カテゴリー: 言いたい放題でとりあげた本

負けないパティシエガール

『負けないパティシエガール』
原題:CLOSE TO FAMOUS by Joan Bauer, 1996
ジョーン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2013

版元語録:主人公フォスターは、毎日必ずケーキを焼くことにしている。なぜって、そうすれば、いつでもどこでもおいしいものが食べられるから。そう、フォスターは、カップケーキ作りの天才なのだ。ある日、ママと二人で家を出て、新しい人生を送ることになる。フォスターを待ち受けているのは…? カップケーキのようにあまくはないサクセスストーリー。

さらら:外に飛び出していくことで、だれも認めてくれない自分の才能を発見するという設定が、子どものころから大好きなんです。しかも、お菓子作り、という要素が、食いしん坊の私にはたまらない。主人公が得意なのはカップケーキを焼くことだったり、プレスリー好きのハック(ママの元恋人)が登場したりと、なにもかもとてもアメリカ的な背景で、私もアメリカの女の子になった気分で読みました。下宿先のレスターが、釣りをたとえに、人生ってこんなもんじゃないかと、いいことを言うんですよね。そういうのが非常にうまくからみあっている。いろんな意味で楽しませてもらった一冊でした。

プルメリア:読みやすい。チャリーナさんとの関わりを通じて、言葉を習得していく過程がとってもわかりやすかったです。話せても言葉を理解することは難しいんだなって改めて思いました。子ども(小学校5年生女子)から感想を聞くと「ハックはいやな人」「チャリーナから読むのを教えてもらうかわりに、チャリーナにお料理を教えてあげるのがおもしろかった」「チャリーナが賞状をあげるところに感動した」でした。読書が好きな女子は2時間ぐらいで読み終えていました。

レジーナ:バウアーの『靴を売るシンデレラ』(灰島かり/訳 小学館)の主人公は16歳でしたが、この本では6年生です。しかしその年齢の子どもが経験するには、非常に辛い状況です。シャワーを浴びながら泣いている母親の声を聞く場面など……。ケーキという、人生に喜びを与えるもので、家庭の暴力やディスレクシアなどの問題に立ち向かうというテーマが、とても明確に打ち出されています。チャリーナ夫人からもらった小切手を、自分のために使うのではなく、罪を犯した家族を支える場「手をつなぐ人の家」のために使うのも、好感がもてました。誇り高く、過去の栄光にしがみついている有名人のチャリーナは、E・L・カニングズバーグの『ムーン・レディの記憶』(金原瑞人/訳 岩波書店)を思い出させます。周囲の雑音に惑わされるのではなく、心の中の静けさや平安を守り、自分を大切にするよう語るレスターやチャリーナをはじめ、信念を貫くパーシーや、けちなウェイン店長、プレスリーに憧れ、自分に酔っているハックなど、味のある個性的な人物が登場するので、あまり盛りこみすぎず、人物を減らし、何人かに焦点を当てて、深く描いてもよかったのかもしれませんね。

たんぽぽ:おもしろかったです。6年生が、感動したといっています。お菓子というのも、まず惹かれるようです。チャリーナが登場する場面も、ドキドキしました。母親が、いつも自分を、認めてくれているのがいいです。私自身もそういう子どもに、やさしく、気長にせっしたいと、思いました。

ジラフ:アメリカのアクチュアリティが、すごくよく出ていると思いました。アメリカではいま、カップケーキがとっても流行っているし、イラク戦争でお父さんが亡くなっているとか、DVの問題とか、大人と子ども、それぞれの矜持が描かれているところとか。人生に対してつねにポジティブなアメリカを感じました。それと、食べ物が大きな力になっているところも魅力的でした。以前、研究生活からドロップアウトしてしまった友人が、パンを焼くことでまた生きる元気を取り戻したことがあって、食べ物や料理の持つ力をあらためて感じました。裏表紙にレシピが載っているのもいいですね。この作品についてではないですが、「前向きに生きのびる」というのはしんどい場合もあって、逆に、内向きに閉じることで生きのびられる時もあるかも、ということを、一方で考えました。

アカザ:同じ作者の『靴を売るシンデレラ』も良かったけれど、この作品もすばらしかった。主人公と母親のところにDV男のハックがいつ現れるかと、読んでいるあいだじゅうハラハラさせられて、最後まで一気に読んでしまいました。ディスレクシアの主人公の口惜しさや悲しさも胸に迫るものがあったし、それをカップケーキ作りにかける夢と才能で乗り越えていくというところも良かった。登場人物の描き方が、大人も子どももくっきりしていて、読んでいるあいだはもちろん、読んだ後もしっかりと心に残っています。主人公の身の回りだけではなく、刑務所のある田舎町の様子や出来事も描いているところに社会的な広がりを感じさせますが、良くも悪くもとてもアメリカ的。カニグズバーグに似ているなと思ったのですが、カニグズバーグの作品のほうが、もっともっと世界が広いのでは?

カボス:最初からずっと緊迫感や謎があって、それに引っ張られながらどんどん読めました。おもしろかった。コンプレックスが拭えなくてさんざん苦労したフォスターの複雑な心理が、うまく読者にも伝わるように書けていますね。またSNSやメールではなくて、人間と人間が実際に出会ってお互いに変わっていくというのが、とてもいいですよね。出てくるケーキはどれもおいしそうなのですが、日本の家庭ではもうあまり使わなくなった着色料などが平気で出てくるのは、アメリカ的ということなのでしょうか? p250でレスターがフォスターの父親をほめているところにも、弱さを克服することがすばらしいことなのだというアメリカ的な価値観が出ているように思いました。戦場で勇気をもつということがどういう意味をもつのか、そのこと自体の是非については疑ってもいない。丸木俊さんが近所の子どもたちに「戦争が始まったら、勇気なんか出さなくていいから、とにかく逃げなさい」と言っていたことを思い出しました。

コーネリア:この作品は、物語がものすごく都合よく進んでいくのですが、それが許せるおもしろさがあると思います。文中に、ジョン・バウアー格言が矢継ぎ早に、次から次へと出てきます。私もこの言葉にぐっと惹かれましたが、子どもだったら、大人よりもストレートに入ってくるのではないでしょうか。勇気づけられる作品。

夏子:主人公が12歳にしては大人ですよね。小学生向けの本なのか、ヤングアダルトなのか、ちょっととまどうところがありました。この作家は『靴を売るシンデレラ』にしても『希望(ホープ)のいる町』(金原瑞人・中田香/訳 作品社)にしても、いつも大きな問題を抱えた主人公を描きますよね。今回も、ディスレクシアや、お母さんのつきあっていた男性のDVやら、問題が山盛り。ちょっと教訓っぽいところがあるけど、主人公が自分はどうしたら幸せになれるか、一生懸命考えて、手探りしながら生きていくところがいいですよね。この本では子どもも大人も、奥行きのある人間としてしっかり描かれている。印象的な女優のチャリーナさんが、こちらもディスレクシアとちょっと都合のいいところはあるけれど、それが許せるのは陰影と味わいのある人物だからなんでしょうね。ちょっとカニグズバーグを思い出しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


レンタルロボット

『レンタルロボット』
滝井幸代/著
学習研究社
2011.09

学校の帰り道、「ロボットかします」という店を見つけた健太は、自分のこづかいで弟ロボットを手に入れた。願いがかなって楽しい日々が続いたが、兄として我慢しなければならないことも出てきて、けんかすることも。第19回小川未明文学賞大賞受賞作品。

アカザ:とってもおもしろく、すらすら読めました。健太とツトムの気持ちも良く書けていると思いました。子どもたちも、楽しめることと思います。でも、なんだか悲しいお話ですね。ロボットって、結局人間のために作られたものだし、『鉄腕アトム』にも「人間のために犠牲になってもいい」というようなところがありますね。けれども、読者は(子どもだけでなく、わたしも)健太だけでなくツトムにも感情移入して読んでしまうから、なんだかツトムはかわいそう、これでいいのかな?という感じが残ります。それから、お母さんが赤ちゃんの写真を隠したところが、ちょっと分かりにくいですね。たまたま弟が見てしまったので仕方なく、ということらしいのですが、弟のほうには丁寧に説明して、お兄ちゃんには内緒にしておくというところが、なんだか納得いきません。

アカシア:私はp67からのその写真のくだりで、ずいぶんとご都合主義的な話だなと思って、それ行以降楽しく読めませんでした。

アカザ:p69で弟が「ぼく、たまたま見つけちゃっただけなんだ……」って、言ってます。

アカシア:たまたま見つけちゃったにしても、ですよ。最初は設定がおもしろいな、と思ってたんですけどね。それに、ツトムのことをだんだん本当の弟のように思っているのに、しょっちゅう「お店に返すぞ」って脅すのもなんだかいやでした。最後に、お店に返しちゃったツトムのかわりに本物の赤ちゃんが生まれるっていう持って行き方も後味が悪い。しかも最後の最後にツトムに「おにいちゃん、だいすき!」なんて言わせているのも、気分が悪かったです。ペットを手に入れても都合が悪いと返しちゃう人と同じみたいで。

レン:おもしろそうなタイトルだし、ところどころに入っている絵もかわいらしくて、子どもが手にとりたくなりそうな本だと思いましたが、最後のところは物語世界の論理が破綻してるかなと思いました。ツトムを返したあと、みんなの記憶は消されてしまうのに、健太だけは覚えているというのは変じゃないかと。だから、手紙をうけとって涙を流すというのは、いいのかなあと思いました。もうだれのことかわからなくて、だけどどこか懐かしい気もする、というようなことならわかるんですけど。

プルメリア:(遅れて登場)弟ロボットを買うことから始まるストリーで、私はおもしろかったです。クラスの子どもたち(小学5年生)に「弟がほしい人いますか?」と問いかけこの作品の紹介をしたところ、読んでみたいという子どもがたくさんいました。作品を読んだ後の感想が楽しみです。

ルパン:この本は、いただいたときに一気読みした時は「よくできたお話でいいなあ」と思ったんです。こういう話って、最後はぜんぶ夢だったなんて夢落ちにしてしまう傾向があるのに対して、これは一貫してロボットを借りたことは事実だったことになっていますよね。そこが気に入ってました。弟がほしくてレンタルロボットを借りてくるけれど、ほんとうに弟ができたらやきもちをやいたりする、っていう小学生の男の子の心の動きはよく書けていると思いました。

アカシア:レンさんが言われて私も気づいたんですが、たしかにお話の世界に破綻がありますよね。だれも、その点に気づかなかったのかな? 挿絵はとてもいいけどね。

アカザ:SFが好きな子どもたちは、こういう矛盾したところをすぐ見つけますよね。賞の審査員も気づかなかったんですかね?

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)


ぼくの嘘

『ぼくの嘘』
藤野恵美/著
講談社
2012

版元語録:オタク男子の笹川勇太は密かに親友の彼女に恋している。ある日、彼女が置き忘れていったカーディガンを見つけて届けてあげようと手にとるが、つい、そのカーディガンを抱きしめてしまったところを、誰かに写メに撮られてしまう。ケータイを手にそこに立っていたのは、クラスのリーダー格の世慣れた美少女、結城あおいだった。

アカザ:これを読んだのは、ちょうど特定秘密保護法が参議院を通るかどうかという時だったので、「こんなことを書いている場合かよ!」と、腹が立ちました。誤解のないように言っておきますが、べつに児童文学作家全員が社会派の作家になれって言っているわけではないのです。登場人物の周囲1マイルくらいのことしか書いてなくたっていいし、もちろん恋や友情の話だっていい。別に戦争や原発の話を書けっていってるわけじゃない。でも、大人の作家が子どもに向けて書いているんだから、もう少しなにかがあっていいんじゃないの? たしかに、登場人物の語り口は「いまどき」だし、読者もすらすらと、それなりに面白く読めると思うけど、3:11以降、大人の文学の世界が確実に変わってきていると思うのに、子どもの本の作家がこれでいいのかなあ? 家庭に多少の問題は抱えているとはいえ、女の子も男の子も大金持ちで(服に20万円も使うなんて!)、お父さんは医者で、お母さんも美人で頭が良くって……リカちゃん人形か! いちばんびっくりしたのは、最後の1行です。大人になってからのふたりのこと、なんで書きたかったんでしょうね?

アカシア:会話のやりとりはなかなかおもしろいと思ったし、オタクの男の子が「更新」とか「ストレスゲージ」なんていくコンピュータ用語で心理描写をしているのもおもしろかったんです。ただ、登場人物やシチュエーションが、あまりにもステレオタイプですよね。絶世の美女のレスビアン、オタクのさえない男の子、金銭で解決しようとする父親、表向き完璧主義者の打算的な母親、親友のカノジョが好きになるとか不倫とかもね。それに、大人が書けてないですね。と言うことは、人間が書けていないので、リアリティが稀薄で薄っぺらくなってしまいました。p247には、「生身の人間に慣れてしまったら、情報量の少ないアニメ絵に不自然を感じてしまうのだ」とありますが、この作品自体がアニメ的だな、と思ってしまいました。社会的な視野の広がりがないのも残念です。

レン:私には20歳前後の子どもがいますが、高校生から大学生くらいの若者の空気感はとてもよく出ていると思いました。だけど、それ以上のものは感じられませんでした。私は本というのは、「漫画やゲームや映画のようにおもしろい」ではダメだと思うんです。文学でしかできないおもしろさがないと、がんばって文字を読む意味がない。要するに、読者に何を投げかけたかったのか疑問です。私はむしろ、役割とかキャラの呪縛から読者を解き放ってくれるような物語を読みたいな。

アカザ:すばらしい作品って、登場人物が作者の思ってもみなかったような動きかたをし始める。この作品は、最後まで作者の掌の上にあるって感じ。

プルメリア:読み始めてからすぐ、男の子が屋上で友だちの彼女のカーデガンを抱きしめる場面がうーんって感じ。内容がぐちゃぐちゃしていて、もういいよと思ってしまいました。表紙はインパクトがなくて、あまり好きな絵ではなかったです。

ルパン:ハッピーエンドにしては後味が悪かったです。とくに最後が・・・いきなり30代半ばになっていて、それで唐突に結ばれるわけですけど、その間10年以上も何もないまま経っているわけだし。この展開にはびっくりでした。しかも、この主人公、彼女が不幸になって落ち込むタイミングをずっとねらって待ってたみたいで、ちょっとコワい。高校生の言葉づかいとかはよく描けていると思いましたし、私はけっこうおもしろいと思いながら読んでいたんですが、そもそもこれは児童文学なんでしょうか。子どもや若い人が読むことを思うと、登場人物にはもうちょっと別の成長のしかたを見せてもらいたい気がしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)


ジョン万次郎〜海を渡ったサムライ魂

『ジョン万次郎〜海を渡ったサムライ魂』
原題:HEART OF A SAMURAI by Margi Preus, 2010
マーギー・プロイス/著 金原瑞人/訳
集英社
2012.06

版元語録:1800年代。アメリカ東部に暮らした初めての日本人、ジョン万次郎(中浜万次郎)。言葉も習慣も異なる地で、いじめや差別にくじけることなく、強く生き抜いていった秘訣は何だったのだろう?アメリカに残された記録や資料をもとに、日本が誇るバイリンガル、ジョン万次郎の青春時代を鮮やかに描いた物語。2011年ニューベリー賞オナー受賞。

アカザ:これはもう、話自体がおもしろいから、一気に最後まで読みました。小さいころから、たぶん井伏鱒二の本や、その他の伝記やいろいろ読んできて、知っていることばかりと思っていましたが、アメリカの作家から見た事実というのは新鮮で、興味深かったです。ジョン万次郎が描いた絵や、その他の絵や写真がたくさん入っているところもよかった。作者がちょこっと笑わせようとしているのかなと思うところがあったけど、翻訳はとても生真面目に訳してありますね。

アカシア:捕鯨の様子や、香料を取りに行くときのきつい匂いとか、海の様子なんかは、臨場感もあっておもしろく書けていると思いました。ストーリーもおもしろかった。ただ、ないものねだりですが、万次郎は土佐弁で話していたんでしょうけど、翻訳だから標準語になっている。標準語だとどうしても教科書的になって、やっぱりリアリティとか趣が何割かは抜けてしまうように思います。絵の中にも万次郎が書いた日本語の文字が出てきますが、どこでおぼえたんでしょう? 日本語の読み書きはどこで勉強したのかな? そのあたりを知りたいな。日本に帰ってきたから、おぼえたんですよね?

レン:えらく英雄的でポジティブな人物像ですね。物語全体の流れがよくて、一気に読めました。ただ、外国人の視点で書かれているところを、もう少していねいに訳してくれたらと思った部分や、よく意味がわからない部分がちょこちょことありました。たとえば、77ページの後ろから7行目「戸が開くときのきしみや、閉まるときのやわらかな音の心地よいこと」は、引き戸だと思うんですね。これだと、西洋式の扉と同じように読めそうです。また、78ページで、船長が本を読んで聞かせてくれるところで、万次郎が「きっと詩だろうと思った」とありますが、この時代の漁師の子が「詩」という語を使うのか、疑問でした。300ページの「カエデ」は「モミジ」? 263ページの最後に、写真がぼやけているのを、「まるで、さっさと出かけていくところのようだった」と、たとえているのも、意味がわかりませんでした。180ページの「隕石が落ちたことがありますか?」というのも、この時代の日本育ちの少年がこんなことを言うかなと違和感を感じました。こういう部分は、どこまで翻訳や編集で調整するのか、難しいところですね。

ルパン:私はストーリー的にはとてもおもしろかったです。確かにちょこちょこと気になるところがあることはありましたが。実在の人なので、どこまでが事実なのかなあと思いながら、最後までぐいぐい引っ張られるように読んでしまいました。ただ、日本に帰ってきたときや帰ってからの生涯がほとんど書かれていなかったのが残念でした。日本人のアイデンティティを持っていながらいきなり別世界のようなアメリカで暮らし、今度はアメリカの教育を受けて日本に帰ってくるという激動の人生ですから、帰国してからのbefore-afterももう少し読みたかったです。あとがきの「歴史的な背景について」という最後のところに。女の子が万次郎にもらった花かごをずっと持っていたエピソードがありましたが、こういうことが本編に書かれていたらもっとよかったな。万次郎は二度と日本の土を踏めないかも、母親にも会えないかも、と思っていたでしょうから、帰国したときの驚きや感動がもっと書けていたら、と思いました。

アカシア:この人はその場その時を一所懸命に生きているから、そういう人って帰国しても特段の感動は逆にないのかもしれませんね。

ルパン:ついに日本に帰れる、とわかったときにはどんな気持ちだったんだろうと思うんです。眠れないほどいろんな思いがあっただろうと思うのですが・・・その辺は日本人が書いたら違ってくるかもしれません。あと、これも後書きですが、デイヴィス船長がアメリカの良心を代表するような人だったことが万次郎にとっての幸運だったと書かれていますが、本当に恵まれていたのだとつくづく思います。この善良な船長はほんとうによく書けていますよね。そこはさすがにアメリカ人作家だと思いました。

プルメリア:表紙がすごくいいなと思いました。挿絵もよかったし、地図がのっていたので作品を読みながら参照することができました。文章も読みやすかったです。助けられた船では食事として最初にお米が出て最後にパンが出てくる配慮、船の中でもらった食べ物を箱やポケットにいれて家族のためにとっておく場面などリアリティがありました。中学生でも読めますね。

ルパン:サブタイトルの「サムライ魂」というのは、ひっかかりますけどね。もともと漁師なんだし、そんなものなかったんじゃないか、って。そこはやはりアメリカ人の「日本人=サムライ」っていう固定観念のたまものかな。タイトルにそうあるから、万次郎がアメリカで生きていくなかで日本人としての心情や誇りを捨てきれないシーンがたくさん出てくるのかと思ったのですが、ほとんどなかったですね。お話としてはなくてもいいんですが。ともかく、この『海を渡ったサムライ魂』というサブタイトルには違和感があります。話の内容と合ってない。

アカザ:「サムライ」というところは、わたしもひっかかりましたね。だいたい、ジョン万次郎は、侍に憧れてはいたけれど、武士道の教育は受けてなかったし。アメリカで教育を受けて、自由や平等ということを教わってからは、侍になるのは、それほどの夢ではなくなってきたのでは? アメリカの人たちにとっては、サムライは日本人以上に憧れの的なのかもしれないし、ジョン万次郎がその夢をかなえた、初志貫徹したというのは、いかにもアメリカ人好みの話ではあるけれど・・・。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)


オフカウント

『オフカウント』
筑井千枝子/著 浅妻健司/挿絵
新日本出版社
2013.03

版元語録:期待して見守ってくれる人がいるというだけで勇気がわいてくる---。いっしょにいるから、すれ違うこともある。ほぼ帰宅部3人のジャグリング&ダンス・デイズ。

ルパン:残念ながらあまりおもしろくなかったです。章割りのたびに名前が出てくるんですが、別に必要ないですよね。ほとんど峰口リョウガなんですから。いろいろな人の視点で書きたいならまだしも、どうしてこんな書き方するのかなあ。次の章もまた「峰口リョウガ」だからひとり飛ばしたのかと思って前を見たり。そしたらまた次の章も「峰口リョウガ」。その次も。何のためにわざわざ名前を出すのかわからなくて混乱しました。

ハリネズミ:朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』(集英社)も、同じような構成でしたよね?

ルパン:あれは、いろんな視点で書かれてたから。こっちは、まずバスケ部をやめた理由がよくわからないし、戻りたいのかもよくわからない。最初に「何かしたい」と思うきっかけがフットサルのおじさんを見かけたことだったから、それをやりたいという話になるのかと思ったら、そうでもない。ダンスとかジャグリングとか色々出てくるのだけど、感情移入できないし、次はどうなるのかな、というわくわく感がまったくなくて。ダンスシーンも、躍動が目に浮かぶような、リズムがわいて出るような感じがしない。ともかくおもしろくなかったです。

レジーナ:ウィンドミルをはじめ、ダンスのステップの描写が説明的なのですが、イメージできませんでした。牧野の性格が、「おっちょこちょいで、でも頼りになる」というのは、矛盾しているのではないでしょうか。ぽっちゃりしているタモちゃんがダンスをする様子を、「ウーパールーパー」と表現しているのは、思わず笑ってしまいました。会話はリアルで、部活をやめ、うちこむものがない中学生が、何かのきっかけで変わるという、ドキュメンタリー番組にありそうな題材ですが、なぜダンスなのか、ダンスを通して彼らの何が変わったのかが伝わってこないんですよね。ダンスの歴史に触れていますが、主人公に、親や学校への反発があるわけでもありません。ヒップホップは、黒人の人たちの抵抗や自己表現の形なので、そうした芯のようなものを日本人が理解するのは非常に難しいでしょうし、この作品の登場人物を含め、ただかっこいいからという理由で真似る若者が多いのでしょうね。

ルパン:タイトルの『オフカウント』も意味がないですよね。何か対極になる「オン」があって、それに対して「オフ」ならわかるんですけど。「オフカウント」の意味が書いてあったけど、それが何かの伏線になっているとも思えず。オフカウントって、打楽器奏者は「後打ち」とか「裏」とか言うんですが、これで何を言いたかったのかテーマがよくわかりませんでした。

ハリネズミ:会話も、中学生がこんな言い方するのかな、と思うところが随所にありました。小学生かな、と思うようなところも。それに、物語の芯がよく見えません。あと、目線が内にばかり向いていて、外に向かいませんよね。

プルメリア:淡々と読める作品かな。読んでいてもあまりめりはりを感じなく、唯一おばけやしきを作るところはおもしろかったです。だれが主人公かわかりにくくて、読みにくかったです。今風の作品と思いますが、深みはなかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年11月の記録)


だれにも言えない約束

『だれにも言えない約束』
原題:KEEPING SECRETS by Jean Booker, 2011
ジーン・ブッカー/著 岡本さゆり/訳
文研出版
2013.03

版元語録:第二次世界大戦中のイギリス。エレンは爆撃におびえながらも、成績や人間関係になやむふつうの学校生活を送っていた。ある夜、たまたま入った小屋でエレンが出会ったのは、敵であるはずのドイツ兵。そのとき、またドイツ軍の爆撃がはじまって…。

レジーナ:善意で面倒を見てくれるネリーさんへの態度もひどいですし、「お母さんが、お父さんの病院に連れて行ってくれないのは、お昼代をなくしたことを怒っているからだ」と考えたり、主人公が、あまりにも幼く、身勝手なので、魅力が感じられません。敵の国の兵士と仲良くなるというのが、単なるめずらしい体験で終わってしまっていて、そこから伝わってくるものがないんですね。主人公が教えてもらうのも、なぜ数学なのでしょうか。苦手だったというだけでは、物語の要素として弱い。たとえば、マークース・ズーサックの『本泥棒』(入江真佐子/訳 早川書房)には、字が読めず、言葉を持たなかった少女が、防空壕の中で本を朗読する場面があり、人はどれほど言葉に救われるのかが、心を打つ作品になっています。

ハリネズミ:主人公のエレンは、とても12歳とは思えませんね。自分のことばかり考えて他者に目がいってないし、あまりにも考えなしなので、5歳か6歳にしか思えません。もしかしたら、翻訳の口調が軽くてきついからそう思えてしまうのかもしれませんが。それにエレンは、親の留守に世話をしてくれるネリーさんを「ネリーばあさん」と呼んでいやがるわけですが、エレンのお母さんまで「ネリーばあさん」(p56)と手紙に書いている。お母さんの立場からすると、「ネリーさん」か、せいぜい「ネリーおばあさん」でしょう。これも翻訳のミスなのでしょうか? p58の「窓の外は霧だらけ」も、表現としてどうなんでしょう? p176の「エレン、おまえ……なにか知ってるんじゃないか?」も、この状況でウサギが見つかったときに言う台詞としてはありえない。また、原作のほうにも、問題がありそうです。カールは、絶対に捕虜にはならないと決意しているのに、ナチスの軍服をずっと着たままでいるのは解せません。ストーリーにしても生まれてきた物語というより無理に作った感じです。エレンがもう少し魅力的に描かれてるとよかったのですが、現状では子どもの読者が、表面的な出来事として読むならいざ知らず、感情移入して読むのは難しい。子どもと国家の戦争というテーマだったら、ソーニャ・ハートネットの『銀のロバ』(ソーニャ・ハートネット/著 野沢香織/訳 主婦の友社)、ベティ・グリーンの『ドイツ兵の夏』(内藤理恵子/訳 偕成社)(両方とも絶版ですが)なんかのほうが人間理解という点でずっと深いし、ストーリーもおもしろい。

ルパン:やっぱり主人公に魅力がなさすぎますよね。自分勝手だし。親身に世話をしてくれるネリ—ばあさんにあまりにも失礼。でもまあ、『オフカウント』よりは読めました。とりあえず「ドイツ兵はいつ出てくるんだろう」くらいは気になりましたので。ずいぶんあとまで出てこないので心配にはなりましたが。挿絵はいいですね。エレンの顔がかわいいし。これでだいぶ助けられているんじゃないかな。

プルメリア:戦争当時の状況がわかりやすく描けていると思います。エレンがカールを助ける場面はどきどきしますが、作られた物語だなって思いました。エレンがどきどきしながら見つけたものが、お父さんのコートじゃなくてウサギだった場面は驚きました。5〜6年生だと戦争中でも相手国の人を思いやる心情がわかると思います。表紙や挿絵がよかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年11月の記録)


あん

『あん』
ドリアン助川/著
ポプラ社
2013

版元語録:生きる気力を失いかけていた千太郎の店に、不思議な老女が「雇ってほしい」とあらわれて——。このうえなく優しい魂の物語!

ハリネズミ:今日の3冊の中では、これがダントツにおもしろかったです。登場人物もそれぞれにちゃんと立っているし、物語世界もリアル。ハンセン病で全生園に入れられた吉井さんが「聞く」ということができるのは、千太郎にとってはとても重要な意味を持っていたのですが、吉井さんの死後、親友だった森山さんが「トクちゃん、いちいち大袈裟なんです」とか、「トクちゃん、気に入った人が現れると、あれをやってしまうの。小豆の言葉を聞きなさいとか。月がささやいてくれたとか」と言って、美化されたイメージをひっくり返してしまう。そこもすごい。この本はルビもほとんどないから、児童書じゃなくて一般書として出されたのかもしれませんね。でも、中学生くらいから読んでもらいたい本です。とくに、何をしたいのかわからないでいる子どもたちに。

シア(遅れて登場):私は今回の選書担当係だったのですが、とにかく『あん』を読んでほしくて、それでテーマを設定して本選びをしてみました。テーマと、ちょうど読書感想画の課題図書だったので、おもしろくないかもしれないけど『オフカウント』も選びました。『あん』も感想画の課題図書だったんです。『あん』がとてもいい本なので、読み比べるとおもしろいかなと。『オフカウント』は主人公が中学生なんですが、描写がそうは見えなくて。ジャグリングとか部活の内容などで高校生くらいに見えますね。ちぐはぐな印象です。作者が結構お年なのかなと思うくらい学校生活にリアリティがなくて、学校生活を覚えていないのか、取材していないのか、何を見て書いたのかわかりません。これでどんな絵を描けと言うんでしょうね。選ばれた理由が謎ですが、出版のタイミングでしょうか。おもしろいとは言えなかったです。
 『だれにも言えない約束』は、メインとなるドイツ兵がなかなか出てこなくて。真ん中を過ぎてやって出てくるというのに驚きました。敵であるはずのドイツ兵との触れ合いがメインだったんじゃないの、と。それから、登場人物の言葉がキツいです。海外児童文学では結構あるんですが、こういう言葉のやり取りはどうなのかなと思います。戦争ものの話ですが、ミートパイを落としてしまう場面が一番のショックだったくらいです。そんなにおもしろくなかったですね。
 『あん』は本当にいいお話で、皆さんに是非読んでほしい一冊でした。なのに、皆さんが借りようとした図書館が貸出中ばかりで読めていないというのはとても残念です。ハンセン病についての作品で、今ではなかなか知られることのない病気なので、こういう風に子どもたちが触れられる機会が出来るのはいいことだと思います。ハンセン病の吉井さんとの出会いからの流れがとてもよくて、「時給200円でいい」とかびっくりするようなことを言うんですが、世話を頼まれたカナリアはあっさり手放してしまったりとか、行動が読めません。吉井さんは「見えないものを聞く」とよく言っていて、自然の声が自分には聞こえると言っているんですが、後で結局聞こえてなんかいないことがわかるんです。でも、分かった上でのやり取りというのもいいと思います。甘い世界だけじゃないのが見えるというのが、子どもには特にいいなと。以前新聞で読んだことがあったんですが、作者のドリアン助川さんはハンセン病の施設を訪れたことがあって、いつか本にしたいと思っていたそうです。そして本になったのがこの『あん』です。是非読んでいただきたいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年11月の記録)


オムレツ屋へようこそ!

『オムレツ屋へようこそ!』
西村友里/著 鈴木びんこ/挿絵
国土社
2012.01

版元語録:尚子はしばらくの間「オムレツ屋」でくらすことになった。伯父が家族で営む洋食屋さんだ。母さんのつごうにふりまわされる尚子にとって、あたたかな食事や家族の団らんは、はじめて味わう理想の家庭だった。ふたごの和也、敏也とも意気投合した尚子はついに、母さんに、思いきった宣言をする。

アカザ:近所の小学校の塀に、6年生の子どもたちが将来なりたい職業を描いた絵が貼ってあるのですが、圧倒的に多いのがパティシエなんですね。子どもたちは食べるのも好きだし、料理にも興味があるので、お菓子や料理をテーマにした本も、いつの時代も人気があるのだと思います。ただし、この本はオムレツやオムレツの作り方が主体になっているわけではありません。お母さんとふたりで暮らしている女の子が、お母さんの仕事の都合で叔父さんの家で暮らすことになり、そこでいろいろな人に出会って、結局自分は自分らしく生きていけばいいという結論にいたる……。一行ずつ行がえしていて、読みやすいようだけれど、もうこういう本は読みあきたっていう感じ。ちょっと見には、ひとりぼっちになった女の子が下町の商店で暮らすようになるところとか、最後が花火で終わるところが、乙骨淑子著『13歳の夏』によく似ていると思いましたが、『13歳〜』のような瑞々しさや、人生の奥底に触れるような、心を揺さぶられるエピソードもなかったし……。とくに驚いたのが、最後に得体の知れない大作家とやらが登場して、女の子の母親の文才を褒めたたえるので、女の子やおばあちゃんたちもびっくりし、しょうもない母親だと思っていたのを見直すという展開。マンガでも、こんなに軽い話はないんじゃないの? その大作家の代表作が「富士山御来光」と「日本海流」という下りで、思わず吹きだしてしまいました。結論として、どうしてこの本を課題図書に選び、大勢の子どもたちに読ませたいと思ったのか、選考委員のご意見をぜひぜひお聞きしたいものです。もしかして、「ひとり親家庭」「障害のある子ども」「母と子の関係」というようなキーワードだけで選んだのでは?

レジーナ:すらすら読める作品ですが、ところどころ、文体が不自然な箇所がありました。p8の「探すんじゃないかと思ってさ」は、「(家を)見つけられないんじゃないかと思ってさ」、p72の「かたづけのわるい子」は、「かたづけられない子」ということでしょうか。作家が、自分の物ではないのだから見つかるわけがないのに、ジャージのポケットの中を一生懸命探す場面は、コミカルでおもしろいと思いました。病弱な子どもの兄弟の心のケアについては、最近、世間の目が向きはじめたように思います。全体としては、すべての登場人物をいい人に描こうとしているのが、残念です。母親にしても、仕事をやめると言った時には、もっと複雑な想いがあるでしょうから、本音をつきつめて描いてほしいですね。底の浅い作品だと、生徒の感想文も、似たり寄ったりになるのではないでしょうか。

メリーさん:子どもを気遣いながら、大きいホテルの料理人をやめて洋食屋をやる家族とそれを尚子の目で描くという物語の大枠はいいと思いました。後半で作家がつぶやく、階段のてっぺんからだけではなく、五段目からの景色もいいのだ、というところなんかも。その一方で、盗まれた体操服を和也と敏也が協力して返そうとするところは、アイデアはいいのですが、その後が何も書かれておらず、残念。そもそも、主人公が親元を離れて居候をし、そこから学校に通うという設定は、子どもたちにリアリティをもって受け止められるのか、ちょっと疑問に思いました。

ハリネズミ:本はその世界の中に入っていって、疑似体験をすることが醍醐味ですよね。その観点からすると、物語世界のリアリティが不足していて、本の中に入っていきづらい。まず主人公のお母さんの悠香さんですけど、こんな人本当にいるのかしら? モンゴルに半年行くのはいいとしても、その後急に続けて北京にも2か月行くことになったり、その後取材旅行は全部とりやめると出版社にも言ったのに、娘の機嫌が直ったらまたすぐ行くことにしたり。こんなライター、社会で通用しないですよね。この人がもっと魅力的に書かれていればいいのにな。作家の宝山幹太郎の存在もマンガならともかく、嘘っぽい。1冊エッセイを書いただけのライターに「あれだけのものが書ける人はそうはいない」なんて言って、わざわざ思いとどまらせるために捜し歩くわけないでしょう。それに敏也君は、幼児のときは身体が弱くて入院していたみたいだけれど、今は松葉杖で歩けるし頭もいいのなら、どうして養護学校の寮で生活しなくちゃいけないの? お父さんもホテルを辞めて家で仕事をしているわけだし、おばあちゃんもいるのに? それに、敏也がバケツで雑巾をゆすいだだけで「危ない」はずはないんじゃないかな。私が購入したのは2刷でしたけど、p61やp67に誤植がまだまだ残っていたのも残念。

アカザ:わたしも、このオムレツ屋さんは、どうしてこの子を全寮制の特別支援学校に入れたのかなと疑問に思いました。一般の学校に行くか、障害のある子どもたちの学校に通わせるかだって、親は相当悩むと思うのに。じっさい、知的障害のある子どもの親が悩むのを、以前に身近で見てきたので……。この本を読んだ子どもたちが、松葉杖で学校に来る友だちに「どうして別の学校へ行かないの?」なんてきくんじゃないかと心配になりました。病気や障害のある子と、その兄弟の関係については、宮部みゆきが『ソロモンの偽証』で、恐ろしいほど深くえぐって書いていました。

プルメリア:あまり心情が伝わらないな、殺風景だなという感じがしました。もっと境遇の厳しい人は現実にはたくさんいます(夜逃げ同然で現れて、夜逃げ同然で去って行くとか)。知的障害がある子どもは支援学校にいくことがありますが、体が不自由だけれども動くことができる子どもは通常学級に通っています。設定がよくわからないです。

ajian:作者の意図が透けて見えて、しかも共感できませんでした。全体的にリアリティに欠けていると思います。ブログを書いているチャイナドレスの女性は、「風変わりな人に出会ってきたが、、なかでもかなり強烈」とありますが、どこがどう風変わりなのかが全然見えません。フリーライターの母親にしても、モンゴルに半年取材旅行に行くとありますが、旅行ガイドを書いている人がそういう仕事の仕方をするだろうか、と思いました。それから和也と敏也のお父さんが、敏也に障碍があって大変だから、ホテルを辞めてオムレツ屋を開いたとありますが、特別支援学校に行っていてお金がかかるのに、果たして実入りのいい仕事を辞めるのかな、という疑問が湧いてきます。街のオムレツ屋ってそう簡単にできるもんじゃないのに。こういうところの造りが甘いと、読む気をなくすんじゃないかと思います。途中で登場する「スパイクシューズ作戦」も、単に敏也が活躍するという状況を作りたかっただけで、何の必然性もないですよね。最後に出てくる作家についても、作家が論語=中国の難しい本を読んでいる、という、この薄っぺらなイメージがさむいです。何より腹が立ったのが、母親が好き勝手やっているのを、この子が最終的に受け入れるように読めるところです。大人のせいで子どもが我慢しなくてはならないというシチュエーションを、当たり前のように書いているのが、いやですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


くりぃむパン

『くりぃむパン』
濱野京子/著 黒須高嶺/挿絵
くもん出版
2012.01

版元語録:父親と二人で生きてきた未果と、大家族でくらす香里。育った環境も性格も違う二人が人とのつながりの大切さに気づく物語。

ルパン:飽きずにひといきで最後まで読めましたが、「くりぃむパン」の意味がよくわからなかったです。表題にもなっているので何か特別のいわれのあるものかと思って最後までそれが出てくるのを待っていたのですが、とくになかったので拍子抜けでした。ただの近所のおいしいパンだったんですね。つるかめ堂の立ち位置もよくわからなかったし。下宿という設定はいいですね。漫画家が下宿していて、自分のことがマンガになるというエピソードもおもしろかったです。主人公の未果、いいですね。ためたお金でパンを買って配るシーンはぐっときました。

メリーさん:主人公たちがひいおばあちゃんの部屋へ行く場面、時間がゆっくり進むから、得したような気になる、という感想がいいなあと思いました。それから、漫画家の志帆さんが、実は住んでいる家と家族をすごく気に入っていて、そのことを漫画に描いていたというくだりも。普段見慣れてしまった、ありふれた町や商店街の風景がまた違ったものに見える感じがよく伝わってきました。「友チョコ」、派遣社員の問題、子どもの話し言葉。今の風景を取り入れようとしているのはよくわかるのですが、下宿という設定はどうか。貧困というきびしい現実は厳然としてあるけれど、この設定は今の子どもにとって本当にリアルなのかなと思いました。

レジーナ:ひねくれていて、すぐすねる子どもが主人公なのは、新しいですね。92ページで、未果が、「パンは手軽だから」と言いますが、子どもの言葉遣いではないですね。94ページで、パンをもらった主人公が、「生きるってせつないよね」と言うのは、少し唐突に感じました。『キッチン』(吉本ばなな=著 福武書店)に、朝食のパンをもそもそかじりながら、「みなしごみたい」と言う場面がありますが、パンの独特のわびしさのようなものは、大人だからわかる感覚ではないでしょうか。

ハリネズミ:そこは女の子にありがちな、背伸びをして言ってみたかった言葉なのでは?

レジーナ:それでも、登場人物はきちんと描き分けられています。未果が、すごくいい子に描かれているので、もっと本音にせまる描写があってもいいのではないかと思いました。

ハリネズミ:『オムレツ屋へようこそ!』と似た設定ですが、あちらが全体的に無理矢理作った話という感じがするのに対して、こちらはそれがないので、物語世界にすんなり入って行けます。余計なことですが、p66に「おにいちゃんは、口をとがらせて、おかわりのお茶わんをママに差しだす」とありますが、ご飯をよそうのはいつもお母さんなんだなあ、と考え込んでしまいました。ひと昔前は子どもの本の中のジェンダーにずいぶんとこだわって固定観念を取り除こうとしていましたが、今は出版社側もあんまりそういうことを考えないんですね。

プルメリア:なぜクリームが「くりぃむ」なのか気になりました。お笑い芸人を意識しているのでしょうか? 主人公のようにお金が大好きな子どもはいますが、「守銭奴」という言葉はこどもたちにとってはわかりにくい言葉です。1学期、3、4年生にブックトークで今回の課題図書を紹介した時、「守銭奴」の言葉の意味を教えました。まわりの人々が未果に優しくする気持ちはよくわかると思います。二人の子どもの心情がよく書かれています。謎めいた作家の設定もいいなと思います。お父さんが職をなくしたときに、ためていたお金が入った貯金箱をこわしてパンを買うというところはわからなかったです。

ルパン:やけくそになったんじゃないかな。せっかくお父さんと暮らすためにお金を貯めていたのに意味がなくなってしまったわけだし。

ハリネズミ:店の名前は昔からあるつるかめ堂がクリームパンを売り出したときは、平仮名にしたほうがハイカラに見えたのでは?

アカザ:わたしは、しゃれてるなと思いました。ぜんぶカタカナで書くと固い感じだし、あたりまえになっちゃうのでは?

