキンが好きな人ならば楽しめる、というような本なんですけど、クリスマスも近くなると、つい手にとってしまいます。最近ファンタジーというと、大勢の人が読み、たくさん売れて、映画化されたりして大きなプロジェクトになっていくものが目立ちますが、物語の始まりって、本当に少数の身近な人に語られたのがスタートなんだなと、この本を開くとあらためて感じられるんです。大勢を意識して書いたわけでないのに、世界を作りこみ、ビジュアルも一枚一枚眺めていくと、物語がうかびあがってくるものばかり。小さな文字の書きこみなども丹念に読んでいくと、はっとさせられます。

ウェンディ:トールキンを知ってから、子どもにこういう話をしていたのだという興味で読みました。瀬田さんの『お父さんのラッパばなし』もそうだけど、この頃のお父さんて、元気だったのね。語る余裕がお父さんにあるということに、まず驚きます。トールキン好きの大人の目で読んでしまったので、31年のところの世界恐慌とか、37年のものとか、へんなとこが気になってしまった。子どもには、どう伝わるんでしょうね。トールキンの家族の実際の状況とか、資料と照らし合わせて読んだら、もっとおもしろいだろうな。

愁童:ぼくはね、見開きごとに封筒がついている版を読んだことがあるんですよ。これも文字が小さくて読みにくいけど、そっちは古いからもっと読みにくかった。その頃は、日本でもサンタクロースとかクリスマスとかに、今とはちがうイメージを抱いていたんだろうな。

トチ:この出版社は、趣味的で読みにくいつくりの本が多いわね。

オカリナ:いちばんいいなと思ったのは、サンタクロースという夢を子どもにあたえようと思っているトールキンお父さんの姿ですね。サンタクロースって、子どもの想像力を豊かにする大きな役目をもってると思うんだけど、お父さんが一所懸命その夢の世界を子どもに手渡そうとしている姿勢に感動しましたね。素朴だけどトールキン自筆の絵もいいし。

:しゃれた感じと思った。大人として読むと、『指輪物語』や『ホビットの冒険』などの世界がどういうふうに作られていったかがわかって、おもしろい。ただ、全編をとおして、わかりにくいところがある。サンタクロースをいわゆるステレオタイプ的イメージで描くのではなく、かなり具体的な描写や生活感を描いているので、サンタクロースがいるというリアルなイメージが持てます。資料的に価値がありますね。

オイラ:これはなんだろうと思ったけど、後書きを読んでなるほど思った。本にすべき原稿ではなく、資料として出されたものなんですね。トールキンは、非常に物語のあるお父さんだということを感じた。娘が小さいときに、ぼくもサンタクロースのまねをしたことがあるんですよ。枕もとにプレゼントは「玄関のところにある」ってメモがあって、そこにいくと「引き出しのところにある」というメモ、引き出しのところにいくと・・・、なんてね。自分の子育てのときを思い出したな。もう1度、父親をやりなおしたいという思いにかられた。

ねむりねずみ:これは子どもの本じゃないなって思って読まなかったんだけど、今回はじめて読みました。たしかドリトル先生は最初戦場から手紙を送るスタイルで書かれたのだと思いますが、これにもそれと共通の、身近な人に贈るプライベートなもの独特の温かさがあって、いいなあと思った。絵も上手ではないけど、楽しい。工夫してある。北極が折れちゃったり、オーロラが花火だったり、そういうアイディアに感心した。書いている本人も楽しかったんじゃないかな。

トチ:一般の子ども向けではないけど、一般の子ども向けの作品に発展していきそうな力を感じましたね。やっぱり、作家魂といえるようなエネルギーがある。子どもにしてみれば、1年ごとに手紙をもらうわけだから、テレビの「あの人は今」みたいに、あのシロクマがどうしているかというのもわかって、わくわくしたでしょうね。ただ、邦訳版の本をつくるうえでは、もう少し編集上の工夫が必要だったんじゃないかしら。

