カテゴリー: 言いたい放題でとりあげた本

どろぼうのどろぼん

『どろぼうのどろぼん』
斉藤倫/著 牡丹靖佳/挿絵
福音館書店
2014.09

版元語録:彼の名前はどろぼん。絶対につかまらないどろぼう。雨の降りしきる午後、あじさいの咲き誇る庭で、ぼくはどろぼんをつかまえた。

アンヌ:詩的な表現に満ちていて、すごいなあと思いながら読みました。盗みの場面で、どろぽんが口ずさむ歌が好きです。読み終った後、この感じに似ているのは何だろうと思っていたら、ふと、別役実の戯曲を初めて読んだ時のことを思い出しました。どろぽんの歌の原点に祖父が歌った歌があるんじゃないかという謎ときのような場面とか、生き物の声も、ものの声も聞こえる矛盾とか、後半にはいくつか、いらないと言えばいらない場面もありますが、あまり気にせず、好きな個所を読み返して楽しみました。

ひら:p204に「何をうばっても盗んでもイイ、良いこともないし、悪いこともない」とありますが、主人公のどろぼんの仕事は、全ての価値を相対化したうえで、世の中に善悪はないし、(たとえ相手にとって価値があるモノでも)それ自体本当に価値があるか分からないから、奪ってなくしてあげてもいい、という前提で存在する仕事。ただ、自分の人生ではじめて「よぞら」という絶対的な価値が出来たことで「世界が主(つまり神)のいない森だとしたら、じぶんであるじになるように生きるしかない」と、考えるようになる。つまり自分自身が自分の神として世界に対して意味づけし、価値体系を構築しなければならない立場になってしまう。今まで自分の価値体系を持っていなかったからこそ、そのために色々な人の価値体系の中からいらないモノの声を聴くことが出来たどろぼんにとって、「どろぼんはうまれてはじめて『いきる』とは恐ろしいと思った」と思うに至った(ここでの『いきる』というのは意味づけされた価値体系の中で生きる、という意味)。同項に「ひたすら道に迷いながら、いろいろなことをかんがえた」とも書いてあるが、よぞらという絶対的な価値に初めて出会うことで「迷い」が出てきているのがうまく表現されています。迷いというのはある価値体系から自分でそれぞれの価値に意味づけして、優先順位をつけて選択して行く際の心理的な難しさを表す言葉だと思いますが、そもそもどろぼんにとっては、あらゆる事象がすべて相対化されたまったく同価値だったので、「迷う」という行為そのものが存在しなかった。だからこそ、他の人の様々な価値を俯瞰的に見ることができ、相手にとっていらないモノの声がいつも向こうから聞こえてきた。ただ、自分で意味づけした「よぞら」という絶対的な価値を「どろばんは探し続けた。だって探すしかなかったからだ」という状況になってしまった。つまりどろぼんは相対的な価値だけでは世の中を生きていくことが出来ない、と初めて感じてしまった(あるいはそのような生き方に出会ってしまった)、それは児童文学として考えると、読者である子どもが自分の価値観、価値体系を模索しながら探していくプロセスにとてもうまく呼応しながら表現しているように思います(ちなみに「黒い犬」はエジプト神話ではアヌビスと呼ばれ死を導く神の使いの人型の犬で、黒い犬を探すプロセスはある意味、今までのどろぼんが死んで、新しい自分を探す、死と再生のプロセス=子供の成長も象徴しているように感じます)。また、どろぼんは価値を相対化することで、本当はその人にとって価値のないものを取り除くのが仕事なので、p4「いつも何かの中間にいるべきだし、どっちつかずでだれにもおぼえられないようになっている」という外見や、219ページの「みんなだれかの子供で、だれかのこどもじゃないひとなんで一人もいない、ということに驚いてしまう」プロフィールは、普通の人としてのアイデンティティーを持たないキャラクターとしてうまく書かれていると思います。逆に言えば、もしどろぼんがだれかの子供であれば、その生まれた背景のためになんらかの価値観を引き継ぐことになってしまうため、物語の整合性から言えば、どろぼんには例え拾ってくれたとしても両親は生きていてはいけないと思いますが、拾ってくれたお母さんが、どろぼんがいらないモノの声が聞こえてきた時から「声が出なくなった」こと、つまり声や言葉(=合理的な価値体系の象徴)を奪われる生贄となったことで、うまく物語のバランスを取っています。この続編はないと思うけど、この続きがあるとしたら、最終的にどろぼんはよぞらともう一人の女性パートナーを見つけることで、自分自身の絶対的な価値(と全体性)を手に入れ、モノの声は聞こえなくなって、そしてお母さんの声も戻って来るはず。どろぼんはその人が本質的に気にしなくてもいい、気にしない方が幸せな価値(それはある人にとってはお金、出世、結婚等かもしれない)を取り除いてくれる(あるいは軽くしてくれる)一種のカウンセラーのようなキャラクター。深く詩的で、好きな物語です。

レン:最初読んだとき、不思議な話だなと思いました。どろぼんがどうなるのか気になって、どんどん読めてしまうフィクションの力を感じますが、登場人物は大人ばかり。児童文学としてどうなんだろうと、みなさんの意見を聞いてみたくて今回の課題に選びました。どろぼんが「拾われた子」であることは、大事な要素だと思います。なぜ、親がわからないという設定にしないといけなかったのか。親子の関係を、所有から解き放ちたかったのか。「モノを持つこと」と、「モノを持つことから生まれる束縛」「大切にすること、されること」などを、考えさせられる物語だと思いました。

レジーナ:物語に雰囲気があり、装丁の美しい本ですね。以前『おうさまのおひっこし』(牡丹靖佳 福音館書店)を読んでから、気になっていた画家の方が挿絵を手がけています。とぼけた挿絵が、作品の雰囲気にぴったりです。物語の最後で、警察が泥棒を救おうとするところにおかしみがあります。ファンタジーの要素を入れながら、家族をテーマにしているのは、近年の柏葉幸子さんの作品を思わせます。公園もそうですが、「ただ存在すること」の意味を考えさせる本です。ものに魂が宿るというのは、日本に古くからある考え方ですが、この作品では、ものが人の心と結びつき、時に縛ってしまうのをどろぼんが解放してあげます。ところどころ気になる点はありました。ヨゾラを殴る場面で、混乱して思わず殴ってしまったのでしょうが、ここでどろぼんが殴る必然性や、そのときの気持ちが理解できませんでした。その後、228ページに「それは、ただしいとか、ただしくないとかじゃない。ただ、だれでもみんなまちがうし、その小さな無数のまちがいがあつまって、世界はできているというだけ」とありますが、人や生き物の関係では、決してしてはいけないことがあって、ヨゾラを殴るのも、してはいけないことだったのではないでしょうか。キジマくんのペンケースを見つけたどろぼんは、自分に聞こえるものの声は、「持ちぬしが、あったことさえおばえてもいないもの。なくなっても気づきもしないもの。そして、持ちぬしのところから、消えてしまいたい、と、願っているもの」と気づきます。忘れられたものと、なくなった方がいいものは違うので、分けた方がいいのではないでしょうか。またフリーマーケットで、がらくたのようなものがなぜ売れるのでしょう。44ページに「あわてて、キジマくんに向きなおった瞬間に、ゴミ箱が、立てかけてあったグラウンド整備のトンボに当たって、がーん、と鳴り、とおりかかった一年生の女の子たちが、わっといって、たおれた」とあります。よく読めば、倒れたのはゴミ箱だとわかるのですが、はじめは女の子が倒れたのかと思いました。「ころして」と、ものの声が聞こえる場面はこわいですね。

夏子:物の声が聞こえて、しかし生き物の声が聞こえるようになると、物の声が聞こえなくなるという設定は、すごくおもしろかった。「ヨゾラを盗む」など詩的イメージも豊かで、歌もなかなかおもしろかったです。でもどろぼんは、実の親ではないとはいえ、ギャンブラー夫妻に愛されて育ったんですよね? それなのに人間の声が聞こえず、人間とはコミュニケーションがないわけで、う〜ん、人と対応しないところが、いかにも現代の日本の作品らしいのかな。でも、そこに問題を感じます。嫌いな本ではないし、魅力のある作品ではあるんですけど・・・。あさみさんの話し方が「〜ですわ」というのは、古くさいですよね。それから勾留された場所では、もっとさまざまな声が聞こえるはずでは? ヨゾラを愛すると、ものの声が聞こえなくなって、そうなると普通のどろぼうになってしまうんですね。

マリンゴ:独創的ですばらしいと感じました。ファンタジーだけど、宙にふわふわ浮いていない、不思議なリアリティがあると思いました。ただラスト、新しい価値観をもって未来に踏み出す物語だと思っていたので、「まだ泥棒を続けるのかい!」とツッコミを入れたくはなりました。

ルパン:すみません、私はおもしろくなかったです。そういうことを言う私がおもしろくない人間なのかな。「人もものを盗るのはいけません」って思っちゃって。持ち主がいらないモノなら盗んでもいい、というのが、どうしても受け入れられないんですよね。犬の「よぞら」に愛情を感じるようになって、連れ戻そうとするのはいいんだけど、「よばれていくのではなく、自分の意志で」と言いながら、盗んだ指輪を売ったお金で買い取ろうとするわけですよね。それって、ぜんぜん正攻法じゃないです。そもそも、盗品を売って生計を立てるというのはいかがなものかと。

夏子:工場で働いていますよ。

ハリネズミ:どろぼうが仕事なのでは? 私は、「どろぼん どろぼん どろろろろ〜〜」というこの呪文みたいなものをおもしろいと思えるかどうかで、この本は評価が違ってくるだろう、と思いました。私はダサイな、と思ってしまったので、作品そのものにも乗れませんでした。なのでよけいにいろいろなところにひっかかったんだと思いますが、まず浅見さんの台詞が「〜ますわ」なんて、いつの時代なんでしょう? 44ページの最初の3行については、倒れたのはゴミ箱なんでしょうけど、女の子たちが倒れたようにも取れるので、なんでこの文が必要なの、と思いました。それから、モリサワのリュックを盗んだ件はそのままでいいのか、とか、いじめられているキジマ君が昔のことを思い出して、いじめっ子のモリサワに謝るんだけど、そういう解決の仕方でいいのか、なんていうところも引っかかりました。犬のよぞらが前の虐待した飼い主に「ふさふさ、ふさふさ。いっしょうけんめい」尻尾を振ったんだけど、実は犬が尻尾を振るのは不安な時や恐ろしいときも尻尾を振るということがわかって、どろぼんが取り返しにいくという場面も、なんだかリアリティが希薄だなあと思いました。犬は全身で感情を表現するから尻尾以外からも見てとれることはあるはずなのに。最後も、生きものの声が聞こえるようになってきたどろぼんなのに、「遠いまちに引っ越して、どろぼうをがんばってみようとおもいます」なんていう終わり方でいいんでしょうか? とにかく疑問がいっぱいわいてくる本でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年7月の記録)


ぼくとヨシュと水色の空

『ぼくとヨシュと水色の空』
原題:JAN UND JOSH by Sigrid Zeevaert, 2008
ジーグリット・ツェーフェルト/作 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2012

版元語録:生まれつき心臓が弱いヤンとちょっと太ったヨシュは、幼いころからの親友だ。友達を思いやるやさしい気持ちをみずみずしく描く。

アンヌ:心臓病のヤンの気持ちに同化してしまって、文字通り、胸をどきどきさせながら読みました。同時に、ヤンのママの気持ちも、痛いほど感じました。手術の前で、体を大事にしなくてはいけないのがわかっているけれど、大事な本が入っている重い鞄を持って歩いて行く、という冒頭の場面から、引き込まれました。全編を通して、命あることの美しさや温かさを感じる物語です。家族もいい感じに描かれていて、手術に向かって息をつめているというのではなく、ごく普通のドタバタする日常が、うまく描かれています。その中で、いじめで傷ついたヤンに、姉がソファで寄り添う場面などで、家族の温かさが感じられます。また、猫の出産場面とか、川で遊ぶ場面とかで、ヤンが感じている命や世界の輝きが伝わってきます。手術で命が終わる可能性がありながらも、ヤンがそのぎりぎりまで、いきいきと生きているということを感じられる物語で、いわゆる難病ものとは違います。ただ、今回は、あまりにヤンに魅力を感じてしまったので、ヨシュの苦しみや孤独などに、うまく注意が向けられず、早く出てきてくれればいいのに、などと思ってしまいました。 

ヤマネ:この本を今回、課題本に選んだのは、まずタイトルに惹かれたからです。ドイツの原題では、ただ『ヤンとヨシュ』というだけですが、邦題では『ぼくとヨシュと水色の空』となっていて、より気になる、いいタイトルになっていると思いました。表紙も綺麗で惹かれます。お話は、ヤンの病気の重さやヨシュの家庭問題、後半でネズミばあさんが刺される事件が起こるところなど、重い内容が多く出てきますが、ヤンの家庭の温かさや、ヤンとヨシュの気持ちの繋がりや、ネコの場面がうまくお話の中に散りばめられていることで、お話がやわらかくなり温かみが感じられるように思います。ヤンは体は弱いけれど、ものをはっきり言えるところが気持ちいいですね。94ページで、ヨシュに「ぼくは友だちだよ」とはっきり伝える場面や、215ページで、ネズミばあさんにけがをさせたのがヨシュだとみんなに疑われる場面で、ヨシュをかばう場面など、読んでいて気持ちがよかったです。それにしても、ヤンに対するアキとフィルの嫌がらせがひどくて驚きました。中でもナイフを手術の跡に突きつけるところは、本当にひどすぎる。女の子のララゾフィーの存在が気になりました。算数を教えてほしいと言いながら、実はヤンに恋心を抱いているのでしょうね。ヤンは、最後の方では少しララゾフィーのことが気になるようになるけれど、最初はヨシュの方が大事で、男の子らしいなと思いました。ララゾフィーが、最後に大事な役割を果たすところがよかったです。

ハリネズミ:会話からすると主人公は4年生くらいに思えますね。ほほえましいことはほほえましいのですが、182ページに「今はまだ親に話せない」とあって、ずっと大人たちには内緒にしているんですね。ヨシュがネズミばあさんを刺したのではないかと疑われるところは、後半の核になっている部分ですが、大人に知らせないのがなぜなのか、とか、大人を信じない理由などがきちんと描かれてはいないと思います。だから、読者はいらだつかもしれません。ネズミ婆さんとか、ララゾフィーといった脇役が立体的に描かれているのがいいですね。それにしても、表紙のヤンはあんまりやせていない。 

ひら:「「普通」の意味」と「5、6年生特有の、大人になるためのイニシエーション」、「命の質感」がテーマだと感じました。3つを軸に重層的に読めるすばらしい本です。たとえば10ページで、コガネムシの死がいの表現において、命の質感が軽く描かれていて、(主人公のヤン自身の持病のこともあり)物語を通して、ヤン自身が納得できる命の質感を手に入れていく様がいい。またヤンは、肉体的には特殊な心臓の病気を抱え「普通(一般的)でない」が、社会の中心的な価値に対する「周辺(普通ではない)」という意味では、温かで豊かな家庭に育ったヤンは、社会的には「普通」に位置しています。一方、ヤンの親友のヨシュは、お母さんが昼間からビール臭かったり、母子家庭なのに、息子に何も言わずに家出をして、いつ帰ってくるかわからない状況。しかもエレベーターにはトルコ人が乗ってくる貧困エリアのマンションに住んでいるという意味で、社会的に「普通ではない(社会の中心部にいない=周辺に位置している)」。物語の中で、このふたりの「普通でない」が並走していきます。児童文学は、色々な意味で周辺部にいる子供が、主人公になるケースが多く、いくつかのイニシエーションを通して、「普通でないもの」を受け入れていくことが多いけど、この物語では、色々な社会的なセーフティネット(家族の愛情や社会的支援)が普通でないもの(周辺部にある人や事柄)を中心部へ導いていきます。また、普通でないもの同士のコミュニティー(ここではヤンとヨシュ)では、どちらかが中心部に近づくことによって(ここでは、ヤンが、ララゾフィーとデートした瞬間に)、もう片方のヨシュが、シーソーのように、辺境へ離れていく力学が働いています。その意味でこの物語の普通(社会的な中心部)、普通じゃない(周辺部)、のせめぎ合い=出し入れもおもしろい。また、物語の前半部分では、登場人物として、個性を持たない未分化な人物像が出てきます。例えばいじめっ子のアキとフィル、それと呼応するように、2人の姉の個性も見えにくい。一般的に大人になる過程で、悪の中にも正義があるということ(ある事柄には、常に両義性があること)がわかってきますが、未分化な原型としての悪や女性性が、物語の前半に現れ、後半のいじめっ子の四人組(象徴としての悪)がヤンをいじめる場面では、ふたりのいじめっ子(アキとフィル)に加えて、やや友好的な女の子や金髪の子のような、悪の中の個性が描写されるようになります。ふたりの姉も同様で、ジーンズをはくシーンでは、ふたりの肉体的な成長の差が象徴的に語られます。特に秀逸なのは物語の前半で、狂った人間(=最も社会の周辺にいる人間)の象徴として登場しているネズミばあさんに対して、ヤンは、自分と同じ普通でない(と思っている)人間として、親近憎悪を感じていたけれど(無意識的に、より周辺に引き寄せられることに、恐怖を感じている)、物語の後半では、ネズミばあさんに、人としての固有名詞がつけられ、一人の人間として受容されていくプロセスが、とてもうまく書かれていると思います。 

ルパン:すみません、切れ切れに読んだせいか、話の流れがいまひとつしっかりつかめませんでした。手術の前と後で、ヤンが劇的に成長した、ということ? 手術前の緊張感や、無事に成功して終わった後の内面的な変化があまり伝わってこなかった気がします。もう一度読まなければ……。ヤンの年齢については、エレベーターで、「8階のボタンに手が届かない」というシーンが出てくるので、小学校3、4年かな、と思いました。 

ハリネズミ:子どもがひとりでは解決できない問題を抱えている。そういう年齢なんでしょうね。ヤンは、もう何度も手術を受けているので、そうそう悲愴な思いは抱いていないのでは? 

ルパン:ヤンだけでなく、まわりの子までいつのまにか変わっているのが、なんだか理解しづらかったですね。ララゾフィーは自分で算数ができるようになっているし、アキとフィルも手出しをしなくなるみたいなんですが、それもヤンが大手術を乗り越えたことと関係があるのであれば、それがわかるように書いてもらいたい気がします。 

アンヌ:「水色の夢」の章が、よくわかりませんでした。天国や神様のイメージが少しちらつく場面ではありますが、ネズミばあさんが優しく歌を歌ってくれる意味などが捉えきれませんでした。 

ひら:物語中の夢の話は、基本的に、何かを象徴的に表しているように感じます。ネズミばあさんの子守唄は、ヤンにとって、ネズミばあさんが「恐怖」から「受け入れられるもの」への変容を象徴しているのでは。ヤンの中で未解決だった何かが、手術というイニシエーションを通して(あるいは夢を通して)、消化されていく様子がうまく書かれていると思います。 

ルパン:ヤンは幼く見える一方、223ページには、「ヤンはママのそういうところがすきだ」という一文がありますよね。大手術を受けなければならないヤンに、ママが気を回している。回しすぎて失敗したことを反省しているママに、今度はヤンが気を回している。そういう大人びたところもあるので、年齢がつかみにくいんです。ほかの子どもと違う問題を抱えていることで、自然と精神的に早熟になるのかもしれませんが。 

ハリネズミ:ここは、ヤンを病院に連れていく途中で話しているところですね。母親のほうは、ヤンが万一のことを考えて話しているのかと思うわけですが、ヤンの方は母親の勘違いを察してしまう。2人の思いが交錯して、それぞれの心理が読み取れるおもしろいところですね。 

アンヌ:病気の子供は、医者から自分の病気について説明を受け、理解しようとします。ある意味、大人びているところもあると思います。
 
レジーナ:でも、自然の中でのびのび育っているからでしょうか、子どもたちが素朴で、すれていないですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年6月の記録)


なんでそんなことするの?

『なんでそんなことするの?』
松田青子/作 ひろせべに/画
福音館書店
2014.03

版元語録:トキオを"変"と言った子どもに次々とおかしなことが起きる。ミケのしわざだ。とうとう先生までリスになっちゃった。個性を認め合う物語。

ひら:絵が綺麗。久々に、こんなに綺麗な本を読みました。文章のディティールの表現がうまい。「人と違ってもいいんだよ(いじめはダメよ)」ということがテーマの本ですが、「心理的に他人と違う」というケースと「社会的に他人と違う」ということがあると思います。心理的な違いの部分で、最もいじめにつながりやすいのは、自分の心の中で抑圧している価値(行動、感情)を、相手が言動として表してしまっているケース。今回のケースでは、この主人公(トキオ)の年齢は、母親に甘えたいという感情を(特に人前では)かなり抑圧している年齢ではないか。それにも関らず、主人公のトキオは、甘えの象徴であるぬいぐるみを学校に持って来ていて、そのためにいじめられている(幼稚園児に人気の「しまじろう」をモチーフにした「トラのぬいぐるみ」を、象徴として使ったのはうまい。また、いじめは集団を維持するために、些細な差異を指摘することによって、集団の同質性を維持するための儀式だと思うので、特に学校のような「逃げ難い集団」では起こりやすいと思う)。一方、物語の後半で、他のクラスメートが「切手集め」や「おし花」を趣味として持っているケースが、「社会的に人と違う」こととして語られるが、上記の心理的な抑圧部分(自分の影=シャドー部分)を持つ場合に比べれば(「違い」の質が違うので)、いじめられる可能性や強度は低いと思います。そのあたりの「「人と違うこと」の差異」への視点がなく、「自分と違うからといって、その人をいじめてはダメよ」という一般的なテーマに物語が収斂していくため、読後感としては、やや教訓的すぎる感じがしました。 

レジーナ:ちょうど、松田さんが訳されたカレン・ラッセルの『狼少女たちの聖ルーシー寮』(河出書房新社)を読んだところです。『なんでそんなことするの?』は、人と違っていい、というメッセージをはっきり打ち出し、いじめられていることを認めたくない気持ちや、ちょっとしたからかいがどれほど人を傷つけるのかが描かれています。主人公がトラのぬいぐるみを持ち歩く理由も、ネコの正体もはっきり明かされず、不思議な世界が広がっています。シュールで、ナンセンスで、現実の枠組みの外にある世界です。教訓的という話がありましたが、あまりそう感じさせないのは、色鮮やかで魅力的な絵に助けられているからでしょうか。 

ハリネズミ:ミケはトキオの潜在意識だと思って読みました。いじめる相手に、トキオ自身は向かっていけないけど、ミケならどんどんやっつけてくれる。ひらさんは、周辺とおっしゃいましたが、私は特にトキオが周辺の存在だとは思わなかった。中心・周辺と関係なくだれにでも起こることなのではないでしょうか。「がまんしないで理不尽なことに対しては抗議すれば、すべてはうまくいく」と教えている本ですね。 

ヤマネ:初めて読んだときに、自分の気持ちを言えない子が言えるようになるのが、すっきりしてとても好きだと思いました。いじめについて書かれている本はたくさんあるけど、いじめられている側が、どうしたらいいか発見して自分の行動を少しだけ変えていって、いじめる人たちに立ち向かっていく、というところがおもしろかった。トキオは、はじめはミケに対して、「なんでそんなことするの?」と言っていたのが、46ページではじめて自分をからかう友だちに向かって「なんでそんなことするの?」と言います。ここに大きな転換点があり、はっとさせられました。タイトルの『なんでそんなことするの?』もここに繋がっているのか、なるほどと思います。ミケの言葉の中で、教訓的なところが繰り返し出てきて、少し言いすぎる感じもしましたが、この部分が作者のもっとも伝えたいところなのでしょう。トキオは、すごく悩んでいるわけではないけど(少なくとも悩んでいることに本人が気づいていない)、学校から帰ってきてモヤモヤしています。それはいい状態ではないですね。いろいろな問題が解決していった後、最後のページで、寝そべってマンガを読んで笑いながらポテチを食べている、これが子どもの平和で幸せな状態なのだと思いました。

アンヌ:最初から、これはホラー小説だと思いながら読みました。奇妙に昭和な感じの家のつくりとか、しんとした台所、部屋の扉の向こうには、ミケという、ぬいぐるみか、猫か、化け物なのか、よくわからないものがいるという設定。しかも、そのミケが学校について来て、ぬいぐるみのトラを持ってくるトキオのことを、変だと言っていじめる子供たちを、食べてしまったり変身させたりしてやっつける。ここら辺がホラーなのだけれど、妙に可愛いものに変身させるところが、絵の魅力とともに、恐怖よりユーモアを感じさせる作りになっています。ミケにやっつけられた子どもたちが、自分の異変に気づいているような、いないような感じも、奇妙でおもしろい。トキオが、「なんでそんなことするの?」とミケに訊き、いじめようとする子どもたちにも、同じ言葉を言うことができて初めて、トキオもみんなも変わっていくという話。もう一つ釈然とはしませんが、自分の気持ちをごまかし続けたトキオ君が、そういう辛さを抜け出せてよかったなと思いました。それにしても、一番怖かったのは、ミケの復讐する場面などではなく、10ページの「ぼく、トキオくんのことを思って言っているんだよ」という、コウキくんの言葉でした。 

ルパン:ちょっとストーリーと関係ないところですが、ひらがなと漢字で、字体が違うのって不思議じゃないですか。内容的には、なんだか中途半端な感じ、というのが正直な感想ですね。おもしろくないわけではないのだけど、絶賛したいほどでもなく。8ページで、「ぬいぐるみ=トラ」というのがよくわかりませんでした。絵がなかったらわからないですね。ミケはほかの人には見えないのは、しばらく読んでいるうちにわかってきました。46ページで、初めて友だちに「なんでそんなことするの?」って言えたとき、言われたレイコちゃんが、「ふしぎなものを見たような顔をする」という場面、ファンタジーのなかにリアリティが垣間見えて、とてもいいと思いました。 

ハリネズミ:文学というより、伝えたいメッセージをだれにでもわかるように書いた作品ですね。絵はとてもおもしろいけど。 

ルパン:これ、対象年齢はどのくらいを想定しているんでしょうね。ルビのふり方も、簡単な字にふってあるかと思うと、初出以降はふってなかったり。小さい子対象なのかな、大きい子なのかな。ちょっとピントがぼやけている気がします。
 
ハリネズミ:もう少し説明的な部分を省いて、文章を短くするともっとおもしろくなるかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年6月の記録)


コケシちゃん

『コケシちゃん』
佐藤まどか/作 木村いこ/絵
フレーベル館
2014.11

版元語録:四年一組にも、スイスから体験入学生が来る! 金髪かな? 言葉通じるかな? ウキウキのマコちゃんと、ドキドキのわたし。でも、やってきたその子は日本人そのもので、まるでコケシみたい。なんでもはっきりという“コケシちゃん”は、わたしとちがいすぎて…。

レジーナ:特に気になるところもなく、さらっと読みました。地域にもよるのかもしれませんが、スイスの学校は、そんなにアジア人の生徒が少ないのでしょうか? 佐藤まどかさんはイタリアにいらした方で、以前、ミラノが舞台の『カフェ・デ・キリコ』(講談社)を読みました。 

ハリネズミ:異文化交流の話ですね。ただし、こけしちゃんはスイスのイタリア語圏の学校に行っていたという設定です。それなのに、ホット・エア・バルーンとか、イエロー・モンキーとか、イタリア語ではなく英語ばかりが出てきます。最後のくるみちゃんの手紙の最後の言葉もなぜか英語。そのあたりにちょっと引っかかりました。こんなふうだと、外国人はみんな英語で話しているという間違った概念を子どもがもつようになるかも。人物造型は、わかりやすいといえばわかりやすいけど、ヨーロッパ文化圏だから個人主義的という典型みたいな図式的な描かれ方ですね。もっと立体的に描いてほしいところだけど、中学年くらいが対象だとこのくらいでよしとしてしまうのでしょうか? 自分の意見が言えないくるみちゃんが、少しずつ変わっていくのはいいな、と思いました。 

ヤマネ:まず、表紙は子どもが好きそうで手にとりそうだと思いました。しかしカバーを取ると、表紙とのギャップに驚きました。中は、お話の中でクラス全員で描いた絵になっているのですが、それならばクラスの子全員描かれていればよいのにと思います。異文化を知る入口としていい本かなと思いましたが、とくに大きな感動があるわけではありません。出井君は、スイスから来た体験入学生の京ちゃんをあれこれいじめるけど、カラっとしていてあまり陰険に感じませんでした。それはなぜかと考えたところ、ひとつは、女同士、男同士のいじめの方が陰湿になりやすいのでは?ということと、いじめられている側の京ちゃんがきちんと言い返せる子で、出井くんの行為に対していじめだと思っていないからだと思います。 

アンヌ:比較的構成がはっきりしていて、すらりと読めたのですが、それだけ、特に思い入れを感じるところがありませんでした。一人一人について見つめなおしていくと、奇妙なところが、いろいろありました。主人公のくるみちゃんは、かなり内向的な性格で、自分も転校生でつらい思いをしたのに、京子ちゃんは、はっきりものが言える強い人間なんだと決めつけて、転校したての時でさえ、親切にしません。いじめっ子の出井くんは、日本では協調性が必要だと、もっともなことを言って、京子ちゃんをいじめ続けます。出井君が、家庭の事情で辛い思いをしているのがわかっていくのですが、だからといって、人をいじめていいわけではなく、出井君のいじめは曖昧なままです。京子ちゃんについては、コケシのストラップを買って、くるみちゃんに気を使う性格と、スイスで後天的に得た論理的な性格とが矛盾するような気がして、このストラップの場面が、すらりと飲み込めない気がしました。唯一、くるみちゃんが指導役になって、絵を描く場面が素敵でした。美術製作を個的な世界としてとらえる京子ちゃんに対して、ちゃんと反論し、共同作業で絵を描き上げるところがおもしろかった。それだけに、船を新聞紙で折って作るとか、廃物利用をするところが、まあ、現実なんでしょうけれど、なんで最後まで完全に美しいものに仕上げなかったのだろうかと残念に思います。 

ルパン:これは、異文化交流の話だと思うと、そんなにおもしろくない本です。掃除当番がない、給食がない、というのは、へえ、そうなんだ、とは思うけれど、それ以上のものではない。そこがポイントなのではなくて、この物語のこけしちゃんは、もっともっと壮絶な人生を体験しているのだ、ということに読者が気づかなくてはならないんだと思います。たとえば、金髪で青い目の本物のヨーロッパ人の子どもが「日本とヨーロッパは違うよ」と言うのであれば、確かに異文化交流の話であり、クラスの子も喜んでそういう話を聞くのだと思う。ところが、日本人以上に日本人っぽい「こけしちゃん」がそういうことを言うことでいじめられてしまう。自分たちと同じ顔をしている人間が、「ヨーロッパは違う」と言ったことで、自分たちの文化が否定された気がしていじめるんです。いっぽう、こけしちゃんは、ヨーロッパでは、地元の文化にはなじんでいるのに、みんなと外見が違うからという理由でいじめられている。ヨーロッパでも日本でもいじめられているんです。ただ、もったいないことに、そのシチュエーションの悲惨さが、この物語ではいまひとつ伝わってこない。これで読書感想文を書かせるのならば、おとなが問題提議をしてあげなければいけない、ちょっとわかりにくい作品だと思います。 

ハリネズミ:ツメのあまいところがあるんでしょうね。 

アンヌ:いじめも、例えば、出井君と原君のようなコンビでいじめるところなど、まるでジャイアンとスネ夫のようで、典型的で紋切り型のような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年6月の記録)


わたしの心のなか

『わたしの心のなか』 この地球を生きる子どもたち

原題:OUT OF MY MIND by Sharon M. Draper, 2010
シャロン・M・ドレイパー/作 横山和江/訳
鈴木出版
2014.09

版元語録:メロディは、生まれてからずっと、さまざまな言葉や事柄をすべて記憶してきた。でも、脳性麻痺のせいで言葉を発することができず、それを知る人はだれもいなかった。10歳のとき、かわりに声を出してくれる機器を手に入れ、言葉で伝えることができるようになる。知性を証明できたメロディの人生は、大きくかわっていく。

アンヌ:冒頭から言葉のイメージが、美しい物語だと思いました。機械で話せるようになるという展開は、今の段階ではSFですが、やがては夢でなくなると思います。現在でも、ホーキング博士のように発声できる機械もあります。ただ、この物語のように、多くの援助や補助金を得て必要な人の手元に届くだけでなく、安価に手軽に届くといいなと思っています。実は最近、自閉症の方の意志疎通のための絵カードを、自閉症の子どもを持つ女性がスマートフォンのアプリとして開発した製品があるということを、ネット上で知りました。その話を友人にしたところ、携帯電話やスマートフォン等の情報端末の活用が障害を持つ子どもたちの生活や学習支援に役立つことを目指した、東大先端研究所の中邑賢龍教授の「魔法のプロジェクト」について話してくれました。スマートフォンと身近なテクノロジーの組み合わせによって、視覚障害のある高校生が音によって金環日食の研究ができたという話に驚嘆し、身近で手軽な製品で子どもたちの世界が広がっていってほしいと思いました。そんな時にこの物語を読んだので、主人公が言葉とコミュニュケーションを獲得していく過程にとても感動しました。ただ、普通のクラスに行ったら、子どもたちに、機械を使うことを不公平だと言われたり、付き添いの大学生の補助職員がいることにもずるいと言われたりする場面が多いのには驚きました。メロディが、最後に、あげると言われたトロフィーの安っぽさに笑うところや、そんなものをもらったから喜んだと勘違いするクラスの子どもたちに、背を向けて出ていく場面は痛快でした。人や音楽に関するメロディ独特の感覚、レモンイエローが溶けたり、パープルが漂ったりする場面はとても美しいと思いました。もしかすると、古代の人や自分が子どものころ持っていた、オーラのように色彩を感じる感覚かもしれないなと思い、ゆったりと広がる色のイメージを楽しみました。

ルパン:いちばん泣いたところは、11年間1度も言葉を発することができなかったメロディが、初めて機械の力を借りて家族に話しかけるところ。第一声が「ありがとう。」そして「愛してる」。ほんとうに感動しました。それから、置き去りにされたあと、学校でみんなにその理由を聞きますよね。あの場面は緊張感にあふれていてよかったです。メロディの誇り高く負けない姿勢が伝わってくるようで。それから、音楽や感情を色で表すところもいいですね。「きれいなうす紫色を感じる」のように。意地悪な子たちがステレオタイプなのがちょっと気になりましたが、その分、愛情深い人たちがクローズアップされているので救いがあってよかったです。『ピーティ』(ベン・マイケルセン 千葉茂樹訳 鈴木出版)は最後まで誰にも理解されない悲しさがありましたが、メロディは言いたいことを伝えられるようになって、読んでいてうれしかったです。

マリンゴ:障碍の種類は違いますが、物語の展開が、現在放送されているドラマ『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 早川書房)に近いと思いながら読んでいました。『アルジャーノン〜』では、主人公の障碍が“回復”した後で、周囲との関係が悪化していきます。この本も、そういう部分があるので。とはいえ、この本は児童文学だし、ハッピーエンドになるのだと思ってました。なので、後半のとんでもない展開にびっくり。現実は甘くない……でも、主人公が立ち向かう強さを持っていることが伝わってきます。力強い読後感でした。

レン:とてもおもしろかったです。声で表現できなかったのが、言葉を得る過程の心の変化がよく描かれていて。それに、よかったのはまわりの人々の揺れが詳しく描かれていること。両親はこの子を愛しているけど、時々疲れたり、理解できなかったり。ただ愛しているというところだけを描いていない。隣のヴァイオレットや、インクルージョンクラスの補助についた学生の存在はとても示唆的ですし、特別支援学級の先生も人によってさまざま。友だちになったローズの二面性も、私はそうだろうな思いました。前にここで読んだ岡田なおこさんの『なおこになる日』(小学館)を思いだしました。子どもに手渡したいと思いました。

レジーナ:それまで、自分の気持ちを伝える術を持てなかった主人公は、機械の力を借り、自分の声を見つけ、人との関わりの中で成長していきます。メロディの活躍によりクイズ大会で優勝するのかと思いきや、チームメイトから置き去りにされてしまいます。障碍のある主人公の物語の中には、寓話のようなハッピーエンドのものもありますが、この作品はそうではありません。リアリティがあり、一筋縄ではいかない人生の中でやっていく、という主人公の姿勢が明確で、ハッピーエンドではないけれど、結末に救いがあります。とてもおもしろく読みました。

イバラ:私はほかの子がわざと電話しないところに、大きな悪意を感じてしまいました。周囲の目を気にする、というんだけど、そこがよくわからなかった。ほかの子にとっては、これで物語が終わってしまっていいんでしょうか。

つばな:たしかに良い本だし、大勢の読者に読んでもらいたい作品ですけれど、正直いって少々退屈でした。心の中を延々と書いてあるところが長すぎるような感じがしましたし、クイズの問題と答えのところも。アメリカの読者には、おもしろいのかもしれませんが。それから、登場人物の周りの意地悪な子どもたちの描き方も、ちょっとステレオタイプじゃないかな。 私の乏しい経験からいうと、障碍のある友だちに接することで、周囲の子どもたちは確実に変わっていくと思うけれど……。

イバラ:周囲の人が、主人公をどう受け入れてどう変わっていくかは描かれていないんですね。作品の質としてどうなんでしょう? シリアスなテーマを扱う作品は、ただ楽しいだけの作品より質も高くないとなかなか読んでもらえないという現状があるような気がします。

レン:戯画的かもしれないけど、子どもはそういうのを見て、自分ならどうしようと考えるのでは?

イバラ:私は人生の一部を切り取って手渡すという覚悟が作家にも必要だと思うんです。こういう作品って、作家の人生観がもろに反映されるでしょ。

つばな:登場人物を描くのに力を入れたので、そこまで書けなかったのかも。それから、この主人公はとても頭のいい子だけれど、そうじゃない子もいるのになと、ちょっと思いました。

イバラ:乙武さんの本のときにも、みんながこうなれるわけじゃない、という反発はありましたね。

ルパン:メロディを置き去りにして、代わりにほかの子が出たから勝てなかったんですよね。みんなはそれがわかって後悔したんでしょうね。9位のトロフィーなんていらない、と言ったメロディは毅然としていてかっこよかったです。ただ、メロディ抜きでも優勝していたらどうなったんだろう、ということがちょっと気になりますが。

レン:コンクールに関しては、予選大会のときにメロディに注目が集まって、彼女にとってもそれが本意ではないのに、みなとの間がぎくしゃくしてしまう。そこは、そうだろうなと思います。

イバラ:先日『みんな言葉を持っていた〜障害の重い人たちの心の世界』(柴田保之 オクムラ書店)という本を教えてもらったのですが、気持ちを表に出したり伝えたりするのが無理で、思考がないんじゃないかとさえ思われていた重度の障碍の方たちでも、コミュニケーションの方法が見つかれば、気持ちを伝えることができるんだそうです。

レン:『みんなの学校』は大阪市内の大空小学校を1年にわたって撮ったドキュメンタリー映画ですが、あの学校にはいろんな子どもが通ってましたね。私の子どもの小学校にも車いすの子が通ってました。でも、担任の先生がその子だけに手をとられることができないので、お母さんがずっとつきっきりでした。

パピルス:登場人物の設定やストーリーが良い意味でも悪い意味でもシンプルでわかりやすく、さっと読めました。クライマックスで妹が交通事故に遭いますが、あそこは無くても良かった気がします。とってつけたようで、映画化でも狙ってるのかな?と勘ぐってしまいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年5月の記録)


クララ先生、さようなら

『クララ先生、さようなら』
原題:KLARAS KISTE by Rachel van Kooij, 2008
ラヘル・ファン・コーイ/作 石川素子/訳 いちかわなつこ/挿絵
徳間書店
2014.09

版元語録:大好きな先生がもうすぐ死んでしまう…最後で最高のプレゼントを贈ろうと、懸命に考え、行動する子どもたちの姿を描く感動作。

つばな:とてもおもしろい本で、読んでよかったと思いました。なによりも、おとなも子どももいろんな人が出てきて、それぞれが生きること、死ぬことについての考えを述べているところがいい。知らない人のお葬式に出て、式のあとのコーヒーとケーキをちゃっかりごちそうになるおばあさんとか。こういう人、山本有三の『路傍の石』にも出てきますよね。最初は、涙なしでは読めない悲しい物語なのかなと、ちょっと警戒したんですが、どんどんおもしろくなりました。クララ先生にお棺を届けにいった子どもたちが、坂道で遊んでしまうところなんて、「ああ、子どもって!」と思ったり、「本当は、行きたくないから、先延ばしにしているのかも」と思ったり……。私がとてもいいなと思った箇所の一つです。それから、それこそ片足を棺桶に突っこんだようなおじいちゃんが、棺桶を作ることでまた生き返る。ひとりの死が、ひとりを生きかえらせるというところも、深い味わいのある作品だなと思いました。

マリンゴ:実は、クララ先生のパートナーであるマインダートさんに一番感情移入しました。亡くなる前の数時間を独占したい、という気持ちがとてもわかります。子どもが来てクララが喜んだ、という満足感と、自分が最後に言いたいことを言えなかった、という残念な気持ち、その二つを一生抱えていくんじゃないかと、物語が終わった先まで想像しました。わたしが今おとなだから、そう感じたわけで、小学生の頃に読んでいたら、まったく違う感想になっていたと思います。そういう意味でも、読みごたえのある作品でした。

ルパン:ずっと「死を前にした人にお棺をプレゼントしていいのか!?」と思いながら読み進め、最後の最後で泣きました。ご主人のマインダートさんの「きみの旅のためのものだよ」というせりふにすべて収斂された気がします。「たったひとつの人生」ということはよく言われますけど、「たったひとつの死」ということばはあまり聞かれないですよね。死は誰にでもやってくるけど、ひとりひとりにそれぞれの死があることを思い出させてくれる不思議な魅力の物語だと思います。ただ、すばらしいんだけど、子どもに手渡すのには勇気がいりますね。何歳くらいの子が対象なのでしょうか。どこまで理解できるだろうかと思うと安易に手渡すのがこわい気もします。私のなかではまだ結論が出ていません。

アンヌ:西原理恵子さんのテレビ番組(NHKBS「旅のチカラ」)で、ガーナで、とても派手で色々な形の棺桶を作るところを見たことがあるので、国によってはいろいろな棺桶があるのだろうと思っていましたが、オランダではまっ黒なのですね。主人公は自分が夢で黒い棺桶が嫌だと思ったのに、先生がそう言ったと思い込んで棺桶を作るという展開に、もう一つ納得がいかないところがありました。普通の人が棺桶をプレゼントするなんてと怒るのは理解できるし、作る楽しさやおじいさんのたくらみとかはおもしろかったのですが、納得できないところが後を引いて、わくわく読めませんでした。

イバラ:子どもが担任の先生の死をどうとらえて、それをどう乗り越えていくかを描いています。現実を子どもにも隠さず見せるという文化なんですね。日本の作家は棺桶をプレゼントするとは書けない。こういう作品は、違う価値観や世界観を日本の子どもに紹介するという意味があると思います。子どもが先生を大好きだったことも伝わってきます。主人公ユリウスのお母さんについても、単なる事なかれ主義ではなく、死から子どもを遠ざけようとする理由が書かれています。そういう意味で、キャラクターも平板じゃなくて立体的。いい作品だと思いました。

パピルス:おもしろく読みました。先生が「死」と向き合う中での言葉がジーンと響きました。でも、お母さんが子どもを亡くした気持ちに共感できず、途中話についていけませんでした。挿絵自体は良かったのですが、一面ところどころにすべて挿絵のページがあり、余計かなと思いました。

イバラ:私はこの本の挿絵はすばらしいと思います。シリアスな重い内容を、温かなやさしい挿絵がうまく中和している。

パピルス:先生が自分の病気を「モンスター」と表現してますけど、小学4年生くらいの子には病名を言ってもいいんじゃないかな?

