月: 2014年10月

2014年10月 テーマ:子どもたちの日常

 

日付 2014年10月30日
参加者 アンヌ、ワトソン、ルパン、レン、ヤマネ、ハリネズミ、すあま、ajian、
レジーナ
テーマ 子どもたちの日常

読んだ本:

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ホープ(希望)のいる町

ルパン:私は今回読んだ3冊のなかではこれがいちばんよかったです。日本の物語にはない設定、場面、ストーリー。翻訳青春モノの珠玉作だなあ、と思いました。

アンヌ:食べ物が出てくる本が好きなので、私も今回の本の中ではいちばんおもしろく読みました。主人公が17歳なのにプロのウェイトレスということに驚きました。高校生の政治参加の場面にも。発達障害の疑いのある赤ちゃんに、哺乳瓶でミルクをあげながら「あなたには愛してくれるお母さんがいる」という場面や、ウェイトレスとしていろいろなお客と接する場面とかに、いい場面がそれほど山ほどあり、感動しました。人と人との関わりを、職業を通して描くのが好きな作家なのだなと思いました。唯一気になったのが、GTが白血病で最後は亡くなり、お弔いの場面が延々と描かれていること。ここが必要かどうか考えたくて、別の作品『靴を売るシンデレラ』(ジョーン・バウァー著 灰島かり訳、小学館)も読んでみましたが、そちらも理想の父親像のような登場人物を交通事故死させお弔いの場面を描いているので、作者は、作品の中で、死を描く必要を感じているのではないかと思いました。

レン:今回の他の2冊とタイプの違う本ですね。話が上手にできていて、読み応えがありました。主人公の気持ちに寄り添って読んでいきましたが、母親に捨てられ、父親も分からず、おばさんに引き取られた女の子が、なんとたくましく、大人なんだろうと。お母さんが自分に残してくれたものが、ウェイトレスの才能と名前というのがおもしろいですね。名前は途中で捨ててしまうけれど、その才能を極めることで、この子は周りの人と人間関係をつくって生きのびていく。おばさんも魅力的。主人公が発達が遅れているかもしれない赤ちゃんに話しかけるシーンなど、上手だと思いました。愛されているということがあると、子どもは強く生きていけると。選挙のことも詳しく書かれているけれど、これって一種の職業小説ですよね?

一同:そうそう。これは職業小説ですよね。

レン:選挙の仕組みはよくわからないところがありましたが、選挙に絶対行かないと言っている人のおかげで、不正がばれるというのもうまい。読ませますね。

アンヌ:原題は過去形なのに、なぜ現在形にしちゃったんでしょうね?

レン:装画は日本の人なんでしょうか? 文章で受けたのとイメージが全然違いました。

ajian:挿画はちょっと安っぽい印象がしますよね。

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

ヤマネ:読書会で取り上げられなかったら、おそらく手に取らなかった本でしたが、すごく良かったです。

アカシア:自分からは手に取らない本ってありますよね。「新しい場所は新しいものの見方を授けてくれる」なんていう台詞がいいですね。児童書には、希望を感じるまっすぐな言葉がところどころに見つかります。自分でのそれを見つけるのも、本を読む楽しみですね。選挙のところですが、あんまりおもしろく書いた小説が他にないなかで、これはおもしろかった。中高生でもおもしろく読めると思います。

ヤマネ:一筋縄じゃない。感情の表現もいい。ボクシングのサンドバッグをたたきながら、悔しさをあらわす場面が良かった。主人公はお父さんが迎えにくるのをずっと待ち続けていて、けれどそれが全く違う形でやってくる。中高生が読んだら、人生にはそういうことだってあるのだと気づくのではないでしょうか。電車の中でカバーをして読んでいたのだけれど、カバーを取って表紙の絵に驚いた。中高生向けに受け入れやすいように狙ったイラストではないんでしょうか? 文章から感じる表紙のイメージは、あたたかな風景画のイメージだったので、この表紙には驚いたけれど、話の内容は良かった。ウェイトレスの仕事のおもしろさもよく伝わってきました。

レン:混みあってきたらコーヒーをつぎ足すとか。

ajian:原書の表紙、調べてみましたが、こっちのほうが全然いいです。

(一同、表紙の画像を見る)

