月: 2012年11月

カモのきょうだいクリとゴマ

メリーさん:楽しく読みました。構成もうまく、わくわくしておもしろかったです。この本はカルガモの観察記録ですが、それを見つめる人間の記録でもありますね。そういう意味で、観察者のなかがわさんの視点がとてもいい。動物を扱う子ども本で難しいのは、対象をどこまで擬人化するかということ。今回のこの本では、そのバランスをうまくとっていると思いました。写真、ビジュアルについても、本文を読みながら実物を見たいなと思うところに、いいタイミングで入っていました(たとえば、カモの足は大きいというところなど。写真を見ると、普段は水の下にあって見えない部分の写真がきちんとある)。呼ぶとカモが答える最後の場面も感動的で、ノンフィクションとして、本当にバランスがいいなと思いました。

みっけ:とてもおもしろかったです。正直言って、かわいいかわいいという感じのウェットなものは苦手というか、かまえてしまうのですが、これはちょっと違いました。文章そのものが上手だし、語りかけるようでとっても優しく、親しみを持てるように書いてある。それでいて、カモとの間にある種の距離感を保ちながら生活しているので、決してウェットになっていない。これはすごいことだと思います。作者が葛藤を抱えながら流されていないというか。いずれ野生に返すという意識を持ち、つねに考えて動いていることがいいなあと思いました。そもそもかわいい生き物だから、それとみっちりつきあって世話をしたりすれば、メロメロになっても不思議ではないのだけれど、そこをきちんと押し戻して、最後まで別れを前提に動いている。戻ってきたカモを棒ではたいた男の子に感謝するというのも、なかなかできないことだと思います。そういう姿勢を保っていれば、当然抑えめというか、引いて書くことになるわけですが、だからこそ、という感じで、最後の別れの部分はうるうるしてしまいました。最後に姿を見て、その後も何回か声を交わして、それもなくなるという流れの余韻が残って、とてもよかったです。

なたね:あの中川千尋さんが、カルガモの子を育てて記録しているとなったら、もうおもしろい本にならないはずがないですよね。なんでうちに話してくれなかったのかと、いろんな出版社が思ったのでは? みなさんがおっしゃるように、なにより野生の命を育てているという姿勢がずっと貫かれているところが素晴らしい。いままでいろんな動物を育ててきた蓄積があり、ローレンツ博士の本をはじめ沢山の本を読んでたくわえた知識があったから、ここまで素晴らしい記録になったのだと思うけれど、そういうところを微塵も感じさせず、教えてあげようという姿勢が一切ないところがいいですね。絵も文章もユーモアたっぷりで、笑わせたり、ほろりとさせたり。子どもたちにも一生忘れられない本になるのではないかしら。近所の公園の池で、毎年カルガモの親子が泳いでいるのを見るけれど、来年は今までと少しばかりちがって見えるのでは……と思ってます。

ハリネズミ:カルガモは留鳥だから、うちの近くの公園にも1年じゅういますよ。

プルメリア:写真やイラストがたくさん入っているので、かわいいなと思いました。子どものころにスズメのヒナを拾い、押し入れに入れて飼おうとしたことがあります。でも次の日にヒナは死んでしまい「自然の生き物は飼ってはいけない」と母親に強く言われたことを思い出しました。なかがわさんが自然の生き物を育てることは大変だったと思います。げんちゃんが卵に番号をつけるところが子どもらしい。日常生活の中でのカモの具体的な描写がかわいくわかりやすく、この作品が小学校中学年の課題図書になったと知ったときは、とてもうれしかったです。本を楽しんで読んでいる子どもたちの姿はよく見ましたが、課題図書で読書感想文を書いている子どもたちは、『チョコレートの青い空』(堀米薫作 そうえん社)が多かったです。そちらのほうが内容的に書きやすい作品だったのかも。

ヒーラ:この本には驚きました。びっくりです。ちょっとできすぎなくらい。げんちゃんと著者との親子関係もとてもよい。作家が、自分の家で育ててそれを文章にしているというのがすごい。カモさんたちととしっかり交流ができているんですね。文章表現も素晴らしい。p136などは、そのまま詩として読めます(朗読する)。

