月: 2017年10月

2017年10月 テーマ:ふたつの世界

日付 2017年10月27日
参加者 アンヌ、西山、ハリネズミ、ネズミ、よもぎ、ルパン、レジーナ、(エーデルワイス、さららん、しじみ71個分)
テーマ ふたつの世界

読んだ本:

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ニール・シャスタマン『僕には世界がふたつある』

僕には世界がふたつある

ハリネズミ:読み始めたはいいのですが、どこまでいっても入っていけなくて、どうしようかと思いました。病を持った人が見ている世界が描かれているんだと思いますが、苦しいんだろうなあとは思っても、長い作品なのでえんえんと不可解だったりして、楽しい部分がない。それに原書はYAですが、日本語版は大人向けに出ていますね。よほど本好きな子でないと読むのが難しいのではないでしょうか。それにこれを読んだから、統合失調症のことがすべてわかるわけでもないし。物語ではなくレインの『引き裂かれた自己』(ちくま学芸文庫)を読んだほうがまだわかる。こういう本は、だれが読むのかな?と、思ってしまいました。

ネズミ:読むのがつらい物語でした。正直、途中ななめ読みした部分もありました。こういう世界がある、ということを知らせるという意義は感じますが、多くの読者の共感を呼ぶのは難しいだろうと思いました。言葉遊びの部分は、日本語だと音も意味もつながらずおもしろくありませんが、原文だとおもしろいのかな。

西山:いやぁ・・・・・めくりはしました。でも、船の世界の方はほんとに、斜め読みで、一応めくっただけです。この作品が、だれかの救いになるのかなぁ。不安定な精神状態で読んだら、病を深くしないかしらと思ったり・・・・・・。うーん、しんどかったとしか言えません。

レジーナ:数年前、3分の2くらいまでは原書で読んだのですが、それも読みにくかったです。いろんなテーマの本があって、いろんな子どもが生きやすくなるといいな、とは思いますけど。看板など目に映るものが、そんなことあるわけないのに、なにか重要なメッセージを送っているように思えて、その指示に従わざるをえなくなるなど、主人公の心の描写にはリアリティがあります。でも、心を病んだ人の目から見た世界を、そうでない人が入っていけるように描くのは、なかなか難しいですね。夜の病室で、キャリーと僕が抱きあう場面がありますが、そんなことは本当にできるものなんでしょうか。

西山:『レイン~雨を抱きしめて』(アン・M・マーティン作 西本かおる訳 小峰書店)は、主人公の女の子のことがいとしくなったけど、これが子どもに読まれても異様なものとしか思われないんじゃないかと思ってしまった。

レジーナ:『レイン』は、1章まるごと同音異義語について書いてあるのを日本語版では省いたり、パニックをおこした主人公が同音異義語をさけぶ場面ではそれを数字に変えたり、訳も編集も工夫しています。

よもぎ:たしかに妄想の場面などわかりにくいのは当たり前だと思うのですが、間に挟まれている現実の場面とのギャップが痛ましくて、最後まで突きはなさずに、きちんと読まなければという気持ちになりました。仲の良い友だちと一緒にやっていたことができなくなる、友だちが後ずさりして自分の家のドアから出て行く……本当に深淵に突きおとされたような気持ちになるのではと思いました。古い作品ですが、乙骨淑子作『十三歳の夏』の15章に、主人公の13歳の利恵がたまたま精神疾患のある青年と電車で乗りあわせる場面があるんです。怯えたように大声で泣く青年を、隣にいる年老いた母親がおだやかな口調でなだめている。青年が泣いている理由など、ほかの人たちには理解できないものなのでしょうが、母親はその悲しみに寄りそっている。その母親の姿に、主人公は心を打たれるのです。作者が亡くなったあとのことですが、知的障害の娘さんを持つ方が、この箇所を読んだことで乙骨淑子の大ファンになったと聞いたことがあります。ニール・シャスタマンも、乙骨淑子と同じ姿勢で精神疾患のある息子や、おなじ病を持つ若い人たちに向かいあっているのではと思いました。最後に船長から船に乗れといわれた主人公が「もう乗らない」とか「絶対にいやだ」ではなく、「今日は行かない」といったところがリアルで、なかなか良かった!

