『ヒットラーのむすめ』
ジャッキー・フレンチ/著 さくまゆみこ/訳
鈴木出版
2004
原題:HITLER'S DAUGHTER by Jackie French, 1999

版元語録:自分の親が虐殺者だったら?「ヒットラーには娘がいたのよ」というお話しゲームから,戦争について子どもたちが考える姿を描く。

アサギ:戦争そのものを扱ったというよりも、親の誤りに子どもはどこまで責任があるか、子どもはどう身を処すべきかを扱った作品だと思う。この作品の一番の魅力は発想ですね。「もしヒットラーに子どもがいたら」という前提が斬新。ただ設定のうまさにたよりすぎている感じで、導入にいささか無理があって、お話の迫力が欠ける感じがしました。「デュフィ」とずっと呼んできたのが、最後「総統」に変わるところを、みなさんはどう解釈したのでしょうか。あくまでフィクションなんだけれど、最後のしめくくり、フィクションとノンフィクションの境目みたいに話を流し込んでいるのがうまい。

アカシア:「デュフィ」が最後に「総統」に変わるわけじゃなくて、最初から「デュフィは総統でした。そしてハイジのお父さんでした」(p52)って出てくるわよ。それにハイジは「デュフィ」と呼ぶけど、ほかの人はずっと「総統」と言ってる。

ハマグリ:すごいところをついている話だとびっくりしました。身近なところで言うと、オウムの子どもたちが学校に行くことを社会が拒否するという問題がありましたね。そういうことを大人が説明するのを避ける傾向があるところを、この本では正面きって取り組んでいる。最初のバス停の場面はそれほど面白くないが、お話が始まるとだんだんにのめりこんでいく。お話というものの持つ力をうまく使っていると思う。p60で、アンナがマークに「お父さんやお母さんが信じてることが正しいかどうか、きちんと考えてみたことあるの? 自分の親が考えてることなんだから正しいにちがいないって、思っちゃってるんじゃないの?」と言うところがあるけど、子どもの持つ既成概念を根本から考え直させる。児童文学には、大人の考えていることは正しいという前提で、それを伝えようとして書かれるものが多いけど、この本は新しい視点だと思います。

むう:今回の3冊の中では、一番引きつけられもし、面白かった。冒頭は、どこかぎくしゃくした感じで違和感がありました。唐突にヒットラーの娘の話が始まって、それにすぐにマークが引き込まれるというのが納得できなかったんです。ただ、最後まで読んだ後でもう一度ふり返ると、この女の子の唐突さというか、ぎくしゃくしたところに、すでにラストの秘密があるようでもあり、これでいいようにも思います。ヒットラーの娘という架空の存在を使って、戦争について書いている本だと思って読みました。その際、最高指導者の秘密の娘を中心に据えてその目でまわりを見ていることから、戦争の悲惨さが間接的にしか描かれずに進んでいきます。先ほど言われていたような迫力のなさは、このあたりに起因するのでしょうが、これはこれでいいと思います。後の方でハイジが戦争の悲惨さをまざまざと目にして、自分もそこに巻き込まれていくところはだんぜん迫力があり、読者としてはそこでぐっと引きつけられますけど、その直後に突然ぷつんと話が切れて、マークでなくとも「なんだ? どうなったんだ?」という気持ちにさせらる。このあたりもうまい。戦争を昔の話として書くのではなく、どうやって今とつなぐかを考えた末、こういう設定になったのでしょう。女の子の祖母が、ひょっとしたらヒットラーの秘密の娘だったのかもしれない、という形で終わらせたのは、見事です。後に余韻が残ります。10年後には使えない手法かもしれないけど……。感心しました。

カーコ:みなさんおっしゃっていますが、視点の面白い作品ですね。地の文、お話の部分の語り手と文体の変化もうまい。今回の他の2冊が、1冊は回想録、1冊が取材によるフィクションですよね。第二次世界大戦から半世紀が過ぎ、実体験として語ることができなくなってきた今、こういう書き方が出てくるんだなあと感心しました。マークと父親の会話ですが、日本の親子ならこういう理詰めの会話は不自然になってしまいますよね。でも、この作品は、親の側の微妙な揺れやためらいもとりこんで、うまく考えさせています。海外の作品の会話って、前はいかにも翻訳という感じで鼻についていたのですが、このごろ、こういうのも日本の子どもにとって大切かなと思うようになってきました。

愁童:いちばん感動したのは、児童文学を書く作者の姿勢。お話ごっこみたいな日常の遊びの中に、こういう問題を取りこんで、子供の目線で考えさせちゃうんなんて、すごいなと思った。子どもに向き合う作者の姿勢が他の2冊と基本的なところで違うように思いました。

