月: 2011年7月

2011年07月 テーマ:「私」を探して

日付 2011年7月21日
参加者 メリーさん かぼちゃ シア ハマグリ アカシア プルメリア ダンテス ジラフ
テーマ 「私」を探して

読んだ本:

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レベッカ・ステッド『きみに出会うとき』

きみに出会うとき

ダンテス:あとがきにあるように読み終わってからもう一度読み 直そうと思いました。舞台はニューヨークの街中。お金持ちのドアマンがいるアパートに住んでいるお嬢さんがでてきたり、母子家庭のお母さんの緊張感や街中におかしな人や危険な人がいるという辺り、ニューヨークがよく書けていると思う。手紙が届き、内容は未来を暗示するもので、読者をうまい具合に引っ張っていきます。そういう意味で読ませる力がある本だと思う。ただ推理小説とは違って、現実の中で、ああこの人がそうだったのかと納得する話ではない。現実に起きていることだけではなくファンタジーもある。時間のズレとかもある。作中に度々出てくる本もそれを読んでいるという前提で書かれているようだ。なるほど、と納得するべきなのかどうなのか、難しい作品だった。確かに読み直してみるとお金持ちのアンヌ・マリーのてんかんを暗示するP49のピザの食べ方 や、アンヌの父が与えないジュースの部分など伏線がたくみに張ってあった。ジュリアの存在なども構成としては良くできていると思います。

ジラフ:入手できませんでした。ニューベリー賞を取った作品ということで、最近の受賞作がどんなものなのか、興味があったのですが。

メリーさん:売り文句にファンタジーと書いてありますが、これはSFですよね。以前よりSFが読まれなくなった今、こういう作品が評価されていることがおもしろいなと思いました。構成がよく、最後まで読んで、それまでの伏線が一気につながった感じがしました。あとがきにも書かれていますが、最後まで読んで、そうかあれはここにつながっていたのかともう一度最初から読み直しました。そう言われてみると、タイムスリップしたときに、自分のことが見えるかどうかということにずいぶんこだわっていたなと。最後の最後でおじさんとマーカスがつながるという結末になんとかつなげたかったのだなと思いました。ただ、その論理的な説明がちょっと難しいのと、友だちを殴るということがわかりづらかったので、子どもたちにはちょっと手に取りにくいかなとも思いました。

かぼちゃ:クイズやパズルのような話。謎解きですね。本当の主人公はマーカスで、ミランダは語り手のような存在なのかなと思いました。多分、サルははじめの人生では死んでいたのでは。後のマーカスはサルを殴ったことや追いかけたことを悔やんでいて過去を変えようとした、それにより過去が変わってサルを助ける笑う男が出現するのかなと思いました。贖罪として助けたのだろうなぁと思います。全体的に伏線、謎が多いけれどそんなに謎が気にかからない、のっぺりして盛り上がりがなく感動もなかったですし、テーマも何かよくわからなかった。タイトルの「きみ」は誰なのか? 差異的に見ればマーカスのことで、恋の要素を含ませて考えれば後の妻となるジュリアのことかもしれないけど分からない。56項目とエピグラムの2文に分かれていますね。

シア:時間がなくてあまり読めませんでした。これをまず先に読みたかったです。

ハマグリ:私も最初のほうしか読めていないので、物理的な印象だけですが、この表紙の絵では女の子しか手にとらないのではないでしょうか。タイトルも恋の物語のように受け取れる。読者を減らしてしまっていて、もったいないです

アカシア:1回読んだだけじゃわかりにくいですよね。5次元だとしても過去を変えるの は禁じ手とされてるはずなので、こんなふうに書くのはずるい。主人公にわけのわからないメモが届くわけですが、原題のWHEN YOU REACH MEは「あなたが私にコンタクトするとき」というような意味なんでしょうか? このYOUは本文では「あなた」となっていると思うんですけど、日本語の書名は「きみ」。この書名が、よけいわかりにくくしてますね。私は、ちっともおもしろくなくて、本当にこれがニューベリー賞なのかしら、と疑問に思いました。謎が解決されてもいないし。もう一度読むともっとわかってくるのかもしれませんが。

ダンテス:ローカル性のある作品のようです。アメリカの中でよくわかる作品なのかもしれない。ニューヨークの街を舞台にしているのも、行ったことがあれば、あるいは住んだことがあれば分かるということが多くかかれているようです。それからお母さんの正義感 がアメリカ人に共感を呼びそうです。

