サラ・ペニーパッカー『キツネのパックス』
『キツネのパックス〜愛をさがして』
原題:PAX by Sara Pennypacker, 2016
サラ・ペニーパッカー/作 ジョン・クラッセン/絵 佐藤見果夢/訳
評論社
2018.01

<版元語録>ピーターは、死にかけていた子ギツネを助ける。それ以来、パックスと名づけられたキツネとピーターは、ずっといっしょに生きてきた。でも、別れなければならなくなり…。運命に立ち向かうことの大切さを教える、胸を打つ感動の物語。

カピバラ:擬人化されていない動物物語って私はとっても好きなんです。これは冒頭がパックスの立場からの話なので、最初からぐっとひきこまれる感じがありました。ピーターの側の描写と交互に出てくるので、重層的に考えられておもしろかったです。情景描写や行動がわかりやすい描写で細かく書かれているので、頭の中で思い描きながら読んでいきやすい書き方だなと思いました。離れ離れになってしまうところから始まるんだけど、きっと最後には再会するんだなとうすうす分かりながら読んでいけて、ほんとに最後に再会の場面があって満足感がありました。クラッセンの挿絵はそんなにリアルな絵ではないところがよくて、ほのぼのとした感じを醸し出していて好感がもてました。表紙の絵も魅力的で、読みたい気持ちになりました。映画化されるんですね。サブタイトルの「愛をさがして」って、どうなの? ないほうがよかったですよね。

シア:ニューヨークタイムズベストセラーに48週連続ランクインし、紹介文には感動的と書いてあります。でも、読んでみるとひたすらピーターが犠牲になったなと思って、途中で読むのが嫌になってしまいました。骨折までして飼いギツネに手をかまれても、ピーターだけが報われません。後日談などがないと救われないと思いました。戦争は全てを壊してしまいます。野生動物だけでなく人間すらも。戦争が2人の絆や運命を引き裂いた、と言いたいのでしょうか。基本的に引き裂いたのは父親なんですけど。サカゲやスエッコやハイイロは確かにわかりやすい犠牲者ですし、彼らは人間を許す必要ないんですが、パックスはピーターと過ごした時間をもっと信じてほしかったなと思います。信じないと永遠に反目しあうだけですよね。人間がいつも悪いんですけど、でも個人としてのピーターは違うので、そこをもう一歩踏み込んで、戦争に飲み込まれない絆を描いてほしかったなと思います。切っても切れない絆というには切れたなと。本能に負けたなと。ピーター目線だとp334でサカゲは明るい毛と書いてありますけど、パックス目線だとp42で輝く毛になっているし。この本の根本的な話として、パックスを野生に返さなきゃいけないということが漠然としている。p18の「そろそろ野生に返す頃合」というくらいしか作中では触れていませんが、野生に返すということが自然であるというなら、それを見越した育て方というのもあるはずだし、施設もあるし、その辺りのケアをしていないのに、簡単に野生には返せないと思います。そこを描かないと、野生動物に手を出して、殺してしまう人間が読者にも増えてしまう気がするんです。犬猫と同じではないのです。そこがパックスとデュークの差であり、この本の独特なポイントだと思うんです。そこを掘り下げてほしかったなと。それだとこの本のテーマがぼやけてしまいますが。パックスにとって何が一番の幸せなのかがわかりません。野生動物は野生で暮らすことが一番というメッセージ性の強い作品でもないし、中途半端な「ラスカル反戦物語」みたいです。お父さんと飼い犬の話が盛大な前振りかと思ったら、別にお父さんはその件については改心もしないし、おじいちゃんは空気だし。ヴォラもいろいろ助けてくれたし、今後のやり取りも見えるけど、それにしても大人がみんな頼りにならなくて、戦争のせいだというのは本当に救いがありません。モーパーゴと違い救いがなく、暗い気持ちになる本でした。「ににふに」って日常使わないし大人でも聞かないなと思いました。他の訳はなかったんでしょうか。

