コアラ:出だしは、内容がすっと入ってこない文章で、数ページで投げ出してしまう子もいるんじゃないかと思いました。p4のソフトクリームを食べている場面ですが、チョコレート液にワックスが入っていて、「もっと正確に言えば、食用流動パラフィン・ワックスというものだけど」という文章は、専門的すぎるというか、話の方向が変な気がしました。同じp4の後ろから5行目、「あたしたちの役目は、それをまた外に出してあげること」という文章も、意味がよくわからない。翻訳のせいかと思ったりしたのですが、読み進めるうちに、主人公の性格のこだわりが原因というか、興味を持つところが人とは違っているということがわかってきて、納得しました。慣れてくるとおもしろくなってきましたね。登場人物が生き生きとしていて、特に後半のクアン・ハがとてもよかったです。人や出来事がつながっている展開がとてもいいと思いました。ただ、最後が納得できなかったです。親権を取得してウィローの家族になるんですが、ウィローのことを思うなら、事前にウィローにそのことについて相談したり、「あなたはどうしたいの?」と聞いたりするはず。それを聞かずに本人に秘密にしたまま進めるのはどうなのかなと思いました。それ以外では、心に残る印象的な場面や文章はたくさんありました。p79の12行目、「あたしは、自分でない人間のふりをしていない。その上で、ふたりはあたしを仲間に入れてくれている」とか、p169の真ん中1行アキの前、「かかってこい。ぜんぶいっぺんに。かかってこい!」とか。p205のビール瓶を割ってステンドグラスのようにする場面とかも印象に残りました。気になったのは、p234の3行目「かんそう機」。ひらがなだと逆に読みにくいと思いました。読み終わってみればおもしろかったので、人にすすめたいですね。

マリンゴ:勢いよく読めるし、整った物語だとは思いました。でも、整い過ぎて、ゲームっぽくも感じてしまったんです。たとえば、最後の最後、パティが実はたくさんお金を貯めててマンション一棟買えるという部分などですね。え、そういうミラクルなお話だったの、と印象が変わりました。あと、いろんな人の視点で描いているのが特長ですが、終盤は切り替わりが早すぎて、ちょっと面倒くさいと思ってしまいました。映画やテレビドラマのシーンを起こしたような作りで、脚本的というか・・・・・・。そんなところが目につきました。

西山:1日で読みました。時間が無かったというせいもありますが・・・・・・。おもしろくは読んだんですけど、出だしのところでは、これは学生と一緒に読もうと思っていたのだけれど、だんだん、まあいいか、となりました。エンタメとして、おもしろく読めるよと紹介はできますが、ことさら読み合いたいとは思いませんでした。その理由の第一はウィローが、コミュニケーションに差し障りがないということです。人物としてはデルがおもしろかったです。ここまでダメダメな大人も珍しいけれど、ウィローとの関わりのなかで徐々に変わっていく。でも、終盤の方でもまだ「デルは『人に奉仕する』ってことの意味がわかってないらしい」(p296)と思われるような行動を取って、クスッと笑えました。なかなか消えないダメっぷり。彼女の天才的な「高い能力」が随所で発揮されてはいるけれど、でもそれで大金を手に入れてハッピーエンドという展開ではなかった点には好感を持ちました。

ネズミ:日本にはない作品で、おもしろく読みました。語りに、ウィローの独特の感性、世界の捉え方が表れているのがおもしろく、勢いがあって、ぐいぐい先を読みたくなりました。ただ、最後にいくほどに、何もかもがあまりにもうまくおさまりすぎて、ついて行き難くなりました。1つ1つの文章が、どれもとても短かったのですが、これはもともと原文がそうなんでしょうか? ダメだったりチャンスに見放されていたりしている大人たちがたくさん出てきますが、普通の日本人とはかなり違う状況なので、読者をかなり選ぶのではと思いました。外国文学を読みつけていない読者がいきなり読むのは、ちょっとハードルが高そうです。

