『クローディアの秘密』
E.L.カニグズバーグ/作 松永ふみ子/訳 
岩波書店(岩波少年文庫2077)
1969.10
原題:FROM THE MIXED-UP FILES OF MRS.BASIL E.FRANKWEILER by E.L.Konigsburg 1967(アメリカ)

<版元語録>少女クローディアは,弟をさそって家出をします.ゆくさきはニューヨークのメトロポリタン美術館.2人は,ミケランジェロ作とされる天使の像にひきつけられ,その謎を解こうとします.
*ニューベリー賞

オカリナ:これは、もう評価の定まった作品だけど、「家出」をテーマにするなら、はずせない作品よね。でも、メルヴィン・バージェスの『ダンデライオン』とは、主人公の階層もちがうし……。まあ、ひとつの自分探しの物語だけど、私は何度読んでも、強い印象をあまり受けないの。どうしてかな?

ウーテ:私は、この作品は3回くらい読んだけど、なんといっても家出する先がメトロポリタン美術館だというのが斬新で、わくわくするわね。家出って、子どものとき、みんな憧れるものでしょう。どうしてこの作品が名作といわれてるのか、その秘密について今日は考えてみたいと思ってるんだけど。

ひるね:以前に読んだときも思ったんだけど、やっぱりキャラクターの作り方が、うまいのよね。フランクワイラー夫人もクローディアもジェイミーも、どのキャラクターも生き生きしてる。とってもよく描けていると思う。ただし、フランクワイラー夫人の弁護士が、実はクローディアのおじいさんだったというオチは、ちょっとやりすぎ、というか筆がすべっちゃったという感もあるけどね。だって、クローディアは大冒険をしたつもりだったけど、結局安全な範囲内で動いていたということになっちゃうわけでしょ。でも、名作といわれるだけのことはあるわね。アメリカでの出版が1967年だから、もう30年以上も前の作品だけど、今読んでも楽しめるもの。

ねねこ:この作品は「家出」というより「冒険」の物語よね。私には家出は一人でするものという思い込みがあるの。そこで味わう孤独感や浮遊感こそが、家出の醍醐味、大切な部分だと思うから。クローディアの場合、悲壮感はあまりないし、弟を連れていくってことで、どこか家のにおいをひきずり、安心感に包まれている感じがする。私も子どものころよく家出したんだけど、そうねえ、1年に2回はしてたかな。姉といっしょの時と一人の時では、緊張感がまったく違った。あのころは「ここじゃないどこかへ行きたい」という気持ちが、いつもどこかにあったのよねえ。

モモンガ:私は、この作品、初めて読んだときの印象が、ものすごく強烈だったの。今読んでも、やっぱりいいなと思う。今でも名作を紹介するブックリストなんかを作るときには、必ず入れる作品。新しい新しいと思ってたけど、もう30年も前の作品になっちゃったのねえ。『ダンデライオン』とちがって、クローディアには、何か大きな不幸があるわけじゃない。この作品は、一言でいえば「アイデンティティの確立」ってことになるんだけど、家出して自分の力で何かをやりとげる、内面的な何かを得るっていう物語。さっきの『ダンデライオン』と比較してみると、『ダンデライオン』には「何かを得る」って手応えが感じられないのよね。あと、最初に出てくるフランクワイラー夫人の手紙の意味が、あとになってわかるっていうからくりも、とても新鮮だった。クローディアの冒険がおもしろいものだから、最初の手紙のことはすっかり忘れて読み進んでしまうんだけど、最後になってはじめからすべて仕組まれていたことがわかり、やられたっていう驚きがあって。今はそういう凝った趣向の作品もいろいろあるけど、あのころはまだそんなになかったでしょ。

ねねこ:印象に残る場面、視覚的にぱっと目に蘇ってくる場面がたくさんあるわね。

愁童:とてもよくできてるよね。さすが名作といわれるだけのことはあるね。この作品の魅力は、知的なおもしろさだと思う。「知」の部分がとっても綿密。だけど、少しばかり「知」偏重かもしれない。というのは、「情」の部分に、ちょっと物足りなさを感じるんだよな。できすぎというか、作られすぎで、意外性が感じられないっていうか……。