プルメリア:バレンタインデーに男の子にチョコレートをあげないところが現実的でよく書かれていると思いました。この本は高学年向けのほうがよかったのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


ジャコのお菓子な学校

『ジャコのお菓子な学校』
原題:LECOLE DES GATEAUX by Rachel Hausfater
ラッシェル・オスファテール/著 ダニエル遠藤みのり/訳 風川恭子/挿絵
文研出版
2012.12

版元語録:ジャコは、食べることが大好き。ある日、図書館でお菓子の作り方のページを見つけて書き写した。初めて焼いたクッキーは最高! お菓子を作るたびに、算数も長い文章もニガテじゃなくなってきた。ところが、クラスの友だちとお菓子屋さんを始めたら、らんぼうな中学生たちがやってきて…

プルメリア:3.4年生の課題図書ですが、本を読んで自分が理解していくという喜びは3・4年生にはわかりにくいのではないでしょうか。この作品を5年生に紹介したところ、図書館で本を読んで実際にお菓子を作ってみる過程の楽しさや学習を習得していくことが理解できました。発達段階の違いが出ています。おおらかなおじいさんの登場はどの場面もおもしろかったです。紹介されているお菓子の名前やクッキーのレシピはちょっとむずかしいかな。字も小さいので高学年向けの方がよかったのではないでしょうか。

レジーナ:はじめ、主人公は学習障がいなのかと思いました。

プルメリア:こういう子はいます。なんとなくぎこちない子たちは実際にいます。

メリーさん:自分の好きなことで読み書きや算数を自然に学んでいくというところはいいなと思いました。それから、ミルフィーユが千枚の紙という意味だとか、ババロワが地名だというような豆知識。訳文も一生懸命だじゃれを日本語にしているということがわかって面白かったです。ただ、こういうことは子どもが全部ひとりでできるのかなと思いました。母親が全く出てこなくて、電話でおじいちゃんのアドバイス、というのはリアリティーがないような。中学生のギャングたちをコショウで撃退するところも同じです。正反対の性格を持つ友だちのミシューとシャルロットも、どうして主人公と仲良くなったのか、書き込んでもらえるともっとよかったと思いました。

レジーナ:あまりにも簡単に、問題が解決していきます。子どもの時、通信教育の勧誘のパンフレットに、「何かのきっかけで急に勉強ができるようになる」という内容の漫画がよく載っていたのを思い出します。訳文が少しぎこちなく、「〜」を多用しているのも気になります。かわいらしいイラストは、子どもは好きなのかもしれませんが、お菓子が、もう少しおいしそうに見えればよかったです。

アカザ:チョコチップクッキーが肉団子みたい。

レジーナ:タイトルを直訳すると「お菓子の学校」ですが、なぜ、あえて「お菓子な学校」としたのでしょうか。「おかしい」「面白い」という意味をこめたかったのかもしれませんが、それも不自然ですし……。

アカザ:するすると楽しく読めて、訳者も一所懸命、原文に取りくんでいるなと思いました。数多いだじゃれの訳など、ご苦労様といいたいくらいです。ただ、ファンタジーだと翻訳物でも自分の世界とまったく違ったものとして読みますが、こういう日常生活を扱ったものは小学生には理解するのが難しいだろうなと思いました。台所の道具のひとつひとつ、お菓子の材料のあれこれも、日本とは違いますものね。対象年齢は中学年ではなく、もう少し上だと思います。これも、作者の意図が透けて見える作品で、最初にアイデアありきという感じ。読んでいるあいだじゅう、この作者は頭で書いていて、心で書いていないという感じがつきまとっていました。教訓的というか、大人の目線で書いている。子どもがどんな感想文を書くのか、読む前にわかってしまうような作品ですね。

ルパン:私は結局読めなかったんですが、今みなさんのお話を聞いていて、『ビーチャと学校友だち』を連想したんですけど……そういう話とは違うんですか?

プルメリア:「ビーチャと学校ともだち」とは、全く違うような気がします。

ハリネズミ:勉強の嫌いな子が、興味あることに夢中になるうちに、いろいろな知識を身につけていく、というストーリーは、大人には魅力的ですよね。でも、結局「勉強しなさいと言いたい」という意図が透けて見えてしまうと、どうなんでしょう? この作品は、そのぎりぎりのところでよくできているのかもしれません。5章のところで、卵の殻もくだいてクッキーに入れちゃってますが、できあがりがどうだったのか書いてないので心配です。

ajian:これも作者の意図は透けて見えるし、ひとりでオーブンまで使って危ないなとは思うけれど、読んだ子どもが、自分でもやってみたくなるんじゃないかなと思いました。子どもの頃に読んだ本で『うわさのズッコケ株式会社』(那須正幹著 ポプラ社)がとても好きだったんですが、自分で計算して利益を出してまた次の材料を買って・・・というあたりが似ているように思います。あと中学生が邪魔をしにくる場面。うまくいきかけていると邪魔が入るというのは一つのセオリーですが、上級生たちにめちゃくちゃにやられて悔しいというのは、自分にもそういうことがあったなあと。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


鉄のしぶきがはねる

『鉄のしぶきがはねる』
まはら三桃/著
講談社
2011

版元語録:工業高校機械科「旋盤」女子、鉄の塊に挑む手作業よりもコンピューターを信じていた女子高生が、鉄との格闘を通して職人技の極みに魅せられていく。機械油と鉄のとがった匂いにまみれた「旋盤」青春物語

プルメリア:表紙もよく軽くて良い感触でしたが、読み始めたら金属音が気になってなかなか読みすすめられませんでした。知らない職種なので仕事内容がわかりにくく理解が進みませんでした。わからないなりに読んでいって、中頃になってようやく自分なりの解釈で読めるようになってきて、工業学校の様子もわかり、登場人物も少ないのですがひとりひとりのキャラもわかってきて家族の思いやりも伝わり、最後はコンクールへ向けての熱意も伝わって来て、応援したい気持ちになりました。高校生のときめきもよくわかるし、工業系の話って今までなかったと思うのでお薦めしたいです。これが工業系のお話の第一作になっていくのかなと思いました。

トム:「鉄のしぶきがはねる」というタイトルは、象徴的な感じがしました。ページを開く前、私は板金のこともなにもわからないので、飛沫が跳ねるということからもっと文学的なイメージを広げていたかもしれません。先入観でタイトルに勝手な思い込みを重ねました。考えてみれば赤く燃える鉄鋼炉で鉄が湯のように滾っている映像を見たことを思い出します。内容は工業高校での学びがかなりリアルに語られて、鉄が水のように跳ねる事実からも工業世界の一端をみる気持ちです。若い人がもくもくと何かを作ることに没頭する姿はすがすがしく感じました。それぞれの葛藤や背景はありますが。

アカシア:工業系でも、旋盤は地味だからかあまり児童文学にはとりあげられませんよね。

プルメリア:ロボットや飛行機だったら目立つけど。

トム:技術は一代限りでないこともさりげなく語られています。それから、貧しいなかでノートを盗んでしまう若者。人間の弱さ、弱さを生んでしまうものは何なのか読者の若い人たちはどう感じているでしょうか。時代の背景とか、そのことが他者の人生を狂わせ自分も生涯苦しみを抱えて生きることになる・・・と、若者も大人も一緒に想像力ひろげて考えられたらと思いますが。かなり重いテーマが挟まっていると思いました。

アカシア:ゲームセンターって今もあるんですか?

プルメリア:ありますよ。

トム:登場人物のなかで、大人たちはかなりステレオタイプに描かれているように感じました。若者たちはそれぞれいい味。亀井君、吉田君もそれぞれに色々な出来事を超えて自分の道を歩きだす様子がさわやかに描かれています。どこかで会えるような気がする若者たちです。原口くんは、卒業後インドに旅立つという意外な展開で少し唐突な気がしました。日本の技術とアジア・インドの状況などもう少し具体的に、例えば原口君を突き動かした出来事など描かれていたら彼の情熱がリアルに伝わって原口君に自分を重ねる人がでるかも・・・。最後に「待ってろ」なんて、何だかカッコヨク古風なことを言うのは、突如物語のテーマのハンドルが別のルートにきられた気もしましたが。

ルパン:説明調の文章が多くて、読むのがたいへんでした。レアな世界を紹介したい、という作者の意図が透けて見えるし…。バイトとか旋盤とか、工業用語がたくさん出てくるのですが絵で浮かんでこないから、その分お話に入り込めませんでした。そういうものを文章で表現するのが目的だったとは思うのですが。ふつうに手に取っただけだったら、たぶん途中で放り出したと思うんですが、今日の会の課題だったのでがまんして読み続けたら、そのうち最後のほうでおもしろくなってきました。もっとストーリー中心で描けばよかったんだと思います。工業高校の女の子って、とても魅力的な設定だし。旋盤作りの説明がこんなに前に出ずに、物語の背景として自然に組み込まれていたらなあ、と思いました。全体的にはやはり工業高校の世界のレポートを読まされている感がぬぐえませんでした。さいごに原口君とふたりでインドのかたちを作るジョークを交わすシーンなんかはすごくいいですね。こういうのばっかりだったらよかったな。

レジーナ: 聞きなれない言葉が多く、はじめは少し入りづらかったです。「ものづくり」という、人と少し違うことに魅せられた少女が、おばあちゃんや、人に裏切られても、それでもまた信じようとする原口など、温かな家族・友人の中で成長していく話は、まはらさんらしいですね。「ものづくりは楽しいから、なくなることはない」と原口に言われた心(しん)が、自転車のグリップを握った瞬間、鉄を切った時の感触を思い出す場面では、手の感覚で、はっと何かに気づく様子がよく伝わってきました。コツコツ努力し、硬い鉄の中から形を取り出すというのは、どこか人生にも重なるようです。主人公は、ものづくりとパソコンをよく比べていますが、この部分は必要だったのでしょうか。比較が作品の中で効果的に使われているようにも感じられなかったので……。

ajian:p11の「コンピューター制御」というのは、具体的にはプログラミングのことなのでしょうか。それがどういう状態をさすのかが、今ひとつわからなくて。「コンピューターをやっている」という表現も出てきますが、具体的でないのが、ちょっと気になってしまいました。コンピュータといっても、できること、やれることは千差万別なので、たんに「コンピューターをやる」という表現は、ちょっと大雑把かなと思います。パソコンが好きな子どもが読むと「あれ?」っと思ってしまうかも。

クプクプ:バランスよく書けた本だなと思いました。読後感がよくて、それはたぶん、ジェンダーを越えて道を究めていく話だから。もちろん、女は得だな、という偏見を持つ先生も出てきますが・・・。恋愛だけで終わらない、気持ちよさのある話だなって、素直に思いました。「心出し」とか知らない言葉がいっぱい出てきて、言葉は専門的で独特だけれど、日本語の豊かな世界に出会えました。主人公の鉄を削って形を求める姿が、作家さんが対象を描写するために文体を求め、削っていく様子と呼応していておもしろかった。

ajian:同じ話のくりかえしですみません。p39の「コンピューターに戻れるだろう」も、ちょっと引っかかってしまいました。彼女が「コンピューター」で何をやりたいのか/やっているのか、が今ひとつ伝わってこないです。プログラミングならプログラミングで、何かを学び、身につけるということは、本来世界の捉え方から変わってくるようなことだと思います。欲をいうなら、既に「コンピュータをやっている」彼女が、旋盤に出会うことで、さらにどう変わるのか、それが書かれているともっとよかった。それがなくて、たんに「手作り」の対比として「コンピューター」を置いているだけなら、ちょっと浅い気も。

アカシア:コンピュータ技術を学びたいと思い、手仕事を古くさいと思っていた主人公の心が、機械ではできないものがあると気づいていく過程がうまく描かれていました。工業高校の旋盤技術という、地味であまり注目されないところに焦点をあて、そうした技術をとても魅力的に描き出しているのもすてきです。触覚とか視覚とか、作ったものが浮かび上がるような表現をしようとしていますね。私にはまったく未知の分野ですが、すごいものができていくのがわかります。音とか、金属音もリアルに感じられたし。私は都会で生まれ育って、まわりに工業関係の施設もなかったので、工業高校は勉強が好きではない子が行く学校なんじゃないかって、誤解してました。この作品を読んで、工業高校の魅力がよくわかりました。心と原口の将来を暗示するようなストーリー展開はありきたりになりがちですけど、心も原口も旋盤に魅入られているという側面があるので、ただのありきたりにはなってない。絵や説明はあえて入れずに、勝負しているのもすがすがしいです。わからない部分があっても十分魅力が伝わってきますもの。北九州弁で会話が進んでいくのもおもしろかったな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年9月の記録)


パンとバラ

『パンとバラ』
原題:BREAD AND ROSES, TOO by Katherine Paterson, 2011
キャサリン・パターソン/著 岡本浜江/訳
偕成社
2012

版元語録:一九一二年冬、アメリカ東部ローレンスの町で、移民労働者たちのストライキがおこった。その混乱のさなか、互いに名も知らなかったイタリア移民の娘ローザ と、貧しい少年ジェイクの人生が交差する。現代アメリカ史に残る出来事を背景に、家族の思いやりや助け合う人々の姿をあたたかく描いた長編小説

ajian:これはおもしろかったですね。まず「パンとバラ」って、なんてキャッチーなコピーだろうと思って。ストライキの渦中にある人々が、自分たちのほしいものをアピールしようと集まって、英語も充分にできないのに、この言葉を生みだしていく、そのくだりはちょっと泣けてしまいました。後半、ジェイクとローザがバーモント州に行ってからは、ジェイクの嘘がばれるかばれないかという展開が始まるのですが、この辺りは、それより二人が元からいた町はどうなってるんだと気になってしまいました。あとがきを読むと、二人が避難した先がどうしてこの石工の町である必要があったのか、わかるんですが。ちょっと前に、ニューヨークのウォール街で、99%のデモをやっていて。この物語の背景になっている時代より、今ははるかに事態が複雑になっていると思います。企業は巨大化し、多国籍化し、経営者と労働者の格差もますます拡大していて。だから、この物語は、古い時代の物語でありながら、いま読んでも響くものが多い気がしました。あとは、子どもの目線でずっと書かれていて、何が起きているかが、ちょっとずつわかってくるんですよね。それが、ちょうど事態の目撃者の役割を果たしていて、うまいなと思いました。

クプクプ:全然違う世界じゃないですか。別の町の大人たちが、他の町で起きているストライキに共感して、ストが終わるまで自分の町に、食うに困っている子どもたちを引き取って面倒を見るなんて。江戸時代には、迷いこんできた子どもを町の子どもとして育てる制度はあったと聞いていますが、今の日本では考えられない世界ですよね。母親たちも、教会やまわりのサポートがあるからこそ、ストを続けていけるわけです。子どもは社会のものだっていうのは、キリスト教社会の発想なんでしょう。

アカシア:パターソンも宣教師の家庭ですしね。

クプクプ:人間はこんなふうにも生きられるんだなって思いました。みんな、ぎりぎりで生きているけど、人と人との関わりが深い。ジェイクも許されないことをしたのに、受け止めてもらえた。根っこにあるのは、人と人がつながることの意味…主人公たちの生きる状況は厳しいけれど、人間の関係だけを見ると羨ましいぐらい。

アカシア:でもこれって、古き良き時代の労働組合じゃないですか。今だったら、巧妙につぶされると思うし、事はこんなふうに理想的には展開しないだろうなって、私は思ってしまった。だから絵空事みたいな感じがしちゃったのね。今はありえないなって。

クプクプ:そうですね、町長の息子がダイナマイトをしかけるのも、今だったらもっと巧妙にやるかな。理想郷ではないけれど、ある意味、やっぱり理想郷の物語だと思う。そういう時代や人間関係がありえた、ということもふくめて、子どもに読んでもらいたい本です。

トム:とても熱いものが伝わる物語でした。人が不要になって捨てた物のなかで暖をとる・・・誰も見向きもしないところが安息の場ということにまず想像を超えた貧しい世界が見えてきます。働くお母さんたちが、ローザの台所に集まって、どうやって経営者達と戦おうか話しあう場面がありますが、身近な社会で起きることに、おかしいよねって言いあえる仲間があって、連帯してゆく様子がとてもよく描かれていると思いました。現実には、知らず知らずの内に操作されたり、不本意ながら長いものにまかれてしまいがちで、それがもっと大きな問題を生む種だったりすることは誰もがわかっているのですが・・・。ここでは大人も子どもも一緒になって、自分をごまかさずに生きていると感じました。また、その子どもたちや子どもを抱える家族を助けてくれる人がでてくる—かつてのアメリカにはこういう動きがあったのでしょうか。p178の証明書は、本物なのですか? ここでもう一つ印象的なのは、このお母さんの心根。貧しくても日々の暮らしが切羽つまってもちゃんと自分の子どもを見ている。だから預ける先を選ぶ判断を間違いなくしている。それによって子どもは生き延びてまた再会の時を迎えられるのですから。それに比してジェイクのお父さんは、なんでこんな悲しい死に方をしなきゃいけなかったんでしょう。

レジーナ:ローザは優等生の女の子ですが、しだいに自分の頭で考えて正しいことをしようとします。登場人物が魅力的ですね。社会主義者のジェルバーティさんや、ピューリタンの先生など、さまざまな国籍・宗教・立場の人が入り混じった社会は、日本の子どもにはなじみがないので、説明が必要かもしれませんね。パターソンの作品は、『星をまく人』(キャサリン・パターソン著 岡本浜江訳 ポプラ社)のように、人生の暗い部分を描き、救いがあまり感じられないまま終わる話もありますが、『パンとバラ』の結末は、希望がありますね。バラをイメージさせる、赤を基調とした装丁が素敵です。表紙はストライクの場面で、裏表紙に、物干しの洋服と靴が描かれているのも、労働者の生活を表しているようで、しゃれています。p57の「もともと、工場わきでスト破りの見張りなんかしたくはなかったのだ。もとはといえば、そこがみんなの興奮のもとなのだろうけど」ですが、「もと」という言葉を必要以上に繰り返しているので、翻訳を工夫してほしかったです。

アカシア:翻訳についていうと、p19に「一週間分の自分のビール代」ってあるけど、子どもが毎日ビールを飲んでた? で、その金額が「小屋の家賃をはらい、二週間分の食べ物を買える」のと同じ? ちょっとここは、わかりませんでした。p47の「父ちゃんの怒りのはげしさを見たとたん、ジェイクは走りだそうかと思った」は、逃げだそうか、ってことなのかな? p204の「けがしてないだろ?」は小さい子の言葉じゃないかもしれませんね。p208の「やわらかくて、肉が骨からとれそうなチキンの大皿もある」は、まだ見ているだけの段階なので、そこまでわかるのかなあ、と思っちゃいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年9月の記録)


マルセロ・イン・ザ・リアルワールド

フランシスコ・X・ストーク『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』
『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』
原題:MARCELO IN THE REAL WORLD by Francisco X. Stork, 1998
フランシスコ・X・ストーク/著 千葉茂樹/訳
岩波書店
2013

版元語録:マルセロは発達障害をもつ17歳。「リアルな世界」を経験してほしいという父親の望みに応え、ひと夏を、彼の法律事務所で働くことに。新しい出会いに仕事 に戸惑いながらも、試練の毎日を乗りこえていくが、一枚の写真から、事務所の秘密を知ってしまい…。だれもが経験する不安や成長を、発達障害をもつ少年の 内面からえがく、さわやかな青春小説。

クプクプ:おもしろかったです。マルセロは、特別な学校に行っているけど、お父さんの会社で働くんですよね。アスペルガーだからなのか、自分なりの言葉で、自分の頭で考えて、リアルな世界に迫ろうとするそこに読者も引き込まれて、いっしょにリアルな世界ってなんなのか、見つけていくんです。彼はお父さんの不正を発見してしまうけれど、会社がつぶれるわけじゃない。マルセロの大きな魅力は、自分なりの言葉を積み上げて、一から世界を理解し、世界を創っていくところ。彼をサポートするジャスミンも魅力的な女の子ですね。ふたりとも音楽が大好きで、いつしか惹かれあっていく。ジャスミンの父親のエイモスは、息子のジェイムズが馬にけり殺されてしまったのに、その馬を自分で飼い続ける選択をしています。そんな価値観も、物語に奥行きを与えているみたい。死んだ息子といっしょに、その馬と生きる時間を受けとめていくんですよね。何が正しくて何が間違っているのか。リアルな世界は複雑だけれど、マルセロは自分の耳に「正しい音が聞こえる」こことを大切にしていく。好感の持てる作品でした。

レジーナ:発達障害を持つマルセロは、人の感情や人生には、善悪、嫉妬、本音と建前など、秩序立てることのできないものがあるのだと知っていきます。ジャスミンがマルセロに、訴訟問題にどう関わるか、自分で決めなければならないと話す場面がありますが、生きることが喪失の連続なのは、誰しも同じなんですよね。マルセロは、イステルとの出会いの中で、苦しみばかりの人生をどう生きていけばいいのかという問題にぶつかり、人生に挑もうとします。どんな人にとっても、人生というのは多かれ少なかれ生きづらいものです。この作品の魅力は、発達障害の少年の目を通して描きながらも、すべての子どものための普遍的な成長物語になっている点だと思います。宗教に強い関心を抱くマルセロは、聖書を暗記し、何度も心の中で思い返し、自分のものにしようとし、人間の矛盾を受け入れようとします。ピアノが弾けないことを、「ぼくの心のなかの配線は、ピアノを弾くのに必要なだけの電流に耐えられなかった」と言ったり、その場で思いついたことを「即興で演奏」と表現する独特の言葉づかいも、マルセロ自身も、また彼の目に映る世界も、読者を惹きつける力があります。p151でマルセロは、自分の感情を非常に論理的に分析していますが、アスペルガー症候群の人は、これほど段階を追って考えるものなのでしょうか。またp160に「ウェンデルはどうやって、ぼくの心のなかを知ったのだろう?」とありますが、アスペルガーの人は、人の感情を読み取るのが困難なだけで、感情というものが存在することはマルセロも知っているはずなので、この台詞は不自然ではないでしょうか。

アカシア:本当にリアルな世界とはなんなのか、ということを考えさせられました。お父さんがリアルだと思っている世界は、実はリアルではないのかもしれないと思ったんです。そして著者もそう言いたいのではないかな、と。逆にこの作品では、マルセロの視点から見た周囲の世界がとてもリアルに書かれています。著者が障碍者の施設で働いたことがあり、自閉症の甥をもつことから、つくり話ではなく登場人物にリアリティがある作品になっていると思いました。もちろん、こうなるといいな、という理想も書かれてはいると思いますけど。読者もマルセロに寄り添って物語の世界を歩いていくことができるし、ちょっと臭い台詞も、マルセロが言っていればそう思わないで素直に受け取れる。発達障碍をもった人を主人公にした本だと『夜中に犬に起きた奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 小尾芙佐訳 早川書房)がおもしろかったし、目を開かれた気持ちになったんですけど、この本はまた趣が違っておもしろい。本文では「リアルな世界」となっていますが、書名は「リアル・ワールド」なんですね。一つ気になったのは、マルセロは定期的に脳をスキャンされてますけど、どういう方法でなんでしょうか? 普通のCTスキャンだと健康に害がありますよね。

ajian:第3章での父との会話。マルセロの父親は息子のためを思って、法律事務所で働くようにいうわけですが、マルセロにはそれが通じず、かえってストレスに思う。このすれちがう感じは、すごくよくわかる気がして、この辺りからぐっと引きこまれましたね。ラビとの会話は、最初原書で読んだときはちょっと難しくて、読むのに苦労したのですけど、翻訳で読んでみてかなりクリアになって、よかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年9月の記録)


怪物はささやく

パトリック・ネス&シヴォーン・ダウド『怪物はささやく』
『怪物はささやく』
原題:A MONSTER CALLS by Patrick Ness, 1995
パトリック・ネス /作, ジム・ケイ/絵 シヴォーン・ダウド/原作, 池田 真紀子/訳
あすなろ書房
2011.11

版元語録:ある夜、怪物が少年とその母親の住む家に現われた—それはイチイの木の姿をしていた。「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」嘘と真実を同時に信じた少年は、なぜ怪物に物語を話さなければならなかったのか…。

レジーナ:私はこの作品を、翻訳される前に読みました。原書を読むときは、距離をとって冷静に読むことが多いんですが、この作品は違いました。コナーが、不条理な現実に怒っているがゆえに素直になれないことを、「ちゃんとわかっているし、それでいい」と、母親が語る場面など……。電車の中で読みながら、涙が止まりませんでした。圧倒的な力を前に、どうすることもできない深い無力感や、行き場のない憤り、声にならない叫びが、漆黒の深遠で待ち受ける正体不明の怪物との対峙に表わされています。一方、話をするようせまる怪物は善悪を超えた存在です。大きな問いをぶつけ、私たちを根底から揺るがすんですね。そして受け入れまいと抗う中で、怪物は突然、コナーを外側から脅かすものではなく、内側から支えるものに変容します。「12:07」を待つ耐えがたい苦しみのときこそ、最後の恵みのときであり、愛する人がのこすことのできる全てなのだと感じさせます。そのことに、人間はそれぞれの「12:07」を繰り返すことでしか気づけませんが、この物語は、目をそらすことなく勇気をもって、その真実を描いた力強い作品です。人生に対する作者の誠実な向き合い方を感じますね。善と悪、弱さと力強さ、正義と過ち、人間は多面的な存在ですが、それでも怪物が人間に注ぐまなざしは率直で曇りなく、厳しくも温かく、人間に対する作者の信頼そのものだといえます。物語というのは、火を囲んでいた太古の昔からあるもので、そこには真実が含まれているんですね。コナーは怪物に自分の物語を語り、「早く終わってほしい」という本当の気持ちを話すことで、目に見える現実の奥にある真実を知り、自分の物語を生きる、いわば本当の人生を生きはじめます。p40の「わたしが何を求めているかではない。おまえがわたしに何を求めているかだ。」という台詞からは、怪物とは、人間が自ら働きかけてはじめてこたえる存在であることがわかります。p44の「飼いならされない」というのもそうですが、ナルニアのアスランを思い出しますね。冒頭の「その過ちをいますぐ修正することをおすすめする」という翻訳は、少し不自然に感じました。

クプクプ:挿絵と構成に工夫が凝らしてあり、気迫のこもった本だと、まず感じました。挿絵も、集中して見るうちに見えてくるものがあり、物語創りの一端を担っています。母さんの死を前にした少年コナーが、その不安を受け止めきれず、怪物を呼び出してしまう。かならず12時7分に登場する怪物は、「私はこれから三つ物語を語るが、四つ目はおまえが真実を語るのだ」といい、それが物語の外枠を作り上げています。この少年の真実とは、心の中の秘密とは、一体なんなのだろう、と好奇心を強くそそられました。怪物の語る二つの物語の中では、正義だと思えたことが結末でひっくりかえる。タイプは違う本だけれど『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳 早川書房)を思い出しました。意外な結末のほうが、「えっ、こんなのあり? なぜっ」て、読者に考えさせる力が大きく働くのかもしれませんね。そして二つ目の物語のあと、怪物はコナーの現実の中で破壊を行い、三つ目の透明人間の物語では、結末が出る前に怪物がコナーに絡むハリーを殴り飛ばす展開となる。それはすなわちコナー自身の衝動的な暴力を意味していて、ここで、物語そのものが壊れて現実の行動に取ってかわられる。ほんとに上手い作家です。「12時7分」の持つ意味も、最後に符号がぴたっと合うようにできている。ただ、コナーの隠していた真実が、私の予想通りだったことが、残念といえば残念だったかな。異形の者が登場する点、家族の死と生がテーマになっている点で『肩甲骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著 山田順子訳 東京創元社)に通じるものも感じたけれど、料理の仕方が違いますね。暴力も破壊も描き、人間の心の暗闇、ダークな面にまで踏み込んでいているけれど、葛藤を越えて母さんの死の瞬間を受け入れるまでを、ものすごく丁寧にすくいとっています。めったに無い作品で、感動しました。タイムファンタジー的な部分、時空を越えた物語のスケールの大きさも楽しみました。

夏子:これと『ふたつの月の物語』(富安陽子作 講談社)を2冊続けて読めたということが、よかったです。共通点と違いが見えて、両方の本への理解が深まったという気がします。『怪物は〜』は圧倒的におもしろくて、めったに出会えない傑作だと感じました。最初はやや読みにくかったな。「怪物」というのはつまり少年コナーが感じている恐怖や孤独が樹木の形をとっているのだろう、とつい思って読んでいました。こういう普通に心理的な読み方は、つまんないですよね(と反省)。それにしても3つの物語はストンと心に落ちるものがない、ヘンだなあと読み進んでいくうちにクライマックスへ。コナーは厳しい状況のなかで、疲れています。過大な負担から逃げたい、つまり「早く死んでほしい」という気持ちが心の奥にあって、それが自分で許せない。クライマックスは、私には衝撃的でした。クプクプさんは、コナーが隠していた真実が予想どおりだったと言っておられたけれど、私は予想していなかったのです(笑)。自分で自分が許せない気持ちを持つことがあること、でもその気持ちは心の全てではないわけで、つまり心は多面体なんですよね。この事実が圧倒的な力で迫ってくると同時に、多面体であることを知って、読者も深く慰撫される。子どもたちにぜひ読んでもらいたい本です。ところでこの本は、イラストがたくさん入っています。イラスト入りの小説というのは、斬新な試みですよね。文章はどんどん先を読みたくなりますが、絵はゆっくり見たいという気持ちを起こさせます。つまりイラストのおかげで、本のページをめくる速度が落ちるので、読みに独特なリズムが生まれていると思います。ただ文を縦書きにしたために、絵が裏焼きになっているんですよね。裏焼きになったがために、原書と印象が違っているものもあるように思いますが、皆さん、いかがですか?

ルパン:衝撃的な作品ですね。でも、最終的には、コナーの心の葛藤って、「早く死んでほしい」っていうことだけじゃないって思いました。後ろめたさを感じてるのは確かだけど、「終わってほしい」ということと「お母さんに死んでほしい」っていうことはイコールではないと思います。「行っちゃ嫌だ」ってストレートに言いたくても言えなかったのが、葛藤だったんじゃないでしょうか。「死んじゃだめ」って面と向かって言えない。そっちの方がつらいんじゃないかなって。すべてつらい状況ですね。やっぱり「ぼくを遺して死なないで」って言うのが、この子の本当の気持ちなんだと思います。大人が老人を見送るのとは違うので。母の死と向き合わなければならない子どもの悲しみをリアルに壮大に描いた作品だと思います。

アカシア:怪物は、意識下にあるものが夢として現れるんでしょうね。ある意味、少年が自分でつくりあげているわけなんでしょうけど、主人公の心の中にそういうものが登場する穴があいてるんですね。母と離婚した父親にはまったく理解されず、学校ではいじめられ、面倒を見てくれる祖母のことは好きになれない・・・この少年が、これ以上ないほどの孤独を感じているのがわかります。この絵がなくて文章だけだとまたずいぶんと違った印象になるでしょうね。その絵まで含めて、大した作品です。無意識から立ち現れた怪物ですが、受け入れるところから少年の心も少しずつ解放されていく。他の作家が書き残したアイデアから、ネスはどんなふうにこの物語を紡いでいったのでしょうね。それを知りたいです。

「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


ふたつの月の物語

『ふたつの月の物語』
富安陽子/作
講談社
2012.10

版元語録:養護施設で育った美月と、育ての親を亡くしたばかりの月明は、中学二年生の夏休み、津田節子という富豪の別荘に、養子候補として招かれる。悲しみのにおいに満ちた別荘で、ふたりは手を取りあい、津田節子の思惑を探っていく。十四年前、ダムの底に沈んだ村、その村で行われていた魂呼びの神事、そして大口真神の存在。さまざまな謎を追ううちに、ふたりは、思いもかけない出生の秘密にたどりつく…。

夏子:力のある作品だな、と楽しく読んでいたのですが、最後で拍子抜けしてしまいました。おもしろかったのは、ふたりの性格の違う女の子がビビッドに描写されている前半です。里親に返されてしまい養護施設で育って、心を閉ざした美月と、愛されて育った月明(あかり)。美月がどうやって心を開いていくのかと、期待しました。しかし後半は、事件の謎解きが中心となります。孫を亡くして悲しんでいる津田さんというおばあさんの後悔の気持ちには、充分に共感を寄せることができます。とはいえ『怪物』の感想でも言ったとおり、後悔は、人間の心の一部ではないでしょうか。魂を呼び寄せる儀式をするあたりから、津田さんの後悔が身勝手に思えるようになってしまいました。心を閉ざした子どもが置き去りにされて、津田さんの物語になってしまったようで、そこが不満でした。とはいっても、独特の民俗的な雰囲気のなかで繰りひろげられるサスペンスは、酒井駒子さんのイラストの魅力もあって、楽しかったです。

レジーナ:活動的な月明とおとなしい美月という対照的な双子には特別な力が備わっていて、出自には秘密がある。こういう設定のファンタジーは陳腐になりがちですが、この作品は、最後まで読者をぐいぐい引っぱっていきますね。情景が目に浮かぶように描かれているからでしょうか。サスペンスの要素もあります。取り乱してわめく江島さんの姿は常軌を逸し、山んばのようにおそろしくて、先へ先へと読んでしまいました。結末はひっかかりました。愛する人を失って、それでも生きねばならないのが人生ですし、児童文学もそうした視点で書かれるべきものだとすれば、つらいのはわかりますが、津田さんの選択が「逃げ」のように感じられて……。

クプクプ:美月と月明のふたりを主人公とする世界に、すぐに引き込まれました。孤児院に誰かがやってきて、条件付きで子どもを引き取るという設定や、外界から離れた山荘を舞台にした設定はよく見かけますが、富安さんはお話作りがとにかく巧い! 美月には、人にはわからないにおいを感じ取る不思議な力があって、月明にお調子者のポップコーンのにおいを感じたり、津田さんには悲しみのにおいとして、梅雨のころの雨上がりの地面のにおいを感じたり。そういうディテールの部分で、何度もはっとさせられました。そんな数々の工夫が、全体を豊かにしていますね。また月明は、危ないところまで行くと、別の場所に飛んでしまう力があるんです……。でも自分たちが引き取られた本当の理由を調べていたふたりは、津田さんの悲しみの原因を見つけ、そちらの物語のほうがだんだん大きくなっていく。愛しい孫を死なせてしまった津田さんが、よみがえりのために夜神神社の真神の力を借りようとするんですが、ふたりの祖父も息子を蘇らせようと真神の力を借りていて、ここで話が響きあい、重なりあう。そのあたりが見事ですねえ。津田さんの儀式のなかで、美月と月明はただ石の笛を吹くだけ、というのは、少し物足りない気がしましたが。ふたりのお母さんで、真神の贄となった小夜香がどんな結婚生活を送ったのか、書かれていない部分も知りたいです!

アカシア:おもしろかったです。夏子さんは、美月を「里親に返されてしまい養護施設で育って、心を閉ざした」っておっしゃったけど、そう心を閉ざしているわけではないでしょう? 最初からずっと謎があって、それで読者をひっぱっていくのは、うまいですね。生き返るということについての安易ではない扱い方もいいし、どんでん返しもあって、読者を飽きさせません。私は、美月と月明がふたごだっていうところで、ちょっととまどいました。ふたごである必要があったのかな? それから最後に、景山の目が青く光るという描写があります。とすると、景山は、この子たちのお父さんなんでしょうか? 読み終わってもまだ謎が残って考えてしまうところが、またすごいです。

クプクプ:なにをテーマにしたかったんでしょうね。

アカシア:生と死じゃないでしょうか。

クプクプ:取りもどせない時間かな。

夏子:津田さんを描きこんでしまうと、女の一生になってしまって、すごく重いものになりますよね。わたしはやはり、ふたりの少女を描きたかったんじゃないか、と思います。ただそれがちょっと中途半端に終わった印象です。でも、あの、『怪物はささやく』の迫力とつい比べてしまって、申しわけない。こちらはこちらで充分おもしろく読めるのですが……

アカシア:石笛は、縄文の昔から神事などに使われているんですね。

プルメリア:次の展開が見えてくる部分がたくさんありますが、わかっていてもなぜか読ませる作品でした。二人にはなにかあるって予想を持ちながら、読んだのがおもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


サースキの笛がきこえる

エロイーズ・マッグロウ『サースキの笛がきこえる』
『サースキの笛がきこえる』
原題:THE MOORCHILD by Eloise McGraw, 1996
エロイーズ・マッグロウ/作 斎藤 倫子/訳 丹地 陽子/絵
偕成社
2012.06

版元語録:妖精の世界を追放され、人の子として育つサースキ。皆と違う自分に苦しむが、やがて自分の道をみつけていく、成長の物語。

ルパン:最後まで読んでいないんですけど、今までのところで一番気になっているのは、取り替えられて妖精の国に行かされた子はどうなったんだろう、っていうことです。

夏子:そこは、読めばわかるようになっていますよ。アメリカで出版されたのが1996年で、確かニューベリー賞候補になったんですよね。そのころ英語で読みました。でも今回翻訳で読んだ方が、印象がよかったです。まわりから浮き上がってしまう子どもは、今のほうがリアリティがあるのかもしれない。翻訳がだいぶおくれて出版されたおかげで、タイムリーになったところがあるかもしれませんね。

レジーナ:自由な魂を持ち、人間の世界になじめない妖精のサースキは、自分をもてあましているようで、すぐにかんしゃくをおこし、自分でもどうしていいのかわからないんですね。この作品では、荒れ地という土地に力があり、精霊が住んでいて、トポスともいうべき特別な場所です。そうした荒れ地と強く結びついているサースキの、心の奥底に押し込められた不安や孤独が、丁寧に描かれています。この作品の魅力のひとつは、サースキという人物像にあるのではないでしょうか。クモの巣のプレゼントに、けげんそうな顔をした母親に対し、「おばあちゃんにあげる」ととっさに言うサースキは、機転が利き、とても魅力的な女の子です。アンワラもヤノも、とまどいながらもサースキを愛し、バグパイプをもたせてくれます。妖精のサースキには、本来は感情がないはずですが、両親の気持ちにこたえ、恩がえしをしようとするんですね。そのように考えると、これはアイデンティティをテーマにした作品であると同時に、母と子の物語でもあるのではないでしょうか。感情がなく、享楽的な妖精と対比することで、人を愛したり憎んだり、さまざまな側面をあわせもつ人間の複雑さが浮き彫りになっているように感じました。ところで、デビルという名のヤギがでてくるのが不思議でした。悪魔とヤギが結びつくのはわかりますが、自分のヤギにデビルという名前をつけるものでしょうか。

クプクプ:お父さんはお父さんなりに、お母さんはお母さんなりに、サースキのことを愛していて、例えばバグパイプを持たせてくれるところにその愛情を感じました。サースキは、みんなの役に立ちたいと願い、例えばおばあちゃんのために薬草を摘む。お父さんのためには移動するミツバチを必死で追いかける。さまざな薬草に名前があり、薬効があり、ミツバチにはミツバチの生態があり、自然と共に生きる、こんな暮らしもいいなって感じます。異端として生まれた子が、自分の場所をどうやって見つけていくかというテーマとあいまって、時代を超えた作品になっているって思いました。派手ではないけれど、また読む力のない子はお話に入っていくのに時間がかかるかもしれないけれど、読みはじめたら、絶対にいい作品だと感じてくれるはず。

アカシア:いい作品です。まずはなにより、半分人間で半分妖精という存在を、人間の社会の中で描くのは難しいと思うんですけど、この作品では説得力のある描写になっていますね。物語世界にきちんとしたリアリティがある。妖精の世界に行ってしまったお父さんも、その心情がわかるし、「取り替え子だ」と言っているおばあさんのベスも、最後にはサースキに愛情を注いでいる。自然とともに生きているようなタムが、外見にとらわれずにサースキに理解を示すのもいいですね。ベスは最初から勘づいているんですけど、だんだんに確信をもっていく過程、そしてそれにもかかわらずいとしさを感じるようになる過程も、うまく書かれています。音楽の楽しさについても、読者にうまく伝わってきます。今は自分の居場所がないと感じている子どもがかなりいると思うので、そういう子たちの手に渡って読んでもらえるといいな。

夏子:物語世界が美しく構成されていて、作者の力を感じました。そういえば今回読んだ3冊には、どれもおばあさんがでてきて、存在感がありますよね。児童書には魅力的なおばあさんがつきものですが、また3人も増えた!