レジーナ:クララ先生は、「奇跡が起きるなら、自分ではなく、病気の子どもに起きてほしい」と言い、子どもたちは水着になって授業を受けます。こんな先生だったら好かれるだろうな、と読者は思うし、子どもたちが先生のことをどれほど大切に思っているかが、しっかりと描かれています。だから棺桶をプレゼントするという突飛なアイディアも、読み手が納得できる形に収まってるんでしょう。子どもたちを見守るおじいちゃんも、存在感がありますね。あえてカモではなく、ハトにパンくずをやる場面をはじめ、偏屈だけど人間味あふれる人柄が伝わってきます。エレナは思いこみが激しく、人任せで、もう少し魅力的だったら良かったのですが……。思い出のつまったリンゴケーキを、ひとりで食べたくないと思うマインダートさんに、胸がいっぱいになりました。人の死という厳粛な場に生まれる、独特のおかしみが描かれた場面もあって。たとえば、死者がリスに生まれ変わったと信じて、葬儀でヤシの実を墓穴に入れるなんて、ユーモアがありますよね。作者はオランダ生まれですが、オランダは世界で初めて安楽死が法律で認められた国です。死を描いたユニークな本も早くから書かれていて、ドイツもその影響を受け、ヴォルフ・エァルブルッフの『死神さんとアヒルさん』(三浦美紀子訳 草土文化)のような作品も生まれました。先日、ニューヨークで行われた、児童書の翻訳に関するパネルセッションの記事を読んだんですけど、この絵本は、米国で出版された当初は戸惑う人が多くいたものの、結果的に大きな成功を収めたそうです。死については、おとなも子どもと同じくらい知らないので、この作品のように、子どもが受け止める力を過小評価せず、子どもと一緒に考えていくような本がさらに増えればいいですね。

レン:とても興味深く読みました。日本だとなかなか書かれない作品だろうとまず思いました。暗いこと、ネガティブなことは避けられがちだから。でも、生があるところには死があります。うちの子どもが通っていた中学校でも、3年間の間に二人の先生ががんで亡くなりました。お通夜に行くだけでも年頃の子どもたちは考えるところがあるけど、こういうお話を通して死について考えるのは大事ですね。この作品では、おじいちゃんがおもしろいですね。だんだん元気になってきて。

つばな:子どもは死から遠いところにいると、ついつい思ってしまいますけれど、子どもも大人と同じように死や、つらい現実に直面しているんじゃないかしら。長谷川集平さんだったかな、子どもと大人は同じ現実に立ち向かっている同志だといっていましたが、そういう姿勢をこの作品にも感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年5月の記録)


きみは知らないほうがいい

『きみは知らないほうがいい』
岩瀬成子/作 長谷川集平/挿絵
文研出版
2014.10

版元語録:米利は、あまり話したことのないクラスメイトの昼間くんとバスでいっしょになる。どこへ行くのか聞いてみると、「きみは知らないほうがいい。」という。気になった米利があとをつけると、昼間くんは駅の地下通路で男の人と会っていた。

アンヌ:いじめにあっている人を書く意味は何なのだろうと思いながら読みました。この物語のテーマは、「学校、そんなにえらいのか」に尽きるのかな、なんて思いました。

ルパン:これのテーマは「学校、えらいのか」ではないと思うんですよね。そうではなくて、どうしようもない、どこへも持っていかれない子どものつらさ、悩み、そういったものに寄り添う本だと思うんです。学校に行きたいのに行かれない、しかも暴力にあっているわけでも悪口を言われてばかりいるわけでもない。目に見える被害がないから、自分でも「これはいじめじゃないんだ。わたしはいじめられているわけじゃないんだ」って自分に言い聞かせながら、それでも学校に行こうと思うと具合が悪くなってしまう。おとなにも相談できない。自分でも解決できない。先生がかかわると逆効果になる。そんな八方ふさがりの子どもの状態がリアルに描かれていると思います。私は、この本は、こういう目にあっている子にもあっていない子にも、すべての子どもに手渡せる物語だと思います。だれもが「自分に関係ないこと」とは思わない。ほんの少しであっても、共感できる部分があると思うんです。一瞬たりともこういう思いをしたことがない、という子はいないと思うから。でも、ただ堂々巡りをしているだけではなくて。ホームレスのクニさんに憧れているようなことを言いながら、実はクニさんは社会から解放された自由人なのではなく単に社会から「逃げている」のだということに、主人公たちは気がついています。だから、この子たちは今つらくても、きっと前向きに生きていくんだろう、という希望がもてます。あと、タイトルがいいですね。『きみは知らないほうがいい』。どんなお話なんだろう、と興味をひかれます。

マリンゴ:本当に学校へ行きたくない子どもの心に寄り添う物語だと思います。私のまわりにも、周囲のおとなから見て大きな理由がないのに、登校しない子どもがいます。じゃあ、小さな理由はあるのか? そもそも「大きい理由」「小さい理由」ってだれが決めるのか……。その子自身、登校しない理由をはっきりと言葉にできないのかもしれない。この本は、そういう子が読んで、「私の気持ちをわかってもらえている」と思える物語かも。あと、個人的には、調子が良くて明るい叔父さんのキャラが好き。無責任なようでいて、いい味を出していました。ただ、夜中に来た子どもをちゃんと家に送って行ったほうがいいとは思いますが(笑)。

つばな:岩瀬さんの作品はどれも好きだけれど、これは大傑作だと思います。主人公のふたりだけじゃなく、おばあちゃん、お母さん、ホームレスのクニさん等々、ひとりひとりの人物を実に生き生きと、しっかり描いている。児童文学に限らず文学の価値って、大事なテーマを投げかけているとか、いいこと言っているとかそういうことじゃなくって、人間をしっかり描けているかどうかだと、あらためて思いました。だからこそ、昼間くんが最初に「きみは知らないほうがいい」といった意味が、最後に心にストンと落ちました。

レン:びっくりしました。今日取り上げたなかでは、これがいちばん印象深かったです。私自身何度も転校したりで、義務教育の9年間はずっとアウェー感の中で苦しんだ経験があります。いじめてくるクラスメートに対して、こんなことをして何が楽しいんだろうって思って、なんとか学校に通っていた。「xxちゃんが言ってたよ」ということからいじめが始まる感じがすごくリアルです。携帯電話やメールで、学校外の時間にも陰口が進行している今の子どもの息苦しさも描かれているし。お母さんも絶妙です。見ていなさそうでいて、おいしいものを作ったりしてくれる。味方だよと口にしなくても、孤立しているときにふっと同感だというのを示してくれる柳本さんのような存在って、いじめられている子には大きな救いなんですよね。白黒じゃなくこういうふうに書いているのがすごいです。おじさんとか、周りの大人もそれぞれの顔を持っているし。

レジーナ:問題に正面から向き合い、主人公の気持ちをていねいにすくい取った、力のある作品です。以前、「大人がわかったように書いていないのがいい」と書かれた書評を読みましたが、同感で、簡単に結論を出すのではなく、一貫して子どもの視点で、気持ちの揺れをそのまま描いていて、すばらしい作品だと思いました。ホームレスの人と交流する話では、中沢晶子さんの『ジグソーステーション』(汐文社)を思い出しますが、この本は、主人公の問題に焦点を当てています。学校という閉塞した空間で、みんなから外れてはいけないという圧力は、以前は森絵都さんの作品のように、中学生以上を主人公に描かれてました。でも今は、この本にもあるように、小学生から携帯電話も持ってるし、人間関係が複雑化してて、そうした集団の圧力は、小学校中学年ぐらいから感じるんでしょう。ついにここまで来たか、と思います。日本の子どもが抱えている、こうした問題は、海外の子どもにはピンとこないかもしれませんね。それでも、ぜひ多くの国の子どもに読んでほしい本です。「みんなと仲良く」と学校で言われるかぎり、いじめはなくならないでしょう。大人だって、全員と仲良くなんてできませんよね。苦手な人とも、少し離れれば、同じ集団の中でもやっていけるんだから、学校は、社会で生きていく上で、人との適切な距離の取り方を学ぶ場になればいいんじゃないでしょうか。

レン:小学生は逃げ場がないんですよね。中学生よりもさらに。

イバラ:一貫して子どもの視点で、書いてますよね。いじめの解決策が書かれてるわけじゃないけど、いじめられている子がどう感じているかがリアルに描かれてるし、二人が自分なりの乗り越え方を見つけようとしてるのも伝わってくる。

アンヌ:実際には、どういう子がこういう本を読むんでしょうか?

レン:いじめのあるなしにかかわらず、小学校の教室の生きにくさはだれもが何となく感じてると思うので、だれでも読んだら共感する部分があるのでは?

パピルス:傑作だと思いました。学校の何とも言えない空気感が非常によく伝わってきました。これは自分が日本の学校を経験したから伝わるんでしょうか。翻訳で出たら海外の人は理解できるのでしょうか。昼間君はホームレスのクニさんに近づいて行きますが、その理由は、クニさんは「社会から外れた人」で、昼間君は「小学生としての社会から外れた人」というように感じていたからだと思いました。仲間外れにされていても、それを認めたくないという気持ちもあると思います。でも、昼間君はそのことを認めて、さらにクニさんを通して客観的に自分を考えようとしていたのではないかと思いました。

イバラ:私もとてもおもしろく読みました。ステレオタイプじゃなく、ひとりずつをリアルに描いてるのがいい。心の中の描き方もうまいですね。たとえばp172では「どの言葉にも嘘がまじっている。言葉は、レストランの前に飾ってある本物そっくりの合成樹脂のハンバーグステーキやオニオングラタンや焼きそばみたいだ」というふうに違和感を表現してます。おばあちゃんも立体的に描かれてて、さすがです。

レン:子どもたちを自分のところに引きこんではいけないと思って、離れたのかもしれませんよね。作者が、本当に子どもに向けて書いた本だなと思います。子どもや中高校生が主人公でも、彼らに読ませようというのではなく、著者が自分の思いの丈をぶちまけただけの本もあるけれど、これは今の子に手渡したい本です。これで救われる子はたくさんいると思います。子どもの頃の自分に、読ませてやりたいくらい。

アンヌ:子どもの心に寄り添うリアリティがあるということでしょうか。

イバラ:さまざまな人間を紋切り型やいい加減に描くんじゃなくて、それぞれが生きているそのままを個性的にしかもリアルに描ける作家って、そうはいないと思います。いい加減なものや、それらしいまがいものでは、子どもの心の中までは届かない。自己満足的に寄り添ったつもりのおとなも多いけど、この作家は本物を見せようとしてるんだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年5月の記録)


アラスカの小さな家族〜バラードクリークのボー

『アラスカの小さな家族〜バラードクリークのボー』
原題:BO AT BALLARD CREEK by Kirkpatrick Hill, 2014
カークパトリック・ヒル/著 田中奈津子/訳 レウィン・ファム/挿絵
講談社
2015.01

版元語録:ゴールドラッシュ後のアラスカを舞台とした、小さな村の愛と自然にあふれた生活。2014年、スコット・オデール賞受賞作品!

レジーナ:昨年スコット・オデール賞をとった時から、興味があった本です。エスキモーや鉱夫という、文化的背景の異なる多様な人々との交流が、幼い少女の目を通していきいきと描かれています。さびれた金鉱の町での、心の浮き立つような日々の喜びが伝わってきました。温かな挿絵は文章によく合っていて、とても魅力的です。読者になるのは、小学校中学年から高学年の子どもでしょうか。主人公が幼いので、年長の子どもは共感しづらいかもしれません。大人が読み聞かせてあげれば、年少の子どもも楽しんで聞けると思うので、手渡す側に工夫が必要だと思いました。気温が上がると雪が降ることや、エスキモーの人が足を伸ばして座る様子など、知らないことも多くありました。以前、調べたところ、作者はアラスカ出身で、多くの本の中で、アラスカが誤って捉えられていることに不満をおぼえ、創作を始めたそうです。そう考えると、日本語版のタイトルにはアラスカという地名が入っているのが、いいですね。アービッドとジャックは同性愛者ではないかと考える読者もいたようですが、作者にそうした考えはなかったようです。ジャックの口調で「おいら」となっているのが、気になりました。ひと昔前のテレビや映画の字幕は、黒人の口調が白人に比べると荒っぽく訳されることがありましたが……。p250で、ウナクセラクがナクチルークの夫だと分かりますが、ウナクセラクの名前は、もっと前の箇所にも出てきているので、この説明がもっと早くにあれば、わかりやすいのではないでしょうか。p215で、「冬にぬれた服を着るほど最悪なことはないと、ボーはジャックとアービッドに教わっていました」とありますが、ジャックとアービッドから聞いて、ボーはちゃんと知っていたということなので、もう少しわかりやすい表現の方がいいように思いました。p31で、赤ん坊のボーが「顔の片っぽでにこっとした」とありますが、どのように笑ったのでしょう。それから、p253の「この人がだれかっていうのを調べるのが、こんなにたいへんだとは思わなかったよ」で、「この子」ではなく「この人」となっているので、これは父親について言っているのでしょうか?

アンヌ:この人というのは、男の子のお父さんのことじゃないですか?

ルパン:「よしきた」っていうくらい好きな作品です。最近使われなくなった「エスキモー」という言葉が出てくるのも、なつかしい気もちで読みました。小さいときに、そういう人たちがいるんだと思った、と思いをはせた言葉です。童心に帰って読みました。うちの文庫の子たちも、5、6年生なら読むと思います。地域の人たちがみんなでボーをのびのび育てているところがたまらなくいいですね。ラストシーン、みんなが別れてそれぞれに旅立つシーンでは、感情移入しすぎて、泣きたくなるほど寂しく思いました。

アンヌ:物語の中に食べ物が出てくるのが好きなので、このエスキモーのアイスクリームについて、早速ネットで調べたりしました。でも、物語の中でこの食べ物についての説明はあるのですが、実際に作ったり食べたりする場面はないので、注があってもいいのではと思いました。アメリア・イアハートの写真や初めて飛行機がやってきたとあるので、日本では昭和初期に当たる時期だな、と大人にはわかってくるのですが、子供の読者のためには、やはり注があってもいいと思いました。エピソードが盛りだくさんで、各章は濃いけれど、物語性において、何か物足りない気もしました。特に最後は、とてもあっさりと移住の話になるので。ここは、第2巻に続く期待を持たせる感じなのでしょうか。弟になる少年が喋らないのは、お父さんの耳が聞こえなかったからだけではなく、先住民だからその沈黙で民族性を表しているのかなと思いました。登場人物が大勢いるので、エスキモーの名前なのか、鉱夫の名前なのか、よくわからなくなって、混乱しました。

きゃべつ:いちばんかわいそうなのは、犬のドッグ。そのまますぎて。

ヤマネ:じっくり味わいながら読める作品でしたが、いまいちお話の世界に没頭できず、夢中では読めませんでした。見返しのあらすじのところに、ポーにちょっと変わった方法で弟ができるとあったので、それはいつ出てくるのだろうと思ったらかなり後ろの方でしたね。でもその弟になる小さな男の子が出てくるところから、先が気になってぐっとおもしろくなっていきました。アービッドとジャックがとてもいい大人で、愛情深くボーを育てている様子が良いですね。ボーがお母さんを恋しがる場面が全くないのが不思議だと思いましたが、地域全体で育てているから、寂しさを感じないのでしょうか。全体としてほのぼの温かい雰囲気に包まれていて、ボーがクマに襲われるところも、あまりハラハラせずに読めました。そうそう悪いことは起こらないだろうと思わせるような幸福感に包まれたお話なんですね。

ハリネズミ:私はとてもおもしろく読みました。テイストは、ローラ・インガルス・ワイルダーですね。でも、こっちはお父さんが二人。しかも一人のお父さんはノルウェーからやって来た人で裁縫がじょうず、もう一人のお父さんはアフリカ系で料理がじょうずというのがいいですね。それだけでなく、村には多様な背景や文化をもつ人たちが一緒に暮らしていて、助け合っている。生みの母に捨てられて二人のお父さんに引き取られたボーのことも、エスキモーをはじめとするみんなが助けてくれるんですよね。そのあたりはインガルス・ワイルダーと違って、新しい家族が描かれているし、先住民への尊敬もあっていいですね。私は暮らしをていねいに描いたこういう作品は大好きですが、若い人のなかには、ヤマネさんのように、事件が起こらないからつまらないという感想をもつ人がいるのもわかります。気になったのは、ボーが5歳なのに5歳とは思えない言葉遣いをあちこちでしていたりするところ。p48などは、もしおしゃまだから言っているのであれば、もう少し訳し方に工夫があればいいな、と思いました。絵がその風土ならではのことを伝えながら日本の子どもにもじゅうぶん受け入れられるので、とてもすてきです。書名はちょっと地味で、手にとってもらえるかな?

花子:(編集担当者):1920年代の話ですが、新しい地域社会、家族像が描かれていると思います。二人の父さんたちが娼婦の生み捨てた子どもを拾い、社会全体で育てています。国も言葉も違う人たちが、物のない時代に、円滑なコミュニケーションを取り社会を形成しているんですね。原書は子どもの書いたような短い文が続く厚い本だったので、挿絵を小さくしたり、改行を工夫したりしたものの、はやりボリュームが大きくなってしまいました。長いので対象を5、6年生以上としたんですけど、主人公は5歳で、現地のエスキモーと鉱夫の間で通訳のようなことをやったり、ラブソングも分からないなりに理解したところで話したりしています。小さな子にも読んでほしい本ですね。「エスキモー」という表記については、2巻目に著者が注釈を入れているので、それを本書に使用させてもらいました。自らを「エスキモー」と呼ぶ人たちがいる、とのことなので。文中のできごとはリアリティがあり、地名もバラードクリーク以外は、実在します。少し変わった感じの、温かいストーリーだと思います。

ルパン:読み終わったときには、ぴったりくるタイトルだと思いましたが、子どもは手にとりづらいかもしれませんね…。

きゃべつ:日本のいまの児童書にはない、ゆったりとした時間が流れています。もしかしたら、日本の児童書は、なにか盛り上がりがなければならないと、物語に起伏を求めすぎなのかも知れません。オラフの家に行く、というとても小さなできごとに、3章も使ってます。大人が読んだら、まどろっこしいところもあるかもしれませんが、子どものときの世界観って、これくらいの大きさだったよなあと懐かしくもなります。鉱山が閉まって、みんなが失業するシーンも、あまり暗くならないよう引き算されていて、好印象でした。名前の出し方は、翻訳物でなじみにくい名前ばかりが出てきて、登場人物も少なくない、というときには難しいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年4月の記録)


ラ・プッツン・エル〜6階の引きこもり姫

『ラ・プッツン・エル〜6階の引きこもり姫』
名木田恵子/著
講談社
2013.11

版元語録:少女は、親と闘ってマンションに引きこもり、自分を「ラ・プッツン・エル」と名づけた。双眼鏡で「少年」を見つけたとき、止まっていたなにかが動きはじめた―。

レン:自分からは手にとりそうにない本だったので、今回読めてよかったです。ただ、この子自身が否定しているからでしょうけれど、いきなり状況だけ語られて、主人公にしてもレオくんにしても、家族との関係性が見えてこず、入っていけませんでした。事実の積み重ねより、だれかの説明で理由が語られてしまうことが多くて、はぐらかされた気分になって。現実感に乏しい感じがしましたが、登場人物と同年代の読者は主人公によりそって読めるのか疑問に思いました。私が苦手なだけかもしれませんが。

レジーナ: 主人公は、おとぎ話の主人公になりきり、自分の世界に閉じこもってしまう中二病です。きっと現実もそうなのでしょうが、主人公の暴力性の原因は、はっきりとはわかりません。自分でもどうしていいかわからない、モヤモヤとした中学生の気持ちを表そうとした作品ですが、火事の場面はご都合主義ですし、ほかにも矛盾を感じる箇所が多くありました。「自分の耳に聞こえるものだけを信じる」と言いながら、音楽プレイヤーを破壊していますが、音楽も「耳に聞こえるもの」ではないですか? 音楽を含め、現実逃避になるようなものは排除するということでしょうか。リモコンも壊していますが、主電源を入れれば、テレビは使えますよね? 母親が作ったお惣菜の味に、ずっと気づかないのも不自然です。心に問題を抱えた人の中には、自分のストーリーを作り上げる人もいますが、この作品も、人の心の中の、道理や理屈の通じない世界に分け入っていくようで、読むのに体力を使いました。p198に「よろめいたとたん、隣の601号室の窓を破ったのかその振動で、棚が倒れてきた。」とありますが、何が窓を破ったのでしょうか? 人がよろけた衝撃で、窓が破れるわけはないですし。もう少し、文章を練ってほしかったです。

きゃべつ:この本は、私が関わった賞の最終選考にも残りました。この本の閉塞感は、中高生読者にとってリアルなのではないかと思います。世界から疎外感を覚えて、自分だけが違う(特別な)存在と思いこんでしまうところなどが。でも、魔王が実際に何をしたのか、どうしてこうなったのか、もう少し説明が必要なのでは? p15に、妻は実の母親だと書いてあるけれど、その後で、弟を「妻の息子」と書いているので、後妻なのかと疑ってしまいました。リーダビリティはあるけれど、瑕疵もまた多い作品だと思います。最後のシーンで、レオが消防服を着て助けにいくのは、すごく不自然。そして、あれほどまでに家族を憎んでいた姫が、母親がずっと自分を気遣ってくれていたことに気づいた瞬間に、悔い改めるなんて単純、と思ってしまいました。

レン:グリムのラプンツェルのお話が、最初にもう少し説明されているといいですよね。

ルパン:こういう魔王みたいなタイプの変な人って、実際いるんですよね。そういう人が家族を持つとどうなるか……身近な実例と重ねて読んでしまいました。娘に「魔王」と呼ばれるこの父親が、一番、キャラが立っている気がします。

アンヌ:お父さんから、かなりの虐待を受けていると感じました。内側から、窓もドアも空けられない仕組みはひどいと思いました。お母さんが、鍵を架け替えたのに、ドアが開けられるようにしておかなかったのは、不自然な気がします。

ハリネズミ:お父さんは遠いアメリカにいるのに、お母さんは助けてあげないんですよね。

アンヌ:お母さんが作った料理だということに気づかなかったのは、最初のうちは寝てばかりで、あまり食べていなかったり、興奮状態でいたりしたからだろうと思ってあまり矛盾を感じませんでした。これに対して、少年が、他人に対して自分を開いて行く過程が、もう一つ釈然とはしませんでした。特に、火事現場では、運動もしていない体力のなさそうな少年が、棚をどけたり、姫を抱き上げたりするのは、あまりにリアリティがなさすぎると思いました。例えば、いつも隠していた左手で抱き上げるのはいいけれど、同時にその左手で姫とハイタッチするというのは、いくらなんでも無理だろうと思います。駐車場の少年をいじめる同級生に6階のお風呂場から水をかける場面も、いったいどんなホースなら水が届くのだろうと不思議に思いました。

レン:なぜホースが家にあるのかも不思議。

ヤマネ:名木田恵子さんといえば、講談社青い鳥文庫で出ている『天使のはしご』や『星のかけら』などが、小学校高学年の子どもたちによく読まれていて人気の作家という印象がありました。ただ『星のかけら』のあらすじを読むと、事件の連続でストーリーが激しい印象があったので、こちらの作品はどうなのかな?と思い読み始めたんでっす。思っていたよりもずっとおもしろく読めました。皆さんの指摘にもあるように破綻しているところもありますが、エンタメと思えばそれほど気になりません。おとぎ話のラプンツェルをモチーフにしていることもあり、主人公が登場人物を「魔王」「魔王の妻」「カラス男爵」など物語に出てくるような呼び名で呼んでいたところもおもしろかった。p20で、主人公が心理カウンセラーの肥満椙世さんに「告白していないことがある」とあり、それが何なのかずっと気になって読んだのですが、結局最後まで分からなかった。主人公がひきこもった決定的な原因があるのだろうと思っていたんですが、最後までそれが分からないままだったのが残念です。母親が、閉じられたマンションの部屋に、双眼鏡やお気に入りのティーカップを置いていったのは、娘に対する愛情ではないかと思いました。客観的におもしろく読む子もいるだろうし、何かを抱えている子にとっては、共感する部分があったり、何か救いになる部分があるのでは?と感じました。

アンヌ:全体に話がするするとほどけていかない感触でした。

ハリネズミ:私は、潔癖症の男の子にはリアリティを感じたんですけど、姫のほうは、どうなんだろうと疑問でした。父親が暴力をふるっていたためにこの子がおかしくなってしまったという設定だと思いますが、この子の独白には異常なところはほとんどないんですね。だから、父親が不在になった今は、すぐに立ち直れるんじゃないかと思ったんです。それに、長いホースでジャクを助けたり、自分でつくったロープでカラス男爵たちとも服やタオルを渡したり返してもらったりして、それなりのコミュニケーションを取れるようになってるわけですから、かなり立ち直ってるのに、メールができないという設定も不自然に思えます。
 実のお母さんが食べ物を持ってきたりしているのに、相変わらず窓もあかない、ドアも内側からあかないままなのも、不自然に感じました。それと、ホームレスのカラス男爵が姫からいい服をもらって単純に感謝しているように書いているのは、作者の人生観・世界観が浅いせいかな、と思いました。最後も安っぽいメロドラマみたいで、いただけない。作者には困難を抱えている子に寄りそおうという意図はあるのでしょうが、こんな物語では、救われないと思います。外側から猫なで声で何か言われている薄気味悪ささえ感じてしまいました。

花子:作品全体のパワーを感じました。ゲームのようなシチュエーションから始まって、ぐいぐい引き込まれます。中二病の気持ちで読んでいくと、おもしろいです。他人との関わり方もゲームみたい。だけど、お金持ちで何でも与えられ何でも可能なのが、非現実すぎて気に入りませんでした。作品の賛否はありますが、実際似たような状況で少女が友達を殺してしまう事件もありました。レオくんの成長譚も良いと思いましたが、火事は必要だったのか疑問が残ります

ハリネズミ:父親のDVについては、ノルウェーの絵本も翻訳されていますね。『パパと怒り鬼』(グロー・ダーレ文 スヴァイン・ニーフース絵 大島かおり・青木順子共訳 ひさかたチャイルド)という絵本ですが、ほかの家族が父親に脅える気持ちがよく出ています。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年4月の記録)


はじまりのとき

『はじまりのとき』 この地球を生きる子どもたち

原題:INSIDE OUT & BACK AGAIN by Thanhha Lai, 2011
タィン=ハ・ライ/著 代田亜香子/訳
鈴木出版
2014.06

版元語録:ベトナム戦争により10歳で国を離れ、アメリカに渡った著者の自伝的作品。詩の形式で少女の内面等を綴る。

きゃべつ:こんな重い内容の本とは思いませんでした。ほかの国で起きた戦争の伝えかたとして、こういう方法があるのかと興味深く読みました。基本的には、女の子の視点で身近なことだけを書いているので、読んでいると、その環境に身をひたした気持ちになります。食べ物や学校生活もきちんと描かれているし。細かいことですが、マージンの取り方が気になりました。横書きでもいいけど、やっぱり少し読みにくい。内容は新鮮でした。英語がわからないので馬鹿だと思われるというところとか、マイノリティーとして異文化に入りこんだときのギャップがうまく描かれていますね。ただ、文化を知らないために、読み解くことができないところも多かった。

ハリネズミ:散文詩ですべて説明されているわけではないので、わからないところもありますが、難民としてやって来た人が自分の言葉で語っているのがいいと思います。アメリカっていろんな立場の人がいて、ALA(アメリカ図書館協会)はマイノリティの人たちの文学もちゃんと認めて賞をあげて、普及させようとしているのがいいですね。白人でもいろいろな人がいて、ミセス・ワシントンや「カウボーイ」のようなまるごと善意の人もいれば、「カウボーイ」の妻のように途中までは白い眼で見ている人もいる。それも、ちゃんと書かれています。ただアメリカで出ている作品は、アメリカを悪く書かないですね。ベトナム戦争では、アメリカは枯れ葉剤をまいたり市民を大量に殺す北爆をしたりと、さんざんひどいことをしているし、南ベトナムのゴ・ジンジェムの政権は腐敗していてどうしようもなかったわけだけど、この本ではホー・チミンが悪者になっている。南ベトナムから逃げてきた難民の子どもの視点だから、どうしてもそうなるのかもしれませんね。

きゃべつ:助けてくれるのは、アメリカの船ですからね。

ハリネズミ:主人公の父親は、その腐敗政権で要職にあった人なんですよね。

ヤマネ:すずき出版の「海外児童文学」シリーズは、海外の子どもたちの姿を描いた重いテーマの内容が多いのですが、この本はまず表紙が美しくて、重い印象がありませんでした。ただやはり内容は、戦火のベトナムを逃れて難民としてアメリカにわたった家族のお話なので重いんですけど、横書きの日記風になっているので、それほど重く感じないで読めました。マララさんの手記(『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女』道傳愛子訳 岩崎書店)でも感じましたが、ひとりの女の子として考えていることや悩みや喜びは変わらないということが伝わり、遠く離れた場所にいる主人公を身近に感じられるように思いました。またたとえば、自分の悲しい気持ち(涙)を、パパイヤの種が落ちる様子で表現しているところなど、文章が詩的で美しいですね。近年、こうした横書きの本が増えているように感じます。メールも横書きだから、今の子どもたちは横書きの方が読みやすいところがあるんでしょうか。

きゃべつ:ケータイ小説は横書きだったけど。

アンヌ:最初は、横書きのブログのような日記という感覚でスラスラ読めると思っていたのですが、ふとこれは詩なのではと気づいて、じっくり読み込んで、その美しさを味わって行きました。ベトナムについては、同じサイゴン陥落時を描いた『サイゴンから来た妻と娘』(近藤紘一著 文藝春秋社)しか知らなかったのですが、その中でベトナム人の特性として植物との強い親近性が描かれていて、印象に残っていました。この本にも植物の種が贈り物として描かれている場面があって、ああ、やはりと思いました。アラバマでのいじめの場面は、読んでいてつらく感じました。それと、この子が熟れていパパイヤを捨てた場面には驚きました。

ハリネズミ:私は、このパパイヤは象徴的な意味あいも持っていると思います。故郷を恋しがるようにその味を夢見ていたのに、もらったのが本物の味とはほど遠い乾燥パパイヤだとしたら、捨てる気持ちはよくわかります。でも、くれた人の善意を否定しているわけではないので、あとで拾おうとするんですよね。

アンヌ:主人公はかなり感性が研ぎすまれた少女で、勝ち気です。食べ物への感じ方も違うんでしょう。少年にいじめられると分かっていても、自分がわかっている答えを書いてしまうところとか、自分への矜持を持った少女だと思いました。3人の子どもたちをエンジニアと医者と詩人と護士にしたがっているお母さんは娘が弁護士に向いているなと思っているのに、詩人になるだろうなという予感で終わっていく章が、とてもいい感じでした。

ルパン:私もいいなと思って読みました。横書きだったので、手に取りづらい感じがしましたが、読み始めたら一気に読んでしまいました。難民の子どもである主人公が、プライドを忘れないところが気に入りました。物質文明のアメリカに来て、素直に喜べばいいところでも、食べ慣れていたものと違う、と思う箇所や、お祈りの場面や、ベトナムのものを大事にしていて、それを自分の感覚として持っているところに、好感が持てました。

レジーナ:3年前に全米図書賞をとった時、英語の試し読みで数ページ読んだことがあり、今回一冊通して日本語で読みました。詩は、実感として受け止められないと理解するのが難しいですが、この本は散文詩の形で自然に書かれていて、すらすら読めました。横書きなのが気になりましたが、日記だと思えばいいのかもしれません。アメリカで生のパパイヤが食べられないのは、この本の時代が数十年前で、輸送事情が今とは違うからですね。主人公は、ベトナムにいた時に隣の席の子をいじめたり、アメリカに来て悔しい思いをしながらも、いじめっ子に立ち向かっていったりする少女です。芯が強く、勝気なんですね。この本では、本人の努力と家族の理解があり、また息子をベトナム人に殺されても、主人公の家族に温かく接するミスェスゥ・ワシィントン、お金をもらってはいるけれど、お金だけのためだけではなく細々と世話をやいてくれるカウボーイなど、周囲に支えてくれる人がいて、主人公はアメリカの社会に溶け込み、作家として成功できましたが、これは非常に幸運なケースです。実際にはヨーロッパでも、言葉でつまずいた移民の人が学校をドロップアウトし、仕事に就けず、貧困の中でISに行ってしまう。一方でそういう人々がたくさんいることを、心に留めながら読みました。p166で、自転車のバーに座るというのは、自転車のハンドルとサドルの間ということでしょうか。

レン:おもしろかったけれど、散文でたたみかけるように事実を説明することがないので詳しいことがわかりません。子どもが読んで、なんのことかわかるのかなと思いました。右も左もわからない場所に放りこまれて、言葉ができないために馬鹿な子と思われたり、習慣の違いからからかわれたりする悔しさなど、イメージは伝わってきますが。かなり読者を選ぶ本だと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年4月の記録)


太陽の草原を駈けぬけて

『太陽の草原を駈けぬけて』
ウーリー・オルレブ/作 母袋夏生/訳
岩波書店
2014.12

版元語録:1941年,ロシア占領下のポーランドに暮らしていた5歳のエリューシャと家族は、戦争で故郷を追われた。母や姉弟とともに、たどり着いたのはカザフスタンの小さな村。少年は新しい友だちをつくり、言葉をおぼえ、狩りをならい、たくましく成長していく。終戦後イスラエルへ渡るまでの波瀾の歳月を、実話をもとに描く。

ハイジ:途中で終わっちゃった感じがしちゃって、えっ?て思いました。けっこう長く読んで来たのに、ここでいきなり終わるのか、って。あとがきを読まなかったらよくわからないところでした。あとがきにイスラエルのことが書いてありましたが、イスラエルではどうだったのかな、と思いました。あと、お父さんが死んだところをはっきり書いてもらいたかったです。戦争で殺されたのではないらしいのだけど、なぜ死んだのかよくわかりませんでした。

アンヌ:読み始める前には、悲惨な難民生活の物語だろうと思っていたのですが、バラライカの音が聞こえてくるような生き生きとした物語でした。特に、お母さんが魅力的で、子どもたちを守って食料を手に入れたりして生き抜くための手段が、音楽だったり、タロットカードの占いや薬草の薬づくりだったりして、魔女のようなところがおもしろかった。子どもたちも遊びながら働いていて、牛糞を拾ってきて乾かし壁上に積み上げて燃料にする。それだけではなく、そこへカッコウが巣を作り、そのヒナを手に入れて食料にする。思いがけない生活があって、とてもおもしろかった。ただし、お父さんという人については、いろいろわかりづらかったと思います。その頃のスターリン信望者の人たちのこととか、粛清とか、歴史的背景がないとわからないことが多いと思います。全体の印象としては、ゆっくり丁寧に書いてあるという気がするので、惜しいなと思いました。

アカシア:楽器が弾ける人とか、絵が描ける人は、どこへでも行って生活できそうですよね。

ルパン:歴史をよく知らないと、理解が難しいなと思いました。子どもたちは理解できるんでしょうか? お父さんはスターリンに心酔していて、お母さんは批判的なのですが、根拠がよくわからずどちらにも共感しにくかったです。でも、お母さんはなかなか魅力的ですね。私はタロット占いをしてもらって、気味悪いくらい当たったことがあるので、そのあたりは不思議なリアリティを感じました。

アカシア:私はフィクションっぽくないなあ、と思って読みました。フィクションならもっとメリハリをつけてもいいし、起伏を大きくしてもいいのに、それをしていない。ノンフィクションみたいな書き方ですよね。ところでお父さんもユダヤ人なんでしたっけ?

アンヌ:お父さんはポーランド人じゃないかと思います。p31の結婚の物語のところで、お祖父さんが土地持ちの資産家とあったので、ユダヤ人ではないと思いました。

アカシア:なるほど。この家族はポーランドから中央アジアに行くんですけど、そういえばシュルヴィッツの『おとうさんのちず』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)でも、確かユダヤ人の作者はポーランドから逃れて中央アジアで極貧の暮らしをするんでしたね。私はそっちも見ていたので、ああそうかと納得しましたが、そうでないと、どうしてそんなに遠くまで行くのかと不思議に思ったかもしれません。お父さんの死については、もう少し説明があってもよかったかな。スターリンの粛正ということを知っていれば想像はつきますが、知らないとここもよくわからないかも。あとね、後書きを読んで気になったのですが、ひとりでに紛争が起こっているわけではなくて、イスラエルが起こしているんですから、このような書き方でいいのかと疑問を持ちました。いちばんよかったのは、主人公の男の子が時には危険な目にあいながらも子どもらしく成長していく様子が、生き生きと描かれている点ですね。

ヤマネ:時間がなくてちょっと急ぎめで読んでしまったのですけど、急いで読める内容ではなかったのでもっと時間をとるべきだったと反省です。歴史や国のことなど知らないことがたくさん出てきたので引っ掛かるところも多くありましたが、冒頭に舞台が分かる地図があったので理解の助けになりました。一家は大変な状況に置かれているけれど、終始明るく描かれているのが良いなと思いました。主人公の男の子は、母親に外に出るなと言われても勝手に出て行ってしまったり、好奇心が旺盛で、とても子どもらしいと思いました。男の子が約束を破って外に出てしまったり他の人と関わってしまっても、食べ物を持ち帰ると家族が全く怒らず、喜ぶ場面に、食べるものに本当に困っていた暮らしぶりがうかがえました。牛糞のトルテやペチカがどんな感じなのかがなかなか想像できなくて気になりました。子どもたちに手渡すときには、子どもたちが読んで分からなかったところを大人がちゃんと答えられるよう勉強しなければいけないなあと思いました。

アカシア:ここに出てくるペチカは、ただの暖炉じゃなくて、オンドルみたいに上で寝られるようになってるんですね。

ルパン:私はまるっこい家を想像したのですが…それだと「中庭」がわかりにくいですね。挿絵があったらよかったのに。ペチカとかも。

レジーナ:日本語版で省略されている部分は、ドイツ語版で読みました。ドイツ語版は本文が280ページありますが、そのうちのp220以降は日本語版にはありません。主人公はイスラエルに行って、敬虔なユダヤ教徒をはじめて目にしたり、中東の食文化に馴染みがないのでオリーブの実を好きになれなかったり、冬にオレンジの実がなるのに驚いたり、様々な新しい経験をします。周りの人が、主人公は収容所から生還してキブツに来たと思う箇所や、スターリンや戦争に対して、キブツの養父母が異なる意見を持っているところからは、同じユダヤ人でも、人によって背景や政治的見解は随分違っていて、ひとくくりにできないことがよくわかりました。庭の手入れや動物の世話など、大人も子どもも役割を担い、何でも自分で作るキブツの生活や、村や家の描写も興味深く読みました。1947年のパレスチナ分割決議のニュースをラジオで聞いた人々は、喜びにわきますが、すぐに次の戦争が始まります。イスラエルに着いてハッピーエンドになるのではなく、それがまた新たな紛争の歴史へと続いていく。そういう想いが作者にあって、生まれた物語だと感じました。そう考えると、最後の部分は日本語版でもやはり必要ではないかと……。なぜ日本語版では削られたのか、みなさんのご意見をうかがいたく、今回みんなで読む本に選びました。それまで都会に住んでいたのに、文化も風習もまったく違う地にやって来て4人の子どもを育てるお母さんは、たくましいですね。バラライカを弾き、占いや薬草療法で稼ぎ、テルアビブではすっかり都会的な服装になります。家に押し入ろうとするブタの鳴き声で目覚めたり、言葉が通じない中で友情を育んでいったり、難民としての生活にも喜びや楽しみがあって、そうしたすべてを経験しながら成長していく姿に、子どものしなやかな力を感じました。普通の暮らしの尊さが丁寧に描かれているので、政治や戦争でそれが壊され、家や生活を失った時の痛みがひしひしと伝わってきますね。

レン:おもしろく読んだけど、物語として起承転結がないからか、最後を省略してあるからか、読後の満足感が今ひとつ。でも、一つ一つの描写は手触りがあって、どれも生き生きとして楽しめました。実感がある。主人公の少年が母親との約束を守れず、親の見ていないところで冒険をしたり、牛糞タルトの間からとったカッコーのひなを料理したら、弟が骨をしゃぶっていたり。多民族がいっしょに生きている感じが伝わってくるところもいいなと思いました。p157で、ムスリムの人とユダヤ人とで、服喪の習慣が同じようだと言うところだとか、p177で、お母さんのバラライカでロシア、ポーランド、ウクライナ、カザフスタンの歌を歌ったり、混ざり合っている感じが出ていておもしろかったです。お母さんのたくましさもよかったです。主人公もいろんなことを体験しながら成長していって、物がなくても工夫していくし。お話の筋を楽しむタイプの本ではないと思いましたが。最初に手ばなしてしまったクルマのことが最後に決着するというのは、いい仕掛けだと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年3月の記録)


机の上の仙人〜机上庵志異

『机の上の仙人〜机上庵志異』
佐藤さとる/著 岡本順/挿絵
ゴブリン書房
2014.06

版元語録:中国の奇譚集『聊斎志異』をもとに描くファンタジー。童話作家の机の上に一軒の小さな家と仙人と犬が出現! 仙人、机上庵方寸が語る摩訶不思議な話。

ヤマネ:本を手にした時には、タイトルから漢字続きで難しい話かと思いましたが、読んでみたら、はじめの作家の大そうじの部分からおもしろく、ひきこまれました。少し読んでいくと小さい仙人が出てきたので、「コロボックル」シリーズのように小人が出てくるお話なのかなと思ってワクワクしました。異界のものがたくさん出てくるところがおもしろかったです。岡本順さんの絵は佐藤さとるさんが描く不思議な世界にとても合っていると思いました。

アンヌ:初めて読んだときは、再話かとがっかりしたんですが、2度目には、再話には、作者が物語のどこに感動し、自分の物語を構築したか、作者の秘密を見つけることができるような気がしてきて、できるだけ原典に当たって読み直していきました。この中で私が見つけられたのが、『小奇犬』と『侏儒の鷹狩』については『小猟犬』、『石持の長者』については、『石清虚』で、この二つは、最近の怪奇小説のアンソロジーにも選ばれていますし、私も子どもの頃に読んだことがあって大好きな話です。違いは、小さな犬が、原典ではただ残されるのですが、こちらでは、はしゃぎ切っていて仕方ないから預かるとか、リアリティのある感じになっています。さらに犬のねぐらが、どうも古くて表紙の読めない『聊斎志異』らしい本のようだ、とか、うまく変わっています。原典では、最後に寝台の上で主人公が寝返りを打ったとたん、子犬が紙のようにぺちゃんこになってしまうという終わり方なので、この『侏儒の鷹狩』のように、いつの間にか消えていく方がいいなと感じました。『石持の長者』は、岩の中の文字と、最後の方がごたごた話が続くのをすっきりと終らせているのが違う点です。原典では、狐や遊女の話が多いのですが、こちらでは、夫婦愛に変えてある物語が多いと思いました。特に、『衛士の鴉』と『侍女の鴉』の原典の『竹青』は、主人公には別の妻がいるので、鴉の妻が「私は漢水の妻でいい」といいと言ったり、子どもができたりいろいろあるのだけれど、こちらの二つの物語は鴉への変身と、空を飛ぶことへの憧れに物語をそぎ落としてあって、実にすっきりとしたものとなっています。最後まで読んだ読者が、中国にはこんな不思議な話があるんだと知り、世界が広がっていけばいいと思います。

ルパン:うまいなあ、と思いました。さすが佐藤さとる。小人を書かせたら天下一品ですよね。コロボックル世代としてはたまらなかったです。本家本元、真打出ました、という感じ。机の上の仙人が登場したとたん、小人が出てこないかとドキドキしながら引き出しをあけたあの頃の感覚がよみがえりました。ただ、「佐藤さとる」の名前がなかったらどうかなあ? ひとつひとつのエピソードが際だっておもしろいというわけではないですが、上質の小品を読んだという満足感はありましたね。ありきたりなお菓子でも、上手な人が作ると本当においしいじゃないですか。そんな感じ。昔話の再話の仕方もほんとにうまいし、安心して読めました。

ハイジ:仙人がほんとにいるみたいでおもしろかった。短編集のようで、ひとつひとつのお話が短いので読んでて飽きませんでした。恋愛の話はとくにおもしろく読みました。動物は、昔ながらの描き方なのかなあと思いました。

アカシア:表紙の書名にもふりがながないので、小さい子は読者として想定していないんでしょうね。コロボックルを子どもの時に読んだ大人に向けて書いたのかな?

レン:読者は中学生くらいからかもしれませんね。歴史を学校で習ってからじゃないと、時代の感じがわからないから。

レジーナ:長く語り継がれてきた力のある物語が元にあり、それが上手にまとめられていて、ぐいぐい読ませますね。舞台を日本に変えているので、日本の読者にも馴染みやすいのではないでしょうか。それぞれのお話に挿絵が添えられているのがいいですね。この本と『シャイローがきた夏』(フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)、どちらも岡田さんの挿絵です。偶然ですが、一緒に見てみるとおもしろいのではないかと思います。

アカシア:これは昔出ていた『新仮名草紙』に加筆した本なんですね。原典も読みたくなりましたが、前の作品との比較もしてみたいですね。それと、どうせ創作の部分も入れるなら、この小さな犬をもっと登場させたら、もっとおもしろくなるのにと思いました。

アンヌ:最近出た佐藤さんの自伝的小説『オウリイと呼ばれたころ〜終戦をはさんだ自伝物語』(理論社)を読んだのですが、小人についていろいろな物語を探していたころに見つけた物語が体の中に残っていて、それを整理して書いておきたかったのではないかと思いました。

ルパン:名作の続きは、それぞれが心の中に持っているものですよね。百人が百通りの続きを持っているのがいいと思うんですけど。

*この後、「コロボックル」シリーズの続き(『コロボックル絵物語』 村上勉絵)を有川浩が書いているということについての話題で盛り上がる。

ヤマネ:佐藤さとるさんが、有川浩さんにバトンを引き継いだのは、中高生にとても人気のある有川浩さんに書いてもらうことで、今の中高生に「コロボックル」シリーズを読んでほしいという思いがあったのでは?

