日付 2018年2月23日
参加者 アンヌ、オオバコ、コアラ、さららん、しじみ71個分、西山、
ピラカンサ、マリンゴ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス)
テーマ 困難からの脱出

読んだ本:

『15歳、ぬけがら 』
栗沢まり/作   講談社   2017.06

<版元語録>母子家庭で育つ中学三年生の麻美は、「いちばんボロい」といわれる市営住宅に住んでいる。家はゴミ屋敷。この春から心療内科に通う母は、一日中、なにもしないでただ寝ているだけ。食事は給食が頼りなのに、そんな現状を先生は知りもしない。夏休みに入って、夜の仲間が、万引き、出会い系と非行に手を染めていくなか、麻美は同じ住宅に住む同級生がきっかけで、学習支援塾『まなび~』に出会う。『まなび~』が与えてくれたのは、おいしいごはんと、頼りになる大人だった。泥沼のような貧困を生きぬく少女を描いた講談社児童文学新人賞佳作!


『ひかり舞う 』
中川なをみ/作 スカイエマ/絵   ポプラ社   2017.12

<版元語録>「男の針子やなんて、はじめてやわ。あんた、子どもみたいやけど、いくつなん?」仕事のたびに、平史郎は歳をきかれた。明智光秀の家臣だった父は討ち死に、幼い妹は亡くなり、戦場で首洗いをする母とも別れて、七歳にして独り立ちの道をえらんだ平史郎。雑賀の鉄砲衆タツ、絵描きの周二、そして朝鮮からつれてこられた少女おたあ。「縫い物師」平史郎をとりまく色あざやかな人物たち―。激動の時代を生きぬいた人々の人生模様を描く!!


『ただ、見つめていた 』
ジェイムズ・ハウ/作 野沢佳織/訳   徳間書店   2017.07
THE WATCHER by James Howe, 1997
<版元語録>あるリゾート地の浜辺で、階段にすわっている少女がいた。少女が見つめているのは、仲のよい家族連れで、幼い妹の相手をしている14,5歳の兄。もう一人は、金髪のライフガードの青年。ふたりは。少女の視線に気づいてはいたが、それぞれの悩みに気をとられ、少女にかかわろうとはしない。けれどもある日、少女の家庭の事情を知ることになり…? 離婚、死んだ兄の影、虐待という問題に苦しむ若者たちの心理を繊細かつミステリアスに描くYA文学。


『15歳、ぬけがら』

栗沢まり/作
講談社
2017.06

アンヌ:いろいろなことがぶちまけられたまま終わった感じがして、あまり読後感がよくありませんでした。けれども、ところどころに胸を打つ言葉がありますね。例えば、p92からp102にかけてのマイナスの掛け算をどう考えるかのところ。主人公の「理解したい」という気持ちを見事にひろいあげていくところは、素晴らしいと思います。ただ、母親や優香さんのおこなっている出会い系の疑似恋愛じみた売春や、裏に暴力団の存在が見える中学生の援助交際や、それに絡む中高校生男子の中間搾取やカツアゲとか、これからも主人公の周りにある暗い淵は変わらないままで終わるこの物語を、誰にどう手渡せばいいのかと思う気持ちがあります。

ルパン:最後まですーっと読んでしまいました。あまり良くない前評判を聞いていたので身構えていたのですが、読み始めてみたら不快感はなく、こういう状態はきついだろうなあ、と、むしろ共感をもって読みました。ただ、ここに出てくる大人たちがなんとも情けなくて・・・主人公の麻美は一応成長して終わるのですが、ダメな大人はダメなまま。麻美をいじめる女子三人組とも、交流はないまま。そういった、ちょっとした口の中のえぐみのようなものは残りました。麻美が、部屋も制服や靴が汚れたままでいて、そのことに嫌気がさしているのに、自分で何とかしようとはしないところなど、イラっとさせられる部分もあるのですが、やはり自分でやる気を出すまでには時間が必要だったのだろうとも思いました。救われない部分が残るところが、リアリティを出しているのでしょう。読後感は悪くはありませんでした。