きょん:『ガラスのうさぎ』と比べてうまいなと思いました。全く想像もつかない「戦争」の事実を、今の子どもたちに読ませるには、一歩離れたところで、子どもと同じスタンスで「戦争」を語る方が、わかりやすいのでしょう。「戦争体験」をそのまま語るという手法より、入りやすいし、一緒に考えていけるのだと思いました。読み始めは、アンナの雨の日の「お話ゲーム」というのが、すごく唐突で入りにくかったのですが、それはお話のための“舞台設定”だと思えば、すんなりと流れていきました。
マークが、自分に引きつけて考えていくところが、身近に感じる「わかりやすさ」なのだと思います。民族問題から、現代の家族の問題まで、上手に盛り込んでストーリーを展開しているところがうまいなあと。特に、「想像のお母さん」とヒットラーについて会話するところなど、身につまされるような感じがしました。本当のお母さんは、「忙しいんだから」ってちっとも取り合ってくれないのに、「お話を聞いてくれるお母さん」なら、こう言うかしら……って想像しているところ。
また、いろんな人(娘アンナや、家庭教師、またアンナのおばあちゃん……)の悲しみがじわじわとにじんでいて、「ヒットラーも一人の弱い人間だったのだ」という感じが伝わってきたように思いました。

もぷしー:戦争体験でもなくルポでもなく、離れた視点で書いています。戦争を生き抜くというのではなく、戦争に進んでいく心理を描いているんですね。気づかないうちに、いろいろなことがすべて結びついて、戦争という方向へ流されていってしまう。冒頭も最後も雨が降り続いていて、静かです。静かに静かに進んでいって、どっと大水になるという風景が描かれていますが、現実の問題とも重ねてあるのでしょうか。児童文学で描かれる親子の関係は、「大人の考え方が正しい」というのか、「大人のいないところで遊んでしまえ」というのか、どちらかになりがちです。その点この作品では、子どもが大人にストレートに問いかけている。お話の部分と現実の部分が交互に出てきて、しょっちゅう現実に引き戻されますが、無関係と思いがちな今の読者にはここが必要なのかもしれません。

アカシア:日本でもホロコーストものは割合たくさん出版されていますよね。でも、そればかりだと日本の子どもにとっては「よその国の過去」という枠の中の一つのファンタジーになってしまうのではないかと思ってたんです。この作品はその点が違うと思いました。時間的に過去のホロコーストと現在の子どもを結びつける工夫をしようとしている。それだけではなく、空間的にもポル・ポトとかアフリカの戦争を出してきて、「今だって同じようなことが行われているんじゃないか」という問いかけもしている。子どもの中には、撃ち合うのがかっこいいと思っているタイプもいるし、友だち関係を大事にするあまり自分の意見をもちにくくなっているタイプもいるし、知らないで流されちゃうタイプもいる。その中にマークみたいなのがいてちょっと待ってよと考えていく。その辺の描き方もリアルです。迫力に欠けるという意見がありましたけど、ハイジの数奇な運命や逃走だけに焦点を当てれば迫力は出るけど、今の子どもと結びつけることができない。作者に思いがあって、いろいろな工夫をしながら子どもに伝えようと一所懸命書いているのがわかります。

ハマグリ:やっぱり考えるきっかけになる本よね。

もぷしー:ちょっと待て、ちょっと待てと、立ち止まって考えさせるところがよかった。装丁もいいですね。

アサギ:去年ドイツで『ヒットラー』という映画が上映されたんですけど、製作中に人間ヒットラーを描くことの是非が問われて、すごい論争になったみたい。上映後ネオナチが力を得たという雑誌記事もあったしね。ゲッベルスの子どもたちが青酸カリを飲むシーンを見た子どもがかわいそうと泣いたとかで、物議をかもしたりもしたの。かといって、ヒットラーを特別残虐な異常な人物として片づけるのは、逆にすごく危険よね。すごくむずかしい問題。といっても、この本は前に言ったようにヒットラーを描いたわけではなく、親子の問題がテーマだと私は思ったんですけど。

アカシア:ヒットラーがもし歴史上希有な怪物だとしたら、今後同じことがくり返される危険性は少ない。でも普通の人間の部分もあるのにいろいろな条件が重なるとああいうことになるだとしたら、これからだって安心できない。だから私はヒットラーの人間的な側面を考えるのも大事だとは思うんです。でもこの本はヒットラーの人間性を描いているわけではないし、最後にはハイジが「ヒットラーの娘」という在り方を捨てて「奥深くに小さな種のようにひそんでいたハイジ自身」(p201)になっていく。そこがいいなあ、と私は思いました。

むう:イギリスの書評誌などを見ていると、学校で本を読んで、それを材料にディスカッションを行ったりもしているようですけど、それには、ある意味で物議を醸す、あるいは多様な感想が出てくるこのようなタイプの本が適していますね。そして、物議を醸す本の場合は、子どもに渡して読ませてそれでおしまいではなく、いろいろ話し合うことでもっと考えさせることも必要になります。そうしないと、読みっぱなしで深まらず、逆に危険です。日本でも本を素材として、そういうディスカッションが行われているんでしょうか?

愁童:日本の学校ではちゃんとしたディベートのやり方を教えてないよね。小さいときから自己主張させてディベートの訓練しないと、意見をぶつけ合うことなんてできない。

むう:ほんとうに子どもの心の深いところに響くディスカッションをするには、子どもたちの幅広い感想をあらかじめ予想したうえで、大人が間口を広く構えて、子どもをうまく刺激しながら議論を深めなければならないと思うけど、それには大人の側にかなりの力量が要求されますよね。そういう大人が、あまりいないということなのかもしれません。

愁童:帯の文句は気になった。これじゃ作者の意図に水をかけるようもの。ヒットラーの子どもだったら、戦争を止められたか? なんていう読み方の方に読者を引っ張ってほしくないよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年4月の記録)