アカシア:『机の上の仙人』は、公共図書館に入っている冊数が少なかったですね。

レン:『聊斎志異』は、岩波少年文庫にもありますね(立間祥介編訳)。もちろん抄訳ですが。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年3月の記録)


シャイローがきた夏

フィリス・レイノルズ・ネイラー著 さくまゆみこ訳 『シャイローがきた夏』
『シャイローがきた夏』
原題:SHAILOH by Phyllis Reynolds Naylor, 2000
フィリス・レイノルズ・ネイラー/著 さくまゆみこ/訳 岡本順/挿絵
あすなろ書房
2014

版元語録:子犬のシャイローと出会ったことをきっかけに、少年マーティは、誰にも言えない秘密をもつことに・・・。子犬を思う少年の気持ちが、痛いほど伝わってくる珠玉の名作!

レジーナ:主人公が、犬を飼いたいとどれほど強く思っていて、シャイローのことをどれほど大切に思っているか。シャイローと心を通じ合わせていく過程が丁寧に描かれているので、最後にやっと犬らしくほえて喜びを表す場面が、胸につまりました。主人公の首筋に妹が顔をくっつけ、まつ毛をパチパチさせるのを「バタフライ・キス」と表現していますが、素敵な言葉ですね。岡田さんの挿絵は、温かでな物語の雰囲気によく合っていますね。いかにも西洋といった雰囲気に描かれていないので、日本の子どもも親しみやすいのではないでしょうか。

ハイジ:隠して飼うというのは、大変だけど、楽しかったのでは。ジャドが約束を守ってくれるかわからないのに、マーティがちゃんと働くところが、尊敬できました。

ルパン:私もそう思いました。最後に、ジャドも根はいい人だとわかって、読後感がとてもよかったです。

レン:ちょっと前に読んだので、細かいところを忘れてしまったのですが、いいなと思ったのは、男の子の気持ちに添って読めたところ。それと、大人の姿がくっきり描かれていること。ジャドも、両親も。大人の世界がきちんと描かれているのが、翻訳もののいいところですね。そして、日本の親子だったら、なかなかしないような会話が出てきます。英語圏だと、こういう会話を日常的にだれもがするのかはわからないけれど、自分の意見をきちんと言い表しています。いい意味で新しい世界を見せてくれると思います。

アンヌ:最初に読んだ時から、ラストのジャドの言葉にひかれました。善悪を決め付けるのではなく、曖昧さを許しているところが、意外でした。何度も読むうちに、もう、ジャドの気持ちになって読んでしまいました。普段は犬以外に誰もいない生活の中で、毎日主人公の少年と話す。すると、自分の子供時代の寂しさをつい口にしたり、虐待していじめるつもりが、水を用意したりするようになる。最後に、首輪を差し出す時のセリフには、シャドの代わりに泣きたくなりました。また、主人公の周りの大人たちの描き方も意外でした。狭い共同体の中で生きる大人たちは会話の仕方も独特で、直接話し始めるのではなく、回りくどく話しながら本題に入る。生活に困っている人のために、こっそりパイとかケーキを郵便ポストに入れてささやかな生活の援助をしようとする。なんだか白黒はっきり決めつけるようなところがなく、私自身のアメリカに対する偏見が、変わりました。

ヤマネ:とても好きなお話でした。主人公の男の子の気持ちになって読めるところが良いと思いました。シャイローを守るために、周りにどんどん嘘をついて苦しくなっていったり、お母さんに知られてしまってハラハラしながらも少しほっとするようなところなど、子どもの気持ちがよく描かれているので、読む子どもたちは主人公に深く共感しながら読めるのではないかと思いました。小学校高学年の子にぜひ薦めたいと思います。“日本の児童文学は、宗教と政治を書かない”と言われているようですが、p86で主人公の友達のお母さんが、普通の会話で、主人公に選挙の結果の話をしていて、このへんのところは日本の物語にはない要素だなと思いました。

ハリネズミ:私もとても好きな作品です。以前は同じ作品が『さびしい犬』(斉藤健一訳 講談社)というタイトルで出ていましたね。表紙に、ジャドと思われる人の顔にビーグルの胴体がついている絵が載っていて、私にはちょっと不気味でした。今回はイラストも変わって、原作のさわやかさがよく出ていますね。これはシリーズになっていて、続きがあるようです。日本ではまだ一巻目しか出ていませんが。映画化もされて、アメリカではとても人気がある作品のようです。約束はきちんと守るとか、自分でできることは子どもでもちゃんとやるとか、アメリカがもつ価値観の肯定できる部分を体現した作品だと思います。

アンヌ:いきなり主人公の少年がライフルを持って散歩し始めるのは衝撃でした。銃で撃たれたウサギの肉を食べるのもためらう性格なのに、ライフルを打つ練習をするのが日常というところに、銃社会を感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年3月の記録)


光のうつしえ〜廣島 ヒロシマ 広島

『光のうつしえ〜廣島 ヒロシマ 広島』
朽木祥/著
講談社
2013.10

版元語録:中学1年生の希未は、昨年の灯篭流しの夜に、見知らぬ老婦人から年齢を問われる。仏壇の前で涙を流す母。同じ風景ばかりを描く美術教師。ひとりぼっちになってしまった女性。そして、思いを寄せた相手を失った人―。希未は、同級生の友だちとともに、よく知らなかった“あの日”のことを、周りの大人たちから聞かせてもらうことに…。

アンヌ:この本を読み終えた後、最後に記載された「作中の短歌の出典」のところに、短歌の作者の方への問い合わせがあり、ああ、もう関係者の方々も亡くなられているのかもしれないのだなと気付きました。そして、この出典のところまで読んで、この本を読んだ意味が初めて分かるという気がしました。短歌が書かれたのは、戦後と1970年代。この物語の舞台は、戦後25年の1970年。それぞれの時代を、もう一度、さらに時が流れた現代から見直す必要性を感じます。作中におかれた短歌を読みながら、作者は、まざまざとこの物語にある光景を見たのだろうと思いました。短歌の意味をすくい取って物語とし、そしてその歌い手たちの心を救済する手段として、子供たちが絵を書く行為を物語の中で提案する。そういう形で、書かずにはいられなかったのではないかと思います。今、ちょうど、イスラム国の事件があったり、空爆が行われたりして、無辜の死こそが戦争の本質だと感じています。今、読む意義のある作品だと思いました。

レジーナ:広島生まれの被爆二世の方が書いていらっしゃるので、実感のこもった作品です。方言の台詞は、温かみがあっていいですね。主人公は、被爆者の子どもの世代です。自分たちは実際に戦争を体験したわけではないけれど、周囲の大人の多くが深い傷跡を抱えている環境で、子どもたちはしだいに、そうした人々の心に寄り添って生きるとはどういうことなのかを考えるようになります。ひとりで答えを出すのではなく、文化祭の絵をみんなで描き、友人たちと一緒に問題に向き合う姿が印象的でした。最後にみんなで灯篭流しをする場面もそうですが、人が引き起こした戦争で受けた傷を、少しでも癒せるものがあるとすれば、それはやはり他者と交わり、つながっていくことなのでしょう。声高に平和を叫ぶのではなく、ひとりひとりの小さな物語を通して、普通の生活や平和の尊さ、それを突然断ち切る暴力について読者に考えさせます。藤田嗣治の『アッツ島玉砕』に関しては、ちょうど数日前の新聞で読みました。記事には、芸術はときに、画家本人の思いから離れてひとり歩きをしてしまうと書かれていました。

レン:大変丁寧に書かれた作品だと思いました。杇木さんの『八月の光』は、当事者である四人の被爆者を直接描いていたけれど、これは自分が体験したのではない子どもが、親や祖父母の世代のことを知るという形で、体験していない子どもとヒロシマをつなぐ作品ですね。両方読むと興味深いです。未曾有の悲劇の中で想像を絶する体験をして、痛みを抱えた大人がたくさんいて、杇木さんはこの主人公の女の子の年代でしょうか。この子が感じていることは、作者の体験なのかなと思いました。子どもたちがかかわることで、悲しみを封印していた大人たちが心を開き、少しずつ前向きな気持ちを取り戻していく姿も印象に残りました。人為的な戦争という行為による死が、明日を奪い、思いを断ってしまう、そんなことを引き起こすのはやめてくれというメッセージ。美しい灯籠の場面のイメージにのせて、いろんなことを考えさせられました。
 登場人物の子どもたちが、身の回りにいる、一世代上で原爆を経験した人たちのことを、「知っているつもりで知らない」とよく言います。それから、その人たちに直接話をきくのではなく、その回りの誰かからきくという形で、それぞれ何があったのかを知っていきます。このあたり、非常にリアリティがあるというか、よくわかると思いました。祖父も入市被曝をしていて、原爆投下間もない長崎に入っています。おそらくすさまじい光景を見ていたはずです。でも、その時の話をあまり聞いたことがない。いま、長崎や広島で、ボランティアで被爆体験を語ってくださっている人のなかには、何十年も経ってからやっと話せるようになったという人もいます。それほど傷が深い。この作品の舞台になっている時代は、被爆二世が中学生という時代ですから、記憶は、よけいに生々しいものとしてあったでしょう。
 いまはそれから年月が経ってしまって、また別の意味であの時のことが伝わりにくくなっているのではないかと思います。おそらく私の子どもの世代では、直接お話をうかがうということは、もう無理になっているでしょう。起きたことを伝えていく手段は、できるだけたくさんあったほうがいいし、伝え方もアップデートしていかなくてはならない。そういう意味では、朽木さんよく書いてくださったなと、感謝のような思いがあります。
 語りにくい当事者の思いを代弁するように、ところどころに挿入される短歌がきいています。短歌や手記にたどりつけるように、こういうアプローチをしてくださったのは、有難いことだと思いました。
 読んでいて胸が衝かれるようになったのは、それぞれみんな、あの日以来、心残りがある人なんですよね。美術の吉岡先生は、変わった雰囲気の先生として登場して、色黒で歯が白くて、笑い顔が歯磨きの広告のようだといわれたり、最初はちょっと滑稽な印象ですよね。生徒が帰るのを、窓際でずっと見送ってくれるのも、ちょっと変わった人のように思われている。ところが、その見送りの理由があとになってわかる。滑稽だったイメージが反転する。こういうところは、読んでいて巧いなと思いました。

アカシア:同じ朽木さんの『八月の光』と一緒に読むといいな、と思いました。『八月の光』は被爆体験を実際にした人たちが主人公ですが、こっちはその次の世代の人たちがその体験をどう受け継いで自分のものとしていくか、という物語。ストーリーにも工夫があって、灯籠流しの時に声を掛けてきた年配の人はいったいだれなのか? 吉岡先生はどうしていつも窓からじっと見ているのか? お母さんはどうして何も書いてない灯籠をいつも流すのか? などの謎で読者を引っ張っていく。灯籠流しの美しい場面から始まって、最後も灯籠流しで終わり、主人公はその間に確実に成長している、という構成もうまい。朽木さんはご自身で被曝二世とおっしゃっていますが、だからこそリアルに書けることってあるんですね。この作品では、作者が子どもたちに伝えたいことも、かなり前面に出てきていますね。

レン:前にこの会で松谷みよ子さんの本をとりあげたとき、子どもの頃タイトルから、「戦争」ものだと思わずに読んであとでだまされた気がしたと言っていた人がいたけれど、これは最初から「広島」と構えて、未来を担う子どもに投げかけていますね。余談ですが、うちの母が「子育てで一つだけ絶対心がけていたのは、朝子どもを叱って送りださないこと」と言っていたのを、この作品を読んで思い出しました。戦時中を生きていた人だから。

ajian:登場する子どもたちは、身の回りの人たちがどういうことを体験したのか調べて、それをそれぞれ絵にするなど、ある意味で理想的な形で受けとって、引き継いでいるんですよね。実際そういうふうに持っていくのは難しいとしても、「重い」とかハードルを感じずに、どうやって引きつけたものか、ということは常々考えます。

レン:『はだしのゲン』(中沢啓治著 汐文社)は、子どもたちは夢中になって読みますよね。

ajian:『はだしのゲン』はおもしろいです。たんにサバイバルものとして読んだとしてもおもしろい。新しいアプローチは、これからもいくらでもあるべきだと思います。

レン:『さがしています』(アーサー・ビナード文 岡倉禎志写真 童心社)とか。数は少ないですけど。

アカシア:共同で教科書をつくりましょうという動きはアジアでもありましたよね。それに童心社の日・中・韓平和絵本シリーズの試みなんかも。

レン:こういう本を手渡していくのは必要ですね。

アカシア:京庫連(京都家庭文庫地域文庫連絡会)が、定期的に「きみには関係ないことか」というタイトルの、戦争と平和を考えるための児童書のブックリストを出してますよね。そういうのを参考にして、もっと平和教育をやらないと、政治家がどんどん変な方向に舵を切って、そのまま持って行かれてしまいますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)


さよならを待つふたりのために

『さよならを待つふたりのために』
原題:THE FAULT IN OUR STARS by John Green, 2012
ジョン・グリーン/作 金原瑞人・竹内茜/訳
岩波書店
2013.07

版元語録:ヘイゼルは十六歳。甲状腺がんが肺に転移して以来、もう三年も酸素ボンベが手放せない生活。骨肉腫で片脚を失った少年オーガスタスと出会い、互いにひかれあうが…。死をみつめながら日々を生きる若者の姿を力強く描く、傑作青春小説。

ajian:ジョン・グリーンは学生時代に、 病院付きの牧師として働いていたことがあるそうです。そのときの体験も元になっているらしい。

アンヌ:最初に読んだ時、とてもリアリティがあったので、誰か患者さんのブログを基にしたものなのかなと思いました。誰かが癌になったと聞くと、他の病気とは違い、もうその人は一つの橋を渡って別の世界に行ってしまったように思う人がいますが、この作品では、死というのはすべての人に訪れるものだということを最初に主人公の口から言わせていて、そこがとてもいいと思います。アイザックが、立ち去った恋人のモニカの車に卵をぶつける場面もとてもいい。たとえ、がん患者であったとしても、悟りきった向こう側の世界の人間などではなく、怒ったり恋をしたり、死ぬ寸前まで普通に生きているのだということを語っています。サポートがあれば旅行にも行けるし、病気になっても自分は自分なのです。死ぬのはみんな同じ。恋もするし、その過程に意味があるのだと言っている物語だと思えました。少し気になったのは、母親がモニカの死後も生き抜くために、社会福祉の学位をとってソーシャルワーカーになる勉強をしていることを、ヘイゼルが知って喜ぶところ。ここは逆に、ヘイゼルがあまりに自分の死後について物分かりがよすぎるのではないかと気になりました。もっとも、そのために、ダメになった親代表のヴァン・ホーテンの物語があるのかもしれないと思いました。

レジーナ:フリースローをしていて、なぜこんなことをしているのかと、ふと人生に疑問を感じたり、自分が病気になったことで、両親が悲しんでいるのに心を痛めたり、「自分の存在を覚えていてほしい」「生きた証を残したい」と願ったり、病を得た十代の少年と少女の感覚がリアルに伝わってきました。主人公は、アンネ・フランクの家でキスをした時、病気の身体にずっと苦しめられてきたけれど、この身体があるからキスができると気づきます。ひとりで背負わなければならないと思っていた苦しみを理解し、分かち合える人と出会えた幸せが伝わってきました。ただ、どうしてふたりが惹かれあったのかが、よくわかりませんでした。また関係が長く続けば、それだけいろんなことがあります。「死別したことで愛が永遠になる」というのは、ヤングアダルトのラブストーリーならでは、ですね。そういう風に感じるのは大人の読み方ですが。ようやく会えた作家は嫌な人間で、ふたりはがっかりします。うまく行き過ぎない物語展開や、酸素の濃縮機にフィリップと名づけるユーモアが、作品のおもしろさにつながっています。残念だったのは、「至高の痛み」がおもしろい小説だと思えなかったことと、ところどころ翻訳が読みづらいことです。p42の「酸素吸入が不足してるほど冷たくはない」は、「酸素が行き渡っていないと、手の先が冷たくなるけど、それほど冷たくなってはいない」ということでしょうか? p145の「アイザックがしたことだって、モニカに全然優しくなかったよ」は、「アイザックが視力を失ったことで、モニカだって傷ついた」ということでしょうか? p154の「オーガスタスはおじさんとおばさんのクッションの格言をうんざりしてても受け入れてる。か弱くて珍しいものは美しいって思ってるんでしょ」ですが、格言がか弱いのですか? 格言を刺繍したクッションを家中に飾る、そういう態度が女々しいということでしょうか? またp27で、お互いに夢中なアイザックとモニカを見て、主人公はなぜ「病院までラストドライブするときのことを考えてみて」と言ったのでしょうか。

アカシア:話としてはおもしろいし、こういう本を出す意味はあると思います。ただ私は共訳とか下訳ということに疑問を持っているのです。その作品世界をどう受け取るかは人によって違うので、一緒に訳している人の間に違いがあると(たいていあるものですが)、特に文学性の強い作品だとどうしてもぎくしゃくしてしまう。アメリカではベストセラーですが、シチュエーションだけが興味深いのではなく、原文では会話にもとても味があると思います。翻訳では、キャラクターとその会話がところどころ合っていないように思えて、ちょっと残念でした。

アンヌ:ヴァン・ホーテンは、ヘイゼルが感動するような娘の物語を書き上げたのに、その後アルコール中毒に陥ってしまい、成長しませんでしたね。

ajian:映画では、ヴァン・ホーテンを演じているのは、ウィレム・デフォーです。

アカシア:たとえばp85の「よかった」がぴちっとはまらないように思ったり、p97の「骨の間がばらばらになってしまう」もすっきりとはわかりません。わからない部分が多くて、止まってしまう。今風の言葉があるかと思うと、古い表現も出てきたりして、ちょっとアンバランス。そんなに無理に今風の言葉にしなくてもよかったのでは、と思ってしまいました。「サイテーの女」なんて訳されると、ガスのキャラクターが揺らいでしまう気がします。

ajian:とてもいい作品だと思うので、伝わりにくい部分があったとすれば、それは残念です。仕事でヤングアダルトの原書をいろいろ読んでいますが、ジョン・グリーンは際立って文章がいいです。今風の生きのいい会話が、テンポよくつづいていく。日本語版では、そういう今風の会話を成立させつつ、この子たちの知的レベルの高さも表現しなければいけない。そこに難しさがあるのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)


真夜中の電話〜ウェストール短編集

『真夜中の電話〜ウェストール短編集』
ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳 宮崎駿/装画
徳間書店
2014.08

版元語録:英国児童文学を代表する作家の全短編から選び抜いた九編を収めた珠玉の短編集。宮崎駿監督描きおろしカバー画&推薦帯付き!

ajian:これはとてもおもしろかったですね。これだけおもしろいと「おもしろい」以上の感想が出て来なくて困ります。どれもよかったけれど、「吹雪の夜」が一番好きかもしれません。猛吹雪をようやく切り抜けたと思うと、今度は子どもが産まれそうで、たいへんな状況が次から次につづく。最後はホッとしますが……。吹雪のなか、火を焚く場面で、「男は臆病だからこそ命を危険にさらすことができるのだ」とあるじゃないですか。しびれますよね。こういう断定が、くさくならずに説得力を持っているのはどうしてなんでしょうね。ウェストールがそういうなら、そうなんだろうなあ、と……。ほかに印象に残ったのは「ビルが見たもの」でしょうか。目の不自由な人が感じる世界を詳細に、リアルに描いている。これもページをめくらずにはいられない展開です。そして短いなかに、寂しさや、うち震えるような怒りや、感情の濃密な部分が克明に描かれている。収録作がこれだけバラエティに富んでいるのもすごいですね。ゴーストストーリーも、ハートウォーミングな話も、ほんとうにどれもおもしろかった。

レン:先月、原田さんの朗読会に行きました。短編集ができるまでの話などもお聞きしましたが、それはこの本の後書きに詳しく書かれていますね。人間って、どこに行っても変わらない。ぶざまなことをしたり、いい加減だったりしながら生きているというのがうかびあがってきて、ひとつひとつの話がおもしろかったです。原田さんの訳は丁寧で、それでいて男っぽくてすてきでした。日本のオリジナルでこういう本が出るというのはいいですね。さすが徳間書店児童書20周年です。10代の心理がよく描かれているので、高校生に読んでほしいです。大人の外国文学への橋渡しにもなりそうです。

ajian:あ、あと好きだったのは「最後の遠乗り」です。主人公の最後の独白部分。「おれはこの先も、少しずつジェロニモから遠ざかっていく。そして、髪にカーラーをつけ、油ぎった熱い包みをかかえてフィッシュ・アンド・チップス屋から出てくるばあさんたちに近づいていくんだ。電気屋のショーウィンドウをのぞきこんでいる中年男たちに……」。中年に近づいている自分としては、この台詞、非常に身にしみて感じます。

レン:細部がリアルですよね。ちゃんとみんな体験してきた人なんだろうなと思いました。やわらかい羊のフンが、踏むとつぶれて靴につくところとか。線を引いておきたくなるような、いい言葉もたくさんありますね。p106に「夜中、ビルは眠れぬまま横になり、不安に思うことがある。世界じゅうの人たちがあまりに排他的になり、真の平和は日々遠のいているのではないかと……。」とか、今読んでもドキリとしました。

レジーナ:中学の時に、ウェストールの『海辺の王国』(坂崎麻子訳 徳間書店)を読みました。当時、中学生向きの読み物はあまり見つけられなかったのですが、この作品は甘いハッピーエンドで終わらせず、少年の成長していく姿をしっかり書いていて、とても心に残りました。すぐれた作家の中には、長編はすばらしくても、短編になると弱くなってしまう人もいます。ウェストールは、長編も短編も書ける作家ですね。それぞれの話は、登場人物の年齢も、置かれた状況も全く異なりますが、どれも人間の生きる姿を伝えています。特に好きなのは、「吹雪の夜」と「ビルが「見た」もの」。吹きすさぶ風や吹雪の激しさは、ロンドンの都会ではなく、まさにイギリスの北方の厳しい自然ですね。土地の描写に、力があります。p165に「革ジャンの背中のベルト」とありますが、革ジャンにベルトはついているのでしょうか?

アンヌ:「吹雪の夜」は本当におもしろく、イギリスの獣医ジェイムズ・へリオットの著作の中のイギリス高地の物語を思い出しながら、何度も読み返しました。

レン:私たちは、あまりに多くの情報にさらされて、感覚が鈍って、こういう観察眼を持てなくなっているように思いました。

アンヌ:ただこの短編集にあるホラー3篇は、他の物語に比べて、そんなに見事な出来だとは思いませんでした。最初の「浜辺にて」も、夢落ちで終わっているし、「真夜中の電話」も、ハリーが幽霊と20年も電話し続けているというのが少し納得がいきません。最初はいろいろ調べたというのに、メグのように引きこまれたりはせず、幽霊も手出ししないで、毎年繰り返していたのはなぜかとか、疑問が残ります。「墓守の夜」も、設定が、ピーター・S・ビーグルの『心地よく秘密めいたところ』(創元推理文庫)と、同じなので

アカシア:とてもよくできた短編集だと思いました。「真夜中の電話」だけでなく、ひとつひとつの話が、「生きること、死ぬこと」を考えさせますね。描写もリアルです。私はホラーとは思わなかったんですけど、「浜辺にて」では、アランも死んでいるのかと少し思っていまいました。バイクで疾走する場面とか、サマリタンが電話を受ける場面とか、屋根裏に潜んでいるお父さんを見つけた場面など、自然描写も心理描写も情景がありありと思い浮かぶように書かれているのがすばらしいです。翻訳もうまい。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)


落っこちた!

『落っこちた!』
原題:HILFE! ICH WILL HIER RAUS! by Salah Naoura, 2014
ザラー・ナオウラ/作 森川弘子/訳 佐竹美保/挿絵
岩波書店
2014.09

版元語録:平凡だけど幸せな毎日をおくるヘンリックの家に、退屈は大きらいというコルドュラおばあちゃんが引っ越してきたから、さあたいへん! 家族はおばあちゃんのあの手この手にふりまわされて、やがて庭に穴をほって宝探しをはじめ、町ぐるみの大そうどうを巻きおこしてしまいます。ハチャメチャな展開とユーモアで一気に読ませる快作。

アンヌ:ユーモアのセンスが合わない本というしかありませんでした。老人ホームに放火して燃やしてしまうようなおばあさん、という設定を面白いとは思えなくて、最初からつまずきました。最後も、それなりに家族が自分自身に合う仕事を見つかって幸せになり、ほっとした後に、新たな騒動を予感させる感じで終わる。この感じが、私の苦手な作家の誰かに似ているなと思っていたら、あとがきに、「ロアルド・ダールは最高の模範」という作者の言葉が載っていて、なるほどと思いました。

:構造は前作と一緒で、混乱の種がまかれるけれどどんでん返しで幸運がもたらされる形。しかし、やっぱり読みにくかったです。うーん、「町一番のすてきな家族」を装っていたのならおばあちゃんがかきまわすことにも意味がありそうですが、実際は本当にただのトラブル好き。マンガの「いじわるばあさん」みたいでした。好きなおじいさんと両想いになると意地悪しなくなるのも「いじわるばあさん」に似ていて、ちょっと安易でした。

レジーナ:主人公が、とんでもない状況に置かれているところから始まり、その理由を回想の形で説明し、最後にオチがあるのは、『マッティのうそとほんとの物語』(森川弘子訳 岩波書店)と似ていますね。ヘンリックが穴に落ちた時、ナーゼは、言われた通りにヨナスを連れてきて、得意気に穴に突き落とします。命じられたものを必ず取って来るようしつけられたのが、裏目に出てしまう――おもしろい場面です。金ののべ棒を探したり、地面の下に機関車が埋まっていたりするのは荒唐無稽で、子どもは楽しめるのではないでしょうか。最後は、主人公が、金ののべ棒を自分だけの秘密にする終わり方です。E. L. カニングズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子/訳 岩波書店)もそうですが、子どもは、何か秘密を持つことで、それまでとは違う自分になったように感じます。自分だけの秘密を持つことは、子どもの成長において、とても大切ですよね。おばあちゃんは個性が際立ち、あくが強いけれど、憎めない人です。先ほど、漫画の『いじわるばあさん』みたいだという話が出ましたが、私も同じように感じました。おばあちゃんがいなくなった後、主人公は、おばあちゃんをとても好きだと言っていますが、いつ頃からそんなに惹かれるようになったのか、その心の動きがつかめませんでした。翻訳は、ところどころ、よくわからない部分がありました。p27の「軽薄そうな灰色の毛糸の帽子」は、どんな帽子なのでしょう。p67に「ナーゼは二枚目のゴルトボンバー・デラックスの金色の包み紙を、穴からほりだしていた。」とあります。この書き方だと、チョコバーの包み紙を、すでに一枚、掘り出しているように読めます。「もみの木」の歌は、「もみの木、もみの木、いつも緑よ」となっていますが、私の知っている歌詞では、「いつも緑に」です。

アカシア:私は最初からリアルな話じゃなくて、荒唐無稽なほら話を楽しむようなテイストの物語だと思ったので、違和感なく読めました。おばあちゃんは家族を騙そうとしたり、もめ事を起こそうとしたりするんだけど、認知症でもないのに施設に入れられたってことが前提としてあるので、なんとなく恨めないし、おかしい。でも、まあ独特のユーモア感覚なので、日本のどの子も楽しんで読めますって、作品ではないでしょうね。1800円っていう高い値段だしね。

レン:最初からかなりつっかかりながら読みました。ハチャメチャなおばあちゃんがやって来て、家族が引っかきまわされて、お宝のことが新聞にのっちゃったり。ユーモアだろうと思いつつも、これがおもしろいのかな?という疑問がずっと消えなくて。おばあさんはかなり皮肉っぽい印象を受けたのですが、本当にこんな感じなのかな。外国語って、そのまま訳すと嫌みったらしく聞こえるじゃないですか。イメージしにくい描写もあって、たとえば75ページの「輪ゴムをおばあちゃんのあごの下にひっかけると、そっと上にあげて、大きくてしわしわの耳のうしろに、またひっかける」って、どんなことなんでしょう。

アンヌ:レンさんは、実際に日本語に翻訳なさる時には、別の言葉に変えてしまいますか?

レン:どういう行為を描いているか、イメージしやすいように多少書きくわえたりすると思います。それからp59 に「ヘンリックは目を見はった」とあるのですが、「目をみはる」というのは、驚いて目を大きく開くことですよね。秘密を話してやるよと言って手招きされて、驚くかなって。「目をきらきらさせた」とか「目を輝かせた」ということかしら。こういうことが、ほかでもちょこちょこ。それと、太字や大きな文字になっている部分がありますが、どうして書体を変えるかわかりませんでした。

レジーナ:原文では、イタリックということはないでしょうか。

アカシア、慧:原文も太字なんじゃない?

アンヌ:例えば、p96には、大文字で表記されている言葉と、太字で表記されている言葉があります。大文字は会話文が大声で述べられていることを表しているのかもしれませんが、太字の方はどうしてそうなのか、よくわからない。日本語としては、どちらも、表記を変える必要はないような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年1月の記録)


さよならのドライブ

『さよならのドライブ』
原題:A GREYHOUND OF A GIRL by Roddy Doyle, 2011
ロディ・ドイル/作 こだまともこ/訳 こがしわかおり/挿絵
フレーベル館
2014.01

版元語録:メアリーとママは、おばあちゃんのいる病院へ通っている。ある日、ひいおばあちゃんの幽霊が死を怖がっている娘を助けたいとメアリーの前に現れた。夜のドライブで再会した母と娘の悲しくも心あたたまる物語。

:アイルランドの話ですが、日本の幽霊奇譚にも似ているようでひきこまれました。病院に向かうところでおばあちゃんの死が予見されますが、4世代のいろいろな思いが最終的に統合されるのはいいなあと。p228で、タンジーがエマーに「謝りなさい」というと、お母さんに言われたのだからとおばあちゃんが素直に謝りますよね。この場面が好きです。

レジーナ:一年前、読んでいて、「死んでいくことはこわいし、後に残されることは悲しいけれど、生きることはすばらしく、さよならの後にも続くものがある」と感じ、非常に勇気づけられました。とても好きな作品です。真夜中のドライブでアイスクリームを食べる場面を始め、ひとつひとつの場面が印象的でした。親しくしていた友人が引っ越してしまったさびしさを、足を切断した人が、切った後も足があると感じるのにたとえていますが、細かな描写が的確で、引き込まれました。力のある作家です。自分の意見を主張する、溌剌としたメアリーは、反抗期に入りかけの年頃です。死に向かいつつある祖母を前に、メアリーや、母親や、兄たちが、戸惑ったり、自分の気持ちを素直に表せなかったり、病院に行きたくないと思ったり、それぞれの立場で悲しんでいるのが、よく伝わってきました。タンジーが、井戸に落ちかけたエマーを救ったように、亡くなった人がそっと見守りながら、さり気なく手を貸してくれるのは、ユッタ・バウアーの絵本『いつもだれかが…』(上田真而子訳 徳間書店)を思い出しました。タンジーの死は、幼いエマーの胸に刻まれ、ずっとその心にひっかかっています。グレイハウンドは、エマーにとって、タンジーの死と結び付いた忌まわしい存在で、長い間避け続け、見ないようにしてきたものです。でも、かつて住んでいた農家を訪ねたら、あれほど恐ろしかったグレイハウンドはもういない。原題の “A Greyhound of a Girl” には、「目を背けず、しっかりと向き合ってみれば、死もそれほど恐ろしくない」という意味が込められているのはないでしょうか。以前、訳者の方がおっしゃっていましたが、四人の女性の口調をかき分けるのに心をくだかれたそうです。

プルメリア:表紙や挿絵が気に入りました。この作品は3冊の中でいちばん読みやすかったです。登場人物によって活字が太くなっていたりするのもわかりやすかったです。おばあちゃんの幽霊は若いけれど、親しみやすく感じました。作品ところどころにユーモアがあります。おばあちゃんが病院のベットから車椅子に乗る時、「コケコッコー」といったりアイスクリームをもって煙突から出てくる場面など。四世代の作品はあまり読んだことはありませんが、世代や年齢が異なる4人ひとりの性格がよくわかりました。p53の「みょうちきりん」の意味が私にはちょっとなじみませんでした。

アンヌ:とにかく、挿絵が素晴らしいなと思って読みました。特に、p135にある家系図には助けられました。これがないと、4世代の母と娘の関係がこんがらがって来そうなところに描いてあったので。物語としては、まずタンジーという幽霊があまり納得のいく描き方がされていない気がしました。主人公である曾孫のメアリーや孫のスカーレットの前にさえ現れることができるのに、80年もの長い間、娘を見守っているだけで、何もしてこなかった。この幽霊は25歳の若い女性のまま成長できずにいたということなのでしょうか? 死についてもあの世についても、この世をさまよっている幽霊だから語れないのか、臨終寸前の自分の娘に、「大丈夫よ」と言える根拠が、最後まではっきりしない。タイトルについても、ある意味、一番面白い部分を語ってしまう題名になっていて、どうしてこう変えたのかがわからない。それから、メアリーのセリフでよく出てくる「なまいきいっているんじゃない、なまいきいっているんだよ、」の言葉のあやがよくわからなかった。幽霊が鏡に映らない時の「気味わるーい」のところも。メアリーの心の中の感じをすべて会話にしているのは、作者独特の表現なのでしょうが、そのたびに引っかかりました。

レン:いつ亡くなるかわからないおばあちゃんがいて、4人の女性それぞれの親子関係がある。訳すのがとても難しそうな作品だと思いますが、よく感じが出ていて、訳者がうまいなと思いました。好きだったのは、p94に出てくるエマーと母ちゃんの遊び、「ふんふん、わかったぞ。このキスしたのは……」というところ。その家族や親子だけの特別な言葉とか遊びってあるじゃないですか。そういう日常の生活が描かれていて、幸せ感がありました。筋じゃなくて、人間と人間の関係が描かれているところが読ませますね。

アカシア:今挙げられたようなところはとてもいいし、4世代の会話もおもしろい。女性4人で夜中にドライブして昔住んでいた家を見に行くという設定もおもしろい。でもね、同じ家族の4人だってことが原因なのか、細切れの時間の中で読むと人物に取り立てて強い特徴があるわけじゃないし、時間も行ったり来たりするので、途中で誰が誰だかわからなくなっちゃった。エマーがキリンのようにのっぽっていうのは、物語のあちこちに出てくるので、つかめたんだけど。p135の家系図がもう少し前にあったらよかったのに。それと、物語の基盤をなす設定に疑問を持ちました。タンジーが、アイスクリーム屋のドアを透明人間のように通りぬけて中に入り、でも出てくるときはアイスクリームを持って煙突から出てくるというシーンがあります。で、タンジーは「わたしはドアを通りぬけることもできたのよ。たぶん、なんというか実体がないから〜でも、アイスクリームは、ちがうでしょ。とけてしまうまでの何分間かはね。だから、アイスクリームを持ったままドアを通りぬけることはできなかったの」と言ってます。これ、変ですよね。たとえ手に持っていても実体のある物はドアを通りぬけられないなら、アイスクリーム代として持っていたお金も無理のはず。物語の中のリアリティがきちんと構築されていない。細かいですけど。それと、もう一つ気になったのは、ジェイムズのこと。姉のエマーのほうは突然の母の死に動揺し、死の間際にキスしてあげられなかったのを後悔しているとしても、結婚もして子どももでき、それなりに充実した日常を送ったように思えます。でもジェイムズはずっと「ジェイムズぼうや」と呼ばれていたせいで結婚もできないし、先に亡くなっている。タンジーは、うんだばかりのジェイムズがちゃんと育つかどうか心配じゃなかったのかな。死の間際にもあらわれていないみたいだし。どうせこの世にぐずぐずしているのだとしたら、ジェイムズの死の間際にもあらわれて言葉をかけてあげないと不公平だと思いました。

レン:「いやーっ」と言ってしまったことで、エマーのほうに悔いがあったから、幽霊を呼び寄せたのでは?

(「子どもの本で言いたい放題」2015年1月の記録)


かあちゃん取扱説明書

『かあちゃん取扱説明書』
いとうみく/作 佐藤真紀子/挿絵
童心社
2013.05

版元語録:4年生の哲也は、無知うるさいかあちゃんを自分の思い通りにあやつろうと「取扱説明書」を作ることに。するとこれまで気づかなかった母ちゃんの良さや大変さが見えてきて…。

アンヌ:最初に題名を見た時から、最後の一文は予想が付いたのですが、そこまでどうたどり着くのだろうと楽しみに読みました。相手を観察し分析して対処法を決めていくという設定は、他人相手なら冷酷な気がしますが、家族それぞれを再発見するという物語になっていて、おもしろく、安心できる感じの物語でした。少し気になったのは、お友だちのカズ君のお母さんの話。子離れできない母親をやさしく成長させてやる男の子という設定は、ちょっと親の方にとって、都合がよすぎる気がしました。

レン:テンポよくおもしろく読みました。幸せなお話ですね。最後、お母さんが機嫌良くやっていたのが、実は自分のため、母ちゃんの方が一枚上手だったというのもおもしろい。地元の小学校でも、片親の家庭が結構多いのですが、そういう家庭の子でも楽しんで読めるかな。最初は、自分の得になることばかり考えていたのが、これまでと違う視点で相手を見るようになるところがうまく書けていると思いました。書き込みすぎない、シンプルさがいい。

アカシア:おもしろく読めは読めたんですけど、このお母さんは、家事、子育て、パートの仕事と大忙し。お父さんは、のんびりしていて1週間に1度食事をつくるだけ。この家庭のあり方は今の日本の平均的な姿かもしれないけど、この作者はそれを肯定しているような気がして、そこが気になりました。日本の女性は社会的な地位も低いし、いろんなことを背負わされすぎなんです。だから子ども向けの作家だったら、未来の社会はどうあるべきか、ということも頭に思い描きながら書いてほしいな、とちょっと思ったんです。だって、同窓会で韓国旅行に行くだけで、これでもかこれでもか、と家庭サービスをしないといけないんお母さんなんですよ。それをおもしろおかしく書くだけではちょっとさびしい気がしたんです。

レジーナ:冒頭の作文は、大人が子どもに似せて書いた字ですね。作文の内容は、4年生にしては幼すぎませんか? やるべきことを書いた表を作り、「やっていなくても、,をつけておけば、お母さんは満足するだろう」というのは、子どもが考えそうなことですね。

:自分がしょっちゅう子どもに言っているようなセリフが出てきて笑っちゃいました。「これは私の物語だ」と思える人が多いと大衆性につながる、という話を聞いたことがありますが、そういう意味で大衆的。とてもおもしろかったです。ただ、パティシエになりたかった夢を思い出すカズのお母さんのほうが類型的すぎ。やりたいことも忘れて子どもに関わってきたことが否定されて、子どもに「ヒマ」っていいきられちゃうのはせつないな。

レン:p106の「お母さんはカズのことを思って、わざわざ学校にとどけてくれたんじゃん」と気づくところで、カズくんのお母さんがきっかけになりますよね。

:そういえば、うちの子どももおもしろがっていました。

プルメリア:この作品を学級の子どもたち(小学校4年生)に紹介したところ、子どもたちは今順番に読んでいます。会話文が多く、字も大きくて子どもたちには読みやすい作品だと思います。最近子どもたちの読書傾向として、本を家庭に持って帰らない、家庭で読書しない、学校で本を読む子どもたちがふえてきています。家庭では塾やおけいこ事などすることが多く子どもたちが読書する時間がなくなってきています。この作品は子どもたちにとって身近な人物や内容であり、おもしろくすぐに読める本なので人気があります。主人公のお母さんは「私のお母さんと似ているよ」「ぼくのお母さんはもっとこわいかも」「料理をほめてもぼくのお母さんは変わらないよ」など自分の母親と比べて読む子どもも多く、「ラブリーなお母さん」では、女子は「かわいいお母さん」といっていましたが、男子はそのままラブリーについては気に留めず読んでました。カズくんのお母さんについて男子は「おやつを作ってくれる」「家にいてくれる」「いつもやさしくていいな」「家のお母さんもこんなお母さんになってほしい」、女子は「ちょっとしつこい」など思いが分かれました。子どもたちには読みやすく手に取りやすい作品でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年1月の記録)


14歳、ぼくらの疾走〜マイクとチック

『14歳、ぼくらの疾走〜マイクとチック』
原題:TSCHICK by Wolfgang Herrndorf, 2012
ヴォルフガング・ヘルンドルフ/著 木本栄/訳
小峰書店
2013.10

版元語録:14歳のマイクはある夏、不良少年チックと盗難車に乗って旅に出る。閉塞感に満ちた現代の若者の冒険を描くドイツのYA小説。

プルメリア:表紙を広げると1枚の絵になるつくりがよかったです。最初は淡々とした内容でしたが、読んでいくうちにひきつけられました。主人公は登場人物と関わりながら成長していく。作品全体に会話文が多いせいか、場面や状況がよく分かり心情に寄り添えるので気持ちに入っていけました。日本にありそうでない作品でした。登場人物の考え方が変わっていくのがいいですね。

レジーナ:同級生に「サイコ」と呼ばれる主人公は、クラスでも浮いた存在です。走り高跳びでかっこいい姿を見せられると思っていたのに、実際はそうではない。酔っ払って登校したり、車を盗んだり、チックは主人公以上にアウトサイダーです。ふたりは旅の間、さまざまな人に出会います。オーガニックのものを食べ本に詳しい大家族、浮浪児の少女、人里離れた沼地で暮らすおじいさん、事故にあったふたりを助けてくれるおばさん……みんなどこか風変りですが、実に魅力的です。麦畑を車で走り、ミステリーサークルのような跡をつける場面をはじめ、ドイツの景色も鮮やかに描かれています。『シフト』(ジェニファー・ブラッドベリ著 小梨直訳 福音館書店)を思い出す設定です。『シフト』はすらすら読めて、映画を思わせる場面展開でしたが、『14歳、ぼくらの疾走』はもっとていねいに、時間をかけて書いている印象を受けました。書き急いでいない小説ですよね。もとの文体がくだけた表現なのかもしれませんが、p6の「僕のいってること、わかりにくい? ですよね、スミマセン。あとでまたトライする」といった言葉づかいには、慣れるのに時間がかかりました。

パピルス:児童文学を読むのが久しぶりだからか、序盤は文章が全く頭に入らず、何度か一から読み直しました。文章が頭に入ってくるようになると、終盤までおもしろく一気に読めました。二人が旅に出た理由がよくわからなかったのですが、通して読むと理解できました。最初は自他共にさえないと思われていた主人公でしたが、だんだんと魅力があることがわかってきました。私は主人公に気持ちを入れて読んでいたので、そのところでとても爽快な気持ちになりました。一部、ジャンク的な表現があり、10代の子が理解できるかな?という部分がありました。また、冗談を言い合う場面で、「ユダヤ系ジプシー」など、日本人には分かりづらい表現があったのが気になりました。

アンヌ:出だしの部分が入りづらかったのですが、病院に入院して、看護婦さんと話し出すあたりから読みやすくなりました。読み出すと、勢いづいてどんどん読み進めました。読み終えてから、この物語を思い出すたびに、尾崎豊の『15の夜』の曲が頭の中に流れ出すような疾走感を感じました。主人公とチックとの二人の旅は、いかにもバカンス中のドイツらしく、男の子二人でうろうろしていても、誰も変だとは思わない。どきどきするけれど、実は、悪いことがあまり起きない。会う人も、皆いい人ばかりで、その中で、東ドイツのソ連との戦闘の物語を知ったりする。この作者がうまいと思うのは、例えば偶然出会ったイザという女の子について余計な身の上話などさせずに別れさせるのだけれど、でも、その後、手紙が届くところ。冒険が終わった後も、続いていく未来を感じさせる気がします。

アカシア:確かにおもしろい。スピードもある。変わった人も出てくる。ドイツには珍しいのかもしれませんが、ドイツ以外なら、この手の作品は結構あるかな、と思いました。この作品は、たぶん今の若者のスラングでリズムよく書かれているんでしょうし、話の仕方でその人の人となりを表している部分もあるんでしょうから、訳が難しいですよね。子どもたちのやりとりは、とてもじょうずでおもしろく読めましたが、たとえばヴァーゲンバッハ先生のp287あたりの嫌みな話し方は、そのいやらしさが今一つ伝わってこない。難しいところですよね。日本語でこんな話し方をする人はいませんから、どういうニュアンスでこの先生はこんな話し方をしているのかが、伝わらない。
 それから原題は『チック』ですね。『チック』とつけたかった著者の気持ちはよくわかります。この作品で書きたかったのはチックなんですよね。だとすると、とんでもなくイカレテるけど、とっても魅力的、でも、自分はゲイじゃないから越えられない一線もあってとまどう、というマイクの気持ちがもう少しぐいぐい迫ってくるとよかったのにな、と思いました。それは翻訳では難しくて、ないものねだりになるのかもしれませんけど。

ルパン:今回の3冊のなかではこれがいちばん読みごたえがありました。最初は主人公の自己否定が極端で、ちょっと読みづらかったのですが、話が進むにつれ登場人物がどんどん生き生きとしてきて、結局一気読みしてしまいました。リアリティもありますし読ませる作品です。ただ、あとがきに「これを読まなくては、ドイツの児童文学は語れない」とあったのですが、そこまで言うほどのものかなあ…?