さららん:テーマを知らないまま、表紙には好感がもてず、タイトルもなんなんだろう?と読み始めましたが、一気に最後まで読み通してしまいました。自分が断片的に知っていた子どもの貧困の問題が、主人公の麻美を取り巻く状況の中に、これでもかというほど詰めこまれていましたね。麻美の立場なら、お腹もすくし、夜、町にも出たくなるだろうし、気持ちを重ねることができました。ときどき情景描写に心理を映し出す象徴的な表現がでてきて、それが強く印象に残りました。例えば学習支援の塾で食べた久しぶりのハンバーグ。フライパンを洗うとき、主人公はぐるぐる回る水を見つめながら、自分の整理のつかない感情をそこに重ねますよね。タイトルになっている「ぬけがら」もそうで、「声を出すその日まで、セミはこの体で、この形で生きていたんだ。ぬけがらに生き方が刻まれてるって、たしかに言えるかもしれない」と、「強いぬけがら」の象徴するものをきちんと言葉にしています。こんがらがった心のなかで、だれかのために何かすることの喜びを主人公は知っていき、そのための勇気もふるう。貧困の中の少女の成長物語として、道筋が見えている感じはするけれど、読んで嫌だという印象はありませんでした。

コアラ:強烈な印象を受けました。以前『神隠しの教室』(山本悦子著 童心社)を読んだときにも、貧困家庭の男の子が出てきて、給食を目当てに学校に行くような感じでびっくりしましたが、これは全編貧困が描かれていて本当に強烈でしたし、いろんな人に知ってもらいたい作品だと思いました。目次が全部食べ物になっていて、空腹だと食べることしか考えられなくなるんだなと思いました。麻美が、お腹をすかせた和馬を見てもお弁当を譲らず、自分ひとりで食べてしまって自己嫌悪に陥っていることに対して、p198で塾長が、「自分が全部食べることで、それをエネルギーに変えることもできるんだよね」「もっとたくさんの食料を手に入れて友達に提供できたら、こんなにすごいことはないんじゃないかな」と言っていて、塾長、いいこと言うなあと思いました。後半で麻美が「強いぬけがらになる」と言ったことについて、p185で男子学生が「ふつう、そういうふうには使わないんじゃないかなぁ」「マイナスの意味で使うんだよ」と言ったり、p218で優香さんが「『強いぬけらがになりたい』っていいな、と思ってさ」「『ぬけがらの意地』みたいな感じ?」と言ったりして、かなり説明されていて、タイトルの意味がわかるように書かれていると感じました。そういうぬけがらの話も、p169の、ぬけがらについての塾長の話、「ぬけがらって、そのセミの生き方そのもの、って気がするんだよね」という言葉で生きてくると思いました。装丁は好ましいとは思えませんが、力強い作品で、書く力のある人だなと思いました。問題が解決されているわけではないけれど、希望のある終わり方もいいですね。

西山:今回読むのは3回目になるのですが、失礼な言い方になるかもしれないけれど,再読して、評価が上がりました。どうも最初は、子どもの貧困にまつわるさまざまな情報のパッチワーク的な感じがしてしまって、このエピソードは聞いたことがある、とかあまり素直な読者になれていなかった気がします。物心つくときからこの状況というわけではないのに、こんなにものを知らないものかと、違和感を覚えてしまったり・・・。でも、今回、時間がない中どんどんページを繰ったのがよかったのか、でこぼこを感じずに読めました。どうしようもない汗臭さなど、生理的な感触と、あと、これは、学生と読んで気づかされたのですが、目次からして食べ物の話—−空腹と食欲の話として、一貫しているということで、作品としての背骨が通っていてよかったと思います。

マリンゴ:日常的な貧困をテーマにしたこの作品は、著者のデビュー作ですよね。これから、どんなテーマを取り上げていくのか、とても気になります。楽しみです。タイトルの「ぬけがら」がいいと思いました。ネガティブな意味で使われがちですが、ポジティブな意味も含めている。そういう発想の変換がよかったです。ただ・・・タイトルに「15歳」とあるので、15歳15歳、と自分に言い聞かせながら読んでいたのですけれど、どうしても12歳くらいの子の物語に思えてしまいました。例えばp60。お母さんが汚し放題で片付けをしないことへの不満が書かれていますが、「じゃあ、あなたがやれば」と読者はツッコミを入れるのではないかなぁ、と。15歳だったら、「出ていく」ことを考えるか、あるいは「自分でやる」ことを考えるか。何かリアクションがある気がしたのです。あと、余談になりますが、セミのぬけがらってたしかに美味しそうだなと思いました(笑)。調べたら、去年の夏、ラジオ番組で小学生が「セミのぬけがらは食べられますか」と質問したそうで、大阪の有名な昆虫館の方が回答しているのですが、「ぬけがらは、ワックスのような、油のようなものでコーティングされているので、生のままでは食べないほうがいい」とのことです(笑)

