日付 2020年02月20日
参加者 カピバラ、コアラ、木の葉、サークルK、さくま、さららん、トマト、西山、花散里、ハル、まめじか、マリンゴ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 手渡されるものを受け止めて――世代を越えて子どもたちが受け継ぐもの

読んだ本:

『思いはつのり、言葉はつばさ』表紙
『思いはいのり、言葉はつばさ 』
まはら三桃/著   アリス館   2019.07

〈版元語録〉友達のジュアヌが見せてくれたハンカチに刺繍されていた、女書(ニュウシュ)。 その美しい文字に、チャオミンは夢中になってしまう。 中国・湖南省に実際に伝承されてきた文字をテーマにした児童文学。


『オオカミが来た朝』表紙
『オオカミが来た朝 』
ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳   福音館書店   2019.09
WOLF ON THE FOLD by Judith Clarke, 2000
〈版元語録〉オーストラリアのある家族の日常のひとこまを、1935年から2002年まで4世代にわたり描く短編集。父親をなくした少年ケニーが家族のために仕事を探しに出た朝の出来事(オオカミが来た朝)、ケニー一家のもとにやってきた年老いたおばさんをめぐる騒動(メイおばさん)、近所にやってきたインド人の難民一家の苦悩(想い出のディルクシャ)ほか、時にユーモアをまじえて繊細に語る全6編。


アラン・グラッツ『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』表紙
『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち 』
アラン・グラッツ/作 さくまゆみこ/訳   福音館書店   2019.09
WOLF ON THE FOLD by Judith Clarke, 2000
〈版元語録〉ナチスドイツから逃れるユダヤの少年、カストロ政権下のキューバを出てアメリカに向かう少女、内戦下のシリアからヨーロッパをめざす少年。故郷を追われて旅立つ3人の物語が、時代や国を超えて同時進行で語られる。彼らの運命はやがて思わぬところで結びつくことに……。命の危険にさらされ恐怖と闘いながらも、明日への希望を見失わず成長していく子どもたちの姿を描く。歴史的事実を踏まえたフィクション作品。


『思いはいのり、言葉はつばさ』

まはら三桃/著
アリス館
2019.07

木の葉:きれいな本だなと思いました。タイトルも好き。テーマもいいと思います。おもしろいものを見つけたな、と。ただ、まはらさんの作品としては、ちょっと物足りなかったです。私はたぶん中国への関心が高いほうなので、女書(ニュウシュ)というのも聞いたことがありましたが、改めてちょっと検索してみました。女書は湖南省江永地方に伝わるものとのことで、この地域は、漢民族と、少数民族であるヤオ族が混ざり合って暮らしている地区だそうです。ヤオ族は、歌や踊りが上手で女書もヤオ族の影響を受けて七言句の韻文だとのことです。作品の中で、少数民族はハル族という架空のものにしています。そのため、女書という実際のものを使いながら、いい意味でなく、ファンタジーっぽいものになってしまった気がして残念でした。時代設定が明確でないことも、もやもやさせます。それから、人名ですが、多少中国語がわかる人間は、どうしても裏の漢字を探りたくなるけれど、あまり見当がつきませんでした。

さくま:女書(ニュウシュ)については知らなかったので、テーマに興味をもって期待して読んだのですが、内容はちょっと物足りなかったです。ニュウシュのことは男性には(父親にも)知られないようにとさんざん言っておきながら、父親はすぐに認めて筆まで買ってきてくれるし、警察が来た時にはこの主人公は「そこはニュウシュの勉強をするところです」と言ってしまいます。シューインとの仲も、憧れだけで深まらないうちにシューインは嫁入りをしてしまう。またシュウチーとのことも、大変だと思わせておきながら、「ワン」ではなく「ヤン」だという言い訳と、纏足の臭い靴をぶつけられただけで警察は引っ込んでしまう。もう少し綿密に物語世界を構築すれば、もっとおもしろくなったはず。それにニュウシュが役立ってチャオミンが活躍するという場面がないのは残念でした。結婚するシューインに三朝書を書くという場面は出て来ますが、それで辛さそのものが解決されるわけではなく、辛さをまぎらわせるため、となっています。結局、縛りや枠の中でなんとかやっていくということが大事という価値観になってしまっているように思いました。巻末に参考資料が3点上がっていますが、舞台となる場所も見に行かずに他の文化のことを書いてしまっていいのかなあという疑問が残りました。ストーリーが深まっていかないのは、そのあたりにも原因があるのではないでしょうか 。

花散里:まはら三桃さんのこれまでの作品とはちがった印象を受けました。装丁がきれいで美しく、タイトルも印象的で、中国の暮らしなどが分かり、好きな作品でした。女書のことを知りませんでしたので、見返しの模様が女書だとはわかりませんでした。纏足のことも、子どもたちはこの作品で詳しく知ることができるのではないかと思いました。少年、ワン・シュウチーとの出会い。シュウチーがいろいろな事情を抱えていて、後半の展開は興味深く読めました。女の子にすすめたい作品ですが、男の子には難しいでしょうか。

カピバラ:女書という、表舞台には登場しない文化についてとても興味をひかれました。だれにも言えない想いを、言葉につづって相手に伝える、ということは、今このデジタルな時代にかえって新鮮に感じられます。でも物語としては登場人物の造形が通り一遍で深みがなく、展開も盛り上がりに欠けて印象が薄かったと思います。一昔前の少女小説みたいな感じがして、作りものめいたというか、うそくさい感じを受けました。中国の民族間のちがいや文化についても、もうちょっと知りたい気がしたし、フィクションじゃなくてノンフィクションだったらよかったのにと思いました。見返しのデザインが女書だということも、どこにも書いてないので物足りなかったです。

