カテゴリー: 言いたい放題でとりあげた本

チョッキー

ジョン・ウィンダム『チョッキー』
『チョッキー』
原題:CHOCKY by John Wyndham, 1968
ジョン・ウィンダム/著 金利光/訳
あすなろ書房
2011.02

版元語録:11歳の少年マシューの様子がおかしい。その裏には「チョッキー」という名の不可思議なモノが……。未知との遭遇を描いた傑作SF。

きゃべつ:私は、SFをあまり読んだことありませんが、初心者でもわりと読みやすかったです。ただ、直訳っぽいところや、1文が長いところがあって、子どもにとっては、少し読みにくいかなと思うところがありました。ずっと大人目線ですが、子どもはどう読むんでしょうね。もう少し、子ども目線のほうが、読みやすかったんじゃないでしょうか。

紙魚:私もSFを読みなれていないのですが、これはとてもオーソドックスな筋運びで、異星人が未知の世界からやってくるという典型的な物語。こうした設定は、小説でもドラマでも映画でも、もう何度も何度も描かれてると思うんですが、この本がおもしろく読めたのは、そうした未知のものに出会ったときに、人間はどう反応するのかということがていねいに書かれていたからなのではと思い至りました。さまざま風変わりなSFが出てきても、結局、奇天烈なものを見たいというわけではなく、そうしたときの人間の反応を見たいのだと。

レンゲ:ファンタジーもSFも苦手なのですが、この本は論理的にわかって、問題なく読み進められました。『チョッキー』も『ジェンナ』も構成がきちんとしていて読みやすかったです。でも、自分では手にとらない本だと思う。読み始めたときに、まず語り手が誰なのかなと思って、どうやらそれが大人だとわかってきて、大人が主人公でもいいわけですけど、誰に向けて出した本なのかなと思いました。つくりも大人っぽいし、ルビもちょっとしかない。中学生に読ませようというルビのふり方ではないですよね。得体の知れないものとの出会いと、それに対する反応は興味深く読めますが、とびぬけておもしろいとまでは思わなかったので、わざわざ新訳で出し直したのはどうしてかと思いました。確かに1968年の本なのに、マスコミとかお母さんの反応が今と変わらないのはおもしろかったし、夫婦の2人の子どものうち、片方は自分の子で、片方は養子にした子だけど、わけへだてなくかわいがってところは感じよく読めました。

トム:宇宙人に会えたらドキドキしてもっと嬉しくなってしまいそうだけれど、マシューは苦しそう。それは、p268にあるように“ホストとしての精神的資質を持ち”“あれこれ疑問を持たずに受け入れようとする”、それができる子どもとしてチョッキーが見つけたのがマシューで、その出会い方にもあるのでしょうけど。ただ、時にはチョキーとマシューの楽しい交信も垣間見られたらと思いました。マシューはチョッキーに真っ向から向き合っている……、そこにマシューがどういう心をもった少年なのか感じられます。最終場面で表彰メダルが自分宛でなく、チョッキーの名になっていることを本当に喜ぶ様子は、マシューの人柄を伝えているし、チョキーとの信頼も伝えていて、とても温かい余韻を残りました。お父さんと息子の物語として読んでも読みごたえがあって、いつの間にかそちらにひっぱられてもゆきました。その中で、お母さんは安心を得ることに気持ちが逸ってかなり混乱した様子が描かれているけれど、お父さんが時々立派すぎるかも……。
 p261でお父さんが「わたしたちは、原子力を手にしているのですよ」と言ったことに対してチョッキーが「認めましょう。だがきわめて粗雑な水準にありますね」と言っていますが、新たな翻訳としての初版発行が2011年2月28日で、この11日後に福島原発の事故が起きています。偶然とはいえ物語が一歩先を歩いているよう。p265“宇宙の隅々にまで存在する放射”とか、私には具体的なイメージが描けないけれど、SF好きな中高生ならきっとワクワクする世界なのでしょうね。p268 “老いた精神はありうることとありえないこととの区別をかたくなに守る”という件は、個人的にズシッと胸に響きました。

みっけ:著者の最後の作品というのだと、子ども向けに書かれたわけではないのかな、という気もするのですが、どうなのでしょう。はるかかなたからやってきた、いわば異星人のようなものが、普段の生活に入ってきたという設定はSFなんだけれど、やってきたものの外見や行動などではなく、それが来たことで、普段の生活がどうなり、家族の中がどうなっていったかに焦点が当たっているので、あまりSFという感じはなく、両親や本人の行動がていねいに書かれていたので、人間の物語としておもしろく読めました。日本にはない英国男文化の伝統というのかな、父と息子の関係がとても強いんだけれど、そのあたりがよく書けていました。チョッキーの姿を最後まで書かず(息子の声を借りていて)、声も聞かせないのも、うまいなあと思いました。おそらくそのあたりを書いたとたんに、私なんかは嘘くさく感じてしまいそうだけれど、あくまでもそれをせずに,読者の想像力にゆだねている。これってどう着地するんだろう、と思いながら読み進んでいったら、10章でマシューがいなくなりますよね。それが実は権威筋による誘拐だったというのには、あっと思ったし、感心しました。しかも、権威筋の誘拐が今後起きないようにとチョッキーがマシューの前からいなくなる。というのもいいですね。とにかく、SFはわりと苦手なのですが、親と子の関係に焦点がおかれていたので、とてもおもしろく読めました。マシューの失踪についての説明がいっさいされずに事態が進み、最後の最後にチョッキーがお父さんにさよならするところでその一件が種明かしされるあたりも、なるほどと思いました。

サンシャイン:非常に気に入りました。早い段階で人間が開発した車が非効率でという話が出てくるので、未来の存在という予想は立ちましたが、実の子ではなく養子なので、実の子ではないことで展開されるのかと思いきや、そうではありませんでした。妹の方の、見えない存在にとりつかれているというのはよくあることなのですか? お医者さんの友達が診て、「憑きもの」とか「お告げ」という話を母親が受け入れないという反応をしますが、父親の方はそれを受け入れようとする、その心情の差もよく書けていると思いました。「原子力」が出てきますが、さらに「放射」のあたり、子どもの語彙にないということでぼかされていて、私たちにはわかりません。作家の頭のなかには、そういう、人類がまだ手に入れていない存在が見つかるというのがあるのかもしれません。宇宙にはそういうものがあるかもしれないと思わせる文章力。最後は、子どもの口を借りて、乗り移ったかたちで真相が明らかになるのは、こういう方法でしか種明かしすることはできないかなと思いました。いずれにせよ、非常におもしろく読めました。

フルフル:児童書か、一般書かという点ですが、コードが一般書で、出版社としては一般書として出しています。でも、いってみれば、YAだと思います。文体も自然で、読んでいて、とても読みやすかったです。でも、1968年に出されたもののリバイバルとは気付かなかった。感覚的に受け入れやすかったのは、昔に書かれたものだからなのかな〜、それもちょっとショックですが……。たぶん今、最先端で書かれていたものではなくて、SFといっても読みやすかったのかなと思います。現代っ子が好む読み物だと、話の展開が早くて、次々といろいろな事件が巻き起こるというものが流行りますが、この作品は、前半のテンポがゆっくりめ。マシューが目に見えないチョッキーとつきあっていく過程は、とてもおもしろく読めたのだけど、なかなか話が動かないので、いつまで続くのかなと思っている自分に愕然としました。自分も毒されちゃったのかしらと……。水に溺れるところから急展開しますが、それまでは中だるみしているように感じていまいました。現代っ子同様に、せっかちになってしまっているのかもしれません。溺れたところからはラストまでは引っ張って読ませてくれました。
 ただ、印象として、この内容のものだったら、前半のテンポを上げて、もう少しコンパクトになるかもしれないとも思いました。今の子どもたちには、300ページを超えるとちょっと長い(?)印象があるかもしれませんし、壮大な物語が展開するのではないので、もう少しコンパクトに読めたら読者も広がるかもしれないと感じました。最後、チョッキーが語っているところで、「現代人は燃料の無駄遣いをしている」という語るところにドキッとさせられました。原発事故があっただけに感慨深かったです。また、50年以上前にこういう作品が描けた作者に敬意を表したいです。

すあま:私は大人の本として読みました。語り手がお父さんであるからかもしれませんが、マシューの気持ちになって読み進めるというよりは、お父さんの気持ちに寄り添って読みました。かなり大変な状況なのに、このお父さんは冷静で、奥さんが半狂乱になっているのにも落ち着いて対応している。語り手が落ち着いているので、パニック小説のようにならず、読み手も落ち着いて読めたように思います。怖い話として書ける話なのに、怖くなく、読後感もよかった。妹にも同じように見えない女の子と会話する時期があり、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール著 原田勝訳 徳間書店)や『まぼろしの小さい犬』(フィリパ・ピアス著 猪熊葉子訳 岩波書店)などを思い出しました。途中からチョッキーが宇宙人だと気づいてからは、どう種明かしするのかと思っていたら、当の宇宙人が全部説明してくれた。宇宙人が地球を見つけて偵察にきて人間の生活に入り込む、という話は、なぜ今頃出たのかと不思議に思ったけれど、刊行年を見て、60年代に出たなら古くないかと納得しました。むしろ今読んでも違和感がない。パソコンが出てこないなど、「今」ではないことに気づいたものの、古さは感じずにおもしろく読めました。ただ、誘拐事件はチョッキーの仕業で宇宙人にさらわれたと思っていたのに、普通の誘拐だったのでちょっとがっかりしました。

プルメリア:少年に霊がついているのかと内心ドキドキしましたが、あとがきに宇宙人と書いてあったのでホッとしました。少年に寄り添うお父さんの心情が全体に出ており、妹が時々話す馬の話はユーモアがあり、重たい雰囲気を和らげていたように思いました。最後に、もらったメダルにチョッキーの名前が刻まれていたこと、なんとなくぎくしゃくしていた少年と父親の心がつながったように読みました。

ハリネズミ:おもしろく読みました。科学知識の部分も、まだ古びていないのでは? 今は、昔の映画に出てきたような宇宙船とか宇宙人像は違うとわかっています。でも、広い宇宙のどこかには知的生命体ってきっといると信じて、その人たちと交信しようといろいろな試みをやっている科学者がいます。それから今SFで近未来を書こうとすると、どうしてもディストピアになってしまうんじゃないかな。この作品はちょっと前に書かれたということもあって、希望のある明るい終わり方。チョッキ—もいい人じゃないですか。だから、暗くならないんですね。

みっけ:この本で二進法の話を出しているのは、十進法というのが、人の指が10本だという解剖学的な事実から採用されてるのに対して、異星人が必ずしも十進法を採用しているとは限らない、という相対化のためだと思うんです。さらに、この作品が発表された頃は、コンピューターが出てきて二進法がクローズアップされた頃だったので、三進法やなにかにするよりも二進法のほうが最先端でもあり、多少のなじみもありという感じだったからではないかな、と思います。それに原子力に関する話は、天文関係の科学史を見てみると、原子力の発見は今の私たちには想像できないくらいポジティブにとらえられていて、それがチェッキーに対する語り手の発言にも反映しているんだと思います。もう一つ、チョッキーが、原子力など使わなくても、どこからでもいくらでもエネルギーを取り出せる、と言っているのは、おそらく宇宙の始まりであるビッグバンと呼ばれる大爆発の余熱の「宇宙マイクロ波背景放射」を取り出すという話で、こういった話が出てくるところからも、この作品は科学の最先端の結果や理論を取り入れているという点で、ちゃんとしたSFなんだなあと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)


ジェンナ〜奇跡を生きる少女

メアリ・E・ピアソン『ジェンナ:奇跡を生きる少女』
『ジェンナ〜奇跡を生きる少女』 SUPER!YA

原題:THE ADORATION JENNNA FOX by Mary Peason, 2008
メアリ・E・ピアソン/作 三辺律子/訳 
小学館
2012.02

版元語録:記憶をすべて失っているだけでなく、歩き方や話し方も…何もわからない状態で目覚めた少女ジェンナの不思議な物語。

すあま:おもしろかったです。事故のせいで記憶がないというところから始まり、次第にこれは近未来の話なんだとわかってくる。ジェンナはもしかしてアンドロイドではないかと少しずつわかっていくところ、そしてなぜ事故にあったのかということが明らかになっていくところに、どんどん引っ張られて読みました。実はこわい話なんですけれど、ジェンナの家族との関係や、自分って何者なんだろうという悩みが中心に書かれているので、おもしろく読み進めることができました。ただ、10%だけ残したといわれても、理解しきれなかったので、そのへんは考えるのはやめて、どちらかというとミステリーを読むように読んでいきました。ラストについては、あえて260年後でなくてもよかったんじゃないかと。ジェンナは、ずっと生き延びたけれど孤独にはならなかった、異端の存在だったのが他にも同じような人が増えて普通の存在になったという世界を示して終わるのは、読み手を安心させるけれども、子どもが生まれていたりと逆に最後の3ページのせいで新たな疑問が生まれて考え込んでしまいました。

トム:デザインも色もきれいな表紙で、この蝶が気になりながらページを開きましたが……、美しいけれど、どこかぞっとする蝶。読みおわってもう一度表紙をみれば、10パーセントの脳を象徴するのがこのジェンナの髪にとまる蝶なのですね。見るほど、美しくて不気味。物語を読みながら、ジェンナのような状態になった時、生を選ぶか自然な死を選ぶか? 選ぶ主体は誰なのか? そして、自分だけが生かされた時、人はその後どう生きるか? 悩み無く生きられるとは思えないし。究極、命に人間がどこまでかかわっていいのか? いろいろ頭に浮かびました。ジェンナの両親は、知的レベルも高く、経済力もある人なわけで、命の再生に経済力が見え隠れするところもアメリカ的な物語だと感じます。  最終章の260年後の世界までこちらの気持ちがついていけませんでした。

レンゲ:とても読み応えがありました。なんで私は生きているのだろうという実存の疑問だとか、生きるとはどういうことだろうとか、読みながら考えさせられました。こんなこと、いつも考えていたらおかしくなっちゃいますけど。意志だとか知りたい気持ちだとかは、どこで生まれてくるのかとか。宗教的なことも途中で出てきますよね。この子がなぜ家族の愛情や信頼を感じられないのか、読むうちにわかってくるのですが、人生の中のそういった愛や信頼などの要素、何が私たちを人間にしているのか、人間らしくしているのか、そういうことを考えさせてくれる本でした。短い章で切っていくのは、今風ですね。網がけの部分は原書にもあるんですか?

フルフル:網はかかっていないけれど、詩のようなデザインとして、本文と別の扱いになっています。

レンゲ:260年も生きてしまうというのは、長く生きることへの肯定というより、それになんの意味があるのかを考えさせようということかと私は読みました。p330の「クレアは決してわたしを逝かせてくれない。あれだけの強さを持っているのに、わたしを逝かせるだけの強さはない」という、死なせないことへの問いへのこたえ。主人公は友だちを生かして、自分も生き延びていって、子どもが生まれて、人間らしいものが引き継がれていく。けれど、長生きすればいいのか、それで人間が人間として生きていくことになっているのか、考えさせられました。

紙魚:この本は、10%の自分を頼りに自分は何なのかを「定義」していく物語だと感じました。時折、「見失う」や「人間」などの語句の定義がはさみこまれています。ページ全体が網がけになっている部分は、まさに主人公ジェンナが自分を「定義」するために自問自答するつぶやきの部分。ふつうに生きていると、自分をわざわざ定義する必要には迫られませんが、こうしたありえない状況に追いこむことによって、作者は読者に、自分というものの定義を考えさせる仕組みを作ったのだと思います。10%しか自分でないとしたら、あとの90%は定義し続けなければならない。ただ、そのせいなのか、この物語にはなかなか入り込むことができませんでした。「そのつもり」にはさせてもらえず、つねに客観的でいなければならない感じなのです。でもそれって、もしかしたら、ジェンナの自分の体への違和感をも表しているのかなとも思います。

きゃべつ:今日みんなで読む本の中では、私は、これが一番おもしろかったです。十代が抱えがちな心の揺らぎをていねいに追っていたので、そこに共感できました。普通に生きていても、いろんなことの限界がわかってきてしまって、自我との折り合いに悩む年齢なのだけど、この子の場合は、元の自分が10%しか残されておらず、その揺れ幅が大きいですよね。その葛藤がうまく描かれていたと思います。今、ips細胞とかもあるので、ここに書かれている話は近未来に起こりえることなのかしれません。10%は、人か否か。突きつけられると、ぞわりとする問いですが、いずれ答えを出さなくてはいけなくなるかもしれませんね。これを読んでいて、子どもを守ろうとする母親は、鬼子母神ではないけれど、怖い存在だと思いました。子どもも産めない体にして無理に生かすなんて、とジェンナが詰め寄るシーンで、卵巣は残したのよと、ホッとしたように伝える箇所では、狂気を感じました。私も260年後まで生かす必要があったのか、疑問に思います。事故にあった人だけが、長生きする世界というのは、ずいぶんいびつだなと思いました。英語のタイトルは、「ジェンナ・フォックスの崇拝」ですか。読みにくいのは訳のせいなのでしょうかね? とくに網掛けのページは。

サンシャイン:やっぱり現実の姿は思い浮かべることができませんでした。お話として読むという感じ。あとがきを読むと、もう1回読むと伏線に気づくと書いてあって再度読もうかと思いつつ時間がありませんでした。作品としてはよく計算されて書かれていると思います。おばあちゃんが自分を嫌っているという認識だったのが、おばあちゃんが無理な形で生かすことに反対していた、ということがわかるとか。現代的なお話になっています。結局、ニューロンチップなるものが組み合わされると、人間らしく生き残れるんですか? 手を怪我する場面で実は人間でないことがわかるんですね。

フルフル:なかから青いのが見える。

サンシャイン:手塚治虫さんの『ブラックジャック』で、活かせる臓器だけを組み合わせて人間にするピノコのイメージでしょうか。すごくよくできた作品だけど、1回読んだときには、ジェンナがどう生きているのかわからなかった。友達が死にそうになっていて、その子も同じ技術によって生かしたというのは衝撃の事実なんでしょうね。子どもを産めるというのもあまりありえないなと思う。そんなに長生きさせる必要はなかったのでは。死にかけた友達も再生させて、人間の寿命をこえて存在できるという設定にしているところは、筆者にとっては必然であったのかどうなのかと思います。

プルメリア:主人公と母そして祖母の3人の謎めいた関係が不思議で読み進めました。グレーの部分は、心情が伝わりわかりやすかったです。この作品がほかの作品とは異なるところは、会話文が多くいろいろな画面にあるのでその場にいるような気持ちになりました。こんなに会話文が出てくる作品は今まで読んだことがありません。読み進めていくうちに、いろんなことがわかってきました。話題になっている260年後について私が不思議に思ったのは、子どもは何歳なのか? 小さい子のようだけど、う〜ん。理解しにくい部分があるのでなくてもよかったかな。

ハリネズミ:物語世界の中に入り込めませんでした。設定はおもしろかったし、本のつくりも素敵だったのですが、どうして入り込めなかったのか考えると、SFならばもう少し世界をつくってほしいと感じたのだと思います。たとえば、10%以外はアンドロイドで、アンドロイドが心を持てるかどうかがSF的には懐疑的なのだけれど、ここではすでに心をもった存在として書かれています。また、デーンについては心を持っていないと書いてしまってよいのでしょうか。10%あれば、技術がシンポするとホールの人間が作れるという設定なんだろうけど、だったらアリーズはもう少しちがった存在になるのでは。

フルフル:点数化されている規則のなかで、アリーズは最大限つかっているという状態なんです。確かに、デーンの何が悪いのかは書かれていないですよね。攻撃的であるとか、学校での一場面にあらわれたり、ちょっとずつは出ているんだけど、それだけしか出てきていない。だからちょっと伝わりにくいところはあるかもしれません。あと、冒頭が入りにくいというところなんですけれど、ストーリーの最初の違和感というのは、原書でも「ジェンナが自分をわかっていない、しっくりしていないちぐはぐ感」というものが、文体のなかに表現されていて、それを訳すときに生かしたいということなので、そういった意味では成功しているのではないでしょうか? 途中からそれがだんだんとしっくりしていって、ジェンナがジェナとして生き始めるということです。

ハリネズミ:そこは私もそう読めたんですけど。たとえば、p17の「両親」の部分は?

フルフル:親を親として認めるかっていうところですよね。母親がこの人、父親はこの人と、前に言っているんですね。彼女にはインプットされている設定なんです。

レンゲ:ここは「両親」というよりも、「あの人たち」という感じですよね。

フルフル:混在していると思うんですよね。

ハリネズミ:訳は読みやすかったのですが、ところどころ気になるところがありました。たとえば、p91「すぐさま外へ出て、クレアの車をひき止めたい衝動にかられ。」ですが、もう車は出ちゃったあとだから、呼び戻したいとすべきでは?

レンゲ:小さなことですが、p98に「イースター島にラパヌイ族が移住したのが、紀元前三〇〇年。十世紀ごろには、モアイ建設のため……」って書いてあるでしょ。モアイって像だから、「建設」はちょっとおかしい気がしました。

ハリネズミ:p301には「原産、土着、純血――」とあるけど、それ以前に、自然か人造かというところが問題だと思うから、えっ? と思っちゃった。

フルフル:「在来」という言葉を使った方が良かったでしょうか……。

ハリネズミ:本当に設定はおもしろくて、書こうとしているところもおもしろいんだけど、主人公の心の中に入り込むのが難しかった。アンドロイドだから難しいのではなくて、この書き方がつっぱなしているのかもね。

紙魚:この本って、類書がないと思うんです。だからこそ、こうした本を出すことの意義はあると思います。

すあま:10%でも人間でいられるのかというところに戻っちゃうんですけれど、命令についてインプットされていてもそれに従ってしまうのか、逆らうことができるのか、その境界線などを考えているとまたわからなくなってしまう。途中からは考えるのをやめたんですが、こういうところにひっかかって読み進められなくなる人もいるかもしれない。ただ、本の内容を全部覚えてしまっていても、本を手にとって読むという体験はまた違う、というようなところは、電子書籍と本の違いにも通じるようでおもしろいと思いました。もともと10代って自分が何者か考える時期だけれど、それをせざるを得ない究極の設定を考えると、こういう物語になるのかも。

フルフル:科学的に読もうとするのではなく、思春期の女の子たちは、自分とは何なのか、自分のアイデンティティってなんだろうって悩んだりしますよね? また、全然思いもつかない子でも、この本を読むことで、気が付いたりするのではないでしょうか?

ハリネズミ:アイデンティティを見つけたいときに、はたしてこの本は役に立つのかな。

フルフル:悩んでいること自体は間違っていないし、少しずつ獲得していかなくてはいけないことは、わかるんじゃないかなと思います。260年後については賛否両論あるだろうなと思いました。翻訳者さんとも「この物語に果たして260年後はいるのかどうか」は、議論しながら作業を進めました。でも、翻訳とは、もともとあるものを勝手に改編してはいけないことになっていますし、260年後も作者の意図があって書かれたわけですから削除するわけにはいきません。どなたかがおっしゃっていたように、「長く生きることの意味」も改めて考えさせられる終わり方なのだと思います。

すあま:260年後にはいわゆる定年制のような「期限」が決められ、ジェンナは自分の終わりが近づいてきたことから子どもを産んだのかなと思いました。イーサンが死んでからかなり経っているようだし、体外受精にしてもなぜこんなに時間が経ってからなのか不思議だけれど、特に説明はないので想像するだけですが。

フルフル:これ、続編があるんですよ。アメリカではすでにすごく反響があって、第3弾も来年の3月に出る予定です。トリロジーになります。2巻目は、ジェンナの話ではなくて、260年後の話らしいです。現題『The Adoration of Jenna Fox』の意味ですが、Adoration は、「崇拝」という意味です。直訳すると「ジェンナ・フォックスへの崇拝」ということになります。どういう思いが込められタイトルなのか、翻訳者に確認したところ、「本文に、両親がジェンナを高い位置にまつりあげ、つねに世話を焼き、ビデオを撮り……、そんな“崇拝”された状態から“転落”したかった、というくだりが出てきますが、そこから派生して、『自分という存在は特別なのか』というジェンナの“葛藤”、また最後、葛藤を(ある程度)克服して、“自分から自分への敬愛・愛情”を獲得して、ジェンナがアイデンティティを確立することまで、すべてをひっくるめたタイトルなのではないか」ということでした。このofを“への”と訳すのは、難しいのですが、フランドルのエイクの絵にも、Adoration of the Lambというのがあり、日本語では子羊の礼拝、つまりキリスト「への」崇拝を描いています。ですので、ジェンナの場合も、「ジェンナへの崇拝」という意味で、間違いないのではないかと思います。

レンゲ:とりかえればいいのか、という問題もありますよね。この記憶は大事だからととっておこう、こっちは捨ててしまおうと、だれかが選ぶこともどうなのかと。自分が唯一無二の存在ではなくなってしまう危うさがありますね。たとえば、イーサンが、かっとなって人を殺しかけたというように、人間であれば負の一面もあるけれど、ジェンナはそういう面は回避して作られている。生命工学への疑問の投げかけだと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年6月の記録)


クリーニングのももやまです

蜂飼耳『クリーニングのももやまです』
『クリーニングのももやまです』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

版元語録:川のほとりにたつももやまさんのクリーニング店。どんなおきゃくさんの、どんなものでも、心をこめて、ていねいに仕上げます。ところがある日…。

うぐいす:ももやまさんというクリーニング屋さんにちょっと変わったお客さんたちがやってくるという物語です。安房直子風の不思議な感じがあるのかな、と思って読みましたが、はっとするところも、ぞくっとするところもないし、ふふっと笑えるところもありませんでした。人間ではないお客さんたちの様子がおもしろいわけですが、どこか腑に落ちないところがあるんですね。「おじぞうさん」ではおじぞうさんが3人出てくるけど、ぼうずの次がおじさんで、3人目はただ「ほっそりしたおじぞうさん」という見かけだけしか書いてないので、何なのかよくわかりません。「いえで」では、金色と銀色のとげとげの丸いものが出てきて、これがお客の無口さんのよろこびとかなしみだという。この話にだけ観念的なものがでてきて、違和感がありました。「緑色のシャツ」では、どうしてあおむしが、預けた女の子がこのシャツを取りに来ることはありません、というのかよくわかりません。
 ちょっと不思議な雰囲気は伝わってくるんだけど、どの話にも「何で?」と思うところがあって、すっきりしないお話でした。ももやまさん自身も、絵があるから感じがつかめるとはいえ、文章からはどういう人かあまり書かれていません。ももやまさんという名前には雰囲気があるけど、それだけです。お客さんとのやりとりや仕事ぶりから、もっと人となりが浮かび上がってくるとよかったのにと思いました。

みっけ:子どもたちが日常の中でごく普通に出会っている物や事柄が、ほんとうはちょっと不思議な面を持っていて……というタイプの物語なんだな、と思って読み始めました。なんの変哲もない洗濯屋さんに、不思議なお客が来るというのは、わくわくする感じでいいなと思ったんですが、「いえで」という作品は、きわめて観念的だなあと思いました。小学生の子に「よろこび」とか「かなしみ」っていって、何が伝わるかしら。小さい子には、そういう抽象的な概念でなく、もっと具体的なものでないとぴんと来ないんじゃないかな、と思いました。それと、「みどりのシャツ」は、私もよくわからなくって、要するに、緑のシャツを虫が食べて、変身してすてきな蝶になったというんだけれど、これってクリーニングに出さなくてはならないという必然性がないですよね。トラが毛皮を預けに来る話は、毛皮を取ったあとのトラを生々しく想像しなければ、全体としてはほんわかしていていい感じだと思ったのですが……。いちばん引っかかったのが、最後の人魚のところです。これは、今おっしゃったように、ももやまさんがどんな人かが伝わってないからなのかもしれませんが、まず、ももやまさんがもやもやする理由がこちらにはわからない。それでいて、人魚の尻尾というお客さんから預かったものを自分で使って、店も休業しちゃうという、かなり激しい動きに出る。そのつながりがよくわからないなあと思って、かなりひっかかりました。これを子どもが読んで、納得するのかなって。

関サバ子:魅力的なタイトルだな、と思ってわくわくしながら読みはじめました。しかし、がっかりだったのが、せっかくクリーニング屋さんを舞台にしているのに、クリーニング屋さんならではの日常やディテールがぜんぜん描かれていないところです。そのために、物語全体に力がなく、地に足がついていない感覚を受けました。また、おじぞうさんの話で、ももやまさんが「おじぞうさんはどうしてこんなににてるんだろう」という点にフォーカスしているのがピントはずれで、お話の中での狙いがわかりませんでした。「いえで」は観念的すぎる上に、丸くてちっちゃいものが、どうやってカップからココアを飲めるんだろう、という点にひっかかりました。小さなことですが、そういうところが雑なのは、お話の世界から放り出されるようで、とても気になります。また、最後の人魚のお話も、お客さんから預かったものを勝手に身につけるの!? と大いにひっかかりました。ひれをつけて歩きにくい、と描写されているのに、そのすぐあとにもう水に入っている、というのも雑だと感じました。
お話全体から受けるものとしては、帯に、「おとなになってもいつもとちがうなにかを探している」とあったり、お店を休む張り紙に「考えたいことがあるので」とあったりで、要は自分さがしの話なのかと、愕然としました。ももやまさんの仕事は、毎日ほぼ同じことをやる仕事です。小さな世界で暮らしています。それをつまらないものと伝えてしまっているようで、この本を本当に子どもに渡していいのか、強く疑問に感じました。

レンゲ:私はけっこうおもしろく読みました。『車のいろは空のいろ』(あまんきみこ著 ポプラ社)のタクシーの運転手さんや、『ねこじゃらしの野原』(安房直子著 講談社)の豆腐屋さんのイメージと重なって。たしかに、そう言われれば納得がいかないというところもありましたが、ところどころに美しい文章があるのがいいなあと思いました。たとえば、p55「川が町のあかりをうつして、ちらちら光ります。赤、青、緑。いろいろな色が、水の上でおどります」とか、p58「ふと、空を見あげると、ちょうど森の上のあたりに、月がのぼりかけていました。まるで、森からうまれるみたいに」とか。

ルパン:言いたいことをほとんど言われてしまった感じですが(笑)。テイストとしては、いい感じで読み始め、期待したのにな、と……。あと、トラのところなんですけど、トラが焼き肉をするんですよね。なんの肉なんだろうって思いました。トラがクリーニング店を利用するなら、ほかの動物も「ももやまさん」のお客さんかもしれないから、なんだか気になっちゃいました。もしかしたら「ももやまさん」のお得意さんを焼肉にしてるかも、なんて。そして、やっぱり最後ですよね。人魚はどうなっちゃうのか、心配で。しっぽを返してもらえないまま、ずっとタイヤにつかまって漂流し続けているんじゃないかしら。タイトルが『クリーニングのももやまです』なら、クリーニングのエキスパートとして、誇りを持って、クリーニング道をきわめるような話にしてほしかった。世界に行って、何するんだろうって思いました。雪だるまのセーターをももやまさんが着ちゃうのも違和感あるし、それに、p43の絵、小さい丸いものがどうやってココアを飲むんだろうと思っちゃう。腑に落ちないところがたくさんある作品でした。

アカシア:どうやって飲むかを書いてくれたらよかったんですよね。

ルパン:金と銀の丸いいものがももやまさんのうちに来たことによって、無口さんの何かが変わるのかなと思ったらそうでもない。いろんなところで消化不良。いいお話になりそうなのにもったいないです。

きゃべつ:安房さんのだとばかり思っていました。装丁も似ていましたし。でも、読んでいたら、どのお話も起承転結ではなく、起承転とちょっとで終わっている印象で、あれ? と。蜂飼さんは『うきわねこ』(ブロンズ新社)も世界が広がっていって、おもしろそうだなあと思って読んだのですが、似たような印象でした。こういう、一見ふわっとしたお話のしまい方というか、ぼやかし方って難しいとは思うんですけど、これはどうしてこうなんだろうって、最後まで本筋に関係ないところが気になったりもしました。たとえば、クリーニング屋は染めものまでするのかな? とか、虎の皮ひっぱがすってどんな感じなんだろう、とか。これが天女の羽衣だったら分かるんでしょうけど、もう少し一つ一つの素材、そして短編の連作として並べたときのバランスについて、工夫できたのではないかなと思いました。

うぐいす:ファンタジーであればあるほど、細かいところを目に見えるようにきちんと書くことが大切ですよね。状況がリアルに描かれていないと不思議の部分が信じられなくなってしまう。とらの毛皮をとったとき、どんなふうかとか。イメージだけで言われてもぴんとこないんですよね。

紙魚:蜂飼耳さんは、ずっと気になる作家の方です。平易な言葉、安定した文体で、つぎにどのような題材を扱うのか注目してきました。こうした文体を用いて、日常の先にふっと不思議なことが起こる短い物語を書く作家といえば、安房直子さん、あまんきみこさん、茂市久美子さんなどが浮かびますが、その下の世代はあまりいないんですよね。よく、角野栄子さんが「魔法はひとつ」とおっしゃっています。「魔女の宅急便」シリーズ(福音館書店)でも、魔女のキキができるのは、ほうきで空を飛べるということだけ。ただし、角野さんは、キキがほうきで空を飛べるということを読者が信じるように、細やかにリアリティを持たせています。リアリティをていねいに積み重ねていって、最後の最後のちょっとの隙間に、きらっと不思議なものがあるからこそ、そのファンタジーが生きるのだと思いますが、この『クリーニングのももやまです』は、不思議なものが多すぎるように思います。クリーニング店を舞台にすると決めたら、クリーニング屋さんの仕事を見たり調べたり、実際に仕事をしている人から話を聞いたりすれば、もっと違うものになったのでは。ももやまさんを訪ねてくるお客さん像も、きっと必然性のあるものになったと思います。それから、各章の最後に見開きの絵が入っていて、そこでは、お話が広がる余韻を抱くのですが、本来これは、文章自体が担わなければならないことなのではとも感じました。読んだあとの安心感とか幸せ感がないのは、ちょっと残念です。そういう意味では、『赤ちゃんおばけベロンカ』とは対照的ですね。

ajian:いまおっしゃった「小さな人たち」って表現がいいなと聞いていたんですけど。ぼくは、3冊読んで、これがいちばん好きだったんですね。ファンタジーっていうより、ナンセンスなんだと思ってて、意味がなくてもいいんじゃないかと。この文体とふしぎな感じがあればいいって。ただ、子どもに興味がないのかもしれないっていうのは、ほんとにそうかも知れません。詩であったり小説であったり、蜂飼さんのさまざまな表現のなかの一つとして、この作品もある、という感じなんじゃないでしょうか。

アカシア:大人向けに書けばよかったのにね。子どもが読めばひっかかっちゃう。大人は想像で補って考えられるけど。子どもの本で出していることの意味がどうなのかと思いました。才能のある方だと思うので、編集の人ももう少し意見を言って練っていけば、いいものになったんだと思います。今のままだと安房直子さんとか茂市久美子さんを読んだほうがいい、という印象になってしまいます。

プリメリア:今回、この作品が「みんなで読む本」になったので感想を楽しみにしていましたが、遅れてしまい皆様の感想が聞けずとっても残念です。昨年末、いつも行く図書館の新刊書コーナーにこの作品が置かれていたので手にして読みました。最初、挿絵から茂市久美子さんの作品かなと思っていましたが、だんだん読んでいくと茂市さんの作品とはなんだか違いがあり、著書名をみたら蜂飼さんでした。クリーニング屋さんにおじぞうさんがお客さんで来る場面はおもしろかったですが、だんだんは話がわからなくなってきて、「人魚」のところで、「こんなことをしていいのかな!」と疑問に思いました。預かった人魚のしっぽを自分のものにしちゃって、そしてお出かけ。知り合いの方に「人魚のしっぽを勝手に持ち出して出かけることはおかしくないですか」聞いたところ、「ファンタジーだからいいのよ」って返答されました。が、クリーニング屋さんが預かった商品を自分のものにすること、また勝手に持ち出すことはどうなのかなってずっと心に引っかかっていました。学校から学童に行かずにゲームセンターに行っちゃった2年生の子どもたちに、「どうして行ったの?」と聞いたところ、「行きたかったから」って。それと似ているなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


レッツとネコさん(レッツのふみだい)

ひこ・田中『レッツとネコさん』
『レッツとネコさん(レッツのふみだい)』
ひこ・田中/著 ヨシタケシンスケ/絵
そうえん社
2010.07

版元語録:レッツは5さい。5さいのレッツが、3さいのころを思い出す。それは、むかしむかし、おーむかし。ひこ・田中、初めての幼年童話。

ajian:『レッツとネコさん』しか読んでないんですけど、なんだろな、アイデアと理屈が先にあるような感じがしましたね。絵はすごくおかしいなと思って読んでましたけど。どうもお話にはなじめませんでした。

紙魚:『レッツとネコさん』は5歳のレッツが3歳の自分を、『レッツのふみだい』は5歳のレッツが4歳の自分をふりかえるというお話。おそらく、5歳の子どもが自分の3〜4歳を検証するというのは、現実にはあり得ないと思いますが、そこを、「もしもそうだったら?」という設定にして、新しい世界を展開しています。まあ、こんなに弁が立つ5歳児はいないでしょうし、ちょっと厳密すぎるくらい理屈っぽいので、実際の子どもたちがどんなふうに読むかには興味があります。作者からは、新しい幼年童話をつくろうとした心意気が伝わってきます。よくある絵本に対するアンチテーゼでもあるのだと思います。そうそう、文中「すきなおともだち」という言い回しがよく出てきますが、ちょっと意図が伝わりにくいです。

きゃべつ:私も「すきなおともだち」という表現が気になっていて、その答えが見つかるかと思って、1巻の『レッツとねこさん』を読みました。でも、あんまり説明はなかったので、独特の表現として使われているものなのかなと。この絵がすごく好きで、レッツが1歳年下の子が鼻くそ食べているのを見て、「うえっ」という顔をしているところとか、すごくかわいいなと思いました。大人が読む分にはすごくおもしろいですよね。でも、子どもに読ませるとき、対象年齢が難しいなと思いました。5歳のレッツが過去の自分を振り返るという形をとっているけれど、過去と現在を行ったりきたりするし、小学1年生までの子どもが読んだら、ごちゃごちゃになってしまう気がしたので。

ルパン:子どもはこれを読んでおもしろいのかなあ、と思いながら読みました。レッツはどこの国の子なんでしょう? あだななのかな? 男の子なのか女の子なのかもわからなくて。笑っちゃったのは、「ようちえんではみんなことをお友だちという」という一文。そういえば、うちの文庫で、ある子どもに「〇〇ってだれ? 先生?」と聞かれたとき、「ううん、お友だちよ」と言ったら、「おれの友だちじゃないよ」って言われて爆笑したことがありました。でも、そういう解説を入れているのがなんか大人目線だなって。幼稚園児にはむしろあたりまえのことだからなんとも思わないはずでしょう? 大人が一生懸命5歳にもどって書いてるつもりであれば、うまくいっていないと思います。何もかもが大人の発想だから。大人にとってはおもしろいのかもしれませんが。『ふみだい』のほうは、踏み台にゴキブリって名前をつけるんですけど、「それをさがしているんでしょ」っていうのが、わかりませんでした。何をさがしてるんでしょうね。

紙魚:私もわからなかったです。踏み台の使い方をさがしているってことなのかしら。

ルパン:あと、下から見ると蛇口のよごれが見える、っていう場面がありますが、5歳の子供が「上から見ると見えないんだな」っていうとこまで考えるのかなあ、って思いました。

レンゲ:読み終わってまず、何歳の子が読むのかなと思いました。本の体裁からすると、ひとり読みをはじめたくらいの、5〜6歳からの子が読者だと思うのですが、その年齢の子が楽しいと思うのかなと。たとえば、きらいな友だちにかみついていたのを、ネコさんにかまれてから、やめることにしたというところ。かんだのは好きだから、かんだら好きだと思われるかもしれない、だからやめよう、というのだけれど、3歳の時にそこまで考えるというのは、かなり違和感がありました。3歳の子のすることって、もっと感覚的、直感的だと思うので。イラストの使い方はとてもよかったです。

関サバ子:これは“大人のための絵本”ならぬ、“大人のための幼年童話”だな、と感じました。前にも一度読んでいて、そのときは、「絵もかわいいし、おもしろーい」とあまり深く考えずに読んでいたんですが、今回読み直してみて、子どもがこんなふうに考えるかな? というところがたくさんありました。たとえば、『レッツとネコさん』のp44でレッツの願望として、「おならをする」とありますが、子どもはどこでも構わずおならをします。別の違和感としては、『レッツのふみだい』のほうで、お風呂に入っているお母さんがお父さんに裸を見られて「キャーッ」というのが、「夫婦なのにこの反応は何?」と不思議に思いました。しかも、わりといい感じに仲の良い夫婦というふうに読めていたので、余計に不思議でした。2冊のうちでは、『レッツのふみだい』のほうが、お話に入っていける感じはありました。レッツは目線が低いから、大人が見つけてほしくないものを見つけるところや、テーブルの下の落書きをレッツだけが知っているという設定は、クスッと笑えました。ただ、p55以降は蛇足だと感じました。これは2冊ともに感じたことですが、途中で息切れして、長く感じました。あと、お母さんが外で働いていて、お父さんが主夫か自宅勤務という設定が、ちょっと新しく感じました。

みっけ:これって3冊のシリーズで、3歳の時を振り返る「ネコさん」と4歳のときの「ふみだい」、そして最後が「おつかい」になってるんですね。最後のおつかいも、大人のおつかいに憧れて、まるでお使いになっていないお使いをするレッツの話なんだけれど。始めて読んだとき、おもしろいなあって思ったんです。だいたい5歳の子が3歳の時を思い出して、自分はお兄ちゃんなんだぞみたいな、その設定が新しいなと思ったんです。この年頃の子ってけっこうお兄ちゃん風を吹かせたがるでしょ。そういう、なんていうのかな、ああ、このくらいの子にこういうことってあるよねえ、というようなことがいろいろあって、けっこうおもしろかった。ただし、私自身は大人目線で読む傾向が強いので、はたして子どもにこの絵本を読み聞かせたらどう思うのかな、やっぱりおもしろいって思うんだろうかと、そこがわからなかったんです。基本的には子どもって過去を振り返らないでしょう? だから、誰が読むのかな、とちょっと引っかかった。ただ、書かれている一つ一つのことは、大人とのずれやなにかも含めて、けっこうおかしくておもしろく、大人としては楽しめました。

うぐいす:とてもおもしろく読みました。よくテレビCMなどに、映像は赤ちゃんだけど声は大人で、大人顔負けのせりふを言うところがおもしろいものがありますが、あれと同じだな、と思いました。レッツとお父さんお母さんのちょっとずれた会話、レッツがいろいろなことをいちいち分析して納得するところ、5歳の子なのに、大人みたいに考えて、大人みたいにしゃべるおもしろさ。カバー袖に「著者はじめての幼年童話」って書いてあるんですけど、「幼年」の主人公が出てくる童話、という意味なのかな。私は、幼年童話とは絵本を卒業して一人で読めるようになったばかりの子どもにふさわしいもの、ととらえているんですけど、内容もさることながら、文章そのものも読みやすく、わかりやすくないといけないと思うんですよ。主語と述語がきちんとあって、過去になったり、仮定法になったりしない文章でいかないと意味がとらえられないと思います。
例えばネコさんのp16「手もつかって四本ではしるからはやいのかなとおもって、レッツもおなじように手をゆかについてはしってみたけれど、いつもよりおそくなった」こういった文章は、わかりにくいと思うんですね。誰が何をしたというのがすっとわかる文章というのかな。そういのを使わないと、その時期にはむずかしいと思っています。それからこの本はパラパラとめくっただけですぐわかるように、カタカナがたくさんありますね。ニンゲンとかミョウジとかキュウリとか、カタカナで書かなくてもいい言葉もカタカナにしている。カタカナのほうがニュアンスがおもしろいから使っていると思うんですが、カタカナを習っていない子どもには読みにくいことの一つつです。またみなさんと同じく、5歳のレッツが3歳の頃を思い出すというのは、やっぱり大人目線の考え方だなと思いました。
挿絵はとてもおもしろいし、ところどころに一部だけに色がついているのも効果的。レッツの性別がわからないのは、あえてそうしてるんだと思うんですけど、これもいいなと思いました。こんなふうにページ数の少ない絵物語が3冊あると、一人読みを始めたばかりの子どもにちょうどいいと思って買ってしまいそうだけど、3年生くらいが読んだらいちばんおもしろいだろうに、と思いました。

アカシア:でも、著者はきっと幼児が読める童話が書きたかったんじゃないでしょうか。

ハコベ:これは幼年童話のYAだと思いました。幼年童話って、自分のまわりでつぎつぎにできごとが起こっていくというものが多いけれど、YAは自分がどう考えたか、どう感じたかを丹念にたどっていくものが多いと思うんですね。そういうYAっぽい手法を幼年童話でやってみたというところが新しいし、おもしろいなと思いました。たしかに5歳の子どもはこんな風に考えたり、理屈をこねたりしないと思うのですが、小学校の3〜4年生くらいになると、とつじょ自我にめざめたり、自分の心の中をふりかえって辿ってみたりすることがあると思うんですね。わたしにもそういう体験があって、今でもはっきりと記憶に残っています。そういう年齢の子どもたちは、おもしろいと思うんじゃないかしら。でも、こういう幼年童話の形で書いたら、3〜4年の子どもたちは読まないかもしれないし……。

アカシア:私も3年生くらいが読むんだったら、こういう視点でもいいと思うんですけど、3年生は、こういう出だしだったら読まないんですね。やっぱり読者対象と書いてる視点のずれが大きい。3年生対象なら、もっと違う文章で書いたほうがいいかもしれません。引っかかったところがいっぱいありました。幼年童話で安全じゃないのを書きたいっていうのもわかるんだけど、この年齢だと安心できるものっていうのも大切なんじゃないかな。そうじゃないと冒険に出ていけないっていうこともあると思います。

プリメリア:子どもたちの日常的なかわいいしぐさがよく書かれていておもしろいなって思いました。「キュウリ」が「キウイ」に聞こえるって、そうなのかなって思ったり。お母さんの歌にピンクレディの歌「渚のシンドバッド」が出てきますが、今の子はAKB48の歌はわかっても、この歌はぜんぜんわかんないだろうな。子どもの姿じゃなくて、大人の視線から見た子ども像が書かれている作品のように読みました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


赤ちゃんおばけベロンカ

クリスティーネ・ネストリンガー『赤ちゃんおばけベロンカ』
『赤ちゃんおばけベロンカ』
原題:DIE SACHE MIT DEM GRuSELWUSEL by Christine Nöstlinger & Franziska Biermann, 2009
クリスティーネ・ネストリンガー/作 若松宣子/訳 
偕成社
2011.08

版元語録:こわがりやの男の子ヨッシーが妹のミッツィをこわがらせようと作ったおばけの人形。それがひょんなことから突然動き出して……。

関サバ子:絵がかわいい、見返しもすてきというのが最初の印象です。お話全体は、お兄ちゃんが妹にコンプレックスを持っていて……というのは、かわいくていいなと感じました。絵と文章がちゃんと両輪になっている安定感がありますね。ただ、ヨッシーという名前が気になってしまいました。日本では、「よし」がつく名前の方の愛称として「ヨッシー」があります。なので、ヨッシーと出てくると日本に、ミッツィーと出てくると海外に、と頭の中が忙しく切り替わる感じがあって……。最初の、新しい言葉の発明が、不作法な言葉をくっつけたものというのがよくわかりませんでした。これがわかるともっとおもしろいのに! と感じました。ベロンカのキャラクターがまたおもしろくて、都合が悪くなると赤ちゃんぶって、ごはんはクモの巣、しかもホコリ付きだとなおよい、というのは笑ってしまいました。ラストは、あっけなくあっちの世界に行ってしまうのか、とさみしくなりましたが、p103のお母さんとベロンカが頬を寄せ合っている絵がとてもよくて、唐突ではあるけれど、はしごをはずされる感覚なしに、あったかい気持ちで読み終えることができました。楽しかったです。

みっけ:このお兄ちゃんのヨッシーとミッツィーって、別に仲が悪いわけじゃないんですよね。兄妹には、自分にはない長所を相手に見てうらやましくなるというシチュエーションがよくあって、それがそもそもの始まりになっている。お兄ちゃんがそれを何とかしたいと思ってアクションを起こし、赤ちゃんお化けを作るんだけれど、できちゃった赤ちゃんベロンカがまったく自分の思ったとおりにならないっていうところがまたいいなあ、と思いました。赤ちゃんベロンカの、図々しかったり、泣き虫だったりするあたりも、いかにも赤ちゃんらしくて納得できるし。そこから物語が転がっていって、最初はヨッシーがただうらやましいと思っていたミッツィーの怖いもの知らずなところが、二人にとってちゃんとプラスになり、かと思うと大きいベロンカに命をふきこむところでミッツィーにわざわざ「やりたい?」って尋ねてあげるヨッシーの優しさとか、お互いのいいところがいい形で絡んで、兄妹の関係が変わっていくというか、ふたりが関係を再発見する。そして最後に、ミッツィーがヨッシーに抱きついて、「おにいちゃんのベッドでいっしょに寝ていい?」と尋ねるんだから、これは読んでいてとても気持ちがよかったです。兄妹という名前の一幅の絵が完成した,という感じかな。あと、できちゃったお化けが赤ちゃんだったので、お母さんが必要だというあたりも、とても納得できると思いました。

うぐいす:とてもよくできた本で、好きでした。子どもは、赤ちゃんが出てくる話は大好きで、もちろんおばけの出てくる話も大好きです。大人に内緒で何かする、子どもだけでものをつくるっていうのも、楽しい要素。子ども読者を楽しませることがたくさんつまっていますね。しかも細かいことをきちんと書いているので、嘘っぱちなことなんだけれども、本当と信じられるところが、うまいなって思いました。兄弟の性格付けも、ベロンカの様子もよくわかるし。
秘密の友だちって最後に別れるところがつらいんだけど、子どもにとって最高に安心できる「お母さん」をつくってあげるっていうところは、読者としても納得できると思います。p97でベロンカがとびはねていたのにすぐに眠りこんでしまったのを見て、ミッツィが「赤ちゃんってそんなものだよ」っていうところとか、ところどころくすっと笑えるところがあって、ユーモアを感じました。不作法な言葉ばらばらにしてつくった「バーベロンベロンカ!」というのは、私は「ベロンベロン、バーカ」だなと思って読みました。見返しにベロンかの作り方が細かく書いてあるところも、楽しい部分ですね。

ハコベ:とてもおもしろくて、よくできている作品だと思いました。こういう本こそ、子どもたちが読みおわったときにフウッと満足の息をついて、またつぎの本に手を伸ばすんじゃないかしら。ベロンカのおかげで、お兄ちゃんと妹の関係が変わっていくところとか、赤ちゃんおばけにお母さんを作ろうといいだしたのがプラクティカルな性格の妹だったところとか……。この作品でいちばん大変なところは、自分が作った人形が命を得るという個所だと思うのですが、不自然さを感じさせずにすんなりと入っていけるところが、さすがネストリンガーだなと思いました。お母さんおばけの人形は、目も片方が大きかったり、なんだか変てこですけれど、すてきな、すばらしいお母さんじゃなくても赤ちゃんがなついていくというところなど、なかなかいいですね。「ふうがわりな」人形という訳も、うまいなと思いました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。絵も、この子たちの生活が思いうかぶので、いいですね。作り方にしても、子どもに話しかけるように、「いろいろなマニキュア、マニキュアがなければまじっく」ってていねい。一つひっかかったんですけど、p23の4行目「生きるってつかれるなあ」って、「生きてるってつかれるなあ」てしたほうがよくないですか。「バーベロンベロンカ」は、「バカ」が入っているのはわかったけど、ベロンベロンはわからなかった。おばあちゃんも存在感がありますね。

