投稿者: sakuma

この湖にボート禁止

ジェフリー・トリーズ『この湖にボート禁止』
『この湖にボート禁止』
ジェフリー・トリーズ/作 多賀京子/訳
福音館文庫
2006.06

きょん:すなおな冒険ストーリーで読みやすいので、どんどん読んでいきました。ボートを見つけて小島にわたるあたりまではよかったんですけど、宝探しがなかなか始まらない。出た当時は新鮮だったんでしょうか? 今読むと、とってつけたような結末で、ちょっとがっかりしました。

カーコ:今の読者向けに新しく出たのを評価している書評を読んだんですが、手にとってみると表紙の絵が古臭くて昔の本のようで、まず「えっ」と思いました。物語は、最後がどうなるのかに引かれて、思ったよりすらすらと読み進んでいけました。でも、やっぱり古くさい、一昔前の話だと思ってしまいました。この作品が出た1979年当時は、男の子が女の子に思いを寄せることをにおわせる場面があるというだけで、批判をあびたというけれど、今の子がワクワクして読むのかどうか疑問です。ただ、時代がかっているけれど、校長先生が尊敬できる人だと言うところだけは、いいなあと思いました。今の実情を照らし合わせると、こんなことはありえないのだけれど、日本の子どもの本では、たいがい先生や大人の影が薄いので。あと、会話のあちこちに、ひねりがあるのだろう、と思われる部分があったのだけれど、おもしろさが伝わってきませんでした。この本は、もともと難しい言葉で書かれているので、わざと同じように難しく訳しているのかと思ったほど。人に聞くと、イギリスの読み物は、アメリカの読み物よりも凝った文章のものが多いとは言われましたが。

アカシア:私は福武文庫で最初に読みました。そのときも古めかしい感じがしたんです。今度は新訳だから期待したんですが、もっと古めかしいですね。たとえばp171には「へえ、そりゃ、おことばだね」、p172には「してやったり」、p191には「はなはだ肉食のすぎる人に見受けられたわ」なんていう表現が続出します。今の子どもたちに読んでもらおうとするなら、ここまで時代色を出さなくてもいいのでは? 内容的にも、男女の役割分担がはっきりしていて、キャンプに行けば女の子が料理をするものと思われている。それに、アルフレッド卿という人が悪者というよりは軽蔑される対象になっているわけですが、イギリスの階級社会の中で商人の成り上がり者として下に見られている構図が見えて嫌らしい。そういう時代の枠組みを超えておもしろければそれでもいいのですが、話の運びもそうそうおもしろいわけではない。新訳でまたわざわざ出す意味がわかりませんでした。

エーデルワイス:ストーリーとしては結構おもしろかったんですけど、現在ではひと時代前のお話という印象。楽しくは読めました。シェークスピアの引用とか、千年前にノルマン人が来たとか、イギリスの子どもなら教養として知っているであろうことを前提に書いているのでしょう。裁判の場面、陪審員とのやりとりが、わかりにくかったですね。これも文化の問題かな。

アカシア:裁判のシーンのp324のところで、「もし〈埋蔵物〉ではないなら、国としてはそれ以上の関与はしない。発掘されたものは発見者の所有となる」とあるんですが、だとすると〈埋蔵物〉でないと証明されれば、発見者である子どもたちのものになるということですよね? だけどその後に「もしアルフレッド卿が、発掘された異物が〈埋蔵物〉ではないと証明することができたら、こちらとしてはひきさがるしかない」と出てきます。よくわからなくなっちゃうんです。このシーンは田中明子訳の福武文庫版の方がずっとよくわかります。

ウグイス:学研文庫で出たときのこの話は、少し前のいかにもイギリスらしい雰囲気を味わえるものとして人気があったんだと思います。古めかしい感じに良さあるので、新訳だからといってあまり今っぽくすると、逆に違和感が出てしまうんだと思うの。女の子はおしとやかにしてたほうがいいとか、古い価値観で描かれた部分があるので、訳文もある程度古くてもいいんじゃないかしら。女の子の言葉で、「…じゃないこと?」とか、「…ですわ」とか言っているのは、直したほうがいいけれど。しかしこの新訳には、わかりにくいところがたくさんあった。p191の4行目「そうすれば自転車で来るのもすこしはらくだと思うの」のせりふの意味がよくわからない。旧訳では、「自転車で往復しなくてすむし」となっていて、意味がよくわかる。p190の11行目で靴下を繕っているお母さんがジャガイモくらいある爪先の穴を見て「やれやれ、新ジャガの季節だものね」と言うんですが、これもわからない。学研文庫版は「そういう頃だものね」福武文庫版は「穴があくころなのよね」です。そろそろ穴があくころだったから仕方がない、というニュアンスなのでは? p76の4行目「するとアルフレッド卿は、まるで自分が保護区にいる…」も、わからない。旧訳よりわかりにくい訳になってしまったら、訳し直す意味がないのでは?

アカシア:歴史的に意味がある作品だというのはわかるけれど。

ウグイス:70年代に学研文庫で出たときは、当時としてはすごくおもしろかったのよ。だから、その頃からこの本が好きだった人は、ずっと手に入らなくなったのを残念に思ってたから、新しい版が出た、ウェルカムという感じなんじゃない? 図書館でも古いのはぼろぼろになったりしているから。

ミッケ:せっかくだからというので、旧訳と新訳を読み比べようと思って、まず旧訳を半分くらいまで読んだんです。それで、ふうん古くさいところもなくはないけれど、けっこうわかりやすい柔らかい訳だなあと思ったところで、時間切れであわてて新訳をまた最初から読み始めたら、なんかこの訳者は力はいりすぎてるみたいだ、これって男の子の一人称だからわざと堅くしたのかなあ、それにしてもちょっとやりすぎじゃあないかな、という感じで、結局、かえって古い訳のほうが読みやすいという結論に達しました。だから、皆さんがおっしゃったとおり、どうして新訳を出したの?という感じです。新訳は、よく意味の通らない箇所があるし……。さっきからお話を聞いていると、どうやら旧訳の訳者は、学研文庫の訳を福武の文庫本にするときにも、訳に手を入れているようで、ていねいだと思うけれど、新訳はちょっと……。アーサー・ランサムが一時期大好きだった人間からすると、同じ湖水地方の同じように湖と島の冒険なので、ついついランサムを思い出してしまうけれど、ランサムに比べると、かなり弱い気がします。

アカシア:私もランサムのほうがうまいと思う。ヨットの帆を操作する部分とか、情景とか、細かく目にうかぶように描かれていますよね。

ミッケ:たしかにランサムも、いかにも大英帝国という価値観とか、女性のあり方とか、今とはずれているところもがあって、古いといえばいえるけれど、でもやっぱりしっかり書けているからこそ、あれだけいろいろなエピソードが出てきて、物語が展開されていったわけで、それに比べるとこの作品はかなり見劣りがすると思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


ブランコのむこうで

星新一『ブランコのむこうで』
『ブランコのむこうで』
星新一/作
新潮文庫
1978/2005

アカシア:私はおもしろくなかった。作品を構築していくというよりは、思いついたことを思いつくままに書いていくという感じですよね。この作品が書かれた頃は、夢の世界の描き方もこれで新鮮だったのかもしれませんが、今は多様なイメージのファンタジーが氾濫しているから、新鮮みもないし、作者のつくりごとに無理矢理つきあわされる感じになってしまいます。すなおに作品世界に入って楽しめなかったです。次の夢に入るというのも、どこかで読んだことがあるという感じでしたし……

カーコ:ここ数年の出版傾向として、ファンタジーとならんで復刊ものが多いと聞いているので、そうやって再び子どもに投げかけられた作品が実際のところどうなのだろう、というのを考えてみたくて、このテーマを選んだんです。この作品は、この表紙になってから、中高校生にもよく売れているという記事を読んだことがあったので選びました。調べてみると、もともと新潮少年文庫というシリーズの一冊としてで出ているもの。ほかのラインナップからすると大人の作家が若い読者向けに書いたものを集めたシリーズのようなんです。お話は、特に目新しくもないけど、短い言葉で場面をくっきり描いているところがうまいと思いました。場面が変わるごとに、どういうところに来たのか、よくイメージできる。ショートショートで、簡潔に場面を作りあげているからかなあ。取り立てて、心に残るというのではないけれど、ショートショートと一緒にこの本を手にとった読者が、長い作品にも近づいていければいいのでは?

アカシア:新潮の星さんの本は、シリーズ全体が新しい装丁になったので、中高生も手に取りやすくなったかもしれませんね。

ミッケ:星新一の本は、中学の頃かな、さくさくと読んでいた記憶があります。でも、今読むと、なんというか、時代を感じますね。星新一が出てきた頃は、とても新鮮だったんだろうけれど。この本に関していえば、次々に場面が変わっていくやり方は、次はどうやって変わるんだろう、どこに行くんだろう、という感じがあっておもしろかった。それに、砂だけの世界に入ってしまうところなんか、アイデアだなあと思いました。でも、全体としては中途半端。子どもの目線で書いているとは思えないな。夢の中でお父さんに会いそうになるのなんかはいいんだけれど、先のほうで、実際の世界で満たされないものが夢の世界で満たされるんだ、みたいな感じになるのは、理に落ちるというか、説教くさい。わがまま放題の王子とか、子どもを追いかけるお母さんの話とか、夢の中でひどい皇帝になっている人の中にかろうじて残っている良心が若者の姿で現れる話とか、子どもがほんとうに喜ぶんでしょうか? しらけるんじゃないかな。やっぱりこの作者はアイデアの人だと思った。

エーデルワイス:内容が薄いなっていうのが正直なところでした。夢に入っていくんですよね。ピアスの『トムは真夜中の庭で』を思い出しましたが、それとも違いますね。

アカシア:ショートショートなら、ぴりっとしたアイデアだけでおもしろいんですが、これはもっと長いので、ちょっとつらいですね。これだけでは物足りない。

ウグイス:ショートショートは、今の中学生にも読まれているんですか?

エーデルワイス:そうですね。好きな子は、次から次へと読破していますが、そればっかりになって、そこから出ることが出来ていない子も見受けられます。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


ほーら、これでいい〜リベリア民話

ウォン・ディ・ペイ他『ほーら・これでいい!:リベリア民話』さくまゆみこ訳
『ほーら、これでいい〜リベリア民話』
ウォン=ディ・ペイ & マーガレット・H・リッパート再話 ジュリー・パシュキス絵 さくまゆみこ訳
アートン
2006.10

アフリカの昔話絵本。西アフリカのリベリア北部にくらすダンの人々に昔から伝わる物語。ばらばらに存在していた頭、腕、足、胴体が出会い、合体していく愉快なストーリーを通して、社会の中でもひとりひとりが大事なのだということを子どもたちに教えていたそうです。アートンのアフリカ絵本シリーズ4作目。
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+米倉ミチルさん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

西アフリカにあるリベリアは、解放された奴隷の人たちがつくった国です。つまり、アメリカに連れていかれて奴隷として働かされていた人たちが解放後アフリカにもどって19世紀にリベリアという国をつくったのです。リベリアという名前も「自由の国」という意味です。しかし、1980年代からリベリアでは政治が不安定になり、内戦が始まり、多くの人が亡くなったり、難民になったりしました。またこの内戦は、子どもの兵士が大勢使われたことでも知られています。

今は、民主的選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領エレン・ジョンソン=サーリーフさんが国の立て直しや学校教育に力を注いだ結果、外国に逃げていた難民たちも戻り、平和な日々がふたたび訪れようとしています。ただし内戦で荒れ果てた国土や経済をもとにもどすには、まだまだ時間がかかるようです。

この絵本の文章を書いたウォン=ディ・ペイさんは、リベリア北東部のタビタに暮らす語り部の一家に生まれました。ダンの人々に伝わる物語は、おばあさんから教わったそうですが、それだけでなく太鼓をたたいたり、楽器をつくったり、踊ったり、仮面をつくったり、木彫りをしたり、布を染めたり、壁に絵を描いたりすることなども家族から学びました。

今ペイさんはアメリカに住んで、絵本をつくるだけでなく、主に子どもたちのために楽器を演奏しながらリベリアの昔話を語ったり、リベリアのダンスを教えたり、仮面ダンスの公演を行ったりしています。

物語の中にサクラが出て来ます。サクラというと日本の木というイメージが強いかもしれませんが、リベリアの熱帯雨林には野生のサクラの木がたくさん生えていると、ペイさんが教えてくださいました。野生のサクラだと、サクランボも日本のお店で売っているのよりは小さくてかわいい実なのでしょうね(後で調べてみると、アフリカのチェリーは、日本のとまた少しちがうようです)。

この絵本の絵は、ガーナのファンティの人々の間に伝わる「アサフォの旗」からインスピレーションを得て描かれたといいます。アサフォというのは民兵という意味で、地域を守る組織ですが、それぞれの組織が独特の絵柄をアップリケや刺繍で表現した旗を持っているのです。そのデザインや色がおもしろいので、「アサフォの旗」は、今は美術工芸品としても評価されています。

さくまゆみこ


2006年10月 テーマ:違うタイプの少年と少女の出会い

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『2006年10月 テーマ:違うタイプの少年と少女の出会い』
日付 2006年10月26日
参加者 愁童、むう、小麦、ウグイス、たんぽぽ、ミラボー、きょん、ねず、アカシア、げた、カーコ
テーマ 違うタイプの少年と少女の出会い

読んだ本:

ケヴィン・ヘンクス『オリーブの海』
『オリーブの海』
原題:OLIVE'S OCEAN by Kevin Henkes, 2003
ケヴィン・ヘンクス/著 代田亜香子/訳
白水社
2005

オビ語録:ほとんど口をきいたこともないクラスメイトの少女が事故で死んだ。彼女が残した日記の1ページが、わたしの心を強くゆさぶった……多感な少女のひと夏の体験を描いて心にしみるニューベリー賞オナー受賞作
シュジー・モルゲンステルン『秘密の手紙0から10』
『秘密の手紙0から10』
原題:LETTRES D'AMOUR DE 0 A 10 by Susie morgenstern, 1996
シュジー・モルゲンステルン/著 河野万里子/訳
白水社
2002

オビ語録:欧米で16の賞に輝いた愉快で元気の出るヤングアダルト小説/祖母と二人でさびしい暮らしを送るエルネスト少年の前に現れた転校生少女。彼女はエルネストに、愛と、笑いと、生きる楽しさをもってきた。
野中ともそ『カチューシャ』
『カチューシャ』
野中ともそ/著
理論社
2005

オビ語録:僕をとりまく宇宙のその中心に、あの子はすとんと落下してきた。口が悪くて、すばしっこくて、とびきりいけてる女の子??カチューシャ。/『宇宙でいちばんあかるい屋根』で、絶賛され、1年。ヤングアダルトの新しい旗手、待望の新作。

(さらに…)

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カチューシャ

野中ともそ『カチューシャ』
『カチューシャ』
野中ともそ/著
理論社
2005

げた:極端なキャラクター設定で、話としてはとってもおもしろく読みました。モーって、極端にスローで、テストでも時間が足りなくなってしまう。この本の読者は中・高生だと思うんだけど、モーみたいな子は結構いて、例えば『決められた時間の中で答えを出すのはできないんだけど、おれは本当は数学が好きなんだ』なんていうところは共感できるんじゃないかな。カチューシャは、映画化したらどんな女優さんがやるのかな? カチューシャがおじいちゃんの戦争体験を思って、文化祭でみんながつくった戦車をめちゃくちゃにしてしまうのだけど、どうしてこんなに思い入れるのかな、おじいちゃんの戦争体験とおじいちゃんの戦争に対する思いが、この本からは読みとれなかったなあ。モーのお父さん、なかなかいい親父だなと思います。でも、朝、時々違う女の人が食卓でコーヒーを飲んでいるのをモーが受け容れているんですけど、本当に受け容れられるのかな? ちょっとおもしろおかしく作りすぎているんじゃないの?

ミラボー:私はこのお父さんは、結構気に入りました。全体的には、読みづらいっていうか、読むのに時間がかかっちゃったな。筋がだらだらしてるからでしょうか。文化祭で戦車に顔をつけちゃったというのは、ありがちな感じ。作品としてはあまり評価できないです。設定に無理がありますよね

小麦:おもしろくは読んだんですけど、なんていうか手の込んだ幕の内弁当という印象。作者のサービスがいたれりつくせりで、ちょっと食傷気味になってしまいました。かじおのキャラクターも好感が持てるし、ストーリー運びもうまいと思う。それだけで十分読み進んでいけるのに、余計なところでおもしろくしようとするから、かえってそれが鼻についちゃう。お父さんが女の人と朝、コーヒーを飲んでたりとか、浴衣姿の編集者とキャンプファイアに来てたりとか……。エピソードとしても、戦争が出てきたり、かじおのお母さんの話が出てきたり、盛りだくさん。うす味系の『オリーブの海』のあとにこの本を読んだので、2冊の差がおもしろかったです。実力のある作家だと思うし、だからこそ色々と細かなところまで気がまわるのだと思うけど、なんでも先回りして用意してくれちゃう感じで、途中からおなかがいっぱいになってしまう。もっと読者にゆだねるところがあってもいいし、ディディールの味つけも、もう少し減らしてくれれば物語に集中できるのになー、と思いました。

たんぽぽ:3冊とも全部おもしろくて、私は幕の内弁当おいしゅうございました。3人それぞれ性格が魅力的で、組み合わせもおもしろかった。ショウセイの過去が、戦争とか恋人だけじゃなくてもう少し何かひとひねりあったらよかったんじゃないかな、と思いました。カチューシャもショウセイも自分を肯定しているところがいいなと。この表紙はフォークダンスなんですね。

ウグイス:主人公のかじおくんていう子が、周りとはちょっと違った時間軸を持った子どもだというのと、カチューシャが頭の回転が速くて世渡り上手な女の子っていう対照が、『秘密の手紙0から10』と一緒に取り上げるのにいいと思ったんです。全く違うように見える2人だけど、おじいさんに対する思いやりには共通のものがあって、そこからつながっていくという図式はわかりやすいと思いました。今のこの忙しい時代にスローライフをよしとするという主人公の設定はとてもいいと思うんだけど、お話としては特に何が起こるというんでもないんですよね。それから、かじおの一人称で書かれてるんだけれど、途中で著者の一人称みたいに聞こえてきてしまい、ちょっと鼻につくようになりました。著者が結局何を言いかったのかというと、ゆっくり生きていこうよっていうのと、戦争はやめようよ、くらいなんですよね。メッセージだけで読ませると弱いので、それならもうちょっとストーリー展開をおもしろくしてほしかったかな。

むう:設定やなにかはおもしろかったです。のんびりした男の子、力強い女の子、そしておじいさんに、クラシックな不良と、いろいろな人が絡んでいくのもおもしろかったし、かじおとカチューシャが実は前に会ったことがありました、というのもおもしろかった。ただ、途中で、カチューシャが戦車のはりぼてにいたずらするあたりは、ううん、これは付け足しめいているなあと思った。ちょっとてんこ盛り過ぎて、こっちがくたびれた部分もありました。かじおだけでも十分面白くて、たとえばマラソンの途中でコースを逸れちゃうところとか、なんともいえずいい感じなんだけれど、途中から、かじおの部分とカチューシャとショウセイの部分がちょっと拡散する印象があった。そのへんがいまひとつでしたが、基本的にはおもしろかったです。お父さんの造作も、いかにも今風でおもしろかった。

愁童:おもしろく読みました。才能がある作家だなと思ったですね。でも、この人の不幸は、いい編集者に出会っていないことなんじゃないかな。作家としての自分の文体が確立されてない気がします。日本語として首を傾げたくなるような表現が散見されて、興を殺がれてしまうのが残念。例えば 「にくまれ口をつぶやきながら」とか、「上のほうから俯瞰した」「髪にはめる」みたいな文章を日本語として、12歳ぐらいの子に読んで欲しくないですね。もう少しこなれた、しっかりした文章で書いてくれたら、大人の読者も充分引き込まれる魅力的な作品になるのに、惜しいなと思いました。

ねず:作者の生の言葉と、主人公のモノローグが混ざっているような感じがあって、気にかかりました。「金時豆がふっくら煮えてる」なんて、男の子は言うかな……とか。それから、非常に説明的だと思われるところもあって、やっぱりストーリーで語ってもらいたいなと思いました。だから、後半ストーリーが動くところからは、安心して読めました。そういうところをのぞけば、設定はおもしろいし、なにより主人公の立ち位置、万事スローで勉強もできないけれど、いじめられるわけでもなく、ちょっとみんなの輪から離れたところにいるーーそんなところに自分自身の経験からも共感をおぼえました。ショウセイは、バカ丁寧な話し方が原因なのか、ちょっと心のうちまで分からないという気がして……戦争体験も、とってつけたような感じがして。主人公のお父さんはけっこう好きです。朝、知らない女の人とコーヒー飲んでいるところなんか、なかなかいいじゃないか、なんて。こういう作家が、これからもどんどん書いていってほしいなと思います。「児童文学は卒業、これから大人のものだけ書きます」なんてならないで!

きょん:去年読んで、その時の印象だと、とても好感の持てる作品だと思ったのですが、印象が薄かったのか、ストーリーの細かいところを忘れてしまっていました。人よりもちょっとゆっくりでトロい男の子が、女の子に出会ってから、自分の居場所をみつけるという学園ストーリーが、軽快に描けていて、おもしろかったと思います。ショウセイの存在は、男の子にとっても女の子にとっても癒しの存在だったと思いますが、ショウセイの戦争体験については、老人に対するステレオタイプのイメージかも。戦車をめちゃめちゃにするところは、ちょっと理屈っぽすぎる感もありました。でも、全体的に個性的なユニークなキャラクターが出てきて、楽しめました。

アカシア:ほかの2冊の翻訳書に比べると、日本の人が書いているので、会話などがずっと生き生きしてますよね。文学というよりエンターテインメントだと思って、とっても楽しく読みました。キャラクターもちゃんと書き分けられて、特徴が出ているし。スローな子を魅力的に見せるのは難しいと思うんですけど、うまく書けてますね。「金時豆がふっくら煮えてる」というところも、この子のお父さんは料理研究家だし、料理の本などでは決まり文句なんだから、この子が言って不思議じゃない、と私は思います。ただショウセイのしゃべり方が疑似外国人風で、そこにリアリティは感じられませんでした。お母さんが風邪で死ぬというところも、リアリティからいうとイマイチかな。

ウグイス:p107「過去系で言うなって。」は、「過去形」の誤植ですよね。

ミラボー:お母さんはミャンマーの人なんですかね。

アカシア:日本人なのよ。日本に帰ってきて、免疫がなくて死んじゃうの。だけど私も、この人はこれからいい作家になるんじゃないかなって思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年10月の記録)


秘密の手紙0から10

シュジー・モルゲンステルン『秘密の手紙0から10』
『秘密の手紙0から10』
シュジー・モルゲンステルン/著 河野万里子/訳
白水社
2002

たんぽぽ:まだ半分しか読めてないんですけど、早く先が読みたい。ヴィクトワールが楽しくって。こんな子がとなりにいたら楽しいだろうな。

ウグイス:この本はとても好きですね。最初、この男の子の生活がすごく変わっているので、なんなんだろうってひきこまれるでしょう? ちょっと昔風で、普通の子どもの暮らしとあまりにもかけ離れている。それが、女の子が出てくるところから、がらっと変わってしまう、その落差が激しいところがおもしろかった。そんな展開になるなんて意外で。題は『秘密の手紙0から10』となっているんだけれど、その割にはお父さんの手紙はあまり重要ではないので、違和感があった。これを題にするなら、お父さんとエルネストのことをもう少し書いてもいいのに。

むう:この作品は、『オリーブの海』とは対照的にとてもくっきりしていて、楽しかったです。この女の子のパワーがなんといっても強烈で、魅力的。エルネストっていう子も、こういう生い立ちだと、ひきずられるだろうなと納得できる。女の子の13人の兄弟もそれぞれ強烈だし、その出会いとかエルネストの変わっていく様子もとてもおもしろい。それに、なんだろう、なんだろう、といっていた秘密の手紙が、なんていうことのない内容なのもおもしろいし。それに比べると、お父さんのことは、つけたしっていう感じでしたね。

ねず:女の子が元気良く生き生きと描けていて、おもしろかった。ほかの登場人物も、ほんの少ししか出てこない人もふくめて、よく書けていると思います。英米児童文学とはまったく趣のちがう、まさにヨーロッパ本土のにおいがする。ただ、「だからどうした?」と言われると、なんてことない話なんだけどね。フランスで権威のある児童文学賞を受賞しているし、主人公は10歳ということだけど、こんなに凝った文章ーー暗喩が非常に多い文章を、フランスの子どもはすらすらと読めるのかしら? けっして、感心したり疑ったりしているわけではなく、素直に「誰かにきいてみたいな」と、思いました。ただ、お父さんの最後の手紙には、腹が立ちましたね。あまりにも無責任で、言い訳がましくて……そんな親に主人公が怒りを感じないと言うのも不自然だし。

カーコ:ヴィクトワールがおもしろかったです。それに、細部の表現がおもしろかったです。p177の「ヴィクトワールがいないということが、エルネストの心のなかでは、とてつもない大きさにふくれあがっていた。穴に落ちないようにわざわざまわり道をしたのに、あまりにも気にかけすぎて、けっきょくその穴におちてしまったみたいな感じだ」とか、p133のインフルエンザの場面で「ヴィクトワールは、ばい菌の巣くつをエルネストのとなりに移し」とか。お父さんの手紙はあんまりじゃないの、と思ったけれど、生後3日で捨てられたことを気にしていたエルネストにとっては、ハッピーエンドでよかったのかな、と思いました。でも、この本の題名の「秘密の手紙0から10」っていうのは、どういう意味なんですか? おばあちゃんが大事にしていた手紙は1通だけでしょう? 原題では、「愛の手紙」だけど。

だれか:お父さんの送ってきた手紙が、10冊のファイルだったからじゃない?

