日付 2005年2月17日
参加者 むう、アカシア、愁童、ハマグリ、カーコ、トチ、すあま
テーマ 出会いと目ざめ

読んだ本:

フーリア・アルバレス『ロラおばちゃんがやってきた』
『ロラおばちゃんがやってきた』
原題:HOW TIA LOLA CAME TO VISIT STAY by Julia Alvarez, 2001
フーリア・アルバレス/著 神戸万知/訳
講談社
2004

オビ語録:あの日、ぼくは幸せな魔法をかけられた/両親の離婚でかじかんだ少年の心を/おばちゃんの笑顔と料理であたためていく/ユーモアとやさしさいっぱいの物語
片川優子『佐藤さん』
『佐藤さん』
片川優子/著 長野ともこ/絵
講談社
2004

版元語録:高校一年の少し気弱な主人公の男の子。彼が幽霊に憑かれている「佐藤さん」と出会い、彼と彼女のふしぎな関係がはじまった。
クリス・クラッチャー『ホエール・トーク』
『ホエール・トーク』
原題:WHALE TALK by Chris Crutcher,2001
クリス・クラッチャー/著 金原瑞人・西田登/訳
青山出版社
2004

版元語録:プールがない、しかも部員たったの7人の水泳部。もちろん全員ハミ出し者。あるのは熱い情熱と固い絆、それと一台のマイクロバス。そんな彼らが手にいれたものとは…。


ロラおばちゃんがやってきた

フーリア・アルバレス『ロラおばちゃんがやってきた』
『ロラおばちゃんがやってきた』
原題:HOW TIA LOLA CAME TO VISIT STAY by Julia Alvarez, 2001
フーリア・アルバレス/著 神戸万知/訳
講談社
2004

オビ語録:あの日、ぼくは幸せな魔法をかけられた/両親の離婚でかじかんだ少年の心を/おばちゃんの笑顔と料理であたためていく/ユーモアとやさしさいっぱいの物語

むう:ささっと読めて、おもしろかったです。ロラおばちゃんという人に原色を思わせる魅力があって、(主人公の)ミゲルがおばちゃんの存在が「はずかしい」と思いながらも魅かれていくところがいいし、子どもたちとおばちゃんのやりとりが面白かった。パパとママの離婚があまり重たくなく扱われているあたりが、アメリカだなという感じでした。ニューヨークの3日間の最後にパパが(自分の描いた)絵をミゲルにくれようとするのに対して、ママのことを考えたミゲルが、ニューヨークに置いておいた方がいいというあたりに、主人公の優しさが出ていると思った。楽しく読める良い本という感じですね。(最後の)サンタクロースが実はおばちゃんというあたりも、クスッという感じで面白かったです。

アカシア:私はなんかちょっと物足りない話だなと思いました。むうさんは、おばちゃんに魅力があると言ったけど、私はもっとその魅力が浮き上がるように描いてほしかった。タイトルが「おばちゃん」で、会話は「おばちゃん」と地の文の「おばさん」の両方が出てくるのね。でも、地の文もミゲルの視点になっていたりするので、機械的に二種類の使い方をするとかえって趣をそこねるような気がしました。それから47pに「ミゲルが妹を『ニータ』と呼ぶのは、なにかたのみごとがあるときと決まっている」とあるけれど、それ以前の、頼み事をしていない所でも「ニータ」と呼んでいるので、あれ? と思ってしまいます。54pには「内地のやつら」とあるけれど、「内地」という言い方でいいんでしょうか? それと196pで、(ドミニカに行った主人公が)ホームレスの子どもを見て、自分の幸せを感じたと言っている場面がありますが、他人の不幸を見て自分の幸せを感じるという著者の視点に疑問を持ちました。そんなこともあって、作品全体があまり好きになれませんでした。

愁童:物足りなさと、もどかしさを感じた。陽気なロラおばちゃんの性格設定は分かるけれど、子どもたちがトップシークレット扱いにしなければならない理由がいまいち説得力に欠ける。だからロラおばちゃんが街の人々に受け入れられて、母親の誕生パーティに沢山集まってくれる結果になっても、主人公たちが、その変化にどう関わっていったのかが、読者には英語を教えたこと以外にはあまり伝わってこない。天性明るいロラおばちゃんの振る舞いを、子供達はただ眺めていただけみたいな感じで、物足りない。アメリカの子どもたちにとっては意味のある作品かもしれないけれど、日本の読者にとってはどうなのかな?

