『辺境のオオカミ』
ローズマリ・サトクリフ/作 猪熊葉子/訳
岩波書店
2002.01
原題:FRONTIER WOLF by Rosemary Sutcliff, 1980(イギリス)

<版元語録>ローマ帝国のさいはてに、〈オオカミ〉と呼ばれる者たちがいた。/ローマ軍の青年指揮官とブリテンの氏族との、友情と憎悪、出会いと別れ——『第九軍団のワシ』『銀の枝』『ともしびをかかげて』につづくローマンブリテン・シリーズの完結編

:これまでの猪熊先生の訳は非常に読みにくかったけれど、ずいぶんこなれてきたように感じましたね。3部作の続きだからと4作目も出したんだろうけど、やはり古いですね。訳文だけじゃなくて、アル—ジョン、暗喩、象徴性を使って、読者を成長させようとしているんだろうけど、今の読者にはこのスタイルはもう無理だと思う。サトクリフは、運命の不条理に立ち向かっていかなければならないという重いテーマを掲げてる。主人公をとりまく登場人物も不条理を抱いている。だから、啓示の瞬間をあたえるんですね。欲しても自分の力で得られないときに、啓示の瞬間をあたえて、道がひらけるという展開なんだけれども、物語からいくと、単に唐突にうつるんじゃないかな。ある人生観をもっていない読者にとっては、納得がいき辻褄が合うという運びになっていないんじゃないかと思いました。男の世界を書きながらも女を入れていくんだけど、今の中高生には、この男の世界は響かないと思うし、サトクリフが手渡したい読者とつながっていないんじゃないかと思いました。

紙魚:なにしろ読みにくかった。私はこれは修行だと思って読んだくらいです。おもしろいのはどこなんだろう?って考えながら読んで、なかなか見つからないので、不安になったくらい。長老に会いに行くところはちょっとわくわくしたんだけど、あとは読み進むのがつらかったです。もう、自分は、こういうものが読めない新しい世代なのかも、と思ってしまった。でも、読者が子どもっていうことを考えると、とくに子どもの頃って、本を理解できないと本が悪いのではなく自分が悪いと思ってしまう。そういう気持ちにさせてしまったら悲しいな。

もぷしー:私も、難しいというのと、全体の重い印象で、入っていけなかった。

:私は、こういう物語は割合好きなんですよ。だけどね、私が知っている限りの子どものなかでは、この本を薦めたい子はいないなと思って、これは私が読む本だな、と決めました。私はおもしろく読んだんですよ。長老にあいさつに行くところとか、クーノリンクスとの付き合いが深まって砦を守っていくところなんか、おもしろく読んだ。映画を観るように、情景を頭の中でつくりだしていくのは、おもしろかった。映画『ベンハ—』を観たときの感じで。まあ、これはひいき目もあるんですけどね。