アンヌ:半分くらい読んで、これはファンタジーではなくて悪夢だぞと気づき読めなくなりました。統合失調症について知らないからだろうと思って、精神科医の著作等を読み、改めて読み進めたのですが、現実世界と著者が深淵と呼んでいる別世界との関連がわかりませんでした。病院での主人公の行動も、例えばなぜ薬を飲まなかったのか等も、医者側からのアプローチが書かれていないので読み解くことができないままでした。読んでよかったと思えるのは、精神の病というものを普通の病気と同じように見ていく視点が与えられたことです。

西山:よかったところもありましたよ。「98あったはずの未来」の「こうなれたかもしれないのに」のほうが「こうなるはずだったのに」よりずっといいから。死んだ子どもは偶像化されるけど、精神を病んだ子どもはカーペットの下に隠される」(p194)、これは胸に刺さりました。

ルパン:何がどうなっているのか、わからないまま読みました。精神を病んでいる人にとってはこう見えるのか、ということがおぼろげながらわかったような気がしますが…。今回の課題でなかったらきっとすぐに投げ出していたと思うのですが、がんばって最後まで読んだら、空色のパズルピースの場面がぐっときました。精神を病んだ人の気持ちを知るにはいいのかもしれないけど、これは児童書なのか、考えるとかなり議論の余地があるかと思います。子どもに読ませたいかと聞かれたらノーです。そもそも、どこの、なんの話か、イメージがまったくわかない。「カラスの巣」というのがマストの上のバーの名前であることなど、しばらく読まないとわからないし、空間としての理不尽さも、スヌーピーの家のようなワクワク感がなく、ただ理解不能のフラストレーションがたまるだけ。船も白いキッチンもそれがどういう場所であって何を表しているのか最後までわからない。ただ、最後まで読むと、精神疾患の人に世界がどう見えているか、そして現実の友人には精神を病んだ友達がどう見えるのかということが書いてあって、主人公が妄想と現実の間を行ったり来たりしているということがわかります。心の病を持つ人に共感はできなくても、これを読むことで、少しでも理解しようという気持ちにはなれると思います。いずれにしても、読み終わったときは、どっと疲れました。再読したらもっとよくわかるのかもしれないけれど、これを2度読む元気はないかな…。

さららん(メール参加):ここまで深く、精神疾患を持つ少年の心の世界に入った作品は読んだことがありません。海賊船のエピソードも、主人公ケイダンにしてみれば、エピソードでもなく、夢でもなく、現実そのものなのでしょう。深い海溝にもぐりこみ、浮き上がってくるまでをケイダンと共にし、意味がわからない部分もたくさんあるのですが、ページを繰る手が止まりませんでした。病院、海賊船の航海、白いプラスチックのキッチンの世界を行き来しながら、なんの前触れもなく病院にいるカーライルが、海賊船の乗組員のカーライルになったりします。本を読んでいる間じゅう、なにかにしがみついていと、体が振り落とされてしまうジェットコースターに乗っているような気分でした。いっぽうで、薬とその効き目の関係や、病状につける名前は便宜的なもので、一人一人全部症状が違うことなど、多くの学びのある作品でした。

しじみ71個分(メール参加):まだ、全部読めてなくて申し訳ありません。しかし、何と言っても残念なのがタイトルです。あまりにも説明的過ぎて、浅くなってしまい、つまらないです。深海の、海淵の底から見上げるような、孤独を表すタイトルではないと思いました。お話自体は、フィクションながら作家自身の息子の経験を下敷きにしているので、耐え難い苦悩に満ち溢れて、深海をたゆたうようつかみどころなく、内容は理解しようとすると難しいように思いますが、訳のおかげか、主人公の現実と非現実を行き来する恐怖が、幻想的かつ淡々と伝わりました。悲劇の終焉が待っているのだと思いますが、家族が救いになることを期待して読み進めます。

エーデルワイス(メール参加):宮沢賢治作『小学校』のきつね小学校の校長先生が、授業を参観し終えた主人公に「ご感想はいかがですか?」と訊ね、主人公が「正直いいますと、実はなんだか頭がもちゃもちゃしましたのです」と答えると、きつね校長が「アッハッハッハ、それはどなたもそうおっしゃいます。」と笑います。そんな感じの感想です。 作者は脚本も手掛け、自ら映画化の脚本も進行中とか。観たいかどうか今のところ分かりません。この本は確かにヤングアダルトコーナーにありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)