プルメリア:お母さん人気のあるクイズ番組に出るストーリーかなと思って読み始めましたが、手紙のほうが主でした。題名『きみに出会うとき』ひきつけられる題名で表紙も恋の話のように見えましたが「きみ」がよくわからなかったです。子ども達の日常生活から日本社会にはない自由さが伝わります。タイムスリップは今いち謎です。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


西加奈子『円卓』

円卓

ハマグリ:区内の図書館全館で貸し出し中でした。

アカシア:おもしろかったけど、子どもの本じゃないですよね。視点が大人だもの。おとなの本として読めば、文章の書き方が独特で、おしゃまな女の子の成長物語としておもしろい。最後の円卓の部分も、あざとくはあるけど泣かせます。

プルメリア:この作品も大変人気があり、区内の図書館2区ともすべて貸出し中でした。大阪弁で書かれ、主人公の姉達が三つ子の設定面白いです。七福神がでてくるところはファンタジーの世界にいきそう。大阪弁はテンポよくやわらかく伝わります。主人公は子ども、日常生活も子ども中心社会ですが、子どもの視点で書かれていない。子どもが手に取って読む本とは違い大人向き作品かな。

ダンテス:関西人のノリで楽しく書かれています。人物造形はそれなりによくできている。おじいちゃんが文学的 で、一方お父さんは全然違っていることなど面白い。眼帯してみたい気持ちとか無理なく納得できます。ですが読み終わってすぐ内容を忘れてしまいました。軽かったです。

ジラフ:とってもおもしろく読みました。どういう人が読者対象なのかと思いましたが、みなさんのご意見をうかがって、やっぱり大人の視点なんだ、とわかって安心しました(笑)。作者がテヘランで生まれて、カイロと大阪で育った人だというバックボーンも関係しているのかもしれませんが、生きていることの実感がすごく濃厚に、具体的に書かれている感じがします。たとえば、(主人公の)こっこのお姉さんが、刺繍をしたくてたまらず指がうずうずする、といった表現には、強い身体性も感じました。全体として、いいお話をくぐりぬけた、という充実した読後感が残りました。物語の後半で、こっこが変質者に出くわす場面があって、そのことはこっこを、ほんの少し大人に成長させる出来事であると同時に、危険な出来事でもあります。でもこっこは、怖い目にあったと家族には言えなくて。そのことをずっと、自分ひとりの胸の内に抱えていくんだったらどうしよう、と気が気ではありませんでしたが、心から信頼する友だちに打ち明けられる、という救いがちゃんと用意されていて、ほっとしました。これもなんだか、NHKあたりでテレビドラマになりそうな作品ですね。

メリーさん:電車の中で読みながら、噴き出すのをこらえていました。主人公のこっこのつぶやきがとてもおもしろい。友人のぽっさんも小学生とは思えない老成ぶりで、でもランドセルに「寿」と書いているところはまだ子ども。そして彼らを取り巻く、騒がしくも温かい家族。真の意味での理解者である祖父。大阪弁だからこそ成立する世界だなと思いました。後半に行くにしたがって、こっこが自分の感情を言葉にするのが難しくなってきているところも、彼女が確実に大人になっているのがわかり、とてもいい。ただ、やはりこれは大人の本だと思いました。風変わりな彼らは、端から見ると滑稽だけれど、それは子ども時代から時間が経って、客観的な笑いにできる大人だからこそ。大人になって振り返ってみると共感できる物語だと思います。でも、当事者である子どもたちは真剣だから、本人はそれが滑稽だとは少しも思っていない。大人になれば、あの頃の自分は変な妄想にとりつかれて、意地を張っていたのだなとわかるのだけれど……やはりそれは子どもの目線とは違うと思いました。それでも、同世代の読者としては、西加奈子の作品はとてもいいなと思います。

アカシア:P152の「子どもらの〜」という部分など特にそうですね。大人の視点になってます。

プルメリア:うさぎをのっける行動は好奇心旺盛な子ども達は実際にやりそう。

かぼちゃ:入手できませんでした。

ダンテス :確かに性的な表現が多いので、大人向きに書かれているという意見には、なるほどと思いました。大人は余裕を持って楽しめる。大阪弁である意味ぼかして書いているところもいい。

ハマグリ:P8に「こわごわしかられた」とあるが、大阪弁ではこういう言い方をするのだろうか?