アカシア:歴史小説って、日本の子どもに手渡すのが難しいな、といつも思うのね。これは4世紀くらいの話で、私たち日本人は、ローマ帝国については習うけど、そのとき辺境がどんなだったかは世界史でも習わない。だから舞台を思い浮かべるのが難しくて、日本の子どもたちには状況がよくわからないと思うんです。ストーリーの中心は、主人公がローマ帝国からつかわされて、族長の息子と仲良くなるんだけど、仲良くなった人を殺さなければならない運命になってしまう、というところかと思うんだけど、それがうまく浮かび上がらない。ストーリーそのものがドラマティックじゃないのかもしれないけど、日本語版の作り方にも問題があるかもしれない。編集者の手が全然入っていないように思える。翻訳者は物語の世界に入りこんでいるから客観的な目で見れば不足だったり、おかしかったりという点も当然出てきます。それを指摘して読みやすくしていったり、ある場合には日本の読者にもわかるように補足したりするのが、編集者の役目でしょ。
たとえばp57「わしは軍団をあげて怒りを示したんだ。おしまいな」って、「おしまいな」というのはどういう意味? 誤植? p98「族長は入り日の向こうに行くらしいな」ってあるけど、この表現で死をほのめかしているのは、今の子どもにはわからないと思う。「フィナンは正しかった」「そしてクーノリクスはそれを知っていたのだ」っていうところも、よくわからない。しかも、「『おれたちのおやじさんだ!』足が地面につくかつかないうちに彼は喘ぎながらいった」ってあるけど、「死んだのはおれたちの親父だ」っていうことがちゃんとわかるように訳してほしかった。原文でも、状況がとんでいたり、説明的な部分は省いてあったりするんでしょうけど、そのままだと日本の読者には物語の流れがわかりにくくなっちゃう。p156の「ご指摘になりましたように、カステッルムの砦と第三部隊とはわたくしの指揮下にございます。司令長官殿がわたくしを解任なさろうと思われるのでしたら、ここで、司令官としての決断を下さねばなりません。それが誤っていたということが証拠だてられましたら、その後でご処分ください。」っていう部分も、p238「『〜後方から襲いかかる。もしも奴らの馬を逃すことができればもっといい.』森林地帯での戦闘は馬上では不可能だったから、敵にとっても味方にとっても好都合なのだった」という部分も、状況がつかみにくかった。p239の、兵士が矢を放つ状況もわかりにくい。p250には、「隠れ家」という言葉がはじめて出てくるんだけど、これが何を示しているのかとまどってしまう。最後の方は、もうわからなくてもいいや、と思って読んでました。裕さんは、ほかのサトクリフの作品より訳がいいとおっしゃってましたが、私はサトクリフの本の中では、いちばんわかりにくいと思いました。

ウガ:ぼくも、こんなに読みにくい本はたぶん初めてだと思う。しかも斜めに読んでも、筋がわかってしまう。これは小学生上級と書かれているのに、注釈もないのでびっくりした。『ルート225』を読んだときと、まったく別の方向の違和感を感じました。

すあま:私は、サトクリフの作品の中で自分が好きだったのはローマンブリテンものではなくて、『太陽の戦士』(猪熊葉子訳 岩波書店) とかその他のものだったことにあらためて気づいた。図書館員の友だちに聞いても、この作品は評判がいまひとつ。原書で読んだ人は、原書の方がおもしろかったと言っていた。急いで読んだので、わかりにくいところはすっとばして読んだんだけど、私は伏線をはっていたものが後で出てきたりするのが好きなので、そういう部分はおもしろかった。最後の読後感もよく、救いがあるのがいいんですよね。でも、主人公が、自分で復讐するわけでもないし、少年から大人へ成長する物語でもない。作者が書こうと思っているものが、もともとおもしろいものではないのでは? 本人の葛藤も、他の本ほど描かれていないし、友情が生まれるところも、目と目が合うぐらいで、あまり物語がないですよね。あまりにも絆が簡単にできすぎる。主人公の大変さや悩みが感じられないのが物足りなかった。

ペガサス:私はサトクリフはものすごく好きだったんですね。『運命の騎士』(猪熊葉子訳 岩波書店)や『太陽の戦士』とかおもしろくて、訳も気にならずに読んでました。歴史的舞台はわからなくても、物語がおもしろければ読める。これまでのものがおもしろかったのは、初めから主人公に同化して読めるし、これまでの作品の主人公は、何かハンディや劣等感があったりして、それを克服して自分のアイデンティティを確立するという成長物語というところが読者にもついて行きやすかったんだけど、この『辺境のオオカミ』は、主人公がどうしたいのかがわからない。たとえば、『運命の騎士』の冒頭は「名前はランダル〜」と始まって、すぐにランダルのことがわかって、ひきずられていく。だけど、この作品は、主人公のことがなかなかわからない。かなり読まないと、頭がいいのか悪いのか、前向きなのか後ろ向きなのか、わからない。唯一この主人公の人間性を感じたのは、若い兵士が内緒で猫を飼っていて、その猫にミルクを与える方法を教えるところ、あそこはすごく人間的で、この主人公に心を寄せることができる。でもそれ以外には、そういうところが少ない。挿絵もないし注釈もない。ひじょうに難しい。この本は、難しいけど、サトクリフがお好きな人だけお読みなさい、と言っている気がする。

