原題:ELDENS HEMLIGHET by Henning Mankell,1995(スウェーデン)
ヘニング・マンケル/作 オスターグレン晴子/訳
講談社
2001.11
<版元語録>地雷は、わたしの両足をもぎとった。だけど、「魂」まで奪えはしない! 今も地球上には一億数千万の地雷が埋まっている。これは、アフリカの小さな美しい国モザンビークの少女ソフィアが体験した、現実の物語である
羊:実話なので覚悟して読んだんですけど、ときどき文章にひっかかりました。『家なき鳥』と違って、宗教色がなかったのが意外。あんまり新鮮さはなかったけど、内容より、地雷とか社会的なことばかり気になってしまいました。『家なき鳥』ほど気持ちが入らなくて・・・。
ねむりねずみ:帯に実話とあって、本文の最初にもノンフィクションと書いてあるので、それに妙に足をひっぱられて、物語に入っていけませんでした。それにすごく邪魔されちゃって。アフリカのことはあまり知らないけれど、ピーター・ディッキンソンの人類創世の物語を読んだときのイメージと重なって、おもしろかった。鳥をいっぱい飼っているとか、イメージとしてとてもすてきなシーンがいろいろあるけど、それがひとつになってぐっと迫ってくるという感じにはならなかったな。
紙魚:冒頭、わりとイメージで押されてくるじゃないですか。なかなか、状況がつかめなくて、物語に入りにくかったんですね。たしかに、帯でノンフィクションという言葉が強く印象づけられるから、ちょっと動揺しちゃったのかな。それでもすぐに、わりとぐいぐいひっぱられて読みました。筋も気になるし、知らないこともいっぱい出てくるし。もちろん、少女の明るさとたくましさがいちばんでしたけど。驚いたのは、主人公と母親の関係があっさりしている点。一生懸命、義足で家までたどりついたのに。あー、きっと母娘で泣きながら抱き合うんだろうななんて思っていたら、わりとあっけない。その妙にクールなところが気になりました。
トチ:私はノンフィクションということを、全然意識せずに物語として読みました。『弟の戦争』(ロバート・ウェストール作 原田勝訳 徳間書店)もそうでしたけれど、これを書かなければという作者の熱い思いが痛いほど感じられて、胸を打ちました。登場人物のそれぞれの立場から書かれている点も、なかなかうまい手法だと思いました。
すあま:『家なき鳥』が読みやすいのは、話がうまくいくからじゃないかな。『炎の秘密』は、これでもかという状況が起きてくる。最初は、いつ地雷を踏むんだろうと気になります。踏んでからの足がなくなってしまった感じとか、お姉さんを亡くしたことへの罪悪感もうまく書けていました。たしかにノンフィクションだと、作品として悪いとは言えないということもある。でも女の子の心理描写を追って読めたし、読後感もよかったな。
アサギ:ヘニング・マンケルは、ドイツでもすごく人気のある推理作家。エンターテイメントの作家というイメージがあったんだけど、モザンビークの地雷の話なんで驚いちゃった。最近つらい話は苦手なので、最初いやだったんだけど、不思議と最後まで読んでしまいました。ソフィアは厳しい状況でもたくましく生きる子で、あとがき読んで、ああ他の子とはちがうオーラがある子だろうなと思いました。ただ、一気に読めたけれど、楽しい気分にはならなかったわね。でも、日本の子どもたちに読ませたい。『炎の秘密』っていうタイトルどおり、人間が原始的な生活をしていればしているほど、火って神秘的でよりどころとなると思うのね。モチーフとしてリアリティがあるじゃない! 『洞窟の女王』(ヘンリー・ライダー・ハガード作 大久保康雄訳 東京創元社)を読んだとき、アフリカの奥地に絶えない炎があってという冒険物語で、それは私にとって強烈なイメージだったのね。このモチーフは納得という感じだった。まあ、どっちかといえば『家なき鳥』のほうが好きだけど。
