『ふくろ小路一番地』
イーヴ・ガーネット/作 石井桃子/訳
岩波書店
1957
原題:THE FAMILY FROM ONE END STREET by Eve Garnett, 1937(イギリス)

<版元語録>ふくろ小路一番地に住む、子だくさんのラッグルス一家の物語。長女がお客さんの洗濯物をちぢませてしまったり、ふたごの男の子たちが少年ギャングに入って冒険にのりだしたり、下町の家族はいつもゆかいな事件でにぎやかです。

愁童:この本って、当時は教科書みたいに読んでたんだけど、今回読んで、時代が変わっちゃったなと思ったね。石井さんも、イギリスの下層階級を書いた児童文学の初まりだって書いてるけど、今、下層階級のユニークな子どもが書かれてると言われてもピンとこない。時代のなごりがあったときにはよかったんだけど、今の子どもには無理なんじゃない? こんな変わっちゃった感想をもつとは、自分でも意外だったな。訳の問題もあるけど。

オイラ:原著が出版されたのって、ぼくが生まれたときより前なんだよね。実は飛ばし読みしちゃったんだけど、昔のよき時代らしい、貧しさのなかの良さ、おふくろの存在感、子どもたちの豊かな行動。貧しいからこそ、子どもたちが生き生きと動きまわってるというのがとってもよく出てる。リンドグレーンの『やかまし村の子どもたち』でも思ったんだけど、今のゲームばっかりやってる子は、どう読むんだろう?

ウォンバット:この本、好きだったのに存在をすっかり忘れていたので、今回久々に読むことができてうれしかった。「あー、こんなにいい子がいたじゃないの。忘れててゴメン」と思いました。一か所すごーく好きな場面があって、それはジョーがウィリアムの口に自分の指をスポンと入れるとこなんだけど、そこを読んだら、この本を読んでたころのことがパーッと蘇ってきてね。この「スポン」がカタカナなのもちゃんとおぼえてて感慨深かった。さっき、愁童さんから今の子には受け入れられないんじゃないかというような話が出てましたが、私は無理とは思わないなー。たしかに今回の3冊は古いけど、別の世界のことを知るおもしろさってあると思うから。

愁童:さっきオイラさんも言ってたけど、貧しい時代の子どもの豊かさというのは、ぼくも感じるんですよ。職業による階級なんてのも、昔の日本にもあったしね。しかも学校ではそれがぐちゃぐちゃになって存在してたんだな。そういうセンスで書かれてるんだよね、この本は。今の日本人の感覚からすると、古いアパートにいて、お母さんが夜働いてるなんてのも、あんまりないように思っちゃうけど、実際は多い。だから、それが原因で、ひけめがあったりいじめられたりってこともある。でも、一億総中流って言われれば、子どもたちもそういうもんかって思うじゃない。とすると、今の子どもたちにすっと受け入れられるとは思えないな。

ウォンバット:うーん。でもね、自分とかけ離れていれば、かけ離れているなりに、時代小説を楽しむのと同じようなヨロコビがあると思うの。異世界のように感じながら読むのもまたよし、と思うけど。

モモンガ:当時は、外国の児童文学が今ほどなかったから、はじめての外国のようす、という感じでおもしろく読んだというのもあるわよね。

ウォンバット:パンを食べたというところも、どんなパンなんだろうと思ったりして。

オカリナ:この本は絶版になってるから手に入りにくいんだけど、図書館なんかで借りて若い人たちと読むと、みんな一様におもしろいっていうのよね。ほとんど女の子なんだけど。ここには、ひとつの家族の理想のかたちっていうのがあるのかなと思います。子どもたちは学校や親に一挙手一投足を監視されているわけじゃないし、自分でいろいろ試しては失敗するっていうのがおもしろいんですよ。それと、ここに書かれてる子どもたちは、親が働いている姿を身近に見て育ってるから、家族の基本的なつながりがある。石井桃子さんの訳もそんなに古くないし、エピソードがおもしろいから、この本は復刊してほしいなと思ってるの。

