『ケンスケの王国』
マイケル・モーパーゴ/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2002
原題:KENSUKE'S KINGDOM by Michael Morpurgo,1999

版元語録:南の海で遭難した少年は,孤島に住む老人に助けられた。老人は旧日本兵。島のサルたちを守って,一人ひっそりと暮らしていた。
*2000年イギリス「子どもの本賞」受賞!

愁童:おもしろく読みました。読みましたが、訳者が出しゃばっているのがとても気になりました。あとがきに小野田さんや横井さんのことを書いているので、読者はどうしてもそれに引きずられてしまう。つまり読者の想像力を限定してしまうわけで、読者に対して失礼だと思う。もちろん作者にも。でも、今の子はロビンソン・クルーソーなんか読まないだろうから、こういう冒険物語があっていいんだろうなと思います。

アカシア:まず情景や状況の描写がきちんとしてあるのがいいと思いました。冒頭で犬が手紙を運んでくる場面にしても、つばで手紙がべとべとになっているなんて書いてある。ヨットを操縦する様子なども、面白かったです。でも、細かいところが気になりました。たとえば、ケンスケは日本人のおじいさんという設定ですが、125ページでは「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と言っている。カタカナで書いてある部分は原書でも日本語が入っているんだと思いますが、この時代のこの年齢の男性が少年に対してこういう言い方はしないと思うんです。せめて「すまんな」とか、「悪いな」くらいかなと。ここでがくっとリアリティーが下がってしまう。128ページでケンスケが主人公を抱きしめて子守唄を歌うところも、「抱きしめて」ではなく「抱きかかえて」と訳した方がケンスケのリアリティが出たと思います。137ページではケンスケが洗濯物を岩にたたきつけて洗っていますが、日本人はこういうやり方で洗濯はしない。143ページでは、ケンスケが子どもの頃にサッカーをしたと言ってますが、当時の子どもはサッカーしてたんでしょうか? そのままにしておくとリアリティがなくなる部分は、訳者が原著者に相談してでも表現を変えたほうがいいと思いました。
それから小野田さんや横井さんは、モデルではなくてヒントになったんだと思います。というのは、小野田さんや横井さんは、天皇の兵士として敵の捕虜になって恥をさらすことがないように隠れていたわけですが、ケンスケは自然を壊す現代の人間に不信感を持っているせいで隠れている。動機が違います。モーパーゴは環境や野生動物の保護について問題意識が強い人で、ケンスケにはその一つの理想が投影されているのに、実在の人物をモデルといって引っ張り出すと、作者のいいたいことが伝わらなくなる。

むう:冒険物語なんだなあというので、すっと読めました。ただ、今回の課題の相手がペイトンだったからか、迫力が足りないと思った。わくわく、どきどきがないんですよね。さらっと読めるけれど。それと、読み始めたとき、この主人公っていくつなんだろうととまどいました。12歳で冒険して、それから10年経ってということからすると若い人なはずなのに、やたら難しい言葉が出てくるので、なんだかぎくしゃくした感じで。原書が向こうで出版されたときに、へえっ、おもしろそうと思いはしたけれど、日本人を扱ったものを日本語に訳すのは難しいだろうなあとも思ってました。この本はただの冒険物語で終わらせず、そこに環境問題や戦争の問題というふうに今ホットな問題や学ぶべき歴史を絡めていて、そこはなるほどと思いました。でも、なんか教育的というか、おとなしいというか、枠をはみだすようなエネルギーが感じられなくて物足りなかった。

