月: 2013年10月

2013年10月 テーマ:課題図書を(批判的に)読む

 

日付 2013年10月31日
参加者 アカザ、レジーナ、ハリネズミ、プルメリア、ルパン、メリーさん、ajian
テーマ 課題図書を(批判的に)読む

読んだ本:

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ジャコのお菓子な学校

プルメリア:3.4年生の課題図書ですが、本を読んで自分が理解していくという喜びは3・4年生にはわかりにくいのではないでしょうか。この作品を5年生に紹介したところ、図書館で本を読んで実際にお菓子を作ってみる過程の楽しさや学習を習得していくことが理解できました。発達段階の違いが出ています。おおらかなおじいさんの登場はどの場面もおもしろかったです。紹介されているお菓子の名前やクッキーのレシピはちょっとむずかしいかな。字も小さいので高学年向けの方がよかったのではないでしょうか。

レジーナ:はじめ、主人公は学習障がいなのかと思いました。

プルメリア:こういう子はいます。なんとなくぎこちない子たちは実際にいます。

メリーさん:自分の好きなことで読み書きや算数を自然に学んでいくというところはいいなと思いました。それから、ミルフィーユが千枚の紙という意味だとか、ババロワが地名だというような豆知識。訳文も一生懸命だじゃれを日本語にしているということがわかって面白かったです。ただ、こういうことは子どもが全部ひとりでできるのかなと思いました。母親が全く出てこなくて、電話でおじいちゃんのアドバイス、というのはリアリティーがないような。中学生のギャングたちをコショウで撃退するところも同じです。正反対の性格を持つ友だちのミシューとシャルロットも、どうして主人公と仲良くなったのか、書き込んでもらえるともっとよかったと思いました。

レジーナ:あまりにも簡単に、問題が解決していきます。子どもの時、通信教育の勧誘のパンフレットに、「何かのきっかけで急に勉強ができるようになる」という内容の漫画がよく載っていたのを思い出します。訳文が少しぎこちなく、「〜」を多用しているのも気になります。かわいらしいイラストは、子どもは好きなのかもしれませんが、お菓子が、もう少しおいしそうに見えればよかったです。

アカザ:チョコチップクッキーが肉団子みたい。

レジーナ:タイトルを直訳すると「お菓子の学校」ですが、なぜ、あえて「お菓子な学校」としたのでしょうか。「おかしい」「面白い」という意味をこめたかったのかもしれませんが、それも不自然ですし……。

アカザ:するすると楽しく読めて、訳者も一所懸命、原文に取りくんでいるなと思いました。数多いだじゃれの訳など、ご苦労様といいたいくらいです。ただ、ファンタジーだと翻訳物でも自分の世界とまったく違ったものとして読みますが、こういう日常生活を扱ったものは小学生には理解するのが難しいだろうなと思いました。台所の道具のひとつひとつ、お菓子の材料のあれこれも、日本とは違いますものね。対象年齢は中学年ではなく、もう少し上だと思います。これも、作者の意図が透けて見える作品で、最初にアイデアありきという感じ。読んでいるあいだじゅう、この作者は頭で書いていて、心で書いていないという感じがつきまとっていました。教訓的というか、大人の目線で書いている。子どもがどんな感想文を書くのか、読む前にわかってしまうような作品ですね。

ルパン:私は結局読めなかったんですが、今みなさんのお話を聞いていて、『ビーチャと学校友だち』を連想したんですけど……そういう話とは違うんですか?

