『アルテミス・ファウル〜妖精の身代金』
オーエン・コルファー/著 大久保寛/訳
角川書店
2002.08
原題:ARTEMIS FOWL by Eoin Colfer, 2001(イギリス)

<版元語録>アルテミス・ファウルは、伝説的な犯罪一家に育った12歳の天才少年。コンピューターを駆使して「妖精の書」を解読したアルテミスは、妖精の黄金を手に入れようともくろむ。だが本物の妖精たちは、物語に登場するような可愛らしい連中ではなく、ハイテクで武装した危険な集団だった!アルテミスと妖精たちの激しい戦いが始まる―。

愁童:これも、のれなかった。ゲーム本を読んでいるよう。主人公も最初の設定のまま何も変わらない。まさにゲームのキャラクター。一番感じたのは、あちらでも妖精がこんな形で書かれるようになっちゃったのかということ。でも、『真実の裏側』よりは、今の日本の子どもには受けるかもね。

もぷしー:ぜんぜんのれなかったです。装丁は好き。『はてしない物語』もそうだけど、本の表紙に本を再現しているのは、けっこうワクワクする。けれど、せっかく表紙に妖精の「ブック」を使っておきながら、物語の中でそのブックに立ち返るところがほとんどないので残念。キー・アイテムなのだから、ブックを読み解く興奮をもっと書いてくれるほうがいい。それに、読んでいても、どうしてもキャラクターの顔が見えてきませんでした。文章や行動から像がうかびあがってこない。だから、本が長く感じました。映画になると聞いたけど、文字で読むより、映画で見るほうがおもしろいものなのかな、と。あと、妖精の本というのは日本ではどういう受け止め方をされるのでしょう? この作品は、妖精が意外にもハイテクだったという設定に面白さがあると思うんですけど、妖精がこういうものだという既成概念がない日本の子どもが、それを楽しめるのかどうかが疑問だと思いました。

ウォンバット:私は古いタイプの人間なので、こういうのを味わうことが難しくてですね……。読むのも、苦しい戦いでした。読むことは読んだんですが、この場面がよかったというのはなくて、訳も「置き換え派」で読みにくかった。こういうお話って、「大人の干渉を受けない自由な子どもの気持ちよさ」があるんだろうけど、それがおもしろくてどんどん読めるというほどではなくって……。29ページ「きらめくマスカラ」は、マスカラをたっぷりつけた瞳がきらめいたんじゃないかと思うんですが。もしかして、ラメたぷりのマスカラなのかもしれないけど。そういうの、パーティでもなければつけないような気がするし、それともブロンドの睫毛に赤とかピンクとかのマスカラつけたりすると、きらめくのかな?

きょん:私も古い人間で、ぜんぜんおもしろくなかった。魅力を感じなかった。「悪のハリーポッター」と宣伝されても、主人公アルテミスがぜんぜん魅力的じゃない。有能とか、賢いとか、天才的とか書いてあるけど、言葉だけで、行動などで実証されていない。妖精が妖精なのに疑似人間社会みたいなのを作っているところも、魅力を感じない。これなら、なにも妖精である必要はないのではないでしょうか。それ以外のキャラクターも理解できない。トロールくらいかな、すんなり入ってきたの。納得いかなかった。訳が、テンポよく入ってくるけれど、だれが何を言っているのか、何をさしているのかがはっきりしなくてわかりにくい。妖精の書だって、アイテムとしては魅力なのに、どうなっちゃったのかよくわからない。このブックをめぐって事件が展開するのかと思ったのに、残念だった。