トマト:読む前にネットの情報で、中国で女性だけが使っていた女書という文字のことや纏足を扱うものだと知り、期待して読み始めたのですが、予想していたのとちがい、軽く読める本だという印象でした。

マリンゴ: 私は非常に魅力的な物語だと思いました。辺境の部族のことをよくこんなに徹底的に取材されてるなと思ったら、あとがきで、登場する民族が「一部私の創作」と書かれていて、ひっくり返りましたけれど(笑)。それでも、がっかりという感じではなく、魅力は失われないと思いました。女文字は実在するわけで、事実とフィクションの境目をうまく描いた作品だと思います。ただ、この本の後で、『明日をさがす旅』(アラン・グラッツ/著 さくまゆみこ/訳 福音館書店)を読むと、その境目の描き方がさらにうまいので、違いはあるなと感じました。シュウチーが村に帰っていくシーンでは、ひとりでは抗えないことに対してあきらめないで戦っていくことについてのヒントを、チャオミンが得た気がしました。とてもいい言葉だと思ったのは、p239 「生活をするために必要な分以上のお金は、贅沢のために使うのではない。人の命を救うときに使うんだ」です。

西山:まず、装幀が美しい! ♯KuTooと絡めて、ちょっと書くつもりだったので、これは外せない作品だ、と嬉しく読みました。よくこんな題材を見つけてきたなと、感心したのですが、編集者からの働きかけだったんですね。まはらさんは、作品ごとにいろんな題材で書いてこられているけれど、本当に目のつけどころがおもしろいなと思いました。ただ、この物語の時代がいつなのかが気になります。前近代イメージで読み進めてきて、p103で「いいアイディアだね」の台詞が出てきて、へっ?! となっちゃったんです。あとで「警察」が出てきて、決定的に、いつの話だ? となってしまいました。「反体制」で警察に追われ、けれど、ジャコウという高価な賄賂でなんとかなるというのは、気になりすぎて、ちょっと物語から気持ちが離れてしまったのが残念です。でも、全体としては、豊かな女性の文化を感じさせてくれるし、「結交姉妹」というシスターフッドが、女同士の支え合いを見せてくれたし、女の子の育ちを応援しようという感じで共感をもって読み終わりました。

まめじか:エンタメとして読んだので、細かいところはあまり気にせずに楽しみました。文字を知り、世界を広げていくチャオミンの姿がすがすがしいですね。気持ちを言葉にしたいという想い、はじめて文字を書いたときの神聖な気持ちと胸の高鳴り、書き終えたあとのつきあげるような喜びが伝わってきました。纏足に象徴されるような、女性が力を奪われた社会にあっても、喜びや悲しみをつづることで支えられ、自由になれるのだと感じました。けして豊かではないグンウイやシュウチーが、貧しいわけでもないチャオミンのために落花生をくれたり、お母さんがチャオミンをあたたかく見守っていたりするのも、読んでいてあたたかな気持ちになりました。

さららん:私もエンタメとして楽しみました。ニュウシュという素材をとりあげ、子どもたちを楽しませながらも、少し考えさせる作品だと思います。文字を書くことで女性が自己表現を知り、生活の辛さから解放されるという要素がよかった――書き方は軽いかもしれないけれど。主人公チャオミンのはずむようなかわいらしさにひっぱられて、読み進めました。フィクションとしての中国は、作り物めいているかもしれない。でも、子どもが安心して中に入っていけるという面もあります。漫画を多く読んでいる子が、本の世界に向かうのにちょうどいい橋渡しになるかも。チャオミンの字がだんだんうまくなっていき、素朴だけれど心が伝わる表現ができるようになるところに、成長を感じました。珊瑚の筆があたたかかった。

コアラ:中国の女書というのは初めて知りました。見返しに飾りのようなものが印刷されていて、最初は単なるデザインかと思ったのですが、読み終わってみると、これが女書かもしれないと気がつきました。とても繊細ですよね。カバー袖の「わたしのちいさなサンゴの筆で、あなたへ言葉を送ります」とあるのも、最初はあまり意味がわからなかったのですが、読み進めていくと、とても思いのこもった手紙の書き出しだとわかって、胸が熱くなりました。日本人が、中国の女書のことを書く、というのがおもしろいと思いました。あとがきを読んで、作者がいろいろ調べたことがわかったのですが、調べて書いたことをあまり感じさせないのが、いいとも言えるし、時代設定をきちんとしていないとも言えると思います。登場人物、特にチャオミンがとても生き生きしているのはいいと思いました。「結交姉妹」というのもいいですよね。年上のお姉様への憧れがよくあらわれていると思います。女書の背景には、女性たちのつらい結婚生活があったということですが、現代の子どもが読むときには、仲間内だけで通じる暗号のようにとらえてもおもしろいんじゃないか、子どもたちが女書のような暗号を作ってみたりしたらおもしろいかも、と思いました。

ハル:チャオミンが覚えたての文字で書く手紙が、まっすぐで、言葉に綴る喜びにあふれていて、初々しくて、絶妙に胸をつき、作家はうまいなと思いました。題材も、お話も、大人の私はおもしろかったのですが、纏足しかり、前を向いて歩き続ける希望や、自由を求めての抵抗ということよりも、つらくてもこっそり文字に綴って耐える、というほうが強く印象に残り、子供が読んだときに「つらいときは書きましょう、歌いましょう」そして耐えましょうと、秘めてたえることが善策なのだと思わないといいなと思いました。

ルパン:おもしろく読みました。私が読んだこの著者の作品のなかでは、これが一番よかった気がします。ただ、『思いはいのり、言葉はつばさ』というタイトルが優等生すぎて、自分からは手に取らなかったかもしれません。中身のほうがずっとよくて、最後までふわっとした感じで読めました。耐えていた女性たちの歴史とか、知らない人のところにお嫁に行ってつらい目にあう中国女性の悲しみとか、ほんとうはつらいことがたくさんあるのでしょうが、少女たちの友情、親子の愛情などで美しいもので包まれている印象です。漢族の中にも貧富の差があったり、ほかの民族に対する差別意識があったり、それぞれプライドがあるのですが、いじめや争いにつながらず、友情で結ばれていくところがよかったです。「軽い」というよりは、本当に「ふわっとした」感じが全編にただよっていると思いました。纏足の靴を投げつけたらあまりの臭さに警察が逃げていく場面で笑っちゃったんですけど、そんなに簡単に脱げたのかな、という疑問が残りました。脱ぐのはたいへんだったんじゃないんでしょうか?