オイラ:やっぱり大家族っておもしろいじゃない。今の若い人がおもしろいっていうのも、その辺じゃないかな。

愁童:出版された当時は理想的な児童文学と言われて、それなりの現実感をもって読んでたんだけど、自分の子ども時代と重なるっていうのとは違う。今読んでみると、現実感がないんだな。

トチ:ここに描かれているのは、物質的な幸せよね。ケーキをもらってうれしいというような、わかりやすい幸せ。同じ時代なのに、ケストナーの『点子ちゃんアントン』のほうは、物質的にみたされてるだけじゃ幸せじゃないって書かれてて、ここが新しいところよね。

オカリナ:うーん、物質的な幸せが描かれているっていうよりは、物がないから、ささやかな物でも幸せになれるってことが描かれてるんじゃない? その辺はローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原」シリーズと同じだと思うけど。点子ちゃんは家庭的に幸せではなかったけど、ふくろ小路の子どもたちは家庭的には幸せなのよ。

トチ:でも、雨にぬれちゃって、お金持ちの家に行ってフランネルを着せてもらうなんてくだりは、物質的な幸せが描かれていると感じましたね。

モモンガ:子どもには、そういうのがわかりやすいのよね。

愁童:帽子買ってもらうじゃない。でも、海に流されちゃって。結局返ってくるんだけど、ここらへんは、昔の家では非常にリアリティあったんだよね。

モモンガ:帽子のところで、みんなと違う古い紺のをかぶっていかなくちゃならないなら、もう生きちゃいられない、っていう気持ちは共通よね。

一同:うんうん(とうなずく)

オカリナ:たしかに自分の体験と重なるからおもしろいっていう本もあるけど、私は子どものとき、自分とはうんと違う人生を送っている人のことを読んでみたいっていう気持ちが強かったの。状況や人物が目の前にうかびあがるように生き生きと書かれてれば、実体験とは重ならなくても、おもしろく読めるんじゃないかな。

:兄弟が多くて、両親が働いていてっていう状況に自分を重ねる一方で、今の子どもたちにどう読まれるかなって疑問をかかえながら読んでました。図書館の仕事をしていたとき、『ふくろ小路一番地』は印象にないんだけど、『やかまし村の子どもたち』と『点子ちゃんとアントン』はいっつも貸し出し中でした。学校図書館で実際にいつも読まれてる本なんです。実生活で制約されてる子どもたちが、気持ちを一緒に遊ばせることができる本なのかなって思ってはいました。

紙魚:この本、昔、確かに読んだはずなんだけど、全然覚えてなくてびっくり。たぶん子どものときは、主人公の子どもたちに自分を重ね合わせて読んでたんだけど、今読んでみると、おかみさんに感情移入してたりってことがありました。小さいときは、このお母さんのこと、なんとなく邪魔だなあって感じてたと思うんですよ。お母さんがいい人だって思うようになったのは、大人になっちゃったってことなのかな。いいくだりがあるんですよね。「赤んぼのことでは、若い男は信用できない」なんてとこ、うんうんなんてうなずいちゃったりして。

オイラ:今のお母さんはあまり怒らないから、こんなふうに生き方を正そうとして怒るお母さんに、子どもは憧れるかもしれないね。

:イギリスの文化がハイカルチャーからローカルチャーに移行する時点で出てきた画期的な作品ですよね。労働者階級に光があたって、読み手も広がっていったんですね。下層の人たちの生活のバイタリティやリアリティが描かれ、ユーモアもあるっていうことで、時を超える価値をもっているんだと思うの。私は帰国子女で、最初英文で読んで、そのあと邦訳で読んだんですが、ふしぎとギャップがなかったんですよ。そういうのはなかなかありません。非常に好きな作品でもあるし、評価したい作品です。現実感覚が遠ざかったとしても、時をこえたリアリティはぜったいにあるはず。これは今回の3作を通して言えることだと思います。

