まめじか:時代の波の中で様々な制約を受けている人々が、それでもその中で自分の人生を生きるということが描かれています。主人公のウィルは自信のない子です。父親の仕事を継ぐのが当然だと周囲からは思われているけれど、その覚悟はできてないし、じゃあ何をしたいかというと、自分でもわからない。でもウィルは詩と物語が好きな子なんですよね。だから型通りの言葉を並べただけの暗唱で失敗してしまったのかな。この本に描かれているのは、権力争いの中で庶民が翻弄される、混沌とした闇の時代です。目の前で雑兵が母親の腕を切り落とすし、育てられない子どもが売られていく。そうした記憶が内にたまっていっても、こらえて吐き出さないお国に、狐は「秘めたる怒りを怒れ。心の奥底をわめけ」と言う。お国は舞い、人は芝居をし、あるいは見世物を観て、胸の内に煮えたぎる思いを吐き出すのでしょう。舞台は現実の対極にある夢の世界であり、現実を映したものでもある。「この世は舞台」というシェイクスピアの言葉にもつながりますね。実在の人物では、信長が外に開かれた精神をもち、新しい風を吹かせようとする人として描かれているのがおもしろかったです。複雑な筋の物語なので、中高生はどこまでついていけるのでしょうか。女王を愛しているがゆえに、ほかの人と結ばれるくらいなら殺してしまおうとするレスターの想いの強さ、ハムネットのぎらぎらした生命力というか、どんな状況に置かれても生きのびようとするしぶとさは、もう少し筆を足さないとピンとこないような。これだけたくさんの登場人物を、このページ数の中で掘り下げて描くのは難しいのでしょうが。女王がなぜローマ教会からにらまれているのか、その背景にある国教会とローマ教会の対立は中高生の読者にわかるでしょうか。

ハル:ローマ教会との関係はp15に説明がありましたよね。「女王の父・ヘンリー八世は彼女の母アン・ブーリンと結婚するために、妻のキャサリン王妃と離婚しようとしたが、離婚を禁じているローマ教会はそれを認めなかった。そこでヘンリー八世はローマ教会を切りすてた」。それから「ヘンリー八世は新しくイングランド国教会を設立し、国内のカトリックの教会や修道院を廃し、その財産を取りあげた」とあります。

ハリネズミ:おもしろく読んだのですが、信長像はこれでいいのかな、と思ってしまいました。信長は立派な君主のように描かれていて、エリザベスは信長に出会って王とは何かを知るということになっているんですが、実際の信長はとても残虐で評判が悪いという側面もあるようなので、ギャップがありました。ウィルの不思議なおばあさんがいろいろと話をしてくれて、妖精と遊びなさい、という部分は作者の想像だと思いますが、おもしろかったです。革手袋とエリザベス女王を結びつけるくだりもおもしろかった。最初の方はぼんやりでぼんくらなウィルが後半になると別人のようにしっかりするのは、どうなんでしょう? 登場人物が多すぎるので、もう少し整理してもいいのかな、とも思いました。トリックスター的な存在だけでも、パック、死の馬車の御者、ハムネットと複数出てきます。女王の暗殺をねらう勢力は2派あるんでしょうか。それとも司教とレスターは手を結んでいるのでしょうか? 急いで読んだせいか、そのあたりが頭の中であいまいになっています。リアリティという点では、一座の主のお豊がスペイン語が話せるのはありか?と思ってしまいました。それから、ふつうこういう物語では異世界に行っている間は時間がたたなかったりしますが、日本は異世界ではなく現実世界なので、ちょっとひっかかりました。

