『ガラスのうさぎ』
高木敏子/著 (改訂新版 2000)
金の星社
1997

版元語録:刊行して以来、たくさんの人びとに読まれてきた「ガラスのうさぎ」を、戦争を知らない世代の親や子どもたちに向けて、わかりやすく読みやすく編集しました。戦争の悲惨さと平和の尊さを、改めて次世代に訴える一冊。

アサギ:この作品の世界は、私自身でさえ実感しにくいので子どもが実感するのはたいへんなことですね。ただノンフィクションの力に圧倒されました。体験記としては、お汁粉のところや着る物のところなど、状況が髣髴とさせられていい作品。父親の葬式を一人で出すなど、とても厳しい話だけど、主人公が明るくてけなげなのが、作品に希望と光を与えていると思いました。子どもが読むには、想像力の限界を超えてしまっているからとアニメにする気持ちはわかります。

ハマグリ:私もだいたい同じような感想。戦争体験者が子どもに語るということで、今の子どもたちにも読めると思う。主人公は本当にけなげで、応援したい気持ちになって、最後まで読ませる。これがフィクション仕立てで、『生きのびるために』なんて書名がついていたら嫌らしいけど、『ガラスのうさぎ』というタイトルも何のことかな、と思わせて、いいと思う。ただ、こういうものを子どもに読ませて、戦争はよくないと思いました、という感想文を書かせて終わるというのではなく、親や教師と話すとか、そのあとのフォローが必要になってくるのでは。

アカシア:私は昔読んだときは感動したんです。でも今もう一度読んでみると、この本以外にも「悲惨」と「がんばる」がセットになって「けなげ」をアピールする本がほかにもいっぱいあるなあ、とそっちに目がいってしまった。それが課題図書になったりしていることに気づいて、これでいいのかなあ、と思い始めてます。今の子どもは「この子はかわいそうだった」と思い、その中のよい子たちは「戦争はやめましょう」と作文に書いたりするのかもしれないけど、それでどうなるんですかね? がんばりたくない子どもは、どうするんでしょうね?

アサギ:最後の憲法第9条のところで、これだけのことがあったからこそ平和がいいものだということが、子どもたちにも伝わるんじゃないの。

ハマグリ:体験してきた人は、こういうスタンスでしか語れないのでは。

アカシア:この手の戦争児童文学が出続けることに対して、清水眞砂子さんが「子どもは食傷している」と言ってましたよね。それに、今の子にとっては、ファンタジーと同じレベルの非現実的な物語になってしまう。

むう:この時代そのものが今の子にとってまったく縁のない別世界にしか見えないという意味では、やはり今の子にとってはハードルの高い本だと思います。家族のありようや言葉の使いよう、生活習慣等々、すべてが子どもたちの身の回りとかけ離れていて、おいそれとは共感できないかもしれません。しかも、この主人公は一種の優等生で、へんてこな人物が出てこない。結果、じつにクラシックな、いかにも児童文学ですという感じの作品になっている。むろんこの本の力は、作者が事実を書いている、その中をかいくぐってきたということにあるのであって、その意味で、いもしない人物を登場させるわけにいかないのはわかります。また、このような悲惨な事実を子どもたちにきちんと伝えたいという作者の気持ちは重い。しかし、戦争を書いた児童文学がすべてこの本のようなトーンの作品ばかりでいいとも思えないんです。仮にこれがフィクションであれば、いい加減な人間や奇妙な人間、子どもたちの身の回りにいそうな人間を登場させることによって、物語を子どもたちに身近なものにできるはずですよね。この本自体は立派な本だけど、その後の日本の戦争を扱った児童文学が、フィクションであるにもかかわらず、この本をなぞる「ノンフィクションのまがい物」の範疇を出られていないところが問題なのでは? 先ほどのアカシアさんの言葉を借りれば、「ファンタジーで終わらない作品」がない。その時代を生きなかった人間だからこそ書けるフィクションとしての力を持った作品で、戦争と現代の子どもをつなげてほしい。