げた:でも0から10だと、11冊になるよ。

カーコ:あと、白水社は目次を立てない方針なんでしょうか? 『オリーブの海』は細々としていたから目次がないのもわかるけれど、こちらはそれぞれに人の名前がついていて、目次として並べることにも意味があるような気がしますけど。

きょん:タイトルの意味がよくわかりませんでした。表紙もいまいちわかりにくいと思います。でも、読んでみるとおもしろかったので、一気に読んでしまいました。私は、ヴィクトワールよりもエルネストにひかれました。我慢強くて、こうだと思いこんだらきまじめにそれをするところ、たとえば、まっすぐに寄り道しないで帰らなくちゃいけない、おばあちゃんが待っているから……とか、おばあちゃんの言うとおりにしないといけないとか……、こういう極端なきまじめな部分は、どんな子どもの心の中にもあるもので、それが、ストレートに嫌みなく描けていて、よかった。そこから解き放たれていく子どもの心の成長もよかった。「一度も」したことがないから「初めて」するに置き換えていくっていうところも素直に気持ちが伝わってよかった。そして、ちょっとしたことで生活が変わっていくというのがさわやかに楽しく描けている。それを手助けしてくれる女の子の存在もなかなか愉快だと思いました。

アカシア:確かにヴィクトワールはおもしろかったし、エルネストとおばあちゃんの生活もよかったけれど、最後お父さんとこの子の関係に話を持ってきているのが不満でした。なんでここでお父さんのことに持っていくの? そのことで作品の世界が小さくなって、「小さな家庭のささやかな悲劇」に終わってしまったような気がします。p46「人道主義的なすばらしい大志だね」などなど、10歳の子どもの言い方とはとても思えない口調のところが気になりました。私は、この作品もわざわざ翻訳して出すことはないと思ってしまいました。

ウグイス:お父さんが見つかって、無理やりまとめてしまった感があるわね。別に見つからなくてもよかったのに。

げた:うちの図書館では、この本は一般書の棚に置かれています。主人公は10歳という設定だけど、いくらフランスだって10歳の子がここまで言うのは無理だろうと思うようなことを言うんですよね。エルネストもおばあちゃんも、お手伝いさんや、ヴィクトワールの家族も、登場人物がくっきり描かれていてわかりやすかったです。お父さんの糸口を見つけるのが、初めて行ったスーパーマーケットというのは、おもしろいけど。でも、このお父さん、ひどいですよね。放りっぱなしにしておいて、今更という感じがしますね。

むう:若いエルネスト自身は、お父さんの不在なんか乗り越えてさっさと自分の世界を作っていくわけだけれど、おばあちゃんにとっては、エルネストのお父さんが出てこないと一件落着しないからかもしれませんね。

ねず:昔から、フランスでは子どもを未完成の大人と見ているから、児童文学があまりおもしろくないと言われてきたけれど、確かにこの作品も子どものほうを向いて書いているとは思えないわね。

アカシア:大人の感覚でひねってあったりして、ストレートなおもしろさに欠けるのが多いのよね。

ミラボー:まず前半のヴィクトワールとエルネストの出会いはおもしろかった。陽気なヴィクトワールと出会って、全然知らなかった世界に触れて、世界が広がっていくのも極端な話でおもしろい。父親の話は、あまりに不自然だと思う。この言い訳おやじめ、という感じ。毎日息子宛に手紙を書いてたっていうけど、息子から突然手紙をもらって、それで初めて過去に書き溜めた手紙を全部送るっていうのは、それはないでしょう。最後、切符が3枚届いて、わいわいわいと終わるって感じでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年10月の記録)


オリーブの海

ケヴィン・ヘンクス『オリーブの海』
『オリーブの海』
ケヴィン・ヘンクス/著 代田亜香子/訳
白水社
2005

愁童:つまんなかったです。細かいところに目がいきすぎている割には主人公のデッサンが貧弱。主人公とオリーブの関係がよく読者に伝わらないのに、題名が「オリーブの海」って言われても、作者が何を伝えたかったのかさっぱり分からない。

むう:だいぶ前に読んだっきり、あまりよく覚えていないんです。原書も最初のほうは読んだんですが、印象が薄かった。最近のYAものの一つの路線として、このタイプのものがけっこうあるような気がしてしす。癒し系、というのでもないんでしょうが、強いラインがない。スライドみたいにきれいなイメージをつないでいって、あわあわあわっと進んでいく感じ。ただ、Sun and Spoon もそうだったけれど、色のきれいな絵を見ているような感じ、あたたかい感じはこの人の持ち味なんだろうなと思いました。この子にとってオリーブの日記はひどく唐突なんだけれど、それをこの子は決して切り捨ててはいない。最後に海のかけらをオリーブのところに持って行くあたりも、この子の優しさなんだろうと思う。そういう死を巡ることが基本にあって、その間におばあちゃんとか、ジミーといろんなことがあるという形はよくわかるんだけれど、今ひとつ迫ってくるものが感じられなかった。

ウグイス:ストーリーに起伏がないので印象は弱いんだけど、思春期の女の子の心情をていねいに描いていると思うの。著者はとても繊細な人なのではないかしら。お父さん、おばあちゃん、お兄ちゃん、5人兄弟、それぞれとの関係を書きながら、マーサの感じたことや、小さな心の揺れをとらえている。オリーブは仲がよかったわけではないので、書かれていなくても仕方がないのでは? それが後から届いた日記を読んで、だんだんに存在を意識するようになるところがおもしろいのだから。インパクトのある作品ではないけど、読んでいるときは心地よく納得しながら読んでいきました。章立てが細かいのも読みやすかったし。

たんぽぽ:私はおもしろくって、あっという間に読んでしまいました。最初の手紙が、この物語全体の何か重大なメッセージとなるのかと思いましたが、そうではなかった。少女と家族のつながり、祖母との対話を通して生きるということ、老いるということが伝わってきました。海でおぼれかけたとき、自分が死んでも周りはひとつも変わらないと感じた少女の気持ちが、よく伝わってきました。最後の海の水を持って帰ってあげるところで、この子は純粋で優しい子なんだなと、思い、ここで最初の、友達の手紙の内容とつながった気がしました。

ミラボー:全体的な印象はよかった。死んでしまった子とのかかわりがもっと出てくるのかな、と思いつつ読んでいましたが、はぐらかされるというか、あまり出てきませんでした。作品の最初と最後に出てくるけれど、本の帯の宣伝文句とはずれていて、死んじゃった子のことが薄いような気がします。

アカシア:主人公のマーサは12歳なので、それまで特に仲良しではなくても、クラスメイトが死んじゃったというのはショックだと思うんです。しかも、その子オリーブが自分のことを考えていたとわかれば、そこから何かを考えはじめるのは自然だし、見えている世界が何かの拍子にパッと変わってしまうところなどはよく書けてますよね。お父さんやおばあさんが、とてもいい人だという点はクラシックですね。私は、海の水を持ってオリーブのお母さんを訪ねていくところとか、筆をとって水がなくなるまで描いていくというあたりは好きですね。でもね、こういうありふれた日常の中での心の揺れを書くのは、日本の作家のほうがうまいと思うの。だから、あえてこれを翻訳しなくたっていいじゃないかと思ってしまった。

きょん:半分くらいしか読めませんでした。すてきな雰囲気なのですが、忙しくて時間がなくて短い時間に読みつなげていたので、バラバラしていて世界に入れませんでした。落ち着いて、この世界にひたって読んだらもっと良かったのかもしれません。

みんな:どうしてこれが課題図書なの?

アカシア:生や死を扱っていて、嫌みがないからじゃない?

カーコ:前に読んだとき、感じのいい作品だったという記憶はあったんですけど、ストーリーはすっかり忘れてしまって、今回全部斜め読みしました。主人公のまわりの人たちは、年端のいかないルーシー以外、みなそれぞれの人生があって、主人公はその中でいろいろなことを考えていくんですね。それはおもしろいんだけど、大きな事件は起こらないので、山あり谷ありの派手なストーリーを求める子には、読みにくいかもしれないと思いました。ゴッビーは、主人公を導いてくれる大事な人物なので、もう少し強烈な印象があると、もっと全体のメリハリが出てきたんじゃないかしら。

むう:オリーブが死んだということと、夏休みのいろいろな出来事で現されるものとの対比が弱いんじゃないかな。「死」という通奏低音の部分がもっとしっかり流れていると、上に乗っている「生」のほうも、決して派手ではなく、強いストーリーがなくても、もっとくっきり浮かび上がってくる気がするけど。

カーコ:確かに、8ページの、オリーブの日記を読んだときの主人公の気持ちが書いてある部分も、弱い感じがしますよね。「ぞっとした」というのが、どういう感じなのかつかみにくいんじゃないかなあ。

アカシア:ヘンクスは、ストーリーの起伏で読ませるタイプの作家ではないので、翻訳だと、そのへんの機微がわかりにくくなるのかもしれない。p141の詩もぴんとこないものね。

愁童:あまりうまい作品とは言えないんじゃないか。家族のこともきちんと描かれていないし。12歳の子が共感するだろうと訳者後書きにあるけれど、家の方の図書館では子どもは全然借りていないんだよね。だから、ぼくはすぐ借りられたけどね。

ねず:白水社のこのシリーズって、読者対象はどうなんでしょうね。

だれか:やっぱりYAじゃない?

ウグイス:小学生でもわかるところもあるわよ。

アカシア:物語を構築するんじゃなくて、情景を重ねていくタイプのこういう作品は、翻訳すると、よほどうまく訳さないかぎり原文の微妙な味わいも消えてしまうと思うの。

ウグイス:作者が21歳の時に出たデビュー作All Alone は、男の子がたった一人で自然の中で光や音を感じるという静かな絵本。あわあわとしているのね。この人自身が静かな人なんじゃないかな。2005年に『まんまるおつきさまをおいかけて』(福音館書店)でコールデコット賞もとってるのよね。

アカシア:『夏の丘、石のことば』(多賀京子訳 徳間書店)は、二人の視点から描かれていて、もう少しくっきりしたわね。

たんぽぽ:子どもって、しっかり、うけとめているけれど、あっさりしている。薄情というのではなくて、なんか、さっぱりしているところがあるのではないかなと思います。

小麦:最初の出だしには、すごくひきつけられたんだけど、期待したほどおもしろくはなかったです。マーサの気持ちの変化や、他者との関係についての説明があまりされてなくて、全体的にあわあわとしていて感情移入ができず、物語をぼんやりながめた感じで終わってしまいました。どうしてジミーを好きになったのかとか、オリーブに対する気持ちとか、さらっとは書いてあるんだけど物足りない。そういったところに、12歳ならではの気まぐれさや、自己完結的で言葉足らずな面があらわれていると思えば、まあそうなんだけど。本文の組み方なんかを見ても、白水社のYAシリーズは完全に大人向けだと思いますが、この本は大人の私には物足りなかったな。かといって、12歳の子がこの本を読んでマーサに共感するようにも思えないし……。

げた:亡くなったクラスメイトの母親が突然訪ねてくるという、ちょっと変わった始まり方に、まずひきつけられました。夏休みのおばあちゃんちでのジミーたち兄弟との出会いや、ジミーの裏切りにとまどい、ゆれる12歳の女の子の、まあこの時期特有の心の動きに共感できる部分がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年10月の記録)


ぼくはまほうつかい

マヤ・アンジェロウ文 マーガレット・コートニー=クラーク写真『ぼくはまほうつかい』さくまゆみこ訳
『ぼくはまほうつかい』
マヤ・アンジェロウ文 マーガレット・コートニー=クラーク写真 さくまゆみこ訳
アートン
2006.09

写真絵本。主人公はガーナのアシャンティ地方(アナンシの話で有名なところですよ)にくらす少年コフィ。コフィが日々の暮らしや機織りの仕事や市場のようすなどを案内してくれます。アンジェロウはアフリカ系アメリカ人で有名な詩人で、ガーナで暮らしていたことがあります。アートンのアフリカの絵本第3弾。
文章を書いたマヤ・アンジェロウはアフリカ系アメリカ人の著名な詩人で、ガーナに住んでいたことがあります。写真を撮ったコートニー=クラークはナミビアに生まれたフォトジャーナリストで、「ンデベレ基金」を創設して、南アフリカの女性や子どものアートを支援する活動も行っています。この絵本をつくるにあたっては、ガーナ各地を取材したそうです。
アートンが今はないので、図書館で見てください。
(装丁:長友啓典さん+久万美那子さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+堀さやかさん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

この絵本の舞台になっているガーナは、金やカカオ(チョコレートやココアの原料)の輸出国として世界的に有名です。日本では、野口英世が黄熱病の研究をした国としても知られています。

ガーナの首都は、南部の大西洋に面したところにあるアクラ。第二の都市はアシャンティ地方にあるクマシ。コフィ君がくらすボンウィレ村は、このクマシから北東に20キロばかり行ったところにあります。ボンウィレは、この絵本にもあるように、ケンテという布の産地としてとても有名な村です。

ケンテは、複雑なデザインをもつ色あざやかな手織りの布で、追われる模様にはどれも意味があると言われています。細く織った布を縫ってつなぎ、大きな布にしていくのですが、手間のかかる豪華な布なので、ガーナの人は、普通は儀式や特別なときに身にまといます。この絵本では、コフィ君が旅に出る時も、海に行く時も誇らしげに胸を張ってケンテを身にまとっていますが、実際は普段着や旅行着ではなく、晴れ着です。また日本だと機織りは伝統的には女性の仕事を思われていますが、ガーナでは男性の織り手のほうがずっと多いようです。

次に「金の腰掛け」の伝説についてご紹介しておきましょう。17世紀にお生・トゥトゥという王様がアシャンティ一帯の小王国をまとめて統一し、ここに大きな王国をつくりました。このとき、空に黄金の腰掛けがどこからともなくあらわれ、オセイ・トゥトゥ王の膝の上に降りてきたという伝説があります。この金の腰掛けはアシャンティ王国のシンボルとなり、新たに即位しようとする王様は、今でも非公開の即位の儀式のときにはその上にすわるそうです。現在のガーナは共和国で王様が治めているわけではありませんが、王様は昔ながらの儀式などをとりおこなっています。

この絵本の表紙で、コフィ君が頭の上にのせているのは、金ならぬ木製の腰掛けです。アシャンティの人たちは、こういう腰掛けにすわってご飯を食べたり、お洗濯をしたり、おしゃべりをしたりするのです。

アフリカの昔話の世界では、「クモのアナンシ」が有名ですが、知恵のまわるいたずら者アナンシも、ガーナのアシャンティ生まれだということをつけ加えておきたいと思います。

最後になりましたが、この絵本を翻訳するにあたっては駐日ガーナ大使のバフォ・アジェバゥワ閣下に貴重なアドバイスをいただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

さくまゆみこ


ねむいねむいおはなし

ユリ・シュルヴィッツ『ねむいねむいおはなし』さくまゆみこ訳
『ねむいねむいおはなし』
ユリ・シュルヴィッツ作 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2006.09

アメリカの絵本。ねむいねむい夜が来て、ベッドの中の男の子もねむくなりました。部屋の中のテーブルや椅子も、壁にかかった絵も、窓のカーテンも、みんなねむそうです。ところが、どこからともなくノリのいい音楽が聞こえてきたから、みんなパッチリ目をさまし……でも最後にはまた眠りの世界へと入っていきます。
(装丁:桂川潤さん 編集:山浦真一さん)


2006年09月 テーマ:日常の中のこの世ならぬもの

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『2006年09月 テーマ:日常の中のこの世ならぬもの』
日付 2006年9月26日
参加者 ミラボー、たんぽぽ、カーコ、ウグイス、アカシア、うさこ、(げた)
テーマ 日常の中のこの世ならぬもの

読んだ本:

柴田勝茂『ふるさとは、夏』
『ふるさとは、夏』
原題:(パロル舎 1996)
芝田勝茂/作 小林敏也/画 
福音館文庫
2004

版元語録:夏休みに父の故郷を訪れたみち夫は,ふしぎな少女とともに,奇妙な世界に引きこまれて……方言の魅力と郷愁溢れるファンタジー。
池澤夏樹『キップをなくして』
『キップをなくして』
池澤夏樹/作
角川書店
2006

オビ語録:キミは今日から、駅の子になる。/学校も家もないけれど、仲間がいるから大丈夫。/電車は乗りたい放題、時間だって止められるんだ!/子どもたちの冒険/心躍る鉄道ファンタジー
ジャン・マーク『バスにのらないひとたち』
『バスにのらないひとたち』
原題:IN BLACK AND WHITE by Jan Mark, 1980, 83, 86, 91
ジャン・マーク/著  三辺律子/訳
パロル舎
1998.12

版元語録:誰もいないバス停に人の気配を感じて近寄れないジェニー、具合が悪くなることに憧れるエマ、こむずかしい言葉を好んでつかうデニスなど、50年代の英国を舞台に、不思議な子どもたちが繰り広げる物語七編を収録。ごわいやつ/チョット変な子どもはおもしろい

(さらに…)

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バスにのらないひとたち

ジャン・マーク『バスにのらないひとたち』
『バスにのらないひとたち』
ジャン・マーク/著  三辺律子/訳
パロル舎
1998.12

アカシア:私はジャン・マークの短編が好きなんです。日常の中のちょっとした裂け目をのぞきこんで不思議なお話を作るのが上手な作家ですよね。大人になって、雑事に追われているとつい見逃してしまいがちな感覚を、しっかり思い起こさせてくれます。この作品も、「大人の私」はおもしろく読みました。ただ、いくつかひっかかったところがあります。「通信」は、暗号のようなものがモールス信号だったことはわかったけど、具体的にはどうなっているのかよくわからなかった。後書きでもう少し説明してくれると、よかったですね。p181のトンネルと線路と歩道と車道の関係もうまくイメージできませんね。
「バスにのらない ひとたち」の話の原題はThey Wait。バスに乗らない人なら自分とはかかわらない感じですが、「待っている人」だと何を待っているのかわからなくてもっと怖い。文章の表記は、漢字とひらがなのバランスをもう少し考えると、もっと読みやすくなったと思います。p84あたりに日本語のイタリックが出てきますが、これ読みにくいですね。

ミラボー:私も「通信」はどうしてもわからなかった。今日ここで、わかった人に聞いて理解して帰ろうと思っていたんですが……。みなさんもわからなかったようで残念。個人的にイギリス文学でもケルト的な多神教の話は好きです。「かざられない写真」の話は、よくわかります。ぶきみな感じの話が多かったですね。

たんぽぽ:子どもたちは怖い話が好きなので、もっと子どもたちが楽しめる工夫がほしかった。読みにくかったです。

ウグイス:子どもだけにしか見えないものを描いて、なんとなくこわい雰囲気のある作品として、『キップをなくして』と共通のものがあると思ったんです。「バスにのらないひとたち」「お誕生日の女の子」などはわかりやすい話だけど、中には、情景がきちんと思い描けずに何回か繰り返して読まなければならないものもありました。もう少し工夫してほしかったわね。私も「バスにのらないひとたち」の原題がThey Wait なので、日本語から受ける感じとニュアンスが違うのではないかと思いました。p80でジェニーが最後に答える「バスにのらないひとたち」というところも、原著とは違ってくるのかも。
げた(メール):非常に読みにくかったです。内容的には高学年から中学生向きなのに比較的容易な漢字が平仮名になっていたりもするし。また、訳文から情景がイメージしづらかったですね。ですから、おもしろい本なのでしょうが、私にはその良さがわかりませんでした。日本の子どもにも、むずかしいのではありませんか?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年9月の記録)


キップをなくして

池澤夏樹『キップをなくして』
『キップをなくして』
池澤夏樹/作
角川書店
2006

うさこ:作者の、命をみる眼差しのあたたかさを感じた作品です。生きていることだけがすべてではない、魂の温もりというか、魂どうしの結びつきというか、そういうものを作品の中に感じました。キップをなくした子は駅から出られないという、一瞬ギョッとするような設定でうまく物語を展開させている。食事は駅の職員の食堂で、必要なものはキヨスクでただでもらえ、衣類は遺失物取扱から着替えを選ぶ。なんと、ここには子供用のパジャマもあり……と、一見突拍子もないことも、ついつい納得させられて物語を読み進めました。ステーション・キッズの仕事もなかなかユニークで、時に時間を止めるなどの魔法も使える。駅での集団生活も、社会的仕事をこなしながら夜はみんなで勉強と、すっかり「駅の子」社会を作り上げていましたね。そのなかにミンちゃんがいて、死んだら何も食べなくていいとか、なんで自分ばっかりと悔やんで向こうの世界へ旅立てないでいる……ミンちゃんの語ることばが実にリアルでした。ミンちゃんが旅立つために、と、おばあちゃんのお墓がある北海道までみんなで旅をして思い出を作ったあと、向こうの世界へ送る子どもたちの姿がすごく自然に描かれていました。

ウグイス:「キップはなくしてはいけないよ。なくしたら出られなくなるからね」という言葉は、子どもならだれでも親に言われたことがあると思います。本当になくしてしまったらどうなるんだろう? というところから始まるので、子どもはもちろん、そう言われた記憶のある大人も引き込まれてしまう。毎日大勢の人が駅に着いて、改札を出ていくけれど、それは皆キップを持っているから出られるわけですよね。駅というのは、どこか他の場所へ行くための通過点にすぎないのに、そこにとどまったらどういうことになるか、という話ですね。ところが、そこで生活するのは全く問題ない。食堂やトイレがあるし、仮眠室にはシャワーもあるし、着るものや日用品は期限切れの遺失物で間に合う。キオスクでは、お菓子を買おうと駅弁を買おうと全部タダ! 散髪も、本屋で本を買うのもタダ! 駅で働く人々はみな駅の子のことを知っていて、とてもやさしく接してくれる。子どもにとって、なんだか楽しい場所なんですね。しかも子どもだけの生活。絶対的な存在である駅長さんという人物が背後にいるけれど、子どもだけで考え、ルールを決めながら集団生活をする。年功序列的な構造ができていて、一つの社会が構成されている。しかも、大切な任務があり、きちんと自分のするべき仕事をこなしていく。うまくいかないときは、何と時間を止められる! 一人一人に責任もあり、子どもがいっぱしの大人のように暮らせるのは、子どもにとってとてもうれしいと思う。駅の子になれば、少し問題ありそうな子でもそれなりにきちんと受け入れられ、ちゃんと一人一人に居場所がある。そうやって、なんだか楽しい物語が進んでいくんだけど、あまり食べないミンちゃんが、「わたし死んでるの」という場面で、読者はドキッとさせられますね。ここから読者の読み方もがらっと変わり、なんとなくそうなのかなーと思っていたことが、「やっぱりそうだったんだ、この子たちは!」と思わせられる。
 そのあとは、ミンちゃんがぐっと表に出てきて、死後の世界の話という色が濃くなってくる。それからさらに局面が変わるのは、新入りの中学生が「キップをなくしても、清算券を買えば出られる」という、考えてみればあたりまえのことを言うとき。閉じ込められてるわけじゃない、出たければ出られる。そこで、自分はどうしたいのか、という問題をつきつけられる。そのあたりから、前半と雰囲気が変わってきますね。最初は、東京駅構内の細部の描写にリアリティがあり、ぐんぐん読み進んでいくんだけど、だんだんにちょっとした小さい疑問が積み重なってくる感じがしました。この子たちはどうして駅の子として選ばれたのか? 何らかの理由があって駅の子になるのでしょうが、何なのかはっきりしない。自分からキップを捨てる子もいるけど、どうしてなのかよくわからなかった。一生いるのではなくて、いつか出られるのだけど、出るきっかけも不明。親たちにはちゃんと連絡がいっているから心配していない、というけど、どういう連絡がいってるのか、疑問に思いました。

カーコ:私はこの作者が好きでいろいろ読んできたんだけど、この作品は全体に今ひとつ楽しんで読めなかったんですよね。自立した子どもの共同体という設定は、最初おもしろいと思ったんだけど。なぜおもしろくなかったのかな、と考えてみると、一つには、出てくる子どもたちが、全体にもののよくわかったいい子ばかり。みんな自分の役割を悟って、とても素直に行動するでしょう? 実際の子どもというのは、もっとハチャメチャなものだと思うんですよね。大人の見た子ども、という感じがしてしまって。また、最後に駅長さんが具体的な人として出てくるあたりでなんだかがっかりして、そのあと物語についていけなくなりました。グランマの語る死後の世界を、なるほどと読めるかどうかで、読後感が違ってくるんじゃないかしら。

たんぽぽ:キップをなくして出られなかったらどうしよう、家では心配してるだろうな、と思ったけれど、子どもたちはそんなことを考えずに暮らしているし、みんな、死んだ子かと思ったら、それも違っていた。後半は斜め読みになってしまいました。

ミラボー:作者は相当な鉄道ファンですね。設定も、青函連絡船があった時代ということが途中でわかります。鉄道好きな子に勧めてみたい。最後に子どもたちは家に帰りますが、そのあとどうなったんでしょう? 終わりが完結していないところが気になります。死生観や輪廻のことが出てきますが、p80に「生きているものが死ななければ、赤ん坊が生まれることもできなくなる」と書いてあるのを読んでドキッとさせられました。そうなのでしょうか?

アカシア:この作品は、まず設定がおもしろいですね。大人のいないところで子どもだけで段取りをして暮らしていくというのがおもしろい。カニグズバーグの『クローディアの秘密』(岩波書店)では子どもたちが美術館で暮らしますが、ここでは東京駅。そんなところでも暮らしていける、という発想がユニークです。駅のディテールもしっかりとらえて書いているところがいいですね。作者はインタビューで、イギリスの児童文学にあるような「行って帰る話」を書いた、と語っていますが、イギリスの児童文学は、帰ってからどうなったかも書かれているのに、この作品は、どうなったかが読者の想像にまかされています。大人の読者にはいいですが、小学生くらいだと大人よりもっと物語に入り込んで読みますから、疑問もあれこれ生まれてくるでしょうね。
 宇宙全体の大きな大きな心の中にいるコロッコたちが集まって新しい次の命をつくる、そしてコロッコは永遠に転生する、という考え方には、ひかれましたね。駅で暮らす子どもたちという意外性から物語が始まり、途中からミンちゃんの話になっていきます。ミンちゃんに関しては、読者も素直についていけて最後も安心しますが、他の子のことは書いてないのは、どうなんでしょう?

げた(メール参加):『キップをなくして』は身近なところに、非日常の世界を作り出して子どもたちを一時その中に引っ張りこむ話です。発想はおもしろいと思いましたが、読み終わって、子どもにとって「駅の子」になるということにどういう意味があるのか、と思いました。駅長さんや「死んだ子」を取り上げる中で「死」について作者の意見表明をしていますが、子どもはどういうふうに捉えるのでしょうか。なお、図書館ではこの本は一般書扱いになっています。

カーコ:一つわからなかったのは、この子たちが駅の子でいつづけた理由が釈然としないのに、最後に主人公は夏休み後、駅に戻るというでしょ? どれほどの動機があったんでしょうね。

アカシア:自分たちが果たしてきた役割を誰かが次の子たちに伝えなきゃいけないから、と書いてありましたよ。

カーコ:一人残らなければならないというのはわかるけど、なぜこの子がその一人になろうと思うのかしら?