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

アンヌ:この表紙絵(日本版の表紙)、他の二人に比べて、GTはうまくイメージがわかなかった。

レジーナ:バウアーの作品にはいつも、置かれた環境で努力する主人公が出てきます。病を抱えながら選挙に立候補するGT、名前を変えるホープ……ままならない現実を受け入れた上で、困難な状況を全力で変えていこうとする登場人物の姿が、押しつけがましくなく描かれているのがいいですね。不正を働いたり、家族や社会の責任を果たさなかったりする人々がいても、ホープはそれにめげず、大切なものをゆずりわたさず、ウェイトレスとしてお客さんを笑顔にします。そしてアナスタシアとの関わりの中で、母親との問題に向き合います。娘のことを顧みない母親も「あんたの人生のたいせつな一部」というアディの台詞がありますが、人を形作るのは、手に入ったものや勝ち得たものだけではなくて、望んでも手に入らなかったものや失ったものもまた、その人の大切な1部だという、作者の生きる姿勢が表れていますね。

アカシア:バウアーは職業とかキャリアを追求している作家ですね。ウェイトレスなんて、おもしろそうな職業じゃないのに、わかってくると「すごいなあ。おもしろそうだなあ」と思えるように書けるところがすばらしい。日本の児童文学の世界では、政治は書かないほうがいいと言われているそうですが、選挙だって、中学生くらいを対象にした本だったら書いたらいいし、世の中はどうなっているかというのも書いた方がいいでしょう。この人はそこもうまく書ける作家ですね。話のもっていきかたもすごくうまいから、選挙のところだけ浮いているようなこともないのがいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


クラスメイツ(前期・後期)

ヤマネ:この本は発売された時に、とてもおもしろく読みました。前期の巻は登場人物の紹介という感じで軽い感じでしたが、後期では前期で謎のまま終わっていた問題が1つ1つうまく解決されていったり、クラスメイツ同士の関係の深まりを感じたりして、後期が特に読み応えがありました。知り合いの中学生にも薦めたのですが、クラスにこんな子いるいる!と共感できたり、自分と同じ悩みを見つけてホッとしたり、など楽しく読めるのではと思います。大人が読んでも、中学生の頃を思い出したり、中学校時代の自分と似ている子はどの子だろうと考えてみたり、などいろいろ楽しめると思いました。

レン:おもしろかったです。24人のそれぞれの営み、変化が伝わってきて、本当にうまい文章。ユーモアもあって、堅苦しくなく、読者を選ばず読んでもらえそう。現役の中学生もいいけれど、これから中学に行く6年生に手渡したいですね。自分のクラスのだれに似ているとか、だれが好きとか読めて、中学校生活への希望がもらえます。

ルパン:これはすっごくおもしろかったです。『ラン』(森絵都 講談社)よりこっちのほうがずっといいなと思いました。『かさねちゃんにきいてみな』を読んだあとこっちを読んだのですが、『かさねちゃん』のほうは「今どきの小学生事情」みたいな一時的、同時代的な感じでしたが、こっちは根底に「永遠の中学生」のような、どの時代にも共通する中学生らしい感情、という筋が一本通っていて、大人が読めば郷愁感、子どもが読めば等身大。それに現代っ子らしさがほどよく加わっていて好感がもてました。24人が対等に出てくるのもいいし。どの子のも全部おもしろくて。最初に出てきた子たちは、吹奏楽部に入る話なんだけど、それが最後にまた出て来て演奏する、というつなげ方もうまい。いちばん笑ったのは、レイミーちゃんが泣いたのは、ネズミがシューマイではなくシューマッハだから、と言ったところ。あと、印象的だったのは、ガラス破損の犯人さがしになったとき、ヒロが「でも、ぼくじゃないよ」と言ってすんでしまうシーン。そういう子って、確かにいますよね。文庫で子どもたちを見ていると、いつの時代にも変わらない小学3年生らしさ、5年生らしさ、中学生らしさ、といったものが確かにあります。この話は、リアリティらしさとお話らしさがマッチしていて私は好きです。

ワトソン:森絵都さんはこの年代の子どもを書かせたら本当に上手だなと、期待通りの作品でした。こういった構成自体は最近多くて新鮮味という点はあまりありませんが、それでも読ませるおもしろさがありました。一人一人が個性的に書き分けられ、クラスに起きた事柄をそれぞれの視点で捉えそれがまた全体としてつながっています。だれか一人に寄り添って読む作品も良いけれど、「自分はこの子に近いな」とか、「この子のこういう部分はわかる」というように、何かしら共感を得られるところがあるのではないでしょうか。そういった面で、同年代の子どもたちが読むのに意味がある作品だと思いましたし、この年代を過ぎた人には懐かしく読めるのではないでしょうか。