アカシア:ドイツは比較的理詰めの本が多いので、こういうスピーディーなロードムービー的な作品は珍しいのかもしれませんね。そういう意味では、ドイツの中ではこれを読まないとYA文学を語れないという位置づけになるのかも。

ルパン:出だしはほんとにつまんなかったんです。ただ、チックが出てきて女の子に絵を届けに行くあたりから、ぐいぐいひきつけられました。一番よかったのは、チックに「(君は)つまらないやつじゃない」と言われる場面でした。人生って悪くないと思うようになるプロセスがとてもうまく描けていて、楽しんで読めました。それだけに、チックが同性愛者じゃなくてもよかったのに、と、残念に思いました。

アカシア:私も、なんだかその部分はとってつけたような気がしました。でも、考えてみると日本と違ってドイツなら14歳だと普通は女の子と旅をしたいのかもしれないから、チックが近づいて来る自然な理由になっているのかもしれません。

ルパン:純粋に友達として好きになってもらった方がよかった。同性愛者の目で恋愛対象として見るのではないところで、魅力を見つけてもらいたかったです。

アンヌ:特に物語の中で、チックが同性愛者だとは気付かなかった気がします。普通に友達という感じで。

ルパン:18歳ならまだよかったんですけどね。14歳の同性愛者っていうのがどうも…。

アカシア:性的な関係を持つのが目的ではなく、マイクが魅力的だから最初はそこに惹かれたというだけのことかもしれませんよ。日本なら18歳が妥当かもしれませんが、ドイツは14歳なんじゃないかしら。

ルパン:全体的にスケールの大きな話ですよね。次どうなるんだろう、というわくわく感で最後まで引っ張られました。あと、好きな箇所は、山の上で昔の人の落書きを見つける場面です。自分だけの閉鎖的な世界から大きな世界の一部としての自分に目覚めていく瞬間が印象的でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)


わからん薬学事始 1

『わからん薬学事始 1』
まはら三桃/著 
講談社
2013.02

版元語録:薬の製造を唯一の産業とする島「久寿理島」で、470年間、女子直系一族だった木葉家に突然生まれた男子・草太は、島の人から「ぼっちゃんは天が下さったのです」と言われて、大事に育てられてきた。15歳の春、草太は、その製法が女性のみに受け継がれてきた「気やすめ丸」を万人に効く薬へ改良するために、島の運命を背負って東京へと旅立つ。

アンヌ:最初は、題名から江戸時代の漢方薬の話かと思いました。漢方薬も出てきますが、主に生薬の話という設定はおもしろいだろうな、という期待を持って読みだしました。先が気になって、3巻とも読んでしまいました。表紙に薬草の絵とそれぞれの巻の物語の中に出てくる動物の絵が描いてあり、薬草辞典も付いているという装丁が素敵でした。ただ、気になったのが、マンガのような会話の言葉遣いです。75歳の下宿の管理人が 「じゃぞ」とか言っていて、さらに、2巻の中国人のセリフが「〜あるよ」となっていて、現代の作品でこれでいいのかと思いました。嵐のセリフもバンカラ風で気になりました。数々の謎が提示され、それが各巻ごとに解決されていきます。例えば、下宿の住人についての謎や、管理人やその家族についての謎とか。最終的には、新・気休め丸を作る過程の中で、草多の父親はどうなったのか?久寿理島とはなにか?という謎を解いていく仕組みなんだろうなと思いました。主人公に薬草や薬の原材料の声が聞こえる能力があるという設定に、なんとなくマンガの『もやしもん』(石川雅之作 講談社)を思い出しました。下宿の設定には『妖怪アパートの幽雅な日常』(香月日輪著 講談社)も。

レジーナ:都会に出てきた主人公が、個性的な仲間とともに下宿し、学校生活を送る物語はよくありますが、薬学というのがユニークですね。動物実験が苦手なために留年し続ける嵐など、登場人物の設定もおもしろかったです。草多が新しい環境で奮闘する中で、彼の出自や「気やすめ丸」をめぐる謎を少しずつ明かしていく手法も上手です。まはらさんの『鷹のように帆をあげて』『鉄のしぶきがはねる』『たまごを持つように』はどれもよくて、多くの人に読んでほしい作品ですが、本を読まない子どもが、なかなか手に取らないのが残念です。この本は表紙も洒落ていて、子どもの目にとまるようです。読みやすく、内容もしっかりしているので、この本をステッピングストーンとして、まはらさんの他の作品へと読み進めていってほしいですね。

プルメリア:書名を耳にしたとき時代物かと思いましたが、違いました。本の装丁が洒落ているなと思いました。また薬草の紹介も気に入りました。作品の内容が、イメージしていたこれまでのまはらさんの作品と違っていたので驚きました。テレビドラマのように展開しているような感じで読みました。次作も読みたいですが、3巻で完結なんですね。

アカシア:私はおもしろくずんずん読めたんです。でも、立ち止まって考えてみると、まはらさんはこれまで念入りに取材をして現場のリアリティを読者に伝えようとして作品を書いてきたように思うんです。これは、最初からファンタジーの要素が入り込んできているので、この読書会で以前とりあげた『鷹のように〜』とも『鉄のしぶき〜』とも、そこが違うように思いました。登場人物もステレオタイプで、漫画っぽい。リアリティを捨て、ドタバタ的なおもしろさも入れて、読者にサービスしているのかな。それとも、作家ご自身がちょっとリアリティから離れたいと思われたのでしょうか? 私はリアリティを追求するこれまでのまはらさんの作品がとても好きだったので、ちょっと拍子抜けでした。まあ、薬草についてはいろいろと調べられたと思いますが、こういう作品はほかの作家にも書けるように思うので、まはらさんにはリアリティを追求しつつおもしろいものを書いてもらえればうれしいというのが、正直な気持ちです。

ルパン:私は残念ながらおもしろいとは思えませんでした。リアルでもファンタジーでもなく、何もかもが中途半端に思えて。薬学の学校は『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法学校を思い出させるものの、そこまで書けていない感じでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)


川かますの夏

『川かますの夏』
原題:HECHTSOMMER by Jutta Richter
ユッタ・リヒター/著 古川まり/訳
主婦の友社
2007.07

版元語録:「あの川かますをつかまえたら、ママはまた元気になれる…」川かますという大きくてこわい魚を捕まえる。ひとりの少女と少年の友情と成長を描いた、切なく美しい夏の物語。

ルパン:時代設定がよくわからず、なかなか話に入れませんでした。お城の中に住んでいて、伯爵もいるようなので昔なのかなあ、と思うとスクールバスが出てきたり。

アカシア:現代のものか一昔前のものかは、携帯電話が出てくるかどうかで判断できますね。これは、出てきませんよ。

ルパン:たまたまなんですけど、直前に『庭師が語るヴェルサイユ』(アラン・バラトン著 鳥取絹子訳 原書房)っていう本を読んだんです。ちょうどヴェルサイユ宮殿のなかに住んでいる庭師が書いた作品で。そのイメージがあったので、「お城に住んでいる子どもたち」の特別なおもしろさを期待してしまったら、ちょっとはずれました。ただ、お城の敷地のなかだけの生活で、男の子としか遊べない主人公が、「女の子の友だちがほしい」と思うあたりはよく描けているなあ、と思いました。ただ、この子のお父さんはとてもいい父親のようなのに、離婚後はまったく会いに来ないのはどうしてだろうという疑問は残りました。

アンヌ:私にとっては、残虐な場面が多い物語という感じで、読み返せませんでした。孔雀の足はとれてしまうし、川かますは無意味に殺される。川かますの神様とか言っているので、アイヌの神のように何かその命を送りだす儀式とか意味とかあるのかと思ったのだけれど、そんなこともない。まともな大人が、現実の中に出てこない。離婚して今はいないお父さんの思い出と、病気のゲゼルおばさんだけで。がんの描き方も、あとがきを読まない限り30年前の話だとは分からないので、ショックを感じる読者もいるのではないかと思いました。これが映画だと美しい景色を外から眺めて楽しめたかもしれないけれど、本だとその中を生きるような気がするので、気が滅入った物語でした。それから、ラッドとは何か、どんな魚なのか、すぐにわかるように、注を入れてほしかった。

ルパン:アンナは不治の病のおばさんに最後までお礼が言えないままで終わるんですよね。そこがほんとうに残念でした。アンナも残念だったはずなので、感情移入したということかもしれませんが。

パピルス:7年前に読んだのですが、内容を全く覚えていません。読んだ当時、よく理解できていなかったのだと思います。

レジーナ:先ほど残酷だという意見がありましたが、私はそうは思いませんでした。子どもには残酷な面があり、虫の脚をちぎることもあるし、取り返しのつかない瞬間を繰り返し、後悔を重ねながら生き物との距離感を学んでいくのだと思います。巨大な川かますは、母親の死、死の不可解さや不気味さを象徴しているのでしょうか。ダニエルが川かますと向き合う様子は、幼なじみの少女の目を通して描かれます。当事者にしかわからないことがある一方、当事者じゃないからこそ見えるものがあり、アンナの視点をとることで、それが見事に捉えられています。ダニエルやギゼラおばさんに対して何もできず、アンナは無力感を感じます。また女の子である自分は、母親には望まれていないのではないかと感じたり、離れて暮らす父親を恋しく思ったり、友人関係に悩んだりしながら、父親のお話に出てくる「バカルート人」のように振舞うのではなく、自分の頭で考えることを学びます。この本のテーマは、失われた子ども時代への追憶です。目をこらし、川底の川かますを見つめるかのように、2度と戻らない瞬間を切り取っています。「読者はこうした本も理解できる」と信じて書く作者には、子どもの持つ力への信頼があるのでしょうね。

プルメリア:渋谷区の図書館には残念ながら蔵書がありませんでした。
 
アカシア:いつも児童書を出している出版社ではないので、図書館の方がじっくり読んでから判断しようと思っているうちに、品切れになってしまったのかもしれませんね。内容ですが、私も残酷な話だとは思いませんでした。もっと残酷なシチュエーションにおかれている子どももいっぱいいるし、子どもそのものも残酷な面を持っていますからね。全体としては、私は子どもの心理がとてもうまく書けているし、この年齢ならではの、つらいけれどもきらきらと輝くような子どもたちのありようが描写されていて、すばらしい作品だと思いました。ただ、最初のほうは、登場人物の関係性がわからなくて、とまどいました。この子どもたちはきょうだいなのか、と思って読んでいたら、途中でどうも違うらしいとわかったり。子どもにすり寄らない、つまりお子様ランチ的ではないこういう作品は、訳すのが難しいですね。フランス在住の方のせいなのでしょうか、p60には乱暴な言葉使いのお母さんが「〜かしらん」と言ったりしています。まあ、その辺は編集がフォローしなくてはいけない部分だと思いますが。いい本を読んだという満足感がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年11月の記録)


かさねちゃんにきいてみな

『かさねちゃんにきいてみな』
有沢佳映/著 
講談社
2013.05

版元語録:かさねちゃん、ユッキーの、みんなの優しさや毎朝の出来事。集団登校の短い時間の中にある繊細な人間関係が清々しい。子どもたちが決して大人に見せない「子どもの世界」。昔からずっといた小学生を、いままでにない手法で描いた作品。講談社児童文学新人賞、受賞後第一作。

アンヌ:読んでいるうちに、これはいつまで続くのだろうとだんだん耐えられなくなって、途中でラストを読んでから、読み直してしまいました。自分でもそれはなぜなのだろうと思って、いろいろ調べて、劇団ひまわりで上演されているのを知り、ああ、そうか、ユッキーの一人称で、一人の視点で延々と物語が続くのでなければ、おもしろいのかもしれないと思いました。読み直してみると、一つ一つのエピソードはとてもおもしろいので。最後にリュウセイが戻って来ていますが、どうやって戻ってきたのかとかが、なぜ描かれていないのだろうと思いました。

ワトソン:今回のテーマである子どもたちの日常にあてはまる作品として、私はとても楽しく読めました。登校班だけてこれだけの作品を書くのはすごいと感心しました。一番魅力的だったのはユッキーで、彼の語りの良さがこの作品を支えていると思いました。その分、かさねちゃんに物足りなさを感じました。かさねちゃんの「ちゃんとして」が魔法の言葉のように描かれていましたが、そこにはユッキーのかさねちゃんへの憧れがかなりプラスされているので、実際は魔法のようには効かないのではないでしょうか。また、小学生が読者と考えるとこの量は多すぎる気がしました。

ルパン:私はあんまりおもしろくなかったです。『アナザー修学旅行』(有沢佳映著 講談社)は、場面が動かないわりに、まだおもしろかったんですが、今回は、通学路という限られた場面のなかで、かさねちゃんの魅力が伝わってきませんでした。かさねちゃんだけでなく、どの子も、「この子のことが読みたい」というものがなかったし。強いていえば、語り手のユッキーが毎回日記のさいごに間宮さまへの語りかけを書いているのがおもしろかったけれど。ただ、登校班だけで、よくここまで書いたなとは思いました。結局、「かさねちゃん」とインパクトがある名前だけでひっぱってきた感があります。ふつうの平凡な名まえだったら手にとらないんじゃないかな。印象的に目に浮かぶものといえば、牡丹の模様つきのランドセルでしたが、かさねちゃんの個性とどうリンクするのかわかりませんでした。

レン:私は今回選書係だったのですが、この本は、私自身よくわからない本だったので、みなさんの意見を聞きたいと思って選びました。この著者の『アナザー修学旅行』の時もそうでしたが、私は最初はおもしろくひきこまれたけれど、途中でちょっとうんざりしてきて、「修学旅行だとか、集団登校の班長って、そんなに大事?」と思ってしまい、最後まで読めなかったんです。今の子どもの話し言葉をそのまま移したような会話が続くのも、うまいなあと感心する一方で、当の子どもが読んだらどう思うんだろうと思いました。写真そっくりの絵を見ているような感覚というのか。この数カ月で確かにユッキーは少しずつ成長するけれども、こういうそのまんまの一人称の語りで子どもに伝わるのかな、ふんふんと読んで終わってしまわないかなと。今回読み返しましたが、やはりわかりませんでした。リュウセイのエピソードを盛り込んでいるのは、いいなあと思いましたが。

ヤマネ:話題になっていたので、とても気になっていた本です。まず設定について、これまで集団登校を場面の中心として書いている人はいなかったので、斬新だなと思いました。1日1日、ユッキーの日記で綴られていて、日記の最後が「間宮小の守り神」と言われているホコラの中の間宮さんに何かを祈ったりお願いする形で終わっている。日記をうまく終わらせるために間宮さんは登場するのではないかと感じました。お話は3分の2ぐらい読み進めたところで、ようやくおもしろくなってきました。全体を読み終えて感じたのは、子どもも大人も、一定の時間一緒に過ごす体験をすると、情が湧いたり連帯感のようなものが生まれるのだなと思いました。対象年齢は小学校高学年向けに出されているようですが、正直、小学生がおもしろく読むのかどうかは疑問に思いました。そうかといって、大人が懐かしいと思って読むには自身の子ども時代とは違う現代っぽさがあるし、どのあたりの層がおもしろいと感じて読むのかが分からないと思いました。また、かさねちゃんは大人で冷静なように描かれているけれど、言うべきことや不満などは、全て班員で4年生のマユカが全部言ってくれるので、かさねちゃんは言わなくて済むようになっていると感じました。

ハリネズミ:私は日常と違う世界だと思いました。小学生が集団登校する姿はよく見るけど、たいていはまったく話をしないで黙々と歩いている。だから、この作品はフィクションの世界で書いてると思ったんです。『アナザー修学旅行』もそうだったけど、子ども同士はあまり直接のコミュニケーションをとらない。有沢さんは、わざとコミュニケーションをとらせて直接的なやりとりをさせている。そこが書きたいところじゃないかと思ったんです。

ルパン:地域性もあるかもしれませんね。うちは小学校が目の前なので言葉をかわすヒマもないのですが、甥のところでは2キロ歩くんだそうです。毎日それだけの距離を一緒に歩いたら、会話もはずむだろうし、集団登校も子どもたちの生活の一部になるかも。

ハリネズミ:主人公はかさねちゃんではなくユッキーで、すべてユッキーの視点だから、かさねちゃんは実像じゃない。

アンヌ:もし私が子どもの時読んだら、たぶん、班長をする自分を想像して、こんなにキレる子が二人もいたら、嫌だと思うだろうなと感じました。

ハリネズミ:賛否両論あるとは思ったんですが、私はおもしろくて、後になっても印象に残った本です。子ども同士のやりとりもおもしろくて、今の子どもたちの人間関係が狭くなってきているだけに貴重な作品だとも思います。

すあま:私のまわりの人の評判がよかったのですが、私は全然読み進むことができませんでした。登場人物がなかなかおぼえられず、苦労しました。この作品の特徴は、話し言葉でかかれていること、そして場面として登校するシーンだけを描いていること。脇明子さんの『読む力が未来をひらく』(脇明子著 岩波書店)に、話し言葉と書き言葉についての記述がありましたが、話し言葉で書かれた会話が続くと、読みにくいんだな、と思いました。子どもがおしゃべりしている感じは伝わるけれども、読んでいてうるさい、わずらわしい、と思ってしまいました。マンガのように吹き出しのセリフをどんどん読んでいくのと似ているけれど、絵がないので頭の中でイメージするときに混乱したのかも。読む前は、かさねちゃんが主人公なのかと思っていたら、リアリティがなくて、もっと魅力的に描いてほしかったです。登場人物のだれに寄り添って読めばよいのかがわからず、それも読みづらさの原因かもしれません。かさねちゃんが小学生らしくなくて、感情を爆発させるところがあれば、と思いながら読み進めていましたが、ずっといい子のままだったのも残念。リュウセイくんの問題も、あえて入れる必要があったのか、扱い方が中途半端なように思います。

ajian:私はこの文体っていうか会話はすごくいいと思ったんです。物語はちょっと物足りないものを感じたのですが……。読んだのが結構前なのであやふやですみません。

レジーナ:人口芝の上を歩きたがる場面では、私も昔、同じように感じたのを思い出しました。作者は、子どもの時のことをよく覚えていて、それを素材に書いたのでしょうね。リアリティを追求したのかもしれませんが、実際に子どもが話しているような文体が続くと、少々読みにくく、またリュウセイの複雑な家庭環境には胸が痛くなりました。読み終えて、作者が何を伝えたいかがわかりませんでした。この作品は児童文学なのでしょうか……。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


クラスメイツ(前期・後期)

『クラスメイツ(前期・後期)』
森絵都/著 
偕成社
2014.05

版元語録:24人のクラスメイトたちそれぞれを主人公にした24のストーリー。子どもじゃないけど大人でもない特別な季節。中学生以上。

ヤマネ:この本は発売された時に、とてもおもしろく読みました。前期の巻は登場人物の紹介という感じで軽い感じでしたが、後期では前期で謎のまま終わっていた問題が1つ1つうまく解決されていったり、クラスメイツ同士の関係の深まりを感じたりして、後期が特に読み応えがありました。知り合いの中学生にも薦めたのですが、クラスにこんな子いるいる!と共感できたり、自分と同じ悩みを見つけてホッとしたり、など楽しく読めるのではと思います。大人が読んでも、中学生の頃を思い出したり、中学校時代の自分と似ている子はどの子だろうと考えてみたり、などいろいろ楽しめると思いました。

レン:おもしろかったです。24人のそれぞれの営み、変化が伝わってきて、本当にうまい文章。ユーモアもあって、堅苦しくなく、読者を選ばず読んでもらえそう。現役の中学生もいいけれど、これから中学に行く6年生に手渡したいですね。自分のクラスのだれに似ているとか、だれが好きとか読めて、中学校生活への希望がもらえます。

ルパン:これはすっごくおもしろかったです。『ラン』(森絵都 講談社)よりこっちのほうがずっといいなと思いました。『かさねちゃんにきいてみな』を読んだあとこっちを読んだのですが、『かさねちゃん』のほうは「今どきの小学生事情」みたいな一時的、同時代的な感じでしたが、こっちは根底に「永遠の中学生」のような、どの時代にも共通する中学生らしい感情、という筋が一本通っていて、大人が読めば郷愁感、子どもが読めば等身大。それに現代っ子らしさがほどよく加わっていて好感がもてました。24人が対等に出てくるのもいいし。どの子のも全部おもしろくて。最初に出てきた子たちは、吹奏楽部に入る話なんだけど、それが最後にまた出て来て演奏する、というつなげ方もうまい。いちばん笑ったのは、レイミーちゃんが泣いたのは、ネズミがシューマイではなくシューマッハだから、と言ったところ。あと、印象的だったのは、ガラス破損の犯人さがしになったとき、ヒロが「でも、ぼくじゃないよ」と言ってすんでしまうシーン。そういう子って、確かにいますよね。文庫で子どもたちを見ていると、いつの時代にも変わらない小学3年生らしさ、5年生らしさ、中学生らしさ、といったものが確かにあります。この話は、リアリティらしさとお話らしさがマッチしていて私は好きです。

ワトソン:森絵都さんはこの年代の子どもを書かせたら本当に上手だなと、期待通りの作品でした。こういった構成自体は最近多くて新鮮味という点はあまりありませんが、それでも読ませるおもしろさがありました。一人一人が個性的に書き分けられ、クラスに起きた事柄をそれぞれの視点で捉えそれがまた全体としてつながっています。だれか一人に寄り添って読む作品も良いけれど、「自分はこの子に近いな」とか、「この子のこういう部分はわかる」というように、何かしら共感を得られるところがあるのではないでしょうか。そういった面で、同年代の子どもたちが読むのに意味がある作品だと思いましたし、この年代を過ぎた人には懐かしく読めるのではないでしょうか。

アンヌ:この作者の本を読むのは初めてでしたが、私は苦手でした。とてもうまく書けているし構成もいいけれど、ある意味、物語が始まったところ、人物の紹介だけで終わってしまっている気がして。読んだ後に、24人分のそれからのことを考えて、眠れなくなって困りました。虫博士の陸くんとか好きな子もいたのだけれど。

すあま:森さんが、大人向けの小説の方に行ってしまったように思っていたので、久々に中学生が主人公の物語を書いたんだ、と思って読みました。語り手を変えて物語が進行する形式の本はいろいろと出ていますが、1990年に出た『トリトリ』(泉啓子著、草土文化)という作品が一番印象に残っています。そのときは新鮮に感じたのですが、今はよくある形式なので、特に新しさは感じませんでした。とにかく人数が多いので、だんだん混乱してきました。印象に残る子はいるんだけど、やはり誰か一人に共感しながら読むことができず、一気に読んだ後に物足りなさを感じました。

アカシア:読んだときは、「ああおもしろかった。森さんのYAの中では一番おもしろかった」と思ったんです。でも、あとでふりかえると、細かい内容は思い出せなかったんですよ。この世界で完結しているから後々まで引っかかる必要がなくて、思い出せないのかもしれません。その時その時で読者が受け取るものがあれば、別に思い出せなくてもいいんですけど。一つ一つの話が全体としてつながっていくのがいいですね。

ajian: 森絵都さんの作品はじつはちょっと苦手だったんですが、これは文句なしにおもしろかったですね。自分の中学生時代のことなんかを思い出します。一口にクラスメイトといっても、仲がいい連中もいれば、あまり会話したことのないやつなんかもいて、同じクラスでもよく知っているといえるのは、何人かなんですよね。この作品は、そういうクラスの子たちの、それぞれの視点から書かれていて、自分が中学生だったらたぶん交わらなそうな子もいるんだけど、そういう人の事情にもちょっと踏み込んでいけるようでおもしろい。前期後期に分かれていて、いろいろな事件があって、1年が動いていく構成もうまいなと感心しました。ビートルズも知らなかったハセカンが、後半の別の章ではクラッシュを聴くようになってたり、ああUKロック好きになっていったのかなあとか、書かれていない部分での成長と変化を想像できるのも楽しい。一番好きだったのは吉田くんですね。吉田くんがいちばん変貌を遂げるんじゃないでしょうか。モテたいから東大に行くとかいっていましたが、中高モテなくて勉強にばかり時間を捧げていると、仮に東大に行けたとしてもあとから「中高のときにモテなかった」というルサンチマンをこじらせることになるので、吉田くんはほんとうに水泳部に入ってよかったな、と思います。完全に感情移入していますが。震災のことがちらっと出てくるのも今の作品だなという感じがします。正直にいって読む前はこれほどおもしろいとは思っていなかったので、食わず嫌いはいけないなと思いました。

レジーナ:中学に上がったときのことを思い出しながら読みました。なかなか学校になじめなかったり、いつも小さな気がかりや悩みがあり、「これまでは何も悩みがないのが幸せだと思っていたけれど、きっとこれからは悩みがなくなることはなくて、それが大人になるということなのか」とふと感じたり……。いじめに負けず学校に通い続けたしほりんが、「強くなった半面、弱くなった部分がある。なにかに勝ったつもりで、なにかに負けたのかもしれない」と思う場面がありますが、「今、辛い」とか「今、楽しい」とか、その場の感情ではなく、こんな風に、ちょっと離れた場所から自分のことを振りかえって客観的に考えられるようになるのが、中学1年くらいの年齢ではないでしょうか。老人ホームでボランティアをする場面は、家族や学校で完結しない外の社会とのつながりが描かれていておもしろかったです。美奈の父親が倒れた時、そういうプライベートなことを、先生が他の生徒に教えてしまうのは、現実ではありえないでしょうね。タボの章に、蒼太が給食のデザートをおかわりしないことが書いてあり、その後の章で、レイミーが、甘いものが苦手な蒼太のための特製チョコレートを作ります。細かな伏線の張り方は、さすが上手ですね。ひとりひとりの人物像がくっきりしていて、『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正幹著 ポプラ社)の6年1組を思い出させますが、もう少し深く描かれていると、よりよかったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


ホープ(希望)のいる町

『ホープ(希望)のいる町』
原題:HOPE WAS HERE by Joan Bauer, 2000
ジョーン・バウァー/著 中田香/訳
作品社
2010.03

版元語録:あたしはパパの名を知らず、ママも幼いあたしをおばさんに預けて…ウェイトレスをしながら高校に通う少女が、名コックのおばさんと一緒に小さな町で正義感に燃えて大活躍。

ルパン:私は今回読んだ3冊のなかではこれがいちばんよかったです。日本の物語にはない設定、場面、ストーリー。翻訳青春モノの珠玉作だなあ、と思いました。

アンヌ:食べ物が出てくる本が好きなので、私も今回の本の中ではいちばんおもしろく読みました。主人公が17歳なのにプロのウェイトレスということに驚きました。高校生の政治参加の場面にも。発達障害の疑いのある赤ちゃんに、哺乳瓶でミルクをあげながら「あなたには愛してくれるお母さんがいる」という場面や、ウェイトレスとしていろいろなお客と接する場面とかに、いい場面がそれほど山ほどあり、感動しました。人と人との関わりを、職業を通して描くのが好きな作家なのだなと思いました。唯一気になったのが、GTが白血病で最後は亡くなり、お弔いの場面が延々と描かれていること。ここが必要かどうか考えたくて、別の作品『靴を売るシンデレラ』(ジョーン・バウァー著 灰島かり訳、小学館)も読んでみましたが、そちらも理想の父親像のような登場人物を交通事故死させお弔いの場面を描いているので、作者は、作品の中で、死を描く必要を感じているのではないかと思いました。

レン:今回の他の2冊とタイプの違う本ですね。話が上手にできていて、読み応えがありました。主人公の気持ちに寄り添って読んでいきましたが、母親に捨てられ、父親も分からず、おばさんに引き取られた女の子が、なんとたくましく、大人なんだろうと。お母さんが自分に残してくれたものが、ウェイトレスの才能と名前というのがおもしろいですね。名前は途中で捨ててしまうけれど、その才能を極めることで、この子は周りの人と人間関係をつくって生きのびていく。おばさんも魅力的。主人公が発達が遅れているかもしれない赤ちゃんに話しかけるシーンなど、上手だと思いました。愛されているということがあると、子どもは強く生きていけると。選挙のことも詳しく書かれているけれど、これって一種の職業小説ですよね?

一同:そうそう。これは職業小説ですよね。

レン:選挙の仕組みはよくわからないところがありましたが、選挙に絶対行かないと言っている人のおかげで、不正がばれるというのもうまい。読ませますね。

アンヌ:原題は過去形なのに、なぜ現在形にしちゃったんでしょうね?

レン:装画は日本の人なんでしょうか? 文章で受けたのとイメージが全然違いました。

ajian:挿画はちょっと安っぽい印象がしますよね。

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

ヤマネ:読書会で取り上げられなかったら、おそらく手に取らなかった本でしたが、すごく良かったです。

アカシア:自分からは手に取らない本ってありますよね。「新しい場所は新しいものの見方を授けてくれる」なんていう台詞がいいですね。児童書には、希望を感じるまっすぐな言葉がところどころに見つかります。自分でのそれを見つけるのも、本を読む楽しみですね。選挙のところですが、あんまりおもしろく書いた小説が他にないなかで、これはおもしろかった。中高生でもおもしろく読めると思います。

ヤマネ:一筋縄じゃない。感情の表現もいい。ボクシングのサンドバッグをたたきながら、悔しさをあらわす場面が良かった。主人公はお父さんが迎えにくるのをずっと待ち続けていて、けれどそれが全く違う形でやってくる。中高生が読んだら、人生にはそういうことだってあるのだと気づくのではないでしょうか。電車の中でカバーをして読んでいたのだけれど、カバーを取って表紙の絵に驚いた。中高生向けに受け入れやすいように狙ったイラストではないんでしょうか? 文章から感じる表紙のイメージは、あたたかな風景画のイメージだったので、この表紙には驚いたけれど、話の内容は良かった。ウェイトレスの仕事のおもしろさもよく伝わってきました。

レン:混みあってきたらコーヒーをつぎ足すとか。

ajian:原書の表紙、調べてみましたが、こっちのほうが全然いいです。

(一同、表紙の画像を見る)

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

アンヌ:この表紙絵(日本版の表紙)、他の二人に比べて、GTはうまくイメージがわかなかった。

レジーナ:バウアーの作品にはいつも、置かれた環境で努力する主人公が出てきます。病を抱えながら選挙に立候補するGT、名前を変えるホープ……ままならない現実を受け入れた上で、困難な状況を全力で変えていこうとする登場人物の姿が、押しつけがましくなく描かれているのがいいですね。不正を働いたり、家族や社会の責任を果たさなかったりする人々がいても、ホープはそれにめげず、大切なものをゆずりわたさず、ウェイトレスとしてお客さんを笑顔にします。そしてアナスタシアとの関わりの中で、母親との問題に向き合います。娘のことを顧みない母親も「あんたの人生のたいせつな一部」というアディの台詞がありますが、人を形作るのは、手に入ったものや勝ち得たものだけではなくて、望んでも手に入らなかったものや失ったものもまた、その人の大切な1部だという、作者の生きる姿勢が表れていますね。

アカシア:バウアーは職業とかキャリアを追求している作家ですね。ウェイトレスなんて、おもしろそうな職業じゃないのに、わかってくると「すごいなあ。おもしろそうだなあ」と思えるように書けるところがすばらしい。日本の児童文学の世界では、政治は書かないほうがいいと言われているそうですが、選挙だって、中学生くらいを対象にした本だったら書いたらいいし、世の中はどうなっているかというのも書いた方がいいでしょう。この人はそこもうまく書ける作家ですね。話のもっていきかたもすごくうまいから、選挙のところだけ浮いているようなこともないのがいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


石を抱くエイリアン

濱野京子『石を抱くエイリアン』
『石を抱くエイリアン』
濱野京子/著 
偕成社
2014.03

版元語録:わたしの辞書に「希望」なんかない。1995年に生まれ、2011年3月に卒業式をむかえた15歳たちの1年間。中学生から。

ルパン:自分の娘と同じ学年の少女が主人公だったので、身近な感覚で読みました。ちょうど中学卒業のときに震災だったり。ただ、辞書を切り取るシーンから始まるところがちょっと……。辞書も本ですから、よほどのことがないと切ったりしないんじゃないかと思ったんですけど、たいした理由もなく家族全員分の辞書を切っちゃうところが、なんだか生理的にいやな感じがしました。あと、いかにも「作家が調べたことを登場人物に言わせている」というのが透けて見えるようなところが随所に見られるのが気になりました。『レガッタ!』よりはこちらのほうがいいですけれど。説明的なところが多いと、お話のわくわく感が止まっちゃってつまらなくなるのがもったいないところです。偉生はけっこう好きでした。キャラがしっかり立っていて。 

レジーナ:私たちの電力は原発に依存しているのではなく、原発は一度稼働すると止めるのが難しいという事実は、これまで知りませんでした。原発を地方に押しつけていることへの作者の強い問題意識が、全面的に押し出された作品ですね。頭で書いている印象を受けました。人物像にもう少し厚みがあり、生き生きと動いていたら、もっとよかったと思います。夏希の存在が、途中から急に薄くなります。原発の問題に気づいた登場人物の一人は弁護士を目指しますが、動機がよくわかりませんでした。これについては、主人公も理解できないと言っていますが……。 

レン:けっこうおもしろく読みました。翻訳だと、こういう文体にはなかなかもっていけないんですね。創作ならではの、中学生のリアルな空気感があって。主人公もほんとうに普通の子で、優等生でもなく、とりたてて取り柄もなく、そして、ふしぎ君の偉生君。こういう子っているよな、と。べったりせず、でも毎日学校で顔を合わせる中学生の感じが出ていると思いました。中学生の読者が読んだら、どう思うかな。何気なく手にとって、震災のことをふりかえって考えるんじゃないかな。いい印象で読みました。 

:日本の児童文学として、とてもおもしろかったです。今どきの文体で始まってありきたりかと思いきや、途中からどんどん引きこまれて。成熟した偉生がとっても好きになったので、死んじゃうのがショックでした。偉生と姉さん以外の子どもたちの関係も良かったですね。青春群像というか、集団の楽しさがあって、足を引っ張り合うでもなく、仲がいい。中学生の現状というのはよく知らないのですが、クラス全員の前で告白をしてもすぐに交際に発展することもなく、まわりも静かに見守っている感じが大人っぽいなあと思いました。キュンとしました。 

アンヌ:なんだか題材が並べられているだけのような気がして、もう一度書き直してもらいたいような気分になりました。辞書を切る気持ちとか、うまくつながっていかなかったです。主人公は、人から見たら面倒見のいい「姉さん」で、偉生から、こんなところやあんなところがいいと言われるのだけれど、どうも一致しない。少女漫画にして、外からこの主人公の魅力をもうひと描きしてくれたらいいんじゃないかと思いました。削られた部分があったのかもしれないとも思えました。偉生は何となく宮沢賢治を思わせる鉱物少年で、魅力的でした。 

ワトソン:今回の3冊の中では私はこれが一番読みやすかったです。文章がすんなりと入ってきました。登場人物の苗字から原発関連の話になるのかなという予想ができました。辞書から「希望」を切りとるところは、新しい版の辞書買うというラストへ結びつけるためのものという印象が残ってしまいました。あとがきから、1995年生まれの子の物語をという依頼だったようなので、この時代について残すという意味で書かれた話なのかなと思いました。そういう意味では意義ある作品と言えると思います。ただ、同じ年に生まれた娘にも感想を聞いたら、幸いこの話のように友達を亡くすというようなつらい体験もしなかったし、ゆとり世代といわれるけれど、世間が思うほど自分が生まれた年を意識することはないと言っていました。 

アカシア:おもしろかったです。2010年から11年という一年間の友だち関係の出来事に、チリの鉱山の落盤事故、ニュージーランドの地震、新燃岳噴火、はやぶさの帰還、タイガーマスクのランドセル寄贈なんていう折々の社会の出来事を織り交ぜて書いているのもいいですね。内側だけの心模様だけじゃなく外の出来事にも目を向けてほしい、という著者の気持ちが表れているのかもしれません。そしてもちろん地震と原発事故が3月には起こります。3.11の後、日本中が動揺していたことを、読みながら私もまざまざと思い出しました。欲を言えば、原発について話し合うところが、やっぱり硬い表現になってしまっているのが残念。やわらかい表現では話せないことだというのはわかりますが、もう少し技術用語を超えたものになっているとよかったかな。もっとも著者は意図的に日常になじまないことをわざと強調しているのかもしれませんが。それから、さっき他の方がおっしゃっていましたが、私も会話の文体のテンポのよさに、翻訳文学だとここまでできないなあと差を痛感しました。たとえば最初の方に「ねえよ、そんなの」という市子の独白があるのですが、翻訳だったら女の子の台詞はこうは訳せない。ここまでやれるとおもしろいですけどね。ちょっと疑問に思ったのは、会話の中では苗字で言い合っているのに、地の文では名前になっている。どうしてなんだろうな、と思いました。それと、辞書を破くというのは、この年代の子どもなら大いにあり得ると思います。 

ルパン:でも、切っちゃったページ、裏に大事な言葉が載っているかもしれないのに。 

アカシア:子どもって、大人の想像の範囲を軽々と超えていく存在だと思うんです。で、児童文学作家なら当然のことながら、そこを書きたいんじゃないかな。 

レン:はやぶさの帰還に「希望、感じるよね」という同級生に反発を感じるのは、わかりますよね。 

夏子:「希望」という歌が上手に使われていますよね。岸洋子さんという歌手は、上手なこともあって、ねっとりとせまってくる感じ。 

:薄っぺらい希望は切り取ったけど、震災や苦しみを越えた後に自分の希望は見える、ということでしょうか。 

アカシア:辞書も後で同じのを買うわけじゃないんですよ。切り取ったのは、岩波国語辞典第六版横組だけど、最後に自分のお小遣いで買ったのは同じ辞典の第七版普通版なんです。だから一歩前に進んでる。 

さらら:濱野さんの作品はもともと大好き。だから期待して読みました。原発事故や、その後に起きたことを書きたいという気持ちはよくわかり、意欲的な作品だと思いました。いっぽうで、冒頭で「希望」という字が出ている辞書のページを冒破った主人公が、最後に、辛いこともあったけれど、行方不明になった友人の「希望」を受け入れる決心をして新しい辞書を買うところに、計算が透けてみえて、やや残念でした。会話は生き生きしていて、軽妙です。なのに、どこかテーマにあわせて書かれたのでは、という意識が読み手の私の心にひっかかって、人物がしっかり動いてこなかった。特に、大震災の後の主人公の心理の動き、喪失からの立ち直りが、すこし早すぎるような気がしました。中学生や高校生が実際に読むと、違う感想を持つのかもしれません。でも大きな喪失、そこからの再生、その肝心のところがまだ十分に書けていない気がします。もともと連載だったので、しかたがない部分はありますが、作家のなかで人物像が完全に熟していないうちに、外に出してしまった印象を持ちました。このテーマで、もう一回書いてほしいな、濱野さんには。 

ワトソン:どうして「石を抱いた」なんでしょうね。

アカシア:「石」と「意志」は掛詞になっています。p178-179に「洋一、変なやつだった、っていわなかったな。洋一の思いが、今ごろになってじんわりと伝わってくるようだった。臆面もなく語る夢。気恥ずかしくなるような希望。/偉生は、意志を抱いていた」ってあります。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)


石の神

田中彩子『石の神』
『石の神』
田中彩子/作 一色/挿絵
福音館書店
2014.04

版元語録:江戸時代、上州の石屋「大江屋」に、石工見習いのふたりの少年がいた。ひとりは、一流の石工をめざし一心に修行に励む寛次郎。もうひとりは、天才肌で素性の謎めいた申吉。申吉は実の名を捨吉といい、「石神」を祀る「荒れ地」からやってきたのだった……。宿神思想に想を得て、ふたりの少年の成長を描いた意欲作。第12回児童文学ファンタジー大賞佳作受賞作

:とてもおもしろかった。差別を受ける人たちの集落の様子も、石を彫るようになる過程も、石の神に魅入られるさまも、模索も。全部。 

夏子:この作品は、時代はいつになっているんでしたっけ? 

:江戸時代ですね。18世紀の終わりです。 

夏子:この作家さん、まだ新人と呼んでいいのかしら? 応援したいと思いました。でも同時に、欠点も目につきます。主人公のひとりの寛次郎は、モーツアルトに対するサリエリではないけれど(素直な若者なので、サリエリとは似ていません)、常識的で優等生的。もうひとりの捨吉は破天荒な天才であって、まさしくモーツアルトですよね。こういう二つのキャラクターの絡み合うような対立が、つまらないはずがない。ただ捨吉のような子どもは、自ら内面を語ったりしないでしょう。だからこちらに視点が移って、捨吉の側から語られるところになると、無理が生じるのでは? 捨吉は、差別されている地域で育てられ、しかしそこの出身者ではないことから、周りの人々が村に戻れるようにと努力する。でもそれを振り切って、放浪の旅に出てしまう。これは、説得力に欠けると思いました。また周りの大人の個性が、もう少し描き切れているといいですね。育ての親、職人の親方、流れの職人と、それぞれ援助者の役割を果たしますが、みんな似ているんです。どの大人も粒立っておらず、平面的な感じがします。 

レジーナ:日本の児童文学の独特の空気感があり、長谷川摂子の『人形の旅立ち』(福音館書店)を思い出しました。人を守るだけでなく祟りもする石神は、土着の信仰の対象であり、善悪を越えた荒ぶる神ですね。ひとつひとつの場面が印象的でした。捨吉の彫った地蔵の気迫、洞窟の中、石仏という圧倒的な力を前にして、自分が空っぽになる感覚にはリアリティがあります。石神に取り憑かれた捨吉が、並はずれた力ですばらしい作品を次々に生み出すことに快感をおぼえる一方、「こつこつと人の世を生きる道に戻れなくなるのではないか」と恐怖を感じる場面には、狂気と紙一重の芸術のこわさがよく描かれています。

ルパン:うーん、これは一度読んだだけではよくわからなかったですね。『天狗ノオト』(理論社)よりはだいぶすっきりしていて、ずっとよいとは思いましたが。私にはちょっと難しかったです。これ、読者対象年齢は何歳くらいなんでしょう。視点が捨吉になったり寛次郎になったりするのだけど、そのバランスがよくないように思います。主人公は捨吉でしょう、たぶん。最初と最後は捨吉なんだけど、間はほとんど寛次郎。どちらが主人公なんだろうと思いながら読み、結局どちらにもあまり感情移入できないまま終わりました。特に、主役であるはずの捨吉の気持ちがよくわからなくて。石神の役割も。結局、捨吉は今後、人を感動させるものを作っていくのでしょうか? 

:もう作らないと思いますよ。 

ワトソン:『天狗ノオト』よりは大分読みやすくなっていて、よかったです。日本古来に伝わる畏怖につながる世界観を書くのがとても上手な作家だと思います。個人的には好きな世界観です。ただ、これを理解するのはなかなか難しいという印象は否めません。特に前半は入っていきにくく、そこを乗り越えれば物語の世界に入っていけると思いました。年齢を考えなければこの作品でよいのかもという印象です。 

アンヌ:石神の謎を解き明かそうと読みこみました。けれど難しくて、参考に前作の『天狗ノオト』も読みました。その結果、太古の神の存在が作者の中心にあるのではないかと思いました。そのうえで、「先生」が龍の絵を描いて説明したときに語られたような、要石のように、太古の神を止めるために、石神があるのではないかと思いました。村を出た捨吉が八つ当たりをするようにいくつも石神を倒したから、自由になった太古の神が捨吉の中に入ったのではないかと。寛次郎にも山の中の神社に行ったとき、そこに閉ざされていた太古の神の誘いがあったのだと思います。捨吉が、仏ではなく、太古の神を思わせる異様な風貌の石神を彫ってしまったり、洞窟の壁を彫りたくなってしまったりするのは、捨吉の中にいる太古の神のせいだと考えました。ただ、そう考えていくと、p203の「石工の掘るのは、神でも仏でもない、こうありたい、こうなるといいという、ただその、ひとのこころでしかないのだ」とある、作者自身の謎ときにうまくつながらない気もします。捨吉が、村から連れ出そうとしてくれた先生から逃げ出し、さらに村に戻らなかったのはなぜか。それは、役人が切り殺された夜に連れ出されたことや、労働をしたことがない先生のぬるりとした手を触ったとき、全然違う別社会に連れ出されそうになると感じたからではないかと思いました。中央とつながりのある、けれど、社会の裏側にあるような世界を暗示しているようで。石工の親方の家で場面では、職人の生活を自由に書いていて、そこを主に会話で成り立たせている所など、池波正太郎の作品にあるような楽しさを感じました。

アカシア:序章の最後で、「はたしておれは、そちらに行かなくてよかったのだろうか」と寛次郎が思っているのですが、これは、捨吉のような天才になれなかったことへの後悔も少しあるっていうことなんでしょうか? 

