日付 2009年2月27日
参加者 カワセミ、セシ、ショコラ、バリケン、ハリネズミ、もぷしー
テーマ 旅の末につかんだものは

読んだ本:

『時の扉をくぐり 』
甲田天/著 太田大八/絵   BL出版   2008.02

版元語録:佐吉は、歌川広重先生のところで見習い絵師をしている。ある晩、庭にあらわれた赤毛の男にびっくり仰天した。なんと、その男はゴッホの幽霊だったのだ!


『ぼくは夜に旅をする 』
キャサリン・マーシュ/著 堀川志野舞/訳   早川書房   2008-1
THE NIGHT TOURIST by Katherine Marsh, 2007
版元語録:人づきあいが苦手な14歳のジャックは、交通事故にあってから、不思議な体験をするようになった。人が消えうせるのを見たり、奇妙な会話を聞いたりするようになったのだ。診察を受けるためニューヨークを訪れたジャックは、グランドセントラル駅で謎の少女ユーリに出会う。そしてユーリといっしょに向かった駅の地下9階、そこは死者の世界への入り口だった!


『夢の彼方への旅 』
エヴァ・イボットソン/著 三辺律子/訳   偕成社   2008-06
JOURNEY TO THE RIVER SEA by Eva Ibbotson, 2001
版元語録:20世紀初頭のロンドンからアマゾンの奥地へ。ヨーロッパの文明と大自然が混在する世界で、少女マイアを待ち受ける恋と冒険の物語。


『時の扉をくぐり』

甲田天/著 太田大八/絵
BL出版
2008.02

カワセミ:まず、すごくおもしろいことを考えたなあ、と思いました。たぶん作者はゴッホに興味をもっているからこそこういうことを思いついたんだろうし、これを表現するには児童文学が向いていると思ったのでしょう。発想がユニークなのはいいんだけど、全体的に何か違和感がありました。1つは、ゴッホがゴーストみたいになって出てくるのや言葉の問題に無理があるということ。もう1つは、この語り手の左吉っていう子が13歳で、修行してるという設定なんだけど、この子のやたら饒舌な語り口調が子どものイメージとどうも合わないところ。13歳っていうともう大人として扱っているのかもしれないけど。
それと、どういう絵かということを文章で説明するって難しいと思うんですよね。大人なら、北斎や広重でもなんとなくわかりながら読めておもしろいんだけど、その辺が子どもの読者だとどうなのかな? 中学生ならわかるのかしらね。ゴッホの絵を見た佐吉が、「なんたって絵にいきおいっていうのがある」って書いているところなど、これだけでピンとくればいいんですけどね。それから、この装丁だと中学じゃないと手にとらないですよね。ゴッホに興味がある子ならおもしろいかもしれないけど。でも、作品自体、難しいことに挑戦しているな、というところでは好感がもてました。

セシ:同じような印象です。題材はおもしろいけれど、今ひとつ乗れなかったところがあります。私も、語りが13歳の子かな、と疑問に思いました。83ページの「溜飲が下がった」のような言い回しや慣用句をたくさん入れていて、じじくさいというか、知識を鼻にかけている気がしました。それに、150ページで又三に「又さん、あんた、大変な宝もの、もってるだろう?」という話し方をするんですね。13歳の子がずっと年長の大人にこんな話し方をするのかなって。そんなふうに、あちこちであれっと思う部分がありました。あと1つひっかかったのは、71ページのお師匠さんのせりふ。「その想いにちゃんとこたえねえと、江戸っ子の、いや、日本の恥というもんだ」とあるんですけど、この時代に、日本という言い方をしてたんでしょうか? 江戸とは思っても、日本という観念を持つのかなと疑問に思いました。

ショコラ:以前オランダのゴッホ美術館に行ったとき、江戸時代の浮世絵や有田焼が数多くあったので不思議に思いました。一緒に行った友達から「オランダは江戸時代に日本と貿易があった国だから、日本の文化が伝わって当然」といわれ納得しました。ゴッホと日本の美術文化の結びつきを、作家も目にしていたのかなと思いました。登場人物の言葉に標準語と江戸言葉と関西弁が入っており性格もよく出ていました。3人の画家が出てきますが、3人それぞれの画風がよく表されているので絵のイメージが広がりました。活気ある江戸の生活様子が書かれており、また美しい秋の自然の景色がよく出ていておもしろいと思いました。ゴッホは幽霊なのに食事をしたりして、生きている人のように描かれているのが、ちょっと無理かなという気持ちもありましたが。「人間は人に出会って生き方が変わっていく」という作家のメッセージは受けとめました。