木の葉:時代背景については、近現代だとは思いました。纏足がいつごろまであったのか、というのはひとつのカギかなと。実は清代には禁止されていたものだそうです。清王朝は満洲族なので。ただ、実際には行われていました。辛亥革命後の1912年に纏足禁止令が出ますが、なかなかなくならず、1950年代まで続いたようです。物語に警察も出てきますので、イメージとしては解放前(1949年)ぐらいでしょうか。

さくま:当事者しか作品は書けないとは思いませんが、自分にルーツがない場所を舞台にするときは、やっぱり細心の注意をはらったほうがいいように思うんです。アイヌをとりあげた菅野雪虫さんの『チポロ』(講談社)にも同じような違和感を感じたのですが。ノンフィクションでなくても他者の文化を大事にしながらもっと対象に迫っていってほしいです。おもしろいテーマ、というだけではまずいんじゃないか、と思いますが、考えすぎでしょうか。

西山:歌や衣装は実在の民族のものを下敷きにしてるんですよね、きっと。

トマト:装画がかわいいですね。若い女性が手に取りたくなる本だと思う。この作品は、時代をさかのぼった中国の奥地の村を舞台とし、主人公は漢民族と少数民族の間に生まれた少女なのだけれど、読者はこのイラストのイメージで読んでいき、例えば私が思い浮かべるようなリアルな中国ではなく、中国の雰囲気が漂うふんわりとしたアニメーションのような世界を思い浮かべて読んでいるのだと思う。それはそれで悪くはないのだけれど、少し物足りない気がしています。

マリンゴ: まはらさんの作品だと、徹底的に取材して事実に基づいて書いたもの、と思ってしまうんですよね。

西山:カタカナ名前より、漢字にルビのほうが、その人物と漢字が表す意味が結びついて入っていきやすかったかなと思います。見た目は紙面が黒々としてしまうけれど。それぞれの名前に当てられる漢字が分かるなら知りたいです。

木の葉:ですよね。漢字が見えない。たとえば、「チャオ」というカタカナから考えられる中国語の音は4種類あって、カタカナでは多種類の音を統合してしまいます。昨今は、映画などでも、カタカナ表記が一般的ですが、もともと漢字は表意文字なので、漢字にルビをふってくれたほうが、しっくりきます。

花散里:結交姉妹になったシューインは、美人で裁縫も文字も上手、という魅力的な女性のようなので、どんな漢字なのかと思いました。

西山:「〜さんにわたしは書きます」という手紙の書きだしがなんとも愛らしい! 中国の手紙の書き出しの定型として、こういう形があるのでしょうか?

木の葉:私は、歌なのではないか、と思いました。

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エーデルワイス(メール参加):美しい文体です。「ニュウシュ」は文字や書というよりなんだか模様のようですね。女性同士で手紙を交換していたなんて、子どもの頃に読んだ吉屋信子の少女小説(母世代のベストセラー作家)を思い出しました。女学校の憧れの先輩に「お姉様になって」と告白するなんていうこと、書いてありましたよね。漢族の女性は『纏足』するけれど、ハル族の女性は『纏足』をしないとか、民族によって違うのですね。それにしても痛そう。切ないけれど爽やかな読後感でした。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)


『オオカミが来た朝』

ジュディス・クラーク/著 ふなとよし子/訳
福音館書店
2019.09

カピバラ:オーストラリアを舞台にした物語を久しぶりに読んだ気がします。時代が少しずつ新しくなっていく構成がおもしろかった。最初は、1編が短すぎて、もっとその主人公のことが知りたいのにすぐに次の話へ移ってしまうのが物足りないように思いましたが、しだいにこの本の全体に共通するテーマが現れてきました。貧困、老人、ディスレクシア、障害のある人、難民、移民といった人々を登場させ、そういう人たちにくもりのない目で接していく子どもたちが、人間とは単なる見た目とちがう面をもっているということや、大人の価値観の裏にちがう真実がかくされているということを、ふとした瞬間に気づく。そういうところをとてもうまく描いています。その子どもたちが大人になったときにきっと良い効果をもたらすだろうことを予感させるので、つらい場面も多いけれど希望をもって読めるというところが良かったです。そして大人になってから再登場する人物もいるのでおもしろかったです。

さくま:私もとてもおもしろく読みました。4代の家族の物語ですが、児童労働、難読症や貧困や有色人種への差別、他者への無関心などかなりシリアスな問題が入ってきています。でも語り口がユーモラスで、短い文章の中で、その人その人が浮かびあがるような描写をしてます。たとえばp21ですが、ケニーとダンは父親が亡くなった次の日、母親につらい思いをさせたくないと、そっと物干し紐から父親の衣類をはずします。ちょっとしたエピソードですが、家族を思いやる心情をうまく表現しています。エピソードのつながりも随所でうまく使われています。ケニーは入れ歯なので弟にからかわれたりするというエピソードが最初の章に出てきますが、世代が変わっての章にも、ケニーはそれがゆえに弟にも会わないというところが出てきたりします。またクライティとフランシスはケンカすると頭を冷やすために外を別々に走ってくるというのが第2章に出てきますが、5章では大人になった二人が、別の国に住んでいるにもかかわらず同じことをする。そんなつながりがいっぱいあるので、前のエピソードを思い出しながら読めて深みが増すように感じました。最初の物語に登場するケニーが、最後の物語では曾孫の前に少年の姿であらわれて励ましてくれるのもいいですね。翻訳もじょうずだと思いました。

