日付 2007年5月24日
参加者 ケロ、カーコ、ネズ、ミッケ、アカシア、げた、愁童、小麦
テーマ 時代をこえて

読んだ本:

『町かどのジム 』
エリノア・ファージョン/著 松岡享子/訳 エドワード・アーディゾーニ/絵   童話館出版   2001
JIM AT THE CORNER by Eleanor Farjeon, 1934
版元語録:デリーが物心ついてからというもの、ジムはいつでも街角のポストのそばに座っています。むかし船乗りだったジムは、デリーにいろんな場所の話をしてくれます…。1965年学研刊の名作をアーディゾーニの挿絵で。


『百まいのドレス 』
エレナー・エスティス/著 石井桃子/訳 ルイス・スロボドキン/絵   岩波書店   2006
THE HUNDRED DRESSES by Eleanor Estes, 1944
版元語録:いつも色あせた青い服を着ているワンダが「あたし,ドレスを百まい持ってる」と言い張るので,クラスの女の子たちはからかわずにいられませんでした…….『百まいのきもの』,50年ぶりの改訳新版.


『いたずらハリー〜きかんぼのちいちゃいいもうと その3  』
ドロシー・エドワーズ/著 渡辺茂男/訳 酒井駒子/絵   福音館書店   2006
MY NAUGHTY LITTLE SISTER by Dorothy Edwards
版元語録:わがままで、やんちゃな妹が巻き起こす騒動が、ユーモアたっぷりに語られるシリーズの3巻目。今回は、いたずらっ子のハリーと一緒に悪さをするエピソードなど8話を収録。


『町かどのジム』

エリノア・ファージョン/著 松岡享子/訳 エドワード・アーディゾーニ/絵
童話館出版
2001

ケロ:とてもていねいな語り口のお話で、物語への入って行き方も自然で楽しく読める本 でした。ていねいな語り口は、訳者の力だと思いました。ちょっと古い表現がありましたが(たとえば、「ぶっつかる」とか「ごりっぷく」とか)、それを そのまま生かすことで「昔のお話なんだな、いいお話だな」という読者側のスタンスができるので、それがとても良いと思いました。

カーコ:今回の3冊のうち、2冊は語り方に特徴がある本だと思いました。『いたずらハリー』は、読者に向かって登場人物が語りかけているのに対し、この本はお話の中の登場人物がべつの登場人物に、さまざまなお話を思い出話として語るんですね。語りの取り入れ方がおもしろいと思いました。今でもロンドンに行ったらこんなおじいさんに会えるんじゃないか、と思わせてしまう。松岡さんのおじいさんの語りの文体がすばらしく、チンマパンジーなどの作者の造語も、日本語にきちんと置き換えて訳しているところもすごいなと思いました。この本が松岡さんが初めて翻訳された本と知ってびっくり。

ネズ:昔読んだときは『町かどのジム』が本当に好きで、『百まいのきもの』のほうはそれほどではなかったけれど、今回読んでみると『百まいのきもの』のほうが新鮮に感じられました。この時代の安定した階級社会の話で、あたたかさと共にペーソスも感じました。読み聞かせに最適の訳がすばらしい。ところで、みかん箱って原作ではなんなのかしら? りんごの箱? オレンジ? 今はみかんは段ボール箱に入ってるから、みかん箱ときいてもわからないかもしれないわね。

ミッケ:ファージョンはとっても好きで、自分でも何冊か持っています。とにかく、古き良きという感じがあふれていて、それが好ましい。男の子が自分の身近にあったことなんかを話すと、それを引き継いだ形でジムが途方もない話をするという、その落差がとてもいいですね。ジムが話し始めたとたんに、ばーんとイメージが広がって、途方もない事になっていくあたりは、子どもが読んでもわくわくしそう。しかも、荒唐無稽さが半端じゃなくて、それでいてどこか優しいから、心地よい。あと、この絵もほんわかした感じを支えていますね。訳の調子と安定した社会を背景にした内容とがぴったりあっていていい本だと思いました。

アカシア:私はこの本がとても好きなんです。最初に学研から出ていて、その次に福武にうつったときから、絵が原作どおりアーティゾーニになりましたね。この作品の中では、貧しいジムのことを、周りの人々が全然下に見ていないんです。ほら話への展開の仕方もうまい。ジムのことをデリーがすごいと尊敬して見ている設定もいいと思います。8歳と 80歳の間にかよう気持ちがとても良いし、読者の想像力を喚起しますね。エリノアという表記ですが、今出し直すならエリナーかエレナーにしてもよかったのでは? 岩波の選集の、ファージョンの他の作品は年齢対象がもっと上ですが、これは小さい子に向けて書かれていてわかりやすいですね。