シア:保健室の先生がレズビアンというのはすごい。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


金城一紀『レヴォリューションNo.0』

レヴォリューションNo.O

メリーさん:『レヴォリューション No.3』(金城一紀/著 角川書店)を読まずに『〜No.0』を読んだので、キャラクターについて前もってわかっていれば、もっと楽しめたのかなと思いました。金城一紀の作品では『GO』がとても面白くて、高校生の男くさい感じは似ているなと感じてました。ただ、今回の登場人物たちは、少し型にはまったキャラクターのような気が。アギーなどもちょっと説明不足。物語というより敵を倒すゲームのような感覚で、ちょっと物足りなさを感じたのですが、最後の脱出のところはやはり引き込まれました。昔は映画をやると、原作とともにノベライズ版が出ていましたけれど、最近は小説自体が会話中心の、シナリオのようなものになっている感じがします。(現にノベライズがあまり出ていない)。この本もそういう意味では映像化しやすいのかなと思いました。ただ、なかなか物語の世界に入っていけない、高校生たちには手に取りやすいのではないかと思います。

かぼちゃ:青春もの、一瞬一瞬の情動。すっきり読みやすい。男子校は未知の領域なので興味深く読めました。女の子を助けたりと、ヒロイズムを満たせる。脱走は本来なら悪いことですが理不尽な行為を受けているので悪いこととは言えない。「自分で考えて理不尽にどう対応するか」ということを考えるのに良い作品。流れに沿ってやめたり転校したりするのは反抗するより簡単なこと。今の日本には反抗したり戦う意欲を持った人が少ないように思えるので、日本にもレヴォリューションが起きれば良いなと、この作品を見て思いました。

シア:『レヴォリューションNo.3』が出たときに読みたいとは思っていたのですが、機会がないままでした。この作品は『~No.3』のボーナストラック的な本のようなので、あちらを読んでからの方がいいのではないかと思います。読んでみて『バトルロワイヤル』のギャグ版のような感じを受けました。石田衣良や東野圭吾も青春ものを書いていますが、それとは何か違います。金城さんの作品は『GO』(金城一紀/著 角川書店)でもそうでしたが、社会とか体制への憤り、うずまく憎悪に近い激しい感情を感じるので、少し怖いと思ってしまいました。日本の作品にはお国柄でしょうか、この焼けた石のような感覚はあまりないですね。文章自体は短文で進むところが中高生には読みやすいと思いますが、学園ものとしては設定がちょっと古いですよね。一昔前の不良漫画みたいで。この時代感覚のギャップをどう埋めるかが気になります。映画『パッチギ』(井筒和幸監督 2005年 日本映画)を思い出しました。登場人物が熱いところが似ていると思います。韓国から留学生が来たときに、「クラスの子たちの元気が足りずつまらない」と言われたことがありますが、前へ前へ進む積極性とでも言えばいいのか、そういうところが日本とは違うのかなと思いました。

ハマグリ:『GO』は以前読書会でやって好評でしたが、これはおもしろくなかったですね。『〜No.3』を読んでいないせいもあるけれど、人物像がうまくつかめなかった。子どもたちが何に反抗しようとしているのか、よく伝わってこない。学校に対する怒り、親に対する不満などは書かれていますが、それはどこにでもあると思います。教師・猿島の暴力が極端すぎて、戦時中の軍隊のしごきの場面のように思え、ここまでする教師が本当にいるのかと真実味が感じられなかった。それにしては、生徒たちがその場ではそれに耐えてしまっているのも納得がいかない。男子校には男子校の良さがあると思うけど、ドロドロしたところがだけが書かれていて、後味が悪かった。

アカシア:リアルなスクールライフを書いているのではなく、漫画のようにある部分を拡大して書いているじゃないかな。読み始めて、「あ、これ読んだことあるな」と思ったのは、前に『〜No.3』を読んでたからだったんですね。前の巻が頭にまだ残っていたせいか、私はその流れて読むと悪くないな、と思いました。猿島のような、ここまでひどい教師は実際にはいないかもしれないけど、それに近い教師はまだいますよね。うちの子どもの中学時代にもまだいましたよ。主人公は、自分の父親のほうがもっと悪いと思っているわけですね。それがよくわかります。今の時代、決まった路線を歩けという社会に対して、男の子は迷いが大きいと思います。この作品は、そんな男の子たちに対する応援歌になってます。ただ、この作品だけ単独で読むと、人物描写を薄っぺらに感じるのかもしれませんね。文章はわかりやすいし、読みやすいけど。

