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『子どもの本に見る新しい家族⑨ 「外から来た子ども」をアメリカの児童文学はどう描いてきたか』

日本児童図書出版協会で出している月刊誌「こどもの本」に、2017年の5月号から2018年の4月号まで「子どもの本に見る新しい家族」というタイトルで、従来型ではない多様な家族を描いた子どもの本について連載していました。もう一度手を入れてから自分のウェブサイトに掲載しようと思ったのですが、コロナ禍で資料が置いてある東京にも戻れず、手を入れる時間もないので、とりあえず誤植や舌足らずのところだけを訂正し、基本的にはそのままこちらに転載します。


子どもの本に見る新しい家族⑨

「外から来た子ども」をアメリカの児童文学はどう描いてきたか

「外から来た子ども」とは、非血縁の子ども(養子、里子)のことである。前回は絵本でどう描かれてきたかを見たので、今回はアメリカの児童文学読み物でどう描かれてきたかを見てみたい。

 

『ガラスの家族』の場合

『ガラスの家族』表紙全米図普賞を受賞したキャサリン・パターソンの『ガラスの家族』(原著 1978/岡本浜江訳 偕成社 1984)は、11歳の女の子ギリーが主人公である。生母コートニーに実際は捨てられた状態のギリーなのだが、生母の写真と、写真の隅に書かれた「いつも愛しています」という言葉にしがみついて生きている。生母はそばにいないので、どこまでも理想化することが可能なのだ。

何度も里親をたらい回しにされたギリーが、今回頂けられた里親は、メイム・トロッターという「カバみたいな女性」で、その家には発達障碍をもっているらしいウィリアム=アーネストという別の里子もいる.おまけに夕食を食べに来るランドルフさんは盲目の黒人だ。ギリーはこの家を「はきだめ」だと思う。だれからも安定した愛を受けたことのないギリーは、「とんかりすぎの鉛筆みたいな気分」で、学校でも家でもすべてにつっかかり、自分の強さを誇示しようとする。そして、自分を理解してくれそうな人が出てくると、逆に讐戒心を抱く。

ギリーがこうなったのは 都合のいいときは甘やかし、都合が悪くなると捨てたこれまでの里親との体験がトラウマになっているせいでもある。

ギリーは、やがでトロッターさんとランドルフさんのお金を盗み、一人で生母に会いにいこうとする。ところが長距離バスのキップ売り場で疑われて、保護者に連絡が行く。駆けつけたトロッターさんには、ギリーがお金を盗んだこともお見通しだが、警官がギリーを一晩とめおこうかときくと、断固として言い返す。

「たとえ一分だって、このわたしが自分の子を留置場へいれられると思うのかい?」

トロッターさんは、福祉事務所のケースワーカーとも渡り合い、ギリーを引きつづき家におき、しかも盗みの件には厳しく対処し、なくなった分は働いて返すように言いつけてバイト料金リストを提示する。ベテランの里親として、どう対応すればいいかをよく知っているのである。

ギリーの気持ちはしだいに前向きになるのだが、それを可能にしたのは、トロッターさんならどこまでも守ってくれるという安心感を得たことに加えて、自分が必要とされる存在だと感じたことも大きい。ランドルフさん、トロッターさん、ウィリアム=アーネストの3人ともがインフルエンザにかかってギリーが看病でへとヘとになっているところへ、今まで存在さえ知らなかった祖母があらわれて、「すぐにここからつれだしてあげる」と言う。そのときギリーはこう思う。

だれもあたしをここからつれだしたり、できるものか。だれもが、これほどあたしを必要としているときに。

トロッターさんに心を許し、周囲の人たちともようやく心を通わせ始めたギリーは、しかしながら法的にこの祖母と暮らさざるを得なくなる。しぶしぶ祖母の家に引っ越したギリーは、クリスマスに生母とも再会するのだが、

コートニーがギリーをだきしめた。大きなバッグを胸やおなかにおしつけたままで

ずいぶんと久しぶりに出会った憧れの生母とギリーの間には、大きなバッグがはさまっていた、というこの描写からは、娘の気持ちをかえりみることなく、おざなりに抱くことしかしない生母のありよう示している。ギリーはようやく、生母のことは見切らなくてはならないと悟る。

 コートニーは 自分からすすんできたのではなかったのだ。おばあちゃまがお金をだして、こさせたのだ。だから長くいるつもりもない。ギリーをつれて帰るつもりもないのだ。写真のすみにあった「いつも愛しています」は、うそだったのだ。ギリーはこのいまいましいうそのために、一生を棒にふってしまった。
「あたし、トイレにいってくる」
ギリーはおばあちゃまにいった。ふたりがついてきませんようにと祈った。なぜならまっさきにしたいことは吐くことで、第二は逃げだすことだった。(偕成社文庫版より)

現実に直面して逃げたくなったギリーは、トロッターさんに電話をして「帰りたい」と一度は言ってみるものの、ベテラン里親との心を開いた対話から、祖母も自分を必要としていることを理解して、祖母の家で暮らす決心をする。

訳者あとがきによれば、著者のパターソンは、実生活でも実子二人のほかに養子二人を育て、カンボジアからの里子二人の世話もしていた。里子たちが言うことを聞かないとき、ついかっとなって、どうぜ一時のことだからと思う自分がいたことを後悔し、「せめて本の中では、里子に世界最高の里親をあたえたい」と、 トロッターさんという理想の里親像を造形したという。

