『すいがらとバラと』
ヴィヴェッカ・レルン/作 イェシカ・パルムグレン/画 菱木晃子/訳
偕成社
1997.05
原題:BLAND FIMPAR OCH ROSOR(スウェーデン)

<版元語録>弟が死んだ。もう一緒に海へは行けないけど、いろいろなことを思い出す。1年前10歳でなくなった弟ジミーのことを、16歳になった姉が穏やかに語り、大切な家族を失った悲しみと弟への愛を表す。

ブラックペッパー:えーっと、この本は,あまり言うことがないなあ。さらっと読めたけど、そんなにすばらしくよくはなかったかな。えひめ丸の事故でも感じたんですが、死に対する考え方が、欧米とアジアでは違うんでしょうか。死生観の違いを感じました。好感をもてたのは,最後の3場面。このあたりにさしかかったとき、うるっとして涙が3粒ほどこぼれました。今、日本ではやっているのは、どーんと泣かせる物語ですよね。でもこの本はそうではなくて、涙3粒で、そこはよかった。ぐっときたのは、p59の「もしもジミーが生まれてくることがなく、わたしとおなじ時を生きることがなかったら」というところ。こう言われてなぐさめられる読者っていると思う。

すあま:北欧の作家だなという感じが非常にしましたね。北欧の子どもの本で離婚や死を扱ったものは、ちょっとわれわれとは感覚が違うように感じますね。装丁的には絵本ですけど、読み物としてはもっと上の年齢を対象にしてますね。p36で、「ジミーが死んだらさ、あいつの猫おれにくれない?」と言われて、パパがうれしそうな顔をしたという部分は、わかるようなわからないような。まだジミー死んでないときに、こういわれてうれしく思うっていうのは、どういう感覚なんでしょう? おもしろい部分は、最後に家族が別々にいやしの旅にでかけるところ。ママが、パパやジミーと違う旅でリハビリをするというのは、おもしろい。それぞれ立ち直り方が違うのは、興味深いです。まあ、全体的にはおもしろかったかな。

スズキ:命のことを語るときにはいろいろな方法があるけれど、そのなかでもやさしく語りかけてくる本だった。私も「ジミーが死んだらさ」というところではちょっとひっかかったので、誤訳ではないかとも思ったし、きっとトムに対してわかったよという意味でスマイルしたのではないかと勝手に解釈しました。欧米の人は、やっぱり考え方が違うのかな。前に、自分の肉親を亡くされた作家が、死について書いたとき、こういうつくりではなく、200ページ近い本になったことがあります。それだけ、思いがいろいろあって、表現したいことも、たくさんのページが必要だったのだと思います。命を語る時に、「どんな本がいちばん良い」と決めつけることはできませんが、人間にとって、とても大切なテーマなので、自分にとってどんな本がいちばん語りかけるものか、いろんな本を読んでいきたいと思いました。

ねむりねずみ:私はわりと読みにくかったです。なぜか最初からひっかかりっぱなし。死を扱うと、雰囲気が重たくなりがちで、回復していく過程を延々と書いていったりすることがあるけれど、この本は違うなって思いました。なんとなくユーモラスなところがあって、たとえばp35のガールフレンドのところなんかが、おもしろかった。対象年齢がどのぐらいなのかなあ、というのが疑問でした。文章はもう少しひっかからないとよかったなあって思いました。「もう死ぬはずなのに、」といううわさ話の部分は、読んでいてぎょっとしてしまいました。実際にこんなこというかなあ?って。言ったのが看護婦さんだったとしたら、怖いなあって。むしろ、ジミーが死んだら猫をちょうだいと言われてパパがほほえむ話よりも非現実的な感じがしました。スウェーデンでは、血縁とは関係なく養子を受けいれることがわりと多く行われているみたいなんですが、家族もとても大切にしているんですよね。家族のそれぞれが、弟を看取り、死んだ人の残した空白を埋めていこうとするのがよく描かれていました。

チョイ:この本が出た1997年というのは、死などの、喪失感からの回復がテーマとなった書籍が多く出ていた頃だと思います。私もちょうどこの頃、死に関係する本を何冊も読んでいたんですが、そういったものの中では、この本は印象が薄いほうですね。肉親の喪失感の表現は、むしろ『はいけい女王様、弟を助けてください』の方が、ディテールから物語を作りだしていて、達成されていると思います。こちらの方は、もうひとつ弟のキャラクターが立ち上がっていないんですね。エピソードの選び方が、あまりうまくなくて、例えば弟が周囲を「明るくしてくれる」とか、ただひとことで説明しているんですが、それを具体的にイメージさせてくれるエピソードがないんです。これでは、ジミーのキャラが伝わってこない。作品の中に読者が入りにくい。許すことが上手な弟であれば、それをあらわすエピソードを描くべき。私だったら出版しない本ですね。絵もいいとは思えない。ちょっと中途半端な印象です。