ハマグリ:私もみなさんと同じような感じで、ニューヨークからヴァーモントにやってきた子どもたちが、いろんな人種が暮らしているNYと違って白人ばかりのヴァーモントは暮らしにくいなと思っているところへ、ラテン系の明るいおばちゃんがやってきて、英語はしゃべれないのにみんなとすぐに仲良くなっていく……という暖かでさわやかなお話という設定だとはわかるんだけど、読んでいてつまずくところがたくさんあった。たとえば6pで、ママがミゲルに「おばさん」でなく、スペイン語で「おばちゃん」と呼んでくれと頼むけど、日本の子どもにとっては分かりにくい。英語とスペイン語と、たどたどしい英語を全部日本語に移し変えるわけだから、無理があるとは思うけど、もう少し工夫できないものか? 22pの空港におばさんを迎えにいくところ、「ふたりはカウンターの向こう側を見た」とあるけれど、ふたりはカウンターのどっち側にいたの? おばさんはどこにいたの? 情景が見えてこない。ほかにも情景が見えないところがたくさんありました。38ページの雪の上に歩いて字を書くところも。41pの「足跡は、文字から離れるのではなく、文字に向かっている」も??でしたね。101pの「ネコとイヌの嵐だよ」は、英語を知っている大人なら分かるけど、もうちょっと子どもにも分かるように訳さないと不親切じゃない? 103pの後ろから4行目「マジだよ……『オ』がついていることばは、なんでもだ」というところも、子どもに分かるように工夫が必要。168pには、「白文字で『ハッピーバースデー』と書いてあるたくさんの風船を飛ばした」とあるけれど、挿絵は黒文字になっている。
とにかく、情景が目に浮かばないので、楽しめるところまでいかなかった。私はぜんぜん面白くなかったわ。原書だったらもっと面白いというわけでもないんじゃない?

アカシア:翻訳や編集ももう少し工夫が必要だったと思うけど、原作自体のストーリーにもそれほどの魅力がないのかも。

カーコ:私がいいなあと思ったのは、おばちゃんが子どもたちに与えてくれるおおらかさです。白と黒だけのヴァーモントの風景のなかで、派手な服を着て、ひたすら明るいおばちゃんの姿とか、英語は不自由なくしゃべれるのに臆している子どもたちに対して、英語ができないのにどんどん友だちができるおばちゃんの好対照。「ああ、こんなこともあるのか!」と、子どもたちが思っていくところがよかったです。いろいろ指摘されていますが、もしかしたら、訳者がスペイン語もできる方なので、英語とスペイン語がまじりあった違和感を読みとばしてしまっている部分があるのかもしれまんせん。ドミニカとか中南米とか、遠い世界のことを知るという面白さはあるのでは?

アカシア:確かに子どもにとっては、知らない世界が見えてくる、というのは面白いことなんだけど、今ひとつその世界が生き生きと見えてこないんですね。おばちゃんのツケぼくろなんて、本当は面白いところなんだろうけど、その辺のユーモアがイマイチ伝わってこないのが残念です。