アカシア:日常のリアルな世界との関連を考えていくと、なかなか難しいわね。

カーコ:ミンちゃん以外は、家族のことは全く書いていないし。

うさこ:キップをなくしたところで、もう魔法がかかっていると思ったので、私はあまり違和感はなかったけど。

アカシア:行って帰る話だと、帰ってみると現実の時間はストップしていたのがわかるとか、あるいは浦島太郎みたいに現実の世界でははるかに時間が進んでいたとか、とにかくファンタジー界と現実界では時間の流れ方が違うのが普通だけど、これは現実に学校に行く子どもたちを助けるところが出てくるので、現実世界と接点があり、そういう処理ができませんよね。子どもが読んだら、その間親たちや学校の仲間たちはどう納得していたんだろうか、とか、捜索願は出てなかったんだろうかとか、ひっかかるんじゃないかな?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年9月の記録)


ふるさとは、夏

柴田勝茂『ふるさとは、夏』
『ふるさとは、夏』
芝田勝茂/作 小林敏也/画 
福音館文庫
2004

ミラボー:アニミズムというか、あらゆるものに神様が宿っていて、その神様たちが楽しく活躍するという話は気に入りました。方言がきついので、入れているのはとってもいいですけど、読みにくいといえば読みにくい。だれが矢を射たのか、推理小説っぽく仕立てています。男の子と女の子のいる間に立つので、キューピットの矢かな、と最初から予想は立ちますが……。1990年の作品だけど、村の統合合併のことが話題になっていて、去年、今年あたりでもちょうど当てはまって、時代をとらえていると思います。

たんぽぽ:おもしろかったです。白羽の矢が立ってからあとも、短く感じました。方言が楽しくて、映画を見るような、おもしろさでした。

カーコ:とてもおもしろかったです。何の説明もなく方言が出てきて最初とまどったんですけど、これは読者が主人公のみち夫と同じ視線で読んでいけるようにわざとこうしているんだなあ、と途中で思いました。ほかの登場人物も神様も魅力的で、五尾村という世界がおもしろいんですね。矢のことを知りたいと思って読み進むんだけど、最後は、この世界を味わった満足感があるので、結末はどうでもいい感じがしました。物語が三人称で語られるからこそ、安心してひたりきれるのかも。p344の「おらちゃ、どっから来たがやろ。ほして、どこへ行くがやろ」というせりふが、生きることの不思議さを象徴しているようで心に残りました。

ウグイス:日本の児童文学らしい作品。この田舎は私の父の出身地と似ていて懐かしかった。子どもの頃、夏休みにひとりで田舎に長く滞在したことがあって、田んぼを抜けていくと川があって鎮守の森があってという風景を覚えています。バンニョモサといった呪文のような名前が出てきますが、村では近所同士苗字で呼ばずにその家のおじいさんの名前で「〜〜さ」と呼ぶ場合が多いんですね。この物語では主人公が田舎に行って、自分は誰も知らないのに、村の人々はみな自分のことを知っているという感じを受けますが、私も子どものとき同じような感じを味わいました。自分は初めて会う人ばかりなのに、村の人々は「〜〜さの何番目の息子の子」と知っていて、話しかけてくるんです。人間臭い神様が出てきますけど、村のおじいさん、おばあさんも、神様も、子どもにとっては同じようなものでしょう。生まれたときから見守ってくれる木とか、安心できる、ゆったりとした気持ちになる存在。会話が方言なのでとても雰囲気があって良いんですが、字で読むと読みづらく、子ども読むと苦労するかも。最後、主人公が家族のところに戻ったところも、自然な感じでいいですね。

アカシア:ファンタジーワールドをどこに作るか、ってことなんですけど、過去にさかのぼったり、まったく別の異世界をつくったりと、作家によっていろいろ苦労しています。この作品は、日本の現代で空間移動して、都会の子にとっては不思議な方言や風習が存在する「田舎」をファンタジーワールドにしてしまったところが、まずおもしろいですね。ブンガブンガキャー、ジンミョー、ゴロヨモサ、バンニョモサなど、神様や人の名前が片仮名で出てくると、それだけで不思議な感じがつくれる。神様がアロハシャツを着て温泉に出かけたりするのもおもしろいし、神様のくせに人間にたのんだりするのも意外。小林さんの挿絵もいいですね。方言の使い方も、わからないところは呪文のようにリズムを楽しんでいるうちに、だんだんわかってくるという状態をを主人公と一緒に体験できるので、これでいいのだと思います。
ただヒスイが、最初は引っ込み思案で、「きゃあ」と叫んで立ちすくんだり、みち夫にしがみついてふるえたりする場面があるかと思うと、後ろの方ではたいへん気丈な挑戦的で元気な女の子に描かれている。キャラクター設定に揺らぎがあるんですね。ひょっとすると、この男性作者の中に、憧れの女の子像と、児童文学としてはこう書かねば、という立て前とが乖離していて、こうなるのかな、と勘ぐってしまいました。白羽の矢をだれが射たのか、という謎で物語を引っ張りますが、村人たちは「神がかりしたり、ちょっと気がふれたりした村の者が射る」と考えているのに、神様たちは「人間ではなくて神様のだれかが射るのだ」と信じている。この辺があいまいなので、その後の犯人さがしもイメージがあいまいになっているのが残念。それから巻末に、この文庫版は1990年の福音館版の復刻で、別に加筆訂正したものが1996年にパロル舎から出ているとありますが、どんなふうに加筆訂正してあるのか知りたいと思いました。

うさこ:おもしろかったです。夏休みという限られた時間のなかで、行きたくなくて行った父親の故郷でおこる不思議な体験と空間と神様との出会いなど、設定は目新しくないですが、実にうまく書かれていて、物語のなかで十分に田舎の夏休みを体験できて楽しめました。暑い、汗、虫の声、ムシムシする風など、細部もうるさくないくらいに程良く描かれ、どっぷりと夏の舞台を満喫できた印象です。いろいろな神様がでてきて、それがどれもユニーク。明るくとぼけていて神秘的でない神様像もよかった。どちらかというとゲゲゲの鬼太郎の妖怪風なイメージだったけど。村の伝統行事、村独特の名称の付け方、人々の交わり方など物語の骨組がしっかりしていたのも、話にすんなり入れなじめた理由ではないでしょうか。この物語の山場は、「白羽の矢の犯人をあてる」シーンでしょうか。そこまでが、つまり神社ごもりの夜、白羽の矢をはなった犯人探しのところまでが、途中とっても長く感じられ、しかも方言の会話文を読み続けるのが少々辛かったかな……。

げた(メール紹介):ちょっと前の本ですが、うちの図書館では基本図書にしています。しかし、装丁などが古めかしいせいか、貸し出しはあまりないようです。私は今回初めて読んだのですが、意外に厚みのある構成と内容だなと思いました。家族、都会と田舎、色々な土着の神様たち、などいろいろ考えさせられる内容でした。白羽の矢は誰が?と推理仕立てになって、最後までひっぱってくれます。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年9月の記録)


アフリカの大きな木 バオバブ

ミリアム・モス文 エイドリアン・ケナウェイ絵『アフリカの大きな木バオバブ』さくまゆみこ訳
『アフリカの大きな木 バオバブ』
ミリアム・モス文 エイドリアン・ケナウェイ絵 さくまゆみこ訳
アートン
2006.08

ノンフィクション絵本。アフリカの大地にどっしりと根をおろし、空に向かって枝をひろげ、何千年も生きつづけるバオバブ。バオバブという木のふしぎと、サバンナに生きる動物たちの生き生きとした表情が楽しめる科学絵本です。アートンのアフリカの絵本第2弾!
(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん+船渡川由夏さん)

◆◆◆

<訳者あとがき>

私が最初にバオバブという木があることを知ったのは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を読んだときでした。バオバブという言葉のひびきがとてもおもしろくて記憶に残ったのですが、同時にこの物語には、バオバブはとても悪い木だと書かれていました。毒気を発してはびこり、しまいには星を破裂させるというのです。だから芽が出ているのを見つけしだいひっこ抜かなければいけないのだ、と。

その後私は、ナイジェリアの北部でバオバブの木を実際に見る機会にめぐまれました。そのときは乾季だったので、バオバブはすっかり葉を落としていました。ちょっと見ただけでは枯れているように見えるのですが、近づいて見ると太い幹からはしっかりとした生命力が感じられ、ふしぎな思いに打たれたものです。

東アフリカに行ったときには、バオバブの繊維でつくったバッグを手に入れ、もっといろいろ知りたくなって調べてみると、バオバブは悪い木であるどころか、とても役に立つすばらあしい木だということがわかってきました。バオバブには年輪がないので樹齢を調べるのはむずかしいのですが、2000年以上生きていると信じられている木もあるようです。この絵本を見ていただけばわかりますが、どっしりと立って、まわりの人間や動物に憩いの場や、子育ての場や、住まいを提供し、食べ物や生活の道具をもたらしてくれる木、それがバオバブだったのです。とくにバオバブの巨樹は、神聖な木とみなされたり、村人たちの集会の場となったりしています。西アフリカのセネガルのように、バオバブを国の木と制定して大事にしている国もあります。

バオバブは世界に10種類以上あって、アフリカ大陸のほかにマダガスカル島やオーストラリアにも自生していますが、この絵本に描かれているのはアフリカ大陸に育つバオバブ(学名でいうとアダンソニア・ディギタータ)です。

さくまゆみこ


2006年08月 テーマ:話題の本

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『2006年08月 テーマ:話題の本』
日付 2006年8月29日
参加者 愁童、ネズ、アサギ、驟雨、ミラボー、アカシア、げた、ウグイス
テーマ 話題の本

読んだ本:

E.R.フランク『少年アメリカ』
『少年アメリカ』
原題:AMERICA by E.R.Frank, 2001
E・R・フランク/著 冨永星/訳
日本評論社
2006.04

版元語録:心のなかで、人々のなかで、制度のなかで、少年は迷子になった。自分の居場所を見つけたいすべての人に贈る、セラピスト兼作家の「荒々しいまでに誠実」な物語、初めての邦訳。
エリアセル・カンシーノ『ベラスケスの十字の謎』
『ベラスケスの十字の謎』
原題:EL MISTERIO VELAZQUEZ by Eliacer Cansino, 1998
エリアセル・カンシーノ/作 宇野和美/訳
徳間書店
2006.05

オビ語録:あの絵の中に「足を踏み入れた」日のことをぼくはけっして忘れない……/異国の宮廷で生きる少年が語る、画家ベラスケスの絵の謎とは……
斉藤洋『白狐魔記 源平の風』
『白狐魔記 源平の風』
斉藤洋/作
偕成社
1996.02

版元語録:仙人のもとで修業し、さまざまな術を身につけたきつね白狐魔丸が、源義経と会い武士とは何なのかを考える大河ファンタジー。

(さらに…)

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白狐魔記 源平の風

斉藤洋『白狐魔記 源平の風』
『白狐魔記 源平の風』
斉藤洋/作
偕成社
1996.02

アカシア:この本は子どもによく読まれているし、シリーズの4作目が最近出て、話題になってますね。

愁童:ぼくの居住地の図書館には入ってなくて、借りられなかったので読んでません。

驟雨:この作家の本は、読書会でも、『サマー・オブ・パールズ』、『ルドルフとイッパイアッテナ』(どちらも講談社)と、これまでにたしか2冊取り上げていて、これが3冊目だけれど、『サマー・オブ・パールズ』が、男の書いた都合のいい女の子だと不評だったのと表裏一体で、こういう男の世界を書かせると、この人はうまいなあと思いました。お話として、とてもおもしろく読みました。最後に、キツネが仙人のところにとことこと戻っていくあたりの書き方も、いいなあと。シリーズの次の巻も読んでみたいなあと思わせられました。おもしろかったです。

ミラボー:私は正直言ってあまり好きじゃなかった。「フォレスト・ガンプ」という映画でいろんな史実に立ち会うという設定があって、そういう感じかと思って読んでいたら、思ったほどは史実に立ち会わなかったんで、拍子抜けしたのかもしれないな。なんだか説教臭くて、人間とはこういうものであるとか、修行はこういうものだとか、キツネがまじめくさっていて……。

アカシア・ウグイス:そこがおもしろいんじゃない! わざとそういうふうにしてるのよ。

ミラボー:私は嘘くさかったり説教臭いように感じたんだけど。この著者の本を初めて読んだんで、他のを読むと違うのかもしれない。

ウグイス:歴史のことは少ししか出てこないけれど、とにかくこのキツネがおもしろい。仙人について修行したりするけれど、その仙人が不真面目なのがおかしいの。かるーく読むべき本だと思う。このキツネ、ばかみたい、とか思いながら読まないと。坊主の話を床下で聞いているところのおかしさとかね。ユーモア小説だと思う。もったいぶって、大上段に構えているところが、またおかしいの。私はこの本はとても気に入って、おもしろいと言ったら、別の人は「こんなのくだらん!」と言ってた。まじめな人だったから、まじめに読んじゃったのね。この本は、まじめに読んじゃだめ。おかしい話として、アハハと笑って読めばいい。

げた:斉藤さんは、説教くさい話が大嫌いなタイプですよ。図書館に来てもらって話してもらったときも、そう言ってました。これはシリーズで4巻目まで出てますけど、1巻目がいちばん新鮮でおもしろかったですね。キツネが修行して、自由に人を化かせるように成長していく様子がおもしろかったですね。4巻目はキツネのことよりも、信長のことなど史実をたどることに力点が置かれているようで、物語のおもしろさが少なかったかな。

驟雨:あの、キツネが街道で人に出会って、化けてみたら、相手そっくりになってしまい、それで相手が逃げだすというエピソードは、おもしろかったですよね。

アカシア:斉藤さんは、ストーリーテラーで、エンターテインメントのおもしろさに徹しているんだと思うな。変身の過程を細かく書いている本って、あんまりないんだけど、この本は、尻尾の処理がうまくいかないのは「空」にしなければならないからだ、という。そのあたりなんかもうまいですよね。リアリティを追求するんじゃなく、笑って読む本。ただし本をよく読む人にとっては、サービス過剰が鼻につくかもしれませんけど。ところで冒頭に出てきた猟師は謎めいてるけど、だれなの?
誰もわからず。

げた:私は斉藤さんの作品の中では、最初の作品「ルドルフとイッパイアッテナ」がいちばん好きですね。あれは傑作だ。

ウグイス:私はこっちのほうが好き。

アサギ:この人、浪花節よね。基本的に。だから日本人に受け入れられやすい。ときどき悪のりしたりするけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)


ベラスケスの十字の謎

エリアセル・カンシーノ『ベラスケスの十字の謎』
『ベラスケスの十字の謎』
エリアセル・カンシーノ/作 宇野和美/訳
徳間書店
2006.05

アカシア:今回は3冊とも、最初は状況がよくわからない謎の部分から入っていく本でしたね。この本ではまず少年が上げ底の木靴をはかされる場面がでてきて、え?と思っていると、読んでいるうちにだんだんとわかってきます。子どもが読む物語として、主人公の少年にくっついて興味をつなげて読んでいける、よくできた作品だと思いました。訳者の方はご苦労なさったようですが、とてもわかりやすい形になっているなあと感心しました。おもしろかったです。ベラスケスの絵に描かれている赤い十字架の謎を解くというプロットもいいですね。また、本の後ろに人物紹介があって、「ラス・メニーナス」の絵には登場しない人までいくつか絵が入っています。日本の読者にとってはありがたい工夫だと思いますが、これは日本語版だけなのでしょうか。

ウグイス:日本の子どもにはベラスケスといってもわからないし、この表紙の絵も知らない。スペインの宮廷の話で、まして17世紀ともなれば、時代背景は日本の読者には非常に遠い。読者対象はどうしても中学生かなと思います。でも、この本は、状況設定がそれほど遠いにもかかわらず、読者が最初から主人公にくっついていける構造をもっているので、意外にすらすら読めますね。まずお母さんが死んで、かわいがってくれるのは乳母だけ、それなのに引き離されて、父親に売られて、見知らぬ人ばかりの船に乗って……と、これはどうしたって主人公の味方にならざるを得ない始まり方。そして、船に乗ったところからは、何か途轍もないことが始まるという予感がして、次のページをめくらずにはいられない。その上、主人公の感情や気持ちに忠実に書かれているから、ぴったりついていきやすいと思います。しっかりした冒険ものとしての枠組みがあり、一気に読めます。長さも程よくて読みやすく、日常とまったく別の不思議な世界に連れて行ってくれる作品だと思います。

ミラボー:この絵は実物を2回見たことがあります。著者はスペインの子に向かって書いているから、前提としている知識が二つあると思いました。一つは絵の中の十字架は、王様がベラスケスの功績を称えて、死後に書き加えさせたといわれていること。二つ目は、当時のスペイン宮廷には矮人がいっぱい集められていて、ベラスケスは矮人に対してあたたかい愛情をもって描いていること。エル・プリモなどはとても有名です。なお私は絵の右の子(ニコラスに相当)は普通の女の子だと思っていたのですが、それも矮人だったのかとこの本を読んで初めて知りました。この二つのことはおそらくスペインではよく知られていることなので、日本の読者に向けては、それをどこかで補った方が親切かもしれません。ネルバルが悪魔で、ベラスケスは魂を売っても永遠の命を作品に求め、最後に十字架でベラスケス自身の救いを得て大逆転というのは、フィクションとしてよくできていると思います。私の中学では全員に読ませてみようと思っています。まず絵を解説しスライドを見せておいてから本を渡すつもりで、そうすれば基礎知識が得られて、お話に入りづらい子も減ると思います。

ネズ:アニメやゲームには、悪魔に魂を売るという話がけっこう出てきそうな気がするけれど……「悪魔」とはっきり言い切っていないところもいいですね。

ミラボー:どこにも書いていないけれど、やっぱりネルバルは「悪魔」であると読むんでしょうね。十字架を描き加える時に、ろうそくを消したりして抵抗しているわけですよね。

アサギ:悪魔を封じる十字架というふうには出てきますよ。この絵は、プラド展に来ていましたね。あそこではマリバルボラについておかしな解説が付いていたので、この本で初めてこびとだったのだとわかりました。とてもおもしろく読みました。ストーリーそのものもミステリアスで興味深かったし、宮廷にこういう道化がいることは知っていましたが、こんなふうに人買いのように集めていくことや、その宮廷での立場など、かれらをとりまく史実を知らなかったので、とても新鮮でした。未知の世界に入りこむおもしろさがいちばんだったかな。もちろん、ストーリーもうまくできていて、最初、え?と思っていたら、すとんと落ちるべきところに落ち、なるほど、という感じでした。翻訳もすらすら読めて、よかったですね。スペインのことだけでなく、宮廷画家という存在についてもあまりよく知らなかったので興味深く読みました。子どもはベラスケスや宮廷についてなどむろんぴんとこないでしょうが、ストーリー展開のおもしろさでついていくと思います。

ネズ:とてもおもしろくて、私も一気に読みました。ベラスケスの絵のことや、スペインの宮廷の知識がなくても、じゅうぶんに楽しめると思います。異文化や、知らない世界の遠い時代のことを知るというのも翻訳本の楽しみのひとつですが、この本はそういった楽しみを存分に与えてくれる。それに、いわゆるフリークの悲しさもとても上手く書けている。差別的な感じや、自分を高所に置いた哀れみの視線をまったく感じさせないのは、そういう子どもを主人公にして、その子の視線で書いているからだと思いますが、作者の配慮が感じられ、見事だと思いました。『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著 角川書店)の影響で、古典的な芸術や、いわゆる名画に興味を持つようになった子どもも大勢いると思うので、そういう子にぜひ読んでもらいたい。訳文も美しく、p63の真ん中あたりの訳など、本当にうまいなあと思いました。

驟雨:なんというか、私が小さい頃になじんでいた、岩波や福音館の児童図書みたいな、これぞ児童図書正統派という感じでした。豊かな感じがして、自分の知らない世界をじょうずに見せてくれる。文章も構成もきっちりしているし、とてもいいなあと思いました。この題材になった絵は、プラドでも暗くした特別な部屋に一つだけ飾ってあって、見ている人がその絵のなかに入ったような感じがするのだけれど、それに通じるものがこの物語にはある気がしました。謎めいたムードがあって、それが決して安っぽくない。伝統をきっちり踏まえている感じですね。あと、最初のところが木靴の話で、え?という感じで入るからこそ、子どもたちは、矮人である主人公の気持ちにすっと入っていける気がしました。これが最初から矮人だとわかってしまうと、子どもたちは自分とは違うと感じてしまって、なかなか入れないかもしれないけれど。とにかくおもしろかったです。

愁童:『少年アメリカ』と続けて読んだので、双方の作者の立場の違いみたいなものが、作品に反映されていて興味深かったですね。小さい子が主人公で、その子は父親が嫌い、というあたりは『少年アメリカ』にも通じるものがあるけれど、聖体拝受のエピソードで、坊さんを倒してしまうといったとても印象的な場面をぽんと置いて、少年像がきっちり読者の心に残るような配慮をしながら作品を作っている点など、童話作家としての巧みさを感じました。

げた:次はどうなるんだろう、という感じで読み継いでいけるので、読みやすい本です。歴史知識が必要なので、中学生向きかと思います。ニコラの出世物語ということで、中身自体はそれほど難しくないし、分量的にも中学生で本を読み慣れていない子にも読めると思います。

ミラボー:表紙で犬とニコラスだけに色がついていますが、これは、犬と少年が主人公ですよ、ということですね。
ひとしきり、ベラスケスの絵の話で盛り上がる。

ミラボー:冒頭の、ガブリエル・マルセルの言葉については、どう思われました?

アサギ:最後につながるんじゃない。ベラスケスの作品が完成したことが神秘なのかしら?

ウグイス:私は素直にふうん、そうなんだ、と思って読んだけど。

ネズ:神秘というのは運命のことかしら。

驟雨:この言葉がここにあるために、この本には不思議なことが出てくるぞ、という感じが醸し出されているんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)


少年アメリカ

E.R.フランク『少年アメリカ』
『少年アメリカ』
E・R・フランク/著 冨永星/訳
日本評論社
2006.04

愁童:おもしろかったです。文学作品としてはどうかと思うけど、翻訳者の仕事ぶりがおもしろかった。言葉の選び方や文章のリズムが巧みで、読み手が鬱や心身症を疑似体験させられるような感じに引き込まれてしまうのが印象的だった。後半でセラピー描写が前面に出すぎてくるのが惜しい。前半と同じようなパターンで物語が進んでくれれば、この翻訳者の文体で少年アメリカの内的変遷を疑似体験できるとてもユニークな翻訳書という印象で読了できただろうに、その点がちょっと残念でした。

ネズ:難しい作品だな、と思いました。こういうものをフィクションで書くのと、ノンフィクションで書くのとどっちがいいか、考えさせられました。主人公の生い立ちの部分はおもしろいけれど、私はセラピストの仕事というものをまったく知らないので、セラピストがどのように向かい合ったから、主人公が立ち直ったのか、そのへんがよく分からず、難しかった。こういう本は、同じような境遇にある子は絶対に読まないし、こういう境遇にない子は、自分とは違うと思って読まないのでは? 読者対象をどこに置いているのかしらね?

アサギ:解離性障害というのは、つらい現実から逃避するためのひとつの形だと言うこととは漠然と知ってましたが、こういうことなのか、と私は興味深かったですね。この本はアメリカの若者に人気があるとのことですが、どういう子に支持されてるのかしら?

驟雨:普通の子ですよね。作者は、普通の高校の本棚に置く本として作った。この作品は作者の2作目ですが、若い子からの反応がより鮮明なのは1冊目のほうだということです。

アサギ:少年犯罪は日本でも多発していますけど、罪を犯した子どもたちの更生はどうなっているのかと興味がありました。この本を読んで更生の可能性が感じられ、そこがよかったですね。翻訳は難しかったと思うけれど、とても読みやすかった。それから、こういう子どもたちって大きく見るとけっこう共通項があると思うのね。共通項があるということは、導くための一定の方法もありうることになりますね。むろん、人間は一人一人ちがった個性の持ち主だと言うことは大前提だけど……。それからあらためて思ったのは??この子は料理に関心をもったことがターニングポイントになったけど??好きなこと、得意なことがあるってこんなにも大切なんだということでした。

ミラボー:すごい本だと思った。転落していく過程がよく書かれていたし、ドクター・Bとのカウンセリングの過程が延々と続き、なかなか先が見えないんですが、最後には救われる。イタリックに字体を変え、主人公がふっと別のところに離れて、また戻ってくるというのがわかるように書かれてますね。作品としては最後に救いがあってよかった。訳すのは大変だったろうと思います。特にののしり言葉などは、日本語のほうが少ないので大変だったでしょう。

ウグイス:あまりにも生々しくて、つらくなるような描写が続く中で、一つとても印象に残ったのは、小さいとき、ハーパーさんから隠れると、「ほうら、見つけた! もしもし、あなた、そこにいるのが見えますよう」といって見つけてくれる。「それでおれは、金切り声をあげる。見えるっていうのはほんとうに気持ちのいいことだから。」(p29)というところ。誰からもちゃんと見てもらえない子どもの心情がとてもよくわかる部分でした。最後まで読むと、これが伏線になっていることがわかり、感動しました。

アカシア:フィクションかノンフィクションかという点ですが、作者はきっと、この子のような子と何人も接してきたのでしょう。でもこの作品では、そういう子どもたちの代表として「アメリカ」という少年をつくりだし、フィクション仕立てにしているわけですよね。内容はとても重いですが、読んでよかったと思いました。ただ、読者対象はどの辺なのか、作り手の側はどう考えたのでしょう?

驟雨:アメリカではこの本は若い人向けに出ていて、「自分たちと同じようなことに関心があって、同じような言葉(汚い言葉)を使っている子がここにいる」という読まれ方をしているけれど、それをそのまま日本に持ってきても、距離感があるから同年代では読めない。だから、読者対象としては、そういう虐待などを受けて苦しんでいる子たちを相手にする、たとえば福祉関係などの大人を想定していると思います。

アカシア:子どもの本ではないんですね。巻末に広告が載ってる夜回り先生(水谷修氏)の本は、実際に救いを求めている子が読んでますよね。これは、それとは違って、本当に問題をかかえている子には難しい。時系列が行ったり来たりするので、本を読み慣れていなければ読みにくい。少年アメリカがセラピストとやりとりをしている現在の部分と、過去を思い出す部分が交互に出てきますが、回想の部分の会話は、もっと子どもらしい言葉づかいにしてもよかったのでは? たとえば「書類」(p36)は、幼い子どもの言葉ではないから。ハーパーさんの言葉づかいも、もう少し統一されると人間像がつかみやすくなると思いました。この作品は、甘いところをすべて排除してきりっとしてるんだけど、その分、読者としては読みにくいかもしれない。それから、セラピストはいい人ではあるんでしょうけどこの本からは人間味が感じられなくて。職業柄仕方ないのかも知れませんが、すごく嫌な、少年アメリカでなくても蹴っとばしたくなるような人に感じられました。なので、主人公にも感情移入しにくいし、セラピストにも感情移入できない。

ネズ:セラピストがマニュアル通りにやっているので、こうなるのでは?

驟雨:本人の言葉をそのまま繰り返しながら、本人に自分の内面と向き合わせるというのが、このセラピストのアプローチだと思うんです。この子は、それまでにもいろいろなセラピストと対面してきて、大人との回路はほとんど遮断したような状態で自分を守っているから、たとえば親しみを前面に押し出すようなアプローチでは、この子にすればうさんくさいだけだということになる。だから、主人公とドクターBというセラピストとの会話は、普通の人との会話ではなく、そっけない感じになるのは仕方ないと思います。

アカシア:本人が言ったことをただ繰り返すセラピストを、私はマニュアル通りに応対するお役人みたいだと思っちゃったんです。

ウグイス:でも、少年アメリカにとっては嫌な奴なんだから、彼の感じ方で描くとこうなるんじゃないのかな。

アカシア:そういうのはあるかもね。でも、子どもの本だと読者は誰かに寄り添って読みたいのに、この作品はそういう人が誰もいない。

げた:図書館ではこの本は一般書にはいっています。時間の流れが行ったり来たりして、構成がむずかしくって、なかなか理解しにくいですよね。読みにくい部分もあるし、映画を見るように自分で映像をイメージしながらしっかり状況をつかんでいかないと、会話だけがどんどん流れていってしまう。ぼくも、少し前に戻って読み直したり、何日か時間をかけて読まなければなりませんでした。最終的には救いがあり、野菜を育てて、土の感触を得て前向きな生き方になっていくのが感じられて良かった。作者はまえがきで、これは「教訓話」じゃなくて「優れた物語」を作ろうとしたと書いているですけど、なかなか物語として楽しむところまではいきませんでした。セラピストの助けを借りながら立ち直っていく子どもの生き様を扱ったドキュメンタリーのような読み方しかできませんでした。

驟雨:イギリス版の原題はAmerica is Meで、アメリカ版ではAmerica となっています。イギリスでは、YAコーナーと一般書の場所に、どちらもたくさん並んでいました。万人受けするタイプの作家ではなくて、ツボにはまって熱狂的なファンがつくタイプの作家で、ああいいな、と思う人が何人かはいるという感じだと思う。アメリカでの若者の反応も、すっと入っていけてすごく感激したという感想もあれば、自分とはまったく違う世界だし、何でこんなものを読まなきゃなんないの、と不満を前面に出した感想とに分かれていました。デビュー作が圧倒的に若者の支持を得ているのに対して、こちらはもう少し年齢が上の人たちまでターゲットに含めているようなところがあります。私自身、問題行動といわれる行動をとる若者をどう書くかに関心があって、けっこうアメリカやイギリスのそういう本を読んでみたりもしているけれど、家庭内暴力の被害者、ドラッグ常習者などが転落していく過程はリアルに書けても、そこからある程度のところまで回復していくのを書ける作家はほとんどいないといっていいと感じていました。つまり、回復過程にリアリティがない本が多いのだけれど、この本は、その部分がかなりしっかり書けている。それは、作者のセラピストとしての経験があるからでしょうが、たとえば少年アメリカが小さいことが目に入るようになってくるといった変化が、ちゃんとポイントを押さえて書かれているので、リアリティがあるのだと思います。現実にこういう子どもたちと接している大人たちは、様々な迷いを抱えながら、とにかく子どもと向き合わなければならないわけで、そういう大人に読んでほしい本です。ひとつ不思議な気がするのは、原書は、「本があまり好きでない子ども向け」の本として、リストに入っていること。主人公の、ものすごくヒリヒリした感じを出しながら、でもどこかでは温かいものとつながっている感じは、同世代の子には伝わると思います。でも、日本語となると、表現の仕方がとても難しい。原書は、話し言葉がそのまま文になったような作品で、そのままでは日本語にならないという問題もあります。

ミラボー:主人公が予想する調書の文面が出てきて、この少年の育ってきた過程がわかるけれども、それとは別に実際に起こったことも書かれているので、それらを総合して読んでいけばいいのでしょうね。

驟雨:セラピストによるセラピーというのは、向き合っている子の影の中に、その子の過去がいっぱいつまっていて、それが必要以上にふくれあがっているのを、原寸に戻して、その子にも受け止められるような形に持って行くことだと思います。その意味で、たとえばブラウニングの、主人公を安心させておいてから根底から覆すという行為の残酷さをちゃんと理解して、主人公が、そういう人に対して敵意を持つのは当然なんだと支えてあげる。それでいながら、人を殺すようなことはいけないことだということも押さえる。そういうバランスを本人一人でとることは、ほとんど不可能に近いわけで、それを助けるのがセラピストなのだと思うんですね。セラピストという存在は、自転車の練習をするときの補助輪のような存在だと思う。ちなみに、この本はイタリアとドイツでも翻訳されていて、ドイツではYAの賞の候補にもなっています。

アサギ:私はセラピストの口調がそれほど嫌だとは思わなかったけど。

げた:最後の解説で、この本の最大の魅力はセラピストが解離した人格を統合に向けるプロセスをリアルに描いていることであると言っているから、セラピストはそもそも、そういうやり方をするんだなと思ったんですけどね。

ウグイス:エイダン・チェンバーズの『おれの墓で踊れ』(浅羽莢子訳 徳間書店)の構成に似てると思いました。あれも、現在の取調べの場面と、本当に起こったことの回想部分とが交互に出てくるでしょ。

ネズ:私も『おれの墓で踊れ』の最後の部分を思い出しました。でも、あれは警察官の言葉を借りて事実を述べているわけだから、少し違うのかもしれないけれど……文章の字体を変えているところは、原書ではどうなっているのかしら?