ハリネズミ:ゴッホが日本美術に惹かれていたことは有名なので、作家はもちろんそれを知っていたと思います。私は、細かいところにこだわらずにさっとおもしろく読みました。よく考えると、ゴッホがだんだん言葉に不自由しなくなるところとか、厳しい関所があるはずなのにどんどん旅ができてしまうところなど、リアリティがないかもしれませんが、まあゴーストなんだからいいじゃありませんか。西洋の画風と日本の画風の違いがうまく描かれているのも、おもしろかったです。一緒にスケッチをしても、ゴッホはパターンで描いているわけでなく実物を見ないと描けない、一方広重はツバメが飛んでなくてもツバメを描きこめるんですね。それに、ゴッホや広重は小学生でも知ってると思いますよ。同じ時期に、いせひでこさんが『にいさん』(偕成社)でゴッホを取り上げてますけど、日本にもゴッホファンはたくさんいるし、波瀾万丈の人生を送った画家だということは子でもでも知っているんじゃないかな。私も子どものころ、ゴッホが耳を切り落としたのはどうしてなんだろうと、ずっと考えてたことがありました。

バリケン:最初のところで、おまんじゅうやら白玉やら、おいしそうなものがたくさん出てくるところが、まず気に入りました。ジャポニズムや、西洋の絵画と日本画のちがい、遠近法と平面的な絵のちがいなど、大人は知っているけれど、子どもたちが読めば新鮮で、おもしろいでしょうね。こういうものを読むと、絵画にも興味を抱くようになるし、歴史物語にも親しめるようになるんじゃないかしら。ゴッホは、あの世に行ってるせいか、「炎の人」みたいではない。最後はどうやって消えるのかと思ったらそのままなので、ちょっと心配になりました。でも、主人公の佐吉自身は、最後に自分の進む道を見つけることができるので、児童向けの物語として、きちんとできていると思いました。佐吉の口調が最初のうちはわずらわしくて落ち着かない感じもしましたが、好感の持てる作品だと思います。

ハリネズミ:広重と北斎のあつれきも歴史的事実を押さえているんでしょうね。このテーマは、藤沢周平も「溟い海」で取り上げていますよね。佐吉が13歳なのに又三に偉そうな口をきいているのはどうか、という意見がありましたが、バリケンさんは気になりましたか?

バリケン:あまり気にならなかったんですけど、又三は同じくらいの年でしたっけ?

ハリネズミ:ずっと年上ですが、同じくらいの歳に感じられるような口調でしたよね。

バリケン:妙にすれてる感じはしますね。

ショコラ:この作品は、中学生の感想画コンクールの課題図書にもなりましたね。

バリケン:ゴッホは絵の具の混ぜ方が素晴らしくて、それでいつまでたっても絵の色があざやかなんですってね。絵描きなら誰でも知ってることだと、画家からきいたことがあるけれど。

もぷしー:おもしろく読みました。なんといっても、広重、北斎、ゴッホが出会うっていう設定が、予想を超えていて、いいですね。そういうやり方があったんだなって。ただ、この物語は児童文学として出されてますけど、子どもはついてこられるのかな? ゴッホは知っていても、日本の画家のことはかえって知らないのかな、と。ある程度、画家たちに関心を持ってないと、読みきれないかなと思って。若い読者たちの反応を知りたいです。内容に関しては、登場人物それぞれのこだわりとかコンプレックスがそれぞれの行動に具体的に表されていて、人物像がつかみやすかったです。お師匠さんが、北斎に会う前に具合が悪くなっちゃったりとかっていうのは、架空の出来事でも人物像に体温が感じられるので、物語に説得力が出ますよね。その点は大好きでした。あと素敵だなと思ったところは、各世代の成長のようすが描かれていた点。たとえば佐吉は、初めは特にこれができるというわけでもない、人の手伝いをする立場の人だったんですけど、最後には自分の追求したい道を見つける。又三は、外国語ができたり料理ができたり既に特技があるのに、道を定められずにいた人。それが、この物語中に自分の役立て方を知るという成長を遂げる。ゴッホは本当は死んでしまっているので成長を語るのも妙ですが、既に自分の道は決めた人で、その道で、さらにワザを極めていこうと行動を起こした。広重、北斎は、既にある分野で世の中に認められた人で、後の世代を導いてやるという役割を自覚することでコンプレックスを乗り越え、一段と高みに上る。そんな、人生における成長段階を読者に暗示してくれているんじゃないかなと思いました。全体を通して、物語がとても健全な感じですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年2月の記録)


