オカリナ:おもしろかったけど、文句が2つあるのね。まず、表紙が内容と全然違うでしょ。どういう人に読ませたいのかわからない! もう1つは題名。売れるとも思えないし、お洒落とも思えない。それに、この本の出し方は、子どもを読者対象にはしてないわよね。原書の対象は9〜12歳なんだけど、邦訳にはルビもないし。私は、子どもにも読める形で出してもいい本じゃないかと思うんだけどな。内容的には、スケリグは、ホームレスのイメージよね。しかも、死んだ動物を食べ、嫌な臭いがする。「メルヘンチックな」童話が児童文学だと思っている人にはショックだろうし、そういうのと対極にある話。物語は、ウィリアム・ブレイクを下敷きにしてて、ブレイクの詩が好きな隣の女の子の存在がおもしろかった。学校へ行かないんだけど、堂々としていて、イギリスだったらこういう女の子いそうな気がする。主人公の男の子は、引っ越してきたばかりで、妹が死にかけていて、親もそっちに一所懸命になっているから、不安定に揺れている。それで、精神的に日常とは違うところへ行きかけているところを、この女の子が引っ張ってくれる。普段のサッカーや学校生活では見えないものをこの少年が感知していくプロセスが、うまく書けていると思いましたね。

愁童:おもしろかった、すごく。表紙と訳の最初の部分はひっかかったけどね。訳文はおもしろくないなあと思いながら読んでいった。本作りにも作品世界を正確に伝えようというような意欲は感じられないしね。でも原作の力が、そんなものふっとばして輝いていたと思う。スケリグは、子どものときは見えたけど、大人になったら見えなくなったものの象徴かな。赤ちゃんが死にそうになったとき、母親にも見えたという描き方は、イメージがふくらむね。ここまで読んできた甲斐があった、うまい! と 思っちゃた。ところが、次の日に隣の女の子と見にいくと、スケリグが戻ってきていて、それからおもむろに子どもたちの前から居なくなるってところは、ちょっとね。戻ってこないほうがよかった。その方が、 鮮やかなイメージを残してくれると思うんだよね。吐き出したものが臭いといったようなディテールが、きちんと描かれていて、雰囲気が伝わってくるので、引きずられる。そこはうまいと思った。それにしても、訳書の本作りには腹が立ったなあ。

トチ:この作家は私の大好きな作家。「スケリグ」という原題のこの作品も、テーマといい、文学的な香気といい、英国の文学史上に残る作品だと思う。日本でも外国でも、「襤褸の人」と「聖者」を結びつけて描くということが昔からあるけれど、この作品ではそれを「ホームレス」と「天使」にして描き、その汚くて清らかな、力があって無力な存在が、主人公やその妹を救うという設定になっている。特に、それが児童文学という形であらわれているのが、素晴らしい。なのに、日本の出版社は3つの点でこの素晴らしい作品を傷つけているのよね。1つめは、表紙。私の知っている若い人は、本屋の書棚からとりだして表紙を見たとたんギョッとなって、また棚に戻してしまったんですって。まるで、ポルノグラフィもどきの表紙で、内容を裏切っている。2つめは、タイトル。3つめは、カーネギー賞をとった児童文学なのに、子どもに手渡そうとしていないこと。大人の本の出版社がこうやって海外の素晴らしい本をさらっていって、大人の書棚に並べてしまうというのは、本当に残念だと思うわ。この作家の作品は、これからもこの出版社で出すという話だけど、惜しいなと思う。版権というのは買ったからといって、その出版社が煮るなり焼くなり勝手にしていいというものではない。その作品を最良の形で日本の読者に送るという義務があると思うんだけど。

ねむりねずみ:ネズミを食べたたりする汚いイメージと、聖なるもののイメージが一緒になっているところが大切なのにね。私は、訳文が完全に子どもを捨てているのがすごく嫌だった。原文はとても平易なのに、なぜこうするかなあっていう感じ。これじゃあ、子どもはわからない。地の文だって、子どもが語ってるはずなのに、こんな表現、使わないと思うところがたくさんあった。凝りすぎ。ともかく、はじめから大人だけをターゲットにした本にしないでほしい。原作者は、9〜12歳の子に送りたいと思って書いているのだから。でなければ、原書も大人向けの文体にしているはず。それに、子どもなればこその読み方ができるはずで、大人になってから読むのとは違うはずだと思う。そういう点で、ものすごく腹がたつ。原文を読んでいたので、あれ、これって誤訳じゃない?っていうところ(p3のI couldn’t have been more wrong.「それよりひどいことがあるなんて」など)が気になってしまった。訳によって、受け取る作品のイメージが原文と変わってくるから、翻訳って怖いなって思った。1章の最後だったかしら、The baby came too early.「そして赤ちゃんも早く生まれた」ってあるけれど、早く生まれすぎたという感じではないのかしら。

オカリナ:赤ちゃんは臨月で生まれないと、それだけで大変なわけだから、私は「早く生まれた」でもいいと思うけど。

愁童:だいたい、「旨し糧」なんて言わないでしょ。翻訳者のセンスが古くない?

