伊藤遊/作 太田大八/画
福音館書店
2001
<版元語録>帝の住まう内裏のとなりに鬱蒼と広がる松の林。そこは「えんの松原」とよばれる怨霊たちのすみかだった。少年でありながら女童として宮中に仕える音羽は、東宮・憲平に祟る怨霊の正体を探るべく、深い闇のなかへと分け入っていく。そこで彼が見たものは?……真実を求める二人の少年の絆と勇気、そして魂の再生の物語。
もぷしー:ひと息に読める作品でした。舞台が古典ながら、時代背景には詳しくなくても、初めから引きこまれました。言葉遣いは当時のものなのに、感じていることは変わらないというところにうまく引きつけて調和が取れているので、楽しく読めました。ある意味ファンタジーとしても読めるんですけれども、ノンフィクションのようなフィクションのような、うまい境を書いていて、好きな一冊になりました。
羊:私は正直いって、入っていくのに時間がかかりました。入っていけたあとは、するすると読めたんだけど。『陰陽師』など怖い話は苦手なんですが、義務感で読んだ感じ。でも、その割には読めました。
ねむりねずみ:時代にきっちり根ざしていて、そこがすごくいいと思いました。この怨霊の正体は何だろうと思って読んでいくと、生まれ損なった人格だった・・・という作りには感心しました。一人一人が楽しくうまく書けていて、怨霊だから悪い人といった感じでなく、どうしようもなくもがいているところがいいですね。この女の子の怨霊は精神分析でいえばシャドーだと思うんですが、そこにも無理がなく、古臭さがなかった。テロ事件以来一連の動きの中で、「えんの松原はなくせない、恨みはなくせない」、というのが、すごく今の状況につながる感じがして・・・。今にもつながることを、こういう時代を背景に描けてるのはすごい! 女の子が最終的に憲平に同化して消えてしまうあたりはぐっと来ました。
愁童:ぼくも、おもしろく読みました。前の、『鬼の橋』(伊藤遊作 福音館書店)を読んだときは、くそみそに言ったけれど、それから時間がたって、この人の作品に対するこちらの理解も深まったかもね。抵抗なく読めた。天の邪鬼的に言えば、本来女の子として生まれるはずだったのを、坊さんが呪術で男にしちゃったっていうことなのかな。で、女の子が怨霊ていうのはちょっと説得力が弱いと思った。それと、「えんの松原」を「昼なお暗い」と表現してるけど、松原って「昼なお暗い」って感じにはならないよね。こんなこと言ってもしょうがないけど、ちょっとひっかかった。まぁ、そう書かなきゃ、松原に怨霊を住まわせるのは難しいものね。
アカシア:前作の『鬼の橋』は、私は評価できなかったんだけど、こっちはあれより良かった。ひっかかったのは、怨霊についての考え方。作者はどうも怨霊に対し理解を示すことをよしとしているらしく、後書きにも「無念を抱いて死んでいった人間を思いやる気持ちも感じられ、他人の悲しみに敏感だった人々の姿が浮かんできます」と書いてある。だけど、闇や不合理や迷信が支配していたこの時代だったら、怨霊ってそんなふうに客観的には思えなくて、もっと大きな恐怖の的だったんじゃないのかな。最初の方では、音羽も、自分の親が怨霊に殺されているから、怨霊と聞くと平静ではいられない、たぎるような憎しみがこみ上げてくる、と言っている。でも、最後には理性的になって、「うまくやるやつがいて、そのあおりを食らう者がいる。そのしくみが変わらない限り、この世から怨霊がいなくなるとは思えない」とか、怨霊がいなくなれば悲しい思いで死んでいった人間のことなどみんな忘れてしまうから、かえってよくないんじゃないか、と客観的で理性的な思索をするようになる。ここは「作り物」のような感じがして、いただけなかった。話は現代的で、舞台だけが過去にあることにも違和感を感じました。あとね、「月光に照らされた雲の白さ」なんていう表現があるけど、いいんですかね? 風景は観察しないで書いてるんじゃないかと感じて、引っかりましたね。 女童にべらべらとしゃべる貞文という侍も、言葉遣いがやけに現代的だし、下っ端の者に向かってこんなにいろいろしゃべってしまうと設定のも妙で、存在自体にリアリティを感じられない。全体として、前作よりはじょうずに読ませるけれど、それでも、生まれてきた物語というより作っている物語という感じがするのが残念でした。
紙魚:一言で言えば、読みやすいのだけれど、ものすごく感動したかといえば、そうでもない。装丁から重厚感が漂っていて、それが内容とあいまって、本のイメージづくりはすごいなと思いました。ページ数もかなりあるし、子どものときに読んだら達成感が感じられたかも。たしかに私も作り事っぽいと感じたけれど、作家の真面目さが伝わる作品で好感が持てました。海外のファンタジーがたくさん読まれているなか、日本のファンタジーもぜひ読んでほしいという思いになりました。日本のファンタジーは、これまでもたくさんいいものが出ているし、せっかくのファンタジーブームなのだから、こういう本も読まれる機会があると本当にいいなと思います。設定は昔だけれど、会話や感覚は今風。読みやすいのは、いいことだと思います。ただ、揺さぶられるほど感動したわけではないのですが。