花散里:『オオカミが来た朝』というタイトルが印象的で読んでみたい作品だと感じました。6つの話がひとつひとつちがうようでいて、つながっていくという構成がおもしろいと思いました。「オオカミが来た朝」のケニーが仕事を探そうと古自転車で荒れ地を行く場面にハラハラし、次の「メイおばさん」ではケニーの2人の娘、クライティとフランシスがおばさんに振り回され、「字の読めない少女」ボニーの話と続き、世代を越えて物語が進んでいき、後半では一層、引き込まれるように興味深く読みました。

サークルK:本の最初にあるファミリーツリーの人物像をたどりながら読み進めることができました。生没年などもはっきり書いてあることで、物語に登場しない人たちも多数いましたが、その不在がかえって、登場人物の人生を下支えするようにも思えました。姉妹の喧嘩の描写も親密だからこそ傷つけてしまう関係であることが分かりましたし、ケニーの父親が亡くなってその洗濯物を母から見えなくするという思いやりも、後半のストーリーに生かされていて、書き手のうまさを感じました。エピソードとしては、列車から投げられた赤ちゃんの個所は、ほんの2~3行でありながらあまりにも残酷で、何度も読み返してしまうほどでした。

さららん:ひとりひとりの人物像がとても印象的です。なかでも字の読めないボニーの存在が心に残りました。すごく意地悪な部分と優しさの混然一体としたところに実在感があり、予定調和的でない結末が気に入りました。この本のどの話もナラティブが自然で、作為を感じさせません。章末にある注のつけ方もいい。「思い出のディルクシャ」では、物語の最初に登場したケニーが、脇役の大人として再登場し、バラバラに見えた話を静かにつなげています。父親の洗濯物を隠すケニーたち、赤い服を着た妹のことを親には話さないカンティをはじめ、悲しみを抱える大人をさらに傷つけないよう、心を配る子どもたちの繊細さを見て、大人と子どもは、互いに守り、守られながら生きているんだと思いました。p156で、カンティは憎むべき兵士のことを思い出し、あの若い兵士は洗脳されていて、でも洗脳されたらだれでも暴徒になるんだと、考える。善人と悪人、敵と味方を単純に分けないこういう考え方、想像力こそ、今の時代に必要なのだと思います。

木の葉:よくも悪くも自己主張の強くない本だなと思いました。読んだのはそれほど前ではないのですが、強く印象に残っているものがないのです。たまたま英語圏の翻訳ものを続けて読んだせいもあるかもしれませんが。かなり深刻なテーマもあり、優れた短編連作なのだとは思います。文学的な香りもします。が、もともと長編が好きなので、ここに書いてない部分の物語を読みたかったな、と思いました。そんななか、字を読めないボニーという少女のことは立ち上がってくるようで記憶に残りました。この中では、「メイおばさん」の話が好きです。

ルパン:いちばん強烈に残ったシーンは、インド人の家族の女の子が列車の窓から投げ捨てられるところです。映像が浮かんでしまって、ほかの場面がかすんでしまうほどショックでした。このできごとを引きずって生きなければならない遺族の悲しみ、さらに、知的で豊かな生活を取り上げられ、貧しく差別される人生、それでも故国に帰るよりまし、という悲惨な人々が今もたくさんいるのだろうと思いました。最後の「チョコレート・アイシング」の章では、毎晩激しいケンカをしている両親が心配ですが、ふたりを案じている息子のジェイムズが、ひいおじいちゃんのまぼろしを見ますよね。その光景がとても感動的でした。自転車に乗って仕事を探しに行く、少年だった曽祖父の姿を見て、自分もがんばろうと思うんですが、きっとケニーの物語が代々語り継がれていたからですよね。親の話、祖父の話、曽祖父の話を子どもに伝える親がいるから伝わっていく。日本では、戦後まだ75年しか経っていないのに、語り継ぐということがほとんどできていなくて、みんなすっかり遠い昔の話だと思っている気がします。私自身、父から戦争の話を聞いているのに、そういうことをほとんど子どもには伝えてきませんでした。自戒をこめて、伝えることの大切さを訴えていかなければならない、と思いました。

まめじか:カンティがおかれた状況は、いまの難民の人たちにも通じますね。弟がうそをついたと決めつける先生に反発しながらも、カンティがなにも言えない場面では、子どもの自尊心がよく描かれています。また列車の窓から妹を放り投げた兵士を思い出したカンティは、戦争になると、ふつうの人も洗脳されてひどいことをするようになると気づき、また迫害は憎しみや軽蔑からはじまるのだからと、意地悪な隣人も見下すまいと思います。世界に対する子どもの洞察や、憎しみに心を奪われない善性は、時代を経ても変わらないのだと、どの章でも感じました。ジェイムズは、海に入った母親がもどってきたときに大きな喜びをおぼえ、自転車に乗ってやってくるケニーの姿を月の中に見て励まされます。ボニーをかばったフランシスは、だからといってボニーが感謝することはなく、おびえた姿を見られたために、よりいっそう自分を憎むと悟ります。フランシスとケイティは、認知症のおばさんが想像の世界で幸せそうなのを見て、頭が混乱するのもそう悪くないと考えます。子どもたちの日常はそれぞれ厳しく、甘ったるい、ただのいい話でない中で生の断片を切り取っているのが、クラウス・コルドンの『人食い』(松沢あさか/訳 さ・え・ら書房)を思わせますね。障がいのあるデフィーに、ディスレクシアのボニーが読み方を教える場面なんかも。