まめじか:ウィローは集団になじめず、親を亡くす前から大きな孤独を抱えています。心を開ける人たちと出会ったことで解放されていく様子が、ひしひしと伝わってきました。ウィローの悲しみに、クアン・ハは彼なりに、いろんな人がいろんなふうによりそうのがいいですね。デルの成長は、いくつになっても人は変わっていけるのだと教えてくれます。以前読んだときほどは引っかからなかったんですけど、それでも、よくわからない箇所がところどころありました。p52「デューク氏はまず、あたしのテストの点のことは話題にしたくないと言った。でも、そこで話は終わった」は、なんで「でも」なのでしょう。p118の「黒いほお」は、人の肌なので褐色のほうがいいのでは。

ヘレン:英語で聴きました。笑うためにはいいと思いますけど、書き方はあまりよくないと思っていて。ウィローはアスペルガーということですが、そういう人だと他の人の気持ちはわからない。なので、ウィローがいつも他の人の印象を書いているのは、リアリティがないと思いました。好きだったのは、人のつながりということ。一人のやることが別の人に影響していく。

さららん:主人公のウィローが黒人の女の子だとは、初めは気づかなくて、途中で、ああそうか!とわかりました。テストの成績が良すぎたため、学校でカンニングを疑われたのは、彼女の外観でそう思われたのかも。いっぽうカウンセラーのデルは白人、こんがらがった、不潔で劣等感の塊のような人です。初めのうちはウィローの親友のマイやクアン・ハやベトナム人の家族を、どこかで見下していたんだろうけど、だんだん巻き込まれていくうちに、デルが変わっていくところがよかった。デルの殺風景なマンションに、ベトナム人一家が好き勝手な家具を持ちこみ、一家が前から住んでいるように変えてしまうところが、具体的でとてもおもしろかったです。

木の葉:アスペルガー? といったことを意識せず、頭が良すぎる子の話かな、と思い、わりとすらすら読めました。ある程度の長さがあってしかも初読だと、あまり引っかかっている余裕がなく、あれ? と思うところもややすっ飛ばして読んでしまったかもしれません。物語がどこかファンタジーっぽいなと思いました。主人公の頭が良すぎることへの周囲の無理解は描かれていても、あまり苦労している感がなくて、痛手になるような失敗も挫折もなく、お金も降ってきちゃうんですね。ウィロー以外の子、マイにしてもクアン・ハ(この兄妹の名前の付け方が私にはよくわかりませんでした。慣習的な意味があるのか?)にしても、能力の高い子なのだと思いました。とにかく、いろんなことがうまく行き過ぎだな、と。ハッピーエンドの物語を否定する気はまったくないです。とはいえ、物語の途中でこういう終わり方になるだろうなと思ったら、そのとおりになってしまったので、もう少し、いい意味での裏切られ感がほしかったです。庭が大きな役割を果たしているのですが、私には視覚的につかめませんでした。

ハル:この表紙とこのタイトル! ずっと気になっていた本だったので、今回読めて嬉しいです。どんな人も、ダメに見える人でも、お互いに影響しあっていて、ぐるっと輪っかにつながって、世界が変わっていく様子や、それぞれの成長、特にデルの成長に勇気づけられました。「突然変異型」っていいですね。「そう、おれは変われるのだ」(p267)、「もっとすごいことだ。内側の変化だから」(p268)なんて、わくわくしました。ああ良かったな、と読み終えてから、あんまりタイトルは関係なかったんじゃない?と思いました。ただ話題性ということだと、タイトルの勝利もあるのかなと思います。