まはら三桃『奮闘するたすく』

奮闘するたすく

アンヌ:ケガだけではなく認知症にもなったおじいちゃんがデイサービスに通うのについて行き、夏休みのレポートを書く。自分からボランティアに志したわけでもない小学生がデイサービスに行くという設定がおもしろくて、介護職の人や調理師さんとか、うまく描かれているなと思いました。祖父といる時のつらい思いやせつなさと同時に「お年寄りのやることには意味がある」と理解しようと変わって行くところ等、いいなあと思いながら読みました。花の部屋への推理小説じみたストーリーも、うまい仕掛けです。p.231-232の、死について考えつつ、人には死の間際まで生きようとする力があるという感じ方や、死者が心の中に生きていくというふうに繋がって行くところも、いいなと思いました。なんといっても、お年寄りと小学生の男の子たちが古い歌謡曲の「食べ物替え歌」で盛り上がって行き、最後は大笑いのうちに幕を閉じていくというところが、本当に意外で傑作だと思いました。

レジーナ:デイサービスでの経験を通して、死や老いについて考える小学生の等身大の姿がユーモアたっぷりに描かれていて、好感がもてます。「宇宙が存在するのも、考える自分がいるからだ」と思う場面が印象的でした。p137で、祖父が、「自分ではできないとわかっているけど、世話にはなりたくない。なのに、『どうしたいか』ときかれても困る」という台詞には実感がこもっていますね。ただ「やきもち」や「ケチ」など、お年寄りの姿が少しキャラクター的に描かれている感じがしました。リニが初対面でハグする場面もちょっとリアリティがないように思えて違和感がありました。

西山:たいへんおもしろく読みました。もう少し低学年向けかなと思いながら手にとったら、『伝説のエンドーくん』(小学館)くらいのグレードかなと。読み始めたら、大人として普通に楽しむ読書となりました。最後、あのおばあさんを死なせなかったのがよかったな。大笑いで終わらせたっていうのが、たいへん賛成でおもしろかったです。レジーナさんが今挙げたところとか、私もなるほどと思って読んでました。あと、p167の「佑の思考は、妙な具合にカーブした」とか、おもしろい軽い書きぶりがあちこちあって、でも、ただ奇をてらったという感じじゃなくて、「人間ってぜってー、死ぬんだよな」(p231)「でも、死んでからもたまに生きてるぜ」(p232)なんて、軽いけど、妙に深い。一つ難をいえば、早田先生がこの課題を与えた意図というのが、単なる思いつきなんだか・・・・・・。何か、深い意図が明かされるかと思いながら読み進めたけれど、別に説明はありませんでしたね。そのへんはエンタメ的に読み流さないとだめなのかな。有無を言わせない目力って、教師のパワハラでもあると思うと、ちょっとひやひやしました。1カ所文章で気になったのは、p173のまんなかあたり、「自分が怒鳴ったくせに、祖父は引っ込みがつかなくなっている」のところ、「くせに」じゃなくて、怒鳴った「から」ではないのかと思いましたが、ここ、どう思います? インドネシア人のリニさん、言葉がたりない分、あけすけで、おもしろかったです。

レジーナ:「自分が怒鳴ったくせに、祖父は引っ込みがつかなくなっている」ですが、ここは佑が、「自分が怒鳴ったんでしょ?」「自分でやったんじゃん」と思っている箇所なので、これでいいのではないでしょうか。

西山:なるほど!

よもぎ:ユーモアがあって、テンポの良い作品で、楽しく読みました。高齢化社会になって、ゆくゆくは介護職を選ぶ子どもたちが大勢いると思うので、良いテーマを選んだなと思いました。外国から来る介護士の方たちも、ますます増えてくると思いますし。細かいところですが、蝉が羽化するところを見たいと願っていたおばあさんの話、いいなあと思いました。幻のように白く透きとおった蝉が、だんだん緑色を帯びてきて、最後に茶色い蝉になる……本当に、何度見ても飽きないですよ!