クプクプ:奇をてらわず、描写がきちんとして、人物像がきわだっていて。力のある作品ですね。

夏子:人間の世界で育った子どもだから妖精の世界には戻れないだろうなあ、と心配していましたが(笑)、放浪の民になる終わり方は、文句のつけようのない素晴らしいエンディングでした。

プルメリア:すっきりした感じで透明感のある作品だなって思いました。挿絵がよかったです。今回の3冊の中では、私は『怪物がささやく』が一番おもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


シーラカンスとぼくらの冒険

『シーラカンスとぼくらの冒険』
歌代 朔/作 町田尚子/挿絵
あかね書房
2011.09

版元語録:地下鉄に乗りこんだシーラカンスは、まぼろしか、妖怪か…!? 幼なじみのアキラと、自由研究で調べはじめたマコト。謎を解き、「師匠」と呼んでシーラカンスと友だちになった二人は、一緒に冒険に出かけることになり—。忘れられないひと夏の、友情と冒険の物語。

プルメリア:シーラカンスの登場という作品の設定に惹きつけられました。また、挿絵がいいなって思いました。内気でおとなしい少年の心情に寄り添いながら、話が自然に展開していく。シーラカンスのしぐさがかわいかったです。海底トンネルで上を見上げる場面「世界は限りなく広がっている」ようでいいなと思いました。また、終末に、子どもの未来像がでていたところがよかったです。

レジーナ:シーラカンスが地下鉄に住んでいるのに、だれも気にとめず生活しているという設定にリアリティがなく、違和感をおぼえました。研究所から救出したシーラカンスを自転車のかごに入れて、追っ手の大人から逃げる場面は、映画の「E・T・」そのままですね。

ルパン:出だしは村上春樹っぽいテイストでしたが…。語り手の子どもが妙におとなびていて、小学生だということがしばらくぴんときませんでした。地下鉄にシーラカンスがいる、という設定はユニークだと思ったんですけどね…物語が進むにつれてどんどんつまらなくなってしまって残念でした。

ハリネズミ:最初の部分は、おもしろくて何だろうと引きつける力がありますね。でも、だんだんストーリーに無理が出てきて、残念ながらその力が弱まってしまう。たとえば、保護区といっていながら地下鉄を通しちゃってるし、シーラカンスは銘板があるくらいだから知っている人は知っているのに、これまでは研究する人がいないという設定にも引っかかる。それからファンタジーといっても、この物語の中では現実界とまったく切り離された法則が働いちゃってますよね。シーラカンスが日本語を流暢に話すとか、宇宙空間に飛び出していくというのは、身体構造上無理だと思うんですね。「宇宙に行くには、空を、真上に向かって突きぬけるように飛んでいけばいい」(p108)ってあるけど、子どもだってシャトル打ち上げのシーンなんかをテレビで見てるわけだから、信じろって言っても無理だと思うんです。単体で何億年と生きているとか、プラネタリウムの映像にシーラカンスの若いときの姿が映るのも、どうなんでしょう? これがシーラカンスでなくて謎の生物だったり、舞台が異世界だったりすれば、あまり違和感を感じなかったかもしれませんが。その物語世界の中での決まり事をもう少しきちんと作ってくれるとよかったなあ。

ルパン:「お約束通り」ってわりときらいじゃないんですけどね。おもしろければ。でも、これは残念ながら「お約束」というより「ありきたり」だったかな。最初が良かっただけに、もったいないですね。

ハリネズミ:というより、「お約束」の世界がきちんとできていないのが残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年6月の記録)


12分の1の冒険

『12分の1の冒険』
原題:THE SIXTY EIGHT ROOMS by Marianne Malone, 2010
マリアン マローン/作 橋本 恵/訳 佐竹美保/挿絵
ほるぷ出版
2010

版元語録:アメリカのシカゴ美術館には、子どもにも大人にも大人気の展示がある。実物の12分の1の大きさで作られた、68部屋のソーン・ミニチュアルームだ。細部まで完ぺきに再現された豪華なミニチュアルームにあこがれるルーシーとジャックは、その中へ入っていける魔法の鍵を手に入れ、思いがけない冒険をすることに…。

プルメリア:図書館で見つけてタイトルがおもしろかったのですぐ読みました。学級の子ども(小学校5年生)にすすめましたが、なかなか読めないようでした。ちょっと読みにくい部分があるのかなって思いました。2冊とも私が読んでから少し時間がたっているのであまりよく覚えていない部分がありますが、鍵がキーワード、体が小さくなること、その時代の社会・生活様式がわかること、トマスが発明家になることなどがおもしろかったです。また、おばあさんの設定が謎めいていました。2巻は、残念ながら1巻に比べて出来事や人物などあまり心に残っていません。

ルパン:翻訳が読みにくかったですね。読みごこちの悪さを感じながら、最後までいってしまいました。ルーマー・ゴッデンの『人形の家』が好きだったから期待したんですけど、これは全然ちがいましたね。正直、おもしろくなかったです。続編もいっしょに借りたんですけど、結局読みませんでした。

ハリネズミ:これも、ずいぶんとご都合主義的なストーリーのつくり方ですね。最初にミニチュアルームの裏に入るときには、たまたまドアがちゃんと閉まっていなかったのだし、2度目に入るときも、たまたまベビーカーの子どもが鼻血を出して警備員がその場を外してしまう。また夜になると美術館の照明は消えるのにミニチュアルームだけはついてるんですよね。p324では、警備員が錠に鍵を差し込んでロックされてるかどうか調べてるみたいですが(誤訳でなければ)、普通はそんなことしないですよね。それから、この子たちがミニチュアルームにあった鍵や本を勝手に持ってきてしまったり、ミスター・ベルの鍵をひそかに持ち出したりするんですけど、あまり気分はよくないですね、目的のためには手段を選ばず、っていうところが。それと、タイムスリップして出会う人たちの個性が立ち上がってこない。ぼんやりとした印象しか持てません。ゴキブリが声を上げるのも、どうなんでしょう。
翻訳もいくつか引っかかるところがありました。たとえばp6に「クレアは卒業を一年後にひかえた高校生で」とありますが、p8では「お姉ちゃんが大学に進学するまで、あと六百三十五日」となっています。p15には「母親のスタジオ」とありますが、画家なんだからアトリエくらいにしないと。またミスター・ベルについてですけど、p20では「美術館の警備員」だけど、p21では「この階の責任者として、ミニチュアルームのメンテナンスを担当している」となっています。警備員は普通メンテナンスを担当しないので、もっと別の訳語にしたほうがいい。p24の「しゃべりこんでいて」とか、p120の「このガラス窓は“フランス戸”も兼ねていて」も変です。p335の「なんて、願うわけにはいかない」は、どうしてそうはいかないのかが、わからない。それと、日本からのおみやげでもらったお弁当箱を日本のミニチュアルームの応接間においてぴったりだ、というところも、日本人が読むとおかしいですよね。
子どもたちがミニチュアの世界で冒険して時間を超えるという設定はとてもおもしろいのですから、子どもには本物をあたえようと思って、もっとしっかり作り、もっとしっかり訳してほしいと思いました。せっかくの素材がうまく活かされていないもどかしさがあります。

レジーナ:p158の戦闘シーンをはじめ、時代の描写が平面的です。タイムトラベルを扱った物語のおもしろさは、そこに生きていた人びとを生き生きと描くことにあると思うので……。ミニチュアルームにつながる扉がどこにあるのか、はっきりイメージできないのは、原文か翻訳に問題があるのでしょう。翻訳についてですが、p113の「その本を書いた人や、所有していた人たちと、いま、会話している……本気でそう信じるんだ」は、「本気でそう思えるんだ」ということでしょうか。p37の「興味、あるもん!」をはじめ、この年代の子どもの言葉づかいとしては、不自然な箇所がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年6月の記録)


見習い幻獣学者ナサニエル・フラッドの冒険1〜フェニックスのたまご

『見習い幻獣学者ナサニエル・フラッドの冒険1〜フェニックスのたまご』
原題:NATHANIEL FLUDD, BEASTOLOGIST: Book1:FLIGHT OF THE PHOENIX by R.L. LaFevers, 2009
R.L. ラフィーバース/作 ケリー・ マーフィー/絵 千葉茂樹 /訳
あすなろ書房
2012.12

版元語録:500年に一度、復活する幻獣フェニックスを見守るためにアラビアへとんだナサニエル。しかし、そこには世にも不思議な光景が…。

ハリネズミ:まず翻訳者の力ってすごいな、と思いました。千葉さんの訳は、『1/12の冒険』と比べると、訳文のリズムからいっても、言葉の使い方からいっても、段違いにじょうずなんじゃないかしら。それに最初から「ありえない話なんだな」ってわかって読めるから物語世界に破綻がないですね。グレムリンのグルーズルっていうのがとても変ですが、登場するどのキャラクターもくっきりとしていて翻訳でもそれが明快なので、はっきりイメージできます。この幻獣学者のおばさんも、とんでもないけど素敵な人だし、おもしろく読みました。それに、訳文にユーモアがありますよね。でも、なぜか図書館にはあまり入ってないですね。タイトルがおぼえにくいのが、ハンデになってるのかも。今日の3冊の中では、とにかくこれがダントツにおもしろかったです。

レジーナ:おもしろく読みました。ミス・ランプトンはひどい人なのに、それに気づかず一緒に暮らしたいと願う主人公は、おっとりしているというか、人がいいというか……。ところでこの幻獣観察の目的は、なんなのでしょうか。

ルパン:とってもおもしろかったです。「しこたま」っていう訳語もツボにはまりました。翻訳がいいですね。こちらは4巻まで読破してしまいました。最後まで「読ませる」作品でしたよ。

プルメリア:場面展開が早く、ぱっと変わっちゃうのが気になりました。

ハリネズミ:そこは、ファンタジーだからいいんじゃないですか。特に気になりませんでしたよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年6月の記録)


旅のはじまりはタイムスリップ

『旅のはじまりはタイムスリップ』 (妖怪道中膝栗毛1)

三田村信行/著 十々夜/挿絵
あかね書房
2011.05

版元語録:ある日、大河原博士からよびだされた蒼一は、逃げた妖怪を追って、江戸時代へタイムスリップすることに…。日本橋から京都まで旅をする蒼一、夏実、信夫は妖怪たちにおそわれ、大ピンチ…!? 妖怪だらけのアドベンチャー・ストーリー。

プルメリア:登場人物三人のキャラクターがそれぞれ個性的でおもしろかったです。

アカシア:私はステレオタイプだと思ったけどな。

プルメリア:ステレオタイプだけど、それぞれ個性が違うという意味で。

アカシア:このシリーズの、ほかの作品もお読みになった?

プルメリア:4巻まで読みましたが、最初がいちばんおもしろかったです。子どもの大好きな妖怪、笑いが出る弥次さん喜多さん、なぞの虚無僧などが次々に登場してきて飽きさせない。ふしぎなのは子どもだけで旅をするので、設定が不自然だったりするにもかかわらず、いろんなものが登場し、また事件がおきるので、その不自然さを感じさせない。江戸時代の生活のようすが子ども目線でわかりやすく読めます。この作品はエンタメですかね。

アカシア:そうでしょうね。

プルメリア:私は学級(5年生)の子ども達に紹介するとき、見返しの五十三次の地図も紹介しました。

アカシア:この作品、子どもは好きですか?

プルメリア:学校の図書館にはまだ入っていないので、公立図書館で借りてきたのを、たくさんいる希望者にじゃんけんしてもらって貸し出しています。希望するのは、どちらかというと男子が多いです。女の子は青い鳥文庫の「若女将シリーズ」とか「黒魔女さんシリーズ」が多い。今は、テレビでも時代劇の放送があまりないので、江戸時代を学習した6年生の子が読むと、もっとよく時代背景や文化・人々の暮らしがわかると思います。

アカシア:エンタメですけど、作者がベテランの三田村さんなので、安心して読めますよね。舌長姥、朱の盤、蒼坊主、ろくろっ首など、次々にいろいろな妖怪が登場してくるのも楽しい。唐突にやじさん、きたさんが出て来たり、おじさんが子ども三人だけで危険な旅をさせたりするのは、ご都合主義的な設定と言えますが、エンタメなので、まあ仕方がないか、と。印籠、関所、五右衛門風呂など、江戸時代の暮らしについての知識も得られるように物語がつくられていますね。

レジーナ:おもしろく読みました。妖怪の居場所をなくすために、町を明るくしたという設定も、よくできていますね。一度、過去にタイムスリップして、五郎左衛門を捕まえたから、妖怪の被害は現代の歴史に残っていないというのも、筋が通っています。未来や過去を行き来する物語としては、『時の町の伝説』(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作 田中薫子訳 徳間書店)を思い出しました。でも『時の町の伝説』ほど複雑でないので、読みやすかったです。

ルパン:おもしろかったです。ただ、シリーズということに気づかないで読んでいたので、終わりに近づいてきたとき心配になりました。まだまだ旅の途中なのに、って。あとで見たら小さく書いてあるんですけど、わかりにくいなあ。2巻からはどうなっているんだろう。子どもが続編から先に読まないか心配です。あとからつっこまれないように考えたのか、ちょっと先回り的に説明しすぎるきらいがありましたが(p31とか)、それ以外は楽しく読めました。

レジーナ:私も同じ疑問を感じたので、この箇所は必要だと思いました。ただ、教科書のように説明的なので、書き方を工夫すればよかったのでしょうね。

ルパン:三田村さんの作品を小さいときに読んだときは、かなりシュールな感じがしてたんですけどね。それもおもしろかったけど、こういうのも明るくていいですね。著者はかなりのご高齢だと思うのですが、それを感じさせない若々しさがある作品ですね。すごいと思います。

レジーナ:エンタメでも内容はしっかりしているので、勤務先の中学の図書館にも入れたいと思いました。

ルパン:昔は水戸黄門とかテレビで見ていたので江戸時代にもなんとなくなじみがありましたけど、最近はそういう番組も少ないし、見る子もあんまりいないと思います。こういう作品で昔の風俗を知るのもいいんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年5月の記録)


シフト

『シフト』
原題:SHIFT by Jennifer Bradbury, 2008
ジェニファー・ブラッドベリ/著 小梨直/訳
福音館書店
2012.09

版元語録:高校を卒業して、大学が始まるまでの夏休み、親友のクリスとウィンは2カ月かけてアメリカ大陸を横断する自転車旅行に出かける。だが、ゴールの西海岸に到着する寸前、ウィンは突然姿をくらます。大学が始まっても戻らないウィン。行方不明となったウィンを捜して、クリスはふたたび二人で通った道を辿る。

レジーナ: p54の「歯ブラシの柄に穴を空けて、荷物を軽くする」や、p147の「コウモリ少年」など、意味の分からないところが、いくつかありました。p137の「ヒルクライマー」に、「山登りサイクリスト」という読み仮名がついていますが、何か特別な意味があるのではないかと読者に思わせてしまうので、ない方がよいと思いました。はく製が苦手だったり、強がっているけど、弱いところのあるウィンの性格が、よく描かれています。いなくなってはじめて、ウィルとの関係を心のどこかで窮屈に感じていたのだと、それまで気づかなかった感情を自覚する場面や、自分たちで友情に区切りをつける最後の場面も、心に残りました。ヤコブと天使の相撲や、旅路を見守る聖クリストファーなど、聖書を題材にしていますね。

ルパン:おもしろかった。時系列が行ったり来たりするので、慣れるまでちょっと時間がかかりましたが。p156にクリス・マッカンドレス事件のことが書いてあるんですが、この作者はそれに触発されてこの作品を書いたのかも、と思いました。何年か前に、その事件を題材にした『イントゥ・ザ・ワイルド』っていう映画を見たことがあるんです。事実に基づいて作られた映画なのですが、わかりにくい事件で、クリス・マッカンドレスはせっかく救われて幸せになれるチャンスがあっても、結局それをふりきってアラスカの荒野に入って命を落としてしまうんです。見てるとイライラするっていうか・・・人の愛に気づかないで、何やってるんだろうって、思うんですが、この作者はその事件に対する世間の消化不良感を、新しい作品にして解決したのかもしれません。もう一つのマッカンドレスの人生を用意した、というか。

レジーナ:若さゆえの傲慢さでしょうか。他者性が欠落しているので、自分がどれほどまわりの人に心配をかけているのか、気づかないんでしょうね。

ルパン:ウィンのこのあとの人生はどうなるんでしょうね。

アカシア:そのうち帰ると書いてありますよ。

レジーナ:展開が速いから、映画向きの作品かもしれませんね。

アカシア:私もおもしろく読みました。さわやかな青春小説ですね。読んでいるとき、本の開きが悪くてすぐ閉じてしまうのが残念。翻訳はp24の「あの子のことはね、自分の息子だったらと思うくらい、お母さんも大好きだけど」の「お母さん」に引っかかりました。母親が自分のことを指して「お母さん」って言うのは日本では一般的ですけど、それを良しとするのかどうかってところに、翻訳者のジェンダー観が出るのかもしれません。日本の女性も、もっと自分を持ったほうがいいと考えている翻訳者は、たぶんこうは訳さない。p25のマーシャルプランは、ただマーシャル大学にかかってるだけじゃないから、注があったほうがよかったかも。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年5月の記録)


サラスの旅

『サラスの旅』
原題:SOLACE OF THE ROAD by Siobhan Dowd, 2009
シヴォーン・ダウド/著 尾高薫/訳
ゴブリン書房
2012.07

版元語録:少女ホリーは、引き出しに見つけたブロンドのウィッグをつけると、ゴージャスな女の子サラスに変わっていた。アイルランド方面へ旅にでたサラスの行き着く先は?

レジーナ:ダウドは力のある作家ですね。p186で、チャルイドラインに電話する場面で、思わず自分が住んでいた場所を口にしてしまったり、どこかで止めてほしいと願いながら、どうしていいか分からず、自分の本当の気持ちに気づいていないサラスの姿にはリアリティがあります。子どもをよく見て、知っている人の書いた作品ですね。しかし、妥協せずに書いているので、読み手に伝わらない部分があります。p70で、彼女の名前を飛行機で空に描く男の歌を聞いたレイが、「自分の名前が空に描いてあると、想像してごらん」という場面も、よく分かりませんでした。悪い子になろうとするサラスにも、共感しづらく感じました。そうせざるをえなかったんでしょうが、すぐに嘘をついたり、服を盗んだり……。p235に「短くかんだ爪」とありますが、かみ続けた結果、深爪になってしまったということなので、少し不自然な翻訳に感じました。

ルパン:私は、今日の3冊のなかでいちばんよかったです。たしかに最初のところでは感情移入しにくいですが。でも、この子の自分勝手さも感じ悪さも、だんだん絡まった糸がほぐれるように解明していって、親にちゃんと育ててもらわなかったことで傷ついていたこともわかり、親以外の人たちの愛情を得られるプロセスも見えてきて、読ませます。出会った人たちがみんないい人であるところも好感がもてます。菜食主義者のフィルとか。危ないシーンもあるけれど、運良く切り抜けていくし。ラストのp359で、この旅でいろんな人にたくさんのことを教えてもらったと気づくところに好感がもて、感動しました。何かにつけて里親のことを思い出すところも、ふつうの少女らしくてかわいい。レイのことも、「きみの名前が雲になる」と言われたことを何度も思い出しているし。最後はちゃんと里親のところにもどり、読者も安堵感と幸福感を味わえます。『サラス』の今後を想像するのは、『シフト』の続きを考えるよりずっと楽しくてわくわくしました。ウィッグをかぶると別人になるという設定もうまくできています。

アカシア:ホリーは14歳なのに、リアルな現実をまだ受け止められずに母親を理想化しているのが、不思議でした。『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン著 岡本浜江訳 偕成社)のギリーも同じような境遇で、突っ張ってます。でも、あっちはまだ11歳で虐待はされてないみたいだから、母親を理想化するのもわかるんですけど。それと、ホリーの内省的な部分がちっとも書かれてないので、最後になって急に内省的になるのがなんだかしっくりこなかったんです。劇画みたいでね。

ルパン:ずっと会っていない母親をどんどん理想化していくのはむしろ自然に思えますが。

アカシア:でも、ホリーの場合は、母親から熱いアイロンを頭に押しつけられるという虐待も受けてる。それなのにここまで理想化できるのかな? ソーシャルワーカーたちも言うだろうし。

ルパン:言われても、受け入れられないんでしょうね、きっと。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年5月の記録)


オレたちの明日に向かって

『オレたちの明日に向かって』
八束澄子/著
ポプラ社
2012.10

版元語録:花岡勇気、中学2年。オレは何に向かって進めばいいんだろう—!?偏屈な老人、当たり屋の少年、不審な自動車事故…保険代理店でのジョブトレーニングは、怖くて、しんどくて、最高にあったかい。悩める少年たちのための青春ストーリー。

サンザシ:保険屋さんにはあまりいい印象をもってなかったんですけど、こういう人もいるんだな、と見方が変わりました。子どもの視点と、保険屋さんの業務日誌の両方の視点から書かれているのもいいなと思います。おもしろく読みました。

トム:ジョブトレーニングにあまりいいイメージを持てなかったのです。例えば幼稚園や保育園に高校生が来ても、短い期間では、どこまでわかってもらえるだろうという保育者の声も聞いていましたし。でもこの物語に関してはいい人との出会いが続いて、すっと読んでしまいました。老々介護が出てきたり、当り屋、シングルマザー、子育て放棄、若者の農業離れ、農業を担う人の高年齢化、過労死、暴力団がらみの保険金詐欺、虐待と、たいへんな問題がたくさん描かれて、それぞれ難しいことばかりなのに、読んだ後気持ちがささくれないのはなぜかな? ひとつひとつの出来事にかかわってくる人たちの温かみに救われるのかも。勇気のジョブトレーニングがベースにありますけど、いろいろな人がそれぞれに一生懸命暮らしを紡いでいる物語とも読めました。「将来何になりたい?」と、大人はよく聞きますけど、聞かれて困る子も多いでしょうね。将来の夢イコール職業と直結させるのは何とかならないものかといつも思います。好奇心の先に何が見つかるか誰にもわからないし、ゆっくりジグザグしながら大人になればいいのに。

レン:お話としてはおもしろく読めましたが、このくらいやさしく書かなければならないのかな、って一方で思いました。車を川に沈めてしまうところでおばあさんと出会うとか、あまりにも都合よくいく部分があって、エンターテイメントだなと思います。八束さんって、もう少し固いイメージがあったんですけど。『青い鳥文庫ができるまで』にも、感動のインフレーションを感じて、中学生が読めるようにするには、このくらいしなきゃいけないのかなと思ってしまいました。ジョブトレーニングは、この10年くらいやっていますね。私の地元の中学校では中学2年生が5日間やっています。事業者もさまざまだし、中学生もさまざまで、賛否両論飛びかっているようです。最近は、中学生か、ひょっとすると小学生から職業、職業って言われるけれど、学校でそこまでやらなきゃいけないのでしょうか? いい意味で刺激を受ける子もいるんでしょうけど。中学生の子が職業を考えるには、いいきっかけになる本だと思いました。

レジーナ:数日間の職場体験でわかることなんて、たかが知れていますし、社会とのつながりを感じるところまでは、なかなかいかないと思います。この作品の主人公は、ジョブトレーニングをとおして、しだいに家族や友人への感謝の気持ちをもつようなりますよね。自分のつつがない日常が、まわりの人たちに支えられて成り立っていると気づくことに、職場体験のひとつの意味があるのではないでしょうか。監督の髪型がくずれたのを茶化して怒られたときに、「バーコードの模様が違っていたらレジが通らない」というせりふには笑ってしまいました。クリスマスにひとりでファミリーレストランに来た子どもに、プレゼントのお願いをされて、お姉ちゃんは保育士を目指したとありますが、赤い服を着たお姉さんがサンタクロースのかわりにプレゼントを持ってきてくれると子どもが考えるのは、不自然です。

ルパン:すみません、今回はこれ1冊しか完読できませんでした。3冊のうち、これだけがストーリー性があるようだったので、まずはこれから、と読み始めましたが、とてもおもしろかったです。よく書けているな、と思いました。リアリティという面では、ここまで中学生におとなが何でもさらけ出すのはありえないのでしょうが、あんまり気になりませんでした。まじめなテーマなのだけどユーモアもあり、エンタメ的なところもあるけれど考えさせられるところもあり。盛りだくさんだけどバランスがいいと思いました。数日間でものすごくいろんなことが起こるのですが、それにわざとらしさや不自然さを感じないですっと読めました。今井さんには幸せになってほしいなあ。あと、事故で亡くなった若い女性はほんとうに気の毒で悲しくなりました。わたしは普通の企業で働いたことがないのですが、たまたま『シューカツ!(石田衣良/著 文藝春秋)』や『何者』(朝井リョウ著/新潮社)とか読んで興味を感じていたので、今回の「仕事について考える」というテーマは個人的にもタイムリーでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年4月の記録)


青い鳥文庫ができるまで

『青い鳥文庫ができるまで』
岩貞るみこ/著
講談社
2012

版元語録:作家、イラストレーター、デザイナー、そして、校閲や販売、印刷会社、取次、書店…。一さつの本を世に出すため、奮闘する人々。四か月におよぶ取材にもとづいた、臨場感あふれる現場の姿。これを読んだら、あなたも本を作りたくなっちゃうかも。

サンザシ:これは、講談社の中の、しかも「青い鳥文庫」編集部プロパーの話だなと思いました。児童書編集部がみんなこうだと思ったら間違い。まず「青い鳥文庫」なので、「かわいい」というキーワードが頻繁に出てくるし、ただ今現在の子どもたちに受けるかどうかが大きな問題になってます。でも、児童書の出版社の中には、「かわいい」では子どもの心の奥までは届かないと思ってるところもあるし、「今の子どもに受けるか」より、「今の子どもには何が必要か」を優先して考える出版社もあるでしょ。クリスマスセールに間に合わせて、売れるように最大限かわいくするというのだから、本でもほかの商品とあまり違わない。それがいけないっていうんじゃなくて、いろいろな本作りがある中の一部だっていうふうに思います。それに、講談社は大出版社なので、いろいろな仕事が分業になってますけど、小さな出版社では、編集者がひとりでみんなやるのよ。それからこの編集者は、とにかく急ぎだということで、著者の原稿の構成や文章について相談しながら改善していくことはほとんどしていない。まあ、この場合は出す本がエンタメだしシリーズなので、最初にコンセプトが決まってるってこともあるんでしょうけど。どっちかというと右から左に流してるって感じです。今はそういう編集者も多くなったけど、もっといろいろやりとりして、本当に質の高いものを生み出そうとしてる編集者もいますよ。それから、p150の「ノックアウトさせるのに」は、「ノックアウトするのに」じゃないかな。

トム:途中、数回休んで一息入れないと疲れて……。きっと読んでいるうちに いつの間にか編集現場にいる気持ちになっていたのかも。その意味では、完成するまでの臨場感があるお話になっているわけですね。モモタはすでに独り立ちした編集者! 実際、編集者になりたい人は少なくないので、そもそも、モモタが編集者になりたいと思った気持ちや、なってからの日々、初めて一冊の本を任された時のことなども語られたら、興味をもつ人も多いのでは、と個人的に思いました。それから「子どもに何を手渡そうか」とみんなで考えたり話しあったりする状況も知りたかったなと。本を投げてはいけない!跨いではいけない!と小さい頃言われたことを思い出しました。今「子どもに受けるのは何か」、「子どもに必要なのは何か」という視点をうかがって、ハッとしています。

レン:子どもの本をよく読んでる人が、とっかかりは「えっ」と思うような本だけど本のつくり方がわかっておもしろいと言っていたので、期待して読んだんですけれど、私にはちょっと期待はずれでした。広い読者層に向けて書くと、こんなにやさしくしなきゃならないのかって。雑誌のようなつくられ方だなって思いました。1冊の本を作るにも、いろんな人たちのプロの技があってできているのを読めば、子どもはこんなに大変なのかって思うのかもしれないけれど、私からすると、これでできちゃうのか、という感じでした。人物も一面的ですよね。

ジラフ:児童文学作品として考えると、今おっしゃったような問題がたしかにあると思うんですけど、子どものための実用書ととらえて、内容をわかりやすく伝えるためにフィクション仕立てにしたもの、と考えれば、けっこうおもしろく読めるんじゃないかな。いま、編集を担当しているフランスのファンタジーを、とある高校の図書館委員の生徒たちに、「スチューデント・レビュアー(先行読者)」として読んでもらっていて、ちょうど今日、ゲラ(校正刷り)を届けたところなんですけど、本づくりの過程のゲラというものに初めて接して、みんな大喜びでした。そんなふうに、さまざまな職業の現場にふれることって、子どもたちにはすごくわくわくすることだろうし、ここに書かれていることは、かなり誇張はあるにしても、取材もよくできているし。プロの仕事の現場の雰囲気を知るにはおもしろいのかな、と思いました。ただ、「出版の裏側がわかっておもしろかった」とか、帯に読者の声が引用されていますけど、読者層はわりと幼いんですね。子どものおこづかいでは、「青い鳥文庫」を月に1冊しか買えないから、売れ筋の本が、同じ月に2冊重なったら困る、なんていうくだりにも、リアリティを感じました。

サンザシ:講談社のような会社だと分業システムがちゃんとできてるから、それがいい意味でも悪い意味でも編集者の守備範囲を狭くしてますよね。小さい出版社だと、本作りの1から10まですべてを見届けて、製版所や印刷所の担当者とも直接相談したり、印刷立ち会いにいったりもしますよ。私自身はそっちのほうが好きだけど。

プルメリア:今までにない本のつくり方で、子どもたちの好きな青い鳥文庫だから、子どもたちは手に取るでしょうね。

レジーナ:本が出版されるまでの過程を、物語としておもしろく描いています。子どもにとって魅力的な装丁なので、軽い読み物しか読まない子どもが知識を増やすためのステッピング・ストーンとしてはよいのでしょうか。「前野メリー」さんは、おそらく仕事に没頭すると前のめりになることから、このあだ名になったのでしょうが、説明がないので、子どもの読者にはわからないでしょうね。セントワーズのようなシステムは、他の出版社にもあるのでしょうか。青い鳥文庫では、ひげ文字の「八」の字は使わないなどの豆知識は、興味深く読みました。37ページで、石崎洋司のコラムが挿入されていますが、物語の流れが妨げられるので、最後に持ってきた方がよかったのではないでしょうか。あとがきで、東北の製紙工場が被災したときの状況に触れていますが、東日本大震災後、紙の値段が上がったのにともない、本の単価もあがったと、出版社の人が言っていたのを思い出しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年4月の記録)


スティーブ・ジョブズの生き方

『スティーブ・ジョブズの生き方』
原題:STEVE JOBS : THE MAN WHO THOUGHT DIFFERENT by Karen Blumenthal, 2012
カレン・ブルーメンタール/著 渡邉了介/訳
あすなろ書房
2012.03

版元語録:これほど、その死を悼まれた企業経営者がいただろうか? 2011年10月5日、惜しまれながら世を去ったスティーブ・ジョブズ。輝かしい業績のかげには、再起不能と思われた挫折もあった。あの、伝説のスタンフォード大学卒業式でのスピーチにならい、「三つの物語」からジョブズの生涯を描く。

サンザシ:まだ全部は読めてないんですけど、前半を読むかぎりジョブズはすごく嫌な奴ですよね。こんなに鼻持ちならない人だとは思わなかった。この後魅力が出てくるのかな?

トム:天才肌と一言で括れないし人格的にどうとらえたらいいのか……。20歳で、アップルコンピュータをたちあげた時、一緒に仕事をしたウェインはジョブズを竜巻と言っていますが、ほんとうに竜巻のように周りを巻き込んで遠く運んで行く激しさと、その一方で内面的には強い不安を抱えていた姿が描かれているのが印象的でした。p57にあるように「幼いころに深く刻みこまれた心の問題を、絶叫して心の痛みを吐き出すことで解決しようとするというオレゴン・フィーリング・センター」の原初絶叫療法コースに申し込んだり、p77にも禅寺に行こうかと考えたことも書かれて心の闇に立ち向かおうとするジョブズがいます。でもこの複雑で気難しいジョブズを受け入れて助ける人があらわれるのがまた不思議なところ。養父母はもちろんですが、悩みを聞いて事業への専念は出家と同じことと諭してくれる日本人老師、そして、融資という形で長髪で裸足のジョブズを応援する投資家。それから、ウォズニアックとジョブズの個性の違う二人が出会って仲良くなってゆく様子もとても興味深く読みました。何を人が欲しがっているか見抜いて実現する強い力を持つ人と天才的な技術の力を持つ人との出会い——ある時期までは、二人の強い個性がうまく釣り合っていたのかもしれません。2部で書かれている、競争や権力争い、必要ないと決めた人を解雇して、有能な人を余所から強引に引き抜いて仲間にして、次々、新しいものに挑戦して、ゼロックス社のアイディアを盗んだと言われても流してしまうジョブズの姿をどう思うか? 彼の陰でどれだけ泣いた人がいたのか、二度と立ち上がれないほど傷ついた人もいただろうと思いました。でも ジョブズは世界を変えた人として残るのでしょうね。強烈なこの人を生かしたアメリカという国もすごいなと思います。3部のp281にあるスタンフォード大学のスピーチの中で「他人の期待でがんじがらめになったり、他人の意見に流されてはいけないとさとし」た、と書かれていますが、こういうところも、若い人の気持ちを掴んでしまうのでしょうね。ジョブズのiPodのなかにボブ・ディラン、ビートルズ、ヨーヨー・マの演奏が入っていたそうですが、何かちょっとほっとしました。用語解説はもっと多くあるとわかりやすい。p299の株式スキャンダルはチンプンカンプンでした。

レン:亡くなったときに、スタンフォード大学の卒業式のスピーチを見て感動したのですが、この本を読んでみたら、ハチャメチャな人だということがわかりました。翻訳はこなれていますが、書き方自体がいかにも翻訳物ですね。中学生とか高校生で、この人がどういう人か知るにはいいなって思いました。もしもこういう人が目の前にいたら、怖くて近寄れないかも。天才肌というか。でも、こういう人は、日本の学校教育では生まれてこないだろうなって思いました。干渉されずに、やりたいことを貫いて、好きなことは徹底的にのめりこんでやっていく。今日の日本の学校では、なかなかこういうことはできないですね。

レジーナ:何かを一から築き上げ、新しいことを始めるときのわくわくした雰囲気に満ちた作品ですね。バチカン教皇に電話をしていたずらをするなど、おもしろいかどうかの価値基準だけで物事を考え、自分の信念にしたがってぐんぐん進めていく生き方は特異なものですが、人としての魅力は全く感じませんでした。人を許したり、他の考え方を受け入れることができず、人間としてのバランスがとれていないので、他者と生きることができないのでしょう。亡くなる前に、「死ぬというのは、オン・オフのスイッチのようなものじゃないか」と語る場面では、ジョブズが心をひらき、弱い部分を見せているようで、はじめて彼の心に触れた気がしました。ジョブズは、ヒッピーの考え方に、強く影響を受けていたのですね。アップルの名前の由来や、ビートルズとの訴訟は、これまで知りませんでした。スティーブ・ジョブズが若いころに、カリグラフィーを学んだことは、高校の英語の教科書 CROWN に載っています。ジョブズが好きだった “The Art of Animation” の本は、私も小さい頃よく眺めていた本です。専門用語の索引がついているのは評価できますが、「現実歪曲空間」という造語を、「BASIC」と同列に扱っているので、混乱を招きます。

ルパン:完読はできなかったのですが、一部まで読んだところです。ただ、この研究会でノンフィクションを扱うのが私は初めてなので、どう感想を述べていいか迷っています。この人の生き方についての感想、ということでいいのでしょうか? それとも本の構成とか翻訳について感じたことを言うのでしょうか? ともかく、あすなろ書房から出ているということは子ども向け、ということなのでしょうが、これ、「偉人の伝記」にはならないですよね。人としてはあんまり見倣ってもらいたくないし。ただ、若いとき、かっこよかったんだなあ、と、妙なところに感心してしまいました。p175の写真なんか、トム・クルーズみたい。あと、まだ途中ですけど、これを読んだおかげで、ようやくスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの区別がつくようになりました。

みんな:えっ?

ジラフ:この本は、ざっとしか読めていなくて。でも、ジョブズが亡くなったときにムックとか雑誌の別冊特集がいくつも出て、それを読んでいたので、ジョブズの人生や人柄ついてのあらましは知っていました。この人の人生を見ていくと、生い立ちも、いろんなことを干渉されずにやれたという環境も、こんな性格破綻者のようなすごい人柄でも、そういう人がちゃんと市民権を得て、生きていかれる場所があったということも、発想の大胆さやチャレンジ精神も……。いろんなことをひっくるめて、ここにはアメリカが凝縮されてる、という印象を持ちました。私は、15〜16年前にパソコンを使い始めたころから、ずっとMacユーザーで、仕事なんかでいやおうなくWindowsを使わなければいけないことがあると、なにか機械に支配されているような不快感があって嫌なんですけど(笑)、それにくらべると、Macはすごくシンプルで、使っていて、フレンドリーな感覚があるんですね。製品がそんなふうにフレンドリーなことと、ジョブズのものの考え方とが、どこかでリンクしてるかな、というようなことにも、興味を引かれながら読みました(ざっと流して読んだので、具体的に、ここがそうだ、という箇所は、見つけられませんでしたけど)。あと、私は仕事で、ヴィクトリア時代から1920〜30年代くらいが中心の、古い絵本コレクションに接する機会があるんですけど、それとの対比で考えると、その本たちはまさに、五感をフルに使って受け取るフィジカルブックで、いっぽう、パソコンや、iPadやiTunesは世界をがらりと変えてしまったわけで、電子ブックの台頭なんかも含めて──思ったほどの速度では、浸透していってないようですけど──そんなふうに世界が変わってしまったことが、本を読むという行為に、どんなふうに影響する(している)んだろう、これからどうなっていくんだろうと、漠然とながら考えさせられました。

トム:完璧主義のジョブズは、人が求めている物を工夫を重ねて作ったのだと思いますが、欠点も残ったまま売り出す場合もあるようで、もし日本だったら欠点のあるものは認められなくて、足を引っ張られてしまうのでは?

(「子どもの本で言いたい放題」2013年4月の記録)


おじいちゃんのゴーストフレンド

『おじいちゃんのゴーストフレンド』表紙
『おじいちゃんのゴーストフレンド』
安東みきえ/著 杉田比呂美/絵
佼成出版社
2003.07

版元語録:テッちゃんのおじいちゃんは、重い病気にかかっている。そのうえ、死んだ親友が見えるという…。老人とのふれあいを通して、友情の深さと温かさを知ってゆく少年たちを描く。

トム:今回の3冊を読んで、日本と北欧の日常の家族関係の違いをあらためて思いました。この作品には、おじいさんの孤独とか、主人公たちの気持ちとかにシンパシーを感じました。今の日本には、このような状況を抱えて一生懸命暮らしている家族があちこちにいるということだと思います。ヘルパーさんの現実的な対応と、お母さんの「楽しい思い出の中にいる方が幸せ」と思う気持ちは、どちらがいいときめられない。物語の中でも決めつけていないところがよかったと思います。そこから考えられるから。ゴーストフレンド(ふうさん)の存在を受け入れられるのは、あちらとこちらの世界の垣根が低い子どもなのかもしれません。それに、テッちゃんと主人公の“ぼく”は、とても気の合う友達であることも、おじいさんのふうさんへの気持ちを自然にわかる土台になっている気がします。この物語は、何だかいつまでも心に残って、思い出すたびに、何層も何層も重なった物語の事実から大事なことが、時々ちらっちらっと顔を出します。たとえば、「ふうさんはなくなったんだって、教えてやるだろ。そうしたらおじいちゃんったらびっくりするんだよ。そのあとまた頭かかえこんじゃうんだよ」(p31)には、大切な友達を失ったことを受け入れることがどんなにたいへんかが表現されています。また「水の中の魚がいっせいににげていくように、ただよっていたものがちっていく。おだやかでやさしく、幸せなものが消えていく」(p59)は、目に見えないところに優しく幸せなものはあるかもしれないと思わせてくれる。「ふしぎだな。この世にあるものは、みんな夢をもって生まれてくる。一生けんめいりっぱなものになりたいって、ねがいながら生まれてくる」(p83)という箇所では、おじいさんがふうさんとの思い出のなかに生きながら、テッちゃんと“ぼく”に、生きる力の秘密を伝えています。だからおじいさんは、ちゃんと未来をテッちゃんと“ぼく”の中にみている気がします。それに、作品の中でちゃんとおじいさんの死を伝えて、テッちゃんと主人公が何とか受け止めようとするところまで作者は描いています。またいつか読み返すと別の何かがみえてくるかもしれません。
 あと、鉄とずっとつながってゆく鉄塔と、東西南北に正中する鉄塔の中心に龍、龍の時計=時を埋めることで、作者は何を伝えようとしたのか、知りたいと思います。

レジーナ:会話をしたり、自力で動いたりするのが困難な老人ですが、個性もリアリティもあり、人物像がちゃんと伝わってきますね。鉄塔をつくったというおじいちゃんは、ちょうど日本の高度成長期を支えた世代でしょうか。湯本香樹実の『夏の庭』に登場するおじいさんは、戦争で人を殺してしまったという過去がにじみでていましたが、その点、『おじいちゃんのゴーストフレンド』も、あと一歩、おじいちゃんの人生に踏みこんで描いていれば、よかったのではないでしょうか。日本の児童文学によくあることですが、全体を通して湿っぽく、センチメンタルにおちいっているのが残念です。

アカザ:なかなかいい作品だなと思いました。最初は「ほんとの古びたおじいさん」になじめなかった主人公が、テッちゃんを通じて徐々に理解を深めていく過程を丁寧に描いていると思います。時々まぼろしを見るおじいさんに対する態度が、テッちゃんをはじめとする家族とヘルパーさんで違うところなど、作者は介護の現場を良く知っている方ではないかと思いました。「昔のことばかり気にするのはよくない」といって、おじいちゃんのゴーストフレンドを否定する黒井さんはいい人に違いないけれど、いいヘルパーさんかどうかは疑問ですね。「考えてみたけれど、ぼくにもわからない」と主人公に言わせているのは、正解だと思います。センチメンタルな作品といわれれば、そうかもしれないけれど、私はこの作品に漂う抒情を感傷というより奥行きと取りました。

ルパン:部分ごとに「いいなあ」と思うところはあったのですが、全体的には印象がうすかったです。筋の一本通ったテーマが見えてこなくて、どこにフォーカスを当てているのかがわかりにくかったです。少年のおじいさんに対する思いなのか、鉄塔への思い入れなのか、おじいさんの「ふうさん」への友情なのか…。ところで、このおじいさんは昔鉄塔を作ってたんですね。うちの亡父もそうなんですよ。子どもの頃旅先で山の中で鉄塔を見ると「あれはお父さんが作ったんだ」って自慢していたことを思い出しました。実は経理だった、って知ったのはずっとあとのことで(笑)。

アカザ:鉄塔を熱愛している人たちがいて、そういう文学作品も出ていますよね。高圧線のそばに住むと健康被害があるということは以前から言われていて、ヨーロッパなどではそばに住宅を建てることを禁じられていると聞いたことがあるけれど……。

トム:だんだん、身近な親しい人が旅立っていって、取り残されてゆく老人の寂しさ心細さ。おじいさんはふうさんと幼なじみだったのかも、きっと子ども時代にかえって話したり、笑ったり、とても気の合う友達だったのではないでしょうか。いっしょに釣りをした時を思い出すとからだも気持ちも自由になって幸せなのかも。

ルパン:語り手の男の子が、「ぼくたちはしんじている。おじいさんはこのとき生きる力を取りもどせたんだ」(p84)というところとか、いまひとつ感情移入できませんでした。そう信じていたのはテッちゃんだと思うし。最初は老人をいやがっていたこの子の心境の変化の過程が激しすぎる気がして。

アカザ:亡くなった友だちの写真の話をして、おじいちゃんが涙ぐんだときにショックを受けたり、テッちゃんの頭をポカンとやったお母さんを「子どもの頭をぶっちゃいかん」とたしなめるのを聞いて、「意外としっかりしてるんだな」と思ったり、おじいちゃんを理解していく過程を丁寧に描いていると思いましたけどね。

サンザシ:おじいさんの様子はかなりリアルに書かれていますね。たとえばp20「うしろ向きになったテッちゃんのお母さんは、おじいさんの両手を引いて部屋に入ってくる。ちょうど、赤ちゃんの手を引いて歩かせるかっこうだ」とか、p23の「おじいさんはうなずいて、こまったみたいに頭をなでた。わずかにのこっている白い髪が、ひよひよとさかだった」なんて、よく観察してないと書けないですよね。子どもたちがおじいちゃんを車いすに乗せて鉄塔まで連れていくところで、フィリパ・ピアスの「ふたりのジム」(『まよなかのパーティ』所収)を思い出しました。あっちもおじいさんと孫息子というコンビだけど、おじいさんのほうが、自分の意志で故郷の村に連れていってもらい、また帰りは困る警官をうまく説得して車いすをパトカーに引っ張ってもらって意気揚々と帰ってくる。それに比べると、日本の作品に出て来る老人は保護の対象になっていることが多い気がします。今回の『世界一かわいげのない孫だけど』は、ちょっと違いますが。

アカザ:『はしけのアナグマ』(ジャニ・ハウカー著 三保みずえ訳 評論社)に出てくるおばあさんなんか、憎たらしいくらいしっかりしていて、すごい!