プルメリア:3冊目でこれを読んだんですけど、ほっとしました。子どもたちはおばけが大好きです。自分が作ったおばけが動き出す、大人にかくれて秘密をもつ、わくわく感が伝わる作品だと思います。ベロンカにはたくさんのかわいさがありますが、p55のベロンカの言葉「ふとったクモはとってもおいしそうだけど、クモをたべたら、すがなくなっちゃうもんね。ごはんをつくってくれるのに、たべたりしないよ」もいいなと思いました。ベロンカにクッションを置いてやるヨッシーのしぐさもかわいいです。ベロンカを作る時とお母さんを作る時の窓辺に必ずハトがいる挿絵も印象的でした。

紙魚:クモのちっちゃなイラストも、あちこちに登場しますよね。

プルメリア:ベロンカもかわいいですが全体の絵もすごくいいです。おばあちゃんがちょっと若いけど。読みやすくとってもいい本だなって思いました。

ajian:安心感がありますよね。よくできてて。こういう話のフォーマットを利用したものって他にもいくらでもあって、世代的にETみたいだなとも思いましたが、やっぱりディティールに使われているアイディアがおもしろい。幽霊の赤ちゃんがクモの巣を食べるとか。それから、絵の遊びのことを皆さんも指摘されてましたけど、僕も一つだけ。p105の絵にもクモが登場しますが、よく見るとクモの糸でEndeって書いてあります。

紙魚:おばけは、子どもたちがみんな大好きな登場人物ですが、さらにそのおばけが気弱で泣き虫だというだけでも、読者は大喜びしそうです。子どもの好きなものをよく知っている作家なのではと思います。この物語からは、親に隠れて秘密を持つことのドキドキ感や自立心も伝わってきます。でも、実際のところ、p46でパパが説明してママが納得し、p58でもまたパパが説明してママが納得するということが書かれています。この家の親は、きっと子どもたちがやっていることを知らないふりして、すべてを知っているんですよね。親の描き方、大人の描き方で、作者の立ち位置があらわれるように思います。最後の最後で、たくさんの心の動きが安心感、幸せ感に変わる物語でした。今回の3冊は、比較がしやすくて選書が絶妙でしたが、いちばん楽しくていちばん安心していちばん栄養になったように思うのは、この『赤ちゃんおばけベロンカ』です。

きゃべつ:すごく楽しくて、ていねいに作られている本だと思いました。見返しに工夫がされているのって、すごく贅沢だし、子ども好きですよね。ここからわくわくします。実際読んでみて、弟とか妹が生まれて、お母さんがそちらにかかりきりでちょっぴりさびしい、なんて子にぜひ読んでもらいたいと思いました。この本では赤ちゃんが、本当に赤ちゃんで、お母さんという存在が必要なんだと、強く主張されているので、主人公と同じく、「しようがないなあ」って言いながら、かわいい赤ちゃんにお母さんをゆずる気持ちになってくれそうです。お母さんベロンカは生まれたときからお母さんで、赤ちゃんベロンカを見たなり、抱きあげて、ほおずりして、まるごと「母性」という存在ですよね。こういうあたたかな存在が描かれているのが、とてもよいと思いました。

ルパン:私は、実は3作品の中ではこれがいちばん印象が薄かったです。印象に残らなかったのは、よくできていたからなのかな。とってもスタンダードな安心感はありましたが、テイストとしては『ももやまさん』のほうが好きでした。期待外れで残念でしたけど。この作品でおもしろかったのは、「ひどいおばあちゃん」。もとの言葉は何なんでしょう。このおばあちゃんが一番強烈でした。

レンゲ:私はこの表紙を見たとき、そんなに「かわいい」とは思わなくて、最初入りこむのにちょっと手間取りました。作り方のところで、「たすきがけ」は、前はばってんにならないのにとひっかかったり。でも、とても緻密に構成されているお話だと思いました。書き方も、細かすぎもせず、かといって大事なことはきちんとおさえてあって、ちょうどいい。こわがりのお兄ちゃんと、しっかりものの妹の関係の描き方がよかったです。

うぐいす:半年後にママがパパの冬ふとんがみあたらない、と探す様子が書いてあるのもいいですね。放りっぱなしにしないできちんと落ちをつけている。

アカシア:ほつれた糸を残しておかないっていうのか。

関サバ子:見返しも化粧扉も4色で、1200円に抑えているのはすごいですね。意味のある4色の使い方で、勉強になります。編集者の方の力量を感じます。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


キノの旅(1) the Beautiful World

時雨沢恵一『キノの旅』
『キノの旅(1) the Beautiful World』
時雨沢恵一/著 黒星紅白/挿絵
アスキー・メディアワークス(角川つばさ文庫)
2011.07

版元語録:『世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい』--短編小説で綴られる、人間キノと言葉を話す二輪車エルメスの旅の話。シリーズ累計700万部の人気作品「キノの旅」が角川つばさ文庫版で遂に登場。

ajian:1、2話読んで、あまりおもしろくなかったので、全部きちんと読めなかったですね。銀河鉄道999を思い出したけれど、もっと軽いというか、平板というか……。普通は、物語を物語ることで、何か伝わるものがあると思うのですが、これは何を伝えようとしているのか、よくわからなかったですね。こういう場所に行って、これこれこういうことがありました、という連続で。設定やアイデアだけがあって、肝心の中身がないように感じられました。

メリーさん:ライトノベルは時々読みますが、タイトルは知っているけれど手に取っていなかった1冊でした。これは、いわゆる大人向けの寓話ですよね。言葉遣いも、ある一定の年齢層に向けて書かれているので、この児童文庫の読者にはわからないものが多いのではないかと思いました。ただルビをふればいいのかというと、それは違う気が……。こういう物語は、主人公のキャラクターが好きか嫌いか、設定に入り込めるかどうか、ということで読み進めるものだと思うので、文学的にいいとか悪いという話とはまた別だと思います。人とバイクというアイデアはとてもおもしろいと思いましたが、キャラクターにはそれほど魅力を感じませんでした。

大福:少年漫画のような読みやすさと、戦えるカッコいい主人公、個性的で便利な相方エルメス。黒星さんという絵師さんは、機械をうまく描くことで定評があり、女性にも人気があります。作品とも合っていると思いました。このシリーズは、私が中学・高校生くらいの時に流行りました。かなり短い短編なので通学の時間に一話が読めたりと、量もちょうどよかったです。キノとエルメスがいろいろな国の人と関わって、いろいろな価値観を見せてくれるので、自分も少し哲学した気になれますし、自分がこの国に行ってキノの立場になったらどうするだろうと考えることがとても楽しかったことを思い出しました。電撃文庫にあった第4話「コロシアム」は、角川つばさ文庫版には入っておらず、そのかわりに「偉人の国」という短編が入っています。「コロシアム」では「殺せ殺せ」という大合唱や、キノが王様を銃で打ち抜く生々しい描写があるので、子どもにショックを与えないためなのかなと思いました。

トム:中高生に人気の本と聞きましたが……。人の痛みが分かる国、多数決の国、大人の国、平和の国などと、ひとつひとつの章に大きな主題がストレートに出ているけれど、なにか読後はすっきりしません。現実の皮を剥ごうとしているのかも知れないけれど、展開が一方的だし、読者に対して乱暴な気がします。戦争についてもこんなに簡単に書いておしまいにしてよいのかと思います。大国への批判は充分わかりますが……。全体を通して乾いて暗い感じですが、その暗さの質が気になります。

ハコベ:『星の王子さま』や『ガリヴァー旅行記』のような話ですが、どこがおもしろいのか、なぜ読まれているのか、さっぱりわかりませんでした。学校図書館(中学、高校)の司書の方にうかがったら、主人公が女の子っぽくなくて(イラストも含めて)、自分の目の前で起こる出来事に感情移入せず、いつも距離を置いてさめた姿勢でいるのがクールでかっこいいというので、読書力のある子にも無い子にもよく読まれているとのこと。世の中の出来事に真摯に立ち向かっていく姿を滑稽だとか、ウザいと感じる風潮と、どこかでつながっているのかもしれません。パラパラめくって軽く読む本なのでしょうが、それならもっとおもしろい本があるのにと思ってしまいます。

レンゲ:10年くらい前に中学校の図書室のボランティアをしていたとき、よく借り出されていた本です。今回初めて読んだのですが、私はつまらなかったです。大人になりたくない、大人になることに希望を持っていない子どもが、子どもに書いた本という印象で、そのニヒリズムがいやでした。投げやりという言葉にも通じますが、希望のないところが。
『ほこりまみれの兄弟』では、旅を通して主人公が成長していくけれど、これはひとつの旅が終わっても、前と同じで主人公は変わらない。なぜ突然攻撃的になるのかも理解できなくて、本と対話できませんでした。こういう世界はゲームでもたくさんあるし、別に本で示してやらなくてもいいのでは? つばさ文庫は小学校中学年からだそうですが、ただでさえ忙しい今の子どもに、わざわざこの本を手渡そうとは思いませんね。

ハリネズミ:ちょっと時間がなくて、まだ半分しか読んでいません。でも、机の上に置いておいたら、まわりの若い人たちがすぐに反応するので、人気がある本だということはすぐわかりました。学校という空間を息苦しいと思っている若い人たちが通学途中で読むには、いいのかもしれませんね。文学としては舞台設定もあいまいだし、情景描写もたいそう貧弱ですが、プロットだけはなかなかおもしろい。そういう意味では、今のライトノベルの典型かもしれませんね。角川つばさ文庫で読んだのですが、新たに書いたという4話だけが、ほかと違って、ですます調になっているのが気になりました。同じ注がどの話にも入っているのもわずらわしいと思いましたが、これはどこから読んでもいいという作者のメッセージなんでしょうか?

プルメリア:小学4〜5年の女の子たちが読んでいました。読んでいる子どもに「この本、みんなが読んでいるけれど、どこがおもしろいの?」と聞いたところ「キノが女の子っぽくないところが好き、それにどこからでも読めるし」と言っていました。今回読んでみたところ、女の子が手に取る表紙や挿絵だと思いました。どの章からでも読めることや各章の表紙がまとめて最初にある本作りは面白いと思いました。

きゃべつ:私も中学生のころに読みました。とても流行していて、この人の他の作品も読んだことがあります。クールで、世間を斜めに見ている「僕っ娘」のキノは、自意識を持て余している思春期の子にとても刺さるキャラクターなのだと思います。児童書で「旅」がテーマになる場合、そこには成長や目的があるけれど、『キノの旅』にはそれがなく、サザエさんのようにキャラクターは据え置かれて、旅という手段によって舞台のほうがくるくると変わっていく印象でした。さまざまな国が出てきますが、原作の電撃文庫でおそらく一番人気があり、もっとも『キノの旅』らしい「コロシアム」が角川つばさ文庫では収録されていません。代わりに入っていたのは、ですます調のお話で、ライトノベルをそのまま児童文庫に持ち込むことの揺らぎを感じました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


ほこりまみれの兄弟

ローズマリー・サトクリフ『ほこりまみれの兄弟』
『ほこりまみれの兄弟』
原題:BROTHER DUSTY-FEET by Rosemary Sutcliff, 1952
ローズマリー・サトクリフ/著 乾侑美子/訳
評論社
2010.08

版元語録:孤児の少年ヒューは、意地悪なおばさんの家を逃げ出した。お供は愛犬のアルゴスと鉢植え。めざすは学問の都オクスフォード。でも、途中で芸人一座と出会い…。

プルメリア:おもしろかったです。主人公ヒューがやさしく素直で、前向きの寄り添いたくなるかわいい子です。季節ごとに移り変わるイギリスの自然描写やその土地で生活している人々の暮らしの様子がよく描かれているなと思いました。お祭りを楽しんでいる様子も描かれているので一緒に楽しむことができました。主人公と関わっている旅芝居の人たちとの小さな社会があたたかくてよかったです。貧しい中にも人々の優しさが入っていてよい本だなと思いました。サトクリフの書いた作品は何点か読みましたが、この本からは、今まで読んだサトクリフ作品とは違う一面を知りました。p64に聖ジョージと竜が戦う場面がありますが、聖ジョージの味方をして大声をあげる者もいれば、竜がいちばん好きだからと竜に声援を送る者もいる、そんな見物衆の熱のこもった会場の盛り上がりが聞こえそうな気がしました。

ウグイス:これはもう20世紀の児童文学の王道といった作品ですね。主人公が、父親も母親もいない、逆境にある、犬が好き、という出だしからもう読者の心をぐっとつかみます。逆境からたったひとりで逃げ出し、目標に向かって進む。行く手には困難もあるのだけれど優しい気持ちを持った大人たちに助けられて生きていく。きっと幸せをつかむという安心感があります。サトクリフの作品はどれもそうですが、どんな時代の主人公であっても、読者がぴったりと心を寄せて一緒に歩いて行けるんですね。一体この著者は何を書きたいのか、という疑問を持たずに読めるというか、安定感がありますよね。旅芸人たちも魅力的に描かれているし、ツルニチニチソウの鉢が小道具としてうまく使われています。文体はこの年代の読者向けの物語にはめずらしく敬体で書かれていますが、「ていねいに書かれている」感じが増していますね。しかしこのタイトルと装丁はどうなんでしょう。子どもたちがおもしろそう、と手を伸ばすとは思えません。私も兄弟の話だと思ったし、ほこりまみれの兄弟なんてあまり魅力を感じないし。『クロックワークスリー』のほうがずっと魅力的に思えました。そこが残念でした。

きゃべつ:冒頭で、ツルニチニチソウの鉢植えを唯一持って出ていくところが、つつましやかでとても好きです。夢か現か、というぎりぎりのラインでファンタジーを織り交ぜていて、それがとても上手でした。物語の途中、牧神(パン)についてやけに印象的に語らせるなあと思ったのですが、途中で会った笛吹き、そして最後にアルゴスを助けた人物が、よいひとたちのひとりであり、牧神(パン)なのですかね。言い切らないことで、かえって余韻が残り、印象的でした。

メリーさん:『クロックワークスリー』が映画のような話だとすれば、この『ほこりまみれの兄弟』は1枚の絵画のような物語でした。最後まで読むと、それまでのエピソードがすべてつながり、パズルのピースが完成するような感じがしました。どのエピソードも印象的ですが、主人公のヒューのそばには、いつでも旅芸人のジョナサンがいて、やさしく見守ってくれている。大人と子供の信頼関係がきちんと描かれているのがいいなと思いました。最後の場面、ヒューが旅の一座を離れ、オクスフォードに行くことを決めたところ、家の外から自分を最も大切にしてくれた旅の一座の奏でる音楽が聞こえてくる。ヒューはそれを耳にしながらも、決して見に行こうとしない。そして、だんだんとその音が遠ざかっていく…自分を育ててくれた人たちに、心の中で感謝しながら別れを告げる場面は本当にいいなと思いました。

大福:いろいろな植物が出てきて、自然味豊かな描写と犬の生き生きとした描写が好きです。『運命の騎士』(サトクリフ、岩波少年文庫)の方がもっと話が濃く、風俗や習慣なども味わえて展開も早く、ドキドキハラハラした印象がありました。読んでいる間も読み終わった後も、なぜかぼんやりとしてあまり心に残らなかったのですが、なぜかと考えたときに、語り口やヒューの描写が愛情あふれた書き方で、いつも守られたり、フォローされているように感じたことが理由かなと思いました。この物語はこの少年にあまり悪いことが起きないようにできているのかなと思わせてしまうところや、少年の思い通りになることが多かったので、ドキドキハラハラがあまり感じられなかったのかもしれません。ただ、虐待から逃げ出すのはひとつの選択肢としてあるということを子どもたちが知っておくのはよいのではないかと思いました。

ダンテス:『クロックワークスリー』と比べると、ある意味イギリスの時代小説というとらえ方でいいのでしょうか。ウォルター・ローリーなど、イギリスの歴史をうまく取り入れてイギリスの子どもたちに時代がわかるように書かれています。こちらはエリザベス女王の年代や、シュークスピアの生没年も調べました。また自然描写がうまいです。訳もうまいですね。ストーリーの展開としては不安がありません。旅芸人に救われて最終的にそこからステップアップするよう救う人も出てくる。一方、お世話になった旅芸人たちとの別れの葛藤もあって、まことによりよい人生の展開があり、よい終わり方をしています。ただ、本の題名がわかりづらいですね。定住しない人たちをほこりまみれの足と言っていたと文中にありましたが。

トム:『クロックワークスリー』と比べると、物語のなかの時間がゆっくりと自然の流れに沿っている感じがします。動くことが不自由だったサトクリフを思うと、その想像力はほんとうにすごい! 読みながらイングランドの地図を辿るのもとても楽しかった! サトクリフはヒューのように歩いて旅をしたかったのかもしれないですね……。人の痛みがわかる人たちのヒューへの心遣いがあたたかくて心に沁みます。旅先の村で芝居をふれ歩いて村人を集める姿や、芝居小屋の裏の様子とか、日本と共通することがあると思うとまた違うおもしろさがでてきます。さらし台も昔、日本の村で掟を破った人に似たようなことをしたとどこかで読んだ気がしますが……。物語の中に芝居が入っていたり、物語の中にジョナサンの語る物語が入っていたり仕掛けがたくさん埋め込まれている! ダンテスさんがおっしゃったように歴史も埋め込まれているのですね。サトクリフはこの物語の中にいろいろな種を埋め込んでいるのかもしれないと思いました。具体的に書かれたたくさんの花も辿ればまた何か見えるかも。ただ、p7の「ニオイアラセイトウの花のような茶色い目」は目の色?形? 最後にヒューは、深く悩みますが、私だったら旅芸人について行ったかも……。この物語を読んだ学生の人たちはどう思うかちょっと聞いてみたいです。

ハコベ:みなさんがおっしゃるように、本当に安心して読める、すばらしいイギリスの児童文学だと思います。主人公がいろいろな事件に遭遇しても最後には幸せになるんだろうなと思いながら読める、よくいう幸福の約束を作者がしてくれている。現代の作家が書けば、最後は旅芸人についていくという結末になるかもしれないなとも思いました。敬体で訳してあるので初めはちょっと読みにくいと思いましたが、すぐに気にならなくなり、ぐいぐいとストーリーに引き込まれていきました。イングランド南部の自然を美しい言葉で綴ってあり、訳者が心をこめてていねいに訳していますね。乾侑美子さんが亡くなる直前まで力を尽くして仕上げられた作品で、本当にすばらしい仕事を遺していかれたと胸を打たれました。

レンゲ:物語がとてもおもしろかったです。16世紀の世の中はこういった感じだったのかなと思いながら読みました。オクスフォードに行くのか、旅芸人たちといっしょにいるのか、最後に主人公が迷って選ぶところがとてもいいなと思いました。微妙な心の動きや情景など、普段は言葉で表さないようなことが端々で表現されていて、読むと逆に人間の感情や自然の豊かさを再認識させられるようでした。でも、こういう本はお行儀がよさそうで子どもに敬遠されそう。手渡そうとしないと、なかなか手渡せない本ですね。
翻訳はとても読みやすかったですが、p221の「インド諸島」は正しくは「インディアス」です。でもこれは、p222に「イギリス女王のインド諸島」というのが出てくるので仕方がないのかもしれません。また、p222ジの「スペイン王フィリップ」は「スペイン語フェリーペ」とすべきところでした。

ハリネズミ:出版されてすぐに読んで、とても好きになり、書評も書いたのですが、もう一度読み直す時間がありませんでした。なので、細部は忘れてしまっているのですが、読後の満足感が大きかったのは覚えています。サトクリフは体が不自由であまり外には出られなかったと思うのですが、旅芸人の人たちが野宿をしたときのことや、まわりの自然など、ここまでリアルに書けるのは本当にすごいと思います。戦闘場面なども荒々しく書いたほかの作品と比べると、いざこざやもめ事はあるものの、やさしい作品ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物

マシュー・カービー『クロックワークスリー』
『クロックワークスリー〜マコーリー公園の秘密と三つの宝物』
原題:THE CLOCKWORK THREE by Matthew Kirby, 2010
マシュー・カービー/著 石崎洋司/訳
講談社
2011.12

版元語録:不思議な音色を奏でる緑のバイオリン、機械仕掛けで動くふしぎなものたち、そして、隠された財宝―。さあ、三人の子どもたちの大冒険がはじまります。

ダンテス:かなり分量があって読むのは大変かなと思いましたが、けっこう楽に読めました。ストーリー的には『マルベリーボーイズ』(ドナ・ジョー・ナポリ著 相山夏奏訳 偕成社)と似ていますか。現実にこれに近いような話があったのでしょうね。最後、ボディガードが親方を殺すところには驚きました。そういう解決に持っていくのかと。ここはかなり意外でした。細かく詮索してここは変じゃない?と思う所はないわけではありませんが、お話として読めばおもしろかったですね。

トム:物語の世界へ引き込む力がとても強い。次々変わる場面も見えるようだし、食事の匂い、バイオリンの音色、地下室のカビ臭さなども感じられて、細部のリアルさが全体を支えている気がしました。

ハコベ:厚いので「うわっ!」と思いましたが、おもしろくて一気に読んでしまいました。お互いに知らなかった3人の主人公が結ばれていくところもうまくできていると思いました。ダンテスさんのおっしゃるように『マルベリーボーイズ』と時代背景が似ていて、同じ時代と場所の物語をもっと読んでみたいと思いました。ただ、ロボットまがいの代物が出てくるあたりから「こんなのあり?」という感じで、波乱万丈を通りすぎてハチャメチャになっているような。なにやら訳の分からない粘土や、お金持ちのご婦人を追っている「敵」の正体も明かされないまま終わるのは、どうなんでしょうね?

ハリネズミ:3人の物語がだんだんからみあって一つになっていくところや、謎を解明しているところや、アリスの存在など、おもしろいところもあったのですが、「これでいいのか?」と疑問に思ったところもかなりありました。一つは子どもの盗みです。ハンナはポメロイ夫人のダイヤのネックレスを盗むし、博物館にしのびこんでゴーレムの一部である粘土のかたまりを持ってきてしまいます。フレデリックも、博物館から銅製のマグヌスの頭を盗む。仕方なく盗んでしまったのはしょうがないとしても、盗んだ後の著者の処理が腑に落ちなかったんです。p369では、ハンナの独白で「ポメロイ夫人は、ミス・ウールとグルンホルトさんの味方をして、ハンナを裏切った。(中略)もちろん、父親のためなら、何度だってやるだろう」と言わせているし、p453では「おまえはポメロイ夫人のネックレスを盗んだが、おかれた状況を考えれば、それも無理からぬこと」と、トゥワインさんに言わせている。目的さえよければ盗んでもいい、というメッセージが伝わってきますが、著者は意図的にそうしているんでしょうか? またハンナはゴーレムのかけらをポメロイ夫人にプレゼントしてしまうし、フレデリックの盗みに関しても、博物館の管理人が悪いやつだったからということですませている。盗んだことの結果を、子どもはまったく引き受けていないわけです。また、社会の底辺にいる3人が力をあわせて希望をつかむという流れですが、最後は結局お金持ちのポメロイ夫人が幸運を授けてしまう、というのも残念だし、トゥワインが子どもたちと取引をするところもあまりにも単純で、子どもだましの感があります。私は、訳者あとがきに書かれているほどすばらしい本だとは思えませんでした。この著者の次の作品がむしろ楽しみです。

プルメリア:長編は好きな方なので楽しみながら読みました。各章にある目次のカットが内容を表していてわかりやすかったです。ハンナがネックレスを盗む、ジュゼッペが緑のバイオリンを盗まれる、フレデリックが嘘をつきながらお母さんを探すところ場面など、ドキドキハラハラすることが多かったです。ただ、ハンナのお父さんが元気になる場面は展開が早すぎるように思いました。からくり人形がしゃべるのはびっくり、また、マグヌスの頭が話した言葉がドイツ語でしたが、それが英語になるのも不思議でした。おもしろかったものの、ファンタジーの世界にはちょっと入り込めませんでした。3人の登場人物に興味をもって読み出すと、長いけれど読める作品だと思います。

ウグイス:まず見た目が魅力的でおもしろそうな本だなと思いました。3人の子どもたちが出てきますが、先ほどプルメリアさんもおっしゃったように、各章のはじめに子どものイラストが入っているのはわかりやすくてよい工夫ですね。途中で訳者あとがきを読んだら「飽きるどころかどんどん引き込まれて」と書いてありましたが、それほど引き込まれる感じはしなかったです。19世紀末のアメリカ東部が舞台と書いてありましたが、それらしいにおいはあまり感じられず、架空の世界の話のようでした。

きゃべつ:帯に、日本の児童文学は内面の描くことに重きを置いている作品が多いけれども、純粋に読んでいておもしろい作品も必要だ、というような主旨のことが書かれていて、なるほど、と思いました。おもしろくて夢中になって読んだのですが、瀕死のお父さんがいるのに、助けるために現実的な手段を選ばず、伝説のお宝を探しに行くところなど、展開に無理があるところが少々気になりました。ゴーレムなども本当に必要だったのかな、と。ファンタジーの要素をもっと減らしても、充分に楽しめる作品だったかと思います。

ajian:ディケンズのようだという触れ込みで、期待して読んだのですが、後半がやはりぐずぐずでした。前半は魔法のバイオリンをひく場面や、ハンナがオペラに行くためにドレスアップするところなど、印象的な場面がたくさんあって、好きな作品だったのですが。後半の自動人形が動き出すくだりは、いらない気がしますよね。動き出して、暴れて、壊れて終わりで、何だったんだろうという。前半のせっかくのおもしろい風呂敷を後半にたたみ損ねた感じが、惜しいです。つまらない作品ではないのですが……。

メリーさん:とてもおもしろかったです。「黒魔女さん」の著者が訳しているということもあり、これだけの分量の物語を読ませるところ、やはり読みやすさに気をつけているなと感じました。3人がそれぞれ語る構成もいい。主人公たちがそうとは知らずに、偶然同じ場所に居合わせているところなど(読者だけが知っている)は、とてもうまいなあと思いました。前半は主人公たちが自らの運命を切り開いていく姿がとてもいいのですが、後半は彼らの実力と超能力の境界があいまいで、ちょっと残念でした。オートマタなどは、そこまで超能力を持たせずに、からくり人形のままでよかったのでは。キャラクターも立っているし、バックグラウンドとしての時代や街の様子をきちんと描いているので、ファンタジーにしてしまわずに、きちんとした歴史冒険物にしたほうがよかったのではないかと思いました。タイトルは、「機械じかけの〜」というような意味だと思いますが、原題そのままだと、読者にはちょっと意味がわかりにくいかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年3月の記録)


ミムス〜宮廷道化師

リリ・タール『ミムス』
『ミムス〜宮廷道化師』
原題:MIMUS by Lilli Thal, 2003
リリ・タール/著 木本栄/訳
小峰書店
2009.12

版元語録:囚われの王子フロリーンの生きのびる道は、宮廷道化師になることでしかなかった。誇りを捨て、敵の王の笑いを得て活きる。笑いこそが最後の武器に。王子の物語。

タビラコ:途中までしか読んでいないのですが、とてもおもしろかった。家へ帰ってから、絶対に続きを読みます。虐げられていながら、ある意味で宮廷の誰よりも自由であるという道化師の存在そのものが魅力的ですね。ただ、ひとつ不満をいうと、登場人物が多くて名前が分かりにくいのに、登場人物紹介がなかったこと。途中で「誰だっけ?」と何度も前のほうを読みなおさなければならなかったので……。

トム:物語の始まりでたくさんの人物・王国・関係性に混乱してきたので、新しく人が登場したら、ページに付箋添付作戦で行きつ戻りつして、やっとクリア! 物語の舞台になる城や森などの地図が本のどこかにあったらいいのに! べリンガー城の内部などもふくめ自分で想像して描く楽しさを残しておくということもあるけれど...あれこれ考えていると芝居にしたこの物語も観てみたいと思いました。皆から慕われるモンフィール王フィリップのなかにもひそむ弱さ、敵意に満ち残酷極まりない王テオドではあるけれど家族にみせる情、父を救おうと行動するフロリーン王子の、どこかに残る頼りなさ。みな人間くさくて惹かれます。たとえば、フロリーン王子がモンフィール王解放作戦を練るヴィクトル伯爵から同志の名をほんとうに知りたいかと聞かれ、一度は「はい」と答えたものの、すぐに首をふって打ち消し「焼きごてを見ただけで、ぼくは名前をぜんぶ吐いてしまうでしょうから」と断る場面や、拷問のすえ地下牢に閉じ込められたフィリップ王が、王冠とひきかえに明かりと空気と命を恵んでやるといわれて「ここにこれほど長くいると、真実よりもそうした嘘を信じた方がどんなに気が楽か、と思えてくるのだ」という場面などに出会うと、弱さを知ることの方がずっと強い気がしてきます。
道化の存在は深くてつかみきれないですね。「存在が無だってことよ」「神様のものでもねえし、悪魔のものでもねえ」と言うミムスは、謎めいておもしろい! この物語の鍵をにぎっています。

さきいか:すごくおもしろかったです。p534の「邪悪な〜」の所からの2ページはお触れなのか手紙なのか、文書ならこういうところに絵があっても良いかなと思いました。あとは、ミムスとフロリーンの友情、ミムスとヴィンランド王の友情、フロリーンとラドボドの友情、フロリーンとベンツォの友情や絆が描かれているところが良いと思いました。そういったところが辛い環境でも救いになっていて物語の後味を悪くさせないようにしているのかなと思いました。マイスター・アントニウスもちゃんと人間らしい心があって、フロリーンに同情してくれているところもじーんときました。社会人としてはだめな行動なのでしょうが。あと、フロリーンは底辺を少し知ったので、良い王になるんじゃないかなとこれからが楽しみで、今後のストーリーも見たいなと感じました。

紙魚:ドイツの児童文学だったので、もしや思索的で難解なものなのかなと一瞬思ったのですが、読みはじめるととてもおもしろく、エンターテイメント性がありました。とはいっても、やはりドイツの物語。善悪、貧富、愛憎と、相反するもののあいだにうまく主人公を立たせて、考えさせられるところも大いにあります。物語全体をひっぱっていくのは、ミムスの存在。この作者は、きっとミムスという人物を書きたくて、この物語を書いたのでしょう。とくに、ミムスの発言や歌は、毒のあるユーモアにあふれていて、ときにはほっこりしたり、ときにはどきっとしたり、楽しませてもらいました。訳者の方も、原文で韻が踏まれているところなど、歌の訳については、きっとご苦労されたのではないでしょうか。王子がこんなにかんたんに誘拐されるかについては、ちょっと疑問に感じました。この物語は、宮廷のなかについてはリアルに書き込まれていますが、宮廷外の描写はさらっとしていて、隙間があるように感じました。

きゃべつ:語り口は昔話のようで、ドイツの児童文学によくあるように、堅実にらせん状に話が進むのかと思ったけれど、ミムスに出会ってからは、物語も急に生き生きと動きだしておもしろかったです。ミムスのキャラクターが人を惹きつけ、物語のテンポを作っているのだと思いました。この本はあらすじだけを聞くと、とても残酷な話だけれど、それぞれの人物に宿る良心もきちんと描かれていて、それが救いとなっているのだと思います。

関サバ子:分厚い西洋ファンタジーは読まないので、ふだんは絶対に手に取らない本でした。が、読み始めると最初からぐいぐい引きこまれ、寝る間も惜しんで読み切ってしまいました。おもしろかったです! 主役はフロリーンですが、存在感ではミムスが上ですね。宮廷道化師は、王様に見世物小屋の動物のように囲われているのに、王様をからかっても(といっても、高度な笑いと知性、反射神経が要求されますが)首をはねられない唯一の存在であるというのが、すごく興味深かったです。また、「非人間的な扱い=悪」というステレオタイプに陥らず、ミムスはミムスなりの矜持がある、というところは、考えさせられました。フロリーンが空腹にあえぎ、鞭打ちを受けるところは、真に迫るものがありました。こんなふうに、思わず目を覆いたくなる残酷さも逃げずに書いているところは、わたしは好きです。最後まで甘ちゃんらしさが抜けないフロリーンには、歯噛みしたくなる思いもありましたが、それをしのぐ生命力がとても魅力的でした。
骨格は典型的な貴種流離譚だと思いますが、フロリーンの成長を、ミムスが直接父親のように促すというより、あたかも触媒のように促している距離感がよかったです。最後、城が破壊されて国が制圧されているのに、形勢逆転できたのは、不自然な感じを受けました。

レン:途中までしか読めませんでした。西洋の伝統にのっとって物語が進んでいきますが、日本の読者は西洋的なものには受容度が高いことを改めて痛感しました。道化は、馬鹿なふりをしながら、本当は自分のほうが相手を見下すといった複雑さを持っているので、その重層性がおもしろみになっていますね。

ハリネズミ:よくできた物語だと思いました。表紙がチビミムスと老ミムスの違いをよく表していますね。ちびミムス(フロリーン)のほうは、まだ子どもだし育ちもいいので、まっすぐで単純な顔をしている。逆に老ミムスのほうは、知恵も悪知恵も身につけて、多面的で一筋縄ではいかない、いかにもトリックスター的な姿をしている。対照的な存在だということが、表紙からもわかるように描かれているんですね。老ミムスは、どっちに転ぶかも、誰をだますかもわからない。だからこそ、おもしろい。ハッピーエンドは児童文学の限界か、という話が出ましたが、怨みの連鎖を断ち切るというのは、現在の世界状況を見渡している著者の願いなのだと思いました。理想を提示するのは児童文学の一つのかたちで、限界というのとはまた違うように思います。あまりにもとってつけたようなハッピーエンドだとまずいですけど。訳は少し引っかかるところがありました。フロリーンが師匠であり年もずっと上のミムスを「きみ」と呼んでいるのがいちばん気になりました。「ご紳士」「ご勘定」っていうのも変では?

シア:装丁も設定も良さそうで、期待していた一冊です。しかし、本の分厚さに少し気後れして、3冊目として読みました。読んでみて、映画になりそうな、おもしろい物語だと思いましたが、Y.A.としてみると残酷な描写が多すぎるような気もしました。4章からずっと飢えと寒さと辛い展開で、重い話が長いかなと。キャラクターの数は多かったですが、一人一人キャラが立っていて、読んでいてわかりづらいということはなかったですね。
とてもおもしろかったのですが、実は3冊中一番納得がいかない作品でもありました。とくにエピローグが蛇足だったかなと。ミムスをすぐに自国へ連れて行かなかったヴィンドール側の行動が腑に落ちません。ミムスのテオド王への微妙な忠誠心の理由や、チビミムスのアリックス姫への恋心も、姫が綺麗だから惹かれているように思えるところもあり、もっと掘り下げてほしかったですね。アリックス姫がチビミムスにある程度の情けをかけてくれたとはいえ、無知で高飛車なお姫様という印象の方が強かったです。それにこんな扱いを受けているのだから、王同士の確執がもっと根深いものでも良かったような気もしますし。このラストでは、殺されたたくさんの重臣たちが浮かばれません。自国も滅茶苦茶です。せめてテオド王の首くらいもらわないと、釣り合いが取れません。それに、ミムスは結局何をしたかったんでしょう? 何を目指して自分がどうしたいのか、あまり見えてきませんでした。
Y.A.にしてはダークですし、大人向けとしては無理に大団円に持ち込むようなシビアさに欠けているところもあり、本当におもしろかったのですがそれだけに望みが高くなりすぎて、納得のいかない点が多い作品でもありました。ところで、作者のことを調べたら素晴らしい人でした。児童文学であっても、時代背景をかなり調べて書いたことが分かりました。

ルパン:おもしろかったです。最初は悲惨ですごく読むのがつらかったのですが、読み進めるほどにだんだんミムスの魅力が分かってきました。映画『E.T.』のように外面の醜さを内面の魅力が補って、さいごはすっかり愛着がわいてきました。復讐の連鎖をミムスの一言で止めたところが凄いなと感じました。王の命を救ったミムスへの褒美は毛布一枚とありましたが、本当はもっと丁重に扱われたんだと思いたいです。気の強いお姫様がチビミムスを好きなことは随所に感じられました。私は、このお姫様、なかなか好きです。ストーリーにもひとひねりあってよいと思いました。つっこみどころが何か所もありましたが、とても良い作品です。

プルメリア:とってもおもしろかったです。長文ですが話が進むのはゆっくり、だけどすごくひきこまれる内容です。とてもていねいに書かれていると思います。ミムス2人は名前がマスターミムスとチビミムスに分かれていて子どもは好きそう。戦う敵もそれぞれ理由があり納得、終わり方もハッピィエンドすごく良かったです。さるのピラミットには驚きました。いろいろな技がいっぱいでてくるけど、教え込むのは大変だろうなと思いました。最後に、「たくさんの鈴がついた服を着た王冠をかぶった若い男。頭からはロバの耳が生えている」という、フロリーンが作ったモンフィール王位継承者の印章が心に残り印象的です。ページ数は多く分厚い本ですが、本を手に取ると見た目よりも軽く表紙の絵も良かったです。小学6年生の男の子が一人読んでいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


鉄道きょうだい

E. ネズビット『鉄道きょうだい』
『鉄道きょうだい』
原題:THE RAILWAY CHILDREN by E. Nesbit, 1906
E. ネズビット/著 中村妙子/訳
教文館
2011.12

版元語録:ある夜、見知らぬ人たちがお父さんを連れ去って、ロバータたち3人兄弟は、ロンドンから、とつぜん田舎ぐらしを始めることに。見知らぬ土地で3人が友だちになったのは…。

シア:振り返ってみると、すごく納得のいく作品でした。優しい語り口で安心して読めますし、実際読みやすかったですね。昔ながらのご都合主義的展開は面白さには欠けますが、安定はしていました。教師や親なら喜んで子どもに与えそうな一冊です。題名がもっさりしていて装丁もあかぬけないところなど、まさに小学校中〜高学年くらいの課題図書になりそうです。台詞のレトロさに思わず笑ってしまうところもありましたが。本の中にナレーターがおり、「そうですよね」「いいですよね」という風に読者に語りかけてくるのが、古すぎて逆に斬新だと感じました。おもしろさに欠けるとは言いましたが、古い作品だけあって最後まで読ませる力はあります。挿絵が可愛く、とくに服装がアンティークで素敵なので、女の子に良いかもしれないですね。ただ、厚みのわりにやけに重量のある本なので、岩波少年文庫にしてくれたら中1くらいでも読みやすいかも。

関サバ子:期待せずに読み始めましたが、子どもたちの魅力で、あれよあれよという感じで読み進むことができました。登場人物がいい人ばかりで、最初はちょっと「なんだかなぁ」と感じました。でも、読み進むにつれて、おとながちゃんとおとなとして機能している姿というのは、やはり見ていて気持ちがいいと思い直しました。己もかくありたいものです。子どももちゃんと子どもとして生きているといいますか、こまっしゃくれ具合と、健気なところが魅力的でした。子どもも3人いると小さな社会ができる、という話を思い出します。この時代にしては、母子家庭(であり、投獄された身内のいる家族でもある)への風当たりがほとんどないのには、驚きました。著者が社会運動家であったことも関係しているのでしょうか。
 著者がときどき顔を出すときの出し方や、ウィットのきいた会話には、イギリスらしさを感じました。辛口なユーモアと言いますか……。変な甘さがないところや、わかりやすい善悪をやたら振りかざさないところも、好ましく思いました。しかし、この舞台や人々の美しさは、今読むと、文化財やファンタジーのように見えますね。

きゃべつ:装丁からして、古き良き時代の話だと伝わってきますが、はじめに覚悟していたよりは、ずっとおもしろかったです。子どもが自分で手に取るというよりは、図書館などに置いてあって、大人が安心して子どもにすすめられる本、という印象でした。道徳的なので、素直にこの本を読めるのは小学校中学年くらいまでかな、という印象ですが、それにしてはかなりの厚みがあるので、読者対象が難しい本かなと思いました。

紙魚:三人称ならではの安定した心地よさがありました。ただ、昔の作品だけあって、語り手である作者がしょっちゅう顔をのぞかせます。やや前に出過ぎかなとも思いましたが、そのおせっかいもユーモアがあるので許せました。p59の、主人公の子どもたちが汽車に名前をつけるところで、小さな感動を味わいました。なにか大切なものに名前をつけたときに、物語がはじまるのだと思います。難しい漢字もなく、漢字もわりあいひらいているので、小学中級の子どもたちにも十分に読めるとは思うものの、分量がかなりあるので、読者対象が見えにくい本です。そうそう、作者のおせっかいぶりといえば、読み手に、この家族は今、父親が不在であることを忘れずにいさせてくれるような描写が時折、入ります。今の作者は、自分の存在を消しながら書き進めますが、こうしたおせっかいぶりは、新鮮にも感じました。

レジーナ:この作品では、3人の子どもたちが、ペチコートを振って事故を防いだり、怪我をしてトンネルの中で倒れていた少年を助けたり、さまざまな事件が次々に起きます。しかし散漫な印象を受けないのは、それらが全て「鉄道」をめぐる人々と結びつき、最後の結末につながっていくからですね。出来事やエピソードを巧みにつなげて、いわば線路が駅へと続くように、子どもたちの成長という大きなテーマに読者を導く作品です。温かな翻訳で、人間らしい登場人物がいきいきと動き出すようでした。女性作家が描く男の子は、不自然になることもあるのですが、『よい子同盟』しかり、ネズビットは、男の子の描き方が、上手な作家ですね。そんな気はなかったのに、何故だか時として、嫌な態度をとってしまう心の動きや、子供らしさがよく描かれていました。背表紙の赤が、目をひくようで、少し気になりました。

トム:『ミムス』に比べると、自分と物語との距離が遠いというか、傍観者的に読んでしまったかもしれないな・・・この時代のイギリス社会を背景にした物語を今の子どもたちはどう感じるのでしょう? ある日突然大人の都合で、日常が変えられてしまう子どもは少なくないと思うけれど、そのあたらしい環境を生きる3人の子どもたちの逞しさ無邪気さが光っています。一番好きなところは、パークスさんのプライドの章。プライドを傷つけられ(?)素直になれないパークスさんにどうなることかと気を揉むなか、ボビーがプレゼントを贈る贈り主の様子や気持ちを記したメモを読んでいくと、村に暮らす人の人となりも浮かぶと同時に、どんどんその場の空気が変化してゆくのが手にとるように伝わって、気持ちが温められてゆく。プライドとは厄介なものですね! 贈り物は、プレゼントする側がまず幸せになって、贈られる側は、時と場合によっては複雑な気持ちになる。でも何よりパークスさんの生き方や心根が伝わってきます。結びの章で、罪が晴れてお父さんの帰還してくる場面は、ややあっけなかったですけど・・・

タビラコ:児童文学史で良く出てくる本なのに、いままで読んでいませんでした。読めて良かったなというのが、率直な感想です。出てくる人たちがみんないい人で、安心して読める本ですね。複雑な子どもの心の動きを丁寧に書いてある点もさすがだと思いました。花の名前なども、ただ野の花と書かずに丁寧に種類を書いてありますね。昔の作家は、こんな風に書いていたんだなあと思いました。坪田譲二の「風の中の子ども」や「お化けの世界」は同じような設定なのですが、子どもたちの不安や怖れが、もっとくっきりと描かれています。子どものときに読んでとても印象的だったのですが、果たして児童文学かな?という感じがしないでもない。子どもが安心して、楽しんで読めるのは、ネズビットのほうでしょうね。同じ設定でも、いまの作家は絶対にこういうハッピーな物語は書けないと思いますけどね。

レン:冤罪で牢屋に入っている父親と気丈に留守をささえる自立した母親と子どもたちという構図に、この作品の書かれた時代を感じました。うまさは感じましたが、今出版することが、今の子どもにとってどういう意味があるのだろうと考えてしまう作品でした。「これを知ったら親は起こるだろうな」と思いながらも、子どもたちが冒険をしていく、さまざまなエピソードはワクワクしてとてもおもしろいのですが。手渡すなら、やはり読書慣れした子どもでしょうか。めったに本を読まない子に、何かすすめようというときに選ぶ1冊ではないなと。

ハリネズミ:同じ作品が前は『若草の祈り』という題で出ていたので、この作品を読んだのは今度で3度目です。前はあんまりおもしろいと思わなかったんですけど、今回読み直していろいろな意味でおもしろかったです。特に感慨深い点が二つありました。一つは、後書きに中村妙子さんが「最晩年の翻訳にこの本を選んだ」と書いていらっしゃる点ですね。そうか、中村さんはこういう価値観をもった作品を子どもに伝えたいんだなと感じ入りました。ちょっと古いですけど、今は失われてしまった人間関係がこの作品にはありますからね。大人がしっかりしていて、子どもを守ることができる時代の物語ですが、子どもはその守られた世界の中で思う存分心をはばたかせることができたんですね。もう一点はp204でボビーが「こっちが仲よくなりたいと思ってることがわかりさえすれば、世界じゅうのひとが仲よくしてくれるんじゃないかしら」と言っている場面です。この時代はまだ、そう思うことも可能だったんでしょうね。
ネズビットは多作な人ですから、書き飛ばしているところもあると思うし、「9時15分のおじいさん」がトンネルの中で助けた学生の実の祖父だったなんて、あまりにもご都合主義的な筋運びだと思いますが、でも、子どもたちのやりとりは生き生きとしているし、汽車が目の前を通り過ぎていくときの描写には臨場感がありますね。うまい。やっぱり今の児童文学とは味わいが違うので、中村さんは翻訳を新たにして出したかったんですね。でも、今の子どもにはどうなんでしょう? 図書館では借りる順番がなかなか回ってこなかったんですけど、借りてるのは児童文学好きの大人かな?