『ぼくは夜に旅をする』

キャサリン・マーシュ/著 堀川志野舞/訳
早川書房
2008-1

ショコラ:とてもスリリングな場面がたくさんあり、ニューヨークのようすがすごくリアルに描かれ、おもしろくて一気に読みました。地下に死の世界があって入っていく発想がおもしろく、お母さんといつ会えるのだろうと思うわくわく感、ドキドキ感もありました。読んだ後に残ったのは、次はどうなるのかなという思いでした。お母さんは死んでいるのに、お父さんとどう出会って現実の世界にきて生活できていたのかが疑問です。そのあたりの謎を続きを書いて解きほぐしてくれるといいな。

カワセミ:去年NYに行ったときに、電車でニューヘイブンまで行き、友人にイェール大学構内を案内してもらったので、イェール大学の情景から始まる物語の最初からひきこまれました。また、グランドセントラル駅のドームのところで、ささやくとそばにいるように耳元で声が聞こえるというのを、実際に友人とやってみたこともあります。ここは有名なスポットだったのね。なんの先入観もなく読み始めたので、リアリティのある話だと思って読んでいたら、たちまちゴーストの世界にひきこまれてしまいました。導入がとても上手に書かれていると思います。NYの町が、実は上のほうにも下のほうにも死んだ人がぞろぞろいるという図を思い浮かべると、今までに読んだことのない不思議な感じがしておもしろかった。セントラルパーク、コロンバスサークル、ブルックリンブリッジなど有名な場所が出てくるので、高いビルであったり、広い広場だったり、実際に思い浮かべて読めばおもしろいと思うんだけど、日本の読者では限界があるかな。これが東京タワーとか、日比谷公園だったらもっと楽しいのにね。仕方ないけど。物語には死んだ人がたくさん出てきますが、いろんな死に方があって、みな死ということを納得できないでいる。テーマとしては重いと思いました。会話の1つ1つにすごく意味があるので、じっくり読んでその意味を解釈するっていうのは、かなり難しい読書になるでしょうね。筋としては、お母さんに会えるのかどうか、主人公が戻れるのかどうかということでひっぱられながら読めるけれど、内容的には重いものでした。あと、日本の読者のためには、NYの地図を入れたらもっとよかったのかなって思いました。距離的にはずいぶん移動しているから、そういうこともわかるし。

セシ:筋は、この子がお母さんに会えるのかというのと、女の子と地上に帰れるのかというのでひっぱられて、先を読まされるのだけれど、こういうミステリー的なものは私は結構苦手で、トークンがあったら入れるとか、噴水に行ったら帰れるとか、途中で頭がごちゃごちゃになり、わけがわからなくなってしまいました。すごくメタフィクションナルですよね。オヴィディウスの『変身物語』や詩の言葉がひっかかっていて、ミステリーだけど教養的なおもしろさもあるので、ジュブナイル賞をとっているけれど、そういうところは大人の読者も楽しめるのかなと思いました。でも不満だったのは、お母さんに会いたいというのでひっぱる割には、お母さんをどうしてそこまで思い続けるのかとか、会った後にどれほど満足したのかは、詳しく書いてないんですよね。この作家は、ミステリーの仕掛けやメタフィクションが大事で、人を描くことにはあまり興味がないのかなという気がしました。

バリケン:私はミステリーやホラーものが好きなので、大いに期待して読みはじめたのですが、主人公が入院している病院で誰かが怪しげな会話をしているところで、なんとなく筋が分かっちゃって、なあんだ!と思ってしまいました。軽い話だなあって思いました。死の扱い方がとても軽くって、この世とあの世が簡単に行ったり来たりできるようで、ゲーム的というか、死の切実さが出てないというか。なにがなんでも重々しく描けばいいというわけではないけれど、違和感がありました。映画の「ゴースト」とオルフェウスの話を足して2で割ったような作品ですね。キリスト教的な世界観が、こういう若い世代のアメリカの作家からは無くなっているのかな。その点も、ちょっとショックを受けました。プルマンなどは、キリスト教的なものを意識的に壊そうとしているけれど、この作品の場合は意識せずにそういうものから抜け出ているというか。宗教的な世界観に対比するものが、ゲーム的な世界観なのかな?

