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ゾウと旅した戦争の冬

『ゾウと旅した戦争の冬』をおすすめします。

本書の構造は二重になっています。老人介護施設にいるリジーというおばあさんが、昔のことを思い出して語る話を、「わたし」とその息子のカールが聞く、という外枠の物語がまずあります。そして、その枠の中で、リジーの若き日と今を結ぶ物語が展開していきます。

枠の中の物語は、書名からもわかるように戦争ものではありますが、ほかの戦争ものと違う本書の特徴は、子どものゾウが出てくるところ。このゾウが、悲惨さや息苦しさをうまく中和させる役割を果たしています。

作者はイギリス人ですが、舞台はドイツ。ドレスデンで暮らしていた母親と子ども二人の家族が、大空襲を受けて、動物園から預かっていた子ゾウといっしょに避難しなくてはいけなくなります。とりあえず親戚の家に身を寄せようとしますが、そこで出会ったのは、なんと敵である英国空軍のカナダ人兵士。この兵士ペーター(ピーター)は、父親がスイス人でドイツ語も話せるのですが、氷の池に落ちたリジーの弟の命を救ったことから、この家族やゾウといっしょに避難の旅を続けることになります。

著者のモーパーゴは、社会的な問題をリアルに取り上げながら、人間の心理をとてもうまく描くことのできる作家です。でも本書には、ありそうだけど「出来過ぎ」と思えなくもない設定がいくつか登場します。大体ゾウにこんな旅ができるのでしょうか? でもね、二度目に読んでみて、モーパーゴの物語づくりのうまさに、私はうなってしまいました。

このお話ってもしかすると……と思う読者もいると、著者は最初から考えていたのだと思います。うまくできています。危険、恋、裏切り、再会……極上のストーリーテリングです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年4月14日号掲載)


カトリーン・シェーラー作『キツネとねがいごと』

キツネとねがいごと

『キツネとねがいごと』をおすすめします。

今回は哲学的な絵本を。作者は、言語障碍の子どもたちに美術を教えながら、イラストレーターとしても活躍しているスイス人のカトリーン・シェーラー。年老いたキツネ(この作者の絵本には、キツネやネズミを主人公にした作品が多い)が、朝目をさますと、鼻先にはリンゴのにおいがただよい、耳にはツグミの鳴き声が聞こえてくる。はっとして外に飛び出てみると、木に実った大事なリンゴをツグミがつついている。ウサギやネズミもやってきて、だれも年寄りキツネなど怖がらず、どんどんリンゴの実を食べてしまう。

キツネには体力も敏捷性もないものの知恵があった。罠をしかけると、イタチがかかる。なんとこのイタチは魔法が使えるというので、逃がすかわりに、リンゴの木に触れた者はみんな木にくっつくという魔法をかけてもらう。やがてリンゴの木にはだれも近づかなくなり、キツネはリンゴをひとりじめ。と、ここまでは普通の絵本なのだが、ここから先がちょっと違う。

ある日、死神がキツネを迎えにきた。ところでこの死神、キツネの顔をしている。ふーん、そりゃそうだよね。人間やウサギの顔じゃおかしいものね。で、まだ死にたくないキツネが、最後に食べたいからリンゴをとってくれと死神を木に登らせると、案の定、死神は木にくっついて降りてこられなくなる。

さあ、これでキツネは永遠に生きることができるようになった。でも、それって、ほんとに幸せなの? 死神が困った顔をするどころか、ほほえんでいるのはなぜ?

原書名には「死」という言葉が入っているから「死」がテーマではあるのだが、この絵本から受け取るものは読者の年齢によって違うかもしれない。別紙に描いたものを切り抜いてコラージュした絵は、時とともにキツネの表情が変わっていくのをうまく表現している。

(「トーハン週報」Monthly YA 2017年8月14/21日号掲載)


みずまき

『みずまき』をおすすめします。

かんかん照りの暑い日には水まきがいちばん。女の子がホースで勢いよく水をまくと、あっちからもこっちからも小さな生き物が顔を出す。
この分じゃ、この女の子もびしょぬれだな、と思っていると、最後にはちゃんと浴衣を着せてもらって涼しそう。
命の豊かさが感じられる絵本。品切れ中なので図書館で見てね。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年7月29日掲載)


角野栄子『靴屋のタスケさん』

靴屋のタスケさん

『靴屋のタスケさん』をおすすめします

「わたし」は、靴屋のタスケさんの手仕事に興味しんしん。金づちでトントンたたいたり、火で何かをあぶったり……。作者の子ども時代が背景にあるので戦争も影を落としているけれど、タスケさんの職人技に見とれる体験は楽しい。夏休みはプロの仕事を見るいいチャンス。絵も赤が印象的。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年7月29日掲載)

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『靴屋のタスケさん』をおすすめします。

職人の手仕事に興味をひかれる戦時下の幼い少女の気持ちをみずみずしく描いたフィクション。舞台は1942年の東京。小学校1年生の「わたし」が住む地域に、若い靴職人のタスケさんが店をだす。少女は放課後になると靴屋に行き、タスケさんのプロの仕事ぶりに見とれる。極度の近眼のため徴兵を免れていたタスケさんだったが、やがて戦況が悪化すると少女の前から姿を消す。兵隊にとられたのだ。おだやかな日常と、暴力的な戦争の対比がうかびあがる。 キーワード:戦争、友情、切なさ

(JBBY「おすすめ! 日本の子どもの本2018」<読みもの>掲載)

 


鳴海風『円周率の謎を追う』

円周率の謎を追う〜江戸の天才数学者・関孝和の挑戦

『円周率の謎を追う:江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』をおすすめします

関孝和という名前は知っていても、どんな人かを私は知らなかった。江戸時代の和算の達人ということを知っていただけである。本書はその関孝和を、血の通った人間として描き出そうとしている。数学が好きで儒学や剣術にはなかなか身が入らなかったこと、数学の師匠の娘である香奈と励まし合って学んだこと、数学好きのライバルたちと切磋琢磨したこと、けれども勤め(御用)をおろそかにできず数学だけを専門にするわけにはいかなかったことなどが、読みやすいストーリーとして語られているので、興味をもって読める。

後書きには、関孝和という人は、天才的な業績を残したにもかかわらず、いつどこで生まれたのかもわからず、その人生には謎が多いと書かれている。つまり、子どもの頃のことや折々に出会った人との会話などは、著者が想像して描いたフィクションとも言える。でも様々な文献に当たったうえでの想像であるからか、何かに一途になって心の中に消えない炎を持ち続けていた人だということが、無理なくしっかりと浮かび上がってくる。

