アサギ:どうもロシア語の発音というのは日本人には異質のようで、この「タマーロチカ」と
いうのを「タマローチカ」と読む人が多いのよね。この本は、幼年童話としてはよくできていると思う。ただ、古いなと思った。この内容で、今の子は共感するのかしら? ちょっと骨董品を読む感じで。というぐらいで、あまりにも問題性がなかった。

愁童:それなりに読ませるんだけど、キノコとか、海水浴とか、状況設定が日本には合わないんじゃないだろうか。ぼくには、今の日本にこれを持ってくる送り手側の意図がわからない。まあ、幼年童話の教科書的存在ではあると思うけどね。

トチ:私は、幼年童話は特に新しくなくていいと思うの。この本は読者が主人公を自分よりちょっと下に見て「この子たち、こんなことやってるんだ。ばかだなあ。でも、おもしろそうだなあ」という、一種の優越感と幸福感が持ち味になっている。私も子ども時代に読んだら大好きになっていたと思うわ。姉妹の着ているワンピースの色なんて、小さい頃に読んだらわくわくしただろうな。

ペガサス:『ミリー・モリー・マンデーのおはなし』(ジョイス・ブリスリー著 上條由美子訳 菊池恭子絵 福音館書店)とか『ジョシィ・スミスのおはなし』(マグダレン・ナブ著 立石めぐみ訳 福音館書店)もそうだけど、幼稚園上級から小学校低学年あたりの子どもに、読み聞かせてあげるととても楽しめるお話のひとつ。エピソードのつみ重ねで、耳から聞くとおもしろい話だと思う。外国の風物なども出てきて、知らない国のお話をちょっと聞かせてもらったという感じね。

ねねこ:よき幼年童話の典型と言えるでしょう。全体的にお父さんのかげがないのが気になったけど、こういった幸せな幼年童話というのは、今やメルヘンに近くなっているのではないかな? 浮浪児だったパンテレーエフは『金時計』など、もっと激しい切ない作品があるけれど、これは53歳のとき、自分に遅くなってやっと子どもができた頃の作品だから、幸福感が流れているわね。

紙魚:私はこの本は大好きです。もし自分がもっと幼いころに出会っていたとしたら、きっと母に枕もとで読んでもらったんだろうなという状況が思い起こされる物語。ベーロチカとタマーロチカの名前のところを、きっと母は、私と姉の名前に置きかえて読んでくれただろうなとか。実際、母が私たち姉妹のいたずらを題材に、手づくり絵本を作ってよく読んでくれていたんですが、なにしろ物語の中で自分たちがしでかすいたずらにどきどきしてたんです。なんてったって最初のページの「ふたりとも、いうことをきかない女の子でした」っていうところで、ぐっとひきつけられる。日本のお話なら『いやいやえん』(中川李枝子著 大村百合子絵 福音館書店)かもしれないけれど、子どものときに「いうことをきかない」ってことは、とっても魅力的だったんです。

スズキ:私は、最後の「おおそうじ」がすごくうまいと思った。子ども独特の、ものごとを大きくとらえられず、ひとつのことしか見えない様子なんかを、うまく出していると思う。古典的な幼年童話というのは、ほめ言葉であるのと同時に、もっと新しい作品をという意見でもあるけれど、幼年童話には安心感があるということが第一条件なのではないかな。もちろん、そうじゃない描き方もあるけど。それにしても、いたずらっていうのはマジックがありますね。つぎつぎとやってくれるというのが、お話をうまく動かしていると思います。

オカリナ:私は、この本は単なる典型的な幼年童話と少し趣が違うと思ってるの。なぜかというと、たとえば森の中でこの子たちが隠れてわざとお母さんを心配させようとするところがあるでしょ。それに対してお母さんは、子どもの声が聞こえなくなっても、立ち止まらずにどんどん先に行ってしまうわけよね。これ、リアルな状況として考えてみると、怖い。子どもは、自分が主人公になって物語に入りこむわけだから、リアルな状況としてとらえると思うの。子どもとお母さんの距離がけっこうある。そんなせいかどうか、福音館でも『ミリー・モリー・マンデー』とか『ジョシー・スミス』はよく売れるけど、これは売れ行きがイマイチらしいのね。