アンヌ:また信長かと読み始めましたが、イギリスのウィルの話になってからは、とてもおもしろくなりました。おばあさんのおまじないの方法とかパックの帽子とかの仕組みもうまく仕込まれているし、手袋の古びをつけるためにウィルを城に連れて行くとか、おもしろく話が進んで行きます。エリザベートが出て来てマンガの『ベルサイユのばら』(池田理代子/著 集英社 )のような宮廷の恋かとおもしろくなったところで、日本にワープしてしまうのは残念でした。お国については、怒りを踊りにするところとかがうまくイメージできなくて、出雲阿国へのつながりが読み解けませんでした。ただ、お国たちや河原にいる人たちがみんなで今様を謡い踊るところに『梁塵秘抄』の歌も出て来て、いつかこれを読んだ人が学校で古典を習うときに、「あれ、この歌、いつか読んだ物語の中に出てきたな」と思えたらすてきだと思いました。『平家物語』や後白河法皇との関連で知ってしまうと、白拍子が権力者のために舞い踊る歌のように思いがちですが、もともとはこんな風に大衆の中から生まれてきた歌だという事が感じられる場面です。コンフェイト(金平糖)や抹茶がこの時代のものとして出てきますが、そんな風に物語の中で無意識に味わった食べ物や古典文学に、大人になってから再び出会い、気付けたらすてきだと思います。

はこべ:アイデアがおもしろいですね。特に前半は、ささっと読んでしまいました・・・が、思いだしてみると、訳がわからない箇所が出てきて(ラベンダーの花模様の小箱は、いったいどうなったのかなとか)、まめじかさんにメールで訊いたりしました。総じて、イングランドが舞台の部分は、すらすらと物語が進んでいるし、よく調べて書いているなと思いましたが、日本に舞台を移してからの後半は、盛りだくさんの上に駆け足で書いているという感があって、不満が残りました。どうしたって日本史のほうが馴染みがあるので、しょうがないかもしれないけれど。それと、登場人物がとても多いので、最初に登場人物の紹介を書いたほうが良かったのでは? さてさて、読みおわってから、作者は何が言いたかったのかなと考えてしまいました。おもしろかったら、それでいいのよ・・・と、言われそうですけどね。わたしはアメリカの少年がタイムスリップしてシェイクスピアの劇団に入るスーザン・クーパーの『影の王』(井辻朱実/訳 偕成社)が大好きで、あの作品にはファンタジーのおもしろさだけでなく、ずっしりと心に響くものがあったと記憶しているけれど・・・。

コアラ:おもしろく読みました。歴史上の実在する人物を書いているのに、窮屈さがなくて、自由に想像をはばたかせている感じがとてもよかったと思います。エリザベス女王と織田信長を対面させるというのも、一見無理がありそうですが、なんとなく設定を受け入れて読み進めることができました。作者がうまいのだと思います。お国たちの小屋にエリザベス女王がかくまわれるというのは、さすがに無理があるとは思ったのですが、それでも読み進めることができたのは、それまで、それぞれの人物や生活がしっかり描かれていて、物語の中に入り込めていたからだと思います。信長がカッコよく描かれていますが、作者は信長が好きなんじゃないでしょうか。好きな物事を書いている、という感じがあって、好感を持って読みました。シェイクスピアにまつわる部分も楽しめたし、歴史上のことを知っていると、より楽しめると思いますが、知らなくても、不思議な体験をするファンタジーとして、おもしろく読めると思います。織田信長さえ知っていれば十分楽しめる。小学校高学年くらいからおすすめです。

エーデルワイス:私も楽しく読みました。よくも、よくもこんなに盛りだくさんの内容を、と感心しました。NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』を観ていたので、明智光秀も出てくるこの本はタイムリーでした。映画「エリザベス」やエリザベスの母アン・ブーリンの映画「1000日のアン」も思い出しました。細かいことを言えばうーんと思うこともありますが、時空を越えて日本の歴史とイギリスの歴史をドッキングさせるなんて、こういう発想はおもしろいと思います。

マリンゴ: 評価が難しい作品だと思いました。よく評価すれば、幻想的で先が読めなくて、生きる力強さと儚さが同時に感じられる物語であると言えます。ウィルが後のシェイクスピア、というのもおもしろいです。劇中劇も、あ、ロミオとジュリエットっぽい、と仕掛けがわかるのも楽しいと思いました。ただ、悪く評価すれば、バランスが悪いようにも思います。イングランドのパートはおもしろいのだけれど、織田信長の時代に移ってから読むスピードが落ちました。7年のタイムラグがあるのは、お国を登場させるためだと思いますが、そのせいで、信長がすぐに暗殺されます。王同士がわかり合うには時間が短すぎる気がしました。ウィルとお国、信長と女王の両方の巡り会いを1冊に入れて、盛りだくさんではありますが、多少無理が出ているように思いました。あと、装丁からは「洋」の香りがあまり漂ってこないので、少しもったいないかなと感じました。