プルメリア:図書館で検索したところたくさんの予約があり驚きました。多くの人が読んでいる人気作品の1冊なんだと思いました。いろいろな場面になぐられ血が出てくるところがあり、私立高は体罰がゆるされているのかな? なんて! 登場人物それぞれの性格がわかりやすく、また暴力の場面はかなり書きこまれていますが、全体的に軽い感じがしました。主人公を取り巻く環境の中に抑圧は2つあるような感じがします。1つは行動面として暴力をふるう猿島という教師、もう1つは精神面として主人公の父親。集団山登りで猪が出てくる場面はリアルではないです。最後の「世界を変えてみたくないか」とっても素敵なフレーズですが、この作品からは伝わりにくいなと思いました。

ダンテス:読者層を限定して書いた作品でしょう。とくに現代の高校生。成績があまり振るわず、内心劣等感をもちながら、やりたいことは特にないという、白けている世代。燃え上がるところのない学生たち。内面にもやもやを抱えているのだが、何をするわけではない高校生たちに向けての作品だろうと思う。155ペー ジ「退屈なのは、世界のせいではない〜」というアジテーション、励まし。猿島先生の部分も誇張して書かれている。ただ一方で、私立が定員より多く人数をとるということは現実的にあることで、学級の人数が増えるということはありえます。生徒が自分が大事にされていないと感じることはあるかもしれない。ただし、そこは誇張して漫画のように書いているので、現実をベースにしながら、まったくありえない話ではないように設定し、無気力な高校生に向けて、なんでもいいから、もっと大人も思いつかないようなことをやって、反抗しろというアピールをしているのでしょう。『GO』の方は、在日韓国人・朝鮮人という社会的な視点が入っているので、より広い読者に受け入れられています。それよりはこの作品のターゲットは狭い。ストーリーとしては、 大げさだなと思いつつ、さらっと読んでしまったという感じです。

ジラフ:金城一紀は初めて読みました。キャラクターがいまいち立ち上がってこなくて、前作を読んでいれば、もう少し楽しめるのかなと思いましたが、シリーズのボーナストラック的な作品とうかがって、納得しました。それでも、会話の中にはきらきらした箇所がいっぱいあって、男の子たちの気高さを感じさせるフレーズとか、落ちこぼれの男子校で、無気力に生活する子たちの気持ちがふいに高まっていく部分や、反対に、燃え上がってもすぐに、その気持ちを引っ込めてしまう繊細なところなんかの、描き方がすごくよかったです。会話が紋切り型だったり、展開が端折られてるようなところは、テレビドラマみたいでしたが、実際、「SP」の作者なんですね。ただ、読みながら、自分が当事者だったらきついだろうな、とひしひし感じました。現実には、学校をドロップアウトしたら、その先はかなり厳しいので。どんな世代の人が読むのだろうと考えたとき、同じ世代だったらつらいのではないかとも思いました。現状への反発や怒りを表現した作品への共感という点では、音楽なら、そこからストレートに力を得られる気がしますけど、本の場合もそうなのか、と(主人公の)同世代が読んでいると聞いて、意外な感じがしました。

シア:『池袋ウエストゲートパーク』(石田衣良 文藝春秋)の方が、もっとぐっとくるし、子どもの視点でも、大人の目線になる瞬間があります。この本には、それがないですね。山田悠介に毛が生えた感じ。最近思いますが、ここまでして高校へ行く意味がないと思います。授業を聞きたくないのでしょうか?それなのに変に反抗する姿には共感できません。

アカシア:そういう子たちも、自己肯定感がほしいと思ってるけど、どこからも得られないんですよ。この本が、そういう子にとってのきっかけになれば、いいんじゃないかな。

シア:絵本なんかでも、子どもは野菜が嫌い、という偏見を植えつけている感があると思います。先生だから嫌い、というステレオタイプを増やしそう。

ダンテス:そういうステレオタイプでしか物を見ない人たちが気に入る本かもしれません。

アカシア:本を読まない人たちを引っ張る力はあると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)