日付 2005年7月28日
参加者 トチ、ハマグリ、カーコ、すあま、うさぎ、アカシア
テーマ お姫さまの物語

読んだ本:

『つる姫 』
阿久根治子/著 瀬川康男/絵   福音館書店   1972/2004

オビ語録:三島水軍の美しい姫をめぐる一大歴史ロマン/瀬戸内海の大三島を拠点とする水軍の長の美しい娘は、女の身ながら戦へとかりだされていく運命だった…。史実に基づいた悲恋の物語。


『ポリッセーナの冒険 』
ビアンカ・ピッツォルノ/著 クェンティン・ブレイク/絵 長野徹/訳   徳間書店   2004
POLISSENA DEL PORCELLO by Bianca Pitzorno, 1993
版元語録:ポリッセーナはお母さんから叱られるたびに「私はもらい子で、本当の両親は王様か貴族なんだわ…」と夢見る女の子。ある日、自分が本当にもらい子だと知って、実の両親を探す旅に出ますが…? 本を読む面白さがたっぷり味わえる、イタリアの冒険物語。国際アンデルセン賞受賞画家による、表情豊かな挿絵入り。


『ドールの庭 』
パウル・ビーヘル/著 野坂悦子/訳   早川書房   2005
DE TUINEN VAN DORR by Paul Biegel, 1969
版元語録:すべてが枯れはてたひっそりとした町に来た女の子。魔法で花に変えられた仲良しの男の子を救うため、秘密の庭を探しています。失われた都に来たお姫様の話。


『つる姫』

阿久根治子/著 瀬川康男/絵
福音館書店
1972/2004

トチ:最初に夢のお告げが出てきたり、美しい着物の描写が出てきたり、どんな風に展開して行くのかとわくわくしながら読みだしたのですが、いつまでたってもつる姫がどんなに優れた、男勝りの少女かということばかりで、いっこうに面白くならない。もう読むのをやめようかなと思ったら、4分の3あたりで、やっと戦いが始まった。ところが、それまでのつる姫は弓や剣道の修行をした、普通のお姫さまとは違う存在だったのに、恋をし結婚をするとなると、もう戦いなどどこへやら、ふにゃふにゃの女になってしまう。中学か高校のとき、上級生に「いくら能力のある女の子でも、恋をすると、とたんに詰まらない女になってしまうから、十代のころには男に近づかないほうがいい……」などと、したり顔で言われたのを思い出して、この本はそういうことを書いているのかな、まさかね……などと思ってしまいました。
そして、結婚相手の少年は自爆するわけだけど、自分たちの国を守るとか、民草を守るとかいうより、ひたすら「つる姫を守りたい」一心なのね(国のために自爆するのも危ない考え方だけど!)。戦いっていうものをどう考えているのか、そのために踏みにじられる庶民のことはどう思っているのか、そのへんの目配り、気配りがまったく無いのも気になりました。
けっきょく、作者は何を書きたかったのかな? 何を子どもたちに伝えたかったのかしらね? 悲恋物ってことはわかるけど。名所旧跡に行くと、よく「ここはナントカ姫が身を投げた淵です」なんて由来を書いたパンフレットがあるでしょう? そんな感じでした。

ハマグリ:面白く読みました。どういうところが面白かったのかというと、このなんとも大仰な文体や、手に手をとった二人の瞳がきらきら、みたいな書き方ね。今子どもたちの読むものは似たようなものが多くなっているけど、たまにはこんな毛色の変わったものを読むのもいいんじゃないかしら。両親がかわいらしい姫として育てようとしているのに、馬にも乗りたい、剣も使いたい、戦にも出たいと、何でも兄さんたちと同じようにしたいという気持ちは、読者の共感を呼ぶわね。でも、最後は愛する人の後を追って死ぬ、というところ、今の子はどう思うんでしょうね? 愛する人を守って自分を犠牲にする明成の死に方や、悲しみのなか婚礼衣装を用意して独り海に向かう姫、というのはどうなんでしょう?

