月: 2012年2月

久美沙織『ブルー』

ブルー

レン:どう読んだらいいのか、戸惑いながら読み進めました。まず、冒頭のお母さんのとりみだしようが理解できないし、そのあと偶然出会ったおばさんと1日すごすのですが、この2人が接近するきっかけが読みとれずリアリティが感じられませんでした。どこか読み落としているのかと、何度も前に戻ったのですが結局わかりませんでした。中学生くらいの子は、こういった文体で書かれていると読みやすいと感じるのでしょうか。分類としてはエンターテインメントだと思いますが、これでよいのかと、疑問が残りました。

タビラコ:さっぱり分からない作品でした。青木湖に行くあたりから、ミステリーになるのかな?それともファンタジー?と期待しながら頑張って読んだのですが……。あとがきで、作者がなぜこの作品を書いたのか知り、単に作者の思い入れにつきあわされたのかと、がっかりしました。作家が物語を書く動機はいろいろあると思うのですが、それが作品として完成されていなければ、読者は読んで損しちゃったな!と思うだけ。けっきょく、ふたりのおしゃべりを聞かされただけで、物語が動いていっていない。安室奈美恵とか、現実の固有名詞がいろいろ出てくるところも、読者に媚びているような感じがしました。

トム:いま起きていることをぽつぽつとちりばめた短いラジオドラマを聞いているような感じがしました。読み終えて、もう1度会いたいと思う人が、この物語の中にはいなかったんです。やはりこのお母さんは苦手です。全体にどうしてこういう人のつながりになるのかわからないまま終わってしまいました。

紙魚:一人称というのは難しいですね。この作品は、地の文でも、カギ括弧内の会話文でも、つねに主人公が思いのたけをつぶやいていて、読みづらかったです。情景描写や状況描写が、極端に少なく、つねに登場人物が心のうちを語っているので、読み手としては、どんな気持ちでいるのだろうと想像しながら読むことができないんです。だから、最後まで、感情移入をすることなく、読み終えてしまいました。だからなのか、物語も、ポイントごとに進んでいくものの、登場人物たちといっしょに歩いたという気がしないんです。そのつもりになるからこその物語のおもしろさが、味わえませんでした。もしかしたら、思春期のある時期の人が読んだら、ぴったりとはまるのかもしれません。

きゃべつ:作者がまだ作品との適切な距離を見いだせていない作品だなと思いました。あとがきにもありますが、これは作者の身の回りに起きた事件を元にしているのですね。若くして事故で亡くなった体育の先生。そのひとは、どんな思いをかかえていたのか。それが、この物語のなかで追われている謎だと思うのですが、実際のモデルがいるからか、遠慮があって描けていないと思いました。キャラクターの造形にも、疑問があります。それぞれが与えられた一面しか演じず、深みがないからです。母親は悪い人、おぐらさんはいい人、父親もいい人、というように。父親というのは、いまだ経済的支柱としての性格を持っていると思いますが、この家庭では父親が父親としての役割を果たしておらず、その分を母親が負っています。父親は、亡くなってしまったことも大きいでしょうが、父親でないことで、主人公にとっての理想像となっているのだと思いました。私はまだ駆け出しの編集者ですが、読者にきちんと思いが伝わるように、作家と作品との距離を考えていきたいと思いました。

シア:とっても苦手なタイプの本です。帯などに「爽やかな物語」などというフレーズが書いてある場合は、危険信号です。すーっと読めてそのまま終わるというのが大抵なんです。文章も一人称というよりも単なる日記で、『まいったな〜』などと書き出す辺りでいい加減にしろと思いました。一生懸命中学生の視点で書こうとしているところが既に駄目です。かえって薄っぺらく感じます。狙って外しているので、もっと許せません。ギャグも寒いです。現在の芸能人の名前など、リアルな単語が出てくるのも苦手です。ライブ感が出るかもしれませんが、すぐに消費されていく作品ということを作者が分かってやっているということですよね。こういうのは嫌ですね。この作品は、何故か私の嫌なところを全て押さえてしまっています。分かりやすさだけでどんどんどんどん話を進めていく、中身のない麩菓子のような日本の作品って感じです。実際に起きた青木湖のバス事故を題材にしたので、関係者に迷惑がかからないようにと作中では湖の名前を「蒼木湖」にしたそうですが、全然変わってないですよね。丸わかりです。あとがきに「死は多く描かれているけれど、再生の物語です」というようなことが書かれてましたが、再生しているのは作者本人だけじゃないですか。こっちから感じるものもないですし、イライラしました。奥付の作家紹介も、こんな褒めてる紹介あったかなと思うような文章で、これはどうなのかと。この本ではここが一番おもしろかったですね。中高生で本を読みたくない人が、仕方なしにさらっと読むにはいいかもしれません。子どものための子どもの作品という感じです。