トチ:私も「『ジョシィ・スミスのおはなし』(マグダレン・ナブ著 たていしめぐみ訳 たるいしまこ絵 福音館書店)みたいなのを探してきてって言われたわ。

愁童:ぼくは、なんだかこの本はしっくりこないんだな。どうしてこのような古いものを、わざわざ今の子どもに読ませようとするのかがわからないんだよ。今の子にぴったりくるとは思えないな。

オカリナ:古い感じはしないけど。

愁童:送り手側の思いこみであって、受け手にはどうしてもギャップが生じてしまうように思うんだよね。この病んだ時代、幼稚園だって不登校があるんだ。ここまでハッピーな話っていうのも、どうかと思うけど。

オカリナ:子どもが幼いときには、ハッピーな物語って大切だと思う。生きていていいんだよっていうメッセージを、まわりから受け取って安心する時期があってこそ、次の段階に行けるんじゃないかな。

愁童:でも、どうも嘘っぽいんだよな。この本は、悪くてもいいんだという解放感をあたえてくれるから、おもしろいんでしょう。悪くても社会は受けとめてくれるという安心感があったからだよ。今の時代の子どもたちは、昔よりずっと希薄な人間関係の中にいるんだから、状況は違うと思う。さっき、「いうことをきかない」っていう部分がいいって話が出たけど・・・。

紙魚:「いうことをきかない」っていうのは、時代をこえて子どもに魅力的なことなんじゃないかと思うの。たとえ、社会に受けとめる余裕がなくても、この本の中で、「いうことをきかない」子どもたちがのびのびと動いていることが、読者にとっておもしろいでしょうし、たいせつなことだと思うし。

愁童:物語の中に、自分も同じことをやるかもしれないっていう、ふみこめる領域がないといけないと思うよ。キノコこ狩りや海水浴は、今の子どもたちにわくわくするような機会をあたえられる題材じゃないよ。

オカリナ:幼い姉妹だけで海には行かないかもしれないけれど、子どもって近所の公園の池で遊んだりするときに、そこが海だと思ったりするでしょ。だから、この物語だって、別に遠い話だとは思わないんじゃないかな。

ブラックペッパー:私はほのぼのとかわいらしく、安心感があるこの本がとっても好き。いうことをきかない子がいたずらをするというのは、とってもおもしろくて、読んでてうれしくなる。古いんじゃないかという意見もあったけど、『おさるのジョージ』シリーズ(M.レイ&H.A.レイ作 岩波書店)だって古いけどわからないというわけでもないと思うんです。なかでもくだらない会話がおもしろい。キノコ狩りのところで、お塩をつけるとかつけないとかっていうところが絶妙。こんなにおもしろいのは、なかなかないと思います。

オイラ:読んだ後、幸せになったなあ。子どもの側からすれば、どんないたずらをしても、お母さんには怒られても許してもらえるんだという安心感、お母さん側からすれば、子どもがどんないたずらをしても、容認するということ、この物語には、そうした母と子のとてもいい関係がある。この本を、いらいらしているお母さんが読めば、きっとゆったりとした気分になると思う。

ねねこ:日本の幼年童話のなかにも、松谷みよ子さんとか、いせひでこさんとかに、姉妹を描いたものがありますが、そうした人たちの作品には、どこか、お母さんに不安感や、時代の反映があります。赤ちゃんを迎えにいくところなどでは、お母さんの焦りがこちらに伝わってきます。そういう意味では、松谷さんなんかは時代を描いていたということでしょう。この『ベーロチカとタマーロチカ』は、生活に迷いが生じなかった時代の幼年童話なのでしょうか。子どもからすれば、どちらの類も違和感なく読めるとは思います。ただ、そんなことを考えていくと、今の時代ではどんな幼年童話を作っていけばいいのかと迷います。

オイラ:現実は不幸なので、物語は幸福でいいと思うけど。

愁童:うーん、この物語なんかは、耳から入ったほうがいいかもしれないね。「おおそうじ」でインクがこぼれる部屋のお話なんておもしろいし。ただ、今の時代にこれを読む余裕があるのかということが気になるね。

オイラ:読者からの感想でいちばんうれしいのは、「読んだ後、幸せな気持ちになれた」という感想。この本のように、お父さん、お母さんがゆったりと子どもに読む幼年童話が、もっとできてほしいですね。

(2001年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)