ハル:この表紙と、「前書き」なのか「献辞」なのか、わかるようでわからない冒頭の1ページの感じや、何世代もの謎の家系図から、どうも最初は入り込めなくて。1話目のオオカミが登場するあたりまでは全然頭に入ってこなくて、これは困ったなと思っていました。でも、そこから一気にぐっと引き込まれましたので、読まず嫌いしなくてよかった! と思いました。この本が書店の目につくところに並んでいたとして、私のような人もいるだろうと思うと、もったいないなぁと思います。そして、のめり込んで読んでからは、家系図がいいなと思いました。大人に振り回されて犠牲になるのはいつも子どもたち。戦争もそうですし、家庭内の争いごともそう。「字の読めない少女」のボニー・ケニーも、とばっちりで前歯が欠ける大けがをしたジェニーも、子どもたちをとりまく環境は、ほんとうに理不尽です。そこから立ち上がる子どものたくましさ、生きる力を感じました。「想い出のディルクシャ」に登場する妹のようなことは、少なくとも当時、実際にこういうことがあっても不思議ではなかったということですよね。3歳の少女を目の前にして、こんな残虐なことができるとは、信じたくない気持ちです。

マリンゴ: 一家の家系図が冒頭にあるのだけれど、それでも章ごとに主人公が変わり年代が変わるので、少しつかみにくかったです。逆に、家系図があるがゆえに、登場人物がどこにいるか毎回探してしまったり、この人が今回取り上げられる意図は? とチェックしすぎてしまったかもしれません。普通に短編集だと思わせておいて実はつながっていると、気づく形でもよかったのではないかなぁ、と。これは読書が大好きな子ども向けの本で、読み慣れていない子が手に取ると、難しく感じる可能性もあると思いました。なお、最近読んだ『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン/著 岸本佐知子/訳 講談社)も、断片的でひりひりしたエピソードが続き、最後まで読むと作者の人生が立ち上がってくるので、『オオカミが来た朝』が好きな人は、こちらも好みかもしれませんよ。

トマト:すごく好きです。でも表紙が暗い印象で、これでは読んでもらえないのではと思い、とっても残念。第1話のケニーの入れ歯の話が印象深いです。急死した父親の葬式のとき、ケニーは悲しむよりも、自分が入れ歯だと知られたくないという気持ちが先行してしまうけど、そんな自分をひどい人間だと責めている。子どもは、大人が思う以上にいろいろ苦悩しながら一生懸命生きているんだということがよく分かります。ケニーがどれほど入れ歯のことで傷ついていたかは、ケニーが死にそうになるまで入れ歯を外さず、娘すら父親が入れ歯だと知らなかったというエピソードで裏付けされますが、このケニーの心情が実に細やかに、いい感じのユーモアを交えて描いてあるから重くなりすぎていません。姉妹の出てくる話は、イギリスの兄弟姉妹を描く古き良き物語のようで、楽しく読めました。あんたバカね、と言われていた妹のほうが、賢そうにしていた姉より機転がきくというエピソードがおもしろくて、ユーモアのある会話に魅力があります。私は、家系図が冒頭にあっても気になりませんでした。読みながらたびたび家系図を見て、それぞれの物語の登場人物のつながりも確認できたから、良かったと思います。すべての物語の中で、子どもたちが心を痛めたり、自分を励ましたりしながら一生懸命に生きています。この本の最後の物語は、両親の激しい言い争いを毎晩2階の子ども部屋で聞いておびえるお兄ちゃんと弟の物語です。それまでの物語では、貧困や戦争に翻弄される家族と子どもを描いていましたが、この「両親の不仲」という問題は、子どもにとって最も身近で、最も怖くて、誰にも相談できない重大な問題だと思うので、これを最後にもってきたことがスゴイと思いました。自分だって怖いのに、弟を不安がらせまいとして一生懸命なお兄ちゃんの気持ちがよく伝わってきます。最後に、このお兄ちゃんの祖先であるケニーが、自転車に乗って現れる場面は、「子どもだってたくさん辛いことがあるんだよな。分かるよ。頑張れよ!」と応援しているのだと思い、深く感動して泣いてしまいました。

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エーデルワイス(メール参加):作者の意図することは充分に分かりますが、この構成は読みにくかった。「メイおばさん」の章で認知症のメイおばさんを、子どものクライティとフランシスだけに預けて母親がでかけてしまうところとか、「チョコレート・アイシング」で、ケニーが出て来て両親の不仲に胸を痛めているジェイムズに「くじけるな」というところなど、腹が立ちました。何の解決にもなっていないのに励ましてどうする、という気持ちです。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 


『明日をさがす旅〜故郷を追われた子どもたち』

アラン・グラッツ/作 さくまゆみこ/訳
福音館書店
2019.09

花散里:時代も場所もちがう3人の登場人物が、交互に語っていく物語ですが、各ページ上の柱に場所と年代が記されているのが、読んでいくときの助けになりました。ホロコーストの話は過酷で、この物語のヨーゼフの話も、読んでいていたたまれない思いでした。カストロ政権下のキューバから逃れる少女イサベル、内戦中のシリアで爆撃を受けて難民となりヨーロッパを目指すマフムード。それぞれ故郷を追われ、海路、陸路で困難に立ち向かいながら、やがて最後につながっていく構成の上手さに圧倒されて読みました。難民のことを取り上げている作品が多い中でも、特に印象深く感じました。日本の難民受け入れ問題を取り上げた『となりの難民』(織田朝日/著 旬報社)や、空爆が続くシリアの町で瓦礫の中から本を救い出し図書館を作った『戦場の秘密図書館』(マイク・トムソン/著 小国綾子/編・訳 文渓堂)などとともにブックトークなどで紹介して、ぜひ、日本の子どもたちにも読んでほしいと思いました。