私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて関が追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表現する方法を編み出すところなどが、スリルに富んだ推理小説のように描かれていて、おもしろい。出世やお金儲けには関係なくても、情熱を注げるものを持っていた人の楽しさが伝わってくる。

次は、「わたし、女数学者になります」と宣言して(ここもフィクションかもしれないが)、関を励ましつづけた香奈についても、もっと知りたくなった。

(「トーハン週報」Monthly YA 2017年6月12日号掲載)

 

関孝和の一生を、円周率を探る研究を核にして描いている。私たちが約3.14と学校で習う円周率も、関が学び始めた頃は3.16とされていた。それに疑問を感じて追求しようとする過程や、漢文から思いついて数式を表す方法を編み出すところなどがスリルに富んだ推理小説のように描かれている。同時に、この数学者が何かを一途に追求し、消えない炎を持ち続けていたひとりの人間として浮かび上がってくるので、読み物としてもおもしろい。さまざまな文献を研究して書いた労作。

(「おすすめ! 日本の子どもの本2018」<ノンフィクション>掲載)

キーワード:数学、歴史、江戸時代、円周率、関孝和


西村繁男『あからん:ことばさがし絵本』

あからん

『ことばさがし絵本 あからん』をおすすめします

「あ」から「ん」まで、それぞれの文字で始まることばをさがす楽しいあいうえおの絵本。

たとえば「た」だと、「たこあげする たぬきに たこ たいあたりする」というゆかいな文に出てくるものだけでなく、ほかに9個の「た」で始まるものが描かれています。さあ、何かな?

「ん」もおもしろいよ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年3月25日掲載)


ミシェル・エドワーズ文 ブライアン・カラス絵『ソフィアのとってもすてきなぼうし』

ソフィアのとってもすてきなぼうし

『ソフィアのとってもすてきなぼうし』をおすすめします

ソフィアは、おとなりのおばちゃまと仲良し。おばちゃまは毛糸で帽子を編んでみんなにあげるのが好きだけど、自分は帽子がなくて寒そう。ソフィアは作ってあげようとするけれど、できたのは穴だらけのおばけみたいな帽子。どうしたらいい? 他者に心を向けることで、自分もあたたかくなる終わり方がすてきだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年2月25日掲載)


アレックス・ジーノ『ジョージと秘密のメリッサ』

ジョージと秘密のメリッサ

『ジョージと秘密のメリッサ』をおすすめします

4年生のジョージは、体は男の子でも自分は女の子(メリッサ)なのだと感じている。しかし、学校でも家でもそのことは秘密にしている。学年で『シャーロットのおくりもの』の劇を上演することになっても、ジョージがやりたいシャーロットの役は、女子の役という理由でやらせてもらえない。

でも、やがて親友のケリーが、あるがままのジョージを受け入れて、午後の部の役をひそかに代わってくれたり、女の子同士の楽しい時間を設けたりしてくれる。家族も徐々にジョージを理解するようになる。

自らもトランスジェンダーである作家が書いただけに、「男の子のふりをするのは、ほんとうに苦しいんだ」というジョージの叫びも心理描写もリアルだ。

(朝日新聞「子どもの本棚」2017年1月28日掲載)


アン・M・マーティン『レイン』表紙

レイン〜雨を抱きしめて

『レイン〜雨を抱きしめて』をおすすめします

父親と暮らす5年生のローズは、高機能自閉症と診断され、周囲にうまく適応できない。拾ってきた犬のレインが友だちだが、ハリケーンで行方不明に。必死の捜索で見つかった後のローズの行動が、周りの状況を変えていく。

自分がほかの大勢とはどこか違うと感じている子どもたちに、元気をくれる本。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年12月24日掲載)


松岡享子文 林明子絵『おふろだいすき』

おふろだいすき

『おふろだいすき』をおすすめします。

寒くなると、おふろがうれしいですね。しかも、このおふろには不思議がいっぱい。もわもわの湯気の中から、カメやらペンギンやらカバやら、なんとクジラまで出てきます。想像がふくらむ絵本です。最後におふろから上がって、お母さんが差し出すタオルにくるまれる男の子が、ほっかほかでなんとも幸せそう。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年11月26日掲載 *テーマ「ぬくもり」)


おばあちゃんとバスにのって

『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします

この絵本のおばあちゃんは、お金や効率よりも人とのふれあいを大切にしています。行き先は、困っている人にごはんを出す食堂。ぼくも手伝って奪った食事をみんなが笑顔で食べてくれると、心もあったかに。

(朝日新聞「子どもの本棚」2016年11月26日掲載 *テーマ「ぬくもり」)


『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします。

どんなときにも人生を楽しめるって、いいよね。でも、それにはちょっとしたコツが必要。

この絵本のおばあちゃんは、人生を楽しむ達人。髪は白いけど、黒い服に赤い傘、緑色のネックレスにピアスのおしゃれさん。孫息子のジェイが「なんでバスを待たなきゃいけないの?」と不満げにたずねても、「だって、バスの方が楽しいんじゃない?」なんて答えてすましている。

おばあちゃんとジェイが乗ったバスには、チョウを入れたビンを抱えたおばさんも、スキンヘッドにタトゥーのこわもて男も、ギターをつま弾く帽子の男も乗っている。盲導犬を連れた人も乗ってくる。おばあちゃんはみんなにあいさつし、鼻歌をうたう。にこにこ顔がまわりにも広がり、帽子の男の演奏と歌にみんなが聞きほれる。

バスが終点で停まると、そこはジェイが「汚くていやだなあ」と感じるような街だ。道はがたがたで、家のドアは壊れ、あちこちに落書きもしてある。でも、おばあちゃんは「ここでもちゃんと美しいものは見つけられるのよ」と言って、空にかかった虹に、いち早く目をとめる。

二人が向かったのは、ボランティア食堂。英語だとスープキッチン。無料で、あるいはとても安い料金で食事ができるところだ。日本で言うと、おとなも来られる子ども食堂みたいな感じかな。おばあちゃんはエプロンをかけて、次々とやってくる人たちに食べ物をよそっていく。ジェイも手伝う。そこは、人と人が触れあうことのできる場だ。ひとり暮らしの人も、友だちに会える。こういうところなら、お腹だけじゃなくて心も満たされるはず。食堂に来るのは恵まれない人たちだけど、貧しいとかかわいそうという視点はまったくなくて、だれもが楽しそうだ。原書は、アメリカでニューベリー賞とコルデコット賞銀賞を受賞した。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年12月12日号掲載)