ハマグリ:モーパーゴのものは、大作ではないけれど、ちょっと心に残るよくできた小品、佳作という感じのが多いですね。そしてちょっと変わった人を書くのが上手だと思う。私も海に落ちるまでは家族の様子など細かく書かれていてよくわかっておもしろかったのだけど、その後はあまりおもしろくありませんでした。ケンスケという人物が今ひとつピンとこないのは、この人のしゃべる言葉に原因があると思う。つまりケンスケはたどたどしい英語をしゃべる人なんだけど、それを翻訳するとたどたどしい日本語になってしまうので、とても違和感がある。日本語に翻訳するわけだからどうしようもないことなのかもしれないけれど、これではケンスケの人物像があまりうまく伝わってこないと思います。なにかもっとやりようがはあったのでは? たとえば、全部片仮名で書くとか。これは日本人であるが故の違和感だから、島にいたのが日本人でなかったら、もっとすんなりと読めたかもしれません。そういう意味のハンディはありますね。それと主人公のセリフも違和感を感じるところが何カ所かありました。たとえば、ケンスケから蚊避けのシーツをもらって、「すてきなシーツをありがとう」というところなんか、男の子がこういうふうにいうかなあと。

トチ:モーパーゴって作家は、児童文学にとっていちばん大切な年齢層でありながら、なかなか良い作品がでない小学校高学年から中学生を対象にたくさん作品を発表している、それから動物とか異国の話とか子どもの興味のありどころを良く知っているという点で、とても良心的な、良い作家だと思います。感じのいい作品を書くし、本人もとっても感じのいい人。でも、どれを読んでもなんか物足りないのよねえ。スーザン・プライスの迫力、アン・ファインのうまさ、フィリップ・プルマンの知的な構築力、どれも足りない。8割の作品というか・・・・・・・

ハマグリ:で、印象が薄くて、読み終わるとすぐ忘れちゃうのよね。

トチ:そうなの。読んでいるときはおもしろいんだけど。この作家の本を読むときはいつも「なんか物足りない」と、「こういう感じのいい本を、子どもがどっさり読むのは、とてもいいことだ」と、このふたつの思いの間を針がいったりきたりするんだけど、この本の場合は、「ちょっとだめ」のほうにふれた。後書きの解説は、愁童がおっしゃったとおり余計だったけど、もしかしてモーパーゴ自身も、日本兵発見をこの程度のものと見ていたのかなあと思って・・・・・・・

アカシア:ケンスケと日本兵を密接なものとして結びつけているのは、原著者より訳者の考えなのでは?

愁童:モーパーゴは単に、現代でもロビンソンはありうるんだなあ、東洋人ってすごいなあと思っただけなんじゃないかな。

アカシア:それに、子どもの読者は、あとがきは読まないかもしれない。わたしは、モーパーゴの作品は大人が読んだらイマイチかもしれないけど、子どもが読んだらおもしろいと思うけどな。

トチ:でもねえ……。原書が出たときに読んだけど、翻訳は出さないだろうと思ったの。よく出したという感じだけど、ことさらこれを訳す意味があるのかなあ。

アカシア:訳をしっかりすればおもしろいと思うよ。現代を舞台にした冒険物語なんだから。

カーコ:印象はみなさんと同じです。中学校の図書室と市立図書館の司書の人に、おもしろかったと薦められて。でも、最初は訳文につまずきました。主人公が20歳くらいで書いたという設定の文章なのに、それにしては難しい言葉が出てくる。航海日誌になると、12歳の子が書いたはずなのに「我々」とか出てきて、普段読んでいる小学生の作文と比べて、ずいぶん印象が違う。また、船に乗るに到る過程が、私には現実味に乏しく感じられました。失業して、ヨットを買って、家族で航海に出てしまうなんて、こんなふうになるかなあと。舟のことや海のことは、知らないことが多くておもしろかったけれど。

トチ:作者としては、後半が先に出来ちゃって、どうそこに持っていくかで苦労したんじゃないかな。一家で船に乗ることになるまでの部分は説明的よね。

カーコ:全体の印象も、なにか物足りない。最初のうちケンスケが、無口でわけのわからないという、西洋人の持つ日本人のイメージかなあと思ったし。強い精神力や自己犠牲のイメージって、よくも悪くも日本人の登場人物につきまといがちな気がします。

ハマグリ:無口でよくわからないのは、英語が話せないからでしょ。でも、英語が話せない人間なら、別に日本人でなくてもいいんじゃないかという気はするわね。

トチ:原書の表紙は北斎で、英国人は北斎がとっても好きなのね。

カーコ:それから、ミカサンという呼び方って、変じゃありませんか? マイクと言えなくて言ったのなら、マイカサンくらいじゃないでしょうか?