サークルK:3人の主人公たちの置かれた立場、年代、環境は全然ちがうのに困難にあることだけは同じで、この次の展開はどうなるのだろう、と思うところで次の子どものエピソードにつながっていき、よく言えばリズミカルに、別言するとあわただしい感じがしました。後ろの地図をたどって、こんなに移動をしなければならなかったのか、家を追われて故郷を捨てなければならなかったのか、と納得できました。現代の読者は、2015年のスマホを持っているマフムードに共感しやすいように思いますが、彼を入り口にして、単なる年号と出来事でしかなかった歴史が共時的につながっていることを実感できると思います。2度と繰り返してはいけない戦争、ということをうまく伝えているなあ、と心を動かされました。

さららん:3人のエピソードが、ひとつずつ順番に終わるたび、私も展開がすごく気になりました。ヨーゼフ、イサベル、マフムードの話をつなげて、飛ばし読みしようと思ったけれど、作者の意図を尊重して我慢しました。3つの話は時間も場所もばらばらで、いったいどう絡み合うのか? という期待が最後まで続きます。どこが史実で、どこがフィクションか、迷いながら読み通したけれど、編集部による断り書き(p386)と「著者あとがき」を読んで納得しました。難民受け入れを拒むハンガリーの兵士は催涙弾を撃ち、沿岸警備艇はボートに乗ってマイアミ直前まで来た人々を捕らえて、キューバに送り返そうとする。今起きている現実は強く心に響き、よくぞ書いたと思いました。ストーリーを時系列に進めながら、主人公に過去の思い出を語らせる難民の物語はワンパターンになりがちだけれど、この本の、刻々と3つの「今」を伝える重層的な作品づくりはお見事。それが現在につながって山場を迎えるところに、物語の醍醐味を感じました。

木の葉:本自体も内容も重い本でした。ドイツ、キューバ、シリアの異なる場所の異なる時代の物語ですが、ベルリンに始まってベルリンで物語を閉じます。構成的にとてもよくできていると思いました。少し前に読んだ『三つ編み』(レティシア・コロンバニ/著 齋藤可津子/訳 早川書房)を思い出しました。同時代ですが、インド、イタリア、カナダの女性の視点で交互に物語が進みます。視点が変わることで、いいところ(悪いところ?)で次の視点に移ります。狙いはわかるのですが、少しストレスでした。銃口をつきつけられたところで章が切り替わっても、このあとも物語は続くので大丈夫、というのが前提で読んではいても、ちょっとあざといな、という気がしました。いろいろ考えさせられる物語でした。2015年は、ヨーロッパで難民が大きくクローズアップされた年で、そのことを思い出しました。ホロコーストをひきおこしたドイツがいちばん難民を受け入れています。どうしても、では日本は? と思ってしまいますが、あとがきの訳注でさりげなく日本の状況についての情報がフォローされています。日本の入国管理局の問題なども、作品化できないものだろうか、などと思うのですが・・・。ただ、若い頃にキューバ革命を熱い目で見ていたことのある立場からすると、ナチス、シリアと並列的に語られることが、なんだ切なく感じました。革命家と為政者とは違う、ということなのでしょうか。

ルパン:すみません、まだ3分の1くらいまでしか読めていないんです。でも、ここまでのところでいちばん印象に残ったのは、p92です。「どっちの側だ」と聞かれ、答え方をまちがえたら殺される、という緊迫した状況で、子どもが「爆弾を落とす人たちには反対です」と声をあげて、一家が救われる、というところ。場所と年代の違う3つの物語が交互に語られ、時系列が行ったりきたりするので読みにくいなあ、と思っていましたが、さっき花散里さんが「ページの上に場所と年代が書いてある」とおっしゃったので、「あ、ほんとだ!」と思いました。ここから先は読みやすくなりそうです。

まめじか:安住の地にたどりつけなかったヨーゼフがいて、友人を失い、祖父を残して上陸したイサベルがいて、妹と生き別れたマフムードがいて、その3人の人生がつながる構成です。現実に起きたこと、起きていることの厳しさがきちんと書かれていますが、ひとり助かったヨーゼフの妹が、何十年もたってからマフムードの家族を助けるなど、結末に希望があり、とても好きな作品でした。イサベルは新しい土地で、ずっと探していたキューバのリズムを見つけ、これからも故郷とつながっていくのでしょう。平澤さんの装画もすてきで、物語にぴったり。ただ、いかにも社会的なテーマを扱ったという感じの、お行儀のいい装丁なので、もう少しポップなほうが、子どもは手にとりやすいのでは? と思います。

ハル:まず、構成が見事だなと思います。最初に1938年のユダヤの少年の話からはじまり、すぐ2章に移ったかと思ったら、1994年のキューバの少女に飛ぶ。そこでハッとさせられ、さらにすぐ3章に移ると、今度は2015年のシリアの少年へ。ああ、第二次世界大戦で終わったと思っているような出来事、子どもが、もちろん大人もですが、故郷で安心して暮らせないような出来事が、今もまだ続いているんだと、一気に身近な問題として胸に迫り、終始、他人事ではないような思いで読みました。そしてやっぱり、子どもたちのたくましさ。難民たちの行進が始まる場面は、思い出しても胸が熱くなります。「著者あとがき」で、著者が〈あなたにもできること〉を提案してくれているところもありがたいです。「自分は何をどうしたいだろう」と考えるきっかけになります。内容も、ボリュームも、重たい本だけど、主人公たちと同じ世代の読者にもぜひ読んでもらいたいです。