ハリネズミ:さっき、西山さんが教師のパワハラか、とおっしゃったのですが、私はそうは思いませんでした。この先生は、たすくがいつも中途半端に流しているのを見ていて、もっと突っこめばおもしろいよ、ということを分かってもらうために、この課題をあたえたのだと思います。ほかの子どもたちのこともよく見ていて、それぞれに別の課題を与えているのかもしれません。老人クラブの老人たちは、すぐに「ひごの~もっこす~」と歌ってしまう坂本さん、言葉を普通とは違うところで切って話す北村さん、女子力の強いよし子さんなど、個性的な人がそろっているし、インドネシアから来たリニさんも、いい意味で存在そのものがユーモラス。だから私もおもしろく読みましたが、たすくの祖父までおどけさせなくてもいいのに、とちょっと思ってしまいました。p61で「大内警部補、出動だ」とたすくが言うと、「はっ」と言って敬礼までするところなど、やりすぎのように感じました。それから「花の部屋」についての謎も、盛りすぎ、引っ張りすぎの印象を持ちました。そうまでしなくても、充分おもしろく読めるのに、と。

ネズミ:父のデイサービスに、最近私も何度かついていきましたが、そこでも東南アジア系の人が入浴介助を担当してました。こういう世界のことは、以前はわからなかったのですが、自分が行くようになってから、認知症の高齢者を扱った本がちょっと気になるようになりました。子どもに伝えるのが難しいテーマなのか、「これはいい」と思う本になかなか出会えません。この物語は、老人のなかに小学生が入っていきます。戯画化と感じるところもあるけれど、明るくしないと描けないテーマでもあるのかなと思いました。認知症になっても誇りはある、こんな子どもじみたことはできないという「おさるのかごや」の場面だとか、すごく大変な介護の現場での、働く人たちに優しさが伝わってくるところがいいなと思いました。ブルー・コメッツの歌で、おじいさんや母親にも青春があったことを知るというのもうまいです。難しいテーマですが、こういう作品がもっと書かれてほしいです。

ルパン:個人的には母も認知症が始まっていたので、せつないところが多々ありました。おじいちゃんが作品を額に入れられてプライドを傷つけられるところとか、時折正気になったときに悄然としてしまう場面とか。そう思うと、自分たちの世代にはダイレクトに響くけど、今の子どもたちにとってはどうなのかな。小学生のおじいちゃん、おばあちゃんは最近若いですから、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん世代の話かな、と思います。いずれにしても、こういう本を通して、子供たちに介護現場の情報が入るのはいいことだと思います。

西山:介護が子どもに身近な話題になっているのは確かだと思います。親が介護でたいへんになると子どもにはねかえるし・・・・・・。

さららん(メール参加): 目力のある早田先生から、夏休みの宿題としてデイサービスに通い、様子をレポートしてほしいと頼まれた佑(たすく)と一平。警察官だったおじいちゃんの認知症がすすみ、デイサービスにつきそいはじめます。おじいちゃんの認知症の描き方(受け答えがすごくはっきりしていたかと思うと、びっくりするぐらいわからくなることの繰り返し)に、リアリティがありました。佑たちの通っているデイサービスは、かなり自由で、さまざまな人生を経たいろんな老人たちが暮らしている。入ってはいけない『花の部屋』もある。その部屋の謎はあとで明かされますが、すこーし肩透かしの印象がありました。インドネシア人のリニさんも登場し今の介護の現場の雰囲気を伝え、インドネシアではお年寄りが大切にされていると語ります。最後は替え歌の大合唱と、笑いのうちに大円団……なんですが、ここはちょっとついていけなかった。年をとることや、デイサービスがどんなところか理解するうえで、良い本かと思います。大人も子どもも生き生きとした言葉遣いとエピソードの積み重ねで描かれ、まはらさん、うまいなあと思うのですが、面白い読み物かどうかというと……どうなんでしょう?