ペガサス:これだけ批判が出ると、私はすごく面白かったわと言いたい衝動にかられるけれど……。でも半分くらいまでは、ハリーポッターよりも面白いかなと思って読んだ。ハイテク化された妖精というのも面白いじゃないですか。半分くらいからは、雰囲気に飽きてしまって流し読み。やはり日本では妖精のイメージ自体が確立してないから、面白味も半減するということはあるでしょうね。でも、ところどころユーモアのある描写がよかった。満月の夜に何千人もの妖精が地上に出たがるから入国管理局は大忙しとか、秘密工作員をユーロディズニーの白雪姫と小人のところに送りこんでいるとかね。「紙に印刷した」ではなく、「A4の紙に印刷した」とか、「4倍に拡大した」とか具体的に書いてあるのは、思い描きやすいと思った。ハリーポッターの映画を思い浮かべつつ、これも映画になったらどうなるかとつい考えながら読んでいった。アルテミスは、最初は謎めいていたが、弱点が母親だとは陳腐。アルテミスの魅力が中途半端で、子どもの読者は、この主人公についていっていいのかどうか迷ってしまうと思う。また、ページの両側の妖精文字が、読むときにいつも目の隅にちらついて邪魔だった。

アカシア:この妖精文字は、解読しようとする読者にとっては面白いんだと思うな。

カーコ:私ってファンタジーは苦手なんだなあ。入っていけませんでした。妖精のイメージがないから、パロディになっていても、きっとアイルランドの読者のように楽しめないのかと。また、主人公のアルテミスが、これだけの事件を経てもいっこうに成長していないので、充実感がありませんでした。ピカレスク小説って、主人公の成長はあまり問題にしないのかしら? 成長への期待って、いつも読者は持っていると思うのだけれど。

アカシア:私も面白くなかった。アルテミスが、妖精のお金を奪って何をしたいのかがわからない。たとえば宇宙を支配したいとかのモチーフがあるなら、もっと「悪のハリー・ポッター」らしくなるんでしょうけど、今のままでは中途半端。それに主人公は12歳の少年なのに、「時間が停止しているあいだは、やらんよ」(180ページ)なんて言うの。「やらんよ」なんて、おじさんしか使わない言葉でしょ? だからよけい魅力が感じられないのかも。妖精についてだけど、『指輪物語』などは、ちゃんとその妖精ごとの特徴だとか歴史だとかを踏まえて物語に登場させているでしょ。その下敷きがあってハイテクにするなら面白いと思うけど、ここでは、たとえばケンタウロスもケンタウロスである必要性がない。だからイメージが重層的にならなくて、つまんない。

ねむりねずみ:表紙でプルマンと同じ訳者だと知って憂鬱になり、読みはじめてもっと憂鬱になった。最初のところだって、大風呂敷を広げてもったいつけて、どんな面白い話が展開するのかと思うんだけど、肩すかしをくらわされる。ハリポタと同じで、ディテールでくすくすと笑わせるやり方がうまく使われているとは思ったし、ハイテクファンタジーもありだと思うんだけど、何しろ中身がなかった。

トチ:主人公の苗字のファウル(Fowl)は鳥という意味だけれど、発音の同じfoul(汚い、不正な、ゆがんだ)という意味をほのめかしているし、バトラーは執事という意味だし、原書にはそういった言葉の面白さも存分に盛り込んであるんでしょうね。そういう面白さを翻訳で伝えようとするのは、非常に難しいことだとは思うんだけど……でも、登場人物の口調の統一がとれてないので、読みにくくなかったですか? たとえば、13ページでベトナム人のグエンが「……あっしは知ってますぜ」って言うでしょう。その2,3行あとで「そ、そんなことするもんですか。ほら、見てくださいな」とやけにかわいらしい口調になっている。「あれ、これは誰が言っているんだっけ?」と、もう一度読み直してしまった。

ウォンバット:ずっと気になっていたことが一つあるんですけど、ホリーのことを助けようとする上司ルートには、ホリーへの愛があったんでしょうか?

一同:???

ウォンバット:ならず者っぽい上司なのに、どうしてあそこまでして助けてやろうとするのか、わからなくて。そうだ、これは愛よ、愛にちがいないと思ってたんですけど。

アカシア:それはともかくとして、プロットだけで物語を構築していくと、キャラクターは破綻をきたしかねないのかも。

(2003年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)