ねむりねずみ:字面も、横書きの1行が長くて読みにくい。

オカリナ:原書どおりの装本でページ数も同じにしようと思って、各ページに小さい文字をいっぱい入れちゃったんでしょうね。でも、たとえばトールキンの家族の写真を入れるなどの工夫ができれば、大人向けの資料的価値もふえるし、もう少し親しみやすい本になったんじゃないかな。

オイラ:こんなの読むなんて、トールキン家の子どもたちは頭よかったんだね、きっと。

ウェンディ:わからないところはお父さんに読んでもらうといいと書いてあったりしますよ。

紙魚:子どもに「読んで」なんて言われると、トールキンもどきどきして、うれしかったでしょうね。

すあま:子どもたちが書いた手紙も読みたかったな。あと、トールキンは絵がうまいんだなあと思った。こういう本の形になれば一度に全部読みとおせるけど、次のクリスマスまでの1年は子どもにとっては長い。子どもたちは毎年の手紙をどのように読んでいたんでしょうね。

(2001年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『お父さんのラッパばなし』

瀬田貞二/作 堀内誠一/画
福音館書店
1977.06

すあま:おもしろく読んだんですが、なんとなく物足りなさも感じました。それぞれ、オチがもうひとつ。これは、「母の友」の雑誌に連載していたのですかね。カラーも多いし、堀内さんの絵がとてもいいので、だいぶ助かっているのではないかと思いました。ほら話とはいってますが、お父さんの「ほら話」なのか「冒険談」なのか、どっちつかずだった。

:改めて読み直すと、どうも入っていけなかった。ほら話なので、のせられないとつまらない。お父さんはけっこう悪乗りしているのだけれど、う〜ん、ちょっと冷めて読んでしまう。よくアメリカのほら話を読むと、ちょっと入っていけない感じがありますが、この本も同じような感じ。その土地に根付いているようなほら話って、生活しているんだったらリアルに感じられるのかもしれないけど。それが、世界各国の話になっているので、ほんとにこんなことあるのかなーという感じでした。得意になって話しているお父さん像はいいなと思った。この本のなかでは、ビルのガラスふきの場面がちょっとスリルがあって好きでした。

オイラ:入っていけないっていうのは?

:どっか客観的に見てしまうんです。昔あったことをベースにしている話ではあるんですが、ある時代性みたいなものも感じてしまい、今の自分にはピンとこない。時代を超えて楽しめるものにはなっていないということかな。参考になるかどうかわかりませんが、この中の一遍「アフリカのたいこ」は絵本化されてるんです。1966年にハードカバー化されたんですが、問題になって絶版。発展途上国を一段下に見るような見方はいけないんじゃないかと。その当時は、アフリカは野蛮だと思われていて、植民地時代を舞台にして奴隷とか描いているのは、幼い子どもたちが見る絵本としてはいけないんじゃないかということですね。絵本になったときは、現実にあるアフリカの村が舞台になっていて、子どもの名前もタンボ。リアルなお話になっているんです。お話自体も、西洋文明からみたエキゾティズム、イリュージョンとして描かれています。この『おとうさんのラッパばなし』に関しては、ある時代の事実をベースに描かれているし、ほら話としてほらが信じられるくらいリアルではないので、どうなのかという部分もありますね。

オカリナ:今回は半分くらいしか読めてないんだけど、小さい子どもがだれかに読んでもらえば、この本はおもしろいと思う。ただ大人が読むと、楽しめない。大人も子どももおもしろく読める本と、大人が読むとそれほどおもしろくない本があるけど、これは後者。ほら話なら、『シカゴよりこわい町』(リチャード・ぺック作 斎藤倫子訳 東京創元社)の方が、ずっとおもしろかったな。あれは子どもがおばあさんを見るという視点で書かれてるから、おばあさんの欠点も出てくるのよね。この本はお父さんが語っているので、お父さんはすごいだろ、と自分で言ってるだけで、裏がない。だから、最後まで読んでも、お父さん像が浮かび上がらない。そのへんが物足りないのかも。

愁童:ぼくは、しんどくて半分くらいで投げ出しちゃった。子どもたちが3人、お父さんの話を待ち構えているという設定だけど、そんな設定は、今じゃとても通用しない。特に上の子は中学生なんだよ。今読むと、そこに無理を感じないではいられないな。あったかい親子、あたたかい中流家庭のイメージと童話感が微妙にからみあっていて、今読むととてももどかしい。みんなどこかで読んだことがあるような感じがしちゃう。『町かどのジム』(エリノア・ファージョン作 松岡享子訳 童話館出版)に似た展開だけど、説得力とほら話のスケールで負けてるなっていう印象。

ウェンディ:子どもが語ってもらえば入っていける、ってことでしょうかね?

