ジーナ:私はこれはダメでした。こういう状況におかれた子どもというのがいるのはわかるのだけれど、これを子どもの読者に投げかけて、何が言いたいのか、わかりませんでした。子どもに何を感じさせたいのでしょう? 最初のページから「ぺしゃんこな状態」というのが出てきて、このぺしゃんこという言葉が、あちこちで繰り返されるのだけれど、そのイメージがあいまいな気がします。感覚的な言葉で、わかったような気分にさせられるけれど、やっぱりわからない。原文はなんという語だったのか、知りたくなりました。

ネズ:“flat”ですね。

ジーナ:あと、ヒーローものになぞらえて、「善行」をして点数を稼ぐ、というふうに主人公が考えるわけですが、ゲームのたとえなら、『ごめん』(ひこ・田中著 偕成社)の「経験値」のほうが、ずっと読者にぴったりくるように思いました。この「善行」という言葉は、あまりピンとこないのでは?

驟雨:前に原書を読んだこともあるんですが、今回翻訳を読んでみて、あらためて、これを日本の子に紹介してどうするのかなっていうのが、正直なところです。袖に、母を思う子の一途な思い、感動の……といった惹句が入っているけれど、違う気がする。感動するどころか、悲惨な事実をそのまま無責任に投げ出されたような嫌な感じばかりが残る。このお母さんはなにやってるんだ、周りの大人はなにやってるんだ、これを読んで、子どもの一途な心に感動してすませるなんて、そりゃあおかしいだろ!みたいな……。表現として考えれば、おもしろい面がないわけではない。すっかりスーパーヒーローに成りきった子どもの主観で見た世界をどう書くか、という書き手にとってのおもしろさという点で。それにしても、SFとかコミックの素養がない私などは、聞き慣れないSF的な言葉に次々に躓いて、それも世界に入り込めない原因だったように思います。スーパーヒーローが好きな子が読めば、違うのかもしれませんが。

アカシア:最後まで読むのに時間がかかりましたね。もうちょっとていねいに訳してほしいなとも思ったし。スーパーヒーローって言葉自体、英語ではわかりますが、日本語ではスーパーマンとかバットマンとかスパイダーマンのこと、そうは言わないんじゃないかな。「善行」って言葉も、この物語には合わないと思いました。急に修身の本みたいになっちゃいます。「人助け」くらいでいいんじゃないかな。同じテーマなら、『タトゥーママ』(ジャクリーン・ウィルソン著 小竹由美子訳 偕成社)のほうがずっといい。スーパーヒーローごっこというのも。訳文がぴったりはまらない。ヘックの一人芝居だから、ヘックに感情移入できないと作品全体がおもしろくなくなっちゃう。途中からヘックが不安定になっていくところで、『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著 小尾芙佐 早川書房)のような書き方をしてくれればよかったんですが。マリオンが最後自殺するところも疑問に思いました。

げた:よくわからなくて2回くらい読みました。全く読後感が悪い本でした。ヘックが出会ったマリオンという少年を自殺させたり、中学生のヘック少年を一人でがんばらせたりして、大人の都合で。最後に、ヘックが自分はもうスーパーヒーローじゃないと気づいたところで、少し救われたかな、と思えるんだけど。ヘックが心を閉ざしているから、友だちのスペンスが呼びかけても、なかなか応えられない。もっとスペンスに応えられるようなつくり方をできなかったのかなと。この表紙を見て、もっと単純で明るい話なのかな、と思ったら、イメージが全然違う。児童書には不向きだな。

ネズ:原書の裏にある推薦の言葉を読むと「読者は主人公のヘックを愛さずにはいられないだろう」と言う意味のことを言っているけれど、主人公に感情移入するのに時間がかかりました。とても幼い感じのところもあるのに、とっても難しい言葉を使ったりする。アメリカン・コミックに親しんでいるアメリカやカナダの読者はおもしろく読めるかもしれないけれど、難しかった。私は、ヘックよりもマリオンに親しみを感じてしまったので、なにも殺すことはないのに、残酷だなあと思いました。お母さんにも腹が立ったし……

アカシア:こういう状況の子どもは多いから、大人が自戒するために読むのならわかるけど、子どもに読ませてもね。

ネズ:どうしてこの子は母親に腹を立てないのかしら。なんで、ここまでお母さんを守りたいと思うの?

ジーナ:「守ろう」というより、お母さんと一緒にいたいっていう気持ちでは? 福祉事務所などに知られると、施設に送られるというのがわかっているから。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年6月の記録)