愁童:ぼくは、地雷の話かよっていう思いがあったんだけど、こういうのを子どもに読ませることにどれほどの意味があるのかな。ただこの作家は頭がいいし、うまいとは思ったね。段落を短く切って、いろいろな場面を簡潔に描いていく。メッセージが押しつけがましくない。最後、女の子が『家なき鳥』と同じような展開で、しっかり生きていく。ただ、『炎の秘密』には、「痛みにたえるときに黒い顔でも青白く見える」というような表現が所々にあって、作者が白人だからこういう書き方をするのかなと、ちょっと引っかかった。『家なき鳥』は作者が女の子の中にいるっていうのがわかるんだけど、『炎の秘密』の方は、アフリカはたいへんだなあ、地雷なんか踏んじゃってたいへんだって、外から書いてるような感じがしたんだけど。
ブラックペッパー:今って、長野オリンピックの聖火ランナー、クリス・ムーン以来、坂本龍一も地雷ゼロキャンペーンみたいなことしたりして、ちょっとした地雷ブームだと思うんですよ。この本、なんて美しい表紙だろうと思いつつ手にとったんだけど、ああ地雷ブームもこんなところまで・・・と、ちらっと思っちゃった。でも、よく見たら作者はここの住民だったりして、とおーいとおーいところから理想だけを語っているのではないということがわかって、よこしまなこと考えてスマンって気持ちになりました。これを読むことは意義があるし、それでいてつらすぎないところもいいとは思うんですけど、今月の落ち込み気味の私の気分には合わなかったんです。
ペガサス:地雷の話とか、本当にあった話という先入観とかもたずに読んだんですね。そうしたらいきなりお父さんが死んじゃって、なんてかわいそうなんだろうと思っていたら、もっとすごいことがつぎつぎに起こって、まあなんてかわいそうなんだろうと思って読んだんですね。なんとかこの子に幸あれと、どんどん先を読まずにはいられない。次がどうなるのかなと。一人称でないのに、こんなに主人公に心をよせて読める本も珍しいわね。周りの人がソフィアをどう見ているかというふうに書かれていくので、ソフィアに心を寄せられたのかもしれない。先入観なく読むと、冒頭部分は何がなんだかわからなくて、2章から様子がわかってきた。1章は途中まで行ってから、もう1度読み直してやっと意味がわかりました。
杏:ソフィアが好きになったし、本も好きになった。地雷の話については、先入観もあったんですが、テロがあったり、イランの映画監督のインタビューを見たりして、自分は何も知らなすぎたなと思っていたので、興味をもって読めました。NHKのドキュメンタリーでアフリカの黒人の人たちの複雑な状況を知って、ショックを受けたことがあるんですが、私は、そのとき、日本とアフリカでは、あまりにも環境が違いすぎて、自分の身をそこに置いてみても、どういうふうに考えていいいかわからなかったんです。どこか外から見ているようで。この本を読んで、この少女の体験を通して、内から見ることができたような気がします。ソフィアの明るさ、前向きさ、内なる声に耳をすましながら一歩一歩歩いていく確かさとか、彼女の生きざまに心動かされた。自分がこういう状況だったらとても耐えられないだろうと思う。でも、現実のアフリカの状況は、もっと厳しいのだと思います。作者がアフリカ人ではないので、この話にどのくらいリアリティがあるのかは、本当のところはわからないとも思いますが。つくづく出会いが人生を救ってくれるんだなあと実感しました。学校に行きたいとか、家があったらいいなとか、今の日本では考えられないけど、憧れとか、ほしいという気持ちが達成されると、ものすごい健全な喜びが表現されているように思える。だからこそいろいろなことが当たり前になっている日本の子どもたちにも読んでほしい。外側から見てるより感じるところが多いんじゃないかな。白いドレスをシーツで作るところとか、部屋の中に鳥がいて、という場面もいいなあと思ったし。ファティマの家に泊めてもらった日の夜のシーンはたまらなくいいですね。縫い目の中に人生のすべてがあるというファティマの話、私も忘れない! と思ってしまいました。と、かなり入れ込んで私は読みました。