プルメリア:田舎に引っ越してきて自然に触れる楽しさをみつけていくところや、知り合いのパークスさんのお誕生日プレゼントをするためにいろいろな人に呼び掛け一生懸命頑張っているところが、ほのぼのとしていてほほえましいです。汽車の大事故を防いだ後「さくらんぼをつむのを忘れちゃった」とぽっつりつぶやく長女ボビーの子どもらしい面に好感をもち、トンネルで見つけた気を失っている少年にバドミントンの羽を燃やして起こす場面なども、子どもらしくて笑っちゃいました。最近の子どもにはない、ちょっとしたことでのほんわかした幸せがある。自分たちで幸せを作っていくというのが良い部分かな。字が細かくて長編でも、最後まで読ませる良い作品だと思いました。表紙の絵のピーターはちょっと痩せていて末っ子に見え、え?って感じがしました。今回良い作品に出会えて良かったです。子どもたちは厚さがあり重い本は、自分からは手に取らずいやがります。本づくりとして難しいが、古いテイストは、子どもにとってかえって新鮮なのでは。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


ブルー

久美沙織『ブルー』
『ブルー』
久美沙織/著 
理論社
2010.01

版元語録:真っ青な空が広がる夏のある日。13歳の今里杏は、生まれて初めて学校をさぼった。図書館で読書ざんまいのはずか、ひょんなことから、会ったばかりの女性の話を聞くはめに…。

レン:どう読んだらいいのか、戸惑いながら読み進めました。まず、冒頭のお母さんのとりみだしようが理解できないし、そのあと偶然出会ったおばさんと1日すごすのですが、この2人が接近するきっかけが読みとれずリアリティが感じられませんでした。どこか読み落としているのかと、何度も前に戻ったのですが結局わかりませんでした。中学生くらいの子は、こういった文体で書かれていると読みやすいと感じるのでしょうか。分類としてはエンターテインメントだと思いますが、これでよいのかと、疑問が残りました。

タビラコ:さっぱり分からない作品でした。青木湖に行くあたりから、ミステリーになるのかな?それともファンタジー?と期待しながら頑張って読んだのですが……。あとがきで、作者がなぜこの作品を書いたのか知り、単に作者の思い入れにつきあわされたのかと、がっかりしました。作家が物語を書く動機はいろいろあると思うのですが、それが作品として完成されていなければ、読者は読んで損しちゃったな!と思うだけ。けっきょく、ふたりのおしゃべりを聞かされただけで、物語が動いていっていない。安室奈美恵とか、現実の固有名詞がいろいろ出てくるところも、読者に媚びているような感じがしました。

トム:いま起きていることをぽつぽつとちりばめた短いラジオドラマを聞いているような感じがしました。読み終えて、もう1度会いたいと思う人が、この物語の中にはいなかったんです。やはりこのお母さんは苦手です。全体にどうしてこういう人のつながりになるのかわからないまま終わってしまいました。

紙魚:一人称というのは難しいですね。この作品は、地の文でも、カギ括弧内の会話文でも、つねに主人公が思いのたけをつぶやいていて、読みづらかったです。情景描写や状況描写が、極端に少なく、つねに登場人物が心のうちを語っているので、読み手としては、どんな気持ちでいるのだろうと想像しながら読むことができないんです。だから、最後まで、感情移入をすることなく、読み終えてしまいました。だからなのか、物語も、ポイントごとに進んでいくものの、登場人物たちといっしょに歩いたという気がしないんです。そのつもりになるからこその物語のおもしろさが、味わえませんでした。もしかしたら、思春期のある時期の人が読んだら、ぴったりとはまるのかもしれません。

きゃべつ:作者がまだ作品との適切な距離を見いだせていない作品だなと思いました。あとがきにもありますが、これは作者の身の回りに起きた事件を元にしているのですね。若くして事故で亡くなった体育の先生。そのひとは、どんな思いをかかえていたのか。それが、この物語のなかで追われている謎だと思うのですが、実際のモデルがいるからか、遠慮があって描けていないと思いました。キャラクターの造形にも、疑問があります。それぞれが与えられた一面しか演じず、深みがないからです。母親は悪い人、おぐらさんはいい人、父親もいい人、というように。父親というのは、いまだ経済的支柱としての性格を持っていると思いますが、この家庭では父親が父親としての役割を果たしておらず、その分を母親が負っています。父親は、亡くなってしまったことも大きいでしょうが、父親でないことで、主人公にとっての理想像となっているのだと思いました。私はまだ駆け出しの編集者ですが、読者にきちんと思いが伝わるように、作家と作品との距離を考えていきたいと思いました。

シア:とっても苦手なタイプの本です。帯などに「爽やかな物語」などというフレーズが書いてある場合は、危険信号です。すーっと読めてそのまま終わるというのが大抵なんです。文章も一人称というよりも単なる日記で、『まいったな〜』などと書き出す辺りでいい加減にしろと思いました。一生懸命中学生の視点で書こうとしているところが既に駄目です。かえって薄っぺらく感じます。狙って外しているので、もっと許せません。ギャグも寒いです。現在の芸能人の名前など、リアルな単語が出てくるのも苦手です。ライブ感が出るかもしれませんが、すぐに消費されていく作品ということを作者が分かってやっているということですよね。こういうのは嫌ですね。この作品は、何故か私の嫌なところを全て押さえてしまっています。分かりやすさだけでどんどんどんどん話を進めていく、中身のない麩菓子のような日本の作品って感じです。実際に起きた青木湖のバス事故を題材にしたので、関係者に迷惑がかからないようにと作中では湖の名前を「蒼木湖」にしたそうですが、全然変わってないですよね。丸わかりです。あとがきに「死は多く描かれているけれど、再生の物語です」というようなことが書かれてましたが、再生しているのは作者本人だけじゃないですか。こっちから感じるものもないですし、イライラしました。奥付の作家紹介も、こんな褒めてる紹介あったかなと思うような文章で、これはどうなのかと。この本ではここが一番おもしろかったですね。中高生で本を読みたくない人が、仕方なしにさらっと読むにはいいかもしれません。子どものための子どもの作品という感じです。

プルメリア:展開がよくわからず読みにくかったです。普通図書館で初めて出会った知らない人についていくのかな?と違和感があります。初めての食事の場面、デザートをやたらとすすめすぎエスプレッソのダブルもなぜか気になりました。お父さんのことを回想しながら、自分の生活を見直し前向きに歩いていこうという形で受け止めればいいのかも。事実を作品に取り入れることはすばらしい試みで、そこは新鮮だと思います。

ハリネズミ:今回読む時間がなかなか取れなかったので、薄いという理由で、これを最初に読みました。でも他の2冊を読んだ後に思いだそうとしたら思い出せないほど、印象の薄い本でした。見直しているうちにストーリーは思い出したのですが、まず私は、この不審なおばさんに主人公がついていってしまうのが疑問でした。ついていく何らかの魅力があるように書いてあるなら別ですが、何も書かれてない。私は作品世界のリアリティがないと嫌なほうなので、そこからもうあり得ないと思って印象が悪くなってしまいました。主人公の悩みにも入っていけないので、どうでもいいおしゃべりを聞かされているような気分になってしまったんです。本を読まない子どもには入りやすいという声もあるかと思いますが、本を読まない子だって、作品の中になんらかの真実が描かれていないと心の栄養にはならない。暇つぶしのエンタメならほかのメディアのほうが強いですからね。人間についてなり世界についてなりをもう少し考えたうえで、うまく若い人に伝わるように書いてほしいな。人物もすべて一面的で、ミムスのような魅力もない。作者が自分の心の救済をしているだけなのではないかと思ってしまいました。今回の選書担当者は今日来ていませんが、いいと思った理由を聞いてみれば、また違う見方もできるかもしれませんけどね。どんな本でもいいと思う人もいればよくないと思う人もいるので。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年2月の記録)


盆まねき

富安陽子『盆まねき』
『盆まねき』
富安陽子/著 高橋和枝/挿絵
偕成社
2011.07

版元語録:おじいちゃんの家でなっちゃんが聞いた、3つのお話と盆踊りの夜に体験したふしぎな出会いを描く。戦没者への鎮魂歌。 *第49回野間児童文芸賞受賞

ajian:おもしろく読みました。いつも自分の話をしてしまいますが、まだずっと子どもの頃、眠れなくてぐずぐずいっていたら、祖母が「いい子で寝ないと山の向こうから連れにくるよ」といったんですね。「何が」連れにくるのかはいわなかったんだけれども、とても怖かったので、よく覚えています。それで、お盆のときに「先祖が帰ってくる」と言いますが、あれは「山の向こうから」帰ってくるんだという考え方があるらしい。それを大人になって知ったときに、祖母が言っていた、連れにくるというのは、そういうことだったのかと思いました。柳田国男の本に「先祖の話」というものがあります。昭和20年に書かれたもので、この『盆まねき』に出てくる戦争の時代とも重なりますが、日本人の死生観について、柳田なりに捉えたものです。どういうことが書いてあるかというと、二つ特徴があって、一つは、個人の霊というのは、やがて忘れられていくけれど、個性を捨てて、融合して一つの霊になるというもの。もう一つは、死者の世界と、生者の世界が、すごく近くにあって、互いに行き来しているというもの。どちらもこの『盆まねき』の内容に重なると思いました。
 いわゆる「あの世」という言葉があります。これは、地獄とも天国とも違うけど、何となく知っているようで、実はよく知らない。ひょっとしたら、自分たちのことがいちばん理解するのが難しいのかもと思います。『盆まねき』は、この日本語の世界の、この狭い島国の、我々が知っているようでよく知らない、土着の死生観を、やさしい物語のなかに溶かし込んで描いて、ある程度成功していると思いました。最後戦争とつながりますよね。祖母の実家には戦争で亡くなった方の写真などがあって、僕ぐらいは、ぎりぎり身内でそういうことがあったのかと思うけど、僕の子どもの世代になるともうわからないだろうなと思う。伝えるには新しい物語が必要で、そういう意味で、富安さんがこの作品で試みられたことを評価したい。真正面から戦争について書かなくても、不思議なお話を読んでいくうちに、いつしか自然に、そういうことがあったんだと読めるところも良いです。

ルパン:すごくいいなと思いました。どのエピソードも、とてもおもしろかったです。お盆の時に親戚が集まるのは、自分が夏休みに田舎で過ごした思い出と重なりました。なっちゃんが置いてけぼりを食う場面がありましたが、こういうの、すごく覚えがある。私はやったほうなんだけど(笑)。当時は小さい子たちがうっとうしくって。いま大人になってしまうと、年が近くなって、あまり変わらなくなって。今回読んでいたら、やられた子の悲しみというのもよくわかって、申し訳ないなあと思いながら読みました。おおばあちゃんの声は、トトロに出てくる隣のおばあちゃんの声かな、なんて想像しながらね。亡くなったしゅんすけさんの思い出をとどめておくために書いたというあとがきも、すてきだなと思います。ちょっとひっかかるのは、戦争に行って20歳ぐらいで亡くなったはずなのに、現れる時は子どもの姿なんだなっていう。あとは、子どもが読んだらどう思うかはわかりませんが、このあとがきがすごくよかった。

うさこ:どこかなつかしい匂いを感じる物語でした。自分の小さいころの体験と重なります。やわらかい感じで運ぶ物語。おじいちゃんだったり、おおばあちゃんだったり、親戚の中にこんなにほら話ができる人がいて、いいなあと思って読みました。夜の虹など情景がすごくきれいです。個人的な話ですが、去年の夏に実家の犬がなくなって、とても悲しかったんですけど、前後に虹を見ました。それで、犬が亡くなって虹をわたっていったのかと、すとんと胸に落ちるものがあったので、この物語も、それに重ねて味わうことができました。一つ一つのお話も本当にうまいし、エピソードもおもしろい。ただ、最後の「もう一つのものがたり」にはちょっと違和感がありました。お話がすごくよかっただけに、現実に引き戻されたような印象で、物語の余韻がさーっと消えてしまった。あとがきでなくて、あくまで「もう一つのものがたり」にこだわった理由には、なにか作家さんの主張があるのでしょうね。例えば、講演会やインタビューなどで裏話的に語るということも、出来たと思うんですけど。結末は野間賞の選考委員のなかでも議論になったらしいですね。

プルメリア:この作品は夏休みに一度読んで、今回また読みました。最初に読んだときは、前半の楽しい話よりも最後の話「もう一つのものがたり」が印象的に残りました。「うそと、ホラは、すこしちがう。人をだますのが、うそ。人をたのしませるのが、ホラ」。おもしろく楽しく読みました。中学年も楽しめる作品と思いましたが、カッパの玉話あたりからだんだん怖くなり、盆踊りあたりは完全に怖い世界に入っています。高学年向きかも。男の子が、なっちゃんに言う「人間は、二回死ぬ」というフレーズが心に残りました。中学年ぐらいだと理解しにくいかも。最後に「もう一つのものがたり」があることで、作品全体が最初のほのぼのとした笑いがでる内容とは異なり現実的な話に二分化されたように感じました。子どもたちにとって、戦争の物語は手に取りにくいですが、この作品のように最後に書かれていると、すっと入っていけるのではないかとも思います。

ハリネズミ:お盆の時の田舎という舞台に、ほんとうにいろいろ盛り込んでいますね。ほら話も出てくれば、死ぬこと生きることについての考察も。それを読みやすい物語に落とし込んで、違和感を感じさせないのは、この作家のうまさだと思います。月の田んぼのイメージがすごく鮮烈で印象に残りました。月は兎がいるとかお姫様がいるなんて言われることはありますが、田圃があるという話も伝承の中にあるんでしょうか。表紙や挿絵も、はっきりリアルに描いてしまわないのがいいと思いました。ただ、最後はちょっとずるいかな、と。戦争って今の子どもは身近に体験したことがないので、作家がさまざまに工夫して子どもに届けようとするわけですよね。例えばロバート・ウェストールは『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)で、ジャッキー・フレンチは『ヒットラーのむすめ』(さくまゆみこ訳 鈴木出版)で、切り口をさんざんに考えたうえで今の時代の子どもたちになんとか戦争を身近に感じてもらおうとしているわけですね。でも、この作品ではフィクションにリアルな話をくっつけてしまうという比較的安易な方法でそれをやってしまっています。富安さんはとても力のある作家なので、フィクションの中でなんとか子どもに引きつける工夫をしてもらったら、さらによかったのかなと思いました。現状ではフィクションの本編より、本来おまけであるはずの「もうひとつの物語」のほうが強烈な印象を残してしまう。戦争を伝えたい大人たちはきっと飛びつくでしょうけど、文学的に見るとそこがもったいないなと思いました。

ルパン:私は、最後のは、てっきりあとがきだと思っていて、物語の一部だというのを、ここにきて初めて知りました。

ハリネズミ:文字の大きさがちがうので後書き風ではありますが、本文に入れたかったんだと思います。

シア:昔の日本の風景を描いていて、古い家の中のことやお盆の風景など、細かいことまでわかりやすかったです。親戚縁者で集まってお盆なんて最近はやらないから、スタンダードなお盆という見方からしても、非常に参考になる本でした。子どもたちもこういうことは知らないんじゃないかと思うので、そこをピックアップして読んであげても、おもしろいんじゃないでしょうか。表紙の絵もいいですね。読み終わってみると、すごく意味のある場面を描いているんだなということがわかりました。「そうめん」を「おそうめん」といったり、こういうていねいなところが、かわいらしいです。細かいところまでいきとどいた一冊ですね。知覧の話などは学校の授業でもやっているので、そういうことを教えるのにもいいと思います。戦争というものを教えるのに、導入としても使える本です。最後の「もう一つのものがたり」は、実体験に基づいてこの本を書いていったのだと思いますが、物語の一部かどうかというのは?

ハリネズミ:やっぱり、後書きじゃなくて、ここまでちゃんと読んでほしいという意識があるんじゃないでしょうか。後書きにすると、読まない子もいますからね。

シア:月のところのシーンで、「丸の中をのぞきこむ」というのが、イメージとしてちょっとわかりにくかったり、そういうところもほかにないわけではないですけど、全体としてはいい本だと思いました。

すあま:子供時代を思い出しながら読みました。今もこんなふうに田舎でお盆を過ごすんでしょうか。子どもが共感を持って読むのかどうかわからない。最後の「もう一つのものがたり」はなくてもいいのに、と思いました。あとがきでよかったのでは。私はこの部分に違和感があったために、読後感がよくなかったです。ここまでずっと物語の世界にいたのが、急に現実に連れ戻される感じがありました。対象年齢も雰囲気も変わるため、読み手がとまどうのではないでしょうか。ノンフィクションのようでフィクション、という本もありますが、この本の場合はノンフィクションでいいんでしょうか。

ハリネズミ:「もうひとつの物語」は、作者自身が「ほんとうのお話」と書いているの
で、ノンフィクションじゃないですか。

すあま:「もう一つのものがたり」が「あとがき」ではないなら、別に「あとがき」をつけて説明してほしかったなと思いました。

ルパン:私は「あとがき」に「もう一つのものがたり」というタイトルをつけるなんておしゃれだなと思って読んじゃったんです。

一同:ああー。

ajian:野間賞って、これが「あとがき」だったら、この部分は評価の対象には含めないですよね。でも、このエピソード込みの評価だったんじゃないですか。あるのとないのとでは全然ちがう。

ハリネズミ:これがあるから受賞したのかもしれませんよ。反戦思想がはっきりしてて
いいってことで。

すあま:そのままなっちゃんのその後の話として書いてもよかったような気もします。急に作者が出てくるから、あれ?主人公誰?という感じになりました。

ルパン:私という一人称が急に出てくるから、やっぱりあとがきなんじゃないですかね。

すあま:例えば、なっちゃんのお母さんやおばあさんの視点からのお話として書いてあったら、違和感なく読めたと思います。

ルパン:いいアイディアですね。

シア:この部分、冒頭で「さいごにほんとうのお話を一つ」という一文があるのが、やや興ざめです。これまでは、じゃあウソだったの?という。

すあま:たしかに…物語の中でなっちゃんが、何度も「本当の話なの?」って聞いているから、なおさらそう思いますよね。

ハリネズミ:「さいごにもう一つほんとうの話を」だったらよかったかもね。

プルメリア:たしかに子どもが読んだときどうかなというのは、ありますね。

すあま:やはり、あとがきにしたほうがすっきりするかも。そうすれば読む子は読むし、読まない子は読まないと思います。

ハリネズミ:ここだけ扉のデザインをがらっと変えるなんて手もあったでしょうね。ただ富安さんか編集の人か、それはわからないけれど、やっぱりここまで読んでもらいたかったんでしょう。

三酉:これはあとがきまで読まないといかん本だろうと思いました。富安さんはそこまで読んでほしくて書いたんだと思うし。フィクションとしてはルール違反だけど、確信犯でしょう。賞をとったのも、当然これが込みだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


カイト〜パレスチナの風に希望をのせて

マイケル・モーパーゴ『カイト:パレスチナの風に希望をのせて』
『カイト〜パレスチナの風に希望をのせて』
原題:THE KITES ARE FLYING by MichaelMorpurgo, 2010
マイケル・モーパーゴ/著 ローラ・カーリン/絵 杉田七重/訳
あかね書房
2011.06

版元語録:2年前の事件で言葉を失った少年。自分で作った凧をあげる少年サイードの夢とは? パレスチナの悲劇と希望をえがいた物語。

シア:パレスチナと聞いて最初は重いなと思ったのですが、サイードがすごくかわいがられている描写があったり、「部屋いっぱいに悲しみが広がる」という変わった表現などが、すごく好きでした。ちょうど海外旅行に行った後に読んだので、ホテルのいやな感じとか、共有しやすかったですね。言葉が通じないということは、不要な苦労を強いられたり、国と国との間に溝ができやすかったりするものですよね。私も言葉が通じないところで苦労したので。それから、p69に「夢を信じきっている人間がいた」とありますが、サイードのことを子どもではなく一人の人間として扱っていて、作者の訴えたいことが詰まっている感じがしました。こういう問題は本当に難しいなと思います。平和に関する本というのはたくさん出ていますが、紛争が起きていなければ平和を意識することは難しいものです。長く平和が続いている国の子どもたちにとっては、全く環境の違うところと意識されてしまうかもしれません。この間の東日本大震災でも、関東圏で被害がなくて親戚もいないと、そういう人の言葉の端端から、ショックを受けるようなことがありました。「なんで自粛しなきゃいけないのか」とか、子どもたちの中からも冷たい言葉も出ました。今後どうすればいいのかという思いがあります。この物語では、お兄さんが誤射で死んでしまいますが、撃った方も泣いていたという、お互いの立場で悲しみが描いてあっていいですね。私は東北に親戚がいるので、今回の震災はそういう意味でも大変でした。無神経な人が身近にいたりするので、そういうすれ違いがだんだん戦争に発展するのかなとか、そんなことまで考えてしまいました。p79の兄が死ぬ場面で、「カイトをなおすんだ」という最後の言葉がありました。これがサイードのその後の行動につながっていて印象深かったです。これが憎しみにみちた言葉だったらそうはいかなかっただろうと思います。それにしても、モーパーゴさんの本は薄いのが多くて助かります。昨今の中高生は分厚いと読みたがらないので。

ajian:マックスが青い車椅子の子に会いに行く、と言っていたのは、どうなったのかなというのは感じますね。ただ、この問題は、この分量で書くのは難しすぎる気がします。パレスチナとわざわざ舞台設定をしているのだったら、もっと突っ込んだことも知りたいと思うけど、そうすると分量が増えてしまう。壁があって対立する二つのグループがあって、という象徴的な物語だったら、パレスチナじゃなくてもいい。嫌いな本ではないんですが……。あと、この絵もいい絵だけど、舞台設定とリンクしてないですね。おしゃれな感じはするけど。最後の和解の場面は、こんなに簡単なことではないよなと思いました。

ルパン:ストーリーがすごく好きです。この装丁だと子どもが手にとるでしょうか。横書きで字がぎっしりだし、ちょっともったいない。もっと子どもが手にとれるように工夫してもよかったんじゃないでしょうか。ひょっとしたら本当にあったことなのかと、誤解してしまいましたが、フィクションだと知ってちょっとがっかりしています。それから子どもが読むものとして、カイトというのはすぐわかるんでしょうか。凧って漢字にカイトってふりがなが振ってありましたが、凧を読めなければ、それもわからないだろうし。先にカイトって凧のことだと言っておくか、ぜんぶ凧で統一するかしたほうがいいような気もしました。

ハリネズミ:今はカイトっていう名前でも売ってますよね。逆にカイトのほうがわかりやすいってこともあるんじゃないでしょうか。

ルパン:それから、言葉のことですが、失語症のサイードが最後にやっとしゃべるときに英語でいいんでしょうか。

ajian:ラストサムライみたいですよね。

ルパン:最後の終わり方はすごく好きなんだけど。塀の向こう側でサイードが一生懸命つくって送り続けていたカイトをあげるというところですね。感動的なシーンでした。

すあま:私は低学年向けの話だとは思わなかった。高学年から中学生以上。ヤングアダルト向けなのではないでしょうか。横書きだとノンフィクションという感じを受けると思います。最初の方はわからないことだらけで、読み進めていくとだんだんとわかってくる。先を読まないとわからないことが多いというのは、それが気になって続きを読みたくなるのか、あるいはわからないから読むのをやめてしまうのか、難しいところだと思います。最近パレスチナやアフガニスタンなどを舞台にした話が多いのですが、この本も2008年という設定で、数年前のことかと思うとドキッとします。例えば第二次世界大戦の話だったら、昔の話だと思って読めますが、これはついこの間のことで、まだ終わっていない。子供たちに、同時代に他の国ではこういうことが起きているというのを知ってもらうのはいいことだと思います。ただ、自分から手に取る子はあまりいないと思うので、手渡し方には工夫がいると思います。
 それから、訳者のあとがきはあるけれど、作者あとがきもほしかったと思います。この本を書くきっかけとか、こういう子供にあってヒントを得ましたとか。何か作者自身の言葉もほしかったです。

うさこ:モーパーゴさんは現代の問題を子どもに分かりやすく伝えるのが、すごくうまい作家ですね。これも、きれいにまとめてあるなと思いました。子どもの力を信じるのはいいとしても、未来を子どもに託しすぎているような、理想を乗っけすぎているような気もします。

シア:お兄さんの死の場面の語りについては、サイードがいつも怖い夢を見ているようなので、その夢の説明か何かにしてもよかったかなとも思いますね。どんな夢を見るのか、具体的にはあまり書かれていないので。

プルメリア:私は、この作品を手に取って、横書きなんだということと、とても細かい字だなと思いました。地図があったので、位置がわかりやすく助かります。「カイト」が最初わからなくて、名前なのかなとも思いましたが、内容から凧のことだとわかりました。4日間の短い時間の中で、イギリス人マックスの目からと、サイードのお兄さんへの語りかけから、話が進んでいきますが、マックスの語りかけが読者を読ませていくのかなと思いました。青いスカーフの女の子は、最初に登場した時から印象的で覚えていましたが、こういう風につながるのかと納得しました。最後のページ、挿絵は白黒ですが、明るい凧のイメージで私は読みました。難しい話や、現実に殺されるリアルな場面があったりして、この作品を読んでいる子どもがどう感じるかなと思いましたが、現実にこういうことが起きているのだからしっかり受け止めてほしいです。日本にはあまりありませんが、外国にはこういう題材のノンフィクション、フィクションがたくさんあります。考えなければならない現実や思いがあるから、こういう作品が書かれるのでしょうね。

ハリネズミ:ジョン・レノンのイマジンを物語にするとこういう感じかなと思いました。ありえないことかもしれないけど、こうあるといいなという願い。最後に会わないのが気になる人もいるかもしれないけど、会うことにすると非現実的なありえない話になってしまう。だから凧をあげるというだけにとどめて、あり得るかもしれないというニュアンスを出してるんじゃないかな。舞台はどこでもよかったのかも知れないけど、いま起きていることという意味を持たせるためにパレスチナを選んだのではないでしょうか。ただパレスチナの問題をどうこうしたいというより、象徴的な舞台として使っている。横書きについていうと、原文は横書きでも、本にするときには日本の子どもに読みやすいという意味で縦書きの本として編集し直すことはありますよね。
 「わたしはおろかにも、この奇跡的な瞬間をカメラにおさめるのをすっかりわすれていたのだった」ということになってますが、胸がいっぱいになってカメラで撮れたか撮れなかったかは二の次だというのが一点。もう一点は、カメラで撮ったというと願望ではなくリアルになりすぎるというのがもう一点だと思います。そんなことを考えると、やっぱり小さい子ども向けの物語ではなくて、ジャンルとしてはYAなんでしょうね。

三酉:成功か失敗かのきわきわの作品だと思います。夢物語としてもここまで書いていいのか。最初は誤解しましたが、途中からノンフィクションじゃないんだと思いました。謎があとからあとから出てくるのは、こういう仕掛けなんですね。青いスカーフなんていうのはうまいです。イマジンというと、ほんとうにそうかもしれない。映像がとれなかったのは、これはお話ですという意味でしょう。率直にいうと、サイードの子どもの語りがべたついていて、読みづらかった。いかにもお涙ちょうだいというか。日本語というのは、難しいなと思います。銃撃の場面を子どもに語らせるというのは、お話の構造上仕方ないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


父さんの手紙はぜんぶおぼえた

タミ・シェム=トヴ『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』
原題:LETTERS FROM NOWHERE by Tami Shem-Tov
タミ・シェム=トヴ/作 母袋夏生/訳 
岩波書店
2011.10

版元語録:ユダヤ人一家の末っ子リーネケは、家族と離れ、遠い村の医者の家にあずけられた。心の支えは、ひそかに届く父さんからの手紙。奇蹟的に保管されていた手紙とともに、リーネケの記憶がよみがえる。

ajian:しっかり取材に基づいて書かれている本で、10歳の子どもが細かいことまでよく覚えている。成績の場面など、この経験をした当事者じゃないとなかなか言えない気持ちだなと感じましたし、そういうところはほかにもたくさんあります。あとは何といっても、手紙がすごくいいですね。有名な学者さんらしいけど、日本では知られていないので、市井にこういう人がいたのかというような気持ちで読みました。最後に写真がたくさん載っていますが、ここもいい。

ルパン:最初はアンネの日記みたいな本かな、重いのかなと思ったけど、読みはじめるとおもしろくて、どんどん読みました。タイトルがいいですね。暗い時代にこういうユーモアがあふれる手紙を書いて、いいお父さんだなと思います。個人的に残念だったのが、タイトルから、この子が手紙をぜんぶ覚えるシーンがあるのかなと思ったんですけど、そういう場面はありませんでした。

ハリネズミ:タイトルは、でも日本でつけているものだから。

三酉:イディッシュ語はわからないけど、英語タイトルはLetters From Nowhereで、そのままでは日本語のタイトルにならないし、そこは難しかったと思います。

すあま:とてもよかったです。ただ、読んでほしい年齢の人に読んでもらうには字がちょっと小さいかなと思いました。字を大きくするとページが増えるので、苦渋の決断だとは思いますが…。そして、リーネケのおねえさん、ラヘルがとてもよかったです。ラヘルにもお父さんから手紙が来ていたのでしょうか。たまに登場すると料理がうまくなっていたり、発言が面白かったりするので、ラヘルの視点で書いた物語があったら読みたいと思いました。以前読んだ『木槿の咲く庭』(リンダ・スー・パーク著、新潮社)にもありましたが、名前を変えるというのは、とても大きなことだとあらためて思いました。

うさこ:とても重厚でまじめな物語ではありますが、心に残してくれるものが多い本だと思いました。名前を変えて自分の人格を否定して生きるというのは、どういうことかとか、リーネケに気持ちを寄せながら読んでいきました。お父さんの手紙の内容一つ一つに愛情があふれていていい。

プルメリア:表紙の手紙をみて、何だろうと思ったのですが、タイトルをみて、ああ、これはお父さんからの手紙なんだと思いました。作品の中に出てくるお父さんの手紙の題がおしゃれでとてもすてきです。「絵といっしょにおしゃべり」「5月24日 リーネケはたまごから飛びだした」など。現実と過去が交互に書かれている構成もおもしろいです。ドクターの家族がリーネケを家族の1員として愛情をもって見守るやさしさもいいですね。ドイツ兵が来たときには、ちょっと危ないのかなとドキドキしましたが、そのドイツ兵からタバコをもらっておじいちゃんにプレゼントし、おじいちゃんはタバコをケチケチと大事に1週間かけて吸い、その間じゅうクリスマス・ソングを歌い続ける場面はユーモラスです。怖い怖いとおびえる中にもこういう交流もあったのかな。戦争後、ドクターがリンゴごの木の下に隠しておいた手紙を出す場面が感動的でした。手紙に込められたお父さんのあつい思い、手紙を手元におけないリーネケの切ない思いを知っているから捨てることができなかったのでしょうね。ところどころに手紙が入っているので一息つけるし、次はどうなるのか展開が気になります。字は細かいけど読ませる作品でした。

ハリネズミ:この本にかぎらずユダヤ人の作家がホロコーストについて書くのはとても多いし、それは片方では必要なことなんだけど、もう片方では現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽することにもつながってしまうと思うんです。しかもパレスチナの側から書いたものは数が少なくて、ホロコーストものは次々に出版される。そうなると、またか、という気になるのも確かです。この本の主人公へのインタビューが巻末にあるんですけど、その最後は「見て下さい——のびのびと自分たちの地で暮らすユダヤのうるわしい大家族を」となっていて、パレスチナ人は視界にまったく入っていないんですね。ちょっとどうかと思いました。ユダヤ人だけを責めるわけではないんですが。日本の戦争物も加害者の視点なしに書かれているものは多いですからね。
 ただ、この本はお父さんの手紙がすごくいいですね。この手紙のおかげで、この子は戦時下の不安定な状況の中にあっても、守られているという感覚を持てたはずです。私は細切れの時間の中で読んだので、登場人物についてはちょっと混乱しました。登場人物リストがあってもよかったかも。翻訳はところどころ引っかかりました。p22の台詞の中は「粉剤」じゃなくて「粉ぐすり」でもいいのかな、とか、p28の「シンタクラースのプレゼントもいいかもしれない」は、どういうニュアンスで言っているのか、ちょっとつかめませんでした。p34の「もしかして、大きい動物を、家畜もペットも好きになるのをやめちゃったのかもね」というリーネケの台詞ですが、その前に「牛やヒツジ…をどんなに、知ってるだろ?」というお父さんの台詞があるので、つながらないような気がしました。またp66には『もじゃもじゃペーター』が出てきますが、ハインリッヒ・ホフマンの本のことを言ってるんだとすると、一冊の本の中にいくつかの話が入っているわけですから「シリーズの一冊」はおかしいのでは? などなどです。日本語版の書名や表紙はとてもすてきです。

三酉:父親たる身としては、すごいと思った。この人は、ユダヤの貴族階級がほれてしまうぐらいに魅力的な男だったのではないでしょうか。直接関係はないんですが、最近、ユングの『赤の書』という本が出ました。ずっと非公開だったんだけど、ユング財団が最近OKして。これがすごい。200ページの書き文字なんです。それで、そういう伝統ってあるんじゃないかと思いました。今世紀までは継承されていないかもしれませんが、こういう書き文字ができるという男がかつては結構いたんじゃないかと。

ハリネズミ:修道院の文化にかぎらず、子どもに絵手紙をおくるという文化はあるんじゃないですか。ビアトリクス・ポターの本も、そもそもは子どもに宛てた絵手紙だったし。

ajian:オランダも相当いろいろあったみたいなので、やっぱり相当幸運な家族じゃないかとは思います。

三酉:たしかに幸運もあったでしょう。だってほとんど全員生き延びて、死んだのは病気で死んだ母親だけだっていうんだから。それから、手紙についてだけど、子どもは画像的な記憶がすごい。我々が覚えるよりはるかに覚えられたんだと思います。特にすごいことだとも思わずに、ごく当たり前に覚えてしまってたんじゃないかな。

すあま:この手紙は何十年も経ってからじゃなくて、戦争が終わってすぐに出てきたわけですから。

ハリネズミ:手紙に使っていた名前が、本名じゃなかったから、見つかってもそれほど危険じゃなかったのかも知れませんね。それにしても、この本の主人公は戦後、戦時中の偽名を自分の名前として選び取るんですね。戦時下の体験がとてもつらいものだったら、普通は自分の本来の名前に戻るはずだと思うんですけど。たぶんお父さんの手紙や何かのおかげで、この子はそれほどつらい思いはしなかったんでしょうね。アンネ・フランクなどと比べてラッキーな面もあったのでしょう。

三酉:あと、この名前は、強制的に変えられたのではなくて、生き延びるために自分でつかんだ名前だということもあるよね。

ルパン:お母さんの名前なんですよね。

ハリネズミ:恵まれて、守られていたから、かえってこう、無反省になっちゃったという面もあるのかもしれませんね。

三酉:美しい話になっているので、本当だとわざわざ謳う必要があったのかなとは思う。

すあま:これまでにここで取り上げた本の中にも、本当の話だと思って読んだら、実は寓話だったというものもありましたから…。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年1月の記録)


僕は、そして僕たちはどう生きるか

梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
梨木香歩/著 
理論社
2011

版元語録:やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ—『君たちはどう生きるか』の主人公にちなんで「コペル」と呼ばれる十四歳の僕。ある朝、染織家の叔父ノボちゃんがやって来て、学校に行くのをやめた親友ユージンに会いに行くことに…。そこから始まる、かけがえのない一日の物語。

メリーさん:「裏庭」や「西の魔女が死んだ」など、梨木さんの作品は大好きでよく読んでいるのですが、今回はちょっと残念でした。著者の世界である植物や、個性的な登場人物が出てはくるのですが、それが生きておらず、むやみに理屈っぽくなっている印象を受けました。戦争についての記述も何だか鼻につく。本文中に、ある児童書と出版社について書いてあるのですが、説得力のある議論になっていないように感じました。自分の頭で考える、というテーマを書くにしても、同じ素材で、いつものように物語を書いたらもっといいものになったのでは?と思いました。

ajian:いつになったらおもしろくなるのかなと思っていたけど、最後まで面白くなくて……。もし何か世間に対して言いたいことがあるなら、レポート用紙一枚ぐらいの文章にまとめて来てくれませんかという感じです。色々なことが詰め込まれたまま未消化になっていて、言い方は失礼なんですけど、できのよくない持込原稿を読んでいるみたいで、読み通すのに苦労しました。
作品中で、理論社の<よりみちパンセ>のなかの、バクシーシ山下の本が、名前は伏せたまま、わかる人にはわかる形で批判されていますが、参考文献にもあがっていないですね。こういうことを、相手にとどかないところで吠えていても、あまり意味がないんじゃないでしょうか。鳥を食べる先生の話にしても、批判の仕方が短絡的というか、批判の対象として取り上げるものの取り上げ方が、フェアじゃないと思います。作家の気に入らないものを、あえてゆがめて書いているようで……。
 コペル君の言葉遣いも、作品中で「子どもにしては生意気だとよくいわれる」と一応言い訳はされていますが、それにしても難しい。作家の作品ではあるけれど、少なくとも、子どもに向かって書かれた児童書ではないですね。巻頭に掲げられた言葉から、個人と群れというのが一つのテーマなのだと推察されます。流れに流される弱いところは、だれにでもありますが、そんなことは大前提なのであって、そこを見詰めて傷ついていたってしょうがないでしょう。その上でどうするか、ということが大事なんであって。もとは連載だそうですね。あるいは、連載中に気に入らなかったことを色々いれてみたということなのかも? まとまりがあんまり感じられず……。

ダンテス:この本は、割合楽しんで読めました。3点、話したいと思います。一つ目。この本には様々な要素が織り込まれています。まず自然、植物の知識など、博識というべきものです。自然とともに生きるという梨木さんの姿勢の表れでしょう。とても私は追いつきませんが。登場人物の少年も土壌生物についての興味がある。確かに変わっている少年でしょうが、その手の中学生もいますよ。で、それなりに私から見るとリアリティがあると感じられます。屋根裏にある戦争前の書物を読みこんでいるという話。インジャの話ですが、だまされて身体も精神も傷つくという話。それから良心的兵役拒否のこと。命の授業については、一時はやりました。たまたま研究会でそれをやっている人の発表を聞いたことがありますが、非常にいやだった。子どもがどうして生まれたかを赤裸々に説明し、「お父さん、お母さん、セックスしてくれてありがとう」と言わせる。それはおかしいでしょう。デリカシーがなさすぎます。鶏を食べる というところについては、先生が生徒の家から鶏をもらえると誤解していたという設定でしょうか。この作品に出てくる先生は、二番煎じで最初に本気で実践した人のまねをしただけ。こういう先生もいそうです。そして、オーストラリアのアボリジニについても。色々な要素を盛り込みすぎかもしれませんが、そこをプラスと見るかマイナスと見るかで本への評価が変ってくるのでしょう。私 にとっては、それなりにおもしろかったです。
 二つ目は、この本の題名を見て、吉野源三郎の『きみたちはどう生きるか』がベースになっているのは間違いないと思って、本当に久しぶりに読み返してみました。戦前に書かれた本で、検閲とか厳しい時代に軍部から文句を言われない範囲で、自分の考えを持つように、人としてあるべき姿ということがきちんと書かれている。梨木さんの、吉野さんの本への評価、褒めていること・・・オマージュとでも言うべきでしょうか。あるいは、吉野さんの本を受けて、では現代の若者はどう生きるべきか、それを伝えたかったの でしょうか。
 三つ目は、インジャの話。よりみちパンセの中の一冊の本についての話を、数日前にある司書さんから聞きました。読書界では結構話題になったんですか。梨木さんが理論社に喧嘩をふっかけた、なんていう話も聞きました。よくわかりません。一方インジャが自然の中で癒されようとしている、という設定もわかる。ゆるいつながりの仲間としてこれ から生きていけるのかなあという希望を持たせた終わり方になっていると思います。

アカシア:ある中学校の先生が「この本はとてもいい本ですね」と言っているのを聞きました。ダンテス先生も評価しておいでです。どうも学校の先生たちはこういう本がお好きなようですね。私はあまりおもしろくありませんでした。というのは、作家が自分を感受性の強い若者と同じところに置いて、感受性の鈍くなった者たちに向かって説教しているような気がしたからです。それに、どこにもユーモアがない。ユージーンの担任がかわいがっていた鶏を学校で殺して食べるという設定は疑問でした。こんな先生が本当にいるとは思えなかったんです。それに、そこでユージーンの気持ちを推し量れなかったとコペルが自責の念に駆られる場面も、なんだかなあ。出てくる子どもたちに勢いがなくてどの子も老成してる。嫌な気分になりました。

ajian:結局この子たちって、梨木さんの言いたいことを言ってるだけなんですよね。

プルメリア:名前がコペルくん、ということで、吉野源三郎さんの作品を思い出しました。視点がすごくおもしろく世界が広がっていったので、今も心に残っています。梨木さんは、すごく好きなんですが、よもぎだんごが出てくるのは、無理っぽいかな。鶏のことについては、今はありませんが何年か前、テレビニュースで「命をいただく」というテーマで小学校の学級で育てた鶏を子どもたちが食べる放送がありました。数年前に学級で豚を育て子どもたちの意見で内容が展開していく映画『ブタがいた教室』を見たことがあります。これは、『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(黒田恭史著 ミネルヴァ書房)『豚のPちゃんと32人の小学生〜命の授業900日』(ミネルヴァ書房 2003年)を原案とした日本映画です。鶏とは設定がちがいますが、梨木さんは育てた鶏を食べることはおかしいと思って作品に入れていったのかな。学校は最近、食育に植物を育てて食べる内容も含むようになっています。また人間であれば、おじいちゃんおばあちゃんからつながっている命の授業も取り入れています。教育界も波がありますからね。p273〜274は子どもたちに向けたメッセージとして読みました。

うさこ:『りかさん』『蟹塚縁起』など、梨木さんの作品は結構好きなほうです。これはタイトルが哲学っぽくて、どんな内容なのか興味を持って読み進めました。でも、読み終わった後で、感想が出てこない自分がいたんです。コペルくん、ユージンは中学生で一人暮らしだし、隠れているインジャの設定はありえないと思い、ここらあたりとても違和感がありました。主張と批判が繰り返し出てくる本でもあるな、と。よりみちパンセの引用の部分もかなり異質な感じがありました。理論社から出ている本を批判できたのは、理論社から出す自分の本の中だからできたことなのでしょうか。いいなと思ったのは、「自分の頭で考えろ」というところかな。鶏のところは、あまりにも作りすぎている気がしていましたが、今、現実にもありえると聞いて、それを練りこんだのかなと思いました。

宇野:「鶏を連れていくところまでしか読めていなくて、すみません。ここまで読んで思ったのは、こんなのありえるのかなあということ。こういう生き方もありと思えばいいんだと、ずっと自分に言い聞かせようとしたんですけど、違和感が消えませんでした。私の知っている中学生とはあまりにかけはなれているから。主人公もユージンも。その一方で、好きではないのに、このあとこの子たちがどうなるかを知りたいという気持ちが強くなって、最後までつきあって読みたいと思うのは、作者のうまさでしょう。テーマは、どんなふうにぶれないで自分を保っていけるか、ということでしょうか。戦争の時に洞穴に隠れていた人のこと、おばあさんが山の植生を守るところ、いろいろな話題が出てきて、これがどうおさまるか、最後まで読んで確かめたいです。

ajian:著者には批判したいことがおありなのでしょうが、それにしても短絡的で浅いと、みなさんの意見を聞いていて改めて思いました。バクシーシ山下の件なんて、ポルノなんてやっているいかがわしい連中で、いやだというぐらいの浅さ。鶏の件も、生徒の家で飼っていたペットを勝手に食べるなんて、そんなの悪いに決まってるじゃないですか。だから? っていう。

アカシア:子どもって、意外と先生の裏表を見てるから、コペル君だってよほどのぼんやり君じゃないかぎり、こんな担任の先生好きにならないと思うけどなあ。

ダンテス:生徒のうちからからもらってきた、くらいの認識だったんじゃないですか。もちろん誤解していたんでしょうけど。

プルメリア:学級で鶏をひよこから飼ってみんなで世話をし、ひよこが具合悪いと心配し、そして最後に食べるということです。テレビで見ましたが小学校で行っていたようです。今は行っていないと思いますが。

メリーさん:たぶん、そこまで深く考えていないですよね。話題がころころ変わるのも、元が連載だったからではないかと思います。それでは議論は深まらない。やっぱり小説を書けばよかったのではないかと思いました。

ダンテス:この作品の底流に常に流れているのは、無意識的全体主義に対する警鐘でしょうか。それに気をつけろということはずっと貫かれていると思います。

ajian:無意識的全体主義に気をつけろという、それ自体は、わかるし、共感もするんですけどね。でも、そういうことなら、2行でまとまりますよ。

三酉:私も、登場人物のだれにもシンパシーを感じなかった。ヒトラー・ユーゲントまで登場していろいろ盛りだくさんで、何しろ主人公はコペルくん。しかしどうしてコペルくんなのか、最後まで分からなかったです(吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』は、たしか中学校の校内放送で流していたと記憶しています)。タイトルが「僕は、僕たちは…」と、「僕」だけじゃないところはいいなあと思ったんですけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)


フォスターさんの郵便配達

エリアセル・カンシーノ『フォスターさんの郵便配達』
『フォスターさんの郵便配達』
原題:OK, SENOR FOSTER by Eliacer Cansino
エリアセル・カンシーノ/著 宇野和美/訳
偕成社
2010.11

版元語録:つい、うそばかりついて、学校にも行かない少年ペリーコ、村にただひとりのイギリス人フォスターさん。ふたりの出会いは、ペリーコの世界を大きく変えていく。一九六〇年代スペイン、海辺の村を舞台にえがかれるだれもが共感する、みずみずしい成長の物語。スペイン実力派作家のアランダール賞受賞作。

メリーさん:著者が日本に来たときに、講演を聴く機会に恵まれました。冒頭の切手の話、訳者の宇野さんから届いた手紙がきっかけになったと著者が話していたのを覚えています。物語は、歴史的背景をふまえつつ、主人公と彼の身の回りがきちんと描かれている。人は皆、様々な側面があって、真実は多面的だということが書かれていることに好感が持てました。主人公が偽札事件に巻き込まれていき、ちょっとミステリーの要素も。よく読むとイスマエルがタイピストという伏線もきちんとあって。とてもおもしろく読みました。

プルメリア:フォスターさんとペリーコの話なのかなと思ったら、違っていました。イスマエルさんがとてもおもしろい人で、フォスターさんとも仲良しという設定、おもしろかったです。ペリーコの葛藤がいろいろな場面であるのだけれど、ストーリーがゆっくり進むので、とても読みやすかったです。フェルミンさんもやさしい。素敵な大人がとてもよかったです。署長さんも最後のほうでよくなってくる。ただお父さんは最後まで冷たくて、気になりました。子どもたちはどのように読みとるのかなと思いました。

アカシア:写真を撮るということがただシャッターを押すだけではなく、そこに写す人があらわれるのだとか、久しぶりにイスマエルの家を訪れたビスコーチョとイスマエルとのやりとりとか、よく描けているなあと思いました。ただ、イギリスとかアメリカの児童文学を読みすぎているせいか、違和感を感じるところもありました。書き方の文法が違うというか。たとえば、この本ではかなり早い時期に偽札作りの犯人はポルトガル兄弟だということが読者にもペリーコにもわかってしまう。でも、その後署長がフォスターさんやイスマエルを疑ってどうこうするということがペリーコの視点でずっと書かれ続けるので、だれてくる。それからイスマエルは文字が読めない・書けないというふりをしているのだから、ドアに「洗い場にいる」なんていう張り紙をするのは変です。またお父さんがペリーコを置いて漁に出てしまいますが、その期間もある箇所では数週間と書いてあるかと思うと、二週間もあり、一週間と書いてある箇所もある。現実には発語している人が違えばそういうことはあるけど、作品の中では統一しておいたほうが読者は戸惑わない。それからフォスターさんと会ってペリーコが英語で話したと言っているのですが、ほかの英語の部分はルビになっているのにここはなっていないので、何という言葉をペリーコが言ったのかわかりません。ペリーコが偽札を手に入れたのは4時だと書いてありますが、どうしてすぐにお父さんのためのお金を払いにいかないのかな? もう役所は閉まってるのかな? など、読んでいてちょっと落ち着かない部分がありました。

ダンテス:一年前に来日したカンシーノさんに直接お会いして、サインもらいました(とサイン本を見せる)。少年の主人公は父子家庭であまりかまってもらえなかったのが、フォスターさんとの出会いで、世界が広がっていく話です。同年代の女の子との微妙な関係などよく書けています。スペインフランコの独裁政権の時代の話とあとがきにありましたが、割合のんびりしていて、そういうもんだったのかなと思いながら読みました。そういう時代ではあったけれど、希望が表現されていて、明るいイメージを持ちました。気になったのは、クジラの出てくる最後のシーン。エフレンが写真に一緒に入る。ここをどう考えたらいいんでしょうか? 筆者の前向きな姿勢の表れでしょうか。

ajian:最後の皆で写真を撮るシーン、僕は、こういうところが定型から外れている感じがして、おもしろいなと思いました。地味でゆっくりしている小説ですが、少年がフォスターさんに出会って、成長している様子をていねいに書いてあるのがいいです。時代や地域についてあまり詳しくないので、そこだけ読んでも味わえました。べジータって、女の子の名前なんですね。

宇野:ベジータというのは、ベーリャ(きれいな)という形容詞に示小辞がついた形で、「かわいい子」「きれいな子」という意味があるんです。

ajian:それから、イシュマエルという名前、これは『白鯨』にも出てきますが、あまり一般的な名前ではないとどこかで読んだことがあります。

宇野:だから使ったのかも。

ajian:作中にちらっと出てきて、作者も好きだというヒメネスの『プラテーロとわたし』は最近復刊されましたね。

宇野:みなさん、私がいるので遠慮したのか、ひかえめに言ってくれたようで(笑)。アカシアさんから指摘のあった、イスマエルがメモを貼っておくシーンなどは、訳すときに私も、これでいいのかと思って、作者に問い合わせました。ご本人はまったく気にしていなくて、確かに英語圏の作品とは文法が違うと感じるところがありました。けれど、この話は最初に読んだときから、お父さんにかまわれず、ネグレクトされているようなペリーコが、自分で自分を納得させながら生きる道を探るところ、まわりの大人がそれとなく助けてあげるところが好きで、日本の子どもにも紹介したいと思いました。最後までお父さんはろくでもないんですけど、それはそれでリアリティがありますよね。主人公は写真やフォスターさんやイスマエルと出会って、何とか生きのびていく……それがいいなと。時代はフランコ独裁下の難しい時代。作者自身が育った時代が、こんなふうだったのでしょう。あるインターネット書店のサイトのレビューで、ペリーコに時代のことをもっとはっきり話すべきではという意見があったんですけど、私はそれはできなかったのだと思っています。物語の中では、だれとかはフランコ側、だれとかは反フランコとは決してだれも公言しません。口に出してしまうと、だれがだれを傷つけることになるか、いつ自分が報復されないともわからない時代だったから、そういうことは表だっては決して口にされない時代だったのだと私は理解していますし、当時の子どもだって、そういうことは敏感に感じとっていたはずです。あと、私はこれは和解の物語だと思っています。カンシーノは人は責めないんです。権力側の怖いエフレンも、ときどきこっけいなところがあったりと多面的に描いてます。人は完璧ではないからね、と著者はおおらかです。最後のクジラの前で写真を撮るところは、ふたつに分かれてしまったスペインの葛藤の中にありながらも、赦しあえる未来のスペインを示唆しているようで好きなシーンです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)


スピリットベアにふれた島

ベン・マイケルセン『スピリットベアにふれた島』
『スピリットベアにふれた島』 この地球を生きる子どもたち

原題:TOUCHING SPIRIT BEAR by Ben Mikaelsen, 2005
ベン・マイケルセン/著 原田勝/訳
鈴木出版
2010.09

版元語録:15歳の少年が引き起こした傷害事件。過ちから立ち直ってゆく少年の成長を描きながら、犯罪にどう向き合うかを考える意欲作!

うさこ:すごい話だなあと思って読みました。好きな作品です。サークル・ジャスティスという試み、制度を知らなかったので、罪をおかした人に再生のチャンスを与えてくれるこういう仕組みは、人間に対する深いまなざしがあっていいですね。文章も力強い。描写などとてもリアルで情景がありありと浮かんでくるところが多かったです。島でスピリットベアにやられて、骨が折れて体を動かせず、ミミズやねずみを食べたりするところ、描き方がリアルすぎてぞっとしたくらい! 毎朝の冷たい水浴びなども、この作家の表現力はすごさが随所に感じられました。父からの暴力の被害者でもあり、ピーターへの加害者でもあるコールの更生を助けるカービィ、古老など大人の存在もよかったです。

プルメリア:長い作品ですが、止まらないで一気の読むことができました。最初クマとの戦いで野生の生き物に対して大きな力を感じ、次に自然との闘いで自然の力を感じ、ピーターへのつぐない、家族との絆、更生する気持ちなどコールの心情が周りの人たちに助けられながら変わっていく。無人島で小屋を燃やしてしまうところは反発。いろいろなことに向き合いながら、だんだん変わっていく。ピーターが自殺をはかったところは、大丈夫かなと思いました。水浴びをしないと落ち着かない。水浴びをすることで強くなっていく。内容と表紙の白いクマがマッチしているんだなと作品を読み終わって思いました。

アカシア:私は『ピーティ』(鈴木出版)を読んでベン・マイケルセンってすごい作家だと思い、この本も出たときにすぐ読みました。今回は時間がなくて読み返せなかったんですけど、物語の中のリアリティをどこまでも追求する作家だな、という印象です。コールの悪さ加減も半端じゃなく書いています。後半はちょっと甘いかもしれないけど、YAなので1つの理想の姿を描きたかったんだと思います。アメリカでは犯罪を犯した子どもに対していろいろな選択を用意してるんですね。この本に出てくるのはサークル・ジャスティスですけど、ポール・フライシュマンの『風をつむぐ少年』(片岡しのぶ訳 あすなろ書房)は、少女を車でひき殺してしまった少年に対し、アメリカ大陸の四隅に犠牲者の女の子代わりの「風の人形」を立てるという業が課せられて、少年はその過程でいろいろな人々に出会って成長していきますよね。収監か放免かではなく多様な選択肢があるのが、すごい。

ダンテス:読み始めて、とにかく15歳という設定なんだけれど、15歳とは思えない悪い奴ですよね。家庭にもめぐまれず、すぐキレる。ピーターをぼこぼこにして、身体的傷だけじゃなくて、脳にまで損傷を与えてしまうし、警察でも反省の色なし。大人をなんとかだましてやろう、という徹底的に悪い奴を最初に登場させて、この子が変わっていくのを、 嘘くさくなく、読者である私をどう納得させてくれるのかなと思いながら読み進めました。そういう意味ではしっかり物語にひきこんでくれましたから、いい作品であると評価します。結果的に、宗教性を感じさせる自然の力もあるんだけれど、古老の2人の力も大きく働いて、この子が変化・成長したことが腑に落ちます。 ピーター自身も被害者であって、自殺未遂を繰り返してしまう状態であったのを、救う方向に持っていっているのがすごい話だなと思いました。ちょっと気になったのは、腕や足がかなりダメージを受けていたはずで、傷を負っている描写が後半になると減ってしまって、普通に行動しているように読めてしまうのがどうかなと思いました。作品全体としては、犯罪の加害者だけでなく被害者の癒しというのがテーマでしょう。

ajian:先住民族の儀式や、スピリットベアとの不思議な交流もおもしろいですが、何よりも主眼は、加害者が、被害者とどう向き合うのか、ということだと思います。現代の裁判のシステムでは、それがうまくなされていないという指摘と、対案としてジャスティスサークル、という試みがあることを興味深く読みました。ただ、物語自体は、ややご都合主義的なきらいがなきにしもあらずで、とくにコールが更生していくくだりや、ピーターがコールの存在を受け入れていく過程は、ちょっと甘いかなと思いました。コールはちょっとものわかりがよすぎますよね。にもかかわらず、印象的な場面が多々あり、作者の筆力を感じます。
自分がおもしろいと思ったことを羅列していくと……たとえば、ダンスで動物と同化し、その動物について理解する、というくだり。うまく踊れたときというのは、リズムと一体化していて、意識が集中し、かついろいろなことを忘れて、自分から離れてしまえる状態。あの高揚感、忘我状態のなかで、自分から離れて別のものになるという感覚までは、ほんのもう一歩なんじゃないかという気がして、全然知らないことなのに、よくわかる!と思ってしまいました。それから、スピリットベアに会おうと、雨にうたれて自分を無にしようとする場面、ここもおもしろかったですね。雨が額から頬にしたたるのを感じ、ついで周囲の世界へと、感じる範囲が広がっていく感覚。座禅のワークショップに参加したとき、香港から来たお坊さんに、意識を外へ外へ向けろ、と言われたことを思い出しました。よく書けている本や文章というものは、読者の体験や思い出とつい響き合ってしまうものですが、この本もそうだと思います。裁判にしてもそうなんですが、近代的なシステムではすくい上げられないような軋轢であったり心であったりを、この本では「ダンス」であったり「トーテムを彫ること」という、一見なにも関係のないような行為を通じて、いやすことを描いていると思います。それが不思議と納得出来るのがおもしろいです。
まったくの余談ですが、自分がこれまで怒りをコントロールして来たか、殴りつけた相手と向き合って来たか、というと非常に心もとないものがあります。何か、コールの姿は、ここまで極端ではないにしても、あまり他人事とは思えませんでした。今更どうしようもないですが、エドウィンのように、コールのように、別の形で返していくしかないのだろうなあと……。

三酉:私の感想はあんまりよくないんです。『ピーティ』の作者だと聞いて、あちらはすごくよく書けていると思ったんですね。でも、これはこんなに甘い話でいいのか、と。サークル・ジャスティスはいいと思うんですけどね。でもその制度のすばらしさにほれこむあまり、作品がゆるくなったかな、という気がしました。作者はサークル・ジャスティスで感激して、ひいきの引き倒しをしてしまったと思う。それとたぶんこの取材の過程で、孤島一人で暮らすというのを実地に体験して(たぶんヴィジョン・クエストなのだと思いますが)、すごい感激した、それもあってここまで書いちゃったんじゃないかと思います。

アカシア:私は15歳という年齢ならあり得ると思って読みました。この作家は、クマも飼ってたんですよね。

三酉:『ピーティ』同様、夢というか、「お話」であっていいのだけれど、「お話」の出来が悪いと思うんですよね。

アカシア:私も作品としては『ピーティ』の方がよくできていると思ったんですが、こっちの方が課題図書になったんですね。

メリーさん:私はとてもよかったです。とくに前半部分、主人公が瀕死の重傷を負うところ。クマに相当痛めつけられて、もう死んでしまうかというところで、心から生きたいと願う主人公。どん底に落ちて初めて、世界はなんと美しいのかと感じる心。極限の状態まできて、ようやく世界が見えてきた、そんな描写が圧倒的でした。後半は多少ご都合主義に陥っているきらいはあるけれど、毎日を祝いの日々にするという部分、日常をいつくしみ、自分の視点で楽しいものにしていこうというところは、どん底を経験した人たちだからこそ言えることだなと共感。一気に読んでしまいました。

三酉:だんだん思い出してきて、もうちょっとポジティブに言うとね、6ヶ月後っていって、内部的な葛藤のようなものがもっと書きかれていると、もっとよくなった。

ダンテス:最後の10ページくらいのところ。ピーターは、コールに仕返しするわけです。そのときにコールは自分は反撃しないと決めていて、ピーターがある意味気の済むように仕返しをする。そこで初めて両者対等になって、そこからが本当のスタート。二人の関係改善が暗示されて物語が終わります。今の法律では、被害者自身の手で加害者に仕返しすることは認められていないわけです。

ajian:その反撃しない場面、コールが急に「おれという人間は大きな輪(サークル)の一部なんだ」とか言い出して、ちょっと「どうした?」って感じですよね(笑)

(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)


少年少女飛行倶楽部

加納朋子『少年少女飛行倶楽部』
『少年少女飛行倶楽部』
原題:(文春文庫 2011)
加納朋子/著
文藝春秋
2009.04

版元語録:中学1年生の海月が幼馴染の樹絵里に誘われて入部したのは「飛行クラブ」。メンバーは2年生の変人部長・神、通称カミサマをはじめとするワケあり部員たち。果たして、空に舞い上がれるか!?