アンヌ:この作者の本を読むのは初めてでしたが、私は苦手でした。とてもうまく書けているし構成もいいけれど、ある意味、物語が始まったところ、人物の紹介だけで終わってしまっている気がして。読んだ後に、24人分のそれからのことを考えて、眠れなくなって困りました。虫博士の陸くんとか好きな子もいたのだけれど。

すあま:森さんが、大人向けの小説の方に行ってしまったように思っていたので、久々に中学生が主人公の物語を書いたんだ、と思って読みました。語り手を変えて物語が進行する形式の本はいろいろと出ていますが、1990年に出た『トリトリ』(泉啓子著、草土文化)という作品が一番印象に残っています。そのときは新鮮に感じたのですが、今はよくある形式なので、特に新しさは感じませんでした。とにかく人数が多いので、だんだん混乱してきました。印象に残る子はいるんだけど、やはり誰か一人に共感しながら読むことができず、一気に読んだ後に物足りなさを感じました。

アカシア:読んだときは、「ああおもしろかった。森さんのYAの中では一番おもしろかった」と思ったんです。でも、あとでふりかえると、細かい内容は思い出せなかったんですよ。この世界で完結しているから後々まで引っかかる必要がなくて、思い出せないのかもしれません。その時その時で読者が受け取るものがあれば、別に思い出せなくてもいいんですけど。一つ一つの話が全体としてつながっていくのがいいですね。

ajian: 森絵都さんの作品はじつはちょっと苦手だったんですが、これは文句なしにおもしろかったですね。自分の中学生時代のことなんかを思い出します。一口にクラスメイトといっても、仲がいい連中もいれば、あまり会話したことのないやつなんかもいて、同じクラスでもよく知っているといえるのは、何人かなんですよね。この作品は、そういうクラスの子たちの、それぞれの視点から書かれていて、自分が中学生だったらたぶん交わらなそうな子もいるんだけど、そういう人の事情にもちょっと踏み込んでいけるようでおもしろい。前期後期に分かれていて、いろいろな事件があって、1年が動いていく構成もうまいなと感心しました。ビートルズも知らなかったハセカンが、後半の別の章ではクラッシュを聴くようになってたり、ああUKロック好きになっていったのかなあとか、書かれていない部分での成長と変化を想像できるのも楽しい。一番好きだったのは吉田くんですね。吉田くんがいちばん変貌を遂げるんじゃないでしょうか。モテたいから東大に行くとかいっていましたが、中高モテなくて勉強にばかり時間を捧げていると、仮に東大に行けたとしてもあとから「中高のときにモテなかった」というルサンチマンをこじらせることになるので、吉田くんはほんとうに水泳部に入ってよかったな、と思います。完全に感情移入していますが。震災のことがちらっと出てくるのも今の作品だなという感じがします。正直にいって読む前はこれほどおもしろいとは思っていなかったので、食わず嫌いはいけないなと思いました。

レジーナ:中学に上がったときのことを思い出しながら読みました。なかなか学校になじめなかったり、いつも小さな気がかりや悩みがあり、「これまでは何も悩みがないのが幸せだと思っていたけれど、きっとこれからは悩みがなくなることはなくて、それが大人になるということなのか」とふと感じたり……。いじめに負けず学校に通い続けたしほりんが、「強くなった半面、弱くなった部分がある。なにかに勝ったつもりで、なにかに負けたのかもしれない」と思う場面がありますが、「今、辛い」とか「今、楽しい」とか、その場の感情ではなく、こんな風に、ちょっと離れた場所から自分のことを振りかえって客観的に考えられるようになるのが、中学1年くらいの年齢ではないでしょうか。老人ホームでボランティアをする場面は、家族や学校で完結しない外の社会とのつながりが描かれていておもしろかったです。美奈の父親が倒れた時、そういうプライベートなことを、先生が他の生徒に教えてしまうのは、現実ではありえないでしょうね。タボの章に、蒼太が給食のデザートをおかわりしないことが書いてあり、その後の章で、レイミーが、甘いものが苦手な蒼太のための特製チョコレートを作ります。細かな伏線の張り方は、さすが上手ですね。ひとりひとりの人物像がくっきりしていて、『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正幹著 ポプラ社)の6年1組を思い出させますが、もう少し深く描かれていると、よりよかったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