ピラカンサ:私は出てすぐに読んだのですが、家の中を探しても本がなかなか見つかりませんでした。それで、図書館で借りようと思ったのですが、私が住んでいる区の図書館はすべて貸し出し中。よく読まれているんですね。読み返すことができなかったので、最初に読んだ時の感想のメモですが、私はこの主人公があまり好きになれませんでした。私も、15歳なんだから、被害者意識ばかりもつのでなく、出ていくなり、自分で掃除やご飯づくりをしたりしたらいいのに、と思ってしまったんです。日本の状況だけを見ていれば共感する部分もありますが、海外にはもっとひどい状況のなかで生きている子もいるから。それに、貧困のリアリティも外から描いている感じがして、敬遠したくなってしまいました。

しじみ71個分:あまりひっかかるところなく、すっと読み通しました。年齢よりも幼く見えたり、何でも人のせいにしてしまったりすることに私は逆にリアリティを感じましたね。以前、医療系のシンポジウムで医師のお話を伺った際、貧困は、何をしても無駄、という諦めが続くことから、後天的な無能感、無力感が植え付けられるということを知りました。貧困の非常に難しい問題はそこにあるように思います。例えば、子ども食堂に関わって聞くところによると、フードバンクにお米があっても、家に炊飯器がないからお米が炊けない。家で調理しなくてもいいものでないと、なかなかもらわれていかないそうです。鍋と水があればご飯は炊けるし、ご飯じゃなくてもおかゆでも食べられるのに、調理方法を知らないからそれができないし、学ぼうという意欲もなかなか出てこないということがあります。生活保護の申請も、やればできるのに、それに気づけないし、何か言われるのが嫌で申請をする気も起きないということが実際にあるようです。なので、学習塾の支援があって、人との関わりの中で気づきが生まれてよかった、ダメなまま終わらなくてよかったと思いました。
貧困によって困難な状況にいる子、お金持ちの家の子なのに、親からの愛情を注がれず生活が崩れて困難な状況にいる子が、社会のはきだめみたいなところに寄せ集まって、互いに傷つけ合いながら、その中で互助、自助で生きていく様は理解できました。

ピラカンサ:私はこういう社会問題を扱った作品こそ、状況がわかるだけじゃなくて、だれもが読みたいと思えるように書いてほしいと思っているので、ちょっと点が辛いのかもしれません。

しじみ71個分:今、思いましたが、もし貧困ということを全く知らない子どもがこれを読んで、例えば同じクラスに、外見的にそう見える子がいたら、どう思うだろうかなと気になりました。あえて、経済的に困難な子を探したり、ことさらに意識したりという逆効果が生まれる恐れというのはないのでしょうか? 貧困という現象を、背景まで深く考えて想像できるかどうかどうかわからないかもしれませんね。大人であれば、社会現象として、こういうこともあるよな、と理解できるかもしれませんが。子どもが貧困ということを理解するのに、この本がどれぐらい助けになるかと考えています。

オオバコ:子どもの貧困というテーマを取り上げたのは、意欲的でよいことだと思いましたが、p14まで読んだところで「こういう展開で、こうなるだろうな・・・」と予想がつきました。戦後まもなく、セツルメント活動が盛んなときがあって、そういう活動をしている学生たちのなかから児童文学を書きはじめた人たちも大勢いたように思います。わたしが関わっていた児童文学の同人誌の同人にも、そういう方がいらっしゃいました。子どもの貧困は、ある意味、日本の児童文学の出発点のひとつだったような気がします。でも、日本全体が貧しかった当時の貧困と、いまの貧困は、ちがうんじゃないかな? 現在の子どもの貧困は、もっと構造的なものなのではないでしょうか? 村上しいこさんの『こんとんじいちゃんの裏庭』(小学館)には、多少とも現実の社会とのつながりがありましたが、この作品には、そういう社会的な広がりが見えないのが物足りなかった。塾長の描き方も曖昧ですし……。「お金持ち」の意地悪をする子たちの書き方もステレオタイプだと思いました。

しじみ71個分:作者は学習支援にも携わっていたということなので、子どもの困難をあれもこれも知らせなければと、現象を詰め込みすぎてしまったのでしょうか?