御茶:おもしろいですし、愛情や友情もしっかり描かれていていいと思いました。すごくさわやかです。絵もいいです。主人公の心のツッコミがツボにハマりました。「るなるな」が最後にピンチになっていた所は、最後を盛り上げるために作為的な感じがして、もう少しひねりがほしかったなと思いました。

トム:一番はじめ表紙を見て「劇画風物語かな?」という印象。色々なキャラクターを演じるように、若者たちが次々登場しますけれど、お互いに気を使いあう関係が痛々しい気がして……。他の2冊で描かれる友だち関係とはずいぶん違う。時代も国も違うけれど……やはり今の日本の若い人の物語なのかな。飛行というテーマで進んでゆきますが、最後はちょっと無理があるかも。

ルパン:「道具や乗り物を使わない」というのがクラブの規約なんですが、最後は熱気球を使って飛びますよね。気球は道具じゃないのかなあ、と思っちゃいました。風船おじさんの話が出てくるのですが、その行動の愚かさ、切なさは語られてなくて残念。でも、作家はもしかしたら風船おじさんをヒントにこのお話を書いたかもしれないと思いました。登場人物のなかでは、イライザが一番よくかけていたし、いいですね。お母さんも良かったです。『ロケットボーイズ』がおもしろすぎたせいか、ちょっとうーんと思いましたが……。あと、どうして題名だけ漢字を使っているのかなと思いました。文中はぜんぶ片仮名で『飛行クラブ』だったので。

プルメリア:本を手にしてもあまり進まなかったです。現実的に書かれている内容なのですが、非現実的な感じで、ちょっと読みにくい本だった。飛ぶという設定はわかりますが……。登場人物それぞれの性格がわかりやすく書かれているように見えますが、気球が飛ぶところは、なんだか現実から離れた感じがしました。

サンザシ:文庫本で読みました。お互いの関係を探り合う中学生の関係とか、いろんな立場の子どもの思いなどが出て来て、悪くないと思いました。熱気球はなかなか魅力的なアイテムなので、もっと詳しく書いてくれると地に足のついた作品になったと思います。日本の作家は人間同士のやりとりとか微妙な心模様を書くのはうまいし、身のまわりの隅々にまで目が行くと思うけど、それから先にまでは広がらない。他の2作品とは視点が違うなと思いました。

げた:科学好きの子どもっていう題材の本が、日本の本ではなかなかみつけられなかったんですよ。ちょっと、テーマからはずれちゃったって感じですね。科学的な探究の末に空を飛ぶ、なんてことにはなっていないですもんね。でも、空を飛ぶという目的の部活を通して、中学生がお互いの人間性をみつめて、仲間のもうひとつ別の人間性をみつけ、成長していく様子はおもしろく読めました。最初に登場人物のおもしろい名前の紹介をつかみにして、読み進みやすい感じだと思いますよ。最後の部分は荒唐無稽で、あり得ない話になっているけれど、映画にしたらよさそうですよね。青春小説として楽しく読めました。

モフモフ:おもしろく読みました。ちょっと本を読んでみようかという若い読者にはちょうどよいのではないでしょうか。最初の飛行倶楽部の宣言(理想の飛行は、ピーターパン!?)を見てどうなるんだろうと思ったけれど、現実にできそうな熱気球に落ち着いて、なるほどと思いました。連載をまとめた本ですが、最初から熱気球と決めていたのか気になります。

メリーさん:加納朋子さんの作品は大好きでけっこう読んでいます。日常の謎を解く、コージーミステリーがとてもおもしろい。そんな中で、今回はちょっとこれまでと路線が違うなと思いました。子どもたちの青春群像という感じ。主人公は「ちびまる子ちゃん」のような性格で、世の中をちょっと斜めから見ている感じがするけれど、やはり心は素直。部長が、自分は姉の面倒をみるために生まれてきたということに対して、泣きながらそれは違うと言うシーンは、とてもよかったです。結末はリアルではないけれど、部活ならではの一体感があって、やった!という達成感を感じました。全体的にさらっと読めておもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


ロケット・ボーイズ(上・下)

ホーマー・ヒッカム・ジュニア『ロケットボーイズ』
『ロケット・ボーイズ(上・下)』
原題:ROCKET BOYS by Homer H. Hickam Jr.,1998
ホーマー・ヒッカム・ジュニア/著 武者圭子/訳
草思社
1999/2000

版元語録:のちにNASAのエンジニアになった著者が、ロケットづくりを通して成長を遂げていった青春時代をつづる、感動の自伝。夜空を見上げ、その輝きに魅せられた落ちこぼれ高校生四人組は考えた??このままこの炭鉱町の平凡な高校生のままでいいのか?

モフモフ:作品の密度が濃くて読み飛ばせなかったので、読み終わるまでに時間がかかりました。知らなかったのですが、ロケット開発の最初の時期はアメリカよりもロシアのほうが先行していたのですね。作品中で描かれているように、アメリカの学校ではカリキュラムを変更したりして、ロシアに後れをとったことがそんなにショックだったのかと感慨深かったです。上巻と下巻では主人公の立ち位置がおちこぼれから、みんなに認められる町のヒーローに変わっていって、立身出世の物語のような感じもあり、ぎくしゃくしていた父親と主人公の関係も、どうなるんだろうと思いながら読み進めました。お父さんは、たたき上げの炭鉱の監督で、炭鉱で起きるすべてのことに責任を感じるような人。肺の病気もあるし、落盤事故の怪我もあるし、満身創痍ですよね。当時の炭鉱町の様子、そこで生きる人間は、こんなふうに考えていたのかと新鮮でもありました。

げた:たまたま、なんですけどね、今回のとりあげた本の年代は大体50年きざみになっています。この本の時代は今から50年前です。アメリカとソ連が鎬を削りあっている頃で、アメリカがソ連には負けないぞという頼もしさが伝わってきました。ここのところ、この会でとりあげられている本が、厳しい状況におかれた子どもたちを扱ったものが続いたので、楽しく生き生きとした子どもを扱ったこちらの本を選書係として選ばせてもらいました。最初はプラスチックの模型飛行機に癇癪玉を詰めただけのロケットから、最後の微分積分などで計算して作られたロケットにまで到達したというのがすごいな。しかもこれは実話なんですよね。考えてみると、2、3年の間にこんなことができたのがすごいですね。この年代の普通の男の子らしく、女の子に対する興味もおもしろく描かれていましたね。ドロシーに寄せる恋心も興味深かったな。とにかくおもしろかったです。上下巻2冊で分量はそこそこあるけど高校生くらいなら読めるし読んでほしいな。

サンザシ:すごくおもしろかった。映画も本も知らなかったんですが。下巻は2か月で7刷りまでいっているので、売れているのかなと思います。どこまで自伝なのかわかりませんがノンフィクションだから書けるところや重みもあるんでしょうね。この人は技術者だからお鍋やストーブをだめにしちゃうのもリアルに書かれているし、そういうのを許すお母さんはすごい人だなと思いました。仲が悪そうなのに良いところもあるし、お金も貯めていてすごい、なかなかこうはいかないだろうなと思いました。大人らしい大人がいっぱい出てくる作品だと思いました、今は大人らしい大人は少ない。ロケットのノーズコーンはこうだ、お酒はこうだ、とアドバイスをくれたり、大人が反対してくれたり、子どもにとっても良い時代だったと思ったりもしました。アメリカだけじゃなくてアフリカにも、学校に行けなくなったけど自分でゴミ捨て場から拾ってきた材料で風車をつくった少年がいて、『風をつかまえた少年』(ウィリアム・カムクワンバ&ブライアン・ミーラー著 田口俊樹訳 文藝春秋)という本を書いています。子どもはそういう力を持ってるんでしょうけど、常識的な親が芽を摘んじゃうこともあるでしょうし、環境も良かったんだろうなと思います。最後のお父さんの残したのも良かった。

プルメリア:上・下の2巻構成 活字もたくさんですが、作品に入り込み、一気に読みました。実話だったからこそ内容がわかりやすくとてもおもしろかったです。主人公の父親の責任感ある行動力がすばらしく、偉大さがあり、立派だなと思いました。周りの人々が少年たちの実験をなんとなく見守ってくれるのもこの時代だからこそだなと感じました。今の子ども達はやりたいことがあってもなかなか実行できず終わってしまうケースが多いですが、この少年たちからは周りの人々に支えられながら頑張っていく意欲や熱意が伝わってきます。一つ一つの積み重ねの実験が大きな成功に結びついていくんだなと思いました。スペースシャトルに関する土井さん(素敵なマスク!)の話はわかりやすく、全体のストーリー構成のつながりも良く、スケールの大きな話でした。

ルパン:めちゃくちゃおもしろかったです。この会に参加させていただくようになってから、読んだことない本をたくさん読む機会ができてうれしいです。この作品を読んで、ボブ・グリーンの『十七歳』(文藝春秋)を思い出しました。実話ゆえのドキドキ感がちょっと似ています。主人公はこんな素敵な男の子なのに、好きな女の子を最後まで振り向かせられないところも。この作品もお母さんがいいと思いました。昔のBFが現れ、かつての恋敵が立派になって帰ってきたのを見たお父さんが「選び方をまちがえたな」と言ったとき、「ちゃんと正しい方を選んだわ」というシーンは素敵でした。ちょうど、最近になって理系のおもしろさに目覚めたところでもありました。理系の人はたぶん、文系の人よりもロマンティストですよね。『ロケットボーイズ』のような息子がいたら、きっと息子が恋人になっちゃうと思います。

トム:ソ連とアメリカの国の競争が炭鉱の町に住む少年にまで響いていることにびっくり! 同じころ日本も石炭がエネルギー源で、炭鉱の落盤事故ニュースにくぎづけになったことを思い出しました。あ〜アメリカもそうだったんだなぁと思いました。お父さんの危険と背中合わせの強い生き方、不安を見せないお母さんの逞しさも強い! ロケットボーイズのまわりで、彼らを押さえようとする人がいるなかで、やがて皆応援していくのはアメリカなんだろうなと思いました。おもしろかったです。物語を読んでいくと、エネルギーの変化やアメリカのロケット開発にドイツ人のブラウン博士がかかわっていること、それから炭鉱でひっそり働くバイコフスキーさんはユダヤ人らしいことなど時代の波を感じました。本は何度でも手にとれるので、いつか読み返した時、またいろいろ考える手がかりが埋まっている良い本だと思いました。この少年がもし物理の先生にだったら私は赤点取らなかったかも。

御茶:すみません上巻しか借りられていないのですが、17ページのペンテコステ派、メソジスト派、バプティスト派など、宗教がころころ変わっていくのはすごいことだなと思いました。戦争の時に石炭を必要とするのはどこも一緒なのだなと思いました。日本も女性を炭坑にかりだして女炭夫さんという方々もいたなと思い出しました。上巻まではロケットを飛ばすための助け合いや、友情は少なく、『少年少女飛行倶楽部』の方が描かれているなぁと思いました。男の子の視点で書かれているのですっきりしているなと思いました。

メリーさん:上下とボリュームのある物語ですが、とてもおもしろかったです。炭鉱の街の描写を背景に、主人公たちのロケットにかける青春を描く重層的な物語。文章は映像的で、特に下巻、主人公がチームを引っ張っていくようになってからぐいぐい引き込まれました。個人的に興味を持って読んだのが、父親との関係。父子というのは、ある意味で永遠の課題です。息子は父親のことが目の前に立ちはだかっている壁のように見えるのだけれど、父親も息子との距離をはかりかねている。父は、次男である主人公にかなりつらくあたるのだけれど、自分が命をかけている炭鉱を見せたり、主人公が行き詰っているときにはぽんと材料をくれたりと、気にかけている様子がところどころにはさまれる。一面的ではなく、善悪両面があるという描写にリアリティを感じました。息子は、最終的に父親を乗り越えるわけではなく違った道を見つけ出して選ぶ、そして父親を理解していくというのがとてもいいなと思いました。

すあま:映画を先に見ていて、あらめて読みました。スプートニクショックというのがアメリカにとってどうだったかというのを授業でも習っていたのですが、本当に大きな衝撃だったのだなと分かりました。科学コンテストの話は『ニンジャx ピラニア x ガリレオ』(グレッグ・ライティック・スミス著 小田島則子&恒志訳 ポプラ社)を思い出しました。科学をやらねばということで学校でも教育が見直されて国をあげてやっていったことが分かります。どんどん不景気になっていく炭鉱の町では、ロケットが未来に向けた希望だったのでは。馬鹿にしていたのに意外と上手くいって希望の光になっていったんだなと感じました。いろんな人がで登場しますが、親子、夫婦、兄弟、友達の関係もていねいに書かれていました。この作品は子ども時代の話ですが図書館では伝記の棚に入っていました。だけど、フィクションや小説、文学作品と言って良いのではないかな。『ロケットボーイズ2』というのも出ていますよ。

モフモフ:NASAの技術者の自伝的な作品ですが、ゴーストライターがいるのかと思うほど、細かな描写や構成がうまいです。下巻では自分のことを人気者でヒーローという感じで書いていますが、日本なら謙遜が入りそうなところだと思いました。

げた:この作品を教えてくれた人がいるんですけど、『ロケットボーイズ2』はあんまりおもしろくないって話だったので、まだ読んでません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


ダーウィンと出会った夏

ジャクリーン・ケリー『ダーウィンと出会った夏』
『ダーウィンと出会った夏』
原題:THE EVOLUTION OF CALPURNIA TATE by Jacqueline Kelly,2009
ジャクリーン・ケリー/著 斎藤倫子/訳
ほるぷ出版
2011.07

版元語録:11歳のキャルパーニアは変わり者のおじいちゃんの「共同研究者」となる。実験や観察をかさねるうち、しだいに科学のおもしろさにひかれていくが……。

トム:近くの図書館の蔵書11冊がすべて貸出中でした。ダーウィンの『種の起源』がこういう時代の中に登場したのかと知りました。各章のはじめにある文章は言い回しがむずかしい。虫の名前などは、可能ならば日本名があるとよいのでは。キャルパーニアが自分の好奇心をどんどんふくらませてゆく姿と、求められる生き方への疑問と2つのテーマが拮抗していきますが、主人公の自然との出会いとその生き生きした様子にズンズン惹きつけられました。いつのまにかキャルパーニアを応援していたのかも。お祖父さんの存在は巨きくて深い! 主人公が「この世界のどこに私の居場所があるのだろう」と考えた時に「なにかを好きだと思うことより理解することの方が大切」というお祖父さんの言葉を思い出す場面がありましたが、よくかみしめてみたい言葉です。

ルパン:すみません、まだ途中までしか読めていないんですが……最初はちょっとおもしろくないような気がしたのですが、どんどんおもしろくなってきています。またまたですが、この作品でも、お母さんがいいなと思いました。こういう女の子になってほしい、という願望を押しつけてくるところがあるけれど、このお母さんの気持ちもわかるなぁと感じました。

プルメリア:今年の夏休みに読みました。題名と表紙が目につき、手に取りました。読みやすかったです。おじいさんと少女の交流の中で、身近な自然科学に関する話がたくさんあるのですが、コウモリが登場している部分は楽しく読みました。戦争の悲惨さ、人種差別などアメリカの時代背景、当時の人々の生活スタイルも分かりやすく書かれていました。今現在、アメリカは女性の地位が確立されていますが、主人公が子どものころはまだそういう姿はなく、これからの時代は女性も前に出て地位を作っていこうとするたくましい生き方が表れているところがとても素敵で、ぜひこの生き方を読者に知ってもらいたいなと思いました。作者はお医者さんだけれど、虫や植物が好きで、自然に目がいく人。いろいろな物をよく観察していて、私たちも見たことのある身近な自然界の生き物が登場してくる作品なので、長編でも読ませるものになっていると思いました。

サンザシ:翻訳がうまいなと思いました。女の子は思い切って好きなことができない時代で、親たちは刺繍や料理を習得しろと行ったり、社交界にデビューさせようとするわけですが、コーリー(キャルパーニア)がなんとかがんばって自分の道を歩こうとする様子がよく書けていました。私の友人に、息子と一緒にチャボを卵から育てた人がいるんですね。その人の話がとってもおもしろいんです。子どもの好奇心をお母さんである友人がとてもうまくのばしていく。それでとうとう卵から孵化して家族同様にそのチャボと暮らし、死まで看取るんです。その話を聞いていると、私にはとてもできないな、と思うわけです。時間も知識も忍耐力も必要になりますもんね。その友人のようなお母さんや、この本に出て来るおじいさんのような人がいて初めて、子どもの科学への好奇心は育つのかもしれないなあと思います。この作品に出て来るおじいさんは、時間的にも自由で、精神的にも縛られていない。しょっちゅう自然の中に出かけていき、ついてきた孫娘に、目に触れる生き物についていろいろな話をしてくれる。そういう家族がそばにいて、コーリーは幸せでしたね。おじいさんだけでなく、兄弟たちそれぞれのエピソードにもユーモアがあり、楽しく読めます。コーリーが祖父の話を聞いて、どんどん科学的な見方を獲得していく過程もリアルに書かれています。自然科学の分野はとっつきにくいと思っている子どもでも、こういう物語から入れば大いに興味をもつようになり、理科離れも食い止められるのかもしれませんね。

げた:この本の扱っている年代は今から100年前で、この時代の女性は良妻賢母になることが求められているのだけど、それから解放されて、自立した女性になることが一つの重要なテーマになっているんですね。アメリカで国内の戦争といえば、南北戦争で、この本の時代の30数年前に起こったのだけど、主人公の女の子を科学に導いたおじいちゃんも南北戦争に従軍してたんですよね。意外だったのは、アメリカで女性参政権が得られたのは1920年でそんなに前じゃないということですね。日本語のタイトルは原題よりもおしゃれですね。キャルパーニアは7人きょうだいなんだけど、おじいちゃんが科学の道に導こうとしたのは、たまたまキャルパーニアだったわけで、キャルパーニアでなくてもよかったのかもしれないですね。科学の道に進むのは男も女も関係ないんだよということかな。いやいやながら、共進会の作品展に出品した手芸品が3位になっちゃった話がおもしろかったな。科学好きの女の子をテーマにした本ということで選びました。

モフモフ:この作品で、おじいさんが主人公の協力者になっていますが、子どもの好奇心や才能の芽生えには、それに寄り添って伴走してくれる人が大切なのだと思います。必ずしも親や家族でなくていいのですが。

すあま:お母さんと子どもの関係でいうと、自分が舞踏会に行けなかったからそれを娘に託してしまっている。ユーモアもたくさんあって、刺繍のコンテストのエピソードもおもしろかった。世紀が変わるということで、考え方が変わっている時代をとりあげているんですね。とても読後感が良いです。

メリーさん:自然とそこで暮らす人々の細部までが描かれていて、とても楽しく読みました。私自身はまったくの文系で、自然科学には詳しくないのですが、主人公の考え方に共感できるのは、主人公が物ごとを本当によく観察しているからではないかと思いました。季節、自然、友人のことも、科学の目は物ごとをきちんと観察することから始まります。それが、ディテールをきちんと描くことにつながっているのではないかと。主人公の台詞「自然界では美しくするのはオスの方なのに、人間はなぜ女性の方が着飾らないといけないのか」なんていうセリフはとてもおもしろい。物語の最後の場面で、彼女は外の世界を見て家の外へ飛び出していきますが、またすぐに家をみつめて帰ってくる。この物語の心地よさは、この、家を大切にして地に足をつけている感覚なのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


父さんの銃

ヒネル・サレーム『父さんの銃』
『父さんの銃』
原題:LE FUSIL DE MON PERE by Hiner Saleem, 2004
ヒネル・サレーム/著 田久保麻里/訳
白水社
2007.06

版元語録:フセイン政権下の苛酷な状況で、次第にクルド人としての誇りと芸術に目覚めていく少年。そして、その家族たちの絆、故郷への熱い想い—。イラク出身のクルド人映画監督による、笑いと涙と希望にあふれた自伝的物語。

おから:私小説やエッセーのようなものかなと思って読みました。出来事を中心に書いているように思えますが、それによる心理描写は少ない。たとえば序盤で兵隊に殴られた後の気持ちの所です。その場面の後すぐに事件があったのは分かるのですが、事件が起こったことで自分がどう感じるのかもっと出さないと、ただの歴史を見るような気がしてしまうので、もう少し心理描写がほしいと思いました。また、プロットをぼんぼん見させられているように感じました。あとは作品中には権力の強さが表れていて、人が家畜のような扱いをされていることに何度も吐き気がしました。79ページの母の写真撮影はなぜ目が見えなくなっていたのかと疑問に思いました。年や栄養失調なのか、あるいは身体検査で殴られたり刺されたりしたのなら、目に痣なり傷なりあるはずなので、前者かなと思います。

ダンテス:クルド人の話を日本で読める機会は少ないです。こういう作品によって日本人が、遠い場所の知らないことを知ることができるというのは素晴らしいと思いました。家族の話も主人公の目からの視点で、記述に統一感があります。サダム・フセインの話や家族が離れ離れになっていく話もそうだったんだ、と勉強になりました。こういうことを経て今日の状況があるのかと分かりました。実話なんだけど、たとえば最後の出国する場面などかなりドキドキすることができた。読ませる力があります。徳間のBFT(Books for Teenagers)とサイズも似ているし、若い人向きに作られているのかな。

サンザシ:大人の本だろうなと思いました。主人公は子どもとして訳されてますけど、成長していくのも書かれているので。しかし場面の展開があっち行ったりこっち行ったりしているので普通の中学生だと読みにくく、読みなれた子にはおもしろいのでは。18、19ページのところは、大人の読者だとおもしろいですね。20ページになると、18ページとつながっているのかもしれないけど、中学生には難しいかも。大人は解明する楽しさがあるけど。ただ、クルドの人たちがどんなに大変なのか知ることができて、読んで良かったと思います。これは自伝的小説なので、149-151ページあたりまでこの人がどうなったか書いてある。これはノンフィクションの書き方で、映画だとよくある手法ですね。どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのかもう少し分かった方が良いなと思いました。映像的な作り方だと感じました。12ページのはどういう意味ですか(田久保さんからどの程度の認識があるのかですねという返答あり)フセインはコミュニティを破壊したんですものね。

アカザ:この本は、児童書として出版したのか、それとも一般書なのか分かりませんでした。児童書でしたら、地図があると良かったし、訳注なども、もう少し配慮が必要だと思いました。でも、作品そのものはとても面白かったし、今までこの本の存在すら知らなかったので読んでよかった。作者が実際に体験したものということですが、緊迫感があって、最後まで一気に読みました。そのなかにとてもおおらかなユーモアもあり、さすがに映画を作っている人だと思ったのですが、ザクロの赤とか映像的にくっきりと記憶に残るところもあり、とてもいい作品だと思いました。

すあま:地図があれば、という話がありましたけれど、登場人物たちの関係も頭の中でこんがらがってしまいました。大人の小説だと思って読んでいましたが、難しかった。そして読み終わった後にクルドのことを知りたくなった。そういう意味では興味深く読みました。主人公が若く、映画監督になりたい、ヨーロッパに行きたいといった将来に対する希望を持っているので明るいイメージもあります。楽しいはずの子ども時代が台無しになっているのに明るさを持って書いているのが良いし、読後感も良い。そこが大事だと思います。読んでもらうのは中高生かなと思いますが、手に取りにくい装丁とタイトルなのでブックトークで紹介するとよいと思います。

トム:民族って、と考えました。日本は今、同じような一つの民族のように暮らしているけれど、アイヌの人も、琉球の人もいるのに…。以前、中村哲さんが「アフガンの人は自分の命を盾にして人を守ろうとする、今の日本にそういう熱いものがあるだろうか」という意味のことを話されていたことを思い出しました。このクルドの人々の命をかけた戦いの熱い血にはドキドキします。一人の少年が生きてゆく生々しくて率直な日々の描写が、読む人を次々起きる民族のドラマに引きずりこむと思います。その一方で、鶏2羽と金のイヤリングで少年の年が4歳も変えられるなんて! ほんとうに色々な民族がいて地球は広い! 若きフセインがあのように登場していたというのも興味深く読みました。トルコの地震がずっと気になっていましたが、この本で出会ったクルド人たちもどうしているだろうと思います。

ぼんた:主人公の少年は、冒頭では自分の身に何が起きているのか一切理解できない幼い子どもですが、成長するにつれて、クルド人がどういう歴史をたどってきたか、自分のまわりで何が起きているのかを少しずつ理解してゆきます。私は中東に関する知識がほとんどありませんでしたが、主人公の成長とともにクルド人について学ぶことができたように思いました。主人公は次第にクルド人としてのアイデンティティに目覚めてゆきます。国を持たないクルド人がなぜ自分を「クルド人」だと誇りを持って言えるのか、その根拠はなんなのか、これは日本人も考えさせられる問題だと思います。文章は淡々としていますが、映画監督らしく映像的で、詩的な感じを受けるところもたくさんありました。私は以前、日本在住のクルド人のお祭りに参加したことがあるのですが、この小説に出てくる人たちと同じように歌や踊りが大好きな方々でした。ちょっと日本の盆踊りのようで親近感を持ちましたが、こうした歌や踊りもクルド人のアイデンティティのひとつになっているのかもしれません。

ダンテス:母の話は主人公が知っている部分でしか知らされないという視点の狭さも中学生くらいとして読めるし、大人になるに従って政治的な理解が進んでいるように読めます。日本の子どもたちに教育的には良い作品でしょう。地図があると良いですね。クルド人の誇りを保つには、やはりクルド語を話すことが大事なのでしょう。イランでもイラクでも時代によってクルド人に対する扱いが違うということも分かりました。

プルメリア:作品を読んでどうしてページを進めることができなかったのかなと考えたところ、著者が自分の体験を書いているから、作品を読んでいても場面場面で止まってしまって考える感じになっているためではないかと思いました。

三酉:とても良かったけれど地図が欲しかった。原著にはなかったのかもしれませんが。

ぼんた:原著には地図がついています。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語

リンダ・スー・パーク『木槿の咲く庭:スンヒィとテヨルの物語』
『木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語』
原題:WHEN MY NAME WAS KEOKO by Linda Sue Park, 2002
リンダ・スー・パーク/著 柳田由紀子/訳
新潮社
2006.06

版元語録:好奇心いっぱいで家族思いの10歳の妹スンヒィと、工作と飛行機が大好きで正義感の強い13歳の兄テヨル。日本統治下の朝鮮で、ありったけの知恵と勇気で生きた兄妹の、5年間の物語。

すあま:おもしろかったです。兄と妹がそれぞれの視点で語る形式になっているのがよいと思いました。どちらかに共感しながら読むことができるので。創氏改名について取り上げ、当時日本政府が行ったことを子どもでも読めるような本として書いた本として、大事だと思います。スンヒィの気持ちもよく伝わってきました。著者は子どもの本を書いている人なので、せめてヤングアダルト向けとして手にとりやすい形で出版してほしかったと思います。

サンザシ:これも、子どもが主人公でも大人の本だろうなと思いました。事件が起こって読者をひきつけるのはかなり後ろになってからのこと。それまでは背景が書いてあって、大人は胸の痛い思いをして読むけど、歴史を知らない今の子どもたちに読ませるのは難しいかもしれません。メッセージ性のあるものは、それだけだと読ませるのが難しいですね。おもしろさで引きつけないと読まない。だから大人の本として出さざるを得ないという面もあるのかもしれません。それにしても、日本の作家はこういう問題についてなかなか書きませんね。なぜなんでしょう? こわいのかな? 韓国系アメリカ人のこの作家の本は、前に『モギ』(あすなろ書房)も読みましたね。あっちはもっと文学的でしたが。今、童心社で「日・中・韓平和絵本」というシリーズを出しています。先日、従軍慰安婦をテーマにした絵本をつくった韓国の画家が話されていたのを聞いたのですが、早く日本でも出るといいですね。史実と違うところがあると言われたりして、出版社はなかなか慎重になっているようですが。

アカザ:まず最初に感じたのは、日本の児童文学作家がどうして今までこのことを書かなかったのかということです。歴史の時間に習っただけでは、人間の痛み、苦しみや、体温のようなものが伝わって来ない。やはり文学として表現しないと…。日本の子どもにぜひ読ませたい作品です。まさに児童文学作家が、児童文学作品として書いた物語だと思います。子どもを主人公にすると、どうしても子どもが見たり、聞いたりする範囲のことしか書けなくなり、社会の全体像がとらえにくくなると思うのですが、この作品は語り手を兄と妹の2人にしたことで世界が少し広くなっていて、児童文学の手法としてとても上手なやりかただと思います。文学としては『父さんの銃』のほうが物語にふくらみというか、香りのようなものがあり優れていると思うのですが、日本の子どもたちだけでなく、大人にとっても大切な作品だと思いました。

トム:この話を若い人はどう読むのかな? 小学生の頃、長期欠席の友達(在日韓国人)を誘いに行った時に、彼女のおじいさんが日本の学校へは通わせないと怒った真っ赤な顔と、隣に居た彼女の苦しい表情が忘れられないでいます。今思えば、韓国の人の日本への恨みの深さを肌で感じたはじめての時だったと思います。登場人物の中で、アンさんというおばあさんが好きです! 日本語は使わぬまま、抗日運動をする人をかくまったり、食糧のない時に庭の柿を干してそっと隣人に渡したり、傍目には年をとった弱さと見えるものが、ほんとうはしなやかな強さになっている! 中学生の女子が集められるのは慰安婦ということでしょうか? 北へ行ったおじさんはその後どう暮らしているのか…今につながる問題を感じます。お兄さんが特攻隊を志願する動機は、私には今一つわかりにくかったけれど。

おから:スンヒィの視点とテヨルの視点で物語を書くことで位置関係が分かりやすくなっていますし、物語の深みが増していると思います。文化を守ることに何の意味や意義があるのか、なぜそこにプライドがあるのかというところは、私にはわからなかったので考えたのですが、それは先祖や家族を守るということにもつながっているのではないかなと思いました。

ルパン:すごくおもしろかったという言葉が合っているかは分からないですが、一気読みをするくらい「この先どうなるのかな」と思わせる本でした。本筋とは直接関係ないところですが、女子学生が校庭に集められるワンシーンが重くて…。主人公のお兄ちゃんは無事に帰ってきたのに、あの女の子たちが2度と帰ってこなかったことがとても悲しかったです。また、こんなに仲良い兄妹があるんだなぁ、と思いました。自分ももっと兄と仲良くしなくては(笑)。全体的に、日本人に気を遣って書いているのかな、と思わせるものがありました。実際はもっと日本人を憎む状況だと思うのですが…この子どもたちは寛大だと思いました。それから「どうせ朝鮮人には勇気がない」という会話を耳にしたあと、兄がむきになって特攻隊に志願したのは、日本の軍人の策略にはまってしまったんでしょうか? それともたまたまだったのかな…?

ぼんた:原語は英語でも、「アボジ(父)」や「オモニ(母)」といった言葉は韓国の言葉を使っているところがまず印象に残りました。英語で小説を書いていても、「父」や「母」といった身近な言葉は英語にはできないのかな、と。また、この小説の主人公は『父さんの銃』と同じように子どもですが、その子どもたちが親から何を受け継ぎ、何を伝えていくのだろうかということを読後考えさせられました。

ダンテス:日本軍にお兄ちゃんが志願するところは不自然に思われるかもしれませんが、飛行機が好きという伏線を張ってあります。文章全体が感情を抑えて淡々と書いたように見受けられました。日本人の立場からするとひどいことをやったのだと思います。学校では日本語を強制されるけれど、家では韓国語で話すという表現としてアボジという言葉を出したのかなと思いま す。むくげを刈り取れと言われる、食べ物もとられる、ひどい話です。日本人の憲兵などは何でも天皇陛下の御ためと言っていたのでしょうか。従軍慰安婦の問題もさりげなく書かれています。北朝鮮と韓国に別れ別れになった離散家族の問題も声高ではなく作品に出ています。日本語訳の本になると子ども向きではないかもしれない、けれど私の中では大人の本ではないと感じます。読書好きの中学3年生になら読ませられるでしょう。やはり作者は民族の誇りを失わないために書いているのでしょう。

三酉:とても良い作品で、日本人としては身につまされる。改めて、ここまでやったのかというのがあって、この年にして教えられてしまった。日本では、日韓併合の36年間について教えていません。中国との関係と含めて考えさせられた。『父さんの銃』も含め、こういう本があると大人に対してもある地域、ある歴史への入門書のような感じで本当に勉強になります。我々が世界を知っていくことにこういう方法があったかと思いました。お兄さんが帰ってきてお父さんが帰ってきて、めでたしめでたしで、しかしその数年後に朝鮮戦争が始まってますよね。そのきっかけを作ったのは日本だったと、ズシーンときますね。

プルメリア:厚い本の割には読みやすく、日本人が韓国の人たちに対して行った行為がひしひしと伝わり、苦痛の日々だったのだろうなと思いました。韓国の人が特攻隊になれた事実を初めて知りました。戦争が終わり戦死したと思われたお兄さんが帰ってきたことにほっとしました。物語が明るく終わりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


八月の太陽を

乙骨淑子『八月の太陽を』
『八月の太陽を』
乙骨淑子/著 滝平二郎/挿絵
理論社
1978

アカザ:昔読んだときには感じなかったのですが、いま読んでみると講談のような語り口で書かれた作品だなあと感じました。そういえば、私が子どものころに読んだ物語は、こういう書き方をしていたものが多かったように記憶しています。語り口の力強さというか、もう一度見直してみてもいいのでは? 今回はテーマにあった本ということで、この作品が選ばれましたが、わたしは『ぴいちゃあしゃん』のほうが好きです。ぜひ、読み継いでいってもらいたい作家だと思っています。

トム:乙骨さんが心に描いた社会というものがどのようなものだったのか他の作品も読みながら考えてみたいです。

おから:すみません、あまり読めていなかったです。色がよく出てくる作品だなと思いました。何人種かというだけではなく物などの描写にも色が多用されているなと思います。人種の違いと利用価値があるかどうかということだけで待遇が違うのはおかしいと思います。あとはキリスト教の何の宗派なのかなど、そういう思想や文化的な面についても知りたいですし、読んでいて気になりました。

ルパン:今回は、この作品があるならぜひ来たいと思って来ました。乙骨淑子さんは私にとって特別なイメージのある作家です。子どものころ通っていた「ムーシカ文庫」では、大きい子向け本に茶色いシールが貼ってあったのですが、その代表格のひとつが乙骨作品でした。子ども心に、あれを読めるようになったら大人になれるんだ、というあこがれをもって見上げていました。今も傾きかけた午後の日ざしがさす文庫の部屋で見上げた、本棚の上の段の光景が目に浮かびます。なんだか『フランダースの犬』でネロが教会の礼拝堂で覆いのかかった絵を見上げているシーンみたいに(笑)。そのわりには、高学年になってついに読んだ『ぴいちゃあしゃん』のディティールは全然覚えていないんですが、今回この作品を読んで、「本当に女性が書いたのか」という骨太な感じを思い出しました。ここでまた乙骨作品と再会できてほんとうに良かったです。

ぼんた:乙骨さんのことは名前しか存じ上げなかったのですが、この小説を読んでもっと知りたくなりました。月報では映画監督のルイス・ブニュエルの手法を子どもの本に取り入れようとしていたと書かれていますが、そのような発想ができることにとても驚きました。

ダンテス:楽しく読ませて頂きました。内容的には明治時代にあったものをベースに調べて書いたそうで、それもすごいと思いました。黒人そして混血、白人の三つ巴ともいえる状況もよく書けているし、フランス革命などもからめてあって、大きな作品だなと思いました。ハイチという国についても新しく知ったことがたくさんありました。

三酉:私もハイチがこういう出自だったのか。還暦を迎えても勉強になりましたが、作品としては講談調というよりは紙芝居みたいだなと感じました。

すあま:タイトルの印象が堅く、手に取りにくかったです。実在の人物だったことにびっくりしました。フランス革命の話をよく子ども向きに書いたな、ということにも改めて驚かされました。今こういうのを書く人は少ないかもしれない。昔は子どもたちが伝記や大人向けの小説を子ども向けに書き直した本、骨太な作品を読んでいたと思いますが、今は子ども向けというと甘い感じの本が多い。今出したら違和感があるかもしれません。今使わなくなっている言葉もたくさん出てきますし。こういった、子どもたちの目が世界に開かれていくような本を誰かに書いてほしいです。

プルメリア:タイトルを見て日本の終戦の話かと思いましたが、目次で外国の話と分かりました。ハイチにおいての黒人と白人と混血の力関係というのが分かりましたし、みんなすごく力強く生きているのだなと思いました。目次がたくさんあるので作品を読ませていくのだなと思いました。ハイチについて情報がない中見てないことを書くのはすごいし、男性の考え方で書いたりするのはまたまたすごいなと思いました。紹介しないと子どもは読まないので歴史と一緒に手渡していきたいなって思いました。

サンザシ:私も乙骨さんの偉さはじゅうぶんわかっているつもりです。でもね、と今回思いました。皆さんは、学ぶことができたとおっしゃってますけど、この作品は、スローガンにとどまっているような気がします。もっと肉付けしてほしかったです。アフリカ語という言葉もおかしいし、登場人物が生きているリアルな人のように感じられないのでもっと生き生きと書いてほしかった。当時は情報もないし、乙骨さんが実際に現地にいらっしゃったわけではないので仕方ないとはいえ、どうしても絵空事。乙骨さんが自分も知りたいと思って書いおいでなのはわかるし、この時代に社会的視野を広くもたれているのはすごいと思いますが、私は、子どもが読むという視点を忘れたくないです。これを子どもの本として称賛してはいけないように思います。人間が人間として書かれていませんもの。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話

デニス・ジョンソン‐デイヴィーズ再話  ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エルーサイード・アハマド絵『ゴハおじさんのゆかいなお話:エジプトの民話』
『ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話』
原題:GOHA THE WISE FOOL by Denys Johnson-Davies, 2005
デニス・ジョンソン・デイヴィーズ/再話 ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エル‐サイード・アハマド/絵、千葉茂樹/訳
徳間書店
2010.01

版元語録:まぬけでがんこ,ときにかしこいゴハおじさん。何百年もエジプトの人々に愛され続けるゴハの笑い話,とんち話15編を楽しい挿絵で。

ajian:とてもおもしろかったです。このぐらいの幼年向けのものはまだ編集したことがないので、勉強の気持ちで読みました。エジプトの民話といわれてもあまり思いつかないし、日本の子どもにとっては、距離があるのではないかと思ったけど、そんなことは全くなく、親しみやすい、どこかなつかしいお話がいっぱい入っていた。おじさんのキャラクターがとてもいい。話も短く読みやすいし、この布の原画が味わい深い。原書は絵本だったというのを今日知ってよかった。そういう作り方も出来るのかと思いました。

優李:読んで、ホジャどんの昔話のようだと思いました。ゴハおじさんとホジャどんが同じ人とは後書きを読んで初めて知りました。とぼけた味わいが楽しい。こういう絵だと、男の子も好きそうですね。これを読んだある男の子が「ある話の中ではとぼけたおじさんなのに、別な話(「ロバの木を数える話」)ではすごく頭いいし、同じ一人の人とは思えない」と言ってました。確かに(笑)。刺繍が男性の作で、その地域では男の人の普通の職業ということも驚きでした。

わらびもち:他の民話集でこういうのを読んだことがあります。ロバを持ち上げる話や市場へ行く話なんかを。でも、別の話があることは知りませんでした。その時はイラストのようなものがなかったのですが、あると明るくなるし、親しみもわきますね。縫物の絵が温かみがあって良いですね。ゴハおじさんと3人の賢者の話では答えた内容で相手を困らせれば相手は何も言えなくなったり、出来なくなったりするのでこれはいつか自分がピンチになった時に使えたら使ってみようと思いました。

トム:愉快でした、すごく! 天真爛漫で笑いがこみあげる感じ。日本には無いカラリとしたスパイスもきいて心を閉じ込めない。アップリケは女の人がしているのかと思ったら厳つい男の人でびっくり。それぞれ技巧的でなく布や針の跡が残るようにざっくりとして、それもこの話の大事な味のよう。ゴハさんのギョロッと大きな目はずっと忘れないと思う

ルパン:興味しんしんで読みました。なんといってもエジプトは今いちばん行ってみたい国なので。ゴハおじさんは、きっちょむさんみたいですね。エキゾチックな部分と親しみやすい部分があって、とってもおもしろかったです。最後の「まともの答えられないしつもんには、どんなふうに答えても、正解なんですよ!」という一文が気に入りました。

けろけろ:日本にもとんち話は多くて、小さい子にはとても親しみやすいお話なので、とてもおもしろかった。きっちょむさん話と似てる部分があるけど、お国が違うと、落とし方も独特です。良くわからないものもあるけど、それもまた日本にはないテイストとして、味わい深いと思いました。

サンザシ:おもしろく読みました。私は原書を持っているんです。でも、絵本なので、これを日本で出すのはむずかしいなと思っていたら、こういう絵物語みたいな幼年童話で出たので、なるほど、と思いました。これなら読みやすいですもんね。私もナレスディン・ホジャのお話に似てるな、と思ったんですが、アラブ圏にこういう話は広く散らばっているんですね。時代を超えて、いろんな人がエピソードをつけ加えていったんでしょうね。アップリケや刺繍の絵もとてもユーモラスで楽しめます。ゴハおじさんにひげがあったりなかったりするのも、許せちゃいます。

たんぽぽ:とても、おもしろかったです。子どもたちに、読んでもらいたいなと思いました

うさこ:子どものころ、きっちょむさんや一休さんのようなとんち話が大好きだったので、この本を書店で見つけたときはすごくうれしかった。トルコではホジャおじさんだったり、他の国にいくと名前が変わるんですね、おもしろい! 主人公のとぼけぶりやひょうひょうとしているところがとてもいいな。生活者としての知恵がいい場面できいていて、読んでいて痛快。教訓ぽくなくて、笑えた。お風呂屋さんに行くところはただの間抜けさだけではなくて、知恵比べで、そこが意外でドキッとしました。1年生の男児と読んだのですが1回読んだだけではちょっと理解できないようだったので、すこし補足説明しないといけなかったかな。2〜3年生になって読んだら、ストレートに笑えるかも。

三酉:おもしろい! ゴハおじさんは、トルコではナスレッディン・ホジャと言われているようで、こちらの本も読んでしまいました。選書に感謝したいですね。知恵とユーモアと荒唐無稽と、実に多彩で豊か。その豊かさにつれて、読み手も大笑いしたり、しみじみ考え込んだりする。この刺繍の挿絵ものどかでよいのと、巻末に刺繍した人の写真が載っているが、ジャン・レノみたいでちょっと愉快でした。

プルメリア:出版されてすぐ読んだ作品です。表紙も挿絵も心温まるような刺繍がお話にとけこみ、とってもすてきだなと思いました。ほんわかしている雰囲気がなんともいえないいし、ゴハおじさんの味がいいです。学級の子どもたち(小学校4年生)に「地球の真ん中はどこ?」と聞いたところ「マグマ」とか「アメリカ?」などの答えがかえってきました。「ゴハおじさんの答えは『この下です。そこが地球のどまんなか』です」と教えると、みんな「あ、なるほど!」と笑っていました。1話のお話が短いので子どもたちとって短い休み時間に読める本になりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地

エミリー・ロッダ『スタンプに来た手紙』さくまゆみこ訳
『スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地』
原題:BEN THE POST-MOUSE by Emily Rodda, 2006
エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳 たしろちさと/絵
あすなろ書房
2011

版元語録:ハツカネズミのすむネコイラン町にはチュウチュウ通りというすてきな通りがあります。その10番地にすむのは、ゆうびん屋さんのスタンプ。毎日たくさんの手紙を配達するスタンプは、実は自分あての手紙をもらったことがありません。そこで、思いついたのは…。

たんぽぽ:チュウチュウ通りのシリーズは、おすすめのシリーズです。どの巻からも楽しめまて、それぞれがおもしろいです。本が苦手な子も全巻読んで達成感を味わうことができます。対象年齢も、幼児から小学生高学年まで幅広いかと思います。娘の子が幼稚園の時、ひとりで、「クツカタッポと三つのねがいごと」を読んでいました。読み終わってから私に「おばあちゃん若くなりたい?」と聞くのです。私は 「おばあちゃんは、あなたに会えたからもう若くならなくてもいいわ 」と答えました。すると小さい人は「ぼくは、おばあちゃんの若い時をみたいな」と言ってくれました。孫との会話、心に残っています。

Ajian:10巻のシリーズですが、どの巻から読んでもいいと思いました。2番目のクツカタッポの話がとくに好きです。足るを知るという感じで……。絵も話にぴったりで、ふんだんに入っていて、贅沢なつくりだなという印象。お話のバリエーションもあるし、うちの子どもが大きくなったらぜひ読ませたいと思っています。

優李:好きなシリーズです。字の大きさ、絵、本の厚さ、体裁、中身どれも低学年の児童が読みすすめやすい。私も、2巻目の「クツカタッポ」が好きです。お金は欲しくない、というところで、子どもたちが「え〜、なんで?」と声を出すのだけれど、その後の意外な理由に「なるほどね」と納得させるのがすごい。読んだ子が友だちにすすめるのに「地味だけど、あったかいし、おもしろいし」と言っているのをきいて、思わずニコニコしてしまいました。

わらびもち:この作家のは、ローワン、デルトラ、フェアリーレルムなど楽しく読ませて頂いています。このお話の主人公は、手紙というコミュニケーションにおいて自分と人と比べ、広告を出すという行動に出るんですね。自分で自分の首をしめてますけど、普段のコミュニケーションによってたくさんの人に助けられ、ことなきを得る。手紙というものは、特別な祝い事や距離がない限り普段会って会話をしている人には送らないものだと思います。スタンプは仕事として手紙を届けながら色々な人と会うことが出来て、手紙かそれ以上のコミュニケーションがとれているのでとても羨ましいなと感じました。個人的には、ローワンのような自然があふれるような世界観のほうが好きだけど。ネコイラン町やクツカタッポなど、ネーミングがとてもおもしろくていいな、と感じました。絵もとってもかわいらしくて素敵だと思います。

トム:シリーズを通して、子どもの好きなものが話のあちこちにちりばめられていて目が離せない感じ。子どもはお話を楽しんだら、必ずその後、遊びの中で自分がその主人公になったり、楽しかった場面を表現してお話の世界に自分をすうっとすべりこませるでしょう。手紙や郵便屋さんも子どもたちの憧れ! 例えば、保育の場なら お話を発展させてチュウチュウ通りを空き箱で作ったり、大型積み木で町を作って自分の好きなチュウチュウ通りの住人になって遊ぶのもとても楽しそう。新しい住人を考えだす子も出るかもしれない。チュウチュウ通り・スタンプ・クツカタッポなど名前が一つのお話になっていてスッと心に入ってきます。10番地では、スタンプの正直な人柄が友だちを呼んでいるよう。

ルパン:クツカタッポのお話には感動しました。スタンプの巻もよかったです。小さいころ、私は手紙を書くのが好きで、出す相手を探していたことを思い出しました。このお話しを読んで、また手紙を書きたくなりました。うちの文庫の、幼稚園くらいの子どもたちに読んであげたいです。

けろけろ:今回、みんなで読む本になったので、1巻から10巻まで読んで楽しみました。お話のバランスや体裁もとても良いと思った。手軽に楽しめるのだけれど、そうきたかという意外な展開が用意されていていいですね。6年生の子どももおもしろがって読んでいて、さすがエミリー・ロッダさんだなと思いました。チーチュウカイという海が出てきたり、翻訳の苦労話を聞きたいと思った。ひとつ、不可解だったのは、9巻目の島においてあった靴。どうしてこんな大きな靴が小さな島にあるのか、読んでいるうちにわかるかと思ったけれど、わからなくて残念でした。

うさこ:ネコイラン町のチューチュー通りに暮らすねずみさんたちのお話!という設定がシンプルで、低学年の子が手にとりやすいシリーズだと思います。1巻ごとに男児と読んだのですが、小さい判型の本のなかで、小さくてかわいいねずみたちのいろいろなドラマが展開されている。それが、どれも楽しく、次々にチューチュー通りのお宅に邪魔している感覚で読める。田代さんの絵もとても良いですね。物語を読むのに不慣れな年齢の子どもが読むのにお薦めのシリーズだと思います。1巻のゴインキョの話が特に好き!