プルメリア:展開がよくわからず読みにくかったです。普通図書館で初めて出会った知らない人についていくのかな?と違和感があります。初めての食事の場面、デザートをやたらとすすめすぎエスプレッソのダブルもなぜか気になりました。お父さんのことを回想しながら、自分の生活を見直し前向きに歩いていこうという形で受け止めればいいのかも。事実を作品に取り入れることはすばらしい試みで、そこは新鮮だと思います。

ハリネズミ:今回読む時間がなかなか取れなかったので、薄いという理由で、これを最初に読みました。でも他の2冊を読んだ後に思いだそうとしたら思い出せないほど、印象の薄い本でした。見直しているうちにストーリーは思い出したのですが、まず私は、この不審なおばさんに主人公がついていってしまうのが疑問でした。ついていく何らかの魅力があるように書いてあるなら別ですが、何も書かれてない。私は作品世界のリアリティがないと嫌なほうなので、そこからもうあり得ないと思って印象が悪くなってしまいました。主人公の悩みにも入っていけないので、どうでもいいおしゃべりを聞かされているような気分になってしまったんです。本を読まない子どもには入りやすいという声もあるかと思いますが、本を読まない子だって、作品の中になんらかの真実が描かれていないと心の栄養にはならない。暇つぶしのエンタメならほかのメディアのほうが強いですからね。人間についてなり世界についてなりをもう少し考えたうえで、うまく若い人に伝わるように書いてほしいな。人物もすべて一面的で、ミムスのような魅力もない。作者が自分の心の救済をしているだけなのではないかと思ってしまいました。今回の選書担当者は今日来ていませんが、いいと思った理由を聞いてみれば、また違う見方もできるかもしれませんけどね。どんな本でもいいと思う人もいればよくないと思う人もいるので。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


E. ネズビット『鉄道きょうだい』

鉄道きょうだい

シア:振り返ってみると、すごく納得のいく作品でした。優しい語り口で安心して読めますし、実際読みやすかったですね。昔ながらのご都合主義的展開は面白さには欠けますが、安定はしていました。教師や親なら喜んで子どもに与えそうな一冊です。題名がもっさりしていて装丁もあかぬけないところなど、まさに小学校中〜高学年くらいの課題図書になりそうです。台詞のレトロさに思わず笑ってしまうところもありましたが。本の中にナレーターがおり、「そうですよね」「いいですよね」という風に読者に語りかけてくるのが、古すぎて逆に斬新だと感じました。おもしろさに欠けるとは言いましたが、古い作品だけあって最後まで読ませる力はあります。挿絵が可愛く、とくに服装がアンティークで素敵なので、女の子に良いかもしれないですね。ただ、厚みのわりにやけに重量のある本なので、岩波少年文庫にしてくれたら中1くらいでも読みやすいかも。

関サバ子:期待せずに読み始めましたが、子どもたちの魅力で、あれよあれよという感じで読み進むことができました。登場人物がいい人ばかりで、最初はちょっと「なんだかなぁ」と感じました。でも、読み進むにつれて、おとながちゃんとおとなとして機能している姿というのは、やはり見ていて気持ちがいいと思い直しました。己もかくありたいものです。子どももちゃんと子どもとして生きているといいますか、こまっしゃくれ具合と、健気なところが魅力的でした。子どもも3人いると小さな社会ができる、という話を思い出します。この時代にしては、母子家庭(であり、投獄された身内のいる家族でもある)への風当たりがほとんどないのには、驚きました。著者が社会運動家であったことも関係しているのでしょうか。
 著者がときどき顔を出すときの出し方や、ウィットのきいた会話には、イギリスらしさを感じました。辛口なユーモアと言いますか……。変な甘さがないところや、わかりやすい善悪をやたら振りかざさないところも、好ましく思いました。しかし、この舞台や人々の美しさは、今読むと、文化財やファンタジーのように見えますね。

きゃべつ:装丁からして、古き良き時代の話だと伝わってきますが、はじめに覚悟していたよりは、ずっとおもしろかったです。子どもが自分で手に取るというよりは、図書館などに置いてあって、大人が安心して子どもにすすめられる本、という印象でした。道徳的なので、素直にこの本を読めるのは小学校中学年くらいまでかな、という印象ですが、それにしてはかなりの厚みがあるので、読者対象が難しい本かなと思いました。

