トチ:イギリスの本屋の店員にすすめられて原書で読んだので、邦訳のほうはじっくり読んでいないんですが……。今回のテーマは「秘密」ということですが、この本の場合「空を飛ぶ」ということが秘密なんでしょうか? それとも、主人公が伯母だと思っていた人が実は母親だったという秘密?

ケロ:この本の直接のテーマは、「秘密」ではなく、むしろ「成長」なんですよね。でも、「飛ぶ」にしても「母親」にしても、「秘密」として一つのキーワードになっているかな、と思ったのです。

トチ:原書も邦訳本も装丁が美しいし、本文もきれいに書けているし、主人公の一族の財産がトイレのちっちゃな金具で築かれたものなんてところもユーモアがあっておもしろい。でも好ましいけれど物足りない作品という感じがしました。単独飛行が大人になる儀式というのも、目新しい感じはしないし……それから22ページ「叔母」は「伯母」の誤植ですね。

むう:どうも、私はこういうタイプの本は苦手かもしれない。女の人たちがそれぞれにすてきに生きている、空を飛ぶ、といった設定はきれいだなあと思ったけれど、それだけでした。さらさらと読んで、はいおしまいという感じ。

ポロン:この本は、飛ぶところが気持ちよくて好きだったんですが、伯母さんが出てきたときにハハンときて関係がわかってしまい、ありがちな設定という印象でした。あと、このおばあさんはなぜ威張っているのかがわからなかった。男子禁制なんていって威張っているうちに、一家が滅亡してしまっていいのでしょうか。理由を書いてほしかった。

ケロ:今回みんなで読む本を選ぶ係を担当して、テーマとしての「秘密」という言葉が先に立ってしまったために、素直に読むことが出来なくなる部分があったのではと、選本の難しさを痛感しました。内容についてですが、私は、おもしろくすっと読めました。血のつながりからの束縛や、「飛べる」能力と折り合いがつけられなかったことなどが、自分のルーツがわかることによって、疑問がとけ、生き方に前向きになっていく。この「血のつながり」の象徴として「飛べる」ということを持ってきたところがうまいし、設定としてすんなり入り込めました。飛んでいるときの描写がとてもきれいで、とくに171ページの雁を下に見ながらいっしょに飛ぶところは、絵的にも素敵だし、高いところを飛んでいる雁を下に見ることで、その上の空の広大さを感じることができるのでスゴイと思いました。

げた:新刊のときに読んだのですが、なんとなく物足りない感じがして、うちの図書館にも2冊しか入れませんでした。飛ぶということの美しさ、すがすがしさを読めばよかったのかと思います。もともとの飛ぶ動機付けがあいまいなような気がして、さっと入ってこなかった。伝統といっても、300年も400年もあるわけではない。『魔女の血をひく娘』(セリア・リーズ/著 亀井よし子/訳 理論社)に比べれば、歴史も浅い。

たんぽぽ:私は眠れないときに、空を飛んでいるところが出てくると眠れるんです。飛んでいる情景はとてもきれい。今の若い人たちにおばあさんに縛られるという気持ちがわかるのかなと思いました。

アカシア:イメージとしては心地よい作品でした。ただ、お話のリアリティを考えると、ほころびがいくつもあると思います。登場人物にしても、作者が性格などを説明してしまって、その人の言動で読者がわかってくるというふうにはなっていない。メイブのいきさつなども、作者がただ説明してしまっている。そのせいで、深みがなくなっているのが残念です。「深いスリット」のある服を着ているという描写がありますが、飛ぶときには足も動かすってことなんでしょうか? どんなふうに飛ぶのかという描写があれば、もっとよかったのにな、と思います。48ページに「鉛中毒にならない鉛筆」とありますが、鉛筆なめても鉛中毒にならないですよね。

しらす:まず表紙がきれいでかわいいと思いました。若い10代の女の子が好きそうな内容で、ぱっと見がいい。主人公のジョージアがカルメンに会って怒りで飛ぶ描写がありますが、10代の頃の憤りの躍動感がありました。矛盾点はけっこう気になりました。女性だけの家族なのに、どうやって家系を維持していくのかというのが最大の疑問。魔女っぽいのだけど、ほうきがないので、飛ぶイメージがうかびませんでした。最後の落ち着き方もわからなかった。176ページあたりで、「私は母親のタイプじゃないから」というのも納得しづらい。

ハマグリ:「飛ぶ」ということは魅力的なのに、これを読んでもあまり飛んでいる感じがしませんでした。『シルバーウィングーー銀翼のコウモリ』(ケネス ・オッペル /著 嶋田水子/訳 小学館)を読んだときは、コウモリなのに、自分も飛んでいるような感覚になれたんですけど。だから、飛ぶことにどれほど重要な意味があるのか、伝わってこないんですね。読みながら、もどかしい気持ちが残りました。いろいろな女性が出てきますが、ひとりひとりが描きわけられていないので、絵になって見えてこない。訳は、「〜だけれど、〜」というのを多用している。見開きの中に3、4回も出てくると、気になります。109ページ「白髪まじりのの」は誤植ですね。