 


『おばあちゃんとバスにのって』をおすすめします。

雨の日曜日、ジェイはおばあちゃんと一緒にバスに乗ってお出かけ。おしゃれなおばあちゃんは、人生の楽しみ方がちゃんとわかっていて、乗ってくる人たちにあいさつし鼻歌をうたう。すると、にこにこ顔がまわりにも広がっていく。終点で降りてふたりが向かったのは、ボランティア食堂。ふたりは、ここにやってくる恵まれない人たちに食事をよそい、さまざまな人との触れあいを楽しむ。生きていくうえで何が本当に大事かがわかってくるような絵本。ニューベリー賞、コールデコット賞オナー。

原作:アメリカ/3歳から/おばあちゃん バス 多様性

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)


萱野茂文 どいかや絵『ひまなこなべ:アイヌのむかしばなし』

アイヌのむかしばなし ひまなこなべ

『アイヌのむかしばなし ひまなこなべ』をおすすめします。

心根のいいアイヌに仕留められたクマの神様は、その魂を天の国へ送る宴で目にした若者の素晴らしい踊りが忘れられません。クマの姿で何度も地上にやって来ては同じアイヌの矢に当たり、宴で若者の正体をつきとめようとします。このアイヌは、クマの肉や毛糸をたくさんもらって裕福に。さて「暇な小鍋」とは?

アイヌ文化の継承に力を尽くした萱野が採集したこのお話には、道具には魂が宿ると考え、カムイ(神)として敬ってきたアイヌの人たちの考え方がよくあらわれています。人間は他の生命をいただいて生きている、ということの重みも伝わります。独特の文様を取り入れた絵も子どもにわかりやすくて楽しい絵本に仕上がっています。

(「朝日新聞 子どもの本棚」2016年9月24日掲載)


いとうみく『アポリア』

アポリア〜あしたの風

『アポリア〜あしたの風』をおすすめします。

2011年の東北大震災に関連する本は、これまでにもいろいろ出ている。この作品も、その系列に入るが、なんと舞台は東京近辺で、時代は近未来に設定されている。

主人公は中2の一弥。ふとしたきっかけから同級生に殺意をいだいた自分が恐ろしく、人間と付き合うことを絶って不登校になり、自分の部屋に閉じこもっている。ある日、突然大地が大きく揺れ、津波が襲ってくる。母子家庭の一弥は、なんとかして母親を助けようとするが、そばを通りかかったタクシー運転手の片桐に腕をつかまれ、無理やり避難させられる。一弥は片桐を恨み、避難先でも最初はだれにも心を開かない。

震災というのは、大きな悲しみや苦しみをもたらす一方で、これまでの社会では出会わなかった年齢も職業も背景も異なる人たちが生身の人間として出会うきっかけにもなりうる。

この作品の縦糸は、そうした出会いを通して少しずつ変わっていく一弥の物語である。子どもとおとなの中間にある中2という年齢だからこその揺れも、うまく描かれている。

また横糸となっているのは、一弥が出会う人々がそれぞれに背負っている物語である。片桐以外にも、一弥の叔父である健介、無理心中を図った祖父と一緒に避難している4歳の草太、自分の欲に負ける一方で他人を偽善者とののしる元看護師の中西、ネコと一緒に助けられた中3の瑠奈などが登場し、それぞれが生身の人間としてぶつかり合いながら、死を目の当たりにしてたじろぎ、いのちについて思いをめぐらせ、やがてそれぞれに生へ向かう道を歩み始める様子が描写されていく。限られたページ数の中で多様な人々それぞれの物語を描ききるのは至難の技だが、一人一人の人間を描こうとした著者の努力によって、骨太の作品として立ち上がっている。

ちなみに「アポリア」とは、ギリシア語で「道がないこと」を意味しているという。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年8月8日号掲載)


雨宮処凜『14歳からの戦争のリアル』

14歳からの戦争のリアル

『14歳からの戦争のリアル』をおすすめします。

戦争って、これまでは無関心でも生きてこられたけど、もうそういうわけにはいかなくなってきた。そう私は感じている。愚かな政治家と、私を含めだまされやすい民のせいで、「戦争をしない」という先人の決断がペケにされようとしているからだ。

戦争はいけないと呪文のように言われて育ってきたものの、「学校で習う『戦争』の話は、ひたすらに暗く、怖く、そして時に説教臭かった。『平和な時代』に生まれたことを、なんだか責められているような気になった」と著者は書く。

でも、戦争って、ほんとうはどんなものなのか? 誰が死んで誰が得をするのか? 著者は「戦争」に深くかかわった人たちにインタビューして疑問をぶつけ、リアルに迫ろうとする。

インタビューに登場するのは、イラク戦争に米海兵隊員として従軍したロス・カプーティさん、太平洋戦争でトラック島に攻め込んだ金子兜太さん、イラクでボランティアを続ける高遠菜穂子さん、戦争解決請負人と呼ばれる伊勢崎賢治さん、戦場出稼ぎ労働者からジャーナリストになった安田純平さん(今シリアで拘束されていますね)、徴兵拒否してフランスに亡命した韓国人のイ・イェダさん、元自衛官の泥憲和さん、女優として戦地を慰問した体験を持つ赤木春恵さんの8人。最前線で戦争を体験したこの8人の話からは、図式的ではないそれぞれの戦争現場でのリアルが浮かび上がってくる。

先日私はフォト・ジャーナリストとして世界各地の戦場を経験している高橋邦典さんの話を聞いた。彼も、「戦場の死体の匂いは、いったん知ると遠くにいても風向きしだいでわかるようになってしまう。戦争はぜったいに嫌だと思うようになる」と語っていた。

政治家や学者とは違って、生身で戦争のリアルと向き合い、そしてなんとか生き残った(安田さんにも生きて帰ってきてほしい)人たちの話は、ふだんメディアには流れない。とんでもないことになってしまう前に、読んで考えてみない?