サンザシ:このシリーズは、短い分量の中でまとまりもあるし、意外性もあるので私は大好きです。幼年童話なのに、作者がこれまで生きてきたなかで獲得した人生のスパイスが入ってるんですね。絵は、原書だと味気ないのですが、たしろさんが描いて、とても楽しくなりましたね。

三酉:良い本ですね。手紙のことは笑わせられます。みんなさびしいんですねえと、しみじみさせられる。

プルメリア:手にとりやすいサイズ、また作品の中の町名、通りの名、登場人物の名前がおもしろくシリーズの出版を楽しみにしながら読みました。勤務している小学校には1、2話が入っていますが、人気があり戻ってきてもすぐ貸し出しになる本です。1話では「チーズって、ねずみにとっては大切なものでとってもおいしいんだね。」と子どもが言っています。この巻では、手紙を出しきれなくなって周りの人が助けてくれる心温まるような終わり方が良いですよね。登場人物と題名をあてっこするゲームにするのもおもしろいかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


ピンクのチビチョーク

新藤悦子『ピンクのチビチョーク』
『ピンクのチビチョーク』
新藤悦子/作 西巻茅子/絵
童心社
2010.03

版元語録:チーばあばが、すこしずつ、いろんなことをわすれていってしまうびょうきになった。わたしのことも、わすれちゃうのかな…。そうだとしても、わたしはチーばあばがすき。どうしたらまた、わらってくれるかな。

うさこ:読んでいて切なくなりました…。このくらいの年齢の子どもがおばあちゃんに名前を間違えられたりするとどんな思いなんだろう…すごくショックだろうな。最後は、主人公が大好きなおばあちゃんに、また一緒にお絵かきしようねと終わっているけど、この完結のしかたでいいのかなと、ちょっと疑問に思いました。読者対象年齢には、このテーマのこの内容のものをこれだけのボリュームで伝えようとするのは、ちょっと無理があるような気がします。幼年もので取り上げる題材の難しさを感じました。中学生くらいを対象として、設定やドラマをもっと練り上げて書くのもひとつの方法かもしれません。

たんぽぽ:低学年の子にはわかりにくいかなと思いました。

ajian:おばあちゃんが呆けてしまう話と、チョークの話と、2つの題材が走っていて、うまく解け合っていないように感じました。難しいテーマだと思いますが、おばあちゃんの痴呆という現実を、子どもがどう受け止めるのかと思っていたら、ファンタジーっぽい感じでごまかしてしまって、すっきりしない。おばあちゃんがお母さんに怒られる場面などは、なんだかやけに現実感があって、胸が痛くなりました。

優李:なんだか読んでいると悲しくなる。それに中途半端感があって、これを誰にどう手渡せばよいのか難しい気がします。読後元気が出ないのが残念。主人公のおじいちゃんが亡くなったところとか、小さい子の言葉じゃないように思える部分も引っかかって、すっきりしないのかなと思いました。

わらびもち:チョークと呪文があれば誰でも魔法を使えるという設定なのだなと思いました。チビチョークとしているのは使い込んでいるということを表しているのだと思います。ピンクとしたのはチョークさんにつなげる為だと思います。おじいさんや犬が原因でおばあちゃんの元気がなくなっているので、チョークでおじいさんと犬を書いてお話をするなり思い出を作るなりすることもできたのではないかという疑問が浮かびました。それを解決しようとか思い出を作るとかも出来たはずです。あと、空飛ぶ船の話がいきなりでてきたのでちょっと抵抗があります。

トム:子どもに手渡す前に、自分がこの重いテーマをどう受けとめたらいいのかと思いました。何歳くらいの子どもに読めばよいのか…それから、おばあさんとお母さんの気持ちが行き違う場面がでてきますが、これは更に複雑な気持ちが潜んでいるわけで、どうしてここで描かなければならなかったのか? 作者に同じ様な経験があったのでしょうか? この話を書きたいと思われた気持ちをうかがってみたいとも思います。ただ、チビチョークで絵を描くところはメロディをつけて読むと楽しいと思いましたが…。あと、おとまりとか「お」のつく言葉が幾つかでてくるのが気になりました。もっとさっぱりした語り口の方が自然な気がします。

ルパン:私は学校の先生なので、チョークは仕事道具です。おばあさんがいっぱいチョークを持っているので、元は学校の先生をしていたのかなと思いましたが、そういう話ではなかったですね(笑)。おもしろくなりそうだったのですが、老人問題も出てきたり、テーマが分散した感じがありました。

けろけろ:皆さんと同じような感想を持ちました。身内がボケてしまう話はあいかわらずすごく多い。そのなかで、最後まで読んでよくできているな、と思える作品は、残念ながらなかなかない。同じようにおばあちゃんの認知症について書かれている低学年向けのよみもので、『むねとんとん』(さえぐさひろこ作 松成真理子絵 小峰書店)という作品がありますが、あれはとても良くできていたように思います。この作品は、ちょっとばらばらな感じで、一本筋の通ったところが欲しかった。低学年ものであれば、胸に響くヒトコトが、あったらいいのにな、とも思います。低学年でもすっと入っていくやり方がきっとあるのでしょうね。

サンザシ:どこかで読んだ話をつなぎ合わせたような話だと感じました。おばあちゃんとの日常の結びつきがあまり描かれていないので、無理があるのかもしれません。たとえば『おじいさんのハーモニカ』(ヘレン・V・グリフィス作 ジェイムズ・スティーブンソン絵 あすなろ書房)では、前段でおじいさんと孫がいっぱい楽しいことをする様子が描かれています。だから、元気をなくしたおじいさんを何とかして元に戻したいと思う子どもの気持ちがこっちまですっと伝わってくるんですね。この作品にも、そのような部分があればもっとよかったのに。難しいですね。

三酉:残念ながら楽しめませんでした。お母さんの描き方ですが、ボケたおばあちゃんとお母さんとの関係性とか、もっとあたたかい視点が必要だったのではないかと思います。

プルメリア:最近あまりやらなくなったけど、子どもはチョークを使って絵や字を書くことが大好きです。おじいちゃんが亡くなっておばあさんが小さくなるのは、おばあちゃんの心にさびしさがあり絵から分かる部分かなと思いました。子どもがポーズをとる部分は子ども雑誌に出ている小学生モデルのポーズ、登場人物の髪型も最近人気のある流行の髪型を取り入れている。挿絵が少しずつカラーになっていくのはおばあちゃんが同じように元気になっていくのと比例しているような感じがします。船じゃなく空飛ぶ鳥というのがおもしろい。子どもって飛ぶの好きなので。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


レヴォリューションNo.O

金城一紀『レヴォリューションNo.0』
『レヴォリューションNo.O』
金城一紀/著
角川書店
2011.02

版元語録:これから話そうと思っているのは、僕と仲間たちの生まれて初めての冒険譚だ---。ザ・ゾンビーズ結成前夜。すべてはここから始まった!

メリーさん:『レヴォリューション No.3』(金城一紀/著 角川書店)を読まずに『〜No.0』を読んだので、キャラクターについて前もってわかっていれば、もっと楽しめたのかなと思いました。金城一紀の作品では『GO』がとても面白くて、高校生の男くさい感じは似ているなと感じてました。ただ、今回の登場人物たちは、少し型にはまったキャラクターのような気が。アギーなどもちょっと説明不足。物語というより敵を倒すゲームのような感覚で、ちょっと物足りなさを感じたのですが、最後の脱出のところはやはり引き込まれました。昔は映画をやると、原作とともにノベライズ版が出ていましたけれど、最近は小説自体が会話中心の、シナリオのようなものになっている感じがします。(現にノベライズがあまり出ていない)。この本もそういう意味では映像化しやすいのかなと思いました。ただ、なかなか物語の世界に入っていけない、高校生たちには手に取りやすいのではないかと思います。

かぼちゃ:青春もの、一瞬一瞬の情動。すっきり読みやすい。男子校は未知の領域なので興味深く読めました。女の子を助けたりと、ヒロイズムを満たせる。脱走は本来なら悪いことですが理不尽な行為を受けているので悪いこととは言えない。「自分で考えて理不尽にどう対応するか」ということを考えるのに良い作品。流れに沿ってやめたり転校したりするのは反抗するより簡単なこと。今の日本には反抗したり戦う意欲を持った人が少ないように思えるので、日本にもレヴォリューションが起きれば良いなと、この作品を見て思いました。

シア:『レヴォリューションNo.3』が出たときに読みたいとは思っていたのですが、機会がないままでした。この作品は『~No.3』のボーナストラック的な本のようなので、あちらを読んでからの方がいいのではないかと思います。読んでみて『バトルロワイヤル』のギャグ版のような感じを受けました。石田衣良や東野圭吾も青春ものを書いていますが、それとは何か違います。金城さんの作品は『GO』(金城一紀/著 角川書店)でもそうでしたが、社会とか体制への憤り、うずまく憎悪に近い激しい感情を感じるので、少し怖いと思ってしまいました。日本の作品にはお国柄でしょうか、この焼けた石のような感覚はあまりないですね。文章自体は短文で進むところが中高生には読みやすいと思いますが、学園ものとしては設定がちょっと古いですよね。一昔前の不良漫画みたいで。この時代感覚のギャップをどう埋めるかが気になります。映画『パッチギ』(井筒和幸監督 2005年 日本映画)を思い出しました。登場人物が熱いところが似ていると思います。韓国から留学生が来たときに、「クラスの子たちの元気が足りずつまらない」と言われたことがありますが、前へ前へ進む積極性とでも言えばいいのか、そういうところが日本とは違うのかなと思いました。

ハマグリ:『GO』は以前読書会でやって好評でしたが、これはおもしろくなかったですね。『〜No.3』を読んでいないせいもあるけれど、人物像がうまくつかめなかった。子どもたちが何に反抗しようとしているのか、よく伝わってこない。学校に対する怒り、親に対する不満などは書かれていますが、それはどこにでもあると思います。教師・猿島の暴力が極端すぎて、戦時中の軍隊のしごきの場面のように思え、ここまでする教師が本当にいるのかと真実味が感じられなかった。それにしては、生徒たちがその場ではそれに耐えてしまっているのも納得がいかない。男子校には男子校の良さがあると思うけど、ドロドロしたところがだけが書かれていて、後味が悪かった。

アカシア:リアルなスクールライフを書いているのではなく、漫画のようにある部分を拡大して書いているじゃないかな。読み始めて、「あ、これ読んだことあるな」と思ったのは、前に『〜No.3』を読んでたからだったんですね。前の巻が頭にまだ残っていたせいか、私はその流れて読むと悪くないな、と思いました。猿島のような、ここまでひどい教師は実際にはいないかもしれないけど、それに近い教師はまだいますよね。うちの子どもの中学時代にもまだいましたよ。主人公は、自分の父親のほうがもっと悪いと思っているわけですね。それがよくわかります。今の時代、決まった路線を歩けという社会に対して、男の子は迷いが大きいと思います。この作品は、そんな男の子たちに対する応援歌になってます。ただ、この作品だけ単独で読むと、人物描写を薄っぺらに感じるのかもしれませんね。文章はわかりやすいし、読みやすいけど。

プルメリア:図書館で検索したところたくさんの予約があり驚きました。多くの人が読んでいる人気作品の1冊なんだと思いました。いろいろな場面になぐられ血が出てくるところがあり、私立高は体罰がゆるされているのかな? なんて! 登場人物それぞれの性格がわかりやすく、また暴力の場面はかなり書きこまれていますが、全体的に軽い感じがしました。主人公を取り巻く環境の中に抑圧は2つあるような感じがします。1つは行動面として暴力をふるう猿島という教師、もう1つは精神面として主人公の父親。集団山登りで猪が出てくる場面はリアルではないです。最後の「世界を変えてみたくないか」とっても素敵なフレーズですが、この作品からは伝わりにくいなと思いました。

ダンテス:読者層を限定して書いた作品でしょう。とくに現代の高校生。成績があまり振るわず、内心劣等感をもちながら、やりたいことは特にないという、白けている世代。燃え上がるところのない学生たち。内面にもやもやを抱えているのだが、何をするわけではない高校生たちに向けての作品だろうと思う。155ペー ジ「退屈なのは、世界のせいではない〜」というアジテーション、励まし。猿島先生の部分も誇張して書かれている。ただ一方で、私立が定員より多く人数をとるということは現実的にあることで、学級の人数が増えるということはありえます。生徒が自分が大事にされていないと感じることはあるかもしれない。ただし、そこは誇張して漫画のように書いているので、現実をベースにしながら、まったくありえない話ではないように設定し、無気力な高校生に向けて、なんでもいいから、もっと大人も思いつかないようなことをやって、反抗しろというアピールをしているのでしょう。『GO』の方は、在日韓国人・朝鮮人という社会的な視点が入っているので、より広い読者に受け入れられています。それよりはこの作品のターゲットは狭い。ストーリーとしては、 大げさだなと思いつつ、さらっと読んでしまったという感じです。

ジラフ:金城一紀は初めて読みました。キャラクターがいまいち立ち上がってこなくて、前作を読んでいれば、もう少し楽しめるのかなと思いましたが、シリーズのボーナストラック的な作品とうかがって、納得しました。それでも、会話の中にはきらきらした箇所がいっぱいあって、男の子たちの気高さを感じさせるフレーズとか、落ちこぼれの男子校で、無気力に生活する子たちの気持ちがふいに高まっていく部分や、反対に、燃え上がってもすぐに、その気持ちを引っ込めてしまう繊細なところなんかの、描き方がすごくよかったです。会話が紋切り型だったり、展開が端折られてるようなところは、テレビドラマみたいでしたが、実際、「SP」の作者なんですね。ただ、読みながら、自分が当事者だったらきついだろうな、とひしひし感じました。現実には、学校をドロップアウトしたら、その先はかなり厳しいので。どんな世代の人が読むのだろうと考えたとき、同じ世代だったらつらいのではないかとも思いました。現状への反発や怒りを表現した作品への共感という点では、音楽なら、そこからストレートに力を得られる気がしますけど、本の場合もそうなのか、と(主人公の)同世代が読んでいると聞いて、意外な感じがしました。

シア:『池袋ウエストゲートパーク』(石田衣良 文藝春秋)の方が、もっとぐっとくるし、子どもの視点でも、大人の目線になる瞬間があります。この本には、それがないですね。山田悠介に毛が生えた感じ。最近思いますが、ここまでして高校へ行く意味がないと思います。授業を聞きたくないのでしょうか?それなのに変に反抗する姿には共感できません。

アカシア:そういう子たちも、自己肯定感がほしいと思ってるけど、どこからも得られないんですよ。この本が、そういう子にとってのきっかけになれば、いいんじゃないかな。

シア:絵本なんかでも、子どもは野菜が嫌い、という偏見を植えつけている感があると思います。先生だから嫌い、というステレオタイプを増やしそう。

ダンテス:そういうステレオタイプでしか物を見ない人たちが気に入る本かもしれません。

アカシア:本を読まない人たちを引っ張る力はあると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


円卓

西加奈子『円卓』
『円卓』
西加奈子/著
文芸春秋
2011.03

版元語録:三つ子の姉をはじめ大家族に愛されて暮らす小3の琴子は口が悪くて少し偏屈。きらきら光る世界で考え悩み成長する姿を描く感動作

ハマグリ:区内の図書館全館で貸し出し中でした。

アカシア:おもしろかったけど、子どもの本じゃないですよね。視点が大人だもの。おとなの本として読めば、文章の書き方が独特で、おしゃまな女の子の成長物語としておもしろい。最後の円卓の部分も、あざとくはあるけど泣かせます。

プルメリア:この作品も大変人気があり、区内の図書館2区ともすべて貸出し中でした。大阪弁で書かれ、主人公の姉達が三つ子の設定面白いです。七福神がでてくるところはファンタジーの世界にいきそう。大阪弁はテンポよくやわらかく伝わります。主人公は子ども、日常生活も子ども中心社会ですが、子どもの視点で書かれていない。子どもが手に取って読む本とは違い大人向き作品かな。

ダンテス:関西人のノリで楽しく書かれています。人物造形はそれなりによくできている。おじいちゃんが文学的 で、一方お父さんは全然違っていることなど面白い。眼帯してみたい気持ちとか無理なく納得できます。ですが読み終わってすぐ内容を忘れてしまいました。軽かったです。

ジラフ:とってもおもしろく読みました。どういう人が読者対象なのかと思いましたが、みなさんのご意見をうかがって、やっぱり大人の視点なんだ、とわかって安心しました(笑)。作者がテヘランで生まれて、カイロと大阪で育った人だというバックボーンも関係しているのかもしれませんが、生きていることの実感がすごく濃厚に、具体的に書かれている感じがします。たとえば、(主人公の)こっこのお姉さんが、刺繍をしたくてたまらず指がうずうずする、といった表現には、強い身体性も感じました。全体として、いいお話をくぐりぬけた、という充実した読後感が残りました。物語の後半で、こっこが変質者に出くわす場面があって、そのことはこっこを、ほんの少し大人に成長させる出来事であると同時に、危険な出来事でもあります。でもこっこは、怖い目にあったと家族には言えなくて。そのことをずっと、自分ひとりの胸の内に抱えていくんだったらどうしよう、と気が気ではありませんでしたが、心から信頼する友だちに打ち明けられる、という救いがちゃんと用意されていて、ほっとしました。これもなんだか、NHKあたりでテレビドラマになりそうな作品ですね。

メリーさん:電車の中で読みながら、噴き出すのをこらえていました。主人公のこっこのつぶやきがとてもおもしろい。友人のぽっさんも小学生とは思えない老成ぶりで、でもランドセルに「寿」と書いているところはまだ子ども。そして彼らを取り巻く、騒がしくも温かい家族。真の意味での理解者である祖父。大阪弁だからこそ成立する世界だなと思いました。後半に行くにしたがって、こっこが自分の感情を言葉にするのが難しくなってきているところも、彼女が確実に大人になっているのがわかり、とてもいい。ただ、やはりこれは大人の本だと思いました。風変わりな彼らは、端から見ると滑稽だけれど、それは子ども時代から時間が経って、客観的な笑いにできる大人だからこそ。大人になって振り返ってみると共感できる物語だと思います。でも、当事者である子どもたちは真剣だから、本人はそれが滑稽だとは少しも思っていない。大人になれば、あの頃の自分は変な妄想にとりつかれて、意地を張っていたのだなとわかるのだけれど……やはりそれは子どもの目線とは違うと思いました。それでも、同世代の読者としては、西加奈子の作品はとてもいいなと思います。

アカシア:P152の「子どもらの〜」という部分など特にそうですね。大人の視点になってます。

プルメリア:うさぎをのっける行動は好奇心旺盛な子ども達は実際にやりそう。

かぼちゃ:入手できませんでした。

ダンテス :確かに性的な表現が多いので、大人向きに書かれているという意見には、なるほどと思いました。大人は余裕を持って楽しめる。大阪弁である意味ぼかして書いているところもいい。

ハマグリ:P8に「こわごわしかられた」とあるが、大阪弁ではこういう言い方をするのだろうか?

シア:保健室の先生がレズビアンというのはすごい。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


きみに出会うとき

レベッカ・ステッド『きみに出会うとき』
『きみに出会うとき』
原題:WHEN YOU REACH ME by Rebecca Stead 2009
レベッカ・ステッド/著 ないとうふみこ/訳
東京創元社
2011.04

版元語録:きょう、ママにハガキがとどいた。3年間応募してきた「クイズ」に出場するって。ミランダはママとふたり暮らし。そんなミランダに謎のメッセージが届きはじめた…。 *ニューベリー賞受賞作

ダンテス:あとがきにあるように読み終わってからもう一度読み 直そうと思いました。舞台はニューヨークの街中。お金持ちのドアマンがいるアパートに住んでいるお嬢さんがでてきたり、母子家庭のお母さんの緊張感や街中におかしな人や危険な人がいるという辺り、ニューヨークがよく書けていると思う。手紙が届き、内容は未来を暗示するもので、読者をうまい具合に引っ張っていきます。そういう意味で読ませる力がある本だと思う。ただ推理小説とは違って、現実の中で、ああこの人がそうだったのかと納得する話ではない。現実に起きていることだけではなくファンタジーもある。時間のズレとかもある。作中に度々出てくる本もそれを読んでいるという前提で書かれているようだ。なるほど、と納得するべきなのかどうなのか、難しい作品だった。確かに読み直してみるとお金持ちのアンヌ・マリーのてんかんを暗示するP49のピザの食べ方 や、アンヌの父が与えないジュースの部分など伏線がたくみに張ってあった。ジュリアの存在なども構成としては良くできていると思います。

ジラフ:入手できませんでした。ニューベリー賞を取った作品ということで、最近の受賞作がどんなものなのか、興味があったのですが。

メリーさん:売り文句にファンタジーと書いてありますが、これはSFですよね。以前よりSFが読まれなくなった今、こういう作品が評価されていることがおもしろいなと思いました。構成がよく、最後まで読んで、それまでの伏線が一気につながった感じがしました。あとがきにも書かれていますが、最後まで読んで、そうかあれはここにつながっていたのかともう一度最初から読み直しました。そう言われてみると、タイムスリップしたときに、自分のことが見えるかどうかということにずいぶんこだわっていたなと。最後の最後でおじさんとマーカスがつながるという結末になんとかつなげたかったのだなと思いました。ただ、その論理的な説明がちょっと難しいのと、友だちを殴るということがわかりづらかったので、子どもたちにはちょっと手に取りにくいかなとも思いました。

かぼちゃ:クイズやパズルのような話。謎解きですね。本当の主人公はマーカスで、ミランダは語り手のような存在なのかなと思いました。多分、サルははじめの人生では死んでいたのでは。後のマーカスはサルを殴ったことや追いかけたことを悔やんでいて過去を変えようとした、それにより過去が変わってサルを助ける笑う男が出現するのかなと思いました。贖罪として助けたのだろうなぁと思います。全体的に伏線、謎が多いけれどそんなに謎が気にかからない、のっぺりして盛り上がりがなく感動もなかったですし、テーマも何かよくわからなかった。タイトルの「きみ」は誰なのか? 差異的に見ればマーカスのことで、恋の要素を含ませて考えれば後の妻となるジュリアのことかもしれないけど分からない。56項目とエピグラムの2文に分かれていますね。

シア:時間がなくてあまり読めませんでした。これをまず先に読みたかったです。

ハマグリ:私も最初のほうしか読めていないので、物理的な印象だけですが、この表紙の絵では女の子しか手にとらないのではないでしょうか。タイトルも恋の物語のように受け取れる。読者を減らしてしまっていて、もったいないです

アカシア:1回読んだだけじゃわかりにくいですよね。5次元だとしても過去を変えるの は禁じ手とされてるはずなので、こんなふうに書くのはずるい。主人公にわけのわからないメモが届くわけですが、原題のWHEN YOU REACH MEは「あなたが私にコンタクトするとき」というような意味なんでしょうか? このYOUは本文では「あなた」となっていると思うんですけど、日本語の書名は「きみ」。この書名が、よけいわかりにくくしてますね。私は、ちっともおもしろくなくて、本当にこれがニューベリー賞なのかしら、と疑問に思いました。謎が解決されてもいないし。もう一度読むともっとわかってくるのかもしれませんが。

ダンテス:ローカル性のある作品のようです。アメリカの中でよくわかる作品なのかもしれない。ニューヨークの街を舞台にしているのも、行ったことがあれば、あるいは住んだことがあれば分かるということが多くかかれているようです。それからお母さんの正義感 がアメリカ人に共感を呼びそうです。

プルメリア:お母さん人気のあるクイズ番組に出るストーリーかなと思って読み始めましたが、手紙のほうが主でした。題名『きみに出会うとき』ひきつけられる題名で表紙も恋の話のように見えましたが「きみ」がよくわからなかったです。子ども達の日常生活から日本社会にはない自由さが伝わります。タイムスリップは今いち謎です。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


わたしのなかの子ども

シビル・ウェッタシンハ『わたしのなかの子ども』
『わたしのなかの子ども』
原題:CHILD IN ME by Sybil Wettasinghe, 1995
シビル・ウェッタシンハ/著 松岡享子/訳
福音館書店
2011.02

版元語録:スリランカを代表する絵本作家の著者が、緑に囲まれた小さな村で心豊かに過ごした子ども時代の記憶を鮮やかに描いた物語。60余点の挿絵が当時の様子を生き生きと語ります。

メリーさん:今回の3冊を読んで、子どもの本とは何かということをいろいろ考えました。この本はとてもいい本だと思うのですが、基本的に大人向けの本だと感じました。ただ、日本とはまったく違う風景を描いているのに、自然に共感できるところはとてもいいなと。壁に絵を描く場面などは、作者の原点だと思います。湯本香樹実さんが新聞にこの本の書評を書いていて記憶とは現在の一部だと言っています。子どもにはある程度の説明をしてあげないといけないとは思いますが、手にとってもらいたい1冊です。

レン:とてもおもしろかったです。今の日本の子どもとまったく違う生活ですが、大人の私はひきこまれました。特に、まわりの大人たちの輪郭がはっきりしているところがいい。おとなのひとりひとりが堂々と自分なりの生き方をしていて、そこから子どもがよいも悪いも学んでいるんだなと思いました。けれど、今回とりあげた本はどれも、子どもが読む本という感じがしませんでした。この本はルビもないので、もともと子どもに手わたすように作っていないのでは。

優李:ウェッタシンハさんの絵本は、図書室の定番でかなりそろえていますが、この本は小学生向けではなく、司書が読むものかなと思いました。

トム:その世界が遠い気がした。スリランカという国のイメージが感覚として自分のなかに描けないからかもしれません。においや、風など…。80年以上前の生活が、今、いろいろな世代の中で育つ子どもにどう受けとめられるんでしょう?

アカザ:善意の人々が出てくる、宝石箱のような物語ですね。80年以上も前のスリランカの暮らしを丁寧に描き、食べ物や自然の描写など楽しんで読みましたが、正直言って最後のほうになると少し飽きてきました。子どもの読者には、読みつづけるのが難しい話かもしれませんね。わたし自身はピエール・ロチの『お菊さん』を深い意味も分からずに愛読していたような子どもだったので、自分の知らない世界について淡々と描かれた本が好きな子どもは喜んで読むと思いますが、やっぱり大人向けの本ではないかしら。この時代、スリランカはイギリスの植民地で、著者はイギリス文化の影響を受けて、経済的に豊かな生活をしています。読み始めたときは『大草原の小さな家』に似ているかなとも思ったのですが、貧しさとか労働が出てこない点が決定的に違っています。民族に伝わる文化を伝えていくというのはとても大切なことですが、そういうものは経済的に豊かな人々のあいだに受け継がれていくものなのだろうかと、少々複雑な思いを抱きました。対照的な作品として今江祥智の『ひげがあろうがなかろうが』(解放出版社)を思いだしました。

ajian:たしかに、基本的にはとても恵まれている家族のお話ではないかと思いますが、スリランカの人々の生活についてはほとんど何も知らないし、まして子どもの視点から書かれたものを読むことはないので、とても貴重な本だと感じました。なんといっても絵が素晴らしいです。料理の仕方について書かれたところや、縄をなうくだりなど、生活のこまごまとしたところが描かれているのがじつに面白い。悪魔が登場するところは、子どもの頃、祖母から、早く寝ないと山の向こうから何かが僕を連れにやってくるよ、と言われたのを思い出しました。子どもにとっては、怪異なものってずっと身近に感じられるような気がしますが、スリランカの子どもも同じなのかと。ただ、こういう楽しみ方っていうのは、こちらがある程度大人になっているからで、そういう面では、子どもが読むのではなく、大人が読んでおもしろい本ではないかと思います。

優李:子どもの目から見た自分のまわりの世界が、生き生きと詳しく描かれていたので、とてもおもしろかった。かなり裕福な環境で、身近な大人によって「悪意」というものが遠ざけられ、護られていることがよくわかり、そのような環境で育てられることが、自分の個性を生かして自立することを促すのかなあ、などと考えさせられました。ただその一方で、当時のスリランカには大勢のもっと貧しい人々もいたはずなので、そういう人たちの生活はどうだったのだろう、と思いました。そのようなことを知る手がかりになるような資料も、あれば読んでみたい。ここに出てくる大人たちは、みんな素朴で個性豊か。自分の生き方を取り繕うことなどしないで、ありのままの感情を表現して生きている。子どもに対するお母さんの生き方もとても魅力的です。「物売り」の人たちが村にやってくる場面など、昔の日本にもあった「お楽しみ」が本当におもしろかったので、そういう意味でも大人が読むものかも、と思いました。

うさこ:主人公が6歳の記憶を鮮明に描いた記録集。エッセイとはちょっと違うかな。章のタイトルの入れ方が、一編の詩のような感じがして、このあたりの「作り」がおもしろいなあ、と。その家の独特な暮らしとか独特の儀式がとてもおもしろかった。文章はわりと単調だったが、いろいろな想像が膨らんで興味深く読めた。幼い頃は住んでいるところがその子の世界のすべて。その場所や時間を離れて、時間がたって振り返ってみると、その時の日常はまるで別世界のできごとに思える。そこがあって今の自分がある。当時の記憶をここまで鮮明に覚えているのかともちょっと疑問だったが、これはこの人の「作品」として読めばいいんだと思った。

アカシア:小さいときに本当に守られていた子どもの物語ですね。まわりには、守られていない子どももいっぱいいたのでしょうけど、そういう子とは違う。守られていた子どもこそ感受性が強くなり、物語が書けるようになるのかもしれませんね。私はこの作家の『かさどろぼう』(猪熊葉子訳 徳間書店)がとても好きなんですけど、ああした絵本と違ってこの本の挿絵は、リアルなものと漫画風のものが混在していますね。209ページの絵なんか、ひとりだけブタさんみたいな鼻の人がいますよ。そういう部分をふくめておもしろいことはおもしろいんですが、山あり谷ありのストーリーではないから、普通の子どもは読まないかもしれません。好きな子どもは読むでしょうけど。

レン:そうですね。守られているけれど、管理されているわけではな。今の子どもたちの守られ方と違うんですよね。

アカシア:今の過保護な子どもたちは守られているとはいわないでしょう。

レン:スリランカは長く内戦で、たいへんな時代があったから、作者はこういうものを書いたのかもしれませんね。

アカザ:子どもの本はこうあるべき、ということで書いたのかな。身分の差はあったのかもしれないけど、この子の身のまわりには見えなかったのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


昨日のように遠い日〜少年少女文学選

柴田元幸『昨日のように遠い日』
『昨日のように遠い日〜少年少女文学選』
柴田元幸/編
文藝春秋
2009.03

版元語録:レベッカ・ブラウンの「少女」、ユアグローの「少年」、デ・ラ・メアの名作「謎」の子どもたち…。世界と、あらゆる時から届けられた逸品、全13篇を収録。伝説の漫画「眠りの国のリトル・ニモ」などの特別付録2篇つき。

ajian:自分はちょっと苦手でした。デ・ラ・メアの「なぞ」は以前別の訳でも読んでいて、とても好きな作品なのですが、どうも、柴田さんの訳は柴田さんの文章になってしまって、デ・ラ・メアの感じがあまりしないです。全体として、おしゃれな感じのする、文学好きな人が所蔵しておきたいような本ではないかなと思いました。

優李:最初の4つ続けて気に入りましたので、うまい短編集だなあ、と思いました。その後は「謎」「修道者」を除いてはそれほどでもなかった(笑)。全体の印象としてはけっこう気に入りました。でも、昔少年少女だった「大人の私」が読むと、なかなか雰囲気のある本になっていると思うけれど、YA読者はどうなんだろう? 「今」の少年少女・中学生が読むかなあ? やはり、大人向けではないかと思います。

メリーさん:これも、子どもの本か大人の本かと考えると、やっぱり大人に向けた本なのですよね。それでも、おもしろい作品はいくつもあって、不思議な話よりも情感たっぷりなものがいいなと思いました。よかったのはデ・ラ・メアの「謎」とレベッカ・ブラウンの「パン」。やっぱりデ・ラ・メアは、余韻を残すやり方がうまいなと思いました。レベッカ・ブラウンは、全寮制という閉じた空間の中で、女の子たちだけの濃密な空間の物語。孤高の少女がとても印象的だし、2種類のパンでよくここまでストーリーがふくらむなと感心しました。

レン:こういう本は、高校生だったら、大人の文学への橋渡しとしていろいろな短編を味わえていいかなと思って読み始めたんですけど、『猫と鼠』でくじけました。フィリッパ・ピアスなど、もっとおもしろいのがあるなと思ってしまって。わざわざこれを読ませたいというほどではありませんでした。最後のデ・ラ・メアでちょっとホッとしましたが。

トム:デ・ラ・メアがよかった。ただ自分にとっては野上さんの訳の方が謎めいた世界の凄みを楽しめました。「灯台」は、少年少女の読む物語としてではなく、老灯台守に自分を重ねて読んでしまった。「修道者」は大人になることに抵抗する主人公の気持ちにひかれました。その葛藤を乗り越えていく道筋に重要な役をするのが、世間の枠の外で誇り高く暮らすおばあさんであることがおもしろい。保護者的立場など眼中に無いんですよね。「島」に描かれる大人と子どもの関係を、子どもはどのように受けとめるのでしょうか。

アカザ:「少女少年小説選」とうたっていますが、これも「少女少年について書かれた」もので、「少女少年のための」ものではありませんね。タイトルの「昨日のように遠い日」というのは、なかなか素敵な言葉で、わたしもどこかで使っちゃおうかな!「猫と鼠」は、わたしもちっともおもしろくなかったけれど、あとは大人の読者として楽しめました。「ホルボーン亭」と「パン」がよかったです。特に「パン」は、パンだけのことでこれだけ書けるのはすごいなあと感心しました。おなじような短編集として、日本でもとても人気のあるロシアの作家、リュドミラ・ウリツカヤの『それぞれの少女時代』(沼野恭子訳 群像社)を思いだしました。あれも大人の本ですが、それぞれの少女像が見事に描かれていて、傑作だと思います。

うさこ:私もみなさんと同じような感想です。副題に「少年少女小説選」とあるのを見たとき、今出る本でも副題とはいえ、こんなつけ方があるんだなとちょっと不思議でした。興味深く読み進めたけど、話がわかるのとわからないのと、わかるようでわからいないものがあった。言いかえると、おもしろいと思うものと、そうでないもの、おもしろいかどうかも判断つかないものがあったというのかしら。でも、だれが買うんだろう、この本。読者層がよくわからなかったなあ。あとがきを読んで、「ふーん、こんなのもありか」と思ってくれるととてもうれしいという訳者のことばがあって、私はまさにそんなふうに読んでしまったようで、まんまと「はめられた」みたいです。

アカシア:視点とリズムというのを考えると、これは子どもが読むものではまったくないなと思いました。ここでは、YAでもなんでも子どもが読むものを選ぶことになっているんですけど、選書の方にそれが伝わっていなかったかと。柴田さんが、後書きで世にある子どもの本はつまらないので新鮮な切り口で、というようなことをおっしゃっていますけど、今は子どもの本だって、無垢だの純真だのと言ってるわけじゃないので、もう少し今のをお読みになってから言ってほしかったな。作品としてはつまらなくないけれど、夢中になって読むほどおもしろくもない。大人が大人の視点で作っている物語は、子ども時代を語ってはいても、子ども時代のある1点をすごくひきのばしたり、ゆがんでななめから見たり。でもそれは、大人の読むおもしろさなんだと思うんです。「猫と鼠」は、アイデアだけでこんなに書かなくていいのにと、途中でやめました。アニメ見てればいいでしょ。

プルメリア:「永遠に失われる前の……」とあるのを見て期待して読み始めました。「ホルボーン亭」はふしぎな世界。「パン」は、寮生活している少女達の独特な世界、パンの食べ方に心理描写があらわれているなと思いながら読みました。最後の「謎」も謎めいていて、子どもが一人ずついなくなる不思議なストーリー。子どもの本は読んでいますが、大人の本?はあまり読んでいないので、この本は新しい出会いの1冊になりました。

アカザ:柴田さん、あまり子どもの本は読んでいないのかしらね。

優李:今は子どもの本だって、無垢な子どもなんて出てきませんよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


しずかな日々

椰月美智子『しずかな日々』
『しずかな日々』
原題:(講談社文庫 2010)
椰月美智子/著
講談社
2006

版元語録:おとなへの扉を開きはじめた少年の物語 ぼくは5年生。母さんとふたり暮らし。一緒のクラスになった押野のおかげで、ぼくの毎日は一気に色づいた。 *野間児童文芸賞、坪田譲治文学賞ダブル受賞

レン:読みやすいし、ひきこまれてするすると読みました。子どものころをふりかえって書かれているのは最初からわかるのですが、最後に回想が出てきて、大人の本なのかなと。それから、主人公の視点で書いているからかもしれないけれど、おじいちゃんの輪郭がぼんやりした印象でした。もっとつっこんだ人物描写がほしいと思いましたが、このくらいのほうが今の読者には読みやすいのかな。おもしろいけど、ちょっと物足りなかったです。

トム:「しずかな日々」とはいえ、主人公にしてみれば大変な日々。スリランカの子どもと、「昨日のように遠い日」に登場する少年少女と、心の核のようなものが違う気がする。母親が宗教にからむところだけは、はっとしたのだけれど、それ以外はまた表面の静かな日々に戻ってしまう。結論が先にあって怒らない日本人。このおじいさんは、もっともっと言いたいことがあっただろうに。人によって行間の読みがさまざまなのかと思います。最後があまりに静かですけど…。物語に引っ張られて読みました。

アカザ:見事な文章で綴られていて、終わりまで一気に読みました。こういう物語って、3:11以前と以後とでは、ずいぶん感想が違ってくるのではないかしら。いまほど「日常」という言葉が大切に思われる時代はないのでは? そんな静かな日々=日常が淡々と続いていくなか(本当は「静か」でも、「淡々と」でもないけれど)で、少年たちが少しずつ成長していく様子が心に残ります。そのなかで、お母さんの存在がすごいですね。美しいメロディのなかに不協和音が混じっているような。このお母さんのおかげで、ストーリーがとてもリアルになっていると思います。私は、日本の創作児童文学をそんなに読んでいないのですが、良し悪しは別として現実の社会にじわじわと入りこんでいるスピリチュアルなものが子どもの暮らしや心に与える影響について書いたものは、あまり無いように思うのですが、どうでしょう?

うさこ:男子、夏休み、おじいちゃん、男の子の友情と、『夏の庭』(湯本香樹実著 徳間書店/新潮文庫)を思わせるような設定。出だしの印象から、小5の夏、この主人公の転機が訪れるのだろうな、と予想できます。小5の男の子の世界は単純で、無意味なことをするというのはよくわかる。自転車で出かけるシーンなどは、すごく共感できました。おじいちゃんの漬け物をおいしいというところは少し前の少年だからかな。本を閉じた後、タイトルの「しずかな日々」は、ちょっとパラドックス的なつけ方だなと思う一方、作者がこめた思いはもっと深かったのではないかな、とも思いました。そして、作者は子どもを読者と想定して書いてはいないのだなとも。大人になった自分が読んで、ふうんと思える部分はありますが、読み手に投げていて、今の子どもにそのまま手渡せる書き方ではありませんでした。

アカシア:今日の3冊の中では、後の2冊が大人の読者向けなのに対して、これだけはYA向けだと言えると思います。いちばん子どもの視点に近いです。ここには半分しか守られていない子どもが書かれています。書かれようはしずかなんだけれど、中ではドラマがある。この子は、一生懸命しずかな日々を送れるように頑張っているわけですから。おじいさんの存在がくっきりしなくてステレオタイプという意見がありましたが、母親とやりあってしまったら興ざめだし、そっちに焦点が行ってしまうので、ここは主人公を支えるという役目を果たしているんだと思います。読者はやはりYAでしょうね。もっと読者対象が下だと問題が解決しないまま終わらせるわけにはいきませんが、YAなら解決できないことは、そのままでも終われる。『ダンデライオン』(メルヴィン・バージェス著 池田真紀子訳 東京創元社)だって『チョコレート・ウォー』(ロバート・コーミア著 北沢和彦訳 扶桑社)だって、解決されないまま終わってますもんね。

プルメリア:学校の生活場面がよく描かれているし、登場人物一人ひとりの心情がわかりやすい。ひと夏のお話だけど、縁側、ペットボトルではない麦茶、ラジオ体操など、今とは少し違う夏の風物がきちんと描かれています。今の子どもたちには、なじみがないので、こういう作品で伝えられたらいいなと思いました。新しく友達になった押野のキャラクターが子どもらしくてとてもいい。彼の力によって主人公がいろいろなことにチャレンジしてできるようになる過程がたのもしい。スーパーでお母さんに会う場面はインパクトがあってどきっとしました。ちょっと前の子ども達の生活スタイルが書かれているのもいいなと思いました。

ajian:個人的に僕は祖父母と暮らしていた期間が長かったので、その時の記憶を重ねながら読んでいきました。ただどうも、自分の体験と比べて恐縮ですが、きれいに書かれすぎている印象があります。井戸水や、昆布でとっただし、つけものなんていうアイテムがそこここに登場しますが、どこかロハス臭がする書き方。自然派志向というか『かもめ食堂』(群ようこ著 幻冬舎)的というか……。好きな人は好きでしょうが、やっぱり人を選ぶでしょう。主人公が自転車に乗って、この道はどこまでもつながっている、と思うところ、こうした感覚はたしかにあったなぁと思いました。よく書けていると思います。最後の母親について書かれたところ、それまではわりあいおもしろく読んでいたのですが、もやもやっとしました。母の状況については、ずっとほのめかすような書き方で、向き合うわけでもなく、息子が最後にさらっと結論をくだしていて、よくわからない。文庫の帯で北上次郎さんが「自分はいま傑作を読んでいるのだ、という強い確信を抱いた」と書かれていますが、読み終わったときの感想も聞いてみたかったですね。

優李:その意見を聞くと、小学校の図書室には置かなくていいかな(笑)と思いました。文章がうまくて、どんどん読めてしまいます。「おじいさん」や「おかあさん」の描き方が、私にはちょっと物足りなかったけど、私がおとなだからかな。子どもの描き方はとても生き生きとしてよかった。特に自転車のシーンは、私も子どもの頃、夏休みに自転車でずいぶん遠くまで走ったことがあって、共感できました。最初の6歳の時の場面、お母さんとおじいちゃんのあの冷たいやりとりから、その後の僕とおじいちゃんの「関係」が短期間で成り立つということに、ちょっと疑問があったけれど、人生を肯定する「希望」がある本なので、いいなあと思いました。

メリーさん:最初にハードカバーで見かけたとき、児童文学の著者だけれど、この表紙なら大人向けの本だと思って読まなかったんです。夏とおじいさんというテーマで、すぐに『夏の庭』を思い出しました。子どもの本の作者というのは、もちろん大人なのですが、読者である子どもが読んだとき、どうしてこの人はこんなにも僕の気持ちがわかるのかな、と思わせるのが子どもの本だと思います。この本は子どもの頃を振り返るという設定になっていますが、子どもにとってこの時代はまさに現在進行形の「今」。やっぱりこれも大人の本だと思いました。いいところもたくさんあって、主人公のおじいさんと友人の押野が元々の知り合いだったことを知って、大事なことは根本のところでつながっていると感じるところとか、友人のことをよく見ていて産毛が見える様子とか、スイカに塩をふると大人っぽく思うところなど、そういうことある!という記述はたくさんあります。別れるのが嫌だから、最初から友だちを作らないで気持ちをセーブするなんていうのは大人っぽいけれど、子どもはそういうことを真剣に考える。一方で「心配事は杞憂だった」とか、「藺草の清らかな香りが鼻をくすぐる」という、子どももきっと感じているであろう感情を、大人の言葉を使わずに書いてくれるともっとよかったなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


彼岸花はきつねのかんざし

朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』
『彼岸花はきつねのかんざし』
朽木祥/著 ささめやゆき/絵
学習研究社
2008.01

版元語録:也子の前に現れたかわいい子ぎつね。「あたしに化かされたい?」ときかれた也子はとっさに、「ぜんぜん」と答えてしまう。段々とかけがえのない存在になっていく、也子と子ぎつね。だが、あの夏、あの恐ろしい爆弾が落とされた……。

酉三:広島原爆とキツネの話がしっくりいっていないと思いました。木に竹を接いでいる感じ。被爆二世として、原爆のことを若い人に伝えていこうという思いはわかるけれど。このテーマに再度挑戦してほしいと思いますね。

優李:原爆を描くのはなかなか難しいことですね。也子ときつねの子とのさまざまな関わりが深まっていくのを楽しみながら読みすすめていくと、本当に最後に、という感じで原爆がやってくる。私のように年を取った人には、原爆についてのたくさんの予備知識がありますが、全く知らない子どもたちにはわからないのではないか、とも思いました。ささめやゆきさんの絵は、とてもすてきでいいなあ、と思います。

メリーさん:テーマは戦争との関わりということでしたが、あまりそれを気にせずに読みました。あたたかい感じのする方言がきいていたと思います。子ぎつねがかわいいし、主人公の女の子がきつねに見つからないようにとえくぼを隠すのもかわいらしい。そんな中で、通奏低音のように、戦争が背景になっていて、じわじわと感じさせるところがこの本のいいところではないかと思いました。子どもの本のジャンルの中には、これまでずっと戦争と子どもとの関わりという部分があって、戦争の悲惨さを説くことが多い気がしますが、これは日常を丁寧に描くことで、逆に戦争を浮き彫りにしているのではないかと思いました。そんなことからも、『夕凪の街 桜の国』(こうの史代/著、双葉社)を思い出しました。あのコミックも、戦時中ながら、明るくちょっぴりぬけたキャラクターを中心に描かれていて、戦争という非日常の中で、たくましく生きていく人々を描いていました。そんな対比がこの物語にも出ているのではないかと思いました。

ナットウ:言葉が統一されていないので、雑多な感じがありました。たとえば72ページの地の文と会話文での、小さい/こまい。方言が多いので子ども向けの場合だと読みづらいかなと思いました。全体的に哀愁ただよう作品で、ラストは狐がどうなったか気になります。化かす/化かされるという行動の結末についても知りたいと思って読んでいましたが、それを原爆がうやむやにしてしまう。そこにリアルな当時の現状を反映させているように思いました。同じヒガンバナ科に「キツネのかみそり」というものもあります。彼岸花は死人花とも言われているので、手向けの意味で彼岸花を用い、狐の死を表現しているのかなと思いました。

タビラコ:朽木さんは『風の靴』(講談社)のような作品より、『かはたれ』(福音館書店)など、日本の風土に根差した作品のほうが、ずっと上手だと思いました。詩的な文章も奥深かったし、ささめやさんの絵も物語を一段と引き立てていますね。きつねの子のかわいいことといったら! ただ、原爆が天災と同じように描かれていて、遠くの風景のように感じられたのですが……。もちろん、主人公の家で働いているおじいさんは亡くなったし、主人公もガラスのかけらで怪我をしていますけれどね。小学生のときに『原爆の子』や『ひめゆりの塔』を見て、第五福竜丸の事件もリアルタイムで知っている私などの世代としては、正直言ってなにか物足りない感じもしました。とはいえ、「戦争もの」に拒否反応を示す子どもたちも少なからずいるということを、この読書会でもよく耳にしますし。今の子どもたちに戦争をどうやって伝えたらいいか、いろいろな手立てを考えるのが大人たちの使命だと、つくづく感じさせられました。

シア:非常に気に入りました。すごく印象の強い一冊です。今回は『ムーンレディの記憶』で一度挫折してから読んだ本なので、特にそう感じました。表紙のイメージだと、自然や田舎に関する内容のように思えますが、中を開くと戦争に関する記述が目に飛び込んできたので、よくある戦争の本かなと思いました。子どもは日々そういうものを押しつけられている(とくに夏には)ので、戦争ものは拒絶されがちですね。でも、そんな中で、この本はすらすら読めます。訛りや戦時中の言葉を、同じページ内の注に入れているのが便利でしたね。大人の本のように、何度も後ろのページを開く必要がありません。この注の入れ方は、どんどん取り入れて欲しいですね。ただ、広島弁については、もう少し注を入れてもいいかなと思いましたが、方言自体はかわいいなと感じながら読みました。
 とにかくこの本は子ぎつねがかわいくて、29ページのセリフから心をわしづかみにされました。物語というのは、かわいい・楽しいばかりのストーリー進行だと、話の流れは徐々にかわいそうな方向へ流れていくものなので、ページをめくっていくのが、逆につらくなりました。いもとようこさんが絵を描かれた『そばのはなさいたひ』(こわせたまみ/著、佼成出版社)という絵本があるのですが、この物語も登場人物がとてもかわいらしかったのを思い出しました。『そばのはなさいたひ』ではラストでかわいい登場人物が死んでしまうのがつらかったのですが、今回の本では子ぎつねの消息がわからずに終わっています。そこが違いですね。周囲の登場人物たちがどうなったのかわからない、というのが戦争のリアルさを表しているように感じ、日本にとって身近な悲惨さを表しているように思いました。本の裏表紙に学年別表示が「中学年から」とありますが、高校生にもすすめられる作品だと思います。しかし、学年表示があると、読者を限定してしまうのでよくないと感じます。保護者や教員が、子どもっぽい本だと決め付けてしまい、避けてしまいます。どうしても表示したいのでしたら、「〜おとなまで」をつけた方がいいのではないでしょうか。絵本は最近では全年齢扱いになってきましたが、まだまだ教育界での本への偏見は根強く、名作以外の本、とくに児童向け作品は選定から落ちやすい状況です。「3歳から100歳まで」とかにしたらまだいいかも?

プルメリア:きつねがかわいいなと思いました。開けてみて、戦争・彼岸花。各章ごとに必ず挿絵が入っているのが印象に残りました。物語にいろいろな植物がたくさん入っているので、季節感があり田舎の自然がわかりやすかったです。だんだんと戦争に入っていく雰囲気、当時の人々の様子や生活が子どもにもわかりやすく書かれています。戦争の本はたくさんありますが、自然体の本かな。この作品を読んだ子どもの反応は「きつねがかわいかった」でした。今年から教科書が変わって本の紹介がたくさん出ています。この作品は光村図書4年生の「ひとつの花」の後に紹介される本の1冊です。少しずつ戦争色が表れてくる内容なので、戦争を知らないこどもたちには最初から「この本は戦争の本だよ」といって与えたほうが、いいかも。戦争についての作品だとわかっていながら読めば、きつねだけに印象が偏らないと思います。

ハリネズミ:戦争の取り上げ方についての意見がありましたが、最初から「戦争の本だよ」というと嫌がって読まない子も多いかもしれません。でも、言わないと、戦争のことだとわからなくて、きつねの印象だけが強く残ってしまうんでしょうか。難しいですね。

プルメリア:さっきの子は、挿絵がかわいいきつねに視点がいってしまったんだと思います。ただ、これから後になって戦争について学習したときに、「あの本は戦争があった頃のことが書かれていたんだ」と思い出すかも知れないので、その時に気づけばいいのではないかと思います。

ダンテス:昔のお金 持ちの、ほんわかした雰囲気がよく書けている。自分の地元の言葉を生かして書いているのでしょう。きつねがどうなったかわからない形で終わらせるのが、会いたいのに会えないという余韻を残している。被爆の体験も 直接は書いていない。またきつねに会いたいなという終わり方はうまいと思います。

ハリネズミ:この本は好きな一冊です。こういう形で出していけば、子どもが戦争に拒否反応をおこさないで受け入れられるのではないかと思いました。この著者の文章が私は好きなんですが、子どもの気持ちをよくすくいあげていると思います。きつねのかわいさも子どもをひきつけるし。通奏低音は切ないのですが、大きな死はなく、日常を淡々と書いているのがいい。おばあちゃんきつねは、人間のおばあちゃん、おかあさんきつねは人間のお母さん、子ぎつねは人間の子どもの前に現れるんですけど、きつねの寿命と人間の寿命は違うので、リアリティを考えると変だな、と思いました。きつねの寿命のほうがずっと短いですよね

けろけろ:この本の担当編集者として、みなさんのお話をうかがいました。まずは、読んでくださってありがとうございました。
 朽木さんは、プロフィールに被爆二世と書かれていることからもわかるように、原爆というテーマについて、ぜひ作品を書きたいというお気持ちがあったと思います。『はだしのゲン』(中沢啓治著、汐文社など)が怖くて読めない、という今の子どもたちに読んでもらえる話にするには、どうしたらいいかと、いつも考えられていたのではないでしょうか。そして、自分のいちばん近くにいる家族やペット、友人、当たり前のようにあった日常が突然、ぶつっと切られてしまうということを表現しようと考えたのだと思います。これなら、今の読者にも簡単に想像できることです。原爆で引き起こされる悲惨な表現よりも、こちらに集中しようと。それに対する大人の読者からの「表現がたりない」というような批判も、覚悟の上だったと思います。
 もちろん、著者の持ち味である端正なファンタジー世界も、生き生きと描かれています。作品の生まれるきっかけは、子ぎつねが「あたしわりあい化かすのうまいんだよ、化かされたい?」と話しかけてきたことと聞きました。ささめやゆきさんの子ぎつねの絵が入って、この作品世界がとても絵画的であることが改めてわかりました。とてもいい絵をいただいたと思います。
制作の過程で注意したのは、原爆の話だよというインフォメーションを少しずつ織り交ぜたことです。また、広島弁については、著者はとても苦労されました。話し言葉をそのまま書くと、文面が読み取りにくくなるので、かなり音読して読み返し、書き直されています。
今回の震災のとき、窓ガラスがひどく揺れて割れそうになったのを見て、私の娘は「彼岸花」の原爆のシーンで、主人公の腕にたくさんガラスがささった場面を思い出したと言っていました。原爆のすべてをこの作品でわからなくても、成長しながら少しずつ思い出したり、思い当たったり、原爆についてもっと深く知りたいと思ってもらえるようになっていってくれたら、うれしいと思います。

酉三:被爆体験が届かない、と嘆くのではなく、届かせようと工夫するのは大事。たしかに被爆の現実は強烈で、うちの子は、小学校2年生のときに長崎原爆資料館に連れて行ったのですが、写真や資料にショックを受けて、展示室を飛び出して行ってしまった。だからこういうことへの最初の出会いをゆるやかなところから始めるというのは、考えていいのかもしれないですね。

タビラコ:けろけろさんのお話を聞いて、感動しました。作者と編集者のこの作品にこめた思いが、よくわかった気がします。わたしの読み方が浅かったかな。それに、震災の前と後とでは、子どもたちの読み方も変わってくるのではないかと思いました。より主人公の心に寄り添って読めるようになったのではないかな……と。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


ムーンレディの記憶

カニグズバーグ『ムーンレディの記憶』
『ムーンレディの記憶』
原題:THE MYSTERIOUS EDGE OF THE HEROIC WORLD by E.L. Konigsburg, 2007
E.L.カニグズバーグ/著 金原瑞人/訳
岩波書店
2008.01

版元語録:転校生のアメディオは、ウィリアムといっしょに風変わりなゼンダー夫人の豪邸で家財処分を手伝ううち、一枚のヌード画を発見する。モディリアーニの絵だ。ところがその絵には、自分たちにつながる意外な過去の真実、ある英雄の存在が隠されていた。ニューベリー賞作家の本領が発揮された、心の謎に迫るダイナミックな物語。

プルメリア:大変おもしろく読みました。表紙も気に入りました。登場人物は数名で性格がわかりやすく、女性3人の個性は一人一人違い、それがおもしろかったです。ゼンダー夫人の家の中がゴージャスで、着ている洋服のファッションの印象が強い。モディリアーニの絵が出てきますが、とても気になって一気に読みました。4つの時代について分かれて書かれているのが、さすがカニグズバーグはすごいなと思いました。

タビラコ:プルメリアさんが違う本のことを話していると思ったのでは、シアさん?