ルパン:ずっと前に読んで、とってもおもしろかったことは覚えているんですけど、実は話の内容をすっかり忘れていたんですよね。今回読み返したらやっぱりおもしろかったです。エンタメなのかもしれないけど、ここまでやってくれたらエンタメ上等、っていう感じです。物語にしかできないことをいっぱいやってくれていて、つぼにはまりました。ハッピーエンドだし、子どもが読んで楽しめるんじゃないかと思います。登場人物が、大人も子どももみんなが成長していて魅力的です。ご都合主義でも、ストーンとめでたしめでたしで、いいと思います。これだけの分量を読ませる力のある本だと思います。しばらくしてまた忘れちゃったらまた読んで楽しみます。

さららん:どんなに絶望的なことがあっても、この世界は信頼にたるものなんだ、希望は持っていていいんだと、ファンシー的な設定の中で伝えていますね。

ルパン:この子は養父母の庇護のもとにいたときはそれで自分の世界が完結していたんですけど、保護者がいなくなって外の世界に出なければならなくなった。でも、みんなの助けを受け入れてみごとに乗り越えていく、そのプロセスがとても気持ちをあったかくさせてくれるんです。

アンヌ:読み始めたら止められなくて一気読みをしたのですが、逆に読み返す気にはなれない本でした。すべてがハッピーエンドに向かって突っ走っていくような感じで。天窓のガラスの破片は美しいけれど、風が吹いたら危険だろうなとか、挿し木で庭を造るという魅力的なプロジェクトがだめになると、プロの植木屋さんが好意で庭を造ってくれるというのは何か違うだろうとか、気になることがいろいろあるのですが、なおざりのまま進んでいく感じです。15章の養母が癌を病院で宣告される場面は必要ないと思いました。映像として交通事故の場面がほしいから描いたのでしょうか? ガレージに住んでいたパティが実は大金持ちで、しかもタクシーの運転手さんまでくじを当てて、その上二人が恋に落ちるとは、いくらなんでもうまくいきすぎと思っています。

花散里:2016年に出版された児童文学のなかで、表紙の画とともにとてもおもしろい作品だったという印象が今でも残っています。タイトルが特に良かったと思いました。小学校の図書館に勤務していたとき、アスペルガー症候群の子でよく図書館に来る子がいたので、その子のことを思い出しながら読んだという記憶があります。主人公のウィローが好きな場所も「図書館」でした。エンタメというよりもこの本は読ませるところが多く、私は人の絆についてなど、いろいろな意味で本書は奥が深いのではないかと感じていました。登場人物が群像劇風で、特にベトナム人女性、パティがとても魅力的で印象に残りました。寒冷地体で生息する木、柳という名前の主人公のウィローが物語の中で成長していく、その変わっていく描き方もうまくて、後半の里親探しなども興味深く、今回、読み返してみても、やはり子どもたちに読んでほしい作品だと思いました。

カボス:社会にうまく適応できない人たちが、コミュニケーションをとって影響し合い、変わっていく姿を描いているところは、たしかにいい。ただ、主人公のウィローは、7にこだわりがあるのと能力がとても高いだけで、アスペルガーという規定はできないですよね。それと訳が荒っぽいように感じました。たとえばウィローの養母の名前は、ロバータじゃなくてロベルタになってますが、イタリア系かなんかでしたっけ? 私は言葉によって物語世界に入りこみたいタイプなので、細かいところが気になるんです。p102に「超音波検査のあと、もとの服に着がえてからようやく、ロベルタはなにかおかしいと気づいた。医師にもう一度部屋にくるように、言われたからだ。さっき一度いったのに?」とありますが、日本だと検査のあとまた呼ばれて説明を受けるなんてよくあるから、えっと思うし、「それから、医師は『おひとりになる時間を』と言って立ちあがった。『ご主人に電話したほうがいいでしょう』」っていうのもよくわからない。p134では女の人について「姿勢から、下部腰椎に痛みがあるのがわかる」とあるのですが、p135では「背中に問題のある女の人は」となっている。下部腰椎は背中じゃないですよね。またそれぞれの章には視点人物の名前が書いてあるのですが、一人称と三人称が混在していてわかりにくかったです。p152「ふたりの姉弟が家出して、ニューヨークの美術館にかくれるっていう、むかしの本みたいにはいかない。ベッドが必要だし、しょっちゅうおふろやシャワーにだって入りたい」というのは、カニグズバーグの『クローディアの秘密』のことを言っているのでしょうが、クローディアはベッドもある、シャワーもあると考えたうえでメトロポリタン美術館に家出をするんじゃなかったですか? この訳(原文かもしれませんが)だとしっくりきません。p197の「デルが大きな声で言った。/『ヘイ!』/クアン・ハは全身に緊張が走るのを感じた。ハという名前の人間にむかって、『ヘイ』とはふつう言わない」もわからないし、p199にはクアン・ハの台詞で「まるで脱獄かなにかみたいだ」とありますが、脱獄?と思ってしまいました。そういう違和感をあちこちで感じてしまって。
それに、ウィローは肌が褐色でメガネもかけているのですよね? p129でクアン・ハも「だいたい、あの子は変だ。みんな、わからないのか? 服とか、髪とか、メガネとか、〜」と言ってます。そこはこの物語にとってたぶん大事な要素だと思うのに、この表紙はその特徴を消してしまっています。