アカシア:それとスラングがたくさん出てくる作品は、同じ作品でもアメリカ版とイギリス版でかなり違う表現になっている場合があるけど、これはどうなんですか?

驟雨:書体を変えたのは、日本語版の工夫です。それから英語はこの本では、イギリス版もアメリカ版もほとんど変わっていない。なぜなら、この本は、アメリカという国についての話でもあるから。

げた:でも、アメリカでは読書に慣れていない子にすすめる本とはね。うちの高校生の息子にもすすめてみようかな。

ネズ:いつも自分で使っているようなスラングがいっぱい出てくるから、ラップを聞くみたいにすーっと読めてしまうのでは?

愁童:ぼくは、やはりセラピストが書いているという限界を感じちゃった。少年アメリカがよく見えてこない。この子の本体は何なのかが、イマイチわからないでしょう? ハーパーさんと暮らしたほうが幸せだったのか、あるいはブルックリンとのことは彼にどういう影響を与えたのかを書いて少年アメリカ像を読者の前に提示しようというよりは、こんな子にはセラピーが必要なんだってことが前面に出てきちゃってる感じがする。

驟雨:逆に、この子の本体が見えないということで、少年アメリカ自身が自分を掴めなくて混乱してる状況がくっきりと浮き彫りになる気がするけれど。

愁童:確かにそういう面はあると思うけど、フィクションとして書かれているという前提で読むと物足りない。鬱だの心身症で生まれてくる子はいないわけで、そんな普通の少年アメリカが、どんな対人関係で、どんな生育環境で育ってきて今セラピーを受けるような状態になっているのか、そこら辺がよくわからないのが残念。推察はできるけど、作者は、あまり明確には書きこんでないのがもどかしい。

ネズ:プライバシーがうるさいから、ノンフィクションでは書けなかったのかな?

アサギ:名前を「アメリカ」にしたっていうのは、きっとそういう意味があるのよ。

愁童:小説として読めば、こういうふうになったプロセスにこそドラマがあるわけで、そこがあまり書かれていないので、何となくセラピーPR本みたいな印象になっちゃうのが残念でしたね。

驟雨:むしろこの著者は、子どもをとりまく大人たちの状況、社会の状況に対する怒りが一つのエネルギーとなって、創作に向かっていると思うけれど。

愁童:セラピストと少年アメリカの対話の中で、少年像が透けて見えるような書き方があると読者はもう少し想像力を刺激されて、興味深く読めたんじゃないかな。

アサギ:セラピーというのはこういうものなんだな、ということはわかったわ。こういうふうに人間って変わっていくんだな、と。

ネズ:私の大好きな作品『地下鉄少年スレイク:121日の小さな冒険』(フェリス・ホルマン作 遠藤育枝訳 原生林)は、少年アメリカほどじゃないけれど、家族も友だちもいず、精神的に追い詰められていた少年がNYの地下鉄に逃げ込み、121日間の地下生活をするうちに、それこそ袖擦りあうだけの人々との関わりによって救われ、ついに地上に出るという物語なんだけど、今の時代、こういうのはまったくの夢物語で、セラピストの登場を待たなければ救われないということなのかしら?

アカシア:小説として出すのか、それとも一種のケーススタディとして出すのか、本の出し方がどっちつかずなのでは?

驟雨:こういう本を出すときに、すぐに思いつくのが、スキャンダラスな部分を強調したり、実話だぞ、という点をうたい文句にした売り方だけれど、そういうふうに扱うべき本ではないと思うし、そのあたりは難しいと思います。

アカシア:とにかく翻訳が難しいタイプの作品ですよね。少年アメリカの一人称は英語ならすべて「I(アイ)」ですむけど、日本語では逆に小さいときの回想まで「おれ」で通しちゃうと違和感が出てきてしまう。

驟雨:一人称の問題ももちろんあるし、あと、米国でよく使われている固有名詞を使ってる部分などは日本語にできないから、そこで読者との距離感が出てしまうということもあると思います。この著者は、英語という言語を非常にうまく活用して書いているので、そこを日本語に移すときの減速感は否めない。

愁童:主人公の不安定な気持ちがせっかくここまで伝わっているのに、最後が説得力に欠ける。ドクターと会話しているうちに、急に優しくなったり、ものがわかるようになるというのに、ちょっと違和感を持ちました。セラピストのどんな言葉が、どんな態度物腰が少年を癒し、変えたのかがイマイチ明確には書かれていないのが物足りない。

驟雨:でも、少年アメリカが一人でぽつんと孤立していて、まったく手がかりのない状態、自殺願望を持っている状態から、ようやく一筋の光が見えるところまで行く過程は、かなりよく書けていると思います。外界のいろいろなものと、内面の変化が呼応しながら進んでいくあたりは、様々な記憶がよみがえっていく順序とか、心の動きはかなりリアルですし。

愁童:作者はこの本の冒頭で「優れた物語を書きたかっただけ」って言ってるよね。でも最後の解説を読むと、セラピー事例としての捉え方がされていて、何だ、結局そう言うことだったのか、みたいな感じになってしまうんだよ。

ネズ:冒頭の作者の言葉にあるように、あくまでも物語として読ませるなら解説はいらなかったし、セラピストとか、プロを読者対象にすえるなら、冒頭の作者の言葉は違和感がある……。

ウグイス:セラピストというものに対するうさんくささが、この解説で惹起されてしまう?!

アカシア:あと主人公の少年自身の魅力が、もう少し出てくるとよかったね。

驟雨:少年アメリカの人柄はかなりよく出ていると、私は思いました。たとえば、セメントの四角い隅に靴跡があって、そこを踏んづけたらハーパーさんちのドアが開いて、「お帰り」といってくれたというところは、実は偶然なんだけれど、幼い子どもにはそう見えたりする。それに、ライザに対する好意があっても、ブラウニングのいたずらが始まると、どんどん混線して、逆にライザを遠ざけようとするのもリアルです。結果としては、人を殺すことになりながら、それでいて本人はとても素直なところ、感受性の強いところがあるというあたりも、うまく書けていると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)


いちばんのなかよし〜タンザニアのおはなし

ジョン・キラカ『いちばんのなかよし:タンザニアのおはなし』さくまゆみこ訳
『いちばんのなかよし〜タンザニアのおはなし』
ジョン・キラカ作 さくまゆみこ訳
アートン
2006.07

タンザニアのティンガティンガ派の画家による、楽しい絵本です。親友だったゾウとネズミ(ずいぶんと体の大きさが違うのに!)が、とっても愉快な絵を通して、本当の友情について教えてくれます。ボローニャ国際児童図書展ラガッツィ賞受賞作品。(装丁:長友啓典さん+徐仁珠さん 編集:細江幸世さん+佐川祥子さん)

ボローニャ国際児童図書展ラガッツィ賞受賞

◆◆◆

<訳者あとがき>

ボローニャ国際児童図書展でラガッツィ賞を受賞したこの絵本は、タンザニアの絵本作家ジョン・キラカが出版した2冊目の絵本です。この独特な趣のあるゆかいな絵は、ティンガティンガ派とよばれるタンザニアの画家たちの流れから生まれました。

この流派の始祖はエドワード・サイディ・ティンガティンガという1932年生まれのユニークな人で、農夫、庭師、八百屋、刺繡屋、ペンキ屋、ミュージシャンなどの仕事をしながら、絵も描いていました。最初は自転車にぬるペンキで、合板に描いていたといいます。タンザニアの動物や自然や人々の暮らしを描くその絵は、しだいに評判になり、観光客にも人気が出て売れるようになったため、ティンガティンガは親戚や友人の若者たちに教えるようになります。こうして画家のグループができたのですが、彼自身は1972年に友人たちと乗っていた車が盗難車とまちがえられて(あるいはティンガティンガが知っていたかどうかは別として、実際に盗難車だったという説もあります)パトカーに追跡され、警官に撃たれて不慮の死をとげました。

しかしティンガティンガの死後も弟子たちは活動をつづけ、今は画家たちがたがいに技をみがきあったり助け合ったりしています。ティンガティンガ派の画家の中には、観光客向けのきまりきった絵を描く人もいますが、この絵本の作者ジョン・キラカのように、豊かな独創性をもって新たな世界を切りひらいていく画家も生まれてきています。

タンザニアだけでなくアフリカ大陸はおもしろい昔話の宝庫で、動物を主人公にした昔話もたくさんあります。人間を主人公にすると、自分の悪口をいっているのではないかと勘ぐる人も出てきます。社会に波風が立つことにもなりかねないので、動物を主人公にして語ることが多いのです。

この物語は、そうした豊かな昔話にもとづいてそこにオリジナルな味わいをつけくわえたものだと思われますが、最初に本にしたのはスイスの出版社でした。私は、キラカさんが書いた英語の文章と、スイスで出版されたドイツ語の文章の両方を参照しながら、日本語に翻訳しました。

この絵本の舞台になっているタンザニアは、東アフリカにあります。赤道が近いので、季節が日本のように四つあるのではなく、雨季と乾季に分かれています。農業は今でも天候に左右される部分が大きく、雨がふるはずの雨季に日照りがつづくと、この絵本にあるように、みんなが食べるものに困るということになります。

絵本の中でバッファローやサイやシマウマが身につけているのは、カンガというきれいな布です。カンガは、巻きスカートにしたり、赤ちゃんをおぶうのに使ったり、テーブルクロスに使われたりと、暮らしの中でさまざまに用いられています。

また21ページには、果物や木の実を入れておくかご、土を焼いてつくるつぼ、ヒョウタンでつくったひしゃくなど生活の道具が描かれていますし、23ページには、板にくぼみを彫って、そこに小石や豆などを入れてあそぶバオとよばれるゲーム盤が描かれています。絵本に登場するのは動物たちですが、タンザニアの人々の暮らしぶりがわかる絵になっているのですね。

さくまゆみこ


2006年07月 テーマ:小学校低学年・中学年が読む本

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『2006年07月 テーマ:小学校低学年・中学年が読む本』
日付 2006年7月28日
参加者 むう、ウグイス、愁童、ミラボー、うさこ、たんぽぽ、アカシア、もぷしー、ドサンコ、げた
テーマ 小学校低学年・中学年が読む本

読んだ本:

きたやまようこ『いぬうえくんがやってきた』
『いぬうえくんがやってきた』 いぬうえくんとくまざわくん1

きたやまようこ/作・絵
あかね書房
1996.12

版元語録:小さないぬうえくんと大きなくまざわくん。きちょうめんないぬうえくんとのんびりやのくまざわくん。いっしょに暮らすのは大変?
市川宣子『ケイゾウさんは四月がきらいです。』
『ケイゾウさんは四月がきらいです』
市川宣子/作 さとうあや/絵
福音館書店
2006.04

版元語録:ケイゾウさんは幼稚園に住むにわとりです。うさぎのみみこがやってきてから、ケイゾウさんの暮らしは一変しました。月刊雑誌「母の友」掲載時から人気沸騰。主人公ふたりの織りなす10のお話を季節感あふれる絵とともにお届けいたします。
たかどのほうこ『おともださにナリマ小』
『おともださにナリマ小』
たかどのほうこ/作 にしむらあつこ/絵
フレーベル館
2005.05

版元語録:月曜日の朝から、ハルオ君には不思議なことばかりです。ハルオ君は「なんだか変だぞ?」と思い始めます。ハルオ君がある少年と出会うことで、すべてのナゾが解けるのですが…。ところが、話はそこで終わりではありません! 読み終わった後はハルオ君たちがちょっぴりうらやましくなってしまうかも? タイトルは間違いではないんです。ちゃんと読めばその意味がわかるはずです!
アン・ピートリ『ちびねこグルのぼうけん』
『ちびねこグルのぼうけん』
原題:THE DRUGSTORE CAT by Ann Petry, 1949(アメリカ)
アン・ピートリ/作 古川博巳+黒沢優子/訳 大社怜子/絵
福音館書店
2003.06

版元語録:ちょっと短気でやんちゃな子猫がくり広げる、愉快で楽しいお話。こんなに魅力的で、けなげな子猫にはそう簡単にお目にかかれません。ネコ好きには、たまらない一冊です。
ディック・キング=スミス『ソフィーとカタツムリ』
『ソフィーとカタツムリ』
原題:SOPHIE’S SNAIL by Dick King=Smith, 1988(イギリス)
ディック・キング・スミス=作・デイヴィッド・パーキンズ=絵 石随じゅん=訳
評論社
2004.09

版元語録:ソフィーは動物が大すき。自分の農場をもつのが夢。ある日、庭で黄色い小さなカタツムリを見つけたソフィーは…。ソフィーは小さいけれど、いちど決めたらやりぬく子。ソフィーが元気をくれるよ! イギリスを代表する人気作家の、ユーモラスな物語。

(さらに…)

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ソフィーとカタツムリ

ディック・キング=スミス『ソフィーとカタツムリ』
『ソフィーとカタツムリ』
ディック・キング・スミス=作・デイヴィッド・パーキンズ=絵 石随じゅん=訳
評論社
2004.09

ドサンコ:全体として楽しく読めました。たいていの女の子は虫が苦手ですが、そうじゃないところがいい。クラシックなストーリーの部類に入るでしょうか。リンドグレーンの話も通じるかな。

ミラボー:双子のお兄さんは個性がありませんね。妹のソフィーは個性的。ドーンという女の子、おばあちゃんの登場など、お話の対比的な構成がはっきりしています。カタツムリが生きて帰ってきてよかった!

うさこ:ソフィーという4歳の女の子が生き物が大好きなのはありだし、その生き物好きの描き方が上手だと思いました。でも、絵がどうしても受け入れがたかったですね。オーソドックスというか古いというか。今の日本の低学年の子が親しみをもったり好んだりするような絵ではないと思うのですが。4歳のソフィーがふけてみえるのは、私だけかな? 絵がお話を台無しにしている印象、というのは言い過ぎでしょうか。

たんぽぽ:短いお話が集まっていて、小さい子には読みやすい本です。カタツムリが流れていくところでアッと思いますが、最後にまた会えるところもいいですね。

むう:とにかく、主人公の描き方がいい。女の子が持っていたポニーの人形を壊しちゃったり、ちょっと乱暴になりかねないけれど、自分なりの筋を通しているというか、そのあたりがとても魅力的。牧場貯金の話も、ええ、そんな途方もない、という感じだし、お兄ちゃん二人がつっこんでいる通り、かなりへんてこ話なんだけれど、子どもはそういうことを考えそうだし。両親がそれなりにフォローして、さらにおばあさんがもっとソフィーに近い気持ちで協力するというあたりも、よく書けています。楽しくてユーモアがあって。作者が、大人にとって都合のいい子どもを書いていないのがいい。それに絵も、ぶすっとしたソフィーの姿なんかは、私はぴったりだと思ったな。

ウグイス:好きなお話でした。ソフィーが個性的て魅力的。「一度決めたらやりぬく子」という訳し方も印象的です。名前の「キラキラあんよ」「はしかのブタ」とかの訳し方にも工夫があっておもしろい。「エイプリル」と「メイ」がどっちがすてきな季節か、という部分がありますが、子どもの読者には、これが四月と五月ということがわかるでしょうか。括弧で意味を付記したほうがおもしろさが増したのでは?

愁童:登場人物が簡潔な表現で実に良く描かれていて楽しいし、子どもの読者にイメージしやすいような配慮も感じられて、うまいと思いました。新しく越してきた近所の女の子ドーンとの葛藤なども秀逸で、冒頭からソフィーの人物像を読者の中に鮮明に定着させてしまうところなど、さすがだと思います。

アカシア:訳に工夫がいっぱいありますね。小さな子どもの英語のちょっとした間違いなんかも、同じように感じられる日本語になっています。あとクラシックなストーリーというと、子どもを守ってくれる親が登場してきますが、この作品は明らかに現代の特徴を持っていて、ソフィーは親に期待していないんですね。大事に育てていたダンゴムシをドーンに踏みつぶされた仕返しに、ソフィーはドーンのおもちゃを壊してしまう。そのいきさつを親に話したのか、ときく兄たちに対してソフィーは、「どうせ『わざとやったわけじゃない』とか、『ただのダンゴムシだろう』とか言われるだけだからさ」(p81)と諦めています。そして実際にその通りだったということを作者はp83に出しています。それから挿絵は、もう少しなんとかしてほしかったです。全部が変な絵というわけではないのですが、表紙にも魅力がないし、p103のお医者さんの絵などホラーみたいです。どの絵も1ページ大にしているのがよくないのかも。

げた:表紙の絵はおとなしくて、クラシックですね。でも、本文の挿絵はソフィーの野性的なキャラクターを的確に表現していると思います。ドーンの人形を踏んづけているところはリアルに表現されていますよね。このシリーズ、うちの区の図書館では全館においています。ものすごく貸し出しが多い本ではないけど、夏・冬・春のおすすめ本にも指定して、たくさんの子どもたちに手にとってもらおうと思っています。

もぷしー:勢いとユーモアがあって、引き込まれました。とても読みやすい日本語だったので、翻訳にはすごくいろんな工夫があるのでは? 幼年童話の翻訳物を出すのは、表現や文化の違いなどで難しいことが多いけれど、これは比較的ストレートでシンプルな文で読みやすい。お話の内容としても、キャラの立ったアリスおばさんがまず魅力的。それに、ソフィーが常に頭をつかって、「やりたいことを実現するにはどうしたらいいか」を具体的に考えている姿も好感がもてました。でも、表紙は日本人受けしないと思う……。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


ちびねこグルのぼうけん

アン・ピートリ『ちびねこグルのぼうけん』
『ちびねこグルのぼうけん』
アン・ピートリ/作 古川博巳+黒沢優子/訳 大社怜子/絵
福音館書店
2003.06

ミラボー:さあっと読んでしまって、特にこれといった感想がありません。

ドサンコ:これは、安心して読める本、こう言ってしまうと悲しいですが、印象が薄い本でした。ひとりで本を読める子ども向き、でしょうか。表紙の猫の目が、動物を描くときによくあるような愛らしさがなくて、むしろやや怖いのが印象的でした。かわいいばかりがいい、ということでもないのですが。お話は大きな事件はなく、小さな出来事が全体をとおしていくつか描かれている…という印象ですよね。あえて言うなら、どろぼうが来るエピソードが最大の山でしょうか。グルがドラッグストアにおいてもらえることになる決定打はここにあると思うので…。でもこのエピソードは後半なので、前半にもう少し動きがあると、あきずに読める子どもが増えるのかなと思いました。

もぷしー:私は楽しめなかった。一話一話のどこが悪いというわけではないけれど、これだけの長さの物語を読ませるには、ドラマが足りないのかなと思ってしまいました。猫に共感して読もうとしても、出会う相手が一期一会でどんどん変わったりするので、気持ちがついて行けなかった。この本は、長さからして、中学年くらいの子向けに作られているのかと思いますが、そうだとしたら、おじいさん、おばあさんの話ばかりでこの長さはきびしいかな。猫の言葉が通じる相手が、努力とかコミュニケーションの末に増えていくわけではなく、年齢条件で当てはまる人のみというのも、私にはしっくり来ませんでした。

アカシア:これは課題図書になった本なんで、私もどうかなと思って読んだんですが、意外におもしろかったんです。もぶしーさんが、猫の言葉がわかる相手が年齢で限定されているのがどうか、と言いましたが、老人と子どもだけがわかるというのはむしろ自然なんですね。夢の中に生きている部分が大きい人たちなわけですから。猫の描写もリアルです。予定調和的にお話が収束するところはクラシックですが。もっとすごい事件が次々に起こらないと飽きてしまうと感じる人もいるでしょうが、子どもって、ささいな出来事でも大きな印象を受けますから、このくらいでもドラマを感じるんじゃないでしょうか? 今風のお話と比べるとテンポがゆっくりですが、お話を味わいながら読むのにはいいんじゃないかな。

ミラボー:アメリカの一,二時代前の文化を描いているという感じですね。

愁童:ぼくは『いぬうえくんがやってきた』と同じ雰囲気が感じられて、あまりおもしろくは読めなかった。猫の擬人化が過ぎていて、猫らしさが失われてしまっている。何か猫の着ぐるみの芝居を見るようで、むしろ人間の子どもにした方が理解しやすいのでは?

ウグイス:ていねいに描いてありますが、全体に平坦に進むので、途中でちょっと退屈してしまいました。グルもそこまでひきつけるキャラではないし、たいしたことも起こらない。最初におじさんの家にもらわれたとき、おばさんがちょっと冷たい人という設定に思えて、この人とは何かあるぞ、と思わせるのに、あとですぐにひざにのせてくれて、「えっ、そうなの?」と思ったり。子どももとまどうのではないかな。表紙の絵も魅力に欠けますね。

むう:なんというか、のんびりしているなあという印象でした。今時のテンポとはまったく違う。それが良さでもあるように思うけど、必然性があまり感じられずに、ふわふわと動いていく印象で、最後にお約束という感じでちょっとした冒険があって、無事暮らすことができたという筋もクラシック。ただ、老人と子どもだけとはネコと話をできるというあたりは、そうだろうなあという感じで、それほど違和感は持たなかったし、読者である子どもたちもまた、すっと受け入れるんだろうと思いました。

たんぽぽ:この本は子どもによく読まれています。これくらいの長さのもので、安心して薦められるものが出た、という感じです。これを読んで、長いものへと進む子がいます。

うさこ:グルの様々なかっこうの絵がなんともいえずいいですね。しっぽが短いところ、缶詰に前脚をはさまれたところ。話は大事件がおこるわけでもなく、わりと平和な展開。ドラッグストアにどろぼうが入って、グルが活躍…といった展開にはあまり新鮮さを感じませんでした。ピーターとおじいさんだけに、グルの声が聞こえる。ドラッグストアのおじさんが、おじさんからおじいさんへかわるから動物の声も聞こえるように…というくだりはふんふんとうなずいて読みました。そんなにおもしろいと思った作品ではなかったので、この本が子どもに多く読まれているということを聞いて、ちょっとびっくり。おもしろいという定義に、大人と子どもの体温差を感じてしまいました。

ウグイス:本の体裁は、子どもの読者に程よいかと思います。挿絵がたくさんあり、字面の感じも読みやすい。1冊読み通せたという満足感を子どもに与えてくれると思います。

アカシア:著者はアフリカ系アメリカ人の女性です。時代背景からすると、不満や矛盾に直面しているアフリカ系の子どもたちに、「もう少し忍耐強くやってみようよ」と呼びかける意図もあったのかもしれませんね。愁童さんは、猫が擬人化されすぎて自然じゃないとおっしゃってましたが、私はそうは思わなかった。子猫の自然な姿がよく描かれていると思いました。

げた:訳文がとても読みやすかったですね。冒頭、グルがどういう猫で、これからどんな話が展開するのかわかりやすく書かれていて、お話の中に入りやすかった。読み手の子どもたちもきっとグルに同化して、グルと一緒にいろんな冒険ができると思いますよ。何も起こらないと言っている人もいますが、小さく見えるかもしれないけどグルにとっては大きな事件、というか冒険がありますよ。グルの成長も頼もしく思いました。本文の挿絵は内容を的確に表現していると思いましたが、表紙がいまひとつ、かな。刺激的な内容ではないですが、ゆったりした気持ちで楽しめる本でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


おともださにナリマ小

たかどのほうこ『おともださにナリマ小』
『おともださにナリマ小』
たかどのほうこ/作 にしむらあつこ/絵
フレーベル館
2005.05

うさこ:たかどのさんの作品はどれも好きです。たかどのさんのファンタジーは、素材は普通でも物語がどっちの方へいって最終的にどこにたどりつくのか、話の途中では全くわからないところが魅力的。この作品もとてもおもしろいし、好きなお話でした。キツネの真剣な姿、でも誤りも多かったり、手紙の間違いなどもクスクスっと笑ってしまう。特に好きだったのが、最後に人間の子どもたちがキツネの学校へ遊びにいくところ。どんなに楽しかったかというのは、1枚の見開きの絵になっています。そこを一つづつ丁寧に見ていくと、人間の子どもに化けたキツネの子とほんものの人間の子がうまく楽しそうに描いてある。キツネの子の「よれよれ」ぶりもいいですね。楽しかったことをことばで綴るより、この見せ方のほうが読者にお話をあずけ、想像力を引き出してくれますね。最終ページのその後の両方の学校の交流ぶりもいい余韻で終わっていると思います。

たんぽぽ:たかどのさんは、おもしろいですね。ただ、最初の部分がちょっと、こみいっているかな。

むう:なんか、なつかしい感じがしました。昔から日本にある、キツネが人間を化かすという枠を使って、うまく書いてあるなあと思います。読んでいて、宮沢賢治の『雪わたり』を連想しました。キツネの子の学校に人間の子がぽんと一人入っていくという設定も、その子がかえってほめられて戻ってくるのもおもしろい。お手紙のへんてこさも楽しかった。

ウグイス:すごく好き。たかどのさんは、幼年もののほうが断然うまいわね。まずタイトルにやられた。何だろうと思わせる、うまいつけ方。最初書店で見つけてその場で全部読んでしまったんですけど、手元に置いておきたくて買って帰りました。キツネたちの正体が途中でばれるんだけど、ばれるところが子どもには楽しい。キツネの子が字を間違えますが、字を習っている最中の読者も同じような間違いを経験してるはずなので、ほほえましく思えるでしょう。ただ、たんぽぽさんも言ってたように冒頭の部分は、状況がすっと飲み込めないのではないでしょうか。いきなり3人の名前が出てくるし、しっかり読んでおかないと次に進めません。小さい子どもが読む本は、『ケイゾウさんは四月がきらいです』みたいに、端的に状況が把握できて、もっとぱっぱっぱっと進んでいかないと。あと、こんなに薄い本なのに、この本にはちゃんと目次があるところがうれしいですね。今まで絵本ばかり読んできた子どもたちにとって、「目次がある本」を読むというのは、いっぱしの大人の本を読んだという満足を与えてくれますから。だから、内容的には絵本とほとんど変わらないものでも、きちんと目次がある本は、ひとり読みを始めたばかりの子どもにはとても大切だと思うの。最初の1章をを大人が読んであげて、あとは子どもが自分で読むようにしむけることもできますね。

アカシア:私もとってもおもしろかった。まず書名を見て、いったい何だろうと惹かれます。キツネの学校に行くと、山本さんに化けた子が鉛筆を耳にさしているなんていう一つ一つのディテールも、それぞれおもしろい。キツネの子どもたちの言葉の間違いも、ほほえましくもとっても愉快。校長先生まで間違ってる! 最後の見開きのイラストも本当にいいですね。よく見ると、キツネの子には尻尾がついていたり、ひげがついていたり……。たっぷり楽しみました。ただ、確かに言われてみると、冒頭の部分はすっと入ってこないわね。一文が長いのかな?

もぷしー:あまり湿度を感じず、とても晴れ晴れした読後感でした。校長先生の文やキツネたちの化け方など、すべてちょっとずつ間違っていて、でも登場人物たちは精一杯頑張っていて、そののびのびとした姿が、読んでいて気持ちよかったです。子どもたちに、ぜひ読んでほしい。もう一つこの本で良いなと思ったのは、読み聞かせがしにくい本だということ。読み聞かせてもらうのは私も大好きだし、とても楽しいけれど、自分で読む力も育まなければいけないと思うので、まちがった字などを見つけながら、楽しく自分読みをして、ワクワク感を味わってほしいなと思いました。

ドサンコ:宮沢賢治の作品を、より軽快に描いた印象です。たぶん賢治の作風をそのままにすると、物語は「それからキツネの校長先生から手紙がきました。そこでクラス全員で、赤い鳥居をくぐってキツネの学校を訪ねていきますと、そこにはただ、草が風にゆれているだけでした」というような終わり方になっていたと思います。このさし絵は、ゆかいなまちがいもふくめてですが、文章のていねいさと呼吸がとても合っているなと思いました。本文の書体や、キツネの校長先生からの手紙のページ全体がキツネ色だったこと、その手紙の文字も、作品を味わい深くしているなと思います。

ミラボー:かわいい本という印象です。どきどきする場面と、大丈夫だなと安心できる場面が交互に出てくる。最後のイラストと、後日談もとてもユニーク。人間があまりきちんとしすぎない方がいい、という作者の価値観が出ていると思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


ケイゾウさんは四月がきらいです

市川宣子『ケイゾウさんは四月がきらいです。』
『ケイゾウさんは四月がきらいです』
市川宣子/作 さとうあや/絵
福音館書店
2006.04

たんぽぽ:これも、小学校1、2年生では無理かな。読んでて、大人が小さい子どもの心を知るための本のような気がしました。小さい子が、これを読んでおもしろいと思うのかな?