げた:いい本なんだけど、子ども達になかなか手にとってもらえない本になっていますよね。「町かどのジム」に対する周りの人のあたたかい気持ちがとてもいいと感じました。自然な感じでね。お話をジムのように、子どもたちに語れたらいいなと思いました。この本は、それぞれのお話が完結してるので、1冊を読むことをすすめるより、1話1話読んであげてもいいんじゃないのかなあ? 1話読んであげれば、次からは、自分で読みたくなるようになるかも。私も、ジムのように、いつか、町かどの「おはなしおじさん」のよになれたらいいなあ、と思ってます。

小麦:この本ははじめて読んだのですが、とてもおもしろくてぐいぐい引き込まれました。よく考えると、ジムは身寄りのないホームレスなんだけど、その存在が、ちっとも切なくならないどころか、魅力的にすらうつるのは、ジムのお話が抜群におもしろいから。自分のなかに物語を持っている人は、どこまでいってもみじめにならない。物語を抱えることは、もうひとつの大きな世界を手に入れることなんだなーなんてことをしみじみ感じました。うまいなと思ったのは、船乗りであったというジムの前歴が、物語の導入部分でうまく生かされているところ。いかにも船乗りっぽく天気を読んだりした後に、自然に船乗り時代のお話に入っていくから、突拍子のない話も本当らしく聞こえてくるんですよね。しかも人から聞いた話ではなく、全部ジムが経験した話として語られるから臨場感があって、そばで聞いているデリーのワクワク感が伝わってくる。私もワクワクしながら、一気に読んでしまいました。

愁童:1934年発表とういことで、とても古い本だけど、好きですね。しみじみ感じるのは、この時代の大人が子ども達にやさしかったこと。日本にもこのようなおもしろいほら話をしてくれるおじいさんが割と身近にいましたね。偏差値的価値観に縛られがちな今の子達に読んでもらって、ホッとしてほしいなって思います。海へびをなでる話など、今だったら冗談じゃない、みたいな感じになりかねないけど、この本の語り口だと、ごく自然に、それもありかなって思えてしまうのがいいですね。

カーコ:これこそ、本当に豊かな想像力ですね。

愁童:荒唐無稽なほら話の雰囲気が、どこか志ん生の落語を聞く楽しさに通じるところがあるよね。洋の東西を問わず、この時代の大人は、人生なんて 「Let it be」、どうにかなるもんだよ、と子どもに言って聞かせていたおおらかさが、色濃く反映された作品っていう気がする。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年5月の記録)


『百まいのドレス』

エレナー・エスティス/著 石井桃子/訳 ルイス・スロボドキン/絵
岩波書店
2006

げた:旧版と比べてまず思ったのは、絵が逆版になってますね。前が間違ってたんでしょうか? 全ページの絵が逆になってますよね。

ケロ:新版のP82〜83をみると、右から左に絵が流れていますよね。だから今回の新版で、縦組にあわせて絵を逆版にしたんじゃないかな?

げた:色も古い版に比べて、ずいぶん鮮やかにきれいになってますね。僕はこの本を読んで、まず、これじゃワンダがかわいそうだなと思いました。これで、終わり? と。ペギーもマデラインも、ワンダがいなくなった後に絵を見て「わたしたちのことをきらいじゃなかったんだ」と言ってるけど、なんだか自分たちを納得させているだけみたいな感じがして、ずいぶん勝手な話だなあ、とも。ワンダはそのあとどうなっていくのかな、と心配です。ワンダは「強い子」かもしれないけど、だからワンダは「大丈夫」でいいの? 納得いきません。この本はもちろん基本図書に入っていて、学校のブックトークなどでも「いじめ」や「ともだち」をテーマの時、ぜひ読んでみてって、おすすめする本だけど、読み手にとって感じ方の難しい本だなと思いました。前回の『教室の祭り』も同じように感じましたが。マデラインは、これからは嫌なことは嫌とはっきり言おうと、決心してはいるけど、私はそれでもなんだか納得できませんでした。みなさんがどう思われたのか、意見を聞くのが楽しみですね。