プルメリア:「ビーチャと学校ともだち」とは、全く違うような気がします。

ハリネズミ:勉強の嫌いな子が、興味あることに夢中になるうちに、いろいろな知識を身につけていく、というストーリーは、大人には魅力的ですよね。でも、結局「勉強しなさいと言いたい」という意図が透けて見えてしまうと、どうなんでしょう? この作品は、そのぎりぎりのところでよくできているのかもしれません。5章のところで、卵の殻もくだいてクッキーに入れちゃってますが、できあがりがどうだったのか書いてないので心配です。

ajian:これも作者の意図は透けて見えるし、ひとりでオーブンまで使って危ないなとは思うけれど、読んだ子どもが、自分でもやってみたくなるんじゃないかなと思いました。子どもの頃に読んだ本で『うわさのズッコケ株式会社』(那須正幹著 ポプラ社)がとても好きだったんですが、自分で計算して利益を出してまた次の材料を買って・・・というあたりが似ているように思います。あと中学生が邪魔をしにくる場面。うまくいきかけていると邪魔が入るというのは一つのセオリーですが、上級生たちにめちゃくちゃにやられて悔しいというのは、自分にもそういうことがあったなあと。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


くりぃむパン

ルパン:飽きずにひといきで最後まで読めましたが、「くりぃむパン」の意味がよくわからなかったです。表題にもなっているので何か特別のいわれのあるものかと思って最後までそれが出てくるのを待っていたのですが、とくになかったので拍子抜けでした。ただの近所のおいしいパンだったんですね。つるかめ堂の立ち位置もよくわからなかったし。下宿という設定はいいですね。漫画家が下宿していて、自分のことがマンガになるというエピソードもおもしろかったです。主人公の未果、いいですね。ためたお金でパンを買って配るシーンはぐっときました。

メリーさん:主人公たちがひいおばあちゃんの部屋へ行く場面、時間がゆっくり進むから、得したような気になる、という感想がいいなあと思いました。それから、漫画家の志帆さんが、実は住んでいる家と家族をすごく気に入っていて、そのことを漫画に描いていたというくだりも。普段見慣れてしまった、ありふれた町や商店街の風景がまた違ったものに見える感じがよく伝わってきました。「友チョコ」、派遣社員の問題、子どもの話し言葉。今の風景を取り入れようとしているのはよくわかるのですが、下宿という設定はどうか。貧困というきびしい現実は厳然としてあるけれど、この設定は今の子どもにとって本当にリアルなのかなと思いました。

レジーナ:ひねくれていて、すぐすねる子どもが主人公なのは、新しいですね。92ページで、未果が、「パンは手軽だから」と言いますが、子どもの言葉遣いではないですね。94ページで、パンをもらった主人公が、「生きるってせつないよね」と言うのは、少し唐突に感じました。『キッチン』(吉本ばなな=著 福武書店)に、朝食のパンをもそもそかじりながら、「みなしごみたい」と言う場面がありますが、パンの独特のわびしさのようなものは、大人だからわかる感覚ではないでしょうか。

ハリネズミ:そこは女の子にありがちな、背伸びをして言ってみたかった言葉なのでは?

レジーナ:それでも、登場人物はきちんと描き分けられています。未果が、すごくいい子に描かれているので、もっと本音にせまる描写があってもいいのではないかと思いました。

ハリネズミ:『オムレツ屋へようこそ!』と似た設定ですが、あちらが全体的に無理矢理作った話という感じがするのに対して、こちらはそれがないので、物語世界にすんなり入って行けます。余計なことですが、p66に「おにいちゃんは、口をとがらせて、おかわりのお茶わんをママに差しだす」とありますが、ご飯をよそうのはいつもお母さんなんだなあ、と考え込んでしまいました。ひと昔前は子どもの本の中のジェンダーにずいぶんとこだわって固定観念を取り除こうとしていましたが、今は出版社側もあんまりそういうことを考えないんですね。

プルメリア:なぜクリームが「くりぃむ」なのか気になりました。お笑い芸人を意識しているのでしょうか? 主人公のようにお金が大好きな子どもはいますが、「守銭奴」という言葉はこどもたちにとってはわかりにくい言葉です。1学期、3、4年生にブックトークで今回の課題図書を紹介した時、「守銭奴」の言葉の意味を教えました。まわりの人々が未果に優しくする気持ちはよくわかると思います。二人の子どもの心情がよく書かれています。謎めいた作家の設定もいいなと思います。お父さんが職をなくしたときに、ためていたお金が入った貯金箱をこわしてパンを買うというところはわからなかったです。

ルパン:やけくそになったんじゃないかな。せっかくお父さんと暮らすためにお金を貯めていたのに意味がなくなってしまったわけだし。

ハリネズミ:店の名前は昔からあるつるかめ堂がクリームパンを売り出したときは、平仮名にしたほうがハイカラに見えたのでは?