うさこ:私はとてもおもしろく読みました。久々に痛快な幼年ものを読んだなと思いました。「ケイゾウさん」というのがニワトリの名前だったというところで、まず「おおーっ」と思い、話にひきこまれてしまいました。ニワトリのぼやき、ぼそっと思う(言う)コメントがずばっと気持ちにはまり、おかしくておかしくて。ウサギのみみことの対比がさらにおもしろさをひきたてていました。人間側と生き物側の見解のギャップにユーモアがあり、目新しい視点で書かれていたと思います。ただ、ここに描かれている幼稚園児は主に年長さんだと思うのですが、そのものの言い方や動きなど幼児と感じられないところがいくつありました。

ミラボー:ニワトリの目を通して幼稚園の1年間が書いてある、お母さん用の本だと思いました。幼稚園の様子がいきいきと書かれています。

アカシア:おもしろく読みました。書名だけでなく章タイトルがすべて「ケイゾウさんは遠足がきらいです」「ケイゾウさんはサーフィンがきらいです」と、すべて「ケイゾウさんは〜がきらいです」になっているのにも、ひきつけられます。『いぬうえくん〜』と同じように、この本でもケイゾウさんとウサギのみみこは最初から仲がいいわけではない。でもいっしょにいろいろな出来事を経験するうちに結びつきができていく。物語はケイゾウさんの視点で進みますが、子どもたちの成長もちゃんとわかるようにできている。うまいですね。著者は幼稚園の先生なんでしょうか? ただこれは幼児が読む本ではなく、裏表紙にも「じぶんで読むなら小学校中級〜おとなまで」と書いてあります。幼稚園のことが書いてある本を、たとえば3、4年生の子が喜んで読むの?

ウグイス:今は『いやいやえん』(中川李枝子文 大村百合子絵 福音館書店)を小学校5、6年生が読むというから、高学年でも普段あまり読まない子にはすすめられるのではないかしら。

愁童:おもしろく読みました。こういう作品って好きですね。これだけ「きらい」なことを並べて、ユーモラスにその理由を語ってくれているので、子どもたちは爽快感をもって話に引き込まれるんじゃないかな。

ウグイス:私もおもしろく読みました。ケイゾウとみみこのキャラづくりがおもしろい。なおかつ、動物と人間のギャップが出ていて、ちょっとずれてるところがなんともユーモラスでよかった。子どもは冒頭からすぐにケイゾウさんの立場になって読むと思います。こいつ、おもしろいやつらしいぞ、と思わせ、すぐに何か事が起こりそうな気配。次のページをめくってみようと思わせる。本をひとりで読めるようになったばかりの子どもには、とにかく次のページをめくらせなければいけないので、その点でこの本は成功しているわね。タイトルもおもしろいし、エピソードを一つづつ読んでいけるのもいい。楽しい絵がフルカラーでたくさんはいっているのも、子どもには読みやすい。

愁童:ニワトリやウサギの生態をきちんと押さえて書かれているので、ケイゾウさんの「きらい」な理由に子どもたちも素直に納得できて共感するんじゃないかな。ウサギのみみこの描き方も秀逸で、こんな女の子に悩まされる男の子って結構いるから、そんな点でも子供達に素直に受け入れられる作品だと思いました。男の子はこの作品好きだと思うな。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


いぬうえくんがやってきた

きたやまようこ『いぬうえくんがやってきた』
『いぬうえくんがやってきた』 いぬうえくんとくまざわくん1

きたやまようこ/作・絵
あかね書房
1996.12

むう:今日は、低学年ものの本について勉強しようと思ってここに来ました。YAのように読者対象の年齢が上の場合は、大人の想像力である程度何とかなるけど、幼年ものはまったく大人と違う気がします。その意味で、いぬうえくんはちょっと不思議だった。すらすらさくさくと読んでいったら、いぬうえくんはなんとなくくまざわ君の家に住み着いて、それからちょっとぶつかったら勝手に出て行って、それでまた、何となく戻ってきてっていう感じで、「変なの」という気がしました。それでも、まあそういうこともあるかと思ったんですけど、最後のp78で、くまざわくんが、またいぬうえくんと一緒に住むんだよなあ、というふうな感じで捉えているのが腑に落ちなくて。いい年した私にとっては、いぬうえくんというのはとんでもなくわがままで自分勝手にしか映らないんだけど、そういう相手を、こういうふうにまたすんなりと受け入れるのかなあ、それが子どもなのかなあ、とよくわからなかったんです。

ウグイス:p78は大人の感覚。いぬうえくんのキャラはおもしろいんだけど、一人になってさみしいだけじゃ、説得力が弱い。何かしようとしたら、いなくて困ったというならわかるのですが。この作家は、言葉遣いはおもしろいけど、大人が喜ぶ感じがあって、ほんとに子どもが喜ぶのだろうかと、疑問に思う部分があります。

愁童:ぼくはつまらなかった。子どもの目線というより、しつけ副読本的で、何もお話がない。こんなに気を使わなければならない友達なんて、もういいよーという感じにもなるのでは? 読んで楽しくないですね。

ウグイス:なぜ二人が一つのところで暮らすのか、なぜ、一緒にいるのかというところに、説得力がないんですね。

ミラボー:カルチャーの違う男女が夫婦になって初めてわかるカルチャーショック、でもそれを乗り越えて…という寓意かと思って読みました。子どもはどう受け取るのか、わかりません。

うさこ:絵はいいですね。なんともとぼけた表情やかわいい場面が見ていてホッとします。低学年ものはやはり絵が大事。でも話は、気のいいクマと一方的な犬という図式ですね。いぬうえくんというキャラクター性が読者にしっかりアピールできてないうちに、「〜がいい」「〜がいい」といって、くまざわくんの家におしかけてくるいぬうえくんに、最初の章はとても唐突な印象を受けました。家に来たあとも「〜がいい」「〜がいい」とくまざわくんの住まいなのに、いぬうえくんの価値観を押しつけすぎ。くまざわくんの気持ちを思いやって、「〜がいい」といっているわけではない。いぬうえくんって、ちょっと図々しくて自分本位なんじゃないかと思いました。二人が暮らす必然性がどこにあるのか、見えてきませんでした。p78の最後の一文は、作者の大人感覚の遊びで、きっと子どもの読者はぽかんとしているのではないかな。

たんぽぽ:小学校1、2年生では、このおもしろさはわからないかな。5、6年くらいだと、よくわかるのではないかと思います。

アカシア:いぬうえくんは、図々しいキャラなんですが、それはそれで嫌みにならずに笑っちゃえるんじゃないかな。しつけを押しつけている本だとは、私はまったく思いませんでした。図々しいと思える友だちでも、やっぱりいなくなったら寂しい。いてくれたほうがいいな、っていうことをクマの方は感じる。それが素直に表現されていると思います。

愁童:クマと犬という設定自体が、この作品のテーマを支えるキャラとしてはかなりしんどいんじゃないかな。大自然の中では本能的に敵対関係になる両者がどうして一緒に住むようになったのか、そこをきちんと書いてくれないと、動物好きの子どもたちは、お話の中の絵空事としてしか受け取ってくれないのでは。

アカシア:くまざわくんといぬうえくんは、自然の中のクマと犬じゃなくて、「まったく違うタイプの人」を動物の姿を借りてあらわしているんでしょう。絵もそうだし。だから、読んでる子どもは、実際のクマやイヌをイメージしないと思うけど。

ウグイス:でも、なぜくまざわくんが、一人じゃいけないのか? これでは読みとれない。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年7月の記録)


ひみつのもり

ジーニー・ベイカー『ひみつのもり』さくまゆみこ訳
『ひみつのもり』
ジーニー・ベイカー作 さくまゆみこ訳
光村教育図書
2006.06

海の中に存在する神秘的な森を、美しいコラージュで表現しました。最初は小さな魚の死など気にしなかった少年が、その森の神秘にふれることによって、変わっていきます。海辺や海の中の表現がとてもすてきです。

ジーニー・ベイカーは、イギリスに生まれますが、オーストラリアに移住してから自然や環境問題をテーマに、精巧なコラージュを使った絵本をたくさん出しています。どれも、私は大好きです。最近の作品は、環境だけでなく社会全体に目を向けて作品をつくっているように思います。
(装丁:則武 弥さん 編集:相馬 徹さん)

オーストラリア原生自然保護協会賞受賞


おとうとは青がすき〜アフリカの色のお話

イフェオマ・オニェフル『おとうとは青がすき:アフリカの色のお話』さくまゆみこ訳
『おとうとは青がすき〜アフリカの色のお話』
イフェオマ・オニェフル作・写真 さくまゆみこ訳
偕成社
2006.06

写真絵本。赤は大おじさんの帽子の色、緑はヤシの葉っぱの色、金色はお母さんのネックレスの色…..。お姉さんのンネカが、「青がすき」という小さな弟のチディに、ほかにもすてきな色があるんだよ、と教えてあげます。ページをめくるたびに鮮やかな色が目に飛びこんできて、楽しみながらアフリカの文化に親しむことができます。ナイジェリア出身の著者がアフリカの暮らしや文化を楽しく伝える写真絵本シリーズの1冊。
(編集:和田知子さん)

 

 


2006年06月 テーマ:世代のちがう女性作家による少女像

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『2006年06月 テーマ:世代のちがう女性作家による少女像』
日付 2006年6月29日
参加者 愁童、カーコ、紙魚、アカシア、アサギ、むう、ミラボー、ケロ、ブラックペッパー、うさこ、ウグイス、小麦
テーマ 世代のちがう女性作家による少女像

読んだ本:

三並夏『平成マシンガンズ』
『平成マシンガンズ』
三並夏/著
河出書房新社
2005.11

オビ語録:“この凶器はお前のものだ”あたしの夢の中で死神は言った/史上最年少15歳/第42回文藝賞受賞作
片川優子『ジョナさん』
『ジョナさん』
片川優子/著
講談社
2005.10

版元語録:高2の夏,チャコは進路問題,男性との出会い,家族の死に直面する。笑い,涙しながらの毎日をいとおしく思える青春小説。
八束澄子『わたしの、好きな人』
『わたしの、好きな人』
八束澄子/著
講談社
2006.04

版元語録:さやかは小学6年生の女の子。彼女の好きな人は,家の工場で住み込みで働いている36歳の男性・杉田だった。

(さらに…)

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わたしの、好きな人

八束澄子『わたしの、好きな人』
『わたしの、好きな人』
八束澄子/著
講談社
2006.04

ウグイス:八束さんは好きな作家で、この本もおもしろかった。ひとむかし前のTVドラマを観ているみたいな感じがしました。最後まで読んで、これは「小さい女の子から見た、違う年齢の男の生き様を描いた作品」なのだと気づきました。猫の小太郎もいい味を出している。その辺がおもしろかったです。ただ、小学生の女の子にしては、いろいろな感覚が大人びていて、もう少し年齢の高い子が少し前の事を思い出している感じがしました。

紙魚:『平成マシンガンズ』や『ジョナさん』に比べると、やはり描写力のうまさを感じます。その場のにおいや湿度、たとえば工場の油のにおいなど、感覚に訴えるように迫ってきました。生活の音も、すごくがちゃがちゃしてうるさい感じが伝わってくる。人間関係も、その場にいるような気にさせてもらえました。ご飯を作るときの描写なども、本当においしそう。細部の描写によって、全体が支えられているのがよかったです。

愁童:おもしろかった。ぼくも技術系の仕事をしていたので、油臭い小さな町工場のようすなど、よく書けていると思いました。70年安保のことが出てくるけど、ここはしらけたな。作者がこの作品で書いているようなキャラの男が内ゲバみたいな先鋭的な部分に関わることもかなり不自然。作者はだから町工場に職を求めざるを得なかったという設定で書きたかったのだろうけど、そこからすきま風が吹き込んでくる感じ。

うさこ:期待して読んだのですが、ちょっと期待はずれでした。どこがというと、杉田の人物像がつかめるようでつかめない。さやか一人が舞い上がっている感じ。さやかが口にするほど杉田の魅力が読み手に伝わってこない。リアル感がない。杉田は、小さい頃からいっしょ、というより育ててもらった人で、家族や家族以上のつながりのある男性を、いつの日か恋心をもって意識しはじめるというのは、ただぽうっとした感情だけではないはず。12歳の女の子、思春期の入り口あるいはまっただ中に、男性として杉田を好きになったとしたら、もっと生々しい情景があるのではないか? 例えば、杉田の後にお風呂に入りたくないとか、いつもの食事も変に意識して食べられないとか、かっこつけようとして失敗するとか……。設定はおもしろいだけに、細部のリアル感の欠落で、物語がぎくしゃくしている。おっさん、杉田という呼び方も違和感あります。照れ隠しな言い方かもしれないけど、もっと素直な呼び方にしてもよかったのではないかと思うんです。2時間ドラマの原作になるような……、というのは反対に言うと、その程度の作品なのかなあ、とも思いました。

ブラックペッパー:私は、読む前に杉田の正体を知っていたので、クールに読み進みました。でも、「恋って、非日常」のものだと思うので、半分家族みたいなこういう人に恋心を抱くかな? しかも初恋なのに! 家族とはもっと遠い、別世界のものに憧れるのが恋だと思うんだけど……。杉田という人を描きたくて書いた作品みたいなので仕方ないのかもしれませんが、ちょっと不思議に思いました。憧れる、恋するって感覚が、12歳の心ではないみたい。50歳の心をもった12歳の女の子って感じ。

紙魚:この本では、作者の年齢は伏せられているんですよね。他の著作には、作者は1950年生まれと書いてあります。

ケロ:私も、こんなに近しい親のような人に、恋心を抱くというのは、あり得ないのではないかと思いました。主人公は、父親のやっている工場を継ごうとか、愛してるとか全然思っていないわけで、その油にまみれた工場にいる存在の杉田に、恋心を抱くというのは、ちょっと考えられない。でも、もしかしたら12歳のこの主人公にとっては恋愛だけれど、本当は恋愛感情ではないのかもしれませんね。それを超越するような「大事な存在」ということを主人公が、勘違いしているのだとすれば、分かる気がする。杉田は、自分が一番頼りたい人で、出ていってほしくない大事な人だから。でも、そうだったらそう言う表現がどこかに必要なのでは? ありえなーい、と思わせてしまうのは、作者の責任かと思います。

小麦:『平成マシンガンズ』の殺伐とした世界のすぐ後に読んだので、ことさら安心して読めたような……。描写力があり、物語自体に力があるので、ぐいぐいと読めますが、ところどころひっかかる部分があったのも事実です。杉田が12歳の女の子の恋愛対象になりうるのか、とか、お兄ちゃんの改心があまりにも唐突で、ご都合主義に感じるとか……。ただ、私はこの作品にリアリティを求めるというよりも、ある種のファンタジーとして読んだので、みなさんが違和感を感じた点については、あんまり気になりませんでした。小学生の女の子がこんな直球の手紙を書くかなっていうのはありますが、最後に主人公が、文字にすることで、自分の気持ちに決着をつけるというのも、すごくいいなと思いました。

ミラボー:あり得ない設定をあえて書いて、それで物語を作っていこうとしている感じを受けました。杉田や、お兄ちゃんにリアリティがない。男の立場から見ても変だな、と感じます。それに、顔がいい男が、やっぱり得なんだな! この3冊の中では、自分の生徒たちにすすめるなら『ジョナさん』かな。

むう:作者の年が気になったのは、なぜかというと、学生運動をリアルタイムで知っていた人なのかどうか疑問だったから。学生運動をリアルタイムで知らない人なら、「普通の人、あるいはむしろ崇高な理想を持った人だけど、間違って罪をおかしてしまった」という設定に学生運動を使うだろうけれど、リアルタイムで知っていたら使わないだろうと思ったんです。この作者の年齢からするとリアルタイムで知っていたはずですよね。こういうふうに使うのかな? ちょっとご都合主義の感じ。70年代後半の学生運動というのは、そういうものではなかったように思うんです。まあ、12歳がとらえた像としては、ありなのかもしれないけれど。この主人公は、50代の人の中に生きている12歳の少女、という感じがしました。つまり生の12歳でもなければ、生の50代でもない「少女」。関西弁の雰囲気や、工場の様子は、おもしろかったです。

アカシア:私はとてもおもしろく読みました。この12歳は、私はリアルだと思ったんですね。13歳、14歳だと性を意識するだろうから、こういう憧れ的恋心とはまた違うと思うんです。おしめを替えてもらった相手に恋愛感情がもてるか、ということだったけど、替えてもらったほうは赤ちゃんで覚えてないわけだから、恋愛感情はもてると思うんです。少女のほうは、さっきケロさんが言ったように「いてほしい人」という思いが強くて本当の恋愛感情ではないかもしれないけど、自分では恋愛だと思っている。でも、赤ちゃんの頃から見てきた杉田のほうでは、少女の気持ちをうすうすは感じながらも保護者的な思いが働くし、もっといろいろなことを大人として考えなきゃいけない。そのずれを、とても的確に表現している。ただ兄が引きこもりから家出して新聞配達をし、もどってきて工場を背負うようになるという、この変貌ぶりだけは、私もちょっと抵抗がありました。でも、全体にユーモアもあるし、うまいですよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)


ジョナさん

片川優子『ジョナさん』
『ジョナさん』
片川優子/著
講談社
2005.10

ミラボー:『平成マシンガンズ』よりも安心して読める。おじいちゃんに対するマイナスイメージをのりこえ、最後解決して終わっている。ゲートボール場で週一回会える彼は、顔がよくてモテて、うらやましいですね。

むう:なんというか、文章がとげとげしていなくて、つるつると気持ちよく読めました。デビュー作の『佐藤さん』のときのような、極端に最後が破綻しているということもなかったし、おもしろかった。家族のことは、どうだろう、うまく書けているのかな? 父親の出てき方が唐突な気がしたな。前にもうちょっと書き込んだほうがいいと思いましたね。

アサギ:ストーリーがうまくできていると思いました。危なげなくまとめていて、破綻がない。とくに会話がうまいですね。まあ、インターネットで発言している人も多いから、一見気のきいた文章を書ける人はふえているという面はあるけど。主人公の名がサコで茶畑からとったことや犬が実は兄弟など、いろいろ伏線があって、最後にいたって物語が収斂していくとこなどもうまい。一方で、まだ高校2年なのに、こんなにきちんとまとまってしまっていいのかな、って言う気もしましたね。146ページ、高卒でフリーターという状態に対する自分の差別意識については、けっきょくどうなったのか疑問が残りました。苦い缶コーヒーは大人の味、ジャンジャエールは子ども、のエピソードは古典的ね。1956年頃の雑誌『ジュニアそれいゆ』にも、同じような描写があったのを思い出しました。

アカシア:『佐藤さん』よりうまくなっていますね。犬のギバちゃんという、本筋とは関係ない存在を出してきているのもうまい。会話もジョナさんの口調をのぞき、おおむねうまい。文体もリズムがあってとてもいい。ただ、おじいちゃんが好きだったのに、嫌いになっていく過程があまりちゃんと書かれていない。62ページで、介護するお母さんがおじいちゃんの悪口を言い続けるとありますが、普通は好きなおじいちゃんが悪口を言われたら、嫌いになるよりは味方をしたくなるのでは? 185ページでは、「大好きだったおじいちゃんが、毎日老い、衰えていくさまを目のあたりにするのはつらかった」とありますが、その次が「おじいちゃんのことを忘れることにしました。はじめから嫌いだと思ったなら、つらくないと思ったから」だけでは、読んでて物足りない。
私がいちばんひっかかったのは、この年齢の男性で、ジョナさんみたいな人がいるとは思えないということ。主人公がジョナさんを美化してるので容貌についてはリアリティがなくても仕方がないと思うんだけど、なんのために毎週この子のとこに来るんでしょうね? 好きでもないのに? 来る理由は本の中で一応説明されてますが、説得力がありません。もうちょっと年齢が上だったら、まだわかるんだけど。P181では「うん、がんばるよ。今までずいぶん回り道もしたけど。でもそれが結果的にはよかったと思うんだ。この仕事に出会わなかったらたぶんこんなふうに思うことはなかったと思う」なんてクサい台詞を言うんですが、これもリアリティがない。女の子の会話はとてもリアルなのにね。

アサギ:確かに人間像は安易な感じ。福祉の仕事をやる、とか。

ウグイス:どうしてこの主人公は毎週犬を連れて公園に行くのか、きっとおじいちゃんと何かあったんだろうな、次第にそれが明らかになっていくのかな、と思って読み進むんですが、最初に期待していたほどのことはないままに終わっちゃうわね。トキコとの会話が生き生きしていて読ませてしまうが、ストーリーとしては場面がどんどん展開していかないので、途中で飽きてしまう。もう少し何か事が起こってほしい。『佐藤さん』のときはアハハと笑える描写がたくさんあって、そこが好きだったけれど、前よりユーモアが消えちゃったのが残念。私は『佐藤さん』のほうが、新鮮な感じがした。表紙の絵は平凡で魅力を感じないな。それに、ギバちゃん、もこみち、キムタク……、なんて出てきますが、今の読者にはぴったりでも5年もすれば古くなっちゃう。もったいない気がする。

紙魚:『佐藤さん』に比べると、なんだか人間としても、作家としても、大人になったなあと感じさせられました。『平成マシンガンズ』と決定的にちがうのは、人間に対して気持ちが素直で、手探りに懸命でいるところ。人を向こう側まで見ようとして、好きになろうとしている姿勢は本当にほほえましい。それに会話のセンスがいい。いくら作者が若いからといっても、やはり書く力がないと、物語の登場人物にここまで小気味よく会話させられないと思います。おじいちゃんについては、もっと秘密があるのかと思いましたが、なんだかちょっと消化不良な感じ。『平成マシンガンズ』は、自分のことばっかりで、まわりに目がいってない。『ジョナさん』は、自分とトキコという関係性を書こうとしている。そして、『わたしの、好きな人』は、もっと世界が広がって、家族とか他人とか、社会も出てくる。こういうちがいって、やはり作者の年齢もあるのかなと思いました。そう考えると、子どもが読む本を大人が書くということには、やはり意味があるのだと思います。

カーコ:おもしろく読みました。先が読みたいと思わされて。『佐藤さん』のときよりずっとうまくなりましたよね。まず、会話がよかった。今風の高校生の会話だけど、決して下品ではなく、気持ちよく読める、その加減がうまいと思いました。それから、トキコの見えない部分が見えてきたり、昔のことを思い出したり、いろんなことがからみあって自分や相手を理解していく過程、二人の関係がおもしろかったです。それがあるから、今まで目をそらせていたお父さんやお母さんに、だんだんと目を向けていくんですよね。高校生がこんなふうに考え、書いてくれるのがうれしい。

愁童:好きでした。『平成マシンガンズ』と比べて印象的だったのは、主人公の相手役になる人物像の描き方の巧拙。『平成〜』のリカちゃんはエロ本が机の上に積まれていたということだけで、何故そんなことをされるようになるのか、読者には不明のまま。こちらはトキコの「私、大学行かないよ」の一言の背景を簡潔に、読者に分かるように書いていて、その後の主人公とトキコの関係に説得力と立体感を与えていて好感が持てた。文章のリズムもいいし、若いけど、フリーター、やニートみたいな生き方への視点もきちんと持っている。ひさし君が定職に就くことになって、作った一番最初の名刺を貰う、なんてややクサイ感じはあるけど上手いと思う。同世代の読者に支持される理由がこの辺にあるのかなとも思いました。

うさこ:『佐藤さん』ほどパンチ力はないけど、読み手を引き込む何かはあるな、と思って読みました。トキコとの関係が気持ちいい。媚びるのでもなく、大げさでもなく、何か読み手のなかにストンと落ちていく感じがいい。前半はおもしろかったけど、後半の「ジョナさんについてジョナサンで語ろう」の章あたりはかったるいし、なんかわざとらしい感じが。おじいちゃんの魅力をもっと書いてほしかった。ホステスさんのことを「女神様」とよんだりしているところにこのおじいちゃんの深さがあるのではないかと思ったけど、それしか書いていなかった。どこがどう好きとかもう少し書けていれば、深みが出たと思う。最後、犬が兄弟の犬と会いたいということが本当にあるのか、疑問に思いました。

アサギ:おぼえてないって言うわよね。

アカシア:何かわかるみたいよ。においとか。どのくらい長く一緒に過ごしたのか、というのとも関係があると思うけど。

ブラックペッパー:私、それ、疑問点その1でした。犬って、自分の兄弟がわかるものなのかしら? わからなかったっていう話を聞いたことがあったもので。疑問点その2は、なぜジョナさんは主人公に声をかけたのか? この主人公、外見はごく普通の子だし、そんなに魅力的な女の子とは思えないんだけど……。

アサギ:主人公が高2で、将来のことを悩んでいるのを見て、自分の高校時代を思い出し、気になったのでは?

アカシア:普通この年齢の男の子なら、百歩譲って気になっていたとしても、毎週会いになんか来ないでしょ。

小麦:ジョナさんは、チャコが自分に憧れているのを十分知ってて、自分のファンの女の子が悩んでいるのを知って、お兄さん風を吹かせて、毎週来ていたという解釈はないですか? この年齢の男の子って、多少ナルシストっぽい面があってもおかしくないと思うし……

ブラックペッパー:疑問点その3は、横浜線の鴨居からホステスとして銀座に通うのは、たいへんすぎるのでは? ということ。終電も早そうだし、タクシーに乗るにしても遠いでしょ。ま、それは小さなことなんですけどね。全体としては、たらーっとした空気は好きだったけど、深みがないといいましょうか、なんだか、あんまり……。それはそうと、この表紙、このしろーい感じは「きょうの猫村さん」(ほしよりこ マガジンハウス)に似てない?

ケロ:作者は、この時点で自分が受験の渦中にいたわけで、そこで、その気持ちを忘れないために書いた、とあとがきにあります。渦中にいたら、結論なんて言えないんだろうな。自分が置いていかれそうな不安と焦りを描いたとして、そこに何かを見つけた、みたいなことも書き加えたかったんだろうな。でも、本人に結論が出ていないから、ちょっとそのへんが介護という安易な選択を口走らせているのではないでしょうか? 後半になって、昔のこと、おじいちゃんのことを思い出していきますが、この感覚わかるな。けっこうよく忘れるんですよね、このくらいの世代は。で、大人になったあとから赤面したりして。でも、その思い出し方がちょっと。172ページの「おじいちゃんにゲートボールをすすめたのは、確か……確かーー」と173ページの「ギバちゃん、シャンプーのにおいするね。誰かに洗ってもらったの?」は、シャンプーは日常のことだし、わざとらしい感じがしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)


平成マシンガンズ

三並夏『平成マシンガンズ』
『平成マシンガンズ』
三並夏/著
河出書房新社
2005.11

愁童:今回は選書の妙。対照的な作品が読めて興味深かった。『平成マシンガンズ』は小説としておもしろくない。本人の感想はわかっても、相手の像がきちんと読者に伝わるように書かれていないので、綴り方風身辺雑記みたいな印象しか残らない。『ジョナさん』に比べると格段の差を感じたな。

カーコ:苦手でした。うちの子がちょうどこのくらいの年齢で、こんな言葉づかいで暮らしているんですけど、それを作品にするとこうなるかという感じ。まず後味が悪いんですよね。『ジョナさん』は、理解しようという方向性が全体にあるのですが、こっちは否定したところから始まり、ずっとそのまま。どんどんつながっていく文章はおもしろいと思ったけれど、何度読んでも意味がわからない箇所があちこちにありました。

紙魚:感じが悪いですよね。でも、この感じの悪さって、この年齢独特のもので、そればっかりはしっかり伝わってきました。中学生って、何かが足りないという気持ちと、何かをもてあましている気持ちを同居させている面倒くさい年ごろだと思うのですが、そのあたりもよく出ていた。ただ、表現は幼い。言いっぱなしという感じ。独白を読まされているようで、後味も悪かったです。誰かをことさら強く撃ってはいけないというのは、新しく感じました。

アカシア:文学というより、中学生の女の子がブログにでも書いたことをつなげているようなものですね。文学作品として評価することは、とてもじゃないけどできません。内容にも文体にも新鮮さを感じないし。よく賞を取りましたね。人物造形が薄っぺらすぎる。文学を書くということは、書く技術と書く内容が必要なのだけど、この人にはまだ足りない。これは子どもが読むものではなくて、大人が読んで子どもはこうなのかなと思う作文でしょうね。

アサギ:amazonで見たら評判が悪かったですね。売らんかなの小説という印象は否めない。読後感もよくない。句点をつけずにだらだら書くのは、とりとめのなさを出したいのではないかしら? 文体自体はちがうけど、金井恵美子なんかもこんなふうにえんえんと書きますよね。でも句点なしで書いてわかるって、単語の並べ方が正しいのよね。村上春樹のフィッツジェラルドの翻訳を読んだときに点がないのに驚いて、ああ、語順が正しいとつけなくてもすむのかな、と思ったことがあります。だから自分で翻訳するとき、読点をつけなくてもすむ文章を目標にしてます??むろん実際には視覚的に読みづらいので、つけますが。主人公が愚にもつかないことでハブられていくのはリアリティがあったわね。ただ、現実がこうなのか、それとも作家や評論家が中学生ってこうだよね、と言っていることに作者が無意識に寄りそってしまっているのか、それはわからなかった。

アカシア:でも、いじめの描写は、これまでにもいろいろ書かれてるわよ。大体たいした理由もなくシカトされるのよ。現実もそう。

アサギ:ただ、ひとつ、現役中学生が発するという重みというか説得力がある。

愁童:迎合的な感じがするな。作者自身の痛みや悔しさが作品を書くバネになっているようには読めなかった。いじめられて「私のせいじゃないよね」みたいなメールがたくさんくる部分なんか、オジサン向けにはいいだろうけど、今時の中学生のシカトの現実の冷酷さみたいなものを、この作者は理解してないんじゃないかな。

アサギ:でも、あのメールは熱い関係を表してるんじゃなくて、自己保身じゃないのかしら。相沢くんと彼女とは状況がちがったのかな、という気がしたけど。メールがきたのは友情からじゃないんじゃない?