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年6月13日号掲載)


あべ弘士『宮沢賢治「旭川。」より』

宮沢賢治「旭川。」より

『宮沢賢治「旭川。」より』をおすすめします。

宮沢賢治の「旭川」という詩を基にして、そのエッセンスを活かしながら、言葉を紡ぎ、絵で表現した絵本。

賢治の詩が内包するさわやかさや軽やかさを、みごとに表現している。動物中心の絵本を数多く出してきた作者だが、この絵本の主人公は、帽子をかぶって馬車に乗る賢治。しかし、その周囲には動物も登場し、馬ばかりでなく大きな蝶やフクロウやオオジシギが随所に登場している。

中でも原詩には出てこないオオジシギを、作者は、「天に思いを届け、天の声を聞いて返ってくる使者のようだ」として、三見開きを使って、大きく扱っている。この鳥に、賢治を象徴させているのだろうか。

画面ごとの構成や、余白の使い方、流れや変化のつけ方もすばらしく、この作者がこの絵本で新たな境地を切りひらいたことを思わせる。

(産経新聞児童出版文化賞講評2016.05.05掲載)


ポーラ・メトカーフ文 スザンヌ・バートン絵『いもうとガイドブック』

いもうとガイドブック

『いもうとガイドブック』をおすすめします。

姉から見た妹を描いた絵本。兄弟や姉妹について描いた絵本はたくさんあるが、その多くは年上の子どもが年下の子どもに親をとられたように感じて複雑な気持ちを抱く様子を表現している。この絵本にもその要素はあるが、それだけではないのがおもしろいところ。

絵も軽妙でゆかいだが、それ以上にユーモアにあふれた文章が楽しく、クスッと笑わせてくれる。

このくらいの年齢の姉妹なら似たような経験をしたことがあるはずで、それぞれの体験と重ね合わせて読めば、実際の兄弟姉妹関係にも余裕が生まれるのではないだろうか。

あたたかいユーモアを短い言葉でうまく訳すのはとても難しいものだが、翻訳はそのユーモアを、細かいニュアンスまで含めてみごとに日本語に移しかえている。そのおかげで、日本の子どもにも十分に楽しめる絵本になった。

(産経新聞児童出版文化賞講評2016.05.05掲載)


『10代のためのYAブックガイド150!』

今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!

『今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150!』

近頃の中高生はあまり本を読まないという。小学生は、読書推進ボランティアが読み聞かせをしたり、ブックトークをしたり、朝読なども盛んだったりするので、まだ読むのだが、中高生になるとほかに面白いことも、塾や部活など忙しいことも出てくるから、本なんか読んでらんないということらしい。

それに町の本屋さんに行っても、近頃は味のある本はあまり置いてない。まして児童書などは少しでもあればいいほうだ。私の近所でも、駅前の本屋さんがつぶれてしまった。というわけで、本は中高生の目になかなか触れなくなってもきている。この年齢だと、学校の先生がおすすめする本への猜疑心も強いだろう。だからこそ当コラムを役立ててもらうといいとは私も思っているのだが、たまには1冊ずつのおすすめじゃなくて、たくさんのおすすめの中から選びたいと思う生徒もいるだろう。

そこで、今回はこのブックガイド。中は (1)10代の「今」を感じる本 (2)社会を知る、未来を考える本 (3)見知らぬ世界を旅する本 (4)言葉をまるごと味わう本 (5)現実を見つめる本、と5つの章に分かれている。そして各章が、たとえば1章だったら、「学校のリアル」「部活へGO!」「自分って何者?」「友情、恋、冒険、青春!」なんていうふうにまた分類されているので、自分が気に入ったジャンルで本をさがしやすい。執筆者は、評論家、書店員、作家(森絵都、佐藤多佳子、那須田淳も書いている)、研究者、司書、編集者など25人。それぞれの人が気に入った作品について、おすすめのポイントを熱っぽく語っているのがうれしい。

ちょっと時間ができたけど、何を読んでいいかわからないな、という人たちは、ぜひこれをパラパラとめくってみてほしい。軽妙なエンタメから重厚な社会派までよりどりみどりだ。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年4月11日号掲載)


R.J.パラシオ『ワンダー』

ワンダー

『ワンダー』をおすすめします。

初めてだれかに会ったとき、最初に意識するのはその人の顔だろう。私たちはお互いに顔を見てコミュニケーションをする生物なのだから。でも、その顔の造作やバランスがほかの人のそれとは大きく違っていたら、私たちはどんな反応をするだろうか? 凝視する? 目をそらす? それとも顔の奥にあるその人の心をのぞこうとする?

この物語の主人公はオーガスト(オギー)。「外見については説明しない。きみがどう想像したって、きっとそれよりひどいから」と自分で述べているのだが、先天的に顔に障碍があり、生まれてから27回も手術を繰り返していた。そして学校には行かずに、母親から勉強を教わってきた。

ところがオーガストは、中学にあがる年齢(アメリカの話なので、5年生から中学生なのだが)になって、初めて学校というものに行くことになる。当然のことながら、オーガストは緊張と不安に押しつぶされそうになっている。懸念は的中し、オーガストは学校で、奇形児とかゾンビっ子とかペスト菌などと呼ばれることになる。この世界は、オーガストのような存在には決してやさしくないのだ。

語り手は、オーガストばかりでなく、姉のヴィア、いつもオーガストと一緒にお昼を食べているサマー、親友だけど途中でぎくしゃくしてしまうジャック、ヴィアのボーイフレンドのジャスティン、ヴィアの以前の親友ミランダ、と次々変わっていく。複数の視点を通して、立体的に状況が浮かび上がる。オーガストの存在を鏡にして、周囲の人たちの人となりも浮かび上がる。

障碍を持った人には親切にしなくてはならないとお題目を唱える本ではない。理想的なあるべき姿を提示する本でもない。リアルである。けれど、そう甘くはないこの世界にも、はかない者、弱い者を守ろうとする人たちが存在することを、この作品はきちんと描いていく。「かわいそう」という視点がないのが、何よりいい。

(「トーハン週報」Monthly YA 2016年2月8日号掲載)


マイケル・モーパーゴ『走れ、風のように』

走れ、風のように

『走れ、風のように』をおすすめします。

世の中には旬の作家というのが確かにいる。マイケル・モーパーゴは今がまさに旬。日本でも次々に翻訳出版されているのだが、最近のモーパーゴは、テーマは違っても、それも粒ぞろいでおもしろい。

この作品の主人公は、犬のグレイハウンド。生まれて間もなく川に捨てられて溺れそうになっていたところを、少年パトリックに救われる。そしてベストフレンドと名づけられ、とても大事に飼われている。しかしある日、走るスピードに目をつけられ、誘拐されて売り飛ばされ、ドッグレース用の犬に仕立てられる。飼い主は金儲けしか考えず、勝てない犬は容赦なく殺処分にするという男である。犬の運命はどうなるのかと、はらはらさせられるが、今度はベッキーという少女に助けられる。