アカザ:わたしは、しゃれてるなと思いました。ぜんぶカタカナで書くと固い感じだし、あたりまえになっちゃうのでは?

プルメリア:バレンタインデーに男の子にチョコレートをあげないところが現実的でよく書かれていると思いました。この本は高学年向けのほうがよかったのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


オムレツ屋へようこそ!

アカザ:近所の小学校の塀に、6年生の子どもたちが将来なりたい職業を描いた絵が貼ってあるのですが、圧倒的に多いのがパティシエなんですね。子どもたちは食べるのも好きだし、料理にも興味があるので、お菓子や料理をテーマにした本も、いつの時代も人気があるのだと思います。ただし、この本はオムレツやオムレツの作り方が主体になっているわけではありません。お母さんとふたりで暮らしている女の子が、お母さんの仕事の都合で叔父さんの家で暮らすことになり、そこでいろいろな人に出会って、結局自分は自分らしく生きていけばいいという結論にいたる……。一行ずつ行がえしていて、読みやすいようだけれど、もうこういう本は読みあきたっていう感じ。ちょっと見には、ひとりぼっちになった女の子が下町の商店で暮らすようになるところとか、最後が花火で終わるところが、乙骨淑子著『13歳の夏』によく似ていると思いましたが、『13歳〜』のような瑞々しさや、人生の奥底に触れるような、心を揺さぶられるエピソードもなかったし……。とくに驚いたのが、最後に得体の知れない大作家とやらが登場して、女の子の母親の文才を褒めたたえるので、女の子やおばあちゃんたちもびっくりし、しょうもない母親だと思っていたのを見直すという展開。マンガでも、こんなに軽い話はないんじゃないの? その大作家の代表作が「富士山御来光」と「日本海流」という下りで、思わず吹きだしてしまいました。結論として、どうしてこの本を課題図書に選び、大勢の子どもたちに読ませたいと思ったのか、選考委員のご意見をぜひぜひお聞きしたいものです。もしかして、「ひとり親家庭」「障害のある子ども」「母と子の関係」というようなキーワードだけで選んだのでは?

レジーナ:すらすら読める作品ですが、ところどころ、文体が不自然な箇所がありました。p8の「探すんじゃないかと思ってさ」は、「(家を)見つけられないんじゃないかと思ってさ」、p72の「かたづけのわるい子」は、「かたづけられない子」ということでしょうか。作家が、自分の物ではないのだから見つかるわけがないのに、ジャージのポケットの中を一生懸命探す場面は、コミカルでおもしろいと思いました。病弱な子どもの兄弟の心のケアについては、最近、世間の目が向きはじめたように思います。全体としては、すべての登場人物をいい人に描こうとしているのが、残念です。母親にしても、仕事をやめると言った時には、もっと複雑な想いがあるでしょうから、本音をつきつめて描いてほしいですね。底の浅い作品だと、生徒の感想文も、似たり寄ったりになるのではないでしょうか。

メリーさん:子どもを気遣いながら、大きいホテルの料理人をやめて洋食屋をやる家族とそれを尚子の目で描くという物語の大枠はいいと思いました。後半で作家がつぶやく、階段のてっぺんからだけではなく、五段目からの景色もいいのだ、というところなんかも。その一方で、盗まれた体操服を和也と敏也が協力して返そうとするところは、アイデアはいいのですが、その後が何も書かれておらず、残念。そもそも、主人公が親元を離れて居候をし、そこから学校に通うという設定は、子どもたちにリアリティをもって受け止められるのか、ちょっと疑問に思いました。