シア:訳がいまいちなのか、読むのに苦労しました。前ふりが長すぎます。肝心のモディリアーニの絵が出てくるのが、かなり後。どうでもいい描写というのがだらだら続きます。海外の作家にはよくありますが、それにもまして訳がよくないように感じました。主人公の口癖に「断然」というのがありますが、今の子も言わないと思います。文化の違いを楽しめるというところに海外文学のおもしろさがありますが、この本はおもしろくありません。例えば、69ページに「食器室から出て手をのばし、皿を受け取った」うんぬんとあります。大きい部屋なのに、出て手を伸ばして受け取れるのでしょうか? 位置関係がわかりにくいですね。金原瑞人さんにしては珍しいことに、あとがきに前半部分のあらすじが書かれており、それを読んで内容がよくわかりました。そういうつまらないことが気になってしまうくらい、物語に入っていけない本でした。

タビラコ:『スカイラー通り19番地』(カニグズバーグ/著、金原瑞人/訳、岩波書店)は、読みやすかったのにね。この本が出る直前に、作者が講演の中で内容について話すのを聞いていたので、とても期待して読んだのですが、読みにくくて、なかなか物語の世界に入っていけませんでした。いろいろな人の視点から書いているからかしら? カニグズバーグという作家は、いつも頭のいい読者に向けて書いていて、「子どもだからこういうことは難しい、だから書かないでおこう」というような妥協を一切しない人なのだなと、つくづく思いました。そういう点は天晴れというか、ある意味、好感が持てるのだけれど。
翻訳も難しいでしょうね。ウィリアムの母親の「そうなの」という口癖や、アメディオがくりかえす「断然」という言葉など、英語圏の読者には「ああ、こういう口癖の人だったら、こういう性格だろう」って、すぐにわかるでしょうけれど。29ページの「ゼンダーさんじゃないですよね」「そうなの、違うわ」という会話など、一瞬「訳、まちがえたの?」と思ってしまいました。それから、130ページに「コラードグリーン」という野菜が出てきますが、これはいわゆるソウルフードで、『被差別の食卓』(上原善広/著、新潮選書)によれば差別されていた人たちが食べる食材であって、わたしのささやかな経験からいえば、これを食べるとか食べないということに関してアメリカの人たちには微妙な心の揺れがあるようなのですが、そのあたりのニュアンスも日本の読者にはわからないですよね。翻訳ものの難しい点だと思います。料理の仕方にもよるでしょうけど、私が食べたのは、小松菜の煮びたしみたいでしたが、すーっごくまずかった! この作品は、内容からいえば80歳を前にした作者が「スカイラー通り」よりずっと書きたかったことではないかと思うし、訳者の金原さんがあとがきで言っているとおり、心から拍手をおくりたいのだけれど……。

けろけろ:私は、カニグズバーグが好きなので、喜んで読みました。ただ確かに入りにくいなということはあった。最初のところで、ウィリアムとアメディオの関係がつかみづらかった。おそらく地の文が、一人称っぽかったり三人称っぽかったりして、安定していないというのも理由のひとつかと思いました。「スカイラー通り」と人物が重なっているとあとがきに書いてあり、そうだったっけ? と、読みなおしてみたりして、また楽しめました。そっか、ピーターさんは、ここでもいいやつだったっけなと。ピーターをはじめ、カニグズバーグの作品は、大人の個性がそれぞれきちんと描かれている。このへんは、日本の作品にとても参考になるんじゃないかと思いました。

ナットウ:すみません。理解しよう理解しようと思いながら2回読みましたが、なかなか頭に入らなかったです。ただ、大人の日常会話が上手いなと思いました。ゼンダー夫人はキャラクターがたっていてすごくよかったので、この人物のその後が知りたいと思いました。大きな展開は少ないのだけれど、出てくる言葉がよかったです、特に「人は十パーセントしか見えていない」という言葉は素敵。

メリーさん:カニグズバーグということで期待しながら読みました。伏線をはりめぐらせながら、結末まで持っていくストーリーの運び方が秀逸だと思いました。主人公は、有名になりたいわけではなく「発見されて初めて行方不明だったことにみんなが気づく」ことを発見をしたいという、同年齢の子どもの一歩先をいっているようなキャラクターなので、特に本好きの子どもたちが共感するのではないかと思いました。モディリアーニのファーストネームは、主人公と同じ「アメディオ」なんですね。ジョン・ヴァンダークールの手記で描かれる戦時中の記憶が、現実の絵や住人と重なっていくラストは鮮やかだと思います。一枚の絵画によって命拾いをした人がいる一方で、それによって命を奪われた人もいる。それ以上に、生きる希望としての芸術というものもあるのではないかと考えました。文中、美術展での1枚の絵を鑑賞する時間は45秒ということが書いてありましたが、これもおもしろい。実際はもっと短い気がしますが。絵を見るということは、時間を追体験することだと思います。モデルになった人がいて、描いた人がいて、それを見て感じる人がいる。大人になっても、この想像力を働かせるということを続けてほしいなと思いました。

優李:「断然」が、きっとインパクトある言葉としてたくさん使われているのだろうけれど、日本語としてしっくりこないので、読んでいる途中でかなりひっかかります。でも、筋立てにどんどん引き込まれて、引っかかる部分は、はしょって読みました。今使われている日本語で、しかもぴったりくることばに訳すということは、ずいぶん難しいことなのだとわかりました。大人が際立ってる、とおっしゃった方がいましたが、アメディオやウィリアムが利発なニュアンスのわかる子として描いてあるのに、アメディオとウィリアムのお母さんがもっとたくさん描かれてもいいと思いました。非常によいセンスとさまざまな人間と関係を築くことのできる力を併せ持つウィリアムのお母さんはともかくとして、アメディオのお母さんは、脇役としてもパターン化している。ピーターのお母さんが、後半の後半、自分をはっきり出す、という方向にキャラクターが変わっていくように、アメディオのお母さんももう少し描かれてもいいのでは、と思いました。物語の前段は後半に較べてちょっと長い印象でした。

酉三:カニグズバーグはユダヤ系ですよね。これまでの作品ではそのことを感じさせることはしないようにしてきたように思いますが(いくつか読んだ限りの印象ですが)、今回はいわば民族の悲劇をとりあげた。中心をなすストーリーはまことに劇的でひきつけるものがある。が、そのストーリーを語ることに気をとられて、物語のリアリティを生む細部が充分描かれていない。気持ちはわかるような気がするんだけど、それが残念です。

ダンテス:私は描写が大変に細かくてみごとだと思いました。フロリダなどのケバエの描写や、プール付きの家など実際に行かないとわからないようなアメリカの描写が丁寧。アメディオの母親は脇役。ガレージセールの話ですけど、ローカル新聞には 毎週どこどこでガレージセールがあると出ています。金曜・土曜にあるのが高級ガレージセール。金曜日に行くと普通は入れない大きなお屋敷に入れる、そういうことで自分は行ったことがあるので、大体イメージできました。いいものは先に業者がつばをつけている。そういう業界に関しても、すごくリアルに書かれている。物の価値がわかる人を評価しているのでウィリアムの母親はすごい。『クローディアの秘密』(カニグスバーグ/著、松永ふみ子/訳、岩波少年文庫など)は 印象的な作品でした。ミケランジェロの作品であるかどうかとか、本物を見つける話とかの話で、メトロポリタン美術館に持っていって読みました。 モディリアーニの「g」は本当は発音しないのではなくてイタリア語の独特の音があるのだが、アメリカ人にとっては「g」は読まないように見えるわけで、それを発音する業者をからかっている点も面白い。元オペラ歌手という人物設定、キュレーターという人物も面白かったです。ヒトラーの退廃芸術に対する本心の態度については予備知識がないのでわかりませんでした。『古書の来歴』(ジュラルディン・ブルックス/著、森嶋マリ/訳、武田ランダムハウスジャパン)という本がありますが、ナチスがユダヤの本を取り上げようとしてそれに命がけで抵抗する話なんです。それも連想しました。ヒトラーは他国から芸術作品を強奪してきて実は自分のものにしたかったのか、退廃しているからこの世から消そうとしていたのか、本心がよくわかりませんでした。「断然」という訳については、私も気になります。

けろけろ:外国の作品はむかしから、訳語を見て、どんなニュアンスで使われている言葉なのだろう?とわからないながら読んでいることが多いですよね。そういうものだと思って読んでいるところがある。

ジラフ:ヒトラーの美術品に対する複雑な態度は、若いころに画家志望でありながら、美大に落ちて画家になれなかったという、深い挫折感が関係しているのでは。それと、ヒトラーの民衆を煽動する才能、プロパガンダのうまさには天性のものがあったことは、よく知られています。美術、それもモダンアートという象徴的な力を持つものに、「退廃芸術」というレッテルを貼って、おとしめることでの効果を、ヒトラーは直感的に熟知していたんじゃないでしょうか。好き嫌いというよりも、一種の政治的なポーズだったのでは。その意味では、カニグズバーグ自身も戦争の影を描くのに、一枚の絵というモチーフをうまく使っていると思います。『クローディアの秘密』も『ジョコンダ夫人の肖像』(カニグズバーグ/著、松永ふみ子/訳、岩波書店)もそうでしたが、芸術作品とその謎をライトモチーフに物語を進めていくうまさ。これもカニグズバーグの持ち味だと思います。本筋とは関係ないですが、95ページの「だけど、だれかと友だちになるときはいつも、じぶんの一部をさらけ出すんじゃない?」とか、266ページの「境界は人をあざむくこともあれば、人を救うこともある」なんていう、人生の箴言みたいなことばをさりげなく、会話の中にすべりこませているところも、カニグズバーグらしいな、と思いました。

ハリネズミ:私は訳にどうもひっかかっちゃうんですね。カニグズバーグはそう簡単に翻訳できない人だと思うんです。日本の子どもたちにもイメージがわくように補ったり、微妙なニュアンスを読み解いたりしないと訳せない。たぶん原文では、暮らし方や話し方でこういう人物だと伝えてるんだと思うんですけど、それがうまくこっちまで伝わってこない。だから頭には届くけど、心まで届かないもどかしさがあります。私は、16ページの4行目「この日は〜思っていた」のところでなぜその人が電話線を切らなきゃいけなかったのかわからなかったんですね。89ページでピーターが封書を開けたとたん、の描写も分りにくい、物語のポイント、ポイントに焦点が当たるようになっていない気がしたんです。たしかに訳はむずかしいでしょうね。アマゾンで原書の最初のところを読むと、日本語でケバエってなってるのはlovebugなんですね。交尾している虫が出て来てアメディオは気になっていますが、lovebugは単なる虫の種類を言ってるだけじゃない。英語を読んだほうがきっとうまくつながっていくんでしょうね。

けろけろ:電話線のところは洒落じゃないかな。母親は密かにこの男が電話線を切ったように思った。というのは、共同出資したくなるように仕向けたのでは。相手にも出したいと思うのではないか。ん?よくわからないかも。読み飛ばしていたのかな?(笑)

ダンテス:アメリカの電話会社は、AT&T以外にもいろいろあって激しい競争をしている。自分の会社の携帯では通じない地域にセールスに入ってそこで通じるようにしたら、また引っ越していくという家族なんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


モーツァルトはおことわり

マイケル・モーパーゴ『モーツァルトはおことわり』さくまゆみこ訳
『モーツァルトはおことわり』
原題:THE MOZART QUESTION by Michael Morpurgo, 2007
マイケル・モーパーゴ/作 マイケル・フォアマン/絵 さくまゆみこ/訳
岩崎書店
2010.07

版元語録:「ひとつの物語を話してあげよう——」世界的に有名なバイオリニストのパオロ・レヴィの秘密はかつてナチスの強制収容所でくり返された悲しい記憶とつながっていた。美しい水の都、イタリア・ヴェニスを舞台に描かれた人間のたましいふれる物語。

ダンテス:とっても気に入りました。素敵な作品です。いいお話でした。絵も美しくて楽しめました。モーツァルトの音楽が、強制収容所の囚人たちをだますために使われていたということをはじめて知りました。

酉三:文句なしによかった。これを最初に読んだから、後の2作の評価が辛くなったという気すらします。戦争とは何だったか、ユダヤ人虐殺とは何だったか、それがその後も人々にどんな心の傷を残したか、そういったことを若い人に無理なく伝えてゆく作品になっている。それにしても、これから殺されようという人たちに最後の音楽としてモーツァルトを聞かせるというドイツ人の残酷さ。ユダヤ人たちに「いつかは自由になれる」という歌を歌わせたということもあったそうで、ほとんど悪魔的。恐ろしいですね。

優李:絵も優しくて魅力的、訳もたいへんいいと思います。感動がしみじみと伝わってきました。YAだと対象は中学生くらいですが六年生にはぜひすすめたいです。

メリーさん:この本は、東日本大震災前とその後では読んだ感想が変わるなと感じました。大災害にあったときに、文化は何ができるか。すぐに腹の足しにはならない芸術、文化。だけど、それにはきちんと役割があるのだと再認識した本でした。32ページの「音楽はすばらしい世界をつくるのに役立っている」という言葉はまさにそのとおりだと思います。ただ、それは生きる糧であっても、それを生きる術にするということについては考えなければならないことだと思いました。本の帯文には、「音楽で戦い」とありますが、バイオリニストらは、音楽を武器にしてしまったことを悔やんでいたのではないかと思います。本来は純粋に鑑賞すべきものを、他人を蹴落とし自分が生き延びる「武器」にしてしまった。もちろんそれは仕方ないことだったでしょうが、だからこそ戦後はそうしてはいけないと思ったのでは。それにしても、物語と絵がぴったりとあってとてもいい本だと思います。絵本と読み物の中間であるこの形は、今なかなかないと思いますが、原書はどうだったのかも気になりました。

ナットウ:お父さんの理容室の仕事をしている時のリズムが印象的。音楽が好きな気持ちがよく表現されていると思いました。インタビューするタイミングがよかったのだなと理由も自然に納得できます。強制収容所に連れていかれた人たちや3人の追悼の為にもひそかにモーツァルトの演奏の練習をしたのだろうと思って涙が出ました。裏表紙のベニスの日の出が印象的です。ベニスの日の出と共に描かれたユダヤ人の姿を見て、明るい未来、明日を願っているように感じました。

けろけろ:この本は、YAくらいの読者が向いていますね。でも、売ることを考えると、この体裁でYAって、棚の置場には困るかもしれません。でも、絵がいいので、こういう大きさで見たいですよね。一瞬インパクトに欠けるような絵に見えますが、いい味を出している絵だということがわかりますね。37ページ「秘密は嘘なんだよ。愛している人達に嘘をついてはいけない」と、お父さんが子どもパオロに言うシーンと、冒頭のインタビューで「秘密は嘘になる」と言った大人パオロのシーンが生きていてとてもいいと思いました。ひとつ気になったのは、32ページの後ろから3行目「ぼくが持ってきたバイオリン」のところ。ここと、このあとのもう一か所だけ、「ぼく」と訳されています。「わたし」のほうがいいのかどうか。どちらがいいか、よくわかりませんが、訳すのが難しかっただろうと思いました。

タビラコ:本当に一人称の訳しかたって、難しいですよね。英語みたいに「I」だけで片付けられれば、どんなにかいいのに! 「わたし」と「ぼく」、「ぼく」と「おれ」の中間の言葉が無いものかと、いつも思います。この作品は、とてもよかった! モーパーゴの作品は邦訳もたくさん出ているけれど、どうもいまひとつ詰めが甘いという感じですが、この作品はちがいました。モーパーゴって、本人もすごく「いい人」で、ダブリンで小さなグループに自作の近未来を描いた短編を朗読してくれたことがありましたが、得体のしれない軍隊にのどかな村全体が滅ぼされてしまうという、その話を読みながら手放しで号泣していました。そういう人柄のよさと、ストーリーの作り方の上手さが、よく出ている作品だと思います。翻訳の上手さは言うまでもないことですが、語り手によって敬体と常体を使い分けたり、字体を変えたりしているところも、さすがだと思いました。音楽って理性ではなく感性に訴えるもので、天使と悪魔の両面がある。その両面がくっきりと描きわけられていますね。わたしはフォアマンの絵のなんともいえない青と、オレンジがかった赤が好きですが、この本の中ではヴェネチアの場面にその素晴らしい青と赤が使われていて、うちの中は暖かい茶色で描かれている。反対に強制収容所は、グレーと陰鬱な茶で見事に描きわけられていますね。私はモーツァルトの作品が好きでよく聴いていますが、この作品を読んだあとは前と同じようには聴けなくなりました。それほどインパクトの強い作品でした。

シア:青い色彩がとにかく美しくて、一番先に読みました。今回の3冊の中では、完全に雰囲気勝ちしてますね。このサイズだと棚に置きにくいかもしれないけれど、子どもには目につきやすい上に、サッと手にとって見やすいサイズだと思うので、現在公共図書館で人気があって予約できないのもうなずけます。ぜひ子どもに読んでほしい作品ですね。絵本のような装丁のわりには大人も子どもも、そしてプライドが高い子も読みやすい作品です。話の内容も正統派だし、完全なる優等生的な作品だと思います。誰からも気に入られるいい子ですね。物語もストレートでわかりやすいですし、戦争の爪痕についてもわかりやすいし、飽きないし、音楽の持つ力を感じられたし、最後にはジーンときますね。しかし、あえていうならば、値段が少し高いかもしれません。戦争の本はどんなに読んでも、どうしてもこれまで他人事だったけれど、震災後の今、ぜひ読んで欲しい1冊です。

プルメリア:夏休みに題名を見て、いいネーミングの本だなと思いました。挿絵がとても素敵でヴェネチアに行ったことがあるのであのへんかなとわかりました。文章もわかりやすく現代・過去・現代の構成もいいです。中野区立図書館ではYAになっていますが、小学6年生ぐらいだとわかるんじゃないかな。学級でユダヤ人について説明し、ヴェネチアの場所を地図帳で探すなどの補足をして読み聞かせをしました。本文では下のほうに描かれているユダヤ人の挿絵が、裏表紙では空の上のほうに描かれていることに気づいた子どもが「ユダヤの人たちは天国に行けてよかったね」と言っていました。子どもの見方は面白いなと思いました。防衛省関係の子どもがいるのでナチスの問題は大丈夫かと心配でしたが、大丈夫でした。厚着の人と薄着の人が38〜39ページの挿絵にまじっていたので、季節について聞かれ、少し返答に困りました。

ハリネズミ:これは、原書は横書きでもっと判型ももう少し小さかったと思います。ホロコーストものはいろいろ出ていますが、知っておく必要があると思う一方で、今イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽する結果になるのではないかと危惧したりもします。でも、この作品は、人間そのものを深く見つめているように思って、私は好きです。

ジラフ:わたしヴェネツィアが大好きで、実は3月の震災直後に行く予定だったんです。ところが、帰国便が不確定になったりして、旅行は延期したのですが、以前、1度訪れたときに何より惹かれたのが、ヴェネツィアの虚構性でした。路地が迷路のように入り組んでいて、いつも迷子になっているみたいで。いつか海に沈んでしまう、という運命を背負っていることも、この町の芝居がかった雰囲気と関係しているのかもしれません。自分自身にそんな思い入れがあったので、回想のスタイルで語られるこの物語の舞台として、ヴェネツィアの町がすごく生きていると感じました。挿絵もよくて、月明かりに照らされた運河のブルーなどは、いまにも水音が聴こえてきそうな気がしました。モーツァルトがこんな風に利用されていたことは初めて知りましたが、芸術には人の心を揺さぶる力があるので、よくも悪くも使うことがきます。おしまい近くではっとしたのが、隠してあったヴァイオリンが、実はお母さんのものだった、というところです。わたしはずっと、お父さんのヴァイオリンだと思い込んで読み進めていました。戦争とは、そして人間とは、まったく一筋縄ではいかないものだ、とおもしろく思いました。ほんとうにきれいな本で、たて書きなのに、こんなにふんだんに挿絵が入っていて、原書はどんなかな、と想像するのも楽しかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


龍の腹

中川なをみ『龍の腹』
『龍の腹』
中川なをみ/著 林喜美子/挿絵
くもん出版
2009.03

版元語録:「焼き物の技術を学びたい」という、父の夢に引きずられ、父とともに日本から宋へと渡った少年、希龍。苦難の道程をへて、焼き物の地、龍泉にたどりついた二人の前に、まるで丘をはう龍のような、巨大な登り窯が現れた……。

優李:筋立てはおもしろいと思って読み始めました。ただ、希龍の特に成長してからの話しことばの書き方に引っかかって、そこはとても読みにくかった。希龍の時代に、いくらなんでも、今どきの若者言葉はないでしょう(笑)。希龍の「お父さん」についても、博多の豪商とはいっても地方の一商人が、鎌倉幕府に朝廷の作法・しきたりなどを指南するというようなことが本当にあるのかな? それにそういう人物が中国の磁器を見て感動したのはわかりますが、このような焼き物を日本で作れれば日本も変わる、などとかなり大胆に思い込み、店をたたんで親子で渡航、その上、自分で焼き物を習えないとわかったときに、年端もいかない子どもをひとり置いてくる? 大人の人物の描き方が細かくない、リアリティ不足という感じで、ちょっとなあ……と。それと、最後の方でいきなり「そして10年がたった」などと、はしょった書き方で結末につなげないで、緊密に書けるところで時間を切って書いてくれた方がよかったかなあ、という気がしました。

チェーホフ:私はおもしろいと思いました。全体としては、ファンタジーに近いかなと。この作者のほかの作品ではファンタジー性は見当たらなかったので、おもしろい試みだと思いました。

レン:入りにくかったです。この少年が異国の文化の中で格闘して自分をつかんでいくさまを描こうという、意欲的な作品だとは思うのですが、ストーリーにひきこまれませんでした。希龍が焼き物をおぼえていく過程は、『モギ ちいさな焼きもの師』(リンダ・スー・パーク著 片岡しのぶ訳 あすなろ書房)と比べてしまって。そうするとあちらのほうがずっと実感があるんですね。また言葉で気になるところがちょこちょこありました。たとえば138ページの最初の行、戦に言及するせりふで「あっちで、五年以上もバンバンやってるんだ。」。鎌倉時代の話だから、バンバンはないだろうとか。残念ですね。

くもっち:作者の中川さんは、こういう大河ドラマ的な作品で、自分というものを見つめながら育っていく青年を描くのが上手な作家さんだと思います。この話も、単に日本で起きた出来事というのではなく、宋から元への過渡期という中国を舞台にして壮大な土地で息づいている人々を見せてくれるというのが、おもしろい試みだと思いました。歴史的なバックボーンを借りるというのは、物語自体を壮大にさせる効果があるな、と改めて感じました。ただ、たくさん盛り込みすぎたかなという感じも受けました。「由育」という、家族から引き離された男の子の人生、「希龍」という、大きな存在である父に翻弄させられる人生、さらに「桃花」という、自分の親を知らずに育つ女の子の人生という3つの人生を描こうとしています。3人に共通するのは、家族の喪失感からどう脱皮していくかという部分だと思います。3人が3様に自分を見つめながら進むのはおもしろいのですが、いかんせん広げすぎていて、消化不良になっている気がしました。特に、希龍のお父さん像がぶれている気がします。最初は青磁の技術を取得することイコール日本の発展だと考えて大陸に渡るんですが、子どもを預けたあとで全然違う方向に走ってしまう。大切な一人息子を、学問をさせないまま育ててしまうことについて、本当に良しとするのか、という点も疑問です。その辺がひっかかって、もったいないなと思った部分です。

みっけ:こういうタイプのものは、歴史について今まで自分が知らなかったことを知れたりもするので、けっこう好きです。でも、これはあちこちで文章にひっかかってしまい、ちょっとそれがつらかった。たとえば183pに、「龍泉での十年は、希龍の想像を超えて、深く重かった。明けても暮れても土に触れる生活の習慣は、視野に窯がないというだけで、訳もなく不安になった。景徳鎮がどんどん遠ざかる。いらだつ想いをけんめいにこらえた。」という文章がありますが、使っている言葉が全体に抽象的で、漢語が多くて、荒っぽい感じがしました。わかるようでわからない表現があったりもして……。中国のこういう古い時代を舞台に選んだことを意識して、それで漢語が多いのかもしれないけれど、それにしても使い方が乱暴な気がする。それと、とても気になったのが焼き物に関する話です。作者自身が青磁を見てすばらしいと思い、そこからこの物語が生まれたということも、たぶんあるんだろうと想像するんですが、そうだとすれば、そのすばらしさをもっと読者に迫る形で伝えてもらわないと。これだと、高邁な評論家の文章みたいで、理屈で説明しているというか、分析しちゃっているものだから、実際の焼き物の迫力が、ぐっと迫ってこない。そこがつらいなあと思いました。中国の波乱万丈の時代を取り上げているので、へえ、そうなんだ、という箇所がいくつもあって、そういう意味ではおもしろかったんだけれど、ちょっと詰め込みすぎですね。焼き物のこともそうだけど、ちょっとできすぎな気もする。この子の達成したことは、もっと少なくていいんじゃないかな。焼き物の大変さがそれなりの形で読者に伝われば、もっと小さな展開でも読者は十分に主人公とともに喜べるんじゃないかと思いました。土をいじったこともない子だったんだから、そんなに簡単にはいかなくて当たり前だし、うまくいかないで四苦八苦しているところを描いたほうがリアルなんじゃないかなあ。完成品の分析を聞かされるよりも、そのほうがおもしろいと思う。ただ、冒頭で、お父さんが焼き物を見て、中国と日本との差にショックを受けて……という展開は、当時なら十分あり得たとは思いました。それが政治や国全体とつながるというのはちょっと無理がある気がするけれど……。

ハマグリ:やっぱりみなさんがおっしゃるように、細かいところには不満もあるんだけれど、日本の人が児童文学でこんなにも壮大な歴史小説に挑戦しているところを買いたいと私は思います。ただ、子どもの読者にとって鎌倉時代は遠いし、まして中国のことはわからないので、簡単でいいから年表や地図をつけるとか、服装のことが出てきても想像しにくいのでもっと挿絵を入れるとかすれば小学校高学年くらいからでも興味を持って読む子がいるんじゃないかと残念でした。物語は大きく2部に分かれており、最初は龍泉でのこと。後半は希龍と桃花と由育の旅となる。がらっと展開が変わっておもしろいんですけど、何か2つの関連性がないように感じられ、後半ではあれほど焼き物にうちこんだはずが、あの気持ちはどうしたの、いつそこへ戻るのかな、と思いました。会話の言葉づかいについては、現代の子どもの読み物として、この時代のとおりに書くわけにはいかないのはわかりますが、「すっげー」なんて書いてあるとちょっとどうなのかなと思いました。

ハリネズミ:書き方に勢いがあるし、なかなか読ませるとは思ったんですが、物語にほつれ糸のようなところがたくさんあって、それが気になりました。たとえば希龍が陶芸の修行をするところでは、本人は父親から捨てられたと思っています。でも読者の私は「あれだけ父親は陶芸に執着していたのだから、敢えて息子を一人前になるまでは突き放して厳しくしているのだろう」と思っていたんですね。ところが修行を終えた希龍が父親と会う場面では完全に肩すかしを食らって、父親がいったいどういう人物なのかわからなくなってしまいました。それに桃花にしても、最初のうちは冒険心に富んでいて野心もあり自分の人生をつかみとろうとする元気いっぱいの娘なわけですが、結婚したとたんにころっと態度が変わってしおらしくなってしまう。著者は愛のなせる技だと言いたいのかもしれないけど、変貌しすぎで人物像がつかめません。由育は、兵卒になってお父さんの軍隊に入るために出発しますが、その時にお父さんに会えるかどうかはわからないと書いてあるのに、いつのまにかお父さんのところで病死している。途中が書かれてないので、一体どうなったのかわからないままです。また蛙声っていうユニークで魅力的な若者ですが、決心して帰っていった村がどういうものなのかはよくわからない。そのせいで、蛙声自身の人物像もぼやけてしまっています。もう少し完成度を高めてもらえれば、とってもおもしろい本になったと思うので、残念です。各章のはじめのカットはおもしろいあしらい方をしてますね。

くもっち:挿絵の使い方で、ネームをのせるように使っているのですが、場所によっては、絵に間違えて文字がのっちゃったの?と思うようなところもありました。たとえば、102pとか。

プルメリア:課題図書になった作品『モギ ちいさな焼きもの師』の日本版かなと思いました。焼き物師のサクセスストーリーと思って読んでいたら違っていて。私は、主人公をはじめ登場人物の性格がわかりやすかったなと思います。中国の元と宋の歴史の動きや、当時の人々の生活の様子とか、中国の情景もよくわかるし、中国サイドから日本を見ている、知っていることや今まで読んだことのある作品とは違い逆の立場で書かれているのでおもしろいなと思いました。一生懸命作った焼き物を窯から出すときのドキドキするところがリアリティを持って描かれている。主人公の気持ちになってしまいました。最初に龍が出てきて、各章ごとに挿絵が出てくるのが楽しめました。地図とか年表とか図があると、小学生でも歴史に興味がある子は楽しめそうなのに残念。

ダンテス:あんまり評価できません。途中で読むのがいやになりました。はっきり言えばご都合主義っていうのか、その場その場で場当たり的に話が進んでいるように感じられます。桃源郷の扱いも失礼ではないでしょうか。話の流れの中で入れちゃったという感じに読めました。読んでいて統一感がないっていうか、筋が通った感じがありませんでした。プラス面をいえば、焼き物のことや、中国の時代のことも調べているようです。でも、焼き物の美しさを言葉で表現しきれているでしょうか。言葉では、286p「杞憂」、304p「杞憂する」、これは言葉の使い方がおかしいです。

レン:編集者が指摘しなかったんでしょうか。

くもっち:歴史上の事実を踏まえるフィクションの場合は、これは史実でなければだめでしょうというラインがまずありますよね。もしかするとそれは、一般の小説より厳しいかもしれない。子どもに間違って伝えてしまうと混乱してしまうという配慮があるからです。その辺は、校閲というよりは、この小説が世に出せるかというレベルで編集者が見るべきでしょう。また、杞憂の使い方などの校正・校閲については、もちろん専門の方にも見ていただきながらチェックしますよね。でも、作者が最初にどこまで仕上げてくれるかにかかっているのではないでしょうか。人のすることなので、チェックもれはどうしても出てきますから。

ダンテス:やはりいちばん気になったのは桃源郷です。理想郷に住むはずの桃源郷の人たちが人をだまして殺そうとするというのはいかがなものか。さらに言えば、文天祥のこともこんな書き方でいいんでしょうか。そして元王朝の中国文化に対する姿勢も史実とは違うのでは?

酉三:設定を南宋末において、国際大河ドラマを書こうとした著者の志は評価したいですが、冒頭の、鎌倉幕府が開設されて20年、とかなんとか、教科書みたいな書きようでまずつまずきました。子どもにお話の世界に入ってきてくれというときに、こんな書き方でいいのか、と。そのほかにも、いちいち指摘することはしませんが、物語世界を作っていくための工夫、努力が足りないと思わせるところがいろいろありました。というわけで、最初の数十ページで読むのをやめてしまいました。著者には、ていねいに書くトレーニングをしていただきたいと思います。

ハマグリ:288p「たじろんだ」って出てくるんですけど、これって「たじろいだ」ですよね?

すあま:親の都合で修行を自分の意に反して始める、というところから始まって、筋はいいのに読み終わった後でどこか物語が中途半端な感じがするのはなぜなんでしょう。主人公たちに魅力がないのかな。私も陶器が好きだから興味深く読めるんだけれど、もう少し登場人物のキャラクターがはっきりしていて魅力的だったらもっとおもしろく読めたのかもしれないと思いました。

ボー:全体には、おもしろく読みましたが、後半が散漫な感じになって、まとまりの悪い物語になってしまい、残念でした。「焼き物の技術を学びたい」という父親の夢に引きずられて宋に渡ったという設定で、登り窯のこと、焼き物のできる課程など、事細かに描かれていて、それに取り組む少年の姿も、とてもおもしろかったです。前半は、当時の中国の事情や、社会体制なども、背景として描かれていて、興味深かったのですが、後半は、龍泉になかなかもどらなくて、いろんなことが出てきて散漫になっていました。結局、蛙声の村はなんだったのか……? 腑に落ちないところも多々ありました。桃花の、染め物の話は、お話にもマッチしていて、もっと書ければよいのに、それも中途半端な感じで、残念でした。飛び模様の青磁の壺や、染め物の話などに焦点を当てて、最後まとめれば、もっとおもしろい物語になったような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)


殺人者の涙

アン=ロール ボンドゥ『殺人者の涙』
『殺人者の涙』
原題:LES LARMES DE L’ASSASSIN by Anne-Laure Bondoux, 2003
アン=ロール・ボンドゥ/著 ふしみみさを/訳
小峰書店
2008.12

版元語録:南米最果ての地に暮らすポロヴェルド夫妻は、旅人に一夜の宿を提供する善良な人間であった。二人にはパオロという子どもが一人あった。その、滅多に人の来ない辺鄙な場所へアンヘル・アレグリアという人殺しがやってきた。

みっけ:わたしはこういうタイプの本が好きなので、とてもおもしろく読みました。ちょっと、永山則夫の『無知の涙』をどう受け止めるか、というのと似た問題を読者に突きつける感じの作品なので、読者はYAから大人になると思います。冒頭から人があっけなく二人も殺されるわ、主人公は冷酷な殺人者だわで、一歩間違えると血なまぐさくてどろどろのいやな感じになるはずだけれど、淡々とした書き方がきいていて、なぜか全体に静かな感じが漂っている。そのあたりがうまいなあと思いましたし、好感を持ちました。生きていくことの厳しさや、荒野のしんとした感じが、寂しいとかつらいとかいったマイナスのこととしてではなく、厳然と目の前にあって、人間が生きて行くうえで立ち向かわなければならないものとして描かれているのも、いいなあと思いました。そういうなかに、ふっとアンヘルとパオロのやりとり、あるいは二人とルイスのやりとりが入ってくる、それがとても印象的でした。一番いいなあと思ったのは、アンヘルとパオロの関係です。なれ合ったりするのでなく、どこまでも緊張感をはらみながら、でもなにか他の人には伝えられないような絆ができる様子が、うまくとらえられている。とても奇妙なことかもしれないけれど、でも、本当のことだったんだな、とこちらの腑に落ちる。筋としても、ルイスが二人を欺いて世界旅行に出かけちゃったり、昔アンヘルが殺したらしい家族の親が出てきたりで、どうなっちゃうんだろうとはらはらしながら最後まで読みました。アンヘルが捕まるという着地点にもリアルだし、最後またルイスが出てくるのも、ちゃんと脇筋に決着をつけていていいなと思いました。

くもっち:異質な小説に出会えた感があって、最初は設定に少し戸惑いましたが、おもしろく読めました。映像的、観念的な作品ですよね。特におもしろい体験だったのは、冷血な殺人者として登場するアンヘルに、次第に感情移入できてしまうところですね。後半は、どうにかしてシアワセな日々を送らせてあげたいとまで思ってしまう。ちょっと、駆け足で読んでしまったので、何度か読みかえしたいと思いました。

レン:どう表していいかわからない読後感でした。共感はおぼえないのに、不思議とこの世界に入り込まされる感じ。つきはなされているようなのに読まずにいられなくなる。寓話的な書き方で、いろんなことを考えさせられる話、それがこの物語の力かもしれませんね。舞台がチリというのが気になって調べてみたのですが、作者のホームページを見ると、荒涼としたイメージから舞台をチリに設定したけれど、執筆のときには行ったことがなかったとのこと。ヨーロッパから遠い土地だから、そんなイメージで扱われるんですね。だからなのか、チリらしさのようなものはほとんど出てきません。地名の「ヴァルパライソ」は、スペイン語の発音からすると「バルパライソ」とすべきところ。また、121p「ホットケーキ、食べるか?」というところ、「ポンチョを着たでっぷりした女の人が、でこぼこのフライパンで丸い生地を焼いている」とあるので、トルティージャのようなものではないかと思います。ホットケーキだとイメージがずれるなと。裏表紙のパオロの服装も、アンデスの民のような服装で、これはパタゴニアの話なのでこれでいいのか疑問。スペイン語で書かれていない作品だけに、編集の段階で気をくばってほしかったです。

チェーホフ:最初の「太平洋の冷たい海にノコギリの歯のように食い込む地の果てに」というところは想像しにくいと思いました。ラストは全体的にすべてのことをとり入れた生活をしている。父母の家で今まで父母がしていたように人を迎え入れ、リカルドのようにワインでもてなし、ルイスの絵葉書の貼ってある壁やアンヘルの名をもじった自分の子どもなど。性的な描写もありますし、年齢層は上。殺人者であっても人は生きていてパオロの中に受け継がれていく、死んでも残るものができたんだなと感慨深いものがありました。殺人者を肯定しかねない書き方ともとれるので子どもが読むには少し注意が必要かなと思いました。

酉三:著者はかなり上手な人なのだと思います。が、この設定は私にはカゲキすぎ。受け入れられないです。この世界にどう入ったいいのか。それと、上手だと思いますが、終わりの方で突然幽霊が出てくるのはいけません。もしも幽霊アリのお話ならば、もっと早くそのことは伝えておいてほしいです。そういうわけで、全体としては私は評価できない、受け入れられない作品でした。

ajian:非常に筆力のある人だと思いました。出だしから乗せられてどんどん読むことが出来ます。印象的な場面も多い。しかし、ただおもしろい読み物という以上のものはありませんでした。とくに後半、リカルドが命を落としてからは、物語の展開が唐突でもあり、また意味がよくわからない場面などもあり、いらないんじゃないかと思います。どうも、作者は無理にドラマをつくろうとしている感じ。そのせいで、登場人物一人一人が物語の駒でしかないというか、登場人物の人生に対する愛情が感じられません。僕は寓話的なものよりは、人間一人一人が描き込まれた作品の方が好きなので、この作品は合いませんでした。無法者と子どもの組み合わせなんていうのは、時代劇のようでもあり、好みの設定でもあるのですが……。なお、殺人者が主人公であることや、セックス描写があることに、否定的な意見がありましたが、個人的には、あっても構わないのではないかと思います。

ダンテス:設定の時点でいやだなと思う人もいるだろうと思いつつ読みました。両親を殺した人と子どもが一緒に住んでいくという。もちろんその場で生きていくしかない極限状態として計算されて作られています。人物では自然にかかわる老人の話がよかった。レンさんの話を伺う前は、作者はフランス語とスペイン語両方ができる人で、南米にも行ったことがあるんだろうと思っていました。

レン:時代設定もわかりにくいですね。ガルシア=ロルカとかネルーダの詩が出てくるので、20世紀後半だと思うんですけど、それにしてはちょっと古めかしい感じもして。

ダンテス:スペイン語の詩が持つ強さというのを感じました。文中に出てきましたよね。南米の突端という設定は、アフリカで人類が生まれて何万年もかけてベーリング海から北米を経て南米の先端に到着したという、究極の場所として表現したかったのかもしれません。

プルメリア:とてもたんたんと読みやすかったです。お父さんとお母さんが殺されて暮らすパオロの心情が不思議。アンヘルの独占欲も気にかかった。殺人者なのに悪く感じなくなっている自分も不思議でした。ルイスがでてきてこの人はやさしさを持っていていいなと思いました。旅先からずっと手紙を送っていたのも誠実な人? 生まれた子どもにアンヘリーナという名前をつけたこと印象に残りました。アンヘルはずっとパオロの中で生き続けるんですね。

ハリネズミ:リアルな地平にある作品ではなくて、寓話だと思って読みました。パオロは、無垢な子どもで存在そのものがまわりの人物たちを変えていくという意味では、キリスト的でもあるし、モモみたいでもあります。リアリティからは微妙にずれているので、かえって現実を考えさせる力を持ってるし、読者の想像力も刺激されますね。訳はすらすら読めたのですが、212pの後ろから4行目「ポール・エリュアード」は、「ポール・エリュアール」ですよね。有名な人なんだから、編集者も気づいてほしい。120pのうしろから3行目「アルミの壁にはじけて砕ける人間でできた大波だ」っていうのは何なんでしょう? イメージがわきませんでした。

ボー:あまりの悲惨さに目をそむけたくなり、何度も読むのをやめようと思いました。いきなり、両親を殺されたり、アンヘルの凶暴さだけが浮き彫りになっているところなどが、読んでてつらくなりました。しかし、なんとなくやめられずに引き込まれ、読み進めていました。そのうちに、キリストのような少年と一緒に暮らすことで、救われ(?)少しずつ人間性を取り戻していく課程は、やっぱりそうなんだと思うし、それなりにおもしろかったです。筆力のある作家だと思いました。リカルドの殺されるところの意味ってあったのかなとも思いました。ギロチンを作るのに使われた木のことを知らせないために殺したのでしょうか? 殺人者を、ここまで前面に出して描いている作品は、児童書としてどうかと思いますが、今の中高生は殺すことの意味がわかっていなかったり、軽く感じている子もいる中で、こういう作品の意味もあるし、また、それほど悲惨に感じなくなっているのかもしれないとも思いました。それと、最後まで、殺人者アンヘルが罪を問われ、救われなかったのは良かったなと思いました。殺人者として、心を入れ替えようと、反省しようと、その罪は償わなくてはいけないという断固たるメッセージが感じられました。

ハリネズミ:私はそんなに残酷だとは思いませんでした。殺す場面が、スプラッター小説と違って詳しく書いてないからです。昔話みたいに、あえてさらっとしか書いてないんだと思います。パオロの親の血がしみこんだテーブルだけはちょっと生々しいんですけど、最後にそれも埋められてしまうしね。

レン:でも、アンヘルは198ページの「おまえに会った瞬間、俺は生まれたんだ」と言う場面で、心情的には救われているんじゃありませんか?

ボー:心情的にはそうだけど、社会的にはやっぱり救われないでしょう。

ハマグリ:あんまりな冒頭に何なんだこの話はと思いましたが、すぐにぐいぐい引き込まれてしまってページをめくる手を止められませんでした。私はランダル・ジャレルの作品が好きですが、それとよく似た寓話的な感じがすごくしました。どの登場人物にもなんらかの寓意があるように感じられます。それなのに、生身の人間の感情の激しさが迫ってきて、ドキドキしました。パオロがはじめて銀行に行って、ふかふかのじゅうたんや冷水機に驚くところや、リカルドの部屋で本棚いっぱいの本、レコードで聴くバッハの音楽などを知るところがとてもおもしろかったです。文化とは何か、言葉の力、音楽の力などを感じさせる描写が散りばめられていると思いました。今までにちょっと読んだことがない種類の本だったし、自分の中でもいろいろに考えが揺れる部分があったので、これをはたして皆さんはどのように読むのか、とても感想を聞きたいと思いました。

すあま:私はあまり手に取らない種類の作品で、ここで取り上げられなかったら読んでいなかったかも。怖い話かと思っていたけれど、残虐だとはあまり感じなかった。冒頭でパオロの両親が殺されてしまうけど、全然しゃべることもなく死んでしまったので感情移入することもなくかわいそうだとも思わなかった。パオロは生まれてきたものの、ぼんやりとした存在、無垢な存在であったのが、アンヘルとルイスと暮らす中でいろんな体験をして悲しみや喜びといった感情をおぼえて、どんどん人になっていく話なんだなと思いました。最後、パオロが18歳になったところは、いつから数えてその年になったのかな、と不思議に思いました。それから、パオロがリカルドの家で幽霊のような子どもたちと遊ぶシーンは、違和感がありました、もうパオロは人間らしく成長していたのに、どうしてまた不思議な子どものように描かれているのかわからなかったです。ラストは、読み手としてはとても救われた気持ちになり、読後感が良かった。やっぱり、読後感がよいのが大切だと思う。

みっけ:パオロが、はじめは白紙という意味では無垢かもしれないけれど、決していい子ではないところがいいなと思いました。この子はあまり表に出したり人に伝えたりしないけれど、それなりに心の中に嵐を抱えているということがちゃんと書かれている。だから、途中でルイスと3人で港町に行ったときに、パオロが崖の上に出て、一方アンヘルが必死でこの子を探し回るあたりも、作者の作為が感じられず、アンヘルという人間が動き、パオロという人間が動いているという感じがした。そういうところがうまいなあと思いました。それと、一軒家で狐を殺す事件にしろ、港町の近くの崖の上での二人のやりとりにしろ、それぞれがまったく同一の視点を共有したとか、互いに完全にわかり合えたとか、そういうことはいっさい書かれていないんですよね。ひょっとしたら見ていたものは違ったかもしれないし、感じていたこともちがったかもしれない。それでいて、その瞬間に二人がとても大切な何かを共有したということは、読者にちゃんと伝わってくる。こういう書き方ができるなんて、すごいなあと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)


ピーティ

ベン・マイケルセン『ピーティ』
『ピーティ』
原題:PETEY by Ben Mikaelsen, 1998
ベン・マイケルセン/作 千葉茂樹/訳
鈴木出版
2010.05

版元語録:生まれながらに脳性まひがあったため、周囲から知的障害と誤解され、人生のほとんどを施設ですこすことになってしまったピーティ。過酷な生活のなかでも豊かな心を失わず、ひとつひとつの出逢い、目にするもの、耳にするものによろこびとおどろきを味わい、自分の人生を生ききったピーティの、光あふれる物語。

くもっち:障碍を持つ人が主人公の話っていうのは、はじめてではなかったのですけど、脳性まひの人に知的障碍があるわけではないというくだりをびっくりしながら読みました。自分の認識不足を改めて教えてもらいました。この作品は、真ん中で2つの物語に分かれていますよね。ピーティの一生を追いかけていく第1部と、ピーティが70歳近くなって、一人の少年と出会ってからの第2部。最初、2部がメインなら、バランスが悪いのではないか、と心配しながら読んでいたのですが、1部で出てくる記憶の断片や思い出の品、親しかった人との再会などがちりばめられていて、2部がとても生きてくる。男の子の両親の描き方が少し雑な気がしたけれど、それすら補うものがあるので、バランスが悪いと思った印象は、撤回しました。トレバーがすごくいい子で積極的なので、こんなに性格のいい子にどうして友だちができないんだろう、というところも不思議に思いましたが、トレバーが抱えている孤独感と、ピーティの生涯がシンクロしていく様子がとてもうまく描かれていると感動しました。ピーティのような人物の心の中でどんなことが起きているのか、そういうことも具体的に場面の中で知っていくことができておもしろかったです。今朝の満員電車の中で最後のシーンを読んでしまったので、目からも鼻からもダーっとなって、大変でした〜。(笑)

レン:引きこまれて読みました。とても興味深い作品でした。まずお話としては、物語の視点がおもしろかったです。ピーティの視点でいろんなものを見ていくんですね。普段の自分とは違うところから見る書き方がうまいなと。また、すべての登場人物たちが、ピーティと関わることで変わっていく。見方や生き方が変わっていくというのがよかったです。そこにピーティの生命力や、希望が感じられました。あと驚かされたのが、この事実。脳性まひだと、何も考える力がないと思われて施設に入れられていたのが、時代とともにだんだんに理解されていく。人権が確立されてから、アメリカでもまだ100年もたっていないとわかって、テーマとしても興味深かったです。ぐいぐい読ませる力があるので、小学生の高学年にも手渡していきたい作品だと思いました。

チェーホフ:脳性まひの人や周りの人々に向けて書かれたものだと思いました。泣かせようという意図は見えず、淡々と続いた日常という感じです。光景が目に浮かびましたし、描写が上手いのだと思いました。後半は環境が変わって社会的に受け入れようという舞台になっているのですが、社会的に生きていくための訓練などはしていない、日木流奈さんの『ひとが否定されないルール』(講談社)という本を読んだことがあるのですが、そっちは訓練プログラムを行っている様子などを写真や文章でご本人が説明していました。脳障碍を負っている方の自伝です。訓練を行っていることで生活感を生々しく感じましたが、多分『ピーティ』ではこのような事があった歴史として書いているのだと思います。それが現状だったのだなと悲しかったです。問題提起を投げかけていると思います。作中でも知らないからピーティを恐れたりしますね、知る、知ろうとすることで自分の世界の見方というのも変わっていくと思いました。

優李:とてもいい本だと思いました。思わず泣けました。子どもたちにも、ぜひ手渡せるように紹介していきたいと思います。6年生は、いろいろな世界の人を知ろう、という学習をするので、いつもそれに合わせてブックトークをするのですが、そのようなときにも取り上げたいと思いました。私が小学生だったとき、仲良しの友だちの弟が脳性まひでした。この本には、脳性まひだからといって知的障碍があるわけではない、と書かれていますが、この部分を読んではっとさせられました。友だちの家族も、もちろん私も、知的障碍があると思って接していたと思います。それと、ピーティの場合、親は彼を施設に預けてしまったら、その後まったく出てきませんね。そのあたりのシステムがどうなっているのか知りたいと思いました。身近に友だちの弟がいた私ですが、ピーティの顔のねじれているぐあいとか、障碍の様子が、文章からだけだとよく思い描けなかった。子どもたちもそうだろうと思うので、なにか、補足の資料があるといいと思います。「人権」ということがきびしく言われている時代なので、表立っては言わないけれど、学校で先生とうまくいかない児童が、陰でその先生のことを「障碍者」と呼んでいることがあります。この本で、子どもたちにとっての「障碍者」へのまなざしが変わるといいなと思います。

酉三:この作品は好感がもてました。冒頭のところで、1920年代を象徴するように車が登場して、その疾走が近現代の疾走を暗示し、そういう新しい時代がやってきたところで、障碍者切り捨てということが行われる。うまいと思いました。ちょっと気になったのは、わが子を施設に入れたにせよ、その後にピーティの親たちがまったく見舞いにもこない、というのには疑問を感じました。

ハリネズミ:私もそこは気になったんです。あれだけピーティに心をくだき、お金もかけて世話をしてきたお母さんが、それっきりになってしまうのが不思議でした。それで関係者にきいてみたんですが、当時は、もうきっぱりと縁を切ってしまうのが普通だったみたいです。