ピラカンサ:作者に、書かなきゃという意識が強すぎたのかもしれませんね。状況だけではなくて、もっと個を書いてほしかったと思いました。

ルパン:貧困の中にある人たちだけで閉じてしまっているような閉塞感があるんでしょうか。

しじみ71個分:自分の身近な例だと、母子家庭でどんなに経済的に苦しくて、働きづめで疲れていても、子ども食堂に来ないし、あまりつながりたくないようなんですね。子ども食堂なんて頼ったら終わりと言われたらしく、人に頼りたくないという意地もあるようで、そういうのは理解できます。閉塞といえば、それは実態として閉塞しているんじゃないかなと思います。

エーデルワイス(メール参加):作者が現在の子どもたちと関わったことがベースになっているのか、リアリティがありました。育児放棄しているだらしのない心の病気の母親。空腹の描写は本当に辛いですが、最低限の料理も掃除も教えられないとできないのですよね。かったるい様子の主人公15歳の少女の表紙と「ぬけがら」の文字は、マイナスイメージでしたが、実は前向きのメッセージがこめられていました。最後まで読まないと分かりませんね。いわゆる「子ども食堂」が児童読み物に登場したのですね。
こちらにも「こども食堂」が定期的に開かれています。一度お手伝いにいきました。
その日に集まった食材を、その日に集まった初対面のお手伝いボランティアで黙々と手際よく料理を作るのです。前もって献立が決まっていることは易しいですが、その場で決めるのは並大抵ではないと思いました。小学生、中学生が大学生に勉強を教わったりお喋りして楽しそうでした。自分の居場所があるのは本当に大切と思います。定期的に文庫の本を貸し出して、子どもたちに見てもらっています。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ひかり舞う』

中川なをみ/作 スカイエマ/絵
ポプラ社
2017.12

ピラカンサ:場所が点々と移って、様々な人に出会っていくので、細切れに読むとよくわからなくなりますね。一気に読むと、おもしろかったです。特にいいなと思ったのは、男の子が女の仕事をしようとするというところ。逆のケースはいろいろ書かれていますが、こういうのは少ないですね。物語の中のリアリティに関しては、武士の妻である主人公のお母さんが、子連れで出ていって、洗濯だの料理だのをしてお金を稼げるのかな、とか、おたあを引き取ることにする場面で、身分の低い縫い物師が主人のいる前で、そんなことを言い出すのはありなのか、とか、疑問に思いました。p229の6行目にここだけ「彼女」という言葉が出て来ますが、浮いているように思いました。

マリンゴ:おもしろく読みました。最初は、女性の仕事をする男の子の、お仕事成長物語なのかと思っていました。でも仕事の話が中心ではなく、住む場所がどんどん変わり、物語もいろいろなところに飛ぶので、ラスト30ページになってもどうやって終わるのか想像がつきませんでした。小西行長だけでなく、この女の子・おたあも実在の人物をモデルにしていると、あとがきで知って驚きました。あと、最後のほうは、キリスト教の思想がたくさん語られていますが、小学生がこれをどう読むのか、興味深いです。私自身、小学生の頃に『赤毛のアン』を読んで、ストーリーはわかるのだけど、いたるところに出てくる聖句の意味がさっぱり理解できなくて・・・。キリスト教系の学校に入学してから、ああなるほど、と意味を知ることができたので。小学生はこの文章の意味がわかるのか、あるいはわからないなりに読了するのか、単純な興味として気になりました。なお、知り合いに歴史小説を書いている作家さんがいるのですが、作品を発表すると、郷土史研究家はじめ、たくさんのマニアから時代考証について突っ込まれ、その戦いが大変だと聞きました。その点、この作品は、私の推察ですけれど、児童書だからということで自由に書いているのかな、というふうに感じました。もちろんそれはそれでよくて、おもしろかったです。