トチ:おばちゃんの服装と、お料理のところは面白かったけど。ドミニカ料理って、食べたことないから。ユニークなおばちゃんだ、面白い……と言葉では言っているけれど、やっていることは別に面白くないのよね。『シカゴよりこわい町』(リチャード・ベック著 東京創元社)のおばあちゃんみたいに、強烈なことをやるわけではない。アメリカに住んでいる子どもたちにとって、おばちゃんの派手な服装や身振りや、英語のできないことが面白いだけで、ドミニカにはそういう人たちはいっぱいいるでしょうし……言葉で言うだけじゃなくて、ストーリーでおばちゃんのキャラクターを語っていかなきゃ、読者には物足りない。それから、おばちゃんが子どもたちと話すときは「 」の中が平仮名で、すらすらしゃべっているでしょう? これは、スペイン語でしゃべっているのかしら? 子どもたちに習った英語で訳の分からないところを言う箇所は面白かったけど、ここはカタカナでしょう?原文はどうなっているのかしら?アメリカの読者はスペイン語もある程度分かるから面白い部分もあるかもしれないけど、日本の子はそれをさらに日本語に訳したものを読むわけだから、分かりにくいうえに面白さも半減しちゃうわね。

すあま:ロラおばちゃんのイメージが浮かべられないまま、終わってしまった。いろいろなできごとが、すべてさらっと解決してしまい、不満が残った。150pで、(がんごじじいの)シャルルボア大佐が「チャーリーズボーイ」と(野球チームの少年たちのユニフォームに)書かれているのを見ただけで、なぜ和解してしまうのかもわからなかった。原題が“How Tia Lola came to visit stay”で、visitを消してstayになっているのは、最初は主人公の子どもたちに拒絶反応があったけど、最後には大事な家族の一員になったということを意味しているということなのかと思ったが、ミゲルにもそんなに葛藤がないので、どうなのか。ミゲルの気持ちについていくと、肩透かしを食らうことが多かった。物足りなかったし、作者がなにを意図していたのかも分からなかった。

ハマグリ:良い人のでてくる、良いお話なので、感動しながら読まなければと思ったんだけどね……

トチ:ハマグリさんって、いい人なんだねえ!

(「子どもの本で言いたい放題」2005年2月の記録)


佐藤さん

片川優子『佐藤さん』
『佐藤さん』
片川優子/著 長野ともこ/絵
講談社
2004

版元語録:高校一年の少し気弱な主人公の男の子。彼が幽霊に憑かれている「佐藤さん」と出会い、彼と彼女のふしぎな関係がはじまった。

トチ:とても面白かった。最後まですらすら読めたし、なによりいかにも今どきの子どもらしい、生きのいい会話がうまいなあと思いました。森絵都の『カラフル』(理論社)とか、朝日新聞に浅田次郎が連載していた『椿山課長の七日間』(朝日新聞社刊)のような、ユーモラスな幽霊ものですよね。でも、後半になって親による虐待とかいじめなどが出てきたところで、良くある問題をそれほど掘り下げないで取りいれて、お手軽にまとめたなあ、と少し残念でした。最後に作者紹介を見たら、なんとまだ18歳か19歳なのね。さすがに子どもたちの会話はうまいわけだと納得しました。でも、それだったらなおのこと、同世代にしか分からない心の動きなどを、もっと書いてほしかった。この作品はこれでエンターテインメントとして完成しているのでしょうけど、これくらい軽やかで読みやすい文章を書ける人なので、これからもっともっといろいろな面を見せてほしい。どんなものを書いてくれるかと、わくわくしてます。

カーコ:書き出しがとても面白くて、この二人がどう近づいていくのか、ぐっと引っ張られて読んでしまいました。佐藤さんが学校の内外でキャラクターを使い分けるところとか、優柔不断な主人公が悩むところは面白かったから、二人の変化やクラスメートの男の子との話でまとめたほうがよかったのでは? 最後に虐待がからんでくるのは不自然。同年代だからか、話し言葉がうまい。崩れすぎず、ちょうどいい書き言葉になっていて感心しました。