ウンポコ:ぼくはこの作品、タイトルは知ってたけど、読んでなかったの。今回読む機会があって、本当によかった! とってもおもしろかった。もうねぇ、かなり好きな作品。クローディアもジェイミーも、とってもいい子なの。一所懸命でさ。アグレッシブなんだよね。そんな彼らがいじらしくて……。おじさんは、いとおしくなってしまったぞ。彼らといっしょにメトロポリタン美術館に潜んでるような気持ちになった。疑似体験できたね。ぼくもずっと、早く家を出たいと思ってた子どもだったんだよ。それで大学に受かったときに、やっと波風立てず、合法的に家を出られることになって、ひとりで東京に出てきたんだけど、そのときの喜びとか解放感というのを、なつかしく思い出した。それは家出ではなかったけど、でも家から離れる、ある種、家を捨てるということでは同じだからね。ぼくは、この本、多くの人に薦めたい! しかけもうまいし、ストーリーもとてもいいと思うから。

ウォンバット:私はこの本大好きで、小学校4年生のときに出会って以来、何十回もくりかえし読んでて、もうすっかり自分の血となり肉と・・・それも脳とか心臓とかのだいじな部分になっちゃってる本だから、論じるっていうのは難しいなあ。あんまり好きすぎて、分析できない。映画や音楽、恋人もだけど、あまりにも好きなものって、そうならない? この本を好きな理由でいちばんに思い浮かぶのは、クローディアのキャラクターかな。オール5でいちばん上の子で、しかも女の子だからって不公平が多すぎると思ってる・・・そのくらいはだれでも書きそうだけど、それだけではないの。遠足に行っても、虫がいっぱいいたり、カップケーキのお砂糖がとけたりするのが不愉快だとか、お母さんたちに「私たち家出するけど、FBIを呼ばないで」って手紙を送るときに、もう1通投函するんだけど、それがコーンフレークスメーカーの懸賞。こんなときに! 全然うわついてないのよね。細かいことなんだけど、こういうことで彼女の性格が、とてもよくわかる。おかげでクローディアの姿は、輪郭だけじゃなく頭のてっぺんからつまさきまで、つぶさに目に浮かぶようになってくる。とってもリアリティがあるのよね。この本に出会う前に読んでいた本の主人公は、「いかにも本の中の人」という感じで、身近に感じられることってなかったような気がする。クローディアは私が、近しく感じた最初の主人公かも。それでね、クローディアの家出の計画が、実に具体的で用意周到。もう、あったまいい! やっるぅーって感じ。あと、ジェイミーの台詞も好き。読み返すたびに、うれしくなっちゃう。「家出にいく」とか「ちぇっ、ぼろっちいの」とかね。「ぼろっちい」って、今だったら「さえねぇー」とか「超カッコわりぃ」っていうとこだろうけど。たしかにこの物語は「家出」というより「冒険」の物語だと思う。だからこそ「家出にいく」っていう台詞もあるわけで、全然悲壮感がない。「家から逃げる」んじゃなくて「私の価値を思い知らせてやる」ための行動だから。こういう威勢のよさ、プライドの高さも、私好み。今気づいたけど、この本とあとの3冊との大きな違いは、それかなあ。あとの3冊は「家から逃げる」ための行動なわけでしょ。それこそが、ほんとの家出なんだけど。

モモンガ:表面的には、クローディアって家出する必然性のなさそうな子に見えるけど、そういう子だって、実は心の中には、いろいろなものを抱えてるのよね。

ウォンバット:そうそう、そうなの! そういうことをわかってくれてるってのがウレシイ。優等生とか、何も問題がないとされてる、いわゆる普通の子だって、不満を表に出してないだけであって、何も感じてないってわけではないのよ。

ウンポコ:この物語には、ちゃんとわかってくれて、見守ってくれる大人がいるから、安心感があるね。

オカリナ:『テオの家出』に出てくるパパフンフンとかね。両親ではなくて他人なんだけど、支えてくれる大人がちゃんと存在していて、受け止めてくれるって、いいよね。

(2000年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)