かさねちゃんにきいてみな

アンヌ:読んでいるうちに、これはいつまで続くのだろうとだんだん耐えられなくなって、途中でラストを読んでから、読み直してしまいました。自分でもそれはなぜなのだろうと思って、いろいろ調べて、劇団ひまわりで上演されているのを知り、ああ、そうか、ユッキーの一人称で、一人の視点で延々と物語が続くのでなければ、おもしろいのかもしれないと思いました。読み直してみると、一つ一つのエピソードはとてもおもしろいので。最後にリュウセイが戻って来ていますが、どうやって戻ってきたのかとかが、なぜ描かれていないのだろうと思いました。

ワトソン:今回のテーマである子どもたちの日常にあてはまる作品として、私はとても楽しく読めました。登校班だけてこれだけの作品を書くのはすごいと感心しました。一番魅力的だったのはユッキーで、彼の語りの良さがこの作品を支えていると思いました。その分、かさねちゃんに物足りなさを感じました。かさねちゃんの「ちゃんとして」が魔法の言葉のように描かれていましたが、そこにはユッキーのかさねちゃんへの憧れがかなりプラスされているので、実際は魔法のようには効かないのではないでしょうか。また、小学生が読者と考えるとこの量は多すぎる気がしました。

ルパン:私はあんまりおもしろくなかったです。『アナザー修学旅行』(有沢佳映著 講談社)は、場面が動かないわりに、まだおもしろかったんですが、今回は、通学路という限られた場面のなかで、かさねちゃんの魅力が伝わってきませんでした。かさねちゃんだけでなく、どの子も、「この子のことが読みたい」というものがなかったし。強いていえば、語り手のユッキーが毎回日記のさいごに間宮さまへの語りかけを書いているのがおもしろかったけれど。ただ、登校班だけで、よくここまで書いたなとは思いました。結局、「かさねちゃん」とインパクトがある名前だけでひっぱってきた感があります。ふつうの平凡な名まえだったら手にとらないんじゃないかな。印象的に目に浮かぶものといえば、牡丹の模様つきのランドセルでしたが、かさねちゃんの個性とどうリンクするのかわかりませんでした。

レン:私は今回選書係だったのですが、この本は、私自身よくわからない本だったので、みなさんの意見を聞きたいと思って選びました。この著者の『アナザー修学旅行』の時もそうでしたが、私は最初はおもしろくひきこまれたけれど、途中でちょっとうんざりしてきて、「修学旅行だとか、集団登校の班長って、そんなに大事?」と思ってしまい、最後まで読めなかったんです。今の子どもの話し言葉をそのまま移したような会話が続くのも、うまいなあと感心する一方で、当の子どもが読んだらどう思うんだろうと思いました。写真そっくりの絵を見ているような感覚というのか。この数カ月で確かにユッキーは少しずつ成長するけれども、こういうそのまんまの一人称の語りで子どもに伝わるのかな、ふんふんと読んで終わってしまわないかなと。今回読み返しましたが、やはりわかりませんでした。リュウセイのエピソードを盛り込んでいるのは、いいなあと思いましたが。

ヤマネ:話題になっていたので、とても気になっていた本です。まず設定について、これまで集団登校を場面の中心として書いている人はいなかったので、斬新だなと思いました。1日1日、ユッキーの日記で綴られていて、日記の最後が「間宮小の守り神」と言われているホコラの中の間宮さんに何かを祈ったりお願いする形で終わっている。日記をうまく終わらせるために間宮さんは登場するのではないかと感じました。お話は3分の2ぐらい読み進めたところで、ようやくおもしろくなってきました。全体を読み終えて感じたのは、子どもも大人も、一定の時間一緒に過ごす体験をすると、情が湧いたり連帯感のようなものが生まれるのだなと思いました。対象年齢は小学校高学年向けに出されているようですが、正直、小学生がおもしろく読むのかどうかは疑問に思いました。そうかといって、大人が懐かしいと思って読むには自身の子ども時代とは違う現代っぽさがあるし、どのあたりの層がおもしろいと感じて読むのかが分からないと思いました。また、かさねちゃんは大人で冷静なように描かれているけれど、言うべきことや不満などは、全て班員で4年生のマユカが全部言ってくれるので、かさねちゃんは言わなくて済むようになっていると感じました。

ハリネズミ:私は日常と違う世界だと思いました。小学生が集団登校する姿はよく見るけど、たいていはまったく話をしないで黙々と歩いている。だから、この作品はフィクションの世界で書いてると思ったんです。『アナザー修学旅行』もそうだったけど、子ども同士はあまり直接のコミュニケーションをとらない。有沢さんは、わざとコミュニケーションをとらせて直接的なやりとりをさせている。そこが書きたいところじゃないかと思ったんです。

