すあま:おもしろく読めたので読み物といえば読み物だけど、教育目的で作られた本でもありますよね。現実の本づくりともシンクロしてる。ただ、ビッビさんは、怪しい存在だったのが、実はいいお姉さんだったのも気になるし、最後の種明かしもなーんだという感じ。図書館の分類でも、日本には日本十進分類法というのがあって、この本に出てくるデューイ分類法とはちがうのよね。その辺の説明が、日本の子どもたち向けにほしかったと思いました。最後にわざわざ日本の読者に向けて加筆してるんだから、そのことにもふれてほしかった。

ペガサス:ノルウェーの6年生に配る本としてはよく考えられているなあとは思うけど、日本の子どもたちが読むにはどうかな。手紙のやりとりで構成するところは工夫されているけど、文面があまりにも饒舌な感じで、こんなこと書くかなあ、と思うところも多かった。最初は不思議な要素をとりこんでいるので、どんどん次を読みたくなるんだけど、ビッビがあまりにも良い人になっちゃうのは物足りないし、最後に自分でべらべらしゃべってしまうのもね。翻訳では、図書館の目録のところを、カード式索引と書いてあるんだけど、それは、カード式目録とかカード目録といったほうがいいんじゃないかな。203ページの「システム分類がされていない」というのは、よくわからない。分類法が整っていない、ということか?

アカシア:これはノンフィクションじゃなくて、教育的ファンタジーっていうやつかな。ノルウェーの子どもだったらおもしろいかもしれないけど、日本だと、図書館もコンピューター化されているところが多いし、レターブックのやりとりも、今ならメールでしょうね。なじみがなさすぎて、日本の子どもはなかなか入っていけないんじゃないかな。それに、ファンタジー物語としては、あんまりおもしろくない。図書館の仕組みを知るにはいいのかもしれないけど、それにしてもこんなに長々と読まされなくちゃいけないのかという感じ。挿絵に不思議な雰囲気があって、それに引っぱられて最後まで読めましたけど。NHK出版は、『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著 池田香代子訳 NHK出版)を契約するとき、ヨースタイン・ゴルデルの本を全部契約しちゃって、出さなきゃいけないのかな。

紙魚:先日ある講座で、スプートニクショック後、アメリカが科学技術教育に力を入れるために、何冊かの本を子どもたちのために選定したという話を聞いたんですけど、その本というのは、3歳児向けがルース・クラウスの『はなをくんくん』(邦訳は福音館書店)、4歳児向けがエッツの『わたしとあそんで』(邦訳は福音館書店)だったというんですね。日本であれば、直球の科学絵本が選ばれそうだと思いませんか。これは、図書館学の本だけど、もし日本でそれを学ばせたいと思ったら、いきなり十進分類法が入ると思うんですね。だから、ここまでまわり道をしながら図書館の全貌をつかんでいこうとする姿勢には、どこか豊かなものを感じました。でも、ちょっとこれはまわり道しすぎです。結局、物語としての広がりが感じられないので、おもしろく読めなくて残念でした。

カーコ:本についての本を書いてくれるように依頼されて書いたとあったので、そう思いながら読んだんですね。ミステリー仕立てで読者をひっぱって、本の世界を紹介していこうというのが作者の意図なのでしょうけれど、私は、ミステリーのキーとなる「ビッビ・ボッケンの図書館」に魅力を感じられず、苦しいかなと思いました。気になったのは、主人公の二人の言葉遣い。12、3歳の子が書く手紙って、こんなふうかしら。とくに女の子の言葉遣いが、昔のお姉さんみたいで入りにくかった。原書で読むと、もっと軽い感じなのかも。それに、中でいろんな本が紹介されるわけだけれど、唐突さが目につきました。とくに、この子たちが、詩や戯曲まで話題にするというのは無理がないかしら。作為が見えて興をそがれました。それから、161ページのリンドグレンの本について語っている部分で、当の男の子が、こういう本は大人になってから読み返してもおもしろいだろうというようなことを言うのは、大人の視点じゃないかしら。260ページの「ぼくは、生まれてはじめて、本とはどういうものなのかを知った。本は、過去の人たちを生き返らせて、いま生きている人たちを永遠に生かす、小さな記号で満たされた魔法の世界なんだ。」ってところを読んだとき、これが作者の言いたかったことかな、と思いました。

アカシア:私はへそ曲がりだから、本に作者の「教えてやろう」とか「面白がらせてやろう」という作為が見えるのはいやなんですね。『はなをくんくん』とか『わたしとあそんで』には、そういう作為は見えませんよね。私がノルウェーの子どもでも、こういう「教えてやろう」式の本はいやだったかも。

(20031年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)