西山:まず、男の子のお針子がおもしろいというのがありました。吉橋通夫の『風の海峡』(講談社)を思いだして読みました。同じ時代で対馬に焦点を当てて、小西行長が出てきて、雑賀衆が魅力的で・・・複数の作品で、その時代に親しみが出てきたり、立体的に見えてきたりということがあるなぁと改めて思います。(追記:「望郷」の節では、村田喜代子の『龍秘御天歌』(文藝春秋)、『百年佳約』(講談社)も思いだしました。言いそびれましたが、これ、おすすめです。朝鮮から連れてこられた陶工たちのコミュニティの悲喜こもごもが、悲壮感でなくおおらかに物語られていてものすごく新鮮だった記憶があります。)
時代考証的にはちょこちょこ気になるところがあったのですが、当時「日本国」と言っていたのでしょうか。p187に「日本国は、この戦で人も金もつかいきってしまったんだ」という言葉があるのですが、「いま」がぽんと顔を出した気がしてひっかかりました。布や食べ物は丁寧に描写されるのに、父親が死んでもけろっと話が進む。妙に潔いというか・・・。そういうところに、いちいち立ち止まらないから、平史郎7歳から37歳までを駆け抜けられるのか、賛否わかれる気がします。また、別のことですが、p331の「五万ものそがれた鼻が塩づけされ、後日、京都にある耳塚に埋葬された」とありますが、確かに「鼻塚」とは聞かないから、そうなんでしょうけれど、読者は「鼻なのに耳?」となるのではないでしょうか。あと、捕らわれた朝鮮人が連行されるところで、p185では「人々の泣きさけぶ声が大きくなってくる」とあるのに、p186では「多くは押しだまって目だけをぎらつかせていた」と書いてあると、え?となってしまう。捕らわれた同郷人に胸を痛めて身を投げるおたあ(p208)とp248の「こづかれたりどなられたりしながら働いている子どもたち」を「笑って見ている」「貴族のむすめ」の感覚が矛盾するように思います。編集担当者はひっかからなかったのかなぁ……。

レジーナ:男性の縫い物師という設定はおもしろいのですが、それが歴史の動きとからむわけではなく、私はあまり入りこめませんでした。タツとの再会や、周二との出会いはうまくいきすぎていて、ご都合主義な印象を受けました。

西山:私は結構最後の方まで、お母さんに再会するのかと思ってました。出て来ませんでしたね。

コアラ:話がサクサク進むのがよかったです。ただ、いろいろなところで粗いというのは私も思いました。歴史的に調べていない気がします。でも、縫い物で身を立てるのはおもしろいと思います。今の時代、縫い物や編み物が好きな男の子もいますが、好きなことをしていいんだよと背中を押してくれているようにも思えます。気になったのが、p57に「慈しめよ」という言葉が出てきますが、唐突かなと。わかりにくい言葉だと思います。ただ、読み進めていくと、キリシタンが異質な者として描かれていて、この言葉もキリシタンの異質さと重なるようになっているのかなと思いました。全体的にはおもしろく読みました。

ピラカンサ:この「慈しめよ」は、主人公もわからなくて、そのうちだんだんわかっていく、という設定なので、これでいいんじゃないかな。

さららん:自分自身、子どもだった頃に、道で配られていたパンフレットでキリスト教に触れ、その教えをどう理解したらよいか、すごく悩んだ時期があります。教会に通う勇気もなかったので、文学の中で出会うさまざまな登場人物を通して、理解を深めてきました。もともと「百万人の福音」誌に連載された『ひかり舞う』には、キリシタンの生き様も背景に描かれ、「神はわれわれに最善を尽くしてくれていると信じるしかない」とストレートな表現も出てきます。歴史物語という枠組みのなかで、こんな言葉が子どもに届けられてもいいんじゃないかと思います。主人公は父親を早くに亡くしていて、どんな人物だったかよく覚えていない。でも母から伝えられた「慈しめよ」という言葉、そして成長のなかでキリスト教に触れることで、もしや父も信者だったのではと次第に気づいていく。父親捜しの物語も用意されていたんだと、発見がありました。描き方は深くはないかもしれないけれど、大きな枠の中で、こういうことがあったと子どもに伝える本であり、縫い物師の少年の目を借りて、小西行長を描いた試みとしてもおもしろかったですね。

オオバコ:最後までおもしろく読みましたが、「おたあ」を主人公にして書いたら、もっとよかったのにと思いました。朝鮮との交流や、侵略、迫害の歴史を児童書で書くのは、とても意味のある、素晴らしいことだと思います。ただ、周二が出てくるところまでは、あらすじだけを書いているみたいな淡々とした書きっぷりなので、途中で読むのを止めたくなりました。かぎ括弧の中の言葉遣いも「?」と思う個所がいくつかありましたね。ひとつ疑問なのは、男の縫物師が、当時それほど侮蔑されていたのかどうか・・・。これは、ちゃんとした着物の仕立てではなく、繕い物をしていたからなのか・・・。縫い物をしていたからこそ、お城の奥まで入りこめるし、いろいろな事柄を知ることができるので、そこはおもしろい工夫だと思いましたが。みなさんがおっしゃるように、歴史的な事柄に破たんがあるとしたら、もったいないなと思いました。