ブラックペッパー:1か月くらいたったドイツパンのような本でした。持ったときずっしり重くて、かたくて、キャラウェイシードなんかが入ってていい匂いがするから食べたいなと思うんだけど、食べてみたら堅すぎてあごが痛くなっちゃったという感じ。読み始めて、すぐわかんなくなっちゃって、あら、と思ってまた最初から読みはじめても、ちょっと中断すると、またすぐわからなくなって、最初の方結局4回くらい読んだんだけど、p76までしか読めなかった。ふつう、わからなくても力技で読んじゃうんだけど、軽薄なのに慣れた読者にとってこの本はムズカシイ。藤野さんのは空気だけでおいしいという感じなんだけど、こちらはしっかり噛まないとわからないという本。

トチ:文体が問題なのかしら?

ペガサス:感覚的にわかるっていうろところが一切ないもの。

トチ:ストーリーがおもしろくないっていうことかしらね。

ねむりねずみ:私はすごく懐かしい感じで読みました。このところ、一人称で感覚的なものばかり読んでいたから、こういう情景描写を積み重ねていくのは久しぶりでクラシックな印象。でも、最初のページで日本語にひっかかって、p30くらいまで行って、しょうがない、もう引っかかるのはやめようと決めてからですね、どんどん読み進めたのは。情景描写自体はすごいなって思うんだけど、いかんせん日本語に引っかかったものだから・・・。前半はほとんど事件らしい事件もなくてちょっとだれたけれど、撤退しなくちゃというあたりからスリリングになり、後半は懐かしの時代物という感じ、映画を見ているような感じで読めました。たぶん、生きていくこと自体が大変で、うろうろと悩んでいられない人間達の活劇の爽快さみたいなものなんだろうけれど。でも一方で、後半に出てくる「自分の命を犠牲にしてでも全体のために奉仕する」なんていう動きは、今の私たちにはぴんとこないなあと思ったり。それと、ハドリアヌスの城壁(イングランド北部にローマ教皇ハドリアヌスが設けた城壁)や舞台となったあたりを知っていると、今の風景とここに書かれている風景をダブらせてタイムトリップする楽しさがあるけれど、日本の子どもにはそういう楽しみ方はできない。そういう意味で、読者となるのはどういう人たちなんだろう? 今の社会状況の中で、活劇のおもしろさを出すにはどういうドラマ作りをすればいいんだろう? と、ふと考えちゃった。カニグズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子訳 岩波書店)なんかはすかっとしているけれど。

アカシア:この作品にあらわれている価値観って、男性支配社会の価値観そのままだと思うんだけど。

ねむりねずみ:そうなんですよね。このドラマだって、要するに勝手に侵略してきた連中が撤退しているというだけの話だし。

アカシア:男の潔さだとか、決断とか、昔ながらのものを持ってきているという気もしましたね。

:サトクリフの帝国主義的な価値観も古いですよね。

トチ:過去の物語を書くと、嘘になりやすいし、今の人たちに受けいられないというのもあるし。

ねむりねずみ:地元民を主人公にすれば、そのあたりは変わるのかな。

トチ:やっぱり1ページ目の「膝に頬杖をついて頭を抱えている」っていう描写でつまづいた。「色の浅黒い若者」がアレクシオス・フラビウス・アクイラと同一人物だとわかりにくかったし、物語にも入り込めない。歴史ものを日本で出すときには、登場人物の紹介くらいはあってもよかったと思う。ほかにも百人隊長とかいろいろ混乱してきちゃって、おとなでも難しいのに子どもにはもっとわからないんじゃない。

アカシア:後書きでもローマンブリテン4部作はこれで完結と言っているんだけど、オビ以外その4部作が何をさすのか書いてないのも不親切ね。オビはなくなったり、図書館ではとっちゃったりするでしょ。それに、できればシリーズの他の巻のあらすじくらいは書いておいてほしかった。

:たしかに、そこはほんとに不親切ね。

トチ:初めてローマンブリテンものを手に取る人は、きっと読者として想定されていなかったのね。

(2002年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)