ロバート・ウェストール『弟の戦争』
『弟の戦争』
原題:GULF by Robert Westall, 1993(イギリス)
ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳
徳間書店
1995.11

<版元語録>イギリスで子どもの選ぶ賞複数受賞 ぼくの弟は心の優しい子だった。弱いものを見ると、とりつかれたみたいになって「助けてやってよ」って言う。人の気持ちを読み取る不思議な力も持っている。そんな弟が、ある時「自分はイラク軍の少年兵だ」と言い出した。湾岸戦争が始まった夏のことだった…。人と人の心の絆の不思議さが胸に迫る話題作。

すあま:もともと弟がエスパーだった、ていう設定には驚いた。この手の話だと、弟が主人公になっていそうだけど、傍観者であるお兄さんが主人公っていうのはおもしろい。弟の名前が2つあるところも、手がこんでいる。今の子がこれを読んでどう感じるのか興味がありますね。これもある意味SF的な物語。どんなに悲惨な話でも、やっぱりおもしろくないとだめだと思う。

アサギ:いちばん感心したのは、手法。彼はこういうテーマで、説得力あるものにするために考えたんでしょうね。次どうなるかなという、本を読ませる原点がきちっとあった。なるほど、こういうかたちで湾岸戦争をとりこんだのかと。それから最後のところがよかったですね。弟が普通の子になってしまったお兄さんの寂しさ。そのへんの感覚がよく出ていた。p164のところが、いちばん言いたいところですよね。それから、p14のあたり、3歳でこんなに思うかな。リアリティとしてひっかかりました。

トチ:今の子どもたちに、被害者の立場ではなくて戦争をどう伝えるかということを、ウェストールはさんざん悩んだ末に、こういう手法を考え出したんでしょうね。メッセージをストレートに伝えるのでは、上滑りしてしまう。その点、うまい手法に卓越した才能を感じたけれど、それ以上に「これを伝えたいんだ」という作者の熱い思いに感動しました。では、次はどういう手法をつかったらいいかというと、とても難しいことだと思う。今の日本の児童文学にどれくらい現代の世界を描いている作品があるか、という点についても、考えさせられたわね。

愁童:たしかに設定はうまいし、感動もあるけど、好きになれない。こういうふうにしないと戦争を語れないというのもわかるんだけど、この設定に惹かれるあまり、兄弟を描くことに力を費やせなかったんじゃないかな。例えば父親のラグビーに同行したときのエピソードなんかでも、試合後のシャワーを英国中年男性の平均的楽しみなんて書いてる。回顧として書いてるのは分かるけど、13歳の少年の印象を語るのに、なぜ中年男性の平均的楽しみが出てくるの?

ペガサス:今、言われてみればたしかにそうだと思うけど、読んでいるときはとにかく弟の変化に目を奪われてしまい、そういうことに気づかなかったな。作者のテクにはまってしまったか・・・。『霧の流れる川』の後だったから、不必要な形容詞もなく、一文一文が短くて読みやすかった。結局、戦争っていうのはどちらかの立場に立つことしかできないわけだから、両方の立場を書くとしたら、こういうのは実にうまい設定だと思った。そのことによって、子どももいろいろ考えるだろうし。

ブラックペッパー:すっとんきょうな設定にびっくりして、だんだんひっぱられて、戦争を描くにはいい手法なんでしょうと思ったんですけど、お母さんが(最後に一段落してから)人助けの仕事に戻らなかったというのは、働く女性としてくくられるのはどうかなと思いました。邦題はいまいち。

トチ:原題は、GULF。湾岸戦争と、人と人との断絶とか亀裂とかいう意味のダブルミーニングでしょ。

アサギ:お母さんの話は、フィギスもいなくなってしまったというくくりでってことじゃない。冒頭と最後は呼応しているのよね。

アカシア:このお母さん、最初は自分と関係ない余裕のある立場で人助けのチャリティーをしてたのが、こんどは自分の家族が大きな問題を抱えこんでしまったわけよね。そこでいろいろ悩み苦しんだんでしょうね。で、一段落したからといって、以前と同じように、いわばお気楽に人助けなんてできなくなったってことなんじゃないのかな。

トチ:私も、そこはかえってリアルだと思ったわ。

紙魚:物語の構図のおもしろさというのはあったけど、構図ばっかりに気をとられてしまって、物語はあんまり楽しめなかったです。たしかに、いろいろな立場にたって戦争を描く必要があると思うけど、この物語は、戦争を体験するのは主人公の弟、しかもその弟が体験しているのは自分の国が戦っている相手国。この複雑な構図に、子どもの読者がどうやって入っていくのかは気になりました。

:あっち側にもこっち側にも戦争があるという手法はうまいです。どちらも書けるんだから、作者は本当に才能があるのね。

アカシア:それにウェストールは『‘機関銃要塞’の少年たち』(越智道雄訳 評論社)や『猫の帰還』(坂崎麻子訳 徳間書店)もそうだけど、戦争は悪いということが書きたいわけじゃなくて、戦争の中でも人間はいろいろな体験をするものだ、ということをユーモアを交えながら書いてますよね。おもしろさを追求しながら、自分もよく考えている作家だと思う。湾岸戦争が起こったのは1991年、この本が出版されたのは1993年。作家としてすばやく反応してますよね。湾岸戦争はお茶の間でテレビ中継された戦争だったわけですけど、大人は大したことなくても、子どもには大きな影響をあたえるんだっていうことを、この作品はよく伝えている。

トチ:1993年にウェストールは亡くなっているから、最後の作品なのではないかしら。声高に戦争反対を唱えていないけれど、相当突き動かされて書いたということは、はっきり伝わってくる。日本の児童文学作家も、第二次世界大戦のことだけでなく、もっと「現代」と切り結ぶ作品を書いてほしい、そういうものが読みたい、とつくづく思いました。

ねむりねずみ:前にウェストールにはまっていたころに読んで、こういう書き方があるのかと、まずそれでぶっとんだ。はるか遠くで起こっている、子どもにとってはまるで関係ないようにしか思えないことを、ここまでぐいっとひきつけて書くのはすごい。どうするんだ、どうするんだ、とはらはらして、最後には弟がこわれちゃうんじゃないかと思ったくらい。ただひたすら圧倒されるばかりでした。ウェストールって、男の子を書かせるとほんとうにうまいですよね。切り口と勢いでうまく持っていったなという感じ。ほんとうにうまい。まわりに無関心な世相に対する批判もあったりして、この人の作品の中では独特ですね。

(2002年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)