ハマグリ:「ぼくは佐藤さんが怖い」という出だしの一行がとてもうまい。最初がすごく面白くて、ぐっとひきつけられた。はきはきしない性格で、押しの強い有無をいわせぬ子を苦手とする主人公の気持ちがとてもよく書かれていると思った。言葉遣いも地の文もこのような性格の一人の男の子の感覚を細かく表現できている。若いのに才能のある作家が出てきたと思う。それにユーモラスなところがあっていい。幽霊の安土さんは今日はいない、だって九州に行っているからなんて、おかしい。幽霊ならどこにいたって出るときは出るのに。ところどころ笑える部分があって、このところこんなに笑った話はなく、楽しかった。でも私もカーコさんと同じく、佐藤さんが実は虐待されているというところにきて、なんだそっちへ行くか、と思ってちょっとがっかりだった。それと小学生時代にいじめられていた清水を克服するために会いに行く場面で、清水が実は自分もいじめられていたとやたらべらべらしゃべるところが嫌だった。清水はもっと清水であれよ!と思った。これじゃあ主人公がちゃんと乗り越えられないじゃないか! この世代の感じ方を言葉で表現するのはうまいけれど、一つの物語としてのまとめ方はこの人のこれからの課題じゃないかと思う。

トチ:ストーリーがないっていうこと?

ハマグリ:部分部分が面白いから最後まで読めたけれど、構成がいまいちだし、ストーリーとしてのまとまりをつける点ではこれからじゃないかと思う。

アカシア:文章が面白いと思ったし、私は幽霊の扱い方は『カラフル』よりも面白いし『ウィッシュリスト』(オーエン・コルファー著 理論社)よりは、はるかに面白かった。一番引っかかったのは、高校生の男の子の描き方。私の息子が高校生だった頃、こんなだったかなあ、と思って。主人公は、手を握ることもできなくて、佐藤さんをどんなふうに助けてあげられるのか、と聖人君子みたいなことばかり考えている。ひこ・田中の『ごめん』(偕成社)とはずいぶん違う世界。女性の作家だから、やっぱり男の子は捉えにくいのかな、と思ってしまった。まあ佐伯くんのような子もいなくはないんだろうけど、中学生という設定にしたほうが自然なんだろうと思いました。物足りなかったのは、虐待の部分と並んで、香水事件の終わり方。p97で、田川さんが急に、お父さんの浮気の話をぺらぺらしゃべる。それまでそう仲良くなかったクラスメートに? とここは、不自然。それから、p30の「安土さんは……空気椅子してるんだろうな」というとこ、私はよくわからなかったんだけど。だってベンチはそこにあって、安土さんはちゃんとすわってるんでしょ?

みんな:幽霊は、ちゃんとすわれないのよ。だから、やっぱりすわってる格好をしてるってことよ。

すあま:私は、主人公たちが高校生だと思わずに、中学生だと思って読んじゃった。それは挿絵のせいかとも思ったが、登場人物の内面の描き方からもそう感じられた。あとがきを読んだら、作者が中学生のときに書いていたことがわかったので、そのせいかもしれませんね。88pに「聖子泣き」(嘘泣きのこと)という表現が出てくるけど、これ、かなり古い表現なので、この本の時代設定や作者の年齢が気になってしまった。でも作者は若いし、現代の話だったのでびっくりした。

トチ:「どざえもん」っていう言葉だって江戸時代以来伝わってるんだから、「聖子泣き」も生き延びるかも。

すあま:こりゃあいいぞ!という感じで読み進んだんだけど、佐藤さんの虐待にからむ話の展開でがくっときてしまった。それから、もっといろんな幽霊が出てくるのかと思ったのに、ストーリーは結局普通の学園ものになってしまった。
幽霊を背中にしょってる女の子と幽霊が見える男の子という設定がユニークだったのに、あまり幽霊である意味がなくなって相談相手のお兄さんになってしまったのも残念な気がした。