さららん:とても読みやすい文章で、おもしろくて一気に読みました。エリザベス朝の詩や、日本の曲舞、古い言い回しもいろいろ出てきて、言葉の重層感を楽しみました。設定もダイナミックで、かっこいいキャラクターも出てきます。ただ伏線が複雑にからまりあい、せっかくの魅力的な登場人物(例えばエリザベス女王の女性の護衛など)が使いきれていないように思われ、盛り込みすぎの印象を受けました。エリザベス女王は自ら決断して行動する存在としてではなく、悩める人として登場します。日本に来たあと信長に強烈な印象を受け、王たるものはどうあるべきかを考えはじめるのですが、私には人物像として物足りませんでした。女王暗殺の陰謀をイギリスで企んだイエズス会のエセルレッドが、日本で女王に再会するなど、手の込んだ設定もあります。ただ、エセルレッドは物語の本筋から離れたあと、「弾圧される日本の信者とともにあれ」と禁教後も逃げつづけたといいます(p311)。浅薄な敵役のイメージだったので、そこまで書く必要があったのか、わかりませんでした。

すあま:時間の流れについては、p5が「1575年日本」、p18が「1575年イングランド」となっていて、ここは同じ時。イングランドから日本に来たときに、日本の方の時が進んでいたので、お国は年をとっていたのですが、ウィルは11歳のまま。イングランドに帰るとまた1575年だったということで、ウィルは行って帰っても年はとらなかった、ということだと思います。この著者は2010年に『けむり馬に乗って〜少年シェイクスピアの冒険』(叢文社)という本を出していて、あらすじを見るとほぼ同じだったので読み比べようと思ったのですが、この読書会には間に合いませんでした。物語については、やはりちょっと登場人物が多すぎて、それぞれの人物についての物語や描写が中途半端になっていると思いました。登場人物たちがこの後どうなるのか、続きがあってもよいような話なので、これだけでは物足りない感じがします。お国が出雲の阿国でウィルがシェイクスピア、というのは、大人はおもしろいけれど、子どもにはわからないのでは。

サークルK:すごくおもしろかったのですが、p45あたりになってようやくウィルとはウィリアム・シェイクスピアのことだったのだ、とわかりました。そこまで読み進むまでは信長の話に、エリザベス女王がどのように絡んでくるのかつかめずに、気の弱いウィルの存在をつかみかねました。たしかに信長とエリザベス女王は同時代の人なので、目の付け所はおもしろく、歴史を習い始めてそれが好きな子どもたちにはぐいぐい引っ張られる展開だと思いますが、あまりに勢いに任せて進んでいくので、読後はそのスペクタクルだけが残ってしまうのではないかと気になりました。登場人物も日英それぞれ歴史上重要な人物なので、その人たちが架空の世界でこれだけ動いてしまうと、一通りの日本史、世界史を知っている大人でさえも、頭を整理するのが大変かもしれません。ですので、表紙にもなっている「死神の馬車で女王一行が信長の城に突っ込んでいく場面」以降は史実の整合性よりもタイムスリップとかエリザベス女王はちゃんとイギリスに帰国できるのか、というところに集中して読むようになりました。革手袋を作る職人階級のウィルの祖母が、上流階級風の口調で語っているところも気になりました。けれど、エリザベス女王が、王としての風格十分で国を引っ張る女性としての描写が多かったので、読者の女の子たちへのエールになることも感じられました。