小麦:私も最初この本を読んだ時、全然しっくりきませんでした。マデラインが全然好きになれなかった。読み返して、ここが嫌だったんだと思ったのが、P71で、マデラインが想像するシーン。ワンダをいじめている子たちに向かって「よしなさいよ! この子だってあなた方と同じ人間じゃないの」と言うところ。

アカシア:そう! そこ、私もすごく嫌だった。

小麦:結局、マデラインは全然ワンダと同じところに立ってない。見下した視点からかわいそうと思っているだけ。ワンダをいじめたことで悩んでるんじゃじゃなくて、それによって生じたもやもやや罪悪感を払拭したいだけ。それが嫌だった。この本をいい本だとは思えなくて、何で読み継がれているんだろうと考えながら読むうちに、これはワンダの話なんだと思いました。ワンダは絵を描くという自分の才能を見つけて、それに打ちこんでる。そうすることで強くいられる。自分が打ちこめることを見つけた子が一番強いんだというメッセージを込めた本なのかもと思ったら、ようやく納得できました。古い版と読み比べて印象的だったのは、子どもたちの親へ対する言葉使い。例えば古い版では「すてきなしまの着物、わたしもお母さんにつくっていただくわ」というのが新装版では、「私もチェックのドレス、お母さんに買ってもらおうっと」となっている。私もよく親に「私があなたぐらいの時は、両親に対してそんな口のききかたをしたことはなかったわ」なんてよく怒られたけど、昔の人は本当に美しい日本語を話して美しい生活を送っていたんだなあ……

ケロ:私は前回話題に上った、『教室の祭り』よりはストンときました。この『百まいのドレス』で描かれているいじめは昔のいじめ。要するに貧富の差ですよね。今はいじめの質も違うだろうし、今の子にはどうかな?と最初は思ったけど、マデラインの心の動きは今に通じるくらいよく描かれてると思いました。きっと彼女は、自分がやってしまったことを一生はずかしいと思い続けると思う。そういうことって私にもあります。大人になった今でも、小さい時に相手に言ってしまったことを思い出して、「ぎゃ〜」とさけんで走り出したくなるなんてことが。甘いかもしれないけど、そういうマデラインの気持ちはしっかり描いてあると思う。いいなと思ったのは、ワンダが100枚のドレスを描きあげたシーン。本のなかの絵も素晴らしいし、彼女はきっとこの先大丈夫だな、と思える。いじめをテーマにしたものって難しいけど、こういう描き方もできるんだ。変にぐちゃくちゃのまま終わらせるよりは、いいと思う。

カーコ:石井桃子さんの新訳ということで、古い版と照らし合わせて読みました。全体にずいぶん変わっていて、細かなところまでていねいに直しが入っていました。例えば新版17ページ14行で「ワンダ」と呼びかけているところは、古い版だと「ワンダさん」。新しい言い回しになって、今の子に読みやすくなっています。「きもの」より、「ドレス」のほうが、すてきなものに思えます。いじめられているワンダ、中心になってワンダをいじめるペギー、それに加担しながらも嫌だと思っているマデライン。私は、その他大勢のマデラインに気持ちをそわせて読みました。ケロさんが言ったみたいに「とりかえしのつかないこと」ってだれにでもあって、そこの気持ちがよく書かれている。私は最後にマデラインが、心からよかったと思っているとは思わず、このことを一生後悔し続けるように読んだので、読後感は悪くありませんでした。貧しさをからかうのは昔のいじめかもしれないけれど、おでこがてかてかしているとか、名前が変だとかでからかうのは、くさくないのに「くさい」と言ってのけものにする、今のいじめとおんなじ。今に通じるものを感じました。こんなに文章が入っているのに、前はよく絵本で出ていたなあ。読み物らしいこの体裁なら、中学生が読んでもいいんじゃないかな、と思いました。

ネズ:石井さんが今の時代にこの本の新訳を出そうと思ったのがわかる気がしました。『教室の祭り』は、大人が子どもに向けて書くのではなく、自分の思いをぶつけているだけだという感じでしたが、この本は大人の安定した視点で書かれている。あたたかい書き方のようだけど、決してそんなにあたたかくも、甘くもない。大人の小説のようでした。ラストで、ペギーとマデラインが「ワンダはきっとわたしたちのことを好きだったのよ」と言っているけれど、作者は決してそうは思ってはいないと思う。ただ、子どもの読者がそこまで読み取れるかどうかは疑問だけど。