トチ:大人の時代物の書き方よね。

ハマグリ:昔は分厚くて、図書館の棚に鎮座ましましていたような本だったわね。福音館文庫で復活して、手に取りやすくなったけれど。

カーコ:最初は、明るく積極的で好奇心に満ちたつる姫が描かれていて、しかもその子がいつか重大な役目を担いそうだというのが父親の夢に出てくるので、どうなるのだろうという気持ちで読みました。でも、終わり方が古くさい。途中、一人で母親のもとに戻ったときも、明成と再会したときも非常に冷静なつる姫が、どうして最後、命を絶ってしまうのか、しっくりきませんでした。お涙ちょうだいの昔の恋愛小説みたいで、こういう終わり方にしようとするところに、時代がかかったものを感じました。また、これは初版と同じ絵なのでしょうけれど、この挿絵は、物語を理解する助けになっていないと思いました。『狐笛のかなた』(上橋菜穂子作 理論社)の絵が、作品のイメージをふくらませてくれていたのと比べてしまって。223ページの絵をはじめ、人物がお人形みたいで、見てわくわくする感じがないのが残念でした。

トチ:絵巻物ふうなのね。どれも同じ絵に見えてしまって、とばしてしまったわ。

すあま:子どものころ読んだという友達が「ずっと読み直したいと思って探していた」と話していたので、そんなに印象に残る物語なのかと気になっていました。題名は地味だけれど、それなりに面白かった。今の子も、古代ファンタジーを読んでいるので、日本の歴史を題材ににしたものも読めるはず。こういう本があれば、歴史にも興味を持つし、昔も自分たちと同じような女の子がいたんだなと共感を持てるんじゃないかな。物語としては、つるちゃんがとてもよい子で、非のうちどころがないのが物足りない。誕生の時には神様の化身のような描かれ方をしていたので、最後は神様になるのか、つる姫の方が殉職して明成が残るのか、と思ったけど違いましたね。最後、つる姫が死んでしまったのがわからなかった。

うさぎ:「史実に基づいた歴史ロマン」とあったので、楽しみにして読んだんです。最初のほうで、つる姫のお父さんが夢を見るというのがあって、つる姫の運命はさあどうなるかと読み進めていくのだけれど、なかなか何も始まらない。ようやく物語が動き出しても、明成の自爆から最後のところまでは大きな疑問が残りました。お父さんの夢の暗示のように、つる姫は神格化して竜神にでもなって何か起こすかと思っていたら、明成の自爆があってから、ものすごくふつうの人間というか、それまでの男勝りは跡形もなくなり、妙に女くさくなって終わってしまった。最後、死んだのがわかって、物語がますます尻すぼみになった印象。悲恋の定石みたいなのを時代ロマンというんでしょうか? 史実にひっぱられてこういう形でまとまったのでしょうか?

アカシア:竜神のエピソードは何で出てくるのかしら?

うさぎ:作者が何を書きたかったのかと、意味づけをしようとしたけれど、しっくりきませんでした。

アカシア:時代は戦国時代で、つる姫が男の子と同じことをしたいっていうキャラなので、どんなふうに社会との軋轢が描かれるのかな、つる姫の勇ましさはどこまで受け入れられるのかな、という点に惹かれて読んでいきました。それなりに面白くは読んだんですけど、最後が死の美学を提示するような形になっているのは問題よね。それに202ページではつる姫が実戦のむごたらしさを初めて目にして「目の前にするたたかいとは、なんとむごいものか。おそろしいものか。/城できく、たたかいの話の勇ましさ、はなばなしさは、うそじゃ、うそじゃ、うそじゃ。/つるは、知らなんだ。/ほんとうのたたかいを、知らなんだ」と言い、206ページには(どんなことがあろうと、罪もないひとびとを、たたかいから守らねばならぬ。/たたかいとは、決して会ってはならぬ物じゃ。ならぬ物じゃ。)と、胸の中で繰り返し叫ぶ、と書いてあります。でも、ここで「罪もないひとびと」と言うのは、味方のことだけなんですよね。つる姫が出陣して戦に勝利を収めると、今回は負けなかったのでむごたらしくならなくてよかった、よかったとなっている。味方さえ勝てば戦はむごたらしいものではなくなるんですか? と突っ込みたくなります。時代の制約を受けている主人公の心情としては仕方がないとしても、現代の人間である作者は、もう少し考えてほしいところです。作者の視点がご都合主義的なんでしょうか。

トチ:でも、時代物だから、今の価値観で書くと嘘っぽくなってしまう。そのへんの兼ね合いが難しいのよね。

アカシア:つる姫が、時代につぶされていくんならつぶされていくで、一貫した物語になるんでしょうけど、単に悲恋の主人公で終わらせてしまっているのが残念。小説のつもりで読んでいると、途中から講談になってしまう。いっそ、つる姫が最後竜神になるんなら、かっこよかったのにね。

ハマグリ:最後の海鈴が鳴るっていうのを、作者は書きたかったんじゃないの?