西山:親切な本作りだなと思いました。目次を見て、一瞬混乱しないかと心配になったのですが、ページ上部の柱を見れば、すぐに「だれ・どこ・いつ」が分かるようになっている。気になったら、巻末の地図も見られる。ストレスなく読み進めました。キューバのイサベルのおじいさん「リート」が、ヨーゼフたちの船に関わっていたらしいということがだんだんと分かってきますが、だからといって、劇的な安っぽい再会にしなかったのに厳粛さを感じて好感を持ちました。シリアのマフムードのパートがあることで、現在進行形の今の問題なのだとより身につまされました。p30で、「あの子を助けないと」とつぶやいたマフムードは結局自分の身を守るために「見えない存在」になってその場を去ります。爆撃による破壊や、本当に生きるか死ぬかの危険性はもちろんだけれど、日々魂がそがれていくこういう傷つき方があるのだということが、胸に刺さり、また、今の日本に生きている子ども読者にとってもそれは知っている感覚で受け止めるのではないかと思いました。やめろって言えてこそ、健やかに生きていけるのだと思います。この、マフムードが、見える存在になる決意をしていきますね。「シリアでは、目立たない存在になることで生きのびてきたからだ。でも、マフードは今、ヨーロッパで見えない存在になると、それは自分にとっても家族にとっても死を意味するのではないかと思いはじめていた」(p262)と。それが、国境を越えようと歩く子たちの群像の表紙とひびきあって、今の世界への問題提起となっていると思いました。また、p130で物事は「変わっていくんだから」「待ってるほうがよかったんだ」と言っていたリートがp339で「世界が変わってくれるのを待っている間は、チャベラ、何も変わらないんだ。わたしが、変えようとしなかったからだ。もう同じまちがいは、二度としないぞ」と海へ飛び込む。ここに強いメッセージを受け取ります。

マリンゴ:さっき電車のなかで読み終わって、最後の章で泣いて鼻をぐずぐずさせていたので、時節柄、周りのひとに「こいつ風邪か?」という目でにらまれてしまいました(笑)。3つの強力な物語が折り重なってくるお話ですね。章の最後でたいてい何か悪いことが起きるので、だんだん章末に近づくのが不安になりました(笑)。3作が同時進行するので、登場人物が多いのが若干ややこしいですね。本の3分の1まで行ったあたりで、「リート」って誰だっけ、と最初までさかのぼって確認しました。でも、このリートが一番印象的な人物になりました。キューバでは傍観者だったのが、時を経て当事者になってしまう・・・読者も、これは他人の物語ではなくて、自分もいつか関わる物語なのかもしれないと考えながら読めると思います。帯に、この3作がひとつにつながることがにおわされているので、冒頭からいろいろ想像しちゃいました。最後みんなマイアミにたどりつくのかな、とか。そんなシンプルな形じゃなくてよかったです。ユダヤ人を迫害したドイツの人が、贖罪の気持ちもあって、シリアからの難民を受け入れる、という構図をなんとなく想像していたので、ラストで「ああユダヤ人に救われたのか」と意外に思ったりもしました。長いあとがきが素晴らしいですね。細かいところまで事実をすくい上げるおもしろさが伝わってきます。3つが絡まりあっているので、フィクション度が高いのだと思い込んでいました。あと、無気力になった人たちが何人も出てくるのが、印象的でした。精力的に立ち向かえる人ばかりではない。それがリアルさを感じさせました。

トマト:交互につづられる3つの物語が、それぞれ強い力を持っています。でも、どの話も危機一髪のイイところで中断されてしまうので、読んでいてかなりイライラしました。次にくる物語を飛ばして、同じ主人公の話だけを一気に続けて読んでしまおうかと思ったくらい。その気持ちを抑えるのが大変でした。いじわるな本ですよ。でも、しばらくすると、気にならずに読めるようになったのが不思議です。結局、読み終えてみると、この構成で良かったのかなあと思うけれど、ひとつの物語に一気に入り込める構成ではないので、よほど本が好きな子でないと途中でいやになってしまうのではないかと・・・。また、日本の多くの若い人は、ホロコーストのことは知っていても、キューバのことは知らないと思うので、知識不足と3つの物語が混在する複雑さが加わって、読み終えることが出来ないのではないかと。そこがいちばん気にかかります。表紙は、悪くない。いいと思います。

カピバラ:3つの時代、3つの国を舞台に、3人の話が入れかわり立ちかわり出てくるのが最初は読みにくかったけれど、同時進行で進む構成は、緊迫感を出すのにとても効果的だし、描写が具体的で目に見えるように書かれているので、臨場感もありました。最初から緊迫した状況が続き、つらいことがあまりに多く読むのをやめたくなるほどだったので、これを翻訳した訳者はさぞやつらい思いだったろうと推察します。それが最後にきて、3つの物語が決して別々のものではなく、すべてがつながっているとわかり、衝撃を受けました。そこで一気に、難民問題は現在進行形であることを感じさせる、うまい構成だと思います。いろんな人が出てくるけど、ひとりひとりの小さな決断が積み重なって、大きく歴史を変えていく不思議さ。ドラマチックなおもしろさも感じました。読者は高校生以上でしょうか。日本の子どもにぜひ読んでほしいけれど読書力が必要だと思います。