アカシア:ナチとか、地雷の話って、何度も聞くと、あ、またかと思ってしまいがちだけど、この間、それについて学者の話を聞いたんですね。それによると、人間は嫌な情報はなるべく排除しようとする心理が無意識に働くんですって。だから、きちんと社会のこととか世界情勢のこととかを裏面まで含めて見ようとすれば、単なるイメージではなくて、きちんとした知の体系にして頭の中にインプットしていかなければならないって、その人は言ってたんですね。だからってわけでもないけど、私は、またか、と思わないで、敢えていろいろ考えてみようって思うことにしたの。この作品は、作者が舞台となっているモザンビークに住んでいるので、人々の心の動きもふくめて、かなり実像に近いかたちで書かれているんじゃないかしら。ただ北側の人が南側の人たちとまったく同じように暮らすというのは無理があると思うんですね。複雑な垣根がある。それから、挿絵なんだけど、現実が厳しいから夢のような絵にしたんだろうけど、たとえばp64の絵、ドレスっていっても、もう少しアフリカの文化を反映させてもよかったんじゃないかな。白いドレスなのに水色なのも気になる。私は、さっきアサギさんの話を聞くまでこの作家のこと何も知らなかったんだけど、エンタテイメント作家が書いた文章とは思えなかった。導入部も最初はわかりにくかったし、ごつごつしたイメージ。オビには「現実の物語」というところにノンフィクションとルビがふってあるけど、まったくの事実を書いているというよりは、実際に地雷の被害にあった少女をモデルとして書いてるってことよね。
子どもが地雷で足を失って義足をつける場合、成長に伴って義足も替えていかなければならないから、お金がないと大変なんですよね。主人公のソフィアは、13歳で一日中働くわけだから、ユニセフなんかで非難している「児童労働」の範疇に入るんだけど、自分で稼がないと新しい義足も買えない境遇。ソフィアが明るいのは救いだけど、これほど力のない子どもたちは、どうすればいいんでしょうね。
ねむりねずみ:フィクションなのに、これはノンフィクションって押されるのは、私はいやなのよね。
アカシア:現実をもとにしたフィクションだもんね。最初はソフィアの心象風景から入っていくわけだし。あとね、主人公がこの若さで仕立て屋さんになって自立するっていうところを考えても、ほんとにこの子はまれな一人なのよね。そこまでできない子もいっぱいいるんだってことも、考えていったほうがいいよね。
愁童:たとえば、ソフィアがシーツを盗んできて、すごく悩むじゃない。でも、シーツ盗まれたほうは気づいてもいないよね。この作者には、どっちかっていうと後者の目線を感じちゃう。『家なき鳥』は、肌の色の描写もないし、インド人の気分で読めたんだよね。でも『炎の秘密』は、どうしても白人の目線を感じちゃう。
アカシア:この作家はもともとスウェーデンの子どもたちに向けて書いているんだろうから、肌の色なんかまでイメージできるように意図的に表現してるんじゃないかな。私がかかわった本でも、黒人と白人が出てくる話があって、話の内容や名前から白人だとわかるはずと私が思っていた登場人物を、黒人だと思って読んでた読者がいたの。だから、少し詳しく説明しとかないと、わかりにくいってことも、あるのかも。
ペガサス:それは、日本人は、肌の色とか髪の色とか意識せずに読む癖がついているから。いちいち肌の色の描写など、ヒントが書いてないと、イメージを思い描くのは難しいと思う。
愁童:でも、だったら「黒い顔でも青白くなる」って書かなくちゃいけないの? ただ「青白くなる」じゃいけないの?
アカシア:これは「でも」っていう言い方がまずいのかも。翻訳の問題かもしれませんね。
(2002年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)