シア:私も驚きました。成長記録系の本かなと思っていましたが、語り口もよく、話に引き込まれました。図鑑だけでは気づかないような細かいことが描かれています。成鳥への羽の生え変わりのことや、寝る前にくちばしまであたたかくなるということなど、目からウロコです。幼い頃から都心に住んでいるので、こういう生活に憧れますね。育てた生き物を野生に返すという作品はいつも最後がつらいものですが、これもそうでした。『あらいぐまラスカル』(スターリング・ノース著)もそうですね。距離感を保ってクールに書かれていますが、感動的に締めているのがさすがです。鳥ってここまで人になつくのか、と思いました。読んだ子はみんな、カルガモを育ててみたいと思うかもしれないですね。

クモッチ:大きく使える写真があまりなかったんだろうと思うなか、かわいらしく作っているので、内容もさることながら、デザイナーさんの努力もあると思いました。フンがくさい、など、五感に訴えるところなどがすごい。羽が生えかわっていくところ、青緑の羽など、細かく追いかけているところがすごい。クリの背中に栗みたいな丸があるというくだりは、ぜひ写真で見たかったです。

ハリネズミ:私は中川さんの本はほとんど読んでいるのですが、その中でもこの本がいちばんといっていいくらい好きです。クリとゴマは単なるペットではなく、野生の鳥。それでも放っておいては死んでしまうというので卵からかえしていくのですが、こんなことをしていいのかどうか、というとまどいが著者の中にはある。カルガモのヒナは本当にかわいいという描写もありながら、もう一方では育てるのは本当に大変だとか、いろいろな動物を飼ってみたけれど「カルガモの緑フンのくささときたら、ぜったいに一位です」、「庭じゅうが、ものすごいにおいになりました」など別の面もちゃんと書いている。自分が育てて感じていること、考えていることを自分の文章と絵と写真で表現しているので、リアリティが半端じゃない。それに、カルガモに焦点を当てながらほかの生き物へと向かっていく視点もある。佐藤多佳子さんの『イグアナくんのおじゃまな毎日』(偕成社)も同じような視点があって私は好きなのですが、この本もいろいろな目配りのバランスが絶妙です。観察も行き届いているし、文章もポイントがきちんとおさえられているし、ユーモアもちゃんとある(たとえばp46)。クリとゴマがどんどん成長して力をつけていく様子(たとえば最初の雷雨の時の反応と、二番目の時との違いなど)からは、伸びていく命の力強さを感じます。教えをたれるいやらしさもないし、感動させようとするあざとさもないから、よけいに響いてくるものがあります。おまけに、この本を読んで、カルガモのひなを育ててみたいとついつい思ってしまう子どもたちのためには、奥付ページに「鳥のひなをみつけても、ひろわないでね。たぶん親鳥がそばにいて、勉強中だから。けがをしてたら動物病院にそうだんしてね」とあって、ちゃんと釘をさしている。たくさんの子どもに読んでもらいたい素晴らしい本です。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


氷の海を追ってきたクロ

なたね:じつは、読む前には「たぶん、こんな本なのだろうな」と思っていましたが、いい意味で予想が裏切られてよかったです。戦争を描いた子どもの本は「ああ、かわいそう!」というものがほとんどで、読んだあと悲しくなったり憂鬱になったりしてしまう。大人だってそうなのだから、いくら学校や図書館ですすめられても読む気がしないという子どもたちの気持ちは、わかるような気がしますね。けれどもこの本は、読んだあとも犬の体温が感じられるようなあたたかい気持ちになりました。それでいて、子どもたちの心の奥底には、シベリアに抑留されて悲惨な目にあった人たちがいたという事実がちゃんと残るのではないかしら。こういう事実があったことも初めて知ったし、追跡取材しているのが、とてもよかった。若いころの「松尾さん」の写真と、おじいさんになったときの写真を見比べたりしてね。朝日新聞の写真も感動的ですよね。うちは家族そろって犬が大好きなので、「見て、見て!」と救助されたときの写真と記念写真を見せてまわりました!