ハリネズミ:訳者はわざとこの言葉を使っていると思います。p229に、ピーターも「どういう意味かわからない」と言っていて、それに答えての説明もありますよ。

アンヌ:最初のほうをぱらぱらめくりながら、野生動物との別れの物語なんだろうなあ、読むのは辛いなあとか、あ、最初に頑固爺さんが出て来る、いやだなとか思っていたのですが、読み始めると意外な展開で夢中になりました。主人公はおじいさんの家を2日目には家出してしまうし、怪我して出会うのが退役軍人の女性で、仙人っぽい人なのかと思ったらそうでもない。このPTSDを抱えたヴォラとピーターが、意外なくらい早くお互いを理解しあう。ピーターが母の死後カウンセリングを受けた経験が生かされている感じでしたが、優しい言葉で大人の女性と語りあえるのは意外でした。また、ピーターの語りとパックスの語りとに時間差があったり、パックスが空腹で動けなくなるまで3日間かかったりしているところ等に、人間の時間と狐の時間の違いというリアリティを感じました。けれど、ふと、この戦争って、いつのことで、どこの国のことかが気になりました。テレビがあるし、ピースサインをしたりするから第二次世界大戦ではなく近未来なのかとか、場所はアメリカのようだけれど、古狐にも戦争の記憶があるからアメリカ本土ではないなとか。どこと戦っているのかもわかりません。現実世界の設定の方にSFのような奇妙な曖昧さがありました。

ハリネズミ:三人称語りですけど、キツネの視点とピーターの視点が交互に登場するのがおもしろいですね。各章の数字が、男の子かキツネの影絵になっているのもよかったです。さっきカピバラさんは「擬人化されていない」とおっしゃったけど、生まれてすぐに人間に養われることになったキツネが、どれだけ本能でキツネの社会で生きていけるのか、と考えると、やっぱりフィクションが入って擬人化もされているんだろうと思います。キツネが「南」「戦争病」と言ったりする部分も、当然擬人化されているフィクションでしょう。ただし、後書きで、自然の生態のままに書いている部分と、物語の組み立てを優先させたがために生態にそぐわないところもあると著者が言っているので、それはそれでいいのかと思いました。p109でヴォラが「人間が飼いならしたキツネを野生に返したら生きてはいけないってこと、わかるだろう」と言い、それに対してピーターが「わかります。ぼくのせいです」と言っているので、作家がそこをちゃんとおさえて書いていることがわかり、このケースが例外なのだということが逆に読者にも理解できるように思います。パックスがどうやって自然の中で生きのびたかについては、スエッコに卵を3個ももらったり、人間の食料をくすねたりして生きのびるという設定も、それなりに納得できるように書かれているのではないでしょうか。
 さっき、ピーターに救いがないという意見も出ましたが、それまで孤独だったピーターはヴォラと出会ったことで確実に成長していき、世界も広がっているんだと私は思います。p281でヴォラがピーターに、「ポーチのドア、いつでもあけておくからね」と言うんですが、これは「あなたの人生はあなたの人生だけど、いつでも訪ねてきていいんだよ」と言っているんだと思います。p339ではピーターがパックスに「おまえは行きなさい。うちのポーチの戸はいつでもあけておくから」と、同じセリフを言っています。作者はここで、絆が全く切れてしまったわけではないと言っているんじゃないでしょうか。
 よくわからなかったのは、ピーターのお父さんは「ケーブルの敷設をしている」とありますが、実際には何のために何をしていたのかが、私にはよくわかりませんでした。触れると何かが爆発して、ハイイロが死んだりスエッコも大けがをしたりするのですが、ケーブルだから地雷ではないですよね? 翻訳は細かいところがちょっと気になりました。p200「足をひきずりやってくる」は「足をひきずりながら〜」だと思うし、p267の「お父さんは知ってたんだ」も、何を知っていたのでしょう? p336「黒い鼻先がつき出す」は「〜つき出る」じゃないかな?