紙魚:三人称ならではの安定した心地よさがありました。ただ、昔の作品だけあって、語り手である作者がしょっちゅう顔をのぞかせます。やや前に出過ぎかなとも思いましたが、そのおせっかいもユーモアがあるので許せました。p59の、主人公の子どもたちが汽車に名前をつけるところで、小さな感動を味わいました。なにか大切なものに名前をつけたときに、物語がはじまるのだと思います。難しい漢字もなく、漢字もわりあいひらいているので、小学中級の子どもたちにも十分に読めるとは思うものの、分量がかなりあるので、読者対象が見えにくい本です。そうそう、作者のおせっかいぶりといえば、読み手に、この家族は今、父親が不在であることを忘れずにいさせてくれるような描写が時折、入ります。今の作者は、自分の存在を消しながら書き進めますが、こうしたおせっかいぶりは、新鮮にも感じました。

レジーナ:この作品では、3人の子どもたちが、ペチコートを振って事故を防いだり、怪我をしてトンネルの中で倒れていた少年を助けたり、さまざまな事件が次々に起きます。しかし散漫な印象を受けないのは、それらが全て「鉄道」をめぐる人々と結びつき、最後の結末につながっていくからですね。出来事やエピソードを巧みにつなげて、いわば線路が駅へと続くように、子どもたちの成長という大きなテーマに読者を導く作品です。温かな翻訳で、人間らしい登場人物がいきいきと動き出すようでした。女性作家が描く男の子は、不自然になることもあるのですが、『よい子同盟』しかり、ネズビットは、男の子の描き方が、上手な作家ですね。そんな気はなかったのに、何故だか時として、嫌な態度をとってしまう心の動きや、子供らしさがよく描かれていました。背表紙の赤が、目をひくようで、少し気になりました。

トム:『ミムス』に比べると、自分と物語との距離が遠いというか、傍観者的に読んでしまったかもしれないな・・・この時代のイギリス社会を背景にした物語を今の子どもたちはどう感じるのでしょう? ある日突然大人の都合で、日常が変えられてしまう子どもは少なくないと思うけれど、そのあたらしい環境を生きる3人の子どもたちの逞しさ無邪気さが光っています。一番好きなところは、パークスさんのプライドの章。プライドを傷つけられ(?)素直になれないパークスさんにどうなることかと気を揉むなか、ボビーがプレゼントを贈る贈り主の様子や気持ちを記したメモを読んでいくと、村に暮らす人の人となりも浮かぶと同時に、どんどんその場の空気が変化してゆくのが手にとるように伝わって、気持ちが温められてゆく。プライドとは厄介なものですね! 贈り物は、プレゼントする側がまず幸せになって、贈られる側は、時と場合によっては複雑な気持ちになる。でも何よりパークスさんの生き方や心根が伝わってきます。結びの章で、罪が晴れてお父さんの帰還してくる場面は、ややあっけなかったですけど・・・

タビラコ:児童文学史で良く出てくる本なのに、いままで読んでいませんでした。読めて良かったなというのが、率直な感想です。出てくる人たちがみんないい人で、安心して読める本ですね。複雑な子どもの心の動きを丁寧に書いてある点もさすがだと思いました。花の名前なども、ただ野の花と書かずに丁寧に種類を書いてありますね。昔の作家は、こんな風に書いていたんだなあと思いました。坪田譲二の「風の中の子ども」や「お化けの世界」は同じような設定なのですが、子どもたちの不安や怖れが、もっとくっきりと描かれています。子どものときに読んでとても印象的だったのですが、果たして児童文学かな?という感じがしないでもない。子どもが安心して、楽しんで読めるのは、ネズビットのほうでしょうね。同じ設定でも、いまの作家は絶対にこういうハッピーな物語は書けないと思いますけどね。

レン:冤罪で牢屋に入っている父親と気丈に留守をささえる自立した母親と子どもたちという構図に、この作品の書かれた時代を感じました。うまさは感じましたが、今出版することが、今の子どもにとってどういう意味があるのだろうと考えてしまう作品でした。「これを知ったら親は起こるだろうな」と思いながらも、子どもたちが冒険をしていく、さまざまなエピソードはワクワクしてとてもおもしろいのですが。手渡すなら、やはり読書慣れした子どもでしょうか。めったに本を読まない子に、何かすすめようというときに選ぶ1冊ではないなと。