ルパン:飽きずに最後まで読みましたが、男が縫い物師であるという設定が、ほとんど生きていないように思いました。平史郎が針子であったがために物語が大きく動く、ということがないんです。しかも、盛りだくさんすぎて、作者が何を描きたいのかがよくわかりませんでした。明智光秀の衣裳係だった父、あっけなく死んでしまう妹、武家の妻なのに首洗いをして生きていこうとする母、そこまでして息子を守ろうとしている母から離れてしまう平史郎。さらに、男の針子として珍しがられたこと、雑賀の鉄砲衆のこと、小西行長のこと、朝鮮のこと、キリスト教のことなど、どれひとつとっても、それだけで一冊の本になりそうなものを詰め込みすぎて、結局どれも中途半端なのでは? そして、後半、おたあが主人公だっけ?と思うほど、おたあへの愛情はこと細かに描かれているのに、最後は突然現れたるいと幸せになります、で終わってしまう。読み終わってきょとんとしてしまった、というのが正直な感想です。

アンヌ:とにかく私は絵描きの周二が魅力的で好きです。主人公と二人で同じ海の夕焼けの赤に見とれている出会いの場面、一緒に組んで京都に出て店を開き周二がモテモテになる場面、周二がこの時代の風俗図のもとになるような人々の姿をスケッチしていくところなど、生き生きと描かれています。どんな絵を描いたのだろうと思い、美術史の本を見たりしました。そこにあった南蛮人渡来図などを見て、天鵞絨のマントや金糸の飾りをつけたズボンなどを見た日本人は驚いただろうなと思い、布地の魅力というものにはまった主人公の気持ちがわかる気がしました。専門職の仕立て屋というのは昔から男性もいたように思うのですが、とにかく主人公が女の仕事とされてきた繕い物から仕立てを覚えていくのが、独特の筋立てです。そして、時代を描いていく。歴史でキリシタン迫害のことを習っても、なかなか、こんなにキリシタンの人が沢山いたこととか、その人々の思いとかを知ることがありません。物語として描かれる意味を感じます。朝鮮への侵略戦争やその後の外交の復興と朝鮮通信使の魅力的な様子までが描かれていて、そこも、いいなと思えました。ただ、主人公がキリスト教にどう惹かれていったかはもうひとつはっきりしませんでした。朝鮮から連れて来られたおたあへの気持ちも、よくわからない。キリスト者として生きるおたあは孤独ではないですよね。だから、それでいいのかとか、もやもやした気持ちが残ります。

しじみ71個分:私は一気に、おもしろく読みました。これは、出会っては別れ、出会っては別れ、という男の一代記になっていますね。楽とは言えない人生の中で、出会う人がみんな魅力的で、その中でいろいろな気づきを得て成長していくというところはよかったと思いました。わたしも周二という人物はとても魅力的で好きなキャラクターでした。キリスト教系の雑誌に連載されていたと今日教えていただき、納得がいきました。キリスト教にはこだわって書かれていて、平史郎が当初はおたあなどキリシタンの考え方を理解できずにいたのが、おたあからクルスをもらって、最後にやっとはじめて理解でき、そこでキリスト教に対する共感や信仰が生まれているという心情の流れは、宗教に対する人の心の動きとしておもしろいと思って読みました。情景描写がとても美しいところが数か所あって、時々、うるっとなったところもありました。例えば、おたあを連れて、山に登り、海の向こう側に釜山が見えたというところなど、ところどころにキラッとする情景描写がありました。また、おたあを守ってるつもりで、実はそれが自分のためだったと気づいたり、など、主人公が自分の心と対話しながら考えていく内省的な表現はおもしろかったです。

エーデルワイス(メール参加):明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、小西行長、キリシタン、雑賀の鉄砲衆、二十六聖人・・・盛りだくさんの歴史読み物でした。琵琶湖、近江、京、対馬、壱岐、長崎、釜山と西日本縦断というスケールです。主人公は平四郎で武士で男でありながら針子として苦難の道を生きるのですが、様々盛り込み過ぎて、主人公の魅力が不足のような気がしました。父に死なれ、自分の責任のように妹を死なせてしまい、母と別れ、様々の人と出会い助けられ成長するのですがステレオタイプ。豊臣秀吉の朝鮮出兵と朝鮮の人々の悲劇、キリシタンのことを描きたかったら、いっそ「おたあ」を主人公にして、運命的に平四郎に出会う設定にしたらよかったのでは・・・と、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ただ、見つめていた』