ベッキーは、ブライトアイズと名づけたこの犬を連れて家出をするのだが、子どもの家出というのは、残念ながらたいていはうまくいかない。そこで主人公の犬は、今度はジョーという、妻を亡くしたおじいさんに引き取られて、パディワックと名づけられる。

『戦火の馬』でも、モーパーゴは馬を主人公にしてさまざまな人間模様を描いていたが、この作品でも、犬を主人公にしながら、パトリックとベッキーとジョーの心の有りようを、実にうまく描き出している。ストーリーの作り方もうまい。そういえば、本書と同じ頃に翻訳が出た『月にハミング』も、ストーリー作りのうまさが際だっていた。

モーパーゴは、ドッグレースを引退したグレイハウンドが銃殺されているという新聞記事を読んで、この物語を書いたという。新聞記事一つから、これだけおもしろくて社会的な視点もあるストーリーが書けるなんて、旬の作家ならではのことかもしれない。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年12月14日号掲載)


ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』表紙(さくまゆみこ訳 評論社)

白いイルカの浜辺

『白いイルカの浜辺』をおすすめします

今回は、私がかかわった本を紹介したい。

主人公は、難読症もあって学校でもいじめられている少女カラ。海洋生物学者の母親は、野生のイルカを調査している時に行方不明となってしまったが、カラはいつか帰ってくるものと信じている。カラの父親は、妻が行方不明になったショックや、自分も難読症を抱えているせいもあって、娘との生活をなかなか立て直せないでいる。カラと父親は、ベヴおばさんのもとに身を寄せているが、おばさんには近々赤ちゃんが生まれることになっており、カラたちは住む場所もさがさなくてはならない。

そんな時、カラの学校に転校生フィリクスがやってきた。裕福な家庭に生まれたフィリクスは、脳性麻痺で手足が不自由だが、人一倍の自信家でもあり、ITオタクでもある。

カラとフィリクスは育ちも興味も違う、いわば異文化的な存在なので最初は反発しあうのだが、お互いの異文化性を理解してからは仲間になっていく。

カラにとってはおなじみの、ヨットで海に出る楽しさをフィリクスも知ったことから、二人はお互いを再発見し、ケガをしたアルビノの子イルカの命を助けようとする気持ちが二人の結びつきを強める。

本書は、ハラハラどきどきの冒険物語(特に最後のあたり)であり、親と子の葛藤の物語でもあり、地域や政治とのかかわりの物語でもあり、大自然とITを対比する物語でもあり、そして何より動物について深く知ることのできる物語でもある。前作の『ミサゴのくる谷』同様、動物や自然についての描写は的確でウソがない。

子どもたちが、海の美しさを守りたいという気持ちから環境破壊に異議を唱え、底引き網漁を解禁しようとする利権社会やおとなの意識を崩していくあたりも、おもしろい。

平澤朋子さんの絵がまたとってもすてき。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年10月12日号掲載)


アーサー・ビナード『もしも、詩があったら』

もしも、詩があったら

『もしも、詩があったら』をおすすめします。

アーサー・ビナードはこんなふうに始める。

「もしも」と言っただけで、まわりの世界が、ちょっと違って見える。
「もしも」から出発して、想像をめぐらしてみると、新天地に到達することがある。
「もしものとき」にそなえて、ぼくらは生きのびようとする。
詩が生まれるきっかけになるのも、この「もしも」だ。

そう、確かに。
もしも、と仮定してみただけで、今とは違った世界が見えてくる。

本書は、シェークスピアだのウィリアム・ブレイクだのジャック・プレヴェールだのから、ボブ・ディランやまど・みちおや吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」まで、「もしも」にまつわる古今東西の詩を取り上げている。

取り上げるといっても、これは教科書ではないし、ただ単に詩を紹介する本でもない。アーサーの生きてきた道の途上にあったあれこれのエピソードや、それぞれの詩に触発された思索が書かれているので、奥行きがある。

アーサーの日本語の言い回しには時にはっとさせられるし(これは、ほかのエッセイの本でもだけど)、「日本語だと鳥の翼も〈羽〉だし羽毛も〈羽〉だけど、英語ではこの二つを同一視することはありえない」(アーサーは、同音異義語と言ってるけど、これもその範疇なのかな?)なんていう豆知識も手に入る。たいていの場合、英語の詩と、それを日本語に訳したものとが載っているので、比べてみて、あーだのこーだの言うこともできる。ところどころに入っているアーサーのイラストも、なかなか趣があっていい。つまり、いろんな楽しみ方ができる本だ。

最後に載っているアーサー自身の詩「ねむらないですむのなら」は、ほかのどの詩よりも辛辣なので、心して読んでほしい。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年8月10日号掲載)


亀山亮『戦場』

戦場

『戦場』をおすすめします。

「戦場カメラマン」と呼ばれる人たちも、いろいろです。生と死の間をかいくぐる体験を積んでいるうちに刹那的になる人もいれば、逆に哲学的になる人もいます。その体験をくぐり抜けて自分のやりたいことを見つける人もいるし、その体験を売り物にしてバラエティ番組で稼ぐ人もいます。

本書は、そんな戦場カメラマンの一人であり、戦場で片目を失った著者が、「若い頭と心」で見聞きした戦場と、戦争にさらされた人たちを写真と文章で描いています。取り上げられているのは最初がパレスチナで、あとは主にアフリカの国々。恐怖やとまどい、迷いや悩みも書かれているので、若い読者たちも、身近なものとして読めるかもしれません。

多くの戦場カメラマンたちは、日本ののんびりした日常と、戦場の緊迫感の間でとまどい、どちらが本当の現実か考えたりいらだったりし始めます。そのあたりも、あえて整理せず迷うままに書かれているのがリアルです。それと同時にこの著者は、戦争は憎しみや差別が引き起こすものというより、経済・政治のシステムが引き起こすものではないかということに気づいています。たとえばこんな文章。「爆撃で人が死ねば死ぬほど莫大な利益を得てほくそ笑む人間たちが存在する。巨大な経済システムがうごめいて、知らないあいだに人々は殺す側と殺される側に隔てられていく」。

そう、戦争をとめようと思ったら、「戦争をさせている力」について考えてみることが必要なんですね。この国の政治家が言っていることを鵜呑みにしていたのでは、ますます戦争に近づいていきます。総理大臣が唱える「積極的平和主義」にちょっとでも疑問を持った人には、特におすすめです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年4月13日号掲載)