サンザシ:老人って、ちょっとずるかったり、悪知恵があったり、ユーモアでうまくかわしたり、長く生きてきて人生経験が豊富なだけに、もっといろんな側面がありますよね。ドイツの『ヨーンじいちゃん』(ペーター・ヘルトリング著 上田真而子訳 偕成社)なんかも、強烈ですもんね。

トム:主人公は、初めて病気のおじいさんに会ったとき、大好きなゲームにボロ負けしてしまうほど、その姿にショックを受けるけれど、だんだんにテッちゃんのおじいさんへの気持ちや暮らしに接しておじいさんを受け入れてゆく。テッちゃんも主人公もほんとうに素直でやさしい! あんまりやさしくて素直ないい子でそこがちょっと気になってきて・・・ 。この物語を読む子どもたちが、病気の老人の様子に何だか変だなーと思ったり、ちょっと気持ち悪いなーと思ったりする感情を抑えこまないで、ゆっくり、テッちゃんや主人公といっしょに考えてほしい。

サンザシ:鉄塔から力をもらって、それで片付くというふうにとれるのは、ちょっとまずいかな。読んだ後も何か残って続けて考えるっていうところがなくなりますよね。

プルメリア:以前読んだことがあって今回読み直しましたが、ほかの作品に比べてさっと読めました。以前担任した男子ですが、イライラしていることが気になってたんですね。家庭訪問のときに母親に話したところ、同居しているおじいちゃんが急に暴れだす、それも急に人格が変わるということがあったんです。その子は、その影響をうけていたんですね。いろいろなおじいちゃんがいますが、この作品のような優しいおじいちゃんって、子どもにはすんなり入っていけるのかなって思いました。

レジーナ:先ほど話に出た結末のことですが、私は、子どもたちが「鉄塔の下に連れて行ったからおじいちゃんの寿命がのびた」と心から思っているわけではないと思います。大切な人に死なれたとき、大人も「あのようにして、それでよかったのだ」と、自らの気持ちを納得させることがありますよね。この作品の子どもたちも同様で、本心から信じているわけではないように思うのです。そう考えると、登場人物の子どもたちに、大人の視点が入り過ぎているといえるかもしれません。

げた:10年ぐらい前に出た本で、ちゃんと読むのは初めてでした。とってもいい男の子ふたりが、今は体のどっかが始終ゆれていて、左手がまだらでおそろしく思えるような老人だけど、その「生きる力」をとり戻させようとがんばる。とってもいい話だと思います。現実にはなかなかいないと思いますけどね。それに、ヘルパーの黒井さんも、しっかり老人の人格を尊重していて、名前もちゃんと「長谷川さん」って呼んでいる。ゴーストフレンドのふうさんに関しても、「今の人生を生きなきゃだめよ」というところもいいなって思いました。周囲にこういう人たちばっかりいたら、安心して年とれるなって思いました。

サンザシ:介護の現場では、死んだ人が見えるとか、どう考えてもおかしいことを言ったりするのを無下に否定しないほうがいいって言われてるんじゃないかな。だから、黒井さんの対応はちょっとまずいんじゃない?

げた:なるほど、そうですか。介護される人の気持ちを否定するのはまずいのか。そういわれてみると、そこも現実的じゃないんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


世界一かわいげのない孫だけど

『世界一かわいげのない孫だけど』
荒井寛子/著 勝田文/挿絵
ポプラ社
2012.09

版元語録:引越して、新しい環境が気に食わない美波は心にバリアをはって・・・。不器用な少女が新たな絆を育み居場所を見つけるまでの物語。

トム:美波、ショウコ、ルミの3人の迫力に圧倒され、はじかれました! でも、文章から離れられなかったからそう思ったのかも。アニメとかドラマのように耳と目から楽しむ気分になれば、すっとこの中に入れたのかも。物語の中で大事な役目をする“なぞかけ”や落語の間。お話全体もその味なのかもしれません。今風の女の子に見えて、彼女達の生活背景はそれほど変わっていないように思いました。

レジーナ:登場人物の言葉づかいが気になりました。長谷川町子の漫画の『いじわるばあさん』のように、ぎらぎらするようなアクの強さや人間としての魅力が感じられません。

アカザ:テンポが良くて、軽く読めましたけれど、なんだかお決まりの展開で……。転校して友だちとなじめないところとおばあちゃんのことが、うまくからみあっていないような感じがしました。あまりおもしろいとは思いませんでした。

ルパン:今回の3冊のなかでは一番印象に残りました。が、やはりいろんなところが気になりましたね。主人公の言葉づかいや態度が特に。さいごまで担任の先生を呼び捨てとか。一方、友だちはこの子に親切すぎてリアリティがない。最後はうまくもっていくんだろう、とは思いつつ、読んでいるあいだは「老人をばかにする話になったらいやだなあ」、というきわどさがあり、無条件に楽しめる感じではなかったです。

サンザシ:私は最初からエンタメだと思って読んだので、おもしろかったです。美波の口調も、アリじゃないですか。何にでも腹が立つ思春期の子どもだし、地方でのんびりと暮らすルミちゃんたちとの差を際だたせる意味でも、これでいいと思います。かわいくないおばあちゃんには、孫娘に負けないだけの威勢のよさがあって、嫌みの言い方やずるいところもユーモラス。とんがってる孫娘と、嫌みなおばあちゃんの勝負がどうなるのか、と楽しく読みました。美波は、最初はルミのことをアヒル、ショウコのことをアズキとしか呼ばないんですが、徐々にその距離が縮まって最後は仲間意識をもつというお定まりのストーリー。でも、そこに毒のあるおばあちゃんの存在がアクセントになって出てきます。ただ、いくら田舎だとはいえ、今時ルミやショウコのような屈託のない少女たちがいるのか、と考えるとリアリティはないかもしれませんね。あと、物語の山場である発表会で演じた落語が、文字だけで読んでももっとおもしろかったらいいのに、と思ってしまいました。それと、この書名は、祖母目線なんじゃないですか?

プルメリア:私は、この作品おもしろいなと思いました。突飛なおばあちゃんだしおもしろいんですが、最近のおばあちゃんはけっこう若いので、この作品の中のおばあちゃんの行動は小さい子どもたちにイマイチわかりにくいかも。もう少し上の学年だとおばあちゃんのしぐさや言葉のおもしろさがよくわかるんじゃないのかなって思いました。

げた:タイトルは、「かわいげのない孫だけど、でもかわいがってね」という美波の気持ちではないでしょうか。中身的には無責任なところもあるんですけど、エンタメということですすめてみました。若い子の斜にかまえた感じも、ちょっと心配なところもあって。文中に登場する子どもたちの、おそらく中国地方の方言も元気があって、東京に負けない感じがいいなって思いました。アズキちゃんに対してひどいことも言ってるんですけど、結局最後に、ルミたちの想いも理解して、ひどいままで終わっているわけではないので、読ませていいのか?とは思いませんでした。祖母と孫が、似た者同士の組み合わせで、最後まで妥協しないところがいいなって思いました。子どもたちに楽しんでもらえたらいいな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


三つ穴山へ、秘密の探検

『三つ穴山へ、秘密の探検』
原題:DE TRE GROTTORNAS BERG by Per Olov Enquist
ペール・オーロフ・エンクイスト/著 菱木晃子/訳 中村悦子/絵
あすなろ書房
2008.11

版元語録:スウェーデンの美しい自然を舞台にくりひろげられる、おじいちゃんと4人の孫+2匹の犬の大冒険。世界15ヵ国で翻訳出版!

トム:親子の様子も、年とった人の暮らしも、男女の関係も日本と違うなって思いました。でも、小さなミーナが夢を恐ろしがるのは、誰にもあること。その子ども時代をくぐってゆくときに、お父さんでもお母さんでもなく、おじいちゃんが登場して寄りそってくれるっていうのは説得力があるし、いいなって思いました。日本的には、年とるにつれて、人は保護者になることを期待されることが多いようですけど、このおじいちゃんのスタンスが保護者じゃないのが面白い。グニッラが「女ならできる」って言うけど、スウェーデンでは「女ならできる」っていうスローガンをかかげる時代はもう過ぎたんじゃないのかしら。どうなのでしょう? 物語のなかに色々な要素が詰まっています。野生の狼親子・密猟者・熊、それぞれがひとつの物語になりそうなのに、ちょっとおなかいっぱい感がありました。おじいちゃんが、一人では登れない山へ小さな孫4人連れて行く・・・?エーッそれはあまりに無謀! たぶん大反対されていたのに探検の夢がどんどんふくらんでこのおじいちゃんは突っ走ったんでしょうね。おじいちゃんはそもそもどうして三つ穴山に登りたかったのか? よく考えるとわからないことが出てきます。ハラハラドキドキ、ほんとうに無事でよかったけど。
 物語の背景になる大きな自然にはとても惹かれました、ヨーロッパの深い森も歩いてみたいです。でもこのあこがれは、おじいちゃん的無謀さにならないようにしないとレスキュー隊のお世話になるかもしれません! 風に吹かれながらミーナが冒険を回想する最後の場面は、ほんとうにホッとします。ミーナの年を考えるとちょっと大人っぽい感じもしますけど。

レジーナ:とても好きな作品です。私が子どもの時に読んでも、やはりひきつけられたと思います。クマやオオカミ、密漁者など、つぎつぎに事件が起きるにもかかわらず、リアリティがあるのは、作者に力があるからでしょう。おばあちゃんに内緒で、犬にミートボールをやったり、車いす競争をするなど、両親でもおばあちゃんでもなく、おじいちゃん特有の遊び心やユーモア、子どもたちとの特別な関係をよくとらえています。「ヒマラヤ」を「ヒラヤマ」と間違えるなど、ユーモアもきいています。山の中でのびのびと冒険する子どもたちが、しだいにけんかをしなくなったり、互いに助け合う様子が、いきいきと描かれていました。弱気になったおじいちゃんに対して、「人は思っているよりじょうぶなものよ」と胸をはって言う姿に、最初は夢に出てきたワニをこわがるような小さな女の子だったミーナの成長を感じました。挿絵も物語の雰囲気にあっています。ただ、ミーナが6歳でイーアが8歳なのに、表紙ではイーアの方が幼く見えるのが気になりました。「手伝うって言っちゃいけない」という男女同権の価値観は、非常に北欧的ですね。

アカザ:エピソードのひとつひとつがとてもおもしろくて、楽しく読みました。魅力的な自然や、子どもたちのキャラクターもよく描けているなと思いました。ただ、対象年齢はどれくらいなんでしょうね? さすが菱木さんの訳だけあって、訳そのものはすばらしいと思いましたが、もう少しやさしい言葉だったら小さな子どもたちも楽しめたのかな。主人公も6歳ということだし。ただし、男女平等論者とか、外国から来た密猟者の話とか、向こうの子どもたちにはなじみのある事柄でも、日本の子どもたちには理解できないことが出てくるし……。難しいなと思いつつ読みましたが、訳者のあとがきで大人向けの作品を書いていた作家が、初めて子どもたちに向けて書いた物語と知って、「なるほど!」と納得がいきました。

ルパン:私は凡人なので……この話はだめでした。子どもをこんなに危険な目にあわせちゃだめですよ(笑)。クマもオオカミも密猟者も、一歩まちがえれば死の危険がありますからね。女の子ひとりで6時間も山道を歩かせたり、もうむちゃくちゃだなあ、と思いました。最初ちょっと期待感があったんですけどね。このおじいちゃん、小説家という設定なので、小説家ならではの想像力というか空想力でミーナを救っちゃうのかな、って。でも全然ちがったうえに、子ども連れて山に入って自分が動けなくなっちゃうなんて、がっかり。

サンザシ:私はユーモア児童文学だと思っておもしろく読みました。このおじいちゃん、愉快です。ワニにお尻をかまれたミーナに、もっと大きな冒険をさせればと思って山登りに誘うわけですが、p35には「でも、ひとつ、おじいちゃんがミーナに話さなかったことがある。じつは、おじいちゃんはずっと前から、別荘の東側にある〈三つ穴山〉に登ってみたかったのだ。ただ、ひとりでは登れずにいたのだ」なんてあって、笑っちゃいました。また退院したおじいちゃんのためにマッツおじさんが買った車いすで、みんなでタイムレースをするのもおかしい。自信満々のマッツおじさんもスピード出し過ぎて転倒し、妻に「あのおじいちゃんの息子だから」なんて言われてるところも。ただ、ちょっとご都合主義的にうまく行きすぎるところが気になりました。オオカミやクマだけでなく密猟者まで出てきたうえに、骨折したおじいちゃんを助けに来たヘリコプターに密猟者まで逮捕されるとか。あと、オオカミの子どものマーヤ・ルベルトとシュナウザーの子どものエルサはキャラがかぶるんですね。エルサはこの物語の中でどういう役割なんでしょう? なくてもいいのに、と私は思ったんですが。それにしても、おじいちゃんが年端もいかない子どもたち4人を連れて山に登り、次々に危険な目にあうなんて、日本の作家が書いたら、非難囂々でしょうね。

プルメリア:「ワニにおしりをかまれた」っていう書き出しがとてもおもしろかったなって思います。探検後、おじいさんから「ワニにかまれたことを覚えているか」と聞かれたミーナは「あたし、夢を見ただけよ。まだ、あたしが小さかったとき。ずっと前にね」と言います。日本だと6歳は小学校の一年生、こんなに成長してしまうのは、ちょっと行き過ぎてるかな、それとも最初が幼なすぎ? 登場人物の年齢が全体的に小さすぎるかなって思いました。スウェーデンの自然が美しく描かれています。日本とは異なることは男女平等という考え方、クマが身近に出てくる自然に囲まれていること。

サンザシ:密猟者まで出しちゃって……。

げた:私も、最近「おじいちゃん」になったんですけどね。孫とこういう形でつきあえたらなって思いで、今回読む本に取り上げたんです。ワニにおしりをかまれた女の子を成長させるために、山のぼりを計画し、実行、とんでもない目にあうが、目論見は成功するという展開で、意外性があっておもしろいなって思いました。登場するおじいちゃんのパートナーは、日本だっていなくはないんだろうけど、子どもたちにとって他人なんですよね。「女ならできる」という言い方も、ちょっとひっかかって、逆差別じゃないかって。

サンザシ:いくら北欧では女性の権利が認められてるっていっても、グニッラが若いころは、まだ大変だったんじゃないですか。だから、「女ならできる」って呪文みたいに唱えて、自分を励ましてきたんじゃないかな。

げた:探検とかサバイバルとか、つめこみすぎなのかもしれないけれど、クマやオオカミが出てきて、どうなっちゃうんだろうって、ひきつけられ、私はドキドキしながら最後まで読むことができました。リアリティがなさすぎといわれれば確かにと思うけど、基本、実話なわけで、大きく逸脱しているとは思いません。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


発電所のねむるまち

『発電所のねむるまち』
原題:SINGING FOR MRS PETTIGREW by Michael Morpurgo, 2012
マイケル・モーパーゴ/著 杉田七重/訳 ピーター・ベイリー/絵
あかね書房
2012.11

版元語録:町の近くにある湿地で駆け回り,美しく生命力あふれる自然に触れたマイケル。その湿地が原発の建設予定地になってしまい…。

ジラフ:同じモーパーゴの『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)同様に、現在から過去にさかのぼって、丹念に語り起こしていくスタイルで、とてもよくできたお話だと思いました。同時に、本のつくりやボリュームにしては、内容とか、書かれている感情が、ずいぶん大人っぽいな、という印象も受けました。とにかく、上質の物語ということに尽きるんですけど、身近に子どもがいないので、どのくらいの年齢層の子どもにこの本を手渡せるのか、ちょっとイメージしづらくて、過去からたんねんに書き起こしていく、こういう、ある意味「大人っぽい」物語を子どもがどう読むのか、興味をひかれました。p35で、ペティグルーさんが、夫のアーサーを亡くしたことを話す場面は、「ある日事故が起きて、終わってしまいました。(中略)まだあの人はずいぶん若かったのです」と書かれていますが、ちょっと抽象的で、これで子どもの読者にはっきりと「死」が伝わるかな、と思いました。あと、p71で、アイルランド人労働者がプッツン・ジャックに「自国の歌を教えていた」というくだりでは、わざわざ「自国の」という表現を使っていることに、ヨーロッパらしいアイデンティティの表明を感じて、はっとしました。

ルパン:私もいいお話だなと思いました。読み始めてしばらくは、ペティグルーさんが男の人だと思って読んでいました。日本語にすると性別がわからないんですね。列車のおうちはすごく素敵なんですけど、この絵がなかったら、船上生活者やトレーラーハウスみたいに思えるかもしれません。あと、ロバが乱入してくる場面がありましたが、その後どうなったかが気になりました。ペティグルーさんが教会で発表するところは、ぐっときました。それから脇役なんだけど、このお母さんはいいなあ。お母さんが「あんな変わった人とつきあうな」と言ってしまったら、こうはならなかったわけで。重要人物だと思います。ところで、子どもに手渡すとしたら、横書きってどうなのかな。『カイト』も横書きだったけど、同じ出版社なんですね。横書きの本は、渡す年齢を考えてしまいますね。縦書きだったら、小学校高学年におすすめだと思いますけど、この装丁でも読むかなあ?

紙魚:私も縦書きに慣れてしまっているので、ちょっと読みにくい感じがありました。とはいえ、この本が横書きなのは、原書が左開きで、どのイラストも左から右へという方向で描かれているからだとも思います。この挿絵をそのまま使って縦書き・右開きにすると、挿絵の方向が逆になってしまいますよね。そう考えると、長い時間の経過を表現するには、横書きの水平ラインが有効に働く、横書きならではの利点もありそうです。
この本が刊行されたのは、2012年の11月。日本での東日本大震災後を意識しての刊行だったと思います。震災後、子どもの本がどう力を発揮できるかということを考えさせられましたが、あの時分、私の目が向いたのはやはり国内、東北のことで、原発を扱った翻訳書というのは、思い至りませんでした。遠いイギリスの地での物語が、日本の子どもたちに、どの程度、当事者意識を持たせるかはちょっとわからないですが、伝わるといいなあとは思います。日本の作家からも、こうした社会的な背景をもりこんだ作品が生まれるといいなあとも思います。

関サバ子:生活のディテールがよく書きこまれていて、主人公マイケルの思い出もディテールを感じられます。そのことが、“最悪”をより鮮明に浮かび上がらせると感じました。これは本当に個人的な希望なんですが、ペティグルーさんには死んでほしくなかったです。こういうかたちで亡くなってしまったことが、悲しみを際立たせているのかもしれないですが……。なぜ著者はこのような結果にしたのか、なんとなく腑に落ちない感じがありました。横書きという体裁については、もしかしたら、子どもはすんなり読んでしまうかもしれません。絵と文章の位置関係もよいので、あまり違和感はありませんでした。60代くらいの人が回想した話なので、子どもがそれをどう受け止めるのか、難しいところもあるかもしれません。福島第一原発の事故のあと、ドイツが原発全廃を決めました。そのときに、「原発は倫理的に許されない」ということを言っているのが印象的で、本作もそのときと同じシンプルな人間性を感じることができて、とてもいいなあと思いました。声高すぎないし、かといって“したり顔”でもない。子どもがどう受け取るかわかりませんが、最善の見せ方のひとつという感覚があります。

きゃべつ:表紙が牧歌的で、絵としてとてもきれいだと思いました。話は明るいとはいえないけど、発電所ができる前の幸せな日々を表紙に選んだのだなと思いました。表紙が示しているとおり、この作品で作家が書きたかったことは、原子力のことではなく、郷愁や、子どものころの記憶だったのではないかと感じます。また、本のかたちと対象年齢についてですが、これを読ませるのだったら、小学校高学年、もしくは中学生だと思います。それくらいでないと、この物語の背景にある原子力についての問題などは分からないでしょうから。その場合、横書きだと手渡すのが難しい気がします。日本では横文字だと、どうしても携帯小説や大人が読む絵本の印象が強いですよね。

ジャベーリ:私はきゃべつさんとは違って、原発の稼働が終わった後も、結局、元には戻らないということを言いたかったのだと思うんです。ペティグルーさんの存在を通して、その人の住んでいた場所に起きたことを伝えたかったのではないかな。原発をつくる場所についても、ペティグルーさんのようなマイノリティーが大事にしている土地をターゲットにして、おそらくイギリス人の住んでいる場所には白羽の矢は立てないということも。つまりイギリス人にとって影響のなるべく少ないところを選ぶという話にしているのではないかと思うんです。原発というのは、40年経つと廃炉になって、コンクリートで囲うんだけど、もとの美しい自然に戻ることがないということを言いたいのではないかと思います。ペティグルーさんが愛した自然は戻らないと、ダイレクトに言っているのでは? 原発をつくると、営業停止になっても決して元には戻らないということが中心的な主題だと思ったんです。

関サバ子:この物語の原題Singing for Mrs. Pettigrewは、「ペティグルーさんに捧げる歌」という意味なんですよね。

アカザ:短編集に入っていたっていうから、もしかしたら、単行本にするときに書き直したのかもしれないわね。

ハリネズミ:このお話の題と短編集の書名が同じだから、これがメインの作品なんでしょうね。私は、ペティグルーさんがよく書けているなあと感心しました。今、日本の人たちが原発を取り上げると悲惨な事故抜きにしては書けないでしょうけど、この作品は、たとえ事故が起こらなくても、弱い立場の人の暮らしが破壊されるってことを言ってるんだと思うんです。ペティグルーさんは外国からやって来て夫を亡くし、村でも孤立している。でも、努力して自分なりの楽園を作り上げ、主人公のお母さんという友達もできた。そういう自分なりの幸福感や充足感を書いて、それが根こそぎやられてしまうことと対比してるんじゃないかな。だから郷愁とは違って、読者の子どもたちに対してはもっと考えてもらいたいというメッセージが込められていると思います。それから横書きに関してですけど、教科書も今は国語以外みんな横書きなので、子どもたちはあまり抵抗感がないのかもしれません。原著は読者対象がもう少し下かもしれないけど、日本語版はルビを見ると小学校高学年くらいからを対象にしているのかな。

アカザ:すばらしい作品で、感動しました。なぜ、日本でこういう作品が出ないんでしょうね? ぜひ、大勢の子どもたちに読んでもらって、話しあってほしいと思いました。昨年の夏にイギリスに行ったとき、汽車で隣の席になったドイツの大学生とずっと原発の話をしていたんです。日本では事故のあと原発を再稼働しはじめて、これからもそういう動きになっていると話したら、「どうして日本人は怒らないんですか?」と言われました。ドイツでは、小学生のときから原発はいずれ無くしていかなくてはならないものだと繰り返し教えられるし、自分もそういう教育を受けてきた、と。日本でも、今からでも遅くないから、この作品のように原発は廃炉になっても自然を破壊しつづけ、けっして元通りにはできないんだということを、いろいろな形で、いろいろな作品で教えていかなければと思います。私自身は、ぜひとも子どもに伝えておかなければという作者モーパーゴの熱い気持ちを感じたし、けっして郷愁を描いた牧歌的な作品ではないと思うけど、もしそういう感じを読者に与えるのなら、モーパーゴが上手くなりすぎちゃったのかもね。ペディグルーさんの人柄や暮らし方など、本当に心に染み入るように書いていますものね。ただ、子どもには難しいなと思ったのは、村の人たちが原発反対から賛成に変わっていき、ペディグルーさんと主人公の母親だけが残されていく過程があっさりしすぎていて、なぜそうなるのかが分からないのではと思いました。原発でも沖縄でも、ある地域の人々の犠牲の上に成り立っているという現実を、手渡す大人が少しフォローしたほうがいいかなと思います。ペディグルーさんをイギリス人ではなくタイ人にしたり(事実、そうだったのかもしれませんが)、原発の下請け労働者のアイルランド人が自国の歌をうたう場面を書いているところにも、目に見えない差別を作者が意識して書いているのだと思えて、いっそう深いものを感じました。訳はなめらかで、とても良くできていると思いましたが、あとがきで主人公が故郷になかなか戻れなかったのを「声をあげなかった子どものころの自分を後ろめたく感じているから」と捉えているのは疑問に感じました。原発の問題は大人の問題であり、けっして子どものせいにはできない。こう書いてしまうと、作品が矮小化されるように感じました。

レジーナ:モーパーゴは、自身の問題意識が作品に強くあらわれる作家ですね。子どものころの思い出を語る形式の物語は、さまざまな作家が書いていますが、それを原発と結びつけた作品は初めて読みました。本の形態ですが、横書きであることに、何らかの意図があるのでしょうか。P6に「『昔はふりかえるな』ということわざ」とあり、同じページの後ろにまた「同じことわざ」とありますが、「同じことわざ」という表現が不自然に感じられました。このことわざは、聞いたことがありませんが……。

アカザ:日本語にすると、ことわざって感じではないわね。

レジーナ:ことわざというより、歌でしょうか?

プルメリア:放射能についてはていねいに書かれていませんが、いい本だなあと思って、学級の子ども達(5年生)に紹介しました。手に取る子どもはいなくて紹介が悪かったのかなと思い、近くにいた男子に「読んでみない。」と手渡しました。読み終わった後「どうだった?」ときいたら、「わからなかった」って。むずかしい本かなと思い全員の子どもたちに「今住んでいる市に原発があったらどうする?」と聞くと、「災害とか地震があったらこわい。」とか、「遊ぶ場所がへるのでいやだ。」とか「大きな建物はうっとうしい。」などの答えがもどってきました。「原発ってどういうものなの?」と聞くと、「電気をつくるところ」との答え。原発について知識がない子たちにとっては、わからずにすらっと流れてしまったり、内容を補足しないと作品の意図が伝わらない本なのかもしれません。大人の読みと子どもの読みの違いに気づきました。

レジーナ:チェルノブイリの原発の事故を扱った作品には、『あしたは晴れた空の下で : ぼくたちのチェルノブイリ』(中沢晶子作 汐文社)がありましたね。

関サバ子:放射能は、目に見えないですものね。

紙魚:この本は、書かれていないところが多いので、行間から読み取らなければいけない分量が多いですね。

アカザ:だから、いろいろな形で読まなければだめなのよね。ドイツでも『みえない雲』(グードルン・パウゼバング著 高田ゆみ子訳 小学館)のような作品がずっと読まれてきたっていうし。

ハリネズミ:ドイツはずいぶん前から、原発に限らず環境教育には熱心だし、ゴミの分別収集も早くからやってましたね。

アカザ:日本では、原発の危険性については教えまいとしてきたから。

関サバ子:自然のなかで過ごす気持ちよさを知らない人が読んでも、伝わらないかもしれませんね。あの気持ちよさは体感で得るものですし、それが楽しいと思えるまでには、ある程度の時間が必要な気がします。もちろん、レジャーで自然豊かなところへ行って、瞬間的に楽しいということはあります。これはあくまで私の経験に基づいた感覚ですが、それだけでは、心も体も開いていく気持ちよさまではなかなか体感できないような気がします。ですから、子どもたちの身体感覚によって、このお話の受け止め方は違うような気がしますね。「ここの自然? 別になくなってもいいよ。森や海はほかにもあるわけだし」という感性だと、厳しいですよね。あと、このテーマは原発だけでなく、いろいろなことにあてはまりますよね。理不尽に土地を追われた人は世界中のあちこちにいるわけで、そういう想像力を広げられる余地があるのは、とてもいいなと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


夜の小学校で

『夜の小学校で』
岡田淳/著
偕成社
2012.09

版元語録:とうぶんのあいだ、ぼくは桜若葉小学校というところで、夜警をすることになった。その小学校の中庭には大きなクスノキがあった。夜の小学校でであった、18の物語。大男、ウサギのスープ、タンゴ他。

ジラフ:ファンタジーで遊べる世界が、とても楽しく描かれていると思いました。ひたすら楽しんだ、という以外、あまり意味のある感想を述べられないのですが……(苦笑)。去年の春まで、母校の短大図書館につとめていまして、夜、閉館後の見回り当番にあたると、館内の電気を消しながら、地下3階まで書架の見回りをするんです。真っ暗になったフロアにはものすごい「気配」があって、何かあるんじゃないか、何か起こっているんじゃないか、と空想をかきたてられたことを思い出しました。作品の中でも、不思議なことが当たり前のように起こっていて、そのことが、とても自然に描かれています。私はぼうっと妄想をしていることが多いので、そういう世界にすうっと入っていけて、自分の感覚に近いものがありました。クラフト・エヴィング商會の本で、『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)という、架空の職業案内があるんですけど、そのなかに、「(冬眠図書館の)シチュー当番」というのがあって、それも夜の図書館という設定で、そちらともイメージがつながりました。実は、岡田淳さんの作品を読んだのは初めてだったんですけど、作者が長年小学校に勤めていたことが生きていると思いました。

ルパン:私も岡田さんの本は今回初めて読みました。自分の子ども時代よりは後の方で、子どもが育ち上がったあとではすでに有名で、読みそびれてしまってたんですね。今回はいい機会をいただきました。挿絵がうまいなあ、お話とぴったりだなあ、と思ったら、ご本人が描いてたんですね。

レジーナ:挿絵のパパゲーノがちょっと太りすぎな気もしましたが……。

ルパン:絵と文がマッチしていていいな、と思いました。ちょっと不思議な感じもいいですね。カエルの王様の話はツボにはまりました。わたしもまったく同じことを思っていたので。

紙魚:小さな小箱を並べたような構成なので、なかなか大きな感想が言いにくい本です。これまで読んだ岡田淳さんの物語は、子どもたちのにぎやかな歓声がきこえてくるような、昼間の印象のものが多かったですが、これは、夜の、しかもおとなの警備員のお話。ふつう、日中の学校のようすがメインになるものですが、その部分については、あまりにも素っ気なく扱われている。これまでの岡田作品すべての、夜の部分という感じがしました。小さなおもしろい小箱が並んでいるという意味では楽しめる本だと思います。全部読み終えると、小学校のちがう顔が見えてきたような心地になりました。

関サバ子:不思議な話だと感じました。なりゆきで3歳半の息子に読み聞かせするはめになりましたが、息子よりむしろ、音読している私が熱中してしまって。

アカザ:それだけ、うまく書けてるってことよね。

関サバ子:絵だけでなく、デザインも岡田さんの要望があったのかな、と思うくらい行き届いていますね。章タイトルやノンブルの位置など、本文組も読みやすいです。

きゃべつ:岡田さんの本は大好きで、ほとんど読んでいると思います。「こそあどの森」シリーズのようなふしぎな世界観を持った作品が多いですよね。また、人間が主人公だと、学校を舞台にして、『二分間の冒険』(偕成社)や『ふしぎの時間割』(偕成社)など、ちょっとはみだした時間に起きるふしぎなできごとを描いているものがあります。ご自身が図工の先生をされていたときにも、図工準備室を工夫して、子どもたちを楽しませていたとおっしゃっていたことがあります。この作品も、放課後というはみだした時間に起きるふしぎなできごとを扱っていて、人を楽しませたいという岡田さんの姿勢がよく出ていると思いました。この中では「わらいっこ」が好きですが、先生をされていた岡田さんならではのお話ですよね。最近、あまりご自身の作品を出されているイメージがなかったので、これを読んだときは感慨深かったです。

アカザ:連載しているうちに変わってくるっていうのはないんでしょうね。

きゃべつ:半分はつながりのある話、というふうに学校以外の縛りもあったほうが、よりよかったんではないか、とは思いました。斉藤洋さんの『あやかしファンタジア』(理論社)も、連続短編で夜の学校のお話だったので、なにかふしぎな重なりを感じました。

レジーナ:楽しく読みました。登場人物ひとりひとりに個性があって、もっと読みたくなります。岡田さんのは『雨やどりはすべり台の下で』(偕成社)が私は好きですが、一話一話があの程度長ければ、なおよかったな。中学生が登場する場面は、死んだ人のようで、少し気味悪く感じました。そのほかの箇所は、ホラーになりそうな要素も、現実とファンタジーのあわいに上手に落としていると思います。言葉の選び方も、さすが岡田さんですね。子どもに向けて書いているからといって甘い言葉でごまかすのではなく、「投網」など、本当に美しい言葉を織りまぜつつ、子どもに分かるように書いています。蛍の場面ですが、蛍の光の点滅の周期は、タンゴのリズムに似ているのでしょうか。

ジャベーリ:お話が進んできて最後のオチがうまいなあと思いました。最初からここまで構想が出来ていて書かれたのかな? それから挿絵がよかった。マッチしています。パパゲーノもそうだけれど、いろんな知識がある作者ですね。それからいきなり大きな人が出てきてもなぜか違和感がなくて、スッと受け入れられた。

プルメリア:岡田さんの作品は大好きでほとんど読んでいます。この作品は『願いのかなうまがり角』(偕成社)と似ていると思って読みました。私はどちらかというと岡田さんの長編作品が好きなんです。短編はすぐ終わっちゃう!ので少々さみしかったです。近くの図書館では人気があるらしく全冊貸し出し中で、リクエストをしたあと2週間ぐらいかかって手元に来ました。私が勤務している小学校の教室は3階の真ん中なので、夜、職員室からだれもいない教室に行くのが怖くておっくうです。だけど、この本は夜の学校の怖さを感じさせず、楽しい雰囲気がいいです。いろんな登場人物が出てきますが、どれも子どもたちにとってもおもしろいキャラですね。この本を読んだ子どもは「『ボールペン』が面白かった。」と言っていました。ボールペンは『びりっかすの神さま』(偕成社)と似ているかな。最後のまとまりも岡田さんらしい終わり方。この本から「月明かり」って改めて素敵だな思いました。また、「ドウダンツツジ」漢字では「満天星」だということをはじめて知り、大発見した気持ちになりました。

ハリネズミ:本好きの人には、この長さじゃ物足りないと思うんですけど、この長さだから読めるっていう子もいるんじゃないかな? どうですか?

プルメリア:あまり本を読めない子どもたちからすると、ちょうどいい、読みやすい長さだと思います。

ハリネズミ:たしかに大きな感想は言えないのでこれが岡田さんの代表作とは言えないと思うけど、構成や文章がうまいし、こういう「ちょっと読める」ものを必要としてる子もいると思うんです。語り手はおとなの警備員ですけど、お話は子どもが読んでもおもしろいし。今は、学校になかなか行けなかったり、学校が嫌いな子も多いと聞きますが、そういう子どもたちに対して岡田さんが書く学校ものは大きな貢献をしてるんじゃないかって思ってるんです。一見つまらない学校にも、こんな不思議なことがあったり、こんなおもしろいことがあるかもしれないって、思わせてくれるから。

アカザ:長い物語が読みたいと思っている子どもにとっては物足りないかなと思いましたが、大人の読者の私としては、大好きな作品です。岡田淳さんって、本当に小学校が大好きで、子どもたちが大好きで、ハリネズミさんがおっしゃったように、子どもたちにも小学校を大好きになってもらいたいなあって思っている……そういう気持ちがひしひしと感じられました。この本の語り手は、小学校で夜警をしているんだけど、作者は図工の先生ですよね。個人的な感想になるんですが、私の小学校の時の図工の先生が、画家の堀越千秋さんのお父さんなんですが、いつも校庭の隅の日だまりで絵を描いていたんですね。図工の時間も、子どもたちにあまり話しかけないし、話しかけられても照れくさそうにしているだけであまり答えない。でも、この先生は小学校が大好きなんだろうなと、子ども心に感じていましたし、私もそんな先生が好きでした。図工の先生って、おそらく担任もないし、子どもとの距離や子どもたちを見る角度も、ほかの先生たちとは違うのかもしれない。そういうところが、夜警のアルバイトをしている主人公と似通っているような気がして、おもしろく感じました。

ジラフ:私は、ほんとにただただ楽しくて、意味のある感想が言えないので、ひょっとして、結びの「これは、あなたが書くはずの本なのですよ。」というアライグマのセリフに、深い意味が込められているんじゃないか、自分はオチを読み取れていないのでは、と焦りました。

ルパン:私もいろいろ考えました。

アカザ:最後の部分は、私が子どもの本を書くのはこういう理由なんですよと言っているように感じました。あと「ウサギのダンス」ですが、湿っぽいものが多い童謡の中では明るくて大好きだったので、いま歌われなくなっているのだったら残念。メロディだけは、CMで使われてますよね。

ルパン:これは毎日新聞大阪本社版の「読んであげて」が初出なんですね。「読んであげて」は、「お母さんが子どもに読んであげて」、というコンセプト。小学生新聞ではなく、通常の毎日新聞の朝刊なんです。お母さんが小学校低学年の子どもに向けて読むためのお話として掲載されています。一か月一話完結だから、壮大なお話はなかなか書けないと思います。

ハリネズミ:書き直したっていうけれど、そうとう足さないと……。

ルパン:かなり書き足さないと難しいでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


オクサ・ポロック1 希望の星

『オクサ・ポロック1 希望の星』
原題:OKSA POLLOCK Tome1: L'inesperee by Anne Plichota & Cendrine Wolf , 2012
アンヌ・プリショタ&サンドリーヌ・ヴォルフ/作 児玉しおり/訳
西村書店
2013

版元語録:もうすぐ13歳になるオクサは、空手を習い、忍者になることが夢という活発な女の子。父親の仕事の都合でパリからロンドンへ、幼なじみのギュロンとフランス人学校へ。新学期の夜に…。

レジーナ:フォルダンゴの独特な言葉づかいは、慣れるのに時間がかかりました。フォルダンゴのせりふではない部分に関しても、いくつか気になりました。たとえば350ページの「半透明のひげ」というのは、白髪まじりということでしょうか。444ページの「髪の垢」も、「フケ」と書くのが一般的な気がします。登場人物の描き方については、47ページに「恐れおののいた。でも興奮でどきどきしていた」とありますが、イメージがしづらかったです。物語全体を通して、感情の描写をもっと細やかに描いてほしかったです。また85ページに「奇妙な先生の授業」とありましたが、先生という人物が奇妙なのではなく、先生が何事もなかったかのようにふるまったのが気味が悪いということなので、もう少し表現に工夫が要るかもしれません。長さのわりには、あっという間に読みましたが。

関サバ子:まず、残念ながら、設定についていけませんでした。いきなり、変な生き物たちが出てきて、それについてなんの説明もありません。おばあさんが不思議な力を持っていることになっているけれど、それが説明になっているのか……。主人公のオクサも、忍者が好きで、空手を習っている女の子という設定で、日本でも変人扱いされておかしくないキャラクターです。ただ設定だけがあって、有機的につながっている感じがしなかったのです。そういったところは驚いてしまいましたが、制服の描写など、趣味性のところは盛り上げてくれる雰囲気があって、よかったです。あと、ネーミングがとにかく変わっていますね。炭素組とか……。フランス語だときれいな響きだったり、おもしろかったりするんでしょうか。

ルパン:私の娘が今高校生ですが、一年のときはF組で、「フッ素組」でした。となりはC組で、これは炭素組。6組あるけれど、組名がぜんぶ元素記号なんです。だから、本の中に炭素組が出てきたときはびっくりしました。私はこの本は途中で挫折しそうになったのですが、ちょうどそのとき「本は最後まで読まなければ」とレジーナさんに言われたので、奮起して読み続けました。ただ、読んでいて分からなかったのは、この翻訳者は、どのくらいの子を対象にこの本を訳したのだろうということです。文体がおかしいし。「戦いで応酬することにした」など、とても13歳の女の子に思えない発想ですよね。話し言葉もすべて固い印象だし。大人の言葉も子どもの言葉も同じに訳されているからとっても不自然です。わざとらしく変に古めかしい喋り方をしているフォルダンゴの台詞が、かえっていちばん活きている気がします。

ジャベーリ:フランス語は、知的レベルが高い文章ほど名詞構文を好む傾向があります。それを日本語として、こなれた文章に訳すのは難しいですね。

ルパン:物語としてみても、ハリー・ポッターに類似するところが多々あって、二番煎じの感が否めません。最初からキャラクターがたくさん出てくるので、訳がわからなかったし。あと、せっかくフランスのファンタジーなんだから、舞台はやっぱりフランスがよかったですねえ。

アカザ:読むのにとても苦労したので、正直いって作品を楽しむまでにはいたりませんでした。作品自体と翻訳の両方に読みにくい原因があると思うんですね。作品自体の問題としては、普通は登場人物が初めて出てくるときに、どんな見かけの、どんな感じの人なのか説明があると思うんですが(特に子どもの本の場合)、この本ではだいぶたってから説明している。たとえば主人公のお母さんも最初から登場するのに、p104になって初めて姿かたちの説明が出てくる。読者としては、それまでに自分なりのイメージを作って読んでいるから、「えーっ、こういう感じの人なの!」って、受け入れるのにとても大変になっちゃう。つぎつぎに出てくる、ふしぎな生き物についても同じですね。それから、オクサの周囲の大人たちは、オクサが子どもだからと気づかって、情報をチマチマと小出しにしてくる。だから、すっごくいらいらするんですね。以上が構成上の問題。それから、いじわるな友だちを「原始人」とか「野蛮人」と呼ぶのも、なんだか無神経で嫌だったなあ。ロシアというと、すぐにKGBが出てくるところも、なんとなく差別的なにおいを感じてしまいました。それから、ハリポタにはイギリスの暮らしが垣間見えるという楽しみがあったけれど、この作品はフランスにいた主人公がイギリスに行ったのはいいけれど、インターナショナルスクールに入ったという設定なので、フランスの生活も、イギリス暮らしのあれこれも、ちっとも出てこない。翻訳ものの楽しみがないですよね。

ルパン:もったいないですね。

アカザ:翻訳については、「大急ぎでやっつけちゃったな」って一言につきると思います。1行空きがやたらあるけれど、単純な1行空きと***が入っている空きは、どう区別しているんでしょうね? 登場人物の会話についても統一がとれていないので、「これは誰がしゃべっているの?」とか、「この人はとちゅうで性格が変わってしまったの?」と思ってしまうところが、たくさんありました。翻訳って、これは誰の目線で書いているのかなってところが大事なのに、「行く」と「来る」の使い方が変てこだったり。それから、フォルダンゴとフォルダンゴットがカップルだということは、フランス語を知っている読者にはわかるのかもしれないけれど、わたしは後のほうになるまでわかりませんでした。原文にはなくても、読者にわかるような細かい配慮が必要だと思いました。

ハリネズミ:まずプロローグの、新生児のオクサの描写に引っかかってしまいました。「しわくちゃのかぼそい腕を力いっぱいにのばし、起き上がろうと必死にもがいている」。こんな新生児、いませんよね。オクサが特別な存在だということをここで表しているのかな、とも思ったけど、そういう記述もないので、誤訳なのかな、と思ったりしてすっきりしません。フランスは、イギリスや北欧の国の児童文学にあるような児童文学の書き方というか文法というか、そういうものが確立してないんだと思います。特にファンタジーでそれを感じます。たぶんそれはフランスの子ども観から来るもので、大人の文化に重きをおくあまり、子どもの文化を重視せず、おざなりのものでよしとしてきた歴史があるんじゃないかと私は考えています。この作品については、原文の問題と翻訳の問題と両方あると思います。
原文のほうですが、今言ったように子どものためのファンタジーの文法が定まっていないので、ほかの国の子どもが読むと読みにくい。たとえばキャラクター設定にもぶれがある。ギュスは最初の方ではとても模範的ないい子という設定のようなのですが、途中からやたらに嫉妬したりする場面が出てきて、あれっと思います。またオクサも、あまりにも軽率で上っ調子(もしかしたら翻訳のせいかもしれないけど)。簡単に盗みをはたらいたりもする。子どもって大人より倫理観が強いので、これだと子どもの読者はオクサに感情移入しにくい。たとえばイギリスの作品だったりすると、主人公にそういうことをさせたら、著者が理由付けをするなどかなりフォローする。この作品でもちょっとはそういう部分がありますが、申し訳程度です。しかも盗みをはたらくのは、まだ相手が本当に悪いヤツかどうかわからない段階ですからね。それに、オクサは自分で道を切りひらいていくより、超能力を使うとか、まわりの人に助けられることが多い。それもつまらない。能力を高めるためにキャパピル剤というのを飲んだりもしますが、これって下手するとドーピングにもつながりますから、もっと慎重に扱わないといけないのに、安易に使っています。それにたとえば、p75にトイレの個室に駆け込んだオクサが「戸を閉める余裕はなかった」というのに、その後2行思索する部分があって、その次の行に「野蛮人が近づいてきた」とある。これだと緊迫感がありません。だったら、個室のドアくらい閉められただろう、と思ってしまいます。
この作家の世界観とか価値観はどうなんでしょう? いまだに善と悪の二項対立で、階級社会も肯定しているらしい。この先はまだわかりませんが、この巻だけを読むかぎりでは、新たなものを提示しているようには思えません。
訳は、地の文もフォルダンゴの台詞かと思うくらい随所に硬いところがあり、とても読みにくかったです。例えばオクサの台詞でp65に「典型的なロシア的過剰さね」、p209「『研ぎすまされた精神』は大急ぎで言わなきゃね。あたしのみじめさを見てよ」とありますが、よくわからないし、子どもの台詞とは思えない。大人だってこうは言わないでしょう。P156には「自分の身内が殺人を犯した」とありますが、身内と仲間はニュアンスが違います。p176にはこれもオクサの台詞ですが、「涙があふれておぼれそう。悲しい。悲しくて……腹が立ってる。怒りが爆発しそう……」とありますが、悲嘆にくれているのと、憤慨とは普通ちょっと距離がある感情なので、直訳でなくもう少し日本の子どもにわかるように工夫してほしかった。p282ではレオミドが「仕事が順調になるにつれ、エデフィアはわたしの記憶から遠のいていった。もちろん、心の中にはエデフィアはずっと残っていたよ。だから、心はかき乱され、ノスタルジーにさいなまれた」と言いますが、記憶から遠のいているのに、心がかき乱されるほどのノスタルジーにさいなまれるのでしょうか? キャラ設定の揺らぎは、もしかしたら訳のせいかもしれません。もうちょっと文章にリズムがあったり、ユーモアがあったりするとよかったのに。
訳文を読むかぎりでは、登場人物の感情がころころ変わるようにとれるのですが、原文もそうなのでしょうか? ついていけないし、感情移入できないです。

関サバ子:フランス人の国民性として、感情がころころ変わるということがあるんでしょうか?

