日本児童図書出版協会で出している月刊誌「こどもの本」に、2017年の5月号から2018年の4月号まで「子どもの本に見る新しい家族」というタイトルで、従来型ではない多様な家族を描いた子どもの本について連載していました。もう一度手を入れてから自分のウェブサイトに掲載しようと思ったのですが、コロナ禍で資料が置いてある東京にも戻れず、手を入れる時間もないので、とりあえず誤植や舌足らずのところだけを訂正し、基本的にはそのままこちらに転載します。


子どもの本に見る新しい家族⑧

「外から来た子ども」を絵本はどう描いてきたか

前回は、非血縁の親がどう描かれているかについて書いた。次は、非血縁の子ども(養子、里子)がどう描かれてきたかについて考察してみたい。養父、養母、里親を取り上げた作品と、養子、里子を取り上げた作品は、いわばコインの両面なので、ある意味では前回のテーマと重なる部分もある。

 

『ねぇねぇ、もういちどききたいな わたしがうまれたよるのこと』の場合

『ねぇねぇ、もういちどききたいな-わたしがうまれたよるのこと』表紙アメリカで20年以上前に出た絵本『ねぇねぇ、もういちどききたいな わたしがうまれたよるのこと』(原著 1996/ジェイミー・リー・カーティス作 ローラ・コーネル絵 坂上香訳 偕成社 1998)は、アメリカでも日本でもいまだに読みつがれている。作者は、自身も二人の養子を迎えた女優である。この絵本は、自分の写真アルバムを抱えた女の子が、「ねぇねえ、もういちどききたいな わたしがうまれたよるのこと」と両親にせがんでいる場面から始まる。しかし、次の見開きでは、パパとママと犬が一つのダブルベツドで寝ていると、真夜中に電話が鳴って、「わたし」の誕生を告げられたことがわかる。パパもママも、遠くのだれかから赤ちゃんの誕生を知らされるのだ。読者はおやっと思うかもしれない。

知らせを受けたママとパパは、ベビー用品のつまったカバンを持って、飛行機で赤ちゃんを迎えにいく。絵本はさらに、生母が若すぎて世話ができないので、女の子が養子になったことを語っていく。この子が書いた絵入りの家系図によると、親として「パパ」と「ママ」のほかに、「うんでくれたママ」と「うんでくれたパパ」(こちらは語として今ひとつ落ち着かないが)が描かれている。絵本はさらに、養親が初めて赤ちゃんに対面して思わず笑顔になったこと、ママが赤ちゃんを抱いたときうれしくて泣きだしたこと、お人形さんみたいに大事に抱きかかえて帰ったことなど、養親がこの子をどんなに大事にしてきたかが、ゆかいな絵と文章で表現されている。

養子にしろ実子にしろ、愛されている実感がない子どもは、自分の誕生時のことを親に何度も聞きたいとは思わないだろう。本当の愛は甘ったるいものではないから、叱られたりしてしょぼんとすることもある。そんなとき、幸せな出発点を再確認したいと思うのは、いかにも子どもらしいのではないだろうか。

 

『たからものはなあに?』の場合

『たからものはなあに?』表紙それから10年以上たって、2009年に日本でも『たからものはなあに?』(あいだひさ作 たかばやしまり絵 偕成社)が出た。作者は、自分も特別養子縁組をした子どもを育てている。この絵本に登場するのは二組の家族で、たくやは母親のお腹から生まれ、なつかは赤ちゃんの家からやって来た。なつかの養親は、赤ちやんの家に何度も会いにいき、それから家に迎え入れる。たくやがママのお腹の中で大きくなったのに対して、なつかは言う。

 「じゃあ、なつかは ママと パパの こころのなかで どんどん おおきくなったんだね!」

作者は後書きで、

結婚前から、実子の有無にかかわらず養子を迎えたいと考えていた私たち夫婦は、『子どもをもつ最後の手段』とでもいうような、日本での養子の考え方に驚いたものです。(中略)里親や特別養子縁組に限らず、家族の始まり方はさまざまであってよいと思います。そしてどんな始まり方でも、互いを心から思いやり、愛し合って築き上げてこそ家族だと信じています。

と語っている。血縁重視の傾向が強い日本の現状を変えていきたいという意図がこの絵本にはあり、作品からもその意図がくみとれる。

 

『ママとパパをさがしにいくの』の場合

『ママとパパをさがしにいくの』表紙ホリー・ケラーの『ママとパパをさがしにいくの』(原著 1991/末吉暁子訳 BL出版 2000)は、アメリカの書評誌ホーンブックが優秀作品として選んだ絵本で、動物を主人公にしている。最初の場面では、トラのママがヒョウの子どもホラスを寝かしつけながら、こう話す。

「あなたに このうちに きてもらったのは、小さな あかちゃんだったときよ。
なぜって、あなたには さいしょの かぞくが いなくなってしまって、
あたらしい かぞくが ひつようだったから。あなたの からだのもようは
すてきだったわ。ぜひ、うちの子に なってもらおうと おもったの」