カーコ:『生きのびるために』と比べると、お話に力があるのを感じました。『ハッピーバースデー』(青木和雄著/金の星社)は、小・中学生からずいぶん支持されているようですが、あの作品を読むような子なら、同じように読めるのではないでしょうか。今回私は2000年刊の新版で読みました。章ごとに語句の解説があったりルビが多くなっていたり、今の子どもにも手渡したいということだなと思います。現代の日本の子どもの本だと、『夏の庭』(湯本香樹実著/徳間書店)にも、おじいさんが嵐の夜、三人の男の子に戦争のときのことを話すというシーンが出てきますよね。あれなどは、全編戦争ものでなくても、そういうことを今の子どもに伝えたいという現代の作家のスタンスかなと思います。

愁童:昔、読んだときも、今回改めて読んでみても、それほど共感は湧かなかった。数ある大人の戦争体験記の一つという感じで、「ガラスのうさぎ」という題名が生きてくる内容じゃないという印象。今の子に読ませる戦争ものとしては、もう無理なのでは? この作品の時代には日韓併合の影響で、小学校にも朝鮮半島から来た家庭の子が何人かはいて、いじめられたりするケースもあったけど、そういうことは書かれてないし、ひたすら小学生時代の作者が、いかにけなげに戦時中の苦労を乗り越えて生きてきたかという話に終始するので、児童文学作品として読まされると、何となく抵抗を感じてしまう面もある。

アカシア:戦争では日本は加害者でもあったわけでしょう。それなのに、日本の作家は被害者の視点ばかりを強調して、アジアの被害者の人たちの視点はほとんどない。ヨーロッパを舞台にしたものは、被害者のユダヤ人の証言や物語が日本でもたくさん出るのにね。いろいろな本が出て、これもその中の一冊というなら、いちばんいいのに。

ハマグリ:70年代に日本の戦争児童文学がたくさん出たけど、疎開の苦労や、被害者としての自分たちを語るものが多かったわね。これからは、もう一歩その先を行くものを読んでほしい。

きょん:あまりに悲壮感があって、べたべたの戦争物語なのですが、思わずかわいそうになって涙ぐんでしまい、嫌になりました。それだけ、「体験」を語ると言うことが「強い」ということなのでしょうか。それとも、これもテレビドラマに涙するのと同じように、ひとつのフィクションなのでしょうか。昔読んだときは、タイトルに出てきた「ガラスのうさぎ」は、掘り出した後どうなったんだろうと思ったことをおぼえています。
今の子どもが、理解できないと言いますが、どこがわからないのか、不思議です。「戦争」は遠い世界のことで、よくわからないのでしょうが、「肉親を失う悲しみ」は、時代を超えて共通だと思います。親が目の前で死んでしまう、兄弟が行方不明になる……自分の身に置き換えて考えればそんなにわからない話ではないと思います。それが、わからないとなると、今の子どもたちが、自分とは、違う状況にある他の人の立場になってものを考えられなくなっている危機的な状況なのかもしれません。それに、敏子さんは、すごくがんばりやさんですが、すぐあきらめてしまうような今の子には、「こんなにがんばる敏子さん」を理解できないのかもしれませんね。

もぷしー:私は母が戦後生まれなんです。「がんばる像」についてですが、『アタックNO.1』は茶化していいけれど、この作品には茶化してはいけないというのを子どもの読者にわからせる気迫がある。子どもが自分で手にとる本ではないなので、課題図書という形でなくても、子どもに手渡せば伝わるのではないでしょうか。

アカシア:戦争はいいか悪いか、と問えば、今の子どもだって「悪い」という子が圧倒的に多いと思うんです。でも、戦争って、したくないのにいつの間にか巻き込まれてしまうんですよね。その辺の視点がないと、「戦争は悪い。被害者は悲惨」ということを伝えれば戦争はストップできるんじゃないか、と勘違いしてしまう。

アサギ:だいぶ前に、子どもを白血病で亡くした友人がいて、その手の本を読んだことがあるの。同じように子どもを亡くしたお母さんの手記というのを、当時、滂沱の涙を流して読んだのよ。なのに、あとになって思い出すのは、同じ時期に読んだ津島佑子の『夢の記録』(文芸春秋)っていう短篇集なの。場合によってはフィクションのほうが、読者の胸の奥に届くこともあるのかと、考えさせられたのを今思い出したわ。この『ガラスのうさぎ』にはノンフィクションならではの強さを感じましたが、もし戦争をいまの子ども達の日常につなげて描くフィクションがあれば、それはそれでとてもいいことだと思うのね。ノンフィクションでは、どうしても事実に縛られるし、書ける人が限られてしまうから。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年4月の記録)