ミッケ:これは、個人的にとても思い入れのある本です。小学校の頃に岩波書店の絵本シリーズとして親に買ってもらって読んだんですが、印象に残っていて、大学時代に自分でも買い直したんです。別にくりかえし読むわけじゃないんだけれど、なんか気になっちゃって……。あのシリーズはけっこう不思議な本が多かったけれど、特にこれは、楽しい本じゃないんですよね。でも、だからといって嫌いでもなくて、なんだかすっきりしない分、気になったんです。前回取り上げた草野たきさんの『教室の祭り』もやはりいじめが出てきていたけれど、草野さんの本が、それぞれの登場人物に役割があてはめられてるという感じだったのに対して、この本の子どもたちは、いかにもいそうだと思えるんですね。教室っていうのは、いろんな子どもたちがいて、ちょっとしたことがきっかけでかなり深刻なことにもなって……という場なんだけれど、それがごく自然にじょうずに描けている。子どものずるさもよく描けているし。マディはペギーにくっついているけれど、ワンダをいじめるのは嫌だなと思っていて、でも、自分に矛先が向くんじゃないかと思ってしまい、止められない。そういう葛藤は、今の子どもたちにも通じるんじゃないかなって思います。この本はインターネットで盛んに取り上げられていて、「いじめの本」だと書いてあるんだけれど、それはちょっと違うかなと思う。テーマだけで「いじめ」と括って片付けたのでは、もやもやとした感じがどこかに行ってしまうから。あと、この挿絵もちょっと不思議な感じだなってずっと思っていました。ぼやっとして、一見子ども受けしそうにない絵で。でも、このぼんやりした感じが内容に合っているのかもしれませんね。

アカシア:昔この本を読んだときは、変な本だなあと思ったんですが、今回あらたに読んで見て、とても嫌な本だなと思いました。さっきも話が出たけど、「よしなさいよ! この子だってあなた方と同じ人間じゃないの」というところに、上に立っている人間が下にいる子に同情を寄せているいやらしさを感じてしまって。ワンダはどこかに行ってしまったという形で終わらせればいいのに、わざわざワンダに手紙をよこさせて、「もとの学校の方が好きでした」と言わせてる。しかも、自分を毎日いじめ続けた子の顔を絵に描かせてる。なんでそんなことさせるの!? そこも、いじめた側の免罪符を付け加えている感じがして嫌でした。普通こんなふうないじめ方をされた子どもは、そんなことしませんよね。しかも最後のところで、「『ええ、きっとそうだったのね。』と、マデラインはペギーの言葉にうなずき、自分の目にうかんだなみだを、まぶたではらいおとしました」となってるでしょう。これだと、マデラインはワンダに嫌われてなかったんだ、ああ、よかった、という印象を読者にあたえてしまう。大人は違う読み方ができるかもしれないけど、子どもは、マデラインたちはワンダから許されたと思っちゃうし、かわいそうなことをしちゃったけどマデラインも涙を流してるんだからおあいこだと思っちゃうんじゃないでしょうか。ネットを見ると、この本は「いじめについて考える本」としてあちこちで薦められているんですが、とんでもない。私はすごく問題のある本だと思いました。

ケロ:でも、当時はこれでも斬新だったのかもしれませんね。時代の制約もあっただろうし。

ミッケ:時代の限界はあるかもしれませんね。日本語版が出たのが1949年だから、原書はもっと古くって、公民権運動なんかの前だから。自分自身は差別されたり踏みつけられたりする側に立ったことがないけれど良心的な人の作品という面はあるかもしれませんね。

アカシア:結局この本は、いじめた側の子どもの心の救済、あるいはいじめた側の感傷にとどまってしまっているんじゃないでしょうか? 今また出す意味が私にはよくわかりませんでした。