紙魚:この本は、母に一話ずつ絵を見せられながら読みきかせてもらった記憶があります。挿絵も全部覚えていたくらい。でもその後ずっと読んでなくて、今回初めて読み返してみたら、読みにくくてつらかった。きっと昔好きだったのは、身近で絶対的な存在が語ってくれるというスタイルだったからなのかも。今、この本を読むのがしんどいのは、語られる必要性を子どもの頃ほど期待していないからなのかな。当時この本って、装丁が翻訳本のような印象だったんです。他の日本の作品とちがって、本棚からモダンな香りがただよってきたんですね。作者の方も、海外のものに触発されて、お父さんが語るスタイルで書きたかったのでしょうか。そういえば、ダールと同じ題材が出てきましたね、キジ取りです。ダールは生っぽいのに、こちらは違う。それも日本と海外の違いなのかな。今は、どんどん世界が小さくなっていくので、たとえばニューヨークでも、昔思い描いていたニューヨークとは違ってきていると思います。今の子どもたちにとって、遠い世界ってどこなのだろうと考えてしまいました。これからの物語作家は、舞台をどこにさがしていくのか本当に難しいです。

トチ:昔読んだ覚えはあるんだけど、すっかり忘れていて改めて読みました。「こどものとも」でも、66年にはまだ「土人」という表現を使っていたという事実には、あらためて驚きましたね。ダールに比べて、瀬田さんは人柄がいいんじゃないかしら。ほら話と自分では言っているけれど、全然ほらじゃないのよね。ほらの爆発力がない。ダールと比較していちばんおもしろいのは、キジの話。ダールの話だと、銃は使わないけれどキジを「うまい、うまい」と言って食べる。瀬田さんは、殺すことそのものがいけないと言っている。江戸時代ならともかく、今は現実にいろいろな動物を食べているから、大きな子が読むと「なんとなく嘘っぽいな」という感じがするのではないかしら。自分のよって立つ考えがダールははっきり見えてくるのに対して、こちらはあいまい。お父さんと子どものキャラクターが見えてこないのよね。たぶん、お父さんは瀬田さん自身でしょうけど、本当に人のいい、悪気のない感じ。子どもが3人いるけど、これなら、何人いても同じで、それぞれの顔は見えてこない。ダールと比べては気の毒だという気はするけれど。やはり、瀬田さんは、創作の人というより翻訳家だったんだなあと思いました。

ねむりねずみ:荒唐無稽なところがまるでない。安心して読めるといえばそうだけれど、日常から離陸しきれていない。ほら男爵のミュンヒハウゼンのようなほらの力が全然なくて、こぢんまりまとまっている。大風呂敷を広げようとするんだけど、中産階級の品のよさというか、教訓めいている。ほらというのは本来善悪などの教訓的価値をぶっ飛ばしているものなのに、動物と仲良く暮らしていきましょうといった教訓に行ってしまうので物足りない。ロアルド・ダールのキジの話と対照的なのはその点だと思う。瀬田さんの力だけでなく、お父さんと子どものありようが英国と日本では違うんじゃないかなという気もしましたね。お父さん文化の違いかな。ダールからは、男の人の文化がちゃんとあって、それをお父さんが子どもに継承していくという雰囲気を感じたが、日本にはそういうものがないのかなと思って、頼りない気がしました。

オイラ:すごく頭のよい人だと、想像が飛んでいけないのかな。

チョイ:二十何年前に読みましたが、あまりおもしろくなかった印象があります。父ならではの男の怪しさ、魅力をあまり感じないんですよね。瀬田さんは、きちんとしてて、無菌状態というか、正しすぎて、なんだかおもしろくない。父と子の物語では、短篇ですが、筒井敬介さんの『日曜日のパンツ』(講談社/フレーベル館)なんか、いかにも男としての父のおかしさが出ていて好きでした。阿部夏丸さんなんかも、父として子どもに向かって語るとき、おもしろいです。今は、父の子ども時代の思い出話のほうが、ファンタジーになるんでしょうか? しかし、こういう物語って、子どもはおもしろいのかな?