さくま難しいという声もあったのですが、原書の読者対象は9歳からで、アメリカではベストセラーになっています。日本ではこのページ数があるだけで小学生向きにはなりませんよね。日本語版は読者にわかりやすくという工夫を編集部でもいろいろしてくださっています。原書には挿画もないし、柱やカットもないのですが、多くの子どもたちが読んでいるようです。中学年の子がみんな読めるとは思いませんが、高学年や中学生だったら十分読めるのかと思います。そう考えると、日本の子どもがいかに長いものを読めなくなっているのか、ということでもあるような気がしています。
私も最初に読んだ時は、次々にこれでもか、これでもか、とつらい状況が出てくるなあと思いました。セントルイス号の話に出てくる警官がキューバから脱出する話に出てくるおじいさんだということもちゃんと意識できていませんでした。それがセントルイスという名前でつながるということがわかり、ルーティとマフムードがつながるということもわかって、感動して、翻訳したいと思ったのです。難民という共通項を持った3人の物語が並列されているだけかと思ったら、そうじゃなかったんですね。固有名詞はそれぞれの地域の専門家にカタカナ表記の仕方をうかがいました。訳すときはまず最初はこのとおりの順番で訳し、見直すときはそれぞれの人物の話に沿って流れを見ていきました。難民を、どこか別のところで起こっている出来事としてではなく、自分にもう少し近い存在として日本の子どもにも意識してもらえるような本があればと考えていたので、それには長いけどこの本はいいのではないかと思ったのです。
1つの章がはらはらどきどきさせるクリフハンガーの状態で終わり、別の人物の章に変わるというのはどうなのかと思ったのですが、訳しているうちに全体を通していくつかのキーワードがあるのもわかりました。たとえばマフムードは「見えない存在」になりたいというのがp30に出てきますが、次のヨーゼフの章でも「見えない存在」になったみたいだというのが出てきたりします。あと章から章への音のつながりみたいなものも感じました。
原文を読んでいて細かいところで疑問に思ったところもありました。たとえばヨーゼフがユダヤ人であることを示す紙の腕章をつけていたというところですが、紙の腕章というのは聞いたことがなかったので、ホロコースト教育資料センターの石岡さんにうかがってみたりしました。石岡さんがドイツの専門家にきいてくださって、この時代はまだ腕章は一般的ではなかったし、紙の腕章が絶対になかったとは言えないけれど今のところ聞いたことがないと言われました。最終的に著者に問い合わせたところ、「多くの資料にあたって書いたのだが、今はほかの作品を書いているので、どの資料だったのかということは今すぐ言えない。しかるべき団体に問い合わせて疑問があるなら「紙の」という部分を取ってもかまわない」と言われました。ユニセフについても、数字がちょっと違うと思ったので、日本のユニセフに問い合わせて少し変えたりもしました。それからキューバがとても悪く書かれているところは少し気になりましたが、お父さんが逮捕されそうになっているのを子どもの視点で見ているので、そこはそのままにしました。家族の問題にしろ、家が破壊されたにしろ、社会の抑圧があったにしろ、子どもは翻弄されてしまうんだと思いました。何か疑問やおかしいところがあったら、直しますので教えてください。

西山:p47の3行目「見ててくれたといいんだけど」は、ひっかかりました。あと、p173ほか何か所かで、おぼれないように「足をける」という表現が使われていますが、私は違和感を覚えます。どういう動作かはちゃんとわかりますが。「水をける」という表現も使われているので、使い分けがされているのかとは思いますけれど。

さくま:ありがとうございます。考えてみます。

花散里:イザベルの物語の中でパピ(お父さん)、リート(おじいちゃん)というのが、最初に記されている(p21)だけだったので、その後、読み進みながら、パピは名前? リートは? と、何度か前のページをめくり返しました。セニョール・カスティージョ、セニョーラ・カスティージョというのも、ページが進むと、父親とか、お母さんの、とか記されていなくて、子どもにはわかりにくいのでは、と感じました。

さくま:なるほど。

トマト:この作品は、アメリカでは中学年以上向きに出版され、売れているんですか! 日本の子どもは、移民問題を身近に感じていないから読めないのでしょうか。

さくまテーマが何にしろ、日本では300ページ超えると出版がむずかしいと言われます。アメリカとかドイツとかだと小学校高学年向きくらいから、この本に限らず厚い本がたくさん出てるんですけどね。漢字の難しさもありますが、日本の子どもの読解力、読み取って考える力も落ちているかと思います。

トマト:母国語が英語ではない家庭が多いニューメキシコ州で、school librarianをしている友人を訪ねたときのこと。そのときはブッシュ政権だったのですが、学校が国の要請を受け、英語が苦手な子ども向けの読書指導をしていました。朝や放課後に、教師全員がそれぞれ少人数の班を受け持ち、絵本を読み合う授業なのですが、そのプロジェクトに取り組む学校には、学校図書館用にかなりの額の予算をつけてくれると言っていました。その結果、学校全体で読書指導を活発に行えるというわけです。国が、学校教育の中で、読書の授業を大切にしているという点が、日本と違うと感じました。

さくま:それと日本では国語の教科書に載っているのは短い文で、先生が独自に1冊の本を選んで生徒たちみんなで読み合うなんてことも、ふつうは出来ない。だから長い本を丸ごと読むことなしに大人になる場合もあるわけです。でも、アメリカとかドイツでは、長い本をクラスで読んで、それについて討論するということをやっていますよね。文学は正解を追い求めなくて住むので、多様な意見を受け入れることにつながっていくから、日本でもやればいいと思うんですけどね。

木の葉:「今の子どもは」、と思いすぎのような気もします。小学生でも、読む子は読むと思いたいです。思い切って手渡してみてもいいのかも。読み通せたら自信になるのではないでしょうか。

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エーデルワイス(メール参加):緊張感あふれる内容ですがとても読みやすかった。国も年代も違う3人の主人公とその家族が過酷な旅をしますが、読んでいて移動を一緒に体験しているように思えました。つらい場面が多く、どうなるかとハラハラしながら最後まで読み通しました。イラストも効果的で、多くの人に読んでほしいと思います。ドイツ兵が、ヨーゼフとルーティのどちらかを選べと母親に迫るところでは、映画「ソフィーの選択」を思い出しました。シリアからドイツに逃れたマフムードが年をとったルーティと会う場面は感動的でした。

(2020年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)