チョイ:おもしろくなる種があちこちに散らばってるのに、ほったらかされてる感じがあって、編集者としては、ここをこうしたら、ああしたらと、つい言いたくなるような作品でした。「心を引き裂かれるような悲しみから飛べるようになった」という冒頭の部分が私は好きで、そこが作品全体のモチーフとして生きてくれば、もっともっと深く、いい物語になったのではと思います。「悲しみ」が薄れてくると飛べなくなるとか……いろんな展開が考えられますよね。私はこの頃飛ぶ夢をみなくなったんですが、それはどうしてだろうって、つい考えたりしてました。トイレの小物の発明で暮らしてきた一族なんていう設定や、ちょっとしたディティールに作者のセンスは感じました。いずれにしても、あと何回か書き直せばいいものになりそうなのに、残念! てとこです。

うさこ:第1章の第1行目はとても大事。「ハンセン家〜かならず夜に飛ぶ」となっていて原書通りの訳なんでしょうが、例えば「ハンセン家の女たちは飛べる。どんなに天気が悪くても、飛ぶのはかならず夜」としてくれれば、物語の入り方がぜんぜん違ったものになったと思う。この訳だと、なぜ飛ぶの? その目的は? どうして夜に飛ばなきゃならないの? という問いが最初に頭にインプットされてしまい、ずっとその答えをさがすように読んでいってしまう。物語の1行目は特に大事に訳してほしいと思いました。83ページの10行目「完全無視〜」50ページ3行目「豚肉と名のつくものは〜」などわざわざそんなに暗く重く訳さなくてもいいのに、と疑問に思いました。訳者が真面目に訳されているので、もう少し物語の全体像をきちんとつかみ、原作者が何を書きたかったのかを受け止めてから訳してもらえば、物語がもっとちがうものになったのではないでしょうか。助産師とか、お産の話とか、墓石のことなど、おもしろい要素もちりばめられているのに、物語の位置づけというか、大きい流れにきちんとおさまっていない印象でした。

カーコ:飛ぶシーンや、土曜日に買い物に行ってサンドイッチを食べるシーンはおもしろかったんですが、全体としては物足りない感じがしました。儀式の日に、昼間一人で飛んでしまったことを告白するシーンがこの物語の山場だと思うのですが、あそこで爆発するにいたる主人公の心の動きが今一つわからない。そのへんがもっとていねいに書かれていたら、違っていたかなと思いました。文章でひっかかったところがいくつかあって、たとえば25ページ7行目。「うちには叔母たちもママもおばあさまもいて、常に騒がしかったけれど、そんなうるさいなかで……」は、この家自体うるさい感じがしないので違和感がありました。107ページ「火のないところに煙をたてるんじゃない」は、いいのかしら。147ページの最後「ドリームキャッチャー」は、どういうものかイメージできませんでした。

紙魚:私は、最初の数行を読んだ段階で、この物語全体が何かのメタファーになっているように感じたので、皆さんがおっしゃるほどには、細部に気をとめず読んでしまいました。「ひとりで飛ぶ」にいたる過程と、この年頃の女の子の成長って、そのままシンクロするように思えたんです。だから、実際の生身の女の子の成長そのままは描かれてはいないけれど、感覚的なところはうまく表現されていると思いました。そうやって読んでいくと、あの堅物のおばあさんは、女の子だからこそ経験する拘束力(たとえば、門限とか)の象徴かな、なんて。それから、動機づけがないというのも、女の子ならではの、非論理的な気ままさかな、なんて、いろいろ勝手に考えながら読みました。

愁童:あまりおもしろくは読めなかった。児童文学というジャンルが、やせてきているのは日本だけじゃないんだ、なんて思っちゃった。なんで飛ばなくちゃいけないの? というのがいちばんの疑問。少女が葛藤をのりこえていく成長物語なんだろうと思うけど、飛ぶ家系という設定があるために、肝心な部分はボケボケになちゃってる。作者自身が空を飛べる家系という設定を信じていない感じ。例えば主人公が空を飛ぶシーンで、お腹に風をためて……みたいな表現をしてるけど、これってスカイダイビングのイメージで、読者をシラケさせる。女の子の初飛行の儀式にしても、祖母の存在を過剰なぐらい気にして迎えさせているのに、肝心の祖母は立ち会うことをせず引っ込んでしまい、何の障害も葛藤もなく主人公を飛ばせて終わり! いったい何を書きたかったのかな?という疑問が残りました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年1月の記録)