ハリネズミ:本はその世界の中に入っていって、疑似体験をすることが醍醐味ですよね。その観点からすると、物語世界のリアリティが不足していて、本の中に入っていきづらい。まず主人公のお母さんの悠香さんですけど、こんな人本当にいるのかしら? モンゴルに半年行くのはいいとしても、その後急に続けて北京にも2か月行くことになったり、その後取材旅行は全部とりやめると出版社にも言ったのに、娘の機嫌が直ったらまたすぐ行くことにしたり。こんなライター、社会で通用しないですよね。この人がもっと魅力的に書かれていればいいのにな。作家の宝山幹太郎の存在もマンガならともかく、嘘っぽい。1冊エッセイを書いただけのライターに「あれだけのものが書ける人はそうはいない」なんて言って、わざわざ思いとどまらせるために捜し歩くわけないでしょう。それに敏也君は、幼児のときは身体が弱くて入院していたみたいだけれど、今は松葉杖で歩けるし頭もいいのなら、どうして養護学校の寮で生活しなくちゃいけないの? お父さんもホテルを辞めて家で仕事をしているわけだし、おばあちゃんもいるのに? それに、敏也がバケツで雑巾をゆすいだだけで「危ない」はずはないんじゃないかな。私が購入したのは2刷でしたけど、p61やp67に誤植がまだまだ残っていたのも残念。

アカザ:わたしも、このオムレツ屋さんは、どうしてこの子を全寮制の特別支援学校に入れたのかなと疑問に思いました。一般の学校に行くか、障害のある子どもたちの学校に通わせるかだって、親は相当悩むと思うのに。じっさい、知的障害のある子どもの親が悩むのを、以前に身近で見てきたので……。この本を読んだ子どもたちが、松葉杖で学校に来る友だちに「どうして別の学校へ行かないの?」なんてきくんじゃないかと心配になりました。病気や障害のある子と、その兄弟の関係については、宮部みゆきが『ソロモンの偽証』で、恐ろしいほど深くえぐって書いていました。

プルメリア:あまり心情が伝わらないな、殺風景だなという感じがしました。もっと境遇の厳しい人は現実にはたくさんいます(夜逃げ同然で現れて、夜逃げ同然で去って行くとか)。知的障害がある子どもは支援学校にいくことがありますが、体が不自由だけれども動くことができる子どもは通常学級に通っています。設定がよくわからないです。

ajian:作者の意図が透けて見えて、しかも共感できませんでした。全体的にリアリティに欠けていると思います。ブログを書いているチャイナドレスの女性は、「風変わりな人に出会ってきたが、、なかでもかなり強烈」とありますが、どこがどう風変わりなのかが全然見えません。フリーライターの母親にしても、モンゴルに半年取材旅行に行くとありますが、旅行ガイドを書いている人がそういう仕事の仕方をするだろうか、と思いました。それから和也と敏也のお父さんが、敏也に障碍があって大変だから、ホテルを辞めてオムレツ屋を開いたとありますが、特別支援学校に行っていてお金がかかるのに、果たして実入りのいい仕事を辞めるのかな、という疑問が湧いてきます。街のオムレツ屋ってそう簡単にできるもんじゃないのに。こういうところの造りが甘いと、読む気をなくすんじゃないかと思います。途中で登場する「スパイクシューズ作戦」も、単に敏也が活躍するという状況を作りたかっただけで、何の必然性もないですよね。最後に出てくる作家についても、作家が論語=中国の難しい本を読んでいる、という、この薄っぺらなイメージがさむいです。何より腹が立ったのが、母親が好き勝手やっているのを、この子が最終的に受け入れるように読めるところです。大人のせいで子どもが我慢しなくてはならないというシチュエーションを、当たり前のように書いているのが、いやですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)