トチ:怨霊ものは結構好きなので、すらすら読めました。最初の説明は、しんどいなあと思いながら飛ばしましたけど。でも、『鬼の橋』の時もそうだったんだけど、世界が狭いなあ、という気がするわね。さっきの「作り物」という意見にも通じるんだけど、当時も貴族社会だけでなく、今よりずっとさまざまな人たちがいて、この本の登場人物も意識するしないにかかわらず、そういう世界に生きていたはずでしょう。もちろん題材を貴族社会にもっていくのは構わないんだけれど、広がりや厚みが感じられない。外側にそういう社会があるということが感じられないのがいちばん不満だったわね。女の子が葬られて男の子が生まれたっていうところ。これは、双子なんじゃないかと思った。おそらく最初、作者はたぶん双子で書いたんじゃないかしら。それで、女の子を殺すのが引っかかったんじゃないかしらね。女である部分を殺して、男が生まれてくる。そして、その子の女であった部分が、うまれ出た男を恨む、という部分に違和感があったわね。心理学的にはそういうこともあるのかもしれないとは思うけれど。そんなに「男」「女」と、すぱっと図式的に割り切れるものかしら? 会話の点では、いくらなんでも東宮がこの時代に「僕」と言うのは変ね。昔、円地文子が「伽羅先代萩」なんかを子ども向きに書きなおした歌舞伎物語があって、好きでしょっちゅう読んでいたのね。舞台を見る前に、すじをほとんど知っていたくらい。本に載っていない歌舞伎も20か30、ダイジェストして書いてあった。あれは、どういう会話体で書いてあったか、もう一度調べてみたいと思いました。
杏:細かいところは忘れましたが、基本的におもしろく読みました。ねむりねずみさんに近い感想です。作り物と感じながらも、ある舞台設定の中で、ファンタジーに挑戦し、自然に読ませるようにしたのは、すごいなあと。古典を現代風に解釈してのものですよね。その時代を身近に感じるということで言えば、おもしろい。不備なところ、時代には合わないことが、いっぱいあるのでしょうが、今と同じような人間が、この時代にも生きていたんだなあ、と感じられる。作者は、心理学的なことは考えていないと思いますが、一人の心の中をドラマにしているなあと、おもしろく読みました。音羽と伴内侍の関係など、いいなあと思った。闇に向かっていくことによる展開は面白かった。基本的にはとても好きな作品でした。子どもにとっては、人間関係がわかりにくいので、図解するなどしてもよかったかもしれません。
すあま:書評に取りあげる本を探していて、読んだんです。暗そうという見かけから、評判になった『鬼の橋』も読んでいなかったんです。これはおもしろかったけど、あとから『鬼の橋』を読んだら、おもしろくなかったですね。『えんの松原』の方が、キャラが生きてきて、共感できました。作者の成長があったのだと思いました。その後、『陰陽師』を読んだりもしたので、もう1度読んだら違う感じがするかも。今の子どもにおもしろく歴史に親しみ、興味をもってほしい、と思うので、サトクリフではないけれど、いろいろな時代に舞台をおいて書いてもらいたいと思っています。これで『古事記』などにも興味をもってもらえればと。マンガやコバルトみたいなものを読んでいる子には、これもそんなノリなので、すっと読めると思います。あまり重いものでなく、今の子どものしゃべり方みたいな方が読みやすいのかな。今後もこの作家には精進してもらいたいですね。
ペガサス:私も『鬼の橋』よりおもしろかった。これを本当にこの時代らしく書いても今の子どもたちには読めないから、会話などすっかり今の時代に置き換えてしまうのも、しょうがないかな、という気がしましたね。音羽が女の子の格好をしているという設定はとてもおもしろい。東宮がそれをすぐに見ぬくなど、導入部は読者を引きつけるところがあるし、全体は別として、細部におもしろいところがあった。東宮と音羽の関係が、子どもと子どもの関係として読めるし、勝ち気な女の子が出てきたりとか、子どもとして共感できるところがあって、身近な気持ちをもって読んでいけると思う。音羽は、とても元気いっぱいで魅力的な少年なのだから、それが無理に女の子の格好をしなければならない時には、もっといろいろなおもしろい感じ方があるはずで、その辺の描写をもう少し書いてほしいなと思った。
トチ:氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク 』(集英社)は現代的だけれど、全然違和感がないでしょ。あれに比べると、すごく真面目な人なんだなあと思う。氷室はマンガのノリですよね。
愁童:日本のファンタジーで評判になるのは、怨霊ものが多いね。『空色勾玉』(荻原規子作 徳間書店)もそうでしょ。
アカシア:書きやすいのかもしれないわね。そこから入るのが。
すあま:妖精といっても、妖怪になってしまう(笑)。
アカシア:会話は現代風にしていいんだけど、時代がもっている雰囲気は、ちゃんと伝えた方がいいと思うな。じゃないと、時代そのものがベニヤ板の書き割りになっちゃう。
愁童:いかに女装しようとも、この時代に女の子の中に一人で入るというのは、すごい葛藤があるはず。そこが書かれていないのは不思議だよね。日本ではファンタジーというと、なんでもありになっちゃうんだけど、そっちはコミックがあるのだから、もっとこういうところを大事にしていかないと、まずいんじゃないかな。活字があいまいなことをやっていると、みんなコミックの方へ行っちゃうような気がする。
(2001年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)