:寛次郎は捨吉に嫉妬していたけど、石神による力だったと分かって、やっぱりこれでよかったのだと納得しているのではないでしょうか。 

アカシア:p217に登場する背の高い翁は石神なんですね。ここで、寛次郎は申吉を人間の世界に引き戻して、申吉も普通の人になるってこと? 私はおもしろく読んだのですが、序章にもその後にも道に迷う場面が出てきて紛らわしかったり、双助が村に侵入した賊に匕首で切られて負傷したとき、又五郎が村の差別に憤慨するが、具体的に何があったのか書かれていないので、読者はとまどうだろうとか、細かい表現に疑問を感じるようなところ(たとえば、p21の「体を丸めた龍は目を剥いて、頭の後ろをにらもうとしている」)はあって、まだまだ荒削りだなとは思ったのですが、これからきっとおもしろい作品が書ける人だろうな、という予感はありました。カットの絵もいいですね。 

さらら:『石の神』は、『石を抱くエイリアン』よりおもしろく読めました。それは、完成までにかかった時間と関係する部分もありそうです。受賞から8年かけて、単行本の形になるまで、編集者とがっぷり組んで、文章を練り上げていったはず。加筆しては削り、また加筆しては削り、形を変えて、そこからまた書き直して……と繰り返された時間は、「石を刻む」作業に似ている気がします。作者は、書きこむことで、少しずつ見えてきた「像」をさら彫りこんでいったのではないかしら。捨吉が住んでいた「荒れ地」――そこに歴史的な裏づけがあるのかどうかは、わかりません。史実としては疑問をさしはさむ余地はあったけれど、私は、歴史に場を借りた一種のファンタジー、ひとつの物語として読みました。「荒れ地」から放り出された捨吉が、石を彫る親方のもとに転がりこむ。そして寛次郎との友情を育んでいく。「友情物語」として紹介した書評もどこかで読んだけれど、単なる友情物語ではない。そうくくってしまっては、多くのものが抜け落ちます。寛次郎が石を彫るなかで、いつしか求めた素朴な祈りとしての神仏と、捨吉の表現した、闇の中に引っ張りこむ力としての神仏。石があって、人があって、神仏がいる。その三つが、それぞれ「存在」としてリアルに描かれている点に魅かれました。荒削りだけど、「もの」の手触りのあるところが、良さになっているんじゃないかな。 

夏子:もしかして非差別部落が成立するより前の時代なのかな? 被差別部落が成立する以前には、差別を受けているグループがもう少しぼんやりとした形で、あちこちに点在していたということはありませんか? そういうグループのひとつかな、と思って読んでいました。 

アンヌ:おじいさんは、首切り役人の手伝いをしていたとあります。ここが、被差別部落の出身を示唆しているのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)


リーコとオスカーともっと深い影

アンドレアス・シュタインヘーフェル『リーコとオスカーともっと深い影』
『リーコとオスカーともっと深い影』
原題:RICO, OSKAR UND DIE TIEFERSCHATTEN by Andreas Steinhoefel, 2008
アンドレアス・シュタインヘーフェル/作 森川弘子/訳 
岩波書店
2009.04

版元語録:特別支援学校に通うリーコは、誘拐犯に連れ去られた親友オスカーを救うため、ひとりで町に飛び出します……。ケストナー文学賞受賞作家の話題作!

ルパン:今回の3冊のなかでは、私はこれが一番よかったです。ただ……すごい冒険ですよね。障害のある子どもに一人称で語らせることにまず驚きました。ストーリー性があるので、最後までおもしろく読みました。ただ、最後まで今回のテーマである「石」が出てこないので、この本でよかったんだっけ?と気になっちゃいましたけど。あと、この、リーコのお母さん、いいですよね。

アンヌ:とても、おもしろい本でした。石の謎を知りたくて、続きの2つの巻『リーコとオスカーとつぶれそうな心臓たち』『リーコとオスカーと幸せなどろぼう石』も読みました。楽しくて、何度か読み返しました。オスカーは、リーコを上から見ている部分があったりして最初は嫌な奴だけれど、繊細な部分がわかってくる。知能が高すぎる子どもの立場の難しさもよく書いてあると思いました。本当はうまく文章が書けないリーコだけれど、作者はパソコンで日記を書かせることによって、文章訂正機能で訂正されることにしていて、うまいと思いました。子どもの心の中では、矛盾しないような情景がいくつかあって、例えば、この巻ではないけれど「石を育てる」ことができるということを、すんなり受け入れるところとか、立ち止まらずに、ストーリーがどんどん進んでいくところがよかったと思います。デーナーというファストフードが出てきて、トルコ料理のデーナーケバブ風の食べ物という註が付いていたので、トルコの移民の文化がドイツに根付いているのだなと感じました。 

ワトソン:障害のある子どもを主人公としているけれど、物語の流れとして無理なく読むことが出来ました。四角で囲ってあるところの説明がリーコ的な独特な表現で興味深かったです。翻訳の作品を久しぶりに読んだので、日本のものにはないおもしろさを改めて感じました。ぜひ、続きを読んでみたいです。 

レジーナ:「モグモグちゃん」等、リーコの独特の言葉づかいは本来、作品の大きな魅力になっているのでしょうが、日本語版からは伝わってきませんでした。p18で、リーコがマカロニをフィッツケに見せると、フィッツケが「落ちてきただけか?」と聞き、リーコは「だれが、ですか?」と聞き返すのですが、これはきっとリーコが、名詞の性を人だと勘違いしたのでしょうね。もう少し訳を工夫しないと、日本の読者にはわからないでしょう。p104の「衝立(パラヴェント)」を、リーコは「スペインふうの壁」と説明していますが、何のことかよくわかりませんでした。p122の「ミスター・ストリンガーはミス・マープルのいちばんの友だちなんだけど、太りすぎているだけじゃなくて、ミス・マープルの結婚相手にしては頭が悪すぎるんだ。でも、ミス・マープルにはそうなんだ。」や、p153で部屋が散らかっていることをビュールさんに謝られて、リーコが「かたづけが習慣になっているなら、ママと結婚することになった場合、大歓迎だからだ」と考える箇所は、前後の文脈がつながっていないように感じました。元の文章がそうなのか、翻訳の問題なのか……。リーコの目で捉えた世界を、翻訳にも生かしてほしかったのですが。周囲の大人が、リーコに対等に接しているところや、夜の仕事をしつつも愛情深くリーコを育てている母さんが、道に迷うリーコのために、家からまっすぐ歩いたところにある学校を見つけてくるところは、とても好感が持てました。リーコも愛情を受け止めながら育っているから、すぐに大人に頼るのではなく、自分で問題を解決しようとし、「友達になりたかったのではなく、事件を解決したくて近づいた」と告白したオスカーを、許すことができるのでしょう。3巻まで読み進める内に、私もリーコをそばで見守っている気持ちになり、最後の場面では、数々の冒険をくぐり抜けたリーコの、何てことはないけれど、でも確かな成長の一歩が感じられて、胸が熱くなりました。 

夏子:こういう子どもの一人称で書くのは、冒険ですよね。でもすぐれた作家だということは、よくわかります。完成度の高い優れた作品だと思う。主人公ふたりはもちろん、周りの大人も個性がくっきりとしていて、それぞれ魅力がありますよね。地面に落ちていたマカロニを、おじさんが食べちゃったのには、びっくり。ところが問題は翻訳で、私はまったく気に入りません。何も考えずに訳しているんじゃないかと疑ってしまうほど。リーコの一人称で書かれているわけだけど、いかにも知的障がいのある子どもの文章という風ではいけないと思う。だけどね、一方でこの設定に無理がない、と感じさせてくれないと話が成り立たないでしょ。ところが日本語は、努力した跡が見えません。小学生の男子が絶対に使わないような言葉のオンパレードじゃないですか! 少しだけ例をあげると、p177「足の速い小型車」とか、p178「あまり悪くはない男前」とか、どうしてこういう言葉が出てきちゃうの! 

レン:原語の形をそのまま素直に訳したのかしら。よいと思ったのは、大人も子どももいろんな登場人物が出てきて、リーコがその中で暮らしている感じがよく出ていること。だけど、私も文章に引っかかって苦労しました。冒頭のp5にある「日本の読者へ」から引っかかってしまいました。3行目の「でたらめの思いつきの産物」という言葉、子どもがピンとくるかなと。リーコが、「ときどき頭の中がビンゴマシーンの中みたいにゴチャゴチャになる」という表現も、大人にはパッとわかるおもしろい比喩だけれど、ビンゴマシーンを見たことがない子はイメージしにくそう。p135の「階段室は死にたえたように静かだった」とか、p142「いまいましい6階め」とか、「ン?」と思った表現はほかにもいろいろ。翻訳の問題ではなく、リーコだからこういう表現なのかしら。 

:これ、障がいを持っているという設定にする必要があるんでしょうかね。障がいと冒険の関係の焦点がぼけているし、翻訳もものすごく読みにくかった。つまらなくてわかりにくかった。素直にいいキャラクターだと思ったのは刑事さんだけで、アパートの住人にも魅力がなかったです。 

アカシア:私も、主人公が障がいを持っている設定にする必要があったのか、と疑問を持ちました。この長さで小学生に読ませるとなると、よほどおもしろく翻訳しないとまずいですよね。リーコには知的障がいがあって、オスカーの方は人並み外れて高い知能があるという設定の難しさはあります。でも、残念ながら翻訳や編集にもう一工夫必要ですね。おそらく原文はおもしろく書けていて構成もいいんでしょうけど、それが現状の日本語版では伝わってこない。 

夏子:障がいとプロットの絡みとしては、リーコが人の家に入りたがって、どんどん入っていくところでは? そういう子じゃないと、この話は成り立たないわけなので。 

アンヌ:四角で囲ってある註のような文章は、難しい言葉の説明なんですが、リーコが書いたことになっていて、巻末ではなく、そのまま文章の中に入っているんですよね。リーコのお母さんって、ロシア人でしたっけ。名前がターニャですけれど。 

レジーナ:ドイツ人にもターニャっていう名前がありますよ。

アカシア:このコラムみたいな部分も、本文との関係がぱっとわからないところがあって、もう一工夫したらよかったのにね。ドイツでは小学生が読んでいるのかもしれませんが、日本の小学生は最初の「みっけマカロニ」のところで「何これ?」とつまずくでしょう。かといってプロットが単純だから中学生は読まないでしょうし。難しいですね。タイトルも、「もっと深い」って何と比較して?と、思いました。

アンヌ:作者の「日本の読者へ」が巻頭にありますが、いきなりショーペンハウアーの引用文で始まって、たじろぎました。これは巻末でいいのでは。子どもの時、翻訳小説のわからないところは棚上げにして読んでいた気がします。今回も、読み返すときは、四角に入った註は、飛ばして読んでいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年9月の記録)


ローズの小さな図書館

『ローズの小さな図書館』
原題:PART OF ME by Kimberly Willis Holt, 2006
キンバリー・ウィルス・ホルト/作 谷口由美子/訳 
徳間書店
2013

版元語録: 1939年、パパが家を出ていき、ママは、私と弟と妹をつれて故郷ルイジアナに移ることに決めてしまった…。14歳のローズは、家族のために図書館バスのドライバーとして働きはじめる。でも、作家になる夢はずっと忘れなかった…。ローズの物語から始まり、息子、孫、ひ孫と、四人の十代の姿を生き生きと描く。本への愛がつなぐ、家族の五つの物語。

アカシア:ずいぶん前に読んだので思い出す部分と思い出さない部分があります。5部構成になっていて、4世代のそれぞれの物語をそのうちの4部をつかって書き、第5部で亡くなった登場人物以外の全員がそろうという構成がおもしろい。すべてのエピソードの舞台が図書館ではないけど、本や図書館にまつわる人を4世代にわたって描いています。アメリカの十代の普通の人たちがどんな暮らしをしていたのか、世代をまたがってたどれるところもおもしろかったです。わなにかかった犬の話など印象的なエピソードも登場します。おまけのおもしろさとしては、ホームレスの人が図書館でハリー・ポッターを読んでいるなんていうところ。平日の昼間、行き場のない人が図書館にいくのは、日本もアメリカも同じなのかと思いました。系図があるのでそれを見ながら読んでいけるのもいいですね。大傑作とは思いませんでしたが、佳作。気持ちのよい本でした。

ウグイス:4世代にわたる家族の物語で、最終章で79歳になった主人公ローズの現在が語られています。とてもつらい境遇にありながら、本が大好きで、移動図書館の運転手として本にかかわっていくローズ。どんな運命も受け入れていく主人公の芯の強さに共感を覚えました。最初の章の展開がおもしろく、この子がどうなっていくのかと期待が高まります。その後の章で、ローズの生き方や本に対する気持ちが、次の世代の家族にどう伝わっていくかが描かれています。2章以降は三人称で書かれているのでより客観的に物語が進み、描かれている期間もローズの章より短いので、ちょっと物足りなさも感じるのですが、読み進むにつれ、書かれていない部分にどんなことが起こったのかを想像する楽しみもあることに気づきました。例えば「アナベス」では3人の男性が出てきますが、次の「カイル」の章を読むと、アナベスの結婚相手は別の男性だとわかります。結局アナベスが選んだのはどんな人なのか、「カイル」を読んで知ることになるわけですが、その間の出来事は読者の想像にゆだねられているのです。人物描写は短いながら的確で、読者の想像をかき立てるので、十分に物語の中にひきこまれます。ローズの子ども、孫、曾孫の中には、ローズと同じように本が好きで図書館に通う者もいれば、本とは関係のない生活をする者もいるけれど、どこかで必ず本にかかわっていくところがおもしろい。どの章にも常にどこかにローズの存在があり、最後にローズの夢がかなうというのは、幸せな余韻が残る終わりかただと思いました。
 各世代の描写の中からは、それぞれの人生のほんの一部を垣間見ることしかできませんが、前の章からのつながりが随所に見られるので、読者は満足できます。そういった小さな描写が、その後の章への大切な伏線となって物語に深みを与えていると思います。たとえば、ローズは後に夫となるルーサーに出会ったとき、しわくちゃなシャツが気になるという描写があって、次の章では、ルーサーが「糊のきいたシャツのボタンをとめていた」という1文があり、結婚してローズがパリッとしたシャツを着せていることがわかるわけです。そういうのが、物語を読む楽しみのひとつだと思うし、読者を満足させてくれると思います。また、その時代にはやっていた小説や、図書館の様子にも時代性が見られ、「本」を通してアメリカの時代の移り変わりを感じることができます。日本でも翻訳されている書名が数多く、それを読む人々がより一層身近に感じられました。『大地』から『ハリー・ポッター』まで登場する本は他にないですよね。本や図書館をキーワードにして描いた家族の歴史というのは珍しく、本好きな人の心をくすぐる描写が数多く散りばめられています。図書館がなくてはならない存在であり、図書館員は本の好みを知り尽くした一生の良き友人として描かれているのもよかった。ローズが最初、ぜんぜん本を読まない人に『大地』を紹介して失敗するけれど、そのあともっと軽い本や料理のレシピ本などを手渡したら、その次に行った時には借りたい人を5人も連れて待っていてくれたところなんか、ぐっときました。
 原題、Part of Meはどう訳すか難しいところですが、「ローズの小さな図書館」とすると、ローズだけの物語にも思えるので、ちょっと内容と違うかなという気がしました。時の流れや家族の歴史というニュアンスがほしかったと思います。

ルパン:私もいいお話だと思いました。はじめにローズが出てきて、そのあと何世代にもわたる何十年分かのエピソードが出てくるんですけど、最後にまたローズの物語が出てくる、というのがすごくいいですね。ときどきちょっとわかりにくいところもありましたけど。たとえば、p16。「風車を回して、畑に水をやるのをやめた」という描写があるんですけど、これ、風車は回ったのか回らなかったのか、って悩んでしまいました。それから、ローズと図書館司書をやっていたアーマがずっと独身なのは切ないなと思いました。ローズの家系はつぎつぎに子どもが生まれてそれぞれの幸せをみつけていくのに、この人はずっと移動図書館のなかで人生を過ごしていくんですよね……。

シオデ:良い本だと思います。本でつながる4世代の物語というのも、本や図書館を愛する大人たちには文句なしに受け入れられるテーマですし、章ごとのエピソードも良く描けている。第1章と第2章は、特に良く書けていると思いました。ただ、私はひねくれているのかもしれませんが、おもしろくなかったし特に感動もしませんでした。発想から書き方に至るまで「いい本でしょ? 感動するでしょ?」と言っているような……。優等生的な感じがするんですよね。私は、登場人物が書いているうちに作者の手に負えなくなってしまうような、作者の思惑と違うところにたどりついてしまうような作品が好きなので、あまりおもしろみを感じなかったのかもしれません。書名がいろいろ出てきますけれど、その本が読んだ人の人生にどのように関わってきたかまでは書いていませんよね。その本を読んでいる読者は想像できるかもしれないけれど、本当は「本&図書館=素晴らしい」ということより、どうしてそうなのか、個々の本の力が読者の人生にどんな風に働きかけたのかを書いてもらいたかった。本好きの人にとっては、いまさらいうまでもない、当たり前のことなのかもしれないけれど。ちょっと引っかかったのはp176の「わけのわからないことをわめいているホームレスみたい」という1文。この子(アナベス)って嫌な子だなと、一瞬思ってしまいました。つぎの章にもホームレスの人たちのことが出てくるので、ホームレス(今は路上生活者っていうんじゃないかしら?)の人たちに対する感じ方が時代によって変わってきたと作者は言いたかったのかもしれないけれど、それだったらもう少していねいに書いてもよかったのでは? 原文がどうなっているかは分からないけれど、アナベスは路上生活者一般についてそう思っているのか、それとも特定の、たとえば自分の家の近くにいる誰かについてそう思っているのかもわかりませんでした。

夏子:アカシアさんと同じく、気持ちのいい本だと思いました。私は、表紙が気に入らないんです。この本は“時の流れ”が一つの大きなテーマとなっているのに、この表紙では、それがあまり感じられないのでは? 好意的に言うと、アメリカの移動図書館の車を、日本の読者に見せてあげる必要はあったのかもしれませんが……。本の内容は、最初のローズの章が何と言ってもいちばんおもしろかったです。「大草原の小さな家」シリーズのように、貧しく素朴な生活がリアルに描写されています。だけどこういうリアリズムのよさが発揮されるのは、貧しい時代の素朴な生活でないとだめなんだと思う。世代が代わってローズの孫のアナベスのあたりで、時代は近代ではなくなり現代になりますよね。現代になると、こういうリアリズムで生活を描いても、読者が共通項を持てないというか、共感しにくくなるんだと思う。アナベスの章は、主人公の心理描写になっているし、カイルの章になると、ハリーポッターの本が消えるというミステリーを持ってこないと、ストーリーにならなくなってくる。ええっと、村上龍の言葉を借りると、貧しさゆえの「悲しみ」に共感するのが近代で、個人がばらばらとなったがゆえの「寂しさ」に共感するのが現代とのこと。おおざっぱな言い方ですけれど、悲しみから寂しさへという近代から現代への変化が、1冊のなかで感じられて興味深かったです。
 最後にローズが登場することで円環が成立します。児童文学の中には、ものを書きたい女の子がたくさん登場しますよね。この本では、そういう女の子が年をとり、おばあちゃんになってから本を書くわけです。それをひ孫が読むというふうに時間が一巡りするところも、おもしろかったな。

ajian:好きな本でした。短いエピソードを重ねていくので読みやすかった。わなのところ、漁師のおじいちゃんのコネが運転免許場できいたはなしなど、一つ一つのエピソードが印象的です。こういう構成で書けるなんて巧い。いろいろな書名が挙がっていて、ローズがパール・バックの『大地』を貸して失敗したジュリアに次に『春は永遠』を貸して、とても気にいってもらます。『春は永遠』が読みたくなったけど残念ながら未訳でした。アメリカで有名な本がいろいろ挙がっていて、他の本も見てみたい気持ちになりました。アナベスが結婚したのは第3部には出てこない日系の人なんですが、それってだれ?と思いました。

夏子:日系の方の苗字は「コアミ」ですよね。「小網」さんっていうのかな?

シオデ:作者が知っている日系人の名前かもしれませんね。

ajian:だんだん現代的になっていくのもおもしろい。ベトナム戦争の話や、チャットルームに入り浸る子も、おもしろかった。

ルパン:未訳といえば、私も、『シンデレラの姉』を読んでいてお母さんが夕飯を作るのを忘れる、というシーンがあったので、その本を読んでみたいと思ったんですけど、これも日本では未訳でした。

:ちょっとお行儀がよすぎるかな。本好きに向けて「よくできた本でしょう」と主張しているみたい。本がたくさん出てきて、辛いときには『大地』、読書への目覚めには「ハリー・ポッター」などメンタルと本がリンクしてる。ブック・ピープル向けの工夫や間テキスト性がたっぷりでした。だから、ちょっと作りこみすぎかなと思いましたが、一応はおもしろかったです。ルイジアナだし貧しいし、最初は黒人の話かと思いましたが、白人ですね。クレオール的な言葉やアクセントは土地のもののようなので、翻訳で工夫されていますが、原文が見たいなと思いました。

ヤマネ:夏子先生が先ほど見せて下さった原書のように、時の流れを感じさせる表紙だったら手に取ったかもしれませんが、日本語版の表紙ではあまり手に取りたいと思いませんでした。また『ローズの小さな図書館』というタイトルから、もっと図書館の話を中心に描かれるのかと期待していましたが、実際は違いました。でも、4世代にわたる家族を書いている構成はとてもおもしろいと思いました。最初のページに載っている地図や家系図が読む手助けになりました。本の中で紹介されている名作とお話のつながりを感じられて心に残った場面は、マールヘンリーの章で『黄色い老犬』という本を読む場面。犬が助からないというパターンに陥ってなくて良かったとホッとしました。全体的にはあまり感動できなかったけれど、良い本だと思いました。

げた:私も、タイトルと表紙の絵を見て、もっと図書館を中心にした話なのかと思ったんですが、違いました。アメリカ南部の1940年前後からの子どもたちの様子を描いているんですね。先程リアリズムで素朴な生活が描かれているという意見が出ましたが、第2部の「わな」の描写などは、たしかに南部の生活を感じさせるリアリティがありますね。ただ、それぞれ章が短いので、これから、という感じのところで終わっていて、ちょっと印象が薄くなり、残念です。私ごとで恐縮ですが、ローズは自分の母と同い年で、母の人生とつい重ねてしまいました。

夏子:大人向けのこういう本『チボー家の人々』とか『ジャン・クリストフ』とかは、何て言うんだっけ? 「大河小説」でいいんですか? たいていもっと分量が多くて、何冊にもなっていますよね。これは短いエピソードをつないで1冊になっているので、読みやすくて助かる(?)というか、子ども向けなんだわね。でもこれほど短くても、後半になればなるほど、家系図を見ないと誰が誰だかわからなくなりますよね。

プルメリア:表紙の女の子は落ち着いていて14歳には見えないかな。裏表紙の、のどかな感じが気に入りました。各章ごとの内容が違っていますが、年号が書かれているので時間が経ったんだなと思うとすんなり内容には入れたような気がしました。ローズがミンクを溺れさせる場面など、当時の生活様式がわかり興味深く読めました。物語の舞台になっているアメリカの地図や家系図、作品に出てくる書名のリストがあるのは作品をさらに読みやすくしてくれました。図書館が作品の中にいろんな形で出てきたのがとてもよかったです。

レタマ:最初のローズの物語が一番印象的でした。17歳だとごまかして免許を取るときに、苦手なおじいさんが口ぞえしてくれるエピソード、移動図書館で人びとに本を手渡していく話など、とてもおもしろくて、そこだけをもっと深めてくれてもよかったのにと思いました。章ごとに世代が順々に変わっていく構成は、本を読み慣れている読者でないと読みにくいかな。1930年代と言ったら、日本の人たちはどんなふうに本を手にしていたのでしょうね。アメリカは図書館サービスが古くから発達していたのだなあと思いました。

シオデ:ルイジアナの言葉が出てきたり、それぞれの時代のベストセラーや背景にある事柄が出てきたりするので、アメリカの読者は自分の国の歴史や時の流れ、自分たちの家族について、日本の読者とはちがう感動をおぼえるのかもしれませんね。

ウグイス:地方色というのも一つの特徴なんでしょうね。ルイジアナといえば、アメリカ人なら誰でも知っているような雰囲気があるのだろうと思います。翻訳になるとそこがちょっと伝わりにくいというマイナスポイントはあるかも。以前、作者のホームページだったか、この本の紹介ページのBGMとして明るく賑やかなバンジョーの音色が流れていたんですね。たしかに日本語版のイメージとはちょっと違うかもしれません。

夏子:ルイジアナの地名は、確かブルボン王朝のルイ王から来ているんですよね。スペインやフランスのラテン文化が入っていて、独特な地域ですよね。

シオデ:ルイジアナの言葉の訳は難しかったでしょうね。促音の「ッ」が使われているところなど、音読するときはどんな風に読むのかな? 日本のどこかの地方の言葉を使う場合と、木下順二さんのように創作方言にする場合があるけれど、わたしは創作方言にするしかないと思っています。

夏子:すべて標準語に統一する翻訳者の方もいるけれど、それも味気ないですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)


ゼバスチアンからの電話[新版]

『ゼバスチアンからの電話[新版]』
原題:EIN ANRUF VON SEBASTIAN by Irina Korschunow 1981
イリーナ・コルシュノフ/著 石川素子+吉原高志/訳 
白水社
2014

版元語録:夫やボーイフレンドの意向ばかり気にする43歳の母シャルロッテと17歳の娘ザビーネ。ある日、母が夫に相談せずに車の免許をとる決断をすることから、それぞれのあり方が変化していく。

レタマ:大昔に読んだけど、内容をすっかり忘れてしまい読み直しました。ザビーネの両親の姿が私の両親とあまりにも似ていて、読んでいると息苦しくなるぐらい。何気ない日常の中でのザビーネの気持ちの動きがこまやかに描かれているところがよかったです。最後に家族全員に変化があるけれど、そこに行き着くまでが長いので、山あり谷ありのストーリーに慣れている子どもには、起伏がなくて読みづらいのかも。前はYAの作りだったのが、今回大人の本として再刊されたのはどうしてでしょう。中高校生では読みこなせなくなったから?

げた:福武書店の版で読みました。ドイツでも、すごく(価値観が)古いんだなとびっくりしました。もっとも、原書は1981年の本で30年以上前のドイツのことだから、今はどうだかはわかりませんけどね。ゼバスチアンのお母さんが、ザビーネにゼバスチアンの世話を頼もうと旅行に誘い出すあたりなどは、ちょっと怖いものすら感じましたよ。ただ、最近の若い子たちは束縛されたがっているところもあって、このザビーネのように自分の生き方を貫いていく強さがあるといいなとも思いました。

アカシア:今の若い人たちが束縛されたがっているとは思わないけど、専業主婦が楽だと思っている人はいるかもしれません。楽なほうに行きたいというか。

げた:結果としては同じになってしまうんですよ。だから、若い子たちに読んでもらいたいと思いました。それから、ゼバスチアンっていうキャラクターなんだけど、こういう男っているんですよね。若い女の子にモテて、嫌味なやつが。私はどちらかというとアンドレアスタイプだったんですけどね。

アカシア:白水社版は、せっかく新版にしたのに誤植が多いですね。内容はすっかり忘れていたのでもう1度読みましたが、あまりおもしろくなかった。いかにも古い。ザビーネの恋愛の対象がゼバスチアンかアンドレアスかという2択だけど、今はもっとたくさんのタイプがいるのに。両親の人物造形も類型的。ユーモアがないのもまずい。クソまじめでおもしろくない。トルコ人が出てくるところの書き方にも引っかかりました。今の若い学生が読みたがるとは思えません。作家に言いたいメッセージがあって書いているところが、ちょっと鼻についたりもします。だから楽しくないのかも。

ウグイス:最寄りの図書館には新版は1冊もありませんでした。予算がないからか、旧版が入っている場合には買わないことが多いみたい。訳者やタイトルが変わると買うけれど。原書が出たのが1981年、福武で出たのが1990年。恋愛というより母親からの自立の物語として印象に残る作品で、ヤングアダルトというジャンルが形成された8、90年代には、親からの精神的な自立というのは一つの重要なテーマだったと思います。この黒い装丁も当時はおしゃれで、中学生、高校生ぐらいによく読まれたのだと思いますね。今になってどうして新訳されたのかはわかりませんが……。ザビーネの一人称で書かれていて、時系列どおりに話が進まず、回想シーンが入ったり、気持ちのゆれに合わせて場面が転換していくあたりも、当時は新鮮だったのではないかと思います。

シオデ:たしかに作者の言いたいことが前面に出ていて、今の若い人たちには古いと思われるかもしれないけれど、私はおもしろく読みました。大人の読者には、共感できる部分も多いのではないでしょうか? だから、いま大人向けに出したというのも分かる気がします。新版なのに誤植が多いのは、私も気になりました。

アカシア:あとザビーネがとてもいやなキャラクターよね。

シオデ:弟をのぞいては、みんな、それほど好感を持てるキャラクターじゃないわね。それが、けっこうリアルだと思ったけど……。

アカシア:キャラクターが立体的でないのは、やっぱりイデオロギーが先にあるからじゃないかしら。

夏子:まあ、それなりにおもしろく読みました。ただ最初からずっと、気に入らない気に入らないとひっかかりながら読んでいて、何にひっかかるのだろうと、考えていたんです。結局、イデオロギーが先行しているからだと思い当たりました。ザビーネの母親からの自立と、母親本人の自立、それが平行して描かれているところが、いちばん興味深かったです。とはいえ今読むと古くて、子どもが読んでおもしろいとは思えないなぁ。ティーンエイジャーの恋愛が描かれていて、セックスにひかれているということだってあるはずなのに、そのあたりはまったく無視していますよね。読んでいて「そんなもんじゃないだろう!」と不満でした。

ajian:イデオロギーはたしかに先に立っているし古いところもあるけれど、2歳年下の同僚は、「すごく分かるところがある」と言ってました。ゼバスチアンはいやなキャラクターですが、こういうやつは今もいるので、アクチュアルな感じもこの本は持っていると思います。さっさとそういう男から卒業して幸せになってもらいたいと若い女の子には思っているけど。

夏子:だけどね、ゼバスチアンからすると、「あなたのためになります」という女の子に迫られたら、まるでお母さんがふたりできるみたいで、すごくうっとうしいと思うよ。ゼバスチアンが逃げたくなる気持ちも、よくわかる。

ajian:ぼくやげたさんは男性なのでゼバスチアンに辛口なんだと思う。

夏子:そんなにいやなやつじゃないと思うけどな。

ajian:デートDVとかしそうじゃないですか。

アカシア、レタマ:そういうタイプじゃないよ。

アカシア:サビーネみたいな、お世話します系はどうですか?

レタマ:でも、ザビーネが、相手に合わせようとしてしまって後で悔やんだり、勇気のない自分をお母さんと同じだと思ったりするところは、おもしろかったです。恋人の前で、自分が思っていたことと違うことを言ってしまったりするあたり。

夏子:そうそう、そのあたりはよく書かれている。

:おもしろかった。のめりこんで読みました。ザビーネは、ピルの心配など大人びているところもありますが、その大人っぽさゆえに、免許を取って仕事を得て家計を支えはじめるお母さんの姿や、得意科目以外は勉強しないベアティの男の子っぽさをとてもよく見ています。で、このお母さんは、一昔前っぽいけれど、案外今でもいそう。だから、高卒で就職か大学進学かという悩みは現在とはちょっと違うけれど、古さはほとんど感じなかったです。ゼバスチアンはいやなやつですね。でも、彼はあまり関係ない。最後に、自分から電話をかけるザビーネは、ゼバスチアンかアンドレアスに選ばれるという2択ではなく、自分自身で決めるという第3の選択ができている。立派な成長です。

アカシア:古いと思うのは訳し方のせいもあるのかも。こういうお母さんもゼバスチアンみたいな人もまだいることはいるけど、「〜わ」で終わる口調などはいかにも古い。

レタマ:一つ思い出したことですが、この頃の「電話」のドキドキする感じが、今の人にはわかりにくいかもしれませんね。当時は携帯電話もメールもなく、長距離電話にはお金がかかって、顔を合わせていない時間は連絡がとりにくかったし、電話の会話は家族に筒抜けでしたが、今はぜんぜん違うので。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)


カレンダー

『カレンダー』
ひこ・田中/作 
福音館書店
2014

版元語録:13歳の女の子翼が見つめる現在、過去、未来。老若男女、生者も死者も入り交じり、ひととひととのつながりの不思議さ、おもしろさが、みずみずしい筆致で描き出される。

レタマ:同じように家族を扱っていても『ゼバスチアンからの電話』と非常に対照的でした。あちらの両親は古きよき家庭にありがちなキャラクターですが、こちらは型にはまらない人々が次々と出てくる。日本の児童文学は大人の存在感が希薄なものが多いのですが、これは大人がたくさん描かれていて新鮮でした。しかも、若い登場人物だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも、読み進むにつれて変化します。料理やレッサーパンダやダーツなど小道具づかいに、人びとのさまざまな価値観が感じられました。20年前に書かれているのに、古い感じがせず自由で、かえって今の若い書き手のほうが保守的な価値観にとらわれている感じしました。ひこ・田中さんには、こういうYAをもっと書いてほしいと思いました。

ヤマネ:ひこ・田中さんは評論家の印象が強くて、作品は初めて読んだんですが、とてもおもしろかった。内容も新しい感じがする。福音館書店から発売されたのは今年2014年で、もともとは1997年に書かれている本ですが、全く古さを感じなかった。福音館書店版は表記の仕方や本のつくりが新しい感じで実験的な部分がいろいろあると感じました。たとえばp139の家の中の座席の表現など縦書きの文章のなかにいきなり図版が入ってきて驚きました。他ではバナナシェイクの文字だけ太字になっていたり。最初に装丁を見た時は斬新だと思いましたが、お話の内容を読んだら合ってますね。対象年齢になっている小学6年生はどういう感じで手に取るのでしょう。もしかしたら対象はもう少し上の中高生あたりかも。日記や手紙などの入れ方も上手だと思いました。

げた:昔文庫で読みました。文庫版のあとがきで作者自身が冒頭シーンが相当いい加減と言っているんだけど、全体に筋の設定が何となく無理やりな感じがしますね。それに、人物像もはっきりしないですよね。林君との初恋も、彼女が彼のどこにどういうふうに惹かれたのか、わかりません。筋的には突拍子もないところから始まって、おもしろい展開ではあるんですけどね。ちょうど40年前に京都に1年いたので、その頃のことを思い出しながら読みました。

プルメリア:独特の雰囲気を持つ女の子の挿絵と背表紙や表紙の一部分がキラキラしているのが印象的です。手紙があったり日記があったり、未来の自分への手紙があったり、会話文が長く挿入されていたりなどさまざまな構成が組み入れられている作品だなと思いました。ダーツは家庭にあったりダーツバーがあったりしますが、中学校の部活でやるのは難しいかも。方言、お寺、地名から京都が身近に感じられました。

アカシア:いろいろなキャラクターが浮かび上がるように書いてあります。谷口極などのキャラクターは、書かれた当時よりも今の方がリアリティがあるかも。ふつうこういうYAは同世代のやり取りしか書いてないけど、さまざまな大人との対話が書かれているところがいいですね。リアルな家族というよりは、理想が書かれている。イデオロギーが先にあるというふうに言えなくもないのだけど、『ゼバスチアンからの電話』などとちがって翻訳物じゃないので、日本語の魅力で引っ張っていくことができる。内面を書くとき、ふつうは会話や行動で書くものですが、日記や会話を使うのはちょっとずるいかな(笑)。読んだときはそれほど気にならなくて、仕掛けとしておもしろく感じたんですけどね。

ウグイス:冒頭で、主人公が赤ん坊の時に両親を交通事故で亡くしたと書いてあり、ああ作者は親のいない話を書きたかったんだな、とわかりました。両親ではない大人との関係を書いて成功していると思います。いろいろな人がいて、いろいろな価値観があるというのが分かり始める年代の子どもの気持ちがよく書かれていますよね。大人顔負けの考え方をする、ちょっとひねくれてはいるけれど、明るく前向きで、へこたれない女の子像というのは、90年代の特徴かもしれません。

ルパン:私はこの本は楽しめませんでした。吐く場面から始まるし、せっかく声かけた女の子に「なんか文句あんの?」っていう大人が出てきた時点でもう…。しかもこの人たちを家に入れちゃって、ずっと物語が続いていくんだけど、ぜんぜん共感できないから、このあとどうなるんだろう、っていうワクワク感もなくて。

シオデ:私も、冒頭から吐いたり、下痢をしたりする場面に生理的な嫌悪感をおぼえたのと、京都弁が多用されるのが字にすると騒がしくて、途中で読むのをやめてしまいましたが、何日かたって続きを読んだら、今度は一気に読めました。世代も環境も違う人たちと触れあいながら成長していくのは、理想というよりむしろリアルなんじゃないかな。そういうリアルな触れあいを書いたところが新鮮で、なかなかいいなと思いました。でも、新版の最後にある現代の部分は、いまの読者に読んでもらいたいという配慮なんでしょうが、本当に必要なんでしょうか? それから、おばあちゃんは、とっても魅力的なんだけど、最後にサークルを作って雑誌を発行するというのは、つまらないところに着地したなと・・・。

アカシア:そこは、あるあるなんじゃないですか? わざとそうしてるのかも。

シオデ:いるけど、だからがっかりしたというか。

ajian:台詞や文体でひっぱるおもしろさや、それぞれの日記や手紙で内面がぽんと出てきたりするおもしろさがあって、ぐいぐい読めました。コンセプトが先にあっても、けして類型的なキャラクターはなくて、主人公の女の子も不思議な魅力があり、ひょうひょうとしています。私はガッツがある子が好きなので、吐いている人にけりを入れてやろうかというあたりに、いいぞと思いました。かといって短気というわけでもなく、魅力的。なかなかおもしろかったです。最後の章はなくてもいいかな。

:『お引っ越し』『カレンダー』『ごめん』も読んだし、映画も見ましたけど、やっぱり、ひこさんは評論や書評がいいのでは。舞台にしている京都については、生活的な部分があいまいで、ひこさんが大学時代に過ごして知っている部分だけが突出しているようで、気持ちが悪い。日記とか『ヴォイス』など、書くという行為も、結局、ひこさんが知っている世界なだけですよね。その上で、登場人物にひこさんの理想を投影しているだけ。リアリティがあまり感じられない。

シオデ:俗にいう京都のいやらしさもよく出ているんじゃないですか。主人公が、修学旅行の生徒のふりをするところとか。

ajian:個人的には、この本を読んで京都に対する好感も上がりました。

シオデ:私は、京都でずっと暮らしていた上野遼さんの作品がとても好きなんだけど、上野さんの作品は、またちょっと違いますよね。この作品に出てくる人たちって、おじいちゃんは元大学教授だし、翼の両親と転がりこんでくるふたりは、関西の名門大学の卒業生だし、いわゆるインテリ(今は死語かも)ばかりってところがちょっと鼻につく……。

アカシア:慧さんがリアリティがないとおっしゃったのは……。

:海と極に両親の服を着せるところは、つくりものめいている。

アカシア:服はそうかもしれないけど、海と極みたいな人はいるのでは?

:あと、この生活の余裕感は今はないですね。ちょっとアルバイトしたりとか……。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)


ロス、きみを送る旅

『ロス、きみを送る旅』
原題:OSTRICH BOYS by Keith Gray, 2008
キース・グレイ/作 野沢佳織/訳 
徳間書店
2012

版元語録:15歳の少年ブレイク、シム、ケニーは、親友ロスの死がショックだった。形ばかりの葬式に、ささやかれる自殺説。「あいつのことをわかっているのはぼくらだけだ」三人は遺灰を抱え、ロスが行かれなかった町をめざす。それが本当の葬式になると信じて。ところが…? イギリス気鋭の作家が少年たちの繊細な友情を鮮やかに描く。カーネギー賞最終候補作。

トトキ:キース・グレイの作品を読んだのは、これが初めでですが、とてもおもしろかったです。友だちの遺灰を盗んで、その少年の行きたかった場所に撒きに行くというストーリーですが、主人公ひとりで旅に出る設定にすると、なんとも暗くてやりきれない物語になったのではと思います。ズッコケ3人組みたいな、それぞれ個性の違った少年たちが旅をすることで、ユーモアもあれば奥行きもある話になっていると思いました。翻訳が上手なので、人物がそれぞれくっきりと描かれていますね。読みはじめたときは、「ったく、男の子って!」と思いましたが、亡くなった少年が果たして事故死だったのかどうかという疑問が出てきて、それぞれの少年に対する後ろめたさが描かれていく中盤から、男の子も女の子もない、普遍的な物語になっていきます。そのへんも上手いなあと思いました。ただ、死んだロスという少年は、「いじめ」のように何か強い理由があって死にたくなったというより、いろいろなことが重なって死に魅かれていったような感じがします。だから、事故だったのか、自殺だったのかは、なんとなくぼんやりしていて、はっきりと書いてないですね。そこのところが、かえって妙にリアルな感じがしました。作者のあとがきを読むと、その点がはっきりしてくるんだけど、創作ものは作品のなかで完結してほしいという気持ちが、ちょっとしました。作者が自分の作品を解説するのって、あんまり好きじゃないです。

レジーナ:登場人物がくっきりしていて、ひとつひとつの場面が印象的で、とてもおもしろく読みました。自分の体形を時々皮肉り、場に合わせて人とうまくやっていける主人公は、3人の中では一番大人ですね。旅と友情がテーマになっていたので、『シフト』(ジェニファー・ブラッドベリ著 小梨直訳 福音館書店)を思い出しました。p283に、「今までは、自分たちがどんな目にあうかということだけ心配していて、ほかの人をどれだけ傷つけるかという点は、あえて考えないようにしていたのだ」という文章があり、自分の行動が周りの人にどれだけ影響を与えるかを考えることができ、他者性をきちんと持っているのが、『シフト』のウィンとは違いますね。大切な人を亡くしたとき、周りの人たちの言うことが見当違いに思えたり、自分だけが、その人を真に理解していたのだと思ったりするのは、よくありますよね。「周りは分かっていない」という気持ちが、「大人は分かっていない」となるのは、この作品の主人公が15歳だからでしょうね。旅を経て、鉄壁だと思っていた友情も変わり始めます。「ロス」という名前には、「失われたもの」や「二度と戻らない子ども時代」の意味が、こめられているのでしょうか。「果たして自分が何を求めているのか、はっきり分かっているわけではないが、旅を通じて失われたものを取り戻そうとする」というのが、作品の骨組みにあるのでは……。翻訳も読みやすかったです。p40の「窓にハマらないで出てこられる?」は、「窓につかえずに」「引っかからずに」でしょうか。少し不自然に感じました。

ヤマネ:3人組の男の子がいて、一人亡くなって、お葬式が納得いくようなものでなくて、自分たちだけがロスのことをわかっている、まわりはわかっていないという思いから、骨壺をもって、亡くなった友達と同じ名前の「ロス」という場所をめざすというストーリーの根幹がおもしろかった。最後まで止まることなく読めました。なんとなく感じることなのだけれど、男の子のほうが、女の子よりも表面的に友達を見ているところがあるかもしれないと思います。自分は友達の深いところまで見ていないということを、男の子のほうがあとになって気づくのかなあと、このお話を読みながら感じました。旅を通して、友達の深い部分に気づいていったり、自分自身も嘘をついているということに気づいていくところがおもしろかった。ロスのため、と言いながら、それぞれがロスに後ろめたいことがあってその気持ちからロスの灰を運ぶという行動に向かったことを、自分自身も最初は気がついていない。最後に気がつくところが心に残りました。男の子(少年)同士の精神的なところでの友情の亀裂を描いた作品を、これまであまり読んだことがなかったんです。日本の『夏の庭』(湯本香樹美著 新潮文庫)と少し設定が似ていると思いましたが、こちらで描かれている友情はもっとさわやかで読後感がすがすがしい。今回、男の子同士のぐちゃぐちゃした気持ちの揺れやぶつかり合いが新鮮でした。

さらら:ロードムービーを見ているようでした。最初、主人公がロスの家に骨壺を盗りにいく時、姉のキャロラインの存在が気になっていて、ためらっているけれど、結局、彼女の目の前で持ち出してしまう。ぬけぬけと馬鹿な行為を始めてしまうところに、思春期の少年らしさを感じました。道中、お金を落として、主人公たち3人組がにっちもさっちもいかなくなるあたりは、まさに定番の流れですね。その後、親切な青年たちの出会い、いきあたりばったりのバンジージャンプと、盛りだくさんの出来事のなかで、仲間同士のわだかまりが少しずつ明らかになっていく。死んだ友達のことを、どう受け止めたらいいのかわからない、というのは永遠のテーマで、その死に対して周囲の人間が罪悪感を抱くのも自然なことなのだけれど、それをどう描くか。キース・グレイは、書きながら自分でもロスの死に立ち会い、泥まみれになって、結末までなんとかたどりついたのではないでしょうか。答えが最初からあるのとは違う、体当たりの書き方が、ティーンエージャーの共感を呼ぶのでしょう。個人的には、もう少し思考を深めたところから書かれた作品が好きですが、これはこれでありだと思います。

レジーナ:ロザムンド・ピルチャーの短編で、上の方の階級の女性が亡くなったとき、火葬にすると死亡広告にわざわざ書いてある場面がありましたね。骨壷の出てくる話では、『ヴァイオレットがぼくに残してくれたもの』(ジェニー・ヴァレンタイン著 冨永星訳 小学館)もあります。

さらら:骨壷という「物」があることで、死を具体的に感じられる。死というものの分からなさを、なまのまま、ぶつけることができる。死体を運ぶのは大変だけれど、自分たちのやり方で骨壷を盗んで弔おうとする行動なら、実現可能だし、若い読者にも想像しやすいのでは?

