『霧の流れる川』
岡田依世子/作 荒井良二/絵
講談社
1998.07

<版元語録>そのころ戦争はさまざまな形で、ふつうの人たちのふつうの生活にいくつもの影を落としていた。そしてその闇は、今…。戦争中、ぼくの村でなにがあったのか?第37回講談社児童文学新人賞入選作。

すあま:いっしょうけんめい書いたんだなという作家の人の気持ちは伝わりました。カナちゃんという女の子の話かなと思って読んだら、途中から主人公は保君というお兄さんということがわかって、カナちゃんの影が薄くなるのは残念。最後、お父さんがいきなり出てきて正論をとうとうと語るので困ってしまいました。作者の言いたいことをぜんぶお父さんに語らせるなよ、と思いました。これで保くんは、納得できたのでしょうか? もし花岡事件を伝えるんだったら、花岡事件のことも書いてもよかったのかな。最初の作品だったということで、よくがんばりました、というところでしょうか。戦争をまったく知らない年代の人が、加害者の立場として書いたんでしょうね。

トチ:花岡事件を書かなきゃという熱意はうかがえるけど、手法が目新しくない。最初読むだけで、ストーリーがわかっちゃう。はじめから風景描写が長々と続いているから、物語に入りにくい。これが書きたいと思ったら、どういうふうに書いていったらいいのかを考えなくてはいけないのだけれど、日本の児童文学って、テーマだけで、よくぞ書いたとほめられるのよね。妹からお兄さんへ視点が移るのもわかりにくいし、妹のカナちゃんにもいまひとつ魅力がない。志は高いけど、書き方がどうもという感じがしましたね。

愁童:この人、自分が戦争をしょってないじゃない。どっか自分たちの世代は関係ないみたいな意識がすけてみえるような気がする。まじめな人だなと思うけど・・・

紙魚:いちばん気になったのはやっぱり、妹が主人公かと思って読んでったら、途中から保に変わっちゃうところ。最後まで、どこを頼りに読んでいくかがつかめなかった。頼りにできる確かな視点がほしい。それに、保が自分でレポートを書きながら発見していくのかと思いきや、すべてお父さんが語って結論づけたりしているところも気になった。ただ、戦争ものって、私自身も体験がないし、自分の立場をどこに置いていいかすごくこわいです。

トチ:戦争についていうべきことって、たったひとつだと思うの。だから、大事なのは書き方よね。

ペガサス:子どもの文学の戦争もので大事なのは、主人公の子どもが、どれだけ自分の眼で真実を見ようとしていくか、という点が描けているかどうか。それが評価の基準になると思うのね。この本の扉に、「戦争中、ぼくの村でなにがあったのか?」と書いてあったので、こういうスタンスなら期待できそうだぞ、と思ったんだけど、やはり途中で視点が変わってしまうとか、がっかりするところがあって、期待したほどではなかった。それにこの人の文章は、読みながら順々にイメージを形作っていく作業をするときに、ひっかかってうまく流れないことが多々あって、大変読みにくかった。自然な流れでイメージが結べないの。冒頭の情景描写からして、目線があっちこっちに飛ぶので、私は混乱してしまいました。うまい文章を書こうという意識があるためか、修飾節を長々とつけすぎるきらいもあると思う。

トチ:核心に迫るために情景を書くんじゃなくて、日本児童文学の常套的な手法なのよね。

アサギ:一般的に、登場人物にえんえんとしゃべらせるのに、優れた文学ってないわね。シリアスなものってそうなりがちだけど。

トチ:自然描写にしても、それにふさわしい登場人物の心の動きがあるのにね。

愁童:対して『壁のむこうの街』は描写が適切ですよね。主人公の心象ともぴったりじゃないですか。

ペガサス:キーパーソンであるおじいちゃんに対しての愛情があまり感じられなかったのも気になった。

ブラックペッパー:おじいちゃんを突き放して書いているのは、そこがリアリティの見せどころよって思ったんじゃないかな。私はまださっきの『壁のむこうの街』が尾を引いていて、戦争を描くのも難しいけど、読書も難しい・・・と思っているところ。気分を変えてこの本にいってみますとですね、表紙はきれいな本ですが、目次を読めば、もうだいたいわかっちゃう感じ。よくできてるんですけど、優等生の人が一生懸命書いたんですね。これは、そう書きなさいと言われたのかもしれないけれど、後書きの「この国で最後の戦争が終わって、ちょうど二十年めの年に、わたしは生まれました」という一文を読んで、私とは気が合わないなと思いました。あとね、p122の少年が夢を見るシーン。夢に見ちゃ、だめよねー。

:読み始めて、だから戦争ものは嫌なんじゃん、とすぐ思ってしまって。この人は、自分の田舎を書きたかったのかな。荒井良二さんの絵で救われた感じ。いっぱい挿絵があれば、もっと読み進められたかな。子どもの本のなかで嫌いなのは、大人が割り込んでくる本。

アカシア:荒井良二の絵が、イメージを豊かにするのに大きく貢献してますね。花岡事件について、この30代の作家がまじめに取り組もうとしているのは、よくわかったし、この人なりに考えぬいているのも好感がもてました。そんなに嫌味だとも思わなかった。考えぬいたものを伝える技術がまだ未完成なんでしょうね。お父さんが子どもに話すとき標準語なのは、どうして? 方言だったら、もう少し演説風じゃなくなったかもしれないな。

ねむりねずみ:前に、この会で花岡事件を扱ったノンフィクション(『花岡1945年夏』野添賢治著 パロル舎)を取り上げたとき、かなり厳しい評価を受けていたから、若い人がフィクションで花岡事件を取り上げるなんて、がんばってるな、っていうのがまずありました。村の人たちが自分たちのやっちゃったことを悔いながら、ひた隠しにしようとする、そういう日本的なところは書けていると思うし、カナの「ごんぼほり」の性格のところなんかもほほえましかったけれど、夢で見ちゃったりするのはやっぱりお手軽。学校で中学生相手に戦争の授業をするとき、講義になっちゃうとまるで相手の心の中に入っていかないし伝わらない。その意味で、こうやって大人にぜんぶ語らせちゃうのはまずい。戦争を伝えるというときに、一つ前の段階にさかのぼって人間がもっている残酷さに立ち返って伝えるっていうやり方があって、それはとても有効なんだけど、だからといって過去の事実を伝えないままでいいということにはならない。現実に若い友だちが南京に行って、南京で何があったか知っていたことで、中国人との関係ががらっと変わったというし。でも、実際に過去の事実を心に届くように伝えるのは本当に難しいんですよね。

(2002年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)