西山:前の『けむり馬に乗って』も読んでいます。かなり手を入れたとは聞いていますが、構成や登場人物は変わっていないと思います。何度読んでも、その都度読む快感を感じる作品です。いちばんに魅力を感じるのはパックですね。人間とまったく違う理屈で生きている存在が、愉快です。場面場面に演劇的なおもしろさがある気がしています。例えば、p32最終行の、母親がウィルを抱きしめて、口に干しアンズを押し込む場面など、どきりとして、映画のワンシーンのように思い浮かびます。お金をつぎこんで作った実写映画が見たいとかなり本気で思います。建物、装束、人物などなど、極上の歴史エンターテインメント映画になると思うんですよね。手袋を届けに訪れたケニルワース城でウィルたちの部屋が調えられていく様子とか、見たいシーンがたくさんあります。教科書に名前が出てくるけっこうな有名人が、続々と登場するオールスターキャスト的おもしろさもあります。それも、世界史は世界史、日本史は日本史で習うことが、クロスするのが中学生ぐらいの読者にとってもエキサイティングだと思います。絢爛豪華な名前が出てくるだけじゃなくて、ウィルの人物造形としては、父親の抑圧で自己肯定感がもてないことなど、時空を超えた普遍性があります。その点でも、子ども読者に伝わる作品だと思っています。日本に行ってからのウィルがちょっとしっかりしすぎなのは、興ざめかもしれません。最初のときは、細かな年表があったけれど、なくなったのがよかったのかどうか。表紙は断然よくなっていると思います。サブタイトルの「少年シェイクスピア」がなくなってしまったので、『王の祭り』で初めて読む人が、ウィル=シェイクスピアと気づくのに時間がかかってしまうのは、マイナスだったかもしれません。シェイクスピアと最初から知っていて読むと、あの作品の元ネタはこれ?みたいなマニアックな楽しみも出てきますので。

木の葉:改稿前の作品『けむり馬に乗って』と比べると、『王の祭り』は30ページ分ぐらい増えています。物語の大筋は変わってませんが、かなりの加筆修正を施しているようです。私はどちらも刊行直後に読んでいます。今回、読み直す時間がなかったのですが、読みやすくなったと思った記憶があります。一度出した本を別の形で出版するというのは、よほど愛着があったのでしょうね。為政者である信長とエリザベス1世、そして文化を担う者である出雲阿国とシェイクスピアを同時代人として物語に登場させるという着想を得た時、作者は夢中になったのかも、などと想像してしまいます。盛りだくさんのエピソードで、印象に残っているのは、手袋をめぐるくだりです。とはいえ、やはり読者を選ぶかな、という気もしました。歴史的なことにある程度の下地がないと、世界に入りづらいかも。信長はファンも多くラジカルな人ではあったようですが、どうしても叡山焼き討ちなどが頭に浮かんでしまいますし、為政者としての魅力を私はあまり感じていません。もともと権力者の話にあまり関心がもてないこともあり、信長とエリザベスの邂逅? それが? みたいに思ってしまう自分もいて、よく作り込まれてはいるけれど物語世界に心惹かれる、というわけではないというのが、正直なところです。

ハル:私はとってもおもしろかったです。遠い昔に生きていた人たちの物語を想像することで歴史が立体的に見えてきますし、悠久の時の流れのロマンを感じます。ロマンといえば、信長って、やっぱり作家にとっては、こうもロマンを掻き立てられる人物なんだなあと思ったり。でも、皆さんがおっしゃるような信長の残虐性については、時代性も加味しないといけないとは思います。登場人物としては「お国」がちょっと弱いかなぁと思いました。ときどきズバッと庶民代表みたいなセリフを言ったりもしますが、なんでこの子がこういうことを言うんだろうと、共感できるほどには人物に深みを感じませんでした。そのほか、物語上気になる点はいくつかありましたが、全体的にはおもしろかったです。ただ、この本を、いったい何部、誰に売ろうか、と我がこととして考えると頭が痛いというか・・・。YA世代の読者にどうしたら届くのかなぁって・・・。余計なお世話ですけど。

ルパン:この本に関しては最初に発言してしまいたかったんですけど・・・でも、みなさんのご意見を聞いてからでもやっぱり感想は変わらないです。まったくおもしろいと思いませんでした。「みんなで読む本」でなかったら40ページくらいでやめてたな。次々いろんな人を出してくるけど出しっぱなしだし、実在の人物も架空の人物もごちゃまぜで、何しに出てきたんだかわかんないのばっかりだし。エリザベス女王と信長を会わせてどうすんだ、っていう感じで。いろんな通訳が都合よく出てくるのも無理があるし。好きな子のために異世界にとどまることもないし、イギリスへの帰り方もよくわからないし。しかも主人公はシェイクスピアでしたとか、あとがきで、劇中劇は実は『ロミオとジュリエット』だったんですよ、とか、なんかもう作者がひとりで遊んでるのにつきあわされた、っていう感じで腹立っちゃって。しかたなく最後まで読みながら、「あ、そうか、この作品にはきっと続きがあるんだな?! 第2巻で、この三つ子とか〈ばばちゃん〉とかが出てきて活躍するわけね」って思ったんだけど、これで終わってるし。みなさん「おもしろかった」とおっしゃっているので、なんか水族館の回遊水槽のなかで1匹だけ反対向きに泳いでるイワシみたいで申し訳ないですが、はっきり言ってつまんなかったです。ゴメンナサイ。