紙魚:私が幼稚園のとき、5歳上の姉は自分で読んでいたんですよ。本棚で背表紙のデザインが際立っていたので、憧れを抱きました。

オイラ:たしかに1970年代だと、描き文字の表紙は少なかったから、目立っただろうなあ。70年代って、こういう本づくり、多かったね。

トチ:現実の方がよっぽどおもしろいのよね。毎日お父さんが背広を着て出かけるけれど、実は泥棒だった・・・そんな話も実際に聞いたわ。世界一周というのも、なんか教養的よね。それから、今読むと、えっ!と驚くようなところもあるわよね。「イスラムの国は泥棒の多い国」と思わせる表現など、この時代だから許されたんでしょうね。瀬田さんの業績は誰しも認めるところでしょうけれど、こういう創作が、今若い女性たちに人気のある似非英国ファンタジー的創作につながっているんでしょうね。

(2001年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ぼくらは世界一の名コンビ!〜ダニィと父さんの物語』

ロアルド・ダール/作 小野章/訳
評論社 
1978.06

ねむりねずみ:ダールはあまりちゃんと読んでないのですが、イギリスの子ども向け映画『魔女がいっぱい』や『チョコレート工場の秘密』を見たとき、ぞわぞわっとしたのを覚えてます。大人向けのものを読んだときは、なんて意地悪な人だと思ったり。英国では、映画をテレビ放映するときに、小さい子には見せない方がいいマークがついている。最後にネズミに化けた魔女をスリッパでたたき殺すのが残酷だっていうんですね。それに比べると、『ぼくらは世界一の名コンビ!』は、やりすぎ!という感じがあまりない。でも、ダールが子どもに好評なのは、悪い奴は徹底的にやっつけるという極端なところが子どもの波長に合っているからじゃないかと思います。よってたかって金持ちを徹底的に馬鹿にするあたりも、何もそこまでという感じだけど、それが魅力でもあるんですね。このお父さんは、すごく男っぽくて、男であることを意識しているし、それがいい形であらわれています。もっともそうな顔をしておいて、途中からほら話に離陸するあたり、やるなあと思って読んでました。すごくインパクトがありましたよ。以前、イギリスで目にした、お父さんと息子が歩いている風景と重なって、ここでもいわば男の趣味を次世代の男に伝える様子が描かれているわけだけど、日本ではそのあたりどうなっているんでしょうね。でも、ダールって不気味ですね。

トチ:私はダールは大好き。『あなたに似た人』(ロアルド・ダール作 田村 隆一訳 早川書房)などの大人の小説にある毒みたいなものが子どもの作品にも入っているけど、その毒って現実じゃないかと思うんですね。人生の真実みたいなもの。それが子どもの本にも入っているから、奥行きが生まれる。『お父さんのラッパばなし』では、イメージだけで終わっている話が多いと思うんだけど、これは物語性もあるし、それぞれのキャラクターがよく書けてる。E.M. フォスターは、現実の人間とつきあうより、はっきりとした人間像が描ける小説を書くのが好きだったんですって。人間像を描くのが小説だとすると、人間が書けてないのはなんなんでしょうね? この作品は、牧師さんの奥さんのような脇役にいたるまで、よく書けてるわよね。