しじみ71個分(メール参加):とてもいいと思い、気持ちよく読みました。前に、まはらさんが選挙をテーマにした本を読んだときは、社会のテーマを子どもに伝えるお気持ちは分かるものの、保守の議員の孫という設定に、馴染めない感じがありましたが、今回は、馴染めないところを感じることもなく、重いテーマを、笑いとペーソスを織り交ぜ、軽やかに、きちんと子どもに届ける本になっていると拝見し、大変に気持ち良く読了しました。話の筋が明快で、簡略ながらもご老人たちの個性がきちんと書き分けられ、愛情と尊敬ある筆致で描かれていると思います。誰もが迎える老いと死を子どももきちんと知ることは重要だというメッセージもきちんと、花の部屋のエピソードで届いていますし、とても効果的になっていると思います。介護する家族の視点もあり、外国人労働者の問題もあり、社会問題をきちんと子どもに届けるという作家のお気持ちが分かりました。自分の関心のあるテーマでしたので、ますます心に沁みました。現実は、こんな素晴らしい、明るい介護施設ばかりではないと思いますが、拘束、虐待、人権無視のような施設が存在する現実を変えていくために、子どもも大人もみんなが普段から老いや人生を考えていくために、必要な本だと思いました。

エーデルワイス(メール参加):前回の『こんとんじいちゃんの裏庭』に引き続き、老人問題ですね。デイサービス、老人福祉施設、外国人福祉士・・・と、今どきのことがきちんと書いてあります。私の世代では親の介護をしている者がほとんど。私の場合、現在87歳の母は12年前にアルツハイマー病と診断され、『要介護1』と認定されました。その後父を説得して3年前にデイサービスの手続きをとりました。今年の9月、今度は89歳の父が肺の病気で入院、認知症もでてきて、『要介護1』の認定を受けました。病院は治療を終えると退院しなければなりませんから、施設の入所を検討中です。何を言いたいかというと、「奮闘するたすく」の物語が私の現在とリンクしたわけです。年寄りは子どもに戻ります、「二度わらし」はいい言葉ですね。はじめと終わりに歌謡曲の替え歌で、明るくてちっとも悲惨でないのがいいです。現在母は私の家にいますが、文庫や親子わらべうた会に連れて行きます。子ども好きの母は楽しそうに遊んでいます。子どもたちも違和感ないようで、母に懐いています。佑や一平のように、子どもの力は大きいと思います。介護保険で日本の介護は随分変わったと思います。家族以外の力を借りての親の介護は助かります。もう一言いいますと、今どき一人が一人の介護ではありません。私には夫の両親も健在(92歳93歳)です。また今年独身の叔母(母の妹)を看取りましたし、もう一人の独身の叔母も施設に入っているので看ています。夫も入院中の独身の叔父を看ています。長寿国家で、子どもの出生率が低い日本の行く末は如何に・・・!?

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)


山本悦子『神隠しの教室』

神隠しの教室

レジーナ:ネグレクトや虐待など現代のテーマが盛りこまれていて、気になっていた作品です。バネッサが、「母親の通訳をするのを負担に感じている」と打ち明ける場面が印象的でした。義務教育に外国籍の子どもは含まれないんですね。知らなかったです。今いろんな家庭があるのに、全員の母親が来ないと帰れないというのは、少しひっかかりました。電話はつながらないのにインターネットは通じるなど、ファンタジーのつくりとして気になる点もありました。

ネズミ:こことは別の世界に行きたいと思っている、学年もばらばらの5人の子どもたちが別世界に行ってしまう。帰ってこられるのかとかドキドキしながら、ぐいぐいと読まされました。字がけっこう小さい長い本だけれど、会話が中心なので物語に入りこむとどんどん読めてしまうというのがいいですね。こんなにたいへんな状況の子ばかり集まるか、と最初は思ったけど、こういう子は1クラスにひとりはいるだろうし、十分ありうることかもしれませんね。読んでいると、いろんな状況の子がいることが見えてくる。乱暴だけど優しくて、時に悪ふざけがすぎてしまう聖哉とか、一人一人のいろいろな面が描かれているのもいいですね。苦しい状況にある子どもたちを応援しようとする作者の姿勢が感じられる作品でした。子どもだけでなく、養護の先生の視点が混じってくるのですが、先生もいじめられていたことがわかることが作品に厚みを与えている気がしました。p314「逃げることも恥ずかしいことじゃない」というせりふは、作者が言いたかった言葉でしょうね。いろいろな問題を抱えながらも、なんとか自分の力で生きていくことを応援していて、いいなと思いました。