むう:なかなかおもしろく読みました。でも、最後のところがだめだったな。虐待とかいじめとか、おいおいまたか!という感じ。うじうじした主人公がほんの少し変わって、恋が実って、それでいいじゃないかと思う。肝試しのところまでは楽しく読めて、156ページの「だって佐藤さんは地球と同じくらいすごい勢いでまわっていて、その佐藤さんを離したらぼくはあっという間に振り落とされてしまうだろうから」という文章が出てきたときは、これで決まりだ!よし、よし!という感じだったのに、次をめくったら「スタバの前で転んで笑おう」が出てきたので、なんだこれは?と思った。最後の一章はよけいだと思う。いじめの連鎖だとか虐待を扱うならもっとちゃんとしてほしい。いかにもステロタイプでがっかり。幽霊の安土さんがとりついたままではまずいというので、安土さんを昇天させるために作った章なのかもしれないけれど、安土さんがとりついたままで終わってもよかったんじゃないかと思う。社会性がなくて小粒だといわれたとしても、そのほうが作品としてはいい印象が残ると思った。それと、全体に中学生の物語という感じで読んでたので、高校生の話だといわれると、ちょっと幼い感じがしました。

トチ:この作家も一応取り上げているというだけで、いじめや虐待を掘り下げているわけではないでしょ。そういう意味でみると、日本の作家は全体に社会性がないですね。社会から隔離されたところで生存しているみたいです。これでいいのかなという感じがしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年2月の記録)


ホエール・トーク

クリス・クラッチャー『ホエール・トーク』
『ホエール・トーク』
原題:WHALE TALK by Chris Crutcher,2001
クリス・クラッチャー/著 金原瑞人・西田登/訳
青山出版社
2004

版元語録:プールがない、しかも部員たったの7人の水泳部。もちろん全員ハミ出し者。あるのは熱い情熱と固い絆、それと一台のマイクロバス。そんな彼らが手にいれたものとは…。

ハマグリ:ほかの2冊に比べると読み応えがある本。最初はカタカナ名前がどれが誰だかのみこめなくて、なかなか先に進めないところもあったけれど、個性的な人物ばかりで、途中から読めるようになった。面白いというより、いろんなことを考えさせられる重い話だった。単純に悪い子と良い子で分けるのでなく、どんな子もみんな根っこは同じ、育っていく過程で救いの手を差し伸べる大人にどれだけ出会ったかで決まる、ということがわかる。一人の人間の中の強さと弱さも描かれているし、加害者と被害者が単純にいい悪いでは決められないということも感じられた。主人公の性格、ものの見方がよくわかる書き方で、苦しみ悩みをかかえ、大人に反発しながら斜に構えた皮肉っぽい見方で語るのが、若い読者に共感を呼ぶと思う。最初は悲惨な状況にいたにもかかわらず、養父、養母、カウンセラーによって救われ、コーチや、ジムに住んでるおかしなおじさんとの出会いで育っていく様子がわかる。でもこの子は実はおだやかで優しい部分があるとも感じられ、ほっとする部分もある。ひねった表現もあって、しっかり読まないとどういう意味かわからないところも多かった。小鹿を殺される描写がリアルで感情がよく伝わり、お父さんが殺される時にその感覚がダブる場面がうまい。当時の歌やら、この時代の流行ものなど、わかるところもあれば、わからないところもあったが、アメリカのティーンエージャーなら、もっとわかって楽しめるところだろう。

アカシア:これは大人の本として出ているのかもしれませんね。訳も、62ページの「サハラ砂漠代表チーム」など、わからなくてもいいや、という大人の本特有の直訳調だもの。私もハマグリさんと同じで最初のうちは人物の特徴をつかむまでに時間がかかったけど、だんだん面白くなってきた。定石どおりに話を作っている所から来る快さもありますね。みんなそろってハンパものの子たちが、同じような立場の、学校から白い目で見られているコーチと一緒に努力して何かをやりとげる。おとうさんが見かけはごついけれど繊細な心を持っているなんていうのも、定石ですね。随所にメッセージが散りばめてあるのも、若い人に受ける要素かも。ただね、私は生まれてきた話というよりは、公式にあてはめて面白く作った話という感じがしてしまって、後書きに書いてあるような大傑作とは思えなかった。