ルパン:地域性もあるかもしれませんね。うちは小学校が目の前なので言葉をかわすヒマもないのですが、甥のところでは2キロ歩くんだそうです。毎日それだけの距離を一緒に歩いたら、会話もはずむだろうし、集団登校も子どもたちの生活の一部になるかも。

ハリネズミ:主人公はかさねちゃんではなくユッキーで、すべてユッキーの視点だから、かさねちゃんは実像じゃない。

アンヌ:もし私が子どもの時読んだら、たぶん、班長をする自分を想像して、こんなにキレる子が二人もいたら、嫌だと思うだろうなと感じました。

ハリネズミ:賛否両論あるとは思ったんですが、私はおもしろくて、後になっても印象に残った本です。子ども同士のやりとりもおもしろくて、今の子どもたちの人間関係が狭くなってきているだけに貴重な作品だとも思います。

すあま:私のまわりの人の評判がよかったのですが、私は全然読み進むことができませんでした。登場人物がなかなかおぼえられず、苦労しました。この作品の特徴は、話し言葉でかかれていること、そして場面として登校するシーンだけを描いていること。脇明子さんの『読む力が未来をひらく』(脇明子著 岩波書店)に、話し言葉と書き言葉についての記述がありましたが、話し言葉で書かれた会話が続くと、読みにくいんだな、と思いました。子どもがおしゃべりしている感じは伝わるけれども、読んでいてうるさい、わずらわしい、と思ってしまいました。マンガのように吹き出しのセリフをどんどん読んでいくのと似ているけれど、絵がないので頭の中でイメージするときに混乱したのかも。読む前は、かさねちゃんが主人公なのかと思っていたら、リアリティがなくて、もっと魅力的に描いてほしかったです。登場人物のだれに寄り添って読めばよいのかがわからず、それも読みづらさの原因かもしれません。かさねちゃんが小学生らしくなくて、感情を爆発させるところがあれば、と思いながら読み進めていましたが、ずっといい子のままだったのも残念。リュウセイくんの問題も、あえて入れる必要があったのか、扱い方が中途半端なように思います。

ajian:私はこの文体っていうか会話はすごくいいと思ったんです。物語はちょっと物足りないものを感じたのですが……。読んだのが結構前なのであやふやですみません。

レジーナ:人口芝の上を歩きたがる場面では、私も昔、同じように感じたのを思い出しました。作者は、子どもの時のことをよく覚えていて、それを素材に書いたのでしょうね。リアリティを追求したのかもしれませんが、実際に子どもが話しているような文体が続くと、少々読みにくく、またリュウセイの複雑な家庭環境には胸が痛くなりました。読み終えて、作者が何を伝えたいかがわかりませんでした。この作品は児童文学なのでしょうか……。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年10月の記録)


マイケル・モーパーゴ『希望の海へ』

希望の海へ

『希望の海へ』をおすすめします。

社会的な視点をもちながらストーリーテラーの腕も抜群というマイケル・モーパーゴが、本書で扱うのは、最近になってわかってきた児童移民の問題です。イギリスから「孤児」(本当の孤児はわずか)たちがオーストラリア、カナダ、南アフリカなどへ送られ、第二次大戦後にはその人数もピークに達したと言われています。

第一部を語るのは、アーサー・ホブハウス。まだ幼いうちに船に乗せられイギリスからオーストラリアにやって来たものの、引き取られた先の農場で奴隷としてこき使われます。さんざん我慢を重ねた後にアーサーは年上の友と一緒に逃げ出し、黒い肌の人たち(先住民ですね)に助けられ、「ノアの方舟」と呼ばれる場所でようやく愛を注いでくれる人に出会います。でも、そこでずっと幸せに暮らしたわけではありません。まだまだ山あり谷ありの人生が彼を待ち受けていました。アーサーがその波瀾万丈の人生の中で持ち続けていた唯一のものは、小さな鍵です。それは姉のキティをさがす鍵でもありました。

そして第二部を語るのは、アーサーの娘のアリーです。父親のかわりにまだ見ぬ伯母キティに会うためひとりでヨットに乗り、数々の困難を乗りこえてイギリスまで航海します。複数の文化を背負った(母親はギリシア人)女の子アリーが単独で冒険するという設定がなかなかいいうえに、航海についてくるアホウドリ、アリーと宇宙飛行士との交信、そして父親から手渡された鍵の謎など、第二部にもさまざまな仕掛けがつまっています。果たしてアリーは、伯母のキティを捜し当て、鍵で何かをあけることができたでしょうか?

わくわくしながら読めます。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年10月13日号掲載)