トトキ:もしかして、上流階級の人たちは今でも土葬だけど、庶民は火葬になったのかも。

ハリネズミ:東京は今は土葬はできなくなってますよね。広い場所が必要だからかもしれないけど。でも地方にはまだ土葬できるところがあるようですね。

すあま:読み終わったばかりなので、まだ感想がまとまっていませんが…。身近な人が亡くなって、残された人がいろいろと考えたり、つらさや悲しさを乗り越えていく物語は他にもあるけど、事故だと思ったら自殺だった、という展開がめずらしいと思いました。これを読んで思い出すのは、『だれが君を殺したのか』(イリーナ・コルシュノウ作 上田真而子訳 岩波書店)。両方を読み比べしたらおもしろいかもしれません。ラストは、少し物足りない感じでした。最後にあえて3人をばらばらにし、そのうち一人はそのまま出てこないで終わってしまう。余韻を残して途中で終わるので、ラストの良し悪しの感想が人によって違うのではないかと思いました。家を飛び出してお金がなくなり、でもそのまま旅を続ける、というひと夏の思い出のような楽しい話ではなく、主人公たちが友人の死という大きな問題と謎を抱えているのが、似たような物語とは大きく違うところだと思います。旅でそのつらさが癒されるわけでもなく、何度も思い出してしまう。日本は、自殺する人が多いし、もし自分の身近な人だったら、何かできたのではないかなどと自分を責めたりすると思う。この物語は残された人たちの心情がよく描かれているのではないかと思います。結局ロスは自殺だったのか?と思いながらあとがきを読むと、作者自身が死のうと思った経験があることが書かれていて、やはり自殺なのか、と思いました。

ハリネズミ:徳間書店は、日本の読者へのメッセージを著者にたのんでいるようですね。

すあま:この本は、感想文を書いたり、ディスカッションをするための課題図書に向いているかもしれない。いろいろなテーマを取り出すことができるので。

げた:タイトルを見て、「きみを送るって」なんだろうかと思って手に取りました。男の子3人組がハラハラドキドキしながら、読者を連れて「ロス」まで行くんですよね。3人の関係性が、いろんな行動の中で、明らかになっていくんですね。ロスまでの道のりが遠くて、どんどん曲がり道に行っちゃうし、最後までハラハラさせてくれました。結局ロスが自殺だったかどうかはわからないのだけど、最後の部分で修理したパソコンのデータからロスの遺書かもしれない書き込みが出てきたんですね。本当に自殺したのかは、よくわからないですけどね。作者のあとがきはなくてもよかったんじゃないかな。言わなくてもわかってますよ、と言いたくなりましたね。

さらら:父親が、自分の夢をロスに押し付けていたことも明らかになります。ロスが、父親の書きためていた原稿のデータを消してしまったということも。あとがきの件は、確かにげたさんの言うとおり!

げた:ストーリーを追うだけでもおもしろかったです。主人公たちは中3か高1ですかね、日本の同年代の子たちに比べると行動力があるような気もしますね。

ハリネズミ:私は骨壺を盗んでいくっていうところに引っかかりました。死者を忌む感覚っていうか、そういうものがないんでしょうか? 日本の子はこういうことはしないと思うけど。ロスについては具体的にどういう人物だったのかが、あんまり書いてないので、この子たちが骨壺を盗んでまで旅に出ていくだけの背景がよくわからなかったのですが、読んでいくうちにわかってきますね。じつは後ろめたさがあったということなんですね。

さらら:だれかが死ぬと、周囲の人間はその理由付けどうしてもしたくなります。亡くなった本人にも実際にはわからない理由であっても、理由を付けることで、周囲はその死が自分の心におさまる場所を作り、「そうだったのか」と自分を納得させます。ロスの死も、単純に誰かが、何かが悪かったのではないわけで、そのわからなさを抱えて生きていくことが、大人になっていくことなのかもしれません。読者をここまでひっぱってきて、解決のあるようないような結末には、やや物足りなさを覚えますが、現実の感覚にできるだけ忠実に書かれた作品なのでしょう。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年6月の記録)


あたしって、しあわせ!

『あたしって、しあわせ!』
原題:MIT LYCKLIGA LIV by Rose Lagelcrantz
ローセ・ラーゲルクランツ/作 エヴァ・エリクソン/絵 菱木晃子/訳 
岩波書店
2012

版元語録:友だちができなかったらどうしよう――不安でいっぱいの新1年生ドゥンネは、エッラ・フリーダと仲よしになってから、何をするにも毎日いっしょ。ところが、とつぜんの引っこしで2人はバラバラに。泣いてばかりのドゥンネが、もう一度元気をとりもどすまでを、けなげに語ります。スウェーデンの名コンビによる絵物語。

げた:この本の主人公ドゥンネは決して恵まれた境遇にいるわけじゃないですよね。お母さんは「遠くへ行っちゃてる」しね。けれど、とっても前向きなんですよね。1日の終わりに、ひつじの数を数える代わりに、幸せだったことを思い出すなんて素敵だな。絵がいい。絵を見てるだけで、十分楽しめますよね。

ハリネズミ:いっぱい入っている絵から、雰囲気が伝わってきますね。

げた:とっても、気に入った本の1冊です。読後感がいいです。自分も幸せな気持ちになれるような気がします。

すあま:北欧の作家ってうまいな、と思いました。訳者の菱木さんがよく訳しているウルフ・スタルクの作品を思い出しました。中学年くらいの子ども向けでしょうか。

ハリネズミ:主人公のドゥンネは1年生ですね。ちょうどこの頃の子どもの気持ちがほんとにじょうずに書けています。

すあま:大事なことを年齢の低い子どもにもわかるような形で上手に書いている。悲しいこともあるけれど、楽しいこともいっぱいあって、その時その時の主人公の気持ちがていねいに書かれてるので、そこに寄り添って読んでいくことができました。時代や国に関係なく、だれにでもあるようなことを書いているので、読みやすいのでは。最後も幸せな気持ちで終わるので、とてもいいお話でした。

ヤマネ:淡々としたことばで進んでいくけれど、すごく打たれる箇所があって、ああやっぱり児童書っていいなあと心から感動しました。仕事でもお薦めの本にしました。年齢設定はちょっと難しくて、出版社HPでは小学1、2年生からとあるけど、小学2年生の後半から3、4年生ぐらいがこのお話を理解するのにふさわしいかな。はじめは主人公の女の子の幸せなエピソードが続いていきますが、p52ぐらいから、ママが亡くなった時の話が出てきたり、クラスメートの永久歯を折ってしまって悩んだり、子どもの悲しみや辛さがうまく描かれている。自分が子どもだった時に感じていた気持ちをたくさん思い出しました。一番ぐっときたのは、親友のエダフリータが転校してしまった後に、転んだ場面で、転んだことが悲しいのではなくて・・・というところ。

レジーナ:作者は、子どものときに感じたことや不思議に思ったことを、よく覚えているのでしょうね。入学したばかりの頃、せっかく楽しみにしていた宿題がなくて、がっかりしたり、仲良しの友達と物の取り合いでけんかをしたり、入れ歯を見てびっくりしたり…。私も子どものときに、同じように感じたのを思い出しました。エッラ・フリーダが引っ越した後、主人公は転んでけがをしてしまいます。なにもかもうまくいかないような、やりきれない気持ちがよく伝わってきました。スウェーデンの学校には、「くだもの週間」や「やさい週間」があるのですね。他の国の暮らしを知ることができて、おもしろかったです。日本では、6月が食の教育月間ですが。エヴァ・エリクソンはすばらしい画家ですね。表紙では、どんよりとした雨空の下を、二人で一つの傘をさして楽しそうに歩いていて、黒い傘の内側から、光と花がこぼれています。ふたりでいたら、どんなときも幸せなんでしょうね。エッラ・フリーダの長靴の模様がドクロなのも、彼女の性格が分かるようで、おもしろい。お調子者のヨナタン、エッラ・フリーダが引っ越した後、空っぽの机をじっと見つめるドゥンネ、そんな様子をちゃんと後ろから見ている先生……文章に寄り添い、作品世界を生き生きと浮かび上がらせています。ちょっとした仕草や表情で、登場人物の気持ちが伝わってくるんですよね。2014年は惜しくも国際アンデルセン賞画家賞を逃しましたが、次回はぜひとってほしい!

さらら:短い物語なのに、子どもの気持ちをよく表しています。絵本から読みものに移っていく過程で、安心して手渡すことができる本だと思う。この世代向けの翻訳作品の難しさは、日常に身近な物語であればあるほど、海外の日常生活を、どう日本の子どもに自然に理解してもらうかという点です。ここでも、「クネッケ」などの食べ物に、少し説明が加えられています。また、日本とは違う学校でのできごと(たとえば「くだもの週間」など)は、括弧に入れて、さらりと繰り返しています。なじみのない言葉の説明は、翻訳の過程で入れている部分もあると思いますが、押し付けがましくなくて好感が持てます。入れ歯が出てくるところで、「入れ歯が痛いときは、水につけておくといいよ」と、ドゥンネが友だちにアドバイスしたり、パパにモルモットを買ってもらったときには、「モルモットはウンチばかりしているのです」という描写があったり。そういった小さな部分にユーモアがあり、さまざまなエピソードにも、大人の子どもに対するさりげない愛情を感じました。子どもだってけんかするし、けんかをしたあとは、苦労して仲直りもする。そんな子どもの内面までしっかり描かれています。親友のエッラ・フリーダが引っ越してしまったあと、ドゥンネはすっかり落ち込んでしまいますが、でも少しずつ自分で友だちを作り、自分で何かを考え、まわりに気持ちを伝え、うまくいくという経験を積み重ねます。その、自分ひとりでがんばった時間があったからこそ、親友と再会できる喜びが、いっそう大きく読者に伝わってくる。構成のうまい作家で、スウェーデンの児童文学はやっぱり奥が深いと思いました。

ハリネズミ:これだけ子どもの気持ちをしっかりわかって書いている人って、日本だと神沢さんくらいでしょうか。

さらら:ひとつだけ、「復活祭」に注が入っていないことが、気になったのだけれど……。

ハリネズミ:ここは、お祭りなんだなということがわかればいいと思ったんじゃないかな。

トトキ:ほとんど全部言われてしまいましたね。私も、すごい作品だなあと思いました。小さい人たちの心の動きを、本当に繊細に描いていますね。

さらら:ほんとうに、品がいい物語。

トトキ:ずっとふさぎこんで、ひっこんでいた主人公が、思いきって積み木の山に腰かける。ここもいいけれど、その騒動で男の子の歯が折れてしまう。そのときの主人公の、奈落に突き落とされたような、目の前が真っ暗になった気持ち、よくわかります。そのあとの入れ歯のくだりや、主人公が一所懸命に書いた手紙も、じんわりとしたユーモアがあっていいですね! それから、ちょっとADHDっぽい男の子がクラスにいて、先生がじつに親身になって面倒を見ているということもさりげなく書いてあって……。

ルパン:とてもよかったです。『わたしって、しあわせ!』のタイトル通り、幸福感でいっぱいになります。子どもの本はこうあるべき、っていう見本みたいで、ひさびさにスカっとした読後感でした。出てくる人がみんないい人で。

さらら:しかも、ひとりひとり個性が強くて、味がある人たち。

ルパン:そう、それぞれに不満や事件もあるのですが、根がいい人ばかり。そこがすごくいいと思います。

ハリネズミ:私もみなさんと同じ感想を持ちました。特におもしろかったのは、p101で、ヨナタンとドゥンネがリンゴやバナナに貼ってあるシールを食堂のマットの裏に貼ってるでしょう? この年代の子どもらしさが生き生きと浮かび上がってくるところですけど、こういうエピソードって、なかなか日本の児童文学には出てこない。リンドグレーンにしてもマリア・グリーペにしても北欧の作家は特にこういう場面を書くのがうまいですよね?

すあま:本質的なところを書いているので、古くさくならないと思います。

プルメリア:子どもの日常生活がわかりやすく、身近に感じます。今、シングルマザーやシングルファザーが増えていますが、お父さんの少女に対する関わりがさりげないようだけどとっても温かいです。お父さんとの暮らしで、子どもが幸せだって感じているのが作品から伝わってきます。p116ではモルモットが大きくなっており、モルモットたちから少女を見ている挿絵が素敵。いろんな子がいて、それがいいなって思います。表紙の挿絵 どくろの長靴もかわいく外国の感覚がわかるので気に入りました。

ハリネズミ:幼年童話って、学校での生活体験が国によって違うから、翻訳が難しいってよく言われます。でもこの本を読むと、ドゥンネの通っている学校では、<パン週間>で、パンについてのあらゆることを習ったり、<ジャガイモ週間>で、ジャガイモのことをいっぱい習ったりしてます。日本とは違う勉強の仕方があって、それも楽しそうだなって思えたら、日本の子どもの視野も少し広がりますよね。

げた:余計なことかもしれませんが、学校で子ども同士のトラブルで歯を折ったりしたら、日本では大変でしょうね、保護者対応の後始末なんかでね。

ajian:本国では、同じ主人公が出てくる次回作も出ています。

さらら:この本は、緑陰図書に選ばれてますね。幼年童話のジャンルでは、原書を見て「この本なら訳したい!」と思うことがなかなかないんですが、そういう意味でも、うらやましい作品……。

さくま:絵を見ればいろいろわかるから、1年生でも読めるかも。

さらら:レイアウトは原作のまま?

ajian:原書をちらっとみたかぎりでは、だいたいそのままだったと思います。

ハリネズミ:大人も子どももちゃんと書けているのがいいですね。

さらら:単純な文章のようですが、じつは会話よりも描写文が多く、心に深く入ってきます。力がある作家ですね。

ハリネズミ:菱木さんの翻訳もいいですねえ。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年6月の記録)


ラン

『ラン』
原題:(理論社 2008/角川文庫2012)
森絵都/作 
講談社
2014

版元語録:失った家族に会うため、あの世まで走ろうと決めた環は、入ったランニングチームで、生きる強さを学んでいく。感涙の青春ストーリー。

げた:初版(理論社)からはかなり表現を削って、分量が少なくなって新しく出されたようですね。

ルパン:おもしろかったです。亡くなった人と会う、というのはすごく難しい設定だと思うのですが、前に読んだ『母ちゃんのもと』(福明子 そうえん社)と比べたら、こちらのほうがずっとまともです。親に死なれるって、若い人にとっては大変なことだと思いますが、その気持ちも書けていて。死んだ家族と会っているけど、こんなに仲いい家族だったっけ、とか家族のリアリティにも踏み込んでるし。無条件にいいことばかりではなかったことを冷静に思い出すんですが、わざとらしくなくて。あと、「走る」っていうことで、知らない世界を知っていくわけですが、ゼロから知っていくパターンって、説明調で鼻につくストーリー運びもあるけれど、これはそんなにいやらしくなく、読んでいて、疲れなかった。あと、醤油飲んで自殺はかるおばさんがおもしろかったです。YAものの脇役としてはずいぶん年上ですよね。そのうえ最初から敵対関係なんだけど、何となく距離が縮まっていくあたり、主人公に感情移入できました。それに対して、ドコロさんは、よくわからなかったです。その罪悪感も、罪ほろぼしの論理も。

ハリネズミ:ペースメーカーをしてもらった後輩が心不全で亡くなって「ひでえ罪悪感にとりつかれてさ。そいつへの罪滅ぼしのつもりで走るのをやめた」って、書いてありますよ。

ルパン:ラビットが死んでしまったからといって、自分まで走るのをやめちゃったのは、どうしてでしょう。やめたら、その人の死を無駄にしたような気がするんですが。

ハリネズミ:天才ランナーとか言われるレベルの人だと、ペースメーカーがつくことも多いんでしょうから、また同じことになっちゃまずいと思ったんじゃないかな。

トトキ:最後まで、すらすら読めたのは覚えています。あの世とこの世を行ったり来たりするという点は、同じ森さんの『カラフル』に似ていますね。エンターテインメントとしては、おもしろく書いてあると思うけれど、どういったらいいのか「死ぬ」ということに対する切実な感じがないのがひっかかるんですよね。一緒に読んだ『ロス、きみを送る旅』(キース・グレイ作 野沢佳織訳 徳間書店)は、「死」が身を切られるほど切実なものとして迫ってくるんだけど。なんていったらいいか分からないけれど、物語がすべて作家の掌の中にあるっていう感じ。心を揺さぶられる作品って、登場人物が作家の手に余るというか、勝手に掌から飛び出していくような感じがあるんだけれど、みんなお行儀がよすぎるというか……。

ハリネズミ:『カラフル』は、死んだ人が生き返ってきますね。

トトキ:『カラフル』は設定がうまかった。出たときは、こっちとあっちを行き来する作品もそんなになかったし。

ハリネズミ:でも、この作品では行ったり来たりを肯定してるんじゃなくて、無駄ですよって言ってます。

ajian:うーん、私にはあまりおもしろくありませんでした。突拍子もない設定や展開など、お話をつくるのはうまいと思うんですが……。この作者の『カラフル』もあまり私好みではなかったので、合わないのかもしれません。登場人物も好きになれないというか、みんな書き割りのようにパターンで分けられていて、今ひとつ物足りなさを感じます。「キリストもブッダもアッラーも一休さんも言ってなかったんだよね」とか、作者は冗談のつもりで書いているんだろうけれど、とくに笑えないってところもいっぱいある。「生きていかなきゃ」というテーマにつなげた、全部がオハナシな感じがする。

ハリネズミ:大人が読むとそうかもしれないけど、中学生くらいの子どもはおもしろいんじゃないかな。深く考えることはできないかもしれないけど、考えるきっかけにはなるように思うな。

ajian:長いので読むのもたいへんだけど、読み終えたあとは呆然とするというか、徒労感があって。最近日本の作品はあまり読んでいないから、感覚が違ってしまっているのかもしれないですが。

レジーナ:作者はきっとこの作品で、それぞれ悩みを抱えたり、傷つけたり傷つけられてりしながら、生きている人は生きている人たちで、何とかやっているということを伝えたかったのでしょうね。生者も死者も、お互いに気がかりだけど、心配しなくてもいいというのは、子どもというより大人の視点ではないかと思いました。桜並木を走る場面では、新しいことを始め、止まっていた時間が動き出す様子、家族のことを少しずつ忘れていくことへの恐れが伝わってきました。おもしろく読みましたが、生者の世界と死者の世界がもう少し絡み合っていれば……。二つの世界があまりにもかけ離れているんですよね。最初は重要人物に見えた紺野さんも、途中から存在が薄くなります。家族が亡くなり、紺野さんも引っ越してしまい、紺野さんのくれた自転車のおかげで、死んだ家族に会える。理屈は通っているんですが、頭で書いているのかもしれません。家族に会うためにマラソンを始めた主人公を非難し、自分の考えを一方的に押しつける大島君には、腹が立ちました。後から反省はしますが。同居を始め、「タマ」と呼んだおばさんに、「猫を飼うような気分なんじゃ……」と思ったり、おばさんを「装甲車」と表現しているのはおもしろかったです。文章はちょっとくどいですが、高校生くらいの読者には読みやすいのかな。

ajian:いや、「生者は生者で生きていきましょう」とか、浅いと思ったんですよね。そんなに簡単な人間観とか死生観でいいの? と思ってしまいました。私にとって小説が魅力的なのは、そこに描かれている人物に、どうしようもない人間味を感じてしまうときで、正直に言って、ここに出てくる人物たちが死のうが生きようがどうでもいいと思ってしまいました。一言でいって、心に迫ってくるものがなかったんです。

ヤマネ:森さんの作品は好きなんですが、『カラフル』と『ラン』はあまり好きではありません。『リズム』『宇宙のみなしご』などは、きらきらした少女の気持ちがよく描かれていて大好きなんです。軽さが受け入れやすいのか、小学校高学年の女の子たちからも人気がありました。ただ生と死の話になると、設定から受け入れるのが難しくて。また、タイトルが『ラン』なのでもっと走ることが描かれた話かと思ったら、そうでもなく期待外れでした。読む人の好みにもよるかもしれませんが、苦しいことをもっと深く描いてそこから立ち上がる主人公の姿を読みたかったな。主人公の置かれている状況は、すごく辛い状況なのに、それがあまり伝わってこないから。一方で、生と死の世界をつなぐレーンの説明はつじつまが合うようにうまくできているとは思いました。

すあま:子どもの本ではなく、大人の小説だと思って読みました。自転車があの世に連れて行く、という設定や描写をうまく頭の中に描けず、話に乗り切れませんでした。天涯孤独の主人公があるきっかけで走り始める話、ではだめだったのか、新しい人間関係ができていくところを丁寧に書けばよかったのではないかと思いました。はたして死んだ家族のところを行き来する必要があったのか、と考えてしまいました。1冊にいろいろなことを盛り込みすぎのような。おもしろいキャラクターも出てくるので、ちょっともったいない感じがしました。

げた:今回は私が選書係だったんですが、最初の2冊が決まっても、あと1冊、日本の本がなかなか見つけられなくて、本屋さんの棚で見つけたんです。最初の部分で、紺野さんと主人公の出会いと別れの箇所を見て、テーマにつながるかと思って読み始めました。ストーリーとしてはありえないこだし、言ってみれば荒唐無稽ですよね。ありえないけど、ランニング仲間とのやりとりは現実的な、ありそうなストーリー展開でリアルなファンタジーですね。エンターテイメントとしては、おもしろかった。死んだ人がファーストステージにいる段階で溶けていき、次のステージに行って、生まれ変わるというのもなるほどと思いましたね。人間年をとると、死ななくても、実際既に溶けているんじゃないかなって。

プルメリア:『ラン』なので『DIVE!!』(森 絵都 講談社)のようなスポーツ青春ものなのかなと思ったら、そうではなかったです。真知栄子さんとのバトル、どちらも譲らない強い女の人ですね。猫が死んだときに猫と椅子をうめ、庭を掘り返したときに作業着姿の男に「猫がいませんでしたか」って尋ねると、「わからない方がいい」と答えられ意味深な感じでしたが、何故かネコは紺野さんがお骨として持っていました。奈々美さんと真知栄子さんは意思も口調も強くおばさんパワー?がたくましい感じ。「穴熊(アナグマ)さん」名前の設定もおもしろい。

ハリネズミ:私、ユーモアは大事だと思うんですけど、おやじギャグみたいなレベルでも中・高生に受け入れられるのかどうか、ちょっと疑問でした。あと、ネコは紺野さんの飼い猫だから、息子のところにまず行くんじゃないかな、なんていう疑問もありました。

げた:ちなみに、醤油は、戦前、徴兵逃れのために体の具合をわざと悪くするために飲んだ人がいたということを聞いたことがあるんですが、死ぬためじゃなくてね。

トトキ:江戸時代に醤油飲み競争をして亡くなった人がいるって話は聞いたような……。

ハリネズミ:エンタメだと仕方ないんだけど、マチエイコを除くと、人物像がステレオタイプかな。

げた:エンタメとして書いたんじゃないですか。

ajian:マチエイコが主人公のほうがおもしろいんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年6月の記録)


はじめての北欧神話

『はじめての北欧神話』
菱木晃子/文 ナカムラジン/挿絵 
徳間書店
2014

版元語録:氷の巨人をばらばらにして、世界を作った神々。知恵にすぐれたオージン、力の強い雷神トール、不老不死のりんごを守る女神イズン、うらぎり者のロキ、そして神々に戦いをいどむ巨人族と、魔法の品を生み出す小人族…。欧米のファンタジーの原点となった北欧の神話を、低学年から読める形で贈ります。

げた:北欧に伝わる神々のお話ですね。世界に何もなかったときから、神様が生まれて、神様が鬼になったり動物になったり、そのあげく、世界中が焼きつくされ台地が海に沈んでしまい何もなくなってしまう。けれど、最後は大地がよみがえり、今生きてる人々の先祖が登場し、次々と新しいいのちを生み育てていった。今いる自分たちは生まれ残ったすばらしい人間の子孫なんだという、誇りを持ってもらい、楽しく読んでもらえるようなお話になっている。神様が突然タカになったり、ヘビになったり、ビジュアル性があるので、アニメーションになったらおもしろいんじゃないかな。テレビも本も無かった昔から、語り伝えで、伝わってきたんじゃないかな。当時は大きな娯楽の一つとしてあったんでしょうね。北欧の子どもは、この本にのっているようなお話を常識として知っているのかな。日本の神話は民族主義的で、楽しむところまでいかない気がするけど。

ハリネズミ:私たちが子どもの頃は、日本の神話は国家神道と結びついているというので教えるのをためらっていた人たちがたくさんいました。でも今は、右翼の出版社だけでなく、普通の出版社が、特に古事記はお話としておもしろいんじゃないかというんで、出版しています。松谷みよ子さんが再話した『日本の神話』(のら書店)もあるし、竹中淑子さんと根岸貴子さんが再話した『はじめての古事記』(徳間書店)や、こぐま社の『子どもに語る日本の神話』もあります。絵本も、舟崎克彦さんが再話して太田大八さんが絵をつけたものなど、いろいろ出ています。

げた:こんな感じで楽しめるならいいですね。

ハリネズミ:2年前に出た『はじめての古事記』は、スズキコージさんの絵がいいんです。

ヤマネ:北欧神話は、これまで岩波少年文庫で出ているものなど高学年のものしか見たことがなかったんです。ちゃんと評価しようと思ったらそういうのと比較しないと分からないところもあるので、難しいほうも読んでくればよかったですね。しかし低・中学年向けに出されたということで、ふりがながふってあるし字が大きめで、読みやすかったです。神様とはいえ、いたずらや争いがあり、人間と変わらないところに子どもたちも興味をもって読めるのではないでしょうか。出てくる登場人物がカタカナの名前ばかりで、覚えづらい点はありました。

ハリネズミ:登場人物リストがあった方がいいのかな。菱木さんは、ラグナロクを「ほろびの日」、ユグドラシルを「宇宙樹」、アースガルズを「神の国」というふうにずいぶんわかりやすく言い換えています。ブリージンガメンも「首かざり」としていますけど、そう言えばアラン・ガーナーの作品に『ブリジンガメンの魔法の宝石』(芦川長三郎訳 評論社)というのがありましたね。あれも北欧神話が下敷きになってたのかな。それと、菱木さんは本文でも、ただ神様の名前をぽんと出すのではなく「みのりの女神フレイヤ」とか、「海の神ニョルズ」とか、「いたずらもののロキ」「うつくしい光の神バルドル」などとちょっとした説明をつけて書いています。ずいぶんと工夫されているので、私はとても読みやすかったです。

レジーナ:読みやすい文体で、北欧神話の魅力が伝わってきました。太陽がなくなって、世界が滅びるというのは、北欧ならではの世界観ですね。主役の神々の敗北があらかじめ定められた神話は、ほかにあまりないのでは。C・S・ルイスは、上級生にこき使われた辛いパブリックスクール時代、北欧神話が支えになったそうです。運命を知りつつ、最後まで誇り高く雄々しく振舞う姿に、惹きつけられたのでしょうか。横暴な巨人に抵抗する神々に、自分の姿を重ねていたのですね。J・R・R・トールキンは、北欧神話を下敷きにファンタジー世界を創造しました。今回の作品は、北欧神話の重厚な世界を映す挿絵であれば、もっとよかったです。しかしルイスも、自分の読んだ北欧神話の挿絵はよくなかったが、それでも心惹かれたと語っているので、物語としての力を持つ神話を語るのに、挿絵はあまり問題にならないのかもしれません。ゲームや映画をきっかけに北欧神話に興味を持つ子どもは、結構いるのではないでしょうか。北欧神話を探していた中学生に、K・クロスリイ-ホランドの『北欧神話物語』(山室静・米原まり子訳 青土社)をすすめたことが何回かあります。

ハリネズミ:私は神話を読むのが好きなので「エッダ」や「サガ」も読んでおもしろいと思ったんですけど、原典のままだと流れやつながりがよくわからない。この本は、菱木さんがまとまりをつけて読みやすくしているので、流れもつかめていいと思いました。北欧のことや北欧神話のこともよくわかったうえで、言葉をかみくだいているのがわかって安心できます。

ルパン:まだちゃんと読んでいないんですけど、おもしろかったです。ぱらぱらと見たなかで、カワウソに化けて殺されちゃう家族のお話があったんですが、なにも悪いことしていないのに、かわいそうだと思いました。神話とか名作とかを低学年向けに書くのはむずかしいと思うのですが、これはたいへんよくできていると思います。

プルメリア:岩波書店の『北欧神話』(P.コラム作 尾崎義訳 岩波少年文庫)とは、違う感じ。寒い場所にもかかわらず神様がダイナミックで迫力があります。登場人物の性格がはっきりしていてわかりやすい。いろいろな神々や巨人族、小人族などが次から次へと登場してくるのでおもしろさがありますが、読み進めるとだんだんいたずらもののロキ以外はわからなくなりました。登場人物の紹介があると読みやすかったかなと思います。素敵な表紙で、男の子はゲーム感覚で読むのではないかと思いました。

すあま:北欧神話やギリシア神話は一般教養として知っていないといけないものだと思うので、読みやすい本があるのはよいと思います。ただ、小学校中学年向けの本だと思うけれど、登場人物の名前が難しいので、キャラクター紹介のようなものがあるとわかりやすくなるのでは? 小人族、巨人族などが出てくるので、『指輪物語』(トールキン著 瀬田貞二ほか訳 評論社)の好きな子に薦められます。巻末に北欧神話の本の紹介があるので、興味を持った子は、そこからさらに読み進めることができるのではないでしょうか。

ハリネズミ:ただ置いておいても子どもは手に取らないかもしれないので、手渡す人が重要ですね。

すあま:教科書にも昔話や神話が出てくるので、出版も増えているのかな。古典だけでなく、文豪の作品なども読みやすい本が出てくるとよいと思います。

ハリネズミ:夏目漱石を、ストーリー中心に書き換えるとか?

すあま:書き換えるっていうより、芥川龍之介の短編などを手に取りやすい形で出してくれたらいいな、と。太宰治の作品も、最近ではマンガ風のイラストを表紙にしたのがありますよ。

ハリネズミ:そこまで軽くしなくても、文豪は文豪でいいんじゃないの。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年5月の記録)


紫の結び(一)

『紫の結び(一)』
紫式部/原作 荻原規子/訳 
理論社
2013

版元語録:紫の上を中心に帖(章)を再構成している新しい源氏物語です。死んだ母に似ているという、父の新しい妃に対する思慕。山里で源氏は、その妃の面影を持つ少女を垣間みます。紫の上との出会いでした。

ルパン:古典をやさしく書くということにおいて、どんなところがポイントになるのか、今日はみなさんのご意見をうかがいたいと思って来ました。これは小学生向けなんでしょうか?

ハリネズミ:中学生じゃないですか。

ヤマネ:対象年齢は、出版社の表記だとヤングアダルト〜一般のようです。

ルパン:もともと知っている話だから読めたんだと思います。『源氏物語』をまったく知らない中高生が読んでもわかるのかなあ。実は、私は知っているといってもマンガで読んだんですよ。『あさきゆめみし』(大和和紀 講談社)。あれはよくできてました。これを読みながら、マンガの絵がうかんできちゃいました。ところで、この『紫の結び』の中では、歌の部分は現代語訳だけ書いてあるのですが、私としてはもとの和歌を書いてほしかったです。著者の萩原さんは古典に強いのかな。ご自分で原典を読んで歌も訳したのでしょうか。

一同:国文科出身の方ですからね。

レジーナ:マンガの『あさきゆめみし』は、源氏物語の大筋を知るには良いけど原典と異なる部分もあると、聞いたことがあります。一方『紫の結び』は、荻原さんが、原典になるべく忠実に語ろうとしている様子が感じられますし、読みやすい現代語になっています。源氏物語は、大学受験でも、これが読めれば他の古典は読みこなせると言われるほど難しいので、古文を学ぶ受験生が一読するのに最適の副読本になるのでは。注釈をなくしたのは画期的ですが、「上の局」「斎院」「わらわ病み」等、日常では耳にしない言葉を、子どもがどこまで理解できるか……。古典オタクの高校生・大学生ならばともかく、自ら進んで読んでもらうのは難しいかもしれません。

プルメリア:地元の渋谷区の図書館でこの作品を予約したところ1冊しか入ってなくて私はリストの3番目でした。残念ながら順番がきませんでした。

げた:以前、与謝野晶子の現代語訳を文庫版で読み始めたことがあったんですけど、すぐに諦めました。今回やっと読み通して楽しめる本に出会ったと思ったんだけど、これまでの本と同じくらいしかわからなかった。筋はなんとなくわかるんだけど。楽しい読み物として読むまでいかなかったな。読まされているという感じがあってね。和歌が訳しか掲載されていないんだけど、元歌があった方がいいな。感じがつかめるから。

ヤマネ:まずパッと見て装丁がいいなと思いました。美しい本。おそらくこの本を一番手に取るのは、大人の女性ではないかと思います。もしかしたら古典好きの子は手に取るかもしれませんが…。『源氏物語』は、実はこれまで読み通せたことがないので、ようやく読み通せるかもしれないと期待しているところです。和歌を省いているところについては、止まらずに読めるのでスムーズに進むと思いました。和歌のところで立ち止まって想像するのも楽しみの一つではあるんですけど。

すあま:『源氏物語』は、日本人として読むべきだと思っていて、これまでもいろいろな人の現代語訳を読んでみたけれどなかなか読みきれず、今度こそ…と思ったけど、やはり今ひとつ話に乗り切れませんでした。これは紫の上を中心にして、読みやすくなるように再編しているのが特徴だけど、結局この話自体がおもしろくないのではないかと思ってしまいました。光源氏にしても、マザコン、ロリコンで、行動が共感できないし…。登場人物に共感したり、光源氏をかっこいいと思えればおもしろいけれど。全体的に不幸な人や満たされない人ばかり出てくる印象があります。すでにあるけど、マンガにして登場人物を美しく描いた方がおもしろく読めるのではないかと思いました。もちろん荻原さんの作品が好きな人は読むと思います。

ルパン:光源氏って、あんまりおもしろくない男ですよね。美人が好きで、若いのが好きで、ステレオタイプすぎる。

ハリネズミ:勝手気ままに楽しんでいた光源氏が晩年にしっぺ返しを受けていく。そこがおもしろいんじゃないですか。年をとって真剣に悩み、深みが出てくる。実はね、私はある時田辺聖子さんが源氏物語について講演なさっているCD(新潮CD 講演)を聞いて、全体像をつかんだんですよ。30枚以上のCDを、少しずつ家事をしながら聞いたんです。でも最初の方だけだと、女たらしが出てくるだけで女性が読むと反発を感じるだけなのは、よくわかります。

すあま:講演のCDでしょうか?

ハリネズミ:連続講演で、途中で冗談なんかも入るので、楽しくてわかりやすいんです。この本の歌のところですけど、やっぱり私も訳だけでなく、カッコつきでもいいからオリジナルの歌があったほうがいいと思いました。リズムや言葉のもつ力のようなものは、訳だけだと伝わりませんからね。たとえばp223ですけど、直訳風なので「たいそうかわいい」感じがなかなか伝わりませんね。そういう意味では歌だけでも原文があると、雰囲気がもっとわかるんじゃないかな。これから角田光代さんの現代語訳も出るとのことですが、そちらは歌はどうなっているのかしらね。

すあま:人物相関図があるとわかりやすいんだけど。

ハリネズミ:書ききれないのでは? 『北欧神話』でもそう思ったけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年5月の記録)


今昔物語集

『今昔物語集』
令丈ヒロ子/著 
岩崎書店
2014

版元語録:平安時代、人々の噂話を集めたものがありました。怖い話、不思議な話、愉快な話。今でも十分通じる物語は昔話などにもなっています。えりすぐりのお話ばかりを集めました。

ルパン:物語ごとにテイストがずいぶん違いますね。会話ばかりの章もあるし。子どもにはこういうほうがわかりやすいんでしょうか。

げた:令丈さんの言葉で語っていて、とっつきやすいですね。今の子どもたちには、伝わり易いんじゃないかな。『紫の結び』は、原典に忠実に再現しているけど、この『今昔物語』は令丈さんの作品になってる。この本に収められているお話の中では「瓜とふしぎな老人」が楽しめました。CGとかアニメでもおもしろく再現できそうですね。「羅生門の老婆」は、気味悪くて、小さな子どもにはわかりづらいかもしれないけど。

ルパン:『芋粥』のあとで、『まんじゅうこわい』を引き合いにだしているのはどうしてでしょう。ちょっと話が違うんじゃないかと思うんですが。

げた:私もそう思いました。言葉づかいは今の言葉で、とっつきやすい。

ハリネズミ:最近はストーリー中心の再話が流行っているようですね。外国のものだと、中には原文を参照しないで再話する人もいるみたいです。一時は、子どもの本の抄訳や超訳が批判されて、完訳で読みましょうと言われていたのにね。文学ってストーリーを追っただけじゃ本当の良さがわからないと思うんですよ。この本は、それとはまた違って、令丈節がしっかりできていて、そこがおもしろいんですね。

ヤマネ:日本の古典の現代語訳もさかんで、今度河出書房新社から「日本文学全集 全30巻」が刊行される(2014年11月刊行開始)ようです。そこでは『古事記』が池澤夏樹さん訳で、『源氏物語』が角田光代さん訳だそうです。古典を現代の作家によって今の人たちに読みやすいものとして受け継いでいく流れがあるんですね。この『今昔物語』は、世田谷区の図書館は所蔵が1館だけだったので、借りることができませんでした。公共図書館では、この本を入れるかどうか選書でゆれているのかもしれません。私は以前学校図書館で働いていたんですけど、子どもにはまず出会わせることが必要だと思うので、この試みには賛成したいです。古典はきっかけがないと、子どもたちはなかなか手に取らないから。出版社も、子どもに出会わせることを目的として出版したんでしょうか。

レジーナ:表紙に現代的な美男美女が描かれていますが、当時の美的基準は、今とは大分違うのでは? 「芋粥」の五位殿も、「もっさりしている」と悪口を言われていますけれど、そうした男性が、当時はもてたかもしれませんし。p9では、女性の容姿を、「スタイルがいい」とほめています。体のラインを隠す着物を着ているのに、スタイルも何もないのでは……?

プルメリア:昨年小学校5年生の担任をしました。私がこの本を子どもたちに紹介したら、歴史好きの男子がこの本を購入して読んでいました。古典にはあまり目が向かなかった子どもたちがこの作品を読み始めています。令丈さんの名前で興味を持ったことや表紙がかわいいとかも手にとる大きな理由かも。令丈さんの文はわかりやすく、目次にもまとまりがあり、一話一話の後に書かれている説明文もとってもよかったです。このシリーズは10巻ありますが、この作品がいちばんいいなと思いました。

ハリネズミ:令丈さんなりのまとめ方をしているところがいいですね。一話一話の後のあとがきで視野が広がるし、モデルはどんな人だったのかとか、ほかの作品へのつながりなどおまけの情報もあるので楽しい。ちゃらちゃらした会話がふんだんに出てくる話とそうでもない話があってトーンがいろいろですね。欲を言えば、もう少しトーンを統一してほしかったけど、古典への架け橋と思えばそれもいいのかも。学校図書館には、古典のシリーズが入っているんですか?

プルメリア:私が勤務している小学校の図書館には『21世紀によむ日本の古典』(ポプラ社)が入っています。

すあま:『今昔物語』は読みにくい話ではないので、ここまで今の会話風の文体にしないで、普通の現代語訳でも楽しめるのではないかな、と私は思いました。このシリーズでは、金原さんの『雨月物語』も、おもしろかったです。あまり手にとられない古典、知られていない古典の場合にはこういう工夫もありですけど…。時代を今に置き換えているんなら、こういう会話でもよいと思いますが、そうではないし、無理に言葉遣いを現代風に変える必要はないのでは? はやりの言い回しを使った場合、時間がたつとかえって古くさく感じてしまうこともあるし。

ルパン:わざわざ「メインストリート」に直さなくても、「大通り」の方がわかるのに。

げた:手に取りやすさはありますよ。内容も言葉も読みやすい。

ハリネズミ:「わらしべ長者」の話にはキャピキャピした会話が出てきませんね。

すあま:令丈さんの本が好きな子だと、令丈さんが書いているから、という理由で読むこともあるかも。

ハリネズミ:入り口になればいいですよね。

ルパン:今回読んだ3冊の本は、これが「令丈ヒロコ 著」、『紫の結び』が「萩原規子 訳」、『はじめての北欧神話』が「菱木晃子 文」となっていますが、文、著、訳はどう違うんでしょう?