酉三:障碍者の状況ということを考えると、アメリカは日本なんかよりもずっとがんばっていると思っていたが、それでもかつてはこんなことがあったんですね。ということは、逆に言うと、日本だっていずれは展望が開ける可能性があるな、と思いました。

ajian:今朝電車のなかで読み終わって、やはり涙を止めるのに苦労しました。いい本でした。脳性まひの人が身近にいないと、その人がどんなことを感じることが出来るのか、どれぐらいコミュニケーションできるのか、全然知らずに過ぎてしまうと思う。この本は、ピーティの内面をつぶさに描いているのがとてもいい。それから、釣りの場面や、外を歩く場面では、ピーティの感動を、ピーティの身になって味わえます。ああ、こんなふうに感じているかも知れないんだ、と思いました。ただ風を感じるだけのことが、本来はどれほど豊かな体験なのだろうと。また、ショッピングモールの場面は、そもそも「買い物」という行為を知らずに生きてしまう現実がある、ということに、改めて気づかされました。同じ社会に生きていても、同じ場所にいても、全く違うことを感じている人たちがいて、『ピーティ』はそんな一人の人間に焦点をあてていて、とてもいいと思います。

ダンテス:とてもいい本でした。少人数だけどその時代その時代にピーティのことを理解してくれる人が登場してきます。後になってまた出てくるのかなと思っていたら、全員ではなくてオーエンさんが、後で出てきました。後半、引っ越しばかりしている少年が孤独を背負っていて、ピーティのお世話をしながら孤独感からも抜けられ、またそのおかげで女の子と出会うというのもいいのではないかと思いました。1990年代、アメリカで新聞記事に訴えて寄付を募るということもよく目にしました。後半は少年の成長物語として読んでもいいのでしょう。それにしてもピーティという人物を魅力的に描いています。

プルメリア:ピーティの様子がきちんとえがかれている。カルビンとの仲のいい様子もとてもいい。2部ではトレバーによって、再会の機会が作られたり、新しい体験もたくさんできる。終わり方もいいですね。ピーティの家族については、話を聞いてわかりました。今は障碍者という言葉は使わず、「体の不自由な人」といいます。学校では交流する機会もつくっています。子どもたちは最初は「こわい」という印象なんですが、慣れてくると一緒に楽しく遊べます。いろいろな人がいる社会。こういう作品は映画になると広く知られるようになって、いいのでは。周りが受け入れてくれないととても狭い世界にとじこめられるようになるので、たくさんの人に理解してもらうことが大切だと思います。

ハリネズミ:この作品では、『殺人者の涙』のパオロと同じような役割をピーティが果たしているんですね。いるだけで、まわりの人たちに何かプラスの作用を起こすことができる存在。それに、今回の課題本は3作とも、血のつながった家族より血のつながらない家族が重要な意味をもってますね。この著者には「かわいそう」という視点がまったくないので、そのおかげで、ピーティやカルビンの心の機微が読者にもストレートに伝わってきます。最初は、キャシーがピーティに「ハンサムだ」と言ったりする場面に残酷な感じも持ったのですが、よく読んでみたら、キャシーが本当にピーティを愛していたことがわかりました。またピーティとカルビンの友情にしても、図式的ではなく、時にはピーティがうんざりしたり、カルビンにマッシュポテトを顔にぬりたくられてピーティが悔しがったりする場面もちゃんと書かれています。著者のホームページを見ると、ピーティのモデルになった人と親密なつき合いをしていたということなので、実体験から来る重みのあるリアリティなんだなと納得しました。同じ著者の『スピリットベアにふれた島』(原田勝訳 鈴木出版)にも、クマと暮らしていた著者ならではのリアルな描写があります。去年読んだ翻訳作品のなかでは、これがいちばんおもしろかった本です。

ボー:非常におもしろく読んで、感動的しました。前半と後半での落差がとても大きかったです。前半は、後半をより説得力もって伝えるためにあるように感じました。物語は、後半になって動き始め、おもしろくなります。前半を読みはじめたときに、障碍者の話なので子どもにはとっつきにくいかなと思ったり、これだと子どもは最後まで読み続けられるかなと、ちょっと心配しました。読んでほしい子どもたちは、小学校4年生くらいから上でしょうか? 文体を考えても、読者対象は、そのくらいかと思いますが、その年齢の子たちに読んでもらうことを考えると、この前半は、もっと短くするとか、構成を変えるとか、工夫が必要だと思いました。

ハリネズミ:ネズミが食べこぼしを目がけてやってくるところとか、ネズミを殺させないためにピーティががんばるところなんかは、子どもが読んでもじゅうぶんおもしろいと思うけど。

ボー:でも、全体にもう少し短いといいなと思います。子どもの読解力や、読者対象を考えると、小学校高学年くらいを考えて書いていると思うんですね。YAといっても、高校生には、文体がちょっと幼いと思うんです。

ハリネズミ:私は、前半も長いとは思わず、はらはらドキドキしながら読みました。ピーティに一体化して読めば、中学生ならだいじょうぶなんじゃないかな。文字の大きさや長さからして小学生向きに作られた本ではないでしょう。プロットだけじゃなくて、ディテールでも読ませて、しかも読者の世界を広げることができる作家って、なかなか日本にはいませんね。

ハマグリ:私もネズミのところは目に見えるように書かれていて、ユーモアもあって楽しいところだなと思いました。みなさんが言ってないことを言うとすると、ピーティと関わる人がたくさん出てくるんだけど、その人たちもみんな貧しかったり移民だったり、過酷な状況を懸命に生きている人ばかり。そういう人たちが、自分よりもっと過酷な状況下にあって、自分が世話をしなければ生きることができない無力なピーティから、逆に生きる力や愛情を受け取るというところに感動しました。ピーティの境遇は悲惨なんだけれど、冒頭で両親がこの子をとても愛していたということが書かれている。愛しているけれど財力もなく仕方なく手放すわけですが、無償の愛情をそそいでいた。だからピーティが洗礼のときにもらったことばを額にいれて、手放すときにずっとこの子を守ってくれるようにと祈りをこめて持たせるわけですね。もちろんピーティはそのことを知る由もないけれど、読者はそれを知っていることで気持ちが救われるんです。みなさんが言ったように、ボーズマンに戻ったところで、私もまた両親との接点があるのかな、と思いました。ピーティが男の子と女の子と遊んでいる夢を見る場面がありますが、私はこれはお兄さんとお姉さんなのかな、と思いました。だからボーズマンにもどったとき、両親はもういないかもしれないけど、お兄さんとお姉さんが出てくるかと期待してしまった。トレバーの登場では、この子はお兄さんかお姉さんの孫なんじゃないか、なんて考えちゃった。何の関係もなかったのはちょっと残念。トレバーの両親が急にいい人になってしまうっていうところ、私はちょっとホッとしました。子どものことを理解できなかったのは生活が忙しかったからであって、子どもの姿をまのあたりにするとちゃんとわかる人たちだったんだな、って思えたのはうれしかったです。

みっけ:とてもおもしろい本でしたし、つくづくじょうずな人だなあと思いました。私は、前半の長さはやはり必要だったと思います。ピーティにとって、いい人が現れては、自分が好きになる頃にはまたいなくなってしまうということが延々と繰り返される。そのつらさや、それによっていっそもうこの先は心を閉ざそうという気持ちになるあたりがきちんとこちらに伝わっているからこそ、後半のトレバーとの出会いやそこに賭けたピーティの気持ちが重みを持って心に迫ってくるんだと思います。しかもこの作者は、エピソードを上手に選んで、読者が繰り返しに飽きないように、工夫して読ませている。だから前半を読み終わった段階で、自分からはほとんどアクションを起こせずに、ただ去っていく人たちを見送るしかないというピーティの不自由さ、不自由な体に閉じ込められた人のじれったさが、読者にも共有できる。それと、刈り込み方が上手な作家ですね。伝えたいことをきちんと伝えるために、自分が選んだ題材のどこにどういうふうに刈り込んでいけばいいのかをちゃんと把握していて、それに沿ったエピソードを選び、物語を構成している。作者自身も言っておられるようだけれど、これがフィクションだというのは、そういう意味なのだと思います。それに、これだけ強烈な題材だと、ついつい対象の心の動きなども、あれこれ想像をふくらませて書き込みたくなるけれど、この人はいっさいよけいなことを書いてない。その点では非常にストイックだなあと思いました。だからこそ、読む人にも脳性まひの人はきっとこう感じているに違いないと思え、物語にリアリティがある。この本を読み終わると、ここにいるのは、体が不自由なだけでなく、おもちゃの拳銃で遊んだり、映画は西部劇だ大好きだったり、ときにはいたずらをすることもある、いろんな面を持っていて、いろいろなことを感じているひとりの人間なんだなあ、とつくづく感じる。それがこの物語の力なんでしょうね。トレバーの親のことがあまり書かれていないのは、後半でトレバーとピーティの関係にぐっと焦点を絞った結果、この程度の書き方になったのかな、と思うし、それでいいような気がします。

すあま:この本は人から紹介されて読んで、こういう人生ってどういう感じなんだろうってずっと考えていました。生まれたときからこの状態だったわけで、彼にとってはそれが普通であり、まわりの人が思うのと本人の感じは違うのではないかと。それから、この物語は1部と2部に分かれているのがいいなと思いました。子どもが読むとしても、1部はピーティに、2部はトレバーに気持ちをおいて読めるので、共感できるのではないかと思います。1部が読みにくいというなら、2部を先に読んでみてもいいかな、とも思いました。まあ、最初から読んだ方がよいわけですけどね。ピーティは最後に亡くなってしまい、読んでいる方もつらい気持ちになるけれども、読み終わったときに温かい気持ちになれるいい本だと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)


ニック・シャドウの真夜中の図書館

ニック・シャドウ『ニック・シャドウの真夜中の図書館』
『ニック・シャドウの真夜中の図書館』
原題:THE MIDNIGHT LIBRARY by Nick Shadow, 2005
ニック・シャドウ/著 堂田和美/訳
ゴマブックス
2008.04

版元語録:ケイトは、なにかがおかしいと思った。頭の中で声が聞こえはじめたのだ。だが、ケイトは、まだ気づいていない。その声が、なにを意味するのか、そして、どんなおそろしいことがまっているのか…。世界中がふるえあがったイギリスの大人気ホラーシリーズ!

サンザシ:忙しいなかで読んでいたので、読み始めてすぐに時間の無駄だなと思いました。今回のテーマとも違うし、深みもないので、この会で討論するような本じゃないと思ったんです。書名に図書館と書いてあるけど、図書館とは関係ない。暇つぶしに怖いものを読みたいならいいですけど…。翻訳も何カ所かわかりにくいところがあります。たとえばp176ですけど、3行目の「いうって、だれがいうんだよ!」がしっくりこないし、最後の行に「ずたずたになったプライドをなぐさめたかった」とありますけど、これくらいでずたずたになる? ティムたちがリンゴの木になってしまう、というアイデアはおもしろいと思うんですが、ティムは最初のほうでビル・コールをひどく怖がっているのに、後半は、これでもかこれでもかとビルに対して嫌がらせをしている。これでは、読者がティムの心理に同化できないので、怖いポイントを怖がるだけの本でしかない。キャラクターの心理の動きを読者の想像に任せる漫画なら、いいと思うんですけど、物語の本である以上、キャラクター設定くらいはちゃんとしてほしかったですね。

ハマグリ:子どもが手に取りやすい装丁で、図書館でもかなり借りられている様子。期待して読んだけれど、一話目の最後であれ、何これ?と思いました。真剣に読んで損したなという感じ。こんな終わりでいいのでしょうか? 衝撃的な結末が売りの話で、そこがおもしろいと思う人もいると思うけれど、私には読後感が悪かったです。

優李:出てすぐに、題名に惹かれて読みましたが、いただけないと思いました。もともとホラーは苦手なので、こういう安手のものだと全然ダメ。「無理!」です。登場人物が、あまりに簡単に無残な死を迎えることになるのが、非常に後味悪いし、うちの図書室には入れていません。ただ、中学生には人気があり、一時、兄弟関係のある小学校高学年からのリクエストが多くありました。地域図書館でもよく借りられているようです。

メリーさん:この本は相当売れて話題になったことを覚えています。続巻もたくさん出ていますよね。子どもたちは本当に怖い話が好きなのはわかるのですが……。これは後味が悪く、ただ怖いところが強調されているだけで、あまり残るものがありませんでした。オチもあるような、ないような……。

チェーホフ:最初図書館で借りようと思ったけど、4人待ちでした。サスペンスホラーなのかなと思って登場人物を書き出していったのですが、意味なく登場人物が多かっただけだったらしく無駄に終わりました。誕生日の祝いという理由でひとりで墓参りに行かせるというところの意味が分からないし、父親がいるのに女の子一人だけで行かせるのは現実感がない。ほおにキスをするとうつる、というところも疑問だし、設定があまり練られてない。全体的に救いようがない話。こういうものを子どもに読ませたいとは思いません。

あかざ:私はホラーが大好きなので、はりきって2冊借りてきました。でも、1冊目を読んだら後味が悪くて、2冊目は読む気がしません。1話目は怪しい声が聞こえる話、2話目は「赤い靴」のように物がたたる話、3話目は異物に変えられてしまう話と、いままでによくあるさまざまのホラーのパターンを使ったホラー入門書のようですが、主人公が最後に必ず死んでしまうというところが、このシリーズのミソというか売りのようですね。でも、だいたい物語というのは、読者が主人公の気持ちに寄り添って読むものなので、最後でショックを受けるでしょうが、はぐらかされたような気もするのでは? 大人も子どもも、怖いもの見たさというか、どんどん残酷なもの、刺激の強いものを求めるようなところがあるから、そういうものは売れるでしょうけれど、出版社は本当に子どもに読ませたいと思ってこのシリーズを作ったのかなあ? それに1話目のように、特別な才能があるゆえに魔女とされてきたような人たちの子孫が、その才能のために抹殺されてしまうような話の運びは不愉快で、作者がそんな発想をすること自体がホラーだと思いました。ホラーにも作者の人間性というか、そういうものは現れると思うんですよね。スティーヴン・キングはもちろん、鈴木光司の作品や、映画の「オーメン」などにもそういうヒューマンなものを感じるんだけど、この本は、ただ怖がらせようとしているだけの、悪趣味な作品に思えます。ラヴクラフトやダンセイニのように、独自な世界を創りだしているわけでもないし。

プルメリア:昨年担任した6年生の女の子が2人、はまっていました。本を購入しシリーズで読んでいました。表紙の絵がいい、持ちやすい、内容が3つにわかれていて読みやすい、というのが理由のようです。今年度、赴任した小学校にはシリーズで入っていました。担任している4年生の子どもたちに薦めましたが、自分で読んでみて難しかったので、ちょっとよくなかったかなと反省しています。6年生ならわかることでも、4年生には場面設定が難しいし、アメリカの風景も想像することができない。作品を読んでみて話の先が見えづらい。リンゴの話は、過激な話ですね。おばあさんが、おじいさんの死んでしまった理由がわからないのは不思議です。これでいいんでしょうか? 怖い話は子どもたちに大人気で、いろいろな本があります。

うさこ:この本のどこが読者をひきつけて、書店でよく売れているのかを探ってみようと思って読んだのですが、読んだ印象は、スピードを出した車に乗ってあるスリルを味わったり途中どきどきするけど、あとは何も残らないなあ。実際の読者の子どもたちは怖いね、こんなことが身近にあったらどうしよう、というように現実には起こらないということを前提にしながら、単純に楽しんでいるのかなと思いました。大人には、読後の後味の悪さだけが残るんだけど。

サンザシ:怖いものを読みたいという子どもの心理につけこんで儲けようとする意識が、嫌だなと私は思うんです。

プルメリア:この物語を実際の事件と重ねてしまうといけないなと思いました。『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ著 あかね書房)が怖いという子もいるんですよ。

コーネリア:6年生で、表紙の絵がいいといったのは男の子ですか?

プルメリア:女の子です。男の子は、本が薄いということと、内容が怖いということで、手に取るのでは。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年1月の記録)


つづきの図書館

柏葉幸子『つづきの図書館』
『つづきの図書館』
柏葉幸子/著 山本容子/挿絵
講談社
2010.01

版元語録:柏葉幸子の心温まるファンタジーと山本容子の美麗なイラストのコラボレーション!/「青田早苗ちゃんのつづきが知りたいんじゃ!」読者が物語のつづきが気になるように、登場人物たちも、読者のつづきが気になっているのです……。

ハマグリ:まず発想がおもしろいですよね。子どもは小さいころ1冊の本を繰返し読んで、自分も主人公と一緒に物語の世界に入り込むということがあるけれど、それとは逆に本の中の主人公が、それを読んでくれた読者のその後を知りたいと思う、というところが斬新で、いいなと思います。桃さんの人生という枠の中に他の人の人生がからめてあるので、構成は複雑だけれど、おもしろく読めると思います。ただ、本の主人公が知りたがった読者のその後の姿に、少し違和感がありました。継母が、実子ではない子に対する気持ちや本当の親への微妙な対抗心など、大人でなければわからない感情が多々出てくるんですね。子どもの読者にとって、どうなんでしょう? わからないことはないけど、おもしろくはないのでは? よく知られた絵本が出てくるし、物語の設定も子どもには入りやすいのに、気持ちの描写のところは急に大人っぽくなる。そんなに大人になったところまでたどらなくても、もう少し子ども時代に近い、中学生くらいの将来の姿のほうが子どもにはおもしろいと思います。山本容子さんの絵もよかったので、それが残念。

コーネリア:子どもの本なんですが、主人公がおばさんというのがユニーク。設定が面白いですね。本の続きを読むのではなく、本を読んでいた読者の続きが知りたい、というちょっとひねった発想はとてもいいのですが、物語があまりおもしろくない。はじめの方は、設定がおもしろいので、どうなるのかなあと読み進められますが、設定が発展しなくて、後半はパターンにはめようとしているゆえに、物語がおもしろくなくなっているきらいがあると思いました。家庭環境については、大人目線ではないかという意見がありましたが、子どもは意外とわかるんじゃないかと思いますう。でも、それがおもしろいかどうかは、疑問を感じるところ。山本容子さんの絵は、すてきでしたが、この絵も、大人好みなのかしら?

プルメリア:物語の主人公が出てくるのがおもしろいと思いました。主人公たちが会いたがった子どもが成長してからの大人の生活や大人の女性の感情は、子どもにはわかりにくいでしょうが、子どもはドロドロした大人の世界を取り入れたドラマも好きなので、本やテレビを通して、子どもがそういう感情も学んでいくのでは? 各章の冒頭にある手紙が、だんだんと明るい文章になっていくのがいいです。主人公桃さんの挿絵も最後になるにつれて明るい表情になっていく。登場してくる主人公に重ねて子どものときに読んだ本を思い出しました。

サンザシ:私も発想はおもしろいなと思ました。はだかの王様やオオカミや幽霊が本から出て来てうろうろしてるところを想像すると笑っちゃいますよね。ただ、主人公が読んでくれた人を探すという要素と、その後のいろいろな家庭の問題が、ややちぐはぐになっている印象を受けました。主人公が読者だった子どもを捜す、という点に集中すれば、中学年向きのもっとおもしろい作品ができあがったような気がするんだけどな。

あかざ:みなさんがおっしゃるように、本の登場人物が読者を探したいと思うというアイデアは、とてもおもしろいと思いました。私も子どものとき、本を閉じているときは、本の中の人たちは何をしているのだろうと真剣に考えていました。本を閉じているときは別の物語が進行していて、開いたときに初めて、よく知っている物語がまた始まると思ってたわけね。そういう発想を逆転させたというところが、すばらしいと思いました。ただ、そういう子どもが喜びそうなアイデアで始まった話がたどりついた先は、大人の人間関係のごたごたやらなんやらで、子どもは退屈してしまうのでは? それに登場人物が探したい子どもがその本を読んだのは何年も何年も前だから、探しあてた、大人になった子どもたちの話は、アクションではなくて説明になっている。だから、よけいに退屈なんじゃないかしら。アイデアはおもしろいけれど、構成に大きな問題のある作品だと思います。小学生向けのようでもあるし、『食堂かたつむり』(小川糸著 ポプラ社)のように、癒されたい願望の大人が読む本のようでもある。どんな読者に向けて書いた本なのかしら? もしかして、子どもが本を読んだときからさほどたたない時点で、登場人物が読者探しを始めれば、もっと子どもたちにも楽しめる本になったのでは? きわめて個人的な感想ですけれど、本のなかからメタボのはだかの王さまが出てくるというの、感覚的にノーでした! なんで『はだかの王さま』なの?

ハマグリ:絵柄としておもしろいんじゃないですか?

みっけ:p49ページに、父がはだかの王様に見えて……という言葉があるから、とってつけたみたいだとしても、一応理由はあるんだと思いますけど。

ハマグリ:作者は、本の中の主人公のことを書きたかったというより、大人の後日談を書きたかったのではないでしょうか。

コーネリア:どちらも書きたかったのでは?

みっけ:発想がいいという皆さんの意見には大賛成です。すごくおもしろい。それに、はだかの王様やオオカミが出てきてと、ちょっとはちゃめちゃな予感がしてわくわくしたんだけれど、それが尻すぼみになってる。発想の勢いそのままにぐいぐいと話を転がしていけばよかったんじゃないかと思います。それが、実は大人になってから振り返るとこうなっていて、みたいなことを後半で説明してしまう。理に落ちるというか、2時間ドラマの最後の断崖絶壁場面みたいな説明になっていて、がっかりでした。もっとユーモラスなお話にできたはずなのに、なんかウェットなんですよね。子どもってこんなにウェットじゃないですよ。それがとってもいや。やっぱりみなさんがおっしゃるみたいに、最初は子どもに寄り添っていた目線が、後半で大人目線になってしまっているんでしょうね。

コーネリア:そういうアイデアをもう少しいかすと、もっとよかったですね。

サンザシ:これはYAではないんですよね? YAなら、はだかの王様じゃなくて、もっと違う本が取り上げられるんでしょうね。

みっけ:最初のお話だったと思うんだけれど、王様が探している子どもだけでなく、お母さんも出てきたりして、ちゃんとつじつまを合わせてある。それに、最後のお話では図書館員の桃さんの息子まで出てくるじゃないですか。全体がウェットなものだから、そういう工夫もわざとらしく感じられてしまいました。

チェーホフ:愛にあふれた作品だと思います。『牡丹さんの不思議な毎日』(あかね書房)など今までの作品の中では、牡丹さんという大人ではなく「牡丹さんの子ども」の視点で描かれていたりしましたが、本作は大人の視点で描かれていて、新しい試みだと感じました。全体としてはよかった。とても面白かったです。

メリーさん:物語の登場人物のキャラクターと、現実のキャラクターがとてもよく描かれているなと思いました。本の世界と現実の世界をうまくリンクさせていて、おもしろく読みました。人が本を選ぶように、本も人を選ぶ……本との出会いは、人と人との出会いに似ているなと改めて感じました。物語が進むにつれて、桃さんも次第に元気になっていく。それが各章の冒頭の手紙に現れていて、だんだん長くなっていくという設定もいいなと思いました。ただ、これを子どもが読んでわかるかというと、この本も人を選ぶのではないかと思います。本がある程度好きな大人である自分がこれを読むと、本との出会いの不思議さ、大切さがよくわかります。けれど、子どもはどこまで共感できるのか。個人的には「本の話が出てくる」本は大好きですが、子どもたちに読書の楽しみを伝えるには、「本がいいよ」と本の中で言うのではなく、物語そのもののおもしろさで伝えるのがいいのではないかと思いました。

優李:本の主人公が「読んでくれた人を探す」というのは、ミステリー仕立てでおもしろいと思いました。本が好きな高学年の女子何人かに「モニター」になってもらっての感想は、「表紙の絵がいい」「色も楽しそう」「ロボのキャラクターが好き」「桃さんがもう少し若くてお姉さんでもよかった」「最後の章のところは、わかりづらかった」などなど。絵本や物語を題材にした設定なので、中学年の子にも広げていけるものになっていればもっとよかったなあ、と残念です。

コーネリア:文字の大きさは小さい?

優李:文字の大きさは、ものすごく小さくなければ、みなあまり気にしませんが、3,4年生以降に習う字については全部「ルビ」がほしいですね。高学年でも本がそんなに得意じゃない子にとっては「ルビなし漢字の本」は苦手ですし、高学年向きのよい本も「ルビあり」なら中学年以下の児童にも薦められます。

うさこ:本や図書館が大好きな人だからこそ、この発想がでてきたのかなというのが第一印象です。桃さんや出てくる大人がどことなく不器用なところがとてもよかったな。現実は、子どもだけでなく、大人も迷いながら生きていてうまくいかないことが多い。子どもの読者にそういうところはちゃんと伝わったのではないかと思います。絵本の主人公が捜している子たちがみな、家庭に事情があったという設定だけど、その「事情」がもう少しバラエティに富んでいてもよかったのかなと思いました。山本容子さんの表紙、挿し絵は悪くないけど、読者の子どもにどれだけ受け入れられるのでしょうか。

優李:本好きの6年女子は「かわいい」と言ってました。

あかざ:子どもって、小さい物がたくさん描かれてる絵が好きですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年1月の記録)


本だらけの家でくらしたら

N.E. ボード『本だらけの家でくらしたら』
『本だらけの家でくらしたら』
原題:THE ANYBODIES by N.E.Bode, 2004
N.E.ボード/著 柳井薫/訳 ひらいたかこ/挿絵
徳間書店
2009.12

版元語録:11歳の女の子ファーンは、ある日、自分が不思議な能力をもつ一族なのだと知らされる。そしてある特別な 本を見つけるため、父とともに素性を隠して祖母の家にのりこむことに。ところがその家は、本だらけで…? 本をふると、中から登場人物がとびだしてくる!  ふしぎがいっぱい、本好きにはたまらないユニークなしかけがいっぱいの楽しい物語。

プルメリア:この本を手にするのは今回で2回目です。生まれたときから一緒に暮らしていたとってもまじめな家族が変わってしまい、おとなしかった男の子が元気になる展開がおもしろい。ときどき魔法が出てくるのも、おもしろさにつながってます。おばあちゃんに会いたい女の子が、自分の居場所を見つけるのがテーマの、成長文学なのかな。明るい挿絵がいい。最後に紹介されている作品にでてきたリストから、本を読みたくなるのではないでしょうか。

コーネリア:表紙も楽しそうだし、おもしろそうな気がするなと思って読み進めていたのですが、どうもお話の世界に入り込めなかった。このハチャメチャな感じ、荒唐無稽な感じについて行けないのかな……ファンタジーが苦手だったのか……。つかみ所のないお話でした。

ハマグリ:本を開くとコオロギが出てくるというように、冒頭から突拍子もない出来事が描かれているし、挿絵もファンキーだし、これは奇天烈な話だな、と覚悟して読んだので結構楽しめました。でも全体の雰囲気と違って、テーマはお母さんを探す、自分の居場所を見つけるという王道なんですね。中でも本だらけの家のおばあちゃんがおもしろくて、本好きかどうかのテストだといって、その本を読んでいないとわからない質問をする。本の中で本のおもしろさを伝えているのが楽しかったです。挿絵はアニメーションを見ているようなテンポの速いものだと感じました。

優李:かなりめちゃくちゃな設定と思って読み始めたので、わりと楽しく読めました。魔法の秘密の書や、自分の居場所探しなど、テーマが多すぎる感じがします。ただ、何度も出てくる「何ごともありのままではないのでは」の『ありのまま』にひっかかりました。この場合は「見た目」ということなのでしょうが、「ありのまま」と「見た目」は違うので、日本語としてはヘンです。最初、主人公の養親(?)の会計士夫婦が、あまりにも現実離れした無機質な書かれ方で、こんなので子どもはついてこれるのか?と心配になりましたが、子どもたちは意外に平気で気にしないようでした。それより「本のテスト」のところ、女子はなんとも言わなかったけれど、男子の中には「なんかいやだ」といった子が何人かいました。作者の言葉が作中何度も出てくるところは、ちょっとおせっかい過ぎの印象です。私は苦手です。

メリーさん:主人公が魔法を使えるようになるまでの前半はちょっとまどろっこしいのですが、後半、話が回り出してからおもしろくなりました。(「ここからが話が急展開します」というところあたりから)。なので、主人公にいろいろな目的はあれど、実際に魔法を使って何かするというところをもっと読みたかったなと思いました。そして、作者のコメント、ト書きのような部分ですが、先に種明かしをしてしまっているところが何か所かあって、もう少し効果的に使ったらいいのになと感じました。

チェーホフ:地の文は読みやすいのですが、途中で出てくる作者の言葉が嫌でした。物語の世界に入り込めても、作者の言葉に邪魔されて冷めてしまう。おもしろい雰囲気があるけど、最後まで読んでやっぱりつまらないかもと思ってしまいました。話が盛り上がるシーンが遅いのかもしれません。絵が可愛いなと思いました。

みっけ:とにかく、作者のセリフがうるさくて! どこかでちょっとだけ出てくるくらいならいいんだけれど、あれこれ物事を説明しすぎ。こんなふうに作者がしゃしゃり出てきてあれこれ説明するくらいだったら、地の文とか台詞とかに織り込むくらいの工夫をしろよ!と思いますね。それに、まるで物語とは関係のない、自分の大学時代の教授の話が出てくるでしょう? せっかくこっちが物語世界に浸れそう、と思ったところで、そのたびに腰を折られるものだから、ひどくイライラしました。魔法があってぶっ飛んでいる話はけっして嫌いではないけれど、この話は物語としてきっちり固まっていない感じで、おもしろそうなことがあれこれ寄せ集めてあるだけという印象。これだけいろいろなことが起こっているのに、勢いよく読み進めるという感じじゃなかったです。

あかざ:「とっちらかった本だな」というのが、まず第一に感じたことです。本当はおもしろい本なのに、自分の頭がとっちらかっているからそう思うのかと不安になりました。最初の部分の、退屈きわまる夫婦に育てられている子どもの様子を見に、魔法の世界の者たちが姿を変えてやってくるというところはハリポタとそっくりで、すでにこういう書き方がひとつのスタイルになっているのかと、ちょっとショックを受けました。語り手がときどき姿をあらわす手法は、児童劇などによくあるのでさほど気にならなかったけれど、ストーリーがとっちらかっているのを、これで立て直しているのかなと、ちょっと意地悪な見方もしてみたくなりました。とにかく、あれやこれや盛りこみすぎていて、はたしてクライマックスはどこなのかなと思いました。それから「ダレデニアン」は、誰にでもなれる術ってことですよね。それだったら、マイザーもある程度できているので、必死になって秘密の書を探さなくてもいいし、主人公たちも、世界がひっくりかえる一大事のように騒がなくてもいいのでは? 「ダレデニアン」と出てくるたびに、「なんでやねん!」と、思わずつぶやいていました。私も、この物語のキーワードのように出てくる「なにごともありのままでではないのでは……」という言葉には首をかしげました。「ありのまま」というと、「ありのままの自分でありたい」というように、いいイメージで使うのでは?これは、なにごとも見た目とは違うという意味なのでしょうか? また、訳者あとがきに、終わりの部分でドラジャー夫妻も別の顔を見せるとあったので、もう一度読みかえしましたが、結局サルになったというだけですよね?

サンザシ:あまり出来のよくない本だな、と思いました。リアルなキャラクターはひとりも出てこないわりに、筋書きがばかまじめなので、私は楽しめませんでした。はちゃめちゃなキャラならば、そういうふうに物語も進めばいいのに、そうではない。作者がたえず顔を出して何か言うのも、やたらうるさくて私は嫌でした。ハマグリさんは、本好きかどうかのテストが楽しいとおっしゃってましたが、単なる知識テストに過ぎないでしょ。知ってる子には優越感、知らない子には劣等感をあたえるだけなんじゃないかな。主人公が窮地に立ったときに、何かの本の中身を思い出して切り抜けていくという設定ならまだしもですが…。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年1月の記録)


ステップファザー・ステップ〜屋根から落ちてきたお父さん

宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』
『ステップファザー・ステップ〜屋根から落ちてきたお父さん』
宮部みゆき/著 千野えなが/挿絵
講談社(青い鳥文庫)
2005.10

版元語録:哲と直は中学生の双子の兄弟。2人きりで暮らす家に、ある日、屋根から泥棒が落ちてきた! 3人を巻き込む不思議な事件やできごとにドキドキ、ワクワク、最後はほろりの、ユーモアミステリー。1993年刊より6話を採録。

プルメリア:宮部みゆきさんは好きな作家さんの一人です。以前、講談社文庫で読んだときはおもしろいなと思ったんですけど、その後、小学校の学校図書館に購入した今回の本(講談社青い鳥文庫)を手にしたところ、以前の本と比べてしまい、挿絵がないほうがいいかなと思いました。小学校では高学年の女子に人気がありよく読まれています。今回あらためて読みましたが、あまりおもしろくなかったんです。双子の会話が作った感じで、自然体ではないように思えました。私の学級の子どもたち(小学4年生)に出だしを紹介したところ、男子から「『お父さんとお母さんが出てった』って、そんなことしていいのかな」という声が出ました。本を読んだ男子は「字が細かいし、書いてある内容がわからない」と言っていました。男子に比べて女子は「おもしろい。絵も好き」と人気でした。「ワープロって知っている?」と聞くと「国語に出ていたよ」との返事。国語の教科書に点字ワープロが出ていたので、パソコンとワープロの違いを言わなくても抵抗はないようです。私は最初のお話の鏡の世界がまあまあかなと思いました。挿絵では主人公が中1には見えない。中学生が読むには間延びしちゃうかな。

クモッチ:宮部みゆきさんは大好きなので、この本も普通の文庫で読みました。他の作品と違って軽く読めるので、読んでいるときはすごく楽しくて、読み終わるとすっかり忘れてしまう、という感じ。それはそれで、読書の楽しみ方の一つですよね。だけど、今回課題本になったのでもう一度読み返したのですが、あまり覚えていなくてあせってしまいました。このシリーズのものであれば、もうちょっと短くてコンパクトにしたほうが、よかったのでは、とも思いました。赤川次郎さんの作品を読んでいる感じでしたね。決して大人も完璧な存在ではなくって、しかも殺人みたいな事件がちゃんと起こっているところなどが、そんな印象でした。

アカザ:私も、たしか前に読んだと思うのですが、すっかり忘れていました。宮部さんの作品は、どれもくっきりと覚えているのに。この作品は、もともと子ども向けのものではなくて、普通の軽いエンターテインメントとして書いたものを青い鳥文庫に入れたのではないかしら。使っている言葉もそうですが、設定も子ども向けにはどうかなと思うようなところがありますから。双子の子ども自体に作者の思い入れがあるわけでもなく、かといって語り手の「おれ」に思い入れがあるわけでもなく、ただ面白いものを軽く書いたって感じ。文章はさすがに上手いなって思いますけど。

ハマグリ:主人公の一人称で書いている饒舌な感じがとってもおもしろくて、最初は楽しく読んでいたんですけど、同じようなパターンの章が続くので半分くらいで飽きてしまって、ちょっと退屈になりました。お父さんっていうには若すぎる主人公が、最初はちょっと閉口していた双子にだんだん情が移ってくる感じがおもしろかったです。でも全体に設定が絵空事っぽいのは否めない。子どもの読者は、全く子どもだけで暮らすなんてことができるといいなと思って楽しく読むだろうけど、偽札のところとか、ちょっとありえない設定も多かったと思います。絵に描いたお札が偽札だとわからないなんて……。最後は、実は主人公は双子にだまされていたというどんでん返しがきっとあると期待して読んでいたら、違ったので残念。そう思ったのは著者がミステリーだって言っているからなんですが、これではあまりミステリーの楽しさはないと思いました。5,6年生が気軽に楽しく読めて、このくらいの分量のものをとにかく1冊読み通したって思えるところはいいかな、と思います。子どもが使わないような四文字熟語とか言い回しとかが出てくるのも、大人っぽいものを読んだなって気持ちになるんじゃないかと思います。

ひいらぎ:宮部さんはけっこう好きなんですが、これはあんまり。すべてが絵空事という感じが最初からしてしまって。双子の子どもは、会話も絵も中学生には思えないし、どうも落ち着かないんですよね。さっき青い鳥文庫版は大人版のをベースに加筆したんじゃないかっていう話がありましたけど、逆に大人向けに出ているものから、6話だけをとったんじゃないの? 大人向けはもっと長くて、そっちを読んだら、物語としても腑に落ちるのかな、と思いました。中途半端感が少なくてね。プロットはそれなりにおもしろそうなんですけど、この版で読むせいか、キャラがどうもペープサートの紙人形が動いているみたいで。それから、双子が台詞を立て続けに言うところは、カギ括弧の前に句点がどれも入っているせいで、勢いがそがれちゃってますね。

アカザ:本好きの子どもって、とにかくなにからなにまで手当り次第にどっさり読むってことがあるでしょう? 私自身も子どもの時そうだったし、子どもたちにもそうしてもらいたいから、そういうときに読むにはいいのかなと思います。

ハマグリ:これって雑誌連載だったのかな? 章の頭に状況説明が同じように繰り返されるでしょ? 雑誌で毎回読んでいったらおもしろいのかもね。

クモッチ:宮部みゆきさんの作品への入口、って感じになったらいいですね。これ読んでから次は『龍は眠る』(新潮社)とかね。青い鳥文庫を書かれている作家の方で、作品中にミステリーの古典についての話をちょくちょく入れる方がいますが、宮部みゆきさんもそうで、『Yの悲劇』(エラリー・クイーン著 早川書房)とか、「87分署」(シリーズ。エド・マクベイン著 早川書房)とかいった言葉を意図的に入れていて、そういうところに、これからの読者への思いを感じますね。

アカザ:今月のキーワード「お父さん」だったんですよね。お父さんの部分はどうですか?

ひいらぎ:独身の主人公が最初は双子が迷惑なんだけど、だんだん情が移っていくってだけで、お父さんについて深く書いてるわけじゃないですよね。

すあま:以前大人の本として読んでいたので、子どもの本で出ているのに違和感がありました。双子が登場するので子ども向けでもよい、ということなのかもしれないけれど、それにしてはあまり活躍しない。あくまで主人公は急にお父さんになってしまった大人の男の人なので、どう捉えてどういう感想を言えばいいのかわかりませんでした。

キノコ:楽しく読んだんですけど、やっぱり子どものための作品とは違う感じですね。青い鳥文庫に収録して、主に小学生向けというのはちょっと疑問でした。中学生くらいだと、この作品も普通の文庫で読めるだろうし。父親となることに関していえば、主人公の心境の変化も、浪花節的な、ある種の型どおりの描き方で、児童書に出てくる「義理の父親」にはあまりない軽さがありますね。

すあま:別に子ども向けで出さなくてよかったのにね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年12月の記録)


父さんと、キャッチボール?

ジャック・ギャントス『父さんと、キャッチボール?』
『父さんと、キャッチボール?』 (もう、ジョーイったら2)

原題:JOEY PIAZA LOSES CONTROL by Jack Gantos, 2000
ジャック・ギャントス/著 前沢明枝/訳
徳間書店
2009.09

版元語録:じっと落ち着いていられないジョーイ。せっかく薬が効いていたのに…? 問題を抱えた子どもの気持ちに寄り添った話題作第2弾。

レン:おもしろく読みました。どうしようもない強烈なお父さんで、こんなお父さんいたらどうしよう、うちのお父さんのほうがまだましだ、と子どもは思うんじゃないかな。この子がこのお父さんと最後どうなっちゃうんだろうというのが知りたくて、読んでしまいました。物語の力でしょうか。翻訳も軽やかで、文字がつまっているのにすらすら読めました。ただ、最初の本を読まずにこれだけ読んだら、ちょっとわかりにくいんじゃないかと思うところがありました。例えば、この子が貼ってる薬のところ。薬がないとどうなっちゃうんだろう、とこの子はすごく心配するんだけれど、この本から読んだ人にはわかるかなあ。また、大人が読めば、あとがきもあるし、この子は発達障がいだろうかとなんとなく勘づきそうですが、子どもが読んだらどんな印象になるのかは想像がつきませんでした。親子のあり方として、こういう生き方もあるのかと思うのかな。

クモッチ:「ジョーイ」の話は、今回1巻目から読ませてもらいました。1巻は自分に対して不安を持っていて、薬などにより自信を取り戻していく話。それに対して、2巻はジョーイがいちばん真っ当なくらい。ここまで周りの大人がはちゃめちゃな作品って、あまりないのでは。2巻では、お父さんやお母さんに愛してほしいと思うジョーイの気持ちが切ないですね。普通の子よりもいろいろ考える子になっている印象ですが、本当のところ、薬によって、こんな風になるのかな、と不思議に感じました。ADHDに対して正しく理解できているか、不安なところもありました。最近、よく話題に上ることだけに、正しい理解につながっていくといいんだろうな、と思いました。ストーリーについては、スピーディーだし、おばあちゃんも強烈だし、はらはらして一気に読ませるところがあります。深刻なんだけど、笑えるところもあるし。ただ、おばあちゃんの肺の調子が悪くて酸素を引いてゴルフに出かけて大変なことになるくだりは、病気について笑うような感じになるので、後味が悪いですね。病気がらみの笑いは、デリケートに扱いたいと思いました。

アカザ:物語はとてもおもしろくて、お父さんに薬を捨てられちゃった主人公がどうなっていくのか、はらはらしながら読みました。おばあちゃんもお父さんも強烈なキャラクターで、最後まで一気に読め、訳もうまく、主人公がいじらしくて……けれど、とにかく読んでいてつらい! 1巻目を読んだときには、薬ですべてが解決する……みたいに読めるのではと、その点が心配になりました。日本では、程度の問題はありますが、ADHDの子どもに薬を投与することの是非について、いろいろな考え方があると聞いたことがありますし。また、この2巻目では、おばあちゃんとお父さんが強烈なキャラクターであるために、もしかしてADHDというのは遺伝的な障害ではないかと読者が受け取るのではと、その点も心配になりました。障がいや病気を扱った本って、とても難しいと思います。巻末に、専門家の見解を載せておいても良かったのかも。

ひいらぎ:1巻目を読んだときは、ジョーイが女の子の鼻を切った事件が解決されていなくて落ち着かない気持ちになったんですけど、2巻目も落ち着かない気持ちになってしまいました。それは、ジョーイが他の子とはちょっと違うわけなんだけど、薬も飲んでいるせいか微妙な違いなので、たとえば誤訳の文章を読んだときみたいに、すっきりと寄り添えない。もっと飛び抜けて違っていれば、たとえば『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン/著 早川書房)みたいに別の視点から世界をながめることができるんでしょうけど。それに、まわりの人物もみんな世間の普通からはズレているので、自分をどこに置いて物語を読めばいいのかわからない。著者が「変わった子のことも理解をしてほしい」という視点なのか、それとも、読者に敢えてズレ感をつきつけようとしているのかも、わからない。だから、読んでいて落ち着かないのかな、と思いました。私は主人公に自分を重ねて読むのが難しかった。
ユーモアについても、おばあちゃんがタバコ吸いながら、酸素ボンベを吸ってて具合が悪そうというのは、笑えないですよね。お父さんのズレっぷりも、怖くて笑えない。ユーモアって、どこか安定したところがないと、無理なのかもしれないですね。この本には、安定した部分がない。お母さんがこの子を愛しているのはちゃんと伝わってくるけれど、ちょっとおかしいですよね。お父さんは明らかにおかしい。同じであることが長所でないアメリカでは、これくらいへんてこな人もいるのかもしれないけどね。いろいろ考えて読んでいて最後まで苦しくて、おもしろくは読めませんでした。

プルメリア:ADHDの子を担任したことがあります。以前は保護者の方は隠しがちでしたが、今は、「薬を飲んでいます。」と話してくれます。また、「物を片付けられない、興奮して騒ぎまくる、うちの子はADHD」という方もいます。専門のお医者も判断できないのが現状かなとも聞いています。病院の先生は「かもしれない」としか言わないようです。この本の主人公は、私の知っている子どもたちに比べて、考えて行動ができるし、分別があるし、野球ができる技能をもっている子です。お父さんはADHDだと思う。遺伝だと考えることができるのかな? ふつうは、子どものときは目立つけど大人になって落ち着き、子どものころのような行動はしなくなります。でも、この本の主人公は違います。この少年はしっかりしているし、薬を飲んで落ちつけば、それでいい。周りの子も「そうなんだ」と受け入れています。その子をまわりが受け入れることで、その子も過ごしやすくなります。この少年はまだ軽い感じがします。おばあちゃんもおもしろくて変わっているけど、少しずつ少年を受け入れています。主人公はもうすぐ5年生になるんだけど、現実の5年生には読みにくい作品じゃないかな。こういう子は増えてきていて、保護者も隠さずにそのことを言えるようになってきています。受け入れられる社会ができてきているのかな、とも思います。以前は、子どもが変わった行動をしても「普通です」と言い切る保護者が多かったのですが、広くものを考えられる人が増えてきたのかなと思います。

ひいらぎ:病名がつくから増えるだけじゃなくて、実際にもそういう子どもは増えているらしいですね。

プルメリア:接し方で子どもは変わります。ちゃんと接していれば子どもはたいてい大丈夫。

すあま:ADHDのことをまだあまり知らなかったころに1巻を読み、こういう本が出たんだ、と興味深く読みました。この2巻目は、いろんな社会問題を詰め込んだ印象があります。リアルに描いているとは思うけど、ジョーイの不安な気持ちがどんどん大きくなっていくので、読んでいる私もだんだんつらくなってきて、楽しく読めませんでした。最後もお父さんとは会わずにお母さんと帰ってしまうし、決着がついていない。子どもの本は、やはり読後感がいいということが大切ではないでしょうか。

キノコ:今回初めて読みました。前半はすこし退屈でしたが、お父さんに薬を捨てられてしまうところから、おもしろくなりました。薬を飲む前の自分が追いかけてきた、という表現が印象的。薬を飲んでいる自分と、そうでない自分と、どちらが本当なのか、そんな問いも思いうかべました。日本では薬を使うことに抵抗感もあり、作品中のお父さんのように「気合で治せ!」という人もいそうですね。それから、結末にはびっくりしました。お父さんとは話し合いもせず、逃げ帰るみたいで読後感がよくなかったです。薬を飲む前のジョーイとお父さんは振る舞いなどがよく似ていて、ある意味、お父さんは治療せずに大人になった場合のジョーイの未来なのかも。お父さんは強烈なキャラクターで、恵まれた人生ではないかもしれないけど、不思議なポジティブさがありますね。読者対象は中学生くらいでしょうか。ジョーイのような子もいるんだと理解を深めるにはいいけど、実際問題を抱えている子は読めるかな?

ひいらぎ:こういう子を知るために読みなさいというのは、嫌らしいですよね。だったら、どんな子が読むんでしょう?

クモッチ:1巻では、あとがきに、身近な子でADHDの子がいるので、そんな子の気持ちが理解できて、読んでよかったという読者の感想が紹介されていましたね。

アカザ:1巻目には、重度の障がいの子どもも出てきて、そこがとても良く書けていて、感動的だったけど。

キノコ:ところで、この話は続きはあるのでしょうか? すわりの悪い終わり方なので、この先が気になります。特に、お父さんが心配。これから先、おばあちゃんが亡くなったらこの人はどうなってしまうのか。

すあま:お父さんはモテる人なんじゃないかな。女の人に、私がついていなくっちゃと思わせるような。(笑)

レン:すごくかっこいいのかも。(笑)

ひいらぎ:変だけどとびきりすてきなところがあるという魅力を書いておいてくれるとよかったですね。おばあちゃんも。

アカザ:お父さんもおばあちゃんも変な方が、リアルな感じはするかもね。

うさこ:本のカバーに「この本はこういう病気の子を知るのに手掛かりになる本として賞賛をうけている」と書いてあったので、そういう目線で読み進めたけど、お母さんとの約束を守ろう、お父さんの期待に応えようと、がんばっているジョーイがとても健気で切なくなっちゃった。1巻目は途中までしか読んでいないんですが、貼り薬などのおかげで、ジョーイは自分自身をずいぶん客観的に見られるようになってきたのかなと思ったな。お父さんは多少大袈裟に書いているんだろうけど、アメリカだったらこんな人いっぱいいるのかなと、変なリアル感もあった。けれど、お父さん、お母さん、おばあちゃんと出てくる大人がみんな激しくって、読んでいてへとへとになってしまう。気になったのは、248pのショッピングセンターについたとき、状況的にはパニック状態だと思うけど、泉のお金をとるところはきちんと筋道だてて冷静に考えて行動している、こういう病気の子の行動としてはこうなんだろうか、と納得していいものかどうかわからなかったですね。258ページの7行目、「父さんとぼくはぜんぜん違う」とジョーイ自身が断言していて、ここが読者に向けての救いかなと感じた。でも、この本、どういう読者が手にとるのかな? 先生が教室で、毎日数ページずつ読み聞かせとか?

アカザ:主人公のモノローグで書き進めていくと、どうしても論理的になっちゃうでしょ? かといって、はちゃめちゃな書き方をしたら、読者がついていけなくなる。そこがすごく難しいわよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年12月の記録)


きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…

市川宣子『きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…』
『きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…』
市川宣子/著 はたこうしろう/挿絵 
ひさかたチャイルド
2010.04

版元語録:あっくんのお父さんは夜遅くなってもなかなか帰ってこない日があります。そんな日はお父さん、何しているの? 大なまずに子守歌を歌ってあげようとしてたんだ 迷子の雷の子を空まで送り届けてたんだ お父さんの語るお話4篇からなるオムニバスのおはなし集。 *野間児童文芸賞受賞

ハマグリ:お父さんが苦し紛れにいろいろ言うところがおもしろくて、ユーモアを感じました。はたさんのイラストは、この絵があるから楽しく読めるといってもいいくらい。自分で読めるようになった子にとっては、書名もおもしろそうだし、手に取りやすい装丁だし、とても読みやすくて楽しい本だと思います。野間児童文芸賞を取るほどの作品ではないのでは、という意見も聞きましたが、このくらいの年齢の対象のものが受賞するのはいいことだと思います。

ひいらぎ:市川さんは、『ケイゾウさんは四月がきらいです』(福音館書店)もおもしろかったですよね。この年齢の子を対象に書けるすぐれた作家だと思います。同じような物語に瀬田貞二さんの『お父さんのラッパばなし』(福音館書店)がありますが、あっちはちょっと古い。これは、現代の子どもが読んでもすっと入り込めますね。まず、お父さんが言い訳のためにほら話をするという設定がいい。四季折々の話になっているところもいい。このお父さんはふだんは夜子どもにお話を聞かせてやったりしているわけですよね。最後に「あっくん、おやすみ」と言っていることから、子ども思いのお父さん像が伝わってきます。お父さんのキャラも、「こんなことができるか」と言われるとムキになるという設定で、そこもおもしろい。春夏秋冬の4話になっていますね。お話をしている夜はおとうさんは家にいる。たまたまこういうことができない日があって、その日に言い訳をしている。最後の作品は安房直子みたいですね。(そうそうとみんな)

プルメリア:子どもたちは、男の子も女の子もおもしろいと言って読んでいました。発想がユニークだし、挿絵がとてもいいです。特に1話が終わったあとの挿絵がとってもいい。作品を読んだ子どもたちの感想は、「雷の子をのせたボートが空に上がっていくシーンがいい」、「お父さんが星をバットで打つ場面や「メタボ」といわれて頑張るところがおもしろい」、「モップで星を落とす場面の絵を見たかった」、などでした。私が残念だと思ったところは、目次がないこと。目次があるともっとわかりやすかったと思います。この本を読むと自然にお父さんに関心が湧いてくるのではないでしょうか。子どもには受ける話です。

キノコ:読んでいて幸せになるような話でした。お父さんが読み聞かせするにもぴったり。すごくよくできていて、お父さんがちょっと子どもっぽく、はりきっていろいろするところも、いまどきのパパらしくておもしろい。子どもも楽しく読めると思います。それぞれのお話の最後に対応して、お父さんと出かけている見開きの絵があるのもすてき。表紙の絵にある、お父さんが飛ぶシーンが出てくるのかな、と思いました。(お父さんが飛ぶのを引きとめているのかも、という表紙についてのみんなの意見)

うさこ:帰りの遅いお父さんから息子への「深夜帰宅」のわけを綴った物語のプレゼント、といった作りで、その構成のアイデアがおもしろいと思ったな。どれも動物と体を動かすことと、何かの目的のために手伝うお父さん、というシチュエーション。短い1話の中にそれぞれ小さな夢と想像力豊かな展開があって、作者の力量を感じる1冊でした。気になったのは、空想の質が、ちょっと女の子っぽいかな?と思った点。野球やボートなどが男の子の遊びっぽいから、男の子にも受けるのかも。1話の長さもいい。1話が終わって、その続きを連想させる絵があるところもいい。こういうところは文章にしたらおもしろくないけど、絵で余韻を広げるという意味で、とても楽しい構成。

レン:楽しく読みました。もうみなさんから出尽くしていますが、うまいなと思った点は、今の子に身近なものをうまくとりいれているところ。2つめの雷の話で、ケータイで5656に電話をかけるとか、3つめの話でアライグマが、お父さんが打ちそこなうと「うわ、だっせー」「だめじゃん〜」と言ったり、メタボとからかったり。その頃合いが、とてもいいと思いました。すぐそこに、本当にこういう世界がありそうな感じがしてきます。会話もうまいですね。こういうリズムや口調、ぜひ勉強したいです。

クモッチ:最初の話の「穴を掘ってたんだよ」でつかみがグッとくるって感じだったですね。そういう手があったか、というような。発想の勝利。『ケイゾウさんは四月がきらいです』も、おもしろいと思って読みましたが、今回『ケイゾウさん〜』を読み返してみると、低学年向けの本だと思うのに、字が小さくてルビも少ないんですね。笑いのツボも大人向けのような。もしかして大人向けだったか、という印象です。そういう意味でいうと、この本は、読み手のことも考えていて、親子でおもしろく読める本じゃないかと思いました。

ひいらぎ:最初は、お父さんが酔っぱらったかなんかで、服をどろだらけにして帰ってくるんですよね。文章にはないけど、挿絵がそう語っています。あっくんも、怒った顔をしています。

クモッチ:絵に、お母さんが出てこないんですね。最後のほうに、やれやれ、って感じでお母さんがいそうですが、夢を壊さないんですね。はたこうしろうさんだからですかね。

アカザ:それぞれのお話の終わりに見開きの絵を載せているところといい、編集者がとても力を入れて、丁寧に作っている本だと思いました。みなさんがおっしゃるように、幼年童話が賞を受けるというのはいいですね。でも、でも……『園芸少年』(魚住直子著 講談社)が受賞するとよかったのに!