みっけ:まず、シベリア抑留については、原爆とか大空襲ほど取り上げた作品がない中、それについて取り上げているのがとてもいいと思います。シベリア抑留は悲惨なことがいろいろあったはずだけれど、この本は読後感があたたかい。それはクロという犬と抑留者との交流があるからで、子どもの本として、このスタンスは大事だと思います。悲惨なだけだとむしろ拒否反応を引き起こすことになるし。ただ実際には本当にひどい状況だったわけで、そのことは、たとえば親友の骨を襟に縫い込んでいたら、金目のものかと思った誰かに抜かれたとか、あちこちにさらっと書いてあるのだけれど、そこに深入りしていないのもうまいと思いました。子どもの興味を、クロが見つかってしまうのか、というハラハラドキドキでつなぎ、最後はクロが日本で暮らして子孫を残せたという明るいトーンで終えていて、子どもの本としての構造がしっかりしていると思いました。今がこのテーマを取材できるぎりぎりのときで、そこでこれを出した意義は大きいと思います。最後の写真でリアルさが増す一方で、この挿絵のかわいいところも、本のトーンの決め手になっている気がしました。

ハリネズミ:シベリア抑留の体験談だと、大人の本ですが高杉一郎さんの『極光のかげに——シベリア俘虜記』(岩波文庫)がとてもいいですよね。

レジーナ: 現実の話が持つ力を感じました。希望を感じさせる結末もよかったです。題材も新鮮です。すごく意地悪な人が登場しないので、読んでいて安心できます。ただ、それまで絆を育んできた過程が描かれている分、最後に川口さんが犬を手放してしまったときは、納得できない思いが残りましたが……。それから、タイトルは作者の意向によって決まったのでしょうか。「〜してきた」というタイトルをあまり聞いたことがないので……。

クモッチ(編集担当者):ネタバレのタイトルなので、著者ともに悩んだのですが……

レジーナ:シベリア抑留を経験した芸術家といえば、『おおきなかぶ』(トルストイ再話 内田莉沙子訳 福音館書店)を描いた彫刻家の佐藤忠良を思い出します。

メリーさん:この話についても、こういうことが実際にあったなんて知りませんでした。犬がつないだ人と人、シベリア抑留について、うまく書かれていると思いました。著者の井上さんは犬を題材にした著書が多いと思いますが、この本のように、犬の物語を入り口として、戦争について描くという方法は効果的だと思います。また、ノンフィクションなので、本文や装丁には写真を使うほうがよかったのではないかとも思ったのですが……。でも今回の犬のイラストはとてもかわいかったです。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。表紙のイラストがかわいいので、最初に手に取ったんです。犬を使うのがずるいな……と。とても感動的な美しい話ですね。ノンフィクションですが、ストーリー性があって引き込まれました。章ごとにイラストが入っているのは、小学生の読者にもいいと思います。犬の描写が非常にかわいいですね。ただ、最後に川口さんがクロを手放すところは、子どもはわからないのではないでしょうか。私もなぜ北海道に連れて行かないのか疑問に思ったくらいですし。それにしても、ずっとイラストできていて、最後に写真が入っているというのがよかったと思います。物語感覚で読んできて、最後に現実だとわかる衝撃。最初からリアルなおじさんが出ていたら、小さな女の子にはちょっと……。そういう全体の構成がよかったと思います。

ヒーラ:ノンフィクションとはいえ、写真を先に出すより、最後に写真が来ているのが効果的です。犬がそこまでするのかなと思わせながら読んできて、最後に新聞記事にもなったと知らせるやり方はいい。クロの出現以前の抑留中の話は比較的早いページで終えて、クロのいた数カ月に比重をおいて書いた構成で、なかなか読ませます。

クモッチ:抑留された場所によって、ぜんぜん待遇が違っていたようです。そして、最初の1年が設備も整わず、悲惨だったようです。亡くなった人のほとんどが抑留されて1年ほどの間に亡くなっています。