オカリナ:バイタリティやユーモアは充分感じられるけど、労働者階級のリアリティが描かれているかどうかという点は、イギリスではいろいろ反論がありますよね。だからイギリスでは、今の子どもに薦める本のリストにはあんまり入ってこない。

トチ:私は、大人になってから読んだので、子どものとき読んだらどれだけ熱中したかわからないけど、作者の位置、視点が、労働者階級に立ってなくて中流とか上流から見ているのが気になるところ。これくらいの古さのものって、難しいのよね。もっとずっと古い作品だったら、「この時代だったら、作者がこう書くのも無理はない」と思うことができるけれど。やっぱり、私はひっかからずには読めないっていうところが、どうしてもありますね。

愁童:若い頃炭鉱にいたとき、白いヘルメットとかかぶって東大生がくるんですよ。おばさんがおにぎりなんかで歓待するんだけど、実際には、彼らは帰ってから一流会社に入っちゃうんだよね。産学共闘っていうのは幻想なんですよね。今読むと、この本にもそれと似たような違和感がありますよね。ただ、以前「こだま」の同人で薦められて読んだときは、おもしろかったから、こういうふうに書かなくちゃって思いましたよね。

トチ:その頃、日本でも柴田道子さんの『谷間の底から』なんかがもてはやされてましたよね。

オカリナ:柴田さんの作品は、またこれとは違うと思うのよね。普遍的なバイタリティというところで、私はこの作品は評価はできると思うの。イギリスでは階級によって、食べるものも、話し方も、行く学校も違うけど、日本ではそう違わない。だから、日本の読者の方が「労働者階級をきちんと書けているのかいないのか」という問題に目を奪われずに、大家族のにぎやかな暮らしや、子どもの視点におもしろさを見いだせると思うの。ただし、小説家が落としたお金をお父さんが届けたとき、小説家は「ひとりあたま五シリングで、一生の望みをとげ、これほど幸福になれるとは・・・五シリングで! なんてことだ! ラッグルスさんをあわれんだらいいのか、うらやんだらいいのか」と思ったって書いてあるんですけど、この辺は作者の視点が小説家の側に立ってるような感があって、ちょっとざわざわっときますよね。

モモンガ:この本は、貧しい労働者階級を書いてるんだけど、当時は、悪いお金持ちを貧しい人が見返すという類の物語が多かったですよね。でもこれは、貧しい側がちっとも卑屈じゃない。お父さん、お母さんは非常にまっとうな考えをもってるし、貧しいとか貧しくないとは関係ない、普遍的なよさを持ってる。あとはね、私はこの本で、子どものかわいさってものを理解することができたんです。だからこの本、今でも好き。それに挿絵がとてもいいの。挿絵にどの場面かっていいうキャプションがついてるのもいいわね。あとね、(手もとの画集を見せながら)私はイギリスの画家サージェントの「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」の絵が大好きで、長女のリリー・ローズの名前の由来がこの絵からきているとわかったとき、それはそれはすごくうれしかったの。

オイラ:そうそう、この本には「待って得た喜び」っていうのが書かれてるでしょ。映画のとことかね。僕らの子どもの頃ってたくさんあったんですよ。帽子を、さんざん待ってやっと買ってもらっても雨の日には絶対かぶらないとかって、本当にあったんですよ。お金がなくてね、ハチに三十何箇所もさされても、病院に行かない。かわりに祈祷するところにいって、お米でおまじないしてもらうっていう生活なんですね。懐かしい場面がたくさんあったなあ。

紙魚:今の幼児だって、大人から見ればたいしたものでないのに、待っても待っても、ぜったいこれじゃなくちゃだめなんだっていう強い気持ちがあると思うな。

オカリナ:3歳くらいまではそうだけど、それが小学生にあがったころから変わってくる。

オイラ:このところぼく、実感してるんだけど、やっぱり家庭かな。そういうのって、家庭によって違うんだよね。

(2001年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)