いとうみく『空へ』

空へ

『空へ』をおすすめします。

短編集のようでもありますが、読んでいくうちに、1冊まるごと物語がつながっていることがわかります。

主人公は小学校6年生から中学生になった佐々木陽介。「とうちゃん」はくも膜下出血に脳梗塞を併発して亡くなり、「かあちゃん」と幼い妹の陽菜(ひな)の3人家族になりました。単親家庭になってすぐに「かあちゃん」は電池が切れたようになったこともあり、陽介は自分ががんばらなくては、強くならなくては、とひたすら思っています。でも、まだ子どもなので、知らないこともいっぱいあり、そうそううまくはいかないのですね。

けれど、そういう立場だからこそ、見えてくることもたくさんあるのです。そして、そういう状況だからこそ、まわりの人とつながれるチャンスもめぐってくるのです。

何が何でもただがんばる、という根性ものではありません。悲しい、つらいというお涙ちょうだいの物語でもありません。

この本に収められた6つの小さな物語は、陽介の日常とその時々の気持ちを描きながら、彼をとりまくさまざまな人間模様もうかびあがらせていきます。しかも、同年代だけではない、世代の違う人たちの人間模様も。

最初の物語「おかゆ」は、陽介が陽菜をお医者さんに連れてきたところから始まり、どうしてそういう羽目になったのかを説明する過程で、「とうちゃん」の死と一家の事情が明かされています。そして最後の物語「神輿」は、町内の祭りで神輿をかつぐのが大好きだった「とうちゃん」の代わりに陽介が神輿をかつぐシーンで終わっています。

いろいろな思いを抱きながらもまっすぐに進んでいこうとする陽介を、ついつい応援したくなる、さわやかな読み心地です。

いとうみくさんは、『糸子の体重計』で児童文学者協会の新人賞をとり、『かあちゃん取扱説明書』でも話題になった、これからがとても楽しみな作家です。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年12月8日号掲載)


マイケル・モーパーゴ『希望の海へ』

希望の海へ

『希望の海へ』をおすすめします。

社会的な視点をもちながらストーリーテラーの腕も抜群というマイケル・モーパーゴが、本書で扱うのは、最近になってわかってきた児童移民の問題です。イギリスから「孤児」(本当の孤児はわずか)たちがオーストラリア、カナダ、南アフリカなどへ送られ、第二次大戦後にはその人数もピークに達したと言われています。

第一部を語るのは、アーサー・ホブハウス。まだ幼いうちに船に乗せられイギリスからオーストラリアにやって来たものの、引き取られた先の農場で奴隷としてこき使われます。さんざん我慢を重ねた後にアーサーは年上の友と一緒に逃げ出し、黒い肌の人たち(先住民ですね)に助けられ、「ノアの方舟」と呼ばれる場所でようやく愛を注いでくれる人に出会います。でも、そこでずっと幸せに暮らしたわけではありません。まだまだ山あり谷ありの人生が彼を待ち受けていました。アーサーがその波瀾万丈の人生の中で持ち続けていた唯一のものは、小さな鍵です。それは姉のキティをさがす鍵でもありました。

そして第二部を語るのは、アーサーの娘のアリーです。父親のかわりにまだ見ぬ伯母キティに会うためひとりでヨットに乗り、数々の困難を乗りこえてイギリスまで航海します。複数の文化を背負った(母親はギリシア人)女の子アリーが単独で冒険するという設定がなかなかいいうえに、航海についてくるアホウドリ、アリーと宇宙飛行士との交信、そして父親から手渡された鍵の謎など、第二部にもさまざまな仕掛けがつまっています。果たしてアリーは、伯母のキティを捜し当て、鍵で何かをあけることができたでしょうか?

わくわくしながら読めます。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年10月13日号掲載)


エリザベス・レアード『戦場のオレンジ』

戦場のオレンジ

『戦場のオレンジ』をおすすめします。

いい作品を書いているのはわかるけれど、なぜか心の奥底まで響かない作家がいます。私にとってエリザベス・レアードはそんな作家の一人でした。きっと読者である私との相性の問題なのでしょう。

なので今回も、この作品を取り上げようと即決したわけではありませんでした。でも、迷っているとき、雨宮処凜さんの「若い女性に戦争の現実味を伝えるには、服が汚れる、おしゃれが出来なくなると説明するのがいちばん響く」という言葉が目にとびこんできました。

爆撃される、殺されるというのは、今やバーチャル世界の出来事となり、実感が持てないのだと思います。服が汚れるなんていうのは、日常世界でも体験することなので、逆にリアリティをもって迫ってくるのでしょう。

それならと、今回はこの本を取り上げることにしました。これを読めば、もう少しリアルなイメージが持てるようになるかもしれないと思ったからです。

本書の舞台は内戦下のベイルートで、敵と味方の間にグリーンラインと呼ばれる境界線が走っています。主人公は10歳のアイーシャ。父親は外国に出稼ぎに行き、母親は家に爆弾が落ちてから行方不明で、アイーシャを頭に3人の子どもがおばあさんと暮らしています。そのおばあさんが生きていくのに必要な薬を手に入れるため、アイーシャはグリーンラインを越えて敵の領域まで侵入し、お医者さんを訪ねます。

物語の中には、このお医者さんをはじめ、やわらかい心を持った人たちが登場してきます。でも、戦争という状況は、そのやわらかい心がのびやかに息づくのを許してはくれません。そのあたりのことがとてもよく書かれています。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年8月11日号掲載)


デボラ・ノイス『「死」の百科事典』

「死」の百科事典

『「死」の百科事典』をおすすめします。

若い時って、大人になってから以上になぜか「死」が気になるものです。私は、中学生・高校生の頃、北村透谷とか有島武郎とか芥川龍之介とか太宰治とかヘミングウェイとか、自分が読んだ本の作家の自殺が気になって仕方がありませんでした。

で、この本です。まず扉をあけると「死ぬのって、きっとすごい冒険なんだろうな」というピーター・パンのかなり挑発的な言葉が目にとびこんできます。そう言えば『影との戦い』(ゲド戦記1)の冒頭にも、「光は闇に/生は死の中にこそあるものなれ」という言葉がありましたっけ。生と死は背中合わせだとすると、生が冒険だった人は死も冒険なのかもしれないし、よりよい生き方をした人にはよりよい死(ぽっくり逝くとか)も待っているのかな、なんて思ったりします。