ジェイムズ・ハウ/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2017.07

しじみ71個分:とても沈鬱なストーリーだという印象です。でも、作者がからみ合わない視線をテーマにして書いたのはとてもおもしろいと思いました。全くからみ合わないで互いに見ているだけの存在の3人の視線で描かれていて、からみ合わないがゆえに互いにさまざまな妄想を抱いたりするわけだけれども、それが父親から虐待されている女の子の精神が追い詰められ、幸せそうに見えた男の子の家に思わず入って物を取ってしまい、その取られた物が見つかるところから急激にぐぐっと、からまなかった視線の三角形が急に縮まっていき、その3つの視線がぶつかり、集まった点になった地点が、女の子が父親に殺されそうになるぎりぎり寸前のところで助けに入るという構造になっていて、それはとてもスリリングでおもしろいと思いました。でも、家族から虐待されている女の子が、現実逃避で空想の物語をつくるところで、テンポがクッと変わってしまうので、そこはちょっと読んでいてつまずくところがありました。ミステリーっぽいしかけはどうなるのか、興味をひかれました。いろいろなところで、伏線が効いています。また、最後のクライマックスで、父親に殺されかけているところで、幽体離脱みたいに苦しい思いをしている自分を客観視するというシーンは、リアリティがあると思いました。虐待を受けている自分を客観視することで、今苦しめられているのは自分じゃないと思おうとして、切り抜けようとするところは非常に切実ですね。主な登場人物は、女の子を除いて、それぞれアイデンティティの獲得とか、家族の問題とか、あれこれ困難を抱えていて、そのどこがどのようにその後からんでくるのか、わかりませんでしたが、そこが最後につながったのがとてもおもしろいと思いました。

アンヌ:この本はどうとらえていいかわかりませんでした。それぞれが語っていくところが、まるで映画の予告編を見せられ続けている感じで、最後にマーガレットの父親が出てきて、ああ、そういうわけだったのという感じでした。

ルパン:ところどころに別の物語がはさまっているのが、読みにくかったです。最後まで行ってからもう一度読み返してみれば、マーガレットの空想物語のところだけ活字がちがう、ということがわかるのですが、初めのほうにクリスの想像物語もぽん、と入れられているので、何がなんだかわからなくなります。しかも、活字がちがう挿入物語部分も、それがマーガレットの空想だということは伏せられているのですから、ますます混乱を招きます。最後のほうまでわけがわからないまま読み続け、これは最初から読み直さないとだめだ、と思ったあたりで、突然衝撃のシーンと種明かしがあって、ようやくなるほど、と合点がいったのですが・・・果たして子どもはこれを最後まで読めるのかな、と、はなはだ疑問に思います。ラストでどんでんがえし、みたいなものを狙ったのでしょうが、狙いすぎて流れがぎくしゃくしています。子どもでなくても、中高生でも理解しにくいストーリーだと思います。苦境にいる若者の内面世界を描きたかったのかもしれませんが、私の文庫で薦めたいとは思いませんでした。

オオバコ:マーガレットが盗みに入るところから、やっと物語が動いてきますね。そこからは、とてもおもしろくて一気に読みましたが、それまでがおもしろくない。特に、章の初めにあるおとぎばなし風の物語がわけがわからなくて、つまらなくて、途中で飛ばして読みました。読み終わったあとで読めば、なんのことかわかるけれど・・・。大人の私でもそうだから、子どもの読者は肝心の事件までたどりつけるかどうか。心より頭で書いた物語という気がしました。

コアラ:最後が思いがけない展開でした。ミステリアスで不思議な雰囲気だと思いながら読み進めましたが、マーガレットが他人の家に忍び込んだところで、気持ち悪くなって・・・。見つめていた段階から一線を越えてしまったという気がしました。最後はマーガレットにとっても解決になったし、クリスにとっても人助けができたので、とらわれていたものから解放されたし、エヴァンも、妹が悪い夢を見ていてオペラが流れていた家がここだとわかって解決とも言える。ラストで一応3人それぞれの解決になったと思いました。

レジーナ:同じ作者の『なぞのうさぎバニキュラ』(久慈美貴訳 福武書店)は子ども時代の愛読書で、何度も読みました。p119で、母親は、父親との不和について語ろうとしません。アメリカだったら、エヴァンくらいの年齢の子には説明すると思うのですが。

ピラカンサ:そこは、自分たちもはっきりわかっていないからでは?