むう:先生が、最初に出てくる不登校になった男の子の時と同じように、みんなを集めて何か演説したとか、そういうことがあって、みんなこれはやばいと思って、それでメールを出したのかと思ったけれど。先生に対しては悪意がある書き方ですよね。全然教師を信頼していなくて。

アサギ:読後感はよくないけど、これも現実かなと思ったの。

むう:『蛇にピアス』(金原ひとみ)を読んだときに感じたのと同じような後味の悪さでしたね。若い人が、自分の感じているいらいらをなすりつけたのを読まされているような感じ。この人の場合は、ある程度書けるから、なすりつけている感じはぐっと読者に伝わってくる。ただ、大人が子どものいらいらを書くのと、その年代の子がいらいらをなすりつけるのでは、本質的に違う気がする。だって、本人にはいらいらをなすりつけるしかないから。そういう意味で、こういう本に賞をあげてもてはやしている大人の視線に、見せ物を見るのと同質なものを感じて、不愉快だった。子どもの大人に対する不信感は、一つには今の大人たちに原因があるのに、それを棚に上げている危うさを感じます。子どもが大人を全く頼れないという点は、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』に似たものを感じたけれど、立場が全く違うから。大人が子どものことを書くときは想像力が必要だけれど、子どもが子どものことを書くときは、文章力は必要でも、想像力はどうなんだろう?

アカシア:中学生のころって、人間は不愉快な存在だって思う年代でしょうから不愉快なことを書くのは当然なんだけど、もっとうまく書いてほしいな。文学として成立するように書いてほしい。

むう:でも、それなりに力があるから、嫌な感じも迫ってくるんじゃないかと思うけど。

アサギ:とにかく「史上最年少」とつけたかった意図が見えるような気がする。

アカシア:今は毎日ブログ書いてる子もたくさんいるんだろうから、この程度なら書ける子はいっぱいいると思うけどな。

ミラボー:心理的にうまく泳いでいたのに溺れてしまうあたりは、うまく書けていた。そのなかの現場にいる人が、現時点で書いたのかな。家庭環境で異常な状況をつくりだして、そのなかで中学生の女の子が感じていることを書いたんでしょう。

ケロ:自分がおかれている危ういバランスを書いているという意味では上手だなと思いました。たまった悪意などの迫力を感じましたね。ただ、まわりの人がどれだけ書けているかというと、キビシイですね。特に、お父さんに関して感じました。最後のシーンで、お父さんとこんなに会話ができるのなら、前半の苦労はなあに?という感じです。もっとえげつなく書いてもいい部分もあるだろうし、中学生であったとしてももっと客観的に書ける人はいるだろうな。夢に出てくる死に神は、出刃包丁とマシンガンを持っているのだけれど、マシンガンと用途が違う出刃包丁は、なんの象徴なのかしら?とか、ふつう作品を読んでいると考えながら読み進むのだけれど、そういうことを真面目にしていると疲れる作品。それが心地いい疲れではないのが、読後感の悪さということなのかな。

ブラックペッパー:今回は、3作品とも気乗りがしませんで、なかなか読む気にならなかったのですが……この本は楽しくなかったですね。後味が悪くて、どんよりしてしまいました。前に「王様のブランチ」で松田哲夫さんは絶賛していたのですが、おじさまは、こういうの好きなのかな? 中学生が書いたとは思えない作品。いい意味では文章が上手っていうことなんだけど、あんまり新鮮さもなくて、「今の中学生ってこうなんだ!」っていうような発見もなかった。こういうお話だったら、やっぱり山田詠美の『風葬の教室』がいいなあ。

アサギ:山田詠美は、とっくに中学時代を乗り越えて書いているわけでしょ。渦中にいるときは距離をもって見るのは無理よ。

アカシア:でも出て来るおとなが人間として書けてなくて、どうにも類型的でつまらない。大人社会への攻撃性みたいなのを書いてもいいんだけど、なるほどと思わせるだけの力がないのは残念。

ブラックペッパー:均等に撃て! というのはおもしろいなと思ったけど、でもそれも夢だから……。

愁童:今では死語になっちゃったけど、これって「私小説」だよね。選考会では、こんな若い子が「私小説」風な作品を書いているということで評価されたのかな? でも、同世代の子には読まれてないみたいですね。『ジョナさん』は、ぼくの地元の図書館ではずっと予約20人待ち状態が続いてるけど、こっちは予約ゼロで、すぐ借りられたし……。

ブラックペッパー:これを読んでよかったと思う人がいるのかな? 問題も解決しないし。

愁童:部分的には光るところも確かにあるんだよね。

アサギ:まわりのことが書けていないというのは、逆にリアルに感じたわね。

うさこ:年齢というよりも作家の技量として書けないんですかね。

ブラックペッパー:私はわざとそうしているのかと思いました。だって、父親や愛人の描写はスゴイ。

カーコ:選考委員の斎藤美奈子さんは、家族の部分になると急にうそっぽくなると評しています。確かに、いじめなら重松清の方がずっと、それぞれの心理に迫って書いていると私も思いますね。

アサギ:だいたいこの年齢では、分析できないものだと思うけど。

愁童:主人公以外の登場人物の造形が貧弱だから、小説としてはおもしろく読めないんだよね。

むう:感じたことを、そのままを書いちゃってる感じ。小説というのは、自分を離れたところに置かないとかけないと思うけど。前にも議論になったことがあるけれど、子どもの視点で書くと、設定年齢によっては、描写が限定されて、たとえば人物描写に深みがなくなったりすることがある。この作品にも、それに通じる薄さがあると思う。

アカシア:読者対象はどの辺なんだろう?

小麦:インターネットのブログなんかでは、同世代の子の「才能ある作家が出た」とか「これは読まなくては」なんて熱狂的な意見も、あることはありました。

うさこ:読後感は消化不良という感じです。主人公はちょっと背伸びし、大人ぶった冷静な味方や自己分析しているわりには、母に向けた言動や父へ抱いている感情やクラスでの友人への対応は、ことのほか幼いなあ、という印象でした。まあ、それが等身大といえば等身大なのでしょうか。こんなに冷静に(いや、冷静を装ってる?)まわりを見ることができるのであれば、問題のある家庭や学校でももっと違う立ち位置を築けたのではないかなと思いました。結末は単なる逃避行という感じで「なんだあ、こんなラスト…」と不満が残りました。夢の中の男、マシンガンなど、ある象徴ではあるけれど、一つのアイテムレベルに終わっているのがもったいない…。

小麦:これって系譜としては『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー)と同じだと思います。大人が汚く見える年齢の主人公が、ひたすら悪態をつくっていう。でも大きく違うのは『キャッチャー……』には、希望やホールデンなりの信条がある。たとえば妹のフィービーのことを語る箇所なんかは、文章中にやわらかい感情が満ちていて、ホールデンが確かな拠り所としているものがあるんだなと、読んでてうれしくなる。でも、『平成マシンガンズ』には全頁を通して希望が感じられず、嫌な閉塞感が最後まで残りました。出てくるのがみんな嫌な人ばかりで、主人公にも好感が持てず、小説としては魅力がなかった。帯に書かれた錚々たる方々のコメントを読んで、本を買うときは胸躍りましたが、実際に読んでみると「うーん……」と正直、しらけてしまった。文学賞が話題作りの一環になってないかな、という思いと、若い才能に対して、大人たちの腰がちょっとひけてない?というのが率直な感想です。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)


2006年05月 テーマ:謎

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『2006年05月 テーマ:謎』
日付 2006年5月25日
参加者 トチ、紙魚、カーコ、げた、むう、ブラックペッパー、アカシア、ケロ、うさこ、たんぽぽ、愁童、アサギ、ウグイス、すあま
テーマ

読んだ本:

ジョージ・シャノン『あたまをひねろう!』
『あたまをひねろう!』 (世界のなぞかけ昔話2)

原題:MORE STORY TO SOLVE by George W.B.Shannon, Peter Sis 1991(アメリカ)
ジョージ・シャノン/文 ピーター・シス/絵 福本友美子/訳
晶文社
2005.10

オビ語録:みんなお手上げ! そんなとき、どうする?/センスをみがく、コツをおぼえよう。世界で語りつがれるなぞかけ昔話15編。/ピーター・シスの絵本
ユリアン・プレス『ラクリッツ探偵団』
『ラクリッツ探偵団〜イエロー・ドラゴンのなぞ』
原題:DIE LAKRITZBANDE1:Aktion Gelber Drache by Julian Press 2000(ドイツ)
ユリアン・プレス/作・絵 荒川みひ/訳
講談社
2006.01

オビ語録:60の絵の中に決定的なしょうこがかくれている!/きみは8つのじけんを解決できるか!?

(さらに…)

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ラクリッツ探偵団〜イエロー・ドラゴンのなぞ

ユリアン・プレス『ラクリッツ探偵団』
『ラクリッツ探偵団〜イエロー・ドラゴンのなぞ』
ユリアン・プレス/作・絵 荒川みひ/訳
講談社
2006.01

トチ:「タンタン」を思わせるクラシックな、ほのぼのと品のいい絵。特に表紙がすてき。内容は絵解きですが、大人の私は細かい絵をじっくり見ていく根気がなく、『あたまをひねろう』と別の意味で難しかった。ただ、子どもたちにはおもしろいでしょうね。それと、時間がたっぷりあるお年寄りにも向いているかもしれない。ただ残念だったのは、絵がメインで、ストーリーそのものはあんまりおもしろくなかったこと。本作りの意図がそこにはなかったんでしょうけど。

たんぽぽ:心に残るというより、「ミッケ」のような遊びの感覚で、子どもは親しみやすいと思う。

うさこ:こういう手法はありだな、と思いました。同じパターンだけれど、繰り返しのリズムがある。内容的にはワンパターン。でも、10歳くらいの子は、そのパターンが好きなんだろうな。あまり物語を読まない子は、こういうものから入っていくのでは、と思いました。絵の中で、わかりにくいところがありました。79ページの注射器がわからなかった。表紙の女の子の絵も、手と足が同じ方が出ていて、変。絵解きのお話なので、絵にもっと気をつかってほしいなと思いました。

紙魚:注射器は、たしかにわかりにくいですね。絵は、線が簡潔で、なかなかいいんですが。原書では、答えは文章を読まないとわからないようになっているのですが、せっかく探しても「本当にこれでいいのかな?」と迷う人がいそうなので、答えの部分の絵を切り抜いて、ひと目でわかるようにしてあります。

うさこ:問題があって、ページを開いて「正解はズバリ」という言い方で、原書も統一されているのですか?

紙魚:原書は、問題の文章、答えの文章というようにはっきり分かれていないんです。文章でそのままずらずらと書かれているだけ。でも、例えば読者を「青い鳥文庫」の読者くらいと想定すると、きちんと分かれていないとわかりづらいかなと思って、そのような構成にしました。「ズバリ」というのも、ここからが答えですと、はっきりと明示するためです。

うさこ:全部の答えをつなげていくと、読み終わった後、全体でもなにか種明かしのような、答えがあるのかなと思って書き出していったけど、なかった。私の考えすぎですね。

紙魚:あー、そうだったらまたおもしろいんですよね。もともと、文章から謎を解くのではなくて、絵から答えをさがすというスタイルなので、一つのストーリーとしてつながりを持たせるのは難しいのかもしれません。でも、次に期待したい! とはいえ、ゆるやかにつながっているので、あまり出来がよくないからといって、問題を1問はずすということもできません。そのあたりは、やるせないですね。

ケロ:もっと謎解きかと思ったけど、絵さがしなんですよね、全体的に。その中で、ちょっと気になったのは、絵の中の活字。原書はどうだったのかな。p17で鍵穴から部屋の中をのぞくとき、日本語の活字がまず目にぱっと入ってくるので、すぐに答えがわかってしまう。絵の中に活字があると、そこから目に入ってしまうので、登場人物がすぐにわからないのはおかしいという感じになってしまっている。

紙魚:原書は、描き文字で絵の中にとけ込んでしまっていて、むしろ文字だかなんだかわからない感じ。どのくらいの難易度にしようか、ずいぶん迷いましたが、これだけの文章量と問題数があって、解けない問題が続くより、すぐに答えがわかる問題が続く方がいいかなあと思って、活字にしました。

むう:私も、絵の中の活字って最初に目に飛びこんでくるから、簡単すぎるよなあと思いました。それと、お話として厚みがないのが残念。ほとんどくり返しみたいになって飽きてきちゃいました。後ろにわざわざ登場人物紹介があるんだけど、なるほど、そういう子なんだなあ、と思わせるところまで書けていないから、その点も不満でした。

げた:絵解きのレベルにくらべ、文章が多いような気がします。読書対象年齢がはっきりしないと思いました。ストーリーは盛り上がりがなく平板な感じで、図書館での複本購入はちょっと難しいかな……

ウグイス:持ったときの本の大きさ、手ごろな厚み、カジュアルな感じにまず好感をもちました。ふつうのお話の本じゃなく、おもしろそうだなという雰囲気を作っているのはいいですね。探偵ものの児童書はいろいろあり、謎解き自体は凝っていなくてもキャラクターやストーリーがおもしろいというものが多いですね。これは、ストーリーに入り込んでいくほど、深い内容ではないのね。しっかり文章を読んだ上で謎を解くというより、さっと読んで絵の中を探す、という形。子どもに次々ページをめくらせるという意味ではクイズ本的な作りにしたのは、成功していますね。

アサギ:薄くて軽く、読みやすい所は良かったと思います。ただ、絵解きなのに、ちょっと易しすぎるという印象がありましたね。私みたいに謎解きが下手な人間でもすぐわかっちゃったから。話も単調で、途中で飽きてきてしまった。でも、対象年齢が低いなら、これでいいかもしれないので、実際にどういう子が読むのか、知りたいですね。

カーコ:この手の本としての本作りに徹しているのがよかったです。表紙の虫めがねとか、レイアウトとか、子どもが最大限楽しめるように作ってありますよね。文章も全体に読みやすいし、きちんとしていると思いました。「ラクリッツ」と言うと、日本の子にはただの固有名詞に聞こえてしまうけれど、ドイツでは独特の味が連想されて、おもしろみがあるんでしょうね。そんなにおいしいものだとは思えないけれど、ドイツの子は好きなのかしら? 本のタイトルにするくらいに。

すあま:最初見たとき、ハンス・ユルゲン・プレスの『くろて団は名探偵』(佑学社)という今は絶版になっている本の第2弾かと思ったら、息子さんの作品でした。絵や雰囲気が似ていますね。お父さんの作品も同じような絵解き推理物語ですが、おもしろさではお父さんの方が勝っているように思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年5月の記録)


あたまをひねろう!

ジョージ・シャノン『あたまをひねろう!』
『あたまをひねろう!』 (世界のなぞかけ昔話2)

ジョージ・シャノン/文 ピーター・シス/絵 福本友美子/訳
晶文社
2005.10

トチ:子ども向けなのに、答えが分からないものばかりで悔しい! 『ラクリッツ探偵団』のほうは絵解きですけど、こちらは文字通り頭をひねらなくちゃいけないものばかりですね。子ども向けのクイズというと言葉遊びのようなものが多いような気がするけれど、こうやって頭をひねる練習っていいですね。子どもだけじゃなくて、頭が固くなった大人にもぜひすすめたい一冊です。作者がストーリーテリングをしている人だけあって、さすが面白い話ばかり集めていると思いました。なぞかけのおもしろさと、昔話のおもしろさが融けあって、すばらしい本になっています。そのうえストーリーテリングのうまい訳者が訳しているから、ページを開くと作者と訳者の声が聞こえてくるような気がして楽しかった。ピーター・シスの絵のすばらしさは、いまさら言うまでもないことだし……

紙魚:もともとシスの絵が好きなのと、内容的にもおもしろかったので、原書を見て前から気になっていた本です。晶文社から出るというのが意外ですよね。原書はモノクロのイラストであっさりしていましたが、2色にすることによって、みちがえるようにきれいで楽しい本になっていると思います。2色×1色の構成も折ごとにうまくいっていて、経済的に考えられていますよね。品がよくてしかも小気味よい感じがすてきです。これや『ラクリッツ探偵団』のような、謎解き本は小さい頃好きだったので、大人になった今でもときめきます。どちらも対象年齢は同じくらいの本ですが、書店や図書館の同じ棚にはなかなか並ばなさそうなのは残念。内容的にも、ユーモアある気持ちのよい謎解き具合でおもしろかったです。文と絵、そして造本が見事で、とっても楽しい本でした。

カーコ:わが子に「おもしろいよ、読んでごらん」と手渡すとプレッシャーをあたえるので、それとなく部屋に置いておいたら、まず高校生の長男が気づいてページをめくり、はまりました。小6の次男は、「何かおもしろい本なーい?」と来たので渡したら、声に出してその場で読みはじめ、「お母さんわかる?」といちいちきいてきて、答えがわかるたびに「頭いいねー」って。3冊とも同じように読み、あとから、家族や友達に話しては「なんでかわかる?」とたずねていました。友だち同士何人か集まって、「ふーん」と楽しめる本ですね。音にしたとき、心地よく頭に入ってくるように訳されているんだな、と感心しました。2番目のたねあかし「五、十」は、あんまりだと思いましたが。絵も本当にきれい。本づくりがとてもいいですね。

げた:さがしものの絵本というのはたくさん出ていて食傷気味ですが、なぞなぞ話みたいなものは出ていないので珍しいと思って、図書館にも何冊か入れました。話はおもしろいと思いました。再話した民話がそうなっていたんでしょうけど、「条件をあらかじめ提示してくれないと答えられないなあ」と思うものもありました。

むう:絵がなんとも魅力的でした。甘ったるくなくて、味がある。パズルというのはかなり理系的なところもあって、パズルは人間の本能だという記号学者の本も出ているくらいだけれど、こういう昔からの言い伝えのなぞなぞを集めた本を見ると、なんというか、納得してしまうところがあります。子どもはとにかく、大人の目でいうと、そういう意味でも各地の話を集めてきた本というのは興味深いですね。1の雪だるまはよくわからなかったというか、肩すかしを食らった気がしたのですが、あとにいくほどマジになってむきになって、最後のほうは数学の本や哲学の本ともかなり重なる気がしました。いわゆる論理学系ですけれど。最後の船の話は、アン・ファインがこの謎を取り上げて短編を書いていて、そっちもなかなかおもしろかったです。でも、答えがないと言われると、ちょっとほかとレベルが違うから、あれ?という気がしますね。

ブラックペッパー:とっても楽しい本。先に3を読んでいて、答えは難しいということがわかっていたので、あんまり考えこむことなく楽しく読めました。私も、カーコさんの次男さんと同じように、もうどれも「あったまイイ!」「りこうだわぁ」と思いながら読みました。どのページも絵がとってもきれいで、すみずみまで楽しめる本ですよね。「たねあかし」という言葉も好き。とくにお気に入りは、10の「さいごのねがい」。この圧倒的な感じは、ババーン! って効果音がきこえてくるようだった。いっしょに死んでほしいという言い方もおもしろい。「いっしょに死んでください」とか言ってしまいそうだけど、「死んでほしい」っていうところがいいよね。最後の問題の答えがないというところも好きです。ほんとは、むうさんみたいにピンとくるものがあれば、もっといい読者になれたと思いますが……。教訓的でないところもいいですね。

アカシア:ピーター・シスの絵にほれぼれとしながら読んだんですが、本当に原本より数段いいですね。訳も、昔話を聞いているみたいに、語っている人の声が聞こえてくるようです。実際の昔話が土台になっていると思いますが、その土台の昔話の方も読みたくなります。ていねいにつくられたきれいな本ですけど、今の子どもたちは小さくて薄い本を持ちたがりますよね。持って歩くには、『ラクリッツ〜』みたいな形の方が人気が出るのかな。

ケロ:はじめは謎解きのくりかえしの本だな、という印象で読んでいたんですが、作者はこの本で、すばらしい編集作業をしているということがわかってきました。様々な国に伝わる、いわゆるとんち話の「謎の部分」を抽出して、おもしろく再構成しているんですよね。こういうふうにまとめてしっくりくる形にするのは、すごい。絵のおかげでもありますね。そして、日本語版になったときでもさらにすごいということで、その積み重ねの見事さに感心しました。ルビが適当にないのも、いい感じでした。表4の絵と帯の文章が連動しているところまで作り込まれているようで、きめ細かい仕事だと感心しました。

うさこ:絵も好きで、すてきな本だなあと思いました。いつかこういうのが作れたらなあと思った1冊でした。謎かけは、ストレートな答えあり、とんちがきいてるものあり、「ええっ、これが答え? やられたなあ」と思うものありと、いろいろバラエティがありました。謎かけに真っ向勝負!的に真剣に読んでいくと、答えに肩すかしをくらわされて、出題者の作者がむこう側でへへへと笑っているような感じがします。タイトルどおり、ほんとに頭をふにゃふにゃにして読むことが、この本を楽しむコツかな。絵の見せ方、本の作り方が、原本よりずっといい。「あたまをひねろう」というタイトルづけや、「たねあかし」「10歳以上のみんな」など、言葉のひとつひとつの使い方もよかったと思います。

たんぽぽ:きれいな本で、手元におきたい本。雪だるまの話など、最初答えがわかりませんでしたが、ミルクのところで、納得。だんだん頭がほぐれてきました。私は1巻のほうが、わかりやすいかなと思いました。原典に当たりたいと思ってくれる子が出てきたらいいなと思います。

愁童:今の子どもの状況を考えると、いい本が出たなって思いました。ちゃんと言葉に向き合わないと謎も解けないって、すごく大事なことをゲーム感覚でさりげなく伝えているところがいいですね。「あたまをひねる」なんて言葉、今の子どもたちにとっては死語だろうけど。でも、大人が使ってきた言葉をこういう形できちんと伝えようという姿勢が感じられて、この翻訳、とても気分がよかったです。

アサギ:私は、もともとミステリーを読むときもせっかちで、半分くらい読むと、最後の方を読んじゃうくらい。謎解きももともと下手な方なので、たねあかしをふくめてひとつのお話として読みました。そう思って読んだので、楽しめました。シスの絵っていい。人気があるだけのことはありますね。ただね、雪だるまの話は納得しにくい。

たんぽぽ:途中で読むのをやめたいと思わなかった。だんだんはまっていきます。

むう:いろいろな場所のなぞなぞを集めてきたのに、印象が散漫じゃないことに感心しました。なんというか、昔話をひとつ読んだよ、という感じかな。それがよかった。

ウグイス:「世界のなぞかけ昔話」全3巻の原題は、”Story to Solve”“More Stories to Solve” “Still More Stories to Solve”ですね。 邦訳1巻目は『どうしてかわかる?』、2巻目は『あたまをひねろう!』、3巻目は『やっとわかったぞ!』で、1ではちょっとむずかしくても、2で頭をひねるこつをつかみ、3では頭がほぐれやすくなって解けるようになる、という段階をふんでいく感じを出しています。ただおもしろく読むだけではなく、子どもたちに頭をつかって考えてもらいたい、という意図があるんですね。作者が裏で「フフフ、解けたかい?」と言っている感じがあって、読者は作者に挑戦するような気分で読めると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年5月の記録)


生霊わたり

ミシェル・ペイヴァー『生霊わたり』さくまゆみこ訳
『生霊わたり』 (クロニクル千古の闇2)

ミシェル・ペイヴァー著 さくまゆみこ訳
評論社
2006.04

イギリスのファンタジー。トラクが暮らす森を得体の知れない病が襲い、トラクはその治療法を捜しに旅立ちます。しかし海辺に出たトラクはアザラシ族の少年たちに捕らえられ、島に連行されてしまいます。魂食らいの意外な正体が暴かれていくこの巻は、海が舞台。レンとウルフも再び活躍します。1巻よりさらにおもしろさを増しています。
(絵:酒井駒子さん 編集:岡本稚歩美さん 装丁:桂川潤さん)


ヘブンショップ

デボラ・エリス『ヘブンショップ』さくまゆみこ訳
『ヘブンショップ』
デボラ・エリス著 さくまゆみこ訳
鈴木出版
2006.04

カナダのフィクション。アフガンの子どもたちを描いてきたエリスが、今回はアフリカに出かけて子どもたちを取材し、エイズやエイズ孤児の問題に焦点を当てました。主人公は13歳のマラウイの少女ビンティ。親をエイズで亡くし、親戚に引き取られますが、そこでこき使われたうえに盗みの疑いをかけられて逃げだし、田舎のおばあさんを訪ねていきます。そのうちおばあさんも亡くなり、子どもたちだけで生きていく方法を考えます。あすなろ書房から出した『沈黙のはてに』と同じテーマですが、こちらは小学生高学年から。
(絵:斎藤木綿子さん 編集:今西大さん 装丁:こやまたかこさん)

*ジェーン・アダムズ児童図書賞銀賞


2006年04月 テーマ:小さい人が読む本

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『2006年04月 テーマ:小さい人が読む本』
日付 2006年4月27日
参加者 トチ、たんぽぽ、げた、カーコ、ハマグリ、アカシア、アサギ、愁童
テーマ 小さい人が読む本

読んだ本:

アストリッド・リンドグレーン『赤い鳥の国へ』
『赤い鳥の国へ』
原題:SUNNANANG by Astrid Lindgren(スウェーデン)
アストリッド・リンドグレーン/著 マリット・テルンクヴィスト/絵 石井登志子/訳
徳間書店
2005

版元語録:ずっとむかし、身よりをなくした小さな兄と妹が、雪の森で、まっ赤な鳥を見つけました。鳥をおいかけて、二人がたどりついたのは、光あふれる春の草原でした…。「子どもの本の女王」リンドグレーンが、貧しい時代の子どもたちを優しいまなざしで見つめた、珠玉の幼年童話。
エクルズ・ウィリアムズ『真夜中のまほう』
『真夜中のまほう』
原題:MAGIC AT MIDNIGHT by Phyllis Arkle, 1967(イギリス)
フィリス・アークル/著 エクルズ・ウィリアムズ/絵 飯田佳奈絵/訳
BL出版
2006

版元語録:村のやどやの看板に描かれたマガモは、真夜中の鐘が鳴ると、看板からぬけだせることを知ります。同じようにまほうを知った看板仲間は、池で泳いだり、音楽会をひらいたりと、すばらしい夜を過ごしますが、やがて村でおこる大事件に巻きこまれ……。クラシカルな雰囲気がただよう楽しい作品。
今江祥智『ぽけっとくらべ』
『ぽけっとくらべ』
今江祥智/文 和田誠/絵
文研出版
2005

版元語録:何でも入る便利なポケット。動物たちが感心して、つくってみたくなるのもむりはありません。ところが、自慢のポケットはなんだかへんなポケットばかりで、思わず笑みがこぼれます。ポケットの大好きな子どもたちにおくる、たのしくおしゃれな絵本です。
二宮由紀子『森のサクランボつみ大会』
『森のサクランボつみ大会 ハリネズミのプルプル1』 (ハリネズミのプルプル1)

二宮由紀子/著 あべ弘士/絵
文渓堂
1999

版元語録:ハリネズミが,こんなに“わすれんぼう”だったなんて,知っていましたか?約束を忘れたハリネズミが次々に巻き起こす,愉快なお話。オールカラーの絵童話シリーズ第一弾。
マージョリー・フラック『ウイリアムのこねこ』
『ウイリアムのこねこ』
原題:WILLIAM AND HIS KITTEN by Marjorie Flack(アメリカ)
マージョリー・フラック/文・絵 まさきるりこ/訳
新風舎
2004

版元語録:ウイリアムは、迷子のこねこに出会いました。そこで警察署へ届け出ますが、飼い主という人が3人も!一体、誰のねこになるのでしょう。ウイリアムが小さいなりにこねこに愛情をそそぐ様や、小さいからこそ、一生懸命になる姿が言葉や絵で丁寧に表されており、子どもたちはウイリアムになりきって、こねこの行く末を考えるでしょう。

(さらに…)

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ウイリアムのこねこ

マージョリー・フラック『ウイリアムのこねこ』
『ウイリアムのこねこ』
マージョリー・フラック/文・絵 まさきるりこ/訳
新風舎
2004

アサギ:ずいぶんクラシックな雰囲気ね。でもお話自体はとってもよくできていると思いました。3匹の迷いネコは、けっきょく同じネコだったのね。1年たって、ピーターが成長していくさまの絵もいいし、ユーモアもある。そしてお話にきちんと起承転結がある。強烈なインパクトはないけど、心あたたまる、読後感のいい本でした。

アカシア:お話も訳もとてもいいけど、日本でずっと出なかったのは、絵本にしては文章が長すぎるからでしょうね。文章だけがフラックだったら、絵は別の日本人にたのんで幼年童話にするという手があるでしょうけど、文も絵もフラックなので別の形では出せないものね。読み聞かせにはいいでしょうけど、子どもが自分で読むには、この形態はどうなんでしょう?