マリンゴ:過酷な物語ですよねえ。ピーターもパックスもつらすぎる状況が続いて、読んでいるうち、しんどくなりました。でも、目線が頻繁に切り替わるおかげで読み進めることができました。ピーターが、何がなんでもパックスを探しにいこうとあまりに一途でブレないので、物語の構成上そうしたのかな、とちょっと違和感がありました。でも、最後まで読むとその違和感も解消できました。パックスに執着することが、彼の生きる目的でもあったわけですね。最後、パックスと離れることを決断できました。つまりこれはピーターの成長を描いているわけですよね。この物語の終わりとして、満足感がありました。なお、先ほどカピバラさんがおっしゃったように、わたしもサブタイトルはないほうがいいと思います。

ハル:とてもおもしろかったです。コヨーテの声におびえながら眠る、とか、夜の庭でホタルに囲まれて桃をかじるとか、自分が体験できない世界を追体験させてくれる、本の力を痛感しました。戦争で殺した兵士のポケットから愛読書が出てきたというシーンもそう。戦争ってそういうことなんだと身に沁みました。ピーターとの出会いで、ヴォラも救われていくところもよかったです。p246「昔どんなに悪いことがあって、挫折したとしても、不死鳥みたいにやり直すことができるって」というピーターのセリフに胸を打たれました。ですが、キツネの生態ってこうなのかな?と疑問に思うところもありながら読んでいたら、「あとがき」に“物語を優先して実際のキツネの生態とは変えている部分もある”といった説明があり、実写映画を見るような気持ちで読んでいた私としては、それってありなのかなぁと思いました。

西山:キツネの言葉を人間の言葉に翻訳しているという趣向が「謝辞」の追記でで書いてありますが、成功とは言えなかったのではないでしょうか。けっこうひっかかってしまって読みにくかったです。今出ていた、「南」や「戦争病」もそうですし、p2で「涙」の概念がないらしいということは分かるけれど、「目から塩からい水」と言いつつ、次の行では「涙」という単語を使っている(使うしかないと思いますが)とか、なかなか読みにくかった。p44の「サカゲ」の呼び名が出るところも、え? どこで女狐は「サカゲ」と言ったとか、記述あったかしらと戻ってしまった。あくまでも人間の都合で、呼び名が必要だから、呼び名を付けているだけでしょうかね。とにかく、キツネの章は、とまどいながら読む部分が多かったです。何より気になったのは、どの大陸のいつの時代のどの戦争なのかわからなくて、それが一番気になって仕方なかったです。地雷が埋められていることを知らずに、ピーターが山道を進むので、クライマックスの危機が、コヨーテとの戦いだったことに拍子抜けしました。

ハリネズミ:コヨーテとの戦いをなしにすると、ピーターとパックスが暮らす、という結末にしないとおかしいのでは?

西山:そっか。パックスは人間界に決別して、自然界に戻るから? なるほど。でも、いろいろ不満を述べましたが、読んでよかったと思ってます。戦場で足を失い、それよりなにより人を殺したという罪の意識がPTSDとなっているヴォラの存在が本当に印象深く、魅力的でした。兵士がどのように心を壊されるか、自分が好きだった食べ物すら思い出せないという状態から、少しずつ自分を取り戻していったというヴォラの話が身にせまりました。シンドバッドの人形も本当に素敵。ヴォラの胸中を思うと切なく、そして、どんなにすばらしい人形か見たい、と思いました。映画化されるなら、これはすごく興味深いです。

ネズミ:おもしろく読みました。きびきびした文章で、章はじめの影絵のカットを見ながら先へ先へと読ませられました。戦争が一番のテーマなのだなと思います。キツネの名前がパックスだし。戦争病にかかって、正義の名のもとに殺し合いをする人間と、自然の営みとしてのみ他者を殺す動物というのが対比されているのかなと。だから、最後は仮にコヨーテに殺されてしまってもいいのかも。私も最初、戦争の実態がはっきりしないなと思っていたのですが、あとから、わざとそんなふうにあいまいに書くにとどめたのかもと思いました。寓話的な戦争として。保護した野生のキツネをピーターが12歳まで飼うというのは長いなと思いましたが、強い意志力や理解力があって、世間ずれしすぎておらず、いざとなれば生きる力があるためには、主人公は12歳じゃなきゃいけなかったかもしれません。ヴォラが魅力的だし、いろいろ考えさせられます。エージェントや編集者がサポートして、よくつくりこまれた作品なのかな。