ハリネズミ:たとえば『カラフル』(森絵都著/理論社1998)とか、死んだ人が来るっていう話はよくあるじゃないですか。そういうのとはまた違うタイプの作品ですよね。

カワセミ:『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著/偕成社2007)にも、ゴーストみたいな存在が出てきましたよね。

バリケン:そういうのが多くなっているのかもしれないわよね。

ハリネズミ:私は全体がいかにも作り話という気がして、楽しめませんでした。まあ、作り話なのはファンタジーだから当たり前なんだけど、ファンタジー世界の成り立ちがしっかりしてないな、と思って。主人公のお母さんは、死者の世界から出てきちゃった人ですよね。死者の世界と生者の世界は厳然と隔てられていて、めったなことじゃそれを越えられない。だから、お母さんもやっとのことで生者の世界へ出てきたでしょうのに、「ほんのすこしのあいだだけ、黄泉の国に戻りたかっただけで、もう帰れなくなるとは思っていなかった」だなんて! ファンタジー世界の中のリアリティが希薄に思えて、入っていけませんでした。ファンタジーってことを考えると、1970年代までの人は緻密にその世界をつくりあげて、ありえない話をありうるように書きあげていったけど、今の若い作家たちはそういうことをしないで、アイデアだけで走ってる感じもします。物語の中の構成がぐらぐらしてるし、お気軽に書いてて、とってもゲーム的。まじめに読んでたんですけど、なんだかばからしい気持ちになりました。

バリケン:ビルから落ちて死ぬかなと思ったところでも、この子は死なないのね。じゃあ、既に死んでるのかなと思ったら、そうでもない……。

ハリネズミ:半分幽霊だからできるのよね。でもそれが説明されていない。

カワセミ:だから、さっきセシさんが言っていたみたいに、わからなくなっちゃうのかもね。

バリケン:探偵作家グラブ賞を受賞しているわけだけれど、探偵作家というのは作品の破綻とかそういうことに厳しいんじゃないのかしら?

ハリネズミ:私が作品世界のきまりごとをつかめないのか、作者がそういうのを持ってないのか、翻訳のニュアンスがまずいのか、わからなくなったんですけど。

バリケン:やっぱり作家が持ってないんじゃないの。

もぷしー:かなり前に読んだので、詳しくは覚えていません。ごめんなさい。物語の設定はおもしろいなって思ったんですけど、そんなに登場人物同士の心のつながりや変化が描かれていなかったような気がして、あまりのめりこめませんでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年2月の記録)


『夢の彼方への旅』

エヴァ・イボットソン/著 三辺律子/訳
偕成社
2008-06

ショコラ:おもしろかったです。アマゾンの自然や暮らしのようすもよくわかったし、主人公のマイアがいろんなことに興味をもつこと、イギリス社会の住居のようすもよく書かれていると思いました。マイアがいっしょに暮らすアマゾンの生活にとけこめない夫人、変わったコレクションを持っているご主人、友達になれると思っていた双子など家族の性格描写がよく描き分けられていました。フィンと行く湖がとてもきれい。ミントン先生はマイアをあたたかく見守っている先生ですが、ミントン先生とフィンの関係もわかり、人と人との関係がつながっていておもしろかったです。読んでいて情景がよくわかったので、子どもも読みやすいだろうと思いました。

もぷしー:場所の移動とか違った生き方をしてきた人間の紹介が、きちんと整理されてとてもスムーズに描かれているところに、作者の達者さを感じました。マイアが引っ越した先の環境も、現地の湿度とか、周囲の人の行動とか趣味などを通じて書かれているので、無理なく立体的な世界が作り出されているのだと思います。ただ、これは好ききらいの問題になると思いますが、『小公子』になぞらえて書いているからか、登場人物がよい人、悪い人にくっきり分けられていて、あまりに通り一遍。たとえば双子ですけど、2人セットで描かれて、意地悪をするという特徴しかない。自然の情景描写とかはものすごく詳しく描かれてるのに対して、双子が意地悪に育ってしまった理由っていうのはほとんど描かれていなくて、キャラの現実味が薄くなっているなって。意地悪キャラの現実味がないと、それと闘っていくマイアの良さ、強さの現実味もなくなる感じがしてもったいない。他に気になったのは、お金持ちの子どもが親を失い、意地悪な人に囲まれて苦労したけれど、最後にはいい人に出会って、お金にも恵まれて幸せになりました、というシンデレラストーリーが、現代の子どもに対して説得力があるのかなという点。あまりに現実とかけ離れているので、子どもがこれを読んでどういう刺激を受けるのか、知りたいです。