ハマグリ:同じ作者の『おかあさんだいすき』(光吉夏弥訳・編 岩波書店)は1950年代に翻訳されているけど、これは絵本にしては文章が長いから今まで出なかったのかしら。カラーのページと白黒が交互に出てくるのは、印刷コストを下げるためにやっていることですよね。お話は、単純でわかりやすいけれど、どの年齢の子にすすめたらいいか、迷ってしまう。小さい子に読んであげるには長すぎて飽きてしまいそうだし、大きい子には、赤ちゃんぽいウィリアムがもの足りないのでは?

カーコ:お話はおもしろかったです。本好きのお母さんが自分の子に読んでやる本という感じがしました。

げた:集団読み聞かせにはむずかしいんですけど、お母さんと二人で一緒に読むのなら、いいお話かな。個人的には好きですけど、手にとられにくいかな?

たんぽぽ:子どもはこのお話がすごい好きで、1,2年生に読み聞かせをしてよく聞いてくれたんですけど、そのあと自分では借りないんですね。『赤い鳥の国へ』のような本の形なら借りていくと思うんですけど。

トチ:お芝居でウエルメイドという言葉をよく使うけど、この絵本もそういう感じがしました。いろいろなピースが最後にぴたりとはまって、本を読みはじめた子どもたちが「お話っておもしろいな」と思う要素がたくさんある。繰り返しも「ああ、こうやって書くんだな」というお手本みたいだし。たしかに、絵本でなく絵物語にしたほうがいいとも思いましたが……。ただ、見返しの部分が英語のままになっているけれど、本文とおなじように訳したほうがよかった。絵本って、表紙から、見返しから、背表紙から、小口まで、すべてがごちそうですものね。

ハマグリ:絵のバックが黄色というのはユニークよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)


森のサクランボつみ大会 ハリネズミのプルプル1

二宮由紀子『森のサクランボつみ大会』
『森のサクランボつみ大会 ハリネズミのプルプル1』 (ハリネズミのプルプル1)

二宮由紀子/著 あべ弘士/絵
文渓堂
1999

トチ:のんびりしていて、なんとも幸福感あふれるお話で、大好きです。子どもって、学校の先生やお母さんから、しょっちゅう忘れ物をするなって注意されてるから、こういうものを読むと、ほんとにホッとするんじゃないかしら。「こんなによるはやく」とか、子どもたちが喜びそうな言葉も、いくつも出てくる。『ウィリアムのこねこ』は、作者がしっかりお話を考えた本だけれど、これはごく自然にストーリーが流れている。対照的な書き方だけど、どちらもうまいと思いました。

たんぽぽ:シリーズの3冊の中で、1巻目がいちばんおもしろかった。なんでもかんでもすぐに忘れていいなあと。二人のコンビのは、先月もふくろうの本が出ていましたね(『森の大あくま』毎日新聞社)。

げた:おもしろい。夏休みのおすすめにしようかな。忘れても、まるくおさまっちゃう。ぎゅうぎゅうしめつけられている子どもと、まったく逆転した世界。今の子どもたちを、だいじょうぶなんだよと解放してやる意味が込められているのでは。

カーコ:楽しめました。まじめな子が読んだら、どうなっちゃうんだろう、とドキドキするんじゃないかしら。阿部さんの絵がおおらかで、また楽しい。19ページのハリネズミの手の絵は、阿部さんだからこそだな、と思いました。

ハマグリ:絵本を卒業する年齢の子が移行しやすい本が、もっと出てほしいなと日ごろから思っているので、こういう感じの本はうれしい。でも、あべさんの絵だと『わにのスワニー』シリーズ(中川ひろたか著/講談社)のほうがいいかなと思います。最初に、状況がよくわからない部分がありました。12、13ページの絵が、夕方の早い時間というのがつかみとりにくい。絵を見てもよくわからなかった。フルフルとプルプルも、どちらがどちらだか途中でわからなくなることがあったわね。ローベルのかえるくんとがまくんのように、はっきりと描き分けられていないので。

アカシア:1巻が図書館で貸し出し中だったので、私は3巻目を先に読んだんです。そしたら、ただただハリネズミたちが忘れてしまうだけで、芯がなくて、えっ、これでいいの? と疑問になったんです。でも、1巻を読んだら、おもしろいですね。ちょうどいい具合に「忘れる」部分が出てくるから。3巻は物忘れがエスカレートしているんですね。ただ1巻でも、お話の中の世界の整合性にこだわると、疑問な点が出てきます。フルフルの誕生日にはみんなが集まったけれど何のために集まったか忘れているのに、サクランボつみ大会は、最初から集まらない、というのはどうして? 大人は気にならなくても、気になる子もいるのではないかしら?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)


ぽけっとくらべ

今江祥智『ぽけっとくらべ』
『ぽけっとくらべ』
今江祥智/文 和田誠/絵
文研出版
2005

トチ:なんとものんきなところが、大好きな本です。ただ楽しいだけの本みたいだけど、子どもは読んでいくうちに、ポケットにはあんなものも、こんなものもある……なんて考えるようになる。お勉強絵本のようなものより、ずっと頭の訓練になるのかも。今江・和田コンビの『ちょうちょむすび』(BL出版)や『あめだまをたべたライオン』(フレーベル館)も好きだったけど、なんというか、お二人とも失礼ながら「枯れた」境地に入ってきているというか……

たんぽぽ:子どもに安心して渡してあげられる本ですね。字がちょっと小さいかな。

げた:ポケットって、子どもに興味があるから、テーマ的にはいいと思うけれど、文章がちょっと長すぎるかな。短いと、もっと楽しめるのでは? 表紙がいいので、図書館でもよく借りられています。

カーコ:パネルシアター的な絵本だと思いました。登場人物の口調の書き分けがうまい。小学生に読み聞かせしてみたくなりました。

ハマグリ:絵本にしては字が多くて読みにくいし、読み物を読みたい子どもは、この形では手にとらない。中途半端なつくりだと思います。判型を小さくして、低学年の子が読みやすい読み物にしたほうがよかったのでは?

アカシア:これは今江さんの童話集の中にも入っている話ですよね。私は最後の落ちがイマイチでした。カメの甲羅もポケットだっていうのは、どうなんでしょう? もう少していねいにお話をつくってほしいな、と思っちゃった。

トチ:カンガルーで終わればよかったのにね。

アサギ:基本的には楽しくて良い本だと思います。でも、私も最後でがくっときてしまったのが残念。絵本にしては字が多いけれど、楽しくあたたかい雰囲気に満ちている印象。ポケットというのも、良い発想では。ドラえもんにもあるわね……。

愁童:今江さんの幼年向けの作品て、言葉にリズム感があるものが多いけど、これは読み聞かせを念頭において書かれているのかな? 子どもが喜びそうな題材でユーモアもあるし、おもしろいなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)


真夜中のまほう

エクルズ・ウィリアムズ『真夜中のまほう』
『真夜中のまほう』
フィリス・アークル/著 エクルズ・ウィリアムズ/絵 飯田佳奈絵/訳
BL出版
2006

アサギ:看板から動物が飛び出すという発想がおもしろかった。でも翻訳はところどころ安易で(おそらく年寄りで知恵のあることになっているふくろうが、「わしは・・・じゃ」とするなど)、気になりました。話を聞いてもらえない男の子ダンを通して、さりげなく大人への皮肉もこめられていますね。ファンタジーの中には、最初はおもしろくても落としどころが悪いのもあるけど、これはすとんと自然に終わっていていいと思います。

アカシア:お話の運びはおもしろかったのですが、文章は気になるところがいっぱいありました。13ページにはマガモが「バチャバチャと手足を動かして」とあります。四本足の動物なら前足を手ということもあるけど、カモは足が2本しかないから表現として変ですね。14ページ「さかなが頭をポンッと」だけど51ページは「魚がポンと頭を」になってる。読みにくいけど小さいツを入れるなら入れるで統一してほしいです。「ミッドナイト・イン・サイン・クラブ」は、日本語のおもしろい表現にしたほうがよかったと思います。50ページの「マガモは、今回、なにが待ちかまえているのか、なんとなく思うふしがありましたが、」も日本語として変ですね。28ページの「ショートさんは、その日、看板をみようともしませんでした。ですから、マガモが教会のある西の方角ではなく、古い救貧院がある東の方角を向いていることには、だれも気づくことはありませんでした」も、看板は宿の主人が自分の看板を見るよりも通りがかりの人や旅人が見るほうが多いと普通は思うので、何が「ですから」だかわかりません。それから、これは原文もそうなのでしょうけど、110ページに人魚が「わすれっぽいのって、女の人だけだと思ってたわ」と言いますが、ジェンダー的には問題ありますよね。せっかく小学生が楽しく読めるおもしろい物語なのですから、編集者が訳者を助けてちゃんと見てくれると、もっとずっといい本になったのにね。

ハマグリ:感じのいい表紙で、挿絵も味があり、文字の大きさも手ごろで、手に取ったときにまず好感が持てました。小学校中学年くらいでどんどん読めるといいけど、けっこうむずかしい漢字が出てきますね。それと、マガモのキャラクターのおもしろさが、原文にはもっとあるのではないかしら? まじめなばかりではなくおかしさが出ると、もっともっと魅力的な話になると思う。訳文は、「ですから」「ですので」「だから」をどう使い分けているんでしょう? はっきりした理由がないのなら統一したほうがいいですね。

カーコ:楽しいお話でした。次々に特徴のある新しい動物が加わっていくのもおもしろいし、ハラハラドキドキさせられるところもあって。低学年の子がおもしろがりそうなのに、漢字にルビが少ないのが残念。私も気になる言葉はありましたが、1つだけ言うと、10ページの、「つめたっ。」今の子は、「あつい」を「あつ」とか、「すごい」を「すご」とか、「い」ぬき言葉を使うけれど、幼年童話で使うのはどうかな、と思いました。

げた:じみな表紙で、ハラハラドキドキといってもそれほど山あり谷ありではありませんが、発想がよくて私の区では全館に入れました。言葉遣いは、気になりませんでした。選書のときは一日30冊くらい読むので、そこまで注意が行き届かないということもありますが。挿絵もシンプルで、かえってお話の中から子どもたちに想像させる効果があると思いました。

たんぽぽ:私はこの本が好きで、挿絵もいいなと思いました。看板から抜け出してくるのが楽しくて、子どもも喜んで、図書館ではよく動いています。最後が、ストンとうまく落ちている。

トチ:物語はとってもおもしろいし、訳者も楽しんで訳していると思いました。でも、編集者がちゃんとチェックしたのかな? 訳者のデビュー作なのに、これでは気の毒。動物の名前が平仮名だったり、カタカナだったりするし、マイルやインチなども、子どもの本の場合はキロやセンチで訳さなきゃ。「ナショナル・ギャラリー」や「オークション」も子どもはどういう場所か、どういうことかわからないでしょうし。106ページの「ダンは、あどけなくこたえました」という箇所、きっと innocently とあるのでしょうけど、この場合「しらばっくれて」ということなのでは?「あどけなく」では「ぶりっ子」みたいで、トロいと周囲に思われていても本当は賢いダンのイメージが変わってしまう。「(ダンに看板のことを指摘された店主の)ショートさんの顔がさーっと青ざめました」という箇所も、ショートさんが大変な秘密でも持っていて、ダンにばれそうになったので青くなったのかなと思ったら、ただ腹を立てただけだった……こういう細かいところのズレが積み重なると物語の全体がわかりにくくなる。せっかく良い本なのに、惜しいなと思いました。

アサギ:全体として、ばらつきのある翻訳という印象。すごくうまいなと思うところと、変だなと思うところがある。

愁童:この訳者の日本語の語感がずれている感じがする。「なんとなく思うふしがありましたが」なんていわれても、この本読む子にはそんなニュアンス分からないでしょう。本の内容からすれば、もっとリズム感のある日本語で語ってほしいね。せっかくの楽しいお話なんだから。

トチ:作家も翻訳者も編集者に育てられるものと、私はいつも思っています。たとえ編集者のほうがずっと年下でもね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)


赤い鳥の国へ

アストリッド・リンドグレーン『赤い鳥の国へ』
『赤い鳥の国へ』
アストリッド・リンドグレーン/著 マリット・テルンクヴィスト/絵 石井登志子/訳
徳間書店
2005

トチ:今回選書係のたんぽぽさんによると「いつまでも頭から離れない話」ということでしたが、本当にいつまでも心に残る話でした。語り方も絵もさすがにうまいと思ったし、虐げられている子どもたちへの時代を超えた作者の愛情や、怒りも感じました。特に41ページの「ミナミノハラがなかったら……」という台詞など、こんなに悲しい言葉があっていいの?とまで思いました。『マッチ売りの少女』の世界だわね。ただ、訳者の後書きに「(この物語は)悲しいまま終わっていません」とあったけれど、「??」と思ってしまった。日本の子どもたちは、この物語は死で終わっていると理解するでしょうし、キリスト教の世界ではいざ知らず、日本の読者にとっては「死=悲しいこと」のでは? たとえ天国に行けたって早死にしちゃいけない、そう考えるほうが「まっとうな」気がするんだけど。

たんぽぽ:悲しすぎて、自分の学校の図書館には置いていません。絵本でも、文字量が多いと子どもは手にとりにくいのだけれど、このように幼年読み物にすると、子どもが手にとれるかなとは思いました。

げた:扉を閉めることで兄弟は天国に行ってしまったという、悲しい結末。悲しいから、私の区では全館には置かなかった。絵もいいし、子どもの心に入ってくると思うが。せっかく学校に行ったのに、ひどい目にあうし。

カーコ:何度も何度も同じ言葉でたたみかけられて、イメージが心に焼きついてくるようでした。最初の灰色の世界と、赤い鳥の対比のあざやかさが見事でした。個人的には、『エーミルと小さなイーダ』(さんぺいけいこ訳 岩波書店)のような明るい作品のほうが好きですが。

ハマグリ:リンドグレンの中では、悲しいお話なんだけれど、子どもはたまに悲しーいお話を読みたいと思うときがありますよね。貧しくて、みなしご……それだけで、子どもをひきつける。リンドグレンの作品集(岩波書店)の中でも、とくに『小さいきょうだい』や『ミオよわたしのミオ』が好きだという子どもも時々いるんですよ。赤い鳥の国とは、キリスト教でいう天国を表していて、現世では救われないんだけれど、最後に救いがあるということでしょうか。『小さいきょうだい』には全部で4話の短編がはいっていますが、その中の1編をこのような形で1冊の本として出してくれると、読みやすいし、読者が広がるのがいいですね。岩波版の訳者大塚勇三の独特の口調は捨てがたいですが、石井登志子訳はくせがなく平易だと思いました。挿絵画家も違い、こちらは、村の中でも森の中でも、兄弟の姿をことさら小さく描いていて、読者が心を寄せざるをえないんですね。前後の見返しの絵もいい。

アカシア:新しい作品だと思って読み始めて、途中から「ああ、これは『小さいきょうだい』で読んだ話だな」と思い出しました。リンドグレンは多才な作家ですよね。楽しい作品もあれば、悲しい作品もあるし、子どもの日常を描いた作品もあれば、ファンタジーもある。年齢対象もいろいろです。扉を閉めるというのは、自殺することなんでしょうか? リンドグレンは、本当に辛いとき、そういう道を選ぶことも認めているんでしょうか?

アサギ:私は悲しいお話はあまり好きじゃないけど、悲しい話を読みたいというのは、確かにあるわよね。

トチ:読者である自分を安全なところに置いたままカタルシスを味わうというのは、ちょっと後ろめたい気がするけどね。特に子どもの本の場合は。

アサギ:最後に死んでしまうのだから、悲しくてやっぱりわたしはだめ。『人魚姫』(アンデルセン作)とか『フランダースの犬』(ウィーダ作)とか、子どものときは読んでいたけど。これはたぶん年齢とも関係あると思うんだけど、だんだん悲しいものは辛くなってきた。

トチ:わたしはハマグリさんの意見と同じで、こういう本があってもいいんじゃないと思うけど。

アカシア:子どもの読者は、最後死んだとは思わないんじゃない?

トチ:いや、子どもはもっと読書力があると思う。

アカシア:そうじゃなくて、今の子はファンタジーも読んでいるから、アナザーワールドに行ったと思うかも。リンドグレンは、天国を信じているんでしょうから、現世では辛い体験しかあたえられない子どもたちに、ここで救いを与えているのだと思いますね。

愁童:僕はこれを読んで、これまであったリンドグレーンへの好感度を自分の中から削除しちゃった。悲しいお話が好きな子は確かにいるけど、何かこの作品、そんな読者を意識したショーバイ・ショーバイって感じがして好きになれない。こんな本読んで育つから、練炭持っていって一緒に死のうみたいな若者にが増えるんじゃないの? せめて、『青い鳥』(メーテルリンク)じゃないけど、どこかに青い鳥がいるから自分でさがしに行ってごらん程度のメッセージがあってもいいんじゃないかな。苦しかったら死んじゃいな、みたいなことを、自分は安全な所にいる大人から言われたんじゃ、子どもはたまらないぜ!

トチ:たしかに作者は善意で書いているし、こういう子どもたちへの愛情や大人たちへの怒りも感じるけれど、愁童さんに言われてみると、これは愛情ではなく哀れみなのかも、って気もしてきたわ。

げた:子どもに向けて、手渡すのに抵抗を感じたのは、これでは子どもが救われない、悲惨すぎると思ったからなんです。

アカシア:でも、物語の舞台は今の日本じゃないですよね。日本にいると見えないけど、今だってこの子たちみたいな子はいっぱいいる。その子たちに向かって、「おまえたち死んじゃだめだ」っていうだけで、現実には何もしなかったら、もっと救いがないのでは?
(このあと、リンドグレーンの姿勢について熱い議論が続く)

(「子どもの本で言いたい放題」2006年4月の記録)


2006年03月 テーマ:エイズ

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『2006年03月 テーマ:エイズ』
日付 2006年3月30日
参加者 羊、アカシア、ハマグリ、ポロン、紙魚、トチ、愁童、小麦
テーマ エイズ

読んだ本:

ヘニング・マンケル『炎の謎』
『炎の謎』
原題:ELDENS GATA by Henning Mankell, 2000
ヘニング・マンケル/著 オスターグレン晴子/訳
講談社
2005.02

オビ語録:地雷で両足と家族を奪われたモザンビークの少女ソフィア。思春期をむかえた彼女は、愛と性、そしてエイズの恐ろしさを知る/過酷な運命に屈しない魂の物語/『炎の秘密』の続編
アラン・ストラットン『沈黙のはてに』さくまゆみこ訳
『沈黙のはてに』
原題:CHANDA'S SECRETS by Allan Stratton, 2004
アラン・ストラットン/著 さくまゆみこ/訳
あすなろ書房
2006.01

版元語録:誰にもうちあけることのできない少女の秘密。それは…真実は知りたくなかった。口にするのも恐ろしかった。アフリカのかたすみに生きる、ある家族のものがたり。
山本直樹・美智子『新エイズの基礎知識』
『新エイズの基礎知識』
山本直樹・山本美智子/著
岩波ジュニア新書
1999.08

版元語録:エイズってなに? エイズウイルス、感染しない方法、エイズの検査、検査と告知、治療法の進展、苦戦するエイズワクチン、エイズのこれから、等10章。

(さらに…)

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新エイズの基礎知識

山本直樹・美智子『新エイズの基礎知識』
『新エイズの基礎知識』
山本直樹・山本美智子/著
岩波ジュニア新書
1999.08

ポロン:私はこの本、むずかしくて読めなかった。読むというより、なんとか眺めたという感じ。だから、ひとことだけ感想を言います。「この本が、読める人はすごいなあ」

紙魚:そうなんですよね。これを子どもに読ませようとしているというのは、大人としてなんだかやるせないです。でも、この本ちゃんと重版かかっているし、こういう類のものでさえ他に類書がないので、きっと学校なんかでは参考図書としてよく使われているんだろうなと思います。これ、構成もよくないですよね。3章からはじまったほうが、まだよかったのでは?

アカシア:岩波の本は権威があると思われていて、引用されたりすることも多いと思うんですが、p151とp157は矛盾してます。p151の円グラフ(世界のエイズ患者の州別割合)では、感染者がいちばん多いのはアメリカで、全体の約半分を占めています。この同じグラフで、今回みんなで読んだ作品の舞台になっているアフリカの患者の数を見ると、70万6318人。グラフでも全体の三分の一くらい。ところが、p157の本文には「世界中のエイズ感染者のうち三分の二以上がサハラ砂漠以南に住み、その数は2100万人にのぼります」と書いてある。70万と2100万では差がありすぎます。円グラフの数字が正しいのかどうかも疑問ですが、正しいとするなら、なぜ2ケタも違うのかをきちんと説明してくれないと。政府が届けた数は意味がないと言いたいなら、実数に近いと思われるUNAIDSの推定数でつくった円グラフも載せておいてほしい。p151の円グラフは見やすいしインパクトが強いので、これを見たらエイズは主にアメリカの問題だと思ってしまう子も多いと思うんです。エイズは世界の貧困の問題とも大いに関係がありますが、この円グラフではその辺がまったく見えなくなってしまう。

ハマグリ:このようなグラフや表を載せる場合には、それをどのように読み解くかの解説も必要ですよね。

トチ:教室でエイズの勉強をするときなど、おそらく岩波で出したこの2冊を副読本のように使うんでしょうね。それだったら、もっと正確な、分かりやすい本にしてほしい。新聞記事は、いちばん読んでほしい重要なことから逆ピラミッド型に書いていくけれど、こういった本も作者が読者にいちばん伝えたいことをトップに持ってきて、最初の1、2章で飽きてしまった読者も、いちばん大切なことは知ることができたというような構成にすべきじゃないかしら。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)


沈黙のはてに

アラン・ストラットン『沈黙のはてに』さくまゆみこ訳
『沈黙のはてに』
アラン・ストラットン/著 さくまゆみこ/訳
あすなろ書房
2006.01

小麦:とにかく人物がよく書けていて、ひきこまれました。中でもマ・タファは、「いい人のような悪い人のような」というどっちつかずの造形がリアル。チャンダはマ・タファを終始「見栄っ張りのいやなおばさん」という調子で語るから、読者の私もそう思ってしまいそうなものだけど、なんでだかそうは思えない。マ・タファの、人の好さと口うるささが同居してるような「意地悪で言うんじゃないんだけど」っていう口癖も印象に残ります。一概に彼女を悪人とも善人とも言い切れない何かが文中に漂っていて、妙に気になりました。そんなだったので、ラストでマ・タファの秘密が明かされたときは、すごく腑に落ちました。マ・タファが、善人あるいは悪人のステレオタイプとして描かれていたら、エイズのお母さんを受け入れるシーンも、ありふれた予定調和の感動になってしまって、ここまで響かなかったと思います。マ・タファに限らず、登場人物すべての造形にふくらみがあってリアリティがある。著者が、それぞれの人物を一方向からではなく、多面的に愛情を持って見つめているなと感じました。ただエスターに関しては、もう少し書く余地があったのでは? 両親を失い、兄弟と暮らすために売春をし、挙げ句の果てにお客に顔を傷つけられてしまう。顔を切られるって大変なことです。しかも兄弟とも一緒に暮らせない。そんなやぶれかぶれの状態で、チャンダに今まで貯めてきたお金を貸してあげるかな?
きっと書かれてはいないけど、エスターに関しては、語られなかった物語がまだまだあるんだろうなと私は思います。ショックだったのは、エイズが科学的な治療を必要とする「病気」としてではなく、呪いや災いと同列の禍々しいものとして描かれていたこと。問題に対する無理解やいわれのない偏見が、事態を悪化させる。これってエイズに限らずなんでもそうだけど、チャンダのように、勇気をもってそれを打ち破ることが現状を変えていくと思います。そのためにも、この本は届くべきところに届いてほしい。先進国だけでなく、エイズが身近な恐怖としてすぐそばにある、アフリカやタイの読者にまで渡っていってほしいなと思いました。

紙魚:『炎の謎』は夢見心地な物語でしたが、これは、実際のアフリカをそのままトレースしているような、しっかりとした物語。さっき愁童さんが、『炎の謎』をヨーロッパ的だと言っていて、確かにそういうところがあるかもしれないと思いましたが、『沈黙のはてに』は、ちゃんとアフリカ文法で書かれているように感じられるほど、すべての部分にきちんと具体性がありました。エイズにまつわる様々な問題も、ちゃんと網羅されているのもすごいと思いました。

トチ:最初のところでいきなり、主人公が葬儀社で妹の棺を選ぶところが詳細に描かれていて、これが衝撃的でした。そのまま最後まで一気に読んでしまいました。『炎の謎』と決定的に違うのは、『炎の謎』の作者だったら、主人公が美しいコウノトリに再び出会うという詩的な場面で作品を終わらせると思うのね。でも、ストラットンさんのほうは、エピローグでチャンダとエスターのこれからの道筋を具体的に書いている。ここの部分で、アフリカの子どもたちをなんとかエイズから救いたいという作者の熱い思いを感じました。救援団体のセンターの玄関に白いシーツがかけられ、フェルトペンで寄せ書きが書いてあるというところ、胸がじーんとしました。
それから、事実を具体的にしっかり書いてあるだけでなく、文学としての力も感じました。登場人物がそれぞれくっきり書きわけられている。特に生意気ざかりの妹アイリス。こういう子って、いますよね。原文もこんなふうに格調高く、歯切れよく書かれているんでしょうか?うまいと思いました。それから、小麦さんがおっしゃったことだけど、これは絶対にアフリカ以外の人に向けて書かれているんだと思うけど……

アカシア:アフリカでは、こういう本でみんなに考えてもらうという間接的な方法よりも、とにかく性交渉には注意しろとか、コンドームを配るとか、どうしても直接的・即効的な手段が先だという状態の国が多いんじゃないかな。

小麦:私は、エイズの人が目の前にいるという状況にある人が啓蒙される本なのかと思いました。

アカシア:先進国で感染者が急増しているのって、日本だけってこと知ってました?

トチ:患者も、血液製剤の被害者は別として、隠されているというか見えてこないから、非常に危険な状態だといわれても、実感できないのでは?