ハリネズミ:同じ作品が前は『若草の祈り』という題で出ていたので、この作品を読んだのは今度で3度目です。前はあんまりおもしろいと思わなかったんですけど、今回読み直していろいろな意味でおもしろかったです。特に感慨深い点が二つありました。一つは、後書きに中村妙子さんが「最晩年の翻訳にこの本を選んだ」と書いていらっしゃる点ですね。そうか、中村さんはこういう価値観をもった作品を子どもに伝えたいんだなと感じ入りました。ちょっと古いですけど、今は失われてしまった人間関係がこの作品にはありますからね。大人がしっかりしていて、子どもを守ることができる時代の物語ですが、子どもはその守られた世界の中で思う存分心をはばたかせることができたんですね。もう一点はp204でボビーが「こっちが仲よくなりたいと思ってることがわかりさえすれば、世界じゅうのひとが仲よくしてくれるんじゃないかしら」と言っている場面です。この時代はまだ、そう思うことも可能だったんでしょうね。
ネズビットは多作な人ですから、書き飛ばしているところもあると思うし、「9時15分のおじいさん」がトンネルの中で助けた学生の実の祖父だったなんて、あまりにもご都合主義的な筋運びだと思いますが、でも、子どもたちのやりとりは生き生きとしているし、汽車が目の前を通り過ぎていくときの描写には臨場感がありますね。うまい。やっぱり今の児童文学とは味わいが違うので、中村さんは翻訳を新たにして出したかったんですね。でも、今の子どもにはどうなんでしょう? 図書館では借りる順番がなかなか回ってこなかったんですけど、借りてるのは児童文学好きの大人かな?

プルメリア:田舎に引っ越してきて自然に触れる楽しさをみつけていくところや、知り合いのパークスさんのお誕生日プレゼントをするためにいろいろな人に呼び掛け一生懸命頑張っているところが、ほのぼのとしていてほほえましいです。汽車の大事故を防いだ後「さくらんぼをつむのを忘れちゃった」とぽっつりつぶやく長女ボビーの子どもらしい面に好感をもち、トンネルで見つけた気を失っている少年にバドミントンの羽を燃やして起こす場面なども、子どもらしくて笑っちゃいました。最近の子どもにはない、ちょっとしたことでのほんわかした幸せがある。自分たちで幸せを作っていくというのが良い部分かな。字が細かくて長編でも、最後まで読ませる良い作品だと思いました。表紙の絵のピーターはちょっと痩せていて末っ子に見え、え?って感じがしました。今回良い作品に出会えて良かったです。子どもたちは厚さがあり重い本は、自分からは手に取らずいやがります。本づくりとして難しいが、古いテイストは、子どもにとってかえって新鮮なのでは。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


リリ・タール『ミムス』

ミムス〜宮廷道化師

タビラコ:途中までしか読んでいないのですが、とてもおもしろかった。家へ帰ってから、絶対に続きを読みます。虐げられていながら、ある意味で宮廷の誰よりも自由であるという道化師の存在そのものが魅力的ですね。ただ、ひとつ不満をいうと、登場人物が多くて名前が分かりにくいのに、登場人物紹介がなかったこと。途中で「誰だっけ?」と何度も前のほうを読みなおさなければならなかったので……。

トム:物語の始まりでたくさんの人物・王国・関係性に混乱してきたので、新しく人が登場したら、ページに付箋添付作戦で行きつ戻りつして、やっとクリア! 物語の舞台になる城や森などの地図が本のどこかにあったらいいのに! べリンガー城の内部などもふくめ自分で想像して描く楽しさを残しておくということもあるけれど...あれこれ考えていると芝居にしたこの物語も観てみたいと思いました。皆から慕われるモンフィール王フィリップのなかにもひそむ弱さ、敵意に満ち残酷極まりない王テオドではあるけれど家族にみせる情、父を救おうと行動するフロリーン王子の、どこかに残る頼りなさ。みな人間くさくて惹かれます。たとえば、フロリーン王子がモンフィール王解放作戦を練るヴィクトル伯爵から同志の名をほんとうに知りたいかと聞かれ、一度は「はい」と答えたものの、すぐに首をふって打ち消し「焼きごてを見ただけで、ぼくは名前をぜんぶ吐いてしまうでしょうから」と断る場面や、拷問のすえ地下牢に閉じ込められたフィリップ王が、王冠とひきかえに明かりと空気と命を恵んでやるといわれて「ここにこれほど長くいると、真実よりもそうした嘘を信じた方がどんなに気が楽か、と思えてくるのだ」という場面などに出会うと、弱さを知ることの方がずっと強い気がしてきます。
道化の存在は深くてつかみきれないですね。「存在が無だってことよ」「神様のものでもねえし、悪魔のものでもねえ」と言うミムスは、謎めいておもしろい! この物語の鍵をにぎっています。