ハリネズミ:たとえラテン系の国民性から原文がそうなっているとしても、日本の子どもにはわからないから、訳者が日本語で読む子どものために言葉を補うなりしないと。学問的な著述じゃなくて子どもが読む物語なんですから、それは訳者の仕事の一部ですよね。まあ、でも私はハリー・ポッターの訳についても、読みにくさを感じていたんです。だけど売れたってことは、子どもはあまり気にしないで読むってことなんでしょうか? とはいえ子どもはこういう本から日本語を学んでもいくわけですから、ていねいに訳してほしい。たとえばp397ですけど、「みんなが盛大な拍手をし、ギュスはピューと大きく口笛を鳴らした。オクサの顔がパッと明るくなり、にっこりとほほえんだ。しかし、その感情には苦さも混じっていた。というのは、あの攻撃が成功したのは、ギュスのおかげだと言ってもいいからだ」とありますが、こういうふうに訳しちゃうとますますオクサに感情移入しにくくなるんじゃないかな。それより、「自分ひとりでは無理だったからだ」という視点で訳したほうがいいんじゃないかな。

関サバ子:私も、ある翻訳物を手がけたときに、主人公の子どもの行動に不可解な点があって、学習障害などがある設定なのですかと、著者に問い合わせたことがありました。

ジラフ:訳者は、フランス在住20年で、ライターやコーディネイターをしている人です。

ハリネズミ:それは、とっても危険なことじゃないですか。私も、外国に長く住んでいた方に翻訳をお願いして苦労したことがあります。ずっと外国に住んでいると、日本語の微妙な言い回しとか細かいニュアンスとか心地よいリズムといったことが、どうしても抜けていってしまいますからね。

ジラフ:原書の問題もあると思いますが、読みやすくするため、編集部でもいろんな段階で、複数の人間が訳稿に手を入れているので、最終的には、訳者の方に全体の仕上げをしてもらったものの、キャラクターのイメージや会話のトーンにぶれがあるのは、そのせいもあるかもしれません。ご指摘のとおり、訳文に粗さがあることも否めません。いっぽうで、原書でも500ページ近くある作品を、子どもたちが夢中になって読んでいて、もともとは自費出版だったものを、読者の子どもたちが口コミで広めていった、という出版の経緯があります。編集部では、よりなめらかな訳文にするために、すべて音読して文章に手を入れていきましたが、たしかに、声に出して読んでいくそばから、場面がどんどん頭に浮かんできて、コミック感覚の作品なのかな、と思いました。実際、フランスでは、コミック化されることが決まっています。発売から3ヶ月ほどになりますが、意外だったのは、思いのほか小さい子にも読まれていることです。メインターゲットは中学生以上のYA世代と思っていたんですけど、小学5、6年生からもけっこう感想が寄せられていて、小学4年生の子から読者カードが届いたこともありました。ファンタジー作品に親しんでいる読者からは、厳しい言葉もいただいていますが、逆に、中学生のくらいの読者から、読みやすかった、楽しく読んだ、といった声もたくさん届いています。評価がくっきり分かれている感じですね。この手の作品では、ほんとうなら、もっとイラストを入れられたらよかったんでしょうけど、原書の版元のほうで視覚化されているキャラクターが少ないうえに、映画化やコミック化とのからみもあって、キャラクターのビジュアルがちがってしまうとマズいので、日本でオリジナルのイラストを描き起こすことがむずかしかったんです。コミックですべて具体的に視覚化されたら、日本語版でも、もっとふんだんにイラストを入れられるかもしれません。

レジーナ:共著ということですが、具体的にはどのように分担したのでしょうか。

ジラフ:ふたりでプロットを話し合って、キャラクターの肉付けをしたあと、アンヌ・プリショタが第1稿を仕上げています。そのあと、またふたりで1章ずつ検討して、いっぽうが納得のいかないところは、徹底的に話し合って、相手を説得したうえで先に進んでいく、というスタイルだそうです。ふたりで物語をふくらませているせいで、ついつい大仕掛けになったり、クラスの名前なんかも、もともとはなかったクラスが唐突に出てきたり、原書にも、つじつまの合わない部分がけっこうあります。

関サバ子:私も、絵本しかやったことない方に長編をお願いして、なかなか難しいなと感じたことがありましたが……。

ジラフ:フランス語の理解はすごくある方なので……。

ハリネズミ:翻訳は、原文の内容をきちんと伝えることと同時に、日本の子どもにわかりやすく、おもしろく伝えるという二つの側面があると思います。そのどっちがより大事かというと、とくに子どもの本の場合日本語のほうの比重のほうが大きい。一般的に言って、外国に20年暮らしたままで日常生活も外国語という方だと、どうしても二つめの側面が無理になってきます。

ジラフ:なかなかむずかしいですね。「ハリー・ポッター」との比較については、フランス本国の雑誌や新聞にも、「オクサはハリーの妹」とか、「次なるJ・K・ローリングは、フランス人の彼女たち」なんて見出しの記事が出たりしていて、そのことについて、著者に尋ねてみたことがあります。本人たちは、「ハリー・ポッター」をライバル視しているわけじゃなく、むしろ、「J・K・ローリングは、ファンタジーの扉を大きくひらいてくれた先達で、『ハリー・ポッター』に背中を押された」と話しています。でも、「ハリー・ポッター」みたいな作品を書きたかったわけじゃなくて、たとえば、ファンタジーのお約束としてよく、つらい境遇の子が主人公になりますけど、「オクサ・ポロック」では、家族や友人に恵まれて、愛情いっぱいに育った女の子が主人公です。それは、負のエネルギーよりも、大切な人を守るため、といったポジティブなモチベーションのほうが、よりオリジナルな物語の展開を描けるのでは、と思ったからそうです。

ハリネズミ:私はハリー・ポッターに似ているかどうかは、どうでもいいと思うんです。だって子どもにとっては、オリジナリティがあるかどうかより、その物語自体がおもしろいかどうかなんですから。ただ、日本ではハリポタブームの後、三流ファンタジーまでどんどん翻訳されてしまったので、ファンタジーには食傷しているという読者も多い。そのときにまたファンタジーを翻訳出版するのであれば、よほど特徴があるとか、よほどおもしろいというものでないと売れないんじゃないかな。

アカザ:エンタメの命は、読みやすさとおもしろさですものね。

ハリネズミ:ハリー・ポッターの訳は好きじゃなかったんですけど、売れた理由はわかるんです。ナルニアやホビットは、1つの場面が長く続くので、読むスピードが遅い今の子はまだるっこしくなる。でも、ハリポタは場面転換が早いので入り込めるんだと思うんです。

アカザ:『ダヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著 角川書店)は原作より邦訳のほうが正確で、ずっと素晴らしいっていわれてますよね。

ハリネズミ:日本には、とくに子どもの本の場合、原著以上にいいものを作ろうという編集者や訳者がいます。原著の間違いを見つけて著者に問合せをしたことは、私も何度もあります。よく見つけた、と著者にほめられたことも。

アカザ:私は、作者に間違いを指摘したのに、どうしても相手が認めないから、しかたなくあとがきにその顛末を書いたことがあったわ。

ルパン:『縞模様のパジャマの少年』(ジョン・ボイン著 千葉茂樹訳 岩波書店)のあとがきにもびっしりと書いてありましたね。

ハリネズミ:アウシュビッツやナチスのことは、大人だったらある程度知ってますけど、子どもは知らないので、うっかりするとこれが事実だと思って読むかもしれない。だから事実と違う点を訳者の方がていねいにあとがきで付け加えたのでしょうね。ジャベーリさんも、途中まででも読んだのでしたら、ご感想を。

ジャベーリ:漫画的イメージを持って、作者が書いた作品なんだろうなと思いました。これがアニメで受けるなら、それでいいのでは? 映像的な作品でしょう。

アカザ:アニメだったら、理解するのに苦労しないかも。

ハリネズミ:オビに「100年目のファンタジー」ってあったんですけど、何から100年目なんですか?

ジラフ:19世紀の終わりの、ジュール・ヴェルヌから100年ということです。厳密にいえば、ヴェルヌは科学ファンタジーというか、空想科学小説ですけど、フランスの児童文学はリアリズムが主流で、じゃあファンタジーは、っていうと、『星の王子さま』とか、寓話的なものになってしまいます。そんななかで、久々の壮大な空想物語という意味です。

関サバ子:イギリスとフランスで、こんなにも文化がちがうとは知りませんでした。

アカザ:イギリスと張り合って、フランスでもって気持ちがあったんでしょうね。

ハリネズミ:ジュール・ベルヌはファンタジーというよりSFですよね。知的に構築されているものなので、空想を自由にはばたかせるファンタジーとは少し違うと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!

『アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!』
原題:AVALON HIGH by Meg Cabot, 2006
メグ・キャボット/作 代田亜香子/訳
理論社
2007.02

版元語録:その人は谷にいた。そして、こっちを見てほほえんだ。この笑顔には、なぜだか記憶がある。まったくの初対面のはずなのに、どうしてあたし、このほほえみを知っているの? ひとめぼれ? それとも前世の恋人?? 転校した学校で巻き起こる世にも不思議なラブストーリー。

みっけ:この3冊の中では、一番苦手だった気がします。なんかもう、いかにも女の子があこがれそうなアメリカの富裕層の生活そのものという感じで、高校生がヨットを持っていたりする話の展開に、げんなりしてしまいました。それと、アーサー王の生まれ変わりがどうとかこうとかと、アメリカ人は因縁めいた話や新興宗教めいたことが好きなんだなあと思い、それもあって「またか……」という気分になりました。別に、読みにくかったわけではないんですが、全体としては、あまりおもしろいと思えませんでした。すみません。

ルパン:私、3冊のなかで、これ一番好きだったなあ。この男の子のベタさがたまらない。絶対いないような、こういうリアリティのないキャラ、好きなんですよ。アーサー王のことあまり知らなかったんですけど、おもしろかったです。『アーサー王と円卓の騎士』(シドニー・ラニア編 石井正之助訳 福音館書店)は最後まで読めたことがなかったんですけど、うちの本棚にあるから今度こそ読みます。それを最後まで読めていたら、この本もっとおもしろかったのかな。日本で言うと「義経の生まれ変わり」みたいな設定なのかもしれませんね。それにしても、結構ゴシップ記事的要素満載。後妻が本当のおかあさんだったとか。児童文学でここまでやっちゃっていいのかな、って思うくらい。その前の夫を危ないところに行かせちゃうなんていうのは、旧約聖書のダビデとウリヤを連想しましたが、欧米のほうではアーサー王のほうが浸透しているのかな。ともかく一気に読みました。つっこみどころ、色々あったかもしれないけど、楽しかったから全部忘れちゃいました。

レジーナ:ひとりよがりにならずに読者をひきつけるユーモアというのは難しいものですが、キャボットはユーモアにすぐれていて、絶妙な味わいがありますね。たとえば「パーティーでワカモレサラダの横は背の高い女の子の定位置」や「(主人公のようなスポーティーな女の子たちが)(学園のアイドルである)チアリーダーの同級生の前を水着で歩くなんてありえナイ」など……。「キモチワルい」などカタカナを多用した表記が、少し不自然でした。高校生の会話だからそうしたのかもしれませんが、かえって現代的でなくなっているように感じました。

シア:今回選書係で入れさせていただいたんですが、2007年でちょっと前の作品になりまして、1巻で完結の本です。学校でも人気があります。アーサー王が題材ということで読んでみたのが、私とこの本との出会いですね。話はわかりやすいので先の展開などは読めてしまうんですが、とにかくテンポがよくて、女の子が好きそうな本です。キャピキャピしているので、『カッシアの物語』とは対照的ですね。なごむなー、という感じでした。絶対いないんですけど、転校先にこんな人たちがいたら明るい世界ですよね。いいなーと思いますね。挿絵はがんばってほしかったな。とくに、中がいまいちですよね。海外アニメっぽい絵ですよね。口語訳の言葉使いはちょっと古臭いところはありますが、『八月の暑さの中で』(金原瑞人/編訳 岩波書店)ほど古臭くはないかな。今でも聞かない訳ではないので。

プルメリア:副題の『恋の伝説学園へようこそ』はどうかな、ちょっと違うかなって思いました。主人公の家がプール付きの家に住むお金持ち。男の子が主人公の家に遊びにいくのが自然体で、ガールフレンドもいるのに、フレンドリーな性格なのかな。

ハリネズミ:なにしろアーサー王なんだから、何でもありなんじゃないの?

プルメリア:どんな時にも自然体で入っていけるウィルの性格がいいな。ウィルがアーサー王伝説のエレインじゃなくって、湖の姫なのには驚き、ホッとしました。この作家の想像性はおもしろいなって思いました。ウィルがいい方向にすすんでいくのが、漫画的でもあり、読み手を読ませるのもよかったです。題名がちょっときびしかったです。

シア:生徒が「アーサー王って何?」って聞いてきたりするので、円卓の騎士の話をしたり、関連図書を貸してあげたりしていますね。

ハリネズミ:アーサー王やその周辺の人物たちは、イギリスの子どもたちにはおなじみだけど、日本の子どもにはわからないですよね。それに、あまりにもリアルじゃないから、どう読んだらいいのか、日本の子はとまどうんじゃないかな。私はあんまりおもしろくなかったな。本が好きな子にとっては、ほかのアーサー王ものを読んでみる入り口になるかもしれませんね。でも、この作品自体はマンガですよね。物語の中のリアリティもぶつぶつ切れてるし。かといって、エンタメだとすると、日本の子には背景がわからない。中途半端なんじゃないかな。

シア:妙なライトノベルよりいいかなって。たとえばクトゥルフ神話とかマニアックなものに詳しいのに、逆に当たり前の神話を知らないような子が多くて、変なところが抜けているっていうか。お母さんたちに読んでもらっていないのかなって。

ハリネズミ:お母さんたちも古典的なファンタジーはもはや読んでないんじゃないですか? でも、こんなリアリティのないものを読んで恋を夢見たりすると、とんでもないことになりそうですね。

シア:『レッドデータガール』とか文庫で出ているものは、文庫で図書館に入れてくれって生徒に言われますね。やはり、荷物が多いので小さいほうが持ち歩きやすいようです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


カッシアの物語

『カッシアの物語』
原題:MATCHED by Allyson Braithwaite Condie, 2011
アリー・コンディ/著 高橋啓/訳
プレジデント社
2011

版元語録:結婚も、職業も、死さえも…すべてが決められた“偶然の起こるはずのない社会”。そこに暮らす17歳の少女の運命を変える選択とは---。『嵐が丘』『風と共に去りぬ』そして、『トワイライト』に次ぐ新たなラブロマンスの傑作。

プルメリア:この作品から『ザ・ギバー〜 記憶を伝える者』(ロイス・ローリー作 掛川恭子訳 講談社/『ギヴァー : 記憶を注ぐ者』島津やよい訳 新評論)を思い出しました。マッチバンケットとかファイナルバンケットとか。自分の考えもセーブしなきゃいけない。こういう管理社会ってすごいなって思いました。カイは冒険心があり危ないことをするのがスリリングです。また生き方や考え方が魅力的、主人公がカイにひかれていくのがよくわかりました。今の社会とは違いますが、まったく違うわけではない気がします。いろんなことを考えさせてくれたこの作品に出会えてよかったと思います。

あかざ:3・11以降、書き手も読み手も、意識が完全に変わったんじゃないかと思いますね。『ザ・ギバー』を読んだころは、ディストピアは漠然と未来にあるかもしれないものだと思っていましたが、いまでは現実そのものじゃないかと感じています。この物語も、高齢者などの弱者切り捨てとか、情報管理とか、仕分けとか、読んでいるうちに今の日本のことを書いているようで……。もちろん作者の意図は別のところにあるのかもしれませんが。ただ、近未来の或る社会を描こうとしたのであったら、それほどしっかり構築されているとはいえない……。

シア:近未来物というより、現代物っぽいなって思いました。『トワイライト』(ステファニー・メイヤー著 小原亜美訳 ヴィレッジブックス)シリーズを読んでいて、その次に読む本と銘打たれていたんで読んでみました。カッシアたちと同じくらいの年代の子が、自由の本当の意味を考えてもらうにはいい本だなって思いました。ただ、一人称でぶつ切りの言葉が多いので、文章として読みにくく、そこは少しつらかったですね。全体として起伏にかけるのは第1巻だからでしょうか。果たして日本の子どもにはこれが読めて、そして売れるのかなと心配になりました。それに、装丁がいただけないですよね。カバーがないほうが素敵です。この挿し絵、考えているのでしょうか? 服も未来っぽくないですよね。いい雰囲気のシーンでも、この挿し絵でムードぶち壊しです。話のところどころに古典作品の引用があって、感動しました。本が失われていく社会というのは、『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ著 宇野利泰訳 早川書房)を思い出しました。作者や主人公が文学的な物が好きで、こういう風に扱ってもらえると、読み手側、とくに若い子に好意的に受け入れてもらうようになるので、ありがたいなって思います。それにしても、女の子がカイを探しにいくというのは、アンデルセンの『雪の女王』みたいでいいですね。

ルパン:今日の3冊の中では、私は読むのが一番大変だったかな。全体のテーマとしては、新しいんですかね。『ザ・ギバー』は読んでいないのですが、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を思い出しました。ちょっとわかりにくいところが多かったかな。エアトレインとか、あまりイメージが浮かんできませんでした。最後のあとがきを読んで、そうだったのか、って思ったところもたくさんあったし。「逸脱者」とか「異常者」とか、あまり具体的な説明がなくて、物語に入っていかれない部分もありました。おじいさんの最後も、どんな風に生き返るのか、とか。社会の仕組みそのものがわかりにくい、というのが足をひっぱっちゃったかな。ただ、読むのは大変だったけれど、続きは気になります。続編が出たらぜひ読んでみたいです。

みっけ:SFはあまり得意でありません。というのは、まったく新しい世界を舞台にしたお話は、書く側も背景を構築するのが大変だろうけれど、それにつきあう側もかなりエネルギーがいるので、あまり手に取らないんです。映画なんかで視覚的に見せられるのであればまだ楽なんだろうけれど、今自分がいる世界とはまったく違う世界を書いてある文字から立ち上げて頭の中に思い描くというのはそうとうエネルギーのいる作業でしょう? この作品は、どなたかがおっしゃっていたように、そのあたりにあまりエネルギーを使っていなくて、社会の仕組みこそ違え、舞台設定はほとんど現代と変わらない感じになっている。(ちょっと近未来的な乗り物は出てきますけれどね。)すべてを管理してすばらしい世界を作るというディスユートピアの話もあまり好みではないけれど、この作品は、ふたりの男の子の間で揺れる女の子の心に焦点が合っているのであまりディスユートピアに引っ張られず、それなりにさくさくと読めました。恋模様が結構丁寧に書かれているのがおもしろくて、つづきはどうなるのかな、と思いました。これは3部作の1冊目なので、ここには書かれていないことも、次の2冊で書き込んでいくのかもしれませんね。一見ソフトだけれど、実は恫喝も含めてかなり徹底した管理がなされている社会で、それ以外の状況を知らない人々が別に歯をむくこともなく暮らしていくというシチュエーションは、私たちが暮らす現代とかなり重なりますよね。こういう本は、課題にでもならなければ自分からは手に取らなかっただろうから、読む機会があってよかったと思います。

プルメリア:岡田淳さんが講演会で「子ども達は最初、本の背表紙、次は表紙、最後に厚さを見て本を選ぶ」と言ってらっしゃいましたね。

みっけ:これって、デビュー作なんですよね。だからやっぱりまだまだうまく書けていないところがあるんじゃないでしょうか。ひとつの世界をリアルに再構成するにはまだ力が足りないのでは?

ハリネズミ:『ザ・ギバー』は物語世界がきちんと構築されてて、読者もそこに入って行けたけど、この作品は、よくわからないところがたくさんあります。たとえば、管理する側が、わざとこの主人公を動揺させる仕掛けを設定するんだけど、なんでそんなことをするのか、わからない。だから謎ばっかりで世界に入っていけない。

みっけ:人工遺物を回収するというのは、人々の物語をうばっちゃうということなのではないかしら。ここに書かれている社会では、個人に固有なものはいっさい許されず、それをソフトな形で排斥しているんじゃないでしょうか。

ハリネズミ:文字は書けないという設定だけど、コンピュータでは文章をつくっているわけよね。だから筆記体は書けなくても活字体なら書こうと思えば書ける。だけど、だれも書かない。それはなぜなのかな? 詩をおぼえておこうとか何か意志があれば、人間は工夫するはずなんですよね。薬を飲まされて忘れるって設定かもしれないけど、この子は薬を飲まなかったりするわけだし。訳もしっくりこない。たとえばp445に「ベンチは石をくりぬいて作ったものだった。博物館の薄暗がりに何時間もいたせいで、冷たく固く感じられた」ってあるけど、どうして薄暗がりに長くいると、このベンチが冷たく固く感じられるの? 原文のせいか訳のせいかわからないけど、そういうしっくり来ない描写を延々と読まされてちょっとうんざりしてきました。

みっけ:この作品は、どちらかというとディスユートピアよりも恋愛に力点があるような気もします。恋愛は不自由で障害物が多いほうが盛り上がるから。オーウェルなんかは管理社会そのものを書こうとしていたけれど、この作者の力点は社会にはないのかもしれない。

レジーナ:ポプラの木の描写がとても美しく、私もはじめて英国でポプラを見たときに、「あの光っている木はなんなのだろう」と心うたれたのを思い出しました。テニソンの詩の引用も効果的でした。たきぎの墨で字を書いたり、本が燃やされた図書館の跡地にたたずむ場面では、土を耕したり、物語を分かちあうという人間の本質を想いました。「字を書く」というのは、自分の考えをあらわすことであり、ときには恥や痛みをともなう行為です。そうした身体に根ざした感覚を、人の生きる意味につなげようとする試みが、この本の根底にあるのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い

『RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い』
荻原規子/著
角川書店
2008.07

版元語録:世界遺産に認定される玉倉神社に生まれ育った泉水子は突然、東京の高校進学を薦められて…。新感覚ファンタジー。

みっけ:この作家の本は、基本的に好きです。日本の昔の出来事やなにかをうまく取り入れて、違和感のない作品を書く人ですよね。この作品でも、修験道や万葉集など日本古来のものを取り入れているんだけれど、それが単なる表面だけにとどまらず、うまく物語に取り込まれ、織り込まれている。いいなあと思いました。泉水子が無意識に作り出して結局はもてあましてしまう式神にしても、なるほどと思えました。自然やなにかの描き方が上手で、読み手を独特の雰囲気にひきこんでいく腕前はさすがですね。それにこの作品は泉水子の成長物語にもなっている。まったく無自覚だった女の子が、最後のところで自分が作ってしまったものの力関係をもとにもどすわけで、この先どう成長していくのだろうと思わせる。ちなみに私はこれに続いて第5巻まで読んじゃいました。

ルパン:おもしろかったけど、主人公の女の子が私の好みではなかった。目立たなくておとなしくて、とくに取り柄もないのに、まわりのお友達にすごくよくしてもらえる、って、なんだか少女漫画みたい。かえって、リアリティのない登場人物のほうが魅力的でした。たとえば和宮君とか。

シア:今回読んだ3冊の中では一番まとまって、やはり荻原さんだなって思いました。その先が読みたいなって思える作品になっている。自然の描写が少ない『カッシアの物語』に比べ、日本の自然は美しいなと改めて思いました。男の子も魅力的なんですよね。荻原さんの作品でひねくれた男の子って珍しいような気がしたので、驚きながら読みました。巫女とか山伏とかマニアックな要素をふんだんに盛り込んでいるんですけれど、上手にこなしていますね。

あかざ:とってもおもしろかったです。第2巻も読みたい! エンタメとして、見事に書けていると思いました。主人公の泉水子も、それほどうっとおしいとは思いませんでした。これから変わっていくところを描くのなら、これくらい強調しておいたほうがいいのでは? 最初は『十二国記』(小野不由美著 講談社・新潮社)とちょっと似てるかなと思ったのですが、こちらは日本の、それも都会で平凡に暮らしているものには見えてこない自然や、山伏のような日本の地に根ざしたものを描いているところが、とても魅力的でした。泉水子が山頂で舞を舞うところが素敵ですね。あの歌は、万葉集にあるものなのですね。

プルメリア:思ったことをなかなか言えずどうしようかと迷っている子どもは結構いるので、そういう性格を持っている主人公がいてもいいなと思いました。また、そういう子たちにとって自分と似ている性格の主人公がいる作品に出会うこともいいなって思いました。ふだんの生活では知らない神社のしきたりがたくさんあり、かなり山奥の大自然が舞台。山伏は普通の子ども達にはわからない存在ですが、このように意味深なものとして書かれているのもいいなって思いました。主人公の両親の職業は他の仕事とはかけはなれていたり、男の子のお父さんがヘリコプターで学校に来たり、以前読んだことのある荻原ワールドではないなって思いました。東京の商店街で主人公が帽子を買うシーンが、かわいいなって思いました。和宮くんが座敷童とは驚きました。この辺りから荻原ワールドがいよいよ出てきた感じ、作品がおもしろくなってきました。主人公の好き嫌いというよりも、作品のおもしろさ。わくわくしました。次作をはやく読んでみたいです。

レジーナ:それまで人まかせだった主人公が、「自分から知ろうとしなければ、見過ごしてしまう」と感じたり、また「(舞を踊る姿を)見られるのが怖いのは、傷つくのがこわいから、自分で自分を否定しているから」だと気づく場面に、成長を感じました。最後の対決は、あっけなく終わってしまったように思いましたが……。人品(じんぴん)」など、普通の女の子の言葉にしては難しい表現もありました。

ajian:漫画というか、若い女性向けの、Chik-Litみたいだなって思いました。自分に全然自信のない地味な女の子には、じつは魅力的な背景があって……っていうところから、強気で、なんだかんだと自分を守ってくれる男の子が登場するところまでふくめて。ベタな設定と展開が女性向けの通俗小説にのっとっている感じですよね。別にそれはそれで、個人的には大好物で、まったくかまわないんです。ただ、そういう小説で、いわば型を書いていても、どうしてもはみだしてしまう人間性や作家性というのがあって、そこがおもしろいところだと思うんですが、その点、これは少し物足りないなと思いました。あと会話が地の文に比べるとこなれていない。たとえばp10。「山奥に居つづけなくてはならない理由はないと思うよ。義務教育のあいだは、保護者と住むのはしかたないけれど、高校生にもなったらね。ご両親には、なにか言われているの?」ですが、いかにも説明という台詞ですよね。いや、基本的にはおもしろいし、うまく書かれていると思います。設定で、日本の民間信仰をとりいれているところも、いい着眼点だなと思いました。最近ずっと内向きだといわれていますが、裏を返せば、ナショナルなものへの関心が高まっているということだと思います。そういうものを取り入れて魅力的な物語に仕立てているから、これは売れているんじゃないでしょうか。

ハリネズミ:私は今回の3冊の中でおもしろかったのは、これだけなんです。エンタメではあるけど、世界がしっかり構築されてるし、それぞれのキャラもしっかりつくってある。ラノベ読むんだったら、このシリーズ読んだほうがよっぽどおもしろいと思うな。やっぱり荻原さんはうまいですよ。山伏みたいなものを持ってくるのも、さすがです。エンタメだって、ふにゃふにゃしたのじゃなくて、しっかり考えてつくってあるのを読んでほしいな。

ajian:アヴァロンは、これこそ Chik-Lit だなって思いました。アーサー王伝説がモチーフになっていますが、一般の人はあまり詳しくないと思うので、「湖の姫」っていわれても、遠いんじゃないかなと思いますね。この語りの調子は・・・中身がなくても、文体だけで魅力的な本ってあるじゃないですか。そうなってくれるとよかったんだけど、はっちゃけてるだけで、どうも乗れませんでした。あとは、ベオウルフとか、アレックス・ヘイリーとか、せっかく出てくるんだから、注があるとうれしい。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


レガッタ! 〜水をつかむ

『レガッタ! 〜水をつかむ』
濱野京子 /著 一瀬ルカ/挿絵
講談社
2012

版元語録:「たかがスポーツに、そんなにむきになるなんて」。優秀な姉の言葉に反発し、強豪ボート部に入部した飯塚有里は、力がありながらも、水上でうまく発揮できずにいた。ボートはひとりでは漕げないと知ったとき、オールが水をつかみはじめる…。

ajian:今回これを選んだのはぼくなんですが、実はすべて読まないで選んでしまいました。女子の部活もので、あまり読んだことがないので面白そうだなと思ったんですが、結果いまいちでした。すみません。

ハリネズミ:どういうところが、いまいちでしたか?

ajian:取材して書いたのはわかるんですけど、頭で書いているというか、今ひとつ伝わってくるものがなかったんですよね。部活になじんで、レースに出て、全国選抜と、物語の流れは一応あって、いろいろ書いてあるんですけど、それが一つにこうまとまって立ち上がってこないというか。あと、この軽い男の子の登場も余計ですね……なんだか、頭のいい感想が言えなくて、まとまってなくてすみません。あと思ったのはですね、登場人物がいっぱい出てくるんですけど、キャラクターが立ってない上に名前が似ているから、誰が誰だか、読んでてわからなくなるんですよ。そこはもうちょっとそれぞれのキャラクターを立ててほしかった。いいな、と思ったのは、ボート部のなかに、嫌いなヤツがいるでしょ。特に前半ちょっと苦手で、ぎくしゃくしてしまうヤツ。集団でやるスポーツのすばらしさは、そういうヤツとも一緒にやれるってことですよね。会社もそうですけど(笑)。苦手だろうが何だろうが、同じ船に乗った以上は、そこでそれぞれの持ち場で力を発揮してやっていくしかない。その辺りは共感しやすいし、王道だなぁと思いました。

カイナ:高校の部活動のボート部を取材して書いたお話ですね。マイナーな部なわけで、多くの人に知ってもらうという意味では、よく取材できているというか、情報がよく書けていると思いました。お姉ちゃんと対比した妹の持ち味もよく書けています。ですが絵がどうも。小説というのは文章からイメージするものでしょう、全くイメージが合いません。もっとたくましいはずだし、陽にやけているはず。どうしてこんな漫画にするのかな? 絵は駄目でした。がんばってる高校生を等身大で描くというか、よく現実を取材して、高校生の女の子をそのまま書けているのに。今の若い読者には、こういう絵が好まれるんでしょうか?