ミッケ:アカシアさんが問題にしていらっしゃる観点と、最後の終わり方の点でいうと、ワンダから送られてきた絵が自分たちの姿だと知ったマデラインの形容は、前の訳では、「そして、出てくるなみだをはらいました。/あの運動場のへいのそばの日だまりに、ひとりぼっちで立っていたワンダをーーじぶんを笑っている女の子たちを、じっと見ているワンダをーーええ、百まい……ならべてあるの、と、いつもいっていたワンダを?おもいだすと、いつも、涙が出てくるのでした。」となっていて、今度の訳では、「じぶんの目にうかんだなみだを、まぶたではらいおとしました。/そして、そのなみだは、いつもあの校庭のレンガべいのそばの日だまりに、ひとりぼっちで立っていたワンダのことを考えると……そしてまた、じぶんのことを笑いながら立ち去っていく女の子たちを、じっと見ていたワンダのことを思い出すと……「そうよ、百まい、ずらっとならんでる。」と、くりかえしいったワンダを思うと……いつもうかんでくる、なみだなのでした。」となっているんですね。これで逆に、マデラインの造作が浅くなって、物語としても浅くなったような気がします。それと、最後の絵もまずいような気がする。この本は、いじめた子の気持ちもよく描けていて、けっして一面的でもないし、個人的な思い入れもあって、だめだとは言い切りたくないですけど……

ネズ:うまくまとめようとしたから、いけないんでしょうね。ワンダからの手紙がなければ、ストンと落ち着いたのかもしれない。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年5月の記録)


『いたずらハリー〜きかんぼのちいちゃいいもうと その3 』

ドロシー・エドワーズ/著 渡辺茂男/訳 酒井駒子/絵
福音館書店
2006

げた:昔の版は堀内誠一さんの挿絵なんですね。堀内さんの絵も本当に「きかんぼ」って感じでいいけれど、酒井駒子さんの絵は、もう少しかわいらしさや深みというか、引き込まれる感じがあっていいですよね。酒井駒子さんの世界だなあ。いつも、うるさいと叱られる子どもたちが、静かに図書館でネズミを見ていたり、パンの耳がひきだしの中でかびだらけになっていたり、指輪騒動のお話では、指輪がおばさんのボタンにかかっていたなんてオチがあったり、また、ハリーのド派手なコートのことを「コートが叫んでいる」と表現されていることとか、とってもいじわるなおとうさんとおるすばんとか、一つ一つの挿話が楽しく読めました。子どももたちも楽しく読めるんじゃないかと思います。

小麦:このシリーズは、1巻目が出たときから好きでずっと読んでいます。なにがいいって、タイトルに違わず、きかんぼのちっちゃいいもうとが、本当にきかんぼなところがいい。わがままで、がんこで、やりたい放題。その突き抜けたきかんぼっぷりがこの本の魅力。私は一人っ子なんですけど、当然一人っ子の周りは大人ばかりで、その中でいつも自分だけが一番ちっちゃな子どもなんです。そんな状況でも、これを読んだら「ちいちゃいいもうとってば、しょうがないなあー」なんてお姉さんぶった気持ちになれる。いつもちっちゃい子よばわりされている一人っ子や末っ子が、普段なれないお兄ちゃんやお姉ちゃんの気持ちになって楽しめる本だと思います。ちっちゃな子が、自分よりもちっちゃな存在を見つけて、可愛がったり、世話をやいたりする、あの感じ。訳も、子どもがいかにも言いそうな言葉遣いになっていて、すごくいいと思いました。

ケロ:1巻から3巻まで私もおもしろく読みました。最初は、自分よりも小さい子のやることには、子どもは興味を持たないのでは?と思いましたが、娘に読んでやったらすごく喜んで、今日ここに持ってこようとしていたら、「返しちゃうの?」って心配しちゃって。挿絵も格調が高く、なにより妹がとてもかわいらしい。いたずらも、こんなかわいらしい妹なら、許せてしまうという感じ。この本は、作者やその妹が大人になった後に、ちっちゃい妹のことを思い出しながら書いているという設定ですが、へんに幼稚っぽく書いていない分、安心して読めるんだと思いました。おもしろかったのは、ハリーのお母さんが床を掃除するのに、新聞紙を敷くというエピソード。庭でやっていた遊びの続きが、ハリーはどんなところでもできてしまうんですね。子どもの想像力の豊かさを感じてほほえましかったです。

カーコ:エピソードは、確かにおもしろかったんですけど、私はこの語りになじめませんでした。冒頭の「わたしが小さかったとき、わたしよりもっとちいさいいもうとがいました」という文章で、妹なら自分より小さいに決まっているのに、とひっかかってしまいました。この内容なら、3人称で書いてもおもしろいと思うのに、作者がなぜわざわざ1人称の語りにしたのか、おねえさんの視点を持ってきたのか、自分では答えが出ず、みなさんの意見をお聞きしたいと思いました。