西山:バネッサが出てくるところで、おおっと思いました。保健室に連れていく係として、あたりまえのように「日本人」名前でない人物が出てくる。日本の児童文学作品では、登場人物の国籍は多彩とは言えないので、とても新鮮でした。『児童文学』7-8月号の特集<〝壁〟を超えて>で、そういう観点で触れたのですが、現実社会では、地域差はあるとは言っても、様々な国や民族のルーツを持つ子どもがいるのに、 日本の創作児童文学の中ではほとんどお目にかからない。これは、良いこととは思えません。ともかく、一息に読みました。多数派からはじかれたのか、自分がはじいたのか……排除されたかわいそうな子どもたち、ということではなく、たてこもっているとも取れて、外と隔てる壁が両義的で新鮮です。学校自体が、いじめがあったり、子どもたちが抑圧されるマイナスの舞台として焦点化された作品は多かったと思いますが、この作品は、学校がシェルターでもある。大人にもできること、やらなきゃいけないことがあるというのも早苗先生のあり方を通して描かれていて、メッセージとして好感をもちました。

ハリネズミ:著者の山本さんは、やはり2016年に出した『夜間中学へようこそ』(岩崎書店)もおもしろかったですね。さっき、レジーナさんが電話は通じないのにパソコンは通じるのでファンタジーの約束事がどうなっているのか、とおっしゃいましたが、この本に出て来るのは有線電話で、パソコンとはシステムが違うので、私は全然気になりませんでした。ファンタジーの約束事が壊れているとも思いませんでした。児童文学の流れで言うと、親が子どもにちゃんとした居場所をあたえられない場合、親以外の大人が登場して支えることが多いのですが、この作品では「学校」という建物が子どもたちを助ける。そこがとてもおもしろいと思いました。みはると聖哉以外は、「もう一つの学校」に緊急避難したときに、自分たちでなんとかしようという意欲も意志も生まれてくる。でも、年齢の低い1年生のみはるは、母親の恋人に虐待されているのを自分の意志だけではどうすることもできない。6年生の聖哉はネグレクトしている母親が不在なので衣食住すべてに困っていて、これまた自分の意志がどんなに強くても解決できない。だから、外からの助けが必要なのですね。
様々な問題を抱えた子どもたちですが、問題の一つ一つがリアルだと思いました。最初読んだときは、「母親がそろわないと戻れない」というところで、子育ての責任は母親にあるというメッセージが出てしまっているのではないかと思ったりしたのですが、もう一度ていねいに読んでみると、そう言い出したのは母ひとり子ひとりの聖哉で、聖哉の気持ちが強く反映されているだけだとわかりました。p225に、もう一つの世界に行ったものは戻って来ないとあって、そういう設定だと思って読むと、カレーパンだけ行ったり来たりしているな、とちょっと不思議に思いました。バネッサが自然に出てくるのはいいですね。そのバネッサと加奈は同じクラスですが、それ以外は触れあうことのなかった子どもたちが、時間と空間を共にするうちに触れあっておたがいに思いやったりするようになる。

アンヌ:「神隠し」の物語は多いけれど、この物語は「神隠しにあってしまった」側の冒険談ですね。なんといっても冒険物語に必要なのは、どうやって食物を確保するかという事です。この物語では、「神」ではなく「学校」からの一種の贈り物のような「給食」という食べ物がまず与えられます。けれども、それだけでは一日一食になってしまうから、畑からプチトマトを採集したり保管倉庫から非常食を取って来たりして、生き残るための冒険がなされて行く。そういうところが、気に入りました。でも、実は引き出しの中のロールパンに気づいた時、ここで外界につながっている、きっとここでやり取りをするんだと思ったので、パソコンで通信するというのは意外でした。異世界の中で子供たちは成長していく。外界の大人も変わって行く。でも、それと同時に、大人である早苗先生の中には、まだいじめが影を落としていて、完全に和解するとは書かれていません。納得がいくけれど、ある重さも感じました。