プルメリア:題名を見て南極観測隊の犬の話かなと思っていました。本を手にした時、表紙の犬クロがとてもかわいかったです。犬のイラスト(各ページ・パラパラマンガになっている)がたくさん描かれているのも目を引きました。きびしい自然との戦い、励まし合って生きる人々、登場人物のそれぞれの性格。戦争は終わっても、まだ終わっていなく苦労していた人々がたくさんいた事実・・・シベリア抑留について書かれているのがとてもよかったです。最近の作品では職業犬や悲惨な待遇をされている犬がとりあげられることが多いなか、クロのような犬がいて外国で不安な人々の心をなごませていたことは読者の心をとらえるのでは。クロが追いかけてくるクライマックス、フィクションではないかと思わせ、巻末の写真で本当のことだとわかるのが感動的です。最後に登場人物の写真があり、現在の様子が書かれた本の構成がいいです。念願の日本に帰国したのにクロを手放したところは、淡々としているように感じ、クロをふるさとに連れて帰れない事情や別れるのがつらくさみしい気持ちをつけ加えればよかったのではないかなと思いました。

ハリネズミ:ネットで内容紹介を見て、あざとい感動ものなのかと思い、警戒しながら読みはじめたのですが、私が犬好きなせいもあって引き込まれてしまいました。ただ、書名はなかなか覚えられませんでした。ほかの人に紹介したときに思い出せなかったんです。人間と犬が相互に依存しあっていく状況がとてもよく書けているし、歴史の一端をこういう形でのぞいてみるのも、とてもいいと思いましたが、犬好きの私としては、川口さんがせっかく日本まで連れてきたクロをどうして舞鶴で手放してしまうのか、そのあたりが理解できなくて……。何か大きな事情があるなら、そこを知りたいと思いました。川口さんが命の危険もかえりみずクロを大事にしていたということが切々と書かれているだけに、肩すかしを食らったような気がしたんです。亡くなられているご本人には取材できませんが、当時のいろいろな状況からもう少し説明ができなかったのでしょうか?

クモッチ:当時は、犬を汽車に乗せることはできなかったのではないかと思われます。また、年末に近い時期に日本についたので、自分が帰るだけで精一杯だったのでしょうね。この本は、井上平夫さんの「クロ野球」についての新聞記事を見たのが発端でした。2008年になって話を聞きに行きました。その後、新宿の平和祈念展示資料館で、松尾さんが北海道新聞に投稿されたクロを囲んで仲間が写っている集合写真が出てきたんです。シベリア抑留に関する新聞記事を見て、松尾さんと郡司さんに話を聞くことができました。そこで、彼らの班でクロを飼っていたんだということがわかりました。興安丸は、引揚最後の船で新聞記者が乗っていたので、クロを海から救助する写真もとれたようです。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した辺見じゅんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文藝春秋)にも「クロ野球」の話は出てきます。エピソードはすべて事実ですが、それに著者の井上さんの想像力が加わった。事実の確認も改めてしながらの作業になりました。抑留だけの本は、児童書としては難しかったのですが、そこに犬と人間のふれあいという要素があることで、子どもが時を越えてシンクロできるようになると思いました。

ハリネズミ:戦争を伝えるのに、悲惨な状況をこれでもかこれでもかと描くのも必要かもしれませんが、それだけでは今の子どもにとって「いつかどこかであった、自分とは関係ない話」になってしまうのではないでしょうか。だから、クロという犬を通して書くというこの切り口は、とてもいいと思いました。

みっけ:シベリア抑留といえば、画家の香月泰男もそうで、日本海の絵を何枚も描いていますが、それらすべてが明るく光るように描かれています。それはその向こうに故郷日本があるからだと言われています。井上ひさしも亡くなる年に、シベリア抑留について『一週間』(新潮文庫)という作品を発表していますよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)


キノコ雲に追われて〜二重被爆者9人の証言

ヒーラ:こういう方たちがいたのだという驚きでした。絶望的な話ですね。この本自体が終戦10年後に書かれたということは、著者がアメリカ人に現実を伝えようとした趣旨の本なのでしょう。こういう本がアメリカで戦争10年後に出されたことに価値があると思います。悲劇的偶然ですが、2度被爆し、それでも生き残った方々に取材して、証言をもとに書かれているわけで、文章自体も非常によくできていると思います。アメリカ人の目からみた日本人観がところどころ出てくるのも興味深かったです。広島で被爆した経験をもとに、3日後の長崎で対処のしかたのアドバイスができて、その瞬間には命を落とさずにすんだ方々もいたというのがせめてもの救いですね。