ハリネズミ:みんな同じ顔に描かれてるので、よけい誰が誰だかわからなくなりますね。

プルメリア:戸田が出てきましたが、「戸田市は競艇があるのでその収益で公共施設の設備がいい」と聞いています。表紙の絵はいいと思いましたが、登場人物の人間関係が複雑で、読むのに時間がかかりました。デートをしに動物園に行く場面あたりでちょっと息抜きが出来た感じです。パンダはネコ科で、クマ科ではないはず(のちにパンダ科と判明)。ボートを一生懸命やっている姿が高校生らしい。私も左利きで中・高とテニスをしていましたが、家で筋トレはしなかったので主人公とは意気込みが違うなと思いました。この作品からボートに関しての知識を得られました。まあ、「青春もの」かな。男の子が出てきたところで、ちょっと読みやすくなりました。

みっけ:判型やこの絵から見て、軽く読めるように作られているんだな、と思いました。前にこの会で取り上げた同じ作者の『フュージョン』(濱野京子著 講談社)も、グループでの競技スポーツを通して女の子が成長する話だったけど、あちらのほうが登場人物もいろいろで、脇役もしっかりしていて、物語として厚みがあった気がします。それに比べるとこれは定型というか、お決まりのコースという感じで、読みやすいけれど全体として軽くて薄い感じ。たぶん、あまり本と仲良しでない子どもたちに向けた作りなんでしょうね。そういう意味では『フュージョン』とは作る姿勢がまるで違う。この長さの割に登場人物が多いので、書きわけもあまり丁寧にできなかったのかな。美帆という女の子にもいろいろと事情があるんだな、と主人公が察する場面など、書きわけよう、キャラを立てようという姿勢はあちこちに見えるけれど……。たしかにどの子がどの子かわかりにくかったですね。人物の書きわけが難しいのは、優等生が集まった学校のエリートクラブの内輪の話だということもあるのかもしれない。それと、この絵は私は評価できませんでした。まるで勢いがない。でも、ボート競技のことは私も知らなかったので、へぇと思いました。

レジーナ:勤め先の区立中学校には、公立図書館が選書した本をまとめて貸してもらえる制度があって、その中にこの本も入っていました。挿絵に惹かれて、子どもたちは手に取っているようです。この本をきっかけに、『フュージョン』等に読み進めてくれればいいと思うのですが……。登場人物が多く、名前も似ているので、ひとりひとりを覚えるのが難しかったです。数か月前にこの会の課題図書になった『鷹のように帆をあげて』(まはら三桃著 講談社)には、「向かい風の方が鷹は飛びやすい」など、作者が子どもたちに伝えたいメッセージが根底にありました。スポーツを扱った作品の面白さは、その競技をしている人だけが知っていることや感じたことを、人間が生きていく上での姿勢や人生になぞらえて語る点にあると思います。『レガッタ!〜水をつかむ』も、「水をつかむ」という言葉と、主人公が葛藤を越えていく過程を結びつけられたら、もっと味わい深い作品になったのではないでしょうか。

ルパン:選んだご本人がいまいち、とおっしゃったので、ほっとしました(笑)。前半がボート競技の説明文みたいな感じで、物語に自然に入っていかれませんでした。読書会の課題図書でなければ、10ページでギブアップだったかも。p45の図も理解できなくて。これがわかんないとストーリーを追えないのか、と思ったらちょっとあせりました。一般の人に馴染みのない世界を伝えようと思うとこんなに大変なのかと、作者がお気の毒になったりもしましたが。あと、ところどころに同時代的なこと(例 AKB48など)が出てくるのが気になりました。短いスパンで古臭くなりそうなのが心配です。共感したのは共働きのお母さんの台詞、「(食事を)作るのが面倒くさいときは、刺身にする」。私もそうだから(笑)。「水をつかむ」という言葉はとてもいいので、これをクライマックスにもってくればいいのに。ボートがわからない女の子が、これがボート競技なんだ、ということをつかむ瞬間がくる設定にすれば感動的だったと思います。副題に使ってしまったのはもったいない。そもそも、全体的に臨場感というか、ボートで揺られている感触やオールがすうっと水に入った瞬間の感覚などをもっと書いてもらいたかった。

カイナ:ボート部というものを、客観的に取材して書いているという弱さもありますね。ご本人自身の経験ではない。水をつかむという話ですが、ボート部は、大学3年くらいになって、水がつかめるようになると本当にきつくなる。1、2年の頃の方が水をつかみきれないから実は多少楽だったと気づく、というのを聞いたことがあります。それをつかむために練習しているわけですね。

プルメリア:大勢でやると動きます。数年前、榛名湖の高原学校でカッターボート体験をしました。子ども達に「力をいれて!」と声をかけると、水面をスムーズに動くことができました。

カイナ:項目の取材はしたけれど、体験の取材はそれに比べると浅いかな。そこが書けていないとも言えますね。

ルパン:そこが書けていないのが、とても残念。もったいない。

みっけ:逆にいうと、ストーリーを作ろうとして盛り込み過ぎかもしれない。一年をずっと追わなくても、たとえば水をつかんだ瞬間がクライマックスにくるようにして、そこまでの過程をもっとリアルに実感を持って描くというやり方もあったんじゃないかな。腕力も体力もやる気もある主人公が、それでも水をつかめなくて、それがある瞬間に水がつかめるようになるという、それだけでも十分感動的なんじゃないかな。

カイナ:ボートという珍しい世界を書きました、ということ。

ルパン:焦点が分散しちゃった感じがもったいない。

ハリネズミ:この本は、YA! ENTERTAINMENTシリーズの一冊なので、最初からエンタメとして書かれているんじゃないでしょうか? 文章もいわゆる「立っている」文章ではなくて、情報を伝えるような文章だし。だから、文学として足りないところを見ていっても始まらないと思うんですね。私がうまいな、と思ったのは、稔一の書き方なんです。ただ軽いだけの男の子だったら有里が部活をさぼってまでデートする気にならないし、本当に魅力的な男の子にも書けないし。そのあたりの案配がうまいな、と。

ルパン:「沈する」エピソードはとてもよかったです。

ハリネズミ:表紙はともかくとして、中の絵は私も残念。

カイナ:前に読んだ弓道の話がありましたね、(『たまごを持つように』(まはら三桃/著 講談社))弓道のほうが精神性が伴うからまたちょっと違いますね。

ハリネズミ:今は本を読まない子もふえているので、そういう子を読書にひきいれるための本も必要だと思うんです。この手の本が、そういう入り口をつくってくれるといいな、と思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


もういちど家族になる日まで

『もういちど家族になる日まで』
原題:LOVE AUBREY by Suzanne M. LaFleur, 2010
スザンヌ・ラフルーア/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2011.12

版元語録:ひとり取り残された11歳のオーブリー。心に深い傷を負った少女が、周囲の人々のやさしさに包まれ立ち直っていく姿を描く感動作。

ルパン:最初は主人公の女の子が好きじゃありませんでした。自分のことでいっぱいいっぱいで、まわりの人まで思いやる余裕がないし、あんまり「いい子」じゃないですよね。でも、途中からぐいぐい引き込まれて、この年齢でこんな目に遭ったらこう感じるのが当たり前だ、って思うようになりました。最後はすっかり感情移入して、電車の中で読みながら悲しくなって号泣しちゃいました。いちばんぐっと来たのが、お母さんと会えたときに初めて言う言葉。お母さんに「私より妹のほうがかわいかったの?」って言うシーンです。死んだ妹をなつかしんでいたけれど、私がいるのに、妹が死んだことがそんないつらかったの、と。そのひとことで、もう泣けて泣けて。

レジーナ:ずっと気になっていた作品です。読むまでは、経済的に困難な家庭でネグレクトを受けた少女の話かと思っていましたが、そうではないのですね。亡くなった妹のために買っておいていたプレゼントを、誕生日の日に写真のそばにそっと置いたり、お母さんが見つかったことを知らせに学校に来たときに、可愛がっている金魚を車に乗せて連れてきたり、押しつけがましくなく主人公の気持ちに寄り添うことのできるおばあちゃんが心に残りました。感謝祭の前に、主人公が、家族の思い出のスイートポテトを作りたいと言い出した時も、失敗したらどれだけ傷つくかを考えたら、私だったら一緒に作ると思います。その子を信じて委ねるのはなかなかできないことなので、子どもを根底から信じようとするおばあちゃんの強い姿勢を感じました。親友の妹が病院に運ばれたとき、それまで悲しみの殻に閉じこもっていた主人公が初めて友だちのことを思いやる描写も、心に響きました。誕生日の日に、年の数より1本多くろうそくを灯す習慣について、あとがきで触れてありましたが、物語の中では詳しく述べられていなかったので、その点に関してはもう少し説明がほしかったです。

みっけ:これは原書が出た頃に買って1度読みました。不思議な感触の本だなぁ、静かな本だなぁと思いました。今回訳を読もうと思ったのですが、冒頭で日本語にひっかかって、その後もかなり気になる箇所が多く、結局原書を読み直しました。初めのうちはこの子に感情移入できなくて、嫌な子だと思った、という感想がありましたが、まさにそう思わせるくらい丹念にこの子の心の動きを掬っているのがすごいと思いました。主人公の見たもの、感じたものをごく細かいところまで丁寧に掬っているんだけれど、ただ拾うだけでなく、ポイントをしっかり押さえているから、主人公が細かく揺らぎながら喪失感や何かに向き合っていくのがリアルに伝わってくる。その実感が感じられるから、ベタになってしまわずに、読んでいて、この子に静かに寄り添っているような感じがするんだと思います。それと、最後のところでお母さんが、一緒に住める気がするから家に帰ってきたら、と言い出したときに、この子が返事をペンディングするところがいいなぁと思いました。それがこの本の大きな魅力だと思う。この子がすぐに一緒に住む,と言わなかったことで、おばあちゃんや隣の女の子と過ごした時間、そこで培った関係をこの子がどれだけ大事にしているかがよくわかる。いわば、お母さんとは別の時間や関係がどれほど大切なものだったかが浮かび上がってくるわけです。それがなくて、この子がほいほいと家に帰ったら、あのおばあちゃんや隣の子との時間はなんだったの?という話になる。それと、おばあちゃんやブリジットなどのこの子を取り巻く人たちの接し方がすばらしいと思いました。大前提はとんでもなく深刻な状況なんだけれど、この本に描かれている時間の中では、別にドラマチックですごく大きな出来事が起きるわけではない。その意味ではかなり地味な本なのに、丹念に細かく日常を積み上げていってこういう作品を作れるのは、すばらしい才能だと思いました。

ルパン:タイトルが残念ですよね。センスが感じられない。

みっけ:訳は全体にベタな感じですね。それと、原著がかなり綿密に言葉を選び、情景のイメージを作っているのに、訳が粗いのが残念。細かいことを積み上げていくタイプの作品だけに、それが大きく響いてしまう。でも、作品としてはとても好きです。

カイナ:この題名を見て読むと、お母さんと娘がもう1度一緒に住むようになるんだろうな、と予想して読んでいったら、そうならなかったので意外でした。パターソンの『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン作 岡本浜絵訳 偕成社)を思い浮かべました。ちょっと違うけど母親に捨てられた娘。お母さんがヒッピーで、里親の愛を受ける。あっちに行くか、こっちに行くか迷うという話。

ハリネズミ:『ガラスの家族』は、ギリーがお母さんと会ったときに、それまでずっと抱いていた幻想が壊れるんですね。パターソンは、お母さんがカバンを間にはさんでギリーを抱きしめた、と書いて、そこをうまく表現しています。

カイナ:ちょっと批判になりますが、マーカスという男の子が出てきます。「ぼくのせいでお父さんが消えちゃった」という子。その子が、あとどうなったかが書かれていなかったような。それから、変な話なんだけど、家庭に問題があって最後に主人公が立ち上がってきた話というテーマは多いですね。またその話か、と思ってしまいました。自分の中では正直食傷ぎみ。そんなこと言うと怒られるかな。

ハリネズミ:日本の状況からすると遠い感じがしますけど、欧米には、親が離婚・再婚を繰り返す家庭なども多いので、そういう立場にいる子どもへの応援歌も必要なんですね。だから作品もいろいろと書かれていますが、それぞれ特徴がありますよ。

みっけ:この子は最後のやりとりで、決してお母さんを拒否していない。そしてこの本は、お母さんを拒否していないということがきちんと伝わるように書いてある。それでもこの子は揺れていて、お母さんがいないところで紡いできた時間のことを考えると今すぐは無理、というわけだけれど、こういう選択肢はなかなか子どもには考えにくい。どうしても二者択一になりがちだから。でもこういう選択肢があるということを示して、それでいいんだよ、というのは、現実にもみくちゃにされている子どもたちへのひとつの応援歌だと思います。

ajian:すごく気持ちを丁寧に書いてあって、それで読むのが大変でした。感情移入してしまって……。こういうことは、なかなか簡単に癒されたり、解決したりすることではないと思うんですよね。お母さんのところに戻らないっていう選択肢を物語として示してあるのは、すごくいいと思いました。子どもには回復力があると思いたいけれど、この子ーーまあ小説の登場人物なんですがーーはむしろ、これからなんだろうなと思います。トラウマっていうのは、自分ではすっかり平気だと思っていても、何かの拍子に思い出したりするんです。いつか変わる、普通に戻れると思っているとダメで、むしろ変わらないし忘れられないんだってことを受け入れてかないとキツいと思うんですよね。ここまでひどいことが起きなくても、子どもは結構大変なことを抱えているもので……。個人的にも最近いろいろあって、ついそのことを重ねつつ読んでしまいました。

プルメリア:重たいテーマなのに、『レガッタ! 〜水をつかむ』に比べて私は読みやすかったです。主人公のそばにいつもいるおばあさん、隣に住む少女や家族、そして出会う人たちがとてもあたたかくていいなと思いました。お母さんに対しての思いが、周りの人達と関わることによって、だんだん冷静に見られるようになって、よかったなと思いました。食事の場面がたくさんありました。食事の場面が出てくるとあたたかい感じがするなと思いました。

ハリネズミ:最後のところでオーブリーはこう書いています。「ママがもういちど、家族になりたいって思ってるのはわかるよ。わたしも同じ気持ち。だけど、ここにいる家族を置いていく気には、今はまだなれません」。この「ここにいる家族」の中には、おばあちゃんだけじゃなくて、ブリジットやブリジットの家族や、マーカスや、エイミー先生も入ってると思うんです。英米の児童文学を見ると、「家族というのは血のつながりより、一緒に紡ぐ時間の積み重ねのほうが大事なんだ」という思いが強い。イギリスのジャクリーン・ウィルソンの作品なんかも、それが前提になっている。それと、私はこの作品を読んで、アメリカのジャクリーン・ウッドソンの『レーナ』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳 理論社)を思い出しました。あの作品でも、主人公マリーのお母さんが夫と子どもを置いて家を出てしまうし、マリーはそのお母さんに宛先のない手紙を出し続けています。

みっけ:この子とスクール・カウンセラーとの関係は、決してメインではないんだけれど、それでもきちんと書いてあって、たとえば、最初はずいぶん突っぱっていて、M&Mをどうぞと言われて、「いえ、けっこうです」みたいに断る。ところが4回目に会ったときには、思わずまたM&Mをどうぞって言われるのかな、と入れ物のほうを見ちゃう。そしてカウンセラーにどうぞといわれると、膝の上に入れ物ごと置いて食べ始める。しかもその日の面談が終わるときには、なんと入れ物を戻すのを忘れて、カウンセラーに「M&Mは(持って行っちゃわないで)置いていってね」と言われる。この展開ひとつで、この子がカウンセラーに対して次第に心を開いていっているのがわかるし、最後の「置いていってね」のところには独特のユーモアがある。作者の目線にユーモアがあるからこそ、深刻な状況で揺れる心に寄り添っていても、こちらがあまり息苦しくならない。そこがいいですね。

ハリネズミ:ちょっとしたところの描写がうまいですよね。

ルパン:これを20代の人が書いたというのもすごい。若いのにすごい筆力だと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


プリンセス・アカデミー

『プリンセス・アカデミー』
原題:PRINCESS ACADEMY by Shannon Hale, 2005
シャノン・ヘイル/作 代田亜香子/訳
小学館
2009.06

版元語録:突然、王子のお妃候補に選ばれ、「プリンセス・アカデミー」で競い合うことになった少女たち。プリンセスになるのは、だれなのか!? 20人の学園生活。

みっけ:王子様がそのために教育を受けた娘たちのなかからお嫁さんを選ぶ、という設定はあまり好みではないな、と思ったのですが、苦手なわりにはさくさくと読めました。タイトルがプリンセス・アカデミーとあったから、きらびやかな都会の話かと思って読み始めたら、なんとへんぴな石切り場の話で、へえ、と思いました。それと、最後の結末の付け方は、おやまあ、こうきたか、という感じでした。実は王子様と昔からの知り合いだったなんて、想像していなかったから。主人公がなぜ石切場で働けないのかとか、自分に対するコンプレックスなどが最初にさらっと提示されていて、その理由をはじめとするいくつかの謎で物語を引っ張っていく造りなので、その意味では面白く読めました。でも、盗賊が少女を宙づりにするのは、実際にはちょっと時間が長すぎるんじゃないかと思いました。それと、石切り場では、「クウォリースピーチ」で声を出さなくても呼びかけられるという話が出てきて、え?と思ったけれど、それは石が血肉になっているから、というふうに理由づけているのは、ある種物語の論理なんでしょうか。ちょうどテリー・プラチェットの「ティファニー」シリーズ(テリー・プラチェット著 冨永星訳 あすなろ書房)で「チョークの大地に暮らす人々の背骨はチョークでできている」というのと同じ発想だな、と。最後のところで、この子がお姫様願望に落ち着くのではなく、学ぶ機会を作ることで村の人たちの役に立てるんだ、ということに目覚めるのもいいと思いました。

ajian:この、王子様が学校を建てて、わざわざ自分のための嫁選びをする、みたいな設定が呑めるか呑めないかってとことで、まず意見が分かれるんじゃないかと思うんですが、ぼくは全然呑めるんですね。すごく楽しく読んでしまいました。訳者あとがきにもありましたが、タイトルから想像するのと、内容が全然違いますね。しかも石のこと、クウォリースピーチっていう設定や、外交交渉を身につけるみたいな話から山賊の登場まで、随分盛りだくさんなんですが、それを面白い物語としてうまくまとめていると思います。長いと言えば長いんですが……。

プルメリア:この作品は出版されたときに手にし、すごく楽しく読めました。小学校の図書室にいれたところ、6年生の女子が「絵が好き」と言って読んでいました。

ハリネズミ:手に入ったのが遅くて、まだ半分しか読んでないんです。今の時点で感じているのは、学びと生活の関係がよく描かれているな、ということ。それから、いくら普通のプリンセスものとは違うといっても、作者の中にプリンセスへの憧れを是とするシンデレラ・コンプレックスがあるな、ということです。それから、この本はファンタジーではないので、石がコミュニケーションの媒介になるという非科学的な点は気になりました。訳には、もう少していねいにしてほしいと思う箇所がいくつかありました。たとえばp177の「ペダーってば、こんなにきらわれるなんて、ゆうべなにをしでかしたんだろう」とか、p185の「リンダー石を飲んだり吸ったりしているからよ」なんていうところです。表紙や挿絵はちょっと不気味だったんですけど、今の中・高生は気に入るのかな?

みっけ:そこの部分は、踊りのときに、ペダーがミリーと踊らずに、その二人と踊っていたことを指しているのかと思いましたが。

ハリネズミ:それを指すのだとしても「しでかした」は違うかと。

シア:地域の図書館でもやたらと人気があったみたいで、昨日やっと私の予約が回ってきました。というわけで、読み込んでいません。ラストは読み飛ばし状態です。テキトーなことしか言えなくて申し訳ありません。ニューベリー・オナー賞ということで、すごい作品だなと思いながら読んでいましたが、心にくるものがないというか、いまいち腑に落ちない思いで読んでいました。結局、教育や知識っていうのは重要なんだ、ということが言いたいのかなと思ったりしました。「后の位も何にかはせむ!」といった感じで、『更級日記』を彷彿とさせるような作品でした。しかし、プリンセスに選ばれた女の子が個人的に気に入らなくて、これではとんだ茶番ですね。こんな大冒険までしたのに。まあ、村は発展したけれど……。こういうお馬鹿な女の子を選んでしまう王子がいるなんて、この国の未来は大丈夫でしょうか? 心配だなぁと思った一冊でした。

ルパン:この表紙、このタイトルのわりに、読み応えがありますよね(笑)。児童書版ハーレクインだと思ったら、意外や、そうではなくて。私はリアリティに根ざしたファンタジー作品だと思いました。あっ、(選書係として)重くて、大きくて、ごめんなさい。

レジーナ:各章の冒頭の言葉は「クウォリースピーチ」のようですが、物語とのつながりが見えづらかったです。主人公がプリンセスを目指すようになる心の動きについても、家族が立派な家に住めるようにしてあげたいという気持ちや、美しいドレスへの憧れや、山の出身であることを見下されたくないという反発心など、いろいろと挙げられていましたが、決め手となった理由がはっきりとは描かれていませんでした。舞踏会の時にドレス姿の先生を見た主人公が、先生もここに来るために多くのものを捨ててきたのだと気づく場面が印象的でした。一方的な見方しかできなかった主人公が、このときはじめて他者の立場から物事を見ようとする場面なので、もっと掘り下げて描いてほしい箇所です。

シア(遅れて参加):『プリンセス・アカデミー』というタイトルは、ディズニーの子ども用プログラムであるので、それと勘違いして借りる人もいるのではないかと思います。後から来たので、ほかの2冊についても言いますね。
 『もういちど家族になる日まで』は謎めいた出だしで、気になりました。おばあちゃんとあまり性格の良くない子が出てきます。11歳の女の子が乗り越えるには、あまりにもつらい現実です。周りの人がすごくいい人ばかりで、隣の女の子がとても可愛く描かれています。『西の魔女が死んだ』(梨木果歩著 楡出版・小学館・新潮社)、『ハッピーバースデー』(青木和雄作 金の星社)との類似性を感じました。でも、主人公が空想の友達に手紙を書いたり、自分の力で立ち直っていく力強さが先ほどの二作とは違うかなと。とはいえ、ラストが子どもの目線なので仕方がないけれど、これで解決になっているのかなと。この落としどころでいいのか、腑に落ちなくて『西の魔女が死んだ』のような感動はありませんでした。日本と外国の差が大きく出た一冊のように感じました。ちょっと暗かったかな。子どもはどう思うのかな、と思いました。中高生だと、お母さんの方に共感するのかもしれません。
 『レガッタ!〜水をつかむ』は図書館で簡単に手に入ったので、しっかり読めました。少女漫画風の挿絵で、びっくりしました。こういう絵柄を喜ぶのは、中学2年生くらいまでではないでしょうか。高校生くらいになると、逆にこういうのを嫌う子が多いと思いますよ。内容が高校生なのに、絵で損をしている部分があるように感じます。よっぽどアニメとか好きじゃない限り、手に取りにくくなるんじゃないかと思いますね。心理的に難しい部分があります。それに、親や先生が漫画本風の絵をすごく嫌う傾向があるので、いくら中身が良くても見た目への抵抗が激しく、学校図書館に入れにくかったりします。

ajian:一応少女漫画を擁護したいんですけど、これは少女漫画としてもあまりいい出来の絵じゃないですよ。

ハリネズミ:先生たちは、どうして嫌うんですか?

シア:こういうのをすごく嫌がる年配の人もいるし、「オタク系」といって嫌がる人、それから、ライトノベルを排除したがる人もいますね。そういう先生は、ラノベは時間の無駄で、本じゃないと言っています。教養のある本を読んでほしいと言う先生は、漱石や鴎外を読んでほしいのでしょうね。子どもたちとの間に大きな温度差があります。

カイナ:高1『羅生門』高2『高瀬舟』高3『舞姫』は教科書に必ず載っていましたね。

ハリネズミ:本を読まない子をどうすくい取るかという視点も必要です。それと今は発達障がいといわれる子も増えているので、そういう子どもたちにはまた別の視点から本を選ぶ必要がある。いろいろな種類の本が必要だと思います。

カイナ:作家はこの絵を承認しているんでしょうかねぇ?

シア:『レガッタ!』は、絵のせいというわけではないのですが、漫画のノベライズを読んだような印象を受けました。これは講談社のこのシリーズのなかでも、トップクラスに軽いものでしたね。スポーツものによくある、先が気になるハラハラ・ドキドキ感がいまいちありませんでした。女の子がいっぱい出てくるので恋愛のシーンがあるかと思ったら、女の先輩のほうがかっこよかったりしましたし。スポ根をイメージしたわりに話に山がなく、決め手になるシーンがなかったように思います。ボートについては知らなかったので、そういうところは楽しめましたが。女子の友情も書けてたかなぁ? お兄ちゃんの描写もひどかったなぁ。藻にからまってどろどろしたイメージで、まさに「沈」。

ハリネズミ:エンタメはエンタメで難しいですね。本を読まない子にとっては、むしろステレオタイプでお涙ちょうだいみたいな本のほうが魅力的だったりするのかな?

シア:髪型のことなど細かく書かれていますが、誰が誰だかわからないですね。この描写はなんなのでしょうか? どっちつかずかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


キノコ雲に追われて〜二重被爆者9人の証言

『キノコ雲に追われて〜二重被爆者9人の証言』
原題:NINE WHO SURVIVED HIROSHIMA AND NAGASAKI by Robert Trumbull,
ロバート・トランブル/著 吉井知代子/訳
あすなろ書房
2010.07

版元語録:広島で被爆した後長崎に移動し,再び被爆した二重被爆者たち。彼らが終戦10年後に語っていた知られざる戦争の物語。衝撃の初邦訳!

ヒーラ:こういう方たちがいたのだという驚きでした。絶望的な話ですね。この本自体が終戦10年後に書かれたということは、著者がアメリカ人に現実を伝えようとした趣旨の本なのでしょう。こういう本がアメリカで戦争10年後に出されたことに価値があると思います。悲劇的偶然ですが、2度被爆し、それでも生き残った方々に取材して、証言をもとに書かれているわけで、文章自体も非常によくできていると思います。アメリカ人の目からみた日本人観がところどころ出てくるのも興味深かったです。広島で被爆した経験をもとに、3日後の長崎で対処のしかたのアドバイスができて、その瞬間には命を落とさずにすんだ方々もいたというのがせめてもの救いですね。

メリーさん:2度も原爆の被害を受けてしまった人たちがいたとは知りませんでした。その点では、後世に伝えるという意味で、今回読めてよかったなと。ただ文中、日本人名がカタカナなのは気になりました。加えて、ところどころにアメリカ人の日本人観が強く出ていて「東洋人は」とか「日本人は」という部分や「原爆は使うべくして使われた」などというところ、これはこのままでいいのかなと疑問でした。外国人の著者が日本を扱ったノンフィクションは、日本人にはない視点があっておもしろいものがたくさんありますが、原爆がテーマの場合はもう少し考える必要があると感じました。この本を今出す意味はどこにあるのか。当時こういうことを取材していたアメリカ人ジャーナリストがいたということを取り上げ、その中で彼の記録について具体的に触れる、というやり方をするという方法もあったのではないかと思いました。

レジーナ:長崎の被爆が広島ほど知られていないことに対する複雑な想いは、二重被爆という問題の中でくっきりと浮かび上がったように思います。土産物として被爆者の写真が売られていた当時の状況など、初めて知ったことも多くありました。その一方で、日本人について少し不自然な描写がいくつかありました。たとえばビジネスにおける紹介を日本特有の習慣だと説明していますが、アメリカでも仕事のために人に紹介してもらう状況はあるでしょうし、聞き手のアメリカ人が知らないと思って、その人のために話したことが、そのまま記録されてしまったのかもしれません。被爆者を見た日本人が、死者を会津白虎隊になぞらえているのにも違和感がありました。聞き手のアメリカ人の頭の中に、お国のために戦って死ぬ日本人像がはじめにあって、それにつながる感想を強引に引き出したような……。キリスト教国であるアメリカが長崎に大きな被害をもたらしたことを皮肉だと感じていると書かれていましたが、本当にそう考えていた長崎の人は、どの程度いたのでしょうか。原爆が、戦争を終わらせるための手段として、使われるべくして使われたという記述に表れているように、広島・長崎の被爆の問題をアメリカの視点から見た作品です。デリケートな問題なので、客観的な視点をよく考えた上で、子どもに手渡していくことが必要だと思いました。

みっけ:後ろの解説に山口彊(つとむ)さんの話があるし、ちょっと前に二重被曝を扱った映画のことも新聞で見たりしていたので、そういう流れのなかでこの本を出そうと考えたのではないかと思いました。そのときの新聞記事の様子から見ても、日本では、二重被曝のことをきちんと取り上げた本などはほとんどないような気がします。そんな中で、終戦から10年という時期にアメリカ人がこれを書いたということはとても重要なことだから、翻訳を出す意味はあると思います。ただ、一つにはアメリカ人がアメリカ人の視点で,アメリカ人に向かって書いている本であることからくる違和感というか、限界がある気がします。また、終戦の10年後に書かれているという限界も。さらに長い年月が経ったとき、つまり40年後、50年後にどうなるかということは、当時わかっておらず、どうしても表現が楽観的になっているとか。これは、原爆そのものを初めて人間に使ってみた、いわば人体実験のような側面もあるわけで、その前はまったくどういう影響が出るかがわからなかったから、しかたないといえばしかたないのかもしれないのですが。しかし、たとえばここに好意的に出てくるABCCについても最近、原発関係で資料隠しをしていたという報道があったりするわけで、そのあたりのギャップは何とかする必要があると思います。その意味では、版権などの関係で可能かどうかわからないけれど、たとえば、作者のトランブル自身に関して、なぜこの本を書いたのかといったことまで含めた調査に基づく文章をまとめて、それを枠としてそこにこの翻訳を埋め込むとか、そういう形が望ましかったのではないかと。あるいは、翻訳の前か後に、作者自身についてのきちんとした調査結果などをまとめたものをつけるべきだったと思います。人名をカタカナにしているのは、たしかに読みにくいけれど、アメリカ人が取材して書いているという距離感を出すには、このほうがいいのかもしれません。漢字に直すとそこが薄れてしまうから。また、アメリカ人の視点で書いていることもあり、まだ10年しか経っていないということで、原爆についての論議は深まっていないから、日本人が言っているという奇妙な発言も嘘とは決めつけられないと思います。でも、作者はジャーナリストだから、自分が見たいもの、読者に見せたいもの、読者が見たがるものを拾う傾向は当然あるはず。だから、そういう状況を客観的に書いたものを付け加えたほうがいい。そこがクリアできれば、こういうものを出すことは大事だと思います。それと、かなり重い話なので、むしろこれくらいコンパクトな方がいいのかもしれない、とも思いました。

なたね:原爆についての本は、ずっと出版しつづけ、読みつづけるべきだと思っているので、この本のことを知って本当によかったと思っています。淡々と書いているけれど、当時の人々の暮らしや考え方が想像できるし、戦時とはいえ、そういう日常が突然断ち切られてしまった理不尽さが胸に迫って・・・。名前がカタカナで書かれているせいか、三菱重工グループの人たちとハタ職人の人たちの、どなたがどなたなのかわからなくなってしまうことがありましたけど、新婚早々で妻を失った平田さんの話は忘れられません。ただ、なぜ10年後に二重被爆のことを、このジャーナリストが書いたのか、単にジャーナリストとしての興味からなのか、それとも別の理由があるのか、そういった背景をとても知りたいと思ったけれど、いまそれを調べて書くのは難しいのかもしれないわね。ただ、子どもに手渡すときには、いまみっけさんがおっしゃったことも含めて大人からの解説が必要で、このままポンと渡すことはできないと思いました。大人は、そのあたりを意識して読めますけどね。p97に長崎のキリスト教徒の被爆に対する考え方として「日本の犯した罪があまりに大きく、激怒した神をしずめるには原子爆弾による何千人ものキリスト教徒の死が求められ、その結果、戦争が終わったのだという主張」が挙げられています。すべての長崎のキリスト教徒がこんなふうに考えていたとは思えませんが、アメリカのキリスト教徒はこう考えることによって納得していたのかと、あらためて憤りをおぼえました。東北大震災を天罰だと口走った前の東京都知事のようで……。

プルメリア:二重被爆については初めて知りました。戦争を扱った作品として『絵で読む 広島の原爆』(那須正幹作 西村繁男絵 福音館書店)は出版されたとき話題になり、よく読まれていましたが、最近はあまり手に取られていません。子どもたちが自分自身の問題として、平和とはどういうことなのかを考える6年の国語の教科書に「平和のとりでを築く」(光村図書)があります。この作品のように外国の人が広島の原爆について書いたものを読む機会は今までありませんでした。この作品からは原爆を受けた場所や傷を負った人の状況が異なり、また傷を負って大変な状態にもかかわらず肉親を捜しまわる必死な心情がひしひしと伝わり、そんな人間のたくましさを改めてすごいと感じました。時間が流れ、戦争は過去の出来事の一つのようにとらえられている現実の中で、今の子どもたちは戦争をゲーム感覚でとらえている傾向があります。命、死と向き合うこと、戦争について考えることはいつも必要だと思います。低学年だと『おこりじぞう』(山口勇子作 四国五郎絵 新日本出版社)や『ランドセルをしょったじぞうさん』(古世古和子作 北島新平絵 新日本出版社)、中学年からだと『ひろしまのピカ』(丸木俊作・絵 小峰書店)などを読んだ子どもたちは、戦争の悲惨さから今の生活、平和について考えます。この本は体験がそのままリアルに書かれているので、中・高校生には直球で伝わると思います。

クモッチ:今回選本を担当し、翻訳ものの児童書ノンフィクションはあまりないのでは?と思いましたが、伝記などけっこうあることがわかりました。この作品については、タイトルから分厚いものを想像していたのですが、コンパクトで手にとりやすい形だなと思いました。二重被爆という事実が日本であまり取り上げられてこなかったのは、当事者の日本人として、それぞれの体験があまりにも悲惨なので、そのような視点が生まれなかったのではないかと思います。調査をしている第三者になって初めて、「二か所で」という視点が生まれたのではないでしょうか。そういう意味では、新しい視点としておもしろいと思いましたが、やはりこれは資料として読むべきものだと思います。資料の一つとして、日本人が新しい作品にまとめられればよかったのかもしれません。

ハリネズミ:広島と長崎のことはこれまでにもたくさん読んできましたが、困ったことに、悲惨な描写の連続には「またか」と思ってしまう自分がいるんですね。私のような読者にとっては、むしろアーサー・ビナードが広島の原爆資料館の資料をもとにしてつくった写真絵本『さがしています』(岡倉禎志写真 童心社)なんかの方がずっと伝わってくるものも大きいと思いました。『さがしています』からは、生きているひとりひとりの日常がぶつっと断ち切られてしまったことの理不尽さが強く伝わってきます。でも、この本は個々の人間の日常の営みみたいなものはあまり書かれていなくて、悲惨な部分だけが書かれているので、子どもに何が伝わるんだろうと、疑問に思いました。アメリカの人たちに原爆の悲惨さを伝えるとか、二重被爆者がいたという事実を日本の大人にも伝えるという意味はあると思いますが、子どもに伝えようとするなら、もう少し工夫が必要かもしれません。名前がカタカナで書かれているのも、リアリティから遠ざかる原因になっているかもしれません。他の方もおっしゃっていましたが、もう少し本作りの工夫があるとよかった。日本の人が日本人を取材するなら、語り口をそのまま生かすとか、方言を生かすなどしてリアリティを増す工夫ができますが、これは通訳を介して聞き取ったものが英語で書かれ、それをまた日本語にしているので、リアリティを積み上げるための細部が削り取られて平板になってしまっている。そこが残念です。

シア:児童文学ということで軽い気持ちで読み始めたのですが、悲惨な内容をリアルに書いていて驚きました。中高生向けなら、内容的にもちょうど良いのではないでしょうか。『黒い雨』(井伏鱒二)の子ども向けの本という感じですね。夏休みの感想文でよく『黒い雨』が取り上げられますが、今の子どもたちには難しいので、この本くらいが手頃だと思います。でも、アメリカ人ジャーナリストが聞いたせいなのか、登場人物がカタカナで書かれているのが読みにくくて、気になりました。とくに「ドイ ツイタロウ」さんは、本文では空白もないからどこで切るのかわからなかったですね。おかげで名前を覚えにくく感じました。だけど、本のテーマとしてはとてもいいと思うので、夏休みに中高生が読むのはいいのではないでしょうか。感想文を書きやすいのでは。

なたね:もともと子ども向けに書かれた本ではないですよね。

シア:「原爆乙女」の話も出てくるので、興味を持っている子どもならば読めるのではないかと思います。一般市民がなぜ戦争の代償を払わなければならなかったのか、自分は関係ないと言わずに、子どもが考えてくれる本だと思います。教師としてすすめやすい本ではないでしょうか。ジェームズ・キャメロン氏が関わる映画化の企画があるようなので、ぜひ実現して欲しいと思います。

なたね:新藤兼人監督の『原爆の子』は、戦後すぐに作られたこともあって、とてもリアルだし、子どもが主役の一人なので、今の子どもたちも見る機会があればいいと思うのですが……。

ヒーラ:読み直していて気づいたんですが、注釈は訳者がつけたもので、当時の著者がつけたものではないですね。訳注と断っていないのは問題ではないでしょうか? 防空壕についての記述などを見ると、明らかに訳者の注ですよね。訳者がこの本を通してぜひ伝えよう、伝えようと思うあまり(その情熱はよく理解できます)、その辺がごっちゃになってしまっていますね。この本を今、この時代に読んでもらいたいという思いがあるのなら、冷静に、当時の著者の記述と現在の訳者が必要と思う記述を明確に区別すべきでしょう。2刷以降改定するともっとよくなりますね。このままだと中途半端だし、本への評価を下げてしまいます。

ハリネズミ:そこは本作りとしてまずいですよね。資料としてなら資料として価値のあるものに仕上げたほうがいいし、日本の子どもたちに読ませようとするなら、それなりの工夫をしたほうがいい。たとえばABCCがその後やってきたことなども書いておいたほうがいいし、本書の最後には広島の新聞記者の「ただし、日本がもし先に原爆を手に入れていたらどうしたか。アメリカに落とさなかったとは思わないでください」という言葉がしめくくりとして出てきますが、これもごく一部の人の意見のように思えるので、注を入れるなら入れたほうがいい。どこに視点を置いて本作りをするのか、ということが、定まっていないのかも。この本は区の図書館に入っている冊数がわずかでした。子どもには難しいという判断なんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


氷の海を追ってきたクロ

『氷の海を追ってきたクロ』
井上こみち/文 ミヤハラヨウコ/挿絵  
学研教育出版
2010.12

版元語録:戦争が終わっても帰国できず、シベリアの地で働かされていた日本人たちがいたのを知っていますか?そんな人々の心をなぐさめたのは、一匹の黒い犬でした。クロと名づけられかわいがられた犬は、人々が日本に帰る船を追って氷の海にとびこんだのです。

なたね:じつは、読む前には「たぶん、こんな本なのだろうな」と思っていましたが、いい意味で予想が裏切られてよかったです。戦争を描いた子どもの本は「ああ、かわいそう!」というものがほとんどで、読んだあと悲しくなったり憂鬱になったりしてしまう。大人だってそうなのだから、いくら学校や図書館ですすめられても読む気がしないという子どもたちの気持ちは、わかるような気がしますね。けれどもこの本は、読んだあとも犬の体温が感じられるようなあたたかい気持ちになりました。それでいて、子どもたちの心の奥底には、シベリアに抑留されて悲惨な目にあった人たちがいたという事実がちゃんと残るのではないかしら。こういう事実があったことも初めて知ったし、追跡取材しているのが、とてもよかった。若いころの「松尾さん」の写真と、おじいさんになったときの写真を見比べたりしてね。朝日新聞の写真も感動的ですよね。うちは家族そろって犬が大好きなので、「見て、見て!」と救助されたときの写真と記念写真を見せてまわりました!

みっけ:まず、シベリア抑留については、原爆とか大空襲ほど取り上げた作品がない中、それについて取り上げているのがとてもいいと思います。シベリア抑留は悲惨なことがいろいろあったはずだけれど、この本は読後感があたたかい。それはクロという犬と抑留者との交流があるからで、子どもの本として、このスタンスは大事だと思います。悲惨なだけだとむしろ拒否反応を引き起こすことになるし。ただ実際には本当にひどい状況だったわけで、そのことは、たとえば親友の骨を襟に縫い込んでいたら、金目のものかと思った誰かに抜かれたとか、あちこちにさらっと書いてあるのだけれど、そこに深入りしていないのもうまいと思いました。子どもの興味を、クロが見つかってしまうのか、というハラハラドキドキでつなぎ、最後はクロが日本で暮らして子孫を残せたという明るいトーンで終えていて、子どもの本としての構造がしっかりしていると思いました。今がこのテーマを取材できるぎりぎりのときで、そこでこれを出した意義は大きいと思います。最後の写真でリアルさが増す一方で、この挿絵のかわいいところも、本のトーンの決め手になっている気がしました。

ハリネズミ:シベリア抑留の体験談だと、大人の本ですが高杉一郎さんの『極光のかげに——シベリア俘虜記』(岩波文庫)がとてもいいですよね。

レジーナ: 現実の話が持つ力を感じました。希望を感じさせる結末もよかったです。題材も新鮮です。すごく意地悪な人が登場しないので、読んでいて安心できます。ただ、それまで絆を育んできた過程が描かれている分、最後に川口さんが犬を手放してしまったときは、納得できない思いが残りましたが……。それから、タイトルは作者の意向によって決まったのでしょうか。「〜してきた」というタイトルをあまり聞いたことがないので……。

クモッチ(編集担当者):ネタバレのタイトルなので、著者ともに悩んだのですが……

レジーナ:シベリア抑留を経験した芸術家といえば、『おおきなかぶ』(トルストイ再話 内田莉沙子訳 福音館書店)を描いた彫刻家の佐藤忠良を思い出します。

メリーさん:この話についても、こういうことが実際にあったなんて知りませんでした。犬がつないだ人と人、シベリア抑留について、うまく書かれていると思いました。著者の井上さんは犬を題材にした著書が多いと思いますが、この本のように、犬の物語を入り口として、戦争について描くという方法は効果的だと思います。また、ノンフィクションなので、本文や装丁には写真を使うほうがよかったのではないかとも思ったのですが……。でも今回の犬のイラストはとてもかわいかったです。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。表紙のイラストがかわいいので、最初に手に取ったんです。犬を使うのがずるいな……と。とても感動的な美しい話ですね。ノンフィクションですが、ストーリー性があって引き込まれました。章ごとにイラストが入っているのは、小学生の読者にもいいと思います。犬の描写が非常にかわいいですね。ただ、最後に川口さんがクロを手放すところは、子どもはわからないのではないでしょうか。私もなぜ北海道に連れて行かないのか疑問に思ったくらいですし。それにしても、ずっとイラストできていて、最後に写真が入っているというのがよかったと思います。物語感覚で読んできて、最後に現実だとわかる衝撃。最初からリアルなおじさんが出ていたら、小さな女の子にはちょっと……。そういう全体の構成がよかったと思います。

ヒーラ:ノンフィクションとはいえ、写真を先に出すより、最後に写真が来ているのが効果的です。犬がそこまでするのかなと思わせながら読んできて、最後に新聞記事にもなったと知らせるやり方はいい。クロの出現以前の抑留中の話は比較的早いページで終えて、クロのいた数カ月に比重をおいて書いた構成で、なかなか読ませます。

クモッチ:抑留された場所によって、ぜんぜん待遇が違っていたようです。そして、最初の1年が設備も整わず、悲惨だったようです。亡くなった人のほとんどが抑留されて1年ほどの間に亡くなっています。

プルメリア:題名を見て南極観測隊の犬の話かなと思っていました。本を手にした時、表紙の犬クロがとてもかわいかったです。犬のイラスト(各ページ・パラパラマンガになっている)がたくさん描かれているのも目を引きました。きびしい自然との戦い、励まし合って生きる人々、登場人物のそれぞれの性格。戦争は終わっても、まだ終わっていなく苦労していた人々がたくさんいた事実・・・シベリア抑留について書かれているのがとてもよかったです。最近の作品では職業犬や悲惨な待遇をされている犬がとりあげられることが多いなか、クロのような犬がいて外国で不安な人々の心をなごませていたことは読者の心をとらえるのでは。クロが追いかけてくるクライマックス、フィクションではないかと思わせ、巻末の写真で本当のことだとわかるのが感動的です。最後に登場人物の写真があり、現在の様子が書かれた本の構成がいいです。念願の日本に帰国したのにクロを手放したところは、淡々としているように感じ、クロをふるさとに連れて帰れない事情や別れるのがつらくさみしい気持ちをつけ加えればよかったのではないかなと思いました。

ハリネズミ:ネットで内容紹介を見て、あざとい感動ものなのかと思い、警戒しながら読みはじめたのですが、私が犬好きなせいもあって引き込まれてしまいました。ただ、書名はなかなか覚えられませんでした。ほかの人に紹介したときに思い出せなかったんです。人間と犬が相互に依存しあっていく状況がとてもよく書けているし、歴史の一端をこういう形でのぞいてみるのも、とてもいいと思いましたが、犬好きの私としては、川口さんがせっかく日本まで連れてきたクロをどうして舞鶴で手放してしまうのか、そのあたりが理解できなくて……。何か大きな事情があるなら、そこを知りたいと思いました。川口さんが命の危険もかえりみずクロを大事にしていたということが切々と書かれているだけに、肩すかしを食らったような気がしたんです。亡くなられているご本人には取材できませんが、当時のいろいろな状況からもう少し説明ができなかったのでしょうか?