カワセミ:確かに、『小公子』、『小公女』を思わせるような、一昔前の児童文学らしい作品だなと思いました。わかりやすい構図をたくさん用意しているので、とても読みやすい。よい人物と、いけすかない人物もはっきりしている。インディオの人たちの自然にとけこむ暮らしと、カーター家の人々に代表される、自然をシャットアウトする暮らし方の対比。フィンのおじいさんのように血筋にこだわる人たちと、身寄りはなくなっても出会った人とのきずなを大切にする人たちの対比。そして、3人の子どもが出てくるけど、3人とも親がいない孤児。これも子どもの読者をひきつける要因ですね。3人とも今の境遇に満足していなくて、自分の居場所を求めている。3人とも魅力的なキャラで、子どもが共感できる部分を持っている。そんな3人の境遇をいろいろ織りまぜながら語っていくので、飽きずに読んでいける。しかも読みながら、この3人の結末は必ずハッピーエンドになるという確信があって、安心して読める。そういうところも、一昔前の児童文学に似ているのでしょう。舞台になったがアマゾンの自然もとても魅力的。それから、随所に見られるユーモア。双子の描写や、カーター家の家族は戯画化され、おもしろく描かれている。ピンクのブタみたい、という戯画化した描き方なので、最後の顛末があわれでも、あまりかわいそうと思わず笑って読めてしまう。2人のカラスも、本人たちのきまじめさと、はたからみた様子のギャップがおもしろいし、ミントン先生がコルセットをはずす場面も、おかしい。『小公子』の時代の児童文学と比べて、インディオの人たちの描き方は、どう変わっているんでしょう? 登場人物たちはこの時代のイギリス人だから、差別的な見方をする人も出てくるわけで、それはいいんだけど、作者の姿勢としてはこれでいいのかな? 自然と暮らす人々へのあこがれとか尊敬の念というのが出てはいるんだけど。

ハリネズミ:舞台は何年でしたっけ?

バリケン:1910年って書いてありましたよ。

カワセミ:インディオのそれぞれの部族の人たちの描き方って、難しいですよね。全体的には共感を持って書いているんだろうけど、ちょっと微妙だなって。

セシ:よかったのは、マイアが生き生きしたキャラクターで読者をひっぱるところ。でも全体としてみると、それほどいい本とは思いませんでした。ものごとの考え方の構図がありきたりというか、二項対立なんですよね。文明と未開、善と悪。未開な部分は善であるし、アマゾンの人々は素朴であるけれども、自分たちより未開で劣っているというような意識を感じました。外の人間がラテンアメリカのことを書くのと、ラテンアメリカの人が自分たちのことを書くのとは、やっぱり違う。現地の人が書いたものなら、あちらのようすを描くのに、部族の風習や食べ物、まじない師や、自然と結びついたアニミズム的な考え方などが、たいてい自然に盛り込まれているので。これは、イギリスの植民者の視点ですよね。

カワセミ:作者はそういう気持ちはないのかもしれないけど、舞台が古いのである程度そういう描き方をしなければならなかったのでは?

セシ:作者が実際に現地のことを知らないんじゃないかしら? 知識だけで書いている感じがします。

バリケン:物語としてはおもしろいし、ユーモアのある語り口もいいと思いました。これだけの厚さのものを物語のおもしろさにひかれて一気に読めば、子どもも満腹感があるだろうし、その辺は評価したいと思います。でも、それ以上感動するとか、魅かれるという作品じゃありませんね。あくまでもエンターテインメントで、深みがないというか。アマゾンの描き方も、行ったことのない人や、観光旅行でちょっと滞在した人が憧れる楽園のよう。セシさんと同じように、作者はブラジルには行ってないと思うわね。『小公女』のブラジル版というか。イーヴリン・ウォーの『黒いいたずら』(白水社)も作者は読んでいるだろうし、そういうものを重ねあわせたような作品。それから、双子一家の描き方って、ハリポタのおじさん一家の描き方と同じよね。意地悪な子を「太ってる」とか「ブタみたい」と書いてあるのを読んで、太った子がとても悲しがったとアメリカに行ったときに学校の先生が言っていたけれど、そういう書き方はどうなんでしょうね?