ネズミ:非常に意欲的な作品だと思いました。私はファンタジーが得意ではなく、途中で頭がこんがらかりそうになりましたが。イギリスの場面と日本の場面とで、イギリスの場面のほうはウィルの気持ちにそって読んでいけるのですが、日本は、お国がそれほど前面に出てこなくて、群像劇のような感じがしました。それだからか、場面によってテンポに乗りづらく、読みにくく感じるところもありました。1箇所だけ気になったのは、p11の「青い目の伴天連」という言葉。伴天連はポルトガル人かスペイン人かではないかと思うので、だとすると、目の色は茶色や黒だったのではないかと。裏をとっていないので、間違っていたらごめんなさい。

花散里:とてもおもしろく読みました。先程、YA世代はどう読むかと言われていましたが、小学校上級くらいで読めるように書かれていると思います。ウィルと妖精パックが物語の中心であり、ファンタジーとして読んだときのおもしろさが非常にあり、日本児童文学の中でもとても良く書かれている作品だと思いました。物語はシェイクスピアがウィルと呼ばれていた少年時代にパックと出会い、エリザベス女王の暗殺事件に巻き込まれ、女王を助けよう馬車に乗り込んで、時空を超えて降り立った所が日本の都であり、少女の頃の出雲のお国と出会うというストーリーは壮大な歴史ファンタジーだと思います。エリザベス女王と信長、イギリスと日本の戦国時代を結ぶ物語は、ペスト菌や手袋の挿話などを盛り込み、庶民と権力者の生活を対比させて世相を描き、飽きさせない趣向が随所に感じられるなど、題材が独創的であると思います。参考文献が多く挙げられ、物語の時代背景について充分に調べてうえで丁寧に物語が描かれたことが伺われます。日本の児童文学としては稀にみるスケールの大きなファンタジーとして高く評価できると思いました。子どもたちに向けて書かれた「あとがき」からも、子どもたちがそこから歴史や文学に関心を広げていくように書かれていると思いました。佐竹美保さんの挿絵で新しく刊行されたことにはとても意味があると感じました。

カピバラ:おもしろいことを考えたよ~という本だなと思いました。いろいろとつっこみどころはあるんですけど、信長も、出雲のお国も、エリザベス1世も、シェイクスピアも、真偽のはっきりしない逸話が多い人たちなので、どんなふうに料理しようとも自由だ、というところがあるのだと思います。そしてこの4人が同時代に生きた人物だというところに目をつけたのがおもしろいと思います。『江戸でピアノを〜バロックの家康からロマン派の慶喜まで』(岳本恭治/著 未知谷)というおもしろい本があって、私は時々開いてみるんですが、上の段に徳川15代将軍が順番に紹介されていて、下の段には同じ時代のヨーロッパの音楽家のことが書かれているんです。綱吉とバッハ、家重とモーツアルトといった具合にね。日本とヨーロッパで同じ時代に生きていた人たちということで、『王の祭り』もこれと同じ発想ですよね。この物語の時代にはグローバル化なんて概念は当然ないわけですが、今の子どもたちは今この地球上で世界にどんなことが起こっているかを知って、地球はひとつという意識をもっていかなければならないので、この本のような視点をもつことは大切だと思います。実在の人物が登場する物語ということで、歴史に興味をもつきっかけになるといいなと思います。

さららん:最後にレスター伯爵が、女王に箱に入った手紙をさしだします。前にレスターからの箱を開いて森に入っていく場面があったけれど、これは別の手紙なんですね?

カピバラ:細かいことを気にしないで楽しめばいい本なんじゃないかな。

(2021年03月のオンラインによる「子どもの本で言いたい放題」より)