クモッチ:当時は、犬を汽車に乗せることはできなかったのではないかと思われます。また、年末に近い時期に日本についたので、自分が帰るだけで精一杯だったのでしょうね。この本は、井上平夫さんの「クロ野球」についての新聞記事を見たのが発端でした。2008年になって話を聞きに行きました。その後、新宿の平和祈念展示資料館で、松尾さんが北海道新聞に投稿されたクロを囲んで仲間が写っている集合写真が出てきたんです。シベリア抑留に関する新聞記事を見て、松尾さんと郡司さんに話を聞くことができました。そこで、彼らの班でクロを飼っていたんだということがわかりました。興安丸は、引揚最後の船で新聞記者が乗っていたので、クロを海から救助する写真もとれたようです。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した辺見じゅんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文藝春秋)にも「クロ野球」の話は出てきます。エピソードはすべて事実ですが、それに著者の井上さんの想像力が加わった。事実の確認も改めてしながらの作業になりました。抑留だけの本は、児童書としては難しかったのですが、そこに犬と人間のふれあいという要素があることで、子どもが時を越えてシンクロできるようになると思いました。

ハリネズミ:戦争を伝えるのに、悲惨な状況をこれでもかこれでもかと描くのも必要かもしれませんが、それだけでは今の子どもにとって「いつかどこかであった、自分とは関係ない話」になってしまうのではないでしょうか。だから、クロという犬を通して書くというこの切り口は、とてもいいと思いました。

みっけ:シベリア抑留といえば、画家の香月泰男もそうで、日本海の絵を何枚も描いていますが、それらすべてが明るく光るように描かれています。それはその向こうに故郷日本があるからだと言われています。井上ひさしも亡くなる年に、シベリア抑留について『一週間』(新潮文庫)という作品を発表していますよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


カモのきょうだいクリとゴマ

『カモのきょうだいクリとゴマ』
なかがわちひろ/作・絵 
アリス館
2011.08

版元語録:卵からかえったのは、あまえんぼうのクリ、くいしんぼうのゴマ。2羽が生まれわが家で育って旅立っていった、ひと夏の物語。

メリーさん:楽しく読みました。構成もうまく、わくわくしておもしろかったです。この本はカルガモの観察記録ですが、それを見つめる人間の記録でもありますね。そういう意味で、観察者のなかがわさんの視点がとてもいい。動物を扱う子ども本で難しいのは、対象をどこまで擬人化するかということ。今回のこの本では、そのバランスをうまくとっていると思いました。写真、ビジュアルについても、本文を読みながら実物を見たいなと思うところに、いいタイミングで入っていました(たとえば、カモの足は大きいというところなど。写真を見ると、普段は水の下にあって見えない部分の写真がきちんとある)。呼ぶとカモが答える最後の場面も感動的で、ノンフィクションとして、本当にバランスがいいなと思いました。

みっけ:とてもおもしろかったです。正直言って、かわいいかわいいという感じのウェットなものは苦手というか、かまえてしまうのですが、これはちょっと違いました。文章そのものが上手だし、語りかけるようでとっても優しく、親しみを持てるように書いてある。それでいて、カモとの間にある種の距離感を保ちながら生活しているので、決してウェットになっていない。これはすごいことだと思います。作者が葛藤を抱えながら流されていないというか。いずれ野生に返すという意識を持ち、つねに考えて動いていることがいいなあと思いました。そもそもかわいい生き物だから、それとみっちりつきあって世話をしたりすれば、メロメロになっても不思議ではないのだけれど、そこをきちんと押し戻して、最後まで別れを前提に動いている。戻ってきたカモを棒ではたいた男の子に感謝するというのも、なかなかできないことだと思います。そういう姿勢を保っていれば、当然抑えめというか、引いて書くことになるわけですが、だからこそ、という感じで、最後の別れの部分はうるうるしてしまいました。最後に姿を見て、その後も何回か声を交わして、それもなくなるという流れの余韻が残って、とてもよかったです。

なたね:あの中川千尋さんが、カルガモの子を育てて記録しているとなったら、もうおもしろい本にならないはずがないですよね。なんでうちに話してくれなかったのかと、いろんな出版社が思ったのでは? みなさんがおっしゃるように、なにより野生の命を育てているという姿勢がずっと貫かれているところが素晴らしい。いままでいろんな動物を育ててきた蓄積があり、ローレンツ博士の本をはじめ沢山の本を読んでたくわえた知識があったから、ここまで素晴らしい記録になったのだと思うけれど、そういうところを微塵も感じさせず、教えてあげようという姿勢が一切ないところがいいですね。絵も文章もユーモアたっぷりで、笑わせたり、ほろりとさせたり。子どもたちにも一生忘れられない本になるのではないかしら。近所の公園の池で、毎年カルガモの親子が泳いでいるのを見るけれど、来年は今までと少しばかりちがって見えるのでは……と思ってます。

ハリネズミ:カルガモは留鳥だから、うちの近くの公園にも1年じゅういますよ。

プルメリア:写真やイラストがたくさん入っているので、かわいいなと思いました。子どものころにスズメのヒナを拾い、押し入れに入れて飼おうとしたことがあります。でも次の日にヒナは死んでしまい「自然の生き物は飼ってはいけない」と母親に強く言われたことを思い出しました。なかがわさんが自然の生き物を育てることは大変だったと思います。げんちゃんが卵に番号をつけるところが子どもらしい。日常生活の中でのカモの具体的な描写がかわいくわかりやすく、この作品が小学校中学年の課題図書になったと知ったときは、とてもうれしかったです。本を楽しんで読んでいる子どもたちの姿はよく見ましたが、課題図書で読書感想文を書いている子どもたちは、『チョコレートの青い空』(堀米薫作 そうえん社)が多かったです。そちらのほうが内容的に書きやすい作品だったのかも。

ヒーラ:この本には驚きました。びっくりです。ちょっとできすぎなくらい。げんちゃんと著者との親子関係もとてもよい。作家が、自分の家で育ててそれを文章にしているというのがすごい。カモさんたちととしっかり交流ができているんですね。文章表現も素晴らしい。p136などは、そのまま詩として読めます(朗読する)。

シア:私も驚きました。成長記録系の本かなと思っていましたが、語り口もよく、話に引き込まれました。図鑑だけでは気づかないような細かいことが描かれています。成鳥への羽の生え変わりのことや、寝る前にくちばしまであたたかくなるということなど、目からウロコです。幼い頃から都心に住んでいるので、こういう生活に憧れますね。育てた生き物を野生に返すという作品はいつも最後がつらいものですが、これもそうでした。『あらいぐまラスカル』(スターリング・ノース著)もそうですね。距離感を保ってクールに書かれていますが、感動的に締めているのがさすがです。鳥ってここまで人になつくのか、と思いました。読んだ子はみんな、カルガモを育ててみたいと思うかもしれないですね。

クモッチ:大きく使える写真があまりなかったんだろうと思うなか、かわいらしく作っているので、内容もさることながら、デザイナーさんの努力もあると思いました。フンがくさい、など、五感に訴えるところなどがすごい。羽が生えかわっていくところ、青緑の羽など、細かく追いかけているところがすごい。クリの背中に栗みたいな丸があるというくだりは、ぜひ写真で見たかったです。

ハリネズミ:私は中川さんの本はほとんど読んでいるのですが、その中でもこの本がいちばんといっていいくらい好きです。クリとゴマは単なるペットではなく、野生の鳥。それでも放っておいては死んでしまうというので卵からかえしていくのですが、こんなことをしていいのかどうか、というとまどいが著者の中にはある。カルガモのヒナは本当にかわいいという描写もありながら、もう一方では育てるのは本当に大変だとか、いろいろな動物を飼ってみたけれど「カルガモの緑フンのくささときたら、ぜったいに一位です」、「庭じゅうが、ものすごいにおいになりました」など別の面もちゃんと書いている。自分が育てて感じていること、考えていることを自分の文章と絵と写真で表現しているので、リアリティが半端じゃない。それに、カルガモに焦点を当てながらほかの生き物へと向かっていく視点もある。佐藤多佳子さんの『イグアナくんのおじゃまな毎日』(偕成社)も同じような視点があって私は好きなのですが、この本もいろいろな目配りのバランスが絶妙です。観察も行き届いているし、文章もポイントがきちんとおさえられているし、ユーモアもちゃんとある(たとえばp46)。クリとゴマがどんどん成長して力をつけていく様子(たとえば最初の雷雨の時の反応と、二番目の時との違いなど)からは、伸びていく命の力強さを感じます。教えをたれるいやらしさもないし、感動させようとするあざとさもないから、よけいに響いてくるものがあります。おまけに、この本を読んで、カルガモのひなを育ててみたいとついつい思ってしまう子どもたちのためには、奥付ページに「鳥のひなをみつけても、ひろわないでね。たぶん親鳥がそばにいて、勉強中だから。けがをしてたら動物病院にそうだんしてね」とあって、ちゃんと釘をさしている。たくさんの子どもに読んでもらいたい素晴らしい本です。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


夏の庭〜The Friends

湯本香樹実『夏の庭』
『夏の庭〜The Friends』
湯本香樹実/著 
新潮文庫
1994

版元語録:町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ――。いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが……。喪われゆくものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。

タビラコ:何年かぶりに読みました。最初に読んだときにいちばん感動した箇所で、今回もじーんとなりました。p89の、雨のあと、おじいちゃんが「秋になったら、何か種を蒔こう」というところです。ひとり暮らしのおじいちゃんのところに、子どもたちが死んだ人を見たいという好奇心だけで押しかけ、その結果おじいちゃんが、しおれてた草が雨で息を吹きかえすように生きる力を取りもどす……それがおじいちゃんのこの一言にこめられていて、すごいなあと思いました。最初に読んだときは、おじいちゃんの結婚していた人を老人ホームに訪ねるところなど、ちょっとやりすぎかなと思ったのを覚えていますが、いま読むと、この物語の大切な1部分だと思うことができました。それから、おじいちゃんの戦争の話ですが、児童文学で戦争を取りあげると、子どもが主人公になることから、どうしても被害者としての側面から物語ることが多いように思うんですけど、この作品では加害者としての戦争の真実を語っているところが素晴らしいし、児童文学にかかわるものとして忘れてはいけないことだと思います。たしかこの作品がホーンブック賞を受賞した直後だと思いますが、アメリカの児童文学研究団体であるCLNE(Children’s Literature New England)主催のカンファレンスの課題図書になったことがあるんです。そのときに、アメリカの小学校や中学校の先生たちの中に「子どもたちが、死んだ人を見たいという好奇心から老人に近づいていくというのは、なんとも残酷で、嫌悪感をおぼえる」という人たちがいて、へえ、そういう読み方をする人たちもいるんだと、かる―くショックを受けました。ただ、英語のタイトルは“The Friends”だけですが、もともとの日本のタイトルは「夏の庭」っていうのよと話したら、「とってもすてき!」なんて言ってました。

カイナマ:何度も何度も読み返した作品です。また中学生にも繰り返し読ませてきました。1クラス分文庫本を用意して、全員に読ませてから「読書へのアニマシオン」の中の「前かな、後ろかな」という作戦を行っています。大人の読書会でも取り上げたことが何度かあります。大人の方は、おじいさんを死ぬところを見たいという出だしで、もうこの作品は嫌だという人が必ずいました。内容についてですが、3人の男の子のうち河辺は、親が離婚し父親はよそで再婚し子どもがいる。山下はお母さんから魚屋のお父さんみたいになっちゃだめといわれ、主人公はお母さんがアル中ぎみ、とそれぞれ家庭に問題を抱えています。それがおじいさんとの出会いでそれぞれ乗り越えていくというか、自分なりに受け止めることが出来るようになります。それから意外と男と女のことが随所に出てきているんですね。おじいさんの戦場での壮絶な体験、花火の時に出てくるカップル、味噌蔵での話など、そういうのをうまくちりばめているとも思います。

アカシア:死ぬところを見たいというのは、子どもらしい反応だと私は思ったんですが、読者の子どもはどうなんですか?

カイナマ:子どもの感想ではあんまり聞いたことはないですね。

プルメリア:この作品は出版された時に読み、今回また久しぶりに読みました。時間がたったあとで読むと、けっこう字が小さかったんだなと感じ、また作品の内容も以前読んだ時の感想が薄れていて今回新鮮な感じで読むことができました。一人暮らしのおじいさんに興味を持ち、おじいさんの死を待っている少年達の心情や行動がおじいさんとの交流を通して徐々に変わっていく過程が作品を読ませるのかな。生まれた環境も性格も違っている3人の少年、どこかでつながっている友だち関係もおもしろいです。3人がおじいさんの家で水を巻き虹が出る場面、おじいさんが用意した丸ごとのスイカに少年たちは驚き、一人はスイカを切る包丁を研ぐために包丁研ぎをとりにいく場面、台風の夜、おじいさんが心配で3人がそれぞれ集まってくる場面など印象に残りました。コスモスは見た目は細いですが、けっこうたくましく台風で倒されてもしっかり花を咲かせます。少年たちが死と向き合う火葬場、怖いというよりも現実を受け止める場面など、湯本さんは子どもの心情がよくわかり作品を書ける人なんだなと思いました。6年生でも読めるけれど、中学生向きでしょうか。1993年の読書感想文全国コンクール課題図書(中学校)でしたね。

アカシア:たいていの作家は、子どもが書けていると大人が書けてない、大人が書けていると子どもが書けてないのかもしれませんが、この著者は両方を書ける人だなと思いました。おじいさんがだんだんに具体的な存在になっていく過程がとてもよく書けています。『闇の底のシルキー』は、本当に死が間近にある子どもだけれど、こっちは死が遠くにある子どもなんですね。あちこちに、うまいなあと思う表現がありますね。たとえばp192の「おばあさんは目をとじてゆっくりとうなずいた。大きくて年取った考えぶかいカエルみたいに」とかね。ちょっとした表現が、常套句じゃなくて、しかもああ、なるほどとわかるように書けてるっていうのはすごいです。

ウアベ:スペインの児童文学の中の日本人像というのを大学院のときに研究したので、この作品はスペイン語版を丹念に読みました。スペイン語とカタルーニャ語で、どちらかがドイツ語から、どちらかが英語からの翻訳なのですが、翻訳だと名字で呼び合う男の子たちの微妙な距離感がでなくて、残念だなって思いました。塾とか説明はしているんですけど。「死を探す3人の少年たち」というようなタイトルがついていて、ミステリーだと思ってしまうとネイティブの人に言われました。今もう絶版になっていると思うんですけど。お葬式で死んだ人の顔を見てすごくこわくなる、あのおじいさんだったら死ぬかもって思って見にいくというのは、私は違和感なく物語に入っておもしろく読みました。遠かった死が、プールでおぼれた出来事を通して鮮明になるところや、それぞれの抱えている問題に踏みこみはしないけれど、互いに大事にしあっているこの世代の子たちの友だちとの関係の書き方など、とてもうまいと思います。10年前ですが、当時小学校6年生だった息子もおもしろく読んだようでした。

レジーナ:小学校の高学年か中学のときにはじめて読んで以来、心に残っている作品です。中学の友人が目を真っ赤にして学校に来たのに驚き、わけを聞いたところ、朝、電車の中で『夏の庭』を読んでいたら、涙が止まらなくなったと言っていたのを、今も覚えています。印象的なのは、亡くなったおじいさんの唇にブドウを押し当てて、「食べてよ」という場面です。嬉しかったことや悲しかったことをもっとおじいさんに聞いてほしかったのに、もうそれができないと気づく場面は、大人になって、大切な人の死を経験した今、よりいっそう心に響きました。シンプルだけど、心を動かす言葉が多いのは、作者の人間性によるところも大きいのではないでしょうか。主人公は、夜寝る前に呼吸の数を数えているうちに、自分が死んでしまうのではないかと恐れを抱きますが、そうした死への恐怖心は、身近な人の死を知らない幼い子どもでも、本能的に感じると、詩人の工藤直子さんが自身の生い立ちや息子さんのことを書いたエッセイの中で語っていました。副題の “The Friends” は、子どもの目にはお洒落に映りますが、なくてもいいのではないかと、今は思います。

タビラコ:ついでに。おじいちゃんと種屋のおばさんがいっている「ユキオコシ」っていう花、ネットで調べたら、とってもすてきな白い花でしたよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年10月の記録)


クラバート

オトフリート・プロイスラー『クラバート』
『クラバート』
原題:KRABAT by Otfried Preussler, 1971
オトフリート・プロイスラー/著 中村浩三/訳 ヘルベルト・ホルツィング/絵
偕成社
1980

版元語録:クラバート少年は水車場の見習いになり、親方から魔法を教わる。3年後、自由と少女の愛をかちとるため、親方と対決を迫られる。

アカシア:好きな作品です。前に読んで、今回また読んでみたんですけど、独特の雰囲気を持っていますね。伝承の物語を作家が脚色して書いたものですが、子どもの読者にはわからない部分もありますね。粉屋とか水車小屋はいろんな象徴的な意味合いを持っているけれど、日本の子どもだとドイツの子どものようにわからないかなと思いました。雰囲気のおもしろさは日本の子どもも楽しめるでしょうけど。訳に少し補いがあると、その辺のおもしろさがもっと伝わるかな。

レジーナ:小学校6年生のときから、何度も読み返した作品です。アウグスト殿下との密談や、デカ帽伝説など、もとの伝説にプロイスラーがつけ加えた部分は作品全体の流れの中で唐突な印象を与えますが、それでも読ませてしまうのは、物語の力ですね。『闇の底のシルキー』もそうでしたが、これ以上進んだら帰れなくなるというぎりぎりの深さまで突きつめた少年が、最後にふっと現実の世界に戻り、大人としての人生を生き始める物語です。そうした刹那的な危うさに、少年特有の成長のあり方を感じました。

カイナマ:これを読んで最初に思い浮かんだのは、シューベルトの歌曲「美しき水車小屋の娘」です。ドイツ的なお話なんだろうなと思いながら読みました。実際はヴェンド人というドイツ的世界とはまた異なった文化圏の伝説だそうで、おもしろいですね。ストーリーとしては飽きさせずおもしろく読ませると思います。最後は少女とクラバートとの愛。目隠しをされたけれども、心配している心が伝わってこの人だと分かったというのは、いい終わり方だなと感心しました。歴史的には北方戦争の時代の話とか。ちょっと調べてみる必要がありそうです。親方のもう一つ上の大親分の存在など、よく分かりません。最後に予想外のことが起きて、読者をドキドキさせ最後はうまくいくというのは、いい物語のおさめ方だなと思いましたね。

ウアベ:物語としてすごくおもしろい、何年もかけて書いたとありますが、書き込まれた物語だなと思いました。今の日本とは遠い世界のことだけれど、景色とか水車小屋の様子とか情景が浮かんでくるのがよかったです。食べ物にありつけるというので水車小屋に行くんだけれど、親方が魔法使いだということとか、1年にひとりずつ死んでいく意味とか、ユーローの2面性とか、読むうちにわかっていくのがおもしろい。地位にしがみついている親方の、自分中心のあり方は政治家みたいですよね。終わり方が小気味よいというか、娘がよくやってくれたなって、物語として安心できてよかったなって思いました。

タビラコ:たしか1980年ごろに初めて読んだとき、とても感動して、こんなにおもしろい本はないと思ったのを覚えています。今回、なんであんなに感動したのだろうと思いつつ読みかえしたのですが、やはりプロイスラーの卓越した「物語る力」なんですね。それから、自然の描写や、日本ではなじみのないキリスト教のお祭りといったドイツ的なものに魅了されたのだと思います。もちろん、伝説の力もありますけれど、それをこれだけ自分のものにして書き切るとは、やはり素晴らしい作家だとあらためて思いました。いま、ウアベさんから政治家の話が出ましたけど、私も読みながら政治家のあの人やら、この人やらの顔を、親方の顔と重ねていました。二言目には、強い日本とか、いざとなったら戦争も辞さないといいながら、自らは戦地に行くこともないのに若者を戦争に、死に追いやる危険にさらしている人たちのことです。昔話は、いろんなメタファーとして読めることから語りつがれ、読みつがれてきているのだと思いますが、この物語もいつまでも読みつがれていってほしい1冊だと思います。昔は、最後の愛の力で死や悪に勝つという結末に感動したのですが、今回はたぶん歳のせいでしょうか、結末に至るまでの物語に魅せられました。

レジーナ:『夏の庭』には骨を拾う場面がありましたが、『クラバート』は、遺体を埋める文化の中で書かれた作品ですよね。東洋や西洋の死生観が、児童文学の中にどう表れているかを考えていくと、おもしろいのではないかと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年10月の記録)


闇の底のシルキー

デイヴィッド・アーモンド『闇の底のシルキー』
『闇の底のシルキー』
原題:KIT'S WILDERNESS by David Almond, 1999
デイヴィッド・アーモンド/著 山田順子/訳
東京創元社
2001.10

版元語録:寂れた炭鉱町にこしてきた僕は、風変わりな少年に誘われ、死という名のゲームに加わる…。英国児童小説界の新鋭が、不思議な世界を見た2人の13歳の少年を描く物語。

カイナマ:おもしろく読んだって言えばおもしろく読みました。廃坑になった炭坑の町を舞台に、かつて炭坑の事故で死んだ子たちの名前が彫られている中に全く同じ名があるというのはちょっとドキっとする設定です。物語としてはよくできてるなあと思いました。死のゲームっていうのは時代や場所が違っても、子どもたちはよくするものなのでしょう。そして13歳で死んでしまった子どものたちの姿が見えるというのも、なんだかスッと受け入れやすく書いてあるように思います。ジョン・アスキューという問題を抱えた子を救う物語でもあるし、キットが自分の存在を確認する物語でもあるのかなと思います。最後おじいちゃんが亡くなるんですけど、そのおじいちゃんにかわいがられた女優志望の娘アリーも、人物がよく描かれているなと思います。

プルメリア:最初に書かれていた「時計の針を戻して・・・」を読んで、神隠しから戻ってくる話なのかなと思いましたが、まったく違いました。茶色く色あせた本、字も細かくて読みにくいなと最初作品を手にした時思いましたが、1章があまり長くなく次の章を読みたくなるような終わり方。死のゲームがあり、途中からラクの冒険物語があり、怖い存在のシルキー少年がときどき出てくる。重たい部分があっても明るさがある作品に惹きつけられて一気に読みました。登場人物では少年のおじいちゃんにすてきな印象。読み終えたとき、重い作品というより大きな山を乗り越えたおだやかなさが残りました。同じ作家の『パパはバードマン』(金原瑞人訳 フレーベル館)は、絵はすてきでしたが難しかった。でも今回の作品では、この作品がいちばんよかったです。残念なことは、出版されて10年あまりなのにこんなに紙が変色していると手にとられにくいかな。

アカシア:ストーリーが単純ではないですね。テーマの一つは死だと思いますが、とても重層的に描かれています。現実世界ではおじちやんが死に向かっていて、子どもたちは死のゲームをしていて、アスキューは自分は死のうとある時点で思っているわけだし、それにキットをひきこもうとしているわけだし、キットはラクの物語を書いて乗り越えようとしているし、アリーは「雪の女王」という子どもを死に誘う物語の役をしている。そういうものが複雑にからみあっているので、それがおもしろいところだなと思いました。この作家はリアリズムともつかず、ファンタジーともつかない部分がありますね。シルキーという不思議な存在が出てきて、それがリアリズムの中に入り込んでくる。そういうところが、ほかの作家と違う、おもしろいところだと私は思いました。

レジーナ:これ以上進んだら、死の世界に足を踏み入れてしまうというぎりぎりのところで子どもたちを救うのが、目に見えないものの存在なんですね。おじいさんが炭鉱夫というのは、アンモナイトなどの太古の遺物が入り混じった闇を旅するタイムトラベラーだと語る場面がありますが、死の世界を行き来しつつあるおじいさんもまた、過去の記憶をたどるタイムトラベラーの段階にあります。そのおじいさんによって、炭鉱に象徴される闇の中にいるキットが助けられ、新たな人生を生き始める過程が、美しい寓話として描かれています。ラクの物語も心に残りました。キットは、ラクの物語を自分の物語として語ることによって、過去と現在、想像と現在、闇と光をつないでいくんですね。それと対照的なのが、闇の底をのぞきたいという欲望は危険なことだと考える校長先生です。しかし子どもは、一度心の闇に入って、子どもとしての自分を殺すことで、大人になっていく。一方、女の子のアリーは、『雪の女王』を演じることで、そこまで危ういところまで踏みこまずに、成長のプロセスを上手に乗り越えているように感じました。

タビラコ:思春期の人たちが半ば暴力的に死に近づいていくというのは確かだと思うけど、男女の差があるのかしら? それはともかく、アーモンドの作品には『肩甲骨は翼のなごり』(山田順子訳 東京創元社)もそうだけれど、とても魅力的な女の子が出てきますが、この作品のアリーも生き生きとしていて魅力的ですね。わたしがアーモンドの作品を読んでいつもすごいなと思うのは、登場人物の内面を深く掘りさげて書きながら、とても大きな世界を同時に描いていることなんですね。『火を喰う者たち』ではキューバ危機、この作品も太古の大陸が一つだけだったときのこととか……。ただ、翻訳は、とても難しい作品なんだろうなと思います。おじいちゃんが「闇」について語るところなど英語ではdarkness だけど、「闇」っていうととたんに深遠で、高尚な感じになってしまうし……。

ウアベ:すごく重層的で、情景や人物描写が本当にうまい。優等生じゃない人たちの描き方がうまくて、人物が魅力的だと思いました。生命とか生きることの不思議、人間の存在の不思議、時間が積み重なっていくことか、表面的ではなく、深いところまで入っていく感じがしました。それと土地の雰囲気。炭坑あとの、夜になると真っ暗になりそうな荒野の感じがすごく伝わってきて、真っ暗な穴の中にふとシルキーが浮かび上がってくるイメージがすてきだなと思いました。日常の中にふと不思議な物がでてくる、現実に足がついているからこそこういうファンタジーが生まれるんだと思いました。貧しい人々が多いラテンアメリカではプリミティブなものから発生したファンタジーはあっても、ハイファンタジーは生まれにくいとこのごろ思うのですが、アーモンドの作品は土地に根ざした感じに類似性を感じました。

アカシア:ハイファンタジーというのはどんなのですか?

ウアベ:この世界とは別の1つの世界をつくって、その中で現実ではない物語が展開するというようなものじゃないですか。それから、p145「だから、あたし、演じるのが好きなんだよ、キット。魔法みたいだもん。」の書き方が好きだなって思いました。この子は演じることで、そして主人公は書くことで救われているんだろうなって思って。それにアスキューの描き方を見て、この作家はいろんな人を見て生きてきた人なんだろうなって思いました。こういう人物はなかなか描けないでしょう。アスキューのお父さんは、アスキューが自分を認めることができなくなるくらい、ひどい行動をとってきた人なのに、最後は希望を見せてくれてますね。

タビラコ:アスキューの一家も、お父さんは飲んだくれで暴力的だしどうしようもない荒んだ家族だけれど、周囲の人たちが排除しないで、それとなく見守っているという感じがいいですね。

ウアベ:人生の複雑さが垣間見える小説ですね。

カイナマ:さっき校長先生の話が出たけど、イギリスの学校の先生はムチを振るったりして厳しいんでしょ。

アカシア:昔はそうでしたが、今は違うんじゃないでしょうか。

カイナマ:学校の先生という点から見ると、校長はアスキューなんかに近寄るな、とはっきり言い、事件後には放校処分にしちゃう。一方芝居に力を入れる子、絵の才能がある子は先生としても認めている。やっぱりある種の枠があって、そこから外れるのはだめっていう判断は、今でもあるでしょう。アスキューのような生徒はきっと今でもいて、学校という組織が救うのは難しいんじゃないかな。残念ながらその子のよさを認めて伸ばしてやれない生徒がいるというのは今もありますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年10月の記録)


鷹のように帆をあげて

『鷹のように帆をあげて』
まはら三桃/作 
講談社
2012.01

版元語録:風を切って上昇気流に乗ってどこまでも高く飛んで…飛べない鷹と不器用な少女が翼を拡げる日はきっとくる。九州の空を舞台に、猛禽に心奪われた女子中学生が鷹の「帆翔」をめざす青春小説。

ハリネズミ:ちょっとここはどうなのかな、と思う点がいくつかありました。たとえば、不思議なおばあさんの登場は必要だったのだろうか、とか、同じクラスの根本舞子ちゃんが理央がリストカットをしているのではないかと疑ったり鷹を飼っているのを知らなかったりするのは不自然じゃないか、とか。小さな町という設定だと思うので、理央が毎日鷹を腕にとまらせて外を歩いていれば、すぐにみんなに知れ渡るんじゃないでしょうか? それから、死んでしまった遙ちゃんですが、その後は手袋が登場するだけで、理央が遙のことを思い出したりすることがないため、重い心の傷になっていることがあまり伝わってきません。でも、全体としては、とても好感を持っておもしろく読みました。理央が徐々にモコを知っていき、悩んだり、考えたり、工夫したりする姿がとてもよく書けています。しかも鷹なので単なるペットではなく、野性的な面も活かしていかないといけないということで、人間と動物との間の距離を考えるにもいいなあ、と思いました。鷹を飼ううえでどんな工夫をしていったかが具体的に書かれているので、読者も物語の中に入り込めます。会話が福岡弁でかわされているのもいいし、実在の石橋美里さんがモデルだという平橋さんもとてもさわやかですてきでした。

紙魚:きっと作者は、おばあさんは不思議な存在のままにしたかったのではないかと思います。理詰めではなく、どこかで何か、不思議な力が働いている物語にしたかったのではないかと。

タビラコ:さわやかな、いい作品だと思いました。なにより福岡弁で書かれているのが、魅力的。その地から生まれた言葉の力を感じました。魚住直子さんの『園芸少年』(講談社)もそうでしたけど、ものを育てていく過程が詳しく書かれているところがいい。これを読むと、ペットの犬やネコを飼うのが、なんだかやわなことに思えてきて。おもしろかったのは、鷹匠がカラスの被害を防ぐという社会的な活動をしていること。この作品を読むまで知りませんでした。ただ、冷凍のヒヨコを食べさせるところは平気だったけど、食用のカラスを輸入するというところで、ちょっと引いてしまいました。でも、よく考えれば猛獣や猛禽類を飼っている動物園などでは当然のことで、現場から遠いところにいる私のような人たちが気づかないか、気づかないふりをしているだけなのよね。そういうところまで、きっちり書きこんでいるところがいい。そういうところで引いてしまう私は、まだまだ修行が足りん!と思いました。

ハリネズミ:そういう部分を気持ち悪がる人はいると思いますが、この間私はゲイハルター監督がつくった「いのちの食べかた」っていうDVDを見たんですね。人間の食事が見えないところでとんでもないことになっているのが、よくわかりました。人間は、チャップリンの「モダン・タイムス」に出てくるようなことを、命あるヒヨコでも、牛でも豚でも野菜でもやってるんです。冷凍のヒヨコや生きたカラスを鷹に食べさせたりするのは、それに比べればずっと自然です。

レン:この女の子が鷹を飛ばせられるだろうかというのと、友だちの死を克服できるかという二つのストーリーにひきつけられて一気に読みました。さわやかで感じのいいお話。三人称だけれど、かぎりなく理央ちゃんの気持ちに近い書き方ですね。康太もいろいろな思いを抱えて物語を持っていますね。お母さんとのことや、だからこそお寺のことを一生懸命やるとか、この子の話でもうひとつ小説が書けそうなくらい。でも、これは理央ちゃんの話だから、あまりつっこまずに、さらっと流しているんでしょうね。理央ちゃんが、一つ一つ発見しながらやっていくのがいいですね。うまくいかなくて、人にきいてみると向かい風の方が飛びやすいと教えられるところなど、とてもいいと思いました。

レジーナ:昨年、まはらさんの『最強の天使』(講談社)を読みましたが、より完成度の高い作品に仕上がっていると感じました。「帆飛」というタカ特有の飛び方や、「向かい風が吹いていた方が飛びやすい」など、人の人生に通じるような細々とした要素が盛り込まれている作品です。康太にとっての向かい風が、養子として育った生い立ちというのは、エピソードとしては少し弱いようにも思いました。理央が友人の死を乗り越えるきっかけをくれるおばあさんの存在が唐突で、結末まで読み進めても、よく理解できませんでした。また平林さんの描写ですが、主人公のロールモデルとなる人物なので、もっと目の内に映るようにいきいきと描いてほしかったです。

プルメリア:すごくおもしろかったです。主人公理央が鷹匠を目指す過程と、亡くなった友だちへの思いがこの作品にあり、二つが平行しながら進行していくストーリーとして読みました。話題になっているおばあさんの言葉は、少年にとっては産みの母とのふんぎり、主人公には友だちとのふんぎりになっていると思います。お友だちが寺に来たとき、「こ、こ、こ」と言った場面、この子は康太のことを言ったと思うんですけど、理央には鶏の鳴き声に誤解されて、すぐ誤解は解けますが、かわいいな、と。お寺の日常生活が書かれていたのでお寺さんにちょっと親しみを持てました。お友だちにかえしてあげようと、鷹が手袋を持っていく場面、いい終わり方だと思いました。

サンシャイン:「鷹匠」の話というので興味深く読みました。小説の中の中学生と、実在する高校生の鷹匠の交流など、流れはいいと思いました。「鷹匠」というと思い出す作品があります。戸川幸夫の『爪王』(国土社)です。鷹と鷹匠の戦いなんですね。暗いところに1週間置いておいて飢えさせて、鷹匠が与える生肉を食べるかどうか。それが印象が残っているので、それとの関連でとらえると、現実の高校生の実話の方に確実に力があります。正直言って、フィクションのお話の主人公の方が、どうしても弱い。新しい友だちが出てくるけれど、同じ街の中のこととして、友だちが死んだことくらい、知っているだろうとか、街中で鷹を腕に乗せて歩いていたら、みんな知っているだろう、だから腕の傷を見て「リストカットしたの?」という質問も嘘くさい。結末の手袋が消えてなくなるあたりも、筆者にファンタジーの発想があるんだろうと思うんですね。ファンタジーよりも現実の話の方が圧倒的に力があると思います。

タビラコ:でも、フィクションがノンフィクションを超えることは、よくあることだし・・・。

ハリネズミ:私は、実在の高校生の石橋さんが、この物語では、平橋さんの中だけでなく、理央の中にも、かなりの部分、入り込んでいると思いました。平橋さんと理央と、二人が一体になっているような気がします。

レン:実際の鷹匠の女の子は強さがあるのでしょうけれど、誰にもまねできないような人のことを書いても、普通の中高校生は、あの人は別だと思ってしまうのではないかしら。でも、理央ちゃんが、何気ない出会いから新しいことをはじめ、自分なりに進んでいく姿は一般性がありますよね。そして、あきらめないでやっていく。これはこれなりに意味があると私は思います。優等生の物語というか、この人だからできるんだろうというのではなくて。

紙魚:作者のまはらさんは、この作品の前に、中学校弓道部を舞台にした『たまごを持つように』(講談社)、工業高校機械科を舞台にした『鉄のしぶきがはねる』(講談社)を書いていて、この『鷹のように帆をあげて』と同様、現実を取材したうえでフィクションを書きあげるという方法をとっています。3作とも、物語を読んでいるうちに、弓道、旋盤、鷹匠という知らない世界について、自然と知っていくという経過をたどります。どのくらい現実を注ぎこむのがいいのか、その塩梅は難しいと思うのですが、中学生の読者が読むには、難しくなりすぎず、自然に物語を楽しめるというようになっていると思います。それから、一概にはいえないかもしれませんが、それなりに年齢を重ねている作者が書く作品というのは、自分のことをわかってほしくて書くというよりも、他者に思いを寄せて書くという姿勢が強くて、安心して読めるような気がします。

レン:女性の書き手だと、4、50代で、子どものために書くんだという覚悟を持っているなという人を何人かあげられるけれど、男性だと60代以降はいても、それ以下だとすぐに思い浮かばないんですよね。売れると、大人の作品に行ってしまうのか。残念だし、これからどうなるのかと思います。

*この後、誰かが「絵本はいるけどね」と言い、一同、「そうそう」という会話がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)


海辺の宝もの

ヘレン・ブッシュ『海辺の宝もの』
『海辺の宝もの』
原題:MARY ANNING’S TREASURES by Helen Bush
ヘレン・ブッシュ/作 鳥見真生/訳 佐竹美保/絵 
あすなろ書房
2012.04

版元語録:メアリーは、ちょっと変わった女の子。学校は好きじゃないし、友だちと遊ぶのも嫌い。好きなのは、ひとり海辺を歩くこと。そして、とうさんから習った「変わり石集め」をすること!でも、そんなある日…。12歳の少女の世界的な大発見。世界初の女性化石採集者メアリー・アニングの数奇な運命をたどる伝記物語。

レジーナ:今回課題となった3作品は心に残るものが多かったです。この作品は、はじめて知りました。最初は、「悪魔の二枚貝」と呼ばれていた貝が、後になって正式な名前が明かされるのがおもしろく、挿し絵もわかりやすかったです。福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社)に、「石には生物の痕跡がないけれど、貝には命の名残りが感じられる」とあったのを思いだしました。この作品でも、主人公は父親の死を経験するので、大切な人の死を経た主人公が、大昔に命を宿していた貝を集めるということの意味まで含めて書いてほしかったです。そこまで描ききれていないのは、作者が科学者だからでしょうか。割ってみたら、隠れていた美しい模様が外に現れたり、何度も同じアンモナイトを見つけたり、人生そのものに重なるようなエピソードはたくさん埋まっているので、もっと掘り下げていれば、さらによかったのですが…。ジェーン・オースティンも、同じ場所を舞台にしているので、学生時代に英文学の授業で『エマ』を読んだときのことが、心に浮かびました。「かわいいメアリー」という訳には違和感をおぼえました。

プルメリア:今回の選書担当は私です。以前読んだ『メアリー・アニング: 物語化石を見つけた少女』(キャサリン・ブライトン著 評論社)がおもしろくて、恐竜の化石を見つけたことが主だったのですが、この作品は別で、佐竹さんの絵、表紙を見て、手に取りました。いろいろな化石の挿絵があり、各章のタイトルもすてき。挿絵から生活様式がよくわかるので、子どもにもわかりやすい本。主人公メアリーは、同年齢の友だちがいなくても平気な子で、大好きなお父さんの仕事を手伝う。石集めのその楽しさが伝わってくると同時に、お父さんから海のことを教えてもらい、海の怖さがいろんな場面から伝わってくる。化石を見つけたことだけではなく、周りの大人たちに助けられたり、同年齢の子と仲良くなったりすることもほほえましい。1965年に書かれた作品なのに、今読んでも読ませるのは、作品がいいからでしょうね。

ハリネズミ:物語としてはなかなかおもしろかったし、人々の生活感や思いは生き生きと伝わってくるし、海辺で見つかるものにも興味がわくと思ったんですけど、大きくひっかかったところがあります。それは、主人公のメアリーが、「宝物」だけで満足していて、自分は科学者になろうとは考えないこと。そのあたり、たとえば『ダーウィンと出会った夏』(ジャクリーン・ケリー著 斎藤倫子訳 ほるぷ出版)の主人公キャルパーニアの方がずっと魅力的だし、新しい。たぶんイギリスが階級社会であることが災いして、当時の労働者階級のメアリーは科学者にはなれなかったんだと思うんです。原文は見てないのでわかりませんが、実生活ではメアリーやその家族が使っている言葉と、学者やヘンリー・デ・ラ・ビーチやお得意さんの紳士淑女が使っている言葉は明らかに違うはずです。でも、そのあたりは訳文からはうかがえません。そうなると、日本の読者たちは、なぜメアリーはヘンリーと結ばれないんだろうなんて、不思議に思うかもしれませんね。

サンシャイン:興味深く読みました。作者は、メアリー・アニングという人物を知ってもらおうと思って、創作という形で書いたんだと思います。家族それぞれの化石への興味の持ち方が違うあたりとか、それぞれ書き分けられています。少し一般論になりますが、タイトルの原題は“Mary Anning’s Treasures”で、原題には固有名詞が出ているのに、日本語訳すると、固有名詞をはずして邦題をつけることが多い。もともとの原作は、個人というものを前面に出そうとしているのに、日本では個々人というようには見ていないのではないか。人間観が違うからでしょうか。例えば、邦題は忘れましたが、“Nathan’s Run”というのがありました。ネイサンは単なる主人公の固有名詞なんだけど、この本については、歴史上の人物なのだから、伝記に近いわけで、例えば副題に「メアリー・アニングの生涯」と入れるべきだと思いました。作者が、メアリーの存在を読者に知らせようと思って書いたわけだから。

ハリネズミ:東京ではそれほどカタカナ名前に抵抗はないのかもしれませんが、地方に行くとカタカナの名前が書名にあるだけで読まれないと聞いたことがあります。たとえば滋賀県の図書館のある館長さんは、とても工夫がじょうずで、転勤先の図書館をどんどん改革していくのですが、この間お話を聞いたときには、外国の作品、日本の作品と書架を分けると、子どもは日本の作品しか読まないので、童話や児童文学は日本のも外国のもいっしょにして著者の五十音順に並べたっておっしゃってました。それくらい、外国のもの敬遠されちゃうんですね。だから、なるべく多くの子どもに読んでほしいなら、書名や表紙のデザインは日本の子どもたちが手に取りやすいように工夫する必要があると思います。  ハリネズミ:鈴木先生は、欧米では個人にこだわるっておっしゃいましたけど、そうとばかりは言えません。たとえば、日本の絵本を翻訳出版するとき、欧米では主人公の名前を平気で自分の国の子どもの名前に変えちゃったりしますからね。アジアでもそういうケースがあります。

タビラコ:名前の持っているイメージまで翻訳で伝えるのは、とても難しいわよね。翻訳で越えられない壁のひとつというか……。たとえば、ハリポタの「ハーマイオニー(Hermione)」だって、とても古風な名前なのでイギリスの子どもたちのなかにも読めなかった子がいたとか。「ハーミ・ワン」と読んでいたそうです。

プルメリア:読めない子どもたちには、「毎日少しずつでも読むと、楽しく読めるよ」とすすめています。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)


図書室からはじまる愛

パドマ・ヴェンカトラマン『図書室からはじまる愛』
『図書室からはじまる愛』
原題:CLIMBING THE STAIRS by Padma Venkatraman
パドマ・ヴェンカトラマン/作 小梨直/訳 
白水社
2010.06

版元語録:1941年、インド。お嬢さまとして育ったヴィドヤは、父親のけがで生活が一変、苦しみの毎日に。しかし、禁じられた図書室に忍び込んだことから、運命が変わっていく。愛と成長の物語。

レン:よくありがちな古風な話だと思ったけど、ヴィドヤが最後どうなるのかに惹かれて読みました。いちばんおもしろかったのは、インドでずっと暮らしていた作者らしく、インドの暮らしぶりとか衣服とか食物、家族の関係、社会の様子が書かれているところ。でも、物語には疑問も残って、事故のあとでお父さんの実家が移ったときに、なぜこのおじいさんはもっと早くにヴィドヤに手をさしのべてくれなかったのかなと。最後、大学に行かせてもらえてよかったですけど。

ハリネズミ:おじいさんは、日常の些末なことには気をとられない暮らし方をしてるから、気づかなかったんじゃないの?