メリーさん:2度も原爆の被害を受けてしまった人たちがいたとは知りませんでした。その点では、後世に伝えるという意味で、今回読めてよかったなと。ただ文中、日本人名がカタカナなのは気になりました。加えて、ところどころにアメリカ人の日本人観が強く出ていて「東洋人は」とか「日本人は」という部分や「原爆は使うべくして使われた」などというところ、これはこのままでいいのかなと疑問でした。外国人の著者が日本を扱ったノンフィクションは、日本人にはない視点があっておもしろいものがたくさんありますが、原爆がテーマの場合はもう少し考える必要があると感じました。この本を今出す意味はどこにあるのか。当時こういうことを取材していたアメリカ人ジャーナリストがいたということを取り上げ、その中で彼の記録について具体的に触れる、というやり方をするという方法もあったのではないかと思いました。

レジーナ:長崎の被爆が広島ほど知られていないことに対する複雑な想いは、二重被爆という問題の中でくっきりと浮かび上がったように思います。土産物として被爆者の写真が売られていた当時の状況など、初めて知ったことも多くありました。その一方で、日本人について少し不自然な描写がいくつかありました。たとえばビジネスにおける紹介を日本特有の習慣だと説明していますが、アメリカでも仕事のために人に紹介してもらう状況はあるでしょうし、聞き手のアメリカ人が知らないと思って、その人のために話したことが、そのまま記録されてしまったのかもしれません。被爆者を見た日本人が、死者を会津白虎隊になぞらえているのにも違和感がありました。聞き手のアメリカ人の頭の中に、お国のために戦って死ぬ日本人像がはじめにあって、それにつながる感想を強引に引き出したような……。キリスト教国であるアメリカが長崎に大きな被害をもたらしたことを皮肉だと感じていると書かれていましたが、本当にそう考えていた長崎の人は、どの程度いたのでしょうか。原爆が、戦争を終わらせるための手段として、使われるべくして使われたという記述に表れているように、広島・長崎の被爆の問題をアメリカの視点から見た作品です。デリケートな問題なので、客観的な視点をよく考えた上で、子どもに手渡していくことが必要だと思いました。

みっけ:後ろの解説に山口彊(つとむ)さんの話があるし、ちょっと前に二重被曝を扱った映画のことも新聞で見たりしていたので、そういう流れのなかでこの本を出そうと考えたのではないかと思いました。そのときの新聞記事の様子から見ても、日本では、二重被曝のことをきちんと取り上げた本などはほとんどないような気がします。そんな中で、終戦から10年という時期にアメリカ人がこれを書いたということはとても重要なことだから、翻訳を出す意味はあると思います。ただ、一つにはアメリカ人がアメリカ人の視点で,アメリカ人に向かって書いている本であることからくる違和感というか、限界がある気がします。また、終戦の10年後に書かれているという限界も。さらに長い年月が経ったとき、つまり40年後、50年後にどうなるかということは、当時わかっておらず、どうしても表現が楽観的になっているとか。これは、原爆そのものを初めて人間に使ってみた、いわば人体実験のような側面もあるわけで、その前はまったくどういう影響が出るかがわからなかったから、しかたないといえばしかたないのかもしれないのですが。しかし、たとえばここに好意的に出てくるABCCについても最近、原発関係で資料隠しをしていたという報道があったりするわけで、そのあたりのギャップは何とかする必要があると思います。その意味では、版権などの関係で可能かどうかわからないけれど、たとえば、作者のトランブル自身に関して、なぜこの本を書いたのかといったことまで含めた調査に基づく文章をまとめて、それを枠としてそこにこの翻訳を埋め込むとか、そういう形が望ましかったのではないかと。あるいは、翻訳の前か後に、作者自身についてのきちんとした調査結果などをまとめたものをつけるべきだったと思います。人名をカタカナにしているのは、たしかに読みにくいけれど、アメリカ人が取材して書いているという距離感を出すには、このほうがいいのかもしれません。漢字に直すとそこが薄れてしまうから。また、アメリカ人の視点で書いていることもあり、まだ10年しか経っていないということで、原爆についての論議は深まっていないから、日本人が言っているという奇妙な発言も嘘とは決めつけられないと思います。でも、作者はジャーナリストだから、自分が見たいもの、読者に見せたいもの、読者が見たがるものを拾う傾向は当然あるはず。だから、そういう状況を客観的に書いたものを付け加えたほうがいい。そこがクリアできれば、こういうものを出すことは大事だと思います。それと、かなり重い話なので、むしろこれくらいコンパクトな方がいいのかもしれない、とも思いました。