ネズ:この物語の「わたし」と「妹」だけは、名前が無いのよね。「自分にもこういう妹がいたら……」と思わせようとしている、おもしろいテクニックだと思いました。それから、気難しい靴直しのおじさんとか、目を細める女の子とか、おもしろい登場人物が大勢出てくるけれど、たとえば家族を失ってひとりぼっちになったから気難しいとかなんとか理由をつけずに、気難しいから気難しい。そういわれてみれば、幼い子ってこんな風にストレートに人間や物事を受け止めるんじゃないかしら。そのへんのところも、とても新鮮で、うまいなと思いました。
また、原書の挿絵はシャーリー・ヒューズ、日本語版は酒井駒子さんだけど、ふたりが描く子どもの頭の形ってそっくりね。おもしろかった。シャーリー・ヒューズは英国の国民的な児童書イラストレーターだけど、日本では絶対にだめなのよね。なぜかしら。
訳は上品だなと思いました。古めかしい言い方もあるけれど、昔ながらの言葉や言い回しって、児童書を通して次の世代に受け継がれていくのね。この本の訳にも「たいそう」というのが多いけれど、本をよく読んだり、読んでもらったりしている子どもは、作文に「たいそう大きな木でした」などと書くと聞いたことがあるわ。

ミッケ:形容詞も、たくさんついていますよね。ひじょうに原文に忠実な訳だなと思いました。だからちょっとぎこちなかったりもして。「わたしのちっちゃないもうとは」というのが繰り返し繰り返し出てくるんだけど、読み聞かせのリズムという感じでもないし、ちょっとうるさいなあと思ったり。内容は、書かれているのを読むと、「そうそう、子どもってこういうことをやるよね。やりたがってるんだよね」と思い当たるんだけれど、自分では考えつきそうにない展開が書いてあって、とってもおもしろかったです。子どもにはすごく受けると思いますよ。痛快だもの。トライフルを食べたあとで、食べ散らかしてそのまま逃げるじゃないですか。逃げおおせるのがポイント。あれなんか大笑いですよね。当然、おなかは痛くなるわけだけど。お父さんとの意地の張り合いなんかも生き生きしているし、たいへん楽しく読みました。この本の持ち味からいうと、今風にしすぎるのも妙だと思うので、基本的には、こういうお上品というかのんびりした感じでいいと思いました。

アカシア:これは、イギリスの子どもたちに読んでやって大うけした本なんです。原文は翻訳ほど上品じゃない感じがしましたけど。翻訳はたとえば60ページの「さて、そんなある日、クラークおくさんとよばれるご婦人が、わたしたちの家に、お茶によばれて、やってきました。」と、とても上品ですね。お母さんも子どもたちに対して、とてもていねいな言葉使いをしていて、たとえば126ページでは「今日の午後のお茶に、小さい女の子がきますよ。その子に、やさしくしんせつにしてあげてね。その子のおかあさんがお出かけのあいだ、おせわをたのまれたんですからね。」と言っています。エピソードは、どれも子どもをよく見たうえで日常生活の中の子どもをよくとらえていますね。お姉さんが語っているという設定は、自分にはお姉さんもお兄さんもいない子が読んだり聞いたりしても、お姉さんになった気持ちになれる、ということだと思います。原文のnaughty という言葉には「きかんぼ」というだけではなくて、「やってくれるじゃないか」っていうニュアンスもあるんじゃないかな。子どもたちはいつもDon’t be naughtyと言われているので、naughtyでありつづけるこの子には、「だめじゃないか」と諭す気持ちと同時に、爽快感も感じるんだと思います。

愁童:この作品あんまり好きじゃなかったですね。じんましんが出そう。子育ても終わった大人が過去を振り返って癒されるための本みたいな感じ。

アカシア:でも、私が読んでやった子は3歳〜7歳だったけど、すっごく喜びましたよ。パンの耳を食べないで隠しといたら、かびだらけで出てくる、なんてところまで普通書かないもの。

愁童:パンの耳がどうして嫌いなのかが書いてあると、あっ同じだなんて共感が深まる子もいると思うけどな。

ネズ:私は、そこはうまいと思った。子どもって、好きは好き、嫌いは嫌いですもの。

カーコ:これを読むと、お姉さんが大人になってから書いているみたいにとれるけれど、原文だとおねえさんの口調は、どのくらいの年齢の感じなんでしょう?

アカシア:訳が上品でていねいなので、大人の口調のようにとれるのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年5月の記録)