トチ:原作者だって、子どもの本だと意識して書いたと言っているのに。

愁童:「なんでこんなところに越してきちゃったんだろう」とお母さんが思うところ。納得の上のはずだったんじゃないかと思ったけど、確かに、一生懸命そうじしたために早く生まれちゃったという前提があれば、わかるよね。読んだときは、よくわからなかった。

ねむりねずみ:スケリグが好物を中華料理のメニュー番号でいうところも巧いですよね。現代イギリスの生活の雰囲気も伝わってくるし。

オカリナ:スケリグは現代の「星の王子様」なんだなと思いましたね。きれいでもないし、かわいくもないところがすごいじゃない。

愁童:スケリグのことを汚いなと思いながらも、読者が最後までついていけちゃう筆力があるよね。フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』(新潮社)にエンゼルが出てくるよね。あのイメージに通じるものがある。文化のつながり、ネイティブでないと書けないものという気がしたね。

ねむりねずみ:むこうでは、天使にもいろいろあって、羽が6枚で目がついてたりするのもある。そういう日本とは違うイメージの広がりがあるから。

オカリナ:天使にも階級があるしね。

愁童:日本だとこういう世界を書こうとすれば、廃屋で暮らす少年少女は出てこないよねえ。

オカリナ:今の日本には、スケリグがいてもおかしくないようなスペースがなかなかないけど、イギリスにはまだあるんじゃない?

ねむりねずみ:イギリスは人口が分散しているので、そういうところも残っているんじゃないかなあ。

オカリナ:日本でも、私が小さいときは近所に得体の知れない不思議な人が居たわよ。軒を借りて小屋をつくって住んでいたりするの。そういう人を見ると、いろいろ想像したものだったけど、今は「不思議を感じさせてくれる人」は隔離されちゃっているでしょ。イギリスには移民もふくめて「変わった人」はたくさんいるわよね。学校行かないで平気な人もいるし。日本のような、みんなが「並み」の画一的な社会では、日常的なファンタジーは生まれにくいのかもしれないな。

愁童:ぼくも、集団疎開先で経験してるね。得体の知れないおじさんがいて、村人がそれなりに存在を認めていて、下肥汲み専門みたいな仕事をやってるんだけど、仕事がないと、いつも共同温泉場にボーっと入ってるんだよね。顔だけがお湯の上にプカプカ浮かんでるみたいな感じでね。ぼくら子どもも、そのおじさんとよくいっしょに入ったよ。なんか不思議だったね。

ねむりねずみ:画一社会は、そこにいることで、ぞわぞわっとする部分を感じる人、っていうのを、全部排除しちゃうのよね。

紙魚:これ、表紙はもちろん悪いんだけれども、私にとってはいい経験になりました。編集者の役割というものを考えられたからです。入社したての頃、書店のお手伝いをさせていただいたことがあるんですが、毎朝、その日の新刊が届くと、店長が中身を見ずに、店に置く本と置かない本をふりわけていくんです。店長は、表紙だけをぱっと見て瞬時に判断していくんですよ。わー、待って、その本おもしろそうなのに! なんてことがよくありました。本を選ぶ理由って、いろいろあるじゃないですか。内容がいいってことはもちろん、ほかにも、手ざわりがいいとか、デザインがいいとか、気にいっている書店で薦められていたからとか。でも、やっぱり表紙って大事なんだな、本の顔なんだなって実感しました。今回、内容はいいのに、表紙がよくないこの本を見たことで、本づくりの一端を担う者として、できるだけその本のよさを伝える努力は惜しみたくないと痛烈に感じました。作品を好きになり、この世界を理解しようと努めて、できるだけいい表紙を作ろうと。こんな本になっちゃうこともあるのだったら、逆にそれだけがんばれる部分もあるんだなと思ったんです。

オカリナ:私は、とにかく目をひく表紙にして本屋に置いてもらおうとしてるのかな、とも思ったんだけど、表紙に引かれて買った人は逆に失望するでしょ。売れちゃえばいいって思ってるのかな?

トチ:そういう版元だとしたら、版権を買うのが許せないわよね。

オカリナ:表紙や書名が中身と合っていないいう意味では、今のところ今年いちばんギャップの大きい作品でしょうか?

(2001年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)