で、もう一度この本です。開いて見ると、「連続殺人犯」、「黒魔術」、「死体泥棒」、「生贄の未亡人」、「アンデッド」(これは吸血鬼やゾンビやバンパイアなんかのことですね)なんて、おどろおどろしげな項目もあります。「死神」という項目があるかと思うと、「死神をだます」という項目もあります。興味をひく図版もたくさん入っています。でも、出版社と翻訳者を見ればわかるとおり、センセーショナルに売ろうとする本ではなく、これはまじめな本なのです。「自殺」という項目を読んでみたら、国連の世界保健機関によれば、年間の自殺者は世界で100万人といわれ、戦争と殺人による死者の数を上回っている、なんてことも書いてありました。

エッセイ風の文章を拾い読みしてみても、逆に「生」を考えるきっかけになりそうです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年6月9日号掲載)


村山純子『さわるめいろ』

さわるめいろ

『さわるめいろ』をおすすめします。

目の不自由な子どももそうでない子どもも、一緒に楽しめる絵本。

いくつかの出版社から出ている「てんじつきさわるえほん」の1冊で、シリーズのほかの絵本はロングセラー絵本の点訳化だが、本書は内容もオリジナル。市販の点字絵本はこれまで、印刷・製本上のさまざまな問題から、かなり高額な値段をつけざるをえず、だれもが買えるようなものとはなっていなかった。

今回のこのシリーズは、平成14年から出版社、印刷会社、作家、画家、デザイナー、点訳ボランティア、研究者などが定期的に集まって話し合いを重ねたなかから生まれたもので、絵に重ねて樹脂インクで盛り上げ印刷をし、蛇腹式の製本を取り入れてコストを抑えている。

本書は、日本の伝統模様などを使い、そこに樹脂の点々をのせているが、実際に目の見える子と不自由な子が一緒に遊ぶと、見える子が教わるという場合も多い。

このような試みが今後も続いていくことを願いたい。

(「第61回産経児童出版文化賞大賞 選評」産経新聞 2014年5月5日掲載)


キンバリー・ウィリス・ホルト『ローズの小さな図書館』

ローズの小さな図書館

『ローズの小さな図書館』をおすすめします。

最初に登場するのは、父親が蒸発して貧しくなった家庭のローズ。家計を助けるために年齢を偽り、14歳で移動図書館車のドライバーとして働き始めます。1939-40年のことです。でも、この本の主人公はローズだけではありません。第二部はローズの息子のマール・ヘンリー(時代は1958-59年)、第三部はマール・ヘンリーの娘のアナベス(1973年)、第四部はアナベスの息子のカイル(2004年)が主人公になっています。

四部構成になったどの物語も図書館が舞台というわけではなく、主人公の中には本嫌いもいます。内容も、不注意でわなに愛犬がかかってしまった話、恋といじめの話、アルバイトで子どもの劇を手伝う話など、様々です。とはいえ、だれもが、なんらかのかたちで本や図書館にかかわっています。

この作品には、4世代にわたるアメリカの10代の日常の変遷を生き生きとたどれるおもしろさがあります。人によって本の読み方も、本に求めるものもいろいろだということも、よくわかります。21世紀に入ると、アメリカでもホームレスの人たちが図書館を昼の居場所にして、ハリー・ポッターなどを読んでいる、なんてこともわかります。ただし、カタカナ名前がたくさん出てくるので、本の最初のほうに載っている家系図を見ながら読み進めるといいでしょう。

そして最後の第五部には、ひいおばあちゃんになったローズがもう一度登場します。79歳のローズはこれまでの体験を本に書いてとうとう出版したのです。お祝いの場に、ここまでの物語に登場してきた人物が勢揃いする(亡くなった人は別ですが)のも、おもしろいところです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月10日号掲載)


あまんきみこ文 山内ふじ江絵『鳥よめ』

鳥よめ

『鳥よめ』をおすすめします。

今回は絵本をとりあげます。

日本の灯台は、今やすべて無人化されていますが、かつては灯台守と言われる職員が常駐して、灯をともしたり消したり、レンズをみがいたり、故障の修理をしたりして航路の安全を守っていました。この絵本はその灯台守の仕事をしている周平さんが主人公で、民話風に語られています。

「灯台のあかりを消すと、周平さんは、らせん階段をゆっくりおりていきました。右の足を、少しひきずっています」

日本が戦争をしていた時代、周平さんは、子どもの時のけがが原因で右ひざが曲がらず兵隊になれなかったので、苦労の多い灯台の仕事を自ら選んで引き受けています。

ある朝、周平さんの前にほっそりした娘があらわれます。この娘は、以前助けたカモメなのですが、海の神のところにいって人間に姿を変えてもらったのです(ここはちょっとアンデルセンの人魚姫みたいですね)。周平さんと娘は夫婦になりますが、娘は背中にたたんだ翼を一日一回広げて鳥に戻り、空を飛ばないと死んでしまいます。しかも、その時に人に見られてはならないというのです。

娘を大事に思っていた周平さんは、鳥よめに空を飛ぶ時間を保証してやり、その姿を見ることは決してせずに、二人で仲良く暮らしていました。

ところがある日、灯台の守備を任された兵隊が六人もやってきたことから悲劇が始まります。周平さんたちの貧しいながらも幸せな暮らしや、細やかな愛する心の通い合いは、「戦争」という大義名分に踏みつけにされてしまうのです。二人の深い悲しみが、切々と伝わってきます。

子ども時代に太平洋戦争を体験したあまんさんの文章に、山内さんの味わい深い絵がついています。漢字にルビが振ってありますが、小学生より、中学生、高校生に読んでもらいたい絵本です。

(「トーハン週報」Monthly YA 2014年2月掲載)


羽生田有紀 文 島田興生 写真『ふるさとにかえりたい:リミヨおばあちゃんとヒバクの島』

ふるさとにかえりたい〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島

『ふるさとにかえりたい 〜リミヨおばあちゃんとヒバクの島〜』をおすすめします。

語り手は73歳のリミヨおばあちゃん。おばあちゃんの生まれ故郷はロンゲラップ島。太平洋のマーシャル諸島共和国にあります。おばあちゃんは13歳の時(1954年)ヒバクしました。となりのビキニ環礁で水爆実験が行われたからです。この時の核爆弾は、広島型原爆の1000倍の爆発力をもつ水素爆弾で、ブラボー(なんという名前!)と呼ばれていました。アメリカは3年後に安全宣言をして、避難していたロンゲラップ島民の帰還を促したのですが、帰還した島民の多くが甲状腺に腫瘍ができ、子どもの多くが白血病で死亡したそうです。