すあま:原作を元にして創作したら「著」、原作をそのまま翻訳したり現代語訳にすれば「訳」、北欧神話の場合は複数の本を参考に書かれたので「文」なのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年5月の記録)


林業少年

『林業少年』
堀米薫/著 スカイエマ/挿絵
新日本出版社
2013.02

版元語録:山持ちとして代々続く大沢家の長男・喜樹は、祖父・庄蔵の期待を一身に受けていた。家族から「干物」と陰口をたたかれる庄蔵だが、木材取引の現場では「勝負師」に変身する。百年杉の伐採を見届け、その重量感に圧倒された喜樹は―。山彦と姫神の物語。

げた:タイトルは流行の「なんとか少年」や「なんとか男子」を使って、目をひこうとしたのかな。内容は社会科の林業の副読本を読んでいる感じで、登場人物も画一的な物言いだし、それぞれの登場人物の立場で台詞が決まっている点でおもしろみに欠けますね。楓は卒業後の進路海外留学ではなく林業を選んだけど、そうさせたものが先輩との出会いだけなのは弱い気がする。林業の行く末に関しては具体的なイメージさえ提示されず、これで楓ちゃん大丈夫なの?と思う。具体的に何に惹かれたのか分からない。いまいち見通しがはっきりしないのに大丈夫かなと思ってしまう。時代的に設定は今なのだと思うけど、50年前の話みたいで古い感じがしますね。私が子どもの頃から林業をめぐる状況はこうだったように思います。私自身の話ですが、田舎の姉が山持ちの方と40年前に結婚したんですよ。当時はすごいなと思ったけど、結局、今は山もあるだけで切り出すのにお金がかかる現状で、お金にはならないんですよね。それに、私の身内に「相対」を仕事にしている人がいるんですけど、あんまりいい感じの人じゃなくて、ふっかける感じの人なんですよ。あんまり、いいイメージはもってないんですけどね。全体に現実味に欠けるかな。

アカシア:学生に環境について伝えようと調べてるときに、PARCのビデオ『海と森と里と つながりの中に生きる』っていうのを見たんです。それでわかったんですけど、日本の政府の林業政策はひどいですね。日本では戦時中に木を乱伐したので、戦後は政府が拡大造林政策というのをとって、もともとあった広葉樹林を伐採して建材に使う針葉樹をめいっぱい植えなさいと指導したんです。必ず儲かるからと言って。で、どこもかしこも人工的な針葉樹林にしてしまった。でも、その後政府が方針を転換して安い木材をどんどん輸入するようになる。それで、日本の林業はたちゆかなくなったんです。おまけに広葉樹林の実を食べていた獣たちも食べるものがなくなって村里に出て来るようになるし、花粉症も広がるということになったんです。今、クマとかイノシシなんかが人家の近くまで出てきますが、昔は山と里の間に広葉樹林があって木の実がたくさん落ちていたからそんなことはなかったんですって。林業が衰退するのも当たり前ですよね。1本切り出して50万円じゃ割りに合わないですよね。

げた:最後の百年杉としたらなおさら。

アカザ:だから、主人公のお母さんは怒ってるんですね。

アカシア:ふだんから下草刈りとかいろいろあるでしょうし、切るとなっても伐採のお金とか馬の運搬費などかかるから、100万円でも割りが合わないんでしょうね。

アカザ:年金をもらいながらの道楽でないとダメってわけですね。

アカシア:この本では未来に希望を持たせるような書き方ですが、実際には難しいのかもしれません。作者も林業をやっている方のようなので、作者の希望も入っているのかも。

さらら:人物がステレオタイプ化している気がしました。強烈なキャラクターが、ひとつくらい入っていてもいいのに。おじいさんも穏やかだし、お母さんもちょっと怒りっぽい程度。少年は姉の選択にドキドキしますが、すぐに解決してしまう。少年が家族思いで、お利口すぎて、悪くないけど読んでいて先が見えてしまう。物語としての計算が透けていて、おもしろさが今ひとつ。描写は一生懸命だけど、「ずんだもちの甘さで…(p12)」など、ていねいに書こうとしているけど少し浮いてしまっている。家族がなんとか持ち直すところに積み木のたとえで出てきますが(p148)、少年の意識を追った表現としては不自然な気も。このたとえを入れるなら、せめて位置をもう一工夫してほしかった。「女でも(傍点)林業ができる」という発想が女性の側から出ていますが、さらにつっこんで、「女だからこそ」できる新しい林業を書いてほしかったな。ただ、はっとさせるほど、いいところもあります。たとえば、p69の喜樹とかえでが杉に抱きつく場面。切る直前の、杉のいのちを感じるところはとても好きです。悪い本ではないけれど、手法の点、視点の点で、全体にちょっと古い印象を受けてしまいました。

:私が古いと感じたのは、楓が美人なところです。美人じゃないとうまくいかないのかと。十人並じゃだめなのかと。作者は、女性ですか、男性ですか?

さらら:女性です。

:そうなんですか、おじさんみたいな視点を感じました。お父さんもお母さんも仕事を持っているから、暮らしのお金には困っていなくて、道楽のように山を持ててますよね。でも、山や林業に希望を持たせるためには、お姉ちゃんをあれほどまでに美人に仕立てないといけないのかと思いました。だけど、林業の実際については納得しましたし、おもしろかったです。家が古くて立派なところがよかったです。磨き上げられた床とか銘木とか。

レジーナ:『神去なあなあ日常』(三浦しをん/著 徳間書店)も林業を扱っていますね。

アカザ:私、こういう仕事の詳細をしっかり描いた作品って好きなんです。子どもたちも、物語の中ほどの林業の実際を描いた場面なんか、興味を持って読むと思います。私も、生き生きした描写だと思っておもしろく読みました。でもでも、そこにたどりつくまでがね! 文章が古くさくって、なかなか物語に入りこめませんでした。なぜかなって考えたんですけど、主人公が小学5年生で、地の文もその子の目線でずっと書かれているんだけど、どう考えても小学5年の男の子の感性じゃないんですね。たとえば、p30のお姉ちゃんの部屋の描写でも「ドアのすき間から、安っぽい化粧品の匂いがただよってきそうで」とか、その後に出てくるおばあちゃん手作りのサツマイモのかりんとうが「素朴な甘みとかりかりとした歯ごたえが後を引いて、いくらでも手が伸びる菓子だった」とか、おばさんぽいっていうか、おっさんぽいっていうか……。それから、この物語の芯になっているのは楓っていうお姉ちゃんで、主人公の喜樹はずっと傍観者というか観察者なんですね。それなら、いっそのこと楓を主人公にしたほうがよかったのでは? それから、林業の現在とか未来が、この一家の問題だけに終わってしまっているような感じがして、「大変そうだけど、山を持ってて、立派な家に住んでて、跡継ぎも決まったようだし、よかったね」という感想を、ついつい持ってしまいそうで。もっともっと大きな問題があるんじゃないかな。そういう、広い世界の、大きな問題につながるようなところまで書いてほしかったなと思います。

アカシア:最初が法事の場面で、そこに親族の名前がわーっと出て来ます。そこに関係性の説明がほとんどないので、ちょっと混乱しました。主な登場人物は後を読めばわかるのですが、主な人だけでも少し説明をいれてもらうと、最初からイメージできるのでいいんじゃないかな。

アカザ:編集の問題かな。

ルパン:正直あまりおもしろくなかったですね。おもしろくない理由は皆さんがおっしゃるとおりで…そう、そう、と心のなかでうなずきながらお話を伺っていました。やっぱり、林業の将来性が感じられないというのが致命的ですよね。林業の抱える問題点を伝えたい、というのが前面に出てしまっていて、どきどきさせるようなストーリーがないですから。あとから「どんな話だっけ?」と思っても何も思い出せないほど起承転結がなかったです。

さらら:するする進んでしまうけど。

ルパン:問題提起だけで終わったら、読んだ人は林業がやりたくなくなってしまいますよね。残念ながら、私はこれを読んでも森に対する愛着はわかなかったです。自分が子どものときに読んで「ああ、木を植えたい」と心から思ったのは 宮沢賢治の『虔十公園林』でした。あれは山に木を植えなければ、などとはひとことも言っていないのですが、ものすごく心を打たれ、木への心をかきたてられました。ジオノの『木を植えた男』とかも。それに対して、こちらは一生懸命語っているのにもかかわらず、50年後の山の姿がまったく見えてこないのは残念でした。あと、主人公の喜樹の語りが妙におとなっぽくて、途中でランドセルを取りにいったときは「あ、小学生だったのか!」と、びっくりしてしまいました。

プルメリア:12月頃に男子(小学校5年生)がこの作品を学校図書館で借りて読んでいました。5年生では3学期に林業を学習します。身近な生活とかけ離れているため、なかなか理解することができない内容なので、林業をしている人々の生活にふれてほしくて子どもたちに紹介しました。主人公も5年生でぴったり。資料集とは異なる実生活がありました。作品を読んでお姉ちゃんの気持ちも少年の気持ちも感情移入ができたようです。教科書や資料集には木を運ぶ道具として馬が出てこないので、そこが違和感があったかな。教科書ではトロッコでした。実際に馬を使っているのかどうかと。

アカシア:馬で木を出すのは今日で最後か、って言ってるから、もうあまり使ってないんでしょうね。

さらら:作者には、そんな馬が残ってほしいという願いがあるんだと思いますけど。

プルメリア:林業に誇りを持って仕事をしているおじいちゃんの姿がいいなと思いました。木材は輸入が多いけど、国産品への意識もあります。杉は嫌われているけど花粉を出さない杉が開発されたことを最近ノンフィクションの作品で読みました。戦後植林をしたことによって花粉症がふえたこと、自然の影響ではなくて人工的なもの。「杉が悪いのではなく植えた人間が悪い」と書かれていました。

アカシア:国の林業政策が場当たり的だったせいもあって、たぶん今まで通りのやり方だと林業で生計を立てていくのは難しいと思うんですけど、たとえばただ木材として売るのではなく、家具などに加工するところまで自分たちで会社をつくってやって成功している人たちはいますよね。そういうオルターナティブの道筋も示してくれるとよかったな。

プルメリア:自分が夢中になれるものがあるのはいいですよね。

アカシア:でもルパンさんは、これを読んでも林業につきたいとか木を植えたくなったりはしないと言ってましたよ。

プルメリア:5年生の子どもたちは好きな仕事ができていいなと言っていました。私のクラスの保護者の職業はほとんど同じ職種なので。「自分で自由な仕事を選べるのはいいね」ってよく言っています。

げた:(検索して)プルメリアさんがさっき触れたのは、『花粉症のない未来のために』(佼成出版社)。斎藤真己という研究者の本ですね。

プルメリア:取引の場面もおもしろかった。

さらら:海外でものを値切る交渉は、100のものを、10といい、中間の50で手を打つことが多いと聞きますが、この取引はそんなに差がないところから始まる。その辺どうなのかな。

アカシア:この地域の人たちは木1本の相場もわかってるんでしょうから、それと桁が違うような所からは始められないでしょう。

さらら:なるほど、日本人はやはり常識的!

アカシア:挿し絵はどうでしょう?

レジーナ:50年前の話のようだというお話がありましたが、絵は、今の子ども向きなのでは。両親と姉の会話を、主人公と祖父が聞く場面では、解説の図のように、文章をそのまま絵にしていますよね。工夫してほしかったですね。

さらら:表紙はいいですね。

プルメリア:この作家は、『チョコレートと青い空』(そうえん社)を書いた人ですよね。

さらら:「季節風」でずっと書いていた人です。

アカシア:農業をしながら作品を書いている方ですね。 私はこの本は、現場を知っている人ならではのディテールがあって、おもしろく読んだんですけど、できれば個人のレベルでがんばるだけじゃなくて、もっと広い視野で書いてもらえるとよかったと思いました。

さらら:そういう視点のある人物がいるとよかった。

アカシア:この作家は福島の方ですか?

アカザ:生まれは福島。

レジーナ:現在は、宮城県在住のようですよ。

アカシア:こういう実体験をもっている人に、もっともっと書いてほしいですね。この作品はとてもまじめですが、社会科の教科書だけではわからないことがわかったりするので、副読本に使ってもらうといいんじゃないですか。

プルメリア:イメージがわいて理解しやすくなります。

アカシア:作品そのものの出来については、もう少しがんばってと言いたいですが、現場にいる人にしか書けないことはありますからね。

さらら:知らないことは新鮮に映ります。

レジーナ:農家に嫁ぎに来るアジアの人も多いですよ。年金をつぎ込んで、荒れていく山を維持しようとする様子から、林業の切実な状況が伝わってきました。『神去なあなあ日常』の登場人物は個性的でしたが、この作品は美男美女ばかりで漫画のようでした。林業の仕事に情熱を燃やし、サルのように木を切る青年も、いまどきの外見でかっこいいという設定でしたし……。その木がどれだけ手をかけられてきたかが年輪から分かることや腐りにくい木の種類、「相対」「トビ口」という特殊な言葉を知ることができたのは、おもしろかったですね。林業の仕事の内容は、『林業少年』の方がていねいに描かれています。子どもに手渡すのだったら、こちらをすすめたいです。

アカシア:そこが、インタビューして書く人と、自分で見聞きしていることを書く人の違いですよね。

レジーナ:取材して書いたのではなく、著者自身が農業に携わっているから、描写にリアリティがあると私も思いました。在来種の馬の足の太さに気づく場面をはじめ、実体験にもとづいて書いている印象を受けました。人物は、もう少し深く描いてほしかったです。はじめから林業を継ごうと考えている男の子が主人公ですが、現実を映していないのでは……。自分がかなえられなかった夢を娘に押しつける母親は、あまりに身勝手で、読んでいて腹が立ちました。

アカザ:娘に英文科に行って、将来は海外に行ってもらいたいって思うお母さんって、いまどきいるのかしら? 半世紀前なら別だけど。いまは、農学部のほうが人気だと思うけど。

アカシア:今は英文科など閉鎖している大学もあるくらいで、バイオテクノロジーなどを扱う農学部は花形なんじゃないかな。

さらら:私の息子は農学部ですけど女の子が多いですよ。

アカシア:お母さんが家つき娘で、自由なことができなかったというのは、今でも地方だとあるんでしょうか。

レジーナ:山ではなくても、家を継ぐという意識は、田舎では今も根強いのでは。

アカシア:それはそうでしょうけど、好きな勉強もできなかったし、サラリーマンと結婚するのも反対されたんですよ。そのあたりはもう今はあまりないのかな、という気もします。

アカザ:日本の児童文学ってお母さんをすごく悪く書く作品が多いですよね。目の敵みたい。もう少し深く描けないものかな。

アカシア:お母さんだけじゃなくて、人間そのものをあまり深く描写していないものが多いと思います。

さらら:たとえばオムニバス形式の『きんいろのさかな・たち』(大谷美和子作 くもん出版)は、どの話も人として生きようとするお母さんがユニークでした。

レジーナ:p147の母親の台詞「これだけ大騒ぎしたんだ。お前、絶対合格してみせなよ!」は、言葉が強過ぎると思いました。字面から受けるよりもう少し柔らかいニュアンスなのでしょうか。

アカザ:私も、ちょっと乱暴な言い方だと思ったけれど、この辺だとそういう言い方をするのかと……。

アカシア:ふだんの口調が荒っぽい地域もありますよね。

レジーナ:母親が方言を使っているとは、あまり感じませんでしたが……。

アカシア:全体として、林業のことを書こうとするあまり、人間を描くことがちょっとおろそかになった感がありますね。

レジーナ:林業理解には、いいけど。

:知らなかったことを教えてもらった楽しさはありましたね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年4月の記録)


マッティのうそとほんとの物語

『マッティのうそとほんとの物語』
原題:MATTI UND SAMI UND DIE DREI GRÖSSTEN FEHLER DES UNIBERSUMS by Salah Naoura, Leavitt, 2013
ザラー・ナオウラ/著 森川弘子/訳
岩波書店
2013.10

版元語録:マッティは11歳の男の子。夏休みに親友ツーロといっしょに、パパの故郷、フィンランドに行きたくて、おとなをだます計画を立てるが、それがとんでもない事態に発展して……。うそがうそを呼んで引っこみがつかなくなるドタバタ劇を、ぎくしゃくした家族の再生とともにあたたかく描いた、ペーター・ヘルトリング賞受賞作。

プルメリア:表紙がとってもいいなと思いました。『湖にイルカがいる』ことには驚きました。エイプリルフールに嘘の情報を載せる新聞ってあるのかな。

アカザ:日本の新聞でもちょこっと載せることがあるじゃない。

プルメリア:岩波書店もいろいろな作品を出版するんですね。驚きました。お家が当たったと嘘をついたり、おじさんが誘拐犯に間違われたり、動物にお金を送ったりなどはらはらさせる場面が展開し、でも読ませる作品でした。最後にほっとしました。湖がでてきたり、フィンランドの森がでてきたりとのどかな自然が落ち着かせるのかな。お母さんのおじさんが安定剤になっているような存在感がありました。

げた:最初に湖のほとりで途方に暮れる家族がでてくる。一体これはなんなんだろうって思って読み進むと、最終的には、嘘から出たまことのような結果になって、ハッピーエンドで終わっているので、まあ、よかったかなという感じですね。『林業少年』『スターリンの鼻が落っこちた』と続いて最後に読んだんですけど、最後に安心して、素直に楽しめました。ドイツとフィンランドは遠いような気もするけど、近いのかな? いずれにしても、国境にこだわらず、行ったり来たりする感じがいいな。愛国的になってないのがいい。国際的にならなくっちゃね。

さらら:フィンランドの人って、オランダにけっこう多いんです。母音と子音が多いから、オランダ語の習得も早くて、発音がきれいだった。

げた:ドイツの高層アパートってどの程度の広さなんでしょう。とっても狭苦しい感じで書かれてたけど、日本じゃ広いほうだったりしてね。フィンランド人のお父さんがほとんどしゃべらないんですね。おとなしいんですかね?

アカシア:でも、ほら話はしてますよ。

さらら:ほら話はすごく好き。弟も、ちょっとしか出てこないんだけど、幼稚園のやんちゃな感じがおもしろかった。基調は友情物語ですよね。友だちの別荘に夏休みに遊びに行きたいのに、お金がないからだめって言われて、マッティは妄想でいろいろとやっちゃって。でも世界を正すかという正義感がおもしろい。価値観は人それぞれで、それに気づくって、大切なこと。あと、ここがいいなって思ったのは、パパとボートをこいでいるときに、マッティとパパは向かい合って話をする。嘘をついて、あやまりにこなかったのは、パパもマッティも同じで、それをパパが認めている。大人と子どもが対等なのが気持ちいい。

:努力をしなかったことでいいものが転がりこんでくるというところがとても素敵。人生について考えが深まるというのもあるけど、幸運が最後に手に入っちゃうおもしろさがいいですね。わたしもフィンランドに住みたいなあ。あと、これは、いろんなきょうだいの和解や変化の物語ですね。お母さんとクルトおじさん、お父さんとユッシおじさん。マッティとサミの関係も変わっていきますし。北欧というとドライなイメージがありますが、きょうだいという血のつながり方がいい方に作用しているように思います。

レジーナ:子どもたちは、自ら世界を正そうと考えます。大人の理屈と、それとは異なる子どもの理屈を等しく扱っている点は、とても好感が持てました。はじめの場面に「水切り石」とありますが、「水切りのための石」「水切りするときの石」「水切りに使う石」と訳した方が、わかりやすいのではないでしょうか。

アカシア:石切り遊びをしたことがある人は、ぴんとくると思うけど。

げた:石が自分で水切りするという意味にとれるということかな?

さらら:「水切り」を知らない子だと想像できない?

アカシア:すぐ次のページに、実際にやっているところが出てきますよ。

レジーナ:今の子どももするのでしょうか。 

:やりますよ。

レジーナ:弟の幼稚園で、カエル組の方がトラ組より年長なのがおもしろいです。

アカシア:子どもが自分たちでクラスの名前を決めるのかも。日本では、すみれ組とかたんぽぽ組とか、りす組とかうさぎ組とか、かわいい名前が多いですが、子どもが決めるとなると、突飛な名前が出てくるかもしれませんね。ドイツも、子どもに何でも決めさせようという意識が高い国だと思います。

レジーナ:早くから民主主義社会のやり方に慣れるのは、いいことかもしれませんね。

アカザ:収拾がつかないかも。

アカシア:ドイツには「ミニミュンヘン」というのがあって、30年も前からミュンヘンでは夏休みの間、子どもが自分たちで町を作って、自治をするんです。暮らしていくにはこれが必要だと思ったら、自分たちでそれもやっていく。子どもの自発性を重んじるので大人は脇役で、指導したりはしないみたいです。日本でも「こどものまち」という名前であちこちで似たような試みを行っています。四日市の書店メリーゴーランドの増田さんもずいぶん前から日本のミニミュンヘンをやっているとおっしゃってました。今は、子どもに何でも決めさせるというのがはやりですが、一方には、あまり小さいうちから決断を強制していくといつも不安を抱えるような子どもになってしまうという考え方もあります。

プルメリア:学校現場でも、やってみたいですね。

さらら:発想はキッザニアみたいな? 

アカシア:でも、キッザニアはおとな側が全部お膳立てしちゃうじゃないですか。お母さんに楽をさせて、その分お金を吸い上げる商売ですよね。ミニミュンヘンでは、子どもに親切だったおとなを子どもが選んで表彰したりもするんです。ところで、この本ですが、日本の作品にはないおもしろさがありました。最後はうまくいきすぎと思ったけど、そうか、それも嘘かもしれないと思うと、さらにおもしろいですね。

さらら:最後のメールのやりとりは、ほんとなのか嘘なのか、読者の読み方に任せている。だから、オープンエンディングじゃないですか?

アカシア:翻訳はところどころ引っかかりました。p8ではマッティが「ああ、またもや、皮肉だ」って言ってますけど、子どもの台詞らしくなかったし、この場面では皮肉にはなっていない。p15の「そんなこと、あの人には関係ないでしょう」も場面にしっくりこない。p19のパパの台詞は「イエス」だけど、ドイツ語じゃなくていいのでしょうか? 訳者あとがきの「未知の国フィンランドに出会えるのも」って、誰にとって未知の国? などなど、いくつか突っ込みたくなりました。

ルパン(遅れて参加):最初は笑ったらいいのか怒ったらいいのかわかりませんでしたが…最後は大笑いして終わりました。もう、めちゃくちゃですよね。でも、そのなかにピリリとスパイスが効かせてあるのがいいなあ、と思いました。

さらら:ただの馬鹿話じゃない。

ルパン:ええ。すごく鋭いところがありますよね。主人公は「世界を変える行動」に出るんだけど、それは「動物保護のために寄付をしている」、って嘘をついていたパパとママのかわりに寄付しに行ったり…ユーモラスで奇抜なんだけど、子どもに嘘をつくおとなを見事にやりこめてます。子どもに林業をなんとかさせようとして空回りしている大真面目な『林業少年』より、一見ふざけまくっている『マッティ』の方が、よっぽど子どもの視点できちんと世界を見ているような気がします。

レジーナ:良かれと思ってしたことが、とんでもない結果につながります。こんなにやりたい放題の子どもたちは、ネズビット以来。

ルパン:お母さんは理不尽に怒ってるのにお父さんはにやっと笑ったりしてるところもおもしろいし。

さらら:いいお父さんですよね。

アカシア:そういうところに存在感が出てる。

ルパン:エイプリルフールに、おとなたちもみんなだまされて池のイルカを見に集まるシーンもよかったなあ。

レジーナ:私も信じました。

ルパン:A型で学校の先生である私としては、これ、怒らなきゃいけないんじゃないかと思って読んでたんですけど、途中から笑いをこらえきれなくなっちゃって。さいごに家が当たる、っていうどんでん返しも、ここまで徹底的にリアリティなかったらむしろスカっとしますよね。

レジーナ:一番最後のメールで、家が当たったというのは、嘘かと思いました。もはや誰を信じていいのか……。

ルパン:でも、ただのドタバタに終始しているわけじゃなくて、たとえばマッティが新しい家に引っ越すんだ、ってはしゃいでたときに、親友のツーロは寂しく思ったりするシーンとか、全編通して、ちゃんと子どもの心の機微をとらえているところがよかった。理屈で説明するのでなく、それがストーリーのなかにさりげなく織り込まれているから。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年4月の記録)


スターリンの鼻が落っこちた

『スターリンの鼻が落っこちた』
原題:BREAKING STALIN'S NOSE by Eugene Yelchin, 2011
ユージン・イェルチン/作・絵 若林千鶴/訳 
岩波書店
2013.02

版元語録:秘密警察官の父を逮捕されたサーシャ・ザイチクは叔母の家にも入れてもらえず、囚人面会の長い列に並ぶ。2012年ニューベリー賞受賞作。

アカザ:とにかく迫力があって、終わりまで一気に読みました。おもしろかった。ずっとリアルな場面が続くんだけど、最後のほうで主人公が追いつめられて、大変な精神状態になるところでスターリンの鼻の幻影が出てくるでしょう? 一気に全速力で駆けぬけるような作品の終盤でそういう場面を入れるところなど、うまいなあと思いました。最後、どうやって終わらせるのかなと思っていましたが、ウソっぽくなく、それでいてほんの少しだけど胸のなかがあたたかくなる終わり方で、よかったなあと思いました。以前はロシアの児童文学ってたくさん翻訳されていたけれど、今はどうなってるんでしょうね? リュードミラ・ウリツカヤなんかも児童文学を書いているって聞いたけれど。

アカシア:ロシアの児童文学は、今はあまり出てないんでしょうか?

さらら:『愛について』(ワジム・フロロフ著 岩波書店)とか。

アカシア:昔はロシア語の児童文学の翻訳者はたくさんおいででしたけど、今は少ないのかもしれませんね。大人の文学の翻訳者は、亀山郁夫さんとか沼野充義さんとか、おもしろい方が活躍なさってますが。

アカザ:きれいな絵本を見せてもらったことはあるけれど、読み物は読めないので、どうなっているかよくわかりませんね。

さらら:モスクワにいい書店があるんです。翻訳物がたくさん並んでいました。『くつやのねこ』(いまいあやの作 BL出版)もロシア語で出ていました。

アカシア:ロシアには文学の伝統ってずっとありますもんね。

アカザ:ボローニャやフランクフルトの見本市には、ロシアの本は出品されないんでしょうか?

さらら:ロシア語を読める編集者が少ないから、商売にならないかも。

レジーナ:それまでピオネール団に入るために頑張ってきた子どもが、父親の逮捕をきっかけに、価値観が揺らぐ様子を手加減せずに描いています。日本の敗戦にも通じますが、国家に翻弄され、それまで信じてきた理想が根本から崩れる体験です。絵の力にも圧倒されました。

アカシア:グラフィックノベルではないんでしょうけど、絵がたくさん入っていてそれに近いですね。

レジーナ:ニューベリー賞オナーに選ばれたということは、文章で評価されたのですね。アメリカの子どもは、どう読むのでしょう。

:昔、『ビーチャと学校友だち』(ニコライ・ニコラエヴィチ・ノーソフ作)というソ連の児童書がとても好きでした。ピオネール団や共産主義も出てくるのですが、とてものんびりした楽しい雰囲気の本で、そことのギャップをすごく感じました。

アカシア:時代はどうなんでしょう? 『スターリン〜』より前じゃないですか?

:『ビーチャ』は、もっと昔の話だったのかしら。『スターリン〜』の方は、大変な問題意識を持って書かれていますね。児童文学は、ザイチクが列に並ぶ最終場面のあたりから書き始めて、「昔、こんなつらいことがあった」と回想するタイプが多いように思うのですが、この作品は、その「昔」の部分をぐいぐい書いています。これから疑似家族をつくっていくのかもしれませんが、それにしてもしんどい経験ですよね。戦争児童文学やアフリカン・アメリカン児童文学だと、目に見える形で異質とされる人が攻撃されますが、ここででは、誰が誰を裏切るか分からない。怖いです。

げた:タイトルから、もっとユーモアのあるおもしろい話かと思ったけれど、全編怖い話でしたね。少年の信じるものがひと晩で崩れていく話ですよね。少年にとって英雄だったお父さんが、いきなり逮捕されて、スパイにされてしまう。いつも、大人の争い事に子どもが巻き込まれて、悲惨な結末になるのが、あわれでしょうがないです。なんとか、そうじゃない社会であってほしいですね。日本の子どもが読むならば、歴史を勉強してからじゃないとわからないんじゃないかな。中学生くらいじゃないと難しいかな。ホラーに近い挿絵は効果的ですね。

アカシア:確かにそうですね。

げた:読んで、つらい気持ちになりました。

プルメリア:以前読みましたが、今回もう1度読みました。暗いストリーですが、挿絵と手に取った感じと大きさが気に入りました。密告して利益を得る人や人間のあさましさが出ている社会が描かれています。資本主義と共産主義の違いも。にんじんがおいしいのは、ひもじいから? 鼻が欠けて空気が凍るような場面、鼻がしゃべり出す場面の設定には驚きました。挿絵が突飛です。最後に、自分らしく生きることが出てくる。

アカシア:自分らしい決断はしますが、それで生きていけるのかしら?

プルメリア:でも同じような思いの人との出会いは、よかったのでは。

アカシア:共産主義じゃなくて、ここは全体主義のことを言ってるんですね。日本だって、そうなるかもしれないわけです。この作品でも、当時の社会を支配していた恐怖が実感をもってひしひしと伝わってきます。この作品に出てくる人たちは、みんな脅えていて、ぎすぎす生きている。どんな時代にも、そうじゃない人はいたと思うんですが、ここには愉快な人、人間らしい生き方をしている人は出てこない。アメリカで出ているので、スターリン時代の恐怖政治が強調されているのかもしれません。

アカザ:私も、アメリカで出版されたということで、どう読まれるのか少し気にかかりました。だからロシアは……とか、だから共産主義は……というふうに読まれるのではないかと。それよりも、あとがきにあるように、今の日本でこういう本を出版するということに意味があると思いました。

げた:日本の戦前の「隣組」もそうですよね。資本主義でもありうる話ですね。

アカシア:それって、今の世界の構造そのもので、それがわかりやすい形で小規模に行われているんじゃないですか?

:(検索して)『ビーチャ』は1951年なのでスターリンの時代に書かれていました。真実は『ビーチャ』と『スターリン』のあいだくらいにあるのかもしれませんね。

ルパン(遅れて参加):今回読んだ3冊の中では、私はこれが一番おもしろかったです。ただし、funnyではなくinterestingの意味で。マッティは別の意味で子どもたちが生き生きと動いてはいましたが…でも、ママのかわりに寄付しちゃうお茶目なマッティと対照的に、先生の机のなかにスターリンの鼻を入れてしまうのは…。とんでもない先生なのだけど、考えてみたらこの先生もかわいそう。おとなも子どももみんな社会の犠牲者ですよね。こんな時代が本当にあったのだと思うと身震いしたくなります。『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著 土屋京子訳 講談社)の児童文学版を読んでいるかのようでした。ただ、それでいて最後まで子どもの目線できちんと書けていると思いました。理屈ではなくストーリー運びの中で両親と引き裂かれた悲しみが描かれています。ところで、アメリカ人のお母さんは結局どうなったのでしょう。

アカシア:お母さんはお父さんが売っちゃったんですよね。子どもを生きのびさせるために。今『ワイルド・スワン』の話が出ましたが、私はあの作品には反共プロパガンダ的なところがあると思っています。

ルパン:子どもたちのひとりひとりに個性がありました。フィクションのなかでリアルに子どもたちが動いている。最後はハッピーエンドではないのですが、ピオネール団は入らない、というザイチクの決意に好感が持てました。ザイチクはこのあと知らない女の人の子になるのでしょうか。この女の人の子どももきっともう帰ってこないのでしょうね。御都合主義ではなく、悲しい結末だけど、このお話には未来があります。たぶんこの女の人と寄り添いながら、ザイチクはこれからも社会に流されず自分の足で生きていくのだろうと思わせる余韻がいいなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年4月の記録)


母ちゃんのもと

『母ちゃんのもと』
福明子/著 ふりやかよこ/挿絵
そうえん社
2013.02

版元語録:ある日、ぼくはその山の頂上で「母ちゃんのもと」というふしぎな粒をもらった。大好きだった死んだ母ちゃんがよみがえる…?

:何もかもリアリティがなかったです。お父さんが乗り越えていないお母さんの死を、たけるはいとも簡単に乗り越えてしまっています。寂しさはあるけど、その寂しさに奥行きがないというか。こんな5年生は絶対にいないし、けなげすぎるでしょう。遺言を守っているという設定ですけれど、そこにもリアリティがありません。「母ちゃんのもと」という小道具もマンガにありそうですけど、空気が入ってぼよんぼよんしていて、いかにもまがいものですよね。たけるがいろいろ教えてやらないと、本当のお母さんに似たものにならないから、子どもが優位に立たざるを得ません。間違ってます。たけるの喪失を埋めるものにならないから、疑似的な親子関係にもリアリティが生まれないし、最後はあんなふうに消滅してしまいます。八百屋も何を考えているのだか、たけるになぜあんなものをお試しで渡したのかしら。残酷。あらゆる面で、たけるは大人にとって都合のいい子どもになっていて、本当の気持ちはどこ?と思います。

ルパン:なんてかわいそうな話なんだろう、と思いながら読みました。たけるはお母さんが亡くなっても立派にがんばっているのに。たとえ、いつまでもめそめそしている子どもだとしても、わざわざ中途半端に死んだお母さんをよみがえらせたりしたら残酷なだけなのに、ましてやこんなに健気にお父さんの世話までしている子に、いったい何をさせたかったんでしょう。いきなり出てきて「母ちゃんのもと」なんか使わせて感想を言わせようとしているこの八百屋(?)の「おっちゃん」も意味不明です。

アカシア:やっぱりリアリティがないですよね。たけるがけなげで新たな出発をするのはいいのですが、たとえば、峠から自転車の二人乗りで坂道を下って、おもちゃ屋に突っ込んでショーウィンドーを割るくだりとか、ビニールプールをかぶって雨をよけるくだりは、いかにもマンガ的で、リアリティがない。お母さんが現れたとしても、こんなぼうっとしたつかみどころのないお母さんだったら、かえってたけるは大変になるだけ。それを乗り越えてっていう展開にそもそも無理があると思います。

レジーナ:雨の中、お母さんを守りながら自転車で走る場面をはじめ、切ない雰囲気の作品です。お母さんが割烹着を着ていたり、部屋にちゃぶ台があったり、時代を感じさせる設定が、暗さを助長しているようで……。種から生まれたお母さんのちぐはぐな言動に、ユーモアがあれば、救われたのですが。ショーウインドーは高額のはずなので、それを壊してしまい、どうするのかと思っていたら、ガラス工場に勤めているお父さんが弁償します。ご都合主義な展開です。登場人物も、もっと作り込む必要があります。無力で健気な子ども像が強調されているのも気になりますし、ロックミュージシャンのような八百屋さんの描写も平面的で、リアリティが感じられませんでした。

プルメリア(遅れて参加):学級(小学校5年生)の子どもたちに紹介しましたが、読んだ子どもたちからはおすすめの本という声は残念ながら出ませんでした。お話がオーバーに構成されているように見えました。たとえば、お母さんと一緒に自転車に乗ってみかん畑に倒れたとき、帽子がみかんの木のてっぺんに引っかかったり、お母さんがゴロゴロと転がって木にぶつかりみかんがぽこぽこおちてきた場面。疑問に思った場面は「スニーカーの先がアスファルトのつくたびに火花が散るのが見えた」。見えるのかな? また「初めてお父さんが料理をする」とありますが、今まではどうしていたのかな? よく似た作品には『お母さん 取扱説明書』(キム・ソンジン作 キム・ジュンソク絵 吉原育子訳 金の星社)がありますが、登場人物はそっちのほうが少なくまとまっていたように思えます。みなさんの意見はどうでしたか?

アカシア:『母ちゃんのもと』については、たけるが、せっかくけなげに前向きに生きているのに、中途半端にお母さん人形みたいな物をちらつかされ、しかも、自分のせいで消えてしまう。子どもにしたら、とても耐えられないような踏んだり蹴ったりのシチュエーションじゃないかと思うという声がさっきは多かったのです。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年3月の記録)


希望への扉 リロダ

『希望への扉 リロダ』
渡辺有理子/著 小渕もも/挿絵
アリス館
2012.11

版元語録:故郷を追われたマナポがたどりついた、タイの難民キャンプ。なに不自由ないくらしだけど、なにか足りない…やがて図書館員になる中で、民族の誇りと希望をとりもどす。

ルパン:私は、これはなかなか良いと思いました。先に読んだ『かあちゃんのもと』を評価できなかったからかもしれませんが。よくまとまっているし。ただ、最近こういうのが多いな、とは思いましたが。

アカシア:こういうのって?

ルパン:難民の話とか、途上国が舞台の物語です。私はここ3年ほどシャンティの訳語シール貼りをしていたので、親近感をもって読みました。途上国で新たに本を作って出版するのはとても大変なことだと思うので、現地の言葉のシールを上から貼って手渡すのはいいアイデアだと思っています。私がシールを貼った本はこういうところに行って読まれているのだな、と思うとうれしくなりました。お話のなかでよかった場面は、高床式の図書館を作っているときに、中で読み聞かせの練習をしていたら、床の下に子どもたちがたくさん入って聞いていた、というところです。

:現実には、こういう活動にはうまくいかないことも悪いこともあると思うんですけれど、よくできた部分を取り出した報告パンフレットのようでした。日本のNGOのおかげというのが前面に出ているところも。難民の話かと思ったら図書館の話になるんですよね。カレン族とミャンマー族の相克の背景など、もっと深めてほしかったな。難民を描くという点では浅いのではないでしょうか。あと、リロダというのもはじめ何のことだか分からなくて。

ルパン:タイトルにもそうありますし、図書館のことでは。

:(本を見て確認)読みすごしていました。たしかに、ちゃんと「図書館」とありますね。
アカシア:私は内容も記述も教科書的だな、と思いました。書いてあることは悪くないんだけど、表現にもクリシェが多いし、作者自身が難民ではないので今ひとつ迫ってこないのが残念でした。ミャンマーのシャンティはライブラリアンの研修をちゃんとするんだな、とか、人数をかぞえるのに小石を一つずつ箱に入れてもらうのはいいな、とか、そういう発見があったのはよかった点です。貧しい中でも家族が助け合って暮らしている様子も伝わってきました。それからカレン語の訳を、日本や欧米の絵本に貼るのも悪くはないと思いますが、本当はそこの土地の子どもたちが自分が主人公、という気持ちになれる本が必要なのだと思います。その意味では、カレン族の昔話を紙芝居にして、難民キャンプで暮らす絵の好きなおじさんが絵を描いてくれる、というのは、とてもいいと思いました。こういった試みが広がっていくのが理想だと思います。挿絵では、p39の絵だと川幅がそれほどないように思えるので、政府軍のサーチライトをかわすのはこれでは無理なのではないか、と思いました。

ルパン:学校の先生が書いたクラスづくりのおはなしとかに、こういう感じの本ありますよね。

アカシア:うまくいった部分だけを取り上げて書いたものは、ノンフィクションにもたくさんあります。

:成功体験でまとまっているのが多いですね。

ルパン:ただの紹介や説明だと聞いてもらえないけど、物語にしたら読んでもらえるからストーリーにまとめるんでしょうね。

アカシア:最初は木に登って図書館の中をのぞいていた男の子パディゲが、図書館の中に入れて文字も少し教わり、お母さんから認められて小学校に通えるようになる。そしてマナポが働いていた図書館が洪水で流されてしまったとき、このパディゲの家族は、自分たちが別の場所に立ち退くからそこに図書館を建ててほしいと言い出す。この展開は、とてもきれいですが、実際は、そんなにうまくいかない場合がほとんどじゃないかな。学校に行かせない親は、西欧風の価値観に毒されると思ったり、早くから手に職をつけてほしいとか思っている場合が多いでしょうし、そうした考えを変えていくのにはかなりの時間がかかるように思います。

ルパン:あまりわくわく感がないのは、最初から「これを書こう」という枠組みを決めて書いているからじゃないですか。登場人物が自然にいきいきと動き出す、という感じはないですよね。でも、図書館を見たことがない子どもたち、初めておはなしを聞いたときのうれしさ、本が読めるよろこび、というものがすなおに伝わってきて、好感がもてました。成功体験だけをまとめているのかもしれませんが、『かあちゃんのもと』のご都合主義にくらべたらはるかに読後感がいいです。

アカシア:難民キャンプには募金が集まるので図書館がいくつもつくれる。でも、逆に地方の村には図書館がない。この作者は、図書館は絶対的にいいものだという価値観が最初にあって書いているようですけど、ボランティアって本当は安易にするべきものじゃなくて、深く考えてするものだと思うんです。文字の文化も安易に導入すると、声の文化を圧迫して消滅させてしまう結果になる。まあ、この本は小学生向きなので、そう詳しくは書けないでしょうけど、作者がどこまで深く考えているのか、は大事だと思います。

:その言葉を話す人たちに家族を殺されているのに、心理的な抵抗はないのかしら。いつかカレン語で、という願いはありますが、現状への葛藤はあまりないみたい。

レジーナ:石で入館者を数えたり、高床式の建物の床下でおはなしを聞いたりする場面からは、その土地ならではの素朴な温もりを感じました。厳しい環境で生きる子どもが、読書の喜びを知っていく姿に、子どもに本を手渡していく活動は、時代や場所を越えて続いているのだと感じました。第二次世界大戦後、瓦礫の中でミュンヘン国際児童図書館を始めたイェラ・レップマンを思い出しました。それにしても、湿気が大敵の図書館を、川のそばに作ってしまうのには驚きました。難民が一番多い地域は、アジアだと書かれていましたが、これまで知りませんでした。

プルメリア(遅れて参加):この本を読んだ5年生の女子は、『難民って大変なんだな。図書館はどこにでもあると思っていたから、図書館がないところがあることを初めて知りました。』との感想でした。絵もあって、とくに女子にはとっつきやすそうでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年3月の記録)


嵐にいななく

『嵐にいななく』
原題:AFTER THE FLOOD by L.S. Matthews, 2008
L.S.マシューズ/著 三辺律子/訳
小学館
2013.03

版元語録:ジャックは、引っ越した村で1頭の馬に会う。家畜として飼うために馬と心を通わせ、馬具がつけられるように訓練していく。物語はマイケルの日記をはさみながら進む。

ルパン:まだp170までしか読んでないのですが、今のところ3冊の中で一番いいと思っています。ただ、p120のマックスの言葉の意味がよくわかりませんでした。

アカシア:両親が、ジャックのことを理解していないということでは。

ルパン:あと、ジャックが読み書きできないということを、マックスはいつ知ったのでしょう。

アカシア:p81では?