ルパン:そういうことは編集者が指摘するべきでは?

カボス:そうですね。翻訳者だけだと気づかないところもたくさんあるので、編集者の役割は大事だと思います。エンタメだからこそ、もっとていねいに訳し、もっとていねいに出してほしかったな、と思いました。

花散里:デルの「変人分類法」について、ウィローが、「この数か月でわかったことがあるとすれば、(中略)人間をグループや等級にわけることはできないってこと。世界はそんなふうにはできていない」が印象に残りました。一人ひとりが違っていいのだ、ということが。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):デル・デューク式変人分類法(DDSS)1.不適応型 2.型破り型 3.一匹狼型 4.イカれ型 5.天才型 6.暴君型 7.突然変異型、というここがとても好きです。作者は脚本家、映画監督でもあり、すでにこの作品も映画化が決まっているといいます。本を読んでいて、映像が次々にうかぶので、映画、きっとおもしろいと思います。だからなのか、脚本を読んでいるかのようでした。最初から映画ありきで書かれた児童書ではなく、純粋?に児童書として書かれた作品を読みたいと思いました。

しじみ71個分(メール参加):以前、読んで今回再読したが、私はこの本はとても好きだし、おもしろいと思う。天才的な知能、あふれるほどの知識を持つがゆえに、周囲とのコミュニケ―ションがうまくいかない少女ウィローが、最愛の両親を一度に亡くし、世界を喪失し、悲しみのどん底に陥るが、彼女と出会い、なぜか心を通じ合わせたベトナム人親子のパティ、クアン・ハ、マイ、うだつの上がらないカウンセラーのデル、タクシー運転手ハイロたちが巻き込まれ、ウィローを助け、かかわりあっていく間に、変化がもたらされ閉塞していた自分たちの状況をも新たに切り開きチャンスをつかみ、最後には大きな幸運がもたらされる話で、最後にパティとハイロが共同でウィローの親権を獲得し、ともに暮らせるようになるハッピーエンド。それまでは、最愛の両親を喪失した悲しみと、心を通わせる仲間たちといつか別れなければならない悲しみとが底辺にずっと流れているが、ラストでそれが昇華され、感動が迫る。モチーフとして、植物が重要な位置を占めているが、例えるならウィローは春のようで、周囲の人々は植物みたいだ。ウィローに触れて少しずつ変わっていき、芽吹いて花開いていくように幸せになっていくのが、読んでいて清々しい。植物が種から目を出し、花開いて枯れていくのと同じように、人生もめぐっていく、その中での人と人との関わりを愛おしみ、生きていくことの喜びが伝わってくる。なので、この本はとても好きだ。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)