ajian:『レッツとネコさん』しか読んでないんですけど、なんだろな、アイデアと理屈が先にあるような感じがしましたね。絵はすごくおかしいなと思って読んでましたけど。どうもお話にはなじめませんでした。

紙魚:『レッツとネコさん』は5歳のレッツが3歳の自分を、『レッツのふみだい』は5歳のレッツが4歳の自分をふりかえるというお話。おそらく、5歳の子どもが自分の3〜4歳を検証するというのは、現実にはあり得ないと思いますが、そこを、「もしもそうだったら?」という設定にして、新しい世界を展開しています。まあ、こんなに弁が立つ5歳児はいないでしょうし、ちょっと厳密すぎるくらい理屈っぽいので、実際の子どもたちがどんなふうに読むかには興味があります。作者からは、新しい幼年童話をつくろうとした心意気が伝わってきます。よくある絵本に対するアンチテーゼでもあるのだと思います。そうそう、文中「すきなおともだち」という言い回しがよく出てきますが、ちょっと意図が伝わりにくいです。

きゃべつ:私も「すきなおともだち」という表現が気になっていて、その答えが見つかるかと思って、1巻の『レッツとねこさん』を読みました。でも、あんまり説明はなかったので、独特の表現として使われているものなのかなと。この絵がすごく好きで、レッツが1歳年下の子が鼻くそ食べているのを見て、「うえっ」という顔をしているところとか、すごくかわいいなと思いました。大人が読む分にはすごくおもしろいですよね。でも、子どもに読ませるとき、対象年齢が難しいなと思いました。5歳のレッツが過去の自分を振り返るという形をとっているけれど、過去と現在を行ったりきたりするし、小学1年生までの子どもが読んだら、ごちゃごちゃになってしまう気がしたので。

ルパン:子どもはこれを読んでおもしろいのかなあ、と思いながら読みました。レッツはどこの国の子なんでしょう? あだななのかな? 男の子なのか女の子なのかもわからなくて。笑っちゃったのは、「ようちえんではみんなことをお友だちという」という一文。そういえば、うちの文庫で、ある子どもに「〇〇ってだれ? 先生?」と聞かれたとき、「ううん、お友だちよ」と言ったら、「おれの友だちじゃないよ」って言われて爆笑したことがありました。でも、そういう解説を入れているのがなんか大人目線だなって。幼稚園児にはむしろあたりまえのことだからなんとも思わないはずでしょう? 大人が一生懸命5歳にもどって書いてるつもりであれば、うまくいっていないと思います。何もかもが大人の発想だから。大人にとってはおもしろいのかもしれませんが。『ふみだい』のほうは、踏み台にゴキブリって名前をつけるんですけど、「それをさがしているんでしょ」っていうのが、わかりませんでした。何をさがしてるんでしょうね。

紙魚:私もわからなかったです。踏み台の使い方をさがしているってことなのかしら。

ルパン:あと、下から見ると蛇口のよごれが見える、っていう場面がありますが、5歳の子供が「上から見ると見えないんだな」っていうとこまで考えるのかなあ、って思いました。

レンゲ:読み終わってまず、何歳の子が読むのかなと思いました。本の体裁からすると、ひとり読みをはじめたくらいの、5〜6歳からの子が読者だと思うのですが、その年齢の子が楽しいと思うのかなと。たとえば、きらいな友だちにかみついていたのを、ネコさんにかまれてから、やめることにしたというところ。かんだのは好きだから、かんだら好きだと思われるかもしれない、だからやめよう、というのだけれど、3歳の時にそこまで考えるというのは、かなり違和感がありました。3歳の子のすることって、もっと感覚的、直感的だと思うので。イラストの使い方はとてもよかったです。

関サバ子:これは“大人のための絵本”ならぬ、“大人のための幼年童話”だな、と感じました。前にも一度読んでいて、そのときは、「絵もかわいいし、おもしろーい」とあまり深く考えずに読んでいたんですが、今回読み直してみて、子どもがこんなふうに考えるかな? というところがたくさんありました。たとえば、『レッツとネコさん』のp44でレッツの願望として、「おならをする」とありますが、子どもはどこでも構わずおならをします。別の違和感としては、『レッツのふみだい』のほうで、お風呂に入っているお母さんがお父さんに裸を見られて「キャーッ」というのが、「夫婦なのにこの反応は何?」と不思議に思いました。しかも、わりといい感じに仲の良い夫婦というふうに読めていたので、余計に不思議でした。2冊のうちでは、『レッツのふみだい』のほうが、お話に入っていける感じはありました。レッツは目線が低いから、大人が見つけてほしくないものを見つけるところや、テーブルの下の落書きをレッツだけが知っているという設定は、クスッと笑えました。ただ、p55以降は蛇足だと感じました。これは2冊ともに感じたことですが、途中で息切れして、長く感じました。あと、お母さんが外で働いていて、お父さんが主夫か自宅勤務という設定が、ちょっと新しく感じました。