アカシア:美しく死んで終わりっていうのは、危険な思想よね。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年7月の記録)


『ポリッセーナの冒険』

ビアンカ・ピッツォルノ/著 クェンティン・ブレイク/絵 長野徹/訳
徳間書店
2004

うさぎ:とっても楽しく読めました。物語が軽快でぐいぐい話にひきこまれました。物語の軸がしっかりしているからだろうなあと思います。自分が、この家の子ではないとわかりすぐに本当の親さがしの旅に家出をするというのが、リアリティがないかなと思ったけれど、読んでいくとそうでもない。ポリッセーナが家出したあと残された家族はどうしたのかとか気になりながら読み進めていったけど、途中からは面白さにのめりこんでいつの間にかそれも忘れてしまってた。構成がしっかりしていたからでしょう。訳文も素直で、へんに気取ったところもなく親しめました。女の子の個性が、二人ともしっかり描けていて好感を持てます。分厚い本ですが、読書好きな子は難なく読めてしまうでしょう。

すあま:楽しく読める本。あっけらかんとして、とにかく楽しく読めるお話はあまりないので、いいですね。主人公も、性格的にすごくいい子というわけでもなく、勝手に思い込んだり、完璧な性格でないのが面白かった。どんでん返しの楽しさがあるけど、何度も何度も繰り返されるので、読み手に根気がないと最後まで読み進むのがしんどくなるかも。クウェンティン・ブレイクの絵が物語に合っていてとてもいい。ただ、内容はやさしいのにかなり長いので、対象年齢が難しいかも。エピソードを減らしてもう少し短くてもよかったかな、と思いました。

カーコ:私も楽しく読めました。こういう素直なお話ってあんまりないので、いいですね。何回もどんでん返しがあるけれど、こじつけっぽいいやらしさがない。長さは確かに長いけれど、だからこそ、ハリーポッター・シリーズを読んで、こんな長い本が読めたと思っている子に、「じゃあ、これはどう?」って、次のお話として手渡してやりたいですね。「こんな楽しいお話もあるんだぞ」って。

ハマグリ:お話の楽しさを手軽に味わえますよね。こんなに厚いと、なかなか気軽に勧められないけれど、この本だったら安心して面白いよ、と手渡せる。できごとが次々に起こるし、「実はお姫様でした」といった昔話のような面白さもある。昔話は短いけど、これは読んでも読んでも終わらない。そういうのを読みたい子もいるんですよね。大人が読めば、すぐに先がわかってしまうようなところもあるけれど、そうとわかっていても、お話の楽しさを味わえる本だと思う。

トチ:私もとても面白かった。大好きになりました。たしかに長いけれど、私もカーコさんと同じように「ハリポタ」だって長いんだから、小学生だって読める子はたくさんいると思いました。子どもの読書の楽しみ方のうちには、厚い本を読み終えたという満足感もあると思うから、本好きの子どもにはこたえられない一冊なのでは?
感心したのは、作者が子どもの好きなものを実によく知っているということ。動物が芸をする旅まわりの一座とか、夜になってやっとたどりついた緑のふくろう亭を窓からのぞき見るシーンとか……子どもでなくても、楽しくてわくわくすることばかり。
それから、主人公のふたりの女の子のキャラクターが面白い。ポリッセーナは、最初は元気で賢い、読者の共感を呼ぶ少女だけど、旅を続けていくうちに旅芸人のルクレチアのほうがまっとうな考え方をするのを疎ましく思うようになったり、自分が王女さまかもしれないと思っていばってみせたり、軽はずみな言動をしてルクレチアにいさめられたりする。最初は裕福な家に育ったポリッセーナのほうが常識があって、ルクレチアよりずっとお姉さんのようだけど、とちゅうで立場が逆転する。単なるジェットコースター式の展開で読者をひきつけるのではなく、主人公たちの心の揺れや葛藤もしっかり書いていて、見事だと思いました。
お姫さまものということでいえば、ポリッセーナのほうは単純にお姫さまや貴族というものに憧れているけれど、ルクレチアのほうは「あんたはそんなに貴族になりたいの? あんたの育てのお母さんみたいにかしこくて、やさしいひとでも、貴族でなきゃだめなの?」というような意味のことをいって、ポリッセーナをたしなめる。子どもたちの大好きなお姫さまの話を書きながら、作者がちゃんと言いたいことを言っている。そのへんが『つる姫』とずいぶん違うと思ったわ。
それから子豚の名前だけど、「シロバナ」は「白花」なのかしら? それとも、「白鼻」?鼻のほうだったら、「ハナジロ」かなって……豚をかかえた女の子って設定は、とってもおもしろかったけど。