ハリネズミ:お父さんは、妻を亡くしてそれがトラウマになって、息子にも暴力をふるっている。近未来なら、ピーターがいなくなったことも携帯かなんかで聞いているでしょうし、ドローンか何かで行方をつきとめるでしょうから、近未来とも言えないように思います。p326ではじめて父親は息子を抱きしめます。p327の描写も、お父さんのピーターに対する態度が変わったことを書いています。p330に「月日を経て弱まったお父さんの悲しみ」とあるので、お父さんの悲しみをパックスが感じたのはここがはじめてなんですね。「月日を経て」だから、妻のことを言ってるんですよね? お父さんも妻を失った悲しみを初めてここで表現することができて、今後変わっていくことを示唆しています。すごくうまくできている物語だと思いますが、私も最初読んだときはそこまで読み取れませんでした。深いところまで読み取るには、私の場合は2度読まなくてはなりませんでした。

ネズミ:いろんなところに伏線がありますね。

ハリネズミ:日本語版の編集者にはもっとがんばってほしかった。たとえばp8に1行だけ「パックス」とあります。ここは敢えて強調するためにしているのかと思ったけど、ほかにも最後のページに1行だけというのがいくつもある。普通の編集者だったら、前のページに追い込んで見栄えをよくし、ページ数をなるべく少なくします。p34も。ほかに、言葉のおかしいところもそのままになっているので、目配りをもう少ししてもらえれば、さらにいい本になったのに、と思いました。

ネズミ:p52も。あ、p177もですね。

レジーナ:とてもおもしろく読みました。ピーターは、母親を亡くしたあと、パックスを見つけ、心を通わせます。でも、父親に言われて山に放してしまい、それを深く悔やんで、迎えにいこうとするのですが、その心の動きが細やかに描かれています。ヴォラが、ピーターの無謀な計画を止めるのではなく、だまって松葉杖を作る場面は、武骨で温かな人柄がよく表れていますね。ヴォラは、戦争からもどってきたあとは、自分がどういう人間で、何をしたいかもわからなくなるほど、心に傷を負っています。ピーターがヴォラに不死鳥の話をしたり、人形劇をしたりして、それでもやりなおせると伝える場面は、胸に迫りました。ピーターはヴォラに助けられ、ヴォラもまた、ピーターに救われたのですね。p131で、ヴォラはピーターに、あんたは野生なのか、それとも飼われているのか、と問うのですが、これはピーターとパックスの関係に重なります。結末は、別れてからも、お互いに愛情をもちつづけ、ゆるやかにつながっていくあり方が示されているようで、希望を感じました。p256ですが、父親は、このキツネがパックスだとわかったのでしょうか。

ハリネズミ:お父さんは、パックスだってわかったんじゃないですか。ほかのキツネだったら、このお父さんだからけとばしてると思う。ここは「けるまね」だもの。

レジーナ:パックスのことを思いだし、一瞬、心がゆるんで、蹴らなかったのかと思ったのですが。

ハリネズミ:一緒に暮らしてたら、パックスの癖とかわかってるんじゃないかな。

レジーナ:ピーターならそうかもしれませんが、父親はパックスをかわいがっていたわけではないので、そうとも言えないのでは。

ハリネズミ:お父さんはよくこのしぐさを使ったからパックスにはわかったって、書いてありますよ。お父さんは通じると思ってやっているんだと思うけど。

ハル:お父さんは「ぎこちなく笑った」とも書いてありますね。パックスだとわかったんだと思って読みました。

レジーナ:そうすると、この再会は、ちょっとできすぎではないでしょうか。飼っていたキツネに、戦場で偶然会うなんて。

ハリネズミ:普通のキツネだったら、あまり意味のない描写になってしまいますよ。

ルパン(メール参加):おもしろかったです。ピーターとパックスが、突然の別れによってそれぞれ成長し、そのうえできちんとお別れするために再会するプロセスが丁寧に描かれているとおもいました。さいご、ピーターが兵隊人形を投げるシーンは泣けました。ただ、ヴォラの操り人形がちょっと唐突な気がしました。ヴォラも成長しますが、そこにピーターとパックスの関わりが絡んでいないので、なんだかそこだけ違和感がありました。ピーターがヴォラのところに戻るのかどうかも気になりました。

エーデルワイス(メール参加):この物語も戦争ですね。主人公のピーターとキツネのパックスの章が交互にあらわれ、最後再会して別れていくシーンは感動的です。ヴォラの再生には希望が持てました。ここにも図書館が出て来て、その司書を通じて、人形劇を一式寄付します。心に残る言葉がいっぱいありました。

(2018年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)