:最後は本当に衝撃ですよね。おもしろい。これまで読んできた前提がひっくりかえされます。時代もよくわからなくて、ずいぶん昔のようでいながら、先端のエネルギー問題がでてきたりして、予想が何度もくつがえされます。背後にあるのは無機質な世界なんです。でも、そこに、人間同士のあたたかい関係や、読み書きとか、有機的なものが立ち上がってきます。それは成功していると思います。馬を自由に飼うことはできないその状況は無機的ですけれど、馬のお世話をするときの脈動とか、馬という動物じたいの躍動感とか、もっといえば、馬の前にシカが殺されたときの赤い血の広がりとか、そういうあたたかさが有機的なものとして浮かび上がってきていると思いました。もちろん、その先に、マイケルとの交流がありますね。いろいろな意味で実験作ですね。

プルメリア:以前読んだとき、いい本だなって思いましたが、今回 読んでみたところ感想画を描く5・6年生の高学年には読み取りにくい作品だなと思いました。読み書きができない内向的な少年が、馬と出会って変わっていく。飼うのが大変な状況の中で馬と心を通わすことで安心感を得る。ペット的な小動物でない馬の設定がおもしろい。残念なことは、学力的に高くないと読みきれない作品だと思います。

アカシア:最初の出だしはとてもドラマティックで、ぐっと引きつけられました。でも、4章ではとつぜん18か月後のちがう話になります。そこで、まずえっ? と思って、私の中の読むリズムが崩れてしまいました。それと、時代がいつなのかがよくわかりません。出版社の言葉には近未来とありましたが、エネルギーを無駄遣いしないという枠はわかっても、どうして新時代の自動車ではなく馬が使われているのか、省エネ機械ではなく人力ですべてが行われているのか、どうして学校制度が形骸化してしまったのか、などはよくわかりません。ベースになる時代設定をヒント程度にでも書いといてもらわないと、読む方は落ち着かない気持ちになります。これ、特に近未来にする必要がなかったんじゃないかな? もちろん動物と人間の愛情などよく書けていますし、いい描写もあるのですが、イギリスのアマゾンを見ると、もうキンドル版しか出ていませんね。不安定な舞台設定がネックになったのではないでしょうか? マイケルが実はおじいさんだったことが最後の最後でわかるのですが、それも意表をつくおもしろさというより、あざといと思ってしまいました。そんな小細工しないほうが、伝わるものが大きいのではないでしょうか? それから、翻訳はいい文章なのですが、わかりにくいところがありました。

レジーナ:原文は、どうだったのでしょうね。英語は、言葉づかいが、日本語ほど年齢によって変わらないはずですが、日本語の翻訳者は、老人なら老人らしく、子どもなら子どもらしく、台詞を訳します。マイケルの口調が少年のように訳されている分、原文より日本語訳の方が、最後の驚きは大きいのかもしれません。読者の知らない事実を最後に明かす手法は、シャロン・クリーチの『めぐりめぐる月』(もきかずこ訳 講談社)を思い出しました。『めぐりめぐる月』は、少し凝り過ぎだと思いましたが、今回の作品はちょっとだまされたように感じてしまいました。筋はおもしろく、読者を引っ張っていく力があり、大人の作品だったらよいと思いますし、また仕掛けをしておき、最後にあっと驚かせる作品を好む子どももいます。しかし、児童文学である以上、「だまされた」と読者に感じさせないようにしなければいけないのではないでしょうか。作品に寄り添って読むことができていたら、そう感じなかったかもしれません。エネルギー不足の近未来という舞台設定、馬との心の交流、字が読めないというハンディ――さまざまな要素が、もう少し絡み合っていたら、よかったのでしょう。最後の方に、嵐の後、家に閉じ込められた人を救う場面があります。洪水で家を失い、別の土地で新しい生活を始めた少年が、そこで出会った人や動物の力を借りて、今度は他者を助ける側になるのですね。レースのように見えたり、エメラルド色をしていたり、鮮やかでみずみずしい野菜の描写、身体を自由に動かせないマイケルが、鍬によりかかる人を見て、「疲れる」という感覚を思い出す場面は印象的でした。今すぐマイケルの日記を読みたいジャックが、日記を「今にもはじけそうになっている花のつぼみのよう」だと表現しているのも、美しいたとえですね。いじめっ子のフレッドやジムは、痛みを抱えた人間として描かれていて、人物造形に厚みがあります。洪水の時の不気味な静けさはよく伝わってきましたが、においもするはずなので、そこを描けばもっとリアルに感じられたでしょう。ハミやオモガイといった言葉にはなじみがないので、p217の図に助けられました。図が冒頭にあれば、なおよかったです。

アカシア:近未来にするなら、現在の社会からどう変わってこういう社会になっているのか、そのあたりを少なくとも作者は考えて書いてほしいと思います。そうでないと、子どもだましになってしまう。

ルパン:携帯電話が出てくるまでは、昔の話だと思って読んでいました。近未来という設定だというのは気がつきませんでした。ぜんぶ読まないとだめなんですね。
ラストを聞いたら、先ほどのp120のところも納得がいきます。

アカシア:ジャックの一人称部分は明朝体、マイケルの日記はゴチック体で印刷されているんですが、訳注は両方ともゴチック体なので、明朝部分の注がやけに目立ちます。それから、「動物をペットとして飼えなくなった時代」とありますが、p124に犬は出てきますね。これは、猟犬なのでしょうか? だったら猟犬と訳したほうがよかったかも。

:資源が足りないから、ペットを飼えないのでしょうか。洪水で鶏小屋が流れてくるけれど。

一同:ニワトリは食用なのでは。

アカシア:太陽エネルギーを蓄電できれば、いろいろな問題は解消されるはずなんだけど、この作品では時代が元に戻ってしまっていますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年3月の記録)


もう一度家族になる日まで

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『もう一度家族になる日まで』

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『もう一度家族になる日まで』

の読書会記録

スザンヌ・ラフルーア著
永瀬比奈訳 
徳間書店  2011

ルパン:最初は、主人公の女の子が好きじゃありませんでした。自分のことで
いっぱいいっぱいで、まわりの人まで思いやる余裕がないし、あんまり「いい子」じゃないですよね。でも、途中からぐいぐい引き込まれて、この年齢でこんな目に遭ったら、こう感じるのが当たり前だ、って思うようになりました。最後はすっかり感情移入して、電車の中で読みながら悲しくなって号泣しちゃいました。いちばんぐっと来たのが、お母さんと会えたときに、初めていう言葉。お母さんに、「私より妹のほうがかわいかったの?」って言うシーンです。死んだ妹をなつかしんでいたけれど、私がいるのに、妹が死んだことがそんなにつらかったの、と。そのひとことで、もう泣けて泣けて。

レジーナ:ずっと気になっていた作品です。読むまでは、経済的に困難な家庭でネグレクトを受けた少女の話かと思っていましたが、そうではないのですね。亡くなった妹のために買っておいていたプレゼントを、誕生日の日に写真のそばにそっと置いたり、お母さんが見つかったことを知らせに学校に来たときに、可愛がっている金魚を車に乗せて連れてきたり、押しつけがましくなく、主人公の気持ちに寄り添うことのできるおばあちゃんが心に残りました。感謝祭の前に、主人公が、家族の思い出のスイートポテトを作りたいと言い出した
時も、失敗したらどれだけ傷つくかを考えたら、私だったら一緒に作ると思います。その子を信じて委ねるのはなかなかできないことなので、子どもを根底から信じようとするおばあちゃんの強い姿勢を感じました。親友の妹が病院に運ばれたとき、それまで悲しみの殻に閉じこもっていた主人公がはじめて、友だちのことを思いやる描写も、心に響きました。誕生日の日に、年の数より一本多くろうそくを灯す習慣について、あとがきで触れてありましたが、物語の中では詳しく述べられていなかったので、その点に関してはもう少し説明がほしかったです。

みっけ:これは原書が出た頃に買って一度読みました。不思議な感触の本だなぁ、静かな本だなぁと思いました。今回訳を読もうと思ったのですが、冒頭で日本語にひっかかって、その後もかなり気になる箇所が多く、結局原書を読み直しました。初めのうちはこの子に感情移入できなくて、嫌な子だと思った、という感想がありましたが、まさにそう思わせるくらい丹念にこの子の心
の動きを掬っているのがすごいと思いました。主人公の見たもの、感じたものをごく細かいところまで丁寧に掬っているんだけれど、ただ拾うだけでなく、ポイントをしっかり押さえているから、主人公が細かく揺らぎながら喪失感や何かに向き合っていくのがリアルに伝わってくる。その実感が感じられるから、ベタになってしまわずに、読んでいて、この子に静かに寄り添っているような感じがするんだと思います。それと、最後のところでお母さんが、一緒に住める気がするから家に帰ってきたら、と言い出したときに、この子が返事をペンディングするところがいいなぁと思いました。それがこの本の大きな魅力だと思う。この子がすぐに一緒に住む、と言わなかったことで、おばあちゃんや隣の女の子と過ごした時間、そこで培った関係をこの子がどれだけ大事にしているかがよくわかる。
いわば、お母さんとは別の時間や関係がどれほど大切なものだったかが浮かび上がってくるわけです。それがなくて、この子がほいほいと家に帰ったら、あのおばあちゃんや隣の子との時間はなんだったの?という話になる。それと、おばあちゃんやブリジットなどのこの子を取り巻く人たちの接し方がすばらしいと思いました。大前提はとんでもなく深刻な状況なんだけれど、この本に描かれている時間の中では、別にドラマチックですごく大きな出来事が起きるわけではない。
その意味ではかなり地味な本なのに、丹念に細かく日常を積み上げていってこういう作品を作れるのは、すばらしい才能だと思いました。

ルパン:タイトルが残念ですよね。センスが感じられない。

みっけ:訳は全体にベタな感じですね。それと、原著がかなり綿密に言葉を選び、情景のイメージを作っているのに、訳が粗いのが残念。細かいことを積み上げていくタイプの作品だけに、それが大きく響いてしまう。でも、作品としてはとても好きです。

カイナ:この題名を見て読むと、お母さんと娘がもう一度一緒に住むようになるんだろうな、と予想して読んでいったら、そうならなかったので意外でした。パターソンの『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン著 偕成社)を思い浮かべました。ちょっと違うけど母親に捨てられた娘。お母さんがヒッピーで、里親の愛を受ける。あっちに行くか、こっちに行くか迷うという話。

ハリネズミ:『ガラスの家族』は、ギリーがお母さんと会ったときに、それまでずっと抱いていた幻想が壊れるんですね。パターソンは、お母さんがカバンを間にはさんでギリーを抱きしめた、と書いて、そこをうまく表現しています。

カイナ:ちょっと批判になりますが、マーカスという男の子が出てきます。「ぼくのせいでお父さんが消えちゃった」という子。その子が、あとどうなったかが書かれていなかったような。それから、変な話なんだけど、家庭に問題があって最後に主人公が立ち上がってきた話というテーマは多いですね。またその話か、と思ってしまいました。自分の中では正直食傷ぎみ。そんなこと言うと怒られるかな。

ハリネズミ:日本の状況からすると遠い感じがしますけど、欧米には、親が離婚・再婚を繰り返す家庭も多いので、そういう立場にいる子どもへの応援歌も必要なんですね。だから作品もいろいろと書かれていますが、みんな同じじゃなくて、それぞれ特徴がありますよ。

みっけ:この子は最後のやりとりで、決してお母さんを拒否していない。そしてこの本は、お母さんを拒否していないということがきちんと伝わるように書いてある。それでもこの子は揺れていて、お母さんがいないところで紡いできた時間のことを考えると今すぐは無理、というわけだけれど、こういう選択肢はなかなか子どもには考えにくい。どうしても二者択一になりがちだから。でもこういう選択肢があるということを示して、それでいいんだよ、というのは、現実にもみくちゃにされている子どもたちへのひとつの応援歌だと思います。

ajian:すごく気持ちを丁寧に書いてあって、それで読むのが大変でした。感情移入してしまって……。こういうことは、なかなか簡単に癒されたり、解決したりすることではないと思うんですよね。お母さんのところに
戻らないっていう選択肢を物語として示してあるのは、すごくいいと思いました。子どもには回復力があると思いたいけれど、この子ーーまあ小説の登場人物なんですがーーはむしろ、これからなんだろうなと思います。トラウマっていうのは、自分ではすっかり平気だと思っていても、何かの拍子に思い出したりするんです。いつか変わる、普通に戻れると思っているとダメで、むしろ変わらないし忘れられないんだってことを受け入れてかないとキツいと思うんですよね。ここまでひどいことが起きなくても、子どもは結構大変なことを抱えているもので……。個人的にも最近いろいろあって、ついそのことを重ねつつ読んでしまいまし
た。

プルメリア:重たいテーマなのに、私は読みやすかったです。主人公のそばにいつもいるおばあさん、隣に住む少女や家族、そして出会う人たちがとてもあたたかくていいなと思いました。お母さんに対しての思いが、周りの人達と関わることによって、だんだん冷静に見られるようになって、よかったなと思いました。食事の場面
がたくさんありました。食事の場面が出てくるとあたたかい感じがするなと思いました。

ハリネズミ:最後のところでオーブリーはこう書いています。
「ママがもういちど、家族になりたいって思ってるのはわかるよ。わたしも同じ気持ち。だけど、ここにいる家族を置いていく気には、今はまだなれません」。
この「ここにいる家族」の中には、おばあちゃんだけじゃなくて、ブリジットやブリジットの家族や、マーカスや、エイミー先生も入ってると思うんです。英米の児童文学を見ると、「家族というのは血のつながりより、一緒に紡ぐ時間の積み重ねのほうが大事なんだ」という思いが強い。イギリスのジャクリーン・ウィ
ルソンの作品なんかも、それが前提になっている。それと、私はこの作品を読んで、アメリカのジャクリーン・ウッドソンの『レーナ』(ジャクリーン・ウッド
ソン著 理論社)を思い出しました。あの作品でも、主人公マリーのお母さんが夫と子どもを置いて家を出てしまうし、マリーはそのお母さんに宛先のない手紙を出し続けています。

みっけ:この子とスクール・カウンセラーとの関係は、決してメ
インではないんだけれど、それでもきちんと書いてあって、たとえば、最初はずいぶん突っぱっていて、M&Mをどうぞと言われて、「いえ、けっこうです」みたいに断る。ところが四回目に会ったときには、思わずまたM&Mをどうぞって言われるのかな、と入れ物のほうを見ちゃう。そしてカウンセラーにどうぞと言われると、膝の上に入れ物ごと置いて食べ始める。しかもその日の面談が終わるときには、なんと入れ物を戻すのを忘れて、カウンセラーに「M&Mは(持って行っちゃわないで)置いていってね」と言われる。この展開ひとつで、この子がカウンセラーに対して次第に心を開いていっているのがわかるし、最後の「置いていってね」のところには独特のユーモアがある。作者の目線にユーモアがあるからこそ、深刻な状況で揺れる心に寄り添っていても、こちらがあまり息苦しくならない。そこがいいですね。

ハリネズミ:ちょっとしたところの描写がうまいですよね。

ルパン:これを20代の人が書いたというのもすごい。若いのにすごい筆力だと思います。

(2012年12月の言いたい放題/
http://members.jcom.home.ne.jp/baobab-star/index.html)


おいでフレック、ぼくのところに

『おいでフレック、ぼくのところに』
原題:ONE DOG AND HIS BOY by Eva Ibbotson, 2011
エヴァ・イボットソン/作 三辺律子/訳 
偕成社
2013.09

版元語録:長い間犬との暮らしを夢見ていたハルと犬のフレックは一目でひかれあう。しかし、フレックがレンタル犬だと知った時…イボットソンの遺作。

ヨメナ:とても、おもしろく読みました。長いことファンタジーを書いてきたイボットソンが最後に書いた作品だということですが、ずっとこういう物語を書きたかったんだろうなと思いました。ちょっと古い感じがしたし、小学生が読むとしたら長いのではとも思いましたが、読書力のある子どもだったら、物語のおもしろさにひきこまれて一気に読んでしまうでしょうね。犬の大好きな子もね。ただ、登場人物が多くて途中で分からなくなってしまったので、最初に紹介をつけておいてほしかった。お父さんとお母さんは、これほどマンガチックに書かなければいけないのかな?

レジーナ:イボットソンは、ひねりのきいたユーモアや大人の社会に対する痛烈な皮肉が、ロアルド・ダールに通じる作家ですね。『幽霊派遣会社』(三辺律子訳 偕成社)は入りこめませんでしたが、『ガンプ : 魔法の島への扉』(三辺律子訳 偕成社)はおもしろかったです。あまり奇想天外な設定より、日常にファンタジーの要素を持ちこみ、その中で起こるどたばた騒ぎを描くのがうまい作家です。今回の作品はファンタジーではないけど、犬からの視点が入っている点では、リアリズムでもなく……犬も人間もよく描けていますね。翻訳に関して、p252に、結婚によいイメージのないハルが、「結婚しなくても問題ない」と考える箇所があります。「結婚しなくてもかまわない」の方が、子どもには分かりやすいのではないでしょうか。気になったのは、正義感の強いケリーの妹が犬を逃がす場面です。ルームAの犬だけ逃がすのですが、ほかの部屋の犬はそのままでいいのでしょうか。

:とてもおもしろく読みました。旅の終わりに犬が1匹ずつ落ち着くべきところを見つけていく収束感があってよかったです。子どもは田舎で育つべきだという昔ながらの考え方が強調されていて、湖水地方に救われたポターのことも思い出しました。カントリーサイドへの憧れがありますよね。出てきた場所の中では、現代のオアシスのような温かい修道院がよかったです。気になったのは、犬も人も多いこと。時々混乱しました。あと、p215に「ケヴィン・ドークスは親切な男でした」と書いてあるけれど、実際は悪い人です。こういう皮肉は子どもの本には不要かなと思いました。戯画的な両親像は、一応つじつまが合っていて、これ以上書きこむとあまりに複雑になるのではないかと思います。お母さんも、最後の買い物のところで一応自己反省できていてよかったなと。

アカシア:ハルとフレックの関係は生き生きと書かれていて、とてもいいですね。後半に登場する人たちも、短い文章でその人らしさを浮かび上がらせているのもうまい。何より犬にも人間にもそれぞれ個性があり、協力し合って冒険するのが楽しい。ファンタジーではないのですが、かといってリアリティに徹しているかと言えば、そうでもない。だって子ども2人で、セントバーナードを含めて5匹の犬を連れて旅していたらかなり目立つので、すぐ見つかると思うし、両親もリアルというよりは戯画化されています。それに私も、ピッパがルームAにいる犬だけを放すのは不自然だと思いました。両方の間にある、希望や夢がつまった物語といったらいいのかな。さっき、ダールみたいという話がありましたが、ダールだったら、この母親はこてんぱんにやられてるでしょうね。この母親がほとんど変わらないことや、父親も一見行いを改めるようですが、結局はお金をケイリーに寄付してハッピーエンドになるところは、イギリスの旧来的なストーリー。中産階級以上の作家が中産階級以上の子どもに楽しいお話を書いていた、という意味でね。そこが、古い感じにつながっているのでしょうね。あと、細かいことですが、訳者の方はイギリスに行ったことがないのでしょうか? トッテンハムという言葉がたくさん出てきますが、これはトッテナム。サッカーでも有名なので、サッカーファンの子どももよく知っていると思います。トットナムという表記もありますが、トッテンハムではない。

:最後はお金で解決するところは、私もひっかかりました。

プルメリア:おもしろく、読み進めることができました。自分勝手な考え方がよく出ていました。長い作品ですが動物たち1匹1匹の性格がわかりやすくまたストーリの展開がおもしろかったです。犬を飼っていない作品を読んだクラス(小学5年生)の男子が「犬と一緒に生活している気持ちになったよ。」と感想を言っていました。

レン:おもしろく読みました。最後、犬を飼えてよかったね、と主人公の気持ちによりそって読めて、書き方がうまいと思いました。犬のほうは犬のほうで、ブレーメンの音楽隊みたい。人物の心理描写が細かいわけではなく、全体としては文学というよりはエンタメかな。本のおもしろさが伝わる本でした。

アカシア:読者対象はどれくらいなんでしょう? プルメリアさんとレンさんがおいでになる前に、犬も人もいっぱい出てくるので、全体を把握するのが小学生だと難しいのではないか、という声もあったのですが。

プルメリア:高学年だったら読める子は読むと思います。

アカシア:それと、最後の文章「生涯、一人の主人とともにいられれば、犬は、犬らしく自由に生きられるのです」というのは、どういう意味なんでしょう? レンタルペットショップではまずいというのはわかるんですが。

レジーナ:ここに登場する犬たちは、みんな新たな居場所を見つけて幸せになるのに。

アカシア:そういえば、この本の原題はOne Dog and His Boyで犬が主体なんですね。だから最後の文章だとニュアンスが逆ですよね。この原題と最後の文章が対になっているんでしょうか?

:本当だ。原題どおりにするなら『おいでハル、ぼくのところに』ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


ゾウと旅した戦争の冬

『ゾウと旅した戦争の冬』
原題:AN ELEPHANT IN THE GARDEN by Michael Morpurgo, 2011
マイケル・モーパーゴ/作 杉田七重/訳 
徳間書店
2013

版元語録:リジーの母は動物園の飼育係で、夜は自宅の庭に子象のマレーネを連れてきていた。犬におびえて逃げ出した子象を、母子3人で探しに出た直後に空爆が始まる。

:戦争の時代を扱ったいい作品はたくさんあるけれど、ゾウとは意外でした。こんなこともあったかもしれないと思わせることに成功しています。介護施設での思い出話という枠がしっかりしていて、その中でペーターとの出会いの話があるので納得できます。ただ、軍国主義のおじさん夫婦よりリベラルな両親の方が正しかったことも、戦争の結末も、後世の私たちにあらかじめ分かっているところからスタートしているずるさはあります。この作品の問題だけではないですが。

レジーナ:ゾウと旅をする設定に、ジリアン・クロスの『象と二人の大脱走』(中村妙子訳 評論社)を思い出しました。リジーが恋に落ちる敵兵は、カナダ人です。カナダは、民族的にはアメリカに近いけれど、ドイツ人にとっては、爆撃してきたイギリスやアメリカに比べると、敵対心が少なかったのでしょうか。また彼は、母親がスイス人で、ドイツ語も話せます。心を通わせる上で、同じ言葉が話せるというのは、大きいのでしょうね。舞台はドイツですが、英国側から描かれた作品なので、いい人はみんな、ドイツ人でも反ナチなんですよね。リジーの家族もそうですし、助けてくれる伯爵夫人の夫も、ナチに抵抗して、軍のクーデターを起こした人物です。翻訳で、10ページに「うれしそうにさわぐ」とありますが、「はしゃぐ」の方が自然ではないでしょうか。またp84に「喪に服す」とありますが、至る所で泣き叫んでいる声が聞こえている状況なので、世界中がうめき声を上げているかのように感じられたということでしょうか。p60の「ヴンダバー」は、ドイツ語です。英語とドイツ語はつづりが似ているので、英語圏の子どもにはこのままでいいのかもしれませんが、名前なのか、何のことなのか、日本の読者は分からないでしょうから、ふりがなが必要では。

:ムティはいい味を出しているのに、あくまで「お母さん」なので残念。ゾウには名前があるのに。

ヨメナ:戦争と動物……どちらもモーパーゴの得意なテーマですね。ゾウは、だれにでも愛されている動物ですし、うまいテーマを選んだなと思いました。介護施設に入っているおばあさんと女の子の話から戦争中の物語に入っていくわけですが、とても自然で、いま生きているお年寄りもこういう経験をしていたのだと子どもたちにあらためて感じさせる上手な持っていきかただなと思いました。大人が本当に伝えたいことを、上から目線でも押しつけがましくもなく、かといって懐古的でもなく物語っていける優れた作家のひとりだと、あらためて思いました。『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)や『発電所のねむる町』(杉田七重訳 あかね書房)もよかったし。

アカシア:今、ノンフィクションの一般書ですが、『象にささやく男』(ローレンス・アンソニー著 中嶋寛訳 築地書館)というのを読んでいるんですけど、そこに登場するリアルなゾウと比較すると、4歳のゾウの鼻だけ持って一緒に長旅をするというのは、ほんとうはあり得ないんじゃないかと思います。ただし、それ以前の暮らしの様子がとてもていねいにリアルに書かれているので、あり得るかもしれないと思わせる。この作品には、とてもリアルな部分と、話としてうまくできている部分の両方が出てきますね。たとえばリベラルな考えを持っていたリジーのお母さんが英国軍の兵士に会ったとたん、憎しみをむき出しにする部分はリアルですが、カーリの命を救ってもらったことで変わるという部分は、出来過ぎかと。構成はとてもじょうずにできています。ほかの作品でもモーパーゴは枠をうまく使いますが、この作品でも、老人ホームにいるリジーが語るという外枠がとても効果的ですね。
それから、リアリティに関して気づいたんですけど、最後に見せてもらうリジーのアルバムにはマレーネの写真は一枚だけしかないんですね。でも、前のほうではリジーの写真はたくさんあるけど、のばしてくる鼻がじゃまでちゃんとは写っていないと言っています。ということは、リジーの話全体がファンタジーだとも考えられるという仕掛けになっているんじゃないかしら。そう考えるとすごいですね。

:戦争のほかに、老人と子どもという児童文学独特のテーマも入っていますね。

プルメリア:さらりと読んだので、私はそれほどおもしろいとは思いませんでしたが、クラスの子どもたち(小学校5年生)に紹介したところ読み終えた女子は、「お母さんがマレーネを守るとすることに対してリジーが持つ嫉妬の気持ちが共感でき、戦争が昔あったことは知っているがどんな様子だったかはまったく知らなかったのでこの作品からドレスデンへの空爆のことがよくわかりました。おばあちゃんはユーモアのセンスがあるおばあちゃんみたいな気がしました。」と感想を言っていました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


狛犬の佐助〜迷子の巻

『狛犬の佐助〜迷子の巻』
伊藤 遊/作 岡本 順/絵 
ポプラ社
2013

版元語録:明野神社の狛犬には石工の魂が宿っていた。狛犬の「あ」には親方、「うん」には弟子の佐助の魂が。150年前の石工の魂を宿した狛犬達と現代の人々が織りなすファンタジー。

プルメリア:文も絵もよかったです。身近だけど、神秘的な狛犬。6歳まで聞こえるのも、モモがいなくなるという設定もおもしろいです。また、命令調の親方と佐助のかけあいもよかったです。佐助が、戻れなくなるのもハラハラして子ども達は先をはやく読みたくなると思います。作品に登場してくる男の子が幼稚園なので、もう少し上だとよかったかな。でも、幼稚園児だけど、人間関係がぐちゃぐちゃしているので感情移入できるのでは。続きがあるような気がしますので、次作はどういうふうに展開されるのか楽しみです。

:おもしろく読みました。近所の神社の隣にも幼稚園があるので、とてもリアルに読みました。翔太って、大人から見たいい子ではなく、一人占めもするし、悪態もつくし、いるいる、こういう子って思いました。犬をめぐるやりとりはよくできていたし、生まれた子犬を引き取って丸く収まるところはさすが。佐助が戻れなくなるところでは、スリルもありました。あれ、プライドの象徴である玉を捨てると自由になれるんですね。

ヨメナ:安心して読める作品でした。江戸時代に作られた狛犬を主人公にしたところがおもしろかったし、子どもたちも日ごろ見慣れている神社の一角に、昔からの時の流れが続いているのをあらためて感じて、奥深い読後感を持つのではと思いました。続編でこれから語られていくのでしょうが、佐助の生きていた時代がどうだったのか、どんな出来事が佐助の身の回りに起こっていたのか、もっと知りたいと思いました。

:佐助の時代からここまで150年もあるから、続編はいろいろに展開できますね。

レン:ずいぶん難しいテーマを選んだなって思いました。狛犬自体が、子どもにとってそんな身近な存在ではないから。でも、親方と弟子のやりとりは、言葉遣いもおもしろくて、日本の作家ならではの力量を感じました。数えの7歳というのもいいなあと。だけど、耕平が、自分の犬がいなくなったいきさつを、ここまで説明的に狛犬に話しかけて話すというのは不自然に感じました。しっぽのかけらに乗り移ったところで、もう帰ってこられないと思ったら、親方が連れて帰ってくるというのは、びっくりでした。子弟の愛情が感じられていいけれど、やや強引かなと。

アカシア:大人である耕平が、心の中にあることの一部始終を毎日狛犬に話すというのは、不自然といえば不自然ですよね。それと、耕平がせっかくモモを探し当てたのに、本当にモモかどうか確信が持てないというところですが、いくら成長して毛の色や長さが変わっていても、犬好きの人はわかるんじゃないかな。外見じゃなくてちょっとした仕草とか癖とか本人にしかわからない意思疎通の仕方とかあるし、と思いました。でも、そういうことをさておいても、佐助と親方の会話がおもしろいので、楽しくどんどん読めます。それに、挿絵がいいですね。「狛犬に似ているかわいい犬」というのは描くのが難しいと思うんですけど、p26の絵はそれをうまく表していてすごい! 普通は動かない狛犬が動くかもしれないと思わせる絵になっているのもうまいし、p170の絵もおもしろい。そうそう、狛犬の会話で親方が「びびっている」という言葉を使っている(p98)のには、ちょっと違和感がありました。

レジーナ:ちょっと生意気なショウタをはじめ、人も狛犬もいきいきと描かれています。動かない狛犬を中心に、次々と人が登場するので、舞台のようです。また、親方の佐助に対する気持ちも伝わってきて、人を育てるというのは、こういうことなんだな、と思いました。決して出来がよかったり、見込みがあったり、大成しそうだから、目をかけるのでなくて、出来が悪くても、ひたむきさに打たれることがあるんですよね。人の命は有限で、その中で何を残せるかを考えたとき、弟子の未来にかけ、希望を託す。そうやって次の世代に伝えていくんだな、と思いました。また、狛犬は動けないので、ハンカチを使って、ショウタと耕平を会わせますが、小道具のハンカチの使い方がうまいと感じました。お金のない耕平がタクシーに乗る場面には、モモに会いたい気持ちがよく表れていますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年2月の記録)


マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド

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『マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド』

Photo
『マルセロ・イン・ザ・リアル・ワールド』

の読書会記録
フランシスコ・X・ストーク著 
千葉茂樹訳 
岩波書店 2013


クプクプ:おもしろかったです。マルセロは、特別な学校に行っているけど、お
父さんの会社で働くんですよね。アスペルガーだからなのか、自分なりの言葉で、自分の頭で考えて、リアルな世界に迫ろうとする。そこに読者も引き込まれて、
いっしょにリアルな世界ってなんなのか、見つけていくんです。彼はお父さんの不正を発見してしまうけれど、会社がつぶれるわけじゃない。マルセロの大きな
の魅力は、自分なりの言葉を積み上げて、一から世界を理解し、世界を創っていくところ。彼をサポートするジャスミンも魅力的な女の子ですね。ふたりとも音楽
が大好きで、いつしか惹かれあっていく。ジャスミンの父親のエイモスは、息子のジェイムズが馬にけり殺されてしまったのに、その馬を自分で飼い続ける選
択をしています。そんな価値観も、物語に奥行きを与えているみたい。死んだ息子といっしょに、その馬と生きる時間を受けとめていくんですよね。何が正しくて、何が間違っているのか。リアルな世界は複雑だけれど、マルセロは自分の耳に「正しい音が聞こえる」こことを大切にしていく。好感の持てる作品でした。

レジーナ:発達障碍を持つマルセロは、人の感情や人生には、善悪、嫉妬、本音と建前など、秩序立てることのできないものがあるのだと知っていきます。ジャスミンがマルセロに、訴訟問題にどう関わるか、自分で決めなければならないと話す場面がありますが、生きることが喪失の連続なのは、誰しも同じなんですよね。マルセロは、イステルとの出会いの中で、苦しみばかりの人
生をどう生きていけばいいのかという問題にぶつかり、人生に挑もうとします。どんな人にとっても、人生というのは、多かれ少なかれ生きづらいものです。この作品の魅力は、発達障碍の少年の目を通して描きながらも、すべての子どものための普遍的な成長物語になっている点だと思います。宗教に強い関心を抱くマ
ルセロは、聖書を暗記し、何度も心の中で思い返し、自分のものにしようとし、人間の矛盾を受け入れようとします。ピアノが弾けないことを、「ぼくの心のなかの配線は、ピアノを弾くのに必要なだけの電流に耐えられなかった」と言ったり、その場で思いついたことを「即興で演奏」と表現する独特の言葉づかいをしたりもします。マルセロ自身も、また彼の目に映る世界も、読者を惹きつける力があります。151ページで、マルセロは、自分の感情を非常に論理的に分析していますが、アスペルガー症候群の人は、これほど段階を追って考えるものなのでしょうか。また160ページに「ウェンデルはどうやって、ぼくの心のなかを知ったのだろ
う?」とありますが、アスペルガーの人は、人の感情を読み取るのが困難なだけで、感情というものが存在することはマルセロも知っているはずなので、この台詞は不自然ではないでしょうか。

アカシア:本当にリアルな世界とはなんなのか、ということを考えさせられました。実業界にいるお父さんがリアルだと思っている世界は、実はリアルではないのかもしれないと思ったんです。そして著者もそう言いたいのではないかな、
と。逆にこの作品では、マルセロの視点から見た周囲の世界がとてもリアルに書かれています。著者が障碍者の施設で働いたことがあり、自閉症の甥をもつこともあって、つくった話ではなく、登場人物にリアリティのある作品になっていると思いました。もちろん、こうなるといいな、という理想も書かれてはいると思いますけど。読者もマルセロに寄り添って物語の世界を歩いていくことができるし、ちょっと臭い台詞も、マルセロが言っていればそう思わないで素直に受け取れる。
発達障碍をもった人を主人公にした本だと『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 早川書房)がおもしろかったし、目を開かれた気持ちになったんですけど、この本はまた趣が違って別のおもしろさがあります。本文では「リアルな世界」となっていますが、書名は「リアル・ワールド」なんですね。一つ気になったのは、マルセロは定期的に脳をス
キャンされてますけど、どういう方法でなんでしょうか? 普通のCTスキャンだと健康に害がありますよね?


ajian
:第3章での父との会話。マルセロの父親は息子のためを思って、法律事務所で働くようにいうわけですが、マルセロにはそれが通じず、かえってストレスに思う。このすれちがう感じは、すごくよくわかる気がして、この辺りからぐっと引きこまれましたね。ラビとの会話は、最初原書で読んだときはちょっと難しくて、読むのに苦労したのですけど、翻訳で読んでみてかなりクリアになって、よかったです。

(2013年9月の言いたい放題)

鉄のしぶきがはねる

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『鉄のしぶきがはねる』

Photo 『鉄のしぶきがはねる』
の読書会記録

まはら三桃著
講談社 2011




プルメリア:表紙もよく、軽くて良い感触でしたが、読み始めたら金属音が気になってなかなか読み進められませんでした。知らない職種なので仕事内容がわかりにくく理解が進みませんでした。わからないなりに読んでいって、中頃になってようやく自分なりの解釈で読めるようになってきました。工業学校の様子もわかり、登場人物もひとりひとりのキャラがわかってきて家族の思いやりも伝わり、最後はコンクールへ向けての熱意も伝わって来て、応援したい気持ちになりました。高校生のときめきもよくわかるし、工業系の話って今までなかったと思うのでお薦めしたいです。これが工業系のお話の第一作になっていくのかなと思いました。

トム:「鉄のしぶきがはねる」というタイトルは、象徴的なのかなと思っていました。ページを開く前、私は板金のこともなにもわからないので、飛沫が跳ねるということからもっと文学的なイメージを広げていたのかもしれません。先入観でタイトルに勝手な思い込みを重ねました。考えてみれば赤く燃える鉄鋼炉で鉄が湯のように滾っている映像を見たことを思い出します。内容は工業高校での学びがかなりリアルに語られて、鉄が水のように跳ねる事実からも工業世界の一端をみる気持ちがします。若い人がもくもくと何かを作ることに没頭する姿はすがすがしく感じました。それぞれの葛藤や背景はありますが。

アカシア:工業系でも、旋盤は地味だからかあまり児童文学にはとりあげられませんよね。

プルメリア:ロボットや飛行機だったら目立つけど。

トム:技術は一代限りでないこともさりげなく語られています。
それから、貧しいなかでノートを盗んでしまう若者もでてきます。人間の弱さ、弱さを生んでしまうものは何なのか、読者の若い人たちはどう感じているでしょうか。時代の背景とか、そのことが他者の人生を狂わせ自分も生涯苦しみを抱えて生きることになる・・・と、若者も大人も一緒に想像力ひろげて考えられたらと思いますが。
かなり重いテーマが挟まっていると思いました。

アカシア:ところで、ゲームセンターって今もあるんですか?

プルメリア:ありますよ。

トム:登場人物のなかでは、大人たちがかなりステレオタイプに描かれているように感じました。若者たちはそれぞれいい味。亀井君、吉田君もそれぞれに色々な出来事を超えて自分の道を歩きだす様子がさわやかに描かれています。どこかで会えるような気がする若者たちです。原口くんは、卒業後インドに旅立つという意外な展開で、少し唐突な気がしました。日本の技術とアジア・イ
ンドの状況などもう少し具体的に、例えば原口君を突き動かした出来事など描かれていたら、彼の情熱がリアルに伝わって原口君に自分を重ねる人がでるかも・・・。最後に「待ってろ」なんて、何だかカッコよく古風なことを言うのは、突如物語のテーマのハンドルが別のルートに向かってきられたような気もしましたが。

ルパン:説明調の文章が多くて、私は読むのが大変でした。レアな世界を紹介したい、という作者の意図が透けて見える感じが鼻についたし…。バイトとか旋盤とか、工業用語がたくさん出てくるのですが絵で浮かんでこないから、その分お話に入り込めませんでした。そういうものを文章で表現するのが目的だったとは思うのですが。ふつうに手に取っただけだったら、たぶん途中で放り出したと思います。今日の会の課題だったのでがまんして読み続けたら、そのうち最後のほうでおもしろくなってきました。もっとストーリー中心で描けばよかったんだと思います。工業高校の女の子って、とても魅力的な設定だし。旋盤作りの説明がこんなに前に出ずに、物語の背景として自然に組み込まれていたらなあ、と思いました。全体的にはやはり工業高校の世界のレポートを読まされている感がぬぐえませんでした。最後に原口君とふたりでインドのかたちを作るジョークを交わすシーンなんかはすごくいいですね。こういうところばっかりだったらよかったな。

レジーナ
聞きなれない言葉が多く、はじめは少し入りづらかったです。「ものづくり」という、人と少し違うことに魅せられた少女が、おばあちゃんや、人に裏切られても、それでもまた信じようとする原口など、温かな家族・友人の中で成長していく話は、まはらさんらしいですね。「ものづくりは楽しいから、なくなることはない」と原口に言われた心(しん)が、自転車のグリップを握った瞬間、鉄を切った時の感触を思い出す場面では、手の感覚で、はっと何かに気づく様子がよく伝わってきました。コツコツ努力
し、硬い鉄の中から形を取り出すというのは、どこか人生にも重なるようです。主人公は、ものづくりとパソコンをよく比べていますが、この部分は必要だった
のでしょうか。比較が作品の中で効果的に使われているようにも感じられなかったので……。

ajian:11ページの「コンピューター制御」というのは、
具体的にはプログラミングのことなのでしょうか。それがどういう状態をさすのかが、今ひとつわからなくて。「コンピューターをやっている」という表現も出てきますが、具体的でないのが、ちょっと気になってしまいました。コンピューターといっても、できること、やれることは千差万別なので、たんに「コンピュー
ターをやる」という表現は、ちょっと大雑把かなと思います。パソコンが好きな子どもが読むと「あれ?」っと思ってしまうかも。

クプクプ:私はバランスよく書けた本だなと思いました。読後感がよくて、それはたぶん、ジェンダーを越えて道を究めていく話だからでしょうか。もちろん、女は得だな、という偏見を持つ先生も出てきますが…。恋愛だけで終わらない、
気持ちのよさがある話だなって、素直に思いました。「心出し」とか知らない言葉がいっぱい出てくるし、言葉は専門的で独特だけれど、日本語の豊かな世界に出会えました。主人公の鉄を削って形を求める姿が、作家さんが対象を描写するために文体を求め、削っていく様子と呼応していておもしろかった。

ajian:同じ話のくりかえしですみません。39ページの
「コンピューターに戻れるだろう」も、ちょっと引っかかってしまいました。彼女が「コンピューター」で何をやりたいのか/やっているのか、が今ひとつ伝わってこないです。プログラミングならプログラミングで、何かを学び、身につけるということは、本来世界の捉え方から変わってくるようなことだと思います。欲をいうなら、既に「コンピューターをやっている」彼女が、旋盤に出会うことで、さらにどう変わるのか、それが書かれているともっとよかった。それがなくて、たんに「手作り」の対比として「コンピューター」を置いているだけなら、ちょっと浅い気も。

アカシア:私は理科系ではないせいか、コンピュータ技術を学びたいと思い、手仕事を古くさいと思っていた主人公の心が、機械ではできないものがあると気づいていく過程がうまく描かれているな、と思いました。工業高校の旋盤技術という、地味であまり注目されないところに焦点をあて、そうした技術をとても魅力的に描き出しているのもすてきです。そういう描写が説明的だとは、私は思いませんでした。触覚とか視覚とか、作ったものが浮かび上がるような表現をしようと
しています。私自身にはまったく未知の分野ですが、すごいものができていくのがわかります。音とか、金属音もリアルに感じられたし、臨場感もありました。私は都会で生まれ育っ
て、まわりに工業関係の施設もなかったので、工業高校は勉強には向かない子が行く学校なんじゃないかって誤解してました。この作品を読んで、工業高校の
魅力がよくわかりました。心と原口の将来を暗示するようなストーリー展開はありきたりになりがちですけど、心も原口も旋盤に魅入られているという側面があるので、ただのありきたりにはなってない。絵や説明はあえて入れずに、勝負しているのもすがすがしいです。わからない部分があっても十分魅力が伝わってきますもの。北九州弁で会話が進んでいくのもおもしろかったな。

(2013年9月の言いたい放題)


3人のパパとぼくたちの夏

『3人のパパとぼくたちの夏』
井上林子/著 宮尾和孝/挿絵
講談社
2013.07

版元語録:まるで主婦のような小6男子、めぐるの夏休みの家出を描く。シングルファーザーの家庭が3組も登場する、ユニークな新作童話。

コーネリア:こういう男の子いるだろうなって、楽しく読みましたけど、マンガチックな構成で、読み飛ばしてしまって、心に残らなかった。小学生くらいの男の子だとが読みやすいのかもしれません。

レジーナ:タイトルを初めて聞いたときは、ゲイのカップルの物語かと思いました。「やっと日本の児童文学でも、そうしたテーマを扱うようになったか!」と思ったのに、ふたを開けてみたら、シングルファザー同士で暮らしている設定でした。小学6年生が、おぼれている子どもを助けるのは、そう簡単にはできないので、リアリティーが感じられませんでした。また、家出していることに気がつかず、主人公の持っているパンを見て、「朝食を持参しているなんて、用意がいい」と言ったり、「ぐるぐる」という呼び名を本名だと思ったり、夜パパがあまりにもとんでいて浮世離れしているので、ファンタジーの世界に迷いこんだように感じました。主人公は、自ら状況を変えようとはしていない。いわば逃避ですね。リアルな設定なのに、異質な空間が唐突に現れ、主人公はそこに逃げこみ、しばらくの間、現実とは別の時間を過ごす。しかし児童文学では、家出や旅を通じて、それまでと異なる自分になって帰ってくることが大切なのではないでしょうか。たとえば、E・L・カニングズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子/訳 岩波書店)では、家出をした主人公は、自分だけの秘密を持って、家に戻ります。でもこの物語では、主人公の中のなにかが決定的に変わったり、成長したりはしない。挿絵の宮尾和孝さんは、ジェラルディン・マコックランの『ティムール国のゾウ使い』(こだまともこ/訳 小学館)や中村航文の『恋するスイッチ』(実業之日本社)の表紙も描いていらっしゃる、今人気のイラストレーターですね。

さらら:ストーリーラインは単純で、言葉も台詞のやりとりで続いていく。映画みたいで、ラノベに似ていますね。目で見える情景が続いていて読みやすいけれど、軽い。家事をやらないお父さんに対する、子どもからの反撃というのは、私が好きなテーマですけど、文体についていけなかった。ちょっと文章のつくり方が粗いのかなあ……。

夏子:状況の設定が秀逸だと思いました。父子家庭の集合体っていうのは、母子家庭の集合体と比べると、今ひとつリアリティーがないでしょ? だから、理想化できるのでは? ほら、ひまわり畑の真ん中にあるという「夢の家」にいるのがオッサンなわけだから、イメージが新鮮になるじゃない。とはいえ「ひまわりの家」のポイントは、朝パパの超楽天的な個性ですよね。「テキトー、ずぼら、いいかげん。でも超ハッピー」で、これはまあ、パターンかな。この個性を、夜パパが讃仰していて、それで共同体ができあがっている。めぐる君も影響を受けて、やがて「うちのお父さんのようなテキトーなやり方もありかも」と受け入れるようになる。よくあると言えばよくある展開ですが、私は楽しく読みました。女の子はペアの天使というキャラですよね。ジャラジャラとアクセサリーをつけているのは、フラワーチルドレンというか、ヒッピー風。深読みすると、お母さんがいないという欠落を、なんとかして埋めたい衝動があるとか? ただイラストが、髪型やらリボンやら正確でなくて、残念です。こういうふうに、登場人物をパターンやキャラで描くところが、ラノベとかマンガっぽいんでしょうね。でも主人公は家出をすることで前に進んだからこそ、「他者を受け入れる」という課題を成し遂げたわけで、なかなか良い本だと思います。

たんぽぽ:どうかなって、思ったのですが、読んでみたらおもしろかったです。3年生ぐらいから高学年まで、よく読んでいます。家出という設定も好きで、主人公の気持ちが自分たちと重なるようです。最後に父親がわかってくれたというのも嬉しいようです。これも食べ物を囲むシーンが度々出てきますがあたたかい気持ちにさせてくれます。

ジラフ:私もうまく乗れなかったくちで。やっぱり、ゲイのカップルかなあ、と思いました(笑)。シチュエーションがちょっと“おとぎ話”みたいで、吉本ばななの『キッチン』(福武書店、角川書店)を思い出しました。『キッチン』は性転換したお父さん(というかお母さん)でしたが、日常の中で、そういうおとぎ話的な場所を持つことでやっていける、生きていかれるということはあるなあ、と思いました。

アカザ:ノリが良くて、最初からすらすら読めました。キラキラした女の子たちが出てきたところで「あれ、これはファンタジーなのかな? ふたりともこの世ならぬ存在で、キングズリーの『水の子』(阿部知二/訳 岩波書店ほか)みたいな展開になっていくのかな?」と思いましたが、そうはならず最後までリアルな作品なんですね。でも、なんだかリアルではない……。登場人物の書き方が記号的で、あまり体温が感じられないからなのか。たしかに主人公も主人公のパパも、家出事件の前と後では心境も変化しているし、成長もしているだろうし、ある意味、児童文学のお手本ともいうべき書き方をしているんだけど……最後まで嫌な感じはしないですらすら読めるんだけど……なにか薄っぺらいというか、心にずしんと訴えかけてくるようなものがなかった。これは、無いものねだりなのでしょうか?

夏子:すらすら読める、というのもポイントだけれど、それだけでいいと思ったわけではなくて、家出という問題解決の方法を、私は評価したいです。

たんぽぽ:4年生ぐらいで読めない子がおもしろいなーって、他の本にも広がるきっかけになれば良いなと思います。

ジラフ:作者のプロフィールを見ると、梅花女子大の児童文学科を卒業して、日本児童教育専門学校の夜間コースで勉強していたそうなので、ひょっとしたら、いい子どもの本の書き方のお作法みたいなものが、知らず識らずのうちに身についてしまっているのかも、とふっと思いました。

カボス:お父さんへの不満ですけど、子どもから見れば大きいんでしょうね。大人から見れば些細なことでも、そう簡単に許すことはできないから。女の子二人が溺れたのを助ける場面は、ちょっとご都合主義的だと私も思いました。私は朝パパのキャラが好きだったんですけど、いつも飛ばしているはずの親父ギャグが途中から出なくなるので、残念でした。なかなかおもしろいシチュエーションで、父子家庭が助け合って暮らすというのは現実にはあまりないでしょうけど、こういう作品が出ると現実でもアリかなと思えてきて、そこがいいですね。

コーネリア:家出とか、お料理ものとか、子どもが喜びそうなものがちりばめられていて、読む間は子どもも楽しめるのですけれど、印象に残らなかったんですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)