愁童:今回の課題作品は非常に対照的だね。『沈黙のはてに』は、チャンダとエスターの関係や母親への気持ちがよく伝わってくる。エイズということを抜きにしても、主人公のチャンダと周囲の人達の人間関係がきちっと書き込まれていて読者の心を揺さぶってくる。特にチャンダとエスターの関係なんか、ぜひ日本の子どもたちに読ませたいですね。この作者は、アフリカの社会にどっぷり入りこんで書いているって感じ。母親の出自とそれによる、実家の人達の冷酷な扱いなんかもきちっと書いているから、それに立ち向かっていくチャンダの母親への思いや必死さが、ストレートに読者に伝わってくる。ところで、アフリカでは、「炭坑労働者」はインモラルと思われているのかしら?

アカシア:南アフリカでは、アパルトヘイトの時期に、炭坑へ単身の男性が出稼ぎに出て、不特定多数の女性と性交渉を持ってエイズが広まったという話もありますね。

愁童:今回の課題本は、両方ともあまりにも設定が似ているので、読んでいてこんがらがっちゃって、読み直したりしたんだけど、作品としての質の差は歴然。チャンダが、隣のマ・タファとけんかする場面なんか、あの子の必死さがすごく伝わってくる。こういう部分は、同じ年代の日本の子どもたちでも、すごく共感するだろうね。『炎の謎』の方は、けんかしても姉のローサとの姉妹ケンカの範囲でしかないけど。それと、『沈黙のはてに』は、後半で近所の子どもが穴に落っこちたけど助かるという挿話が、うまいなと思った。自分の子どもの責任になっちゃうところを、こんな父親でも役にたったという設定にしているところなど、この作者の、自分が創り出した作中人物に寄せる温かさみたいなものを感じて好感を持った。とことんダメな父親として切り捨てないで、ややブラック・ユーモア的な設定かもしれないけど、それなりに子どもを愛してたんだという作者のメッセージが何となく伝わってきてほっとさせられる。

トチ:私もここのところは感動しました。生きているときは本当にどうしようもない人間で、このうえもなく惨めな死に方をしたのに、自らの死体で、幼い子や、自分の娘を救うことになったなんて! 非常に奥深いものを感じました。

:読み始めたときから、チャンダがくっきりと存在感がありました。おせっかいな隣のおばさんマ・タファを鬱陶しく思うところや怒鳴るところなんか、16歳くらいだったら、そうだろうなって思えて気持ちよい。エスターの過酷過ぎる状況も、妹の反抗にしても、納得できます。エイズを抜きにしても、物語として読める。

愁童:こんなに過酷な状況でも、希望を失っていない。エスターを看病するところなんかも、熱いよね。

紙魚:なのに、看病するときは「手袋」をはめて、というようなところもきっちり書いているのは、すごいと思いました。

愁童:医者の免状が単なる製薬会社の営業販売会議への出席証書であることをチャンダが読み取ってしまう所なんかも面白かった。作者の目配りが、こんなところにも行き届いていて、チャンダという少女の存在感に繋げているのは見事だと思う。単なるエイズ告発キャンペーン作品と言うことよりも、主人公のチャンダを、きちんと書き込もうとする作者の姿勢に好感を持ったな。

ハマグリ:この本は、妹のお棺を選ぶという最初のシーンがとても現実感があって、最初から引き込まれました。チャンダが頭がよくて機転がきいて、自分の足を地につけている子だということが冒頭でよくわかる。うまい構成だと思います。この本のいいところは、この人はいばっているから嫌だとかではなくて、人間のいい面も悪い面もひっくるめてとらえようとしているところよね。子どもたちが置かれている深刻な状況には心が痛むし、p183のエスターのせりふ「あたしはエイズにかかるかもしれない。死ぬかもしれない。でも、それがなんなの? 今よりも悪くはならないのよ。」は、衝撃的でしたね。好きなのは、コウノトリが出てくるシーン。p229で「孤独だと、息をするのもつらくなることがある。……地面が私をぱっくりと飲みこんでくれればいいのに!」というところ、事態がどんどん悪い方へ向かっていき、主人公の気持ちが苦しくなるくらい読者に伝わる。そんなときにコウノトリが出てくるのはとても意外だったけど、1羽のコウノトリが、月の光に白いはねをかがやかせて、こっちを見ており、チャンダが思わずコウノトリに話しかける場面は、象徴的で美しく、心に残りました。コウノトリの存在は、ひとつの希望。どうしようもないほどの苦しみの中で、こんな形で希望を暗示する書き方がうまいと思ったの。『沈黙のはてに』という書名からは、暗く重い印象を受けたけど、実際はもっと希望や未来を感じる内容でした。これだけ過酷な状況でも、先生や看護師のように手をさしのべてくれる大人がいるというのもうれしい。

ポロン:この本のキーワードは、「衝撃」と「秘密」だと思いました。冒頭、16歳の少女が一人で妹の葬儀の手配をするのなんて、本当に衝撃的。そんなショッキングなできごとが、歯切れのよい文体で綴られていて、チャンダの緊迫感がびしびしと伝わってくる。それで、まず物語にぐぐっとひきつけられました。そのあとにもまだまだ衝撃! そして、秘密が! 両親がティロの村から出てきた秘密や、エスターが何をしているかとか、エイズのこと、となりのおばさんの秘密などつぎつぎ出てきて、すごーく読ませる。エイズを扱っていながらも、それだけではなくて、物語として読める稀な本。先月読んだ、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』(偕成社)とはちがって、エイズがでてくる本だと知らないで読んでも、ダマサレタとは思わないと思う。完成度が高い。嫌だったのは、エスターがあまりにもかわいそうなところ。ここまでひどくなくても。本当にかわいそう。

愁童:エスターの面倒を見ているという叔父叔母の家にチャンダがエスターを探しに行き、「今度来たら警察を呼ぶぞ」と言われ「呼べばいいわよ」と激しく言葉を返す場面も、頭に来たこの年頃の女の子がうまく表現されていて好きですね。

ポロン:説得力がありますよね。

アカシア:エスターの存在は、日本にいて読むとひどすぎると思うけど、こういう状況におかれている子って、私たちに見えないだけで世界にはたくさんいるんだと思うんです。だから、著者がつくっているキャラじゃなくて、リアルなキャラだと思うんです。ところで、さっきポロンさんが言った、松谷みよ子さんの本だと「だまされた」と思うのはなぜ? 正義の側から書いているから?

ポロン:うーん……。なぜでしょう? 「物語」があるかどうかのちがいかも。私が読みたいのは「物語」だから。「こういう歴史的事実があったことを教えてさしあげましょう」というふうに描かれていて、もしもそれ以上のものがほかに感じられなかったら、「私は歴史が知りたかったわけじゃなかったのに」となって、ダマサレタと思っちゃう。でも、この本の場合は「エイズのこと、教えてさしあげましょう」という姿勢ではないし、物語はエイズのことだけじゃない。人がちゃんと描かれてる。エイズの話だと知らずに手にとったとしても、楽しめると思う。今回はエイズの話って知っていたから、この2冊を同じには比べられないけど。もし予想外の話だったとしても、読み終えて満足感があれば、ダマサレタとは感じない。そこが大きなちがいだと思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)


炎の謎

ヘニング・マンケル『炎の謎』
『炎の謎』
ヘニング・マンケル/著 オスターグレン晴子/訳
講談社
2005.02

:これは事実に基づいた物語なんですよね。

アカシア:カバーの袖に「ノンフィクション」って書いてあるけと、いいのかしら? 事実に基づいてはいても、これはノンフィクションじゃなくて創作でしょ。紛らわしいな。

ハマグリ:前にこの会で『炎の謎』(ヘニング・マンケル/著 オスターグレン晴子/訳 講談社)と『家なき鳥』(グローリア・ウィーラン/著 代田亜香子/訳 白水社)を取り上げましたね。どちらも、こんなにつらいことがあるだろうかという内容なのに、主人公の女の子が自分をしっかり持って、前を向いて歩き出すという物語だったので、多くの人に読んでもらいたいと思い、あの後、よく紹介しました。『炎の謎』は、主人公が『炎の秘密』より大人になっているので、抱える問題も複雑になっていますね。パキスタンのチョリスターン砂漠で生きる女の子を主人公にした『シャバヌ』(スザンネ・ステープルズ/著 金原瑞人、築地誠子/訳 ポプラ社)も、日本の読者には想像もつかないような異文化の境遇の中で自分を見失わずに生きる女の子の物語という点では似ていて、これも成長してからの続編と2部作になっています。『炎の謎』は3冊目も予定されているようですね。知らない国の文化や風習には興味が尽きないし、主人公の身に起こるあまりにも劇的な運命に、一気に読んでしまう。

ポロン:前作は、読んだのに細部を忘れていたのですが、それでもすーっと読めました。こういう状況があるというのが、実感としてよく伝わってきました。こまかいことですが、気になったことがひとつあって、それは「おなかが冷たくなる」という表現。「背筋が凍る」という意味なのかと思ったら、本当に冷たくなったというふうに書かれているところもあって不思議に思いました。本当に冷たくなるってこと、あるのかな。それとも、これはアフリカならではの表現?

アカシア:アフリカならではということはないでしょう。あるとしたら、原著が書かれたスウェーデン語の特殊表現でしょうね。物語全体が夢みたいで不思議な雰囲気を持っているし、前作でいろいろな困難を抱えてしまった女の子が、元気に生きているということがわかって、よかったですね。ただ、おそらく文学的な作品だからなんでしょうけど、一人称と三人称が混ざって出てくるのでちょっと読みにくかったですね。私がいちばん気になったのは、繕いをたのまれたお客さんの青いシャツを切っちゃうところ。繕い物を受け取ったおじさんは、気づかなかったんでしょうかね? それに、P117に、この女の子自身(お姉さんとの共有かもしれないけど)も青いブラウスを持っていることが書かれているんですね。ここで、読者の私は一気に興ざめしてしまいました。だって、ここまでは大事なお客さんのシャツの布を切ってまで少年に会いたいのだと思っていたのに、自分も青い服を持っているんなら単なる身勝手としか思えないじゃないですか! ここは、読者が主人公と一体化できるかどうかという点でも、大きいところですよ。原文が同じ「青」という言葉なのだったら、作者に言って変えてもらったほうがよかったですね。

紙魚:なるほど。シャツを切られちゃって気づかないのはおかしいけど、このおじさんって、なんだか味わい深く書かれているので、もしかして気づいてもあえて言わなかったのかなと読みました。

アカシア:ほかにも細かいところ、気になりました。p18に「マリアはローサの姉弟でもあった」ってありますけど、どうして弟という言葉が入っているの? あと、「バスタード」と呼ばれている人が出てきて、「名前はバスタード。ぴったりの名前だ」って書いてありますが、バスタードの意味が説明されていないので、読者には何がぴったりだかわかりませんよね。こういうところこそ注をつけてほしい。p158の「クランデイロ」に「魔術師」という注がついていますが、魔術師というと魔法を使うみたい。呪術医とか伝統医という意味でしょうか? このクランデイロのことを母親は「ノムボーラさま」と呼んでいるのですが、p193の母親の台詞は「ノムボーラのところへ行ってね」と呼び捨てになっています。それに、p160ではお姉さんがクランデイロのところに行くと決心しているのに(「母さんとローサが決心したのだから」と書かれています)、p168だと「母さんは毎日ノムボーラさまのところへ行きなさい、とうるさくいっている。姉さん自身が決心するまで、そっとしておいてあげればいいのに」と、まだ決心していないような記述になっています。もっとていねいに本造りをしてほしいなあ。それに、バスタードが畑を奪おうとしますが、どういう背景でそうなるのか説明されていないので、ご都合主義的なストーリーづくりと思われてしまいます。挿絵は、ふくらみがあって、夢のような物語とうまくマッチしていました。マチャムバはmachamba、テムバはTembaでしょうか? だとすれば、マチャンバ、テンバでいいと思いますけど。

紙魚:この本の中でいいなあと思った部分は、主人公が恋の喜びを味わうところ。エイズの本というと、異性と付き合うのはこわいことです! みたいなものがあったりしますが、この本はそういう立場には立ってなくてよかったと思いました。とはいえ、とても夢見心地に進んでいく物語なので、途中、主観で語られる詩のような部分は、ちょっと読むのがつらかったです。エイズって、いろんな問題のまさに縮図で、恋愛、性はもちろん、家族、社会、国、貧富の差、経済など、問題が渦巻いているので、それをぐるりと丸くとらえられる本というのがあるといいなあと思います。

トチ:私も袖にある「ノンフィクション」という言葉には、えっと思いました。いろいろな子どもの話を集めたんでしょうか。この本も『沈黙のはてに』も、登場人物だけではなくて、その後ろにいる大勢の子どもたちの姿が見えてきて、辛かったです。ただ、こっちの本は、作者が文学を書こうとすればするほど、詩的に描こうとすればするほど、現実感が無くなっていっているような気がしました。また、最後のところで主人公と男の子の距離が縮まっていくんだけど、こういう状況に置かれた主人公に自分の恋とエイズに対する危機感が全く無いのがふしぎでした。あと、「(主人公の)おなかが冷たくなる」という表現ですが、初めのうちは「背筋が冷たくなる」と同じようなことかなと思っていたのですが、あんまり何度も出てくるので「ひょっとして病気の兆候なのかも」と思ってしまった。

アカシア:ソフィアは、地雷で足を失っているので、血液の循環がよくないのかも。

ハマグリ:だとしたら、そのことについて、ふれてほしいわね。

トチ:スウェーデンの表現なのか、アフリカの表現なのか、それとも本当におなかが冷たいのか?

紙魚:「おなかがきゅーっとする」というのは、ありますよね。

トチ:お母さんの台詞が、ぶつぶつ切れていて、ぶっきらぼうなのが気になりました。『沈黙のはてに』のお母さんのほうは、しなやかな、体温を感じられる言葉で話している(訳している)けれど……。よく、テレビのテロップや吹き替えでも、黒人の言葉を荒っぽく、野卑な感じに訳しているのを見たり聞いたりすることがあるけれど、なんかそんな感じがして、あまり愉快ではありませんでした。

愁童:前作の『炎の秘密』もそうだったんだけど、この作品にもあまり共感出来なかった。作品の背後に作者の白欧主義的な目線を感じちゃって……。地雷もエイズも確かに過酷で深刻な生活環境だけど、そこで必死に生きている人達への目線があまり温かくない感じがする。作者が、登場人物にきちんと寄り添って書いている感じがしないんだな。それと訳文でちょっと気になったんだけど、最後のエピローグの出だしに、「屋根にあたる雨だれがポツン、ポツン、だんだんと間遠になっていったとき」ってあるんだけど、日本語として変だよ。雨だれって軒先から落ちる水滴を表現する言葉のはずだけど。

:私は、前に読んだ『炎の謎』の方が好きでした。青いシャツのことですが、おじさんは深いものの見方ができる人で、シャツのことを知っていながら気が付かないふりをしていたんじゃないかな。ソフィアも初恋をして、たぶん普通に考えれば、親密につきあっていけば怖いこともあるかもしれない。さらに病院で治療も受けられないという状況にあって、そんなに気楽にいられないのにと思ってしまうけれど、母親が「人間として、人を愛することは最高の贈り物なの」って言って、異性への愛を肯定してくれるところは良かった。

アカシア:私はこの作品にはアフリカっぽさを感じませんでした。なぜかしら?

トチ:原作者と訳者のあいだに距離があるのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)


ぼくはマサイ〜ライオンの大地で育つ

ジョゼフ・レマソライ・レクトン『ぼくはマサイ:ライオンの大地で育つ』さくまゆみこ訳
『ぼくはマサイ〜ライオンの大地で育つ』
ジョゼフ・レマソライ・レクトン著 さくまゆみこ訳
さ・え・ら書房
2006.02

原マサイの著者が書いたノンフィクション。ケニア北部の遊牧民の子として生まれ、キリスト教の学校に入り、伝統文化と西欧文化の間で悩みながら成長した著者の半生記。ライオン狩りの恐怖、初めて学校に入ったときのとまどい、伝統的な遊牧民の暮らし、サッカーで大統領の応援を受けたこと、アメリカに渡るときの不安などが、素朴で真摯な語り口で語られていきます。渇きで死にそうになったとき牛の鼻をなめて生き延びたという話など、びっくりするようなエピソードも。
著者のレクトンさんは、その後1年の半分はアメリカで教え、もう半分はケニアの遊牧民の福祉のために活動していましたが、今はケニアの政治家になっておいでのようです。
(編集:服部義治さん)


2006年02月 テーマ:新スポ根

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『2006年02月 テーマ:新スポ根』
日付 2006年2月23日
参加者 ケロ、ポロン、すあま、アカシア、むう、祐、ハマグリ、げた、カーコ
テーマ 新スポ根

読んだ本:

ダーシー・フレイ『最後のシュート』
『最後のシュート』
原題:THE LAST SHOT by Darcy Frey 1994
ダーシー・フレイ/著 井上一馬/訳
福音館書店
2004.06

オビ語録:1991年ニューヨーク、コニー・アイランド。バスケットボールに賭けた四人の若者の暑い夏。……その後、四人の運命は大きくわかれた。ある者は栄光の舞台へ、ある者は悲劇的な結末へ。感動のノンフィクション。
ロバート・ウェストール『青春のオフサイド』
『青春のオフサイド』
原題:FALLING INTO GLORY by Robert Westall 1993
ロバート・ウェストール/著 小野寺健/訳
徳間書店
2005.08

オビ語録:知らぬまにぼくたちは〈入ってはいけない場所〉に足を踏み入れていた…/巨匠ウェストールが描く、輝きと深い闇が交錯する十七歳の忘れがたい日々
香坂直『走れ、セナ!』
『走れ、セナ!』
香坂直/著
講談社
2012-08

版元語録:秋の陸上競技会の100メートル走でリベンジを誓う小学5年生の女の子セナ。だけど2学期早々,陸上部が突然解散することに…。

(さらに…)

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走れ、セナ!

香坂直『走れ、セナ!』
『走れ、セナ!』
香坂直/著
講談社
2012-08

アカシア:さらっと読めたんだけど、登場人物が全部ステレオタイプなので、がっかりしました。紋切り型の表現が多すぎます。お母さんの秘密というのが、秘密でもなんでもないし。新人賞入賞というけれど、どうなんでしょう? ハードカバーで出して、読者を獲得できるんでしょうか?

むう:すいません。他の2冊がそれなりにインパクトが強いというか、ぐっとこっちに来るものを持っていたので、今となってはこの本についての印象がほとんどどこかに飛んでしまって、ぜんぜんおぼえていません。

すあま:あまり期待せずに読んだんですけど、逆に読後の印象はよかったです。前回の講談社の新人賞佳作は『佐藤さん』だったので、佳作の人も良い書き手に育つ可能性があるように思います。今の子どもの感じを出そうとするあまり会話の部分で失敗する人が多い中で、これは違和感なく読めました。あまり本を読みなれてない子が読むのにいいと思います。

ポロン:おきゃんな文体に、最初はちょっとな、と思ったけれど、読み始めたらそんなに嫌じゃなかった。今時っぽい感じだし、みんなの意見を聞きたいと思いました。だけど、今の子って小学生からスパイクはいてるのかしら? 私の時代はスパイクは中学からだったんだけど……。スパイクをはいたら、タイムも1秒くらいはかるくあがっちゃうので、スパイクをはいてる子とはいてない子が、同じ競技会で走るというのは、ちょっと無理があると思いました。

アカシア:今の小学生に詳しい方が、「これは小学生とは思えない」という感想をおっしゃっていましたよ。

ポロン:走るところが、いまいちカッコよくなかったのが残念。速い人が走ると、それはそれはカッコよく、美しいものなので、もう少しそれが感じられたらよかった。あと、気になったのは「走りが」という言葉。テレビなどで「いい走りを見せてくれました」というような使い方を耳にすることはあるけれど、「走りがすき」といった言い方は、ふつうあんまりしないのでは?

ケロ:以前数学と文学は相性がいいという話が出たことがありましたけど、スポーツと文学の相性がいい本ですよね。良い意味で、単純にジーンと感動できる部分がある、というか。「セナ」という題名から、読むまでは陸上の話とは思いませんでした。また、お母さんがアイルトン・セナが好きと言ってるわりには、レースの事とか、あまり出て来ないですよね。これも、ちょっと残念。もう少し枝葉を広げられる様な気がするのですが。「走れ、セナ!」というタイトルとこの絵は、手に取りたくなるけど。

ハマグリ:見た感じがまずおもしろそうだし、日本の作品で、5年生を主人公にしたものは少ないから、その点がまずうれしい。最近の日本の児童文学は、もっと主人公の年齢が高く、ひねこびたところがあったり、人間との関わりが変にクールだったりするものが多いけど、この本の主人公は、わりと素直で単純で、5年生の子どもらしいところに好感がもてます。確かに登場人物がステレオタイプではあるけれど、ところどころ、今の子どもが共感できるところがありますよ。字面も文章の量も読みやすく、とにかくさらさらっと1冊読み通せる本だと思う。そういう本って貴重なのではないでしょうか。チビデブコンビは、ありがちな設定だけど、それぞれに俳句が上手だったり、数字を記憶する才能があったりしておもしろいので、もう少し書き込めばもっと良くなっただろうに。惜しい。

げた:紋切り型は紋切り型なんですけど、この読者対象で、前向きな作品は少ないので、図書館でも子どもに薦めたいと数をそろえました。

アカシア:だけど、紋切り型の本で人間について知るのは難しいんですよね。もうちょっと深みがあるとよかったんだけどな。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年2月の記録)


青春のオフサイド

ロバート・ウェストール『青春のオフサイド』
『青春のオフサイド』
ロバート・ウェストール/著 小野寺健/訳
徳間書店
2005.08

アカシア:「エマ・ハリスをはじめて見たとき、ぼくは十歳だった。/戦争中だった」っていう書き出しがうまいですね。それに、ほかの2冊に比べて、この本は人間がちゃんと描けている。p44に「自分自身でさえ怖くなるようなさまざまな迷いを抱えたこの醜い野郎」と主人公の少年が自分のイメージを語るところがありますが、この年齢の男の子の心のあり方がよく出ています。主人公のロバート・アトキンソンとと先生のエマ・ハリスだけでなく、脇役のウィリアム・ウィルソン、ジョン・ボウズ、それにかわいそうなジョイス・アダムソンなどの描き方もうまい。こんな子いるだろうな、というリアリティがあります。文学を書きなれているウェストールのうまさなんでしょうね。スポーツ(ラグビー)を描いている部分も、先生やコーチを出し抜いて秩序をひっかきまわしてやろうという作戦があって、おもしろく読めます。訳でひっかかったのは一箇所だけで、p171の「仲間なんていうと、銀行強盗みたいだね」というところ。あとは、うまい。最近子どもの本で人間をちゃんと描き出しているものが少ないので、そういう意味でも、今日読んだ3冊の中ではこれがいちばんお薦めですね。

むう:とにかく、おもしろかったです。人間もよく描けているし、情景もすばらしい。主人公と先生とがローマン・ウォールに行くときのあたりの風景なんかも目に浮かぶようで、いいなあと思いました。思春期の男の子の、力が有り余っていたり、性のことをもてあましたりといったことがきちんと描けていて圧倒的。まわりの女性もちゃんと描けてはいるけれど、ちょっと男にとって都合のいい女性ばかりという気がしなくもなかった。でもそれは、おそらく主人公の目から見ているからなんでしょうね。ロアルド・ダールもそうだけれど、イギリスには男の子をきちんと書ける男の作家がいますね。とにかく、力のある作家だなあと思いました。

すあま:ウェストールの作品でこの本の前に読んだのが『禁じられた約束』(野沢香織訳 徳間書店)だったので、2冊が同じような印象で、私の頭の中ではセットになっています。大人になりかけ、でもやっぱり17歳、というところがちゃんと書いてありますね。最後は主人公が脅迫されていて、どう決着がつくのかと思っていましたが、納得のいく終わり方でした。読み手の年代によって、主人公の気持ちに添って読む人と、先生の気持ちに添って読む人がいるのではないでしょうか。

ポロン:おもしろくて好きです。青春の甘酸っぱいところと痛快なところが両方入っています。ラグビーにおけるがんばり方もイイ。ジョン・ボウズがとても好きで応援してました。エマが、最後は仕事に一生を捧げました、というのは、男性の願望なんでしょうか?

アカシア:そこは、男性の願望というより、エマが教師だったという部分が大きいと思ったけどな。

ケロ:のめりこんで、泣いて読みました。(「えー、泣いたのー」という声あり)。はい、だあーっと滝のように涙が出ました。何に泣いたのかというと、この切ない恋愛にですよ。こんな風な恋愛を描いて、子ども向け(ま、YAですが)というのは、日本ではないな、と思いました。主人公よりも、先生に感情移入してしまいました。自分の年のせいかな。ジョイスがかわいそうな子っていう意見があったけれど、私はそうは思いませんでした。むしろ、勝者ですよね。主人公に出会って、最初はろくに自分を表現できなかった子が、だんだん自分を確立し、輝いていく様子がえがかれていて。こういうところも、ジョイスときちんと対比されて描かれていて、すごいな、と思いました。

ハマグリ:私は先生の立場で読むというよりは、この主人公の気持ちになって読みました。最初の描き方が、とても読者をひきつける。デブ、デブと言われている子が、いじめた子をのしてしまい、体が大きいことを逆に武器にして、ラグビーで開花していく。頭がいいということにも気付いていく。この子の側から、最後まで読めました。一番好きだった場面は図書館にローマン・ウォールのことを調べにいくところ。司書が執務室にしまいこんでいる本を読ませてもらうくだり。「そこでコリンウッド・ブルースを開けたぼくは、ラグビーをはじめたときとおなじく、一気に栄光の世界へ突入したのだった。まるで、それまで知らなかった自分の家を見つけたような、それがもう何年も待ってくれていたような気持ちがした」(p27)。人類の偉大な財産に触れた喜びが伝わってきました。書き方も文学的で、「だがテニソン・テラスはちょうど未婚の叔母のように、自分の生活を固く守っていた。」(p89)というように、比喩を用いた修飾節が多く、言葉を尽くして書き込んでいます。女性では、エマよりもむしろ、ジョイスの書き方がうまいと思いました。ジョイスとつきあいながら、主人公がエマと天秤にかけて考えていくところがうまく書けています。ただ、この時代のイギリスという背景を味わえるかどうか。今の高校生が読んだとき、『ジェーン・エア』のロチェスターと『嵐が丘』のヒースクリフが引き合いに出されたり、シェイクスピアの『テンペスト』の脇役の名前が出てきてもわからないんじゃないかしら? 日本の読者にとっては限界があるのが残念です。

カーコ:私も『禁じられた約束』に続けて、印象をダブらせながら読みました。感心したのは、思春期の男の子の描き方。感情の機微や友達とのかけひきなど、このリアリティは男性作家にしか出せないのでは? また、読み終えたあとに、一人一人の人物がどういう人だったかくっきりと思い浮かべられます。これは人物がとてもよく書けているからでしょう。しかも、「子どもに書く」という姿勢が貫かれていて、どの人物に対しても目線があたたかい。日本でもこういう世界が書ける男性作家が出てくるといいですね。

げた:私も『禁じられた約束』と併せて読んでみました。。共感というよりは、気恥ずかしいような気持ちを持ちながら読んでいきました。主人公が優秀な子で、うらやましいな、というところも。ラグビーのラフプレーで、バッジをとられるのだけれど、文章の中ではラフプレーだということが読めなかった。原題は Falling into Glory ですが、日本語の書名とはかなり違いますよね?

アカシア:思春期ってつらいことがたくさんある時期だと思うんです。でもその中に、栄光の瞬間があるんですよ。さっきハマグリさんが挙げてくれたところにも『栄光の世界へ突入した」という表現がありましたけど、エマとの関係の中にも栄光があるんじゃないでしょうか?

げた:仮題のときは『栄光への堕落』となっていたのに、出版時には『青春のオフサイド』としたんですよね?

ポロン:オフサイドって、フライングみたいな意味ですか? ちょっと早かった。一瞬早く前に出てしまったということ?

アカシア:書名のオフサイドはいいと思ったんですけど、「青春の」は古くさいし、ダサい。私が中高生だったら「青春のナンタラ」という本なんて読みたくはないですね。おじさんやおばさんが懐古的に読む本かと思ってしまう。中高生に手に取ってほしい本なので、それが残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年2月の記録)