アカシア:モーパーゴはマイカサンと読ませるつもりたったんじゃないかしら。それを訳者がミカサンとしたのかも。

:ペイトンを読んだ後だったんで、迫力の物足りなさはありました。おもしろいと思ったのは、日本人が30年孤島に一人で住んでいた。というニュースからヒントを得て書いたという創作の経緯です。外国人が日本人を書くのは難しいと思います。外国映画に登場する日本人って、やっぱり違和感があるし、東洋人に対する固定観念があるのでしょうね。たどたどしい口調については、孤島に一人でいたから人とのしゃべり方を忘れたのかなと思っちゃいました。子どもが読んだら、父親のリストラから世界一周に行くところが、なんともわくわくして楽しく読めるだろうと思った。犬が一緒なのも子どもには安心出来ると思う。この年齢でこういう冒険ができてドキドキして楽しんで読むんじゃないでしょうか。おもしろいと思って読むんだけれど、終わった後はあまり残らないのが残念。

すあま:最初は少年のサバイバルものかと思ったけれど、ケンスケが手取り足取り助けてくれてちっとも苦労しないじゃないですか。望郷の念のみで、苦労がないところが物足りなかったですね。やはり無人島でサバイバルする少年の物語、『孤島の冒険』(N.ヴヌーコフ/作、フォア文庫)と比べるとずいぶん違う感じ。もうちょっとわくわくしたかったです。これが日本兵のニュースから作られた作品だとすると、日本の作家が書いてもいい話題じゃないのかと思います。

アカシア:日本人の作家だと、天皇の兵士として恥をかきたくないといった意識をどう描くかが、逆に難しい。むしろ作者が外国人だから、冒険と孤独の部分だけをすくい取るというやり方ができたんじゃないかな。

すあま:最後のミチヤさんの部分はあった方がよかったのか、どうなんでしょう? これがあることで、マイケルではなくてケンスケの物語として終わっているんだろうけれど。

トチ:わたしは、ここは、さすがに子どものことがよく分かっている作者だと思ったわ。子どもが気にしそうなところはちゃんと腑に落ちるようにしてあげている。ケンスケの子どもはどうなったんだろうって、子どもの読者は気にすると思うもの。

アカシア:ロビンソン物は、ふつう時代をさかのぼって書かないと無理なんだけど、この作品は現代の自分にも可能性がある冒険として書かれている。そういう意味では、ケンスケの息子を登場させて現代とのつながりを強めてるんじゃないかな。それにしても、日本人が読むと違和感があるんだなあ。

トチ:欧米の読者とちがって、日本人なら子どもだってその年齢の人の仕草や、言葉遣いを知っているから、違和感を感じてしまうのでは?

アカシア:あとがきでは、小野田さんたちのことをさらっと書いておいて、作者はこのニュースをヒントにしたのかもしれません、くらいにとどめておけばよかったのかも。いつでもロビンソンになる可能性があるんだよ、というので、ニュースを紹介することは構わないと思うけど。

トチ:日本の作家なら当然「小野田さんや横井さんのような人もいたけれど、ケンスケみたいな人もいたんですよ」って、書くと思う。

すあま&アカシア:それにしても、挿絵が古い! これだと、日本の子どもは、よけい現代の物語とは感じられないと思う。

愁童:さっきの、アカシアさんの疑問について言うと、サッカーはア式蹴球なんて呼ばれて戦前からやっていたから、そんなにおかしなことではないかもしれない。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年3月の記録)