レジーナ:この両親がどういう状況にあるのか、最後まで明かされないので、しっくりこないのかも。p28で、クリスは「願ってもしょうがない」とつぶやくのですが、台詞として唐突ですし、十代の子はこういう言い方をしないのではないでしょうか。p13の「けだもの」も、虐待している親を指しているので、「けもの」ではなく「けだもの」としたのでしょうが、はじめて読む人にはそれがわかりません。選ぶ言葉がうまくはまっていないように感じました。

西山:またこの形か、と私は思いました。視点人物を変えながら、謎を明かしていく。日本の創作だけじゃないんですね。この形の利点もおもしろさもあることはわかりますが、視点人物の年齢も違うとき、どの年齢の読者に寄り添って読んでほしいのかわからない。7,8歳のコーリーの不安、そこから生まれる虚言。14歳のエヴァン。18歳のクリス。それぞれにおもしろいところはあります。例えば、p52の真ん中あたりで、シェーンのひざを見て、「何度もサーフボードから落ちたりしたんだろうな・・・そう思うと、自分のことがひどく恥ずかしくなった」なんていう思春期の自意識にははっとさせられます。マーガレットの物語の隠喩がわかると、呪いをかけられた人形というのが母親なのもおもしろいと思いました。でも、全体としては満足の読書にはなりませんでしたね。

マリンゴ:抒情的ですけれど、わかりづらさに途中までイラッとする内容でした。3冊のなかでは最後に読んだのですが、正直苦手ですね。前に一度読みかけていて、途中で挫折してやめたこと、中盤になってようやく気づきました。ただ、伝わってきたテーマ自体はいいなぁ、と。「ただ見つめているだけ」でも、人間関係は知らないうちに生まれている。見つめられている側が気づいていたり、第三者が見守っていたり。自分はひとりぼっちだと思っていてもひとりきりじゃない。しかも、そこから一歩踏み出せば、さらに周りの人間とつながれる。そんなメッセージが伝わってきたように思いました。ただ、だからといって感動はできなかったんですけど(笑)

ピラカンサ:私がいいなと思ったのは、人間は見た目と内実が違うというところをさまざまな人間を通して描いているところです。幸せそうに見える家族とか、なんの不足もないように見える若者だって、いろいろな葛藤を抱えているということがわかってきます。ただ、視点が3つあり、しかもマーガレットが書いている物語と、クリスが思い描く昔話風の物語まで出てくるので、物語の構造が複雑で、子どもの読者は戸惑うのではないかと私も思います。p134あたりの描写も、なぜそんなことをしているのか最後まで読まないとわからないので、ストーカーみたいで不気味です。マーガレットが書く物語も最後まで読むとなるほどと思いますが、そこがわからないとあまりおもしろくありません。主人公の3人は、おたがいに見ているだけで親しいわけではないのに、マーガレットが虐待されているのを窓からのぞいたエヴァンがクリスを呼んできて一緒に助ける。そこは、物語のリアリティとしてどうなんでしょう? また、この父親ならマーガレットへの虐待は長く続いていたのかと思いますが、町のだれもそれには気づいていないというのも、どうなんでしょう? 物語世界のリアリティがもう少しあるといいな、と思いました。

エーデルワイス(メール参加):衝撃のラストでした。クリスとエヴァンとマーガレットの3人の様子が坦々と綴られていて、確かに3人はそれぞれ悩みがありそう。最後にこうくるか!という感じでした。本筋の間に出てくる架空の物語は、マーガレットが父親に秘密にしていたノートに書いていたものだったことも分かりました。マーガレットは無言で助けを求めていたのが、その無言ゆえにクリスとエヴァンに伝わったのでしょうか。マーガレットは救われましたが、クリスとエヴァンその後はどうなったのでしょうか。彼らの心も救われたのでしょうか。マーガレットの母親は自分夫が娘を虐待することを止めることができない。ただ音楽を鳴らし部屋に閉じこもるだけ。それがとてもやりきれない。母親も被害者と言えるのだけれど、本当にやりきれない。娘を救うことができないことが。原作は20年前に書かれているのですね。これも映画になりそうと、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)