オカリナ:おそらく作者は、弟が死んだ後もずっと続いていく日常的な現実と弟の死とを対比させて描いているんでしょうね。自分がすわっている病院のベンチの前には看護婦さんが吸ったタバコの吸い殻がたくさん落ちているとか、看護婦さんがナースシューズでなくてプーマとかコンバースなんかをはいてて、それで吸い殻をもみ消していくんだとか、そういう日常の具体的な情景が書かれているところはおもしろかったんだけど、それに比べて肝腎の弟の人となりはなかなか浮かび上がってこない。最後にまとめて抽象的に描かれているだけだと、どうも伝わってこないんだなあ。

トチ:うーん、私もこの本に関しては言ういことがないです。いやな本だとか、悪い本だとは思わないんですけど。死をシンプルに描いているという点では、好感がもてる。絵が単にきれいな絵ではないのもいいとは思う。でも、弟が最初から天使になっちゃっているのね。猫のエピソードなんかもそう。さっき、「ジミーが死んだらさ、あいつの猫おれにくれない?」と言われて喜ぶ気持ちがわからないって話が出たたけど、私はお父さんの気持ち、わかるような気がする。自分の子どもの命が、ほかの小さい子どもににつながっていくように感じるんじゃないかしら。そういうところはおもしろい。あと、主人公と父親だけが癒しの旅に出るのもおもしろい。短いセンテンスで作者の思いとか、ものの見方がずばっと出ている。それから『すいがらとバラと』というタイトルは、おそらく原文どおりなんでしょうけど、何か特別な意味があるんでしょうかね。汚い現実と、バラの匂いのように美しくなった弟という意味なのかとか、弟を思いおこした、バラの匂いがする数分間という意味なのかとか、いろいろ考えてしまったわ。

オカリナ:「あいつの猫おれにくれない?」って言ったのは、小さい子じゃなくて大きい子だから、お父さんは息子の命がつながっていくと思ってほほえんだわけじゃないのでは?

ウェンディ:今回の選書係は私なんですけど、先に『ぶらんこ乗り』が決まっていたので、それに合わせて何か翻訳ものから選ぼうとして、七転八倒しました。前に課題になった『イングリッシュ・ローズの庭で』が、姉妹というテーマだったので、今回は、姉から見た弟という視点を考えてみたいなあ、ということも、1つのポイントとして探しました。すでに死んでしまった弟を回想する、その振り返り方が、重なるというか、比べて読めるかなと思って選んだんです。みなさんがおっしゃってるように、私も猫のエピソードにはひっかかりました。大切な人が死ぬ、しかも、若い子どもが死んでしまうということの受け止め方が、日本と違うんじゃないかと考えました。お父さんは、その子が大切にしている猫をほしいと言ってくれたことが、うれしかったのではないかと。幼い子が死ぬというのは、もちろん悲しいことだけど、それを静かに受けとめて、乗り越えていくというあたりを、みなさんがどう思われるかを、今回うかがってみたいと思いました。

オカリナ:でも、たとえば『テラビシアにかける橋』(キャサリン・パターソン著 偕成社)だと、娘が死んだとき、娘の愛犬は親が大事に飼うからって言って、娘の親友だった主人公には渡さないでしょ。外国では死生観が違うって、あんまり簡単には言えないと思うんだけど。

紙魚:私も、読んでも何だかよくわからなかったというのが本音です。死がテーマになっているにもかかわらず、胸に突きささることもなく読みとおしてしまいました。それはどうしてなのか考えてみたのですが、もしかしたら自分に大切な人を亡くすという経験がないからかとも思ったんです。ただ、自分に同じような体験がなくても、深く突きささってくる本というのもあるんですよね。でも、自分に経験がないとわからない、しかも語れないということもあります。たとえば、配偶者を亡くされた人を前にして、経験もないのに死について語るのは難しいです。この本には、そういう距離を感じてしまいました。作者が家族の死を乗り越えようとしている姿勢はわかるんですが、心には伝わりにくかった。あっ、それから、挿絵は作家と別の人によるものだけれど、ぴんとこなかったです。