紙魚:一気に読むほどおもしろかったです。この物語の感触って、どこかで経験したことがあるなあと感じたんですが、小さい頃に、祖父が勝手に作って語ってくれた物語の感じなんですね。つきはなしたところがなくて、肉の温かさがつきまとうというのかな。たとえば、祖父は布団に入ると、「おいで」ってやさしく呼ぶんですが、布団に入ったとたんに怖い話が始まる。ヘビが寄ってきたり、トラがやってきたり。話に合わせて、布団の中がもぞもぞ動くもんだから、本当にトラがいるのかとものすごく恐かったです。母親が語るような、柔らかい、甘い、優しいものは、そこにはないんですけど。それが男の人しか持てないおもしろさだとしたら悔しいくらい。『ぼくらは世界一の名コンビ』のなかで、いちばんどきどきしたのは、真夜中にダニィがお父さんを助けに行くところ。「気持ちが高ぶるのは死ぬほど怖い思いをするとき」って本文のとおり、その恐怖心がちゃんと伝わってくる。しかも、このお父さんの根底にあるのは、お父さんだけの物差し。世間でどうかということではなく、お父さんだけの価値基準がきちんとダニィに伝えられていく。最初は、このお父さん、道徳的でいい人なんだろうなあと思って読みだしたら、いきなり密猟。でも、密猟は、常識的にはいけないことでも、お父さんにとっては正しいこと。その物差しをちゃんと持ちながら生活していく。ダニィも、それを受け継いでいく。周りの子のお父さんにも、それぞれの物差しがあるんだろうと思うと、お父さんの存在って愛らしく感じられるなあ。

ウェンディ:私も、こんなお父さんがいたらいいなと思いましたね。お父さんはすごいんだとなぜ思うのかが最初わからなかったけど、いずれは父をこえていくんだなと最後は納得していました。一般的に密猟は正しいことではないけど、偽善的なところがない。嘘っぽいところがないのが、きちんと子どもに伝わっていくんでしょう。キジを百何羽隠せるわけもなく、どう決着をつけるのか不安だったけど、乳母車に隠してたとわかったとき、はっとしました。

オカリナ:ダールって、いろんなイマジネーションを変幻自在に扱える人なのよね。しかも、いつもブラックが入ってくる。移民の子だったし、寄宿学校でもいじめられたし、そんな屈折した思いがあったからこそ、物事を裏から見る視線を獲得したんでしょうね。でも、あまりにもイマジネーションが豊かだから、時に悪のりして暴走するんだけど、この作品はうまくまとまってますね。夜、自動車を運転していくところとか、干しぶどうをつめるところとか、キジがぽとんぽとんと落ちるところとか、ひとつひとつのイメージもいい。地主のこらしめ方はすごいけど、じめっとはしてない。そうそう、ダールの傑作といわれる『チョコレート工場の秘密』は、アフリカからピグミーをつかまえてきて工場で働かせたというところが人種差別だと大問題になって、原書では本人が直してるんだけど、日本語版(評論社)はまだ直ってませんね。どうしてだろ? 直してほしいな。

:私もまんまとのせられて読んでしまった。物語性があるし、善悪がはっきりしている。ここに書かれていることは、男から男へ伝える男の文化だなあと思った。今の日本のお父さんはどうなのかな。すっかり男の子になって読んでしまった。とくに後半は、はらはらどきどきだった。おかしいけど最初私はお父さんがこっそり家を出ていくのは、密猟とは思いつかなくて、てっきり誰かほかに家族がいるのかと思ってしまった。清く正しく貧しいながらも楽しく暮らしていたのに、いきなり密猟。悪いことをやるとき、危険とか死と向き合ったときに興奮する感じは、究極の感情。だんだんお父さんがドジをふんだりして、その場にいるような臨場感も感じられました。キジが落ちてくるところは、どすんという音が聞こえるかと思うくらい、入りこんでしまった。ストーリーとしても、快く終わってよかった。村の人たちも皆お父さん側で、悪い人もいなくて、快感がありました。客観的にみると、大人たちが、生っぽく人間らしく描かれてますね。子どもはお父さんを絶対視してる。もしこういうお父さんじゃなかったら、どうなのかなと考えて今のことを思うと、それでもお父さんに対しては、親を自慢したいゆるぎない気持ちはあるのでしょうね、子どもには。私の場合、中学校になる前くらいは、親を絶対と思っていたけど、それ以降はいやなところも見えてきた。先日、映画『千と千尋の神隠し』をみて、両親がいやな存在に描かれてたのが気になったんです。お母さんはキャリア風、お父さんは体操のセンセイ風。それが豚になってしまう。なんでこんなふうに変に描くのかな? 現代の親の象徴としているんだろうけど、千尋はそれでも両親のところに戻ろうと考えている。子どもは、どんな親でも、戻りたい。せつないですね。