アカシア:豚をかかえた少女は、きっと「不思議の国のアリス」が下敷きになってるのよね。

トチ:ブレイクの絵がすばらしいわね。笑わないお姫様のイザベッラがついに笑うところなど、絵を見て思わず笑ってしまった。とっても描くのが難しいところだと思ったけれど、表情がすごくいいのよね。

アカシア:私も最初から最後まで面白く読みました。「ハリポタ」は、こんなにちゃんとキャラクターを書いてないしゲーム的だから、「ハリポタ」を読んだ子がこれも読めるかどうかは疑問だけど、こっちは本好きな子が楽しめて、じゅうぶん堪能できる。現実とお話の距離がうまくできていて、お話だけれど、でもありそうって思わせる距離がとてもいい。訳もとてもよかった。ブレイクの絵も動きがあっていいし、同じ絵がいろいろなところで使われてるのね。編集の人が手をかけてるのもわかりますね。

トチ:編集も見事だし、訳も素直でいい訳よね。読者に「素直な訳」と思わせるような訳文を書くのは、本当はとても難しいことだと思うんだけど。204ページの「日が暮れるすこし前に、宿屋が見えてきました。葉を落とした大きな木がまばらにそびえる丘の上に、一軒だけ立っているあの建物が、緑のふくろう亭にちがいありません。たくさんある煙突から(どの部屋にも煙突がついているのです)、冷たくすみきった空にむかって灰色の煙が立ちのぼっていました。まだ日は落ちきってはいないのに、窓ガラスのむこうにはすでに明かりがともっていました。」などというところ、なんでもないようだけど、美しい光景があざやかに目に浮かぶ、すばらしい訳だと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年7月の記録)


『ドールの庭』

パウル・ビーヘル/著 野坂悦子/訳
早川書房
2005

ハマグリ:お姫様の本というので選んだのですが、コビトノアイが本当はお姫様だったというだけで、他の2冊にくらべて、お姫様の特徴は少なかったですね。私は『夜物語』に見られるような、この作家独特のおとぎ話的雰囲気が好きなんですが、これはまたちょっと違う雰囲気。枠物語になっていて、中にいくつもの扉があり、1つ1つ扉をあけてはちょっと楽しみ、あけては楽しみという形。それぞれの話のつながりが、最後まで読まないとよくわからないので、途中で飽きてしまう人もいるかも。誰に焦点をあてて読むのか、その話によって変わるので、ついていきにくいところもある。寓話みたいな感じですよね。その裏に何かがある、という。それが伝わりにくいから、だれにでも楽しめるわけではない。読み手を選ぶ本でしょう。面白いよ、と手軽に手渡せるものではないですね。

アカシア:文学としての構造は面白いんだろうなと思ったけれど、最後まで読ませる物語としての魅力は物足りなかったな。読者対象は、やっぱり高校生以上かしら。

ハマグリ:最初の、渡し守の小人の場面の雰囲気がとても魅力的で、引き込まれたけど、途中からだんだん変わってくる。

カーコ:構成がしっかりしている本だなと思ったのですが、正直言ってあまり好きになれませんでした。お話の中にお話がある、その意味が最後につながってくるというのは面白いのだけれど、枠に入った肝心のお話一つ一つが、あまり面白いと思えなかったんです。味わいがないというか。コビトノアイがいなくなったあとに、いつも道化がやってくるという、追いかけっこがひっぱってはくれるけれど、それだけでは読み進んでいかせる原動力として弱い。下品な歌があったり、魔法使いのおかしな言葉遣いがあったり、原書の読者はそれだけで笑えてしまいそうですが、日本の読者にはこのユーモアは伝わりにくそう。訳者は苦労したと思うのですが…。また、もう一つ気になったのは、善と悪の対立がはっきりしていること。「悪=魔法使い」という構図が最初から最後まで変わりません。主人公のコビトノアイの成長よりは、ドールの庭をめぐる出来事のとっぴさが中心の作品なので、そうなってしまったのでしょうけれど。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年7月の記録)