なたね:原爆についての本は、ずっと出版しつづけ、読みつづけるべきだと思っているので、この本のことを知って本当によかったと思っています。淡々と書いているけれど、当時の人々の暮らしや考え方が想像できるし、戦時とはいえ、そういう日常が突然断ち切られてしまった理不尽さが胸に迫って・・・。名前がカタカナで書かれているせいか、三菱重工グループの人たちとハタ職人の人たちの、どなたがどなたなのかわからなくなってしまうことがありましたけど、新婚早々で妻を失った平田さんの話は忘れられません。ただ、なぜ10年後に二重被爆のことを、このジャーナリストが書いたのか、単にジャーナリストとしての興味からなのか、それとも別の理由があるのか、そういった背景をとても知りたいと思ったけれど、いまそれを調べて書くのは難しいのかもしれないわね。ただ、子どもに手渡すときには、いまみっけさんがおっしゃったことも含めて大人からの解説が必要で、このままポンと渡すことはできないと思いました。大人は、そのあたりを意識して読めますけどね。p97に長崎のキリスト教徒の被爆に対する考え方として「日本の犯した罪があまりに大きく、激怒した神をしずめるには原子爆弾による何千人ものキリスト教徒の死が求められ、その結果、戦争が終わったのだという主張」が挙げられています。すべての長崎のキリスト教徒がこんなふうに考えていたとは思えませんが、アメリカのキリスト教徒はこう考えることによって納得していたのかと、あらためて憤りをおぼえました。東北大震災を天罰だと口走った前の東京都知事のようで……。

プルメリア:二重被爆については初めて知りました。戦争を扱った作品として『絵で読む 広島の原爆』(那須正幹作 西村繁男絵 福音館書店)は出版されたとき話題になり、よく読まれていましたが、最近はあまり手に取られていません。子どもたちが自分自身の問題として、平和とはどういうことなのかを考える6年の国語の教科書に「平和のとりでを築く」(光村図書)があります。この作品のように外国の人が広島の原爆について書いたものを読む機会は今までありませんでした。この作品からは原爆を受けた場所や傷を負った人の状況が異なり、また傷を負って大変な状態にもかかわらず肉親を捜しまわる必死な心情がひしひしと伝わり、そんな人間のたくましさを改めてすごいと感じました。時間が流れ、戦争は過去の出来事の一つのようにとらえられている現実の中で、今の子どもたちは戦争をゲーム感覚でとらえている傾向があります。命、死と向き合うこと、戦争について考えることはいつも必要だと思います。低学年だと『おこりじぞう』(山口勇子作 四国五郎絵 新日本出版社)や『ランドセルをしょったじぞうさん』(古世古和子作 北島新平絵 新日本出版社)、中学年からだと『ひろしまのピカ』(丸木俊作・絵 小峰書店)などを読んだ子どもたちは、戦争の悲惨さから今の生活、平和について考えます。この本は体験がそのままリアルに書かれているので、中・高校生には直球で伝わると思います。

クモッチ:今回選本を担当し、翻訳ものの児童書ノンフィクションはあまりないのでは?と思いましたが、伝記などけっこうあることがわかりました。この作品については、タイトルから分厚いものを想像していたのですが、コンパクトで手にとりやすい形だなと思いました。二重被爆という事実が日本であまり取り上げられてこなかったのは、当事者の日本人として、それぞれの体験があまりにも悲惨なので、そのような視点が生まれなかったのではないかと思います。調査をしている第三者になって初めて、「二か所で」という視点が生まれたのではないでしょうか。そういう意味では、新しい視点としておもしろいと思いましたが、やはりこれは資料として読むべきものだと思います。資料の一つとして、日本人が新しい作品にまとめられればよかったのかもしれません。