しかし、ホラスはママの話が終わる前にいつも眠ってしまう。ホラスは幸せに暮らしてはいるのだが、体の色や模様が家族と違うことは気になる。そこである日、本当の家族を探しに出かける。そして、とうとうヒョウの一家を見つけ、そこに仲間入りして子どもたちと楽しく遊ぶ。しかしそのうちホラスは、育てのパパとママを思い出し、ヒョウの家族の誘いを断って、「ぼく、もうおうちへかえりたいの」と言う。「おうち」とは、養親の家のことである。そしてその夜、いつもの話を養母が繰り返すのを今度は最後まで聞いて、トラの両親を自分の本当のママとパパとして自ら選びとるのだ。

 

『タンタンタンゴはパパふたり』の場合

『タンタンタンゴはパパふたり』表紙ジャステイン・リチャードソンとピーター・パーネルが文を書き、ヘンリー・コールが絵をつけた『タンタンタンゴはパパふたり』(原著 2005/尾辻かな子・前田和男訳 ポット出版 2008)は、アメリカ図書館協会が優良図書に選んだ絵本。ニューヨーク市マンハッタンにあるセントラル・パーク動物園にいるペンギンの実話を基に作られた。いつも一緒にいる雄ペンギンのロイとシロは、ある日、卵形の石をあたため始める。その様子を見ていた飼育員が、他のペンギンが遺棄した卵を2羽の巣においてやると、今度はそれを交替であたためる。その卵からかえったひなは、タンゴと名づけられる。この3羽がいい家族であることは、絵からも感じられる。この絵本は、男性カップルが養子を迎える話というふうにも解釈できるが、非血縁者が家族をつくる絵本としてここに入れておきたい。

 

『おとうちゃんとぼく』の場合

『おとうちゃんとぼく』表紙にしかわおさむの『おとうちゃんとぼく』(2012)も、作者の制作意図は別として、養子の絵本と考えることも可能だ。

「おとうちゃん」の名前はノラさん。犬だが擬人化されてズボンをはき二本足で歩いているノラさんは、子どものころ、人間のおばあさんに引き取られ、世話をしてもらうかわりに、おばあさんを手伝ったり、夜はどろぼうや怖いものが来ないように見張ったりしている。やがて大人になったノラさんは、小さな捨てネコに出会う。この絵本で「ぼく」と言っているのは、この子ネコだ。子ネコを連れ帰ったノラさんは、おばあさんに「おいら こんやから このこの おとうちゃんに なります!」と堂々と宣言し、敷地に小さな家を建ててもらって自立する。そして子ネコにご飯を食べさせたり、おしめを替えたり、遊んでやったりして育てる。

ある日、子ネコを従えてパトロール中のノラさんは、どろぼうをつかまえたのはいいが、自分もケガをして入院する羽目になる。「ぼく」は心配で、ずっとノラさんに付き添う。やがて元気になったノラさんに、人間の女性が言う。「そのぼうや あなたの 子どもじゃ ないでしょ? ちゃんと おやを さがして かえしなさいよ」と。ノラさんは怒って、その女性の服にかみついてしまい、パトロール隊の隊長に叱られる。しょんぼりしているノラさんに、子ネコは言うのである。

「ぼくの おとうちゃんは おとうちゃんの ほかに どこにも いないよ!」

 

『おとうとがやってきた!』の場合

『おとうとがやってきた』表紙イギリスの絵本『おとうとがやってきた!』(原著 1993/ティー・シャールマン作 もとしたいずみ訳 偕成社 1996)は、弟ができた姉ドーラの話だが、その弟が養子であるところが他と違う。イギリスではこの年代でも養子縁組は珍しいことではなかったようで、最初の場面でドーラは、養子の弟がやってくることを

「おとうとはね、あかちゃんじゃないの。それに ほんとのおとうとでも ないのよ。そのこ、パパもママも いないんだって。それで うちのかぞくになるんだ。あたしの おとうとよ。えへ、『サーシャ』って なまえなんだよ」

と学校で自慢して、友だちをうらやましがらせている。

でも、実際に一緒に暮らすようになってみるとサーシャは、ドーラが完成しようとしていたパズルをめちゃめちゃにしたり、ドーラが大事にしているくまさんをお風呂につけてしまったり、せっかく描いた絵をぐしゃぐしゃにしたりするので、ドーラは「もう おとうとなんか、いらないっ!」と言ってしまう。それでも、サーシャが留守にすると、さびしくなる。

このあたりのストーリー展開は、実のきょうだいの場合とそう違わない。違うのは、サーシャの場合は赤ん坊時代がなくてすぐにいたずらを始めるところくらいだろうか。最後はやっぱリドーラが、弟に絵の具をべったりつけられながらも、「うちに きてくれて うれしいよ、サーシャ!」と言う場面で、裏表紙には、ドーラが笑顔のサーシャも入れて描いた家族の絵が載っている。

 

ここで取り上げたどの絵本にも、非血縁の子どもたちが、あたたかく迎えられ、愛をあびて育っている様子が描かれている。養子や里子だから、実子より大きな愛でつつまれている、などということは、もちろん言えない。ただ、実の親が子どもを虐待したり殺害したりする事件を目にすると、私たち日本人も、非血縁の親子関係をオプションとして視野にいれる必要が出てきているのではないかと私は思う。

そういう意味では、養子や里子が出てくる作品に子どもたちが親しむ状況をつくることには、大きな意味があると言えよう。

(日本児童図書出版協会「こどもの本」2017年12月号掲載)