もぷしー:タイトルと中身がうまく結びつかない本ですよね。これは、文化の違いからくるものなんでしょうか。モチーフ自体が状況を表しているだけであって、タイトルになるほどではないんじゃないかな。これは疑問のまま残りました。北欧らしいと思ったのは、絵もですね。ちょっとひっかいて書いただけみたいな。この本としては、成功していると思います。そっとしておいてくれそうな雰囲気が、よかったです。具体的な部分と、抽象的な部分の開きが大きいのが気になりました。もっと話者のテンポがあれば、ひっぱっていかれるんだろうけど、この人の回想録、ついていくのが難しかったです。それから、日本の場合は、死を乗り越えたところで回想するスタイルが多いんですが、この本はこれから乗り越えようとしている時点で書いているところがおもしろいですね。

愁童:ぼくは、前に読んでたんだけど、ウルフ・スタルクの作品と勘違いしていた。好感度の高い本だと思ってたんだけど、この会に出るんで今回読んでみたら、それほどでもなかった。好感度が高い印象は、訳のおかげじゃないかな。同じ訳者の文体でスタルクといっしょに読んじゃったので好感を持ってしまったんだよね。この本はセンチメンタルだし、スタルクほど良くはなかった。どうも訳で得してる感じ。訳者の体質もあるから、こういうのってどう考えたらいいんだろうか。

トチ:私は昔から翻訳者はピアニストみたいなものだと思ってるの。ショパンのおなじ曲を弾いても、ルビンシュタインとサンソン・フランソワでは、まるっきり違うでしょう。楽譜は同じなのに。後で、プーシキンか誰かが全く同じことを言っているって聞いたけれど。だから、あまり良くない作品なのに、訳文でとても良い作品になるってこともあるし、良い作品を訳でめちゃめちゃにしてしまうこともある。また、誰が聞いても素敵な曲は、下手な人が弾いても魅力的に聞こえるのと同じに、素晴らしい物語は、稚拙な訳でも素晴らしさが伝わるってこともあるわね。たしかにこの本の場合は訳者に助けられていると思う。

オカリナ:スタルクの作品と似てるっていうことなんだけど、この本の場合、原作者の力量不足が有能な翻訳者によってカバーされて、スタルクに近い雰囲気になってきてるってことなのでは?

愁童:ということは、翻訳者を選んだ編集者の力ということかな。

トチ:この本は、主人公も弟も動いてないけど、スタルクの書く人間は動いているものね。

愁童:スタルクに『おねえちゃんは天使』(ほるぷ出版)って絵本があるけど、この本、あれによく似てる。スタルクの方は死んだ姉を弟が思うんだけど、こっちは、姉が死んだ弟を偲ぶということで、女の子が主体になってるから、感傷的なトーンになるのは仕方ないのかな。でも、スタルクの方は、すごくユーモラスに書いてるだけに、かえって愛する者の喪失感みたいなものが読者にどーんと伝わってくる。

オカリナ:『おじいちゃんの口笛』(ウルフ・スタルク文 ほるぷ出版)も、死が描かれてた。スタルクは、死に至る前のおじいさんと少年の関係を、印象的なエピソードを積み重ねて描いているから、人物像がしっかり読者にも伝わる。でも、この作品は人物像を浮き上がらせるための具体的なエピソードが弱いんだと思う。

チョイ:私が、この本だったら出さないかもしれないと思ったのは、誰に向かって、何のために出すかがよくわからないから。想像できる誰かを励ますなり、何らかの新しい価値観が描かれていたりが理解できれば出せるんですけど・・・。でも、いまひとつこの本は、その点がぼんやりしているの。最後の方に、テーマが集約されているようではあるんだけど、それでも淡い。ただ、死というテーマを描くのは、本当に難しいです。スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』(評論社)のように、老人の死なんかはいままでも書かれ、それなりに納得できるんだど、子どもの死みたいな理不尽な死というのは本当に難しい。どう受けとめて、子どもたちにどう伝えるかは、私にとってずっと課題です。でもこの本はその問いに回答をあたえてはくれませんでした。

トチ:人の死にそう簡単に感動してしまっていいのかって、こういう物を読むたびにいつも思うわね。

チョイ:不幸だと思っちゃったら、受けとめられなくなるんです。

もぷしー:それにしても、スタルクの本っていい印象があるので、スタルクっぽさで評価が1ポイント上がってしまうっていうのは否めない。どうもいい感じの印象だけが残るんだもの。品がいい感じ。すてきな本にしあがっているから、実質よりも評価が高くなりがち。哲学的なのかなあ。

愁童:いやー、哲学はないのかもしれない。地面に落ちてる吸い殻の数をかぞえて、「97本! アイスは、こんなにたべられないや」と弟が言ったりするとこはうまいんだから、それでいいんじゃないの。

(2001年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)