(「子どもの本で言いたい放題」2010年12月の記録)


アナザー修学旅行

有沢佳映『アナザー修学旅行』
『アナザー修学旅行』
有沢佳映/著 
講談社(青い鳥文庫もあり)
2010.06

版元語録:たとえば風邪とかで何日か学校を休んで一人でいると、家族以外の、他人と接しないと、心に同じ形の波しか立たなくなる気がする。水槽の中で金魚が自分で作る波と、海や川の波は違うみたいに。秋吉にとって、教室は海だろう。 *第50回講談社児童文学新人賞受賞

あかざ:かぎかっこの中だけではなくて、地の分もイマドキの口調で書いてあるので、正直言って、80ページくらいまで読むのが苦痛でした。それを過ぎると、あとはすらすら読めて、けっこうおもしろかった。修学旅行に行けない生徒たちが、学校に来て授業を受けるという設定は、新鮮でした。ただ、それからの展開が、あまりスリルもなく終わってしまって、リアルなんでしょうけれど、なんだか物足りない。登場人物も個性の違う人たちがいろいろ出てくるのだけれど、掘り下げ方が足りないというか……。児童養護施設で育ったふたりも、ジャックリーン・ウィルソンの「トレイシー・ビーカー」と読みくらべると、表面的な気がしました。

ハマグリ:3日間の出来事ですよね。1日目はおもしろいシチュエーションだなと思ってひきこまれて読みました。なかなか他人と積極的に交わらないといわれている今の子が、一緒にいなければならない状況に置かれて、さぐりながら交わっていくというのがおもしろかったです。会話も、こんなふうにしゃべるんだろうなと思いながら読みました。でも、2日目、3日目と読んでいっても、状況が変わらないんですよね、何も起こらない。会話部分をとても丁寧に書いているけれど、同じ場面が続くので退屈してしまうところもありました。ドキュメンタリー番組を見るような興味で読むのはいいんだけど、小説としては物足りなさを感じました。

ひいらぎ:私はすごくおもしろかったのね。というのは、今の子は自分と同質の子としかつきあわないんですよ。この作品では、ホームで暮らす子同士だけは旧知の間柄だけど、あとの子たちは、こういう状況でなければ付き合おうとしない子たちですよね。それがこういう場で出会って、だんだんに認め合っていくのがうまく書かれています。表面的には何も起こらないようだけれど、内面のドラマはいろいろある。例年の講談社新人賞受賞作品よりはずっとおもしろいと思いました。

ダンテス:まあ、今どきの子に読ませることをねらって、こういう口調で書いてるんでしょうね。そういうふうに書かないと売れないのかな。迎合しているように思えてくる。「そうゆうことは」とか「じゃねえよ」とか。これでは文章としての日本語はおしまいかなという 気になりますね。お話の設定としては、修学旅行に行けない子どもたちが集まるっていうのはおもしろいし、一応登場人物それぞれの描き分けはできている。でも、これを関係している子どもたちに読ませようとは思わないな。

三酉:作家は36歳。でも青春時代を卒業しておられないのかな。思春期の夢、という印象でした。危ないところにはさわらず、仲良しになれたらうれしいね、みたいな。ただ、最後のところで「友だちじゃないし」っていうあたりからが雰囲気が変わっていますけどね。言葉の話でいうと、この口調が中学3年のものなんだろうか。高校3年というのなら分かるけれど。そうではなくて中3だというのは、高3だとセックスとかがからむから、淡淡というか、ほわほわという物語にならないからでしょう。

メリーさん:今回の3冊は、いずれも女の子の独白で成り立っている作品です。その中で、これは絶対、賛否両論になるだろうなと思っていました。私自身はとても好きな1冊です。新人としては読ませるほうだな、と。もちろん、キャラクターは、型にはまっていて、できすぎ。どちらかというと、ライトノベルに近いようなつくりです。でも、何も起こらない3日間をここまで読ませるというのは、とても力があるのではないかなと思いました。アクションを起こす時間と、皆の会話で成り立っている時間が交互にあって、読み終わると本当にいろいろなことがあったと思わせる。野宮さんが、いい子になるために「努力している」なんて言ってしまうところ、一見おどけもの小田が「他人のことなどわからない」と言い切るあたりは、どきっとしました。ひと時の出会いを経て、また離れ離れになっていくのはさびしい気もしますが、今の子はそうやって現実との折り合いをつけているのではないかなと思いました。あえて友情を深めるわけではないけれど、着実に前に進んではいる。一点、主人公のキャラクターがもっとはっきり出ていればなと思いました。

レン:最初はすいすい読み始めたのですが、途中で退屈になって投げそうになりました。私は修学旅行のような行事が好きではなかったので、修学旅行に行けないからといって腐るというのに、共感できないというのもあったのかもしれませんが、あまりおもしろいとは思えませんでした。たとえば部活の上級生と下級生の間のいじめは、今もこんなのがあるのでしょうか? こういう書き方で出てくることが、少し古い感じがします。それに、修学旅行に携帯電話を持っていけるというのは、高校生ならいいけれど、公立の中学校ならありえないはず。ちょっと作られた感じがしました。タイトルにひかれて中学生が手にとったら、共感して読み進めるかもしれませんけど。

みっけ:最初の3,40ページは、次から次へと新しい名前が出てきて、しかも最小限の説明だけでずんずん運んでいくという感じだったので、キャラクターと名前が一致しなくてきつかったです。でも、互いに同質な者同士で固まろうとする傾向が非常に強くなっている今の学校生活で、絶対に接点を持とうとしないだろう子どもたちが、そろりそろりと触角をのばして互いを確かめ合い、それなりの理解をするという感じはよく書けていると思いました。アメリカのちょっと古い青春映画で、学校で罰の作文を書くために集まった多種多様でふだんは接点を持たない高校生たちが、互いを知るようになり、深くものを考えるようになり、結局は学校(教師)に対して異議申し立てをする、という作品がありましたが、それと思わせるうまい設定だな、と思いました。ただ、学校に異議申し立てとか、そこまでアクティブにならないところが、今の日本の学校の状況を反映しているんでしょうね。物足りなさを感じないわけではありませんが、これがリアルさを失わない精一杯なのかな、という気もしました。前にこの読書会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ著 講談社)も、やはり特殊な状況に置かれた異質な子どもがお互いを発見する物語でしたが、あれにに比べておとなしい感じがしたのも、学校の中の授業時間内だけで進む話なのでやむを得ないのでしょうね。というわけで、文体についていけなかったりして、ちょっとしんどいなというところもあったけれど、途中からはそれほどいやではありませんでした。それと、主人公の一人称でずっと書かれていて、主人公がせっせと人を観察し、あれこれ注釈を加えるから、下手をすると「自分のことは棚上げで、人のことを観察してあれこれいっている。いったいこいつは何者だ?」という感じになりかねないけれど、最後の方で、女優をやっている岸本という子が、演技するときは、主人公をイメージしてるんだと言い、それに対して主人公が、不意を突かれて「え?」と思う場面を入れることで、この子自身も「全知全能の神様」でない普通の女の子だという感じになっているのは、うまいな、と思いました。全体として、きらいな本ではなかったです。いじわるさもないし、陰々滅々とした現状をただ上手に書くだけの本でもなかったし。

三酉:施設の子とか保健室登校の子とかを登場させる以上、そういう子が抱えるであろう屈折を押さえたうえで、一味違うキャラクターとして描く、ということが必要だと思いますが。

プルメリア:私は中学時代を思い出し、ジャイアントコーンを食べながら読みました(笑い)。修学旅行は子どもたちにとってわくわくドキドキする特別行事。参加できない子どもたちの複雑な心情がうまく伝わってこなかった。登場人物はさわやかだけど、ドラマを見ているようで現実感が希薄かな。不登校の生徒が加わると、ますます作られたストーリーに思えました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)


おとぎ話はだいきらい〜トレイシー・ビーカー物語1

ジャクリーン・ウィルソン『おとぎ話はだいきらい』表紙
『おとぎ話はだいきらい〜トレイシー・ビーカー物語1』 (トレイシー・ビーカー物語〈1〉)

原題:THE STORY OF TRACY BEAKER by Jacqueline Wilson, 1991
ジャクリーン・ウィルソン/作 ニック・シャラット/絵 稲岡和美/訳 *改訳新装版
偕成社
2010

版元語録:ママとはなれ、養護施設でくらすトレイシー・ビーカーは、やんちゃでパワフルな女の子。施設や里親家庭を転々としてきたけれど、いつかはママが迎えにきてくれるという希望をもちつづけている。ある日、取材にやってきた作家のカムと意気投合し…。笑いあり、涙あり、少女の視点で書きつづった物語。

メリーさん:文句なくおもしろいと思います。すべて独白というのもあって、3冊の中では一番元気で、しゃべってしゃべって突っ走る感じが痛快でした。まさにトレイシー・ビーカー劇場。でも、それだけではないところがまたいい。友だちが離れていったといって悲しんだり、逆に突然立ち止まってひとり考えたり。元気の中にさびしいという気持ちが垣間見えるところ。それから、マクドナルドで若い作家と会う約束をする場面。自分を理解してくれる人に会いに行きたいけれど、母親からその時に電話がかかってきたらどうしようと悩むところは、とても上手だなと思いました。日本での対象は高学年くらいでしょうか? ぜひ読んでほしい1冊です。

三酉:施設の内と外、ということがお話のダイナミズムを支えていて、まことに見事。これと『アナザー修学旅行』を比べると、『アナザー〜』はコップの中の嵐、という印象ですね。これだけ突っ張っていて、実はまだおねしょしている、という、ひとつのエピソードで主人公をくっきりと描き出す。作者はほんとに力あるなと感心しました。もうひとつ『アナザー〜』との対比で言うと、トレイシーの世界には、ちゃんと大人をやっている大人が登場するのに対して、『アナザー〜』にはゆるい先生しか出てこない。この対比はつらい。

ダンテス:里親の話って、すぐ思いうかんだのはキャサリン・パターソンの『ガラスの家族』(岡本浜江訳 偕成社)です。文化的には同じかな。現実には、この子は親から捨てられた子なんですね。日本では里親制度ってあんまり広がりませんよね、巻末の解説を読むと、そんなことへのいらだちが書かれている。『ガラスの家族』もそうですけど、日本でこういうお話を翻訳で出すことになると、なんか里親制度を広げようという方向に持っていってしまうというのが興味深い。でも、翻訳の言葉も含めて、いい作品だと思います。テンポよく読めました。

メリーさん:物語を読んだ読者の中で、里親制度に興味を持った人が、解説を見て連絡をとるということもあるみたいですね。

プルメリア:私は主人公のお母さんがどういう人なのか知りたかったので、全3巻を全部読みました。子どもに親しみやすい形になっていて、子どもには手にとりやすい本だなと思いました。主人公はたくましいけれど、ある意味弱いところがあり、お客さんの来るときお化粧しちゃったり、友だちとの賭でミミズを食べたり、友だちの大切にしている時計を壊しちゃったり、そういう心情がよくわかります。イギリスではテレビ番組にもなっていて、それも人気があるそうです。

ひいらぎ:このシリーズは3巻まで読みましたが、すごくうまい作家だなって思いました。ウィルソンは労働者階級の出身なんですよ。イギリスの児童文学の中で画期的なことです。イギリスのほとんどの児童文学作家は、ある時期までみんな上流、中流出身で、中流以上の子どもたちに向けて書いてましたからね。ウィルソンが書く10歳くらいの子は、家庭の愛に恵まれず社会的の中心にもいられない子どもたちなんだけど、そういう子たちを書いたのにイギリスではみんなベストセラーになっている。その理由のひとつは、やっぱりユーモアでしょうね。シリアスな状況を書きながら、笑える部分が随所に用意されている。ちょっと間違えると嫌らしくなると思いますが、そのぎりぎり一歩手前で笑わせる。だから大人が読んでもおもしろいし、子どもが読んでもつぼにはまるっていうのか。ほんとにこの人はうまいですね。

ハマグリ:私もジャクリーン・ウィルソンの作品はすごく好きで、子どもたちにすすめたい本が多いです。この本の良さは、子どもたちが読んでいて、作者が絶対的に子どもの味方であるっていう安心感が伝わるところです。日本の児童文学では、大人が敵みたいに描かれたり、子どもをわかってくれない存在として描かれることが多いけれど、ジャクリーン・ウィルソンが描く大人は、子どもを1人の人間として扱ってくれる。子どもである自分を対等な存在としてきちんと認めてくれるということがはっきりわかる。子どもたちにはそれがうれしいと思います。日本の子どもたちにとっては、なじみの薄いシチュエーションもあるんだけど、リアルな挿絵ではなく、漫画っぽい挿絵だから逆に読みやすいかなと思います。

ひいらぎ:挿絵を書いているニック・シャラットって、ウィルソンが最初に出会ったときはダークスーツを着込んでてまじめな堅物って印象だったんですって。でも、ウィルソンが落としたペンかなんかを拾おうとしてテーブルの下にかがんだときに、黄色い靴下をはいてるのがわかって、ああ、この人ならおもしろい絵が描けそうって思ったんですって。ほんとにニック・シャラットの挿絵は、物語を重苦しくしないという大きな役割を果たしてますよね。

あかざ:私もジャクリーン・ウィルソンの作品は大好きですし、邦訳が出版されるとすぐに買いに行くという子どもの話もよく聞きます。この人は、本当に貧しい子どもたちや、不幸な環境にいる子どもたちの守護神みたいな作家ですね。現実の子どもたちと接する機会もとても多いとか。この作品も、物語の中の作家のように、何度も施設に足を運んでから書いたのではないかしら。読書会のたびに、いつもしつこく言っているのですが、日本の作家さんたち、とくに若い方たちは、自分の身の回りを書くのは上手いけれど、社会につながっていくようなところが足りないんじゃないかな。現場に何度も足を運んでいれば、大上段にかまえなくても自然に作品のなかに社会につながっていくところが出てくるんじゃないかと、またまた思いました。ウィルソンのほかの作品もそうですが、この話って考えてみると、すごく悲しい物語ですよね。それをこんなふうに軽やかに、ユーモアたっぷりに書ける才能ってすごい!

みっけ:出だしが上手だなあと、まずそれに感心しました。「私のノート」とあって、この子の望みや何かがばんばん打ち出され、気がつくと読者は完全にこの作品世界に入っているという仕組み。しかもその出だしからすでに、強気なようでいてもろかったり、突っ張ったりしているこの子の有り様がみごとに表現されている。もう一つ、この本を象徴しているのが、最後に出てくる「おとぎ話はだいきらい」っていう言葉。これはいいなあと思いました。この子は、お母さんのことや、作家のお姉さんのことなど、自分でいろいろなお話を作り上げることによって、厳しい状況を乗り切ってきている。つまりその意味では、お話を必要としている。でも、安手のおとぎ話なんかいらない!と突っ張ってみせる。これがいいんですよね。人の作ったおとぎ話に自分を合わせるんじゃなくて、自分でお話を作る姿勢、と言ってもいいかもしれない。といっても、おそらく本人は自分でお話を作っているということを明確に意識してはいないのでしょうが……。英米の児童文学を読むといつも感じることですが、主人公の能動性が読者を強烈に引きつける。ただ座って嘆いていてもしかたないじゃない、というパワフルさ。それでこそ、子どもたちへのエールになるし、その意味で、この本は児童文学のお手本みたい。がんばれ、お互いがんばろうよ、そしたら何かが開けてくるかもしれないよ!という作者の姿勢が感じられる。それと、この子の表に出ている部分と、人には絶対言わずにノートに書く部分と、ノートにも書かない部分と、そのすべてが表現されている点も、すごいなあと思いました。もうひとつ、施設の子も含めた子どもたちみんなと自分とが同じ地平にいる、という作者の視線が伝わってきて、ほんとうに感心しました。

レン:テーマの扱い方がうまいですね。ひとつは、子どもの引きつけ方。主人公と一緒になって読んでいけます。それから、大人がきっちり書けている部分。若い作家のカムも、子どもの前で無理していいかっこうをしなくて、「わたしはそのときは寝てるわ…」などと、はっきり自分の都合を言うんですね。そういうところが痛快。この間、清水眞砂子さんが講演で、最近の日本の作家の書く児童文学は、いい子ばかりが出てくる、大人の描けていないものが多いと指摘なさっていましたが、この本は、それとは正反対。お説教くさくなく、施設を舞台にしながらとんでもないことをやらかす主人公が登場して、一見軽そうだけれど、人物が多面的に描かれていると思いました。日本の作品で比べられる作品ってあるでしょうか? 日本の児童文学に登場する大人がおもしろくないのは、平板な社会の反映なのかしら。少し前なら佐野洋子さんとか、型にはまらない大人をうまく書いていますよね。真面目に、直球ばかりではなく、ふっとはずす感じで。

ひいらぎ:子どもの時に子どもらしく遊んだ経験があれば、そこを卒業して大人の目をもてると思うんだけど、今は子どもがなかなかそういう経験ができないみたい。幼稚園なんかでも、子どもをのびのびと遊ばせていると、親から「学校に入ったときのことが心配だから、勉強を教えてくれ」とか「整列の仕方を教えておいてくれ」とか、言われるそうですよ。

ハマグリ:新版になって、翻訳も手直ししたようです。主人公の口調がずいぶん変わっているんですよ。前より女の子っぽくなくなってますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)


小さな可能性

マルヨライン ホフ『小さな可能性』
『小さな可能性』
原題:EEN KLEINE KANS by Marjolijn Hof
マルヨライン・ホフ/著 野坂悦子/訳
小学館
2010

版元語録:キークのパパは、お医者さん。たくさんの人を助けるために戦争をしているところへ向かった。心配で心配でしかたないキークは、パパが、無事に帰ってくる可能性を、できるだけ大きくしたい。そんなキークの不安な気持ちが一人歩きし始めた。可能性って大きくしたり、小さくしたりできるの? オランダ発児童文学の 名作。

ハマグリ:主人公の気持ちをすごくていねいに書いていると思います。小さい子がいかにも考えそうなことをね。理不尽だけれど、せっぱつまって子どもらしい論理をつくってしまう。子どもの不安を文章にするのはむずかしいと思うんですけど、うまく表現してあり、共感をおぼえました。お母さんと犬の存在も子どもの目からうまく書けているし、好感をもって読みました。

ひいらぎ:私はちょっと違和感がありました。この子が、弱ったネズミをもらってきて世話するでもなく死なせたり、歩道橋から飼っていた犬をつきおとそうとするのは、どうなんだろうと思って。弱った生き物を救えれば、お父さんも生きて帰れるんじゃないかって、普通の子どもだと思うんじゃないかな。動物の命を人間の命より下に見る西洋的価値観があらわれているのかもしれませんね。それから、この本は日本で読むと、マイホーム主義を主張しているように読めますね。この子のお父さんは、「国境なき医師団」のような団体に所属して戦闘地域で医療活動をしてるんでしょうけど、そういう人がまわりにいない子ども読むと、自己満足のために家族を心配させる身勝手なお父さんとしか思えない。地雷も出てきますが、お父さんが被害者になっただけじゃなくて、現地の人はいつも被害にあっているっていう視点も、この作家にはありませんね。この本を読んだ子は、危ない所には行くなっていうメッセージだけを受け取ってしまうのでは? 最後に、車椅子になったお父さんが娘に、次からは一緒に行こうって言うんですけど、そこもリアリティがなくて、頭の中で考えた作り話なのかと思いました。

プルメリア:題名がいいなって思いました。夏に読みましたが、もう1回読んでみて、主人公の心情がよくわかりました。お父さんが死ぬ可能性を小さくするためにネズミや犬を殺そうとするなど、主人公が抱いている不安がよく書かれていると思いました。かかわっている登場人物、歩道橋で出てくる男の人や友だちもあたたかい。最後のお父さんのせりふも、前向きな気持ち。女の子の心情とともに戦争がテーマにはいっている。重い内容が描かれているけれど、読んだ後がさわやか、心があたたまりました。

ダンテス:ちょっとドライすぎるかなって印象を持って読みました。全体的に冷たいって印象があるのは、ひいらぎさんが言ってたようなことのせいかな。

三酉:「これを書く」みたいなことが、はっきり見えすぎている印象。お父さんは、オランダにいれば安全なのに、安全でないところに出ていく。そこである意味、話が成り立ってしまう。ここにも内部と外部の緊張というのが、お話の骨格として出てくる。それにしても、この奥さん、あんまり幸せじゃないんでしょう。子どもをまったく支えることができていない。

メリーさん:地元の国の文学賞を受賞したというので、興味をもって手にとりました。主人公の「可能性を小さくする」という考えがとてもおもしろいなと思いました。どうしようもない困難にぶつかったとき、子どもも、彼らなりに何か自分にできることはないかと考えると思います。考えたすえに思いついたのがこのアイデア。家族の助けになりたいために、また自分の不安の解消するために。本当は進むべき方向が間違っているのだけれど、なるほどなと思ってしまいました。こういう子どもたちのしぐさ、動物のお墓を作るようなことやったなあと、自分自身の子どもの頃を思い出しました。

レン:とらえどころがない印象を受けました。お父さんが「国境なき医師団」で外国に行っているのがポイントだと思うのですが、別の理由でお父さんが海外に出ていても、大差ないかな。どんな子だったらこの本をすすめたくなるのか、対象となる読者が想像つきませんでした。

みっけ:読み始めてしばらくして、あ、これって「禁じられた遊び」だな、と思いました。なにかのトラウマやストレスが原因で、ある種儀式のように死と生をいじって、自分の心のバランスを取ろうとする。そのために、命を命として見る視点が消えていく。作家が、大きな不安にさらされた無力な子どもを書きたいと思うのは、とてもよくわかる。題材としてとても魅力的だから。でも、そうやって書いた本が子どもに向けたエールになっているかというと、この本に関しては疑問だと思いました。なんだかトーンが弱い。主人公がこの年齢の子だから成り立つ話だという気がするんですが、児童文学の読者である子どもたちが、この年齢の子のこういう行動を読んで、どう感じるんだろう、どうなるんだろう、という疑問があって。禁じられた遊びと同じで、大人向けならわかるんですけれど。それにしても、なんか淡くて線が細い感じで、リアルさが感じられなかったです。

あかざ:書き方を変えれば、ホラーにもなりうる話ですよね。子どもはこんな風な考え方をするかもしれないけれど、そこに共感するかどうかが、この本を好きになるかどうかの分かれ目ですね。ただ、考えるかもしれないけれど、実行にうつすかな?「考えと行動は別々のもの」と、お母さんが言うでしょう? 考えるだけならいいけれど、実行してはいけないということかな? 人間の命がなにより大事で、ほかの動物の命はそれ以下という考え方がキリスト教的な社会にはあると聞くけれど、輪廻転生といった日本人の感性とは相いれないところがあるのでは? この本が賞を受けたのは、国境なき医師団にお父さんが入っているからかもしれませんね。

ひいらぎ:「国境なき医師団」ではなくて、「赤十字」や「赤新月社」かもしれませんよ。それにしても、そういう団体が何をやろうとしているのかは、きちんと伝わってはきませんね。

あかざ:国境なき医師団の医師だけでなく、家族も大変だけれど頑張っているとか……。銃後の妻のような。

ひいらぎ:この家族は、お父さんを理解して支えているというより、困っている面が強調されています。だから、そんな危ないことをしてないで家庭を大事にしろ、というメッセージばかりが強くなってしまう。

みっけ:どれくらいの年齢の子が読んでるんですかね。

あかざ:YAでしょうね。でも、口からもおしりからもパフッと息をする犬の話は好き!

みっけ:ちょっと悲しめの話が好きな、若い女の人向けの本なのかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)


まよわずいらっしゃい〜七つの怪談

斉藤洋『まよわずいらっしゃい』
『まよわずいらっしゃい〜七つの怪談』
斉藤洋/著 奥江幸子/絵
偕成社
2010.07

版元語録:〈怪談クラブ〉へようこそ。ゾクッとする話、クスッとわらえる話、キュッとせつない話…7種のこわさがあじわえます。日常のすきまにあらわれる、もう一つの世界へごあんないーー

ハマグリ:これは怪談シリーズ3冊目で、前の2冊と同じく、主人公が西戸先生の研究室に招かれ、順番に披露される怪談を聞くという形になっています。ただの短編集じゃなくて、こういう枠にしたのは読みやすいんじゃないかと思いました。たかしくんっていうのが進行役になっているのも、子どもにとっては読みやすいと思います。怪談自体はそんなに怖いわけではなく、まあまあの話が多いです。各巻で怪談のテーマが変わり、今回は乗り物で統一されているのがおもしろいですね。一つ怪談を聞いたあとで、いろいろ疑問点があると思うんですが、聞き終わった大学生たちが、みんなでああだこうだ言う場面があるので、読者もそこで納得がいったりいかなかったりする。そういうシチュエーションをつくっているのも、子どもにとって読みやすい工夫だと思います。文章が読みやすく、すらすらと読めました。

メリーさん:すらすら読めました。この著者は本当にページをめくらせるのがうまい。ただ、話の内容に関しては、とりたてて目新しいものはなく、どこかで聞いたようなものが多い気がしました。斉藤洋さんに書いてもらうなら、もうちょっと別の切り口の話が読みたいなと思いました。それでも、子どもたちは怖い話が大好きなので、この本は手にとられるのではないでしょうか。

レン:さらさらと読めました。ハマグリさんと同じように、構成が上手だなと思いました。小学生は怖い話がとても好きですよね。「怪談レストラン」シリーズ(松谷みよ子/責任編集 たかいよしかず/絵 童心社)や「学校の怪談」(常光徹/著 楢喜八/絵 講談社)など、怪談は読書の入口として間口が広い。ただ、それよりももうちょっと書き方が練られているというところで、この本は図書館の先生が手渡しやすいものだと思いました。うちの市の図書館でも、よく借りられていて、人気があるようでした。やはり斉藤さんは文章がうまいですね。すぐに読者がこの世界に入っていける。短い言葉でさっと、それぞれの場面がたちあがってくるのがすごいと思いました。

ゆーご:このくらいの怖さなら、怖がりだった子どもの頃の自分でも読めたかな。怪談クラブのような秘密結社的なものも子どもの頃って好きですよね。単に肝試しという形をとるのではないところがおもしろいと思いました。最後にクラブ自体が最大の怖い話、というふうに終わるのもうまい。ただ、“ポマード”のような、子どもの知らない単語は入れなくてもよかった気がします。大学生の描写もけっこうあるけどイメージできるのかな。語る人によって話のテイストが工夫されているのが面白いけれど、彼女との遊園地の話がほとんどホラーでなくなっちゃったのは、少し残念。ひとつの話に対するやりとりをもう少し広げて書いてみてほしい。シリーズの他の作品も気になります。

ひいらぎ:この作品は、入れ子になっているっていうのか、構造がまずおもしろかったですね。外側に西戸先生の研究室のできごとがあって、それ自体が不思議で、先生からの手紙も回数券も、いつのまにか消えてしまったりする。そしてその枠の中にまた参加者が語る一つ一つの怪談があるんですね。やっぱり斉藤さんはうまい。怖さから言っても、私はいろいろ想像するとこの作品がいちばん怖かった。この手の作品をたくさん読んでれば新味はないかもしれないけれど、知っているものやなじみのシチュエーションが出てくるので、子どもには読みやすいんじゃないかな。“ポマード”ですけど、今の子は存在そのものを知らないでしょうから、何だろうと逆に興味を持つかもしれませんね。

レン:わざと時々、難しい言葉を使っているのかなと思いました。「肥後の守」なんて、今の子はぜったいに知らなさそうなものを出してきているから。

ひいらぎ:わざとかもしれませんね。全体が読みやすいから、あっても気にならないし、ほかの二作と比べると文章もプロの作家の文章ですよね。

サンシャイン:『さとるくんの怪物』を読んでからこちらに行ったので、読んでいてぞーっとする所もあって、古典的な話ではありますが、読ませる力がある作品だと思いました。遊園地で写真を撮ったら、1人だけ写っていたっていうのも、話としてはおもしろいです。それからトンネルの中での幽霊話は、私の子どもの時によく聞かされた話です。鎌倉と逗子の間にトンネルがあって山の上には焼き場があるので、トンネルの中に幽霊が出るという話です。久しぶりに聞く話だと、変に懐かしく思いましたが、文章はうまく表現されていると思います。主人公の男の子は年下なのに、大学生からいろいろと期待されちゃっていて、ちょっと出来すぎという感じもしましたが、語り手役・話の進行役としては子どもの方がいいのかもしれません。

ハマグリ:そんなに怖くはないけど、ちょっとぞっとする話っていうのは、子どもたちが楽しめるんじゃないかしら。

ひいらぎ:『さとるくんの怪物』は、説明しすぎていて怖くないんだけど、こっちは、そういう現象があったという記述にとどめているので、いくらでもその先を想像できる。だから逆に怖い。

シア:斎藤洋さんの大ファンなので、今回とても楽しみにしていたんですけど、この著者は、作品によって作風がガラリと変わってきますね。この作品は、私としてはあんまりピンとこなかった。話の一つ一つは興味深いんですけど、それぞれに明確なオチがないっていうのがすっきりしなくって。都市伝説的なものはこんなのが多かったと思うんですけど。エピローグがいちばんおもしろかったんですが、他は頑張って読むような感じで。今回テーマがホラーとなっていたので、かまえて読んでしまったのもいけなかったのかもしれません。というのも、ホラーというと最近どぎつくなってきてしまっているので。「ニック・シャドウの真夜中の図書館」シリーズ(ニック・シャドウ/著 野村有美子/訳 ゴマブックス)とか、「怪談レストラン」シリーズなどですね。でも、今回のようなホラー本も、味があっていいし、センセーショナルすぎる内容というのはよくないんだなというのがわかりました。「真夜中の図書館」は教訓的な部分も多いんですけど、これはさらっと事実のみを描いていますね。斉藤洋ファンとして言えば、いい意味でまわりくどい言い回しなんかもないし、章ごとの題名も短いし、いかにも斉藤洋節、炸裂じゃなかったのが残念です。

レン:中高校生の女子もホラーは読みますか?

シア:好きですね。山田悠介とか、ダレン・シャン。少し上になると、小泉八雲、「雨月物語」も。血が出たり、ビジュアル的にきついほうが人気がありますね。困りものですが。

メリーさん:『トワイライト』(ステファニー・メイヤー/作 小原亜美/訳 ヴィレッジブックス)はどうですか?

シア:好きな人は好きだけど、あんまり騒がれていないですね。外国のものはそんなに好まれないかな。名前が覚えられないと言っているのをよく聞きます。文化の違いにも違和感を感じるようです。それよりも、日本の都市伝説系の方が断然好きですね。それから、映画からだと入っていきやすいのか、『リング』(鈴木光司/著 角川書店)とか、『着信アリ』(秋元康/著 角川書店)なんかも好きですね。

メリーさん:女の子のほうがホラー好きなのかな。男の子は大きくなると読まなくなる気がします。

プルメリア:私は斉藤洋さんの作品は大好きで、最初から全部読んでいるんですけど、この作品は都市伝説っぽい感じがします。表紙に、ここに書かれている7つの話の挿絵が全部出ていますね。クラス(小学生4年生)の子どもに紹介したところ、子どもたちは、「エレベータが怖い」っていうんです。「どうして怖いの」と聞くと「幽霊が出てくるから」。みんなが知っている「口裂け女」の話は、クラスで読み聞かせをしました。ここに出てくる人物6人(教授と学生)はどこか謎めいており、また不思議なことに、大学でみんなと話をし、話が終わり、家に帰っても時間がたっていない。「怪談レストラン」より1つ上の段階の読書として紹介しています。冷やし中華が毎回出てくるんですよね(笑)。私がこの作品でいちばん怖かったのは、位牌を売りにくる話でした。このシリーズの最初に出てくる紫ばばあは「怪談レストラン」にもあります。

優李:これは、シリーズ3作目ですが、どれも、「怪談レストラン」よりはもう少し上の年齢の子どもたちによく読まれてます。斉藤洋さんは本当に上手で、どの話もレベルが変わらず怖いし、読ませますが、話の「オチ」がなくて並んでいるのが、どうしても物足りない。そのせいで、突き抜けて良いという感じにならないのではないかなあ。「ホラー」というと、この頃「血みどろ」「どぎつさ」度が高いのが人気ですが、私はそれが苦手なので、このシリーズは好きです。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)


さとるくんの怪物

たからしげる『さとるくんの怪物』
『さとるくんの怪物』
たからしげる/著 東逸子/絵
小峰書店
2010.07

版元語録:少年のところへかかってきたケータイ。あやしげなノイズが混じっている。……もしもし……このケータイ、どこにつながっているの?

シア:今日の3冊の中で一番最後に読みました。やっぱり新しい本なので人気があるせいか、図書館で手に入りにくかったですね。公衆電話を使って儀式を行うんですが、昔は普通にあった公衆電話が、すでにこっくりさんレベルのアイテムに使われてしまうところに寂しさを感じてしまいました。設定にいろいろなものを盛り込みすぎな気もします。自分の携帯番号に電話するとどこかにつながるという話もどこかで聞いたし、ちょっと「学校の怪談」の「メリーさん」っぽい展開になったり、お父さんがさとりって妖怪だったり、いろんなものがチャンポンになりすぎてないかなと。ごっちゃになりそう。さとりだけで面白い妖怪なのでもったいないですね。ホラーというテーマなので、これも先入観を持って読んでしまったせいもあるけど、話が平板だなと。主人公がさとるくんに電話をしなきゃいけないラストシーンも、盛り上がりに欠けるし、最後もありがちなところにおさまってしまった。今の時代に出版されたわりには、古いものが継ぎ合わされて出てくるみたいで、古臭さを感じました。いつまでもいつまでも教室にいたり、一つの場面が長いんですよね。肩すかしをくらったような作品でした。私自身が小学生の時くらいに読んだような本ですね。今この本を出版する意味がよくわからないです。

ゆーご:映画「学校の怪談2」に出てくるメリーさんの話がトラウマになってるんです。だから、よく似ているこの出だしはとても怖かったです。でも怖かったのは最初だけで、ホラーっていうより未知の生物と友情を深めていく……ETみたいな印象の話でした。ほっとした反面、少し拍子ぬけ。ホラーを読みたいと思って読まない方がいいかも。でも子どもなのに大人、みたいなさとる君のアンバランスさは好きです。

メリーさん:とりたててっておもしろいという本ではありませんでした。さとるくんというのが、妖怪の「サトリ」からきているというのが途中からわかって、人の心を読む能力を持つ子の物語なんだなと思いながら読んだのですが、新しい点がなかなかなくて。文中の言葉遣いも古い感じがしてしまいました。物語の前半で、主人公と、もうひとりの子が携帯を壊してしまい、妖怪におそわれるのはどちらかとドキドキしたのですが、すぐあとにその仕掛けの説明がきてしまい、拍子抜けでした。目をぱちぱちしていたら嘘などと、細かい設定におもしろくなる要素がけっこうあるとは思うのですが……。

ハマグリ:表紙はおもしろそうで期待したんですけど、最初のところが何度も何度も読んでもわからなくって。ナレーターが語る部分なんですけど、誰かが語っているみたいで混乱してしまいました。留守電の声が聞こえてくるので、だれかが電話を持っているのだと思ったけど、それが誰かわからない。「人間そっくりの顔にあてはまる目となった」って、意味もわからなかった。9ページの最後でさとるくんが歩きはじめ、「儀式をやって、自分のことを呼び出した少年のもとに向かっているのだ」って書いてあるので、さとるくんが儀式をするのかと読めてしまいました。あとからわかるけれど、この冒頭部分は本当に情景がすっと頭に思い描けず、混乱しました。全体的に納得できないところが多々ありましたが、一番説得力がないと思ったのは、航大と七海が、さとるくんが異界の人間だとわかったらすごくびっくりするはずなのに、全然怖がらなくて、その理由が「けど、こわいって気はしないよ、友達だから」っていうところです。今まで友達だった子が急に異界に入ったのなら「友達だから」というのもわかるけど、これでは友達って言葉を安易に使いすぎていると思います。そんなところが嘘っぽくて、中に入れませんでした。言葉づかいが古いという意見ですが、私もそう思います。「びっくり仰天ね」とか、「アホな冗談おとといとばしてきやがれ」とか、「おいしすぎてほっぺたが落ちても知らないよ」なんて、子どもが言うでしょうか。あまりにも新鮮味のない表現です。30ページ、「憎々しさをめいっぱい袋づめにしたような声でどなった」という表現も、どういうことかよくわかりませんでした。とにかく、つっかえてしまうところが多かったです。挿絵はこの本にあっていてよかったです。

ひいらぎ:物語世界の中のリアリティが、ぐずぐずですね。36〜37ページでさとると航大が初めて言葉をかわす場面ですけど、年上の少年が年下の少年にこんな話し方するんでしょうか? それに、さとるはあたりに散らばっている記憶粒子を集めてこれだけうまく人間に変身しているんだけど、それだったら航大がケータイを壊してしまった本人だということくらい、すぐにわかるはずなんじゃないかな。またお父さんのさとりが人間の魂を吸い取りたくなって息子を送ってきたんだけど、途中で姿を現すくらいなら自分で犠牲者をあの世に連れていけばいいのに。あとは、50ページのお母さんの台詞とか、79ページの「お互いに〜」からの台詞など、一息では言えないくらい長い台詞で状況を説明しているのも気になりました。

プルメリア:この作者の作品はほとんど読んでいます。この作品は2回、3回と読んだら、すごく間延びした印象になりました。携帯電話は、メリーさんの電話の雰囲気で迫ってきて怖かったのですが、お父さんの場面は怖いというよりも不思議な出現。携帯電話を図書館のトイレに流しちゃうことも、ありえないですね。さとるくんの出現もすごくあいまい。とってつけたようなものがたくさん入っている感じです。航太くんの嘘がばれて迫ってくる場面はドキドキしますが、実はさとるくんはみな知っていたのも、おもしろさに欠けるかな。読んだ子どもに聞いたところ、さとるくんのことを「幽霊」だっていうんですね、「なぜなの?」と聞き返すと、「遠いところからくるから」。とってつけたように出てくる「猫のすずってなあに?」と聞くと、「いったん死んだのが戻ってきたのかな」って。携帯電話を持っている子どもたちは、携帯電話で遊ぶと怖いと思うかも。表紙のさとるくんと航太くん、似てませんか?

サンシャイン:厳しく言うと、一つ一つの場面場面がご都合主義で書かれているという気がします。結局自分が電話をかけた本人なのに、そしてそれがばれたら向こうの世界に連れていかれるというのは相当な恐怖だと思うんですが、例えば教室にお父さんが出てきてもあまり動揺していないこととか。最後の方で、電話したのはぼくなんだと告白するところが作品のクライマックスなのかと思ったら、それも違ったようで、最後は猫に化けて終わっちゃいました。こういうのを子どもたちは喜んで読むんでしょうか?

メリーさん:この本って、もともと毎日小学生新聞の連載と書いてありますよね。1冊にまとめるときに、物語をつなぐために、けっこう加筆して説明的になったのかも知れないですね。

三酉:携帯の留守電で始まって、おもしろいところでスタートしたんだけれど、あとの展開がどうも。恐縮ながらまったく評価できませんでした。もう少し気を入れて考え、書いてほしい。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)


八月の暑さのなかで〜ホラー短編集

金原瑞人編訳『八月の暑さのなかで』
『八月の暑さのなかで〜ホラー短編集』
エドガー・アラン・ポーほか/著 金原瑞人/編訳 佐竹美保/挿画
岩波書店
2010.07

版元語録:英米のホラー小説に精通した訳者自らが編んだアンソロジー。エドガー・アラン・ポー、サキ、ロード・ダンセイニ、フレドリック・ブラウン、そしてロアルド・ダールなど、短編の名手たちによる怖くてクールな13編。

メリーさん:新刊として出たときに読みました。どの短編もけっこうおもしろかったです。ただどちらかというと、玄人好みというか、大人向けかなと。これは、今の大人としての自分の感覚なのですが、「後ろから声が」と「十三階」「お願い」「ハリー」なんかがとくに印象に残っています。ホラーでロアルド・ダール(「お願い」)が入っているなんてびっくりしましたけれど、路上の白線を踏んで家まで帰るっていう絵本がありましたよね。(「ぼくのかえりみち」ひがしちから/作・絵 BL出版)それよりずっと前に同じことをダールが書いてたんだなと思いました。「ハリー」などもそうですが、日常の延長線上に怖さがあって、どれも語り口がうまい。どこにでもあるような設定ですが、読者をひきこむ力がありますよね。

レン:私はあまりぴんときませんでした。ホラーというテーマになれていないからかもしれませんけど、子どもの本というよりは大人の話だなと思いました。怪奇小説や、複雑な語りといった、大人の本への入口にはなるかな。私自身は、久しぶりにこういう世界に入ったので、迷子になった感じでした。ときどき引っかかる表現がありました。160ページ「顔は細かい部分まで彫りが深く」はどういう意味?

ひいらぎ:金原さん名前の訳は金原印のブランドになっている観がありますが、これはご自分で訳してるのかしら?

優李:私はこの本が一番好きでした。高校生の頃サキが好きだったのを思い出しました。だけど「こまっちゃった」はこんなにしていいのかな? もとのものをずっと昔読んだと思うけど、全く違う雰囲気で、翻案といってもここまでやるか、という感じ。最初にこれを持ってきたことで、子どもたちに、とっつきやすい、と思ってもらおうとしたのかもしれないけど……。この本は「岩波少年文庫」じゃなくて、大人向けの本にすればよかったのでは? と思いました。そうすれば、「こまっちゃった」の、あの無理な若者語モドキみたいな言い回しを使わなくてもよかったのに。それにしても「八月の暑さの中で」は、かなりドキドキしてこわかった。ダールは好きなんですが、「お願い」は、子どもたちが好きな「ピータイルねこ」(『ふしぎの時間割』岡田淳/作・絵 偕成社所収)に設定が似ているところがあって、これは本好きの高学年にすすめてみようかな、と思いました。でもやっぱり小学校では少し無理があるかなあ。

ゆーご:児童書としての善し悪しはさておき、今の私が読んでおもしろかったです。各短編の最初に作家情報が載っているので、「こういう作家だからこういう作品なのか」みたいな読み方ができました。また作家情報を見比べるとかなりバラエティーがあり、編集者の意図が感じられます。得体の知れない怖さが残る作品が多い所も私好み。短編はずっと怖いのでなく、最後が大事で、「ポドロ島」の不気味さとか、「こまっちゃった」とか、「八月の暑さの中で」のように、語られていないこの先はどうなっちゃうんだろう……って想像するのがおもしろい。映画のように突然わっと驚かされるのではなく、よりじんわりとしみこんでくるのが小説の怖さ。それが存分に出ている作品ばかりでした。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。金原さんの訳で短編集だというので期待して読んだんです。たしかに大人が読むとおもしろいんだろうけど、子どもが読んだらどうなんでしょう? いかんせんすべてにおいて古いんですよね。これを読んだ子は、八月は暑いまま終わってしまうんじゃないかと。全然ホラーという感じがしない。「ホラー短編集」っていう副題よりは、「恐怖幻想短編集」になったかもしれないってあとがきにありましたけど、そうしたらよかったのに。作家の解説があるので、子どもにとっての文学の導入としてはとてもいいと思いますが。それに、金原さんの訳にしては、気持ちが悪いんですよ。一編ごとに訳の雰囲気が全然違っていて、ぎこちなさを感じました。とくに、「こまっちゃった」の、「ア・ブ・ナ・イ」なんて表現、やめてほしい。子どもたちも嫌だと思うんじゃないかな。

ひいらぎ:今の子はこう言うだろうと思ったおじさんが書いてるって感じですか?

シア:それにしても感覚が違いすぎていますよ。訳も(短編の)選択も、なんかちょっとなあって。子どもがこの本を読んでも、「ふーん」ってなるでしょうね。ロアルド・ダールなら、もっと怖いのがあると思います。あとがきにもあったブラッドベリを入れたらよかったのに。これを喜んで読むような子は、優等生的な子だと思いますね。「八月の暑さの中で」と、「だれかが呼んだ」はおもしろかったけど。でも、オチがついているっていう意味では3冊の中で一番よかったです。今は時代が不安定だからホラーは人気があるけれど、読者が受け入れられる怖さというのを、出版する側が模索している部分があるんじゃないかと感じます。教室で安心して薦められるホラーっていうのが、あまりないですね。むしろ、クリスティーなんかの方が薦めやすいかも。ホラーっていうものの定義について考えさせられる作品でした。

プルメリア:私がこの作品の中でおもしろかったのは「八月の暑さの中で」「開け放たれた窓」「十三階」。先ほどもお話に出ていたように、扉に佐竹さんの絵があり、題名があり、作家の紹介がある本のつくりが目を引き、気に入りました。学級の子どもたちに「どの話が心に残ったか」と聞くと、「最初の『こまっちゃった』がおもしろかった」という声が多く「どこがおもしろかったの」と聞き返すと「目玉がとびだしたり、首をもってかえるところがおもしろかった」。子どもたちが日常生活で読んでいるマンガやゲームの世界の影響か、怖いというよりおもしろいととらえる子どもたちの心情を考えさせられました。

ひいらぎ:私はどの短篇も怖くなかった。ホラーというより幻想短編集。そういう味わいはあると思いましたが、読むのは大人なんじゃないかな。編集者の目で見ると、訳で気になるところがいくつかありました。24ページで「その表情から伝わってくるのは恐怖で、いまにも気を失って倒れそう」なのに、「呆然としている」のはよくわからない。26ページの「イングリッシュ・イタリアン・マーブルズで働く」もわからない。原文を見てないから何とも言えないですが、ひょっとするとイギリス産とイタリア産の大理石を使ってますってことなのかな、といろいろ考えてしまいました。「開け放たれた窓」の窓は「床まである大きな窓」とあってフランス窓でしょうが、日本語ではこういうのは窓じゃなくてガラス戸というのでは? 41ページには「赤の他人や、たまたま出会った人は、相手の病気や体の不調や、その原因や治療法の話をすれば喜んで耳をかたむけると思っていた」とありますが、ここでは相手ではなく自分の体の不調のことしか話していないので、変です。「ブライトンへいく途中で」では、49ページの「それも、はずれ」もしっくりこないし、52ページの「大釘でなぐった」も、普通は釘でなぐったりしないので、別の訳語がなかったのかな、と。

三酉:この「大釘」というのは、かつて鉄道を枕木に打ち付けていた「犬釘」のことじゃないかな。あれなら頭が大きいから凶器になりうる。

ひいらぎ:120ページの「そうしたら、ふり返ることができる」も、その後でトレーラーカーのドアの所まで行くのだから、「ふり返る」のは位置的におかしい気がします。そんなふうに、どうも私にはしっくりこないところがあちこちにあって、読み心地が悪かったですね。

三酉:翻訳のこととか、ご指摘を受けると「そういえばそうか!」と思いますが、読んでいる最中は、ちょっと気になりながらもおもしろく読みました。みなさんからあがった以外では「もどってきたソフィ・メイソン」。そうそう、最初の「こまっちゃった」のは、落語で同じ話があるんですよ。居合抜きで首を切られた男が、自分の首をとって提灯がわりにして「はい、ごめんなさい」って。

ひいらぎ:落語だけじゃなくて、イギリスにも落ちた頭を抱えて出てくる幽霊や妖怪がいますよ。

三酉:全体として、このセレクトは大人向けでしょう。少年文庫に入ってしまってはもったいない。大人が読むチャンスが減ってしまう。

ハマグリ:少年文庫は小学校中学年向きから中学生以上向きまであり、昔からの少年文庫らしい作品だけでなく、新しい企画を入れて進化発展しているので、こういうものが入ってきてもいいと思います。

三酉:今の子どもは、古い作品だとだめですか?

シア:タイトルと、ホラーっていうのと、佐竹さんの表紙絵で手に取るでしょうけど。「こまっちゃった」はまあ読んでも、「八月の暑さの中で」で挫折しますね。

ハマグリ:私は企画としておもしろいと思うんですね。YA読者に人気のある金原さんが、自分の好きな話の中から一体どれを選んだのか、って読者にとってとても興味があるし、金原さんも読者の期待をよくわかった上で、「こんなのどうよ」っていうのもとりまぜて、読者に投げかけてるように思うんですね。この中でどれが好きかを挙げると、人それぞれ好みが違うと思います。そういうこともわかっていて、いろんなタイプの話を選んだのかなと思うので、そういう意味でおもしろいなと。私自身は、「八月の暑さの中で」みたいに、どうなったかわからない、最後にすとんと落としてくれないで、読者の想像に任せるようなのは、好みではありません。「開けはなたれた窓」は、中学の授業で英語で読んで、すごくおもしろかったのをよく覚えています。その後愛読したサキの短編集でも「開いた窓」はとても好きな一編でした。でも今回読んだらそんなにおもしろくなかった。少女の語り口調が、今の子に合うようにくだいて書かれているんですが、それが逆に作用して軽く感じられたのかもしれません。

シア:私も教科書的なものを感じていて、「八月の暑さの中で」は、そのまま教科書に載りそうですよね。「さあ、この後はどうなったでしょう? 続きを書いてみましょう」みたいな。

サン シャイン:サキの「開いた窓」は高校の時に読みました。最後の一文は今でも覚えています。「即座に話を作り出すのは、彼女の得意とするところであった」というんです。どうしても古い訳のほうがよかったと思ってしまいます。金原さんのお名前で広く読んでもらいたいと思ったのでしょうか?「こまっちゃった」の文体も、気軽に読んでもらおうと思ってこういう調子のものを最初に持ってきたのでしょうか? こんな作家がいるんだよという紹介の意図もあるんでしょうね。それはいいことだと思います。ただもう少しこなれた訳になっていると、読者層が広がるかなと正直思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)