さきいか:すごくおもしろかったです。p534の「邪悪な〜」の所からの2ページはお触れなのか手紙なのか、文書ならこういうところに絵があっても良いかなと思いました。あとは、ミムスとフロリーンの友情、ミムスとヴィンランド王の友情、フロリーンとラドボドの友情、フロリーンとベンツォの友情や絆が描かれているところが良いと思いました。そういったところが辛い環境でも救いになっていて物語の後味を悪くさせないようにしているのかなと思いました。マイスター・アントニウスもちゃんと人間らしい心があって、フロリーンに同情してくれているところもじーんときました。社会人としてはだめな行動なのでしょうが。あと、フロリーンは底辺を少し知ったので、良い王になるんじゃないかなとこれからが楽しみで、今後のストーリーも見たいなと感じました。

紙魚:ドイツの児童文学だったので、もしや思索的で難解なものなのかなと一瞬思ったのですが、読みはじめるととてもおもしろく、エンターテイメント性がありました。とはいっても、やはりドイツの物語。善悪、貧富、愛憎と、相反するもののあいだにうまく主人公を立たせて、考えさせられるところも大いにあります。物語全体をひっぱっていくのは、ミムスの存在。この作者は、きっとミムスという人物を書きたくて、この物語を書いたのでしょう。とくに、ミムスの発言や歌は、毒のあるユーモアにあふれていて、ときにはほっこりしたり、ときにはどきっとしたり、楽しませてもらいました。訳者の方も、原文で韻が踏まれているところなど、歌の訳については、きっとご苦労されたのではないでしょうか。王子がこんなにかんたんに誘拐されるかについては、ちょっと疑問に感じました。この物語は、宮廷のなかについてはリアルに書き込まれていますが、宮廷外の描写はさらっとしていて、隙間があるように感じました。

きゃべつ:語り口は昔話のようで、ドイツの児童文学によくあるように、堅実にらせん状に話が進むのかと思ったけれど、ミムスに出会ってからは、物語も急に生き生きと動きだしておもしろかったです。ミムスのキャラクターが人を惹きつけ、物語のテンポを作っているのだと思いました。この本はあらすじだけを聞くと、とても残酷な話だけれど、それぞれの人物に宿る良心もきちんと描かれていて、それが救いとなっているのだと思います。

関サバ子:分厚い西洋ファンタジーは読まないので、ふだんは絶対に手に取らない本でした。が、読み始めると最初からぐいぐい引きこまれ、寝る間も惜しんで読み切ってしまいました。おもしろかったです! 主役はフロリーンですが、存在感ではミムスが上ですね。宮廷道化師は、王様に見世物小屋の動物のように囲われているのに、王様をからかっても(といっても、高度な笑いと知性、反射神経が要求されますが)首をはねられない唯一の存在であるというのが、すごく興味深かったです。また、「非人間的な扱い=悪」というステレオタイプに陥らず、ミムスはミムスなりの矜持がある、というところは、考えさせられました。フロリーンが空腹にあえぎ、鞭打ちを受けるところは、真に迫るものがありました。こんなふうに、思わず目を覆いたくなる残酷さも逃げずに書いているところは、わたしは好きです。最後まで甘ちゃんらしさが抜けないフロリーンには、歯噛みしたくなる思いもありましたが、それをしのぐ生命力がとても魅力的でした。
骨格は典型的な貴種流離譚だと思いますが、フロリーンの成長を、ミムスが直接父親のように促すというより、あたかも触媒のように促している距離感がよかったです。最後、城が破壊されて国が制圧されているのに、形勢逆転できたのは、不自然な感じを受けました。

レン:途中までしか読めませんでした。西洋の伝統にのっとって物語が進んでいきますが、日本の読者は西洋的なものには受容度が高いことを改めて痛感しました。道化は、馬鹿なふりをしながら、本当は自分のほうが相手を見下すといった複雑さを持っているので、その重層性がおもしろみになっていますね。