チョイ:父親って、子どもにもわかりやすい、目に見える技術があると、それだけで尊敬されて得ですね。凧を作ったり、気球を上げたりもそうだけど、人生を楽しむ術を知っているってことが、息子にとっては、とても魅力なのではないでしょうか。それと、父親なりの価値がはっきりしてるってことも、大切。エンジンを組み立てることを学校より優先させたり、このお父さんは、息子に尊敬されたり好かれたりする要素をちゃんと目に見える形で持ってて、幸せですね。それに対して、人生を遊ぶ術を知らない学校の先生なんかは、割と冷たく描かれています。この物語は 全体に幸福感がただよっていて、ディテールで、きちんとその幸福感が表現されていると思います。馬車の家とか、ナイフとフォークの本数とか、つつましい幸せが細部にあります。父と息子の至福の生活ですね。

ウォンバット:私は、小さい頃1度読んだと思うんですが、あんまりいい印象ではありませんで・・・。タイトルが好きじゃなかったんです。「ぼくら」と「名コンビ」って言葉にまずカチンときちゃって。ヤな言葉だなあと思ったのね、どっちも。今も、いいタイトルとは思えない。それでたしか読んでたはずなのに、どんな話だったかよくおぼえてなかったんだけど、今回最初の方だけぱらっと読んで、キジとりの仕掛けのところで、あー、あの話!と思い出した。全体としてはちょっと斜に構えて読んでたんだけど、こういうところはすっごく楽しんだ記憶がよみがえってきた。

すあま:ダールと瀬田さんを同時に読んで、瀬田さんのほうは、ほら話というよりお父さんが実際に旅をしてきたという感じ。最初はほら話だと期待したので、なんだか物足りない。ダールのほうは、干しぶどうの作業だって実際はできないだろうに、リアリティがある。p11に親子の写真がのっていたりするから、もうすっかり信じちゃう。とんでもない話になっていくのだけど、本当だと思わせて、荒唐無稽になっていくからおもしろい。たしかに、タイトルはやっぱりよくないな。ダニィが主人公になってるところがいいのに。お父さんが仲間とキジとりに行く話で、子どもがその側にいるだけだったらつまらないもんね。

オイラ:うーん、ダールおじさん、やってくれるね。ここまで大人をワルがきに書いたものもないんじゃない? お父さんの悪いこと悪いこと! なのに、子どもは品行方正だよねえ。この本、9刷にしかなってないのにびっくり。やっぱり、タイトルが悪いからかねえ。イギリスは階級社会だから、上の階級をやっつけるのは痛快なんだろうね。それから、自分自身をふりかえって、もう1度親父をやりたいと思った。いたずら心を、子どもといっぱい共有したいと思ったな。ぼくの子どもが小さかった頃、お米をお酒につけてふやかして、鳥に食べさせるのやったことあるんだけど、またやってみようという気になった。いたずら心を刺激されたね。子どももそうだけど、これから子どもをつくるお父さんにも読ませたいと思った。いやね、今回「物語るお父さん」をテーマに決めたとき、なかなか日本の作品でいいものが思いあたらなくて、これはもしかしたら、日本のお父さん自体の問題なのかもしれないなんて話になったんだよ。冗談で、日本のお父さんを代表してごめんなさいと言ったんだけど・・・。ぼくは大好きな作品でした。

チョイ:父親の物語って、日本でも、小さな小品はあるんだけど・・・。だめなお父さんはいっぱい登場しますよね。蒸発したり浮気したり。

オカリナ:ローラ・インガルス・ワイルダーの大草原シリーズのお父さんは、いい意味でも悪い意味でも「家長」だったわけだけど、時代が下って今書かれているのは、ほとんどがだめなお父さんよね。

オイラ:角田光代さんの『キッドナップ・ツアー』(理論社)の、だめなお父さんはおかしかったね。

:重松清なんかは、今のお父さん像をちゃんと描いているんじゃないかな。

(2001年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)