よもぎ:なによりおもしろかったのは、学校という建物が生命を得た存在のように子どもたちを守るという設定でした。長い年月、ずっと子どもたちを見守りつづけてきた古い校舎だからこそ、そういう力を持ったということなのでしょうね。いろいろな状況で苦しんでいる子どもたちを守りたいという作者の思いが伝わってくる作品だと思います。ストーリー自体も、子どもたちがこれからどうなるのか? なぜ聖哉だけ、行方不明になった子どものリストに入っていないのか? など、いくつかの謎が次々に出てきて、最後まで一気に読んでしまいました。長いけれど、小学生の読者がしっかりついていける作品ですね。ただ、文体が重苦しくて、古めかしい感じがしたんですけど、こういう内容だったらしかたがないのかな? ユーモアがないというか……。

ハリネズミ:この作品はテーマがテーマだけに、ユーモアを入れるのは難しいですね。自分のことだけで精一杯だった子どもたちが、「もう一つの学校」に行って少し心がリラックスすると、やさしい面を見せていく。そこの描き方もすてきです。

ネズミ:学校の先生を批判的に描く本も多いけれど、この本では、子どものことを思い、それなりに職務を果たそうとしている先生が描かれてますね。

ハリネズミ:アン・ファインの『それぞれのかいだん』(灰島かり訳 評論社)も、それまでは触れあうことのなかった、それぞれに問題を抱える子どもたちが、宿泊旅行をきっかけに出会って、おたがいを知り、元気になっていくという物語でした。似た設定なので、比較してみてもおもしろいかも。

ネズミ:この作家は愛知県の方なので、身近に日系人を見てきたのかもしれませんね。

西山:テーマとして焦点を当てて描かれているのではなくて、そこにいる子どもの一人として当たり前に出てくるのがいい。

ネズミ:今はいろんな国籍の子どもがいますよね。親が外国籍かどうかは、名前だけではわからないし。思った以上に外国とつながる子どもは多いと思います。

ルパン:今、本が手元になくて、細かいところについてはお話できないんですけど、前に読んだとき、とてもおもしろかったことを覚えています。ただ、別世界の作り方がちょっとご都合主義的に思ったところはありました。給食は出てくるけど、お盆は返せないとか。ただ、読んでいてつまずくということはなかったですね。ストーリー性があってよかったです。神隠しにあった子どもの母親のなかに、保健の早苗先生を昔いじめていた元の同級生がいるわけですが、そこの家庭が、その後どうなったのかも知りたいと思いました。

エーデルワイス(メール参加):5人の問題(親の虐待、育児放棄、いじめ、在日外国人)を抱えた子どもたちと、小学校時代にいじめを受けたことのある養護教諭が登場します。子どもたちのサバイバルとミステリーと、再生へと繋げて見事な展開でした。聖哉についてはもう胸がつぶれそうに切ない。食べ物の確保からして自分ではんとかしなくてはならないのですから。子どもが一人で、心の弱い母を保護し、そこから一歩越えて生きて行こうとするんですね。早苗先生が、かつて自分をいじめた多恵と向き合うところは、綺麗ごとに終えてなくて、迫力がありました。p381に「これからはずっとこの空のしたにいる。もう逃げない」という言葉があります。希望のあるラストですが、弱い私は逃げてもいいのでは・・・と、思ってしまいました。

さららん(メール参加):いじめ、虐待、ネグレクト……今の子どもたちの問題を、学校というもっとも日常的な場を使いながら、そこに「神隠し」という非日常の穴をあけて、子どもと大人の両方の心理からうまく描いている作品だと思いました。重く、暗くなりがちなテーマですが、サバイバル物語の要素、謎解きの要素に助けられ、どんどん読み進みました。「もうひとつ」の学校からどうしたら出られるか、あるいは救い出せるか、子どもの側と大人の側の両方から推理し、パソコンでやりとりしながら、解決を探していくところが面白く、「行方不明」になった子どもは「5人」でなく「4人」だと思われている点がずっと気になります。それは聖哉のせい。彼以外の子どもたちは、自分が「変わる」ことを決心して外の世界に帰り、聖哉はむこうの世界に残ってしまう。けれども最後の最後で、現実に生死の境にあった聖哉が救われる。
子ども時代にいじめにあい、「神隠し」にあった早苗先生自身も、いじめた側の多恵(亮太の母親)と対峙することで自分を乗り越えます。P349の「お母さんが来ないと帰れないなんて、この世界のルールを決めて、自分をしばりつけているのはあなたなの。あなたは帰れるのよ!」という早苗先生の言葉が、とても良いと思いました!

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)