ハリネズミ:よくできた物語だと思いました。表紙がチビミムスと老ミムスの違いをよく表していますね。ちびミムス(フロリーン)のほうは、まだ子どもだし育ちもいいので、まっすぐで単純な顔をしている。逆に老ミムスのほうは、知恵も悪知恵も身につけて、多面的で一筋縄ではいかない、いかにもトリックスター的な姿をしている。対照的な存在だということが、表紙からもわかるように描かれているんですね。老ミムスは、どっちに転ぶかも、誰をだますかもわからない。だからこそ、おもしろい。ハッピーエンドは児童文学の限界か、という話が出ましたが、怨みの連鎖を断ち切るというのは、現在の世界状況を見渡している著者の願いなのだと思いました。理想を提示するのは児童文学の一つのかたちで、限界というのとはまた違うように思います。あまりにもとってつけたようなハッピーエンドだとまずいですけど。訳は少し引っかかるところがありました。フロリーンが師匠であり年もずっと上のミムスを「きみ」と呼んでいるのがいちばん気になりました。「ご紳士」「ご勘定」っていうのも変では?

シア:装丁も設定も良さそうで、期待していた一冊です。しかし、本の分厚さに少し気後れして、3冊目として読みました。読んでみて、映画になりそうな、おもしろい物語だと思いましたが、Y.A.としてみると残酷な描写が多すぎるような気もしました。4章からずっと飢えと寒さと辛い展開で、重い話が長いかなと。キャラクターの数は多かったですが、一人一人キャラが立っていて、読んでいてわかりづらいということはなかったですね。
とてもおもしろかったのですが、実は3冊中一番納得がいかない作品でもありました。とくにエピローグが蛇足だったかなと。ミムスをすぐに自国へ連れて行かなかったヴィンドール側の行動が腑に落ちません。ミムスのテオド王への微妙な忠誠心の理由や、チビミムスのアリックス姫への恋心も、姫が綺麗だから惹かれているように思えるところもあり、もっと掘り下げてほしかったですね。アリックス姫がチビミムスにある程度の情けをかけてくれたとはいえ、無知で高飛車なお姫様という印象の方が強かったです。それにこんな扱いを受けているのだから、王同士の確執がもっと根深いものでも良かったような気もしますし。このラストでは、殺されたたくさんの重臣たちが浮かばれません。自国も滅茶苦茶です。せめてテオド王の首くらいもらわないと、釣り合いが取れません。それに、ミムスは結局何をしたかったんでしょう? 何を目指して自分がどうしたいのか、あまり見えてきませんでした。
Y.A.にしてはダークですし、大人向けとしては無理に大団円に持ち込むようなシビアさに欠けているところもあり、本当におもしろかったのですがそれだけに望みが高くなりすぎて、納得のいかない点が多い作品でもありました。ところで、作者のことを調べたら素晴らしい人でした。児童文学であっても、時代背景をかなり調べて書いたことが分かりました。

ルパン:おもしろかったです。最初は悲惨ですごく読むのがつらかったのですが、読み進めるほどにだんだんミムスの魅力が分かってきました。映画『E.T.』のように外面の醜さを内面の魅力が補って、さいごはすっかり愛着がわいてきました。復讐の連鎖をミムスの一言で止めたところが凄いなと感じました。王の命を救ったミムスへの褒美は毛布一枚とありましたが、本当はもっと丁重に扱われたんだと思いたいです。気の強いお姫様がチビミムスを好きなことは随所に感じられました。私は、このお姫様、なかなか好きです。ストーリーにもひとひねりあってよいと思いました。つっこみどころが何か所もありましたが、とても良い作品です。

プルメリア:とってもおもしろかったです。長文ですが話が進むのはゆっくり、だけどすごくひきこまれる内容です。とてもていねいに書かれていると思います。ミムス2人は名前がマスターミムスとチビミムスに分かれていて子どもは好きそう。戦う敵もそれぞれ理由があり納得、終わり方もハッピィエンドすごく良かったです。さるのピラミットには驚きました。いろいろな技がいっぱいでてくるけど、教え込むのは大変だろうなと思いました。最後に、「たくさんの鈴がついた服を着た王冠をかぶった若い男。頭からはロバの耳が生えている」という、フロリーンが作ったモンフィール王位継承者の印章が心に残り印象的です。ページ数は多く分厚い本ですが、本を手に取ると見た目よりも軽く表紙の絵も良かったです。小学6年生の男の子が一人読んでいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


2012年02月 テーマ:父親の不在

 

日付 2012年02月23日
参加者 タビラコ、トム、さきいか、紙魚、きゃべつ、関サバ子、レン、ハリネズミ、シア、ルパン、プルメリア、ジレーナ
テーマ 父親の不在

読んだ本:

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