 

◆ 『メイおばちゃんの庭』の場合

『メイおばちゃんの庭』表紙ニューベリー賞とホーンブック賞をとったシンシア・ライラントの『メイおばちゃんの庭』(原著 1992/斎藤倫子訳 あかね書房 1993)の主人公は、母親と死別して孤児になり、やはり親戚をたらい回しにされた少女サマーで、今回の里親は、高齢のオブおじちゃんとメイおばちゃん。ギリーと境遇は似ているが、大きく違うのは、サマーには自分が愛情を受けた記憶がおぼろげながらあることだ。

 ある晩、台所で亜麻色の長い髪をあんでるおばちゃんにおじちゃんが手をかしてるところを初めてみたとき、あたしは、森にかけこんでわんわん泣いてしまいたいような気分になった。悲しかったからじゃない。しあわせな気持ちでいっぱいになったからだ。
きっとあたしも あんなふうに愛されてたんだと思う。よくおぼえてないけど、ぜったいにそうだ。だってそうでなかったら あの晩おじちゃんとおばちゃんをみて、ふたりの深い愛情に気つくはずがないもの。
(中略)かあさんは自分がもうすぐ死ぬってわかってて、ほかのどのおかあさんよりもしっかりとあたしを抱いて、たっぶり愛情をそそぎこんでくれたにちがいない。いつかあたしか愛というものをみたり感じたりしたときに、それが愛だってわかるように。

そして、この二人のところに来たことを、当時6歳のサマーは心から喜び、

「ここで過ごした最初の晩は、あたしの人生で、いちばん天国に近い日だった」
「ようやく自分のうちにたどりついた」

と感じている.

しかし、メイおばちゃんはやがて亡くなり、意気消沈したオブおじちゃんを今度はサマーが励ます側にまわる。

この2作は、子どもにとっては食べ物と同じくらい、愛された記憶が必要だということを伝えている。そして、愛をもたらすのは血縁者とは限らず、肉親がかえって加害者になって子どもを苦しめる例もあること、愛とは抽象的な観念なのではなく相手が何を求めているかを察して手をかけ心をかけることだということを語っている。

 

『アラスカの小さな家族』の場合

『アラスカの小さな家族』表紙スコット・オデール賞を受賞したカークパトリツク・ヒルの『アラスカの小さな家族〜バラードクリークのボー』(原書 2013/レウィン・ファム絵 田中奈津子訳 講談社 2015)は、養女ボーが主人公である。ボーは、〈楽しみ女〉のミリーが産んだ子で、育てられないから孤児院に入れてほしいと言ってアービッドの手に渡された。それ以来ボーは、二人の父親に育てられている。アービッドは、ゴールドラッシュのときにスウェーデンからやってきた。もう一人の父親はジャックで、アメリカ南部出身の黒人だ。二人とも大男の鍛冶屋である。ボーは、前回触れた絵本『ねぇねぇ、もういちどききたいな わたしがうまれたよるのこと』の女の子と同じで 自分が二人の娘になったいきさつを何度でも聞いて楽しむ。この作品では、アービッドとジャックがどんな関係にあるのかについては語られていないが、ジャックには昔結婚しようと思った女性がいたことが会話に出てくるので、同性愛カップルと決めつけることはできない。

ともあれボーは非血縁の二人の父親や先住民のエスキモーを含めた多様な民族の混じり合う社会で、みんなに見守られて育っている。家ではアービッドが裁縫、ジャックが料理を担当し、日常生活には全く困らないが、女の子の育て方についてはまわりの人からアドバイスをもらっている。二人の父親は、時に父性的な要素、時に母性的な要素を発揮して娘を大事に育てており、ボーは日々の暮らしに満足している。

ある日、ボーは言葉を話さない小さな男の子に出会う。この子は、死んでいる自分の父親のそばにすわりこんでいるところを見つけられたのた。やがでわかったのは、この子の名前はグラフトンだということ、子だくさんの叔母は孤児院に預けてほしいと願っているということだった。ボーは グラフトンも養子にしてほしいと父親たちに頼む。二人の父親の決定をグラフトンに伝える場面は、こう書かれている.

 グラフトンの目はまん丸くなりました。
ボーはこれ以上だまっていられません。
「ジャックがあんたの父さんになって、アービッドもあんたの父さんになって あたしはあんたの姉さんになるの!」
「グラフトンはわしらの息子になるんだよ」と、アービッドがいいました。
グラフトンはひっそりほほえんで、靴下をはいた足を見つめました。
「今の話、わかったと思うかい?」ジャックが心配そうにボーにたずねました。
「この子がこんなふうににこっとするのは、うれしいときだけなの」と ボー。

ボーがグラフトンの気持ちをよくわかっていることと 父親たちも家族がふえるのを楽しみにしていることが伝わつてくる。

4人家族のだれ一人として血がつながっているわけではないのだが、この作品は全体が日常の楽しさにあふれており、この4人でこれからもあたたかい家庭を作っていくだろうことが予測できる。この作品ではボーはまだ小さいが、続編もあるということなので ボーが成長して反抗期になったらこの父親たちはどうするのか、興味深いところである。

(日本児童図書出版協会「こどもの本」2018年1月号掲載)