すあま:読み始めたときは、暗くて重い話かと思ったが、途中からだめな子たちが集まってがんばるという、読みやすい話になった。よくあるパターンだけど、重いテーマを扱っているのに読みやすかったのは、そのせいかもしれない。最後のセリフが、「こういうものって、どこに置けばいいんだろう」っていうんだけど、「こういうもの」というのが何のことなのかわからなかった。

アカシア:ここ、たぶんすごく大事なことを言ってるんでしょうけど、今のままではわかりませんね。訳者もわからなかったのかもしれないけど、こういうところは、それこそ著者に確認するなどしてから読者に手渡してもらうといいのにね。

むう:この本には、ドメスティック・バイオレンスが大きく絡んでいるけれど、そのあたりはよく描けていると思った。アメリカのYAでは、サラ・デッセンなども含めてドメスティック・バイオレンスがよく取り上げられているけれど、この本は、ドメスティック・バイオレンスの背景や被害者の有り様などの扱いがリアルだと思った。でもドメスティック・バイオレンスだけを書いたら重くて重くて読めない感じになりかねない。それが、青春物語に絡まり、いかにも反抗的で男気もあるハイティーンという主人公の設定も手伝って、読めるものになっている。これを読んで、つくづくアメリカにはある種過剰なマッチョな男性文化が伝統としてあるんだなあと感じた。その病理みたいなものとしてドメスティック・バイオレンスが出てくるということもよくわかった。小説としては、ぐいぐい読ませて最後までひっぱっていく力があると思う。それに、結局クリスがジャケットをもらえて終わるところとか、最後のホエール・トークの章でお父さん自身も知らなかった子ども、つまり血のつながらない兄弟と主人公が出会うとか、意外性も持たせつつ、きちっと落として終わっている。それが、定石通りということでもあるのかもしれないけれど。ただ、この本はいかにもアメリカらしいスポーツ至上主義的な高校生活、チアガールやスポーツ選手が異様にもてはやされる高校生活にどっぷり浸ったところで書かれていて、それは日本とだいぶ違う気がした。おそらく、アメリカの子のほうがこの作品を自分の生活に引きつけて読めるんじゃないかな。私自身は、アメリカ的なスポーツ文化やハイスクール生活の雰囲気があまり好きでないので、ちょっと引いてしまうところがあった。

すあま:スポーツで学校のポイントが決まるというような、アメリカの高校のしくみも、わかりにくかった。

カーコ:筋がはっきりしているので、どうなるんだろうとぐいぐい読みました。アメリカの文化的なことや固有名詞やらダジャレやらが、わかりづらいですが、人物の人となりがはっきりしてきてから、面白くなりました。ばらばらなメンバーなのに、いつのまにか連帯感が生まれて、一人一人が救われていくというのがいい。救われるには、自分のほうに求める気持ちがないとダメだ、というお母さんのセリフがよかった。文化だけでなく、親子の接し方や、たたみかけるような理詰めの論理展開が、日本にはない感じ。大人の本として作ってるようなので、確信犯的に直訳調にしているのだと思いました。考えさせられるところの多い本なので、高校生に手にとって読んでほしいですね。

ハマグリ:175pの体をかいてるようなかっこうをするところで「ぼくはカニじゃないんだから」って、どういうこと? ゴリラならわかるけど。

アカシア:カニにもゴリラにも見えるのかなって思って読み飛ばしたんだけど。よく考えてみたらそうだねえ、変だねえ。

トチ:crab って毛じらみのこともいうって、リーダーズに出てましたよ。たぶんこれのことじゃないかしら。原文は読んでないけど。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年2月の記録)