レン:でも好きな場所もあって、たとえば最後にお兄さんが、お父さんの考えを理解しながらも軍隊に入るとこと。家族で理解し合いながらも進む道が違うというのはおもしろいなと。それから、図書館で出会ったラマンにノートをもらって、ノートを書き始めるp134の場面。どこにも持っていきようのない自分の気持ちを文字にすることで解放されていく感じが、よく出ていると思いました。でも全体的には、すごくおもしろいのかというと、そうでもないかな。真面目くさくて。この子があまりにもいい子だからか。苦労して苦労して、「おしん」みたいな雰囲気。大人向けに出されているし、日本だと高校生は手にとるのかなと思いました。

タビラコ:どうなることかと思いつつ、一気に最後まで読みました。食べ物や衣服の描写がとても魅力的でしたね。ただ、いちばんひっかかったのは、いちおうカースト制度に言及しているところもあるけれど、結局は恵まれた人たちの話なのでは?ということ。それはそれでいいのだけれど、もう少し社会全体を感じさせる、奥行きのある書き方をしてほしかった。それよりなにより、タイトルが気になって……。

レジーナ:私もそう思いました。映画のタイトルにありそうですよね。

タビラコ:この「愛」って、なんなんでしょうね? 階段を上がったらすばらしいものがあったということだから、本に対する愛なんでしょうけれど、思わせぶりで、ずるい。

レジーナ:非常に深く読むとすれば、自分の人生を丸ごと受け入れる「愛」なのかとも思いましたが・・・。

ハリネズミ:この本は、出てすぐに読んだんですけど、主人公が好きになれませんでした。今回、みんなで読もうということになって取り出してきたんですけど、内容をほとんどおぼえていなくて、もう一度読み直しました。第二次大戦の影響を受けつつあるインドの状況はわかるし、お金持ちのインド家庭の様子もわかる。表紙とカバーが違うなど、本づくりにも工夫がある。でもやっぱり、私は主人公のヴィドヤに好感を持てませんでした。だってね、自分のせいで父親が大けがを負ってしまったという自責の念があると言いながら、父親のことを始終気にかけるわけでもなく、平気で「脱け殻」と言ったり、「いっそ死んじゃってくれてた方がよかった」なんて言うんですよ。それにヴィドヤは、保守的な伯父に対してリベラルな自分の家族の方がいいと思ってはいるけど、カースト制度そのものに根本的な疑問を抱いているわけではなく、ちょっと生活のグレードが下がると不平ばかりこぼしています。ビクトリア駅でおじさんの荷物をクーリーに運ばせる場面がありますが、白人の少女から自分がクーリー呼ばわりされると、かんかんになる。自分はもっと上の階級なのだと、主張しているだけのようにとれます。登場人物はすべて類型的で、ひとりひとりが一定の役割を持たされている感じ。恋人のラマンにしても、ハンサムで優しいという以外には、人物像が浮かび上がってきません。生きている存在として迫ってこないから、インドを舞台にしたハーレクイン・ロマンスみたい。それに、ヴィドヤが好きになる本にしても、タイトルは出てくるけど、どんなふうに影響を受けたかは出てこないので、表面的です。今回の3冊の中で、いちばん残念な本でした。

レジーナ:ヴィドヤは、 M.M. ドッジの『銀のスケート』を読んでいて、記憶をなくした父親を持つ主人公と自分を重ねているんですけど、本との出会いを通して、自分の問題をどう受け入れていったかは、書かれていないんですよね。

プルメリア:映画のパンフレットみたいな表紙。インドの本を初めて読みましたが、インドからイギリスを見る視線が出ているなと思いました。おばさんのいじわるな言葉をはねのけながらたくましく生きていく様子が、わかりやすく書かれている。最初の場面で、お友だちにお父さんが非暴力運動に関わっていることを話してしまうシーンがあります。この時代に他人に話すことは絶対にいけないことなのに、いつお父さんの正体がばれるか、すごく心配で、読み進めるのがこわかったです。その友だちとは別れるのだけど、少女の浅はかなひとことに、どきどきしました。図書館は2階で、女の人は行ってはいけないから、入れないのかな。利用者が少ないのはもったいない。おじいさんが本を集め、自分の子どもである(少女の)お父さんも利用したのでしょうが、いろんな文化的なものがあるのに、図書館を広めないのは、読む人がいないからでしょうか。

レジーナ:昔の王族のように、読むための本ではなく、権力の象徴や財産としての本なのでしょうか。

レン:家の中でも、男の人は行ってもいいけれど、女の人が行けないところがあると書かれていますよね。

プルメリア:女の子でも学問の志を持てる時代かな。少女は、学びたいという気持ちがあって、大学に行きたいという気持ちを持っている。

ハリネズミ:この家族は、いちばん上の階級ですからね。

プルメリア:身分制度で?

ハリネズミ:だから、図書室を一般の人たちにも開放しようなんて、ありえない。食事のお皿だって、下の階級のメイドさんが洗った後、もう一度家族の者が洗い直してるんですよ。身分差別だけじゃなくて女性差別もあるから、女は2階には行けなかったのよね。

タビラコ:男の人の上に登っちゃいけないってことかしら。それだったら、平屋にすればいいのね(笑)。

プルメリア:最近、テレビでインドの暮らしが紹介されていましたが、インドは、階級が、今でも残っていました。

レジーナ:原題の“Climbing the Stairs”を見たときに、マリア・グリーペの『エレベーターで4階へ』(山内清子訳 講談社)を思い出しました。これは、スウェーデンを舞台に、母親が住みこみの家政婦として雇われたことで、主人公もその屋敷で暮らすようになり、生まれてはじめてエレベーターに乗って、新しい世界を知っていく物語です。『図書館からはじまる愛』も、階段を上がった先にある図書室で、新しい世界に触れる点に意味があるので、「愛」という大きな概念でまとめてしまった題名には、違和感があります。裕福に育った少女が、食べるのに困らない環境で、意地悪な人々と暮らすという設定は、『小公女』のようですね。最後の方のp240で、平和や愛についてのタゴールの言葉に触れていますが、この1節だけでも、とても深い内容を表しているので、主人公の人生と重ねて、作品の中でもっと使うこともできたのではないでしょうか。イギリスとインドの問題を考えたときに、ロザムンド・ピルチャーの“Amita”という短編が思い浮かびました。登場人物のひとりで、裕福でハンサムな青年が、家族の反対を押し切って、フランスとインドのハーフの女性と結婚するのですが、青年は、その経験を通して、人間性を深め、成長していきます。『図書館からはじまる愛』も、ヴィドヤが変わっていく様子が描かれていればよかったのですが…。p36のヒンズー教の説明は興味深かったです。

サンシャイン:本を買う前に、インターネットであらすじを読み、すっかりお父さんが死んでしまうと思ってしまっていたら、読んでいて、お父さんは死なないんだと気づき、人間というのは、最初の思い込みにけっこう限定されちゃうもんだなと思いました。怪我をして、口もきけなくなったお父さんを家族で抱えながら、という展開は、予想もしなかったので、お話としてはよくできていると思いました。結局、お父さんが生ける屍になってしまったのは、自分が原因だと主人公が思っていて、それを人になかなか言えずに心の中に抱えているわけです。主人公のお嬢さんにとって、重い心の負担。『兵士ピースフル』(マイケル・モーパーゴ著 佐藤見果夢訳 評論社)という物語で、弟が、自分のせいでお父さんが死んでしまったと思っているけれど、人には言えなくて、兄が殺される直前にやっと言える。兄さんから、「お前が殺したんじゃなくて、とうさんを殺したのは木なんだ」と言われて弟が救われるという話がありましたが、パターンとしては似ている。物語の最後で、「お前のせいではないよ」と言われることで救われる。

ハリネズミ:ヴィドヤは、苦しんでいるというより、かっとなって言い返すという反応しかしてないから、共感しにくいですよね。

タビラコ:お父さんが非暴力運動をしていることを、学校で友だちに打ち明けてしまうところが不思議だったんですけど……。

サンシャイン:インドにおける抵抗運動というのは、朝鮮における抵抗運動や、フランスのレジスタンスとは形が違うのか? 私は、素直に、戦争中のインドはこうだったのかなと、受け取りました。お祭りがどうだとか、描写が細かかったものですから。主人公うんぬんよりも、当時のインドの姿はそうだったのかなと読みました。戦争に行くお兄さんに会いに行くときに、インドの庶民の場に行ってしまいますよね。歴史小説っていうと変ですが、戦争中のインドの現実の姿はこういう感じだったのかとイメージができました。

レジーナ:ドキュメンタリーみたいですよね。

サンシャイン:題名はあまり感心しませんでした。

レン:男女差別があって、女性はスポーツもできず、外国にも行かれない、この時代のインドで、普通の女の人のようには生きたくない女の子の話だというのはわかりますよね。

レジーナ:お医者さんになるという道を選ぶまでの心の動きを、読者が納得できるように描いてほしかったです。

プルメリア:少女が『銀のスケート』を読んだときに、父親を治すためにお医者さんになりたい予感がしました。

ハリネズミ:お父さんのこと、死んじゃえばいいなんて言っているのにね。取ってつけたみたい。よく作家が、書き始めると勝手に登場人物たちが動き出すって言うじゃないですか。この作品は最初に図式があって、最後までその図式どおりにしか人物が動いてないんじゃないのかな。

レジーナ:フィクションではありますが、家族の歴史を記録したドキュメンタリーのような作品を書きたかったのかもしれませんね。

サンシャイン:お兄ちゃんが、父親が考えていた非暴力ではなくて、必要な時は戦わなければだめなんだという考えを持ったのは、いかにもアメリカ的ですね。

タビラコ:アメリカ人の読者には、受けるでしょうね。私は、同じ抵抗運動をあつかったものとしては、リンダ・スー・パークの『木槿の咲く庭』(柳田由紀子訳 新潮社)のほうが、ずっとよく書けていると思ったけど。

ハリネズミ:これはアメリカ讃歌みたいな終わり方ですね。作品としての迫力がさらにそがれてしまっているように感じます。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)


パパはバードマン

デイヴィッド・アーモンド『パパはバードマン』
『パパはバードマン』
原題:MY DAD’S A BIRDMAN by David Almond & Polly Dunbar, 2007
デイヴィッド・アーモンド/作 ボリー・ダンバー/絵 金原瑞人/訳 
フレーベル館
2011.10

版元語録:父と娘が母をなくした悲しみを乗り越え、「鳥人間コンテスト」を通じて信頼と愛情を確かめあう姿を、ユーモラスに描く。

プルメリア:挿絵がとてもすてきだなと思いました。場面によって文字が大きくなっているところも読みやすいな気がしました。お父さんは、お母さんが亡くなって落ち込んでいて、虫も食べちゃうというのが・・・。最後、コンテストに出場して元気になる。子どもがいつもお父さんに寄り添っていくのがいいし、鳥コンテストに出場する人達が発想豊かでかつユニーク、一生懸命努力する姿がいいなと思いました。最初は読んでいてどうかなと思いましたが、だんだんひきこまれて。お父さんが鳥コンテストに出場することで自分をとりもどしていくのかなと。登場人物がみんないい人っていうのもいいなと思いました。

レンゲ:こんなお父さんがいたら困るだろうなあと、ソフィーに同情しながら読み進めました。けれど、これまでのアーモンドの作品に登場してきた異質な者、普通という枠におさまらない人々と、このバードマンになったお父さんには、どこか共通のものがあって、ソフィーの人生も、やはりこのおかしなお父さんとのかかわりでより豊かになるのも感じられました。ただお話としてはハチャメチャで全然収束しなくて、読み終わってもすっきりしませんでした。ペロペロスースーというのも、ちっともおもしろくないし。

紙魚:読んでいて気になったのは、「ダンプリング」という食べ物。p55の初出で、「くだものいっぱいのダンプリングよ」という1文に突き当たったとき、これがどんな食べ物なのか、さっぱりイメージがつかめませんでした。たとえば、「くだものいっぱいの○○○○、ダンプリングよ」と、少しヒントが加えられていたりすると、もう少しその食べ物への期待が持てたんですが……。

アカザ:すいとんみたいなものよ。

紙魚:パパがどうしてこんなふうになっているのかわからず、この物語をどう読めばいいのか最後までわかりませんでした。充実した満足感は持てなかったです。いいなと思ったのは、章ごとの視点の移り変わりです。章ごとにパパがメインに描かれたり、ドリーンおばさんが描かれたりするんですが、散漫にならずに自然につながっていくのがうまいと思いました。このお父さんは、不思議な威厳もあると思うんですが、絵本『ガンピーさんのふなあそび』(ジョン・バーニンガム作 光吉夏弥訳 ほるぷ出版)のように、風変わりだけどやさしいまなざしを持ち得ているというふうに伝わってきたら、もう少し満足感が得られたのではと思います。

ルパン:『クロティ〜』を読んだあとにこれを読んだのですが、テーマなんだったっけって思うほど、違っていて…そのせいかあんまりお話に入りこめませんでした。ロアルド・ダールに似ている気もしたのですが。ファンタジーなのか、ナンセンスなのか、ブラックユーモアなのか・・・最後まで「?」でした。読みながら、この読書会で何て言おうかってことで頭がいっぱいになっちゃって。これがおもしろくないのはいけないんだろうかとか、よけいな心配ばかりしてました。なにしろ典型的日本人A型ですから。こういう素材で意味不明とかいったらつまんない女に見えるかなあとか、雑念全開でますますわけわかんなくなっちゃいました。このお父さん、お母さんが亡くなって精神的におかしくなっちゃったんだと思うと、どこを読んでも笑えませんでした。唯一キャラクターの中でよかったのは、コンクールがありますよって呼び歩く人。脇役がいいのはうまい作家なのかな、とは思いました。

アカザ:私は、アーモンドの作品が大好きで、たいてい読んでいます。でも、小さい子ども向けの作品を読むのは初めてなので、お気に入りの歌手が新しいジャンルに挑戦したときのファンのように、どうか成功してほしいと祈るような気持ちで読みました。最後まで読んでみて、着地に失敗しちゃったかなと残念な気持ちがしました。この話は、角度を変えてみると悲惨な話ですよね。トールモー・ハウゲンの『夜の鳥』(山口卓文訳 河出書房新社)を思い出しました。あっちが陰とすると、こっちは陽の書き方をしているけれど。お母さんが亡くなって、精神的なダメージを受けているお父さんを、リジーという子がそのまま受け入れて応援していくって話だと思うんですけどね。善意だけれど、応援のしかたが間違っているおばさんや、いい人だけど、あんまり力にならない校長先生や、得体の知れないミスター・プウプや、大人の人も大勢出てくるんだけど、いったいファンタジーなのかリアルな話なのか、作者の意図はどこにあるんでしょうね? 最初はミミズを食べてたお父さんが、最後にはおばさんが作ったダンプリングを食べるというところで、立ち直ったということを表現しているのかな? 大人向けの作品を書いている作家が子どもの本を書くと、よくこういうことになりますよね。小さい人たちは、ファンタジー的なものが好きだとか、ユーモアも散りばめなきゃとか、食べ物を出せば喜ぶだろうとか、いろいろなサービスを考えちゃうんでしょうね。
 この人のYAは『火を食う者たち』(金原瑞人訳 河出書房新社)ではキューバ危機を、まだ邦訳のない『raven summer』は、アフリカの難民の少年をというように、10代の人たちの内的世界と世界的なできごとを結びつけて感動を呼ぶんだけれど、そういうところはこの作品には見られませんね。それから、後書きで訳者が、お母さんの死についてなにか述べているんだけれど、これはなんなのでしょうね? どこか見落としたところがあるのかと思って、もう一度読み直しちゃったわ。

トム:挿絵は現代的でコラージュも、とてもきれい。ただ、絵から読みとることと、物語から読みとることのあいだが微妙に埋まらなくて、ずっと宙にういたまま読み終わったのですけど。もしかしたらイギリスの人がたのしむナンセンスの感覚が私の中にあったらもうちょっと近づけたのか・・・物語は悲惨な話ですよね。陰の部分がとても悲惨でも、淋しさとか虚しさとか悲しさをそのまま差し出さない物語のスタイルと思いますが。悲しいときは、いっそ楽しく乗り越えようという。リジーがお父さんといっしょに鳥になって巣の中で卵を温めたりするところは、想像の遊び大好きな子どもがすっと入っていけるたのしい世界と思います。子どもがその気になれればですが。気になったのは、p57の文中でダンプリングの材料の中に卵が入っているのに、絵に卵がなくて・・・「たまごはどこ?」と聞く子どもが必ずいると思う。こういうところとてもよく見ている子どもがいるはず。それから、まぶしいほどに白いダンプリングって書かれていて、どんなにおいしそうなものかと期待するのですが、絵のダンプリングはややベージュ。パパを元気にするためのダンプリングなのだから言葉と絵と相まって思わず画面に手を伸ばしたくなるようだったらいいのに! あとがきに、「信じる心の大切さがしっかり伝わってきます」とありますが、あまり胸に落ちてきませんでした。

ハリネズミ:アーモンドさんってちょっと普通と違う不思議な人を登場させて物語を展開させていきますよね。でも、この人は特殊なんですって言わないで展開していくのがとても上手な人だと思うんですけど、このくらい年齢層が低い子が対象だと、それも難しいなと思いました。このパパは、変わってます。一方ドリーンおばさんは地に足がついている存在として登場するんだけど、ダンプリングを投げたりするから、子どもが読むと、どこに軸足をおいて読んだらいいか、わかりにくいだろうなと思いました。ずっと浮遊しながら読むのはむずかしいだろうな、と。年齢が高い読者対象なら、それもいいんですけど。この作品は、主にYAを書いてきた作家が小さい人向けに書いたけれど、あんまりうまくいかなかった例じゃないかと思いました。もう少しストーリーをくっきりさせていかないと、子どもの読者には難しいだろうな。たとえばp11でお父さんは「鳥人間コンテストに申込みをするんだ」って、何度も言いますよね。でもp24でプゥプさんが呼びかけても最初は聞いてない。もちろん実際にはこういうことはありうるけれど、小さい人のお話では、逆効果。飛ぼうとするイメージがくっきりしなくなっちゃいます。結局最後まで読んでも、様々なイメージがばらばらでまとまりのある物語には思えませんでした。同じように変わった親が出てくる物語にジャクリーン・ウィルソンの『タトゥーママ』(小竹由美子訳 偕成社)がありますけど、あっちは主人公に寄り添って読めるし、随所にユーモアがあって物語にもまとまりがあります。でも、この作品ではそうじゃない。期待はずれでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)


夜明けの落語

みうらかれん『夜明けの落語』
『夜明けの落語』
みうらかれん/作 大島妙子/絵  
講談社
2012.05

版元語録:人前で話すのがなによりもこわい、4年生の暁音。もちろん、落語なんて、できるわけがない!?19歳の現役大学生みうらかれん、注目のデビュー作! 第52回講談社児童文学新人賞入賞作。小学中級から。

ルパン:よくも悪くも「課題図書っぽい」って思いました。ほのぼのしていていいんだけど、おねえちゃんのせりふが臭いっていうか、こんなこと言うかなって。それでもわりと感情移入できたのは、自分も小さいときおとなしかったからです。ほんとに。先生にさされると蚊のなくような声でしか答えられませんでした。で、声が小さいって叱られると涙が出てきたり。だから、人前でしゃべれないこの子の気持ちがよくわかりました。作者もわかっているのかな。お父さんお母さんがあまり出てこないのが違和感ありましたが、うちも長女から三女までが11歳はなれている3姉妹で、次女と三女は親に言えないことを長女に話したりしているので、「あり」かもしれません。ストーリーは言っちゃなんだけど、普通っていうか、最初から「落語をやってしゃべれるようになるんだろう」ってわかっちゃう。予定調和的だけど、悪い意味ではなく、むしろこういうのはひねらないほうが安心できますね。ただ、「三島くんのおじいちゃんはいったいどこの人?」って思いました。三島くんは関西から引っ越してきたのに、このお話の舞台の町に昔から住んでいるらしきおじいちゃんも関西弁なのは「あれ?」という感じでした。ほかにも地域の設定には突っ込みどころが多々あります。三島くんがお笑いの本家である関西で落語やっていじめられてて、転校して東京(?)でまたやって東京の子には受け入れられる、っていうのも不自然な感じです。逆ならわかるけど。東京でシャイだったあかねちゃんが関西に越して落語に誘われてお笑いに目覚めちゃうとか。野中あかねちゃんに関していえば、人前でしゃべれないっていうのは、小学生のときはそんなに重大じゃない気がします。友だちとふつうにしゃべれれば小学校生活に支障はないですから。それより、クラスに友だちがいるのかどうかが気になります。あと、となりのクラスの初音ちゃんは、どうしてこの子のことをこんなに大事にするんでしょう。ふつう小学生ってクラスが分かれたら別世界の住人なのに。班が分かれただけで疎遠になったりしますもの。あかねちゃんが、同じクラスに友だちがいないことをおねえちゃんに訴えていないのが不思議な気がします。クラスに仲良しの女の子がいないことのほうが、小学生にとっては大問題ではないでしょうか。

アカザ:わたしは落語がとても好きで、桂小文治さんの会に欠かさず行っているくらい。ですから、こういう作品を子どもたちが読んで落語好きになってくれればいいなと、うれしくなりました。出てくる人たちも、みんな善意で、最後まで安心して読めました。ストーリーも、たぶんこうなっていくのではと予想がつきますが、この年代の読者が読むとホッとするんじゃないかしら。主人公の悩みも、それほど深刻じゃないので、安心して読めるのかもしれません。人前で話すのが苦手でも、けっこうハッピーな学校生活を送っているし。口数の少ない子って、けっこうハッピーなんですよね。私も昔そうだったから、よくわかります。主人公が寿限無をどうやって話したらいいかと悩むところで、お姉ちゃんがハムスターに名前をつけたときのことを話して妹に助言するところも、聞き手としてではなく噺家の修業のしかたを言っていて、おもしろいと思いました。それから、別に悪いことじゃないんですが、児童文学に出てくるおじいちゃんって、同じようなタイプが多いですね。庭のある一軒家、それも古い民家に住んでいて、ジュースではなくて麦茶が出てくるような。若い作家の方たちは、そういう暮らしに憧れているんでしょうね。現実は、そういう年寄りばかりじゃないのに。

トム:読み終えて、心穏やかにページを閉じられました。作者は大阪の人ですか? 標準語で書かれたお話って多いですけど、大阪の言葉とか、もっと方言で語られるお話を読みたいです。クラスの中に三島くんのような子がいたらいいなと思いました。三島くんの関西弁いいですね、方言って魅力があります。p150であかねちゃんが啖呵をきりますね、初音ちゃんとけんかして。言葉が少ないからといって心に何も無いのではなくて、胸の奥に言葉にならないで溜まっていたものがマグマのように噴火して、いい場面だと思いました。よかったな、こんなふうに言えてと、物語のこちら側にいる者に思わせる場面だと思います。作者は、内気であったり、思うことをたくさん抱えていても表現できないまま、自分の中に籠る子どもに温かく沿っている。後半になるとここまで書いてくれなくてもいいのに、っていう部分もありますが。p170の担任の先生が話す「やる勇気とやらない勇気が大事」というのは、10歳の子どもに理解できるかなと。読者の子どもにも。でも全てわからなくても、どういうことかなと思って心に残れば、いつか大きくなって「あっ」と納得する時が来るかもしれないし、そこが本の良さかもしれない。裏表紙で3人が階段のところにいる絵はいいですね。この物語は、自分で読むだけでなく、誰かに読んでもらったら楽しいと思います。落語の可笑しさを知って、出来れば関西弁もリズムよく語ってくれる大人に。

プルメリア:あかねちゃんみたいな恥ずかしがり屋さんの子どもはクラスには数名おり、日直で司会をする時の内気な子の心情をよくとらえている作品だなと思います。元気な子が主人公の作品はよくありますが、内気な子の学校生活を主にした話はあまりないので、同じような悩みを持った子供たちには勇気づけられる作品だと思います。内気な子をかばう頼もしい子も日常生活にはいるので、3人の関係がよくわかります。「まんじゅうこわい」、「番町皿やしき」、「じゅげむ」などの作品が登場するるので落語を身近に感じ。落語の本を手に取る子ども達が増えるきっかけになるかも。気になることは「日直」は1日の当番活動、1週間なら「週番」かな。帰りの会のスピーチ5分間はちょっと長いか。お姉さんの存在は、お母さん的なお姉さんって感じ。大学生が家にいる時間帯が多すぎ。おじいちゃんも関西弁なのに、どうして東京にいるのかな。この作品を読んで、共感する子どもたちは多いと思います。主人公は4年生ではなく、5年生でもいいかな。6年生くらいになると、はきはきしていた女の子が授業中急にしゃべらなくなったりする傾向が増えてきます。微妙です。

レンゲ:最初読んですぐに、『しゃべれどもしゃべれども』(佐藤多佳子著 新潮社)を思い出しました。読んだ後味はいいし、こういうお話を読むと子どもも元気が出そう。ただ、ちょっと納得がいかないところもありました。一つは、暁音が初音ちゃんとけんかをしたあと、クマ先生になぐさめてもらうところ。それまでにクマ先生とつながりが描けていればよかったのだけど、そうではないので嘘っぽい感じがしました。特にp169のクマ先生の「クラスはちがうけど…」から始まるせりふ。先生が子どもに、ほかの子のことをこんなふうに言うかなと。それと、中学生・高校生くらいになると、お父さんお母さんよりもお姉ちゃんとかほかの年上の人を頼るのはわかるけれど、4年生の子がここまで親を頼りにしないものかなと。3・4年生の子って、なにかあったときに、最後のところでもう少し親を求めるんじゃないのかな。お姉ちゃんはいい子だけど、親としてなのか、ちょっとさびしかった。こんなドライでいいのかなって。

プルメリア:おじいちゃんの家に行くとき、お菓子を持たせてくれたのは存在感が薄いお母さんです。

レンゲ:それとこの作品の裏には、プレゼン力を高めようということがしきりと言われる、今の学校の状況があるように思いました。私は普段から、そういうのは善し悪しだなと思っているのですが。人前で発表できることは大切だけれど、パワーポイントを使ったりして、上手にそつなく発表するというのは、本当の意味での表現とは違う気がするんです。小学校高学年から中学生までの発表を見ていても、論理性が積み上がっていくわけではなく、結局見栄えをよくすることに終始することも多いようです。作品とは別なことだけど、そんな学校のようすが頭にうかびました。

アカザ:よくしゃべる子って、なんにも見ていない。なんにも考えていない。しゃべんない子ってよく見てるでしょ。どっちがいいってわけでもないのよね。

プルメリア:なんにも考えないで見てる子もいます。

ハリネズミ:そのまま大きくなって大学生になる子もいる(笑)。私はそれなりに最後までさーっとおもしろく読んだんですね。私も落語は好きなので、こんなふうに落語を紹介できるのはいいなと思いました。しゃべるのが苦手な子が、右に行ったり左に行ったりためらっているのも伝わってきたのだけど、どこか意外なところとか、ステレオタイプではない人物も登場したりすると、もっと大きい賞もとれたのかな。

紙魚:近年、気持ちをうまく伝えられない主人公というのが多いですね。今、学校では、ディベート力やプレゼンテーション力なんていう力の重要性が言われることも多く、だからこそ反対に、しゃべれない子の気持ちがこうして取りあげられるようになってきているのかなと思います。しゃべるのが苦手な女の子が主人公で、そばに心やさしい男の子がいて、啓蒙するというよりは、まわりの人たちのやさしい気持ちによって、かたくなな心がほどけていくというストーリーには、どこか願望のようなものが表れているのだと思います。19歳の方のデビュー作ですが、自分のことで精一杯の時期に、こうして他者を思いやる物語を書いているのは、とても素敵だなあと思いました。欲をいえば、物語がまっすぐ進んでいくので、それも素直なよいところではあるものの、どこかにはっとするような転換があるとよかったです。全体的にはじめじめしていなくて、しゃべれない子どもが明るい空気で描かれていました。大島妙子さんの絵で、中学年対象というのを意識した本づくりもいいですね。

プルメリア:6年生の国語でディベートがあります。「自分の考えや意見を発表しよう」という主旨の学習です。

紙魚:吉本隆明さんが、「沈黙も言葉」だと言っているんですが、表現しないと何も考えていないことになってしまうというのは危険ですよね。だからこそ、こうした物語で、言葉に出てこない部分をあらわしていくのは大切かなと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)


クロティの秘密の日記

パトリシア・C・マキサック『クロティの秘密の日記』
『クロティの秘密の日記』
原題:SLAVE GIRL: THE DIARY OF CLOTEE, VIRGINIA, USA1859 by Patricia C. McKissack, 1997
パトリシア・C・マキサック/作 宮木陽子/訳 
くもん出版
2010.11

版元語録:19世紀のアメリカ。読み書きを禁止されていた奴隷の少女・クロティは,ひそかに文字を覚え日記をつけはじめますが…。

ルパン:最後まで夢中で読みました。クロティもかわいかったし。ほんとの話だったらよかったなと思ったくらいでした。いちばん気に入ったのは、お屋敷のおばかな息子です。あんな両親の子どもなのに、ちゃんとクロティの人格を認め、黒人奴隷たちの味方になったところを読んで、とても幸せな気持ちになりました。

トム:読みながら、中学時代に『トムじいやの小屋』(ハリエット・ビーチャー・ストウ)を読んだときのことを思い出しました。時代に向き合うお話を読むのは、とてもその人の人生にとって意味があるだろうなと思います。クロティの知恵と勇気の熱さに触れているうちに、いつのまにかノンフィクションのように読んでいました。ただ今も人種差別が残っているのは苦いものがある・・・。それから黒人の中にも白人農場主につく黒人もあり、白人の中にも奴隷を逃がそうとする家庭教師のような白人がいたり、黒人白人というだけでなく、人間を語っていることが、この物語の厚みになっているのでは。クロティが大人になってからの、その後のクロティも読みたいと思いました。時代の中で語られる物語なので、この時代日本はどうだったか、ヨーロッパはどうだったか、見られる資料も載っていたら広がりがあるのでは。

アカザ:こういう本を子どもたちに読んでもらいたいと、つくづく思いました。はらはらしながら、最後まで一気に読みましたけど、主人公のクロティは、本当に強い女の子ですね。
大人の読者の私としては、最後に車掌になるより安全なところに逃げてほしいと思ってしまいましたけれど。あと、字を読めるようになることが力になるという、その考えが芯になって作品を貫いています。アメリカの児童文学の伝統というか。この作品も、最初は間違いのある文章を書いているけれど、だんだん漢字まじりのしっかりした文章になっていくにつれて主人公も成長していく。こういうところとか、ほかの奴隷たちの話す言葉とか(関西弁ぽいのは、ちょっとひっかかったけれど)。訳者の方も大変だったろうなと思いました。

ハリネズミ:アメリカの児童文学の伝統って、どんなところですか?

アカザ:『レモネードを作ろう』(ヴァーイニア・ユウワー・ウルフ著 こだまともこ訳 徳間書店)とかね。イギリスは、アーモンドの『肩甲骨は翼のなごり』(山田順子訳 東京創元社)もそうだけれど、学校で字をおぼえたりするより、もっと大事なものがあるだろうというような作品が多いような気がするんだけれど……。

ハリネズミ:そうか、アメリカは教育の現場で非常に苦労していますよね。移民も多いし。イギリスはもともと中流階級の人が中流階級の人のために書いているから、そういうことが起きないけどね。でも、そこがアメリカの児童文学の伝統かどうかはわかりませんが。

レンゲ:とても読み応えのある作品でした。文字が書ける、日記をつけるということで、クロティが精神的に成長していくさまが描かれていて、とてもいいなあと思いました。「自由」への強い思いをいだくようすが描かれているけれど、結局クロティは、体の自由ではなく精神的な自由を選ぶんだと思うんですね。p242では、白人の奥様のことを「おとなの体をした小さな女の子」と言えるようになる。苛酷な状況の中でも気高く、心の中の自由は手放さないのがかっこいい。ただちょっと残念だったのは、日記の文章が12歳の子の文章にしては物語的すぎるように感じられたこと。子どもの日記って、もっとたどたどしいのでは? たとえばp132の最初の5,6行。原文自体が普通の物語と変わらない書き方なのか、翻訳のときにこんなふうにまとめてしまったのか、どちらだろうと思いました。時々、日記に書くにしては難しい言葉も出てくるし。本としては、アメリカの人が自国の歴史を知る物語という感じ。文字とか自由の意味を考えさせるところはおもしろく、日本人も読む価値はあると思うけれど、そこまでアメリカのことばかり興味を持たなくてもいいのに、という気持ちにもなります。アメリカへのシンパシーばかりが形作られていくみたいで。日本人はアメリカの歴史に対して、とびぬけて許容度が高いですね。

紙魚:日記の書き方が話題になっていますが、これは、日記文学の限界かなと思います。この女の子が書いた本当の日記だったら、ここまで状況が伝わらないので、どうしても演出を加える必要がありますよね。しかたがないことかなと思います。それから、翻訳の限界も感じました。おそらく原書では、最初のうちはスペルミスがあったりするなど、女の子がだんだんと文字と言葉を得ていく過程がもっと伝わってくるのだと思いますが、日本語だと、それをひらがなを使うことで表現しなくてはならない。それでも、徐々に情景描写や心理描写が書き込まれていくので、この女の子が書く表現をつかんでいくのは伝わってきました。p24の時点では、「自由」という言葉を紙の上に書いても、「自由」の絵が浮かばなかったのに、読み進めるうちに、「自由」が手触りのある言葉に変わっていきます。自分の考え方を深めるときに、話すことも大事かもしれないけれど、書くこともものすごく重要なのではと感じました。思ったことを1度書いてみることの素晴らしさを、この物語で感じました。

プルメリア:今日の3作品の中で一番おもしろかったです。利口な12歳の少女クロティが文字を覚え、密かに会話文で書いている日記にクロティの周りの様子をしっかり見ている素直な気持ちがよく表れているなと思いました。白人社会と黒人社会の違いがよくわかり、差別問題や人種問題の社会の中で自分をしっかり持ち続けるクロティの生き方や考え方がだんだん力強くなっていく姿がたのもしく伝わります。ひらがなで書いてある日記は、クロティが一生懸命日記を書いている姿が伝わるんじゃないかな。ウィリアムぼっちゃんが哲学者になったり、クロティが車掌になったりいい終わり方です。p24には『「自由」はただの言葉』、p274には、『自由はただの言葉じゃない』とあります。印象に残りました。中学生向きの作品だと思いますが、6年生くらいでも読める子はいると思います。

ハリネズミ:「自由への地下鉄道」を取り上げたいい本ですね。私はこのUnderground Railroadっていうのに興味があって、いろいろ調べてみてるんですけど、黒人だけではなくて、先住民も白人もかかわっているんですね。文字が読めない人も多かったから、暗号やしるしで伝えたりして。主人公は、すごく大人びたことを書いていますが、これフィクションなので、物語としておもしろく書いているんじゃないかって思いました。たぶん話し言葉も、文字が読めるようになって本を読んだりするうちに変わっていくんでしょうね。翻訳ではそのあたりを出すのは難しいでしょうけど。南部のもと奴隷だった人たちから聞き書きをした作品に『リーマスじいやの物語』っていうのがありますが、あれも英語がスタンダードじゃなくて黒人特有の話し方で書いてあるんですね。昔は、黒人が主人公の作品も、白人が書いてました。たとえばストウ夫人の『トムじいやの小屋』なんかです。私も中学生くらいで読んで感激したんですけど、今読むと「黒人はかわいそうなのです」という上から目線で書かれているのがわかります。でもこの本の著者のマキサックさんはアフリカ系で、もっと誇りを持って書いているのがわかります。第3世代になってようやく自分たちなりの視点で書けるようになってきたのかもしれません。精神の発達を言語の習得であらわすというやり方をうまく書いた作品に『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著 小尾芙佐訳 早川書房)がありますが、この作品は南部の黒人なまりなんかも入ってきてるんでしょうから、訳すのが難しいでしょうね。私はアメリカの作品でも、マイノリティの作家が書いたもののほうが人生の見方が深くて、おもしろいんですけど、日本で紹介されるのは白人作家のもののほうが多いですね。
 アメリカの児童文学賞の一つにコレッタ・スコット・キング賞というのがあって、もともとはアフリカ系の作家たちに力をつけさせようということで始まったんだと思いますが、今はニューベリー賞やコルデコット賞もどんどんアフリカ系の人が取るようになっています。いわゆる先進国では、書いたり読んだりする文化が偏重されるところがあって、文章の書き方や構成という点では、白人作家のほうに一日の長があるのかと思いますけど。でも今は、語りの文化も見直されてきてますよね。ストーリーテリングなんかも。

アカザ:日本でストーリーテリングというと、すでにできている話を語って聞かせるという感じですけれど、イギリスでストーリーテリングのクラスに出たときに、なんでもいいから語れといわれて、自分の家の犬の話をして、けっこう受けました。もっと幅広くとらえているんだなと思ったのをおぼえています。

ハリネズミ:アメリカの学校にもshow and tell っていうのがあるじゃないですか。そうやって、語る技術をみがいているのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)


どろんころんど

北野勇作『どろんころんど』
『どろんころんど』 ボクラノSF

北野勇/著 鈴木志保/挿絵
福音館書店
2010.08

版元語録:どこかに行ってしまったヒトを探して,どろんこの世界を旅するアンドロイドの少女アリスと,お供の亀型ロボットの奇妙で長い旅。

みっけ:3冊の中では最初に読みました。SFはあまり好みではないからなあ……と思って読み始めましたが、さくさくと読めて、結果としてはけっこうおもしろかったです。どこが、と言われるとちょっと困るんだけれど、主人公を人間が作ったロボットにしたことで、人間がごく自然に経験する心理的な変化みたいなものを主人公がいちいち、あ、これが〜なんだ……と意識するあたりは、プラチェットの『天才ネコモーリスとその仲間たち』に出てくるネズミに似たところがあって、SFというのは、現実の社会や人間や存在といったものを、一歩引いて見直すための装置として使われるんだな、と思いました。だから、個人よりもメカニズムに焦点が当たるきらいがあるのかもしれないけれど。SFといっても、一昔前のようながちがちの科学でもなく、まったく異なる惑星でもないあたりは、おもしろい設定だと思いました。細かく見ていくと、え? なんで? というところがあちこちにあるけれど、一種の学習するロボット少女の成長物語なんだな、と思いました。それと、この終わり方を見てつくづく、ああ、主人公が若いと、暗い状況でも明るくなるんだなあ、と思いました。年入った大人たちだと、ついつい経験値に基づいて暗さに同調しがちだけれど、若い人はどんな環境に置かれたとしても、そこが始まりだから(というか、そこから始めるしかないから)、未来を指向できるんだなあ、と。それに、最後の最後に万年一号の長い旅の第一歩、という形で終わるのもおもしろいな、と思いました。

紙魚:福音館書店の本って、年齢が上の人向けの読み物になると、とたんに保守的でないものが出てくるような気がします。この「ボクラノエスエフ」というシリーズは、『どろんころんど』以外の書目は復刊がほとんどで、これだけは新作ですから、よほど思い入れがあって出された本なのでしょう。祖父江慎さんの装丁と本文デザインで、本のつくりからして期待させてくれるような佇まいなのですが、読みはじめると、どこか人を食ったような感じで、はぐらさかされます。児童文学にはあまりない本です。実感のない世界、具体的な肌触りがない世界で、肥大化した自意識の中での遊びごとという感覚が、いかにもいまどきだなと感じました。素直におもしろいとは思えなかったのですが、このノリは、もしかしたら、若い人たちには「わかる!」という感覚なのかもしれないと思いながら読みました。とはいえ私にはやっぱりよくわからないので、p89の「ますます何がなんだかわからない。」という一文に遭遇したとき、こっちのほうが「わかんないよ!」という気持ちになりました。この小説は、筋というよりはノリが重要なのではないでしょうか。プラスチックのようにつるつるしていて、ガサガサしたところがひとつもなくて、でも、そのなかを生き抜かなきゃならないという切実さや必死さはなんとなく伝わってくるような気がします。

サンシャイン:何度も読むのをやめようかと思いました。読む価値が自分の中で見い出せないというのが正直なところです。まあ、今日に合わせてなんとか読み終わりましたが。ひらがなの「ど」という活字がすごく気になりました。「と」とはちがう字体ですね。

フルフル:祖父江さんが、書体も含めてこの本の世界観を表現しようとしたのだと思います。この本は、私も実は読めなかったんです。出たばっかりのときに、書店で手にとってはみたのけど、やっぱり読む気になれなくて。

ハリネズミ:アリスは当然『ふしぎの国のアリス』(ルイス・キャロル)のアリスから借りてきた名前なのでしょうけど、SFというよりやっぱりナンセンス・ファンタジーなんじゃないかしら? SFというのは、一度もこの世に存在したことのない世界を扱うわけですから、読者が入り込めるように隅々まで考えて科学的にも物語的にも齟齬のないお膳立てにしないといけないと思うんですけど、この作品はそういうのとは違いますもんね。私は最初のほうはおもしろい設定だと思って入り込んで読んでいったのですが、p183から文章がわざと切れたようなレイアウトになっているんですね。ここでしらけてしまいました。物語の流れを妨げる邪魔なもののように感じてしまったんです。そうなるといろんなところが気になってしまって。途中でアリスが「こんなのをシュールって言うのかしら」とか、さっきも出てきたp89の「ますます何がなんだかわからない」なんていうのも、ないほうがいい。読者がそう感じればいいことなので、作者の声は邪魔になるように思いました。全体としては、そんなに楽しめませんでした。SFなら、舞台となる世界をもっときちんと書いてほしい。そこが希薄なんですよね。

紙魚:このファンタジーには、ルールがないですよね。「どろんこ」だからなんでもいいじゃないかというふうにも読める。

ハリネズミ:ナンセンス・ファンタジーだと開き直ったほうが、おもしろくなったかも。

紙魚:この本のここがすごくおもしろかったという人の心をのぞいてみたいです。

ハリネズミ:プロットだけ追っていく子って、今いるでしょ。そういう子にはおもしろいのかな。でもそれだったら、べつに本を読まなくてもいいんですよね。

すあま:私もこの世界がおもしろいと感じられませんでした。時間がなくて斜め読みしたのもよくなかったのかもしれないけれど、やっぱりおもしろさがわからなかった。森博嗣の作品のイメージも思い浮かんだのですが……。まさに頭のなかが「どろんこ」状態で、楽しめなかったです。

プルメリア:3冊の中でいちばん字が大きいので最初に読もうと思い読み始めたら驚きました。ヒトデナシたちの存在社会がイマイチわかりにくくて、出版社を見たら「福音館書店」! 会社のイメージが変わりました。おもしろかったのは、鉄骨が落ちてきたときにかめがおさえ首が……、と思ったら甲羅の中に入れていた場面と、レストランに入ると料理を食べた人は出ていき、これから料理を食べる人たちは順番に席を動いていく場面には笑っちゃいました。変わった本に出会いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)