この本はそうした事実を、もう一度今の時代に生きる私たちに知らせるだけではなく、ロンゲラップでヒバクし、マジュロ島に避難し、それから60年たった今も故郷に帰れずに毎日の暮らしを営んでいる一人の普通のおばあちゃんの、生きた証言です。ロンゲラップに帰島して小学校の先生になったとき、子どもたちの体が日に日に弱っていくのを目撃したこと、再避難が必要になってNGOのグリンピースが来てくれたこと(アメリカは再避難を認めなかったうえ、表土の除染さえ44年後まで行わなかったのです)、そして今考えていること、今感じていることが写真と文字で語られています。

私は、このリミヨおばあちゃんの話を読むまでは、ビキニの核実験が60年後の今でもなお島民の暮らしに大きな影を落としていることを知りませんでした。どうしても福島と重ねて考えてしまいます。


ローレンス・アンソニー『象にささやく男』

象にささやく男

『象にささやく男』をおすすめします。

これは厳密に言うと、児童書ではありません。一般書です。ルビもありません。でも、高校生くらいからなら、ずんずん引き込まれて、とてもおもしろく読めるノンフィクションです。

舞台は南アフリカの私立野生動物保護区トゥラ・トゥラ。別の保護区から脱走をくりかえし、処分されそうになっていたゾウの群れを著者がひきとることから物語が始まります。でも、このゾウたちは群れのリーダーと子どもを撃ち殺されて人間不信の固まりになっています。だから当然一筋縄ではいかないのですね。でも、時には命がけで、著者はこのゾウたちの信頼を勝ち取ろうと努力します。

この著者は、こんなふうに考える人です。「そもそも群れを引き取ったとき、ゾウはそのまま薮(ブッシュ=荒野)に放つつもりだった。彼らとつながりを持とうなどとは考えていなかったのである。私は、すべての野生動物はそうあるべきだと思う。すなわち、野生ということである。脱走劇や再定住の苦しみ、兄弟の処分などといった事情で、私はしぶしぶ介入せざるを得なくなったまでである。家長のナナに人間を少なくとも一人信用してもらって、人間全体に対する恨みを少しでも和らげてほしかったのである。それが実現し、彼女にも群れがもういじめられないことが分かった。これで、私の使命は終わったのだ。人間と接触しすぎると原野で必要とされる彼らの野生が損なわれることを、私は強く意識していた。」

著者の創意工夫と忍耐強さのおかげで、ゾウたちはトゥラ・トゥラが安心できる場所だということを理解し、徐々に穏やかさを取り戻していきます。そしてゾウはゾウ、人間は人間としてくらせるようになるのですが、著者とゾウの間にある強い結びつきはずっと消えなかったようで、不思議なことに著者が外国へ行って帰ってくる日には、ゾウたちがちゃんとわかっていていつも門のところで出迎えたそうです。赤ちゃんが生まれれば必ず見せにきたし、著者が亡くなった日も、ゾウの群れが家まで弔いにやってきたそうです。

ゾウだけではなく、密猟者、山火事、ライオン、サイ、水牛なども登場し、ハラハラ、ドキドキのとてもおもしろい本に仕上がっています。エンタメでもありながら考えさせられる種をちゃんともっている、そんな一冊です。

この著者はとても正義感の強い人らしく、2003年にはイラク戦争の開戦直後のバグダッドに行って、飢え死にしそうになっていた動物たちを救うという活動もしています。とくにアフリカの自然がどんどん破壊されていくことを憂い、野生生物が自由に生きられる場所をつくろうとしていました。亡くなられたのが本当に残念です。

翻訳者は、英語とフランス語のすばらしい同時通訳者、中嶋さんです。


長倉洋海写真 谷川俊太郎文『小さなかがやき』

小さなかがやき

『小さなかがやき』をおすすめします。

長倉さんが、エルサルバドル、アフガニスタン、ブラジル、ウィグル、南アフリカ、コソボ、ベネズエラ、レバノンなど世界各地で撮った子どもの写真に、谷川さんの詩がついています。写真も詩も、他の本で見たことがあるのと、初めて見るのとがあります。どこかで見たものでも、古い感じはしません。また心に届きます。写真と詩の組み合わせがいいからでしょう。

たとえば、エルサルバドルの戦争避難民の子どもたちが新生児を囲んで笑っている写真には、「生まれたよ ぼく」という詩がついています。

「生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえないけど
ぼくは知っている
ここがどんなにすばらしいところか
だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを

いつかぼくが
ここから出ていくときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい
そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい」

私は長倉さんが子どもを撮った写真がとても好きなのですが、この本は写真をより深く味わうために詩があり、詩をより深く味わうために写真がある、という有機的な構成になっているのがいいなあ、と思いました。
自分に最初の子どもが生まれたとき、私はその子はもちろんですが、それだけでなく世界中の子どもがいとおしくなりました。その時のことを思い出しました。

オビには「写真家と詩人がとらえた無垢なまなざしの光」とあります。このオビを書いた人は子ども=無垢と思ったのでしょうか? 谷川さんは、「赤んぼのまっさらなタマシイは おとなの薄汚れたタマシイよりも上等だ」と書いています。上等=無垢? 生まれたての赤ちゃんはともかく、子ども=無垢ととらえると、子どもの本質を見誤るかもしれないと、私自身は思っています。でも、子どもたちは大きな可能性と大きな力を秘めています。それをつぶしているのが、私たちおとなです。


荒井良二『あさになったので まどをあけますよ』

あさになったので まどをあけますよ

『あさになったので まどをあけますよ』をおすすめします。

朝になったら窓をあける。何気ない日常のしぐさだが、窓をあければそこには緑の自然があり、さわやかな風が吹き、海がきらめき、人々が会話をしている。

この絵本に描かれている「窓をあける」は、一日一日を新たに迎えたことを喜び、まわりのものをていねいに感じていく行為なのではないだろうか。またそれは、自分の心を開くことにもつながっているかもしれない。

2つの見開きを1つのまとまりにした場面展開には変化があり、どの風景も世界の広がりを感じさせる。

途中で2度繰り返される「きみのまちは はれてるかな?」という言葉も、読者に自分の周囲にも目を向けるように促すことによって、この絵本にもう一つの広がりを持たせている。

2011年の大震災後、日常の当たり前は、当たり前でなくなってしまった。この絵本は、被災地の人たちとのワークショップを何度も行ったことから生まれたとのこと。作者はそうした体験をベタに表現するのではなく、見事に自分の中で昇華して完成度の高い作品に仕上げている。

(2012年5月5日 産経児童出版文化賞「大賞」選評)