ハリネズミ:広島と長崎のことはこれまでにもたくさん読んできましたが、困ったことに、悲惨な描写の連続には「またか」と思ってしまう自分がいるんですね。私のような読者にとっては、むしろアーサー・ビナードが広島の原爆資料館の資料をもとにしてつくった写真絵本『さがしています』(岡倉禎志写真 童心社)なんかの方がずっと伝わってくるものも大きいと思いました。『さがしています』からは、生きているひとりひとりの日常がぶつっと断ち切られてしまったことの理不尽さが強く伝わってきます。でも、この本は個々の人間の日常の営みみたいなものはあまり書かれていなくて、悲惨な部分だけが書かれているので、子どもに何が伝わるんだろうと、疑問に思いました。アメリカの人たちに原爆の悲惨さを伝えるとか、二重被爆者がいたという事実を日本の大人にも伝えるという意味はあると思いますが、子どもに伝えようとするなら、もう少し工夫が必要かもしれません。名前がカタカナで書かれているのも、リアリティから遠ざかる原因になっているかもしれません。他の方もおっしゃっていましたが、もう少し本作りの工夫があるとよかった。日本の人が日本人を取材するなら、語り口をそのまま生かすとか、方言を生かすなどしてリアリティを増す工夫ができますが、これは通訳を介して聞き取ったものが英語で書かれ、それをまた日本語にしているので、リアリティを積み上げるための細部が削り取られて平板になってしまっている。そこが残念です。

シア:児童文学ということで軽い気持ちで読み始めたのですが、悲惨な内容をリアルに書いていて驚きました。中高生向けなら、内容的にもちょうど良いのではないでしょうか。『黒い雨』(井伏鱒二)の子ども向けの本という感じですね。夏休みの感想文でよく『黒い雨』が取り上げられますが、今の子どもたちには難しいので、この本くらいが手頃だと思います。でも、アメリカ人ジャーナリストが聞いたせいなのか、登場人物がカタカナで書かれているのが読みにくくて、気になりました。とくに「ドイ ツイタロウ」さんは、本文では空白もないからどこで切るのかわからなかったですね。おかげで名前を覚えにくく感じました。だけど、本のテーマとしてはとてもいいと思うので、夏休みに中高生が読むのはいいのではないでしょうか。感想文を書きやすいのでは。

なたね:もともと子ども向けに書かれた本ではないですよね。

シア:「原爆乙女」の話も出てくるので、興味を持っている子どもならば読めるのではないかと思います。一般市民がなぜ戦争の代償を払わなければならなかったのか、自分は関係ないと言わずに、子どもが考えてくれる本だと思います。教師としてすすめやすい本ではないでしょうか。ジェームズ・キャメロン氏が関わる映画化の企画があるようなので、ぜひ実現して欲しいと思います。

なたね:新藤兼人監督の『原爆の子』は、戦後すぐに作られたこともあって、とてもリアルだし、子どもが主役の一人なので、今の子どもたちも見る機会があればいいと思うのですが……。

ヒーラ:読み直していて気づいたんですが、注釈は訳者がつけたもので、当時の著者がつけたものではないですね。訳注と断っていないのは問題ではないでしょうか? 防空壕についての記述などを見ると、明らかに訳者の注ですよね。訳者がこの本を通してぜひ伝えよう、伝えようと思うあまり(その情熱はよく理解できます)、その辺がごっちゃになってしまっていますね。この本を今、この時代に読んでもらいたいという思いがあるのなら、冷静に、当時の著者の記述と現在の訳者が必要と思う記述を明確に区別すべきでしょう。2刷以降改定するともっとよくなりますね。このままだと中途半端だし、本への評価を下げてしまいます。

ハリネズミ:そこは本作りとしてまずいですよね。資料としてなら資料として価値のあるものに仕上げたほうがいいし、日本の子どもたちに読ませようとするなら、それなりの工夫をしたほうがいい。たとえばABCCがその後やってきたことなども書いておいたほうがいいし、本書の最後には広島の新聞記者の「ただし、日本がもし先に原爆を手に入れていたらどうしたか。アメリカに落とさなかったとは思わないでください」という言葉がしめくくりとして出てきますが、これもごく一部の人の意見のように思えるので、注を入れるなら入れたほうがいい。どこに視点を置いて本作りをするのか、ということが、定まっていないのかも。この本は区の図書館に入っている冊数がわずかでした。子どもには難しいという判断なんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)