みっけ:これって3冊のシリーズで、3歳の時を振り返る「ネコさん」と4歳のときの「ふみだい」、そして最後が「おつかい」になってるんですね。最後のおつかいも、大人のおつかいに憧れて、まるでお使いになっていないお使いをするレッツの話なんだけれど。始めて読んだとき、おもしろいなあって思ったんです。だいたい5歳の子が3歳の時を思い出して、自分はお兄ちゃんなんだぞみたいな、その設定が新しいなと思ったんです。この年頃の子ってけっこうお兄ちゃん風を吹かせたがるでしょ。そういう、なんていうのかな、ああ、このくらいの子にこういうことってあるよねえ、というようなことがいろいろあって、けっこうおもしろかった。ただし、私自身は大人目線で読む傾向が強いので、はたして子どもにこの絵本を読み聞かせたらどう思うのかな、やっぱりおもしろいって思うんだろうかと、そこがわからなかったんです。基本的には子どもって過去を振り返らないでしょう? だから、誰が読むのかな、とちょっと引っかかった。ただ、書かれている一つ一つのことは、大人とのずれやなにかも含めて、けっこうおかしくておもしろく、大人としては楽しめました。

うぐいす:とてもおもしろく読みました。よくテレビCMなどに、映像は赤ちゃんだけど声は大人で、大人顔負けのせりふを言うところがおもしろいものがありますが、あれと同じだな、と思いました。レッツとお父さんお母さんのちょっとずれた会話、レッツがいろいろなことをいちいち分析して納得するところ、5歳の子なのに、大人みたいに考えて、大人みたいにしゃべるおもしろさ。カバー袖に「著者はじめての幼年童話」って書いてあるんですけど、「幼年」の主人公が出てくる童話、という意味なのかな。私は、幼年童話とは絵本を卒業して一人で読めるようになったばかりの子どもにふさわしいもの、ととらえているんですけど、内容もさることながら、文章そのものも読みやすく、わかりやすくないといけないと思うんですよ。主語と述語がきちんとあって、過去になったり、仮定法になったりしない文章でいかないと意味がとらえられないと思います。
例えばネコさんのp16「手もつかって四本ではしるからはやいのかなとおもって、レッツもおなじように手をゆかについてはしってみたけれど、いつもよりおそくなった」こういった文章は、わかりにくいと思うんですね。誰が何をしたというのがすっとわかる文章というのかな。そういのを使わないと、その時期にはむずかしいと思っています。それからこの本はパラパラとめくっただけですぐわかるように、カタカナがたくさんありますね。ニンゲンとかミョウジとかキュウリとか、カタカナで書かなくてもいい言葉もカタカナにしている。カタカナのほうがニュアンスがおもしろいから使っていると思うんですが、カタカナを習っていない子どもには読みにくいことの一つつです。またみなさんと同じく、5歳のレッツが3歳の頃を思い出すというのは、やっぱり大人目線の考え方だなと思いました。
挿絵はとてもおもしろいし、ところどころに一部だけに色がついているのも効果的。レッツの性別がわからないのは、あえてそうしてるんだと思うんですけど、これもいいなと思いました。こんなふうにページ数の少ない絵物語が3冊あると、一人読みを始めたばかりの子どもにちょうどいいと思って買ってしまいそうだけど、3年生くらいが読んだらいちばんおもしろいだろうに、と思いました。

アカシア:でも、著者はきっと幼児が読める童話が書きたかったんじゃないでしょうか。

ハコベ:これは幼年童話のYAだと思いました。幼年童話って、自分のまわりでつぎつぎにできごとが起こっていくというものが多いけれど、YAは自分がどう考えたか、どう感じたかを丹念にたどっていくものが多いと思うんですね。そういうYAっぽい手法を幼年童話でやってみたというところが新しいし、おもしろいなと思いました。たしかに5歳の子どもはこんな風に考えたり、理屈をこねたりしないと思うのですが、小学校の3〜4年生くらいになると、とつじょ自我にめざめたり、自分の心の中をふりかえって辿ってみたりすることがあると思うんですね。わたしにもそういう体験があって、今でもはっきりと記憶に残っています。そういう年齢の子どもたちは、おもしろいと思うんじゃないかしら。でも、こういう幼年童話の形で書いたら、3〜4年の子どもたちは読まないかもしれないし……。

アカシア:私も3年生くらいが読むんだったら、こういう視点でもいいと思うんですけど、3年生は、こういう出だしだったら読まないんですね。やっぱり読者対象と書いてる視点のずれが大きい。3年生対象なら、もっと違う文章で書いたほうがいいかもしれません。引っかかったところがいっぱいありました。幼年童話で安全じゃないのを書きたいっていうのもわかるんだけど、この年齢だと安心できるものっていうのも大切なんじゃないかな。そうじゃないと冒険に出ていけないっていうこともあると思います。

プリメリア:子どもたちの日常的なかわいいしぐさがよく書かれていておもしろいなって思いました。「キュウリ」が「キウイ」に聞こえるって、そうなのかなって思ったり。お母さんの歌にピンクレディの歌「渚のシンドバッド」が出てきますが、今の子はAKB48の歌はわかっても、この歌はぜんぜんわかんないだろうな。子どもの姿じゃなくて、大人の視線から見た子ども像が書かれている作品のように読みました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)