ハリネズミ:この作品は、ステレオタイプのストーリーをうまく組み合わせて、お定まりのキャラクターをうまくちりばめたエンタメですよね。フィンていうのは、あこがれの少年、クロヴィスは『王子と乞食』、マイアは『小公子』、『小公女』。それはいいんだけど、現代の作家が書くんだからもっと新しい視点がほしいのに、それはないんですね。リアリティも希薄。
フィンはキニーネを飲まなきゃって書いてありますけど、ずっと飲みつづけてたら体をこわします。訳語についても、おかしいと思うところがいろいろありました。たとえば、日本ではアリゲーターもクロコダイルもワニですが、この本にはアリゲーターは普通のワニとは違うって書いてある。普通のワニっていうのがクロコダイルなんですね。これでいいのかな? もっと引っかかったのは、酋長という訳語です。酋長っていうのは、歴史的にみると、侮蔑的に使われてきた言葉です。この訳者がわざと使っているのか、それとも知らないで使っているのか。

バリケン:chiefは、たいていは族長とかリーダーとか訳すわよね。

ハリネズミ:「酋長」って訳語を使っていいとか悪いとか言う前に、私はこの訳語を使うことで、物語全体の構図がへんなふうになっちゃう、と思ったの。著者はインディオ(インディヘーナ)の人たちをある種のあこがれをもって、プラスイメージで描いているわけですよね。殺虫剤を所かまわずまいている人たちと対比してるわけですから。でも、酋長という言葉を使うことによって、そのプラスイメージが割り引きされちゃうんですね。未開で遅れた人たちというイメージが前面に出てきちゃいますから。その結果、本当にすばらしいのは、西欧的な価値観にのっとったうえで、自然の中でインディオのまねごとをして暮らすフィンみたいな人たちだっていう図式になっちゃう。著者が言いたかったのは、本当にそういうことなのかな?

バリケン:たとえばイングランドだって、なんとか族とかいうけど、そういうのは族長って言いますよね。すべての古い社会の長に「酋長」って言葉を使ってるわけじゃない。

ハリネズミ:翻訳者って、歴史やら文化人類学やら民族学やらいろいろと知らないといけなくて大変だとは思うんですけど。でも、もし舞台が古いから古い言葉を使おうっていうんで「酋長」を持ってきたとすれば、安易すぎる。言葉って生きてるから、元の意味だけじゃなくて、使われている間に付与されてきたものもたくさん含んでいるでしょ。その全体をとらえたうえで使ってほしいな。

カワセミ:最後に4人はアマゾンに戻っていくんだけど、結局めずらしい動物がとれるとか、そういう興味で行くっていうんじゃ、作者自身の限界も感じるわよね。

バリケン:観光客的ね。

カワセミ:博物館にいって、めずらしいものを見てみたいって思うところにとどまってる。

バリケン:作者はいろんなことを調べたって書いているけど、植物なんかは調べても、歴史的なことは調べてないんじゃないかしら。

ハリネズミ:エンタメ系でも、エイキンとか、もっと考えている人は考えているけど、この作者には、おもしろければそれだけでいい、っていう危うさがあるのかも。

バリケン:訳語についてもう一言。原文読んでないけどわからないけど、28ページ「ベスト」ってシャツのことじゃない? アメリカだとvestはベストだけど、イギリスでは下着のシャツなのよね。

もぷしー:お定まりのキャラクターだと思って読めない部分もありますよね。めずらしい昆虫をつかまえたとき、本国に送ったらすごく高く売れるとか、妙になまなましい。今後も、めずらしい昆虫なんかをつかまえて暮らすのかなって。

バリケン:それで絶滅しちゃったりしてね。

ハリネズミ:そういうところは、危ういよね。うまい作家で読ませてしまうから、よけい危うい。

カワセミ:そういところに、無意識の甘さが出ちゃうのよね。ポロっと書いちゃうのよ。

バリケン:ジャクリーン・ウィルソンの作品みたいに、環境は変わらないけれど、主人公は変わっていって、生きる力を得ることができるというのとちがって、いろんな意味でひと昔前の物語って感じがするわね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年2月の記録)